...

旭陵倶楽部 第25号(2015年/平成27年度)の会報

by user

on
Category: Documents
35

views

Report

Comments

Transcript

旭陵倶楽部 第25号(2015年/平成27年度)の会報
DQQXDO [ 旭陵倶楽部 ] YRO 2015 年7月18日発行
ះ ఢ ๚ ૚ ଝ ମ ෿ ୂ ୸ எ ந ૤ ዂ ᴶ ᰡ ୊ ૥૚ ౳ ၙ ଫ ଂ ୋ ọ
ᑏ
᫊
ଯ
᪘
ᶃ
ସ
[ 特 集 ]
西高のクイズ王は誰だ?!
下関縦断ウルトラクイズ
追悼
『西高のインディー・ジョーンズ』西村昌也君を偲ぶ
登録者名簿付き
ଡ
ଣ
Ḓ
ጒ
ଌ
ᴋ
௴
ୄଣ଱
ୃắ
2014 年度 東京支部総会・懇親会
7月19 日
(土)
坂本副市長
栗明東京支部長
宮崎先生
木下旭陵同窓会会長
金田先生
田坂校長
桐原先生
岡村 60 期代表幹事
山下 60 期代表副幹事
015年度
2015年度
UNDER50 の会
4月18 日(土)
衆議院議員 桝屋敬悟氏
ଔ ଂ ଄ କ ତ
故郷を熱く語ろう
西高創立100周年に向かって
旭陵同窓会東京支部長
旭陵同窓会会長
栗明 純生
木下 毅
(第 46 期生 /1969 年卒)
(第 37 期生 /1960 年卒)
皆さん、当旭陵同窓会東京支部の活況は依然として続いていること
平成27年度旭陵同窓会東京支部総会が「やっぱ下関が最高っ
をまずご報告したいと思います。 当支部総会には昨年も450名近
ちゃ!」のスローガンで盛大に開催されますことを心からお喜び申し
くの卒業生が集い、手作りの映画やAKBのダンス「恋するフォーチュ
上げます。
ン・クッキー」に老いも若きも熱狂しました。 我々もこの熱気を維
旭陵同窓会の会長になってもう3期目になりました。100周年実
持し、4年後の下関西高創立100年に貢献できればと強く願ってお
行委員長も引き受けているので、もう少し続けようと思っています。
りますので、皆さまの引き続きの厚いご支援をお願いいたします。
オリンピックの前年の2019年の下関西高創立100年記念事業が
さて、我が国は近隣諸国との難しい外交局面に遭遇している昨今で
かなり煮詰まってきました。今のプールを2016年夏には取り壊し
すが、折しも現在NHKの大河ドラマでは、松下村塾に集う明治維新
て、セミナーハウス(仮称)を建てる予定にしています。免税になる
の礎となった若者群像をとりあげています。 皆さまよくご存知のよ
寄付金を来年度から2年間で集める予定です。ご協力をよろしくお願
うに、時は黒船に右往左往する幕末、まるで解のない方程式のような
い致します。
局面を、若者たちが死を して大活躍することによって、あの起死回
名簿作成もやっと軌道にのってきました。皆様のご協力によりこの
生の明治維新に導いたわけです。 現在の混沌とした対外情勢下、何
秋には発行できそうです。ブランクが長かったので充分に資料がそ
か暗示的な事のように思えてなりません。
ろっていません、東京支部の名簿も参考にさせていただきました。各
ここで経済に眼を転じれば、長く続いた為替レートの極端な歪みか
期の幹事さんを中心に情報をまとめていただくとありがたいです。名
らやっと解放され、
日本経済は漸く離陸局面に差し掛かり、
いわゆる「喪
簿の購入もよろしくお願いいたします。
われた20年」を脱却しつつあるように思われます。 求人倍率は上
数年前、アフガニスタンで医療活動をされている中村哲さんのお
がり、
自殺者は減少しています。 デフレを克服する日も近いでしょう。
話を伺いました。改めて日本人と分かるととても尊敬されたそうで
今こそ日本はこれまで蓄積されてきた資金、産業、技術力を遺憾な
す。それは2つの理由からでした。一つは日露戦争に負けなかった
く活動させるべき時だと感じているのは私だけではないと思います。
事です。アフガニスタン人は地理的な関係でロシアの強さと怖さを
この旭陵同窓会に集う多くの若者や壮年の皆さんに、そのエネルギー
知っていたからです。これで日本もロシアの属国になってしまうの
を遺憾なく発揮してもらえる日が、やっと来たと言えるのではないで
だと、かわいそうだと思っていたとのこと。それが負けなかった事
しょうか。
で尊敬していると。2つ目は唯一の被爆国である事、第二次世界大
この極めて多彩な職種、年齢、階層からなる旭陵同窓会の皆さんに、
戦後の荒廃から見事に立ち直り経済大国にまでなった事を尊敬して
是非そんな日本再生の原動力となっていただくためにも、年に一度、
いるという事だそうです。
一堂に会し、共に食べ、飲み、故郷下関と西高をしみじみと思い出し、
外国の人から学んだような気がします。今まさに日本の良さや伝統
そして現在を熱く語り合おうではありませんか。
を再認識すべき時期ではないでしょうか。下関西高同窓生は日本の指
導的立場になられる方々です。100周年に向けてさらなる活躍をさ
れることを大いに期待をしています。
3
高い塔を立ててみる
創立百周年に向かって
山口県立下関西高等学校校長
旭陵同窓会幹事長
首藤 裕司
判野 充昌
(第 37 期生 /1960 年卒)
旭陵同窓会東京支部の皆様には、御健勝にて御活躍のことと心から
盛夏の候、東京支部の皆様には、ますますご清栄のこととお喜び申
お喜び申し上げます。同窓生の皆様方には、平素から本校の教育推進
し上げます。
に格別の御理解と御支援をいただいておりますことに対し、深く感謝
最近は、毎年全国どこかで天変地異による大きな災害が発生してお
ります。昨年は隣県の広島県で、土砂災害により74名の方がお亡く
申し上げます。
なりになっています。一方我が下関市は、昭和47年以降大きな自然
この4月に御退職された田坂祐治前校長先生の後任として着任いたし
災害もなく、気候も温暖でありその上景観もよく食べ物もおいしく非
ました。
「天下第一関」の校是のもと、まもなく百周年を迎える歴史と
常に住み易いところです。リタイアした後は、是非、安全・安心な故
伝統ある本校の校長として、身の引き締まる思いと大きな責任を感じ
郷に帰って暮らしてみてはいかがでしょうか。
ております。昨年度までの3年間、県の教育行政の一端を担わせてい
さて、
母校は学校創立百周年(平成31年)
まであと4年となりました。
ただきました。微力ではありますが、これまで得てきた知識や経験を
平成25年に設立した百周年実行委員会(同窓会、旭陵教育会、学校
PTAで構成)
では、
現在まで10回会議を行い、記念事業の計画に取り
本校教育の発展に生かすとともに、初心に戻って日々の教育活動に全
組んできました。これまでまとまった事項について報告します。
力を尽くす所存であります。
◇記念事業の内容
さて、今春も新たに 241 名が卒業し、同窓会の会員となりました。大
(1)学校の要望の強いセミナーハウス(仮称)の建設(建設費用:1億6千万円)
学入試では、現役の合格率・進学率が大幅に上昇し、昨年度より 20 名
(2)百周年記念誌の刊行
増加した 105 名が現役で国立大学に合格するなど、着実に成果をあげ
(3)式典、祝賀会、モニュメント等資金の調達
てくれました。私立大学も含めここ東京にも多くの卒業生が進学して
(1)旭陵教育界の基金 9千3百万円のうち、セミナーハウス(仮称)建設のため
おります。
4千3百万円を取り崩し流用する。
(2)募金活動 個人1万円(一口)
、法人5万円(一口)以上をお願いする。募金
私は、入学式の式辞の中で、
「高い塔を建ててみなければ新しい地平線
期間は平成28年4月から2年間とする。
は見えない」という小惑星探査機「はやぶさ」の川口淳一郎プロジェ
クトマネージャーの話をいたしました。生徒たちにはプライドととも
以上のことが、方針決定しています。
に、高い志を持って日々大切な高校生活を積み重ねて欲しいと思って
同窓生も数多い東京支部の皆様には、記念事業の実現に向けて強力
います。高校教育や大学教育が大きく変わろうとしている中で、地域
なご支援を賜りますようお願い申し上げます。
の進学拠点校として、数多くの素晴らしい伝統をきちんと残すことは
次に「同窓会名簿」の発刊の進 状況についてご報告申し上げます。
昨年の12月に第1回目のデータ照会を集計しました。その結果、
もちろん、変化する社会が求める人材をしっかりと見定めた上で、下
調査票を送付した 16000 人のうち、宛先不明で返却されたものが
関西高校らしい新たな取組を行うことも必要となっています。同窓生
2700 件、受け取ったが返答なしが 10700 件あります。現在のデータ
の皆様や地域の期待に、これまで以上に応えていけるよう、教職員一
を各期の常任委員の皆様にお渡しし、各期のデータ不足な部分を補足
丸となって学校運営に取り組む覚悟であります。
し、名簿の精度を上げることとしています。おって、第2回目のデー
最後になりますが、旭陵同窓会東京支部の益々の御発展ならびに会員
タ照会を行い、今年の秋には名簿刊行できるよう努力しております。
の皆様の御健勝を祈念して、御挨拶といたします。
皆様のご協力をお願い申し上げます。
終わりに、母校の発展のため一層のご支援、ご協力をお願い申し上
げます。
4
ご 挨
拶
同窓会幹事活動の想いで
同窓会と思うな、人生と思え!
2014(平成26年)
年度当番幹事代表
2015(平成27 年)
年度当番幹事代表
岡村 洋巳
内田 圭介
(第 60 期生 /1983年卒)
(第 61 期生 /1984 年卒)
旭陵同窓会の皆さま、下関のご関係者の皆さま、昨年の当番幹事で
旭陵同窓会東京支部の皆様へ
ある私たち60期の活動に多大なるご支援・ご協力をいただき、誠に
時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
ありがとうございました。皆さまのお力添えのお陰をもちまして、総
本日、平成27
(2015)年度、旭陵同窓会東京支部総会・懇親会を
会は450名近くの同窓の皆さまにご参加いただき、盛会のうちに終
ロイヤルパークホテルにて開催することができました。ご出席を賜
了。無事幹事の大任を全うすることができました。厚くお礼申し上げ
りました同窓生の皆さま、そして開催にあたりご支援をいただきま
ます。
した皆様に心より感謝の言葉を申し上げます。
また、総会開催におきましては、栗明支部長・木村副支部長をはじめ、
昨年11月に 東京支部の運営をお預かりし、旭陵同窓会の伝統を未
59期の先輩からの継続したサポートがあってのことだと、60期幹
来へ繋いでいくために、私たち61期生は日々活動してまいりました。
事団一同、強く感じており、心より感謝申し上げます。
不行き届きな点もあろうかと思いますが、お時間のお許す限りご歓
私たち60期は総会に向けて、全国から約30名の同期が Facebook
談いただき、故郷や母校の話で盛り上がっていただきたく存じます。
に登録、連絡を取り合い、約1年間かけて総会の準備を進めてきました。
今年のテーマは、
『 やっぱ下関が最高っちゃ!』です。下関を思い出
日頃から連絡を取り合っている同期、卒業以来、30年振りに再会し
し、改めて下関を知り、下関を最幸の場所として感じていただく意
た同期、西高在学中はほとんど話しもしたことがなかった同期、色々
図で「下関縦断ウルトラクイズ」と題したイベントや、故郷の名産
な再会がありました。西高卒業後、それぞれ歩んできた道は異なりま
品が当たる抽選会を準備しております。最後までお楽しみください
すが、さすが西高、各々が個性的で優秀な仲間たちに、改めて賞賛と
ませ。
感謝の想いを伝えたいと思います。
私は『仕事と思うな、人生と思え!』という言葉が好きです。
「今こ
懇親会の内容に関しましては、全ての参加者の皆さまがご満足いた
の瞬間、目の前に起きていることに真剣に向き合い全力投球して、
だけるようなイベント作りを心掛けました。テスト期間中にもかから
そこからの学びを得ながら素直に成長していく」という強い思いが
わず母校にムービー撮影の許可をいただき下関ロケを行いました。ま
込められています。
た、参加者の皆さまを飽きさせない工夫としてムービーを3部作にし、
私たち61期生は『同窓会と思うな、人生と思え!』をチームスロー
ムービー内容とダンス大会をシンクロさせました。準備は大変でした
ガンに掲げ、自分たちはもちろんのこと、ご参加いただく皆さまに
が、とても楽しかった想いでになっています。
とって最幸の出会いの場となり、旭陵同窓会ならではの創発が生ま
最後に、今年は61期生の皆さまが、
「やっぱ下関が最高っちゃ !」
れる場を提供すべく総会の準備を進めてまいりました。
をテーマに総会の準備をされています。同窓生の皆さまのご賛同・ご
本日の出会いが、そして旭陵同窓会の活動が、皆様にとって大切で
参加により、総会・同窓会が大成功するよう心から祈念し、昨年度代
かけがえのないものになることが出来れば、私たち幹事団は最高に
表幹事としてのお礼のご挨拶とさせていただきます。
幸せです。
最後になりましたが、旭陵同窓会のますますのご発展と、同窓生の
皆様のご健勝を心から祈念いたします。
5
雑感 part-2
2015 年度旭稜東京支部総会幹事の皆さん大変ご苦労様です。
61 期のみなさんが 1981 年西高入学以来私はこの学年を担当させて頂きました。今日その 3 年間の記憶は些か遠のい
てしまいましたが、
この侘しさを一寸でも払拭しようと手元の「日本 20 世紀館」を覗くと『ルンルン、
おしん、
積木くずし、
ハイテク、戦場のメリークリスマス、矢切の渡し・・・』がその時代にあげられています。ああ、先日の新聞写真で赤間
神宮に参詣された佳子様に説明をしている水野大直宮司、あの学年の皆さん! 萎えかかりたる頭が冴えてきたり、です。
快談笑を楽しみにしております。
勝岡 功
︵英語︶
私の西高在任中で、最も感動を受けた事柄は、新しい年度頭初の行事(転・退職教員)離任式での上司・同僚教職員の
謝辞です。全員が、在職中「生徒の皆さんから多くを学ばして頂いた」と心底から感謝の言葉を述べられていたというこ
とです。勿論不肖私自身も人後に落ちないほどの思いで有り難うを述べさせて頂きました。その続きに生涯で皆様にお目
にかかれたこと、教職にあるものは、生徒が優秀であれば、まるで此方の手柄のように思える割りの良い仕事だとつくず
く思っています。
先生
私は 15 年間の西高在任中、最後のローテーションでの 3 月に栄えある皆さんを送り出し次年度から私の母校豊浦高へ
転任となりました。余談になりますが西高には「天下第一関」というれっきとした教育目標が、その伝統を輝かせるもの
として受けつがれています。私の転任先母校には旧制中学の 1 年生時、
人生訓として学んだ校訓三綱「至誠一貫、
進取向上、
自治協同」が有りこれがわたしの生涯を支えてくれました。しかしこの 1972 年に制定された伝統の教育規範も 10 年後
には国策により途絶えさせられていたのでした。平和日本の今日この校訓が蘇らせられないものかなと私達同期の連中は
ᄮ
戦後ずっと思っていました。着任以来校訓三綱再出発を発案し会議を重ねこれは 1988 年実現しました。
伝統を受けついでいくことの大切さは、
下関西高となって 5 代目青木英一校長が著書
[残映]
の中で
「 天下第一関 の明日」
に〈私達は、先輩によって築き上げられた伝統の近代的意義を云々する前に、これに傾注された(先人達の)無限の愛情
ၣ
と美しい協力に学び、わたしたちの手で、新しい上層建築を近代的センスをふんだんに盛り込んで、この基礎工事の上に
ଋ
はなからのどりのわりー、まひょうしにあわんことばっかしで、たえがたいのー。
築き上げていきましょう〉
。 そのように思います。
୉
近況報告など
ମ
旭陵同窓会東京支部総会にお招き有難うございました。今年の当番幹事よりご案内をいただき、驚き、即答できず
後日承諾の返事をさせていただきました。それは現在山口市に在住している私の長女と同学年のため、クラブ活動な
ಓ
どを除いては61期の皆さんとは1年生の授業しか直接の接触がなかったからです。この年を以て 10 年続いた赤バッ
チの学年と離れることになりました。
私の定年退職後は響高、門司高、西高、豊浦高と 70 歳まで講師を勤め、西高には通算 20 年の教員生活で平成生ま
୊
れの生徒とも接することが出来ました。その後は、下関市立のスポーツ施設は 70 歳以上無料ということもあり弓道で
福田 強
︵数学︶
時間を過ごすことが多かったのですが、2年前に湿疹ができて皮膚科にかかりました。すぐには治らず、癌を疑い色々
検査をしましたが判りませんでした。1年前の胸の写真はありますが、念の為にもう一度胸のレントゲン検査を受け
たところ外科に回され、精密検査の結果は初期の肺癌で他には転移していないことが判明しました。すぐに手術でな
く放射線治療を受けて癌の影はなくなり、これと共にひどい痒みもなくなりました。皮膚科の先生の執念と外科の先
生の素早い対応に非常に感謝しています。2人の先生は共に西高の卒業生です。現在私はそれなりに元気で、特に用
のない日の午前中は週に2
・3回弓に、美肌温泉などと宣伝している市内の温泉 大河内、一の俣、川棚などのいずれ
先生
かに1回行き、その他の日はコンピュータ相手に将棋などのケームで気儘な日々を送っています。
地震などの自然災害がほとんどない下関ですが人も段々減少し、商店街は昔に比べ寂しくなりましたが、まだ生活を
する上で、
こんな快適な所はないと思います。皆さんも定年後は下関に帰って来るのも選択肢の一つとしては如何ですか。
最後に当番幹事などお世話をして下さった方々に感謝しますと伴に、旭陵同窓生の今後益々のご活躍をお祈り
致します。
出会いに感謝
平成7年4月、下関西高校に保健体育の教員として着任し平成26年3月までの19年間、ふと気が付けば一番の古株と
なっていました。当時は1学年9クラス、男子クラスもまだ健在でした。全体的に落ち着いた雰囲気で、挨拶もよくする
学校という印象を受けました。クラスマッチや体育大会には多くの生徒が命を懸けて熱く燃え、それらの行事が近づくと
「リレーの練習をするのでバトンを貸して下さい」
、
「ムカデ競争の練習をするのでムカデの縄を貸して下さい」と先を争
うように練習していました。体育の授業でもそうですが、少しでもいい記録がでるように、少しでも上達するようにと前
向きに取り組み、努力する生徒がとても多く、それこそ下関西高生の素晴らしい特徴の一つであると思います。
黒瀬ひとみ
︵保健体育︶
部活動では専門であるテニス部の顧問につくことができ、本当に密度の濃い毎日を過ごすことができました。
「明るく元
気にさわやかに、そしてひたすら直向きに」をモットーに、部員たちと日々汗を流し、おかげで多くの感動を共にするこ
とができました。なかでも平成20年度全国総合体育大会テニス競技(埼玉大会)に出場した折には、旭陵同窓会東京支
部の皆様には大変お世話になりました。宿泊ホテルにスポーツ飲料を差し入れしていただき、試合当日もお忙しい中、多
くの方々が応援に駆け付けて下さいました。また大会終了後には試合のDVDを送っていただきとてもいい記念になりま
した。皆さんの温かさと心意気、そして心強さを感じました。その節は本当にありがとうございました。
このところ下関市役所や山口銀行など身近なところに下関西高卒業の若者が多く働いており、懐かしくまたとても頼もし
く思っています。下関だけでなく、山口県そして全国で活躍する皆さんが明日の日本をつくってくれているのだと改めて
先生
思いました。皆さんと出会えてよかった。ありがとうございます。皆さんの益々のご活躍とご健勝をお祈りします。
6
ᕏ൵᱗૘Ặềၺ૘တధ᧎ᦽặ૘ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ
演劇部は3年生が引退した現在、2年生5名、1年生5名の計10名で、顧問の金森
先生、福田先生のもと、活動しています。公演は、年一度の大会(コンクール)を含めて、
5回行っています。
普段の練習では発声を中心に、舞台上での体の動かし方などを毎日学んでいます。
先生方のお力をお借りしながらも、限られた時間でひとつの演劇を作り上げるのは容易
ではありませんが、部員が一丸となって劇を作り上げていく楽しさは、その苦労を上回っ
ています。
旭陵祭での公演は、入部後の初舞台であると同時に、引退前の最後の舞台でもあり
ます。この最初と最後の上演を、自分達のお世話になる、
もしくはお世話になった方達の前で行うことができることは、本当にうれしく誇らしいことです。
そして、
次の公演は8月の大会
(コンクール)になるのですが、
私たちは昨年度、
中国大会まで進むことができました。西高演劇部初の快挙です。そして、
一昨年度に県大会に出場できたのが十三年来の快挙だったことを考えると、
本当に私たち演劇部は大きな成長をすることができたと思います。それは、
勿論部員の団結も含め、顧問の先生方のご指導や、周りの先生方や家族の応援あってのことでした。いつも、そのことに感謝しながら練習に励んで
います。
また、一年の終わりの3月には、市内の他高校演劇部と合同で公演する機会があります。大会では競い合う各校が、この時は皆で切磋琢磨し合い、
げもあり、下関地区各校の演劇部はとても仲がいいと言われています。
これからも西高演劇部にあたたかい応援をお願いいたします。
ნ
私たち3年生は旭陵祭で引退しましたが、1・2年生の後輩たちはしっかりしているので、必ず今年も良い作品を作り上げてくれると思います。どうか、
ᘴ
いつも以上に限られた時間でひとつの演劇を作りあげます。昨年度は60人以上の参加で、1時間20分の演劇を上演しました。この公演があるおか
ଟ
୊
私たち野球部は現在、3年生11名、2年生7名、1年生8名、マネージャー3名の計29名で活動しており、
ୈ
ᲈᘵ᱗૘Ặềၺဋ෧Ⴚ᭮ặ૘ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ
田中先生、内山先生、大塚先生、早田先生のご指導のもと日々練習に取り組んでいます。今年のチームがテー
₍
マとしてきたのは
「守」です。守備で試合のリズムを作り失点を最小限に抑えることで、少ない得点でもチームプレー
で勝利をつかむ野球を目指しています。
௴
私たちは今、夏の選手権大会を目前に控えています。今年の目標は、もちろん甲子園出場です。部員たちはこの目標に向け日々
邁進しており、マネージャーたちは献身的に部員たちを支えてくれています。毎日の練習時間は決して長くないですが、その短い練習時間を最大
技術の習得に努めています。
る野球には強い精神力が不可欠です。この精神力は日常生活のなかでこそ身につけられるものだと考え、伱を見せない生活を送り、常に気を使
OB の方々にはたくさんのご支援をいただいており、現在とても良い環境で練習ができています。私たち野球部一同は、OBの方々の支援、そして
ୈ
いつも私たちを支え、応援してくださる方々など、多くの人々への感謝を忘れず、悔いの残らぬよう正々堂々プレーができるよう頑張ります。
Ḓ
える人として学校、家庭内で過ごすことを心がけています。
᪸
しかし、私たちは技術を身につけるだけでは、厳しい夏の大会を勝ち進んで行くことは難しいと考えています。一瞬の気の緩みが勝敗を分け
ᴋ
限有効に使えるように無駄な時間を省き、チーム全員で協力し練習しています。さらに、短い練習時間を補うため、朝練習、昼休み練習を行い、
୊
஄உ୷᱗૘Ặềၺంጳ೾ྰặ૘ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ ॺ
テニス部は現在、3年生男子4名、女子1名、2年生男子5名、女子3名、1年生男子14名、女
子3名の計30名で、有田先生、原本先生、眞當先生、また外部コーチとして海老沢コーチのご指導の
もと、日々練習に励んでいます。私たちテニス部は男女合同で練習を行っており、みんなで積極的にコミュ
ニケーションを取り合っています。そうすることで、チームで共通認識を持ち合うことができ、チーム全体
としても目標を達成するためにひとり一人が努力していけるようになってきました。
西高テニス部は他校と比べると、練習時間を確保するのが難しい現状があります。短い時間しかない分、みんなで工夫して、一球一球に集中
し時間を大切にしています。限られた時間の中で最大限努力をすることは、部活動だけでなく、日々の勉強や生活においても同じことだと思い
ます。また、部活動の中で指導される「挨拶」
「返事」
「5分前集合」なども、
社会に出ていく時に、
自立した人となるのにとても大切なことだと思っ
ています。
また、私たちはチーム内でのそれぞれの役割を大切にしています。自分にしかできないこと、自分ならできることが必ずあります。ひとり一人
がチームの一員であることを意識し、積極的に行動することで、一人では乗り越えられないことでも仲間と協力し合うことで乗り越えられます。
みんなが個性を発揮し、コートの上でひとり一人が輝けるチームになりたいと思っています。
そして、私達を支えて下さっている両親や先生方、コーチ、そしてつらい時期を乗り越えて励まし合い支え合ってきた仲間への感謝を忘れずに、日々
努力し一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。
7
え、下関?
お、西高?
ూ༩ᒗྵắ
᪸Ḓମ୭ୢ୸ᘤ
ᬋଠ
ọ
૘
૘૘
૘૘૘૘૘૘૘
૘૘
ଯ
PRESENTED BY MIKIO AKITOSHI, HIROYUKI
૤ୠடந୩ᐗኬ୤னஆ஧୭ୢ୸૥ౡᬉମ
௴ᴋନ᪸Ḓଫ ଡପ୓ଠ୭ୢ୸୒ ී᱄ắắ૘
8
ၺọ૚
ၺọ૙ ၺọ૙
૚
ଆ
୍
ଠ
ၺ
౳
ྠᙡୂ૚
௴ᴋ୒ᵤୌଦ૙
ዑଋ୉ନ଄ଆ༫
ମ
ଓ
૙
ୂ
ᯭ
ഁ
ନ଄ଆ༫
૘૘න௺ᠧ౐௳
ୈଆଧ
ପ଩ᄃୌଦ଄ୋ
ନ
ଆ૚
ଓ
ମ
ᱚ
኉
૙
୒᪽ତ଑ଦଗା
ᑲኼଫ
૥
ଙ
Ḓ
ଔ
᪸
ᰵ
૤
ଏ
ୄ
ଗ
૥
ᄄ
૘
଄ ૙૤ ௴ ᴋ
ኝ྘ଫ૙ତ଄ତ
ମ
ᣤ
ଭ૚
ኮ
ଟ
ଗ
ᰡ
ଫପଣଦାଙୈ
૘૘ᛊ୒
ᑾ
୊
଱
ଣ
ୄ
૚
ọ
૙ଂ୊ାଛ୓ଋ
૘૘ଝ୓ପଓନ
୍ଆ૚
଄ᑞଣଦୋ୓ଠ
୉
ଏ
ମ
଩
ూ
૙
௴ᴋଯ
ọ
૘ᝨମ᛼ଣଦୋ
ଦ଄ୋ୓ଠ୍ଆ
ଣ
୏
༡
଄
୉
ଏ
ଫ௴ᴋଯ଩ମ
૘ᝨମ଄ପ଄ᴇ
ᴋଫତ଄ଦ૙
௴
ଧ
୸
ୢ
୭
૙
ూ࿂
ାଛ୓ଋọ
ି
ଦ
ଈ
ᣒ
୊
ଏ
ଘଣ
ਅ㑐ߦ
ⴕ߈ߚ޿߆࡯㧋
YASUO, MASAAKI UEDA & TAKASHI HISATOMI OF 61TH NISHIKO GRADUATES
சன୿஠ୠମᕰᴘମఇნ૙ᝩൗᢹ᫙ᵗẶጟặᛇತମୂନ
ଂପଟଯ଩ଓାଧ្ଈ୉ୌୋଋọắ
ᒗඍᰫൈᣓଊୈଳ೷ඍᣓଫଯᮚ᭘ᧁዩู୒ଔᙥᅣắ
୭ୢ୸ట᱄ଧଯ૙෡ొଧଊᱤ୊ଗଟ૙
ᠪᚱମ୤୿஭୒ಁ଄ାଙ૚
ଊᆻ೼ଫଔᙥᅣମ௳૙ଔූൺଏଠକ଄૚
୭ୢ୸ମଂନୂ૙ᇟ᱄ଫಁᙥଗାଙ૚༫൏ଫಞ៞ଏଠକ଄૚
9
大学進学実績 平成 27 年度大学入試結果
(下関西高より)
(1)大学等合格者数
大
学
名
現役
既卒
計
国
立
大
学
105
40
145
公
立
大
学
17
6
23
私
立
大
学
256
137
393
校
2
6
8
短期大学・その他
4
2
6
384
191
575
大
学
合
計
年度(平成)
国公立合格率
27
26
25
54.0% 48.7%
24
23
44.1% 50.6% 38.0%
現役合格率
84.1% 81.9% 72.0% 78.7% 68.4%
現役進学率
78.8% 74.6%
69.1% 72.8% 61.6%
(2)大学合格状況
(国立大学)
大
北
学
海
(公立大学)
現役
名
道
男
大
1
既卒
女
男
計
大
女
学
名
現役
男
既卒
女
男
計
女
1
岐 阜 薬 科 大
1
大 阪 市 立 大
2
2
2
大 阪 府 立 大
1
1
1
兵 庫 県 立 大
1
3
県 立 広 島 大
1
1
茨
城
大
筑
波
大
埼
玉
大
1
千
葉
大
2
東
京
大
1
1
下 関 市 立 大
2
東 京 外 国 語 大
1
1
北 九 州 市 立 大
3
1
1
九 州 歯 科 大
1
2
福 岡 県 立 大
1
1
一
橋
1
2
1
大
1
1
3
1
1
1
3
2
2
1
7
1
横 浜 国 立 大
1
信
大
1
1
長 崎 県 立 大
1
1
大
1
1
大分県立看護科学大
1
1
1
宮 崎 公 立 大
1
1
名
州
古
屋
滋 賀 医 科 大
1
大
阪
大
2
1
3
6
神
戸
大
3
3
2
8
奈 良 女 子 大
1
1
2
1
10
鳥
取
大
1
岡
山
大
4
4
1
広
島
大
5
1
1
山
口
大
20
16
8
愛
媛
大
九
州
大
4
1
九 州 工 業 大
6
2
福 岡 教 育 大
1
1
佐
賀
大
2
1
3
長
崎
大
1
2
2
5
熊
本
大
3
2
1
大
分
大
2
1
宮
鹿
崎
児
島
8
2
4
17
6
現役
既卒
23
1
1
防 衛医 科大学 校
1
13
防 衛 大 学 校
1
1
10
2
1
7
1
4
1
1
3
105
名
7
1
40
学
46
大
65
大
2
1
2
(大学校)
7
大
国 立 大 学 計
9
公 立 大 学 計
145
40
10
女
計
男
女
1
2
3
1
1
海上保安大学校
1
1
2
水 産 大 学 校
1
1
2
2
4
所 管 外大 学 校 計
8
32
男
2
8
2
6
(私立大学)
大
学
現役
名
男
既卒
女
男
国際医療福祉大
計
大
女
現役
名
男
既卒
女
男
計
女
2
京 都 女 子 大
6
6
自 治 医 科 大
1
1
京都ノートルダム女子大
1
1
埼
1
1
同
1
2
同 志 社 女 子 大
2
立
4
龍
2
大 阪 歯 科 大
玉
工
2
学
大
青 山 学 院 大
1
北
1
里
大
1
慶 應 義 塾 大
3
駒
2
沢
大
1
志
社
命
館
谷
大
大
8
1
6
15
4
34
5
大
4
8
1
2
48
2
1
1
芝 浦 工 業 大
3
3
大 阪 薬 科 大
上
大
2
2
関
大
尚 美 学 園 大
1
1
関 西 外 国 語 大
1
2
近
畿
大
6
3
3
摂
南
大
1
関 西 学 院 大
3
甲 南 女 子 大
2
2
1
神 戸 女 学 院 大
2
2
2
神 戸 女 子 大
8
8
2
神 戸 薬 科 大
9
兵 庫 医 科 大
14
岡 山 理 科 大
1
5
川崎医療福祉大
2
4
就
6
広 島 国 際 大
2
1
広 島 修 道 大
2
5
安 田 女 子 大
3
山口東 京 理 科大
1
九州栄養福祉大
2
1
1
2
1
3
12
16
智
専
修
大
中
央
大
帝
京
大
東
海
大
1
1
3
東 京 家 政 大
1
東 京 工 芸 大
2
東 京 造 形 大
2
東 京 農 業 大
1
東 京 理 科 大
4
東
洋
3
日
本
大
法
政
大
4
武 蔵 野 美 術 大
1
明
3
大
治
大
1
5
2
10
1
1
4
明 治 学 院 大
1
1
2
3
明 治 薬 科 大
1
西
実
教
大
1
1
九 州 女 子 大
立
正
大
1
1
久
2
早
稲
田
大
神
奈
川
大
愛
知
2
3
1
2
大
愛 知 学 院 大
4
愛 知 工 業 大
1
中
3
京
大
名古屋 外 国 語 大
2
名 古 屋 学 芸 大
2
米
大
7
産 業 医 科 大
1
4
西 南 学 院 大
1
1
西 南 女 学 院 大
4
中 村 学 園 大
1
日赤九州看護 大
4
福
2
福 岡 工 業 大
2
福 岡 女 学 院 大
1
岡
大
1
長 崎 国 際 大
名 古 屋 女 子 大
4
4
熊本保健 科学大
鈴鹿医療科学大
1
1
崇
城
大
3
別
府
大
九州保健福祉大
名 古 屋 芸 大
名
京
城
都
大
橘
1
3
大
5
5
京都造形芸術大
1
1
1
2
2
4
2
1
3
4
3
9
5
1
23
3
4
3
1
1
2
21
3
2
1
2
2
1
1
5
1
8
2
5
5
1
1
1
2
3
1
3
2
32
2
1
3
1
1
2
6
38
2
2
14
10
2
8
3
3
1
1
2
1
1
3
1
1
1
1
2
1
1
136
私 立 大 学 計
11
13
大
立
留
1
120
256
1
36
101
137
393
一人ひとりがリーダーになる時代 71 期生 /1994 年卒 川本敦志
赤馬関の地を西高卒業後に脱藩してから、
江戸での暮らしも早いもので22年になります。とても恵まれていることに、
旭陵の同世代の親しい学友たちはこぞって東京に集まっていて、人生のさまざまなステージでお互いに助けたり、
助けられたりしながら人として成長し、年を重ねるにつれて木々の年輪のように親密性が育まれ、このご縁に感謝
をする日々です。
寄稿を機に、
この四半世紀を振り返っての時代の流れの気づきとして、
インターネットの進化により、
人の暮らしに「時
間と場所の自由」がもたらされています。やりたいことをやりたいところでやりたいときにできる、と言い換える
こともできます。と同時に、この変化に適応できず、今までの価値観や思い込みに囚われていることで、心のコンディ
ションを崩し、社会との接点を持てない人が増えていることも事実であり、社会問題としてあげられています。
時間と場所の制約が外れ、個々の働き方が多様化したことで、起業したり、一人ひとりがあらゆる方面でリーダーになる機会がどんどん創出され
てきています。このようなリーダーを主に心身の健康面で支え、長期で活躍する人材を
輩出したく、
「ビジネスアスリート育成塾」というリーダー育成塾を外資系金融と事業経
営での経験を生かし、展開しています。
一人ひとりがリーダーと言えども、仕事は人から価値を認めてもらうことで成立します。
したがって自力だけではなく、他力(他人とのつながり)はもっと大切です。
こういう時代だからこそ、旭陵同窓会においても、今までの幹事年だけの自力のみならず、
幹事年の 10 年下の学年が幹事を盛り立てていく、という主旨の「サポーター制度」が誕
生します。この制度により新しいご縁が生まれますし、どうせやるなら明治維新をリー
ドした長州人のような気概を持って旭陵同窓会を発展させていきましょう。
10月27 日は吉田松蔭先生の命日です。世田谷若林の松蔭神社に墓参をしに行きましょう。
ኮ
௺ ౎ ଋ ୉ ମ ட ஁ ୹ ஺ ୶
遠くて近い国トルコ∼イスタンブル・下関、姉妹都市にかかかる二つの海峡
81 期生 /2004 年卒 百合野 愛
皆様は「トルコ」と言われて何をイメージしますか?のびるアイス?イスラム教?ケバブ?絨毯?カッパドキア
の奇岩群? またトルコが親日国と言われている理由をご存知でしょうか?
メルハバ(こんにちは)!第 81 期生の百合野 愛と申します。冒頭から質問攻めでごめんなさい。
私は大学でトルコ語を専攻していました。今回は「自由テーマで」ということでしたので、私の大好きな国、ト
ルコについてお話したいと思います。私が初めてトルコに渡ったのは、
大学 3 年生の夏休みでした。初海外で一人旅。
期待と不安を胸に抱えて訪れたイスタンブル・旧市街。目に飛び込んできたのは、青空をバックにそびえるブルー
モスクのミナレットと大きなドーム。感じた「エキゾチズム」
。
「外国=ヨーロッパ」のイメージが強かった私にとって、写真などで見ていたとはいえ、そのとき見た光景は今でも強烈なインパクトと共に鮮
明に心に残っています。更にイスタンブルをヨーロッパとアジアに分かつ、ボスポラス海峡を目にした瞬間、下関にいるかのような錯覚にとらわ
れました。というのもボスポラス海峡はもっとも狭いところで対岸まで約 800 メートル(関門海峡は約 600 メートル)
、海峡にかかるボスポラス
大橋のすぐその向こうに対岸が見えます。都市的性格の類似という理由でイスタンブルと下関市が姉妹都市となったのも納得の、どこか懐かしい
光景でした。
なぜトルコが親日国と言われるかというと、1890 年に和歌山県の串本町沖で難破したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の乗組員を串本町の町
民が必死に助け、看病したという出来事があるからです。またその恩返しといわれる出来事が、1980 年のイランイラク戦争の際のトルコ航空機
によるイラクに取り残された日本人の救出です。火の山には 2013 年にお亡
くなりになったこの時の機長の名前を冠した「火の山トルコチューリップ
園『オルハン・スヨルジュ記念園』
」があります。春にはトルコから寄贈さ
れたチューリップが咲き誇るそうです。この冬には日本とトルコのこの絆
を描いた映画「海難 1980」も上映予定です。今後もトルコと日本の絆がま
すます深まっていくことを願ってやみません。
そろそろ私のトルコ愛が
れて零れ落ちそうになって参りましたので、
筆をおきます。お読みいただき、ありがとうございました。
12
∼出会いの続き∼
61 期 中尾 光利
ዂ
5 月 23 日(土) 城桜ゴルフ倶楽部にて、旭陵ゴルフ会第 41 回大会が開催されました。「風薫る 5 月」という言葉どおり絶好の(言
ᴶ
い訳できない)プレー日和の中、参加者 38 名が覇を競い、各ホールでさまざまなドラマが展開されました。
優勝は 59 期糸賀ユカ先輩、2 位は 61 期(本年代表幹事)内田さん、3 位は 59 期末岡先輩、BGは 57 期濱野先輩の 85 でした。
୲
見事優勝カップを獲得された糸賀先輩とは同組で回らせていただいたのですが、ぴたっと決まったアドレスやショットの切れ、パットの正
確性など、我々男性陣は終始圧倒されっぱなしでした。お話を伺うと、今大会に備えて虎の穴に籠もり(?)腕を磨いておられたとのこと。
ன
吉田松陰先生ではないですが、志を持って精進することの大切さを、あらためて学ばせていただきました。
そして、ここで何を置いてもお伝えしなければならないのは、今回もゴルフ会幹事の 57 期磯部先輩にあらゆる面でお世話になったと
ニエンスストアでアルコール類とおつまみを買い込んでの車中宴会となり、座席のあちらこちらで、世代を超えて下関の今昔を語り合う、
にありがとうございました!)
ていただきました。AKB つながりで恐縮ですが、AKB メンバーの渡辺麻友さんの「出
いの続き」という曲の歌い出しの歌詞に「出
いのなかで続くものって、未来のために選ばれたもの」とあります。私も前回第 40 回大会で旭陵ゴルフ会に出
い、その暖かく懐かし
い雰囲気に誘われて、今大会も続けて参加させていただきました。そして「未来のために選ばれたもの」として、これからも可能な限り
参加させていただきたいと思います。
ゴルフの腕前に自信がない、どんな人と一緒に回るのかわからないので不安、といった理由で本会への参加を
躊躇されている方はたくさんいらっしゃることでしょう。心配ご無用です。
一度ご参加いただければ、スコアの良し悪しなど気にすることもなく、また従前からの知り合いか否かに関わり
なく、世代を超えて同じ長州人としの絆を確かめ合える場であることを感じていただけること請け合いです。
おいでませ、旭陵ゴルフ会へ!
13
ஔ
昨年の東京支部総会で 60 期の先輩方が AKB48 の「恋するフォーチュンクッキー」を壇上で踊り歌うというパフォーマンスを拝見させ
஧
ふるさとの匂いに れた時間が流れていました(磯部先輩。先輩に運転をお願いし酒宴に興じた不届きな後輩をお許し下さい!そして本当
୭
マイクロバスを運転されるとは思ってもおらず、行きはただただ恐縮するのみでした。ただ、予想された通りの展開として、帰りはコンビ
ஓ
いうことです。一部のマイカーの方を除き、早朝に東京駅八重洲口に集合しバスで現地へ向かうということでしたが、磯部先輩ご本人が
総会の成功を
祈念いたします
72 期一同
27
作詞
土淵
英
作曲
草川
信
おか
下関中学校校歌
さしのぼる
旭が陵の
つちか
たましきの
學びの庭に
朝なけに
培ひい行く
すがた
みこと
いとたかき
校風仰がん
男の子いざ
みおしへ
教育の
勅語かしこみ
なほじ
ひたぶるに
學びの直路
たどりつゝ
すゝみゆく世の
ともしび
燈火の
光まさなん
男の子いざ
はやとも
み
早鞆の
清らのながれ
長門の海
ひろき心を
鏡とし
大和魂
ま明くも
みがきゆかなん
男の子いざ
下関西高等学校校歌
作詞
五味
智英
作曲
平井康三郎
本州の西の鎮と
しづめ
火の山は緑滴り
したた
風師山さ霧晴れ行き
かげ
そそりたつ旭が陵に
かがよ
木影濃き小公園に
や
学び舎に朝日耀ふ
こがね
な
ものみな
いのち
しじ
行き通ふ七つの海ゆ
うずしほ
ゆうばえ
響 夕映燃えて
朝日の子われら一千
さ
まひる
黄金加す真昼の光
渦潮の瀬戸は高鳴る
はえ
うら若き胸にし沁めば
し
萬象に生命きらめき
ふそ
父祖の光栄振り放け見つつ
清新の気のみなぎりに
あくが
憧れの繁にし湧けば
うるほ
魂は潤ひ満ちて
きはく
しづかなる気魄を秘めて
よ
大き世界の潮浴みつつ
えいち
さわや
爽かにうべなひ行かむ
育まむ不屈の闘志
と
たびぢ
真理への旅路遙けく
なべて世のうるわしきもの
西高
西高
西高
まこと
求め行かむ叡知の泉
西高
西高
西高
はぐく
西高
西高
西高
ああ
天下第一関
こころゆた
ああ
われら情豊けし
ともし
ああ
高き理想の灯
28
作曲
不詳
作詞
伊藤
昌︵ 第
回︶
下関西高等学校応援歌
前に聳ゆる風師山
嶺より高き理想もて
長門の浦曲に寄す波の
不断の努力に規律あり
やがて奪わん勝利の火
我等が西高の意気見せん
見せよ
見せよ
我等が西高
夕陽はめぐる丘の上
秋風深めゆるぎなき
と
わが手に持れるかがり火は
勝利の的
照らすなり
やがて奪わん
勝利の火
我等が西高の意気見せん
見せよ
見せよ
我等が西高
久遠にあおく
作詞
岡崎準一郎︵第 回︶
作曲
長井
則文︵第
久遠に蒼く潮湧きて
回︶
瀬戸は臥龍の姿かな
旭ヶ陵につどいたる
不屈の意志は天も見ん
我等学びてやまざれば
われらの肩に世界あり
聞けやこの名を
西高
西高
下関西高
聞けやこの名を
われ等の前に勝利あり
我等励みてやまざれば
剛き願いは人も見ん
第一関に示したる
若き心に誓うかな
聞けやこの名を
われらの母校力あり
我等愛してやまざれば
学徒の誇りわれ知らん
自ら学び重んずる
希望の窓をてらすかな
ああ旭陵に日はさして
あした夕べに仰ぎては
西高
西高
下関西高
西高
西高
下関西高
29
18
34
24
30
祝
平成26年度
旭陵同窓会東京支部総会開催
課 題 を 解 決 するプ ロフェッショナル が いま す 。
品 質 を 支 えるプ ロフェッショナル が いま す 。
信 頼 と 安 心 を 提 供 するプ ロフェッショナル が いま す 。
専門資格者による確かな知識と技術で
頼れるパートナーを目指しています。
藤田良郎
代表取締役社長 東 京 支 店 : 〒151-0051
瞬報社
九州支店:福 岡 県 福 岡 市
東京都渋谷区千駄ヶ谷 4 丁目 29-10 2F
TEL.03-3497-5871
本 社 ・ 工 場: 山 口 県 下 関 市
東 京 工 場:東京都多摩市
北 九 州 営業 所 : 福 岡 県 北 九 州 市
山口 営 業 所 : 山 口 県 山 口 市
http://www.shumpou.co.jp
32
33
34
35
36
38
39
ୄ ଣ ଱ ௴ ᴋ ଌ ጒ Ḓ ଣ ଡ ୃắ
᪸ጳ૘ዊ೻૘ ጟ
ᝨഓମ჌ ମዚଋ୉ᘴີኯႳଧྐྵ኱ଙୋୈଆଫପ୊ᘴີଯឧᓓଫᆥ᳿ଗଦ଍ାଗଟ૚૘ଝୌଯ෹ጟମნเଌൽ൸ଗଦ଍ଟଋ୉ଧჼଋ୉ჲ᜿ᙫଗ௳଒ାଙ૚
ൺጾ૘ᓄఢ᱔૘ ጟ
ኀ᱗ᡬ౟ଧᦓ଄෾ឞᙡନᑍᬒମᇕ૙૤௴ᴋኯᫍ૥୒ఱଈଦ᫸ଙନ༨ଏମኯᫍମᅣฝ୒᛼୉ପ଄డଫḇ଍ାଗଟ૚૘
૤௴ᴋኯᫍ୭ୢ୸૥୒ୄଣଦିଦଯཌ౳૚૘ୈ୍ଗଏଊᶼ଄ଗାଙ૚
᧊᭐૘ᬅᢹ૘ ጟ
ᚱᜂ૘ᵗఢ૘ ጟ
ూၺୂ༫ඐମූൺᣓଧᛅ୊௳ଌୋଓନ୒ጟფଗଦ଄ାଙ
଄ତୂᴄ೗ᰨᡌଂ୊ଌନଆଔଖ଄ାଙ
ᙨం૘ን༔૘ ጟ
ధ᭐૘ᆍၙ૘ ጟ
ၺ൦ଫၾడ౟ଧႆ໭୒ᇡ჌ଗାଗଟ૚૘ᆕଋଗ଄ପଂ૚
ଫ௴ᴋଧ෾ጟ౟ଌᴄ೗କୌୋటྵଧଙ
ᙨ᳐૘ᓜᢿ૘ ጟ
ᝨଟଡዔว ၺඵᏣᡄ ኾం ၺඵ ଯ ᆽ౎൦නଫପ୊ାଗଟ૚૘
ᷣᱛຮີ౯ᣓଯᑲၺ ຢᵙଣଦଊ୊૙ዓၺ ၺ ୂ ෿଻଩ൈၤଧᏬଗଏᬄ୊෺଄ାଗଟ૚
ᒑᙨ૘ᒫᱚ૘ ጟ
ᦆา଄ଦᄖଲൈଙ఺ᚴ᰻ଗ ᑏဎྕ᪾ ૘କାଖାମଓନᄖଲൈଙ᎓ଋପ ፆ࿷ᦄ᧷ ᔞ૘ว༮૘ ጟ
஋஁ஆ഍ᛅମዚ౎ଧଙଌ૙ዂᴶମඵᏣᙡଯ଩ଆଋ૤ᠲମኮᣤ૥ୂ૙ᬊିᡚ଑ଦ௴କ଄૚
࿧၇૘ᓜ௭૘ ጟ
ඵᏣ౐ጾഒඬၺ౵ ᆽ୒ଓଈାଗଟଌᑞྙ࿚ย୒ጒ฀ାଧᏬଗୂଆନᶧჃଣଦ࿻୊ାଙ૚૘ଧଯ౟໮ଧắắ૘ూჩନୂୈ୍ଗଏᶼ଄ାଙ૚
ᙨం૘᪚ྕ૘ ጟ
ూຢଯ૙ంྠ૙Ḓ፾෾ጟମ᙭ᙨคଌ଄୉ଣଗୃ୉ପଏଦᓴଗଏᄖଣଦଊ୊ାଗଟନଓ୍૙᝜ଡୃ୓ଓନ᝜ᙨഁᙡଌූൺମᙩ૙ᆕଗଏྌଗଏᄖ଄ାଗଟ૚
ഇፎ૘ఴྵ૘ ጟ
ᆽଫପୋూၺ૙டறஎ஺ୱ஺୷ଧଂୋႇച '' ଧ ጔମኮၺፁ૙ጔ಄ନᰨᡚᔰ೷ඍଗᑾൎ୒᥸ଏଗଦ଄ାଙ૚
ፆᒃ૘ၽᵗ૘ ጟ
ᑲ႐ମଓନପଌ୉ၾడଔ௭෾ᐂମଔᦔ඀ଫᅧᬱᥗଗଦଊ୊ାଙ
ᮓጢ૘ᄇგ૘ ጟ
ଊᴳᐂଧ೼ᑾଧଙ
ం໮૘ᬅ᝵૘ ጟ
ూၺୂ౳ନଋᩴ଑ଝଆଧଙ૚૘෾ጟଌᑲၺ ኖ෿ൈၤଗଦ଄ାଙ૚૘ಮᲇคଌ෾ጟଧଙ૚
഑ဋ૘ᴽ૘ ጟ
ዓၺମ౟ଫൈၤଗାଗଟ૚૘ ఺ମ఺ኖଫୂḇ଍ାଗଟଌ૙ᅘೣ౐௳ଫᛅ୊௳ଌ୊ଌലଏᅧඊଗାଗଟ૚૘
ၾడମᚴᐂ૙ጥ჌ଫଔᦔ඀ᐂଧଙ૚
ᨒధ૘዇૘ ጟ
ၺ ຢମᡬ౟ଌᏬଗିପၺẙନପ୊ାଗଟ૚૘౟᳿ମ፼ዊକ୓૙ଊᚓୌᐂଧଙ૚૘
ኮ౟᳿టྵମጢጳକ୓૙൯౟᳿టྵମᒧᙨକ୓૙ บၺଫฃ଑ଦᶧჃ୊ାଗେଆ૚
າధᰒ૘ᕡ૘ ጟ
౟ମᆥ൹୒ᝄᄌଗାଙ૚૘ጒᰎଯ᫃ମృᭉମଟୁୈଏ௴ᴋଫၦୋୈଆଫପ୊ାଗଟ૚
ჸ࿋૘᥸૘ ጟ
ጟମିପକ୓૘༫༡ଧଗେଆ଑଩ଌ୓ରଣଦắ૘჌ኼᏬଗିଫଗଦାଙ
ంᙨ૘ᄲᅮ૘ ጟ
တᙨ૘ಗၽ૘ ጟ
ూၺମ༣૙ᱚᲆମ௴ᴋၙଫႸᮛଙଓନଫପ୊ାଗଟ૚૘
M47 ᠻᤏ୒ᙥ଄ଌ୓ᒫᚧᨋଥଏ୊ଫନ୊ଏ୓ଧ଄ାଙ
෾ឞ౟ፂశኀ᱗୷୽஁ஓମᚴᐂଫଯ૙༫༡ଊ௺᫸ଫପ୊ାଗଟ૚
ᕻဨ૘ᛏฑ૘ ጟ
౵ၺଶ୊ଫ෾ᠳᙡମᚴକ୓ଫ౟ଈୋମ୒Ꮼଗିଫଗଦ଄ାଙ૚
40
『対象外』から
『西高のインディー・ジョーンズ』に
なった西村昌也君を偲ぶ
「 情 熱 の人 」 西 村 君 の 追 悼 旅 行
in ベトナム
(寄稿 61 期 中川明人)
61期生5名で、同級 生の墓 参りのためにベトナム(ハノイ)を訪れました。
西村昌也君が彼の地で交 通事 故により亡くなったのが2013年6月9日のこと。
「情 熱の人」である彼は高校 時 代から持ち前の反骨 精神を発 揮し、とある英 語 教 師に「対 象 外」とされるのも物ともせずに、
東大文学部へ進学。中学時 代からの夢である考古学 者となった彼は、ベトナムにおいて献 身的に発 掘・研 究し、文化 財保 護
のために私 費を投じて博 物 館も建 設しています。人 生の 半分以 上をベトナムで 過ごし、現 地の人に大 変 愛された彼の葬 儀 や
埋 葬はベトナムで執り行われました。葬 儀に行くことも、墓 参りもできなかった我々は、1周忌に近い翌年の GW に墓 参りを
計画し、冒頭のとおりベトナムを訪問したというわけです。
お 墓 はハノイ市中心 部からはかなり離 れた発 掘 現 場 近くの村 で、わかりにくい所に建 てられていましたが、ご遺 族(ご夫 人
とご子息お二人)に同行いただき、ホーチミンから合 流してくれた秋 利君のおかげで何とかたどり着くことができました。
ベトナム 式 の派 手なお 墓 の前 で 、日本 の 住職( もちろん 同 期 )がお経 を上げる姿 は 、なんとも言えず不思 議 な 光 景でしたが 、
兎にも角にも無 事に墓 参りを終えることができました。
またいつ か 「 墓 参り&博 物 館 見 学ツアー 」 を 計 画しますので 、 そ の 時 は皆 様もぜ ひご 参加下さい。
最後に西村昌也君の業 績を讃えるとともに、心からご冥 福をお祈りいたします。
西村昌成(にしむらまさなり)君:略歴
1965 年 下関市生まれ。生野小、山の田中を経て下関西高校へ
1984 年 下関西高校卒業(第 61 期生)
1985 年 東京大学入学、考古学を専攻
1990 年 同大学院生の時、ベトナムの遺跡調査隊に参加
1994 年 ハノイ国家大学ベトナム研究のため留学。以後、ベトナムに滞在
2000 年 NPO法人・東南アジア埋蔵文化財保護基金の前身を設立(のち認可)
2002 年 ドゥオンサー古窯址博物館建設
2011 年 「ベトナムの考古・古代学」
(同成社)上梓
2012 年 キムラン陶磁器歴史博物館開館
2012 年 12 月 「東南アジア史学会賞」受賞
2013 年 4 月∼ 大阪大学招聘研究員
2013 年 6 月 9 日 ハノイにてバイク事故で逝去、享年 47 歳。今もベトナムの大地に眠る
2013 年 8 月 ハノイの文化財保護発展への貢献者に贈られる「ブイ・スアン・ファイ賞」受賞
2013 年 9 月 ベトナム国家より外国人に贈られる最高位の勲章「友好勲章」受章
41
ዂ
ᴶ
෾
ឞ
౟ ፂ
శ
ኀ
᱗
ಓ ୊
東京支部会員各位は、
2015(平成27)年度総会で
下記役員のご承認を宜しくお願いいたします。
2014(平成26)年度活動報告
1. 東京支部会員名簿の整備
●支部長
第46期 栗明 純生
2. 広報活動
●副支部長
第49期 木村 宏 ●顧問
第28期 須磨 幸蔵
1)東京支部会報「旭陵倶楽部第24号」発行
2)支部ホームページの更新
第31期 西本 正
3. 本部・支部・他校及び県庁、市役所の東京出先機関との交流・情報交換
第32期 吉井 溥
常任委員会の開催
第33期 和田 一雄
4. 平成26年2月14日(土)ホテル グランドアーク半蔵門 第34期 白井 哲三郎
平成26年度活動計画の承認。
第35期 木下 陽三
5. Under50 の会(中堅・若手交流会)の企画・準備・開催
第38期 倉重 英樹
平成26年4月19日(土)18:00∼20:00。ホテル グランドアーク半蔵門
第42期 吉川 順一
東京支部総会・懇親会の企画・準備・開催
6. 平成26年7月19日(土)17:00∼20:00、ホテル グランドアーク半蔵門
平成25年度活動報告、会計報告ならびに監査報告。
●WEB 顧問
第50期 篠原 清佳
●常任委員
第21期 池田 治郷
平成26年度活動計画。新役員選出。
第21期 有田 孝久 懇親会
第24期 江川 洋
第45期 安光 正則
第47期 西 真慶
第48期 上田 隆実
第27期 久保崎 喜太郎
第49期 森脇 敏和
第28期 西村 明允
第50期 門前 孝志
第32期 泉 淳治
第33期 山時 司
第52期 木村 康則
1. 東京支部会員名簿の整備
第35期 山城 昌巳
第53期 新村 篤
2. 広報活動
第36期 中川 眞幸
第54期 戎崎 俊一
1)東京支部会報「旭陵倶楽部第25号」発行
第37期 貞國 哲雄
第55期 長山 垣正
2)支部ホームページの更新
第38期 萩谷 誠美
第56期 林 芳正
第39期 鈴木 重人
第57期 西本 靖
第40期 高田 道治 第58期 村上 泰雄
第41期 竹内 敏文
第59期 村上 陽一
第43期 土野 耕二
第60期 岡村 洋巳 *
2015(平成27)年度活動計画
3. 本部・支部・他校及び県庁、市役所の東京出先機関との交流・情報交換
常任委員会の開催
4. 平成27 年 3 月 7 日(土)ロイヤルパークホテル 平成27 年度活動計画の承認。
5. Under50 の会(中堅・若手交流会)の企画・準備・開催
第51期 有川 起巳 第44期 梅田 晴正
平成27 年4月18 日(土)18:00∼20:00、ロイヤルパークホテル
東京支部総会・懇親会の企画・準備・開催
6. 平成27 年7月18 日(土)17:00∼20:00、ロイヤルパークホテル
平成26 年度活動報告、会計報告ならびに監査報告。
平成27 年度活動計画。新役員選出。
●会計
第60期 加藤 毅 *
●会計監査 第59期 中村 幸二
●WEB 委員 第58期 吉光 透
●ゴルフ会幹事
第57期 磯部 弘志
懇親会
*新任
ᡵ
ᵙ
ჩ
᫙
34・5歳の頃、同級生の森迫君から東京支部総会参加の誘いの葉書が
来た。彼が勤める会社に旭陵の先輩が居て50歳で当番幹事なんだとい
うことで、集客の手伝いを頼まれたらしかった。それまで総会にも関
心もなく、へえ、
そんな役回りがあるのかと思いつつ、まだまだ先だと気
にしてなかったが、あっという間に時は過ぎ、自分たちの番になってし
まった。葉書からインターネットへ時代は変わり、下関や海外からも
たくさんの仲間のフォローがあって、綱渡りながら進んで行く準備。
チラシや会報誌のデザインのために原稿を読みながら下関のことをあ
れこれ考える時間は、
自分を振り返り、力づけられる意義深いものでし
た。まだまだがんばらないとね(子供小さいし)
!【小湊】
父が西高教師だったせいで、物心ついた頃から身近だった西高。兄たち
も通っていたので、西高には、小さいころから家族ぐるみでお世話になっ
たという思いがありました。今回はその恩返しのつもりもあって、幹事を
することにしました。
もちろん大変なことは多々ありましたが、卒業後 30 年余り経ってからの
同級生たちとの再会や、大人になったからこそ分かる下関の魅力など、
新しい発見や楽しみもたくさんあり(
「FBグループ【旭陵 2015】やっぱ
下関が最高っちゃ」に投稿するネタはないかと、日々下関の情報に敏感
になっていたというのもありますが…)、恩返しのつもりが、またまた恩を
受けたのかもしれないなあ、と思っています。【佐々木】
61 期幹事団
■
代 表 幹 事
内田圭介
■
副代表幹事
新井理 福永宗雄 佐々木文 森迫武士
■
会
計
室田晃 中村健二 ■
名
簿
大塚文利 服部淳子
■
寄
付・広 告
中尾光利 河本順一 福永宗雄(兼務)
■
広
報
小湊孝志 大野真紀 佐々木文(兼務)
■
総会・イベント
安尾泰進 秋利美記雄 中村正人 久富敬 内田圭介(兼務)
■
W
新井理 森迫武士(兼務)
E
B
●表紙
/ 本文デザイン 小湊孝志
●写真(本文)
小林大士 佐々木文
●印刷 瞬報社写真印刷株式会社
42
ዂᴶ෾ឞ౟ፂశኀ᱗ᡬ౟ମଔᎋച
૴
ጔ ኼẶາặ
໮ᆶ
஫ୢ஢னஏ஺୭ங஄ன* ஫ୢ஢னங஺ன
ᴋ
ጒḒ
෶౟ ௲ྩଂିẶ ጟặ
ୠ୭୹୷ஹஜ஁க
ॵ᝜ᙨჄഁᙡẶኖྠặ
%
ॵඍဎ൹ഁᙡẶᦗᬄặ
ᱛ๶ᓖᦩᡰ఺ბ᙭ᷬ
%
%
ኼᑴ᭐ᡰ
఺ბ᙭ᷬ
ॵẊᖆଲନିഁᙡẶ౲ᤂặ
ኼᑴ᭐ᡰ
% ൈ෧ୈ୊
% წᑒൎ
ୢ஗றஆ
ଂପଟମ᛼ଣଦ଄ୋ௴ᴋ૙ଂପଟମ᛼୉ପ଄௴ᴋ૚ଂ୉ଟୁଦ᛼ୋ௴ᴋ૚
%
ූൺ᭲
Ẹፂశኀ᱗ၺ౟᭲
ഛୂ౽ଛଦ
ଊᠬୁଏଠକ଄૚
ኮ༫ᐢᰡ୊
ఱ
න᧲ᴀᡰ
ᒀ༬྾൦ᷬ
ᙫଗᰈିኯᒶ
න᧲ᴀᡰᒀ༬྾൦ᷬ
෾࿛ମ஍୪୫ଫଔ᫙ഌ଄ଟଠ଍૙᱙ᰘଫଦଊᰘ୊ଏଠକ଄૚
ାଟଯፂశኀ᱗ங஺ஞ஘஺୶
Ặ[[[O]SOYV]SHSWSOEMGSQEWWIQFP]ặଋ୉ୂ
ᙫଗᰈିଌଧ଍ାଙ૚
ൈ෧ନங஄னଌ
ᛌᡉᥗଗଦଊ୊ାଙ
஫ୢ஢னஏ஺୭
ங஄ன
ᷣᱛḒᰤ
១ဨ-'
ଊ๚଄෺୏ଛ
ၺ႐Ặၹᆥၺ႐ặ჌ ၾడዂᴶ ጟၾడ຤౎᩽ചᙨຶృ
஫ୢ஢னஏ஺୭ங஄ன
)QEMPỈO]SOYV]S$KQEMPGSQ
૪
ፂశᱛం༱ඨኼጥᐢᨸᑫ᙭ ௮ᛊ ෵
4LSRI
ॠᵮᯓଧମୠ୭୹୷
ஹፂశடஆ஫න᧲ᴀᡰ૤ᒀ༬྾൦ᷬ૥ଫᛌᡉẶ ൈ෧ặ
ᑏ᫊ଯ
ஹፂశடஆ஫ኼᑴ᭐ᡰஹᱛ๶ᓖᦩᡰ૤఺ბ᙭ᷬ૥ୈ୊წᑒൎ
፸ጢᛔྪᱛ྾ၙ૚
ྪᱛ྾ᷬ൦૙ፂඟጥᡰନ௿ᩴଗଦ
ᮖୋᰶᮮଧଙ૚
Ặኼᑴ᭐ᡰỈ% ൈ෧૙ᓖᦩᡰỈ% ൈ෧ặ
LXXT[[[VTLGSNTMRHI\LXQP
യࡍΠφƢ‫ܯ‬ゖ෱ഓƄईε๲ƄΑಗ੄छƄ೼Ϸ࠶ฯƄ߳୉‫ە‬Ƅࢡෂ‫ޯۄ‬Ƅռೖ‫ت‬Ƅ੒ฅऐՏ
‫ی‬೔
ॠ ጟ౐൦ Ặ ᑕ౐௳ặẽ ഛ
ॠ૴ ጟẶ૴ ᑕặẽ ഛ
ॠ૴ ጟẶ૴ ᑕặẽ ഛ
ॠ૴ ጟẶ૙ ౎ặẽ ഛ
ॠ ጟ౐ჩ Ặྠᙡặẽ ഛ
ॠ෾౤ᣓẽ ഛ
ᙞᱦᐗ௮
੒ฅऐԼ
఺
ბ
᙭
ᰡ
୊
௴ᴋଌୂଣନᯌᰎଫପୋ୭ୢ୸ୢ஗றஆ୒ᴄ೗టྵ૚
౎۱ञƢ௅୉‫؞‬ѻ
ᱛ๶ᓖᦩᡰ
% ൈ෧ୈ୊
წᑒൎ
౎۱௟ ଔᇰფᄮၣ
> Ϳຠ‫ש‬Ӄೱ @ ੓‫܃‬
ኼዚ
annual
ၺ႐Ặၹᆥ ၺ႐ặ
Fly UP