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【コ メ ン ト】 高橋 美樹TAKAHASHIMiki 私 は討 論 レ ジ ュ メ を1枚 用 意 して き ま した。 裏 に歌 詞 が 書 か れ て い ます の で 曲 をか け た と き に ご参 照 くだ さい 。 私 は 、 コメ ン トと言 う よ りは 、 今 回 の 議 論 の 全 体 討 議 の 中 の 素 材 とな る 三 つ の こ と を、 沖縄 とハ ワイ の音 楽 にか か わ る歴 史 的 現 象 につ い て 呈 示 した い と思 い ます 。 一 つ 目は 沖縄 移 民 の 象 徴 と して の ハ ワ イ とい う こ とで す 。 昭和 初 期 の 日本 の状 況 と して は 、 とて も慢性 的 な不 況 に 陥 りま した 。 そ うい う経 済 状 況 か ら 抜 け 出 す 道 を模 索 し、 自 らの生 活 、家 族 へ の 送金 を 目的 と して、 沖 縄 で も 日 本 本 土 に 出稼 ぎ、 海 外 移 民 へ と旅 立 つ 人 々が 急 増 して い き ま し た。1927年 ふ く は らちょう き に沖 縄 出 身 の普 久 原 朝 喜 が 、 出稼 ぎ先 の大 阪 で沖 縄 音 楽 専 門 の レコ ー ド会 社 「マ ル フ ク ・レ コー ド」 を 設 立 し ます 。 沖 縄 民 謡 や 琉 球 古 典 音 楽 の ほか に、 普 久 原 朝 喜 自 らが創 作 した 「新 民 謡 」 を次 々 に レコ ー デ ィ ング して い きます 。 そ の 中 に沖 縄 移 民 を テ ー マ に した作 品 が い くつ か あ ります 。 その 中 の1曲 「ハ ワ イ節 」 を紹 介 した い と思 い ます 。 そ れ で は、 旅 立 つ 別 れ の 場 面 を歌 い ま し た 「ハ ワ イ節(1935)」 をお聴 き くだ さい。 (music) 歌 詞 の 状 況 設 定 と しま して は、 出 て 行 く男 性 と見 送 る女性 とい う構 図 が あ ります 。7番 の 歌 詞 に注 目 して い た だ きた い の で す が 、 別 れ の 場 で あ り ます 那 覇 港 は琉 球 国 時 代 か ら現 代 に至 る まで 、 海 外 や 日本 航路 の船 舶 が 出航 す る 重 要 な港 で す 。 この 「ハ ワ イ節 」 で も、現 実 に即 して 那 覇港 で の 別 れ の場 面 が歌 い 込 まれ て い ます 。 朝 喜 自身 、 沖縄 か ら大 阪 へ 出稼 ぎに行 く とい う移 動 体 験 を踏 ま え ま して 、 沖 縄 移民 をテ ー マ に した この 「ハ ワ イ節 」 を創 作 した と考 え られ ます 。 しか し、歌 詞 の 中 に 「ハ ワイ」 とい う地 名 は一 度 も登 場 し ませ ん。 歌 詞 か ら出 稼 ぎ先 や移 民 渡航 先 を特 定 す る こ とは な か なか 難 しい の です 。 そ の 後 、 沖縄 移 民 はブ ラジ ル や南 洋 群 島、 ア メ リカ合 衆 国 と渡 航 先 が 拡 大 す る 中 で 、 なぜ 「ハ ワイ節 」 な の か とい う疑 問 が浮 か び ます 。 そ の 理 由 と して 、 日本 の 明 治 政 府 が ハ ワ イ王 国 と1884年 に移 民 条 約 を締 結 して い ま す。 日本 の初 期 移 民 の渡 航 先 とい うの は、 砂 糖 プ ラ ンテ ー シ ョ ン で の労 働 力 を必 要 と した ハ ワ イ で あ っ た とい うこ とが 挙 げ られ ます 。 沖 縄 か らの海 外 移 民 は そ の15年 後 の1899年 にハ ワ イへ 送 り出 され ま した26名 が 最 309 初 です 。 こ うい うこ とな どか ら、 朝 喜 は沖 縄 か らの海 外 移 民 の象 徴 と して ハ ワ イ を曲 名 に用 い た と推 測 し ます 。 ち なみ に、1940年 に は ハ ワ イ に1万4千 人 の沖 縄 移 民 が い ま した。 こ うい うふ うに 沖縄 県 の経 済 的 な 困窮 状 況 か ら脱 却 す る手 段 と し ま して 、 人 々 の移 動 に よる家 族 の 離 別 とか、 そ うい う こ とを歌 っ た歌 が 「ハ ワ イ節 」 と言 え ま す 。 ち な み に、 マ ル フ ク ・レ コ ー ドで 制 作 さ れ た レ コ ー ドは 、 1928年 以 降 ハ ワ イ に も輸 出 し始 め ま した 。 戦 前 は、 海 外 移 民 に お け る 沖縄 民 謡 レ コー ドの需 要 が非 常 に高 か っ た とい う こ どを付 け加 え て お き ます 。 二 つ 目で す が 、 半植 民 の 島 と して の 沖縄 ・ハ ワイ とい う点 で す。 ネ ー ネー ち な さだ お ズ の プ ロ デ ュー サ ー で あ り ます 知 名 定 男 は、12歳 で 沖 縄 民 謡 の歌 手 と して デ ビ ュ ー して 以 来 、 沖 縄 民 謡 界 を 中 心 に活 動 して きた 人物 で す 。1972年 に 沖 縄 が本 土 復 帰 を果 た し ます が 、 沖縄 に マ ス メデ ィア か ら注 目が集 ま る中 、 1978年 に は ポ ップ ス 歌 手 と して 知 名 定 男 は全 国 デ ビ ュ ー し ます 。 シ ン ガー ソ ン グ ライ ター と して の 知 名 の作 品 が 結 集 した アル バ ム は 、 沖縄 人 と して の 民 族 的 ア イデ ンテ ィテ ィ を前 面 には 出 ず に 、 当 時 の ニ ュ ー ミ ュー ジ ッ ク とい う ジ ャ ンル の サ ウ ン ドに 潜 ませ るか た ち で 表 現 様 式 を打 ち 出 した とい う こ と です。 まず1点 目、 レ コー ドジ ャケ ッ トで す けれ ど も、 キ ャニ オ ン レコ ー ドか ら 発 売 し たLP『 赤 花 』EP『 バ イバ イ沖 縄 』 の ジ ャケ ッ トを見 て い た だ きた い と思 い ます 。 この レ コー ドの ジ ャケ ッ トで す けれ ど も、 宣伝 広 告 に使 われ た の は真 っ赤 なハ イ ビ ス カ ス(赤 花)沖 縄 で は赤 花 と言 い ます が一 の絵 で した 。 背 景 に は、 こ うい うふ う に青 い 空 とエ メ ラル ドグ リー ンの 海 、 そ れ か ら 白い 雲 を思 わ せ る淡 い色 彩 が 塗 られ て い ます 。 こ うい うふ う に レ コー ド ジ ャケ ッ トにお い て は沖 縄 色 が 前 面 に表 れ て お ります 。 レ コー ド会社 が 考 え た 知 名 定 男 の 宣伝 キ ャ ッチ フ レー ズ は 「南 国 の 温 か い 心 、 そ して サ ウ ン ド」 と い う言 葉 と同 様 の 傾 向 が こ の ジ ャケ ッ トの 絵 か ら も うか が え ます 。 2点 目で す け れ ど も、 マ ス メデ ィ ア の言 説 を 少 し見 た い と思 い ます 。 この 知 名 定 男 を取 り上 げ た記 事 の 一 つ 目の特 徴 は、 「常 夏 の 南 の 島 イ メ ー ジ」 の タ イ ア ップ 。 レ ジ ュ メ に も載 せ ま した。 記 事 を ち ょっ と読 み ます 。 「沖 縄 で はハ イ ビス カス の こ と を赤 花 とい う。 赤 花 は 強烈 な太 陽 と ど こ まで も青 く透 明 な海 の 島 に よ く似 合 う。 今 、 そ の 赤 花 の 生 命 に惹 か れ た男 一 知 名 定 男 」 と い う こ と を言 っ てい ます 。 そ して、この記 事 で は あ り ませ ん が 、も う一 つ 「日 本 唯 一 の トロ ピ カ ル シ ン ガ ー、 知 名 定 男 」 とい う見 出 し の雑 誌 記 事 も あ りま した。 先 ほ ど、 「 バ イバ イ 沖縄 」 の ジ ャケ ッ トを見 て も らい ま した け れ ど も、 あ れ に描 か れ たハ イ ビス カ ス の南 の 島 イ メ ー ジが 端 的 に こ う い う記 事 に も盛 り込 まれ て い る こ とが 分 か ります 。 南 の 島 イ メ ー ジ とシ ン ガ ー ソ ン グ ラ イ タ 310 コメ ン ト 一 を 組 み 合 わ せ た 「トロ ピ カ ル シ ン ガ ー 」 と い う用 語 も生 み 出 さ れ て い ます 。 二 つ 目 の 特 徴 と い う の は 、 沖 縄 イ コ ー ル 「ア イ ラ ン ド ・ ミ ュ ー ジ ッ ク 」 の 歌 手 と し て 知 名 定 男 を 紹 介 す る 記 事 が 多 い こ と で す 。 知 名 よ り1年 前 の 、 き 1977年 な しょうき ち に 全 国 デ ビュ ー した喜 納 昌 吉 の音 楽 と い うの は 、 当時 音 楽 シ ー ンで 注 目 を 集 め て い ま し た ジ ャ マ イ カ の レ ゲ エ と比 較 し て 、 双 方 の 音 楽 の あ り方 や 風 土 的 な 共 通 性 を 導 き 出 し な が ら批 評 す る傾 向 が 強 く あ り ま し た 。 そ し て 、 そ れ ら の 議 論 と い う の は 「ア イ ラ ン ド ・ミ ュ ー ジ ッ ク 」 と い う く く りの 中 で 、 沖縄 の音 楽 や喜 納 昌 吉 の音 楽 を紹 介 して い ま した 。知 名 定 男 が全 国 デ ビ ュー し た と き の 記 事 も 少 し見 て み た い と 思 い ま す 。 「今 、 明 ら か に パ ワ ー ダ ウ ン し つ つ あ る 世 界 の ロ ッ ク ・ポ ッ プ ス シ ー ン に お い て 、 唯 一 注 目 を 集 め て い る の が ジ ャマ イ カの レゲ エ 、 プエ ル トリ コの サ ル サ 、 ハ ワイ の サ ー フ ロ ッ ク な ど、 ア イ ラ ン ド ・ミュー ジ ッ ク と呼 ば れ る半 植 民 の 音 楽 だ 」 とい う こ とで す 。 今 、 皆 さん に見 て も らって い る記事 で す けれ ど も、 この 記 事 の 中 で は、 喜 納 うみ せ ど ゆたか 昌 吉 と 知 名 定 男 と 海 勢 頭 豊 と い う3名 が 日本 の ア イ ラ ン ド ・ ミ ュ ー ジ ッ ク の 歌 手 と し て 紹 介 さ れ て い ま す 。1970年 代 後 期 に は 、 「常 夏 の 南 の 島 」 と 「半 植 民 の 島 」 と共 通 の イ メ ー ジ を、 沖 縄 や ハ ワ イの ポ ッ プ ミ ュー ジ ッ ク に委 ね て い た こ とが 分 か ります 。 最 後 に 、三 つ 目 の1970年 代 の 沖 縄 を 描 い た 「グ ッ ドナ イ ト ・マ イ ・ハ ニ ー 」 と い う 曲 を 紹 介 し た い と思 い ま す 。 先 ほ ど 、 ロ バ ー ソ ン さ ん が 取 り上 げ た 作 品の 一 つ に 、 ネ ー ネ ー ズ の歌 「情 け 知 らず や 」 と い う 曲 が あ り ま し た 。 こ の 曲 は 、 岡 本 お さ み が 作 詞 し ま して 、 ネ ー ネ ー ズ の プ ロ デ ュ ー サ ー で あ る 知 名 定 男 が 作 曲 して い ます 。 喜 納 昌吉 や 海 勢 頭 豊 な どシ ンガー ソ ング ラ イ タ ーが 自 ら作 っ た 歌 を 歌 う状 況 と は 異 な り ま し て 、 プ ロ の 作 詞 家 ・作 曲 家 が あ る 歌 手 に 提 供 し た 歌 、 つ ま り 日本 の 歌 謡 曲 の シ ス テ ム と 同 様 の 共 同 作 業 に よ っ て 生 み 出 さ れ た の が ネ ー ネ ー ズ の 「情 け 知 らず や 」 と い う 曲 な の で す 。 岡 本 お さ み と い う の は 、 森 進 一 が レ コ ー ド大 賞 を も ら い ま し た 「襟 裳 岬 」 吉 田 拓 郎 の 「旅 の 宿 」 こ う い う 曲 を 書 い た 作 詞 家 と し て も 有 名 で す 。1978年 に知 名 定 男 が 全 国 デ ビ ュ ー し た と き に 、 シ ン グ ル レ コ ー ドの 作 詞 を2曲 担 当 し て い ま す 。 そ れ 以 来 の 付 き合 い が 、1990年 代 の ネー ネ ー ズ の 作 品 も手掛 け る よ う に な っ た と い う 経 緯 が あ り ま す 。 で は 、1978年 シ ング ル に 知 名 定 男 が 出 し ま した 「グ ッ ドナ イ ト ・マ イ ・ハ ニ ー 」 を 聴 い て く だ さ い 。 (music) こ の 曲 は 、米 軍 占領 下 の1970年 の 愛 人 とな った 沖 縄 の 女 性 を通 称 代 の コ ザ 市 、現 在 の 沖 縄 市 で 、米 軍 人(GI) 「ハ ニ ー 」 と 呼 ん で い た の で す け れ ど も 、 こ の ハ ニ ー を 題 材 と し た 作 品 で す 。 知 名 定 男 が あ る 記 事 の 中 で 、 「『グ ッ ドナ イ ト ・マ イ ・ハ ニ ー 』 と い う の は 、 本 当 は 『グ ッ ドバ イ ・マ イ ・ハ ニ ー 』 だ 311 っ たの で す 。 ベ トナ ム戦 争 が 終 わ って 、 兵 隊 た ちが どん どん 本 国 へ 帰 っ て い くと い う米 軍 放 送 の ニ ュー スが 流 れ る。 『グ ッ ドバ イ ・マ イ ・ハ ニ ー 』 み た い な雰 囲 気 が す ご くあ っ た わ け」 と話 して い ます よ う に、 法 的 に結 婚 が 許 さ れ ず に、 子 ど もが で きて も、 そ の 後 男 性 は ア メ リ カ本 国 に戻 って 、 女 性 と子 どもの み が 沖 縄 に残 さ れ る とい う悲 痛 な現 実 が 描 か れ て い ます 。 岡 本 は知 名 が 話 す 沖 縄 の こ の よ うなエ ピ ソー ドか ら ヒ ン トを得 て 歌 詞 を書 き上 げ ま した。 始 め は貧 しい生 活 か ら抜 け 出 てお 金 を稼 ぐた め にハ ニ ー に な っ た女 性 も、 し だ い に男 性 軍 人 に対 して愛 情 を抱 くよ う に な る とい う男 女 の 現 実 を作 品化 し ま した。 当時 の 岡本 お さ み は、 歌 詞 を書 くた め に沖 縄 に滞 在 してい た の です け れ ど も、 う ま く作 詞 で きず に、 琉 球 方 言(ウ チ ナ ー グチ)の 理 解 度 が低 い 自分 に沖 縄 の歌 を書 く資格 が あ る だ ろ うか と自 問 自答 した と も語 っ て い ます 。 岡本 と知 名 の コ ン ビ作 品 は、1990年 代 に入 りま して 「黄 金 の花 」 「真 夜 中 の ドラ イバ ー」 とい うふ うに ネ ー ネ ー ズ に提 供 す るか た ち で復 活 します 。 特 に 「黄 金 の 花 」 は 初 代 ネー ネー ズ の 代 表作 にな って い ます 。 こ の よ うに 文化 の 政 治性 を テ ーマ に作 品 を分 析 す る際 に も、 作 詞 家 個 人 の 活 動 歴 や 歴 史 的 な流 れ の 中 で こ う い うふ う に作 品 を位 置 付 け て、 作 品 が生 ま れ た背 景 も探 る こ とが 必 要 で は な い か と思 い ま した 。 も う1点 は、 シ ンガ ー ソ ング ラ イ ター一 喜納 昌 吉 や佐 度 山豊 を取 り上 げ られ ま した け れ ど も の作 品 と今 回 の 「情 け 知 らず や」 の ネ ー ネ ー ズ とい う の は、 歌 謡 曲 の シ ス テ ム で生 ま れ た作 品 を 同 列 に扱 うこ とへ の 配慮 とい うこ とが 少 し必 要 で は な い か と、 ロバ ー ソ ン さん の事 前 の原 稿 を読 ん で 思 い ま した。 312