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ルカ10 - 寄居チャペル

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ルカ10 - 寄居チャペル

寄居チャペル
◎礼拝説教
2011 年 11 月 6 日
◎タイトル:伝道者を送ってください
◎聖書(ルカの福音書 10:1-2)
◎説教者・・・中村準一
牧師
◎今日の聖書(ルカの福音書 10:1-2)
1 その後、主は、別に 70 人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになっ
た。
2 そして、彼らに言われた。「実りは多いが働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送っ
てくださるように祈りなさい。・・・」
◎宣教
主イエス様は70人の弟子たちを伝道に遣わそうとして、二人ずつのペアを組ませて言いました。「実りは多
いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
(2節)
収穫のための働き手とは、福音を宣教して、人々を救っていく伝道者を指しています。収穫の主とは、救い主で
あるイエス様ご自身です。そして、イエス様は命じました。「働き手を送ってくださるように祈りなさい」と。こ
れらの70人の弟子たちは、福音宣教の働き手として、これから出かけていく人々でした。彼らはすでに働き手
なのです。なぜ、働き手である彼らが、「働き手を送ってください」と祈らなければならないのでしょうか。実を
言うと、伝道のための働き手が、最初になすべきことは、「働き手を送ってください」と祈ることなのです。
伝道者は自分の意志で、伝道者となることができるのではありません。主イエス様に遣わされて、伝道者となる
のです。伝道の主体はイエス様です。ですから、伝道者は、自分はイエス様によって遣わされるのだ、というこ
とを自覚しなければなりません。イエス様によって遣わされなければ、だれも、真実の伝道者となることができ
ないからです。イエス様によって遣わされないで、伝道者となる者は、偽り者なのです。では、どうしたら、伝
道者は、自分がイエス様によって遣わされているということを自覚することができるでしょうか。自分自身が、
「伝道者を遣わしてください」と祈ることによってなのです。
この祈りは、主の祈りと並ぶ大切な祈りなのです。この祈りは、伝道者として遣わされている者だけが、祈らな
ければならない祈りではありません。すべてのクリスチャンが、祈らなければならない祈りなのです。ところが、
教会に通っているクリスチャンの多くは、「自分は伝道者になるつもりはないから、そのような祈りをする必要
はない」と思っています。また、「私たちの教会には、すでに、牧師さんがいるから、そのような祈る必要はな
い」と思っています。
しかし、それは大きな間違いなのです。一般のクリスチャンは、神学校を卒業した者が、牧師のいない教会に配
属されるものと思っていますが、神学校のシステムが自動的に、牧師を生み出しているのではありません。信仰
者たちの、「伝道者を送ってください」という熱心な祈りが、神学校のシステムを支え、多くの牧師を生み出す原
動力なのです。ですから、このような祈りのない教派や教会は、必然的に、献身する信仰者が少なくなり、結果
として、牧師が不足するのです。「伝道者を送ってください」という祈りは、主の祈りと同じように、大切な祈り
であることを覚えましょう。この祈りは教会への奉仕の祈りなのです。そして、クリスチャンは教会のために祈
る際、真っ先に、「収穫の主よ。どうぞ、働き手を遣わしてください」と祈ることが大切なのです。
クリスチャンの信仰生活は、自分のためではありません。キリスト教会のためなのです。キリスト教会のためで
あることは、キリストのためであることと同じです。そして、キリストのためであることは、神のためであるこ
とと同じです。私たちは伝道者であっても、そうでなくても、いつも、キリスト教会のために祈らなければなり
ません。そしてキリスト教会のために祈るとき、真っ先に、「伝道者を遣わしてください。」と祈るべきなのです。
伝道は、キリスト教会のいのちなのです。キリスト教会は、伝道によって存在し続け、伝道によって成長する
のです。ですから、キリスト教会は常時、伝道者を生み出していく体制をもたなければなりません。そのために
は、すべてのクリスチャンが、「伝道者を遣わしてください」と祈らなければならないのです。伝道者となろうと
する者は、もちろん、熱心に、「伝道者を遣わしてください」と祈らなければなりません。しかし、伝道者となろ
うと思わない者も、「伝道者を遣わしてください」と祈らなければならないのです。なぜならば、この祈りは、キ
リスト教会が存在するための基本的な祈りだからです。そして、このような祈りのない教会は、衰退していくの
です。私たちは常に熱心に伝道者を送っていただくことを祈り求める教会となりましょう。クリスチャンは、こ
のように祈ることを通して、教会活動に参加するのです。
野上キリスト福音教会を建てた宣教師は、アメリカのボストン州に生まれたジーンズ宣教師と、カナダのトロン
ト州の近くに生まれたプライス宣教師でした。彼女たちは、若い日の情熱を、日本の宣教のために捧げたのでし
た。ジーンズ宣教師は熱心なクリスチャンの家に生まれました。そして、宣教の精神に燃えている教会に通って
いました。その教会は、宣教のために熱心に祈る教会でした。そして、大勢の宣教師を外国へ送り出していまし
た。ある日、ひとりの宣教師が教会を尋ねてきて、青年たちに宣教師になることを勧めました。それは第二次世
界大戦が終わって、しばらくした時のことでした。
そのころ、日本はアメリカとの戦争に敗れて、とても貧しい状態でした。あらゆる都市が破壊されて、大勢の人々
が死にました。日本全土が、ちょうど、東日本大震災の後の状況と似ていました。その宣教師は、日本に行く宣
教師を募っていました。
「今こそ、日本人に宣教師を送らなければなりません。
」と訴えました。ジーンズ宣教師
は、心を動かされて、激しく燃やされました。そして、家に帰って、母親に、「私は私の人生を、神様のために
捧げたいのです。どうぞ、そのことを認めてください」とお願いしました。お母さんは、「あなたがやりたいこ
とをやりなさい」と言ってくれました。そして、彼女は宣教師の訓練を受けて、日本に来たのです。
ジーンズ宣教師を送り出した教会は、「宣教師を送ってください」と熱心に祈る教会であり、何人もの宣教師を
世界の各地に送り出している教会でした。そのような教会では、宣教師とならない大勢の信者たちも、宣教活動
について深い関心をもっています。そして、その人々の熱意によって、宣教師たちの活動が支えられているので
す。そのような教会を通して、私たちの教会が生み出されたことを感謝しましょう。ジーンズ宣教師は現在でも、
野上キリスト福音教会と、寄居チャペルをとても愛しています。そして、今でも、私たちの教会のために祈って
いるのです。遠いアメリカの地で、この教会のために祈っている方がいることを感謝しましょう。
ところが、日本の多くのクリスチャンは、ただ、教会の礼拝に出席するだけで、十分だと思っています。「宣教
師を送ってください」と祈りません。私たちは、
「宣教師を送ってください。」と祈るクリスチャンになりましょ
う。宣教師となるか、ならないか、ということは重要な問題ではありませんが、私たちが、「宣教師を送ってく
ださい」と祈るクリスチャンか、それとも、そのように祈らないクリスチャンか、ということは重要な問題です。
それはこの教会の成長と関係するからです。
私たちの救い主がひとりの人間として、地上の生活を送っていたとき、天の御父は、地上の御子を何よりも深く
愛していました。そして、御父は天から、御子に語り掛けました。「あなたはわたしの愛する子、わたしはあな
たを喜ぶ。」と。現在、御子は地上にいませんが、御子の代わりにキリスト教会ができたのです。キリスト教会
はキリストの体です。今は、天の御父は、地上のキリスト教会を愛しているのです。そして、天の御父は、地上
のクリスチャンも、キリスト教会を愛することを望んでいるのです。キリスト教会を通して、天の御父と地上の
クリスチャンとはつながっているのです。ですから、私たちが、「宣教師を遣わしてください」と祈るならば、天
の御父のみこころを祈っていることになるのです。そして、私たちの祈りは、神様の御心を動かします。神様の
御心を動かす祈りを捧げましょう。
現代、神様は、どんなクリスチャンを求めておられるでしょうか。神様のみこころを動かすことのできるクリ
スチャンを求めておられます。神様は、神様の御心を知らない数千人、数万人のクリスチャンではなくて、神様
の御心を動かすことのできる二人か三人のクリスチャンを求めておられます。「宣教師を遣わしてください」とい
う祈りが、神様の御心を動かす祈りとなるのです。宣教師となって、海外に出かけていくことも大切ですが、た
とえ、宣教師とならなくても、「神様。宣教師を遣わしてください」と熱心に祈るクリスチャンとなることが、も
っと大切なのです。なぜならば、そのように祈るクリスチャンは、神様の御心を動かすからです。
今、「宣教師を遣わしてください」という祈りの中で、宣教師という言葉を、リバイバリストと置き換えて見まし
ょう。宣教師とリバイバリストとは、意味がほとんど同じですから、同じように考えることができます。現代、
世界の各地でリバイバルが興っているのに、なぜか、日本ではリバイバルが興っていません。甲子園ミッション
以来、20年を経過しましたが、日本のリバイバルはまだ興っていません。なぜでしょうか。それは、私たち日
本人が、「日本のリバイバリストを遣わしてください」と祈っていないからではないでしょうか。私たちは安易に、
外国の偉大なリバイバリストを招いて、素晴らしいリバイバル聖会を行えば、リバイバルが興ると思ってきたの
でした。
しかし、それは間違いでした。そのようなことをいくら続けても、リバイバルは興らないのです。私たちは長い
あいだ、外国の著名なリバイバリストを招いてきました。アルゼンチンのリバイバリスト、アメリカのリバイバ
リスト、韓国のリバイバリスト、インドネシヤのリバイバリスト、等です。招かれた方々は、みな、一流の方々
でした。そして、力強い聖会を行いました。しかし、彼らは日本のリバイバリストではありません。なぜ、日本
のリバイバリストは現れなかったのでしょうか。それは、日本のクリスチャンが、「日本のリバイバリストを送
ってください」と祈らなかったからです。
私たちは、収穫の主であるイエス様に、「日本のリバイバリストを送ってください」と祈らなければなりません。
主イエス様は、昔、弟子たちに、「働き手を遣わしてください」と祈ることを命じましたが、同様に、現代の日本
人クリスチャンに、「日本のリバイバリストを遣わしてください」と祈ることを命じているのです。日本のリバ
イバルは、日本のリバイバリストを通して成し遂げられるのです。ですから、私たちは、「神様。どうぞ、日本
に、日本のリバイバリストを遣わしてください」と祈らなければなりません。
もし、私たちが熱心に、「日本のリバイバリストを送ってください」と祈るならば、神様は必ず、日本のリバイバ
リストを送ってくださるのです。神様は、日本のリバイバルのために、だれを選ぶでしょうか。神様の選びは、
牧師や伝道者とは限りません。教派にもこだわりません。学歴や、年齢や、男か女かにもこだわりません。ただ、
御心にかなう者が選ばれるのです。そして、神様は、熱心に、「日本のリバイバリストを送ってください」と祈る
者をお選びになるでしょう。今の時代は、だれでもがその候補者となる可能性があるのです。私たちは、そのこ
とを覚えて、一生懸命に祈る者となりましょう。
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