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林業家の自信と誇り

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林業家の自信と誇り
第3回 森の聞き書き甲子園報告書
FOXFIRE IN JAPAN 5TH
造林手
【名 人】栗本 慶一
(滋賀県高島市)
【聞き手】雁瀬 貴次
(滋賀県立八日市南高等学校一年)
林業家の自信と誇り
−−
「テンネンヤマ」
から学び、住まい手と林業家をつなぐ−−
はじめに
林業を勉強してきました。百姓の勉強をしっかりして
いる最中、お米を減反政策で、できるだけ作らず他の
この「森の聞き書き甲子園」で、私は滋賀県高島市
ものを作れという時代になってしまいました。永年転
朽木の林業家、栗本さんのお話を聞かせていただいた。
作という制度があって、その時 、家が林業をやって
話が展開していく中、名人の林業家としての自信と誇
いましたので減反した田んぼに杉を植林してしまいし
りを垣間見ることができ、明日の林業が目指すべく方
た。それが、今となって考えますと、その減反した田
向性を示唆された。
んぼに杉を植林したのは、田舎の経済もふくめて、山
里から人が離れていき、景観も見苦しくなる。そして、
山村が疲弊していく大きな原因になったと思います。
あのときに減反政策で他の作物、米に変わる作物をこ
の地域の基幹作物として別のものを考えておけば、そ
の素晴らしい産地になり、地域の特産品ができ、みん
なが、それで生活していく循環ができたのでしょう。
安易に植林に走ってしまいました。そこが一つの時代
の境目だと思っています。
家業を継いだきっかけは 子供の頃から大人の仕事
をこの地域で見てきまして、僕も大きくなったらあん
なことするのかなぁというイメージは何となく持って
いました。家の仕事なり父親のやっている事などを見
ていまして、みんなが山で生き、山で生活している部
林業家になるまで
分もあり、木材がどんどんと高値で売れていった時代
ですので、自分は高校をでたら家に帰って仕事せんな
私の小さかった頃の朽木は、山の方では炭を焼き、
んもんやと、親に洗脳されたみたいで全く迷いはあり
里の方では田んぼや畑、そして、牛の飼育とかで生計
ませんでした。でも、自分が、この山をどうしようと
を立てていたました。こんな田舎でも子供がたくさん
か、この木はどのように育てるとか、積極的に山に関
おりまして、にぎやかな時代でした。雪が降り始めた
わり始めるのには10年ぐらいかかりました。
ら、春先の雪が解けるまで、道路は完全に封鎖した状
態になります。子供の頃、春の雪解けほど待ち遠しい
林業家としての転機
ものはなく、雪が解けはじめたとき、なんというか、
雪解けと同時にふきのとうが出てきたりし、春の息吹
を感じるときが本当にうれしかったです。
そのころの林業は、皆伐といって全部一斉に伐って、
それを山から持ち帰ったあと、また、木を一斉に植え
高校時代は、経済がどんどん右肩上がりの成長期で
るという一つのパターンでした。しかし、バブル期の
した。東京オリンピックがあったり、新幹線が開通し
後の平成に入ってからは、極端に木材の価格が落ち込
たりね。そういう時代ですから、将来に向けて明るい
んできまして、高値の時の三分の一以下になっていま
感じがしていましたね。高校は農業高等学校で農業と
した。なかなか人件費を払って山を伐採して、回転し
ていくという事が難しくなってきました。そこで、僕
は平成にはいってから、皆伐作業という一斉に伐って
成功の秘訣
売っていくという作業をやめてですね、択伐林施業と
いう方法に移行しました。一つの林分があって、人工
この地域に生えている杉の品種は芦生杉というので
林が植わっていると、大きくなった木が密生している
す。それは非常に雪に強く、それから伏状枝という、
訳ですけれど、その中から何本かを択伐して、立木一
枝がたれて土につき、そこから根が生えて幹になって
本当たりの空間を広げていく。そうしていくと再投資
いく。そういう性質があります。その芦生杉を増やし
する必要なく立木密度管理ができる。これにより、管
てやれば、間違いなく立派な林に、自然の森になって
理出来た木を、いかに上手に販売していくか考える事
いく。森というのは高い木もあれば低い木もある。こ
により、自分一人でも山を順番に回って管理していく
の自然の状態を森と言うのですけれど、自然に、林が
事が出来る。今は、そういう方向に変えて、出来るだ
こういう森になって行くもんで、地スギである芦生杉
け人件費やコストのかからないようにやっています。
を使うという事が、私の成功の秘訣でもあります。
芦生の森に入りますと、研究のためにたくさん良い
テンネンヤマから学ぶこと
森を残しています。ああいう森を見ていますと、自然
の姿というものは、こういう所にあるのかという、自
私たちのいうテンネンヤマでは、杉が自生して勝手
然から学ぶという
に生えてきます。それは天然下種更新といい、種が勝
部分が非常に大き
手に落ちて、その種がまた芽生えて大きくなっていく。
いし、せいぜい僕
だから、天然山というものは、太い木もあれば、細い
らの命は80年か
木もあり、また、今年芽生えた苗もある。そういう非
ら100年ぐらい
常に幅広い樹齢の木が育っている訳です。また、針葉
なもんで、森とい
樹と広葉樹が混生している所もあります。その山は、
う200年や10
あまり人手を入れなくて、植林はしていないし、木起
00年も生きるも
こしも下刈りも全くしてなくて、自然の力を最大限利
のをどうこうしよ
用しながら、立派な木が育っています。これからの山
うというのはおこ
造りというものは天然下種更新のような択伐施業を行
がましい話です。
い、林分密度を低くし、空き地をつくっていく。そし
やはり、自然から
て、また、その空間に種が落ち、そこから自然に生え
学んでいって山を
たものが大きくなっていく。もともと人工林であった
森にしていくとい
ものを択伐して、その後、密度が薄くなった時点で、
う姿勢が大事かな
昔からやってきた天然山のような生態系に戻していっ
と思います。
芦生杉
たら、植林する費用もほとんどなくなる。ただ、山の
持っている生長力、木材の生長量、山や森林の持って
さらなる進化へ
いる力の一部分だけを、山からいただけば、永久的に
山がつながっていく。裸になったり、深く茂ったり、
現在進めているところで言えば、今まで木を植えて
たった100年サイクルの繰り返しではなく、常に材
育てることばかりを一所懸命やってきました。それは
の蓄積が山にある。しかも、山に大きな負荷をかけず、
生産者として、また、林家として当然のことなのです
自然に優しい、継続性の高い林分になっていくと考え
が、しかし、何のために木を植えて、育てていくかと
ている。
いう最終目標は販売です。林業には育てる林業と売る
林業、販売の林業があると思っています。いよいよこ
れからはですね、戦後どんどん植えてきた木をいかに
売っていくかが、林業家としての大きな課題です。木
材の価格の低迷した時代であっても林業をやめること
は出来ませんし、森を管理していかなければなりませ
ん。売ることに一所懸命にならなければならないです。
従来は、自分の山の木を伐って木材市場に持って行け
ば、そこに買い手さんが来て、買っていきました。し
かし、今はそんな事をしていれば、伐採搬出の費用す
ら出てこない状況です。これからは消費者(住まい手
テンネンヤマ
さん)に山まで来て頂き、また、一般の人でも山に来
第3回 森の聞き書き甲子園報告書
て頂き、木に関心をもって頂く。また、山の環境にも
まうという意識ばかりだったのですけれど、今となっ
関心を持って頂く。水もそうですし、いろいろな部分
ては、雪のおかげでこういう育ちになって、こういう
で山に関心を持って頂くために、山側でワークショッ
いい木になるんやと思い、良い方向に考えも変わって
プ開いて、たくさんのお客さんに川下から来て頂く。
きました。雪の中でしか、こんなしまった木はできま
山で伐採現場を見せたり、間伐体験して頂いたり、山
せん。これが天然杉なんです。自然の力で立ち上がっ
に振り向いて頂き、木の良さもわかって頂く。そして、
た木はですね、力強さやたくましさ、そして美しさを
気に入って頂いたお客さんに、将来的には、地域材を
感じるんです。これこそ、芸術的な世界かわかりませ
使った家造りを売り込んでいく。この販売努力こそが
んが、非常にたくましく、それがどんな場合であって
大事になってくる。製材所、工務店さん、そして山側
も、非常に美しいのです。今は、そういう事に気がつ
といろいろなところがグループをつくり、今、一所懸
きましたので、人工林で人手をかけて育てた木と、こ
命に動き出している所です。自分の育てた木が、製材
うした天然の天然山から出てきた木とをですね、使い
したら、実際どんな風になるかということに、今まで
分け、売り分けをして、皆さんに知って頂き使って頂
気づいていなかった。住まい手さんが山に対して、木
こうと考えています。朽木の個性のない林業、特徴の
に対してどういう風に思っておられるか、どういう事
ない林業をですね、逆に特徴付けし、皆さんから知っ
を望んでおられるかなど、消費者の気持ちをしっかり
て頂くきっかけにしたいと思います。こうした木材の
と受け止めていくことが、木を造る上で大事になって
人工林と天然林との売り分け、使い分けをすすめてい
きてました。消費者との交流を深めていくことにより、
くことにより、地域材としてのブランド力をつけてい
木の良さをわかって頂ければ、地域材を使って頂ける。
こうと考えています。
また、消費者も自分の家の木が どこの山から出てき
て、だれがどんな風に造ったのかという生産履歴がわ
かる。これも安心安全につながりますので、こうした
お互いの信頼関係を構築することによって、安心して
国産材、地域材で家を建てることができる。しかも、
自分の家の木が、山と森につながっているのだという
ことになれば、さらに家に対する熱い思いもでき、家
族ぐるみで家を大事にしていく。家は建てたら終わり
じゃなく、家が完成した時点から、山とのつながりが、
新たな出発点になるわけです。自分の伐った木の跡に、
記念植樹などして頂き、それを毎年、見に来て頂いて、
杉の根曲がり
木とふれあうことにより、いろいろなつながりも出来
ていきます。そういう形で、これからの山を管理して
いけたらいいなと考えています。
今まで、林家は山で立木を伐る時期を待っていた。
木材業者が買いにくるのを待っていた。それも木を山
に立てて待っていた。緑のままで待っていた。しかし、
これからは、待っているだけではあかんのです。伐採
して製品にして、いつでも使って頂ける状態で、自然
乾燥して、お客さんを迎えていく。山で木を伐るのを
見て頂き、そして製品として見てもらう、朽木の芦生
杉とはこんなに素晴らしいものかとご理解頂いた上
で、家の建築に踏み切って頂けるでしょうし、お客さ
んに対して選択肢を与えていくという事が大事やと思
うのです。今まで、工務店に木の家を建ててくれとい
っても、製材所から大工さんに納まる木で決まってし
栗本さんの杉で建てた家
まうわけです。お客さんが決める。住まい手さんが決
めるという場所はほとんどないのです。この材でやっ
てくれと言う。そこにお客さんの選択肢を与えて行く
木材の付加価値
ことが大切です。そのためには、木材のストックヤー
ドがいるだろうと、今回、つくって頂きました。これ
今までは、雪がたくさん積もること自体が、地域と
からの林業家は、山で木を立てて持っているのでなく、
して非常に不利だという思いをもっていました。それ
縦から横という発想で、製品で持とうと言うことです。
だけ木を育てるにも時間がかかるし、木が曲がってし
できるだけ安く使って頂くのに、原木を製品にし、出
来るだけ付加価値をつけて、消費者の近くに置けるか
にかかっているというような気がしています。生産者
の顔が見える環境を、しっかりつくっていかなければ
ならない。職人だけじゃなく、やっぱり木材も、山と
のつながりがしっかりと見えていないと安心して使っ
て頂けないと考えています。
高校生や次世代へのメッセージ
資源として木
材を考えた場
合、今は地球
の裏側からも
木材が入って
きていろいろ
使われていま
すが、やはり、
この日本で育
った杉、檜は、
日本の風土に
あっています
ので、ぜひ家
を建てるとき
には、地域材
を使ってやっ
て頂きたいと思います。山も元気になってきますし、
その山を使って頂く人がふえてきますと、地域全体が
元気になってきます。グローバルな時代というものの、
やはり、地域の資源を活用して、地域で経済を動かし
ていく、そういう時代になってきていますので、出来
るだけ自分の近くにあるものを使っていくことが大事
かなと思っています。
終わりに
栗本さんは、山づくりを自然に学び、なるべく自然
に負荷をかけないように木材を育てておられます。自
然の摂理を学び、森の生長量だけ材として利用してい
く。しかし、ただ木材を生産されているのではありま
せんでした。その木材に付加価値をもたせ、地域の活
性化につなげておられます。私たちが自然から頂いた
恵みを、本当の意味で大切に使って行く。この考え方
プロフィール
を、私たち次世代に課された新たな課題と受け取り、
この聞き書きを終えました。
氏名 栗本 慶一
滋賀県高島市朽木桑原
滋賀県を代表する林業家。先祖から引き継いだ約100ha
の人工林は、皆伐はやめて大径木材に誘導するための択
伐施業に転換したり、天然更新を利用した植栽を行うな
ど、自然の力を生かした施業を行っています。
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