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新国家「南スーダン共和国」の港湾事情

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新国家「南スーダン共和国」の港湾事情
<海外事情調査>
新国家「南スーダン共和国」の港湾事情
奥野 雅量
と輸送能力の拡大を目指して、誕生したばかりの新国
1 はじめに
家、南スーダンの主要港の港湾管理能力の強化が継続
南スーダン共和国は、2011 年 7 月 9 日、アフリカ
されることを目標にしている。また、このプロジェク
54 番目の国家として誕生した。スーダンは 2005 年
1 月に CPA(包括和平合意)を結び、22 年間続いた
南北紛争を終結させた。その後 6 年間の暫定自治を
経て、今年 1 月に南部の帰属を問う住民投票が実施
ト期間中に、ジュバ港の桟橋やヤードの拡張工事も別
され、南部スーダンが分離独立することとなった。
2 南スーダンの河川港
筆者は、JICA 技術協力プロジェクト「南部スーダ
途計画されており、拡張後の施設や機械化荷役に対応
した港湾管理運営能力の向上が必要となっている。
プロジェクトの活動拠点は南スーダンの首都ジュバ
ン内水輸送運営管理能力強化プロジェクト」のメン
にあるジュバ港である。白ナイル川の上流で、ケニア、
バー(港湾管理担当)として、南スーダンの首都ジュ
ウガンダの国境近くに位置している。南スーダンの主
バを中心に現地で勤務する機会を得た。本プロジェク
要な港はジュバ港の他に、マンガラ港、ボア港、シャ
トは 4 年間に渡るもので、今年 3 月にスタートしたば
ンベ港、アドック港、マラカル港、レンク港とある。
かりである。このプロジェクトでは内水輸送の円滑化
白ナイル川の輸送拠点は、スーダン(北)にあるコ
Kosti
Renk
Malakal
Adok
Mangala
Shambey
Bor
Juba
南スーダンの主要港
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OCDI QUARTERLY 82
ジュバ港全景
スティ港であり、海の港であるポートスーダンから輸
入された貨物が陸送されコスティ港から主要港を経由
してジュバ港に内水輸送されている。この白ナイル川
の内水輸送は、ダムなどによりコスティ港からジュバ
港までの限られた水域となっているため、ジュバ港は
国境に近いラストポートとして重要な位置にある。
3 河川輸送能力強化の必要性
南スーダンの中央部にはスッドと呼ばれる大湿地帯
が広がっており道路をはじめとするインフラ整備が困
難な状況となっている。この状況の中、白ナイル川が
係船柱の代わりに使われているマンゴーの木(ジュバ港)
唯一国土を縦貫する大物流動線となり、古くから要
所に拠点(港)を設けて物資が国内に運ばれている。
河川輸送能力は、今後の南スーダンの発展に向けて、
先導的に強化されるべき重要なテーマである。
4 ジュバ港の港湾事情
現地に行って驚いた。港とは言っても、ほとんどが
自然の河岸である。船の舫はマンゴーの木に取ってい
る。 川 岸 に あ る マ ン ゴ ー の 木 に は 舫 の 跡 が 鮮 明 に
残され痛々しい形状になっている。港湾の施設として
は、唯一、3 年程前に JICA により無償で整備された
岸壁延長 35m の桟橋とその上に設置されている 1.5t
港での洗濯、水浴び(ジュバ港)
吊りのクレーンがあるだけである。荷役は、通常、バー
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頭の上に載せて港内道路まで運び出され、三輪バイ
クに積んで搬出されていく。港内には、木陰の状況
や湿乾の状況を踏まえて、玉葱の他に、干し魚、フェ
ンスに使う竹、背の高い草で作ったマット、飲料な
どが蔵置されている。
南部スーダン暫定自治は 6 年間あったものの、港
湾管理のための法制度は整備されていない。港湾料
金にも根拠がなく、船社からの徴収もままならない
状況である。港湾管理に対する予算もなく、何かし
ようにもできない。しかし、港湾管理として何をど
木陰での玉葱の仕分け(ジュバ港)
うすべきなのか、その知識、技術もない。管理され
た港湾でなければ、船社も何に対して料金を払うの
かわからないのは当然である。
整備した既設の桟橋は、独立直後からコンテナ貨
物が大活躍している。国連関連の貨物がコンテナに
詰められ大量に河川を上ってきている。
コンテナ荷役には大きなクレーンが必要であり、強
固で平らな場所が必要である。自然河岸では、極めて
困難な荷役である。コンテナ貨物はスーダン(北)の
コスティ港から南スーダンの首都ジュバに白ナイル川
を上って来る。ジュバ港では JICA が整備した桟橋で
国連 WFP のコンテナ貨物を積んだバージ(ジュバ港)
コンテナ荷役されている。
5 マラカル港の港湾事情
現在の南スーダンでは治安上の問題から日本人が訪
問できるところが非常に限られており、ジュバ港以外
にはマラカル港のみが訪問可能であった。マラカル港
は、スーダン(北)に最も近いアッパーナイル州にあ
り、かつてスーダン政府が出資した延長 18m 程度の
桟橋がある。もちろん、その他の岸壁は自然の河岸で
ある。マラカル港は幅 20m 程度の荷捌き地の背後に
土手があり、また狭いアプローチ道路が一本あるだけ
であるため、コンテナ荷役に適した形状ではない。ま
桟橋でのコンテナ荷役(ジュバ港)
た、この地域一帯の土質はシルト分が非常に多いよう
で、雨期の道路はまるで沼のようになってしまう。こ
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ジからバージへ、そしてバージから自然河岸へと渡り
こに重たいコンテナ車両が走ったら、轍で一般車両は
板を渡し、荷物を頭に載せて運んでいる。バージの
走れなくなってしまうだろう。マラカルでは、馬車を
脇では洗濯、水浴びもしている。木陰では、玉葱の
よく見かけた。この土地では馬車が理想的な運搬手段
仕分け作業が行われている。輸入されてきた玉葱は、
であるのかもしれない。しかし、マラカル港は南スー
いったん袋からすべて出され、傷んでいないものを
ダン北部に位置し、南部のジュバ港に次ぐ重要な物流
選別して袋に戻される。再度袋に詰められた玉葱は、
拠点の一つであることは間違いないと思われる。
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マラカル港の土手と荷捌き地
6 帰還民
馬車(マラカル港)
繁雑な港内から周辺を見渡すと、何とも自然豊か
な光景が目に入る。いつの日か、ジュバからコスティ
独立前後の特徴的な状況の一つに、スーダン(北)
まで白ナイル川を下ってみたい。現在は安全性の観
から南スーダンへの帰還民が大勢ジュバ港を玄関口と
点から船舶による本調査団の移動は禁じられている
して帰ってきている。一月に数回、一回数千人規模で
が、素晴らしい観光資源が眠っているような気がして
入港している。一家が家財道具一式と共にジュバ港に
ならない。
たどり着く。その日のうちに港から出ていける者もあ
れば、数日から数週間港に滞在する者もいる。少なく
この自然の魅力とは裏腹に、著者は 5 月にマラリア
とも数日間、ジュバ港内は帰還民とその家財道具一式
に感染し、4 日間 40℃前後の熱に繰り返し襲われた。
で埋め尽くされる程になる。このような光景を目にす
ホテルでは蚊帳を吊り、エアコンや虫除け、殺虫剤
ると、この国にとって港が平和構築あるいは人道支援
も併用していたが発症してしまった。このとき、ホテ
の一端を担っていることが感じられる。
ルのルームキーパーのスーダン人女性が興味深いこ
とを言っていた。「マラリアは Sun Hit が原因よ。も
7 未開発の国
ちろん、蚊も原因の一つだけど、あなたは hit the sun
帰還民とその家財道具一式(ジュバ港内)
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したのよ。」彼女の説明によると、マラリアに感染す
る最大の原因は、日中の炎天下で働き過ぎることだそ
うである。
ジュバの街中では、炎天下を避けて木陰に椅子を
並べて過ごしている光景を毎日見かける。港の中も
例外でなく、港内のその光景を著者は木の下オフィス
と呼んでいる。その場所でしばらく時間を過ごすと、
そこには船社の人や荷主の人が訪れてくる。まさに木
の下のオフィスであった。
8 おわりに
ジュバ港より対岸を望む
22 年間も続いた内戦後に生まれた新国家には、港
湾の施設や法制度がほとんど整備されておらず、港湾
管理の知識や技術、経験もほとんどなかった。荷役
方法は人力が主体である。未開発の自然がある一方
で、マラリアをはじめとする現在の日本にはない様々
な病気がある。前途多難なプロジェクトだが、生まれ
たばかりの新国家での業務は、やり甲斐を感じざるを
得ない。我々は頼りにされている。そんな実感が心
底から湧いてきている。
(おくの まさかず 主任研究員)
ジュバ港の木の下オフィス(中央右が著者)
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