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「大学」分析 - HERMES-IR

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「大学」分析 - HERMES-IR
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大学・差別・自由言論 : 合衆国のスピーチ・コード論争
における「大学」分析
松田, 浩
一橋研究, 24(1): 53-78
1999-04-30
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/5711
Right
Hitotsubashi University Repository
5
3
大学 ・差別 ・自由言論
-合衆国の ス ピーチ ・コー ド論争 における 「
大学」分析一
松
一
間題の所在
二
連邦裁判所 におけるスピーチ ・コー ド
田
浩
1 ミシガン大学事件
2 ウィスコンシン大学事件
3 セ ントラル ・ミシガン大学事件
4 小指
三
憲法学説におけるスピーチ ・コー ド
1 類型化 の視角
2 一元的規制容認論
3 -元的規制否認論
4 二元的規制容認論
四 若干の考察- 「
大学」分析の効用
一 一問題の所在
人種 ・民族 ・宗教 ・性別 ・性的指向 ・出自などに基づ く差別的な侮辱表現を
,
法的に規制すべ きか否か という論点日には 「
表現の自由」 と 「平等」 とい う
二つの憲法的価値の緊張関係 に起因する原理的難問が含まれている。優越的地
位にある表現の自由を最大限尊重す る 「
特殊な国家」書2 たることに自国のアイ
デンティティをおきなが ら,その一方で根深い人種差別 ・人種対立の克服へ向
けて困難な歩みを続 けてきたアメ リカにおいて, この論点をめ ぐる理論的対抗
はそのまま深刻な社会的対立 に連なっている。八〇年代末以降, この論点をめ
ぐる新たな論争の火蓋を切 る恐 らく最大の引 き金 となったのが,全米の大学 に
5
4
一橋研究
第2
4巻 1号
お けるいわ ゆ るキ ャ ンパ ス ・ヘ イ ト ・ス ピーチ ・コー ド (
Camp
usHat
e
S
p
e
e
c
hCode
)の導入であ った0
3八六年か ら八七年 にかけて,各地の大学キャ
ンパスにおいて一部学生 らによる人種主義的 (
r
a
c
i
s
t
)な暴力や威嚇, 嫌 が らせ
の事件発生が ピークに達 し,その対応策 として,人種 ・民族 ・性別等に基づ く
侮辱的.威嚇的な言論を含む大学構成員の行為を制裁 の下 に禁止す るキ ャンパ
ス規則の制定があいっ ぎ,喧 しい合違憲論争を惹起 した。り
ス ピーチ ・コー ドをめ ぐる憲法論争の表舞台では,確かに 「
表現の自由」 と
「
平等」 とい う二つの憲法的価値の綱引 きが行われた と見 る ことがで きる。 一
方 は,「
表現の 自由」 の絶対的価値を楯 に著 しく不快な言論 といえ ど も寛容 さ
れ るべ きであると主張 し-5
,他方 は,人種差別の構造 と密接不可分の関係にあ
る人種主義的侮辱表現 は 「
平等」理念 に照 らして許容 され るべ きでないと反論
す る. しか し 「
表現の 自由」か 「平等」か とい う一般的な対抗軸 に解消 され吃
い一つの重大 な争点が舞台裏 に伏在 していた ことを見落 と して はな らない。●6
それは,比嶋的な意味でな くまさに論争の舞台その ものの認識 に関わる争点,
すなわち 「
大学」 の性質を どうみ るか という争点である。
修正一条法学 の泰斗 R ・A ・スモラ (
RodneyA.S
mo
l
l
a)はスピーチ ・コー
ドの憲法分析の予備作業 と して 「
大学」 の二っの理念 モデルを提示 している。
思想 の
第- は,無制約の表現 の自由を特徴 とし,I・S・ミル流の開かれた 「
市場」 を熱烈 に奉 じる自由至上主義 (
1
i
be
r
t
a
r
i
an)の島 という見方である (自
由至上主義 モデル)
。第二 は,人間の理性的能力が盲 目的 な感情 や偏見 に うち
勝つべ き場所,すなわち平等 ・礼節 ・寛容 ・人間の尊厳 といった諸価値を尊重
する共同体的な島 とい う見方である (
共同体 モデル)
。り 「
大学」 という舞台に
は歴史的にこの二つの理念 モデルが潜在的に併存 してお り.仮 にどち らかを意
識的に選択すれば 「
表現 の自由」 と 「
平等」 の綱引 きは自動的に決着が付 いて
しまうことになろう。尤 もこれ はあ くまで理念型であ って, スモラ自身 もどち
らかのモデルがあ らゆる場面で絶対的 に貫徹す るとは考えていないOとはいえ,
このモデル論が示す ように,「
大学」 とい う舞台の分析 は, ス ピーチ ・コー ド
論争の帰趨 にとって極 めて重大な位置を占めていることは疑 いない。
本稿 は,かか る認識 を前提 としてスピーチ ・コー ド論争 において 「
大学」の
分析が もっていた位置を析 出す る作業である。 この検証 を通 じて,「大学」 に
おける自由言論分析が一般社会 との関係で有す る特殊性 を明 らかにす ることが
5
5
大学 ・差別 ・自由言論
さしあたりの目的である。
二 連邦裁判所 におけるス ピーチ ・コー ド
まず,連邦裁判所に訴えを提起 された公立大学のスピーチ ・コー ドがいかな
る憲法判断を下 され,そこではどのような 「
大学」分析がなされたかを検討す
る。
1 ミシガン大学事件 I8
連邦裁判所に提訴 された最初のキ ャンパス ・スピーチ ・コー ドは, ミシガン
Uni
ve
r
s
i
t
yofMi
c
hi
ga
n)の 「
大学環境 における学生の差別及び差別的
大学 (
嫌が らせに関する政策」であった。本政策 は,教室棟,図書館,研究室のよう
な 「
教育 ・学問セ ンター」 において次のような行為を行 った者 は懲戒を受 ける
,
と規定する。すなわち 「人種 ・民族 ・宗教 ・性 ・性的指 向 ・信条 ・民族的出
自 ・祖先 ・年齢 ・既婚者たる地位 ・障害 ・ベ トナム時代の退役軍人たる地位に
基づいて,個人に汚名を着せ (
s
t
i
gmat
i
z
i
n
g)
,又 は苦痛 を与 え る (
vi
c
t
i
mi
z
-
a)
個人の学問的努九
i
ng)言語的 ・身体的な行為十 さあって,その行為が 「(
雇用,大学が支援する課外活動への参加又 は個人的安全に対す る明示的又は黙
示的な脅威を含む, もしくは(
b)
個人の学問的努力,雇用,大学 が支援す る課
外活動への参加又 は個人的安全を侵害するような目的又 は合理的に予見可能な
効果を もっ, もしくは(
C
)
教育上の探求,雇用.又 は大学 の支援す る課外活動
への参加 に対する威嚇的,敵対的又 は品位を傷つける環境を生み出す」場合で
ある。◆9
原告 Do
eは生物心理学専攻の大学院生であり,性 ・人種 の間 の生物学 的差
」「人種主義的」
異を指摘す る論争的な理論が,学生 によって 「
性差別主義的
と考え られるか もしれず,そ うした理論の議論が本政策の下で制裁を受 けるこ
とを危倶 した。そのため,かかる理論を自由かつ公然 と論 じる権利が萎縮する
と主張 し,漠然性 と過度広汎性を根拠 として本政策の違憲性の宣言 と差止を求
める訴えを提起 したO川
連邦地裁判決 は,Do
eの原告適格を認めた上で,本政策の合憲性を審査 した。
,
まず 「
許 される規制の範囲」を論 じ 「
一定のカテゴリーは, 修正一条 によっ
て保護 されない」 として,闘争的言辞 (
f
i
ht
g
i
n
gwor
ds
), 猿褒表現, 一定 の
5
6
一橋研究 第2
4
巻 1号
名誉投損 (
l
i
be
lands
l
ande
r
)などを挙げる。 「も し本政策が これ らの領域で
規制す る効果 しか持たないとすれば, どんな憲法問題 も生 じる可能性 はない」
。
「しか し大学が行 ってほな らないのは,伝達を意図 されている意見又はメッセー
ジに不同意であることを理由に,一定の言論を禁止する効果を有す る反差別政
。
たとえどんなに甚
策を立てることである」 「また大学 は,多数の人によって (
だ しくとも)不快であると見なされるという理由だけで,言論を禁止すること
もできない」
o「これ らの原理 は,大学環境 においては特別な重要性を獲得する。
そこでは対立す る意見の自由で拘束のない相互作用が.機関の教育的使命にとっ
て不可欠の ものである」
。
t
l
l
,「言論 を規制す る
以上の一般原則を踏 まえて過度広汎性 につ き検討すると
法律 は,正当に規制で きる言論 とともに,相当量の保護 される言論をその射程
,「本政策が文面上
に含んでいる場合には,過度 に広汎なもの見なされる」が
2っ いで達意的漠然性 の
も適用上 も過度に広汎であることは明 らかである」。●1
,
,
検討 に入 り 「
法律 は 『
通常の知性を もつ人間がその意味を必然的に推測 しな
ければな らない』場合には漠然性故 に達意 となる」が,例えば 「
汚名を着せる
(
S
t
i
gmat
i
z
e
)
」や 「
苦痛を与える (
vi
c
t
i
mi
z
e
)
」 は正確な定義ができないか ら,
「
本政策の明示的な文言を見て も,その範囲の限界や保護 され る行為 とされな
。
本政策の諸条項 は極めて漠
い行為の概念的区別を見分けることはで きない」 「
然 としているため.その執行 はデュー ・プロセス条項 に達反す る」O'13
2 ウィスコンシン大学事件●
1
4
つ いで連 邦裁 判 所 にお いて争 わ れ たの は, ウ ィス コ ン シ ン大 学 機 構
(
Uni
ve
r
s
i
t
yofWi
s
c
ons
i
nS
ys
t
e
m)の学生行為規則 (
以下,UW規則)であっ
た。その八九年改正規則では,大学が以下の状況 における非学問的事項 におい
,
て学生を懲戒で きるとされた。すなわち 「
一個人に向けられ, もしくは別々
の機会に異 なった諸個人に向けられた人種主義的 もしくは差別的なコメン ト,
e
pi
t
he
t
s
)
, その他の表現行為, または身体 的行動」 であ って, そ
罵 り言葉 (
うした行為が意図的に 「当該個人または諸個人の人種 ・性別 ・宗教 ・肌の色 ・
信条 ・障害 ・性的指 向 ・民族 的出 自 ・祖先 ・年齢 を旺め (
de
me
an)
」, かつ
「
教育,大学関係の仕事, またはその他の大学公認の活動にとって, 威嚇的,
敵対的, または品位を旺める環境を生み出す」場合である0 .15 原告 は,過度広
大学 ・差別 ・自由言論
5
7
汎性法理 と漠然性法理の侵害を理由として本規則の違憲宣言 と執行差止などを
求めて提訴 した。
過度広汎性の主張に対 して,被告 は本規則が闘争的言辞のカテゴリーに入 る
i
ns
ky判決日G
は 「(
1
)その発言 自
として合憲性を主張す る.連邦最高裁の Chapl
体によって損害 (
i
nj
ur
y) を与える言辞.(
2
)その発言 自体 によ って即時的な
治安素乱 (
br
e
ac
hoft
hepe
ac
e
) を誘発す る傾向のあ る言辞 」り7と して闘争 的
言辞を定義 したが,その後,最高裁 は少な くとも三点 において同法理の適用範
囲を狭め明噺化 した。(
9現在の法理 は(
2
)だけを含む。(
卦(
2
)に該当す るために
は当該言辞が 「
暴力的憤慨を当然 に誘発す る傾向」がなければな らない。③闘
争的言辞 は 「
聴 き手たる当人に向けられ」 て いなければな らない。 しか るに
「
UW規則の諸要素 は,規制 される言論がその発言 自体 によ って暴力的反応を
誘発する傾向があることを要件 としていないか ら,本規則 は闘争的言辞法理の
現在の範囲を逸脱 している」
CりA
また
「
UW規則は内容に基づいて言論を規制するので,〔被告 の主張す るよ
うに〕本裁判所が本規則の合憲性を判断す るために比較衡量のテス トを適用す
るのは適切ではないO さらに 〔
被告〕理事会の提案す る衡量テス トの下でさえ,
本裁判所 は本規則
本規則 は違憲であると本裁判所 は判断する」。以上 に.
より,「
が過度広汎であり,従 って修正一条を侵害す ると判断する」。 この ほか被告 は
市民的権利 に関する法律第七編 との相似性.UW 規則の限定解釈を主張 して合
憲性を説 くが,判決 はいずれについて も否定に解す るO '1g
漠然性の主張 については,「
原告の指摘する 〔
『
差別的 コメン ト,罵 り言葉,
:
『旺める』 とい う〕 単語 は, 不 当に
その他の表現行為』 という〕 フレーズと l
漠然 としているとは見えない。 しか し本規則 は,話者が敵対的な教育環境を現
実に生み出さなければな らないのか,或いは,そ うす る意図がなければな らな
いだけなのか, という点を明確 に していないか ら漠然 としている」
。'
y
)
3 セ ン トラル ・ミシガン大学事件●
2
1
第三の事件 は,セ ントラル ・ミシガ ン大学 (
Ce
nt
r
alMi
c
hi
ganUni
ve
r
s
i
t
y)
の「
差別的嫌が らせ政策」 (
以下.CMU政策) の下 で発生 した。 この政策 は
以下の行為を阻止 しようとする。すなわち,「(
C
)人種的または民族的属性のゆ
えに, ・・文書 によって個人を旺め (
de
me
an) または中傷する (
s
l
ur
) こと,
5
8
一橋研究 第2
4
巻 1号
もしくは(
d)
個人の人種的または民族的属性 についての否定的含意 を暗示す る
象徴,罵 り言葉 〔
原文では e
pi
t
aphsだが,裁判所は e
pi
t
he
tの誤 りと推定する〕
,
個人を威嚇的,敵対的 または不快 な教
スローガ ンを用いること」 によって,「
育 ・雇用 ・生活環境 にさらす,故意の有無に関わ らず, また身体的であると言
語的であると非言語的であるとを問わない何 らかの行為」であるO'
訟
r
otは,大学バスケ ッ トボール ・チームのヘ ッ ド・コーチ
原告の一人 Damb
であったが, ロッカールームでの選手 とスタッフへの話 の中で, "
ni
gge
r
"と
いう言葉を使 って彼 らを呼んだことか ら騒動が持 ち上 が り, 大学 は Da
mb
r
o
t
はもはや有効にチームを指導できないとして次年度の契約更新を拒否 した。そ
のため Da
mbr
otらは,CMU政策の文面上の違憲性 とそれが本件解職 に適用
された際の修正一条の権利の侵害などを訴えて提訴 したO'
'
B
過度広汎性 については,「
本政策 は,その射程内にで きるだけ多 くの ものを
包含す るべ く起草 されたように見え, 事実 その文言 は包括 的 (
s
we
e
pi
n
g) で
ある」
。「基本的な修正一条の保護を受 ける言論が当該政策によって効果的に抑
CMU は 『闘争的
圧 される。文面上, この政策 は過度広汎であ る」。●
2
4
また,「
言辞』 にのみ対処するものとして本政策の禁止をカテゴリー化 しようとする」
。
だが,連邦最高裁 R.
A.
Ⅴ判決●
2
5
に従えば,「
仮 に 『闘争的言辞』 にのみ適用 さ
れると解釈 されるとして も,本政策 は文面上 の違憲性 を もた らす よ うな内容
(
c
o
nt
e
nt
)および観点 (
vi
e
wpoi
nt
)への制限を含んでい る」
。「
R.
A.
V.にお
けると同様に,CMU政策 は特定の トピック-人種 と民族 にその 目的を限定 し
CMU政策 は 〔
R.
A.
V.における条例 と〕 同様 に観点 を制限
ている」
。 また,「
。「
『
否定的』 な人種的含意 は禁止 されるが, 同 じ人種的 もしく
しようとする」
は民族的属性 に基づ く 『
肯定的』な (
少な くとも否定的でない)含意 は許容 さ
れる」のであるO'
2
6
さらに 「
本政策 は漠然性の故 に憲法上無効で もある」
。「
『
不快な (
of
f
e
ns
i
ve
)
』
や 『否定的 (
ne
gat
i
ve
)』 のよ うな単語 は定義 のために主観 的な言及 を要す
る」
。
●
2
7
従 って,本政策は文面上違憲であり,被告大学 は本政策の執行を差止め られ
mbr
otの言論 は,「彼 と恐 らく彼の選手にとっての私的関心事
る。 しか し,Da
にのみ関わるもの」であり,「
公共的関心事 (
amat
t
e
ro
fpubl
i
cc
onc
e
r
n) に
属する言論ではなか った」ので,連邦最高裁 Co
nni
c
k判決 の分析枠組 におけ
大学 ・差別 ・自由言論
5
9
る最初の要件川を充足せず,修正一条の保護を受 ける権利を有 しない。従 って
「
本政策の過度広汎性 は彼に影響を与えるものではない」。
Dambr
otらの上訴 と大学側の交差上訴を うけて,第六巡回区連邦控訴裁判
所 は,CMU政策の文面上違憲 と Da
mbr
otの言論 が修正一条 の保護 を受 けな
いとした点の双方 について, ほぼ同様の根拠 で原判決維持 の判断を下 してい
るO'2
9
4 小括
以上のように連邦裁判所のスピーチ ・コー ド分析 はいずれ も過度広汎性 と漠
然性を主たる根拠 として文面上違憲を宣言 し,執行差止を命 じた。仮に 「闘争
的言辞」 に狭 く限定 され,文言 も明確 な コー ドが起 草 され た と して も,
Dambr
ot判決が示 したように,R.
A.
Ⅴ.判決以降 において は主題 な らびに観
点差別的規制 として文面上違憲の判断が下 る可能性が高い。 コー ド制定の動機
が人種主義的,性差別的な侮辱や威嚇への対応であったことか らすれば,人種
や性別 といった主題 に無関係な規制 は所期の目的を達することができないだろ
う。R ・M ・オネイル (
Robe
r
tM.0'
ne
i
l
)が言 うよ うに, 連邦裁判所 は公
立大学のほとんどのスピーチ ・コー ドに 「弔いの鐘を鳴 らした」●
:
刑のである。
スピーチ ・コー ドを審査 した裁判所 は,系統的な 「
大学」の分析を行 ってい
るとはいい難いが,そこではかなり素朴な自由至上主義 モデルが前提 にされて
いると見 て よい。 そ の証 拠 に Do
e判決 は, 最 高 裁 の Ke
yi
s
hi
an判 決 書ニ
ー
1
や
S
we
e
z
y判決書
光を引いて
「
〔
大学環境では〕対立する意見の自由で拘束のない相
互作用が,機関の教育的使命にとって不可欠の ものであ るJH
t
l
ことを基本原哩
として宣言 している。「
本裁判所 は,全ての学生 に平等な教育機会 を保障す る
大学の義務に共感するが,そうした努力 は自由言論を犠牲 にするものであって
はな らない」
O'
.
y
'「
多様性の増大 は 『明 らかに憲法上許容 される高等教育機関の
目標』である。 しか しUW 規則はウィスコンシンの各キ ャンパ スの多様性 を
助長するのと同 じくらいにそれを傷つける。内容 に基づいた言論規制を確立す
ることによって本規則 は学生の問の意見の多様性を制限 し,それによって知的
に多様なキ ャンパスの提供す る 『
活発な意見の交換』を妨 げる」.∼
:
妨こうした説
示に見 られるように,「
大学」 は一般社会 よりもいっそ うの 自由を必要 とす る
典型的な思想市場であるという理念が,紛れ もな くスピーチ ・コー ド違憲論の
6
0
一橋研究 第2
4
巻 1号
背後に潜んでいた。
三
憲 法 学 説 に お け る ス ピー チ ・コ ー ド
1 類型化の視角
連邦裁判所判例 において素朴な自由至上主義の 「
大学」分析 しか存在 しない
とすれば,本格的分析 は学説 の展開に得たねばな らない。 しか し学説において
も「
大学」分析を意識的に組み込んだスピーチ ・コー ド論 はむ しろ少数派であ
るのか もしれない。 ここでは代表的なスピーチ ・コー ド論 にどのような 「
大学」
分析が含まれているかを検討するO'
:
砺
ス ピーチ ・コー ドの合違憲論争 は,具体的なコー ドの中味を見なければ しば
しば不毛な議論 に終わる。典型的な合憲論が実 は限定的な合憲論 に過 ぎないこ
とがあり,違憲論 と言われるものにも一定の規制を許容する議論が存在するか
らである。混乱を避 けるためには,すべての論者が同一のコー ドを前提に議論
する必要があるが,遺憾なが ら現実の論争 はか く整然 と行われたわけではない。
そこで以下では,検討の姐上 に載せ る学説が, どのような内容のコー ドを念頭
においているかを可能な限 り明示 した上で,その合憲/達意評価の相対的傾向
性を判定することに したい。
検討の焦点 は,合憲/違憲論の錯綜 した応酬のありようではな く,あ くまで
大学」 と
「
大学」分析のあ りようにある。 このため学説類型化の視角 として,「
一般社会における規制の許容性に差を設 けるかどうか という点が一つの分岐点
,差を認める見解を 「
二元論」
となる。 ここでは差を認めない見解を 「
一元論」
大学」 と一般社会の双方で規制 を認 め る 「一元
としてお く。 この観点か ら,「
的規制容認論」
,双方で規制を認めない 「
一元的規制否認論」 (
最高裁 R.
A.
Ⅴ.
判決を含めて実質的に評価すれば,連邦裁判所の立場 はここに分類 されるだろ
う)
,「大学」では規制を認めるが一般社会では規制を認めない 「二元的規制容
,「大学」では規制を認めないが一般社会では規制を認める 「二元的規刺
認論」
否認論」 という四つの類型が論理的には成立す る。既述のように学説ではメス
を入れるコー ドの具体的内容の唆昧 さもあって,類型化 自体が多分に便宜的 ・
相対的なものにな らざるを得ないが,一応の指標 としての意味はあろう。本稿
は興味深い 「
大学」分析を含んだ六つの代表的学説を採 り上げて類型化を行 っ
た。ただ し, ここには最後の 「
二元的規制否認論」 に該当すべ きものが含 まれ
大学 ・差別 ・自由言論
61
ていない。 これは偏 に筆者 の能力的限界によるが.「
二元論」 と評価 され るべ
き学説のかな りの部分が結論 として 「
規制容認論」を採 っていることは疑 いな
い事実であ り■
3
7
,そ こにこの論争 の特徴の一つが現れているようにも思われる。
その原因 も含めて論争 の全体像の解明は後 日に委ねたい。
以下では論争の展開過程 に即 して, まず問題提起 を行 った 「
一元的規制容認
,続 いてそれに全面的批判を行 った 「
一元的規制否認論」
, これ らを踏 まえ
論」
てより精密 な 「
大学」分析を行 った 「
二元的規制容認論」 の順序 で,「大学」
分析のありよ うを検討す る。
2 -元的規制容認論
S ・ウォーカー (
S
amue
lWa
l
ke
r
)が指摘す るよ うに. 「思想 は唱道者 が い
なければ世間で影響力を持 たない」
。◆
.
'
Wァメ リカにおけるヘイ ト・スピーチ規制
をめ ぐる論争史の中で も八〇年代末以降のス ピーチ ・コー ド論争が,四〇年代
gr
oupl
i
b
e
l
)法論争 相や七〇年代末のユ ダ
か ら五〇年代 にかけての集団誹誘 (
koki
e論争 よ り一段 と激 し
ヤ人居住地区におけるナチ党 の集団行進をめ ぐる S
さを増 したのは,規制を唱道す る有力 な議論が形成 されたか らである。 その最
批判的人種理論 (
Cr
i
t
i
c
alRac
eTh
e
o
r
y)」 と自 ら
前衛の役割を担 ったのが,「
0
マイノ リテ ィ法学者 の一団であ った. ●4
1
彼 らの業績の中で,
の立場を命名す る●4
Ma
r
iJ.
スピーチ ・コー ドとの関連 で最 も重要性 なの は, M ・J ・マ ツ ダ (
Mat
s
uda)*4
2とC・R ・ロー レンス三世 (
Cha
r
l
e
s氏.La
wr
e
nc
eⅢ)'
4
こ
I
の論文
であろうoH4
マツダは,広 く人種主義的なヘイ ト・スピーチに対 して不法行為法 による私
的救済叫5
だけでな く,刑事的 ・行政的制裁を伴 う 「
公的対応」 を迫 る。 「人種
s
u
ige
ne
r
i
s
) カテ ゴ リーとして扱 うのが最 も善 い. そ
主義的言論 は,独特な (
れは極 めて歴史的に擁護 されえず,危険で,なおかつ最 も対応の用意がない人々
の階級その ものへの暴力 と侮辱の永続化 に結びついているか ら,保護 されるディ
スコースの領域 の外 にあるものとして適切 に扱われ るよ うな思想 を提示 してい
c
o
nt
e
nt
/c
ondu
c
t
)」 区分論
る」
。か くして,闘争的言辞法理や 「内容 ・行動 (
のような既成の修正一条の例外を拡大解釈す るアプローチを 「
究極的には修正
一条の構造を脆弱化 させ るもの」 として退 け,最悪 の形態の人種主義的言論 を
特別扱 いす るアプローチが採用 され るo マ ツダによれ ば, このアプ ローチは
6
2
一橋研究
第2
4
巻 1号
「
非中立的かつ価値の付加 されたアプローチだが, 自由言論 の維持 によ りよ く
役立つだろう」.そ してその最悪形態を三つのメルクマール (
① メ ッセー ジが
人種的劣等性 に関わる。② メッセージが歴史的に抑圧 されて きた集団に対 して
向けられている。③ メッセージが迫害的 (
pe
r
s
e
c
u
t
o
r
y
)・憎悪 的 (
h
a
t
e
f
u
l
)・
侮辱的 (
d
e
gr
a
d
i
n
g)である)で特定す る。 この三つ全てに該 当す る最悪 のカ
テゴリーの言論が 「公的対応」を必要 とする根拠 は,明 らかにその内容 と有害
な効果にある。人種的優越性理論が誤 りであることは国際的にも普遍的に受容
されてお り,人種主義の継続 に結合す る考え として犠牲者 に実質的害悪を生む
か らであるQ'4'T
マツダは, このカテゴ リ- ・アプローチを幾っかのハー ド・ケースに適用 し
,
てみせるが, スピーチ ・コー ドとの関連で重要 なのは 「完全 に誤 った社会科
学者のケース」 と 「
大学の特殊なケース」 という二つの事例である。前者では,
学問的環境 において科学的証拠 に基づいて人種的劣等性を支持する社会科学者
,
の見解表明は 「
遵法化することは不適切であるか もしれない」 と述べ る。 そ
れが 「
憎悪 と迫害のメッセージを伴 っていなければ,通常の私的解決で十分で
ある」。◆4
7
後者では,より一般的な 「
大学」の分析が行われているが,マツダに
,
よれば 「
大学 は特殊な場所であり,教育の責任を負い,特殊 な弱 さを持 った
顧客に対する義務を負 う」。学生 は 「コ ミュニティーと知的発達 と自己定義 を
大学にとりわけ負 っている。 このような環境 における人種主義的言論の公的寛
容 は,社会全体における一般的寛容 よりも有害である」
。 それ は加害者 と被害
,
大学がそのために存在 し, 象徴す ると
者にとって有害であるばか りでな く 「
ころの包容,教育,知識の発展,倫理 といった諸 目的にとって害を与える。 シ
ニシズムと憎悪の教訓が,批判的な思想 と探求に取 って代わ る」。 また学生 は
c
a
p
t
i
v
ea
u
d
i
e
n
c
e
)
」に準え られることも,人種主義的言論規
「
囚われの聴衆 (
制がより重要性を増す要因 として示唆 される。*
4
8
か くして独 自のカテゴ リーに基づ く人種主義的言論規制を唱道するマツダは,
大学環境の特殊性 によって規制の必要性 が一層高 まるとす るが, そ こで は,
「
教育環境 における特殊 な有害性」
,「学生の 『囚われの聴衆』性」がキー ・ワー
ドになっている。
批判的人種理論の もう一人の旗手 ロー レンスは最高裁判例の再解釈 と既存法
6
3
大学 ・差別 ・自由言論
理の拡大を通 じて,人種主義的言論規制の憲法的正当性 を訴える. ロー レンス
o
wn判決 '4
9の再解釈 に現 れて い る。 周知 の よ う
の独創性 は,何 よりもその Br
,
政府」 の人種差 別的 「行
に公立学校の人種別学制を違憲 と した この判例 は 「
,
私人」 の人種主義的 「
言論」 に関す るもの とは
動」に関す るものであ って 「
,
分離 の慣行 は, ・・
考え られて こなか った。 しか し, ロー レンスによれば 「
.「
Br
o
wnは,分離学校が達意であるのは第一次 的 に分 離が
『
言論」
lであった」
伝達す る 「メッセージ」一黒人の子供 は不可蝕のカース トであ り, 白人の子供
と一緒 に教育を受 ける適格性 を欠 いているというメ ッセージー の故であると判
Br
o
wnは人種主義 的言論 の内容 を規制 す る もの
示 した」 のである。従 って 「
として読む ことがで き」,そのよ うなものとして 「
言論内容 の規制 が推定 的 に
違憲であるという通常のルールの例外」 なのである。'
.
W
own
こうして内容中立性原則 に対す る明示 的例外 を確立 した もの と して Br
判決を読み替 えた上で, ロー レンスはス ピーチ ・コー ドの問題に接近す るが,
彼がさ しあた り推奨す るコー下は, この大月
旦な再解釈か ら予想 され るような広
汎な規制ではな く, より狭 く既存の闘争的言辞法理 に沿 って起草 されたスタン
f
ac
e
一
フォー ド大の コー ドであるO '51 ここで規制 され るの は意 図的 な対面 的 (
七
〇
一
f
ac
e
)侮辱であり, これは闘争的言辞の 「
機能的等価物 (
f
u
nc
t
i
ona
le
q
ui
va
l
e
nt
)
」 と見なす ことがで きるo またスタンフォー ド・コー ドだけでな くそれ
よりも範囲の広 い規制 も,侵害的な言論か ら 「囚われの聴衆」 を保護す るのに
必要な ものと して正当化で きる。最高裁判例 において も,不快 な言論が望 まな
い聴 き手 のプライバ シーを侵害 した り,望 まない聴 き手 がそれを避 け られない
(
囚われの聴衆」状況) におかれた場合 には,規制が許容 され る。 寮,
状況 「
教室,その他の共有生活空間での人種主義的ポスターの掲示 などはこれに該当
。
マイノ リテ ィー〕学生が平等 な教育機会を受 けることを確保する大学
する 「〔
の責任が,全ての共有 エ リアにおける安全な通行 を確保す る規制のためのやむ
c
ompe
l
l
i
n
g)正当化事由を提供す る」O'5
2 ロー レンスはこうして,
にやまれぬ (
,
対面的な中傷を禁止 し 「
囚われの聴衆」 を保護す る狭 く起草 された人種主義
的言論 の規制を,既存の修正一条法理 の拡大 として正 当化す る。 ロー レンスに
よれば 「
学問的対話 において礼節 と尊重 を要求す るルールは,十全な意見の交
換を抑制す るよりも助長す る」。
マツダにおいて もロー レンスにおいて も一般社会 において人種主義的言論が
6
4
一橋研究
第2
4
巻 1号
,
規制 されるべ き論拠の他に 「囚われの聴衆」 論 と 「平等 な教育機会 の保障」
論●
.
E
;
i
という二つの論拠が 「
大学」の規制を正当化す る追加的根拠 として援用 さ
れている。彼 らの 「
大学」分析の基調 は, スモラの 「
平等 と礼節の島」 として
の共同体モデルといえよう。
3 一元的規制否認論
批判的人種理論の潜在的には広汎な人種主義的憎悪言論規制を容認ない し要
請する立論 にたい して,伝統的な市民的自由擁護派 (
Ci
vi
lLi
be
r
t
a
r
i
an) の立
場か ら反論が開始 された。 その典型 は,N ・ス トロッセ ン (
Nad
i
n
eS
t
r
os
s
e
n
)
の包括的 な ロー レンス批判 畑に見 ることがで きる。ACLU (
Ame
r
i
c
anCi
v
i
l
Li
be
r
t
i
e
sUni
on;アメ リカ市民的 自由協会)を中心 とす る市民的自由擁護派に
とって,批判的人種理論の問題提起 は二重の意味で深刻 に受 け止め られた。第
一 は,それが これまで自明祝 されて きた市民的自由 (
表現の自由,修正一条)
と市民的権利 (
平等,修正-四条)の 「
蜜月」関係 *
5
5
への理論的挑戦であった
ことに関わる。敢えて標語的にいえば 「
表現の自由を通 じての平等」か ら 「
表
現の自由を抑えての平等」へパ ラダイム転換を図 ることが,批判的人種理論の
最大の理論的課題であったといえようO第二 は, この挑戦が ロー レンスのよう
な年来の市民的自由擁護派の内部か ら提起 されたことである。 こうした内部対
立の危機に直面 して,市民的自由擁護派の 「
伝統」を再確認 し,市民的 自由と
市民的権利の共生を訴えることがス トロッセ ンの課題であった。事
5
6
ス トロッセ ンの分析で も,一定の限定 された形態のキャンパス ・ヘイ ト・ス
ピーチは現在の憲法法理の下で規制可能である。 ス トロッセ ンのアプローチの
基本は,既存の法理の厳格な適用にあり,そ して 「
一般的に言論規制の許容可
能性を支配する諸原理が,大学環境における特殊な言論規制の許容可能性の分
析を指導す」 ることにある。大学環境では表現の自由は高め られた保護を受 け
るという S
we
e
z
y判決のような最高裁の宣言が一方 にあり,他方 に人種主義的
言論規制 は大学の文脈でとりわけ重要であると論 じるマツダの立場があるが,
ス トロッセ ンは 「どち らの一般論が仮定す るよりも適切な分析はより複雑であ
,
大学内の特定の文脈 (
c
o
nt
e
xt
)
」に即 した見取 り図を示す。①
る」 として 「
公園,散歩道,伝統的集会所のようなェ リアはパブ リック ・フォーラムに準 じ
て 「
高め られた自由言論保障」が妥当するが,学生寮室のような私的エ リアに
大学 ・差別 ・自由言論
6
5
は適用 されない。寮内の廊下や共同室のようなェ リアはその中問に入 る。②教
室のような学問活動のエ リアも計算 は複雑で あ る。 教室 は, 一方 で典型的な
「
思想の市場」 として不快な言論の交換す ら活発に行われるべ きであ るが, 他
方でマイノ リティ学生 は人種主義的言論が混入す ることによって学問的対話 は
刺激 されるよりも台無 しになると論 じる。 ロー レンスの論 じるところでは,彼
らは学問的交流に参加する機会を奪われ,意見交換 自体が貧困化する。 しか し
この根拠で規制に服す表現 は,学問共同体 に不可欠な思想の自由な流れを保護
するために狭 く定義 されねばな らないだろ う。 もう一 つの規制根拠 と しての
「
囚われの聴衆」論 は,必修 コースの場合や人種主義的発言者 が聴衆 に強 い影
響力を持っ場合 (
教師の場合など)に妥当す る。(
卦しか し観点差別的な言論規
制は,パブ リック ・フォーラムに分類 されない領域や 「囚われの聴衆」状況に
おいて も,無効であろう。提案採択 された多 くのコー ドは文面上あるいは適用
上,違憲的な特定観点の差別である。●57
こうしてス トロッセ ンは,「
大学」 において も一般社会 に適 用 され る法理 を
厳格に適用 してスピ-チ ・コー ド違憲論をとるのだが,批判的人種理論の主張
する 「囚われの聴衆」論 と 「
平等な教育機会」論 にも一定の理解を示 している。
問題 は,既存の法理をク)
)アーす る態様での規制が可能であるかどうか という
ことになろう。彼女の 「
大学」分析では,連邦裁判所の前提 とする素朴な自由
至上主義 モデルはあまりに単純 に過 ぎると同時に,批判的人種理論の前提 とす
る共同体モデルもそれだけでは一面的であって,真正の分析 は個 々の文脈に応
c
t
S
p
e
c
i
f
i
cになされねばな らないということになる。
じて Fa
4 二元的規制容認論
ス トロッセ ンは 「
大学」 と一般社会について分析枠組を変えずに,結論 とし
ても一元論を展開 したが,その文脈 アプローチを押 し進めていけば,当然,一
般社会には存在 しない 「
大学」問有 の文脈が視野 に入 って こざるを得ないだろ
う。そ してその固有性を理論化 して,一般社会ではで きない規制を許容する二
元論が成立する余地が生 じる。
R・R・ポウス ト (
Ro
b
e
r
tR.Po
s
t
)の九-年論文欄は,一般社会 と 「大
学」における自由言論分析を全 く異なるものと措定す る。すなわち,「公共的
ディスコース」 と 「
公立高等教育機関」 とい う二つの領域 における人種主義的
6
6
一橋研究 第2
4
巻 1号
言論規制の分析枠組を泰然 と区別するのである。 この論文は後に 『
憲法の諸領
域』 と題する論文集 '5
9に収録 されるが, この序章で体系化 される 「
共同体 ・管
理 ・民主制の理論」が九一年論文の分析枠組 と密接に関連するので,まずその
アウ トラインを示そう。
共通の信条や運命,個人的アイデンテ ィテ ィ,帰属意
① 「
共同体」 とは.「
識,活動 と関係を支える構造を確立する,共有 される信条 ・利害 ・関与の枠組
み」である。「
管理」 とは,「
合理的で効率志向の目的的な組織」 を示 し,「所
。「民主制」 は,「集団的 自己決
与の目的の達成のために社会生活を規律す る」
。「民主制の本質的問題 は個人的自律性 と集団的自律性の調和に
定を約束する」
,「この調和 は開かれたコ ミュニケーションの構造 〔-公共的デ ィスコー
あり」
ス〕の中でなされる」
。②法 は 「
一定の価値ない し目的の達成 を可能 とす る社
会秩序形態を支持および確立す ることを求める」。共同体的法 は 「共通 の文化
的規範に含まれ るアイデ ンティテ ィを維持 しようとし」
,管理的法 は 「
道具的
理性の利益を得ようとし」,民主制的法は 「自己決定の目的を体現 しよ うとす
る」。③三つの社会秩序形態 は相互補完的であると同時に相互対立 的である0
「
所与の領域の内部では,特定の社会秩序形態の論理が支配 的であ り,他 の競
争者を排除 しているo Lか しこれ ら諸形態 は究極的には相互依存的なので,排
除 された論理 も抑圧できない」
.'
6
0
ポウス トは,人種主義的言論規制の問題 は 「
民主制 ・共同体 ・管理の関係の
全体的範囲の包括的議論を要する」 ものであるとして,九一年論文を論文集の
結章 においている。 この論文の要諦 は,前半で論 じられる 「
民主制」の集団的
自己決定に仕える 「
公共的ディスコース」領域 においては,(
批判的人種理論
の立論を逐一攻撃 して)人種主義的言論規制を原則許容 しない◆6
1のに対 して,
後半で論 じられる 「
公立高等教育機関」 は 「
管理」の論理が支配する全 く別の
領域 に属す ことにある。公立大学 は 「明示的な教育 目的のために設立 された公
政府の目的が確立ずみの ものとされ, コミュニケー
的組織である」。そこは,「
(
ションはその日的達成 に必要な ものとして規制される」領域 -非パブリック ・
フォーラム)なのである。 ス トロッセ ンと違い, ポウス トは 「
大学」内におけ
るパブリック ・フォーラムの存在を完全に排除する。そ してそこでの規制は,
「
道具的理性の論理, とりわけ①大学の教育的使命の性質,② その使命 の達成
に対する規制の道具的関連性,③機関当局の道具的判断に対 して裁判所が示す
大学 ・差別 ・自由言論
6
7
べき敬譲,の三要因に依存す る」
。 ポウス トは最近のスピーチ ・コー ド論争 は
①の要因に関する争 いだ と理解 し,裁判所が展開 してきた三つの目的概念を検
討する。第一 は 「
市民的教育」の概念である。 これは 「
共同体の価値を若者に
権威的に伝達する文化的再生産の過程 として教育を概念構成する。 この価値の
有効性は大部分当然視 され,それを伝統的 コモン ・ローのようなや り方で言論
規制の根拠 として用いる傾向が強い」。第二の 「
民主的教育」の概念によれば,
「
『
公立学校』 は 『
多 くの点でわが民主制のゆ りか ご』である」。 従 って
「公教
育の目的を,公共的デ ィスコースの入 り乱れた世界に十分参加する能力を備え
た自律的市民を排出することと理解す る」
。「民主的教育の主要な特徴は,.公立
高等教育機関内の言論を公共的デ ィスコースのモデルに同化させる傾向にある」
。
第三 は 「
批判的教育」の観念である。 これによれば大学 の 「
第一次的機能 は教
育と研究によって知識を発見 し普及 させること」であるo この概念は修正一条
の伝統的な 「
思想の市場」理論 に密接 に関わ り,政治的関心より認識的関心、
カミ
高い。「
批判的教育」 は,
「
市民的教育」 と対照的に,
「
若者 の間 に再生産 され
「
礼節を欠 く (
unc
i
vi
l
)言論 を検閲
るべき聖典の価値 という考えを排除」 し,
する大学の権能を著 しく制約す る」
。 また 「
民主的教育」 とも対照的 に, 真理
探究は 「
誠実,理性への忠実,方法 と手続の尊重を要求する」か ら 「独 自の特
c
i
vi
l
i
t
y) の要件」が必要 とされ, また真理追究的対話 に関 しての
別な礼節 (
み思想の自由を要求するか ら,嫌が らせや恥辱を与えることのみを目的 とする
悪質な人種主義的言論の規制を妨 げるものではない。 ポウス トの結論的考察で
は,憲法は 「
市民的教育」の名の下 に共産主義の教育を禁止することを許 さな
,
いだろうし 「
民主的教育」の名の下 に教室での高度に不快 な人種的罵 り言葉
を規制することを排除す るものではない。 こうした事例 はポウス トを して 「
批
判的教育」の概念 に向かわ しめる。だが, いずれかの教育的使命の追及を憲法
上どの程度 『
要求』 されるべ きなのかは難 しい問題であり,さらに憲法上異なっ
た性質を もつ多様な教育機能を持っ可能性か らいって も分析 は難 しい。そのた
め,学寮 において は 「市民 的教育」 を追求す ることが許 され よ うし,広場
(
O
pe
ns
pac
e
) に関 しては 「
民主的教育」の要求 に従 うことが求 め られ るか も
しれない。◆
6
2
,
」「民主的教育」「批判的教育」 の
ポウス トの 「
大学」分析 は 「
市民的教育
三つの教育的使命か ら,人種主義的言論規制の許容性を判別 しようとする。批
6
8
一橋研究
第2
4
巻 1号
判的人種理論が前提 とする 「
礼節 と尊重」の共同体モデルは,「市民 的教育 」
概念に近似的であり, これは人種主義的言論の規制に最 も親和的である。他方,
「
思想の市場」を信奉する自由至上主義モデルは,その認識的効能 に着 目すれ
ば 「
批判的教育」概念に,その政治的効能に着 目すれば 「
民主的教育」概念に
接近するだろう。前者 に含 まれる真理探究的対話の要件 は一定の人種主義的言
論の規制を容認す るが,後者 は 「
公共的ディスコース」 と同等に規制を許容 し
ない。 ポウス ト自身 は教室を中心 に 「
批判的教育」の妥当範囲を重視するが,
学寮における 「
市民的教育」や広場における 「
民主的教育」の妥当可能性 も否
定 しない。
M・E・ゲイル (
Ma
r
yEl
l
e
nGa
l
e
)論文 *6
3は,「
人種主義がアメ リカの生
活にまだっ きまとっている」 という認識以外 はポウス ト論文との類似性はない,
と冒頭で断 りを入れているようにアプローチは全 く異なるが,結論 として二元
的規制容認論 とな っている点ではポウス トと同一であるように思われる。彼女
のアプローチの基本 は,批判的人種理論 に共感的な立場か ら修正一条の 「
再想
倭(
Re
i
ma
g
i
n
i
n
g
)
」を試みるものだが, ロー レンスのよ うに修正一条 (自由
言論) と修正十四条 (
平等)を対立的なものと見 るのではな く,「平等 に基礎
をおく修正一条理論」を構築 しようとする。'
朗「
修正一条は,修正十四条によっ
て強化 されて,平等な自由の原理を含み, この原理 は,犠牲者の自由と平等の
権利ならびにわが社会を継続的に再構築する手段である民主的対話への重大な
害悪を阻止するために,あるカテゴリーの人種主義的およびそれに類似 した偏
見的な言論の規制を許容す る」。 この平等な自由の原理 は,大学環境において,
偏見的言論がマイノ リティの教育の平等の権利,大学の対話への平等なアクセ
スを破壊するときに, とりわけ重要 となる。「
教育 は,投票 と同 じく, 他の権
利を保存する権利」であって,「
個人の自己実現だけでな く民主的 自己統治 に
とって も根本的なもの」だか らであるO'
6
5
ゲイルの立場か らみれば,「
典型的な思想の市場」 としての自由至上主義 モ
デルを抱懐する論者 は,人種主義的加害者の 「
強力で第一次的な自由表現の権
利」に犠牲者の 「弓
弓く二次的な礼節 と尊重 に対する権利」を比較考量するのだ
が, これは誤 りであるO まず, これは犠牲者の 「
教育 と表現の平等への第一次
権利」を無視 している。 さらに,修正一条が 「
平等な自由」を保護す ることを
大学 ・差別 ・自由言論
6
9
認識 してお らず,全学生が対等に参加す る教育環境を提供す る大学の責任に向
き合 っていない。「ある者の自由が,別の者の自由と平等 を犠牲 に して追求 さ
れる場合,大学 も修正一条 も傷 を負 う」. ポウス トのい う 「民主的教育」 と
「
批判的教育」を提供 しようとする大学 は,普遍的自由のみな らず 「普遍的教
育」一全学生の平等な機会,参加 と自己実現の平等な権利一にも貢献 している。
「
少な くとも一定の偏見的言論を規制 しないことは, この大学観 を直接 的 に浸
食する可能性がある」。退学や転学や自制 によって 「
犠牲者が新 しい思想 に向
き合い,異なった背景 と観点を持っ人 とコ ミュニケー トするというかつて追い
求めた機会を放棄するな らば,彼 らと加害者の双方が-そ して全体 としての社
会が一修正一条の阻止 しようと図 る損害を被 ることになる」
.'
鵬
ゲイルの議論の要点 は,犠牲者 には 「
平等な発言,平等な自由,平等な教育
への修正一条および修正十四条の権利」があ り, これが問題 となる場合,保護
される言論 と保護 されない言論の境界を移動す ることが要請 される, というこ
とであろう。「
修正一条 は,大学が少な くとも一定の形態 の差別的な言葉 によ
る嫌が らせを除去 された教育的労働環境を提供す る合理的な努力を行 うことを
許容 しており,(さらに修正十四条 と一体 とな って,それを要求 している)。だ
が,修正一条 は毒舌的,残虐的.過誤的,偏見的言論 さえ も保護 して いる」。
そのため,関連す る諸権利 と諸 自由の比較考量を指導す る原理が必要 となり,
ゲイルは帰納的考察によって次のような原理を導 く。「
大学 は, 話者が害悪 を
もたらす ことを意図 し,かつ合理的人間が犠牲者の教育上の権利への重大な侵
害の潜在力を認定する場合に,特定個人に向けられた直接的な言語的攻撃一重
大で持続的な偏見に実際的または歴史的に結びっいた標識を もつ集団への所属
を根拠 とする重大または染みついた嫌が らせ-を禁止 ・処罰で きる」O'
m
ゲイルの 「
大学」分析 は,批判的人種理論の 「
平等な教育機会保障」論を大
学の義務論 としてだけでな く,犠牲者の権利論 (
修正十四条の平等な教育の権
刺,修正一条の平等な自由と平等な発言の権利) として再構成 し, この諸権利
大学」 に特殊 な人種主義
が話者の自由言論の権利に対 して衡量 される結果,「
的言論規制が許容 されることになる。一般社会では, これ ら諸権利が犠牲に供
されない場合,人種主義的言論規制 は必要 とされない。 この点でゲイル論文 も
やはり二元的規制容認論に含めることがで きよう。
7
0
一橋研究 第2
4
巻 1号
∫ ・P ・バー ン (
∫.Pe
t
e
rBy
r
ne
) は,大学の大学構成員に対する関係 は,
州) の市民 に対す る関係 とは根本的に異 なることを基点 として,二元的
国家 (
規制容認論を構築する.相バー ンによれば,国家 (
州)が人種 的侮辱 を禁止 で
きない一つの理由は,表現の検閲者たる資格を持たないか らであるが,大学 は
思考 と知識の具体化 としての言論 に敬意を払 ってお り,大学の中核機能には構
成員に対す る 「
質を向上 させ るための表現規制」が含 まれている。教師と学生
の学問的言論 は,「
批判 とデ ィスコースを促進す るためのデ ィシプ リンの規範」
に従 っているのであって,大学の設定す る言論の水準を満たさないものは制裁
に服すのである。それは 「明噺 ・厳密 ・応答力 ・バランスといった言論の規範
的目標」であるJr
.
∼
'
したが って人種的侮辱の規制の可能性 も,それが大学の学問的な価値 と目的
にどのような効果を持つかを測定す ることによって明 らかにされねばならない。
バー ンによれば,大学 には三つの核心的価値が認め られる。第- に,「真理」
価値である。真理 とは 「
苦痛を伴い,専門的で,公平な探求を通 じて一時的に
確立 された知識,教訓,仮説」であって,真理へのコ ミットは全ての表現を許
すわけではない。人種的侮辱 は,真理価値を持たない噸 りや怒 りに過 ぎず,む
しろ合理的議論を抑制する敵意 と緊張を生み出す ことによって真理探究を妨害
するか ら,真理へのコ ミットは人種的侮辱を禁止す る根拠を提供する。第二の
価値ば,「人文主義 (
humani
s
m)
」であり, これは学生の知的発達,知識 と知
的技能の獲得を目的 とする。人種的侮辱 は,標的学生の学習遂行能力に負担を
負わせるばか りか,大学の民族的 ・国籍的多様性に基づ くコスモポ リタン的文
化における文法違反 (
s
ol
e
c
i
s
m)である。 したが って人文主義的価値 も人種的
侮辱の禁止を支持す る。バー ンは 「
真理」 と 「人文主義」を併せて 「リベラル」
な価値 と呼ぶ。 しか し,重要なことは, こうした価値 に基づ く人種的侮辱の禁
止が,理性的態様 において論駁可能な実体的思想の禁止 となってはならないこ
とである。人種的に不快な ものであって も理性的態様でなされる言論の禁止は,
「
真理」価値を害す るか らである。 もしこれを正当化す るものがあるとすれば,
それは大学の第三の価値である 「
民主制」へのコミットに含まれるだろう。バー
ンのいう 「
民主制」価値 とは社会的流動性 と国富の増大を目的 とした実践的 ・
有用的価値のことであって人種的正義の促進 も含まれ (アファーマティプ ・ア
クション等 もこの価値 に仕える)
,理性的態様でなされる人種的 に不快 な思想
大学 ・差別 ・自由言論
71
の禁止 も正当化 しうるO しか しバーンが これを認めないのは, 第一 に,「リベ
ラル」なコミッ トと 「
民主制」のコ ミッ トが抵触す る場合には,後者 は大学の
アイデンテ ィティに不可欠の ものではないか ら前者が優位すべきだからであり,
第二に,大学が 「
民主制」的 コミットに従事す る場合は一般社会の問題 に立 ち
入っているのであって,そこでは大学内で も市民対国家 (
州) とパ ラレルな関
係が生 じ,話者の一般的な修正一条権 によ って完全 に撃肘 を受 けるか らであ
る。no
か くして,バーンによれば,キ ャンパスでは, 自由言論の一般的権利 は,学
問的対話の知的価値 (
「
真理」 と 「
人文主義」
) によって条件づけられる。 これ
らの学問的価値の保護が,人種的侮辱言論を州立大学が禁止することを許容す
る。 しか し同時に,合理的態様で人種的に不快な意見を唱道す る話者を処罰す
ることはできない。■
7
1
四 若干の考察- 「
大学」分析の効用
連邦裁判所 は 「
大学」の自由至上主義 モデルを基調 に据え,既存の法理 に依
拠したスピーチ ・コー ド達意判決を下 した。 これは大学を典型的な 「
思想の市
場」 と性格づける連邦最高裁の伝統 にそった ものである。 スピーチ ・コー ドの
合憲性を弁証 しようとする批判的人種理論 は,新 たな法理 の創造 ・既存法理の
組み替えと同時に, 自由至上主義 モデルとは反対の 「
大学」 モデルを も提示す
る必要 に迫 られた。「
囚われの聴衆」論 と 「
平等な教育機会保障」論 を実質的
根拠 とする 「
礼節 と平等」の共同体 モデルがそれである。
しか し,論争の進展 は不可避的に, この二つのモデル論の選択 に止 まらない
ヨリ複雑な 「
大学」分析を生み出すに至 ったOその一つの方向性 が,「大学」
の空間的多様性 に着 目した機能的議論である。「
大学」には, 広場 や道路 のよ
うな公共空間,教室や研究室のような教育研究空間,学寮のような居住空間な
どが併存 し,それ らが全体 として一個の社会を構成 している。 もともとこうし
た諸々の空間を一色で塗 りつぶ して しまうことには限界があった。 もう一つの
方向性が,「
大学」の目的的多様性 に着 目 した本質的議論であ るO ポウス トは
①礼節を弁えた市民の育成,②真理 と知識の批判的探求,③政治社会で活躍す
る公民の養成, といった諸 目的を区別 した し,バー ンは①真理の追求,②学生
の知識 と技能の修得,③社会的流動性 と国富の増大, といった諸 目的を弁別す
7
2
一橋研究
第2
4
巻 1号
る。 こうした諸 目的のどれを ヨリ貴重な ものと見 るかによって,確かに 「
大学」
における望 ま しい言論の規範 は変わ って こよう。
こうした機能的議論 と本質的議論 は複雑 に交錯す るだろう。 まず,「
大学」
の本体 とも言 うべ き教育研究空間が真理の追求 (ポウス トの②,バーンの①)
を第一次的目的 とすることに異論 はなかろう。 ここでは,真理 と知識にわずか
で も稗益すべ き合理的 ・理性的な言論 は殊更に保護 されねばならない。典型的
な 「
思想の市場」 としての自由至上主義モデルが第一次的に合意 しているのは,
まさにこの場面である。 しか し重要なのは,「
大学」における学問的認識 には
一定の内容的 ・手続的要件が備わ っており,正確な認識を阻害するような非理
性的言論 には制約を加える余地が認め られることであろうOその認定は困難で
はあるが,可能な限 り大学人の自主的判断に委ね られるべ きものである。 「真
理」 目的が教育研究空間の研究面を重視するものだとすれば,同時に学生の知
的発達 (
バー ンの②) という教育面を重視する目的 も軽視 してほならないだろ
う。 この観点か らは,学生が平等 に教育過程に参加することが保護 されなけれ
ばな らない。批判的人種理論が 「
平等な教育機会保障」論 として説 き,それを
ゲイルが 「
平等な教育 ・発言 ・自由」の権利 として再構成す るところは, ここ
に関連 して くる。 これを直接的に阻害す るような言論 には 「
大学」に固有な制
約を認める余地が存在 しよう。
本体たる教育研究空間の目的に少な くとも以上 の要素 が含 まれ, ここで は
「
大学」特有の言論規範が妥当すべ きだ とすれば,それ以外 の空間で は, この
本体 との性質的 ・目的的距離に応 じて妥当な規範を確立することができよう。
広場のような公共空間が,「
大学」外の同種の空間 と同様のパブリック ・フォー
ラムとして扱われるべき (ス トロッセン)なのか,それともやはりそこも 「
大
学」の一部 と して特殊な 「
管理」 目的に委ね られる (ポウス ト)のかは議論が
分かれるところであった。ただそこは,教育研究空間のように 「
真理」 目的や
大学」
「
学生の知的発達」 目的に直接仕えることを予定 された場ではないから,「
に特殊 な言論規制を認める余地は相対的に少ないと思われる。公共空間が 「
大
学」 と一般社会の境界 として, 員的的にも唆味な限界領域を構成するとしたら,
学寮のような居住空間はまだ しも 「
大学」の内部 としての性格を色濃 く備えて
いる。 もともとイギ リスのカレッジ制度に範をとって誕生 したアメ リカの大学
は,ユニバーサル段階の大衆化を迎えた現在で も,大学生活に占める学寮の比
大学 ・差別 ・自由言論
7
3
重 は依然大 きい。 ここは生活空 間 で あ ると同時 に, 目的的 に も教育研究空 間の
延長 と見 るべ き余地 が あろ う。
ス ピーチ ・コー ド論争 の展開 か ら明 らか とな った ことは,「大 学 」 が機 能 的
に も本質 的 に も多面体 であ って, そ こでの 自由言論 分析 には多様 な空 間 と複雑
な 目的を考慮 に入 れた きめ細 か さが要求 され る とい うことであ った。真理 の探
究 とその伝達 を最大 の 目的 とす る 「大学」 が, その 目的 に仕 え うる言論空 間 を
創出す るために は,一般社会 とは異 な った基準 によ る言論 の保護 と規制 が必要
とされ る。 で は, その基準 はどの よ うな もの と して一般理論化 で きるであ ろ う
か。本稿 は この課題 へ向 けて の ささやか な予 備作業 に過 ぎな い。
*
1 この論点について日本でも近年,人種差別撤廃条約批准問題 とも絡み,部落差別
的表現,女性差別的表現 (
ポルノグラフィー等)の規制を実践的視野に入れた憲法論争
が活発に展開されてきた。代表的な憲法分析 として,内野正幸 『
差別的表現」
l(
有斐閣,
1
9
9
0
年)
,同 『
人権のオモテとウラ』四章 (
明石書店,1
9
9
2
年)
,奥平康弘 『憲法の眼』
9
9
8
年)
,横田耕一 「
人種差別撤廃条約 と日本国憲法」
『
現代立憲主義の
七章 (
悠々社,1
1
3
頁 (
有斐閣,1
9
9
3
年)
,戸松秀典 「
表現の自由と差別的言論」 ジュリ1
0
2
2
展開 ・上』7
号 5
7
頁 (
1
9
9
3
年)
,大沢秀介 「
差別的表現」法学教室1
7
8
号 5
5
貢 (
1
9
9
5
年)等,参照。
2 阪口正二郎は,アメリカの表現の自由の伝統を 「絶対主義的な 『
国家からの自由』
」
であるとし,そこに 「
普通の」欧州諸国と異なる 「
特殊な国家」たる所以を見出 し,近
年の差別的表現規制や選挙資金規制 といった争点をめぐるその伝統の 「
動揺」 を論 じる
が,結論的には 「
現状の記述 としては,そう簡単にパラダイムの転換を語 りうる状況 ま
でに至 っているわけではない」という。阪口正二郎 「
表現の自由をめぐる 『
普通の国家』
」東大社研編 『
2
0
世紀 システム ・5国家の多様性 と市場 』1
3
貢 (
東大
と『
特殊な国家』
出版会 ,1
9
9
8
年)
0
3 スピーチ ・コー ド論争をアメリカのヘイ ト・スピーチ問題史の中に位置づけた も
*
*
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のとして,S
(
1
9
9
4
).
邦語で論争の概要を知るには,脇浜義明編訳 『
アメリカの差別 問題』(
明石書店,
1
9
9
5
年)参照 (
原書は,Pa
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1
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)
)
.
*4 スピーチ ・コー ドは公立 ・私立を問わず多 くの大学で制定されたが,私立大学の
t
a
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eに当たらないので直接には憲法上の制約を受 けない。従 って本
場合は制定主体がs
稿で扱 う憲法論は第一次的に公立大学のコー ドを念頭にお くものである。
*5 その最 も透徹 した理論 として,LeeC.Bol
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1
9
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)
.
*
6 ヘイ ト・スピーチ論争から,「集団」か 「個人」か,「国家からの自由」 か 「国家
による自由」か,など多様な理論的対抗軸を読みとるものとして,阪口正二郎 「差別的
7
4
一橋研究 第2
4
巻 1号
表現規制が迫 る 『
選択』
」法 と民主主義2
8
9
号 4
0
頁 (
1
9
9
4
年)
。同 じくヘイ ト・ス ピーチ
1
)
」 早稲 田法
論争一般を分析するもの として,長峯信彦 「
人種差別的 ヘイ トス ピーチ(
2
巻 2号 1
7
7
頁 (
1
9
9
7
年)
。 ヘイ ト・スピーチ論争の一部 としてのキャンパス ・スピー
学7
チ ・コー ド論争 にはこれ らとともに 「
大学」固有 の対抗軸が内包 されている。
*7 Rodne
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W.W.Van
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3
).
スモラのヘ イ ト・ス ピーチ論 と して,s
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9
).
本判
決およびUWM判決 (
後掲)につ き,内野正幸 「
最近の判例」 アメ リカ法 (
1
9
9
3
1
)
1
1
0頁
判決 に関す る総括 的検討 と して,s
e
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,Sympos
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参照。なおDoe
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0.
なお,Dambr
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の他 に数人のチー ム ・メ ンバ ーの学生 も修正一
条権の侵害を主張 して訴訟 に参加 したが,裁判所 はCMU政策 の文面上達憲 の訴 えにつ
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0.
いてのみ彼 らの原告適格を認めた。I
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2
).
セント・ポー
ル市の 「偏見を動機 とす る犯罪条例」 を達意 とす る この判決 で, スカ リア法廷意見 は
「
闘争的言辞」 に関す るカテゴリー ・アプロ-チに重大な改変 を行 った。 既存 の法理 で
は,闘争的言辞 は修正一条上 の 「
言論」ではないとしてすべて保障対象外 と解 されて き
た。 しか し法廷意見の新見解によれば,闘争的言辞 は 「
『極 めて表現 的な』 要素 を具有
し得 る, けれども同時に 『
憲法上禁止 され うる内容』すなわち 『
非言論要素』 を も具有
して しまうので,後者 の要素の存在故の規制は仕方がない」 とされるのであ り, 従 って
大学 ・差別 ・自由言論
7
5
闘争的言辞 といえども 「"憲法上保障される要素 "が含まれる以上 は, それに対す る規
制は内容規制 (-主題規制)であってはならない」のであるO (
長峯信彦 「憎悪 と差別
の表現」大須賀明編 『
社会国家の憲法理論』(
敏文堂,1
9
9
5
年)4
8
4
4
8
5
頁。 引用文中,
原語による表記を省略。) この改変によって,たとえ規制 が闘争的言辞 だけに及ぶ と し
ても,本件条例は 「人種,肌の色,信条,宗教,性別の故 に」侮辱 ・挑発す る闘争的言
辞のみを規制する内容 (
並びに見解)差別的規制であるとして文面上違憲の結論が導 出
された。一方,ホワイ トの手になる結果同意意見は,法廷意見を批判 して既存 のカテゴ
リー ・アプローチを維持 し,規制が闘争的言辞以外の表現にも及ぶ過度広汎性 を理 由に
文面上違憲の結論を採 っている。R.
A.
V.
判決のその他の論点 も含めて参照,市川正人
1
9
9
3
2
)3
0
5
貢,紙谷雅子 「
憎悪 と敵意に満ちた言論の規制」
「
最近の判例」アメリカ法 (
9
9
8
年)6
3
頁O
憲法訴訟研究会 ・芦部信書編 『アメ リカ憲法判例』(
有斐閣,1
*2
6 Dambr
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3
)
以降 の諸判決が定式化す
*2
8 本判決は,Conni
る公務員の自由言論の権利の行使に基づ く解職の合憲性 に関す る分析枠組 を, (
1
)当該
言論が公共的関心事に属すること,(
2)それが肯認 される場合 に.衡量 テス トの下で保
3
)
何 らかの修正一条侵害が解職 の実質的要素 であ るこ
護を受ける権利を有すること,(
と, という三段階のステップ ・バイ ・ステップのものと捉 え, 本件で は既 に(
1
)の要件
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k判決につ き,
が充足 されないとする.Da
新井章 「
公務員の言論」憲法訴訟研究会 ・芦部信書編 『アメ リカ憲法判例』 (
有斐閣,
1
9
9
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年)1
0
頁参照。
*2
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).「
〔
R.
A.
V.
判決後〕
,少数の大学 はまだ 〔コー ドの修正復活のような〕努力にコ ミッ トし, 法
の変遷に適応 しようとした。 ・・しか しほとんどのコー ドは公式の行動によって礼 にか
なった埋葬に付 されるか,静かに気づかれぬ まま息 を引 きとるに任 され た。
」(
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3 Doe,S
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3.
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*3
5 UWM Pos
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1
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6.
*
3
6 スピーチ ・コー ドの憲法分析を行 う論文は,九〇年代初頭を中心に膨大な数 に上
る。本稿 はそれ らを網羅的に参照できたわけではな く,最 も影響力のあった少数 の論文
に素材を限定せざるを得なか ったO また,現実のスピーチ ・コー ドは,判例 に見 られ る
ように人種,民族,宗教,性別,性的指向その他諸々の多様な標識に基づ く差別表現を
規制 しているが,精密な憲法分析のためにはそれぞれの標識について異な った取扱 いが
必要 となる。 このため特に初期においては 「
人種」に焦点を絞 った論文が多数 であ り,
本稿 もそのような学説に素材を限定 している。
*3
7 Se
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一橋研究
第2
4
巻 1号
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6
)
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サ ンスティンの結論 は次の よ うにな る。 「私 は
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学問の自由の問題を リベラルポ リティクスへの コ ミッ トメ ントの文脈で議論 しよ うと し
てきた。 自由表現のシステムは意見の交換を保護す るよう設計 されるべ きであ る。 この
理解 は,ヘイ ト・スピーチ と考え られるものの多 くを保護することを要求す る。 しか し
罵 り言葉になる言論の制限を許容 Lもす る。大学の環境 にはそれに加えて複雑性がある。
大学 は広 く必然的に言論の規制 に従事 し, この事実 はヘイ ト・スピーチ ・コー ドにつ い
ての多 くの現存す る要求を複雑化 させ る。結局, テス トとなるのは,言論 の制限 が機関
の教育的使命の正統な部分であるのかいなか, という点だろう。その理念を, リベ ラル
」(
I
d.at11
6.
)
な教育へのコ ミッ トメ ン トによって理解 した上でである.
*
3
8 Wal
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・
anot
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4.
*
3
9 内野正幸 「人種的集団誹譲の禁止をめ ぐって ・1-3完」法時6
1
巻 3号 8
6
頁, 6
号1
0
0
貢, 7号6
5
頁 (
1
9
8
9
年)参照。
*
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)
.
*
4
1 邦語 による紹介 として,木下智史 「『批判的人種理論 (
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』
に関する覚書」神戸学院法学2
6
巻 1号 1
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年)
,大沢秀介 「批判 的人種理論 に関
9
巻1
2
号6
7
貢(
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9
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6
年),同 「
批判的人種理論」 ジュ リ1
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9号8
9
頁
する一考察」法学研究6
(
1
9
9
6
年),植木淳 「
人種平等 と批判的人種理論 (
Cr
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」六甲台法学4
4
巻 3号 1
9
頁(
1
9
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年)参照。
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因 み にDo
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判 決 は補遺 (
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9
8
9
年 9月2
2日昼頃に署名 され登録 された。 こ
9
8
9
年 8月号 はその朝に判事室に郵便 で届 け られた
の 〔ミシガ ン・〕 ロー ・レビューの1
が,最初に本裁判所の目にとまったのはその夕刻であった。 マツダ教授の論故 に もっと
早 く気づいていれば, この問題 についての本裁判所の見解 は確実に鋭い ものにな ってい
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ただろう」(
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*44 この他に,RichardDelgado,CampusAntiracism Rules:Constitutional
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1
)が重要である。
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5 その先駆的問題提起 として,Ri
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*49 Brownv.BoardofEducation,347U.
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1 「ス タ ン フ ォ - ド差 別 的 嫌 が らせ 規 定 (
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大学 ・差別 ・自由言論
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」 は次のような嫌が らせを禁止する。「
言論 またはその他の表
現は,以下の場合に人格的中傷による嫌が らせ となる。すなわち,a)性別 ・人種 ・肌 の
色 ・障害 ・宗教 ・性的指向 ・民族的出自に基づいて一個人 もしくは少人数の諸個人 を侮
辱 し, もしくは汚名を着せることを意図 してお り,かっ,b)
侮辱 し, もしくは汚 名を着
せ る対象たる当の個人 もしくは諸個人に直接 向 け られてお り, かつ ,
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)侮辱 的 または
『闘争的』な言辞 もしくは非言語的象徴を使用 して い る, 場合 であ る」。 この文脈 で,
「
侮辱的または 『闘争的』な言辞 もしくは非言語的象徴 というのは 『その発言自体によっ
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)を誘発
て損害 (
する傾向のある』 ものであって,性別 ・人種 ・肌の色 ・障害 ・宗教 ・性的指 向 ・民族的
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)な怒 りまたは侮辱 を伝達す る
出自に基づいて人間に対する直接的かつ感情的 (
ものと通常理解 され るもの」である。その起草者の手 になる次の文献を参照。Th
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3 スピーチ ・コー ドの具体的内容には間接的な役割 しか果た していない彼のBr
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,
再解釈は 「
平等な教育機会」論において直接的な関連性 を帯 びて くる。 彼 は修正一条
own判決 か ら引 き出 され
の侵害 に衡量 され るべ き人種主義的言論の重大な侵害 は,Br
る「
心理的侵害」
「名誉の侵害」
「
平等な教育機会の否定」 であ ると主張 す る.(
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)彼が Br
own判決をシンボル的に扱 う背景の一つには,大学を含む教育環境 に
おける人種主義的言論規制の特異な正当性を弁証 しようとす る意図があるといえよう。
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5 阪口,前掲 (
註 2)論文,2
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頁。 それを象徴す るのが公民権運動の時代に著 さ
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6 同様の立場か ら批判的人種理論の総括的批判 を行 う文献 と して,He
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ただス トロッセ ンと違 い, ゲイツ
は「
勿論,大学界の内部統治 とそれより大 きな憲法学の問題 の関係 は,それ 自体議論 の
的である.確かに,アカデ ミーにおける会話の限界がパ ブリック ・フォー ラムのために
規定 された限界を反映 しなければな らない, と論 じるものはほとんどなかろ う。 それで
も言論法学によって確立 されたエー トスは,完全に公的で も完全 に私的で もない, そ う
した機関に甚大な重要性を持っ」(
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)として,一般 自由言論分析 に専 ら焦点 を
当て 「
大学」分析を行 っていない。
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7.
なおス トロッセ ンは, ロー レンスの推奨
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)ち,内容 ・観点中立性原理を侵害 し, 闘
するスタンフォー ド規則 (
争的言辞法理の限界を越えるか ら 「憲法 的検閲 を通過 しないだ ろ う」 とす る。I
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一橋研究
第2
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巻 1号
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7.
長峯,前掲 (
註 6)論文 ,2
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照。
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3.
さらにその限定原理 として,制裁の比例性 と謙抑性, 深刻 な心理
的害悪あるいは敵対的 ・威嚇的教育環境を生み出す高度の蓋然性の要件,大学規則 にお
ける具体的例示の必要,「
疑わ しきは自由言論の利益に」の推定原則などを挙 げている。
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3.
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1 バー ンは,大学が州 と異なってかか る規制がで きる法的根拠 は, 栄- に大学を
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orとして評価すべきではないこと,第二に真理 と人文主義に仕える限 り大学の
行為は憲法的学問の自由によって保護 されるべきこと,であるという。(
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.
)
第二の根拠 は, バー ン独 自の学問の 自由理 論 (
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1
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8
9
).その紹介 として拙稿 「合衆国における 『二つの学問の自由』につ いて」一橋論
叢1
2
0
巻1
号9
2
頁以下 (
1
9
9
8
年)参照。)の応用として興味深いが,第- は,既存の s
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on法理か らの明 らかな離反であり,その説明 も説得力を欠いている。
(
追記)校正段階で,本稿 と同一の主題を扱 う小谷順子 「
合衆国修正一条 と大学におけ
る表現の自由」法学政治学論究4
0
号2
6
3
貢 (
1
9
9
9
年)に接 した。参照を乞 う。
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