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児童虐待問題の解決過程とホォ・オポノポノ: 米国ハワイ

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児童虐待問題の解決過程とホォ・オポノポノ: 米国ハワイ
Nara Women's University Digital Information Repository
Title
児童虐待問題の解決過程とホォ・オポノポノ: 米国ハワイ州にお
けるカルチュラル・コンピテンス
Author(s)
上野, 善子
Citation
上野善子:奈良女子大学社会学論集, 第20号, pp.137-158
Issue Date
2013-03-01
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/3433
Textversion
publisher
This document is downloaded at: 2017-03-30T18:45:25Z
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
児童虐待問題の解決過程とホォ・オポノポノ
――米国ハワイ州におけるカルチュラル・コンピテンス――
上野
善子
はじめに
米国は,世界で最も児童虐待の問題が深刻な国と言われている(Clark et al. 2007)
.全米
では約 70 万人の子どもが虐待を受け,子ども 1,000 人に対して 9.3 人が被虐待児と報告さ
れている(HHS 2010). 米国では,1974 年の児童虐待防止法制定以降,児童虐待の問題解
決のため調査・研究を行い,法制度を整えつつ虐待対策や治療法を一定程度確立してきた.
しかし,児童虐待の問題は社会背景や地域環境,家族背景などにより社会の認識や支援
方法が異なる.とりわけ米国の虐待問題は州によってそれぞれの特徴があるが,多文化社
会のハワイ州は,文化的コンピテンスを支援に取り入れるなど,全米でも注目されている.
本稿は伝統的なハワイ文化の“ hoʻo ponopono”が,問題解決過程においてどのように取り
入れられ,受け入れられているのか,カルチュラル・コンピテンスの視点から明らかにす
る.
1
米国における児童虐待対策の概要
米国における児童虐待対策は,まず児童虐待の発見または虐待の疑いについて児童保護
システムに則り,報告されることから始まる.報告された内容について,虐待であるかど
うかの調査介入が始まり,その結果からそれぞれの対応システムへ移行する.
1.1 発見と報告
米国では児童虐待防止法(Child Abuse Prevention and Treatment Act;以下,CAPTA)1) 成
立以降,児童虐待とネグレクト(以下,児童虐待に統一)が疑われる状況を発見した場合,
「報告法(Reporting Laws)
」により(表1)州および地方機関の責任として児童保護局(Child
Protection Services; 以下,CPS)2)への報告(Reports)を義務づけている(Karageorge 2008,
Worley 2013)
.
報告を実証する基準は各州法において異なるが,全米教育委員会(National Education
Association; 以下,NEA) による 1984 年の調査によると,教育者は全州で報告が必要と法
律により規定されていた.教育者の範囲は広く定義されており,教師の他,看護師やカウ
ンセラーなどが教育者と見なされる州も少なくない.一般的に,デイケア・センターの職
員や保育士,歯科医師など,警察も含め子どもに関わる様々な専門家はリポーターとして,
報告が法により義務づけられている 3).また,殆どの州で報告義務を怠った専門家のリポー
ターに対してはペナルティが与えられている 4).
多くの州では専門家だけではなく,誰もが報告できるよう州法で規定されている.全報
告の約 50%近くは友達・親戚あるいは隣人により発見され,報告されている実態から,同
調査の結果では全米約 20 州が,専門家以外の誰もが報告の対象者となっている(Clark et al.
2007)
.特に「誠意ある報告(Good Faith5)」については,児童虐待の嫌疑について理由が明
確にあるかどうかが基準とされており,仮にその報告が虐待ではないと認定された場合で
もその責任は免除される.また,リポーターが報告する際,自身の情報についても提出する
場合が殆どではあるが,匿名で提出することができる機関もあり,報告者についての対応
は州の基準によってばらつきがみられる.同様に,リポーターが報告する際は子どもや親
の氏名と住所,受けた虐待のタイプ
や部位,過去の虐待情報などについ
て提供するよう依頼されるが,裁判
の被告人に対してリポーターの名
前が明かされることはなく,情報提
供についてのプライバシーは尊重
されている 6).
表 1 報告法の基本構成
・報告を求められる人物
・報告事項
・報告場所、ないしは、誰に報告されるべきか
・報告書作成に必要な証拠量
・報告不履行の場合の罰則
・「誠意ある報告」に対する訴追免除(免責)
・秘密情報法の一時的停止(差し止め)
Basic Elements of Reporting Laws, Clark 2001, p196 より筆者訳
1.2 調査・介入
リポーターによる報告を受理した後,CPS は報告の内容について虐待があったかどうか
調査介入を始める.その結果,それぞれの対応システムへ移行する.
(図 1)は児童虐待の疑いがあると報告された場合の対応図である 7).図は CPS プロセス
の概観であり,子どもの生命の危険度と緊急性が判断された後に調査介入が行われる.
CPS のケースワーカー(以下,CPS に統一)は,報告されたケースが現実に児童虐待が
生じているかどうかを断定するため,報告書を州法や機関の方針と照らし合わせる.報告
が正しいと判断された場合,まず子どもが家庭で生活することが安全かどうかを決定する.
特に生命に危険がある緊急の場合は,迅速な調査のため初期対応は口頭で行われる場合も
ある.
虐待問題が発生した家族は裁判所の関与やその他の地域の資源を利用しながら,長期的
な目標として家族の再統合を図るか,養子縁組が行われるなどの対策が講じられる.その
際,一部の子どもは住んでいる家や家族・地域から離れて一時保護される場合もあるが,
子どもの状況によっては虐待の加害者とされる親が家から出て行くなどの対策もある.
(図 1)子どもへの虐待またはネグレクトの疑いがあるとされたときの対応図
“Ohio Department of Public Welfare, Childrenʻs Protective Services, NCCAN, 1984”より(上野訳)
1.3 ケース・マネジメントとチーム・アプローチ
CPS は報告書が提出された後,ケース・マネジメントとフォローアップについて責任を
負っている.しかし,虐待問題を抱えた家族への対策を計画・評価する際には CPS だけが
判断するのではなく,様々な専門家と協議の上で立案・実施される.例えば,心理学や社
会福祉の専門家,小児医学や精神医学,子どもの保護を専門とするトレーニングを積んだ
専門家
(非営利組織などの自主組織も含む)
などによる学際的な専門家集団
(Multidisciplinary
team; 以下,MDT)が組織され,評価される.MDT は「子ども保護チーム」や「ケース相
談チーム」など州によって様々な呼称があるが,児童虐待の保護システム全体とケース・
プロセスの様々な段階においてそれぞれの専門的な立場から議論され,決断する組織とし
ての役割が確立している.児童虐待に対する専門的な対策・MDT が組織される根拠は,子
どもと家族が身体的・情緒的によい状態(well-being)を回復するためには様々な協議が必
要とされるような,とりわけ虐待問題の重症度や緊急度,困難性の高い事例に適応される.
なお,虐待を受けた子どもと家族に対して行う面接は家庭裁判所の役割であるが,虐待
を行った親などについては子どもと分離・調査され,裁判では刑罰が与えられるか,また
は子育て教育(Parent Education)を受けるなどの方法について判決が下される(Lutzker 1998,
上野 2011)
.
2
ハワイ州の児童虐待の特徴と対策
表 2 2011 年ハワイ州児童虐待数
:被害が確定した子どもの数(重複なし)
2.1 報告数
項 目
1990 年から 1997 年の米国の調査では 54 州
数
%
人 種
の報告のうち,カリフォルニア州は 53.7%,
ニューヨーク市も 51.4%と高い報告率が明ら
ハワイアン
572
40.9
かとなっている.ただし,報告数の多さは虐
異種族
236
16.9
待数の多さと一致する訳ではなく,その後の
白人
149
10.7
調査によって児童虐待ではないと判断される
フィリピーノ
87
6.2
57.8
年 齢
場合があり,特に大都市圏の場合は通報シス
テムそのものの利便性や多くのインフォメー
1 歳未満
222
15.9
ションがあることなどから,報告率は虐待率
1 歳以上−2 歳未満
112
8.0
よりもより多いと考えられている(図2)
.
2 歳以上−3 歳未満
84
6.0
しかしながら,大都市圏では支援機関も多
3 歳以上−4 歳未満
106
7.6
く存在し,法も整っているにも関わらず報告
4 歳以上−5 歳未満
94
6.7
率と虐待率がほぼ平行に推移しており,大都
5 歳以上−6 歳未満
100
7.2
市圏では子ども保護システムが上手く機能し
6 歳以上−7 歳未満
81
5.8
男
694
49.7
女
698
50.0
ないといわれている.
これは米国で最も少ない報告率となっており,
虐待報告の少ない理由として挙げられている.
現在のハワイ州は人口約 136 万人,
18 歳以下の人口は約 30 万人である
おり,
子ども 1,000 人に対して 6.2 人の
割合になっている.被虐待児について
は 2009 年が 13.4%と最も高く,近年は
最も低い 2006 年の 12.2%よりも減少
傾向にあり,2010 年には死亡事例も全
州で2件であり,米国で最も低い水準
である.
%
(Howden 2011)
.2010 年は 2,668 件の
そのうち 1,795 件が虐待と判定されて
99.7
Child abuse and Neglect in Hawaii, 2011. State of
Hawaii Department of Human Services Management
Services Office, 2011 より筆者改編作成
2.2 概要と特徴
児童虐待が報告され,調査が行われた.
57.2
性別
ハワイ州の場合,報告率は 13.9%である.
地域を基盤とした支援の内容が手厚いことが
%
70
60
50
40
30
20
10
0
報告率
被虐待率
2006 2007 2008 2009 2010
47.7 46.3 48.7 48.2 47.7
11
9.6
9.5
9.3
9.2
図2 報告数と被虐待児の推移
表2からわかるように,人種別ではネイティヴ・ハワイアン(以下,ハワイアン)が約
4割と大部分を占めており,続いて異種族の子どもが約2割と,ハワイアンと異種族の子
どもを併せた約6割が被害にあっていることがわかる.この結果から児童虐待問題につい
ての文化的差異があるとみなされる.
虐待を受けた子どもの年齢については7歳以下の子どもが約6割を占め,そのうち約
16%は1歳未満の子どもである.自分で身を守る事ができず,年齢が低い子どもほど虐待
を受けるリスクが高まっているが,この結果は全米の傾向と比較しても大差はない.
虐待の被害にあった子どもは家庭外でケアを受ける場合があるが,2011年には1,248人が
一時保護(foster care)など家庭外での支援を受けており,そのうち約6割は両親や親族の
元へ戻れるが,約2割の子どもは家族の元に戻れず,結果的に里親(adoption)の支援を受
けている(Macartney 2011).親族が子どもを引き取る率については白人とヒスパニックが
約5.0%,黒人が0.5%に対し,アジア人は約3割が親族へ引き取られて世話を受けており,
人種間における相違が見られる.しかし親族による支援(kinship care)は,単純に人種間で
の血脈や価値観の相違に起因するだけではない.虐待の問題は経済的な理由やサブスタン
ス・アビューズの問題(上野 2012)などによりネグレクトになる事例も多く,親族が高齢
な場合や,同じ問題を抱えているなどの事情により子どもを引き取る事ができない事例も
ある.
特に,貧困によるネグレクトの対応は難しい.ハワイ州では全体の貧困率が10.7%である
が,5歳以下の子どもがいる家族の貧困率は16.2%とその数は約1.5倍になる.18歳以下の子
どもがいる家族全体でも13.9%を占め,小さな子どもがいる家族の貧困率は高く,虐待の危
険性が高まると言われている.このようなネグレクトは社会的ネグレクトまたは消極的ネ
グレクトと呼ばれ,意図的に放置する積極的ネグレクトと別の評価(assessment)が必要で
ある8).
2.3 ハワイ州の MDT ネットワーク:CJC
虐待問題のある子どもの保護は,1.2 で述べたように家庭裁判所の判断による.子どもの
保護は MDT で取り扱われるが,ハワイ州では児童権利擁護センター(Childrenʻs Advocacy
Center)モデルによる児童司法センター(Childrenʻs Justice Center;以下,CJC)が中心的拠
点としての役割を担っている(Nicholson et al 2000, Newman et al 2005).
2.3.1 ハワイ州の Childrenʻs Justice Center(CJC)について
【CJC における聞き取り調査から】9)
CJC は 1985 年,アラバマ州ハンツビルで「米国子どもの権利擁護センター(National
Childrenʻs Advocacy Center)
」として設立された.コミュニティの特徴を反映しながら,全米
の主要な地域に設置されている.児童虐待の被害を受けた子どものための裁判資料を作成
し,保護の方針や手法を MDT が決定するが,目的は子どもの権利を守ることであり,被害
を受けた子どもが安心して被害状況を語ることができるように配慮している(NCA 2009).
CJC は児童虐待の全てのケースを取り扱う訳ではない.主な児童虐待は,性的虐待が 86%
と生命に関わるような重度の身体的虐待 10%の被害を受けた子どもであり(annual report
2011)
,オアフ島の CJC では毎年約 1,100 人の子どもが支援を受けている.性的虐待が取り
扱われる理由は,とりわけ女児において,その後の酷いトラウマの問題を抱えるからであ
る 10).
ハワイ州の CJC は 1986 年に設立され,現在5箇所の CJC がある:オアフ島,マウイ島(ラ
ナイ島,モロカイ島含),カウアイ島,ハワイ島(ヒロ,コナ).ハワイ州ではその地理的
な特徴から郡を中心としてコミュニティを担当するが,オアフ島の CJC はハワイ州の集約
を行っている.MDT メンバーは,CPS の児童保護司やカピオラニ医療センター性的虐待診
療部 11)の医療福祉士(Medical Social Worker:以下,MSW)
,ホノルル警察・検察官,カウ
ンセラーや地域の支援者(ヴォランティア・メンバーやスーパーバイザーなど)などであ
る.
CJC は裁判所の権限と役割を実行しているが,プログラムの特徴は大きく 2 つにわけら
れる.まず,公的機関と民間組織(主に非営利)が専門家集団として,対等な立場でパー
トナーシップを組み,チームによる情報ネットワーク組織として支援を行っていることで
ある.通常,とりわけ公的機関と民間組織は情報公開すら難しい場合も多く,別組織に所
属する専門家が同じチームメンバーとして支援活動をすることは無いが,それを可能にし
ている.次に,ハワイの MDT は子どもの保護と加害者を含めた家族支援を行っており,子
どもと家族が住んでいるコミュニティにおける文化的基盤を配慮した支援を行い,そのた
めの教育も行っている.
CJC の目的は被害を受けた子どもが安心して被害の状況を話せるような支援を提供する
ことであるが,特に重要な初回の聞き取り面接(intake)は CJC で行われる.オアフ島の場
合,1階が保育所,2階が CJC になっており(図3)
,子どもがどんな場所に連れて行かれ
るのかという緊張を押さえる工夫がされている.また,施設内部も子どもの緊張を押さえ
るように,明るいつくりになっており,保育所のような子どもが好む装飾が施された部屋
として工夫されている.
初回面接で被害を受けた子どもが安心して被害状況を話せるように,聞き取りは1名の
主に同性の心理士(カウンセラー)により優しい雰囲気で行われる.また,子どもが被害
状況を話さなければならない回数を最小限にとどめる配慮のため,子どもに気がつかれな
いように室内には小型マイクが隠されており,その内容を録音して記録する(図4)
.
面接の様子は別室で観察できるようになっている.別室はマジックミラーになっており,
部屋からその様子を録画して観察することができるようになっている(図5,図6)
.画像
や音声を記録する理由の一つは,初回面接の内容は信憑性が高く裁判資料にできることと,
裁判でインテークの映像を利用すれば,子どもは何度も法廷へ出向かなくて済むことから
である.また,子どもは帰宅すると,どのような話をしたのか親から話を聞彼,初期の証
言内容を変化させる場合,つまり親の意見にあわせる時がある.例えば,子どもが家に帰
ったときに,親が「家であったことを話したらお母さんが遠いところへ行ってしまうから,
もう会えなくなるよ」
「あなたが悪い子だから」などと子どもを説得し,子どもは親に会え
なくなる寂しさや恐怖から証言を翻すことがあるからである.
子どもが性的虐待を受けている場合,口頭で状況を説明する事が困難なため,アナトミ
カル・ドール12)を用いて被害状況の判断をする場合がある(上宮 2009).
2.3.2 MDTの教育と情報共有
CJC は MDT に対しても,特別なトレーニングなどの教育を行っている.例えば,新規に
採用された CPS の児童保護司や警察官など,MDT のメンバーに対する教育を実施している.
MDT は専門性が高いため,メンバーや機関が固定されている.虐待が発生した際,迅速に
対応できるようトレーニングされるためである.例えば,虐待事例で医療的処置が必要な
場合や性的虐待の場合,どの病院でも対応するわけではなく,オアフ島ではカピオラニ医
療センターがその役割を果たしており,MDT の MSW が対応する.病院内でも,虐待対応
図3 オアフ島 CJC(2 階)
図5 観察部屋
図4 面接部屋
図6 観察部屋から見た部屋の様子
(画面右側がマジックミラーになっており,図 6 の様子を撮影して証拠とする)
(図3〜6:2006 年 8 月 18 日現在 Hawaiʻi Childrenʻs Justice Center にて撮影)
のスタッフメンバーである小児科医や脳外科医,精神科医などの専門医師や看護師などの
虐待対応の医療スタッフと,女児の性的虐待の場合は産婦人科医がメンバーとして対応し
ている.
MDT のメンバーによるミーティング(カンファレンス)は定期的(週1回)13)に開催さ
れ,専門家集団のネットワーク構築および継続的な情報共有の機会となっている.緊急対
応時や随時のミーティング時には MDT が招集されるが,専門家同志が顔見知りであること
から,中立的な立場でケース・マネジメントを実施することができ,専門的な支援や調査
が実施できるなどの利点がある.
3
問題解決課程に必要なハワイ文化の理解
日本人が知るハワイとは観光・リゾート地であり,気候は年中暖かく花が咲き,軽快
なウクレレの音楽とともに美女がフラ・ダンスを踊り,サーフィンやゴルフ,マッサー
ジを楽しむ癒しの楽園,そういうイメージではないだろうか.実際,ハワイは観光が主
要な産業である(Hawaii gov. 2012)
.ホノルル市ワイキキ地区にあるホテル周辺一帯は
観光の中心地であり,観光客の大多数はワイキキ周辺をハワイとして認識している.も
ちろん,このようなイメージは観光用につくられた外向きのハワイ文化の一端である.
現在の米国ハワイ州は,ハワイアン復権運動(ハワイアン・ルネサンス)としての文
化を色濃くしているが,欧米人によって失われた文化の復活は,自然発生的にというよ
りは,むしろ政策的(後藤 2004)に行われ,伝統的なハワイ文化と欧米の文化が折り
混ざった制度として確立されている.
3.1 ハワイの歴史と概要
現在のハワイ諸島は数百万年前,
海底火山の噴火によって誕生した
といわれ,紀元前 10 世紀頃より
ている.太平洋の中央に位置する諸
島であり,ハワイの主要8島(カウ
アイ・オアフ・マウイ・モロカイ・
ラナイ・ハワイ・ニイハウ・カホオ
ラウェ)と 130 近くの東西に広がる
小さな島々や岩礁で成り立ってい
図7 ハワイ主要な島
Hawaii Maps: http://www.hawaiicity.com/hawaiimap/より
る.ハワイ諸島(図7)はカメハメ
ハ王によって統一されるまで,カウアイ島,オアフ島,マウイ島,ハワイ島が各島で首長
制を築いて統治していた(Anderson 1984, 矢口 2002, 後藤ほか編 2004)
.
王朝時代のハワイの先住民(以下,ハワイアン)は 750 年頃,タヒチから移住してきた
ポリネシア文化を引き継ぐ文字を持たない民族であり,自然
との共生を行い,言葉で文化を書き残すことをしなかった.
英国や仏国などの欧米諸国や日本など,様々な国との外交を
行っていた.1820 年には西欧人によるキリスト教の布教活
動が始まるとともに,西欧的文化の流入により様々な変化が
訪れた.最大の文化的変化は,1848 年の土地制度改革マヘ
レ(Mahele)による植民地化である.ハワイアンの文化では
大地アーイナ(āina)は神であり,大地にはホォ・オマナ(hoʻo
mana)という神の権威やエンパワーがあり,西欧的な土地
の私有概念は無に等しかった.マヘレは,単にハワイアンの
土地が奪われたということだけではない.むしろ,ハワイア
ンの生活基盤である大地アーイナ(āina)の概念が人々の生
活から切り離され(HawaiiHistory 2012),伝統的な拡大家
族集団のオハナ(ʻohana)が解体へと導かれたことが文化的
図8 カメハメハ王像と
ハワイのモットー
な問題であった.
ハワイ州庁舎前にて撮影
Ua mau ke ea o ka ʻāina i ka pono.
(1842 年カメハメハⅢ世:ハワイ州のモットー)
ハワイの生命は正義によって護られる(Pukui 1986, 上野訳).
18 世紀後半の西洋人のハワイ来訪に伴って 14),それまでになかった新たな感染症が蔓延
し,ハワイアンの人口や勢力は極めて弱体化し,社会階層の底辺へと落ち込む結果となっ
た(山中 1993, 矢口 2002, 後藤 2004)
.さらに,1893 年にリリオウカラニ女王の幽閉をも
ってハワイ暫定政府が成立し,ハワイ王朝時代は終焉を迎える(Liliuokalani 1898, 矢口 2002,
猿谷 2003)
.米国併合を経た後のハワイは,新しい政治や文化,動植物の導入などにより,
島々の自然や生態系,住民の生活様式などへ大きな変化をもたらした(石川 1986, Sahlins
1993, 後藤ほか編 2004)
.
1959年にハワイが米国で50番目の州となった後,本国はハワイ経済を支えるためプラン
テーションと観光産業を中心とした開発を行った.主に,東南アジアからの移民政策を経
て経済発展してきたことから15),人種のサラダボウルと呼ばれる他民族共生社会が樹立し,
近代的な社会構造へ変化した16).
3.2 文字のない文化と伝承
米国による統治以前,文字を持たなかったハワイアンは文字の代わりに,神々の神話や
歴史,ハワイの文化や家族について,メレやオリ(meleoli;読誦),メレを踊りで表現する
フラ(hula)など文字以外の方法で,祖先から代々口承していた.メレはリズムやメロディ
ーと共に伝えられた詠唱であり,リズムやメロディー,ダンスを伴わない詠唱(chant)は
オリ(oli)と呼ばれる.オリは伝統的なフラによって,現在もその歌詞の意味を伝承して
いる.伝統的なフラは自然を神(akua)とするハワイ文化の中で,神々と交信するための重
要な意味を持っている17).
神に祈りを捧げるこれらの儀式は,ハワイ文化の伝承に重要なことであった.儀式は女
人禁制の王族であるアリイ(aliʻi)と男性のカフナ(kahuna:司祭)によって行われ,文化
は男性のカフナ(長老)によって伝承されてきた.「天上の父カネ(Kane)」,「農耕と平和
の神ロノ(Lono)」,「戦いと建物の神クゥ(Ku)」「海の神カナロア(Kanaloa)」と呼
ばれる男性四大神を崇拝し,祖先や家は守護神「アウマクア(aumakua)」に守られていた.」
kahuna は神官以外にも,医者や呪術者(magician),造船などの専門家が担っていたが,コ
ミュニティの規模による格付けもあり,ハワイアンの文化や政治の中心にあった.儀式は
ヘイアウ(heiau;神殿・寺院)と呼ばれる神殿で,厳正に行われていたが 17),祈りの儀式
は病気回復や問題解決のために行われていたため,現在の病院のような機能も担っていた.
特に,カフナで最も地位が高いカフナ・ラパアウ(Kahuna Lapa`au)18)は医師であり,薬草
などによる治療を専門的に行っていた(Shutz 2003).神の力とは超自然のことであり,マ
ナ(mana)と呼ばれて信じられていた.ハワイの文化はすべてのものにマナがあることを
感じ,ありのままを受け入れ,自分が生かされていることに感謝して歓ぶことであった.
ʻOlelo Noʻeau
Aloha mai no, aloha aku; o ka huhu ka mea e ola ʻole ai.
愛が与えられたとき,また愛は返ってくるだろう.
しかし,怒りは私の人生に何も与えてくれはしない(Pukui 1986, 上野訳).
現在も「こんにちは」や「さようなら」などの挨拶として使われている“Aloha”は,相手
に対する愛や思いやり,優しさや共感,哀れみや同情,または恋人への敬意などの意味が
込められ,伝統的なハワイ・スピリットとして伝承されてきた.
3.3
伝統的なhoʻo ponoponoの概念とʻohana
元来,ハワイ文化では子どもの病気などの問題は,親の不貞行為から発生する家族(ʻohana)
の問題と考えられていた(Pukui 1980, 1986).他者との否定的な関係はヒヒア(hihia)と呼
ばれ,困難な状態やもつれ,精神的な混乱をもたらす原因と考えられていた.
“ホォ・オポ
ノポノ(hoʻo ponopono)
”はこのような困難な情勢を改善し,コミュニティの調和を保つ方
法として用いられていた.“ hoʻo ponopono”の“pono”とは「善良さや高潔さ,道徳や礼儀,
福祉や幸福(well-being)」を表している単語であるが,“ hoʻo pono”は「正義や正直,行動
などが世間に認められるような,誤りを除いた」などの意味を持つ単語である(Pukui 1980,
1986: 340−341)
.
“ hoʻo ponopono”は問題解決のための家族会議のことであるが,最大の目的は神への祈り
によって「正しい方に向ける(To put to right)
」 ことである.この「正しい」という単語は,
個人にとってふさわしい場所や形態,修正や改め,適合や規則,配置や調整,整理整頓や
従順さ,労働の管理・監督,仕事の注意深さや手際の良さなどを表している(Pukui 1986: 341).
“ hoʻo ponopono”は慣習に沿って,カフナによる大地(=神)への祈りの儀式を通じた“精
神の浄化(Mental Cleaning)”を成すことであり,
「正しく配置する(set to right)
」という概
念(Pukui 1986: 341)である.
「心を浄化すること(心のクリーニング)とは,拡大家族会議の中で,Kahuna Lapa`au
を通じて,よい方向へ位置づけることである.告白とざんげの祈りによって家族が話
し合い,お互いが許しを与えあい(forgiveness),信頼関係を再構築すること」(Pukui
1986: 341, 上野訳)
.
伝統的なハワイアン文化である“hoʻo ponopono”は,Kahuna Lapa`au の教授=神との対話
に沿うコミュニティの慣習が,ʻohana の基盤として重んじられていた 19).
3.3 Mary Kawena Pukui によるハワイアン文化の伝承
文字をもたないハワイアンが,これらの伝統文化を記述することに成功したのは Pukui
(Mary Kawena Pukui)20)の貢献によるところが大きい.
20世紀初頭のハワイは米国化政策を推進しており,ハワイの伝統的な文化やハワイ語の
使用が禁じられていた.ハパ(hapa:混血)であったPukui は,ハワイ島 Kaʻū 出身の母親と,
マサチューセッツ州セイレム出身の白人の父親21)を持っていたが,ハワイの伝統的な里親制度
ハナイ(hānai)によりPukui は幼少時,母方の祖父母と伝統的なハワイ文化の中で育った.
祖母はクイーン・エンマ宮殿のKahuna Lapa`auであり,祖母からメレやオリなど hula の文化
を学ぶ.Pukui が6歳の時に祖母が亡くなり,両親と暮らすようになるが,家庭では母はハワ
イ語,父は英語で会話をするバイリンガルの教育を受けた.
Pukui は,単に生物学的な hapa であるとか,単にバイリンガルであったということだけでは
ない.父親がマサチューセッツ州セイレム出身の白人であり,キリスト教で最も敬虔なピュー
リタンであった可能性は高い.また,ハワイ島のハワイアン Kaʻū 地域出身で,クイーン・エ
ンマ宮殿の Kahuna Lapa`au である祖母から生粋のハワイアン文化の教育と,その子どもで
あった母親から受けたハワイアンの教育は,生物学的な hapa というより,むしろ西欧的なキ
リスト教文化とハワイアン文化のいずれも理解できるサラブレッドであったことを疑う余地は
ない.このような環境で育った Pukui は,後に教師(kumu hula)となり,ビショップ博物
館(Bernice P. Bishop Museum)の人類学助手兼翻訳者として勤務し,ハワイ語とハワイ文
化の伝承に携わっていった.1957 年には Elbert とともに『ハワイ語辞典』を出版し,1958
年には心理学者 Heating と “Nana i ke Kumu” を執筆,いずれもハワイ文化の学術書として
評価を得た.その後もハワイ文化に関わる書籍の出版や作詞・作曲を続け,1970 年代のハ
ワイアンの伝統文化復権運動(ハワイ・ルネサンス)以降,現代に通じるハワイアン文化
は Pukui に依拠するところが最も大きい(Gordon 2006)
.
3.4 カルチュラル・コンピテンスの開発と近代的な hoʻo ponopono
1970 年代初期には,小児治療センターで治療を受けていた情緒的障害をもつハワイアン
の子どもたちが改善しないばかりか,西欧の精神療法アプローチによって,さらに機能障
害を起こしていた事例が明らかになってきた.同様に,ハワイアンは他の民族グループよ
りも平均寿命が短く,自殺率の高さや児童虐待とネグレクトの問題,薬物依存による有罪
判決の事例が多く,社会問題となった(Mokuau 1990).西洋的な精神療法を学んだ白人は,
ハワイアンの保健医療や福祉サーヴィス提供に対応できなくなっていた.
ハワイアンの価値観は,伝統的に様々な問題解決の手法である hoʻoponopono を使用すること
だった.hoʻoponopono とは 精神の浄化(mental cleaning)であるが,西欧文化や社会福祉の
概念に存在しない pono ʻuhane という霊的福祉(Spiritual welfare)の価値観である(Pukui 1986)
.
1980 年代になり,このような伝統的なハワイアンの文化的問題に対処するため,ハワイ大
学では kahuna と共同開発を行い,アロハの精神,Hoʻo ponopono モデルがカルチュラル・
コンピテンスの実践的な複合モデルとして定式化された(Shook, 1985).
近代的な hoʻoponopono が広がった背景には,2人のカフナも大きく関与している.シメ
オナ(Morrnah Nalamaku Simeona)と愛弟子のレン(Ihaleakala Hew Len)である.
シメオナは,ネイティブ・ハワイアンの Kahuna Lapaʻau の実践者であり,1983 年にハワイ
の人間州宝として認定された人物である.ハワイ島の最後のソブリン,王女リリウオカラニ法
廷メンバーの娘として,3歳の時にカフナに任命された.彼女は 1980 年に“Self Identity through
Hoʻoponopono,(SITH®)”を開発した.kahuna によって実践される伝統的な hoʻoponopono
と対峙して, 自分自身の中で神性を見いだすことを目的として,14 のプロセスを経る Self
Identity(自己同一性)の概念を,新たな hoʻoponopono として位置づけていた(Len 2008, 24).
弟子の Len は本来,西欧的な心理士であったが,シメオナに出会い,ハワイの医療刑務所
である精神病院(閉鎖病棟)で hoʻoponopono の実践を行い,全員を回復させた事実から,
4つの言葉を唱えることで心の浄化ができる方法を導き,hoʻoponopono が世界へ浸透する
ことになった.
州議会はこのような社会背景とともに,1988 年にはネイティブ・ハワイアンの健康改善
法(Native Hawaiian Health Care Improvement Act in 1988;P.L. 100-579;以下,NHHCIA)を
成立させ,ハワイ文化を基盤とした保健医療と健康教育を提供するためのヘルスプロモー
ション・プログラムの財政的な基盤を構築した.NHHCIA は,伝統的なハワイの価値観と
ヒーリングの慣習 hoʻoponopono を保健医療福祉サーヴィス提供の際に,アセスメントや介
入,評価の段階に組み込み,ハワイアンだけではなく,他の民族にも応用することができ
た(Hurdle 2002)
.
Hoʻopono Ahupuaʻ a は,1990年代半ば,クイーン・エンマ財団が実施したネイティブ・
ハワイアンのための地域開発プロジェクトである.このプロジェクトは,初期の支援シス
テムは核家族または拡大家族であり,コミュニティ(malama ʻohana)は第二の支援者とい
うスタンスでの文化的能力の開発戦略である.コミュニティの支援レヴェルはpu ʻuhonua
(避難所)であり,緊急避難と保護を提供した歴史的な場所のことである.現在,pu ʻuhonua
は外来医療やカウンセリング・サービス、あるいはレスパイト・ケア休息ケアのようなサ
ーヴィスを提供している.hoʻoponoponoと pu ʻuhonua の2つのハワイアン・メソッドは,伝
統的なハワイアン文化とソーシャルワークの実践における統合的役割を果たした.
4
ハワイ州の問題解決過程におけるカルチュラル・コンピテンス“hoʻo ponopono”
多文化社会においてはカルチュラル・コンピテンスが問題解決とその再構築に重要であ
る.児童虐待の問題は,地域社会および家族の環境によって解決方法が異なるが,ハワイ
州では家族問題の解決のためのカルチュラル・コンピテンスについて,ホォ・オポノポノ
を用いている.それは支援者自身がハワイ文化について理解し,実践することから始まる.
4.1 問題解決過程におけるカルチュラル・コンピテンス
ハワイ州ではどのような文化的コンピテンスがどのように取り入れられ,受け入れられ
ているのか,カルチュラル・コンピテンス(McClelland 1973)の視点が必要である.
カルチュラル・コンピテンス(cultural competence)とは,心理学者のマクレランド(David
C. McClelland)が提唱し,日本では「文化的能力」「異文化対応力」「多文化対応能力」な
どと訳され,問題解決の過程の中で異文化に対応する能力を指した.マクロランドは,人の
行動は意識にのぼらない様々な動機や価値観が影響しており,目に見えているのは氷山の一部
であり,実際に氷山を動かしているのは水面下の大きな部分の認識であるというコンピテンシ
ーの氷山モデルを提唱した.
多文化社会の問題解決過程におけるカルチュラル・コンピテンシーは,医療・看護,精
神心理・カウンセリングなどのミクロ・レヴェルのケア領域およびマクロ・レヴェルのソ
ーシャルワークなどの地域社会的支援の分野で,とりわけ地域的家族的な問題の解決によ
る再構築として位置づけられた.コンピテンシー・モデルは医療モデルによるトレーニン
グを指すだけではなく,実践的に臨機応変に対応できる能力を指しており,アクション・
ラーニング(Action Learning;以下,AL)である.AL はグループにおける問題解決と学習
を行う過程を通して,実際の行動とそのリフレクション(振り返り)を通じ,個人や家族
メンバーなどの学習する力を養成するチーム学習法のスタイルをとっている(Chamberlain
2005, Moule 2011).
4.2
ʻohana conferrence と CBT
現在のハワイ州は,児童虐待の問
題解決としてオハナ・カンファレン
ス(ʻohana conference)と呼ばれる会
議が設けられている.家族は単なる
同一世帯の集団や強い紐帯
(Granovetter 1973)による家族だけ
ではなく,ハワイの文化的な拡大家
族集団オハナ・ヌイ(ʻohana nui)を
指している.
ハワイ州CPSでの聞き取り調査で
明らかになったことは,オハナ・カ
ンファレンスは虐待問題に関する家
族の再構築に非常に役立ち,その概
念に“ hoʻo ponopono ”による文化的
価値観が用いられるということであ
った.また,その他の支援施設での
聞き取り調査の結果22),問題解決過
程にはオハナ・カンファレンスと認
図9
hoʻo ponopono による問題解決過程モデル
(上野作成)
知行動療法(以下,CBT)23)による
行動変容のトレーニングの手法が用いられる.特に初期段階のCBTでは,行動が変われるか
どうかを実践することと,オハナ・カンファレンスで家族の強みをみる支援(strengths-based
perspective)に対して共通認識を持つこととを目的としている.オハナ・カンファレンスは
必要な時に随時行われるが,虐待問題の場合,初期における関わりと終了時の最低2回,実
施される.
オハナ・カンファレンスの参加者は家族や親族以外にも,近隣住民や友人・知人,支援
組織の専門家とCPS,里親やその他の関係者が訪れ,当事者が住んでいるコミュニティの中
で支援内容について具体的に協議される.特に,各組織における支援内容を検討する事が
目的であり,支援が重複しないよう調整し,hoʻo ponopono のような文化的価値基盤におい
て,個人の何をエンカレッジするか,コミュニティの中で何がどのような方法で利用可能
かについて具体的に話し合われる.文化的価値観においては,支援者自身が文化的な価値
についてどのように考えているかを話し,親は子どもにどのように話をしているのか,お
互いに共有する必要がある.
オハナ・カンファレンスには勿論,当事者も参加する.日本では特に公的支援の場合,
専門家による協議の決定に本人や家族などの当事者が従う方法が主流であるが,自ら会議
で評価に関わる事は大きな違いである.筆者も公的組織の会議の場で当事者主権を訴えた
経験があるが,専門家による専門家のためのカンファレンスでは本人不在の措置的決定と
なっていた.オハナ・カンファレンスの際,hoʻo ponopono は会議のはじめと終わりに祈り
を捧げ,終了後には口外しないという西欧のセルフヘルプ・グループの手法に近く,個人
情報の保護にも通じる手法のため,受け入れられやすい.
問題解決の支援は CBT などによる本人の努力も必要であるが,支援者自身が当事者とそ
の家族,支援する他職種のメンバーと文化的な共通認識を行い,家族や地域を基盤とした
関係者の絶え間ないコミュニケーションが成功の鍵となることが,hoʻo ponopono のプロセ
スにより示唆された.
おわりに
米国のような多文化社会における地域的な問題解決と家族の再構築は法や制度で規定す
る他に,hoʻo ponopono のような文化的コンピテンスが重要である.
hoʻo ponopono が西欧的な精神療法と異なる点は,スピリチュアルな視点の神との“精神
の浄化(Mental Cleaning)
”とお互いが許し合う気持ちを与えあう(forgiveness)という共通
認識である.儀式の儀礼的な本質は,プロセスの厳粛さと重要度を持つオーラであり、hoʻo
ponopono だけではなく多くの伝統的なヒーリングにとって極めて重要な視点であり,家族
や地域社会の調和を復活させる起動力(Hurdle 2002)となる.
本稿で論じた児童虐待の問題を始めとした様々な家族の問題は,その解決過程において
地域独自の文化を手法に取り入れ,支援者自身も価値観を共有し,行動をかえる事(CBT)
で解決の糸口を図っていることが明らかとなった.ハワイの事例から様々な支援について
は,個人の価値観と併せて支援の環境における文化的価値観の再構築も重要ということが
明らかとなった.
[謝辞]
本研究に際してはハワイ州ホノルル・コミュニティカレッジの Aris J. T. Saito 教授はじめ,
調査を快くお引き受け頂いた政府機関・非営利組織の方々,その他多くのご協力を頂いた
皆様方への感謝の気持ちとお礼を申し上げ,謝辞にかえさせて頂きます.
[注]
1) Child Abuse Prevention and Treatment Act; CAPTA. 1974 年制定.
2)CPS の呼称は州によっては家庭児童局(Department of Children and Family Services ; DCFS)
や福祉局(Department of Social Services ; DSS), 単に Social Services とする場合もあるが, 本
論では CPS に統一する.また,CPS は日本の児童相談所にあたる部署で,福祉局や厚生局の
ような州政府機関である.1974 年に成立した児童虐待予防対策法によって規定された.
3) アルコール問題や家庭内暴力の相談を担当するカウンセラーや社会福祉士などは,暴力
的な家庭環境にあることを前提として虐待の可能性について報告する義務が生じる.
4) ペナルティの内容は軽犯罪から刑務所での作業まで,幅広く及ぶ.殆どの州で厳密には
刑罰を強化しないが,近年では多くの州において 500〜2,500 ドルの罰金を科すか,教育訓
練を受けることやリポーターを不認可とするなどの重いものとなっている.また,従業員
を解雇や差別する目的で虐待をリポートすることや,解雇に対する報復的な目的でリポー
トする場合などは刑事罰や民事罰として取り扱われ,1年以下の懲役や 2,000 ドル以下の罰
金刑(民事は加算あり)などに処されている.なお報告は,報告書の提出をもって申請さ
れるが,実質的には,多くの場合が口頭(電話)で行われる(2006 年実施の CPS 聞き取り
調査の回答より)
.
5)
「good faith は,つかみどころのない抽象的な特性をもち,専門的な意味または制定法上
の定義をもたない.とりわけ正直な信条(honest belief)や悪意(malice)のないこと及びだ
まそうまたは非良心的な優位性を求めようとする意図がないことを含意する.また,自然
人個人のgood faithは人の意思や内心の概念であるためその表明したことだけによって確定
的に決定することはできない」. 『契約英語の用法より』2012年12月15日DL
http://bizlaw.jp/eng_contract/pdf/%8C_%96%F1%89p%8C%EA%82%CC%97p%96@%20Q7%20.
pdf#search=ʻGood+Faithʻ
6) 米国では報告を促進するため,多くの州政府が通話料無料の1日24時間1週間7日のホット
ライン(例:Careline)を確立している.Carelineは記録のため全ての報告が録音される.報
告法は不必要なプライバシーの侵害にさらさせる家族が少なからずいることを指摘されて
おり,特に家庭内教育推進派などからCPS批判の根拠とされるが,米国では支援を必要とす
る子どもが発見されないことよりも,むしろ,過剰報告することを許容する方がよいとす
る考え方に基づき実施している.反面,CPSのケースワーカーにも過重な負担をさせること
になっており,結果的にバーンアウトさせる例も少なくない(AHA, 1987)
.筆者が2006年
に実施したCPSへのインタビュー調査でも,ハードワークによるバーンアウトが問題になっ
ていると語られている.
7)(図1)子どもへの虐待またはネグレクトの疑いがあるとされたときの対応図(What
Happens When Suspected Child Abuse Or Neglect Is Reported, NEA, 1984)は,保健医療福祉学
会第 32 回の報告のパワーポイントの中で提示し,説明を行った.
8) 社会心理学では,Sedikidesなど(2004)によりMnemic neglect の概念として捉えらえる
場合もある.
9)聞き取り調査は,2006 年8月ハワイ州オアフ島の CPS で実施した(自主研究).
10)性的虐待の場合,従来の精神医学的治療の方法論では効かないことが明らかになった。
従って,近年では性的虐待の問題は他の虐待類型と切り離し,国の範疇を超えた犯罪科学
による精神医学の方法論を用いる場合も多い.ブライアントらが 1995 年に行った調査「親
から性的、身体的に虐待され、体罰を受けていた女子大学生の自殺企図」(Bryant 1995)の結
果から,子どもの頃に性的虐待を受けていた女性の典型的な危険因子について,①自殺企
図,②うつ病,③STD(性行為感染症),④性的暴行の二次的被害,の4つのトラウマを明ら
かにしている.NCAC の 2011 年年次報告書によると,性的虐待被害の 76%が女児である.
11)Sex Abuse Treatment Center (SATC) of the Kapiʻolani Medical Center for Women and Children
(KMCWC) ; http://satchawaii.com
12)アナトミカル・ドール(anatomical doll ; anatomically
detailed dolls)とは「解剖学的に正確な人形」という
意味であり,ドールには男性性器や女性性器,胸のふ
くらみ,陰毛などが備わっている。このドールは,身
体部位の名称を正しく理解しているかの確認や,性的
な被害の有無の確認,その内容について開き取りなど
図7 anatomical doll
に用いられる用途の一つである.性的な被害の有無の
(Hawaii Childrenʻs Justice Center にて
2006 年 8 月 18 日筆者撮影)
確認では,子どもたちにドールで,自由に遊ばせ,そ
れを観察し,性的な反応,恐怖反応,攻撃行動の有無によって,実際に性的被害を受けて
いるかどうかを診断する」(上宮2009, p215)また,米国
では natural doll とも呼ばれる.
13)2006 年8月の自主調査研究の実施時点では,毎週金
曜の午前にミーティングが行われていた.
14)1778 年,英国の Cook, James ら艦隊の到来以降である.
15)1970 年代よりハワイ州では先住民の復権運動が始ま
り(後藤 2004),1978 年には英語の他にハワイ語も公用
語とするなどの州法が改正された.ハワイ諸島全域で,
1980 年代を通じたハワイ・ポリネシア文化の復権運動が
活発化し,「ハワイアン・ルネサンス」として様々な支
援過程に先住民の文化が組み込まれている.ハワイ州で
は現在でも,州政府とハワイアンによる土地の所有権を
巡る討論が続いている.ハワイ王朝終焉記念日の1月 18
日は王朝復権の日として毎年,イオラニ宮殿周辺ではデ
図8
Liliuokalani 王女像
ハワイ州庁舎にて
モンストレーション活動などが行われるが,ハワイの伝統文化により非暴力で行われてい
る.図8は最後のハワイ王朝のリリウオカラニ王女像
16) ハワイへの移民は東南アジア,特に 19 世紀後半は日本から移民が送られ,劣悪な環境
で労働に奉仕していた.その他,中国やフィリピンからも送られていたが,本土(Mainland)
と比して Hispanic(Latino)が少ない.2012 年の米国国勢調査によると,全米人口の 12.5%
はヒスパニック系であり,12.3%で黒人集団を抜いている.
17)日本で「フラ・ダンス」と呼ぶ美女たちの踊りは,正確に言えば伝統的なフラではな
い.hula は「踊り・ダンス」という意味であるため,「フラ・ダンス」は「ダンス・ダン
ス」という意味になってしまう.「フラ・ダンス」と呼ぶときは,戦後の 1940 年代後半頃
より,ハワイの観光産業としてフラといっても理解ができないため,フラのダンスという
意味で使われたといわれている.美女が華やかな水着を着て踊る姿は,当時,日本の男性
をターゲットとした商業目的で使われたため,男性観光客を呼び込むための魅惑のダンス
であり,文化を伝承するものではない.筆者はハワイで招待者しか入場できない伝統的な
フラの集会へ参加したことがあるが,伝統的なフラはまさしく神との交信であった.フラ
にも様々な内容があるが,上演されたのは男性カフナがフラを通じて大地=神への祈りや
伝統的な文化を子孫へと伝承する内容であった.女性も登場したが,華やかな衣装ではな
く地味な布をまとい,オハナとして登場する内容であった.
18)1845 年の法より医師は kahuna と呼ばれるようになったが,医師で治療計画の立案者で
ある healer は最も地位が高く,kahuna lapa ʻau と呼ばれている.
19)hoʻo ponopono”ではオハナは単なる現存の家族(family)だ
けを指すものではなく,祖先も含めた拡大家族集団のオハナ・
ヌイ(ʻohana nui)を対象としている(Pukui 1986)
.
20)図9 kahuna lapa ʻau の Mary Kawena Pukui.
21)マサチューセッツ州セイレムは, Hawthorne, Nathaniel, 1850,
The Scarlet Letter が有名である.
22)聞き取り調査は自己調査であり,2005 年8月,2006 年8
月,10 月,2007 年3月の各4回,2週間の現地でのホームス
テイによるフィールドワーク調査を実施した.
図 9 Mary Kawena Pukui
23)米国行動認知療法学会は,主に BCT(Association for
http://archives.starbulletin.com/1
999/11/01/news/story8.html より
Behavioral and Cognitive Therapies;ABCT)が用いられるが,
Aloha House では CBT(Cognitive Behavior Therapy)が用いられている.
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山中速人, 1993,『ハワイ』岩波書店
(うえの よしこ 奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程)
Hoʻo ponopono process of the child abuse problem:
Cultural competence in Hawaiʻi State
UENO Yoshiko
The U.S.A is a country where the Problem of a child abuse is globally serious.It is also
the country where many researches and investigations are conducted for problem solving, and the
measure and the cure are carrying out fixed grade establishment on the other hand.
However, similarly it is not necessarily tackling to the Problem that the whole USA is
common. In such multicultural society, cultural competence arrives at problem solving of a child
abuse, and a familyʻs Reconstruct, and is taking the cultural measure in the is equal to important for
problem solving and its Reconstruct, and the Hawaii State.
In the Hawaii State, They used Hoʻo ponopono based on the thought of the polynecian culture as one
of a family or the techniques of a social problem Fix.
Hoʻo ponopono has adopted the cultural base of native Hawaiian intentionally as part of the
problem-solving technique as one of the original cultural values of Hawaii rather than pointed out
the is equal to which is the traditional thought (healing) for warming of ties, and religious faith.
In this paper, I clarified the Fix process of the child abuse Problem in a USA, and described how
Hoʻo ponopono would be taken in as cultural competence in problem solving of the child abuse of a
Hawaii State by the measure against abuse.
(Keywords: cultural competence, Childrenʻs Justice Center, hoʻo ponopono , Multidisciplinary
team, CBT)
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