Comments
Description
Transcript
全ページ - 高森町
鶉珈鰊輻 同 野 尻 里女 野尻さだむ 瀬井 てる女 瀬井 せん女 草村 鶴代 2 ︲ 7 ︲ 5 ︲ 4 2 ︲ 2 ︲ 2 5 2 7 ︲ 1 ︲ 一一月 林 不忘 田上黙公子 ″ 林 田 端子 9 2 5歳死去︶ ︵ 母、 ツヤ ヲさ ん 。8 ▽尾下 の小林 ヲソ エさ んから 0歳死去︶ ︵ 夫、護 さ ん 。7 ∧ その他∨ ▽老人 クラブ ﹁明寿会﹂ は、 大 字永野原 の吉 川実さ んから香典返 し の寄付 を いただき ました。 ﹀上在老人 クラブ は、 上在 の後一 藤忠昭さんから香典返し の寄付 を いただきました。 ▽矢津田 の本 田三学さんは、老・ 人 ホー ム ﹁湯 の里﹂ へ梅 干 一樽 を 寄贈 されました。 ▽高森 上在 の大野末久 さんは、 湯 の里荘﹂ ヘタオ ル 老人 ホー ム ﹁ 百本を寄贈 されました。 9切 331 21 71 159 12 ︹耐 2 ・ ・ ・1・ ・ ・ ・4 4 1・ ・ ・ ▽高森、横町 の村上智恵子さんか 5歳死去︶ ら ︵ 夫、勝志 さ ん 。4 ▽芹 日の佐藤秀武さ んから 8歳死去︶ ︵ 母、 ナミ エさ ん 。5 ▽永野原 の工藤西男さ んから 3歳死去︶ ハル エさん 。2 ︵ 妻、 ▽高森、横町 の長山吉彦さんから 4歳死去︶ ︵ 母、千代 さん 。8 ﹀色見、西丁 の宇藤朋喜 さんから 夜 ア墓原ギ メで無 ア 待 ちくたびれた刺身 皿 高 ア傘代 だ ったね︱︱ 忘れられとる道 じるべ 有 るし こ飲 んで足ら ん酒 玄関 で茶 の出 せます か さぞう眼鏡 の重 かろう 強 さ 女子だ てら の ョット旅 ″ さ アどうぞ 降 り込まれ 打 ち冠り 降 り込 まれ さ アどうぞ 強 さ ご×寄 ×付 ︶ ︵ あ りが とうご ざ いま した 4 ︲ 林 田 5 8 3 7 ︲ ︲ 2 9 7 3 2 8 5 0 7 7 2 9 0 7 6 6 7 ︲ 山下留原 菅尾津河 0 0 0 0 0 ⑩ 9月4日 平 田 医 院 高森②0216 8 日 後 藤 医 院 8月2 南阿⑦ 0019 1 日 藤 本 医 院 一 8月2 南阿⑦ 002〇 一 4 日 本 田 医 院 一 8月1 高森② 0016 一 一 一 Q﹃ 蠅け 所 通在 野通和在園野 留 原切 田 D 丁 原 神 在 町 中 出 住 野 津 死 胡 <旭上冬旭昭上中冬津永下矢 ∈ 西東 大 上横 原 藤田良 小林宇前 大 守男 三生彦 定文史義 弘保夫乃美亮司 信男美吾 史 修 康志貴世恵紘修 利和寿真 男女男女女男男男男男女男 7 次 の方 々から心温 か いご寄付 を い ただき ました。心から厚く お礼申 し上げ ます。 ∧ 町社協分∨ > 者 護 保 < S52.6.16∼ 7.15受 付 生児 (出 )(性 別)(生 年月 日) ﹁リ オト 雨上り山紫陽花 の道涼 し 墓 の蝶霊あ る如 く舞 ひ立ちぬ かなかな に今 日も暮れゆく丘 に侍 ち 草 苺 ふく んで見 たき程 に熱 れ 墨磨 って丁寧 に書く新茶古茶 馬笑 南天 琴司 ″ 馬原 岳人 老 の手 の震 へる昼飾冷奴 打水 の程 に夕立路地濡らす 向 ひ家 に気 を配 り つつ水を打 つ 夏暖簾遺句 の染 まりておりしかな 草苅れば 姫百合 一つ又 一つ │ 熊谷起代女 熊谷 つ子 馬原そ の女 甲斐 菊江 藤井秋雪女 福間 宮女 熊 谷 紫雲 熊谷 こう女 江良あ や女 草村あ つ代 野尻 誓道 父 の日や雀 は エサを子 に運び 鳴滝 の山より落 ちる滝 は霧 そ こらじ ゅう水撒き散らし裸 の子 打水をし て来客を待 つ夕 合歓 の花眠りて今 日も暮れ にけ り 5 馬 岡 浦 ″ 原 ″塚 ″本 岩 肌を伝 ひて落 ちる清水掬む 死亡 ● ● ミ 園児が元気に はだか体操ミ 蝿叩き つつ父 の事 母 のこと 宿願 の野大根 の種子少 し取 り 33 ● ● 肥 後 狂 句 マ 青春 の無 ア車椅 子 涙 は腹 で流す奴 みずご り︶ 祈願かな 何 ンの水垢離 ︵ 浮動票 まで 一人占 め 田楽芋も食 べ加減 転出 比島 で受けた足 の傷 11 永 野原 芹 ロ 菅 山 永 野原 私たちの町役場 (役 場職員の事務分掌) 急増す る成人病 。 (昨 年の死亡統計)・ … ・………… みんなの施設「 町民センター」・ 婦人会が「町政を聞 く会」ひ らく・……… 高森 の歴史散歩・ 郷土 の博物誌…………… みんなの広場 。解放 の力…………………… 町民文芸 。おめでたお くやみ……………… ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 内 容 も な 出生 族 )(続 柄)(死 亡者)(無 )(年 月 宇藤 朋喜 母 宇藤 ツヤ ヲ 光 高倉 清子 夫 高倉 三井 治男 長女 三井 里香 後藤今朝廣 5男 後藤 忠昭 松尾 勝熊 妻 松尾チ ヨカ 工藤 西 男 妻 エ藤 ハルエ 佐藤 次春 妻 佐藤 ナ ミエ 富永 栄一 4女 富永二美子 吉川 実 養母 吉川 ミヨシ 富永 譲 祖母 富永チ ヨシ 小林 ヲソエ 夫 小林 護 江崎 ヨシエ 夫 江崎松太郎 田上一二三 長 男 田上 浩和 お 28 (遺 日 転入 亡 本格的な夏を迎え、 いま高森保育園 (杉 田紀久子園長、 150 人)は 、はだか体操で子供たちの体力づ くりを行 ってい ます。 登園後 の 自由遊 びが終わ ると、全園児 がはだかになって中庭 に 集 ま り、 レコー ドの リズムに合わせて手足を伸ば した り曲げた り、 どの子 らも元気 い っばいです。 はだかの体操が始 ま ってか ら泣 き虫や弱虫 もす っか り姿を消 しました。 月 機 絋 燎 ・ ・2,635 世帯数… 上村 秀幸 住吉 只二 岩下 雅文 林 今朝一 工藤 西 男 工藤 隆 二子石一人 第 216号 日 召禾口52年 森局09676)② 0611〔代表〕 TEL(高 阿蘇 郡 高森町 役場 発行 晏 5,006人 報 生 │リ 現在― 30日 -6月 4,734メ 、 9,740人 足 強 さ 打 ち冠 り 強 さ さ アどうぞ 疼 く おめで た お くや み ′ト 口 人 (0) 第 216号 り も か た 報 広 昭和52年 8月 1日 昭和 52年 8月 1日 り も か た 報 広 216号 (1)第 岬端 ′ ′ 一部機構改革を行 いました。 事務 の効率化 を めざ し、従来 の福 祉係 は ﹁ 福祉第 一 係﹂ ﹁ 福 祉 第二 役場職員の事務分掌 ︱ 一 I ユ 記 笙 た て書 ・ 嘔専 一 〓 オ フ 十 ず 国 保 係 長 相馬 忠幸︱ 丁 橋本 和則 ︵ 国保全般︶ 一 ︱ 橋本今朝子 国民年金係長 岩 下 生 人︱ ︲二子石三治 ︵ 年金全般︶ 税 務 課 長 甲斐 新 課 税 係 長 工藤 幸則︱一 耳表︸ ︱ 呼裂 ︵ 課税全般︶ . 産 業 係 長 一一 子石 ︵ 産業 全 般︶ 農 地 係 長 甲斐 ︵ 農委 全 般 ︶ 狭山事件 で今 日も無実 を叫び 続け ている部落 出身 の石川 一雄 さ んの幼年時代 から青年時代 に かけ ての生 いた 秀和 保険税賦課 国保給付 保健婦 徴収 。検認 。庶務 町税賦課調査 納税通知発送 町税徴収 ・督促 軽自動車 。徴収 り、靴屋 に奉行 に出 たりした。 六年生 にな ると 、農家 へ住 み込 んで働 いた。十 五歳 で漬物屋 ヘ 替 わる。朝 は四時起床、夜 は十 一時ご ろま で働 かされた。十六 彼 は五年生 のとき から農家 に 住 み込 みで 子守 り 奉公 に 出 た 高原開発 ・林業振 興 畜産振興 米穀 ・水 田 ・農業振興 農業委員会 ・農業者 年金 固定資産係長 岩 下十三男︱ ︱ 岩下 茂 巳 固定資産評価 ・土地 ︵ 固定資産全般︶ 家屋 経 済 課 長 佐伯 誠喜 ︱ 同 哀 ・ iし 皓幸実 利 一一範 男 係﹂ の二係制 にな 役役 長 ︱一 保 原 岳夫 馬 劉須 劇L 確 節 坐 麟 叛 ︲離 ︵ 入 徴 岩下 靖彦 ⊥︲出側 ぱ預 ば鍮 雌 ︵ 加 藤 貞 治 細蹴肇雛 ′昭 一 ‖ 紀 子 文 老人 。身障者福祉 生活保護 。社協 児童 ・母子福祉 。保育所 狂大病予防 ・環境衛生 母子保健 ・予防接種 岩下 八東 瀬井 浪夫 内 田 秀憲︱会計係長 甲斐 ミホー 阿部 恭 二 ︵ 歳入 。歳出︶ 一務 課 長 本多 典生 行 政 係 長 宮 地 悦也︱ ︲佐伯恵美 子 行政全般 ・消防 ︵ 行政全般︶ 財 政 係 長 谷川 元清︱︱ 阿南 哲也 予算 。 起債 。 貯蓄奨励 ︵ 財政全般︶ 自衛 隊 文書広報係長 岩 下 弘 三︱ 谷川みさ子 文 書 受 付 ・広 報 , ︵ 文書広報全般︶ 後藤 元男 町長車運転 ・管 理 町 民 課 長 小嶋 猛 戸籍 ・各種証明 戸籍住民係長 合志 盛隆︱︱ 甲斐 敏文 ︵ 戸籍 。外 人登録︶ ︱ 野 一 第 一福祉係長 芹 口 誓彰︲ 一 赫林 鰍螺 ︲ 第 二福祉係長 後藤 サカ エーー 村上 源喜 収助町 総 ると父と日雇 い 労働 に 出 か け い獄中 から解放 されなければな 開 らな い。 た。水汲 み、 たきぎ 拾 い、 墾、賃仕事と いうよう に、生活 ︵つづく︶ のための仕事 に追われ、 ほとん ど学校 に行けなか った。 . 糧難 は全国的なも の 中差 判 ¨ ﹁ 度 の貧困 の中 で、 一家 七人を支 えるため、 必 であ ったが、 フス マ 一山 裁 ︸ 一 ︲︲ 死 に働 いてき たと いう ︵ 小麦を粉 に引くと 一狭 別 ” き出る穀肉 の皮︶ま 一︰⋮ ⋮ ■ のが事実。石川 一雄さ んの生 いたちであ る。 で食 べたと いう。 七、 八歳 のころから、小学生 石川青年 はす でに三十 八歳、 の兄と開墾 に専念、 四年生 にな 一日も早く無実が証明され、暗 右﹁¨ す 隻 一一 一 榔 るプ安 収入と、 ¨働 ﹂ 嚇 観 飼 ﹂ 一 つ 定な 極 ・ し ム チ 歓 ′ 一 一一 “ 一 一 謎 釧 わ 稼 ´ や ゆ 鵡 障 ″ ″ れ 設 浸 一 ﹁ ・ ・ つ ・ あ ﹂︲ る。 建ての 一二 リのバラック ノ 一 一 家 ば 猟 眩 働 吟 卿 抑 い い 一・ 計 は が れ 隷 〓 解 M 、¨ 御 。 コ 一 つ 養 ・ 印. もにトビ職 父は、あらゆる日 ﹁丹コ 一 は、兄とと. ^ ¨ 一 ヽ 一 ¨ ︺ 親 一 州 一 時 晰 い 峰 い は 働 た 一 を ¨ r け 用 ¨ 篠 計 日 朝 ¨ 鵬 ¨ 一囲 一 一 Ⅷ 州 獄 嚇 ﹂ 一 ¨ 辞 鍛 瑯 姫 は 計 ¨ 絆 一 浸 に 漣 雌 型 ・ ちはどうだ った 歳 から十八歳ご ろまでは家 に戻 って上方仕事、農家 の日雇 い、 のであ ろう か。 彼 は昭和十 四 飯場 の住 み込 みなどをや った。 年二 月十 四日、埼 玉県狭山市入 野球 の好きな彼 は、野球道具 ″ 間川駅近く に住む石 ■︰︰ ︰﹂ を買 い、 菅 四ジ ャイ │ りました。そ こで今月 は、各係 の 配置図と職員 の事務分掌 を紹介 し まし ょう。 電話交換室 とき、竹 田志賀氏 の援助 によ って 収入役 高森方が勝利を収 め た と述 べた が、実 はそ の時点 で高森伊予守 の 島津寝返りを恐れた大友方 は、志 賀氏 を通じ て人質 を 要 求 してい る。伊予守 は人質として子息源次 郎 を豊後 に送り届けた ので、志賀 後 佐 佐 │││ 1終 伯 斐 藤ナ 蜃出 閻ヨ 屁 祐 津 留 優 高森小 4年 応 接 室 町 では七月十日付 け で課長 二人を含む十人 の異動を発令、併 せて 高森伊予守余話 コ 敏 行 政 係 第 一庁 舎 ︵一階 ︶ 「 ポスター」 氏 は彼 を直 入郡松本 に居住させ、 天正十 五年 の秀吉 の島津征伐まで 豊後 に住 ませている。後 世、伊予 守 の生存説が伝えられた原因 は子 息源次郎と の混同 から であ ろう。 と にかく悲惨な敗者 の歴史 は、 え てして後世 に正確 に残らな いも の だ。 一方、勝者側 はそ の 一族 によ って、後 の世まではなば なしく戦 功が伝えられる のだ。 ここに冷酷 な歴史 の現実があ る。 色見 本 田 耕 亮 さ て高森伊予守 の後 え いを唱え 高森城主、伊予守 の戦死 の場所 ここに異説があ る。伊予守 はそ る人が今 は余 りにも多 い。遠く は は清栄山麓 に広が る岳陵地帯 の通 のとき生き残 り、豊後竹 田に無事 青森、静岡と い ったと ころだ。楽 称、黒岩峠と いわれ る草 原 一帯と 落 ち延びたと︱。今日、 それを伝 し いこと には漫画 の第 一人者 ﹁巨 され ている。 え る正史がなく、選択 に迷うが、 人 の星﹂ の作者梶原 一騎氏も堂 々 裏 やはりそ のとき に戦死し ているの と高森伊予守 の直系を名乗 ってい 戦 い敗れた伊予守が揚 め手 ︵ られる。 まさしく歴史 は ロマンで 門︶ から険阻な外輪山 の隠道を裏 が本当 ではな かろうか。 道伝 いにここまで逃れ てき た のは 筆者 は天正十 二年第 一次合戦 の あ る。 二十数キロ 距 った豊後竹 田の志賀氏 、 を頼 るべく豊後 街道 に面した黒岩 ヽ、 0 百員 、 高 森町外 三か村 ヽ, マ ф ィ 盾ハ ヽ ヽ 清掃 組 合 職 員 峠 のこの道を選ぶためであ ろう。 しかし彼が たどり着 い た とき に 私たちが ゴ ミ収集 に回 って、 う 場合と、 ぬれたゴ ミがあ る場合 で は、す でに勝 ち誇 った島津軍が先 れしく感 じる ことがあ ります。 そ す。 雨 にぬれ たゴ ミや食品 の暦類 回りして待 ち受 けて い た の であ れ は雨 の日には、決 ま って出され は焼却能力を低下 させるば かりで る。今、 こんもりと繁 る杉林 の 一 たゴ ミにビ ニー ルなど の覆 をかけ なく、機械 の故障 の原因 にもなり 角 に苔蒸した伊予守 の塚石が約 四 てあ る隣 り組があ ると いう こと で ます。 そ こでみなさ んも、 このよ 百年 の星霜 を経 て静 かに眠 ってい す。 ゴ ミ焼却 の過程 で 一番困 る の う に工夫 した ″ゴ ミ出し″ にご協 る。 は不燃物と燃焼物が混入している 力 いただけ るなら幸 いです。 gl『 ● 町民 課 長 ● ● 出 し ノ ′ フ Ц ● 役 総 務課長 助 町 長 室 (2) 第 216号 り か も た 報 広 昭和52年 8月 1日 昭和52年 8月 1日 り も か た 報 広 216号 (9)第 4 1日に休暇村 で 自然教室 ひらく 環境庁 は ﹁自然 に親しむ運動﹂ 月間として本町 の南阿蘇国民休暇 自然教室﹂ を開き ます。 村で ﹁ この教室 は自然 に親 しみ、 理解 する ことを目的 に、専門講師 の指 導 で野鳥 や コン虫、植物 の観察な どを楽 しみます。だれ でも無料 で 三日 ▽第 二次=十 一月 二十 四日、 二十 五日 のいず れかの日を指定 とや経験 した ことなど。 ︻字数︼ 四百字詰原稿用紙三枚 ︵ 千 二百字︶以内 募集期間︼ 六月十五日から九 ︻ 月 五日まで ︻ 原稿 の送 り先︼ 北九州市小倉 北区紺屋町十 三︱ 一︵0八〇 二︶ 上色見西中原 作 百名 。 移住 と協力隊 の 映画会 へどうぞ 国際協力事業団熊本支部 では、 みなさ んと の意思疎通をより深 め るため、熊本県 および熊本市後援 で ﹁移住 と協力隊﹂ の映画会を次 のとおり開催 します。気軽 にお出 かけくださ い。 木︶午後 ︻日時︼ 八月十八日 ︵ 六時半 から八時半 まで 0︶ 檜木野かず代 さん︵ 2 ︻受験手続︼ 郵便 で申 し込 み用 紙を請求する場合 は、封筒 の表 に 赤字 で ﹁皇宮請求﹂ と書き、 五十 円切手 をは ったあ て先明記 の返信 用封筒を同封 のうえ、東京都千代 ︻場所︼ 熊本市花畑町 一︱ 四東 京生命ビ ル内 ︲ S ヽ 惑 ︻趣 味 ︼ 油 絵 o 日 本 画 一 ヽ ヽ ´・ t ・ ” r 〓 ′ t ′ ヽ ■ ヽ ′ヽ r l ・● ´ ヽ ′ ヽ rt r ヽ ● 1 蘇保健所高森支所勤務﹀ ﹂ ¨ 合円 草部出張所長 古庄 末幸 徴 収 係 長 甲斐 元紀 野尻出張所 長 瀬井 達老 ︰●´¨■”ピ ︱ 者。②就労 に伴 い、本人 の自動車 の操向装置 および駆動装置など の 一部 を改造 す る必要があ る こと。 ︻助成経費︼十万円を限度 として 県 の予算 の範囲内 にお いて助成。 申請手続︼ 自動車改造費助成申 ︻ 請書 に①改造諸経費 の見積書②住 民票 および住民税 の課税証明書を 添 えて町福祉係 へ提出してくださ い。詳 しく は同係が説明 します。 熊本 の名勝百景 ハガキで募集中 熊本県 と熊本 の風土と こころ編 集委員会 では、熊本 の自然や文化 遣産 をわかりやすく紹介す るとと も に、 ふるさと見直 し運動 の 一環 として、熊本 の名勝百景 をみなさ んから募集 し ています。 そ こで、本町 の景勝 地も この機 会 にPRする必要があ ると思われ ます ので、次 の要領 でみなさ んの ご協力をぜ ひお願 いします。 ︻投 票方法︼ ▽休暇村 から見 た根子岳 ▽高森峠 の九十九曲 り︱ などと官製 はがき 一枚 に 一か所を 書き住所、氏名、年齢、職業も記 載 してくださ い。 送り先︼ 熊本市水前寺 六丁 ︻ 戸籍 。庶務 住民基本台帳 。庶務 保健婦 消費者行政 ・統計 交 通安全 。地籍調査 商 工 ・観光全般 町有財産の管 理 ・処分 公用車両 の整備点検 町有林野 の造 成管 理 庶務 町有造物 の建築 。営 繕 維 持管 理 水道庶務 ″ ″ 災害 ・土木全般 ″ ″ 補助事業 。土木全般 林業構造改善事業 農振地域整備 ・山村 特対 。同和対策 団体営農道蓼備 。農免 農 地災害復旧 0八六二︶熊本県 目十八番 一号 ︵一 林務部観光課 ︻ 応募期間︼ 六月 一日から十 消印まで有効︶ 月 三十 一日 ︵ 多 日 u 火 議会事務局長 岩下 信夫 庶 務 係 長 有働 和幸︱︱ 古 庄 秀子 教 育 長 今村 俊男 二子石 衛 甲斐富美子 小椋 良子 甲斐 達志 町有林野係長 松本 彰夫︱ 後藤 正三 ︵ 町有林野全般︶ 商 工観光課長 岩下美智夫 商 工観光係長 野尻 逸司 企 画 課 長 後藤 恒夫 企 画 係 長 住吉 五夫⊥ ︱ 村島兵志郎 ︵ 振興計画 ・企画︶ 一 ︱ 古 沢 建生 一 Lコて︱ ″ ヘ ︱I ア ノ 一 ロノ , ト 農林振 興係長 官村 春幸︱ 一 農林振興全般︶ ︵ 一 ︱ 山村 将護 ︱ 上村 秀幸 . 建 設 課 長 森 口 敏生 ︱ 岩 下 健治 ・ 丁 渡辺 哲郎 土 木 係 長 本 田 富 雄上 ︱ 色見 継治 ︵ 土木全般︶ 一 ︱ 岩下 光広 一 ︱ 工藤 春美 建 築 係 長 中尾 篤志︱︱ 瀬井公吉郎 ︵ 建築全般︶ ︲ 辺 水たが鈍ぱ珠 岩 下紀久雄上 卿 鶏馴 ︵ ︱ 管 財 課 長 赤星 昭生 管 ﹂ 鈍ぱ叛 熊 谷 征男︱ 口 睡爆 静齢 ︵ 替脚 口 L﹂ 彗 ヽ一 ヽ ︱ ヨ ︱ラ ¨ t卜 一 一 一 重度 の下肢、 まだ は体 幹機能障害 ︻助成対象者︼①身体障害者手帳 の交付 を受け て いる低所得世帯 の 帰 の促進 を図 るため、本年 六月 か ら身体障害者用 の自動車を改造す 付 していま るとき は助成金 を 交 一 す。 県 では重度身体障害者 の社会復 身 障者 用自動車 県 が改造費 助成 0 一〇〇︶ 田区千代 田 一番 三号 ︵一 皇居警察本部 へ申 し込 んでくださ 小中学生対象 に 貯蓄 の作文募集 ll. ■ すから多数ご参加くださ い。i・ ▼日時 八月十 四日午前 八時半 ︱十時 ▼集合 南阿蘇国民休暇村 ││ 毎 日新聞西部本社学生新聞編集部 ﹁ 貯蓄 の作文﹂係 ︻入選発表︼ 十月十 七日付 の 毎 日新聞 賞状と テー ︻賞︼ 特 選五名 ︵ プ レ コーダ ー︶ ほか秀作十名、佳 吸がらの投げ捨てはやめましょう。 あなたの街で瓦自然で瓦 〓ダ 第 二庁舎 ︵一階︶ 資委 定価 固評 税務 課長 三階︶ 第 二庁舎 ︵ ´χ′ フェ `多 貯蓄増強中央委員会 では、全国 の小 ・中学生 を対象とした ﹁ 貯蓄 の作文﹂ を次 のとおり募集 してい ます。 ︵ン ル 作/ ││ F =詢 L 屋 蟄φ ク □ にノ ′ Ψノ FI ﹄ pF 田 二 ) 第 一 庁舎 (三 階 ィ́b │. 0 日 から皇 8月3 宮護衛 官 を募集 員 ︻標題︼ 自由。 ほく の貯蓄、 わ が家 の貯蓄、小使 い帳 の記帳、 お 金 や物 の大事 さに ついて感じ たこ 議 員控室 一 般一一 盤 NII r ││ ● ● 「 . 〕 瑯 ヽ へ 人事院と皇宮警察本部 では阜官 護衛官 を募集 し ています。白工 官護 衛官 は皇居、御 所、御用邸など の 太子、 警備 および天皇、皇后、白二 皇太子妃そ の他 の皇族 の誰衛など の業務 に従事 します。 諜:」 睡菫菫菫」 │ │‖ 火︶ ︻受付期間︼ 八月 二十日 ︵ から九月十 二日 ︵ 月︶ まで 受付資格︼ 昭和 二十九年 四月 ︻ 二日から昭和 三十 五年 四月 一日ま でに生 まれた男子 ︵ 学歴不問︶ 試験 日︼ ▽第 一次= 十月 二十 ︻ │::判 l光 ● 社会教育指導主事 岩下 時雄 学校施設 ・予算 庶務 青少年 ・社会体育 文化財 議会・監査事務 ・饗や 李 徴収 戸籍 。庶務 住民基本台帳 。庶務 水 道 会 議 室 日覇 爾 ● 庶 務 係 長 後藤 万蔵︱一 柿防 利刊 ︲ 京末好 子久只 :iヨ :・ :・ :■ :1・ ::::=::1・ :1 F:::::::::::■ 感潤 (く 建設 課長 第 二庁舎 ︵一階︶ 甲 甲古 斐斐沢 r_I::::│::=It_ 蒻憫眩 屁農地係鸞 瘍慇嶼趾 議会 学務局 企画 室長 第 二庁舎 ︵ 三階︶ 教育 長 教 育 指 導主 事 事務局長 経済課長 (8) 第 216号 り も か た 報 広 昭和52年 8月 1日 昭和52年 8月 1日 り も か た 報 広 第 216号 (→ ど んど んのびる日本 の 平 均 寿 命、 ついに日本 は男 七十 二歳、女 .阿蘇家没落 の後、 そ の家臣たち は四散、由縁 のあ る土地に定着 し て農業 を営 みました。 しかし野尻 漠 たる¨ 原野 手永 の北部 一帯 は広 , で、江戸時代初期 には開墾も ほと んど進 んで いなか ったよ う です。黒岩 の森氏、市 野尾 の白石氏、吉尾野、 峰 の宿 の二子石氏 は同族 相助け て、 この火山灰地 そして 高冷 地に 取 り 組 み、 り つば な農村を形成 したのでした。そし て、 これら の村 々はほと んど 同族 のみで維持繁 栄して き たのです。 市野尾 の白石家 に つい ては、 三百年前 の先祖付 に自石 清兵衛が あ り、 ﹁私 の先祖白石伯老日︵ほ うき︶ は阿蘇 大宮司 のご 家来 で、河原村御百姓数代、私 の 親源七から地侍 にな った﹂と記さ れ ています。 しかし、市野尾 に現 存す る先祖塔 には ﹁元祖惟俊 公、 阿蘇 公 の御 一門 にて天正年中当地 高冷地 開墾 に取組 む ■ 口 L ス″ □ 13 と角右衛門 の二家が見えます。 二子石家 に ついては文政度先祖 付 に、村太と勘 三郎が記 され てい ます。 ﹁ 私先祖 は阿蘇殿 の家来 二子石 九郎 工門 の子孫 で農民 に相成 り矢 津田村 の内吉尾野と申す所 で御百 姓とな った。私 は文化 三年御直触 にな った﹂ ︵ 村太家︶ とあ り、勘 三郎 の方 は同族 で峰 の宿村農民と な り、文化 六年 に御直触 にな った とあ ります。九郎左衛門 は阿蘇家 の宿将 で、現久木野村 の二子石を 領知し ていたよう で、今も上 二子 石 にそ の屋敷跡が残 っていると、 ﹁ 南郷事蹟考﹂ に見えます。 黒岩 の森家 は野尻手永 で、最も 早く記録 に見える家 です。 三百年 前 の先祖付 に和太右衛門があ り、 文政度先祖付 に、弥 三右衛門、弥 内、角兵衛 の三家が見えます。 ﹁ 私先祖 は豊後 国玖珠 ︵ くす︶ 郡 の領主 であ ったが、浪人とな っ でし ょう か。 統 計 上 はど う な って いる の 町保健婦 のまと めた死亡者統計 によると、 五十 一年中 になくな っ た人 は四十 三人、 そ の前年が 三十 五人、そ の前 々年 の四十九年が 四 十 二人 でしたから減少と増加 のく りかえしが実態 と いえます。 統計 によると、町民 の死亡原因 の最高 は心臓疾患 です。心筋硬塞 ︵こうそく︶ や心不全、 それ に心 臓 マヒで十六人が他界 しました。 次 に多 いのが脳出血。 いわゆ る高 血圧がそ の主な原因と いわれるも の。昨年、 一昨年 とも同数 の七人 がなくな って います。 いま町民 の 五人 のうち 一人 は高 血圧だと いわ れ ています。 次 に第 二位を占 めている のが ガ ン。 いまでは いちば ん恐ろしい病 行 一昨年 気と いわれるだけあ って、 六人 であ った のが、昨年 は八人 と ふえる傾向が出 ており、恐れず に は いられません。最近 ふえ つつあ るガ ン検診も、そ の対策 への熱意 を物語 っていると いえまし ょう。 ″ガ ンにかか ったら絶対ダ メだ ″ と いわれ ているだけ に、定期検診 による早期発見、早期治療 こそが 助 かる道と いえそう です。 このよう に心臓、 血圧、 ガ ンに よる死亡者が 四十 三件 のうち三十 四件 と七七一でを占 めています。病 気 はい つ襲 ってく るかわかりませ ん。 それが自分 であ り、自分 の家 族 でな いことを い った いだれが保 8月末 から ガ ン検診 始 ま る 障 できまし ょう か。 町 の小椋、橋本両保健婦 は病気 にかからな い早道 であ る健康管 理 に ついて次 のよう に 話 していま す。 ひと 口にいうと規則正 し い日常 生活をす ること です。とく に高血 圧 は食事 に気 を つけ る こと。入浴 も熱湯 や長時間 は絶対ダ メ。脳出 血などにかからな いためには十分 睡 眠をとり、過労 は避ける ことが 大切。自覚症状が なく ても危険 で す から、最低年 に 一回 の検診励行 は守らねば なりません。案外、検 診を受けな い人が思 わぬ病気 で倒 れ る傾向があ るよう です。 しも県対 ガ ン協会 の協力を得 て、 婦人検診 および胃検診を次 の日程 で行う こと にしています。場所、 時 間 に ついては近く回覧 でお知ら 昨年 のガ ン検診 には七百五十 一 せします ので、ご希望 の方 はお申 人 ︵ 胃 二百 三十 五人、婦人 五百十 し込 みくださ い。 六人︶が受診。そ のうち要精密者 ▼婦人検診 八月 二十九 日から九 が 三十人も発見され、 ガンや胃か 月 二日まで ︵五日間︶ いよう の早期発見、早期治療 に役 ▼胃検診 九月十九日から二十 二 立ちました。そ こで、 町では こと 日まで ︵四日間︶ う に忘れられ たよう に寂しく、 わび し い水 のほとりも、 まるで ニンフのよう にこのミソ ハギ の 花が咲 いていると、あ たりが い かにも華 や いで、あげ かけた腰 ももう 一度下 し、ゆ っくリ タバ コを楽 しみたくさえなる ︵ミソ ハギ科︶ 高森町文化財保護委員 佐藤 武 之 花 は池 や沼や無 田と呼ばれ る湿 地 に咲く紫紅色 の花 であ る。 野尻 では時 々 ﹁おや っ、 こん なと ころに沼があ ったかな﹂ と 思 いが けな いと ころで池 や沼を 発見す る ことがあ るが、 このよ だ った。 さ て、話 は脇道 にそれたが、 墓 に捧げ られる野 の花 はす べて 盆花と呼ばれ ていた ので、音 は いち いち名前 を 覚 え なか った が、 そ の中 で特 に私 の好きな の が このミソ ハギ であ つた。 この 古 人 の汗 の結昌 であ る この村 々を 荒廃 から防ぎ、そして護 り通す こ と は現在 の私ども の悲願 でなく て はなら ぬと思 います。 た。中 でも吉 尾野など は、 よほど 裕福 であ ったと見え て ﹁ 野尻美名 録﹂ に、手永平和 二色として、倉 地村ととも に挙げ られ ています。 し、多額 の寸志献金をして在御家 人として高 い地位 を 獲 得 しまし ∧ 社会 教 育委 員 会 ∨ だ け にしま し ょう。 う に︱ 。 ま た初 盆 の接 待 は お茶 初 盆 の接待 は お茶 だ け に/ お参 りす るとき の包 み銭 は、 ロー ソク、線 香代 と いう本 来 の 趣 旨 にかえ り見 え を はらな いよ 立地条件 の悪 いと ころを数代百余 秀 て天正年中阿蘇殿 を頼 みまかり越 した。阿蘇家落去 の際、黒岩村 に て、 この墓掃除 の あ と、酒 や重箱を 角︶ < 持 ち寄 って先祖 を しのび、故人 の思 い出などを語 り合 うならわしで あ った。私 たちは酒を汲 み交 わ 年 に亘 って経営 し、 よい耕地 に仕 上げ た のです。早朝 から 深 夜 ま で、 正 に寝食 を忘れ て 財 を 蓄積 やが てお盆を迎える。平素 は 過疎 の波 に洗 われ て沈滞 しが ち ら、 まだ見 た こともな い爺 ︵ じ い︶婆 や遠 い先祖 のことなどを 聞き覚 えたり、 そ の血を受け継 いだ自分を改 めて意識 したも の ″ふく ら か す大人 のそば で、 し″ と いう万十を ほおば りなが な故郷も、 ち ょうど学校 の夏休 みと重なり、学生 たちはも ちろ ん、墓参 りに訪れ る遠方 の親類 や、 また都会 の就職先 ギ から休暇 で帰 る若者 た ちの華 や いだ姿 や、 は ヽ ず んだ声 で急 ににぎ や ノ かになる。 しばらく の 間楽し い活気 に満 ちた ソ ふんい気に 流れ る こと だ ろう。 、ヽヽ 七日は墓掃除。 一年 間 たま った落葉 をかき、草 を取 り、新 しい竹 のカ ッポに野 の花 が飾られると、寂 しい静寂境も 見違えるほど明 るくなる。私 の 子供 のころは ﹁墓参 り﹂ と い っ 居住任り、御 百姓数代、私 父和太 右衛間が明和年中 地侍とな った﹂ 弥 三右衛門家︶。他 の二家も同 ︵ 田 ● 本 ● 祖 と記 してあ ります。そして弥 三 右衛門家 は、豊後岡原村 に御赦免 開き壱町壱反を拝領 していると記 してあ ることから、 よほど広範囲 に開墾 に努力している ことが わか ります。 以上、 三点とも この地域 で最も ● ー ● ヨK にて住 せられ﹂とあ ります。恐ら く阿蘇家 一門 から家来 にな った の でし ょう。文政度先祖付 には勇助 可 水 の ゴヒ 町 の死 亡者 は 七十 七歳と、世界 の長寿国 の仲間 入りをはたしました。と ころが本 町 ではこのほど昨年 一年間 の死亡統計をまと めました。 この統計 は、毎年 の死亡数 や死亡原因を調 べ、 町民 の保健活動 に役 立 ててい るも のです。 一昨年 の死亡者 三十 五人 に比べ、昨年 の死亡者 は四十 二人と、 かなり の増 加が注目されます。 健康管 理 に定期検診 を 脳卒 中 が依然 ト ップ ―」卜^ 昨年 の死亡統計まとまる 野 尻 イ̀ 一 0 第 216号 り も か た 報 広 昭和52年 8月 1日 昭和52年 8月 1日 り も か た 報 広 第 216号 (つ 研修 ・レクリーにご利用を 000円 町が 五十 一年度事 業として、高 で、施設内部 は老人室 ︵ 会議室︶ 森昭和 の中 川原団地 に 建 設 した をはじ め、調理実習室、青年婦 人 ﹁町民 センター﹂ は、 六月 から 一 室、図書室、視聴覚室、浴室など 般 に開放され ています。 があ り、外 の広場 にはゲートボ ー ル コートニ面も 完備 され て いま す。 利 用 人 員 この施設は老人、婦 人、青年な ど、す べての人が教育 の向 上や レ クリ ェー シ ョンの場として気軽 に 利用 でき るよう に建設 し た も の 100円 200円 11人 ∼ 20人 200円 400円 1・ 21人 ∼ 30人 300円 600円 1,500PI 31人 ∼ 40人 400円 800円 2.000円 41人 ∼ 50人 500円 1,000円 2,500円 51人 ∼ 100人 1,000円 2,000円 3.000EE] 101人 ∼ 150人 1,500円 3,000円 4,000円 んc町 では将来、各分野 の図書を 取りそろえる計画 でいますが、 さ しあ た っては、 みなさ んに寄付 を 呼びかけ ていると ころです。 みな さんのご家庭 で、参考書 や辞典、 単行本など不要 な書物があ りまし たら、ぜ ひご恵贈くださ い。 阿蘇南部地区交通安全協会が高 阿蘇南部地区 の第 五回子供自転 車大会が 七月 二日長陽村 の東海 大 学体育館 で開 かれ、本町から出場 した河原小が 三位 に 入 賞 しまし . た。 ② l792。施設 の管 理、利用受 け付け は管財課が担当 し て いま す。 施設 です。利用 にあ た っては、あ と の利用者 のことを考 え ″ 来 たと き より美しく″ の気 持 で後 始末 に 十分気 を配 って いただき た いと思 います。 なお町民 センターの電話番号 は 同 センターはみなさ んの強 い要 望 で建 てられたみなさ んのための ● 森署と タイア ップ して開 いたも の で、大会 には河原、白水、 久木野 、 長陽、長陽西部 の五 つの小学校 か ら代表各 五人、合 わせて二十五人 の選手が出場しまし た。 昨年優勝 の白水小 から優勝 ト ロ 実技テス トを受ける河原小チーム い つ 同 センターは毎週月曜日が休館 のはかは、 毎 日午前 八時半 から午 後 五時 までを開館。特 別な理由があれば管 理 者 ︵ 町長︶ の許 可を受 け て、午後十時 まで利 用す る ことも でき ま す。 また研修 ・レクリ ェー シ ョンの後に 入浴 も希望 される場合 は、 あ らかじ め申込書を出 していただくと、昼間 に限 って別料金 で入浴 が認 められます。そ の ほか ロビ ー、図書室、 ゲ ートボ ール コートだ け の使 用 は無料。監視 人 の許 可を受け て自由 にご使用くださ い。 子供 自転 車大会 1瑯蹴帥 ● じ 開 館 と ころで現在、図書 室 には蔵書があ りませ 河原小 チー ムが 3位 月 曜 除 き 500円 ま で 10人 金 料 用 利 昭和 52年 8月 1日 り も か た 報 広 第216号 (5) フィが返還 され、 競技説明 のあ と、 第 一競技 の学科試験 から始まりま した。交 通規則と道路標識 の問題 が出され、全員汗を流 しながら解 答用紙 に向ち ていました。 実技 テ ストは体育館 に設けられ た模技道路 で乗車競技を競 いまし た。関門 の順序 を間違えたり、交 コー スから脱輪、 通 ルー ル違反、 乗車姿勢が悪 いと減点 の対象とな ります。会場 には引卒 の先生 や父 兄が応援 に つめかけ、盛 んに子供 たちに声援 を送 っていました。 団体 は各 チー ム上位 三人 の総合 点 で争 われ、千点満点 のうち平均 九百十八点 をと った 白水小が 優 勝、河原小 は八百十 一点 で三位 で したc 詩 画集 ﹁ 阿蘇 の う た﹂ を 出 版 町出身 の島 田画伯 東京 で活躍している本町出身 の 四〇 画家、島田興司さ ん︵ ︶ が、 この ほど詩画集 ﹁阿蘇 のうた﹂ を出版 しましたc 島 田さ んが昨年高森 で入院生活 を送 った際 に墨 で描 いた阿蘇 の ス ケ ッチ画十 四枚 と、阿蘇 に関 した 詩、短歌、俳句が 三十 五ページ に わた って収 められ ています 。 一部 の定価 は五百円。 上町 の吉井履物 店 および旭通 りのレストラン ﹁ク ラウ ン﹂ で取 り扱 われています。 森峠 一帯 の チリ散乱が 目立 つ の で、 チリかご や立 て札を設置 して これ に対 して岩下町長 らは ﹁河 川災害 に ついてはバイパ スエ事 な ど による影響が 大き いので、国県 による全 面復旧も働き かけた い。 水問題 は鉄建公団 のボ ンプ ア ップ で飲料水、 かんが い用水とも順調 に供給 され て いるが、町 は新 たな 水資源を確保す るため、専門家を 招 いて調査 していると ころだ。町 営駐車場 の確保 は、将来高森警察 署が色見寄 りに新庁舎 を建 てる計 画な ので、跡地を 交 渉 してみた い。町営グ ラウ ンド の建設 は 一部 を予算化 しているが、用地 の選定 で難行 して いる。そ のほかの要望 に ついても関係各課と打合 わせて 対策 を講じ た い。 しかし乏し い財 源 に加え、 地域住民 のまとまりも いるので全部 の実現 は難 かし い。 でき るだけ希望 にそう よう努力 し 高森校区婦人会 は町政 に対す る 婦人 の関心を高 めようと、六月 二 た い﹂ と話 していました。 吉森枝区婦人会の町政を聞 く会 ほし い﹂ ﹁高森 保育園を町営化 で きな いか﹂ と いうも のなど。 身 近 か な要 望 が 続 出 十九 日町民 センターで町長 らを招 いて ﹁町政を聞く会﹂ を開き まし 優勝 した後藤建設 (上 )と 下町 ドンキーズ(下 ) 73.57 84.62 76.56 60.87 73.36 83.82 80.65 % の投 票 率 77.80 6﹀ 71.13 78.51 83.61 80.56 84.25 でにな い高 い投 票 率 を示 しまし た。 しかし、 この数字も郡平均 の 八三 。四で に及ばず、部内十 二か 町村 の中 で十 一番目 の投票結果 で した。 選挙 は私 たちが国政 に参加 でき る唯 一の手段 です。投票 日に対す る心構 えを いま 一度 かみしめて、 81.89 参議院議 員選挙 78.30 次回 の選挙 では棄 権される人 のな いよう よろしく お願 いします。 84.86 ハU ︵ X︶ 80.54 さる七月十日 に行 われた参議院 議員通常選挙が 無 事 終 わりまし た。 高森町 の投票率 は保革伯仲 の情 八 〇 ・ 勢が町民 の関心を 呼び、 六で と、参議院 の選挙 では いまま 投票率 所 第216号 り も 83. 高森中 。高両グ ラウ ンドで行 わ れた早起き ソフトボ ー ル大会 には 町内 の強豪 三十 二 チー ムが参加。 五月六日から六月十 四日にかけ、 四パートのリーグ戦 で行われ、 こ れ に勝 ち残 った上位 ニチー ム、計 八 チー ムが決勝 トーナ メントに進 みました。 決勝戦 はベテランぞ ろ いの電電 高森と投手力を誇 る後藤建設 の試 で各 チー ムが実力をぶ っつけ 合 っ た結果、若手を起用した下町 ド ン キーズが優勝 しました。 合となり、初 回 のホー ムラ ンによ る 一点 を守 り抜 いた後藤建 設が優 勝 しました。 また七月 四日から 二十日まで、 高森高校 グ ラウ ンドで行われた ナ イ ター ソフトボ ー ル大会 は三十 三 チー ムが参加。 トーナ メント方式 ナ イ タ ー は 下 町 ド ンキ ー ズ 早 起 き で後 藤 建 設 が優 勝 ①集 落 セ ン ター ②菅 山 集 会 所 ③芹 国 大 師 堂 ④永野原消防詰所 ⑤中 村 集 会 所 ⑥草 北 小 集 会所 ⑦上 在 集 会 所 ③高 森 町 役 場 ⑨南 公 民 館 ⑩色 見 小 学 校 ⑪上 色 見 小 学校 ⑫野 尻 小 学 校 ⑬永 野 公 民 館 ⑭尾 下 小 学 校 ⑮鶴 林 豊 成 宅 ⑮河 原 小 学 校 ⑫本 田 末 久 宅 ・ 訓 ● 高森校区婦人会 か ● 票 投 「町政 を聞 く会」開 く た た。 山村会長 ほか各区 の支部役員 二十人が集 まり、役 場 から岩下町 長 と小鳴町民課長 が 出 席しまし た。 山村会長 のあ いさ つのあと、岩 下町長が町政 の概況 に ついて話が あ り、 このあと質疑 に入りました が、婦 人側 から環境美化 や建設 工 事など身近 かな こと に ついて活発 な質問が でました。 おもなも のは ﹁上在、津留地区 は毎年河 川災害 にあ っているので 国鉄 ト ン 対策 を講じてほし い﹂ ﹁ ネ ルの水問題 のそ の後 は︱﹂ ﹁町 営駐車場を確保 してほしい﹂ ﹁高 ソフ トボール (6) 報 広 昭和52年 8月 1日