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1997年度(第4回) - 関西大学 工学部 化学工学科

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1997年度(第4回) - 関西大学 工学部 化学工学科
関西大学工学部化 学工学科
第
4回
1
99
8.3.発行
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同 窓
会
報
〒5
6
41
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0吹 田 市山手町 3丁 目 3-3
5
℡・
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同 窓 会 編 集 委 員全
発行
く
く
く定年 に際 して)
)
)
「
寅年の定年退職 蔓
こ想 う」
化学ユ写 科教軌
西
村
山 ソ治
年改 ま r
)、関西大学 に とって百十二
∴隼 田の滑 々 しい新春 を迎 えた
か、同時 にわがユニ
学部 に とっては創立凹十周年 とい う記念すべ き意
義深 い年 を迎 える。 ところで今年 は二
1
一
・
文 でい うと伐寅 (
つ ちの え と
ら)にあた る。
十文 は紀元前の古代 中凶、周氏 に始 ま り、戦 国か ら湊代 にかけて
繁 った もので、わが国へ は仏教伝来 と共 に伝 え られてい る。元来干
支 は当:
命 あ るいはエ ネル ギーの成長、発展、収縮 す る変化の過程 を
J
J
消臥 約説 した ものであ る。寅 は虎 を指す ようであ るが、本来動物 は干支の意味 とは何 の関係 もな
文 が普及す るにつれて古代 中匡1
人の誰かが、一・
般庶民 に i
)
理解 し易い ように と、動物
かったが 、lJ
を大 々にオーバー ラ ップ させ て説 いた もの ら しい。十二■
.
支 は もともと時間の動 き、特徴 を表 わ し、
寅は一・
日の時間で去 えは午前 糾畔 か ら六時の間、季節 は二 月で、寒 さで凍 った土が融 け始 め、草木
の新芽 が陽春 を待 ちわびて敵 を出そ うと してい る時期 にあた る。古代 人は生命 力が発展 して勢 いが
盛んになる生活環境 をみて、当時の人間に とって巌 も威勢の よい動物は虎であ るという見方か ら 「
寅」
に虎 を当てた らしい.
虎の飼育者に よると、虎 は利 El
で気高 い動物 で、無駄 な動 きはせ ず、寝 ていて も耳 は音のす る方
向 を追 っていて、 いつで も飛 び出せ る態勢 をとっているとい う。虎 に関す る諺 も多い。虎穴 に入 ら
ずんは虎児 を得ず,虎 は千 旦行 って千浬 を帰 る,虎の威 を借 る孤,虎 口を脱す ,虎視 耽 々等 々。昨
今ア ジア通貨不安、株式市J
場 の混乱 、金融機 関の波綻が続 出 し、景気 は不透 明で足踏 み状態 とい う
か、下降気味、 日本経済 は'
菖ってない ような不況 に嘱 し、
でお り、産業の空洞化、社食 の活力の喪失、
生活水草の低 卜が懸念 されているが、今年 は寅年、景気か悲 い悪 い と騒 いでい るだけでは よ くな ら
ないO 同窓会諸氏、一・
人-1
人がいい意味の 自信 を もって、次世代 の こ とを考 えて虎の ように千里 を
往復す る心情で、 ピンチはチ ャンスであ ると虎視耽 々と機会 を窺 い、勇猛 な虎の威 を借 りてで も元
気 を出 して、虎穴 に入 らずんは虎児 を得ず とい う心構 えで、昨今の深刻 な不況の虎 口か らの脱 出 を
試みては。
本学 におけ る退職 は70才O70才 をい うと "
70に して心の欲す るところに従 え ど i
)
、紬;
をこえず"
論語 にT
L・
う従心. また70才 とい うと人 目に恰 英 しているの は古稀、杜南の詩 "曲江"の 中の "人生
七十古来稀 な り"。文字通 り古柿 は古米稀 な りですが、確 かに嘗 って人生50年の時代 には70才 とい う
と古来稀 であ ったが、 しか し、巌近 日本人男性の平均寿命約78才 とい う時代 では、70才は まだ まだ
人生の一里塚。 ウ イク トルユー ゴーは ー
40才は青年の老年期 であ り、50才 は老年の青春期 , と書 い
てい るが、現代風 では "
60才は青年の老年期 であ り、70才は老年の青春期 "
。人は年 を重ね るだ けで
は老 いない。現想、夢、 ロマ ンを失 う時 に初めて老 いが来 ると朝 いて、 自らを奮 い立 た させ てい る
今 日この頃であ る。
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I 笠l
「業
こ聞 く"
「
雇用 を創造確保 出来 る人 になれ」
・
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i コニ シ株式舎 1
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(
昭 利47年卒)
}
L 取締役 副社長 小 西 哲
人
徳永淳次先生の移動現象研究室 を卒業 し、法学部 に細 入、 その後
名古屋の全社 に 3年間お世 話 にな りま した。 それか ら父の全社 に入
りま した。工学部 と法学部 を経験 して、考 え方 に大賓幅が出来 ま し
X、徳永先生 を始め諸先生方に教 えて頂 いた多 くの革 が、現在の
たo
7
才の時 i
こ、異業種 の友人 を持
私 に大変影響 を及ぼ してお ります。3
とうと思 い、青年会議所 に入 りま した。 日米構 造摩擦 問題 (
規制緩
和)時 に、阪大経済学部の蝋 山先生の下、 日経新 聞、テ レビ、雑誌
記者 と共 に米国 にキ
ー
Jきま した。 それ まで勉強 して きたこ とを光 と して言 うべ き雛 をはっき り運へ る
と、 ミネソタ名誉市民 になれ ま した。
今 までの経験 か ら皆様 に何 か役 に立 つ事 をと思 い、 この文章 を書 きま した。入社 6ケ月後 、オ イ
ル シ ョ ックにつ まず き突然会社 が銀行管理 にな り、8
00人の社 員 を400人にす るとい う再建案 が打,
さ
れ、希望退職 が実施 され ま した。新入社員研修 中の私 は、 人事 課に配属 され ま した。辞 めていかれ
た人の 中には、慣 れない仕事場 で機械 に巻 き込 まれ片足切断、あれほ ど元気の良か った人が 、 1カ
月後突然亡 くなった リ、同期 に入 った社員のお父 さんか ら、息十の退職 を止めて欲 しい との相談等、
悲 しい事がた くさんあ りま した.雇用不安の ない生活 を皆 が送 れ るために、安心 して働 く所があ る
とい う事が、生 きてい くための最 も基本 にt
よる事 てあ ります. 収 入が下が り、物 が売れないO次世
代の教育水準が下が る。働 く所 が ない人は、食べ るため に犯非 を犯 し、 このため拘置管用 な ど後 ろ
向 きの管用がか さみ、税収 が上 が らないので、経済柱の ひ とつであ る道路 、通信等の社会L
生活の環
=
C
)
)られ老後 も大変 に
境整備 ・拡張が出来 な くな り、凶民のパ ワー を出 し切 れないO社会柚祉 は打 ち・
を一
穴 悪 い方へk
p
Jってい きます。
何 をすべ きか。経済か地球規模 になってい るので、社会 に山 る前 にあ る程度の語学 力は身 につけ
よう。英語は発音が下手で も大丈夫O米 国は移出の集 ま りで、それぞれの出身凶の靴 リで話 してい
る。相 手に通 じさせ ようとす る意志 と内容 と、広辞苑付の英和 ・和英辞典 があれば、会話の内容 も
広が り、便利 この上 あ りませ ん.
老子が孔 子に餓別の言葉 と して送 った 「
頭の良 い奴か よ く足 をす くわれ るのは、他人 を批判 しす
ぎるか らだO訳知 りが よ く危 ない 臼に遭 うの は他人の態 を暴 くか らだ. 自己主張 は控 えめ に して他
人について配慮す る事か大事。」物事 は どこかで妥協 しなければな らないので、プ ライ ドの高 い柏 手
には、全面否定せずに、良 い意 見だ、だけ どこの部分 はこ うすれば もっと良 いの ではないか、 とい
うように話せば相 手 も聞 き入れ易 くな ります。 これが許す時のマナーです。
本 については、活字にな ると人は信用 して しまうが注意か必要。読 ませ るため に大袈裟 に苦 いた
りす るこ とか多い事 を理解 した」_
て、 いろいろな本 を読 む こ とは大 いにためにな ります。勉強会 に
も大 いに出て、大 いに研績 して くだ さい。
質の高 い情報 は、集 まるべ き所 に集 まってい るので、大学 を出てか ら も勉強 し、然 るべ き人の い
る金 に入 り人脈 を増や し、質の高い友人 を作 るこ とに も心掛 けて頂 きたい.新製品の寿命 は30年、
全社 は30
年 で6
0%倒産、いろんな分野で活躍 され るこ とを祈 念 いた します。
1
9
9
7
年度 の 9月末 よ り関西大学在外研究員 と して 1年 間 ア メ リカ合衆 国 にあ ります Te
x
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sA&M
Uni
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yの化学工学科 で共 同研 究す る貴重 な機会 を得 ま した。 まだ研 究 を開始 したばか りですが、
化学工 学科 の 同窓生の皆様 に近 況 をご報告 いた します。
留学先の テキサ ス A&M大学 はア メ リカ合衆 国
の 由 部、 カー ボー イ (
午 ) と石 油 で有 名なテキサ
ス州 のガ レッジステ シ ョンにあ ります。 この大学
は ヒュ-ス トンの北 方、車 で約 1時 間30分 の とこ
ろに位 置 します。 この町 はその 名の通 り、学生町
で大学 を中心 に開 けた田
」といえます。 テキサ スの
矧 酎 ま、暖 か く、朝 は少 し寒 い程 度 で 、 1月で も
日中は半袖 で十分 です。朝 晩の温度差 が大 き く、
2
0
℃ にな るこ と もめず ら しくあ りませ ん。午後の
l
j差 しは とて t
)きつ く、家 r
ノ
」も私 もサ ングラスは
外L
I
J
.
時の必需 品 とな ってい ます。物価 は 日本 に比較 して低 く、特 に牛 肉な どの肉類 は安 く、 日本の
2分 の 1以下 で驚 きま した。 (
味 の ほ うは もうひ とつ ですが ?)
テキサ ス A&M大学の学生数 は 4万 5千 人で全米 で i
)
大 きな大学 の 1つ に数 え られ てい ます。広
人 なキ ャンパ スには各種研究施 設が ゆ った りと配置 され、 E
l
本 と違 って駐車場 も十分 にあ りますo
近代 的 な 2つの ライフラ リー (
Evans
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yとGe
or
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ibr
ar
y)には毎 日多 くの学生や研
究者 が きて、夜遅 くまで利糊 してい ます。特 に、今年 オープ ン したばか りの Ge
o
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geBu
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hLi
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ar
yは
7、
ッシュ元大統領 の寄贈 に よる もの で、昨年11月 7日には ク リン トン現大統領夫妻 、ブ ッシュ、 カ
ー ター、 フ ォー ド元入統 紬夫妻 の歴代 の大統 領の 出席 す るなかオープ ニ ングセ レモニ ーが盛 大 に行
われ ま した. これ らの大紋錦 を一度 にみ るこ とは、 日本 人の私 には大変貴重 な機 会 で した。 また、
J
i
l
入 る:キ ャンパ ス内には 77j人収 容 で きるア メ リカ ンフ ッ トボールの ス タ ジアムや ゴル フ場 な どが
あ りますO この大学 は農学系、獣 医学系 の学科 も有名で、 それ ぞれ広大 な試験場 を所有 してお r
)、
これ らの敷 地 も加 え る と関画 人学 の 1
0
倍 以上?だ と思 い ます。
化学系 の学科 は特 に規模 か大 き く、充実 してお り、専 任の教 員数 は ノーベル賞受賞者 を輩 出 して
い る化学 で4
9人、化学ユニ
学2
4人、生化学30人ですO 私 は同大学 の化学工 学科 の Ha
l1
教授 の指導 の も
とTh
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oupで研究 を開始 す るこ とにな りま した。
研 究室 は大学 内のZachr
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rにあ る化学工 学科 とThe
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rの 2カ所 に個 室 を頂 き
ま した。 これ らのオ フ ィスを拠 一
項 こして研究活動 を行 ってお r
)ます。現在 は毎 日悪戦苦闘の・
忙 しい
毎E
Jを送 ってお ります 。Ha
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教授 は化学1 学科 の教授 で あ り、Th
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r
mo
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のデ ィレクター (
ス タ ッフは2
0名) も兼任 されてお り、 ご多忙 な先生 ですが私 に とっては大 変勉強
にな ってお ります。
関西大学 しか知 らない私 は、 ここに来 て本 当に良 か った と思 い ま した。 多 くの若 手の研究者 (
助
教授や Ph.
D.
)に出会 い ま した。みん な とて も明 る く暢気 で、私 を迎 えて くれ ま した。 どの学科 も国
際 色 は豊 かで、ア ジアか らは中国、韓 国、 イ ン ドネ シア、 イ ン ドか らの学生 が 多い と思 い ますO テ
キサ スの E
U合 に位 置す るため か 日本 人は少 ない ようで、化学工 学科 にはた った 1人で したO若 手の
研究者 た ちほ どのセ ミナ ーで も活 発に発言 し、 その頼梅 的 な研究態度 は私 に とって とて も強 い刺激
(
研究意欲 ) にな ってい ます。 また、化学工 学科 は毎週金曜 日に学外の著 名な教授や企業 の研究者
を招 いてセ ミナー を開催 してお ります。最 先端 の研究 発表 を聞 くこ とがで きるこのセ ミナ ーには、
化学工学科のほ とん どの教授、肋教授 と大学院生が顔 をそろえ、学生の研究意欲の啓蒙に役立 って
います。また、先 日 Gr
aduat
e Re
s
ear
ch Sympos
i
umが開催 され ま した。この シンポジウムは2
0才
ほどの企業の研究者 を招待 して、大学院生が 自分の研究発表す る研究発表討論会で、テキサスにあ
る化学系の全社の研究員の厳 しい質問に大学院生が熱心に答 える姿 に感心.
させ られ ま した。
その夜のデ ィナーパーテ ィでは招待者の審査 によって優れた研究 3件が学科主任か ら発表 され表
彰 され ま したO この ように大学 と全社が協力 して行 う企画 も多 く、企業 は良い人材 を、学4・
:
は 自分
を売 り込むのによい機会 となっていま した。
まだ 3カ月半 しか経過 してお りませ んが、アメ リカ生活か ら多 くの ことを学んでお ります。 この
ような機会 を頂 いたことを心か ら感謝 いた してお ります。 しっか りと体験 し、帰国後 は母校で少 し
づつ生か してい きたい と思 います。研究 はこれか らですが機会がござい ま した ら、 またご報告 させ
ていたた きます。
教 室 だ よ り
西村 山治先生退職 記念講演 お よび祝賀会の ご案内
西村 山治先生が本年 3月末 日をもって定年 を迎 え られ ます。先生は昭和 45
年 4月に本村 に着任 さ
8
年の長 きに亙 り、教育 と研究 を通 じて人材の育成 と化学工学科の発展に尽力 され、大 き
れ、以来 2
な功績 を残 され ま した。 また、工学部長や理事 な ど大学の根幹 となる要職 を歴任 され、大学の運営
に も多大な貢献 をされ ま した。
このたび、関西大学 ご退職 を機 に、先生のこれ までの ご功績 を記念 し、あわせ て感謝の微意 を表
すため、下記の ように記念事業 を企画 しま した。つ きましては、多数の卒業生の皆 さんにご協 力下
さいます ようお願 い申 し上 げ ます。
西村 山治先生退職記念事業実行委員会
記
◆日 時 :平成 1
0
年 5月2
3日(
土) 午′
後 3時 より午後 6時 まで
◆場 所 :「
都 ホテル」京都市東山区三条蹴上 TELO7
5-7
71-71
11
◆食 費 :パーテ ィ会費 2
0,
0
00円 記念品代含む)、同伴者 1
0,
0
00円
拠金一 口5,
00
0円
◆連絡先 :西村 山拍先生退職記念事業実行委員会
〒56486
80吹田市山手町 3
335 関西大学工学部化学工学科 内
TEL0636
811
1
21(
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88
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く
平成 8年度入学生 よ りコース制導入 され る〉
化学工学科 では、化学反応や化学的僚理の教育 と研究 を基礎 として、単位操作の設計、運転の方
法論やプ ロセス全体の開発、計画、設計、すなわち化学製品の生産 に関す る基盤の工学の教育 と研
究 を目的 としています。私 たちの周辺 を見回 しただけで も、化学的な生産 による物質や製品の恩恵
を受けていることがいかに多いかが理解 で きると思 います。
しか しなが ら、 これか らの化学生産技術 は新素材生産、エ ネル ギー転換技術、バ イオテ クノロジ
ーお よびフ ァク トリーオー トメーシ ョンな どを含めて地球規模の資源 ・エ ネル ギー、環境 問題 か ら
見て も合理的 な化学生産プ ロセスであ ることが必要です。 この ような観 点か ら、
平成 9年度 に資源 ・
エ ネル ギー コ-ス と環境 ・プ ロセスコースの 2つの コース を設置 し、省エ ネル ギーお よび地球環境
適応型の化学生産技術 についての教育 をさらに充実 させ ようと してい ます。本学科 では、 この よう
なフロンテ ィアの開拓 に弾 力的 に取 り組め る技術者の養成 をめ ざ してい ますO
なお、各 コースに所属す る研究室 は以下の通 りです。
★資源 ・エ ネル ギーコース
抽 出工学研究室 (
西村 山治 教授 ・佐野 誠 肋手)
資源循環1学研究室 (
芝 別隼次 教授 ・山本秀樹 助教授)
触媒工学研究室 (
鈴木俊光 教授 ・池永直樹 専任講帥)
エ ネル ギー化学二
L学研究室 (
竹原善一・
郎 教授)
機 能表面」二
学研究室 (
小仕順 和 助教授)
★環境 ・プ ロセス コース
低温化学二
l
'
/
i'
:
研究室 (
柚村 i
l
i教授 ・伊与木茂樹 専任講帥)
反応 システム1学研究室 (
室 山勝彦 教授 ・林 順一・専任講師)
プ ロセスシステムl学研究室 (
中西英二 教授 ・青木 功 専任講師)
分離 システム工学研究室 (
三宅義 和 教授)
■編 集 後 記
H
l
耳 か ら介業 においては了 リス トデ 'や "
生 き残 F
)作戦 "が真剣 に取 リ組 まれてい ます.大学 に
おいて も、1
8才人 Hの減少 によって⊥
=二冬の時代 を迎 え ようとしてい ます。 各大学共 に、自己点検 ・
糾 軸を導 入 して7
7,
1
4:
北 を計 った リ、産学共同研究 を促進 す るための研究機 関 ・
組織 の新設 を行 い、
魅
ノ
Jのあ る学府 に改善 しようとす る努 力か進め られてい ます。我 が化学1学科 も平成 8年度入学生 か
ら、「
資源 ・エ ネル ギー」 と 「
環境 ・プ ロセス」の 2コース制 を実施 しま した。工学部 につ いては、
- イテ ク リサーチセ ンターお よび学術 フ ロンテ ィアが新設 され ま した。
さて、ユニ
学部創立 40周年 を迎 え、教室 を構 成す る教職 員に も時代 の流れが感 じられ ます。昭和 45
年 にL
,
j
.
;
都大学 よ り本学 に者任 された軸村 山拍教授 は、本年度 を i
)つて定年退職 され ますo教学 ・研
究の傍 ら、⊥二
学部長や学校法 人関西大学の理事 を歴任 され、二
L学部の発展 に多大 な る功績 を挙 げて
お られ ます。本会報 に 「
寅年 の定年退職 に想 う」 をご寄稿頂 きま した。 なお、先生 は退職後 も非
常勤講帥 と してお越 し噴 くこ とになっています。 つ ぎに、昭和4
7年の卒業生の コニ シ (
柿 )副社長
の小西照夫氏 には、様 々な人 とのt
L
J
.
会 いや 人生経験 を交 えて、企業の トップ と して 「
雇用 を創造的
に生みt
l
J
.
す能 )
)」の必要性 を提案 して頂 きま したo最後 に本学の卒業生の山本秀樹肋教授 には、留
学先の米 凶A&M入学の レポー トをお願 いいた しま した。 先生 な らびにご家族の ご健康 を願 うと共
に、益 々の ご活躍 を教室-同期待 してお ります。
なお、平成1
0
年度の研究室紹 介や人員の構 成 につ きま しては、次号でお伝 えす るこ とに致 します。
I
i
i
j
窓会諸氏の ご健康 とご活躍 を願 ってお ります。
(
小目
_
l
腐私 )
平成 8年度化学工学科 同窓会会計報告
(
平成 8年 4月 1日∼平成 9年 3月31日)
入
収
費
目
予
算
実
支
差 額
行
費
目
0 ,
S
,
'
5 %
31
3,
322 3,
313,
322
前期繰越金 3,
予
出
算
実
差
行
額
%
10,
000
4,
2
00
5,
800
入 会
金
82,
000
64,
0
00
1
8,
000 会
報
常
500,
000
31
8,
411
1
81,
5
89
金
管
9
00,
0
00
52
4,
000
3
76,
000 事
務
貿
40,
000
1,
503
38,
497
銀 行 利 子
30,
000
21,
926
8,
074 通 信 賓
卒業記念品
20,
0
00
70,
000
6,
2
40
31,
500
1
3,
760
38,
5
00
曹
216,
000
.
21
6,
000
0
薯
2
0,
000
81
3
1
9,
1
87
次期繰越金 3,
449,
322 3,
3
44,
5
81
1
04,
741
人
件
雑
平成 8年度化学工学科 同窓会会計監査報告
平成 8年度の化学1学科同 窓会の合計報 寄書 に従 って,
〟金銭 出納帳
について慎重 に会計監査 を打
挙
ド
.
確 であ り、 その記述 内容 に和
った結果、平成 8年度化学工学科 同窓全会計の遂 鞘状況 は厳丑 かつj
違かないこ とを認め ます。
平成 8年度化学工学科
同窓塗 合計監査委員
伊与木
茂
樹
阪
勇
輝
元
-1J
平成 9年度 同窓会予算案
(
平成 9年 4月 1日∼平成1
0年 3月 31日)
入
収
前 年 度 繰 越 金
入
会
会
銀
行
利
化学工学科同窓会
支
3,
344,
581
総
出
合
賓
1
0,
000
金
85,
000
会
報
常
5
00,
000
費
600,
000
事
務
督
40,
000
子
20,
000
通
卒
信
業
記
念
督
20,
000
品'
,
70,
000
薯
216,
000
常
20,
000
次 年 度 繰 越 金
3,
1
73,
5
81
人
経
件
Fly UP