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三遊亭円朝 敵討札所の霊験 ダウンロード

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三遊亭円朝 敵討札所の霊験 ダウンロード
敵討札所の霊験
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
巡礼の娘が、立派な侍を 打留 めまする。その助太刀は左官
で、巡礼が仇 を討ちましたお話で、年十八になります 繊弱 い
一席申し上げます、是は寛政十一年に、深
川元町 猿
子橋 際 一
の半
襟 を重ねまして、燃えるような 長襦袢 を現 わに出して、
の 山繭 の胴
抜 の上に藤色の紋附の裾 模様の部屋著 、紫
繻子 色になりましたのは、 別 して美しいものでございます。緋
が顔へ懸りまして、少し 微酔 で白
粉気 のある処 へぽッと桜
の垂れるような薄色の 笄 の小長いのを挿 し、 鬢 のほつれ毛
でございましょう、 大島田 はがったり横に曲りまして、露
ぶらり〳〵と通掛りますると、茶屋から出ましたのは 娼妓 しょうぎ
の才
取 でございますが、年配のお方にお話の筋を承わりまし
若い 衆 に手を引かれて向うへ 行 きます姿を、又市は 一 と目
ながものがたり
さかきばら
えちごたかた
てしゃ
がわ
はんえり
しゅ
たま
べっ
せんけんようちょう
よろ
ほろえい
こうがい
おおしまだ
たのを、そのまゝ綴りました 長物語 でございます。元榊
原 見ますと、二十五で血気でございますから、余念もなく 暫 おにぐみ
たき
たゝず
あ
わかいしゅ
ところ
あら
じょろや
ながじゅばん
すそ
うしろ
びん
様の御家来に 水司又市 と申す者がございまして、 越後高田 く見送って居りましたが、
くにづめ
もみじ
なり
うしろ
なじみ
さ
のお国では 鬼組 と申しまして、お役は下等でありますが手
者 又﹁どうも実に 嬋娟窈窕 たる美人だな、どうも盛んなる所
ふかがわもとまち さ る こ ば し ぎわ
の多いお組でございます。この水司又市は十三歳の折両親
美人ありと云うが、実にないな、 彼 のくらいな婦人は二人
かつ
なん
おしろいけ
に別れ、お国
詰 になり、越後の高田で文武の道に心掛けま
とは有るまい、どうもその 蹌 けながら赤い顔をして行 く有
ふくべ
こなが
かよわ
して、二十五の時江戸詰を仰付けられましたので、とんと江
様はどうも 耐 らぬな、どうも実にはア美くしい﹂
あた
戸表の様子を心得ませんで、江戸珍らしいから諸方を見物
と思って 佇 んで居りますと、 後 から女
郎屋 の若
衆 が、
い
は
いかゞさま
ほかさま
ひ
ゆ
うか
しばら
むらさきじゅす
致して居りましたが、ちょうど 紅葉 時分で、王
子 の滝 の 川 若﹁えへ⋮⋮﹂
まちだかばかま
そうもんうち
あ
わかいもの
ぎ
へ往 って瓢
箪 の酒を飲干して、紅葉を見に 行 く者は、紅葉
又﹁ 何 だい 後 からげら〳〵笑って﹂
ねづごんげん
さいがん
どうぬき
の枝へ瓢箪を附けて是を 担 ぎ、 形 は黒木綿の紋付に小倉の
若﹁ 如何様 でございます、お 馴染 もございましょうが、え
たび〳〵つぶ
だいぶ
やままゆ
高袴 を 襠
穿 いて、 小長 い大小に下駄穿きでがら〳〵やって
へ⋮⋮外
様 からお尻の出ないようにお話を致しましょう、
くるわ
じょうろ
うちと
来まして、ちょうど 根津権現 へ参詣して、 惣門内 を抜けて
えへ⋮⋮お馴染もございましょうがお手軽様に一晩お 浮 れ
さいとり
参りましたが、只今でも全盛でございますが、昔から 彼 の
は如何で、へい〳〵〳〵﹂
はちもんじ
ゆ
は度
廓 々 潰 れましては又 再願 をして又立ったと申しますが、
又﹁何だい貴公は﹂
みずしまたいち
其の頃贅沢な 女郎 がございまして、吉原の真似をして惣門
若﹁えへ⋮⋮御冗談ばかり、遊女屋の 若者 で、どうも誠に
あちらこちら
おうじ
内で 八文字 で道中したなどと、天明の頃は 大分 盛んだった
ゆ
と云うお話を聞きました。 彼方此方 を見ながら水司又市が
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
あが
たゞ
切な物だのう﹂
そば
はやへい〳〵﹂
あが
若﹁えへ、まず兎も角もお 上 り遊ばしては如何﹂
い
又﹁遊女屋の若者、成程これは何だね大分左右に遊女屋が
又﹁だが 登 りもしようが、婦人を傍 へ置いて 唯 寝る訳にも
しょくもつ
見えるが、全盛の所は承知して 居 るが、貴公に聞けば分ろ
かんが、何か食
往 物 を取らんではならんが、酒と肴はどの
い
うが、今向うへ少し微酔で、顔へほつれ毛がかゝって、赤
くらいな値段であるか承わって置こう﹂
あ
い顔をして男に手を引かれて行った美人があるが、 彼 れは
若﹁えへ⋮⋮御存じ様でございましょう、おとぼけなすっ
たゞ
何かえ遊女かえ、 但 しは堅気の娘のような者かえ﹂
て、お小さい台は五拾疋でございます、大きい方は百疋で、
まず
やす
若﹁へえ、只今へえ⋮御縁の深いことで、あれは手前方の
中には六百文ぐらいのお 廉 いのもございます﹂
こまし
お職 から二枚目をして居ります小
増 と申します﹂
又﹁ふう百疋、成程よい遊女を揚げれば 佳 いのを取らなけ
しょく
又﹁はア貴公の 楼名 は何と云う﹂
ればならんのう、成程それでは酒は別だろうな﹂
よ
若﹁へえ⋮⋮楼名、えゝ 増田屋 と申します﹂
若﹁へい召上りませんでも 先 一本は付けます﹂
ろうめい
又﹁成程根津で増田屋と申すは大分名高いと聞くが、左様
又﹁百疋で肴は何のくらいなのが付くな﹂
ましだや
かえ増田屋で今の婦人は﹂
若﹁へ⋮⋮おとぼけでは困りますな、大概遊女屋の台の物
つけあわ
若﹁小増と申します﹂
は 極 って居りますが、小さい鯛が片へらなどで、 付合 せの
まし
方が沢山でございます﹂
きま
又﹁成程増田屋で 増 を付けるのは榊原の家来で榊原を名乗
るようなもので﹂
又﹁それは高いじゃアないか、越後の 今町 では眼の下三尺
いまゝち
若﹁いえ左様な大した訳でもござりませんが﹂
ど
ぐらいの鯛が六十八文で買える﹂
あげだいきん
又﹁国から出たてゞ何も知らぬが、何かえ 揚代金 は 何 のく
こ
若﹁御冗談ばかり仰しゃいます﹂
ぴき
らい致す、今の美人を一晩買う揚代は﹂
又﹁厄介になろう﹂
あが
若﹁へい〳〵大概五拾 疋 でございますが、あのお 妓 さんは
あ
若﹁有難う存じます、お 揚 んなさるよ﹂
もんめ
﹁あいー﹂
たんと
とん〳〵〳〵と二階へ 上 ると 引付座敷 へ通しましたが、
しゅ
只今売出しで、拾 匁 で、お高いようでございますが、彼 の
くらいな子供衆 は沢
山 はございませんな、へい﹂
又市は黒木綿の紋付に袴を穿いた 形 で、張
肘 をして坐って
なり
はりひじ
ひきつけざしき
又﹁拾匁、随分値は高いが、拾匁出して彼のくらいな美人
あが
を寝かそうと起そうと自由にするのだから、実に金銀は大
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
居ると、二階廻しが参りまして、
と云いながら屏風を開けて、
婆﹁厭だよ婆アなんてさ﹂
又﹁これ〳〵婆ア〳〵﹂
婆﹁お呼びなはいましたか﹂
い
婆﹁おやお出 でなはい﹂
又﹁いや 昨夜 な些 とも小増は来 ぬて﹂
てまい
又﹁初めて、 手前 水司又市と申す者、勝手を心得ぬから何
分頼む﹂
婆﹁誠にねどうも、 流行 っ 妓 ですから 生憎 お馴染が落合っ
かね
あいにく
婆﹁何でございますねお前さん、 瓢箪 を紅葉の枝へ附けて
てさ、 斯 う折の悪い時は仕様がないもので、立込んでね﹂
こ
お通んなはいましたねえ、滝の川へ 入 っしゃったの、御様
又﹁左様かね、 予 て聞くが、初会は座敷切りと聞くが全く
そ
こ
子の好 いことゝ云ってお噂をして居たのですよ﹂
左様か﹂
ひど
わかいもの
はやり
又﹁左様か、お前は当家の家内かな﹂
婆﹁まアね 然 う云った様なもので有りますから﹂
ちっ
婆﹁おや厭ですよ、私は二階を廻す者です﹂
吉原の上等の娼妓ならお座敷切りという事も有りました
とうすけ
ほれ
ゆうべ
又﹁なに二階を廻す、この二階を﹂
が、岡場所では左様なことは有りませんが、そこが国育ち
あが
いら
婆﹁あれさ力持じゃアございません、本当に小増さんをお
で知りませんから、成程そうかと又四五日置いて来ました
ひょうたん
指 は 名
苛 いじゃアございませんか﹂
が、また振られ、又二三日置いて来たが振って〳〵振抜か
こ
又﹁何が苛い、買いたいと思ったから 登 ったわ﹂
れるが、 惚 るというものは妙なもので、小増が煙草を一ぷ
い
婆﹁本当に外で見染めて揚るのは一ばん縁が深いと申しま
く吸付けてお呑みなはいと云ったり、また帰りがけに 脊中 は い
ひど
す、本当にお堅過ぎますよ、お袴をお取りなさいよ﹂
をぽんと叩いて、
なざし
と云ううちに小増が出て参りまして、 引付 も済んで台の
小増﹁誠に済まねえのだよ、今度 屹度 来ておくんなはい﹂
い
せなか
物が 這入 りますから、 一猪口 遣 って座敷も引け、床になり
と云われるのが嬉しく思いまして、しげ〳〵通いました
ひきつけ
ましたが、素 より田舎侍でありますから、小増は宵に顔を
が、又市も馬鹿でない男でございますから、 終 には癇癪を
いっちょこ や
見せたばかりで振られました。
して、藤
発 助 という 若者 を呼んで居ります。
や
きっと
婆﹁藤助どん行っておくれ、小増さんも時々顔でも見せて
もと
二
れば好 遣 いのに、酷 く厭がるから困るよ﹂
よくあさもんぎれ
しまい
おこ
翌
朝 門
切 にならんうちにと支度を致しまして、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
くがい
仕様がございませんよ、流行妓てえなア辛いものでそれだ
ま
又﹁これ〳〵袴を出せ﹂
ゝ
から 苦界 と云うので、察して気を長くお出でなさいよ﹂
こ
とて
婆﹁おや誠にどうもお 前 はんにお気の毒でね﹂
こ
又﹁成程是まで度々参っても振られる故、屋敷へ帰っても
お
はやり
又﹁婆ア 此処 へ来い、どうも貴公の家は余りと云えば不実
わし
あいにく
同役の者が⋮それ見やれ、 迚 も無駄じゃ、詰らぬから止せ
い
ではないか、一度も小増は快く 私 が側に 居 ったことはない
そ
と云って大きに笑われ、迚も貴公などには買遂げられぬ駄
い つ
なび
ぞ﹂
わし
目だと云われたが、金ずくで自由になる事なら誠に残念だ
や
婆﹁何
時 でも 然 う云って居 るので、生
憎 と流
行 っ 妓 だから
から、幾ら 遣 れば必らず私 に靡 くか﹂
ま
ね、お 前 はん腹を立っては困りますよ、まことに間が悪い
婆﹁ねえ藤助どん、金ずくで自由になればと云うが⋮⋮ま
そ こ
じゃアねえか、お前はんの来る時にゃアお客が落合ってさ、
お
アねえ 其処 は義理ずくだからね、お金をまアねえ二拾両も
あと
済まねえとお帰し申した 後 でお噂して、一層気を揉んで 居 じょう
遣って長襦袢でも買えと云えば、気の毒なと云って嬉しい
ま
りますのさ﹂
たび〳〵
はだあい
と思って、又お 前 はんに前より情 の増す事が有るかも知れ
あ
又﹁そんな事は度
々 聞いたが、最早二度と再び来ないが、田
ませんよ﹂
よ
さけさかな
しか
又﹁婆アの云う事は 採 りあげられんが、藤助 確 と請合うか﹂
よ
と
舎者には 彼 アいう肌
合 な気象だから、肌は許さぬとかいう
藤﹁それは義理人情で、 慥 にそれは是非小増さんがねえ﹂
かいとお
見識が有るから、お前が来ても 迚 も買
通 せぬから止せと親
又﹁ 然 らば宜しい、今日は機嫌 好 く帰って二十両持って来
のちふたゝび
とて
切に云ってくれても 宜 さそうなものだ、つべこべ〳〵馬鹿
よう﹂
わっちたち
つか
たしか
世辞を云って、此の 後 二
度 来ぬから宜いか、其の方達は余
と笑って、其の日は屋敷へ帰ったが、勤番者で 他 から金
しか
程不実な者だね、どうも﹂
子を送る者もないから、大事の大小を 質入 して二十五金を
はやりっこ
すぐ
ほか
婆﹁不実と云ったって 私達 のどうこうと云う訳には 往 きま
らえ、正直に奉書の紙へ包み、長い水引をかけ、 拵 折熨斗 こ
い
せんからさ、まことに自由にならないので﹂
を附けて金二十両小増殿水司又市と書いて持って参りまし
たれ
がんしょく
しちいれ
藤助﹁へい、あのお 妓 さんは流
行妓 でございますから、お
て、 直 に小増に 遣 わし、これから酒
肴 を取って機嫌好く飲
こっち
おびたゞ
たれ
おこ
おりのし
金で身体を縛ってしまいますから﹂
んで居たが、その晩も又小増が来ないから 顔色 を変えて怒 こし
又﹁小増の身体を 誰 か鎖で縛ると申すか﹂
りました。 毎 もの通り手を叩くこと 夥 しいが、怖がって 誰 あっち
婆﹁あれさ、小増さんに 此方 で三十両出そうと云うと、彼
方 いつ
で五十両出そうと云って張合ってするのだから、まことに
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
藤﹁困りますね何うも⋮⋮御免﹂
婆﹁私は怖いからお前一寸行ってお呉れよ﹂
捕 まると何 取
んな目に逢うか知れまいから驚きますねえ﹂
藤﹁困りますな、 怒 るとあの太い腕で撲 れますが、今度は
軽みたいな人の所へは行かないのだよ﹂
根はんと深くなって居て、中根はんが上役だから下役の足
婆﹁今日は中
根 はんが来て居るので、いゝえさ、どうも中
藤﹁困りますね﹂
婆﹁一
寸 藤助どん往っておくれよ﹂
も参りません。
した。
と 詫 びても聞き入れず、 若者 の胸ぐらを取って 捻上 げま
ら﹂
いけません、 私 どもの云う事を聴くのではございませんか
藤﹁あいた⋮⋮いけません、遊女屋で 柔術 の手を出しては
又﹁これ 宜 くも己 を欺いたな、此
奴 め﹂
藤﹁あいた、痛うございます、何をなさる﹂
又﹁これ﹂
ませんからね、どうも﹂
廓では女の子に男が 遣 われるので、 私 どもの云う事は聴き
藤﹁中々男子だって 然 ういう訳には参りませんので、この
あるか、男子たるべき者が﹂
とっつか
こっち
ど
かよう
わたし
なり
や
やわら
じだらく
こやつ
わかいもの
どうぬき
つか
そ
又﹁此
方 へ這入れ﹂
ちょっと
藤﹁どうも誠に﹂
三
こと
よ
わたくし
又﹁何も最早聴かんで宜しい、再度欺かれたぞ、小増が来
なかね
られなければ来ぬで宜しい、 飲食 は手前したのだから払う
大騒ぎになりますと、此の事を小増が聞き、生意気 盛 の
け
おれ
が、今晩の揚代金 殊 に小増に遣わした二十金は只今持って
小増、止せば 宜 いのに胴
抜 の形 で自
惰落 な姿をして、二十
ちょっと
よ
来て返せ、不埓至極な奴、斯
様 な席だから兎や角云わぬが、
両の目録包を持って廊下をばた〳〵遣 って来て、障子を開
わたくしども
さしあい
ぶた
余りと申せば怪 しからん奴、金を持って来て返せ﹂
けて這入って来ました。又市は腹を立って居たが、顔を見
わたくし
おこ
藤﹁何ともどうも 私共 には﹂
ると人情で、間の悪い顔をしている。
ざかり
ねじあ
又﹁いや 私 どもと云っても手前何と云った⋮ 弁 まえぬか﹂
小増﹁ 一寸 又市さん何をするの、藤助どんの胸倉をとって
とりあ
わ
婆﹁一寸水司はん、生憎今日も 差合 があって﹂
さ、此の人を締殺す気かえ、遊女屋の二階へ来て力ずくじゃ
のみくい
又﹁黙れ、婆アの云う事は 採上 げんが、これ藤助、其の方
ア仕様がないじゃアないか、今聞けばお金を返せとお云い
ご
わき
は何と申した、二十両遣わせば小増は相違なく参りますと
ほ
申したではないか、男が請合って、それを 反故 にする奴が
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
私はどうも田舎侍で気に入らぬは知っているが、同役の者
ても、お前がついに一度も私 に口を利いたこともないから、
んからの事さ、来てさえ呉れゝば宜しい、今まで 度々 参っ
又﹁これさ返せという訳ではないが、お前が一度も来てくれ
だね﹂
大騒ぎになりましたが、丁度此の時遊びにまいって居た
を呼んで来てというに、あゝいた〳〵〳〵〳〵﹂
藤﹁あいた⋮⋮腕が折れます、 一寸 おかやどん、小増さん
に﹂
又﹁田舎侍は 厭 だと云うは、 素 より其の方達も心得 居 ろう
りませんから﹂
かよう
な か ね ぜ ん え も ん
一
げんこつ
おるすいやく
わかいもの
ちょっと
ちょいと
ちょっと
ちゃくし ぜ ん の し ん
とりまき
や
い
なんどけんじょう
ひらぼね
お
にも外聞であるから、せめて側に居て、快く話でもしてく
のが榊原藩の 重役中根善右衞門 の嫡
子 善
之進 と云う者でご
もと
れゝば 大 きに宜しいが、大勢打寄って欺くから⋮ 斯様 なこ
ざいますが、御
留守居役 の御子息で、まだ二十四歳でござ
はしたがね
いや
とを腹立紛れにしたのは私が悪かった﹂
いますから、隠れ忍んで来るが、 取巻 は大勢居まして、
たび〳〵
小﹁悪かったじゃアないよ、 私 はお前 はんのような人は嫌
取巻﹁もし困るではございませんか、遊女屋の二階で 柔術 わちき
わし
いなの、お前大層な事を云っているね、金ずくで自由にな
の手を出して、 若者 に拳
骨 をきめるという変り物でござい
おお
るような 私 やア身体じゃアないよ、二十両ばかりの 端金 を
ますが、大
夫 が是にいらっしゃるのを知らないからの事さ、
ま
千両 金 でも出したような顔をして、手を叩いたり何かして
大夫のお馴染を知らないで通うぐらいの馬鹿さ加減はあり
わちき
さ、騒々しくって二階中寝られやアしないよ、お前はんに
ません、あなた 一寸 お顔を見せると驚きますよ、ちょいと
う
くろで
はさ
ちょっと
やわら
返すから持って帰んなまし、お前はんのような田舎侍は嫌
鶴の一と声で向うで驚きますよ、ね小増さん﹂
じんすけ
たいふ
いだよ﹂
小増﹁ 左様 さ、一
寸 顔を見せてお遣 りなさいよう﹂
がね
と云いながら又市の膝へ投付けて、
と大勢に云われますと、そこが年の 往 かんから直 ぐに立
がんしょく
そ
小﹁いけ好かないよう、 腎助 だよう﹂
上りましたが、 黒出 の黄八丈の小袖にお納
戸献上 の帯の解
うしろすがた
ねじ
す
と部屋着の 裾 をぽんとあおって、廊下をばた〳〵駈出し
け掛りましたのを前へ 挟 みながら、十三間平
骨 の扇を持っ
すそ
て行った時は、又市は 後姿 を見送って、 真青 に顔
色 を変え
て善之進は水司のいる部屋へ通ります。又市は顔を 一寸 見
ふる
まっさお
て、ぶる〳〵慄 えて、うーんと藤助の腕を逆に捻 り上げま
ると重役の中根でございますから、其の頃は下役の者は、
いちごんはんく
した。
さが
重役に対しては 一言半句 も答えのならぬ見識だから驚きま
あと
した。 後 へ下 って、
こ
藤﹁あいた〳〵〳〵、あなた、あいた⋮⋮そんな乱暴なこ
わたくし
とをしては困りますねえ、 私 などの云う事を聞く 妓 ではあ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ない〳〵
にも 内々 に願います﹂
なに
四
かゝ
次第もござらん﹂
け
善﹁これこれ水司、何 うしたものじゃ、遊女屋の二階でそん
善﹁左様か、この小増は私 が久しい馴染で、斯 ういう廓 には
又﹁是は 怪 しからん所で御面会、斯 る場所にて何 とも面目
な事をしてはいかん、 此処 は色里であるよ、左
様 じゃアな
気地 と云って、一つ屋敷の者で私に出ている者が、下役
意
ど
いか、猛 き心を和 ぐる廓へ来て、取るに足らん遊女屋の若い
の貴公には出ないものじゃ、そこが意気地で、少しは 傾城 そ う
者を貴公が相手にして何うする積りじゃ、馬鹿な事じゃア
にも義理人情があるから、私が買って居る馴染の遊女だか
わし
こ ゝ
ないか、 殊 に新役では有るし、度々屋敷を明けては宜しく
ら貴様に出ないのだから、小増の事は諦めてくれ、是は私
あが
うぬぼれかがみ
こんど
ひふきだるま
お
ま
けいせい
くるわ
あるまい、私 などは役柄で余儀なく招かれたり、 或 は見
聞 が馴染の婦人だから﹂
かよう
ちょっと
のぼ
こ
かた〴〵毎度足を運ぶことも有るが、貴公などは今の身の
又﹁へえー左様で、貴方のお馴染で、ふうー﹂
ひとよ
とて
ま
わし
上で 彼様 な席へ来て遊女狂いをする事が武田へでも知れる
小﹁ 一寸 水司はん、私 の大事のね、深い中になって居るお客
ふあしらい
あなた
じ
と直 にしくじる、内聞に致すから帰らっしゃい﹂
というのは此の中根はんで、中根はんに出ている私がお 前 そ こ
なお
い き
又﹁まことに面目次第もございません、つい 一夜 参りまし
はんの様な下役に出られますかねえ、 宜 く考えて御覧なは
やわら
たが、とんと不
待遇 でござって、残念に心得、朋友にも 迚 も
いよ、出たくも出られませんからさ、又お前 はんの様な人に
たけ
田舎侍が参っても歯は立たぬなどと云われますから、残念
誰が好いて出るものかねえ、お前顔を宜く御覧、あの 己惚鏡 こと
に心得再度参りました処が、 如何 に勝手を心得ません拙者
で顔をお見よ、お前鏡を見た事がないのかえ、 火吹達磨 み
けんもん
でも、余りと云えば二階中の者が拙者を欺きまして、あま
たいな顔をしてさア、お 前 はんの顔を見ると馬鹿〳〵しく
い
なび
あるい
り心外に心得まして⋮⋮それ 其処 に立って居ります、貴
方 なるのだよう﹂
すぐ
のお側に立って 居 るその小増と申す婦人に迷いまして、金
と云われるから胸に込上げて、又市 逆 せ上 って、此
度 は
あっこう
わたくし
わちき
を持って来れば必らず 靡 くと申しますから、昨夜二十金才
強く藤助の胸ぐらを取ってうーんと締上げる。
猶 かよう
よ
覚致して持って参りますと、それを 不礼 にも遊女の身とし
藤﹁あなたいたい⋮⋮ 私 を、どう⋮﹂
まえ
て拙者へ対して 悪口 を申すのみか、金を膝の上へ叩付けま
又﹁黙れ、今中根様の仰せらるゝ事を手前存じて居 るか、一
とま
い か
したから残念に心得、 彼様 な事に相成りまして、誠に何う
ぶれい
もお目に 留 り恐れ入りますが、どうか御尊父様へも武田様
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
さい、死にます﹂
藤﹁あいた⋮⋮これはあなた気が遠くなります、お助け下
に出した﹂
つ屋敷の者には出ない、上役がお愛しなさる遊女をなぜ己
なりましたが、霜が降りました故か 靄 深く立ちまして、一
足袋 のまゝ外へ出ましたが、丁度霜月三日の最早 紺
明 近く
とわい〳〵言われるから猶更逆
上 せて 履物 も眼に 入 らず、
達磨や、へご助や﹂
さ、泣面は見よい物じゃアないねえ、あの火吹達磨や、泣
小﹁あれさ、お上役に逢っては一言もないからさ 泣面 して
なきつら
善﹁これ〳〵水司、あれほど云うに分らぬか、若い者を打
擲 尺先も 見分 りませんが、又市は顔に流るゝ血を撫でると、
わし
かぶ
かなめ
みぞ
ぎんすけ
かげ
しちけんちょう
あけ
い
して殺す気か、痴 けた奴だ、左様なる事をすると武田へ云っ
手のひらへ 真赤 に付きましたから、
あいつ
はきもの
てしくじらせるが 何 うか、これ此の手を放さぬか〳〵﹂
又﹁残念な、武士の面部へ疵を付けられ、此の 儘 には帰ら
かなめ
こと
ぼ
と云いながら十三間の平骨の扇で続け 打 にしても又市は
れん、たとえ上役にもせよ憎い奴は中根善之進、もう毒喰
きず
いしおきば
の
手を放しませんから、 月代際 の所を扇の 要 の毀 れる程強く
わば皿まで、 彼奴 帰れば武田に告げ、私 をしくじらせるに
あ
うたい
さが
そうじゅうろうずきん
ちょうちん
ほっけでら
てまる
さ
あと
もや
突くと、額は破れて流れる血潮。又市は夢中で居ましたが、
違いない、 殊 には衆人満座の中にて﹂
いかゞ
たいしょうじ
こんたび
額からぽたり〳〵血が流れるを見て、
と恋の遺恨と面部の疵、捨置きがたいは中根めと、 七軒町 たわけ
ちょうちゃく
又﹁はアお打擲に遇 いまして、手前面部へ 疵 が出来ました﹂
の 大正寺 という法
華寺 の向 う、石
置場 のある其の石の 蔭 に
たわ
善﹁左様なまねをするから打擲したが 如何 致した、汝はな
忍んで待っていることは知りません、中根は早帰りで、 銀助 かえ
みわか
此の 後 斯
様 な所へ立廻ると許さぬから左様心得ろ、 痴呆 め、
という家来に 手丸 の提
灯 を提げさして、黄八丈の着物に黒
ど
早く帰れ〳〵﹂
羽二重の羽織、黒縮緬の 宗十郎頭巾 を冠 って、 要 の抜けた
そゝ
だしぬけ
まっか
又﹁何も心得ません処の田舎侍でござって、一つ屋敷の侍
扇を顔へ当てゝ、小声で 謡 を唄って帰ります所へ、物をも
うち
が斯様なる所へ来て恥辱を受けますれば、その恥辱を上役
言わず 突然 に、水司又市一刀を抜いて、下男の持っている
はしご
まゝ
のお方が 雪 いで下さることと心得ましたを、却 って御打擲
提灯を切落すと、腕が 冴 えて居りますから下男は向うの 溝 こわ
に遇いまして残念でござりまする、只今帰るでござる、こ
へ切倒され、善之進は驚き 後 へ下 って、細身の一刀を引抜
よ
さかやきぎわ
れ女ども袴と腰の物を是へ持て﹂
いて、
かけお
むこ
と急に支度をしてどん〳〵〳〵〳〵と毀れるばかりに階
子 善﹁なゝ何者﹂
ご かよう
又市の跡を付けて来まして、
を駈
下 りると、止せば 宜 いに小増を始め芸者や太鼓持まで
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
せつがい
え、部屋 住 の身の上でも、中根善之進何者とも知れず 殺害 ずみ
と振り 冠 る。
され、 不束 の至 と云うので、父善右衞門は百日の間 蟄居 致
かぶ
又﹁おゝ最前の遺恨思い知ったか﹂
して 罷 り 在 れという御沙汰でございますから、翌年に相成
まか
ようや
あ
ゆ
ちっきょ
と云う若気の至り、色に迷いまして身を果すと云う。こ
り 漸 く蟄居が免 りましたなれども、 最 う五十の坂を越して
いたり
れが発
端 でございます。
居ります善右衞門、大きに気力も衰え、娘お 照 と云うがご
ふつゝか
ざいまして年十九に成りますから、これに養子を致さんで
ちょっと
も
五
はならんと心配致して居りましたが、丁度三月末の事、善
はじめ
右衞門が遅く帰りまして、
てる
水司又市が悪念の発しまする是れが始めでございます。
べっぴん
いま
善右衞門﹁ 一寸 お前﹂
うち
すこぶ
若い 中 は色気から兎角了簡の狂いますもので、血気 未 だ定
あ
妻﹁お帰り遊ばせ﹂
もた
いまし
まらず、これを 戒 むる色に在 りと申しますが、頗 る別
嬪 が
善﹁いや帰りにね武田へ寄って来た﹂
ど こ
妻﹁おや、 大分 お帰りがお遅うございますから、 何処 かへ
だいぶ
膝に凭 れて
お立寄と存じまして﹂
あが
﹁一杯お 飲 んなさいよ﹂
あ
なぞと云われると、下戸でも茶碗でぐうと我慢して飲み
ほれぬ
も
かね
善﹁少し悦ばしい話があるが﹂
わずら
こ
まして 煩 うようなことが有りますが、 惚抜 いている者には
かしら
妻﹁はい﹂
こと
また
振られ、 殊 に面部を打破られ、其の頃武家が頭 に疵が出来
善﹁斯 う云う訳だが、 予 てお前も知っての通り、昨年悴が 彼 どん
ど
つとめ
ると、屋敷の門を跨 いでは帰られないものでございました。
アいう訳になって 私 も最 う勤 は辛いし、大きに気力も衰え
じゅうじろう
わし
又市は無分別にも中根善之進を一刀両断に切って捨て、毒
たから、照に 何 な者でも養子をして、隠居して楽がしたい
えっちゅうのくに
や
訳でもないが、養子を致さんではと思って居た処が、幸い
ねぶ
食わば皿まで 舐 れと懐中物をも盗み取り、小増に 遣 りまし
と武田の次男 重二郎 が養子になるように相談が 極 ったよ﹂
かよう
きま
た処の二十両の金は有るし、これを持って又市は 越中国 へ
妻﹁おやまアそれは 何 うも此の上もない事でございます、
よくちょう
逐電いたしました。 此方 は翌
朝 になりましてもお帰りがな
お屋敷 中 でも親孝行で、武芸と云い学問と云い、あんな方
こちら
いと云うので、下男が迎いに参りますと、七軒町で斯
様 〳〵
はございません、評判の 宜 い方でござりますねえ﹂
はから
うち
と云う始末、まず死骸を引取り検視沙汰、殊に上役の事でご
よ
ざいますから内聞の 計 いにしても、重役の耳へ此の事が聞
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
よ
わたくし
照﹁はいお父様 私
に養子を遊ばす事はもう少しお見合せな
あれ
ね
善﹁それに彼 は武田流の軍学を 能 くし、剣術は真影流の名
なん
すって﹂
そ ん
善﹁見合せる、 其様 な事はありません、何 で見合せるのだ
い か
たんと
人、文学も出来、役に立ちますが、継母に育てられ気が 練 あ
れて居て、如
何 にも武芸と云い学問と云い老年の者も及ば
え﹂
あら
わたくし
ぬ、実に 彼 のくらいの養子は沢
山 あるまい、此の上もない
照﹁はい 私 はまだあなた養子は早うございます、それに他
い
とっさま
有難い事でのう、早く照をお呼びなさい﹂
人が這入りますと、お父様お母様に孝行も出来ません様に
こ ゝ
妻﹁はい、お照や一寸此
処 へお出 で、お父
様 がお帰りになっ
なりますから、私も心配でございますから、 何卒 もう四五
なり
たかまげ
どうぞ
たよ、さア此処へお出で﹂
年お待ち遊ばして﹂
へいぜい
よ
御重役でも榊原様では 平生 は余り好 い形 はしない御家風
善﹁そんな分らぬ事を云ってはいけません、早く養子をし
し
めいせん
で、下役の者は内職ばかりして居るが、なれども 銘仙 の 粗 て 初孫 の顔を見せなければ成りません﹂
は で
はたち
ういまご
い縞の小袖に 華美 やかな帯を 〆 めまして、文金の 高髷 で、
よし
つ ゞ
妻﹁ほんとうに養子をしてお前の身が定まれば、お父様も
しろい
お白
粉 は屋敷だから常は薄うございますが、 十九 や二
十 は
がん
り
よ
私も安心する、双方に安心させるのが孝行だよ⋮⋮まこと
い つ
色盛り、器量好 の娘お照、親の前へ両手を突いて、
にあなた 何時 までも子供のようでございます⋮⋮あんな 好 た
り
い養子はございませんよ、 家 へいらっしゃってもあの 凛々 わたくし
がんが
うち
照﹁お帰り遊ばせ﹂
しいお方で、本当に此の上もないお前仕合せな事だよ﹂
っかさま
善﹁はい⋮⋮此処へお出で、今お 母様 にお話をしたが、お
善﹁さア、はいと返辞をすれば 直 に結納を取交せるから﹂
とゝの
なこうど
ばち
すぐ
様 は去年あの始末、お前にも早く養子をしたいと思った
兄
照﹁はい、 私 はあの 池 の端 の弁天様へ、養子を致す事を三
よめいり
むこ
が、親の慾目で、何うかまア心掛のよい 聟 をと心得て居っ
年の間 願掛 けをして禁 ちました﹂
あにいさま
たが、武田の重二郎が当家へ養子に来てくれる様に 疾 うか
善﹁そんな分らぬ事を言っては困りますよ、弁天へ行って
もっ
はた
ら話はして置いたが、 漸 く今日話が調 ったからお母様と相
う云って来い、願掛けは致したが、親の勧めだからお 然 願 くしかんざし
いけ
談して、善は急げで結納の 取交 せをしたいが、 媒妁人 は高
を破ると云って来い、それで 罰 を当てれば至極分らぬ弁天
こ
と
橋を 以 てする積りで、 嫁入 の衣裳や何かお前の好みもあろ
と申すものだ、そんな分らぬ弁天なら罰の当てようも知る
よ
ようや
う、斯 ういう物が欲しい、 櫛 簪 は斯う云うのとか、立派
まいから心配はありませんよ、これ何時まで子供の様な事
とりかわ
なことは入らぬが、 宜 くお母様と相談して、其の上で先方
そ
へも申込むから宜いかえ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
話をして居ります。
へんがえ
を云って何うなります、私が約束して今更 変替 は出来ませ
をなすっては困りますよ、お忙がしい処をお呼立て申しま
きん﹁どうも 先達 は有難うございます、貴方、あんな心配
妻﹁貴方、そう御立腹で仰しゃってもいけません⋮⋮何時
六
うと存じまして、お照さまに御両親様から急に御養子を遊
きん﹁どう云うたって実に困りますよ、何うしたら 宜 かろ
から何事かと思って来たのだが、どう云うわけだえ﹂
山﹁毎度厄介になりまして気の毒でのう、今日は急に人だ
したのは困った事が出来ましてね﹂
せんだって
ん、直
様 返事をおしなさい、これ照、困りますなア﹂
までもお前子供の様で、養子をすると云うものは怖いよう
ばせと仰しゃるので、嬢様は 否 だと云って弁天様へ 禁 った
すぐさま
に思うものだけれど、私も当家へ縁付いた時は、こんな不
と仰しゃったそうでござりますが、お父様が聴かぬので、
いや
た
よ
器量な顔で恥かしい事だと 否々 ながら来ましたが、また亭
一旦約束したから 変替 は出来ぬと云うので、仕方がないか
どこまで
どちら
ゆ
いや
主となれば夫婦の愛情は別で、お父様お母様にも云われな
ら 私 は養子をする気はない、どんな事が有っても自分が約
いや〳〵
い事も相談が出来て、結句頼もしいものだよ、あいとお云
束したからは 何処迄 も強情を張る積りだが、お父様が腹を
すぐ
かたっくる
へんがえ
いよ〳〵、泣くのかえ﹂
切るの何 のと云うから、寧 そ身を投げて死んでしまおうと、
うち
わたくし
わたくし
善﹁なに泣くとは何事、泣くという事はありません、何だ﹂
小さいお子様の様な事を仰しゃるので困りますよ、何か云
と
うち
いや
いや
いっ
妻﹁まア 其様 にお 怒 り遊ばすな﹂
えば直 に自害をするのなどと詰らん事を云うので困ります、
しろしまさんぺい
うえのまち
みつがなわ
なん
と無理に手を取って娘の居間へ連れて 行 き、種
々 言含め
は思案に余りますから貴方をお呼び申したので﹂
私 おこ
たが 唯 泣いて 計 り居て返答を致しませんのは、屋敷 内 の下
山﹁ふう成程、そうして 何方 から御養子を﹂
そんな
役に 白島山平 という二十六歳になります美男と 疾 うから夫
きん﹁お嬢様の仰しゃるには、白島様には云わぬ方が 宜 い
いろ〳〵
婦約束をして居りました。遠くして近きは恋の道でござい
と仰しゃいますが、あの武田重二郎様ね、それあの 厭 な気
ゆ
ます。逢引する処が別にございませんから、旧来 家 に奉公
の詰るお方で、私も御奉公して居るうち見ましたが、偏屈
ばか
を致して居りましたおきんと云う女中が、 上野町 に団子屋
な 嫌 に堅
苦 しいね嫌な人で、実に困った訳でございますけ
たゞ
をして居るので、此の 家 の二階で山平と出会いますので、
れども、 否 と言切る訳にも 往 きませんから誠に心配してい
こちら
よ
是が心配でございますから、おきんの所へ手紙を出します
うち
と、此
方 はおきんが山平を呼出しまして、二階で 三鉄輪 で
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
世間へ済まぬことになりますから、只今までの事は水にあ
致しましたが、何卒親御の意を背くは不孝なり、あなたも
あなた様の御尊父にも済まぬ事で、 何卒 是れまでお約束は
る事になります、私 の身は仕方がない事でございますが、
と、夫 れより事が顕 われますれば、拙者は屋敷を 逐出 され
束になって居るものを、貴方が 否 と仰しゃれば何
故 に背 く
様の御恩でござります、そのお家の御二男様が御養子の約
事で、これまでお引
立 を 蒙 りましたは、実は武田の 重左衞門 山﹁お照さん⋮⋮この山平は江戸詰に成りまして間がない
らっしゃいます﹂
きん﹁貴方ア切腹なさると仰しゃるし、お嬢様は自害など
訳で﹂
ければ止むを得ず、手前どうも切腹でもしなければならん
子をなすって下さい、只今も金の申す通り、お 聴済 みがな
と思召すなら、あなた親御様の仰しゃる通り武田から御養
な者と 思召 すでござりましょうが、この白島山平を 可愛相 山﹁誠に手前も夢の昔と諦めますから、申しお嬢様 嘸 不実
せんか、然う遊ばせよ﹂
みたいな、彼アいう事もありますから、 宜 いじゃアありま
然うすりゃア知れやアしませんよ、あの 釜浦 様の御
新造 様
すから、ねえ御養子をして置いて時々お逢い遊ばせよう、
て 私 が斬られるかも知れませんよ、ねえ 彼 ア云う御気象で
あ
そばして、何うかあなた武田から御養子をなすってくださ
と困りますねえ⋮⋮お嬢様何う遊ばしますよ﹂
わたくし
い、実は只今まで私はお隠し申したが、国表を 立出 でます
照﹁はい、それ程白島様が御心配遊ばす事なれば 致方 があ
あら
わたくし
おいだ
なにゆえ
たちい
そむ
よ
そむ
さぞ
かわいそう
わたくし
いたしかた
きゝず
ごしんぞ
時男子出産して今年二歳になります、国には妻子がござい
りませんから、それにお国に奥様もお子様もある事は 私 は
かまうら
ますので﹂
少しも知りません、 最 う身を切られるより辛うございます
じゅうざえもん
照﹁えゝ﹂
けれども、あなたのお言葉でございますから、 背 かず武田
こうむ
と娘は驚きまして、じッと白島山平の顔を見て居りまし
から養子致します﹂
ひきたて
たが、胸に迫ってわっとばかりに泣倒れました。
と云いながら、わっと泣き倒れました。
いや
きん﹁あなた奥様があるの、おやお子さん方がお二人、まだ
そ
若いのに、おや然 うでございますかねえ⋮お嬢さん白島様が
七
おぼしめ
御迷惑になりますから、お厭でもございましょうけれども、
どうぞ
思い切って貴方、お厭でも御養子を遊ばせな、此の事が知
おきんも山平も安心して、
ふらち
も
れると物堅い旦那様だからきんもきんだ、長らく勤めて居
そ
ながら娘を二階で逢引をさせるとは 不埓 な女だと仰しゃっ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
居りますから、 襖 を隔てゝ更 るまで書見をいたします。お
て同
衾 をしません。家付の我儘娘、重二郎は学問に 凝 って
武田重二郎を養子にした処が、お照は振って〳〵振りぬい
と 漸 く身
上 の相談をして、お照は宅へ帰って、得心の上
たねえ時々お逢い遊ばす工夫もつきますから﹂
きん﹁宜く仰しゃいました、それで何うでも成ります、ま
事で﹂
山﹁露顕しては止むを得ない、何うしても割腹致すまでの
たせたから 当然 と仰しゃるだけで仕方がありませんよ﹂
ぬばかり、私は二度と夫は持たない、親が悪い、無理に持
んからさ、押して云えば仕方がないから、私は自害して死
振って〳〵振抜いて、同衾をしないので隠し様がありませ
指の先ぐらいは似て居りますから、何うでも出来ますのを、
ば少し位月が間違って居ても 瞞 かしますよ、何うしたって
ごま
照は 夜着 を冠 って向うを向いて寝てしまいます。なれども
きん﹁貴方は又そんな事を云って、仕様がございません、そ
ひとつね
よ ぎ
しゅうと
かぶ
みのうえ
武田重二郎は 智慧者 でございますから、 私 を嫌うなと思い
れじゃア相談の 纏 まり様がございません﹂
ようや
ながらも 舅姑 の前があるから、照や〳〵と誠に夫婦中の宜
と 彼 れの是れのと云って居りますと、折悪しく其の晩養
みおも
ちえしゃ
うち
いつゝきめ
したゝ
だいぶ
すぐ
おげし
まちどお
ぬか
でんすけ
まと
あたりまえ
い様にして見せますから、両親は安心致して居ります 中 、
子武田重二郎は 傳助 と云う下男を連れて、小
津軽 の屋敷へ
なか
こま〴〵
こ
段々月日が立ちますと、お照は重二郎の養子に来る前に最
行って、両国を渡って帰り、 御徒町 へ掛ると、
おいた
ふけ
う身
重 になって居りますから、九月の月へ入って 五月目 で、
重﹁ 大分 傳助道が濘 るのう﹂
ふすま
お腹 が大きく成ります。若い中 は有りがちでございますか
傳﹁先程降りましたが 宜 い塩
梅 に帰りがけに止みました﹂
し
わし
ら、まア〳〵淫
奔 は出来ませんものでございます。お照は
重﹁長い間 待遠 で有ったろう﹂
はさ
うち
懐妊と気が付きましたから何うしたら 宜 かろう、何うかお
傳﹁いえもう貴方お疲れでございましょう、 御番退 から御
すぐ
あ
目にかゝり相談を 為 たいと、山平へ細
々 と手紙を認 め、今
用 多 でいらしって、 彼方此方 とお歩きになって、お帰り遊
ふみ
ごしんぞ
あんばい
あちらこちら
ごばんびけ
こつがる
日あたりきんが来たらきんに持たせてやろうと帯の間へ 挿 ばしても 直 に御
寝 なられますと宜しいが、矢張お帰りがあ
おかちまち
んで居りましたが、何
処 へ振落しましたか見えませんから、
ると、 御新造 様と同じ様に御両親が話をしろなどと仰しゃ
ひとつね
よ
又細々と 文 を認めおきんに渡し、それから 直 におきんより
ると、お枕元で何か世間話を遊ばして御機嫌を取って、お
まっさお
よ
山平へ届けましたので、九月二十日に団子茶屋へ打寄った
帰り遊ばしても一口召上って、ゆる〳〵お気晴しは出来ま
さん
おお
が、此の時は山平は 真青 になりました。
せんで、誠に恐入りましたな﹂
こ
きん﹁もし白島様実に驚きましたよ、お嬢 様 は同
衾 を遊ば
ど
さないので、それだからいけやアしません、同衾をなされ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
に恐入りますな﹂
貴方様に対して御新造様がな、何うも何う云うものか、誠
わし
重﹁何も恐入ることはない、 私 は仕合せだのう、幼年の時継
重﹁大分恐入るが、 何 だい﹂
じゃけん
母に育てられても継母が 邪慳 にもしないが、気詰りであっ
傳﹁へえ⋮⋮申し上げませんければ他 から知れますからな、
なん
たけれど、当家へ養子に来てからは 舅御 が彼 の通り 好 い方
って御家名を汚 却 すようになりますから、御両親様も⋮⋮
よ
で、此の上もない仕合せで﹂
また貴方の名義を汚す一大事な事でございますから、 外 の
わたくし
あ
傳﹁へえ 私 は旧来奉公致しますが、旦那様も御新造様もい
お方様なら申上げませんが、あなた様でございますから何
かよう
しゅうとご
かつい事を云わないお方で、誠に 私 も仕合せで、実に 彼 ア
うか内聞に願い、そこの処は世間に知れぬうち御工夫が付
ほか
いう方でございますから、 斯様 なことを申しては恐入りま
きますように参りましょうかと存じますが、何うか御内聞
よ
ほか
すが、若御新造様はすこしも御奉公遊ばさない、世間を御
に、何うも何とも恐れ入りまして﹂
も
さわ
けが
存じがない方でございますからな、あなたがお疲れの処へ、
重﹁恐れ入ってばかりではとんと何だか分らんが、他の事
よろ
かえ
御両親様の御機嫌を取ってお長くいらっしゃる時には、御
と違って家名に 障 ると、私 が身は何うでもよろしいが、中
わたくし
新造様が 最 うお疲れだからと宜 い様に云ってお居間に連れ
根の苗字に障っては済まぬが、何 じゃか言ってくれよ、よ、
あ
申して、おすきな物で一杯上げる様にお気が付くと 宜 しい
わし
が、余り遅くお帰りになるのが御意に入らぬのか知れませ
傳助﹂
ろく
なん
んが、つーと腹を立ったように、お帰りがあっても 碌 にお
言葉もかけない事がありますからな﹂
八
そ
重﹁いゝや然 うでない、御新造は奉公せぬに似合わぬ中々
よ
わたくし
く心付くよ﹂
能 傳﹁実は申上げようはございませんが、もう往来も途切れ
わし
みそかお
たから申上げますが、御新造様は誠に 怪 しからん、密
夫 を
ちっ
け
傳﹁へえ⋮⋮何うも 私 も旧来奉公致しますが、あなた様に
え遊ばして逢引を致しますので﹂
拵 なん
は誠に 何 うも 何 とも済まぬことで、実に恐入ったことで、
重﹁ふう嘘を云え、左様な嘘をつくな決して左様な事は有
ど
私は心配致しますが、だからと申して黙っていても何うせ
りません、世間の 悪口 だろうから取上げるなよ、 私 が来ま
こしら
知れますからな﹂
してから御新造は 些 とも他 へ出た事はないぞ、弁天へ参詣
わるくち
重﹁何を﹂
ほか
傳﹁へえー、誠に何うも恐入って申上げられませんが、実は
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
重﹁見せろ、どれもっと提灯を上げろ﹂
ど こ
と重二郎艶書を 開 いて繰返し二度 許 り読みまして、
ゆ
に行 くにも小女が附き、決して何
処 へも行った事はない﹂
重﹁傳助﹂
ばか
傳﹁それが有るのでへえ⋮⋮実に恐入りますがな、不埓至
ひら
極なのはお金と申す旧来勤めて居りました団子茶屋おきん、
傳﹁へえー﹂
あいつ
へい 彼奴 が悪いので、へい、奉公して一つ鍋の飯を喰いま
わたくし
重﹁少しも存ぜぬで知らぬ事であったがよく知らしてくれ
よ
した女でございますから 宜 く私 は存じて居りますが、口は
た﹂
け
べら〳〵喋るが、彼奴が不人情で 怪 しからん奴で、お嬢様
傳﹁何うも恐入ります、それだから貴方様がお帰りになっ
うち
を自分の 家 の二階で男と密会をさせて、幾らか し きを取る、
ても、御新造様が快よく御酒の一と口も上げませんので、
い か
たれ
如 にも心得違いの奴で﹂
何
重﹁この文の様子では懐妊致して 居 るな﹂
お
何うも驚きますな﹂
傳﹁へえー何うも 怪 しからん事でげすな﹂
け
か﹂
重﹁団子屋のきんの宅に今晩逢引を致して居るな﹂
あ
傳﹁相手はそれは 何 うも、白島山平と云う彼 の下役の山平
傳﹁へえ丁度今晩逢引致して居ります﹂
重﹁きんの宅を存じて居るなれば案内しろ﹂
しゅうとごさま
で、 私 も外 の方なら云いませんが貴方様だから、お 舅御様 が、何うも恐入ります﹂
ゆ
傳﹁いらっしゃいますか﹂
おれ
重﹁嘘を云え、白島山平は義気正しい男で、役は下だが重
重﹁己 が行 こう﹂
ひ
いどころ
と
傳﹁貴方いらっしゃッても内聞のお計らいを﹂
たわ
な不埓者でない﹂
まゝ
重﹁痴 けた事を云うな、武士たる者が女房を 他人 に取られ
傳﹁是は何うも飛んだ事を云いました、是は何うも恐入り
すてお
傳﹁それが誠に有るので、実は昨日な証拠を拾って持って
て刀の手前此の 儘 では済まされぬから、両人の 居処 へ踏込
ひっさ
居りますが、開封致しては相済みませんが、 捨置 かれませ
み一刀に切って捨て、生首を 引提 げて御両親様へ家事不取
ましたな、 外様 なれば云いませんが、貴方様でございます
締の申訳をいたすから案内致せ﹂
重﹁どう見せろ﹂
ほかさま
傳﹁何うか御立腹でございましょうが内聞のお計らいを﹂
いました﹂
んから心配して開封いたしましたが、山平へ送る艶書を拾
まさ
役に 優 る立派な男じゃ、他人の女房と不義致すような左様
わたくし ほか
のお耳にはいらぬ様にお計らいが附こうと思って申します
ど
重﹁そりゃア 誰 がよ、誰が左様なる事を云う、相手は何者
、
、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
団子屋のきんの宅の路地まで参りました。
着きませんで、ひょこ〳〵歩きながら案内をするうちに、
と云われ真
青 になってぶる〳〵顫 えて傳助地びたへ 踵 が
重﹁飛んだ事と申して捨置かれるものか、 行 け〳〵﹂
から内聞に出来る事と心得て飛んだ事を申しました﹂
雨が降って駒下駄では 往 けないから草
履 を貸してと仰しゃ
きん﹁あのそれは先
刻 あの入 っしゃいまして、それはあの、
駒下駄があるではないか﹂
重﹁入っしゃいませんたって参って居るに相違ない、是に
きん﹁いゝえ御新造様は 此方 へは入 っしゃいません﹂
重﹁これ照が二階に参って 居 るなら一
寸 逢わして呉れよ﹂
提 げてずうと入り、
引
ひっさ
重﹁これ〳〵其
処 に待って居れ、 町家 を騒がしては済まぬ
いまして﹂
そ こ
ちょうか
こちら
いら
ひっさ
いら
ぞうり
ちょっと
から﹂
重﹁馬鹿な、 痴 けた事を云うな、逢わせんと云えば 直 に二
ど う ぞ まっぴら
すが
お
傳﹁何うかお手打ちは御勘弁なすって﹂
階へ通るぞ﹂
ゆ
重﹁黙れ、提灯を消してそれに控え居れ﹂
きん﹁はーい 何卒 真
平 御免遊ばして、何うぞ御勘弁遊ばし
かゝと
傳﹁へえー﹂
て、御新造様がお悪いのではございません、皆きんが悪い
ふる
重二郎は傳助を路地の表に待たして、自分一人で裏口の
のでございますから何うぞ﹂
まっさお
腰障子へぼんやり 灯 がさすから小声で、
重﹁何だ袖へ 縋 って何う致す、放さんか、えい﹂
すけ
さっき
重﹁おきんさんの宅は此
方 かえ﹂
と袖を払って長い刀を 引提 げて二階へどん〳〵〳〵〳〵
うおまさ
いれもの
い
と云うと二階に三人で相談をして居りましたが、
と重二郎駈上ります。これから何う相成りますか一寸 一 と
きゝ
けあな
こと
じき
きん﹁はい魚
政 かえ⋮いゝえ此の頃出来た魚屋でございま
致して。
息 ひきつゞき
いか
たわ
すから、 器物 が少 ないのでお刺身を持って来ると、 直 に 後 あかり
で甘
を入れるからお皿を返して呉れろと申して取りに来
九
い
こちら
ますので﹂
はしごだん
か
ひ
きんは魚屋と間違えて、
引続 ましてお聴 に入れますが、世の中に腹を立ちます程
あと
きん﹁少し待ってお 出 でよ﹂
誠に人の身の害になりますものはございません。 殊 に此の
すぐ
と階
子段 を下りて、
ッと怒 赫 りますと、毛
孔 が開いて風をひくとお医者が申し
ほか
いき
きん﹁魚政かえ、今お待ちよ﹂
うまに
と障子を開けて見ると、魚屋とは思いの 外 重二郎が刀を
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
どうぞ
きん﹁ 何卒 御勘弁なすって下さい、お願いでございます﹂
ご
重﹁まア〳〵静かに致せ、そう騒いではいかん、世間で何
ど
ますが、 何 う云う訳か又極 く笑うのも毒だと申します。ま
事かと思われる、えゝ何も騒ぐ事はない⋮⋮これさお照お
みぞおち
しゅうしょう
た 泣入 って倒れてしまう様に 愁傷
致すのも養生に害があ
前何
故 そんなに驚きなさる、私 が来たので畳へ頭 を摺付け、
なきい
ると申しますが、 入湯 致しましても鳩
尾 まで這入って肩は
頭を挙げ得ぬが、 何 と心得て左様に恐れて居 るのか、何う
にゅうとう
してならぬ、物を喰ってから入湯してはならぬ、年中水
濡 も何ともとんと私には分りません⋮⋮山平殿それでは誠に
くすり
おお
ゆ
こ
かしら
を浴びて居るが 宜 いと申しますが、嫌な事を忍ぶのも、馴
御挨拶も出来ぬから頭を挙げて下さい⋮きん、静かに致し
こしら
わたくし
とて
どうぞ
めつま
わし
れるとさのみ辛いものではござりませぬ。何事も堪忍致す
て下の締りを 宜 くして置くが宜いぞ、よう、賊でも這入る
まおとこ
な ぜ
のは極く身の 養生 、なれども堪忍の致しがたい事は女房が
といかぬ﹂
ぬら
夫 を 密
拵 えまして、亭主を 欺 し遂 せて、 他 で逢引する事が
きん﹁はい誠に何うも何ともお 詫 の 致方 もございません、
い
もうしわけ
い
知れた時は、腹を立たぬ者は千人に一人もございません。
お嬢様が何も 私 が旧来奉公を致し、他に行 く処もないから
いら
よ
さしむかい
なん
武田重二郎は中根の家へ養子に来てからお照が 同衾 を為 な
きんや 家 を貸せと仰しゃった訳でもございません、世間見
よ
いのは、何か訳があろうと考えを起して居ります処へ、家
ずで 入 っしゃいますから人の 目褄 に掛ってはなりませんと
いたずら
よ
来傳助がこれ〳〵と証拠の文を見せたから、常と違って不
私がお 招 び申したのが初めで、何
卒 〳〵御勘弁なすって﹂
ひっさ
ほか
埓至極な奴、さア案内しろと云う。傳助も飛んだ事を云っ
重﹁これさ静かにしろよう、何だか分りませんが、それじゃ
わたくし
だま
たと思っても今更仕方がありません。重二郎は団子屋のお
ア何か 差向 で居 る処へ 私 が上って来たから、山平殿と不義
すが
びっく
ひく
す
いたしかた
金の家へ裏口から這入った時はおきんは驚きまして、
行 でもして居ると心得て、私が立腹して 濫
此 れへ上って来
た
わび
きん﹁何うか私 が悪いからお嬢様をお助けなすって下さい﹂
た故、差向で居た上からは 申訳 は迚 も立たぬ、さア済まぬ
もた
し
と袖に 縋 るを振切って、どん〳〵と引
提 げ刀で二階へ 上 事をしたと云うので左様に驚きましたか、左様か、 然 うだ
いっ
ひとつね
りました時に、白島山平もお照も 唯 だ恟 り致して、よもや
ろう、然うでなければ然う驚く訳はない、誠にきん貴様は
かしら
も
ひ と
うち
重二郎が来ようとは思わぬから、膝に凭 れ掛って心配して、
迷惑だ⋮のう山平殿、役こそ 卑 いが威儀正しき其の 許 が、
すりつ
あが
わし
何う致そう、 寧 その事二人共に死んで仕舞おうかと云って
中々常の心掛けと申し、品行も宜しく、柔和温順な人で、
こわ〴〵
あが
居る処へ、夫が来たので左右へ離れて、ぴったり畳へ 頭 を
人 の女房と不義などをうん⋮なア⋮ 他
為 る様な非義非道の
きっと
もと
そ
付 けて山平お照も顔を 摺
挙 げ得ません。おきんは是れは 最 あ
う屹
度 斬ると思い、怖
々 ながら上 って来て、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
らで女を連れて 行 く訳には 往 かん、両親の頼みがなければ
い
いかんなどと申されて、 迚 もお用いがないのを、止むを得
ゆ
事を致す人でないなア⋮⋮が差向で 居 ったが過 りであった、
ず助太刀をして下さいと照が再度貴公に頼んだは実に 奇特 あやま
女 七歳にして席を同じゅうせずで、申訳が立たぬと心得
男
な事で、頼まれてもまさか女を連れて 行 く訳にもいかず、
お
て、山平殿も恐れ入って 居 らるゝ様子、照も亦済まぬ、何
方 は只
此
管 頼むと云う、是は何うも山平殿も実に困った訳
かたき
とて
う言訳しても身のあかりは立つまい、不義と云われても仕
だが、私が改めてお頼み申す訳ではないが、山平殿、中根
なんにょ
方がない、身に覚えはないけれども是れに二人で居たのが
善之進殿を討ったは水司又市と私は考える、 彼 の日逐電し
あ
で
どこまで
わたくし
おもてむき
たず
きどく
過り、残念な事と心得て其の様に泣入って 居 ることか、何
て行方知れず、 落書 だらけの扇
子 が善之進殿の死骸の側に
お
とも誠に気の毒な、飛んだ処へ私が上って来たのう、そう
落ちて有ったが、その扇子は部屋で又市が持っていた事を
し
おんみつ
っかさま
ゆ
云う訳は決してないのう、きん﹂
私は承知して居 るから、敵 は私の考えでは又市に相違なし、
ど
ひたすら
きん﹁はい〳〵決して 夫 れはそう云う、あの、其
様 などう
お国表へ立廻る 彼 アいう悪い心な奴、殊に腕前が宜しいか
こちら
も訳ではございませんから﹂
ら 何 んな事を 仕出 かすかも知れん、故に私が改めて貴公に
お
頼むは、何うか 隠密 になってお国表へ参って、貴公が何うか
とっさま
おっと
ひとつね
あ
十
又市を取押えて呉れんか⋮⋮照お前は 何処迄 も又市を 探 ね
うち
いま
あだうち
おうぎ
て討たんければならぬが、私から山平殿に一緒に行って下
い か
あだ
た
はた
らくがき
重﹁だからノウ、 私 が養子に来ぬ前から照の心掛は実に感
さいとは、何うも養子に来て間もなし、頼む訳には 表向 い
たれ
そ ん
心、云わず語らず自然と知れますな、と申すは昨年霜月三
かんから、お前はお 父様 やお 母様 への申訳に、 私 も武士の
そ
日にお 兄様 は何者とも知れず殺
害 され、 如何 にも残念と心
家へ生れ女ながらも敵討を致したい故、池の端の弁天様へ、
さむらい
でいり
あだうち
い
得、御両親は老体なり、武士の家に生れ、女ながらも 仇 を
兄の 仇 を討たぬ 中 は決して 良人 を持ちませんと命に懸けて
わし
討たぬと云う事はないと心掛けても、 何 うも相手は立派な
の心願である処へ、 強 って養子をしろと仰しゃるから養子
こと
せつがい
であり、女の細腕では討つ事ならず、 士 誰 を助太刀に頼も
をしたが、重二郎とは 未 だ同
衾 を致しませんのは、是まで
あにさま
う、親切な人はないかと思う処へ、 親 しく出
入 を致す山平
私が思い立った事を果 さずば、何うも私が心に済みません、
あた
殿、殊 に心底も正しく信実な人と見込んだから、兄の 仇討 神に誓った事もあり、 仇討 に出立致す不孝の段はどの様に
そ
ど
に出立したいと助太刀を頼んだので有ろうが、山平殿は私
ちか
には 然 うはいかん、御養子前の大切の娘御を私が若い身そ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
文面は 私 が教えるから私の云う通りに書きなさい、また山
もお詫致す、無沙汰で家出致す重々不埓はお宥 し下さいと、
山﹁ 何共 申訳はござらぬ、重々不埓至極な事拙者⋮﹂
山平も面目なく、
十一
ゆる
平殿は⋮⋮貴公に 倶 に行って下さいとは云われないが、山
重﹁いゝや少しも不埓な事はござらん、国表に 於 て又市が
わし
平殿は国表へ参って 彼 を取調べ、助太刀をしてお照が仇討
んな事を 何 為 るか知れん、万一重役を 欺 き、大事は小事よ
かれ
とも
をして帰る時、貴公も共に其の所へ 行合 わし、幸い助太刀
り起る 譬喩 の通りで捨置かれん⋮⋮お父様お母様へも書置
したゝ
たとえ
なにとも
をして本意を遂げさせしと云ってお帰りになれば、貴公の
を 認 めるが 宜 い⋮⋮ 硯箱 を持って来な﹂
かな
よ
たび〳〵
おい
家は何うか潰 さぬ様に致そう、重二郎刀に掛けても致すか
きん﹁はい﹂
のぞみ
かつおぶしばこ
い つ
ど
あざむ
ら、二人へ改めて頼む訳にはいかんが、然うして 仇 を討た
重﹁硯箱を早く﹂
な
ようや
す
せて 望 を叶 えてやって下さい⋮お前は奉公した事がないか
きん﹁はい﹂
ど
らお父様お母様に我儘を云うが、山平殿は親切なれども長
重﹁ 何 んだ是は、松
魚節箱 だわ﹂
も
ゆきあ
旅の事、我儘な事を云って山平殿に見捨てられぬ様に 中好 きん﹁はい﹂
つぶ
う、なにさ若 し捨てられては仇は討てず、亦これから先は
と 漸 く硯箱を取寄せて、 紙 筆 を把 らせましても、お照は
かきそこ
すゞりばこ
長い旅、水も 異 り気候も違うから、詰らん物を食して腹を
紙の上に涙をぽろ〳〵こぼしますから、墨がにじみ幾度も
あだ
めぬ様にしなさい、 傷 左様 じゃアないか、何でも身を大切
損 ない、よう〳〵重二郎の云う儘に書終り、封を固く致
書
おぼしめ
よ
なかよ
にして帰って来てくれんければ困りますぞ、 縦 えあゝは仰
しました。
なおさら
かわ
しゃるが、二人で居たから密通と 思召 すに違いない、密通
重﹁これは私がお母様の 何時 も大切に遊ばす 彼 の手箱の中
あた
うち
い
と
もせぬに然う思われては残念と刃物三昧でもすると、お父
へ入れて置く⋮⋮きん、 何 うも長い間度
々 照が来てお前の
いつゝき
ありがたなみだ
がけ
かみふで
様お母様に猶
更 済みませんぞよ、必ずとも道中にて悪い物
でも迷惑だろう、主人の娘が貸してくれと云うものを出
家 そ う
を食して、腹に 中 らぬ様にしなさるが宜 いのう、お照﹂
来ぬとは義理ずくで 往 かんし、親切に世話をしてくれ 忝 な
いた
と 五月 になるお照の身重の腹を、重二郎に持って居りま
い、多分に礼をしたいが、帰り 掛 であるからのう、是は誠
たと
す扇でそっと突かれた時は、はッとお照は 有難涙 に思わず
に心ばかりだが世話になった恩を謝するから﹂
あ
声が出て泣伏しました。
かたじけ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
傳﹁誠に何うも宜く御勘弁なすって﹂
わたくし
重﹁これ静かに致せ、 両人 を手討に致し他 を騒がしては宜
た
きん﹁何う致しまして 私 がそれを戴いては済みません、何
しくないから﹂
りょうにん
ふたり
うかそれだけは﹂
わし
重﹁いゝや、其の替り頼みがあるが、今日 私 が来て照と山
傳﹁へい⋮﹂
傳﹁へえ⋮⋮へ宜しゅう﹂
にが
平殿に頼んで旅立をさせた事は、是程も口外して呉れては
重﹁人知れぬ処へ行って 両人 とも討果すから 袂 を押えて 遁 重﹁これ提灯を腰へさせ﹂
ほか
さなければならんよ﹂
傳﹁へい﹂
たもと
困る、少しも云ってはならぬよ、口外して他 から知れゝば、
さぬように﹂
きん﹁はい〳〵〳〵どう致しまして申しません﹂
と両人の袂を押えて重二郎に従って、池の端弁天通りか
よんどころ
重﹁じゃア宜しい、さア山平殿、照早く表へ出なさい、宜
ら穴の稲荷の前へ参りますと、
ほか
お前より外 に知る者はないから 拠
なくお前を手に掛けて殺
しいから先に立って出なさい﹂
重﹁これ〳〵、もう往来も途切れたな﹂
よう
二人は何事も 只 だ有難いと面目ないで前後不覚の 様 になっ
傳﹁へえー何うぞ御勘弁の出来ます事なれば願いとう、 私 た
て、重二郎の云う儘に表へ出に掛る。台所口の腰障子を 開 は 斯 う云う事とは心得ませんで﹂
あ
け、
重﹁ 静 に致せ、照、山平、不埓至極な奴、 予 て覚悟があろ
わたくし
重﹁大きに厄介になった⋮さア心配しなくも 宜 い、出なさ
う、それへ直れ﹂
こ
い﹂
と云いながらすらりと長いのを抜きましたから、二人は
よ
照﹁はい⋮金や長々お世話になりました﹂
アは云って出たが、是で手討にされることかと覚悟をし
彼 すこうべ
かね
き ん﹁ そ れ じ ゃ ア 直 ぐ に 遠 い 田 舎 へ い ら っ し ゃ い ま す か 、
て、両手を合わせ 頸 を伸ばして居る。
うかゞ
しずか
親切にあゝ仰しゃって下さるから、本当に 敵 を討ってお出
重﹁女から 先 ず先へ斬らなければならん、傳助広小路の方
あ
でなさいよ﹂
から人が来やアしないか﹂
かたき
照﹁誠に面目次第もございません﹂
傳﹁いゝえ﹂
くび
重﹁口をきいてはいかん、さア〳〵﹂
と 覗 う傳助の 素頭 を、すぽんと抜
打 にしましたが、傳助
ま
と二人を連れて出ると、傳助は提灯を持って路地に待っ
ぬきうち
て居りまして、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
い
きりころ
たれ
さて
ふたつ
たちの
もと
ゝ
は好 い面の皮。
こ
偖 お話は 二 に分れまして、水司又市は恋の遺恨で中根善
つげぐち
ど
重﹁あゝいや驚かんでも宜しい、主人の事を有る事無い事
あ
之進を討って 立退 きました。本 はと云えば増田屋の小増と
ためしぎり
口 を致す傳助、家に害をなす奴、 告
此処 で切
殺 せば 誰 も知
云う別嬪からで、婦人に逢っては 何 んな堅い人でも騒動が
あと
よ
る者はない、試
切 か何かに遭 ったのだろうで済んでしまう﹂
出来ますもので、だがこの小増は余程勤めに掛っては 能 く
取った女と見えて、その事を 後 で聞いて、
ぬぐ
小増﹁ 彼 の時私があゝ云う事をした故 斯 う云う事になった
さや
と小菊の紙を出して血を 拭 い、鞘 に納め、有合せの金子
を出して、
のだろう、中根はんは可愛相な事をした、気の毒な﹂
こ
重﹁多分に持参すれば宜かったが、今まで心得なかった故、
とくよ〳〵欝 ぎまして見世を引いて居りますから、朋輩
あ
ほんの持合せで二十金ある、路銀の足しにも成るまいが、是
は
おろ
み え
ふさ
でお前が 仇 を討って帰ってくれんでは、 私 が一生不孝者で
﹁くよ〳〵しないでお線香でも上げて、お 前 はんお題目の
わし
終らんければならん、お前の家も絶えてはならん、照も実
一遍もあげてお 遣 んなはい﹂
かたじけ
あだ
に道に背いた女と云われるもお前の心一つであるぞよ⋮⋮
と勧められ、くよ〳〵して客を取る気もなく 情 のある様
いとかみ
はちもんじ
くや
ふじやしちべえ
ま
我儘者だが何
卒 面倒を見て下さるようにお頼み申すぞ﹂
な振 をするも外
見 かは知れませんが、皆来ては 悔 みを云う。
あきゅうど
や
山﹁あゝ 忝 のうござる﹂
処が翌年になって 風 と来た客は湯
島 六丁目藤
屋七兵衞 と云
どうぞ
と重二郎の心底 何 とも申し様もございませんから、貰い
う商
人 、糸
紙 を卸 す好 い身代で、その頃此の人は女房が 亡 っ
おいらん
じょう
ました路銀を戴きます。
て、子供二人ありまして欝いで居るから、仲間の者が参会
せったばき
ふり
重﹁達者で行って参れよ﹂
の崩れ
なに
とちゃら〳〵雪
駄穿 で 行 くのを、二人は両手を合せて泣
﹁根津へ行って遊んで御覧なさらんか、ちょうど桜時で惣
はだし
なくな
きながら見送ります。重二郎は深い了簡がある事で、其の
門内を 花魁 の姿で 八文字 を踏むのはなか〳〵品が好く、吉
ゆ
あいかた
ゆしま
儘屋敷へ帰りましたが、二人は何うしても仇を討たんでは
原も 跣足 で、美くしいから行って御覧なさい﹂
よ
帰られません。これから仇討出立に相成りますが、 一寸 一
と誘われて 行 くと、悪縁と云うものは妙なもので、増田屋
ふ
息つきまして。
の小増は藤屋七兵衞の 敵娼 に出る、藤屋七兵衞の年は二十
ゆ
ちょっと
十二
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ちょっと
こいわいむら
はたもと
ぶんざえもん
だいこんばたけ
あさい
の 小岩井村 の百姓 文左衞門 の娘で、 大根畠 という処に 淺井 よ
おとづれ
ごく
九だが、品が好い男で、中根善之進に似ている処から 一寸 ちか
様と云うお 旗下 がございまして其の処へ十一歳から奉公を
うらなじみ
わかじに
初会に宜 く取ったから足を近く通う気になり、女房はなし、
みうけ
して居りましたから、江戸言葉になりまして、それに 極 堅
あと
遠慮なしに二
会馴染 をつけ、是から近 しく来るうち互に深
い人で、家を治めて居りました処が、 夭死 を致しましたけ
こちら
きっ
くなり、もう年季は 後 二年と云うから、そんなら 身請 しよ
れども、田舎は堅いから娘を 嫁付 けますと盆暮には 屹 と参
うち
ばあさま
かしづ
うと云い、大金を出して其の翌年の二月藤屋の 家 へ入る。
りますが、 此方 では女房が死んでからは少しも 音信 をしな
いえ
しょうたろう
ど
おかみ
手に 採 るな矢張野に置け 蓮華草 、 家 へ入ると矢張並の 内儀 い、けれども、向うには二人の孫があるので、柿時には柿
つぎ
れんげそう
さんなれども、女郎に似合わぬ親切に七兵衞の用をするが、
を 脊負 って 婆様 が出掛けて来ます。
と
二つになるお 繼 という女の子に九つになる 正太郎 という男
婆﹁はア御免なせえ﹂
いたずらざか
し ょ
の子で 悪戯盛 り、可愛がっては居りますけれども、 何 うも
みんな
男﹁へいお出でなさい、久しくお出でなさいませんね﹂
よ
婆﹁誠に無沙汰アしました、 皆 は変りねえか﹂
かあ
悪態をつき、男の子はいかんもので、
男﹁へい 皆 変る事もござりません⋮あの坊ちゃん田舎のお
とこ
正﹁己 ん処 のお母 はお女郎だ、本当の好 い花魁ではない、す
婆さんがお出でなすったよ﹂
おら
べた女郎だ﹂
みな
なんどと申しますから、
と云うと嬉しいから、ちょこ〳〵と駈出して来て、
が き
き
増﹁小憎らしい、此の子
供 は悪態をつく﹂
ほゝぺた
つね
正﹁お婆さんおいで﹂
かむろ
と頬
片 を捻 る、股たぶらを捻る、女郎は捻るのが得手で、
き
われ
婆﹁何うした、毎度来てえ〳〵と思っても忙しくて 来 られ
が
そ
などに、
禿 とっ
ほうそう
ねえで、 汝 が顔を見てえと思って来たが、なにかお繼は達
われ
﹁此の 子供 アようじれってえよ﹂
こ
者か、なにか店へも出ねえが 疱瘡 したか、然 うだってえ話
お
などゝ捻るものでございます。正太郎を其の如くに捻っ
あざ
おかみさん
い聞いた、それ 汝 がに柿を持って来た、はア喰え﹂
ちょうちゃく
ひいき
せん
たり 打擲 を 致 し ま す か ら 痣 だ ら け に な り ま す 。さ ア 奉 公
正﹁柿、有難う、田舎のお婆さんが柿を持って来てくれる
い
と 宜 いって然ういって居たが、お 父 さんが、あのまだ青い
こづかい
かつおぶし
人は 贔屓 をする者もあり、又先 の内
儀 が 居 れば斯 んな事は
から 最 う少したって、お月見時分には赤くなるからってそ
みりん
かさい
も
ないなどと云い、中には今度の内儀は惣菜の中に 松魚節 に
う云ったよ﹂
あちらこちら
い
小僧も 彼方此方 へ付きまして内がもめまする。先妻は 葛西 淋 を入れるから 味
宜 いなどと 小遣 を貰うを悦ぶ者もあり、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
っかア
ちが
うち
二
おさま
い
わかいし
や
あご
しごと
衆 に隠して食べて居るから、お母さんお呉れって云った
若
われ
ゝ
婆﹁何だか知らねえがお 母 が異 って何うせ旨くは治 るめえ、
こ
ら、 遣 らないと云ってね、広がって居るから 縫物 を踏んだ
ぶんきち
が憎まれ口でも叩いて、何うせな 汝 家 も う な や にゃア往 く
でか
つ
ら突飛して 此処 を打って、顋 へ疵が出来たの﹂
よ
めえと文
吉 も心配して居るが、何うも仕方がねえ、早く女
婆﹁呆れた、 大 い疵があるに気が 注 かねえで居た、それで
ちゃん
親に別れる汝だから、何うせ運は好 くねえと思って居るが、
黙って居たか、父 汝 に云わねえか﹂
正﹁云った、云ったけれどもお母さんが旨く云って、おの
われ
何でも逆らわずにはい〳〵と云って居ろよ﹂
わざ
しごと
ひっぱ
そ
お前の着物を縫っていると踏んだから、いけないと云った
せん
い
ら、 態 と踏んだから縫
物 を引
張 ったら滑って転んだって 然 い
ういって嘘をつくの、 先 のお母さんが生きていると 宜 いん
い
正﹁はい〳〵て云って居るの、あのねえお手習に 往 くのも
だけれども、お婆さんの処へ逃げて 行 こうと思った、連れ
い
六つの六月から往くと宜 いて云ったけれども早いからてね、
せん
そ
てって呉れねえか﹂
っか
七つの七月から往く様になったから、 先 にはお弁当なんぞ
むぎこがし
われ
婆﹁おゝ連れて行かねえで、見殺しにする様なもんだから、
ど こ
も届けて呉れるのだが、今度のお母 さんが来てからは 然 う
可愛そうに、汝 に食わせべえと思って柿を持って来たゞ﹂
や
往かないの、お父さんが何
処 かへ行ってもお土産に絵だの
みん
正﹁あのね 麦焦 が来ても、自分で砂糖を入れて塩を入れて
おもちゃ
くし
具 だの買って来たが、此の頃は買って来ないでお母さん
玩
かんざし
掻廻してね、隠して食べて、私には食べさせないの、柿も
ばか
ね、 皆 な心安い人に遣 って坊には一つしか呉れないの、渋
われ
来てくれないよ﹂
よ
くッていけないのを呉れたの﹂
ぶ
われ
婆﹁汝 のような可愛い子があっても子に構わず 後妻 を持ち
婆﹁それは 父 に汝 いうが 宜 い﹂
ちゃん
てえて、おすみの三回忌も経たねえうち、女房を持ったあ
いじ
正﹁云ったっていけない、いろんな嘘をついて云つけるか
じょうろ
らお父さんは本当と思って、あのお母さんは義理が有るの
きず
から、汝よりは女
郎 の方が可愛いわ⋮⋮虐 めるか﹂
だから大事にしなければならない 、優しくすれば増長す
しごと
つきとば
正﹁怖ろしく虐めるの、縁側から突
飛 したり⋮こんなに 疵 る、今からそれじゃアいけねえってねえ、一緒になってお
三
が有るよ、あのね 裁縫 が出来ないに出来る振をして、お父
父さんが拳骨で 打 って痛いやア﹂
いきなり
えんどうまめ
さんが帰ると広げて出来る振をして居るの、お父さんが出
ゆ
て行 くと、 突然 片付けて豌
豆 が好きで、湯呑へ入れて店の
のちぞい
の物計 り簪 だの櫛 だのを買って来て、坊には何にも買って
十三
、
、
、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ど
もあるが何 うかまア渋が抜けたら孫に呉れべえと、孫に食わ
え
してえばっかりで、 重 えも 厭 わず引
提 げて来ましたよ⋮⋮
ひっさ
婆﹁あれえ一緒になって、呆れたなア本当にまア、 好 え、七
はア最う構わず、飯も食って来ましたから、途中で足い 労 れ
くいもの
いと
兵衞どんに己 逢って、 汝 だけはお婆さんが連れて 行 く、田
とけ
おめ
舎だアから食
物 アねえが不自由はさせねえ、十四五になれ
るから蕎麦ア食うべえと思って、両国まで来て蕎麦ア食っ
い
ば立派な 処 へ奉公に遣って、藤屋の別家を出させるか、 然 たから腹がくちい、構って下さるな⋮七兵衞さん、 私 参 っ
べっけ
われ
うでなければ己が方の別
家 えさせるから一緒に行くか﹂
て相談致しますが、惣領の正太郎は私が方へ 引取 るから﹂
おれ
正﹁行きたいやア、だから田舎で食物が無くってもお母さ
七﹁ 何 で、 何 ういう訳で﹂
えいじろう
めえさま
うち
あっち
がんぜ
わしめえ
つか
んに抓 られるより宜 いから行くよ﹂
どなた
そ
七﹁ 何方 かお出でなすった⋮⋮おやお出でなさい、 榮二郎 十四
よ
いたずら
ひきと
お茶を持って来てお婆さんに上げな、田舎の人だから餅菓
い
こちら
ど
子の方が 宜 いから⋮⋮宜 くお出でなすったね、お噂ばかり
婆﹁何ういう訳もねえ、おらが方へ来てえだ云うが、おら
なん
致して居りまして、 此方 から一
寸 上 らなければ成らんです
が方へ置きたくはねえが、お 前様 ア留守勝で 家 の事は御存
い
が、何分忙がしいので店を空けられないで、御無沙汰ばか
じござんねえが、 悪戯 は果 すかは知らねえが、 頑是 がねえ
つね
り、まア此方へ﹂
にもなんねえ正太郎だから、少しぐれえの事は勘弁して
十 ちょっとあが
婆﹁はい御免なせえ、御無沙汰アして 何時 も御繁昌と聞き
下さえ﹂
そく
あが
めえ
わし
はた
ましたが、文吉も 上 らんではならねえてえ云いますが、秋
七﹁あれさお婆さん極りを云って居るぜ、来ると愚痴を云
とお
口は用が多いで 参 り損 なって済まねえてえ噂ばかりで、お
うが、 私 の子だもの、奉公人も付いて居るわね⋮⋮正太は
たいしゃくさま
い つ
さんも達者で﹂
前 又田舎のお婆さんに何か云ッつけたな﹂
めえ
七﹁まことに宜くお出でなすった、 帝釈様 へお詣 りに行こ
正﹁何も云ッつけやアしない、お婆さんが 彼方 へ連れて行
うめ
まい
うと思って、帰りがけにお寄り申そうとお 梅 とも話をして
おら
くてえから行きてえや﹂
いら
こゞころ
おやじ
居たが⋮⋮お梅﹂
ょ
七﹁行きたいと﹂
し
梅﹁おや宜く 入 っしゃいました、宜く田舎の人は重い物を
婆﹁何ういう訳で大事の 親父 をまず捨てゝ、 己 が方の田舎
よ
へ来てえ、不自由してもと 児心 にも思うは能 く〳〵だんべ
な
負 ってねえ﹂
脊
おら
婆﹁はい御無沙汰、はい己 が屋敷内に実 りました柿で、重く
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
正﹁行きたいや﹂
えんきり
婆﹁それ見なさえよ、 善 く云った、何うあっても縁切で﹂
よ
えと思うからお呉んなさえ、 縁切 でお呉んなさえ﹂
七﹁そんなら上げましょう、其の代り 何 ですぜ、お前 さん
うち
じょうろ
まえ
七﹁そんな馬鹿な事を云ってはいけません﹂
の処とは絶交ですぜ﹂
ろく
なん
婆﹁何
故 そんならぞんぜえに育てるよ﹂
婆﹁絶交でも何でも連帰りやすべえ﹂
な ぜ
七﹁ぞんざいに育てはしませんよ﹂
七﹁ 行通 いしませんよ﹂
めえ
ゆきかよ
梅﹁旦那⋮⋮正太郎が云ッつけたのでお婆さんは 然 うと思っ
婆﹁当りまえ、おらア方で誰が 来 べえ、お前 さんのような
あ
て居るのでしょう、私だっても頑是がないから、それは 彼 女房が死んで一周忌も経たねえ 中 、女
郎 を買って子供に泣
そ
れも我儘を致しますが、 邪慳 に育てることは出来ません、
きを掛けるような人では、 何 んな事が有ってもお前さんの
わざわい
いちべえちょう
めえ
仏様の前も有りますから、私も来たての身の上で私が邪慳
側へは 参 りませんよ、碌 な物も喰わせねえではア﹂
つきおと
みん
こ
に育てるようなことは有りませんよ﹂
梅﹁あゝ云うことを云って、正太が云ッつけるからですよ﹂
じゃけん
婆﹁邪慳にしないてえ、これが 顋 の疵 は何うした、なぜ縁
婆﹁何云ったって是が 皆 な知って居らア、何だ、さア正太
はた
こ
か
ど
側から 突落 した、お女
郎 だアから子を持ったことが 無 えか
来い﹂
おら
きず
ら、子の可愛い事は知りますめえが、あんたに子が出来て
と中々田舎のお婆さんで何と云っても聴きません。到頭
あご
御覧なさえ、一つでも 打 くことは出来ねえよ、辛いから児
強情で、正太郎を 負 って連れて帰った。さア一つ 災 が出来
ね
心にも 己 ア方へ行きてえと云うのだ、おらは正太を 此処 へ
ますと、それからとん〳〵拍子に悪くなります。
じょうろ
は置かれましねえよ﹂
ゝ
七﹁お婆さん 何処 までも正太は連れて行くと云うが、家督
十五
ぶ
ふたとまえ
みずのえねどし
おぶ
させようと云うので何う有っても遣 らぬてえば何うする﹂
たて
ど こ
婆﹁遣らぬと云えば命に掛けても連れて 往 きやすべえ、打 っ
翌年湯島六丁目の藤屋火事と申して、自宅から出火で、土
や
たり 擲 えたりして疵を付けるような内へは置かれやしねえ
蔵 二戸前 焼け落ち、 自火 だから元の通り建てる事も出来ま
てめえ
い
じゃアござんねえか、何処へ出てもお代官様へ出ても連れ
せんで、 麻布 へ越しましたが、それから九ヶ年過ぎまする
じ
て行 くだア、はア﹂
と寛政四 壬子年 麻布大火でござります。 市兵衛町 の火事に
い
七﹁そんな事を云って⋮⋮正太 手前 お婆さんの方へ行きた
あざぶ
いか﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
と異 って其の頃は落るも早く、借財も 嵩 み、仕方が無いから
続き商法上では損ばかり致して忽ち微禄して、只今の 商人方 焼 と成りまして、忽 全
ちの間に土蔵を落す、災難がある、引
はお寺へ手
伝 いに行 き宜く勤めます。ちょうど九月節句前、
と三四十両も借財が出来ましたから、お梅は大事にして
永﹁もう十両も持って 行 け﹂
に行くと、
たちま
分散して、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れ
鼠木綿の着物を縫上げて持って 行 くと、人が居ないから台
まるやけ
て、行 く処 もなく、越
中 の国射
水郡高岡 と云う処に、 萬助 と
所から 上 り、
だいくちょう
かたかわまち
いみずごおりたかおか
ひとしごと
まんすけ
たれ
しんたつ
も
で
け
こっち
しょうきち
い
いう以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って
梅﹁あの 眞達 さん、庄
吉 さん⋮⋮居ないの、 何方 も入 っしゃ
あらものみせ
いたしかた
まえまち
あきんどがた
き、 行 大工町 という片
側町 で、片側はお寺ばかりある処へ
いませんか﹂
ほか
かさ
物店 を出し、詰らぬ物を売って商い致す 荒
中 に、お梅もだ
永﹁ 誰 じゃ﹂
ちが
ん〳〵慣れまして、外 に致
方 も無いから 人仕事 を致します
梅﹁はい﹂
や
ゆ
し、碌には出来ませんが、 前町 は寺が多いからお寺の仕事
永﹁おゝお梅さんか、 此方 へ来なさい﹂
なっしょべや
うち
つかい
てづた
をします。和尚さんの着物を縫ったり、 納所部屋 の洗濯を
梅﹁はい、まことに御無沙汰致しました﹂
えいぜん
い
きにく
つ
け
ゆ
したり、よう〳〵と細い煙りを立てまして居ります 中 、お
永﹁いゝや 最 う何 うも、もう出
来 たかえ、早いのう、今ね
そうじじ
はりかえ
あが
話は早いもので、もう此の高岡へ来ましてから三年になり
え皆 使 に 遣 ったゞ、眞達も庄吉も居ないで退屈じゃア有る
えっちゅう
ますが、大工町に 宗慈寺 という真言宗の和尚さんは、永
禪 し、それに雨が降って来た故﹂
ところ
と申して年三十七でございます。此の人は誠に調子の 宜 い
梅﹁いゝえ大した雨でもございません、どうと来るようで
ゆ
和尚さんで、檀家の者の扱いが宜しいから信じまして、畳
又あがりそうでございますよ﹂
かくばん
あ
え
なん
いら
を替える本堂の障子を 張替 る、諸処を修繕するなど皆檀家
永﹁そうかえ、檀家の者も来ぬから一人で一杯遣って居た
つゝしみ
わざわい
で け
おなご
どなた
の者が 各番 に致す、田舎寺で大黒の一人ぐらいは置くが、
のよ、おゝ着物がもう 出来 たか、好 う出来た﹂
ゆ
この和尚は謹
慎 のよい人故仕事はお梅を頼み、七兵衞が来
梅﹁お 着悪 うございましょうが⋮⋮お着悪ければ又縫直し
も と たいけ
うち
ると調子宜くして、
ますから召して御覧なさいまし﹂
もとで
しゃく
で
永﹁お前は以
前 大
家 と云うが、 災 に遭 って微禄して困るだ
酒の 酌 は 女子 が宜 え、妙なものだ、出家になっても女子は
永﹁好う 出来 た、一盃酌 いで呉れんかえ、何 ぼう坊主でも
ど
ろう、 資本 は沢山は出来ぬが十両か廿両も貸そう﹂
よ
と云って金を貸す。苦し紛れに借ると返せないから言訳
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ど
梅﹁あれ不思議な、旦那 何 うして知れますの﹂
あと
断念出来ぬが、何うも自然に有るもので、出家しても諦め
永﹁何うしたって、それは知れる、忘れもしない十三年 前 、
わし
九月の 月末 からお前の処へ 私 も足を近く通った、私は水司
つきずえ
られぬと云うが、女子は何うも妙に感じが違う﹂
かつおぶしみそ
梅﹁旨いことを仰しゃること、あなた此の間の 松魚節味噌 そ
ちっ
又市だが忘れたかえ﹂
に
ぐし
ね、あれは知れませんから又 て来ましょう﹂
え
梅﹁おやまア何うも、旦那 然 う仰しゃれば覚えて居ますよ、
さ
永﹁あれか、旨かった、あれ宜 えのう⋮⋮一盃遣りなさい﹂
えい
だけれどもお 髪 が変ったから些 とも分りませんよ⋮⋮何う
うち
と一盃飲んでお梅に 献 す、お梅が飲んで和尚に献す。そ
もねえ﹂
だいもん
そり
うち
みょうり
す
の中 酒の酔 が廻って来まして、
永﹁何うもたって 私 は忘れはせんぜ、お前此
処 へ来ると直 わし
おし
い
こ ゝ
永﹁眞達は帰りませんわ、大
門 まで遣ったが、お梅はんお前
ぐ知れた、若いうち惚れたから知れるも道理、私は頭ア 剃 わし
もまア一昨年から前町へ来て、 彼 のようにまア夫婦暮しで
こかして此の宗慈寺へ直って、住職して最 う九年じゃアが、
あ
く稼ぎなさるが、七兵衞さんは 宜 以前 大家の人ですが、運
うなってから今まで女
斯 子 は勿論 腥
い物も食わぬも皆お前
とこ
かよう
よ
ばち
も
悪く田舎へ来てなア気の毒じゃ、なれど此の高岡は 家数 も
故じゃア﹂
ふなつき
わし
と
八千軒もある処で、良い 船着 の 処 じゃが、けれども江戸御
梅﹁私ゆえとは﹂
も
府内にいた者は 何処 へ行っても自由の足りぬものじゃ、さ
永﹁忘れやアしまい、お前が 斯様 じゃア、榊原藩の中根善
よ
ぞ不自由は察しますぞよ⋮⋮お梅はん 私 をお前忘れたかえ、
之進は 間夫 じゃアからと云うて、金を 私 の膝へ叩き付けて
じょろう
あっこう
なまぐさ
覚えて居まいのう﹂
な忘れやアしまい﹂
くだ
しょたい
おなご
おなご
梅﹁あれ昔の事を云っては困りますね、年の 往 かない 中 は
こ
十六
らないもので、 下 女郎 子供とは宜 く云ったもので、冥
利 が
やかず
悪いことで、その冥利で今は斯うやって斯う云う処へ来て、
こ
梅﹁はい覚えてと仰しゃるは﹂
貧乏の 世帯 にわく〳〵するも昔の罰 と思って居りますよ﹂
わし
ど
永﹁私 の顔を忘れたかえ、十三年も逢わぬからなア﹂
永﹁丁度あのそれ忘れやアせんで、あの時叩付けられたば
ふかま
梅﹁そうでございますか、じゃア旦那江戸にいらっしゃい
かりでない、大勢で 悪口 云われ、田舎武士と云って、手前
じょうろ
などが 女子 を買っても惚れられようと思うは 押 が強いなど
と
ましたことが有るの﹂
も
永﹁お前は以
前 根津の増田屋の小増という女
郎 だね﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ふる
ちょうちゃく
かなめ
こっち
ア、七兵衞さんが得心なれば何うでもなる、 此方 へ来て金
けん
と云って、重役の 権 を振 って中根が打
擲 して、扇子の要 で
も沢山貯めて居るが、嫌かえ、私はお前故斯う遣って人を
まがりかど
殺して出家になり、お前が又来て迷わせる、罪じゃアない
わし
な面部を打割られたを残念と思って、 私 は七軒町の曲
角 で
まちぶせ
伏 して、あの朝善之進を一刀に切ったのは私じゃアぜ﹂
待
か﹂
しるべ
おお
むこう
ゆきとゞ
もと
めぐりあ
つきよ
梅﹁あれまアどうも﹂
ほか
さ
とぐっと手を引き、お梅の脊中へ手を掛けて膝を 突寄 せ
こ
永﹁宜 えか、 斯 う打明けた話じゃが切ってしまって眼が 醒 た時は、お梅はあゝ嫌と云うたら人を殺すくらいの悪僧、ど
よ
めて、あゝ飛んだ事をしたと思ったがもう 為 てしまい是非
んな事をするか知れぬ、何うかして此処を切抜け様と心配
し
がない、とても屋敷には 居 られない、外 に知
己 がないから
致すが、此の挨拶は何うなりますか、一
寸 一
息 つきまして。
ふ
そっ
い
っと思い付き、 風 此処 に伯父が住職して居るから金まで盗
たかとび
や
のが
だま
ちょっとひといき
んで 高飛 し、頭を剃 こかして改心するから弟子にしてと云
十七
ゝ
うて、成らぬと云うを 強 て頼み、斯う遣 って今では住職に
こ
なって、十三年も衣を着て居るもお前故じゃないか、人を
藤屋の女房お梅は、十三年振で 図 らずも永禪和尚に 邂逅 そ
たっ
殺したのもお前故じゃ﹂
いまして、始めの程は憎らしい坊主と思いましたなれども、
はか
梅﹁何うもねえ、 然 うで、何うもねえまア、何うもねえ、元
亭主が借財も有りますから 一 か遁 れと思いましたも、 固 よ
たび〳〵
いッ
は私が悪いばかりで中根さんも然ういう事になり、罪作り
り 汚 れた身体ゆえ、何うかして 欺 し遂 せて遁れようと言い
うち
を仕ましたねえ﹂
くるめて居ります 中 に、度
々 参ると、彼
方 でも親切に致し
おこ
よご
永﹁七兵衞さんは知るまいが、金を貸すもお前故だ、是ま
ますも惚れて居りますから、何事もお梅の云う通りに 行届 わし
き、亭主は窮して居りますから、固より不実意の女と見え
と
で出家を 遂 げても、お前を見て 私 は煩悩が発 って出家は遂
げられませんぜ﹂
て、永禪和尚の情にひかされて宗慈寺へ 日泊 を致す様に成
こと
ひどまり
梅﹁お前さん⋮⋮あれ、何をなさる、いけませんよ、眞達
たと
りましたが、お梅は年三十になりますから少ししがれて見
え
えますが、色ある花は匂い失せずの 譬 え、殊 に以前勤めを
わし
さんが帰るといけません、あれ﹂
致した身でございますから取廻しはよし、永禪和尚の 法衣 こ ゝ
ころも
永﹁私 ももう隠居しても 宜 えじゃア、どの様な事が有って
を縫い直すと申して、九月から十月の中頃まで泊り切りで、
いんきょや
うらみち
も此
処 は離れやアせんじゃ、後
住 を直して、裏
路 の寂しい
ごじゅう
処へ 隠居家 ア建てゝ、大黒の一人ぐらいあっても宜えじゃ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
七﹁庄
吉 さん⋮⋮お留守でげすか⋮⋮御免なせえ﹂
に寺へ来て見ると、台所に 誰 も居りません。
ませんで、まことに不都合だから、藤屋七兵衞は腹立紛れ
はお繼という十二歳になる娘ばかりで、一日も帰って来
家 の 中 にと云うてな 斯 うやって精出してくれる、 私 も今日は
物を直すにもなア、あまり暮の節季になると困るから、今
永﹁いゝやお前も不自由だろうが 綿入物 が沢山有るので、着
まして﹂
七﹁へい御無沙汰を致しました、お梅が毎度御厄介に成り
い﹂
うち
と納所部屋へ上って、
い塩
好 梅 に寺に居て、今気がつきるから一杯と云うて居た
たれ
七﹁ 開 け て も 宜 うがすか⋮⋮おや眞達さんも誰も居ない、
が、好い処へ来たのう、相手欲しやの処へ幸いじゃアのう、
ちょっと
あんばい
こっち
から
たんと
ぱな
いちどき
こちら
わたいれもの
処 へお出でなさった⋮⋮旦那様お留守でげすか、お梅は
何
さア一杯、さア 此方 へ這入りなさい﹂
うしろ
しょうきっ
居りませんか﹂
七﹁へい⋮有難うございます、お梅時々 家 へ帰って呉んな、
たちぎゝ
い
こちら
い
よ
い
がんぜ
わし
と納所部屋から段々 庫裏 から本堂の方へ来ると、本堂の
のう子供ばかり残して店を 明 ッ放 しにして、頑
是 ねえお繼
こなべだて
こ
うち
こ
に 後 一寸 した小座敷がございます、 此処 にお梅と二人で差
ばかりでは困るだろうじゃアねえか、 此方 さまへ来ていて
かんぺき
うち
向い、畜生めという四つ足の 置火燵 で、ちん〳〵鴨だか 鶩 も 宜 いが、家を空 あきでは困るから云うのだ﹂
と
よ
だか小
鍋立 の楽しみ酒、そうっと立
聴 をするとお梅だから、
梅﹁あゝ、だからさ、もう 沢山 お仕事もないから私は 一寸 たぶさ
そ
よ
七兵衞はむっと致しますのも道理、身代を傾け、こんな遠
帰ろうと思ったが、けれどもねえ、綿入物もして置こうと
こ
国へ来て苦労するも此の女ゆえ、実に 斯 う云うあまッちょ
思って、二三日に仕舞になると思って、一
時 に慾張って縫っ
ど
とは知らなんだ、不実な奴と 癇癖 が込上げ、直ぐに飛込ん
て居るのさ、さぞ不自由だろうね﹂
く り
で髻 を把 ってと云う訳にもいきません、坊主ですから鉄鍋
七﹁不自由だって 此方 さまでも仕事は夜でも 宜 いやアな、
せっちん
よなべしごと
き
うち
の様に両方の耳でも把るか、鼻でも 劓 ごうかと既に飛込み
昼の 中 店を明ッ放しにして、年も 往 かねえ子供を置いて来
うぬぼれ
ゝ
に掛りましたが、いや〳〵お梅もまさか永禪和尚に惚れた
て居ては困るからな、それに此方では夜の御用が多いのだ
こ
訳でも無かろう、この和尚に借金もあり、身代の為にした
ろうから 夜業仕事 にしねえな、昼は家で店番をして夜だけ
そ
あけ
事かと 己惚 て、遠くから差配人が 雪隠 へ這入った様にえへ
此方さまへ 来 ねえな、おれも困るからよ﹂
こっちゃ
あひる
ん〳〵咳払いして、
永﹁あゝそれは 然 うじゃア、内は夜で 宜 い、まア詰らん物
たれ
おきごたつ
七﹁御免なさい﹂
ちょっと
永﹁おゝ 誰 かと思うたら七兵衞さん、此
方 へお這入りなさ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
七﹁有難う⋮⋮此のお座敷は今まで存じませんだったが、こ
じゃアが一杯遣りなさい﹂
度金沢から 大聖寺 山中 の温泉の方へ商いに行きたいと思い
は売れますが、荒物屋じゃア仕様がございません、それに今
屋も有りますから些とは商いも、瞽女町だけにまア小間物
つい
たいしょうじやまなか
んな小座敷はないと思って居りました、へえ此の頃お手入
ますのさ、 就 ては小間物を仕込みたく存じますが、 資本 が
こいつ
たんと
もとで
で、なるほど 斯 う云う処がなければ不自由でしょうね、大
有りませんから、拝借のあるに願っては済みませんが 沢山 こ
層お庭の様子が違いましたな﹂
は入りません、まア五十両有れば山中の温泉場へ行って、
あそこ
かこ
永﹁あゝ 彼処 に墓場が有るから参詣人が有るで、墓参りの
商いに少し利があれば金沢で物を買って来る、大きい方の
のぞ
うち
わたくし
お方に見えぬように垣根して 囲 ったので﹂
あが
商いは今までに覚えが有りますので、元 私
はお梅も知っ
なまぐさもの
七﹁なるほど左様で、墓場から覗 かれては困りましょうね、
て居ますが、奉公人の十四五人も使った身の上で、 此奴 は
あたりまえ
旦那は薬喰いと云うが、此の頃は大層 腥物
を 喰 りますが、
れいらく
今は婆アですが若い 中 に了簡違いをして、此奴が来たから
とが
つい
こんな
と云う訳でも有りませんが 此様 に零
落 して、斯う云う処へ
よ
腥物を食ったって坊様が縛られる訳でもないからねえ、 当然 込 み、運の悪いので、する事なす事損ばかり、誠に旦那
引
ひっこ
で、旨い物は喰った方が 宜 うがすね﹂
済まねえが御贔屓 序 でに五十両貸して呉 んなさいな﹂
や
永﹁はい実はな時々養いに 喰 るじゃ、魚喰うたとて何も 咎 たご
く
めはないが、仏の云うた事じゃアから喰わぬ事に斯う絶っ
お
て居 るが、喰うたからって何も其の道に 違 うてえ訳ではな
ちっ
十八
そ
いのよ﹂
さかな
ゆっ
もとで
や
七﹁然 うでしょうね、これは然うでしょう、 些 とは精分を
永﹁貸して遣 ろうとも、お前が資
本 にするなれば貸しましょ
よう
そ
付けなければなりませんね、旦那今日は御馳走に成ります
う、 宜 いわ、宜いが 然 う云う事は緩 くり相談しなければな
よ
積りで﹂
らん、 何 の様 にも相談しよう⋮⋮おゝ酒が無くなったが折
ど
永﹁左様ともね﹂
角七兵衞さんが来てのじゃ、酒がなければ話も出来ぬ、お
つゝみ
い
七﹁実は旦那お願いが有りますが、お前さんにも拝借致し
はたごまち
梅さん御苦労ながら、門前では 肴 が悪いから重箱を持って
わず
ましたし、その上こんな事を云っては済みませんが、 包 を
ょ
瞽女町へ 往 って、うまい肴を買って七兵衞さんに御馳走し
し
て⋮⋮お前遠くも瞽女町へ往って来て呉れんか、とてもう
ゆ
負 って 脊
僅 か旅
籠町 を歩いたぐらいでは何程の事も有りま
ごぜまち
せんで、此の頃は萬助の世話で 瞽女町 へ 行 きますが、旅籠
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
し
のです、もう酒は有りませんか﹂
わし
まいものは近辺にはないからのう﹂
す
まるぐけ
ばしょり
永﹁今来るが、 私 はねえ酒を飲むと酒こなしを 為 なければ
き
は
梅﹁じゃア往って来ましょう﹂
わらぞうり
いかぬから、腹こなしを 為 る、お前見ておいで﹂
おい〳〵
七﹁往って来 ねえ、御馳走に成るのだから⋮⋮旦那え、お梅
と藁
草履 を穿 いてじんじん 端折 をして庭へ下りましたが、
うしろはちまき
はさ
も追
々 婆アに成りましたが、あの通りの奴でね、また私も萬
和尚様のじんじん端折は、 丸帯 の間へ 裾 を上から 挟 んで、
おり〳〵
え
鉢巻 をして、本堂の裏の物置から薪
後
割 の柄 の長いのを持っ
あが
こはるなぎ
わし
すそ
助より他に馴染がないので心細うございます、お梅も 此方 て来て、ぽかん〳〵と薪を割り始めましたが、丁度十月の
よ
まきわり
へ上 るのを楽しみにして居ります、旦那可愛がって遣って、
十五日 小春凪 で暖かい日でございます。
わたし
こちら
あんな奴でも 一寸 泥水へ這入った奴で、おつう小利口なこ
七﹁旦那妙なことをなさるね﹂
わたくし
ちょっと
とをいうが、人間は余り 怜悧 ではないがね、もし旦那、お
永﹁いや庄吉は怠けていかぬから 私 が折
々 割るのさ、酒を
りこう
相手によければ差上げますぜ、だが上げる訳にもいきませ
飲んだ時はこなれて 宜 いよ﹂
くすり
い
んかね、 私 も苦労を腹一杯した人間ですから、旦那が 私 を
七﹁なるほど是れは 宜 うございましょう、 跣足 で土を踏む
あなた
贔屓にして下されば、話合いで 貴方 は隠居でもなすってね
と 養生 だと云いますが、旦那が薪を割るのですか﹂
はだし
え、隠居料を取って楽に出来るお身の上に成ったら、その
きり
時にゃア御不自由ならお梅は仕事に上げッ 切 にしても構わ
だいぶ
こっちゃ
永﹁七兵衞さん薪炭を使わんか、檀家から持って来るが、炭
い
ねえという心さ﹂
たけん
は 大分 良い炭じゃア、来て見なんせ⋮⋮ 此方 に下駄が有る
ひ と
永﹁そりゃまさか他
人 の女房を借りて置く訳には 往 かんが、
ど
こ
ぞえ﹂
しょこと
仕事も出来る大黒の一人も置きたいが、 他見 が悪いから不
そ こ
七﹁ 何処 に下駄が﹂
きっと
自由は 詮事 がないよ﹂
い
永﹁それ 其処 に見なさい﹂
み
なり
七﹁もしそれはお前さんの事だから 屹度 差上げますよ、そ
七﹁成程これは面白い妙な 形 で、旦那の姿が 好 いねえ、何
え
れにお梅はお前さんに惚れて居りますぜ、ねえ宗慈寺の旦
うもあなた 虚飾 なしに、方丈様とか旦那様とか云われる人
ど
つむり
那様は 何 うも御苦労なすったお方だから違う、あれでお 頭 の、薪を割るてえなア面白いや﹂
おか
うたぐ
いいか
永﹁七兵衞さん、 先刻 お前、私 におつう 云掛 けたが、お前
わし
に毛が有ったら何うだろうなんぞと云いますぜ﹂
はお梅はんと私と 訝 しな事でも有ると思って 疑 って居やア
さっき
永﹁こりゃ、その様な詰らぬ事を云うて﹂
じょうろ
七﹁それは女
郎 の癖が有りますから⋮⋮浮気も無理は無い
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
事も致すもので有りません。少しの悪事でも隠そうと思っ
なお
せぬか﹂
と
て又重ねる、又其の罪を隠そうと思っては悪事を次第々々
い
に重ねて 猶 また悪事に陥ります。毛筋ほどでも人は悪い事
あげき
七﹁旦那もし、私が疑ぐるも何もねえ、貴方が隠居なされ
つきこ
ねぶ
ばお梅を 上切 りにしても宜 いので、疾 うに当人も其の心が
ま
は出来ませんものでございます。永禪和尚は毒喰わば皿ま
わし
有るのだから、その代りにねえ貴方﹂
つ
で 舐 れと、死骸をごろ〳〵転がして、本堂の床下へ薪割で
い
永﹁おい〳〵私 はお前 はんのな女房を貰い切りにしたいと
込 みますのは、今に奉公人が帰って来てはならぬと急い
突
つきい
時 頼みました﹂
何
すいから
で床下へ深く 突入 れました。
い
七﹁頼まねえと、頼んでも 宜 いじゃアねえか、吸
涸 しでは
お気に入りませんかえ﹂
いっかじ
十九
わし
永﹁これ 私 も一
箇寺 の住職の身の上、納所坊主とは違うぞ
ま
おか
え 、そ れ は お 前 はんがお梅さんと私が 訝 しいと云うては、
おふくろ
こ
おやじ
お繼という七兵衞の娘は今年十三になりますが、孝心な
まえ
夫ある身で此の儘には捨置かれんが﹂
よ
ぞうり
い
者でございます。 母親 が居りませんに、また 父親 が見えま
とっさん
たび〳〵
きっと
七﹁捨置かれんたってお 前 さんも分りませんね、お梅はお
せんから、 屹度 宗慈寺様へ行って 居 るので有ろうと、自分
つ
前さんと何うなって居ると云うのは眼が有りますから知っ
も 何時 も此の寺へ参りますと、和尚に物を貰って可愛がら
い
ては居ますが、何も苦労人の藤屋七兵衞知らねえでいる気
れるから 度々 参りますので、勝手を存じて居りますから、
そ
っか
遣いはねえのさ﹂
繼﹁お 父様 は居りませんか、お母 さんは﹂
わし
永﹁こりゃ私 は覚えないぞ、えゝや何う有っても、そんな
と納所部屋を捜しても居りません。すると本堂の次が開
こ
事をした覚えないわ﹂
いて居りますから、 其処 へ来ると草
履 が有りますから庭へ
おおわり
と大声を揚げて云うより早く、柄の長い 大割 という薪割
下りまして、
こゞ
のぞ
りこう
かしら
で、七兵衞の頭上を力に任せ、ずうーんと打つと、
ひとうち
繼﹁おや和尚様お母さんは居りませんか、お父様は﹂
おのれ
たっ
と 屈 んで云いましたが、女の子は 能 く頭 を斯 う横にして
ふる
七﹁うーん﹂
下を 覗 く様にして口を利くものでございますが、永禪は 只 つか
と云いつゝ虚空を 掴 んで身を 顫 わしたなりで、 只 た一
打 見ると飛んだ処へ来た、年は 往 かぬが 怜悧 な娘、こりゃ見
と
に致しましたが、これが悪い事を致すと 己 の罪を隠そうと
い
思うので、また悪事を重ねるのでございますから、少しの悪
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
なん
お前も打殺さなければならん﹂
おっか
たなと思ったから、物をも云わず永禪和尚柄の長い薪割を
梅﹁何だってまア、そんな事を云ったって、お繼はお前さ
たとえ
振上げて 追掛 けたが、人を殺そうという剣幕、何 ともどう
あ
こ
んが可愛がるから 仮令 見たとって、よもや貴方が親父を殺
ほん
そ
も怖いから、
したとは気が付くまいと思いますから、 其処 がまだ子供だ
とっ
繼﹁あれえ﹂
から分る 気遣 は有りませんよ、私が 篤 くり彼 の子の胸を聞
きづかい
ばた〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵〳〵と庭を逃げる、跡を追掛
きますからさ﹂
ゆ
けて 行 き、門の処まで追掛け、既に出ようとする時お梅が
永﹁じゃアお前が連れて来れば 宜 い﹂
よ
帰って来て、
梅﹁まアお待ちなさい、当人を連れて来て全く見たなら 詮方 い
え
しかた
梅﹁まア旦那何うなすったよ、みっともないよ﹂
もないが、見なければ殺さなくっても 宜 いじゃアないか﹂
い
永﹁おゝ 宜 い処へ来た﹂
ゆ
永﹁知らぬければ 宜 いが、ありゃお前の 実 の子じゃ有るま
はだし
梅﹁もし何ですよ、お繼はキエ〳〵と云って駈けて 往 きま
いず
ちが
いが﹂
みッつ
梅﹁だって三
歳 の時から育てゝ、異 った子でも可愛いと思っ
こ ゝ
したが、貴方もみっともないよ 跣足 でさ﹂
て目を掛けましたから、彼 の子も本当の親の様にするから、
ちょっと
永﹁一
寸 お前 此処 へ来な⋮⋮お梅はん、お繼が逃げたから
私も何うか助けとうございますわ、あれまア何うでもする
あっちゃさま
かよう
あ
う是までじゃア、詮
最 事 がない、さア 私 も最早命はない、お
から待って下さいよ﹂
み
わし
前も同罪じゃでなア、七兵衞さんはお前と 私 の間 を知って
と話をして居る処へ寺男が帰って来て、
しょこと
五十両金の無心、二つ三 つ云
合 うたが、知られては一大事、
庄吉﹁はゝ只今帰りました﹂
も
薪割でお前の亭主を打殺したぜ﹂
永﹁おゝ帰ったか﹂
まえ
なか
梅﹁あれまアお前さん、何だってねえ﹂
男﹁へえー 彼方様 へ 参 りますと何 れ此
方 から出向かれまし
ま
わし
わし
永﹁さア〳〵殺す気もなかったが、是も仏説で云う因縁じゃ
て、えずれ御相談致しますと、そりゃはや何事も此方から
だま
いいお
ア、お 前 はんに迷ったからじゃア、お 前 は藤屋七兵衞さん
向 れましてと斯
出
様 にしば〳〵と申されまして、宜しくと
おいか
こっちゃ
を大事に思う余り 私 の云う事を聴いたろうが、お繼が駈け
仰せ有りましたじゃと﹂
ふたごゝろ
めえ
て来て床下を覗いてお父様はと云うたから、見たと思うて
永﹁おゝ手前あのなに何へ行って大仏前へ行ってな、 常陸屋 いや
でむか
掛 けたが、お繼を 追
欺 して共に打殺し、私と一緒に逃げ延
ひたちや
びて遠い処へ身を隠すか、 否 じゃアと云えば 弐心 じゃア、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
あるじ
よ
ちょっと
殺して仕舞うってね、怖くって一生懸命に逃げたけれど、
ゆ
の主
人 に夜 になったら一
寸 和尚が出て相談が有るからと云
おど
く処がないから宗円寺様へ逃込んだの﹂
行 まい
梅﹁お前本当じゃアないよ、 嚇 かしだよ、からかったのだ
い
うて、早く行って﹂
よ
男﹁はい 左様 か、 行 て参 るますと﹂
ね﹂
さ
永﹁お梅早く先へ帰りな﹂
ゆ
繼﹁いゝえ、おからかいでないの、一生懸命の顔で怖いこ
ひそ
梅﹁じゃア私は先へ帰ります﹂
と〳〵﹂
おもりもの
永﹁潜 かに今宵忍んでお前の処へ行 くぜ﹂
梅﹁一生懸命だって、お 前 を可愛がって御
供物 や何か下さ
のり
とっさん
まい
梅﹁そうして死骸は﹂
る旦那さまだもの、ほんのお酒の上だよ﹂
わたし
永﹁しい、死骸で庭が 血 だらけに成ってるから、泥の処は
繼﹁ 然 う、 私 ゃねお 父様 を捜しに往ったの﹂
とりかたづ
そ
知れぬように 取片付 けて置いた、なそれ、縁の下へ 彼 の様
あ
に入れて置いたから知れやアせん、江戸と違って犬は居ず、
あと
よ
二十
うず
きず
めるはまア後 埋 でも宜 い、お前は先へ帰りな﹂
すね
ど
し
や
とっさん
ちっ
ひま
ゝ
梅﹁お父
様 はあのお商いも隙 だから、あの金沢から山中の温
こ
そうえんじ
すぐ
梅﹁はい〳〵﹂
たと
と云いますが、お梅は 此処 に長居もしませんのは 脛 に 疵 泉場の方へ商いに往って、事に依ったら大阪へ廻って買出
さゝはら
持ちゃ笹
原 走るの譬 えで、直 に門前へ出まして、これからお
しを 致 たいからと云って、 些 とばかり宗慈寺様からね 資本 かたはらまち
こしら
そ
もとで
繼を捜して歩きましたが、 何処 へ行ったか頓 と知れなかっ
を拝借したのだよ、そうして買出しかた〴〵お商いに往っ
ようや
とん
たが、 漸 く片
原町 の宗
円寺 という禅宗寺から連れて来まし
たから、半年や一年では帰らないかも知れないよ、その代
こ
た。この宗円寺の和尚さんは老人でございますからお繼を
り 確 かり仕入れて、 以前 の半分にも成れば、お繼にも着物
よ
と
可愛がりますので、此の寺に隠れて居りましたのを連れて
を 拵 えて遣 られると云って、お前が可愛いからだね﹂
ほう〴〵
い
も
帰り、
繼﹁そう、お父様が半年も帰らないと私は一人で寝るの﹂
しっ
梅﹁まアお前何処へ行って居たかと思って 方々 捜したよ﹂
梅﹁ 宜 いじゃないか、私が抱いて寝るから﹂
ちい
繼﹁嬉しい事ね、あの 他処 の子と異 って私は 少 さい時から
ちが
繼﹁はい宗円寺様へ行って居たのでございますわ﹂
お父様とばかり一緒に寝ましたわ、お 母 さんと一緒に寝ら
っかさん
っか
梅﹁何でお前逃出したのだよ﹂
さ
繼﹁あのお母
様 怖いこと、宗慈寺の和尚様が薪割を 提 げて
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
よ
梅﹁今お前さんの顔を見てお繼が逃出したので﹂
つ
永﹁おゝ 左様 か、お繼は最前の事は 何 うじゃ、死骸を隠し
い
れるなら 何時 までもお父様は帰らないでも宜 いの﹂
た事は 怜悧 だから見たで有ろう﹂
りこう
ど
梅﹁然 うかえ、私と寝られゝばお父様は帰らないでも嬉しい
そ う
とお思いかえ、然うお云いだと誠にお前がなア 憫然 で、な
梅﹁いゝえ見ませんよ﹂
そ
に可愛くなってね、どんなに私が嬉しいか知れないよ、本
永﹁いや見たじゃ﹂
かわいそう
当に少さいうちから抱いて寝たいけれども、何だか隔てゝ
梅﹁見やアしませんよ、お前さんは心配していらっしゃる
とっ
いる中で、己 が抱いて寝るとお 父 さんに云われたが、お前
が大丈夫ですよ﹂
しん
永﹁然うかえ﹂
だか
おれ
の方から 抱 って寝たいと云うのは真 に私は可愛いよ﹂
繼﹁私も本当に嬉しいの﹂
梅﹁お父様はと聞きますからお父様は山中の温泉場から上
ぜんだて
こ
梅﹁あのお前私がお 膳立 するから、お前仏様へお線香を上
ど
方へ往ったから、一二年帰らないと云ったら、私に抱かって
い
げなよ、お父様へ、いえなにお先祖様へ﹂
寝られゝば帰らないでも 宜 いと云います、お父さんは 何処 永﹁知らぬか﹂
ちが
とお梅は不
便 に思いますから膳立をして、常と 異 ってや
へ往ったと聞くくらいだから知りませんよ﹂
梅﹁大丈夫でございます、知る 気遣 ないと私は見抜いたか
ゆうめし
ふびん
さしくお繼に 夕飯 を食べさせ、あとで台所を片付けてしま
い、
ら御安心なさいよ﹂
きづかい
梅﹁お繼お前表口の締りをおしよ﹂
と云うので、是から亭主が無いから毎晩藤屋の 家 へ永禪
でんじ
ごせいきん
いたずら
四
うち
繼﹁はい﹂
和尚忍んで来ては逢引を致します。 心棒 が曲りますと附い
し
とお繼は表の 戸締 を 為 ようと致しますると、表から永禪
て居る者が 皆 な曲ります、眞達という弟子坊主が曲り、庄
とじまり
和尚が忍んで参りまして、
吉という寺男が曲る。 旅魚屋 の傳
次 という者が此の寺へ来
しんぼう
永﹁お梅〳〵﹂
て、納所部屋でそろ〳〵天下 御制禁 の 賭博 を 為 る、怪 しか
み
梅﹁はい今開けます、旦那でございますかえ﹂
らぬ事で、眞達は少しも知らぬのに勧められて 為ると負け
はだし
たびさかなや
と表を 開 る。永禪が這入るを見るとお繼は驚きまして、
る。
かなきりごえ
なん
け
繼﹁あゝれ﹂
傳﹁眞達さん冗談じゃねえ、おいお前金を返さなくっちゃ
びっく
す
と鉄
切声 で跣
足 でばた〳〵と逃出しますので。
あけ
永﹁あゝ 恟 りした、何 じゃい﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
見たぜ﹂
わし
あすこ
ちっ
じゃあま
アいけねえ﹂
眞﹁じゃア藤屋の 女房 と悪い事やって居るか﹂
な
眞﹁今は 無 えよ﹂
傳﹁やって居るよ、己ア見たよ﹂
ね
傳﹁今無くっちゃア困るじゃアねえか﹂
し
眞﹁それははや 些 とも知らぬじゃ﹂
こ
眞﹁無 え物を無理に取ろうて云うも無理じゃアねえか、だ
いやおう
傳﹁斯 う為 ねえ、 彼処 へ往ってお前が金を貸してと云えば、
ね
おれ
らくさい事を云いおるな﹂
応 なしに貸そうじゃアねえか﹂
否
ばくち
お
傳﹁無 えたってお前己 が受ければ払いを附けなければ成ら
眞﹁成程、じゃア 私 が師匠に 逢 うてお前様お梅はんと寝て
もとで
ねえ﹂
た
居りみすから、私に何うか 賭博 の資
本 を貸してお呉んなさ
けさぶんこ
か
眞﹁今 無 えから 袈裟文庫 を抵
当 に預ける﹂
ませと云うか﹂
な
傳﹁こう袈裟文庫なんぞ 己 っちが抵当に預かっても仕様が
傳﹁そんな事を云っちゃア貸すものか、そこがおつう 訝 し
おら
ねえ﹂
く云うのだ、人間は楽しみが無くってはいけません、 私 も
い
わたくし
おか
眞﹁是が無くては法事に 往 くにも困るから、是をまア払う
女を抱いては寝ませんが、瞽女町へ往って芸者を買ったと
めえ
じょうろ
か、 娼妓 を買ったとか、旨いものが喰いたいから、二十両
ちょっと
まで預かって﹂
とか三十両とか貸せと云えば、 直 きに三十両ぐらえは貸す
じ
傳﹁そんな事を云って困るよ、おい眞達さん 一寸 聞きねえ、
よ、お 前 さんはお梅さんの酌でお楽 みぐらいの事を云いね
き
まア此
処 へ来 ねえ﹂
え﹂
こ ゝ
と次の間へ連れて 往 きまして
眞﹁むう、 巧 い事を教えて呉れた、有難い〳〵﹂
のぞ
たのし
﹁こうお 前 和尚に借りねえ﹂
と悦びまして、馬鹿な坊主で、じん〳〵端
折 で出掛け、藤
ねら
い
眞﹁師匠だって貸しはしなえ﹂
屋の裏口の戸の節穴からそっと 覗 くと、前に膳を置いて差
めえ
傳﹁貸すよ﹂
向いで酒を飲んで居りますから、小声で、
まなこ
うま
眞﹁いや此の間 私 が一両貸しゃさませと云うたら何に入る
眞﹁もしお梅はん〳〵﹂
めえ
ばしょり
てえ怖ろしい眼 して睨 んだよ、貸しはせんぞ﹂
わし
傳﹁お 前 いけねえ、和尚は弱い足元を見られて居るぜ、お
二十一
いっかじ
おら
前知らねえのか、藤屋の亭主は留守で和尚は毎晩しけ込ん
にょはん
で居る、 一箇寺 の住職が女
犯 じゃア遠島になる、 己 ア二度
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
かね
眞﹁もしお梅はん、大事に気晴しのなるようにして呉れん
わしゃ
なさませ⋮あゝ 私 なア済まぬが金 十両借りたいが、袈裟文
こ い つ こないだ
た
梅﹁誰だえ﹂
庫を 抵当 に置くから十両貸してくんなさませ﹂
か
眞﹁ちょっと開けてくださませ﹂
永﹁ 此奴 此
間 三両貸せてえから貸したが返さぬで、袈裟文
い
なん
われ
梅﹁誰だえ﹂
庫、 何 じゃえ、出家の身の上で十両などと、 汝 が身に何で
ちょっと
眞﹁眞達で、旦那に逢いたいので、 一寸 なア﹂
こ
金が 入 る﹂
こないだ
永﹁居ないてえ云え﹂
眞﹁ 此間 瞽女町へ往て芸者を 買 うたが、面白くって抱いて
こちら
梅﹁あの旦那は 此方 においでなさいませんが﹂
寝るのではないが遊んだので、借金が有るから袈裟文庫を
あんた
あした
眞﹁その様なことを云うてもいかぬ、そこに並んで居るじゃ﹂
預けようと思うたが、 明日 法事が有っても困りますから、
のぞ
永﹁あゝ 覗 いて居やアがる﹂
よ
是を 貴方 へ預けて置いて、明日法事が有れば勤めてお布施
た
らち
梅﹁おや覗いたり何かして人が悪いよ﹂
ち
で差引く﹂
こ
お
永﹁障子 閉 てゝ置けば宜 いに﹂
ゆ
永﹁黙れ、何だ二三百のお布施で埓 が明くかえ、貸されぬ、
ところ
うーん悪い 処 へ往 き居 って、瞽女町で芸者買うなんて不埓
おうみや
しゅぜん
永﹁いや今近
江屋 へ往ってのう、本堂の 修繕 かた〴〵相談
梅﹁さア 此方 へお這入んなさい﹂
い
あんた
すぐ
たのし
わし
ともらい
千万な奴じゃア﹂
そ
に往って、帰り掛に一寸寄ったら、詰らぬ物だが一杯と云
い
け
たま
眞﹁ 然 う云いやすなね、人は 楽 みが無ければ成らぬ、 葬式 え
なん
うて馳走になって 居 るじゃ、今帰るよ﹂
こ
が有れば通夜に 往 て眠い眼で直 に迎い僧を勤め、又本堂へ
とびいし
坐って経を読むは随分辛いが、 偶 には芸者の顔も見たい、
け
眞﹁帰らぬでも宜 えので、檀家の者が来ればお師匠さんが程
人間に生れて何も出家じゃアって人間じゃア、釈迦も 私 も
で
の宜え事云うて畳替えも 出来 、 飛石 が斯 うなったとか何 と
同じ事じゃ、済まぬが 一寸 、貴
方 だって 種々 此
方 へ来てお
ようえ
こっちゃ
か云えば檀家の者が寄進に付く、じゃけれど 此方 も骨が折
梅はんとねえ、何事もないじゃアねえ、お梅はんと気晴し
で
いろ〳〵こっちゃ
れる、檀家の機嫌気づまとるは 容易 なものじゃアないじゃ
に一杯やれば 甘 いから、お互に一寸は楽しみをして気を晴
ちょっと
て、だから折々は気晴しも無ければ成らん、気を晴さんで
らさんでは辛い勤めは 出来 ん、お梅はんの処へ泊っても庄
うま
は毒じゃ、泊っても 宜 えがじゃ、眞達が檀家の者は宜え様
吉にも云わぬじゃ、私が心一つで﹂
え
にするから泊っても宜えがにして置くじゃ﹂
じき
永﹁いや 直 に帰ります﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ひっくり
をつく。 須弥壇 へ駈け上ると大日如来が 転覆 かえる。お位
しゅみだん
永﹁うーん種々な事を云うな⋮⋮貸すが跡で返せ、それ持っ
だいじ
牌はばた〳〵落ちて参る。がら〳〵どんと云う騒ぎ。庄吉
ゆ
あんま
て往 け﹂
は無闇に本堂の縁の下へ這込みます。傳次は馴れて居るか
こわ〴〵
眞﹁有難い、これども⋮⋮お梅はん 余 り大
切 に仕過ぎて、旦
ら逃げましたが、庄吉は 怖々 縁の下へ段々這入りますと、
とりもの
那の身体悪うしては成らぬから、こりゃはやおやかましゅ
とら
先に誰か逃込んで居るから其の人の帯へ 掴 まると、捕
物 の
ひきず
つか
上手な 源藏 と申す者が潜 って入 り、庄吉の帯を捕 えて、
ひきいだ
い
う﹂
源﹁さア出ろ〳〵﹂
もぐ
とさあッ〳〵と帰って来て、
と 引出 す。
げんぞう
眞﹁傳次さん貸したぜ﹂
庄﹁こりゃはい 迚 も〳〵、どもはや私 は見て居 ったので﹂
とら
そ
お
傳﹁え﹂
自分の掴まえて 居 る帯を放せば宜 いに、先の人の帯を 確 がんしょく
わし
眞﹁貸した﹂
かりと 捉 えて居たからずるずると共に 引摺 られて出るのを
とて
傳﹁何うだい貸したろう﹂
見ると、 顔色 変じて血に染 みた七兵衞の死骸が出ますと云
しっ
眞﹁えらいもんじゃア十両貸した﹂
う、これから永禪和尚悪事露顕のお話、一寸一息つきまし
おい〳〵
よ
傳﹁なんだ十両か、たったそればかり﹂
い
眞﹁いや初めてだから十両、又追
々 と云うて貸りるのじゃ﹂
まち
て。
かね
などと是から納所部屋にて勝負事をする。 予 て二番町 の
だしぬけ
二十二
い
に手が入りました。
ゆきとゞ
会所小川様から探索が行
届 き、十分手が廻って居 るから突
然 ﹁御用〳〵﹂
お話は 両 に分れまして、大工町の藤屋七兵衞の宅へ毎夜
ふたつ
と云う声に驚きましたが、旅魚屋の傳次は斯う云う事に
参りまして、永禪和尚がお梅と楽しんで居ります。すると
り
きょうづくえ
く
ひっさら
丁度真夜中の頃に表の方から来ましたのは眞達と申す納所
つまづ
ばせん
は 度々 出会って馴れて居るから、 場銭 を 引攫 って逃出す、
坊主⋮とん〳〵、
たび〳〵
庄吉も逃出し、眞達も 往 く処がないから 庫裏 から庭へ飛下
眞﹁お梅はん〳〵ちょと明けてお 呉 んなさい﹂
まるばしら
ゆ
り、物置へ這入って隠れますと、旅魚屋の傳次は本堂へ出
梅﹁はい⋮旦那、眞達はんが来ましたよ﹂
かなどうろう
く
ましたが、勝手を知らんから木魚に 躓 き、前へのめる機 み
はず
に鉄
灯籠 を突飛し、円
柱 で頭を打ちまして 経机 の上へ尻餅
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
うっ
あなふさ
す
始まって居ります所へ 浮 かり手を出して負けた穴
塞 ぎの金
おの
永﹁あゝ来やアがったか、居ないてえ云え、なに、いゝえ
こいつ
でございます﹂
わし
来ぬてえ云えよ﹂
け
ん
永﹁ 此奴 悪い奴じゃアぞ、 己 れ出家の身の上で賭博を 為 る
そ
梅﹁あの眞達さん、何の御用でございますか﹂
ち と
とは 怪 しからん、えゝ何じゃア 其様 な穴塞ぎの金を私 にを
ど
眞﹁旦那にお目に懸りたいのでげすが、 何 うぞ一
寸 和尚さ
かり
じゅう〳〵
るとは何ういう心得じゃア﹂
借 こちら
んに逢わしてお呉んなさい﹂
眞﹁それは 重々 悪いがな、あれから帰って庄吉の部屋で賭
こ
梅﹁旦那はあの今夜は此
方 にお出でなさいませんよ﹂
博して居りますと、 其処 へ二番町の町会所から手が這入っ
そ
眞﹁そんな事を云うても来てえるのは知っているからえけ
え
たので﹂
こっちゃ
ません、宵にお目に懸って 此方 に泊っても宜 いと云うたの
永﹁それ見ろ、えらい事になった、寺へ手の這入るという
や
あわ
だから﹂
わし
は此の上もない恥な事じゃアないか、どゞゞ何うした﹂
いん
永﹁じゃア仕方がない、明けて 遣 れ﹂
ばしょり
眞﹁私 も慌 てゝな庭の物置の中へ隠れまして、薪の間に身を
かぶ
と云うので、仕様がないからお梅が立って裏口の雨戸を
え
潜めて居りますると、庄吉め本堂の 縁 の下へ逃げて這込ん
はだし
明けますると、眞達はすっとこ冠 りにじんじん端
折 をして、
ねま
は
こ ゝ
うち
え
かじ
で見ると、先に一人隠れて 居 る奴が、ちま〳〵と其処に身
ごようきゝ
は え
そやつ
足 で飛込んで来ました。
跣
を潜めて 寝 って居ります所へ、庄吉が 其奴 の帯へ一心に 噛 なん
永﹁何 じゃ、どうした﹂
え
すぐ
も
え
り付いて 居 る所へ、どか〳〵と御
用聞 が這
入 って来て、庄
あと
眞﹁お梅はん、 後 をぴったり締めてお呉んなさい、足が泥
え
吉の帯を取ってずる〳〵と引出すと、庄吉が手を放せば 宜 しんこう
いに、手を放さぬで 居 たから、先に 這入 った奴と一緒に引
し
になってるから此の雑巾で拭きますからな﹂
ずり出されて来る、庄吉は 直 に縛られてしまい、又是は何
わし
もん
永﹁何う為 よったじゃア、深
更 になってまア其の跣足で、そ
者か顔を揚げいと 髻 を取って引起すと 若 し⋮⋮ 此処 な 家 の
あなた
こ ゝ
ないな 姿 で此
処 へ来ると云う事が有るかな、困った 者 じゃ
の七兵衞さんの死骸が出たのじゃが﹂
夫 なり
ア、此処へ来い、何うした﹂
永﹁えゝ何⋮⋮死骸それは⋮⋮どゞどうして出た﹂
じょうろ
あ
ゝ
眞﹁和尚さん最前なア、 私 ア瞽女町で芸者買って金が足り
眞﹁何うして出たもないもんじゃ、あんたは 此所 なお梅は
こ
ないから 貴方 に十両貸してお呉んなさいましと、まアお願
んと深い中になって、七兵衞さんが 在 っては邪魔になるか
ばくち
たぶさ
い申しましたが、あの金と云うものは実はその芸者や 女郎 とゝま
を買ったのではないので、実はその庄吉の部屋でな 賭博 が
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
いん
い
や庄吉が絶えず側に居 るから、見られては成らぬと思って、
い
どてら
そんな
わらじ
かつぶし
あやま
ろなく床下へ入れた 拠 儘 にして置いたが 私 の過 りじゃな﹂
こしら
わし
らと云うので、あんた七兵衞さんを殺して 縁 の下へ隠した
眞﹁過りでも 宜 いが、路銀をお呉んなさいよ﹂
むすび
ふる
まゝ
じゃろう、隠さいでも 宜 いじゃアないか、えゝ左
様 じゃな
ぶちはた
え
よんどこ
いか、直ぐに庄吉は縛られて二番町の町会所へ送られ、 私 は
永﹁路銀だって今此処に無いからな、その路銀を隠して有
ようよ
そ う
物置の中に隠れて 居 て見付からなかったから、漸 う這出し
る所から持って来るが、死人が出たので其処へ張番でも付
え
て、皆出た後 でそうっと抜出して此処まで来たのでげすが
きやアしないか﹂
ぶ
そ う
え
な、私がぐずぐずしてると 直 に捕 まります、捕まって 打叩 眞﹁張番 所 でない、手先の者も怖い怖いと思って、庄吉を
いん
わし
きされて見れば、庄吉は知らぬでも私は 貴方 が楽しんで 居 縛って皆附いて行ってしもうて、 誰 も居ませんわ﹂
え
る事は知って 居 るから、義理は済まぬと思いながらも 打 た
永﹁お梅、何をぶる〳〵慄 える事はない、其
様 にめそ〳〵
つか
れては痛いから、実は師匠の永禪和尚はお梅はんと悪い事
泣いたって仕様が無い、是れ七兵衞さんの 褞袍 を貸しな、
しおき
すぐ
をして居ります、それ故七兵衞さんを殺して 縁 の下へ隠し
様 して何か帯でも三尺でも 左
宜 いから貸しな、己はちょっ
あと
たのでございましょうと私が云うたら、あんたも直に縛ら
と往って金を持って来るから、少し待ってろ、其の間にど
かわづゝみ
くいもの
どころ
れて行って、お 処刑 を受けんではなるまいが、そうじゃな
うせ山越しで逃げなければ成らぬから、草
鞋 に紐を付けて、
あんた
いか﹂
皮包 でも宜いから 竹
握飯 を 拵 えて、 松魚節 も 入 るからな、
わし
たれ
永﹁ふうーん﹂
物 の支度して梅干なども詰めて置け、己は一寸往って来
食
え
眞﹁ふうーんじゃない、斯うしてお呉んなさい、 私 は遠い
るから﹂
ろぎん
え
処へ身を隠しますから 旅銀 をお呉んなさい、三十両お呉ん
け
なさい﹂
で
二十三
たとい
永﹁そりゃまア宜く知らしてくれた、眞達悪い事は 出来 ぬ
え
も
ほか
で け
ほゝかぶ
ものじゃな﹂
のぞ
永禪和尚も 最 う是までと諦らめ、逐電致すより外 はない
うめ
ぱっち
は
眞﹁出
来 ぬたって殺さいでも宜 いじゃないか、仮
令 殺して
どてら
と心得ましたから、 覗 きの手拭で頬
冠 りを致し、七兵衞の
てまえ
てまい
も墓場へでも埋 れば知れやアせんのじゃ﹂
うだ気が利いてるだろうと 裾 をからげて、大工町の裏道へ
袍 を着て三尺を締め、だく〴〵した股
褞
引 を穿 きまして、ど
しの
すそ
永﹁庄吉にも汝 にも隠し、汝 たちの居ぬ折に埋めようと思っ
てまい
て少しの間凌 ぎに縁の下へ入れると、絶えず人が来るし、 汝 敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
取出して、丁度百六拾金ばかり有りますのを、是を懐中へ
へ廻って自分の居間へ参り、隠して有りました所の 金包 を
る様子もござりませんから、勝手を知った庭伝いに 卵塔場 出まして、寺の門へこわ〴〵這入って見ると、一向人がい
かな⋮⋮眞達ようー〳〵﹂
永﹁あゝー寒い、 大分 遅れた様子じゃな、眞達はまだ来ぬ
ら〳〵〳〵と霙 が額へ当ります。
水音がどうーどっと聞える。山から雲が吹出しますと、ぱ
し無暗に逃げて、丁度大沓へ掛って来ますると、神通川の
いが一生懸命、 疵 持つ足に笹原走ると、草
臥 を忘れて夜通
くたびれ
入れて、そっと抜け出して来ました。又 災
も三年置けばと
眞﹁おおい﹂
きず
申す 譬 えの通りで、二
十五歳 の折に逃げて来ました其の時
永﹁早う来んかなア﹂
こわ〴〵
かねづゝみ
らんとうば
に、大の方は長くっていかぬから 幾許 かに売払ったが、小
眞﹁来 うと云うたてもなア、お梅はんが歩けんと云うから、
かね
ひっぱ
しっ
のべつゞ
みぞれ
が一本残って居りましたから、まさかの時の用心にと思っ
手を引
張 ったり腰を押したりするので、共に草臥れるがな、
こ
うしろ
かね や
だいぶ
て短かいのを一本差して、 恐々 藤屋七兵衞の宅へ帰って来
とても〳〵足も腰も痛んで、どうも歩けぬので﹂
ど
わざわい
まして、
永﹁ 確 かりして歩かんではいかぬじゃアないか﹂
あと
にじゅうご
永﹁さア早く急げ〳〵﹂
梅﹁歩かぬじゃいかぬと云ったってお前さん、休みもしな
たと
と云うので、お梅は男の様な姿に致しまして、自分も頭
いで延
続 けに歩くのだもの、何 うして歩けやアしませんよ﹂
ょ
いくら
にはぐるりと 米屋冠 りに手拭を巻き付けて皆 形 を変えまし
永﹁しらりと夜が明け掛って来て、もうぼんやり 人顔 が見え
し
ゆ
こ
たが、眞達も其の 後 からすっとこ冠りを致し、予 て袈裟文
る様に成って来るが、この霙の 吹掛 けでぱったりと往来は
さかい
たかやまごえ
なり
庫を預けて有ったが、これはまた 何処 へ行っても役に立つ
止まって 居 るが、今にも渡しが 開 いて、渡しを渡って 此処 おいわけ
たてやま
とやま
こめやかぶ
と思って、その文庫をひっ 脊負 って、せっせと逃出しまし
へ来る者が有れば、何でも三人だと、何う姿を隠しても坊
はす
だ
え
ど
た。これから 富山 へ掛って行 けば道順なれども、富山へ行
主頭は 後 から見れば毛の無いのは分るから、眞達手前はな
ひ
わず
わし
あ
こ
い
ひとがお
くまでには追
分 から堺 に関所がございますから、あれから
ア三拾両 金 遣 るがなア、此処から別れて一人で 行 んでくれ、
おおくつがわ
じんつうがわ
むやみ
ふっか
道を 斜 に切れて立
山 を北に見て、だん〴〵といすの宮から
己はお梅を連れて高山越えをする積りだから﹂
やす
いたわ
ゝ
沓川 へ掛って、 大
飛騨 の高
山越 をいたす心でございますか
眞﹁私 も其の方が宜 いのでげす、斯 うやって三人で歩くと、
こ
ら、神
通川 の川上の渡しを越える、その頃の渡し銭は 僅 か
私はお梅はんを 労 り、あんたは無暗に駈けるから歩けやア
い
に駈通しに駈けまして、五里足らずの道でございますが、恐
八文で、今から考えると誠に 廉 いものでござります。無
暗 敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
よ
のり
い く
じ
永﹁えゝもう 宜 いや、そんな意
気地 のない事で成るか﹂
こっちゃ
しない、どうも私は草臥れていかぬ、それじゃア三十両お
も
と眞達の着物で 血 を拭って鞘に納め、
そ
呉んなさい、その方が私は仕合せじゃ﹂
わたしば
永﹁さア来い﹂
ゆ
ごくなんじょ
かたかけ
永﹁うん然 うか、今金を遣るから、若 し渡し口の方から此
方 たに
と無暗に手を引いて 渡場 へ参り、少しの手当を遣って渡
さゝざわ
ばら
へ人でも来ると何うも成らぬから、模様を見て居てくれ、
たに
しを越え、此処から 笹沢 、のり原 、いぼり谷 、片
掛 、 湯 の
かぞ
金の勘定をするからよう、封を切って 算 える間向うを見て
うち
と六里半余の道でござりますが、これから先は 谷 極 難
所 で、
りすけ
居ろよ﹂
小さい関所がござりますから、湯の谷の 利助 と云う家 へ泊
や
眞﹁まだ渡しは開きやアしません、この霙の吹ッかけでは
りました。是れは本当の宿屋ではない、その頃は百姓 家 で
うっ
向うから渡って来やアしますまい﹂
人を留めました。此処で、
いや
と眞達が 浮 かり渡し口に眼を着けて居りますると、腰に差
永﹁お梅、 厭 でも有ろうけれども頭を剃って呉れえ、どう
あつ
して居りましたる重ね 厚 の一刀を抜くより早く、ぷすりっ
も女を連れて 行 けば足が付くから﹂
あび
と厭がるお梅を無理無体に勧めて頭を剃らせましたが、
ゆ
と肩先深く浴 せますと、ごろり横に倒れましたが、眞達は
年はまだ三十で、滅相美しいお 比丘様 が出来ました。当人
びくさま
一生懸命、
わし
眞﹁やアお師匠さん、私 を殺す気じゃな﹂
すが
も厭ではあろうが、矢張身が怖いから致し方がない。
しにものぐる
とどん〴〵〴〵〴〵と 死物狂 い、縋 り付いて来る奴を、
よ
永﹁さ、幸い下に着て居る己の無地の着物が有るから、是
はしょり
うちあげ
永﹁えゝ知れたこっちゃ、静かにしろ﹂
あおむき
を 内揚 をして着るが 宜 い﹂
とゞ
あたり
と 鳩尾 の辺 をどんと突きまする。突かれて 仰向 に倒れる
と云うので、是から永禪和尚の着物を直してお梅が着て、
のッかゝ
みぞおち
処を 乗掛 って 止 めを刺しました処が、側に居りましたお梅
その上に眞達の持って居りました文庫の中より衣を出して
くさはら
は驚いて、ぺた〳〵と腰の抜けたように草
原 へ坐りまして、
着、端
折 を高く取って袈裟を掛けさせ、又袈裟文庫を 頭陀袋 にわか
ずだぶくろ
梅﹁旦那﹂
の様にして 頸 に掛けさせ、 先 これで宜いと云うので、 俄 に
しっ
まず
永﹁えゝ 確 かりせえ﹂
お比丘尼様が一人出来ました。
ひど
二十四
くび
梅﹁確かりせえと云ったって、お前さん 酷 い事をするじゃ
だしぬけ
い
ないか、眞達さんを殺すなら殺すと云ってお呉れなら 宜 い
に、突
然 で私は腰が抜けたよ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
かに寺まで往 く処 の関所は金さえ 遣 れば越えられたもので
出しますと何 うやら 斯 うやら書付を 拵 えて呉れますから、
一本差して、これから湯の谷を出ましたが、その頃百 疋 も
永禪は 縞 の着物に坊主頭へ米
屋被 りを致し、小長いのを
又﹁おい婆さん〳〵﹂
一匹撃って来まして、
客だと云って、何か御馳走をしたいと山へ往って、小鹿を
年はとって居るが。多分に手当をして呉れるから 有難いお
も急には生えは致しません。宿屋の亭主は気が利いていて、
で泊って居りましたが、段々と頭の毛も生えるが、けれど
と云って、九月の二十日からいたして十一月の三日の日ま
またくろう
こと
ゆ
ようや
みかわばら
ゝ
なんじょ
よ
こめやかぶ
ござります。 漸 く金で関所を越えて、かゞぞへ出て 小豆沢 、
婆﹁あい何だえ﹂
しま
原 、 杉
靱 、三
河原 と五里少々余の道を来て、足も疲れて居
又﹁小鹿を一匹撃って来たよ﹂
こ
そり
あずきざわ
ぴき
ります。 殊 に飛騨は難
処 が多くて歩けませんから、三河原
婆﹁ 何処 で﹂
てまえ
しか
こしら
たび〳〵
五
の又
九郎 という家に宿を取りました。
又﹁あの 雪崩口 でな、何もお客様に愛想がねえから、 温 ま
しばら
ふるかわまち
こしら
永﹁まア 此処 は静かで宜 い、殊に夫婦とも誠に親切な者で
る様に是れを上げたいものだ、己がこしらえるからお前味
こ
あるから、暫 く此処に足を留めようじゃアないか、おれも
噌で溜りを 拵 えて、 燗鍋 の支度をして呉んな﹂
ど
頭の毛の長く生えるまでは居なければならぬ、此処なれば
とこれから亭主が料理をしてちゃんと膳立ても出来まし
そ
や
決して知れる気遣いは有るまい、 汝 も剃 たて頭では青過ぎ
たから、六畳の部屋へ来て破れ障子を明けて、
あしだま
ところ
て目に立つから、少し毛の生えるまでは此処にいよう、只
又﹁はい御免﹂
うつぼ
少し 足溜 りの手当さえすれば宜い、 併 し此処には食い物が
永﹁いや御亭主か﹂
すぎはら
無いが、これから古
河町 へ往 けば米も有るから米を買って、
又﹁まことに続いてお寒いことでございます、なれども沢山
や
こ
又酒や味噌醤油などの手当をして﹂
も降りませんでまア宜うございますが、是からもう 月末 に
おやじ
ど
梅﹁それじゃア 然 うしてお呉んなさい﹂
なって、 度々 雪が降りますると道も止りますが、まア〳〵
あ
つきずえ
あった
と云うので多分に手当を 遣 って、米や酒醤油を買いに遣
今年は雪が少ないので仕合せでござります、さぞ日々御退
うち
なだれぐち
るから、是は大したお客様と又九郎 爺 が悦びまして、米を
屈でございましょう﹂
よ
かんなべ
買ったり何かして、来年まで居ても差支えないように成り
永﹁いゝやもう 種々 お世話に成りまして、それに此の尼様
ゆ
ました。その 中 に 彼 の辺は雪がます〳〵降って来ますると、
いろ〳〵
旅人の往来が止りまする事で、丁度足溜りには都合が 好 い
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
が坂道で足を痛めて歩けぬと云うこと、殊に寒さは寒しす
ちませんから、どうか御退屈でない様にと申しましても、
婆﹁何う致しまして、もうこんな 爺
婆 アで何もお役には立
じゞいばゞ
るから、気の毒ながら来年の三月迄は御厄介じゃア﹂
家もない山の中でございますから、 外 に仕方もございませ
たいしゅ
じゞいばゞあ
ほか
又﹁へい有難いことでございます、毎日婆アともはア 然 う申
ん、どうか 何時 までもいらしって下されば仕合せでと、爺
そ
して居ります、あなた方がお泊りでございますから、 斯 う
も一層蔭でお噂致して居りますよ⋮⋮爺さんお相手をなさ
つ
やって米のお 飯 のお余りや上
酒 が戴いて居 られる、こんな
いよ﹂
い
こ ゝ
い
有難い事はございませんと云って、婆アも悦んで居ります、
又﹁さアこの御酒を召上りませ、それから鍋は一つしかご
やまが
え
こ
うかなんなら二三年もおいでなすって下されば猶宜いと
何 ざいませんから取分けて上げましょう﹂
こし
お
存じます、なんで此の 山家 では何もございませんが、鹿を
永﹁いや皆 此処 で一緒の方が宜 いから﹂
うち
じょうしゅ
一匹撃って参りまして 調 らえましたが、何うか鹿で一杯召
又﹁左様でげすか、いろ〳〵又 爺
婆
の昔話もございます
めし
上って、あの何ですかお比丘尼様は鹿は召上りませんか﹂
から、少しはお慰みにもなりましょうと思いまして⋮⋮婆
ど
永﹁いや、何 じゃ、それは何とも、まア一体は食われぬの
さん、どうも美 い酒だのう、宜かろう何うだえ、えゝこの御
くすりぐい
もゝんじいや
すぐ
え
じゃけれどもなア、旅をする 中 は仕方がない、却 って寒気
酒はあの古河町へ 往 かなければないので、又 醤油 が好 いか
なん
を凌 ぐ為に勧めて食わせるくらいだから、 薬喰 には 宜 いわ
ら甘 いねえ、これでね旦那様、江戸の様な旨い味噌で造った
きよ
かえ
な﹂
たれを 打込 んで、 獣肉屋 の様にぐつ〳〵遣 れば旨いが、そ
きのみ
わらび
わたくし
や
さかもり
かんなべ
よ
又﹁左様でげすか、鹿は 木実 や清らかな草を好んで喰うと
れだけの事はいきません、どうも是では旨くはないが、こ
そ だ
み
おさ
したじ
申すことで、鹿の肉は魚よりも 潔 いから召上れ、御婦人に
れへ 蕨 を入れるもおかしいから止しましょう⋮⋮へえお盃
ぶっこ
こっち
さ
い
は尚お薬でございます⋮⋮おい婆さん何を持って来て、ソ
を戴きます、私 も若い時分には随分 大酒 もいたしましたが、
もや
しの
レこれへ 打込 みねえ、それその 麁朶 を燻 べてな、ぱッ〳〵
もう年を取っては 直 に酔いますなア、それでも毎晩 酣鍋 に
うま
と燃 しな⋮⋮さア召上りまし、 此方 の肉 が柔かなのでござ
一杯位ずつは 遣 らかします﹂
こ
ほろよい
永﹁何うだい、お前方は何うも山の中にいる人とは違い、ま
や
いますから、さア御比丘様﹂
と差 えつ 押 えつ話をしながら 酒宴 をして居りましたが、
よ
ぶちこ
梅﹁有難う存じます、まア本当に 斯 う長くお世話に成りま
其の内にだん〳〵と爺さん婆さんも 微酔 になりました。
あんま
く
すとも思いませんでしたが、 余 り御夫婦のお手当が 宜 いか
ら、つい泊る気になりました﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
づか
きっと
はて
こ
よ
こなた
永﹁それは門前の小僧習わぬ経を 誦 むで、寺にいると自然
ど
た言葉 遣 いも分るから 屹度 苦労人の果 じゃろう、万事に宜
こうや
たと
もう旅へ出ると経を読まぬてえ、是が 紺屋 の 白袴 という譬 と覚えて読んで見たいのだが、また 此方 は御出家じゃアが、
しらばかま
く届くと云うて噂をして居ることだが、生れは 何処 だね﹂
こ
又﹁えゝ旦那様お馴染に成りましたから 斯 んな事を伺いま
わたくし
えじゃアのう﹂
おぐし
すが、あなたは元は御出家様でございますかえ﹂
あなた
又﹁そうでございますかえ、 私 はまた御苦労の果じゃア無
わし
永﹁私 は出家じゃア無い﹂
いかと思って、のう婆さん﹂
おぼしめ
又﹁へえー左様でげすかえ、 貴方 は其の 頭髪 がだん〳〵延
婆﹁お止しよ、ひちくどくお聞きで無いよ、欝陶しく 思召 はや
びますけれども、元御出家様で是からだん〳〵お 生 しなさ
わたくし
すよう﹂
わし
るのではないかと存じまして﹂
又﹁でもお互に昔は⋮⋮旦那 私
はねえ、ちょっと気がさす
す
ばゞあ
永﹁なに 私 は百姓だが、旅をする時にはむしゃくしゃして
ので、 然 ういう事を云いますが、この 婆 を連れて私が逃げ
そ
陶 しいから剃るのじゃ、それに寺へ奉公をして居るから、
欝
まする時にゃア、この婆が若い時分だのにくり〳〵坊主に
うっとう
頭を剃る事なぞは頓と構わぬじゃア﹂
致しましてねえ、私も頭を 剃 っこかして逃げたことが有る
ね、えゝ是は昔話でございますがねえ﹂
ごていはつ
又﹁へえー左様で、お比丘尼様はこの頃 御剃髪 なすったの
そ
でげすな﹂
じゞいばゞあ
婆﹁爺さんお止しよ、詰らない事を言い出すね、よしなよ﹂
しの
永﹁えゝいゝえ⋮⋮なに 然 う云う訳じゃアないのじゃ﹂
又﹁なに、いゝや、旦那の御退屈 凌 ぎだ、 爺
婆
の昔話だ
いや
又﹁へえ左様でげすかえ﹂
から 忌 らしい事も何もねえじゃねえか﹂
あと
もっと
永﹁尤 も幼少の時分からと云う訳じゃアないが、七八年 前 から少々因縁有って御出家にならっしゃッたじゃ﹂
二十五
わたくしども うち
きせ
よ
又﹁へえー左様で、 私共 の家 には御出家様が時々お泊りに
又﹁旦那此の 婆 はもと根津の増田屋で小
澤 と云った女
郎 で
あいだ
じょうろ
なりますが、御膳の時はお経を 誦 んで御膳をお盖 に取分け
ございます﹂
こさわ
て召上りますな、あなたも此の 間 お遣りなすったしお経も
婆﹁およしよ爺さん﹂
ばゞあ
お読みなさいますが、お比丘尼様の方はそう云う事をなさ
又 ﹁いゝやな、昔は鶯 を啼かして止まらした事もある⋮⋮
うぐいす
る所を見ませんから、それで貴方は御出家お比丘尼様は此
六
の頃御剃髪と思いまして﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
あが
こいつ
てくだ
はじま
にょうぼ
ひど
れて 登 ったのが縁さねえ、処が 此奴 中々手
管 が有って帰さ
ちょっと
今はこんな梅干婆で見る影も有りませんがね、これでも二
ないから、とうとうそれがお前さん道楽の 初 りで酷 いめに
い
十三四の時分には中々薄手のあまっちょで、 一寸 その気象
遭いましたけれども、此奴の気象が 宜 いものだから借金だ
こうがい
が宜うがしたね、時々、今日は帰さねえよと部屋着や 笄 な
らけで、 漸々 年季が増して長いが、私の様な者でも 女房 に
申しますから、借金があっては 迚 もいかぬから、連れて逃
だん〴〵
どを質に入れて、そうして遊んで呉れろと云うから、つい
な女でございます﹂
粋 げようと無分別にも相談をしたのが丁度三十七の時ですよ、
とて
して呉れないかと云いますから、本当かと云うと本当だと
婆﹁およしよう、詰らない事を言って間が悪いやね、恥か
それからお前さん連れて逃げたんだ、国には 女房子 が有る
や
しいよ﹂
のに無茶苦茶に此奴を 引張 って逃げましたが、年季は長い
つめびき
とぼけて遊ぶ気になり、 爪弾 位は静かに 遣 ると云う、中々
又﹁恥かしいも無いものだ、もう恥かしいのは通り過ぎて
し、借金が有るから 追手 の掛るのを恐れて、逃げて〳〵信
いき
居るわ﹂
州路へ掛っても間に合わぬから、此奴をくり〳〵坊主にし
おって
りんびょう
ばち
にょうぼこ
永﹁おや左様かえ、何でも 然 うじゃろうと思った、中々お
て私も坊主になってとうとう飛騨口へ逃込んだのよ﹂
ひっぱ
前苦労人の果でなければ、あの取廻しは出来ぬと思った、
永﹁ふうん然うかえ﹂
そ
あゝ左様かえ、一旦泥水に這入った事がなければなア﹂
又﹁それがお前さん面白い話でどうも高山にもうっかり 居 た
せん
い
梅﹁おや然うかね、長く御厄介になって見ると私はどうも
られないで、だん〳〵廻って落合の渡しを越えて、此の三河
いえ
御当地の方じゃないと実は思って居ましたが、然うでござ
原と云う 此処 の家 へ泊ったが不思議の縁でございます、 先 こ こ
いますか、不思議なものだねえ増田屋に、どうも妙だね、然
に 又九郎 と云う夫婦が有ってそれが私が泊って翌日立とう
またくろう
うかね﹂
おきぱな
はんどや
ひきさら
かと思うと、寒さの時分では有るが、誠に天の 罰 で、人が高
こ れ
じゝいばゝあ
じょうろ
永﹁どうも妙だのう、それじゃアお前何かえ、江戸の者か
い給金を出して抱えて居る 女郎 を引
浚 って逃げた盗賊の罪
かがやへいろく
と、国に女房子を 置放 しにした罰が一緒に報って来て私は
したやかやちょう
いなりまち
え﹂
房 の かの字を受けたと見えて 女
痳病 に 痔 と来ました、これ
わたくし
又﹁いゝえ私 はねえ旦那様富山 稲荷町 の 加賀屋平六 と云う
がまた二度めの 半病床 と来て発 つことが出来ませんで、此
じ
荒物御用で、江戸のお前さん 下谷茅町 の富山様のお屋敷が
処の 爺
婆
に厄介になって居りますると、先の又九郎夫婦
いずも
ございますから、 出雲 様へ御機嫌伺いに参りまして、下谷
ひっぱ
に宿を取って居る時に、見物かた〴〵根津へ往って 引張 ら
、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
方は駈落者の様だが、段々月日も経って跡から追手も掛ら
く泊って下すったが、私はもう迚 も助からねえ、どうもお前
その時私共を 枕辺 へ喚 んで、誠に不思議な縁でお前方は長
と、此処の爺婆が煩 い付いて、迚 も助からねえ様になると、
思って 稍 半年も此処に居りまして、 漸 く二人の病気が癒 る
が誠に親切に二人の看病をして呉れ、その親切が有難いと
の方の者が滅多に来ないから知らぬのじゃなア﹂
子はお前の此処に居る事を知らぬかえ、此の飛騨へは富山
永﹁じゃア富山の稲荷町で良い 商人 で有ったろうが、女房
し 詮方 がないから居たので﹂
又﹁情合だって婆さんも私も 厭 だったが、外 に行 く所がな
山の中に住んで居るとは、 情合 だね﹂
でも 内儀 さんと真実 思合 うての中じゃから、斯うして此の
永﹁そうかねえ、苦労の果じゃがら万事に届く訳じゃのう、
わたくしども
まくらもと
うしろ
とて
ゆ
たきゞ
うち
わらび
しかた
七
はんごんたん
おもいお
ぬ様子、 何処 か是から指して行 く所がありますかと云うか
又﹁えゝそれは私が家を出てから行方が知れぬと云って、
わず
せがれ
み
ら、私
共 は何処も行く所はないが、まア越後の方へでも行
家内が心配して 亡 なり、それから続いて家 は潰れる様な訳
こ
た む
か
こうと実は思うと云うと、そんなら沢山も有りません、金
で、 忰 が一人ありましたが、その忰平太郎と云う者は、仕
しの
ばゝあ
こうはな
なお
は僅 かだが、この後 の山の焚
木 は家 の物だから、山の 蕨 を
様がなくって到頭お寺様か何かへ貰われて仕まったと云う
けだもの
いえ
ようや
取っても夫婦が食って行くには沢山ある、また 此所 を斯 う
事を、ぼんやり聞いて居りましたが、妙な事で、去年富山
やゝ
すれば此所で 獣物 が獲れる、冬の 凌 ぎは斯う〳〵とすっぱ
の薬屋、それお前さん 反魂丹 を売る清
兵衞 さんと云う人が
のち
ばあさま
うち
せいべえ
だいくまち
あきんど
いや
じょうあい
り教えて、さて私の 家 には身寄もなし婆 も弱 くれて居るか
家へ来て、一晩泊って段々話を聞きました所が、私共の忰
こ こ
とて
ら、私が命のない 後 はお前さん私を親と思って 香花 を手
向 は妙な訳でねえ、良い出家に成られそうでございまして、
わずら
け、此
処 な家の絶えぬようにしてお呉んなさらんか、と云
越中の国高岡の大工町にある宗慈寺と云う寺の納所になっ
ひろめ
たとえ
と
めえ
ゆ
う頼みの遺言をして死んだので、すると 婆様 が又続いて看
て、立派な衣を着て居る そうで﹂
や
ほか
病疲れかして病気になり、その死ぬ前に何分頼むと言って
永﹁はアそれは妙な事だなア、 大工町 の宗慈寺と云うは真
よ
死んだから、前に 披露 もしてあったので、近辺の者も皆得
言寺じゃアないか﹂
ちょう
こ
心して爺さん婆さんを見送ったから、つい其の儘ずる〳〵
又﹁はい真言寺で﹂
ど
べったりに二代目又九郎夫婦に成ったのでございます、あ
永﹁そこにお前の忰が出家を 遂 げて居るのかえ﹂
なく
なた 恰 ど今年で二十三年になるが、住めば都と云う 譬 の通
又﹁はい名は何とか云ったなア、婆さんお前 知って居るか、
こ こ
りで、蕨を食って此処に斯う 遣 って潜んで居ますがねえ、
よぼ
随分苦労をしましたよ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
とじろりっと横眼でお梅と顔を見合わした 計 り、ぎっく
永﹁左様か﹂
あゝそうよ⋮⋮いゝや、眞達と云う名の納所でございます﹂
又﹁ 宜 やな﹂
て⋮⋮さア、 此方 へお出でよう﹂
酔うとしつこう御座いまして、繰返し一つことを申しまし
婆﹁本当にお退屈様で 嘸 お眠うございましょう、此の通り
さぞ
り胸にこたえて、 流石 の悪党永禪和尚も、これは飛んだ所
婆﹁誠にお邪魔さまで⋮⋮さア⋮此方へお出でよ、また飲
あが
こっち
へ泊ったと思いました。
みたければお 飲 りな﹂
ばか
と手を引いてお 澤 と云う婆さんが又九郎を連れて部屋へ
いゝ
二十六
参りました跡で、
さすが
梅﹁旦那々々﹂
こ
すね
すぐ
さわ
又﹁それで婆さんの云うのには、前の事をあやまって尋ね
永﹁えゝ﹂
こ
て行ったら宜かろうと云いますが、何だか今更親子とも云
梅﹁もう、 此処 には居られないからお立ちよ、早くお立ち
おやじ
じょろう
よ﹂
わし
うっちゃ
い難 いと云うのは、女房子を打
遣 って女
郎 を連れて駈落す
永﹁立つと云っても 直 に立つ訳にはゆかん﹂
にく
る身の 越度 、本人が和尚さんとか納所とか云われる身の上
梅﹁いかぬたってお前さん怖いじゃア無いか、此処は 剣 の
おちど
になったからと云って、今 私 が親
父 だと云っても、顔を知
中に這入って居るような心持がして、眞達の親父と云う事
い
おいわけ
うち
きず
こしら
よくあさ
ごま
ふり
つるぎ
りますまいし、 殊 に向うは出家で堅固な処へ、何だか気が
が知れては﹂
こと
詰って 往 けませんなれども、その話を聞いて一度尋ねて 行 永﹁これ〳〵黙ってろ、 明日 直に立つと、おかしいと勘付
にく
い
きたいとは思って心掛けては居りますが、たとえ是れで死
かれやアしないかと脛 に 疵 じゃ、此の間も頼んで置いたが、
のち
こ
あした
にました処が、旦那様何でございます、まア其の 本人 が坊
瀬 の追
広
分 を越える手形を 拵 えて貰って、急には立たぬ 振 むこう
主でございますから、死んだと云う事を風の便りに聞いて、
をして、二三日の中 にそうっと立つとしようじゃア無いか﹂
ひろせ
本当の親と思えば、死んだ 後 でも悪 いとは思いますまいか
梅﹁何うかしてお呉んなさい、私は怖いから﹂
い
ら、お経の一遍位は上げてくれるかと思って、それを楽し
とその晩は寝ましたが、 翌朝 になりますと金を 遣 って瞞 ぱなし
や
みに致して居 る訳で﹂
かして、何うか 斯 うか広瀬の追分を越える手形を拵えて貰
そ
永﹁なるほど然 うかえ﹂
なが
又﹁へえ⋮⋮まことに長 っ話 を致しまして﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
参ったのは、越中富山の反魂丹を売る薬屋さん、富山の薬
て居りますると、翌日 申 の刻
下 りになりまして峠を下って
い、明日立とうか 明後日 に為 ようかと、こそ〳〵支度をし
清﹁いや然うは 往 きませぬ、何 うでも 彼 うでも落合まで 未 すから﹂
それに良い酒もありますからお泊りなさい、お 裙分 をしま
のう、まア今夜はお泊りなさいな、この頃は米が有ります、
又﹁婆さん今日は落合までいらっしゃるてえが仕方が無い
し
屋さんは風呂敷包を 脊負 うのに 結目 を堅く縛りませんで、
だ日も高いから 行 こ積りで﹂
あさって
両肩の脇へ一
寸 挟みまして、先をぱらりと下げて居ります。
又﹁それは仕方が無いなア、然うでしょうがまア一杯飲ん
あいくち
し ょ
が
懐には 合口 をのんで居る位に心掛けて、怪しい者が来ると
で﹂
やまぐに
さ
負 て居る包を 脊
放 ねて置いて、懐中の合口を引抜くと云う
清﹁いゝや⋮⋮﹂
なゝつ
事で始終 山国 を歩くから油断はしません。よく旅慣れて居
又﹁そんな事を云わずに、これ婆さん早く一杯⋮﹂
いと
よ
こり
そう〳〵
すそわけ
るもので御座ります。一体飛騨は医者と薬屋が少ないので
婆﹁能くお出でなさいました、去年は誠にお 草々 をしたっ
むすびめ
薬が 能 く売れますから、寒いのも 厭 わずになだれ下りに来
て 昨宵 もお噂をして居りました﹂
ど
け
あなた
ま
まして。
又﹁清兵衞さん、去年お泊 の時に、私の忰は高岡の大工町の
ね
あんま
つ
こ
薬屋清﹁やア御免なさいませ﹂
宗慈寺と云う寺に這入って、弟子に成って居ると云う 貴方 いで
け
ま
われ
ど
又﹁おやこれはお珍らしい⋮⋮去年お泊りの清兵衞さんが
のお話が有ったが、眞達と云う忰は達者で居りますかな﹂
お
け
くたぶ
じゃアまア
よ
お出 なすった、さア奥へお通りなさい、いやどうも能く﹂
清﹁いや何うも 是 ゃはや、それを云おう〳〵と思って 来 た
こ
ちょっと
清﹁誠に、是れははや、去年は 来 まして、えゝ長 えこと御
が、お 前 さん余 り草
臥 れたので忘れてしまったが、いや眞
け
は
厄介ねなり居 りみした、いやもう 二度 と再び山坂を越えて
達さんの事に 就 いてはえらい事になりみした﹂
しょっ
う云う所へは 斯 来 ますまいと思うて居りみすが、又慾と二
又﹁へいどうか成りましたか﹂
よ
人連れで 来 ました⋮⋮おや婆様この前は御厄介になりみし
清﹁いやもう ら ち く ちのつかない事に成りみしたと云う訳
つもり
ゆうべ
た、もうとても〳〵この山は下りは楽だが、登りと云うた
は、お 前 さん宗慈寺の永禪和尚と云う者はえらい悪党であ
よ
とまり
ら足も腰もめきり〳〵と致して、やアどうも草
臥 れました、
りみすと、前町の藤屋七兵衞と云う荒物屋が有って、その
せ
なが
とても〳〵﹂
房 のお梅というのと 女
悪 え事をしたと思いなさませ、永禪
そ
くたぶ
又﹁今夜はお泊りでげしょう﹂
ま
清﹁いや 然 うでない、今日は 切 みて落合まで行 く積 で﹂
、
、
、
、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
あ
きりころ
けれころ
も〳〵何とも云い様のない姿に斬
殺 されて居りみしたが﹂
いん
和尚とお梅と間男をして居りみして、七兵衞が 在 っては邪
ぶちころ
又﹁えー忰が斬
殺 されて﹂
とゝま
そま
け
清﹁いやもう何とも﹂
で
魔になるというて、 夫 の七兵衞を薪割で 打殺 し、本堂の 縁 し
われ
われ
の下へ 隠 したところが、 悪 え事は 出来 ぬものじゃなア、心
又﹁誰が殺しました﹂
まご
かこ
棒が狂い 曲 うたから、まア寺男からお前 さんの子じゃア有
ばくち
の
ま
るけれども眞達さんまでも 悪 え事に染 りまして、それから
二十七
ま
お前 さん此の頃寺で賭
博 を為 ますと﹂
よかした
しげえ
えま
け
え
の
さすが
あ
い
清﹁あとで小川様がだん〴〵お調べに成ったところが、流
石 すぐ
ま
又﹁賭博を、ふうん〳〵成程﹂
名奉行様だから、永禪和尚が藤屋の 女房 お梅を連れて逃 げ
ま
かこ
ねな
じゃアまア
清﹁ところがお前 さん二番町の小川様から探索が届いて居 る
る時のことを知って 居 るから、これを生 かして置いては露
しげえ
よかした
ど
い
もんじゃから 直 に手が這入って、手が這入ると寺男の庄吉
顕する 本 というて、 斬 って 逃 げたに違いないと云うので、
のげこ
とッつ
の
という者がお 前 さん本堂の床
下 へ逃 げたところが、先に藤
足を付けたが今 に知れぬと云いますわ﹂
おべ
もと
屋七兵衞の死
骸 が隠 して在 るのを 死骸 とは知らいで、寺男
又﹁それはまア 何 うも有難う存じます、お前さんがお通り
お
ま
て居 りみすと思って、 帯 の処へ後生大事にお前 さん取
付 い
の庄吉が先へ誰か 逃込 んで床
下 に此の通りちま〳〵と寝 っ
やこねん
しげえ
じょうくにち
い つ
あけがた
掛りで寄って下さらなければ、私は忰が殺された事も知ら
ま
けっと
とゝま
て居りみすと、さ、するとお前 さん出ろ〳〵と云うので役
人 しげえ
ひき
ずにしまいます、それは 何時 の事でございましたか﹂
よかした
おべ
が来 て庄吉の 帯 を取って引 ずり出すと、藤屋の夫 の死
骸 が
清﹁えーとえーつい先々月 十九日 の 暁方 でありみしたか﹂
け
出たと思いなさませ、さアこれは う さ んな寺である、賭博ど
まえ
かつ
じば
ゆ
又﹁十九日の明方⋮⋮そうとは知りませんでのう婆さん、
やこしょ
ま
ゆ ん べ あんま
宵 昨
余
り寒いからと云って、山へ鹿を打ちに 往 きまして、
いまし
の
たちま
ころではない、床
下 から死
骸 が出る所を見ると、屹
度 調べを
塩梅 に一疋の小鹿を打って、ふん 縛 って鉄砲
よう〳〵能 い し
なければ成らぬと、お役
為 所 まで参 れと忽 ちきり〳〵っと
で担 いで来ましたが、その親鹿で有りましょう峰にうろ〳〵
じゃアまア
あんばい
められて、庄吉が引かれみしたと、もう事が破れたと思っ
縛 哀れな声をして鳴きまして、小鹿を探して居る様子で、その
よ
て永禪和尚が藤屋の 女房 の手を取って 逃 げた時に、お 前 さ
時親鹿も打とうと思いましたが、何だか虫が知らして、子を
の
んの御子息の眞達どんも一緒に 逃 げたに相違ないのじゃが、
探して啼いて居るから哀れな事と思って、打たずに帰って
なさけ
とて
それが此の世の生涯で、大沓の渡しを越える渡口の所に、
も
いや最 うはや見る影もない姿で誠に 情 ない、それは〳〵迚 、
、
、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
や
えてハイもう影も見えなく成った、のう婆さん忰の殺され
よしあし
来ましたが、四
足 でせえも、あゝ遣 って子を打たれゝば、う
そば
たのは十九日の明方大沓の渡口だったのう婆さん﹂
りょうし
たっ
に
ろ〳〵して猟
人 の傍 までも山を下って探しに来るのに、人
婆﹁あい﹂
は
か
いっか
間の身の上で 唯 た一人の忰を置いて遁 げると云うは、あゝ
又﹁奥に泊って居る客人は 己 の所 へ幾
日 に泊ったっけな﹂
とこ
若い時分は無分別な事だった⋮⋮のう婆さん⋮⋮昨
宵 婆
と
婆﹁あれは先々月のちょうど、 二十日 の晩に泊りました﹂
なく
おれ
話をして居りましたが、まことに有難うございます、 亡 なり
又﹁二十日⋮⋮えー十九日の明方に川を渡って湯の谷泊り
ゆ ん べ ばゞあ
ました日が知れますれば、線香の一本も上げ、念仏の一つ
と 仰 ゃったが、ちょうど二十日が己の所へお泊りと⋮⋮婆
つ
も唱えられます、有難うございます、あゝ誠に何うも⋮⋮
さん、あのお比丘さんの名はお梅という名じゃないか﹂
ゆ
おっし
何と云ったって一人の子にも逢えず、あなたが去年お出で
婆﹁何だか 惠梅 様〳〵と云ったり、またお梅と呼びなさる
そ
えばい
下すってお話ですから、雪でも解けたら尋ねて 行 こうと存
そご
あたま
す
さん
事もあるよ﹂
わし
うち
あいつ
じて、婆さんとも 然 う申して居りました﹂
あしだま
又﹁はゝア何でも此の頃 頭髪 を剃 った比丘 様 に違いない、
え
清﹁えゝ 私 ゃもう直 に帰りましょう、まことに飛んだ事を
け
毛の生えるまで 足溜 りに己の家 へ泊って居るのだ、彼
奴 ら
めゝ
二人が永禪和尚にお梅かも知れねえぜ、のう婆さん﹂
しょうこと
よ
んから 詮方 なしにお知らせ申した訳で、 能 くまア念仏ども
お耳 に入れてお気 の毒に思いますが、云 わぬでも成りませ
婆﹁それア何とも云えないよ﹂
や
さ よ
唱えてお 遣 りなされ、私ゃ帰りみすから﹂
より
又﹁酒をつけろ﹂
きっと
婆﹁酒をつけろたってお前﹂
けっと
又﹁じゃア帰りには 屹度 お寄 なすって﹂
又﹁ 宜 いからつけろ、表の戸締りをすっぱりして仕舞え、
い
清﹁はい 屹度 寄って御厄介に成りみすよ、左
様 なれば﹂
寸 明けられねえ様に、しん 一
張 をかってしまいな、酒をつ
いで
ばり
婆﹁どうぞお帰りにお待ち申します﹂
けろ﹂
り
ちょっと
清﹁大 けにお妨げを致しみした、左
様 ならば﹂
婆﹁酒をつけろたってお前さん 無理酒 を飲んではいけない
ど
さ よ
又﹁お前さん山手の方へよってお出 なさいませんと、道が悪
よ、無理酒は身体に 中 るから、忰が死んだからってもやけ
おお
うございますよ、崩れ掛った所が有りますから、何時もい
酒はいけないよう﹂
がけ
むりざけ
う通りにね、あの 寄生木 の出た大木の方に附いてお出でな
又﹁もう死んだっても構うものか、身体に中ったってよい
ゆっ
あた
さいよ⋮⋮あゝまア思い 掛 なく清兵衞さんがお出でなすっ
や
て、一晩お泊め申して 緩 くり話を聞きたいが、お急ぎと見
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ぶったお
すぐち
おやじ
こちら
又九郎は年五十九でございますが、中々きかん気の 爺 で、
めえ
〳〵になって 打倒 れて死んだって、何も此の世に思い置く
ところ
鉄砲の 筒口 を押し握ってそっと破れ障子を開けると、 此方 じゞい
にごしら
事はない、然うじゃないか、お 前 は己が死んだって、一生
はこそ〳〵荷
拵 えを致して居る 処 へ這入って来ましたから、
さと
食うに困るような事はねえから心配しなさんな、己はもう
られまいと荷を脇へ片付けながら、
覚 な
にも此の世の中に楽しみはねえから、酒をつけろ﹂
何 永﹁誰じゃ﹂
あたた
と燗鍋で酒を 温 め、燗の出来るも待てないから、茶碗で
ま
又﹁へい 爺 でございます﹂
こちら
ぐいぐいと五六杯引っかけて、年は五十九でございますが、
たまごめ
永﹁おや是は〳〵、さア此
方 へお這入りなさい、未 だ寝ず
じゞい
おろ
中々きかない 爺 、欄間に掛った鉄砲を下 して玉
込 をしまし
やす
かいのう﹂
あなた
たから。
又﹁まだ 貴方 がたもお寝 みでございませんか﹂
永﹁寝ようと思っても寒うて寝られないで、まだ起きて居
ゆ
婆﹁爺さんお前何をするのだえ、また鹿でも打ちに 往 くの
かえ﹂
こ
ました﹂
ど
又﹁えゝ黙って居ろ、婆さん己は奥へ行って掛合ってな、
どちら
又﹁へい早速お聞き申したいことが有って参りましたが、
も
処 までも彼奴ら二人に白状させるつもりだが、きゃアと
何
わし
だいしょうじ
貴方がたのお国は、 何処 でございますかな﹂
なん
かぱアとか云って逃げめえものでもねえ、 若 し逃げに掛っ
ほそくち
永﹁うーん 何 じゃ、 私 は大
聖寺 の者じゃ﹂
てめえ
たら、 手前 は此の細
口 から駈出して、落合の渡しへ知らせ
又﹁大聖寺へえー、大聖寺じゃアありますまい、貴方がた
こっち
きづか
ろ、此
方 は山手だから逃げる気
遣 いはない、えゝ心配する
しのびあし
わし
は越中の高岡のお方でございましょうがな﹂
さ
な﹂
さ
永﹁うゝんイヤ 私 は大聖寺の薬師堂の尼様のお供をして来
やまがたな
と 山刀 を帯 して片手に鉄砲を 提 げ、忍
足 で来て破れ障子
た者じゃア、何で高岡の者とお前が疑って云いなさるか﹂
寺という真言寺の和尚様で、永禪さんと仰しゃるだろうね﹂
そう
に手を掛けまして、 窃 っと明けて永禪和尚とお梅の居りま
又﹁お隠しなさってもいかねえ、貴方は高岡の大工町宗慈
永﹁何を言うのじゃ、そんな詰らぬ事をそれは覚えない、 何 かけあい
す所の部屋へ参って、これから 掛合 に成りますところ、一
寸一息つきまして。
ういう事で 私 を然 う云うか知らぬけれども、それは人違い
ど
だろう﹂
そ
二十八
わし
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
足手まといだから、神通川の 上 大沓の渡口で忰を殺して逃
かみ
又﹁隠してもいけません、そちらの惠梅様というお比丘尼
げたと言ってしまいなせえ、おい隠したっても役に立たね
え﹂
かみさん
梅さんと云いましょうな﹂
永﹁何うもこれは思いがけないことを言って、まアそんな事
さん
は前町の藤屋という荒物屋の七兵衞さんのお 様 内儀 で、お
永﹁何を詰らぬ事⋮⋮飛んだ間違いでお前の事をあないな
を言って何うもどゞ何ういう理窟で 其様 な事を云うか⋮⋮
そ ん
事を云う﹂
のう惠梅様﹂
そんな
梅﹁まア何うもねえ、どう云うまアその間違だか知れませ
梅﹁本当に何だって 其様 事を云いますか、私どもの身に覚
なん
んが、けれどもねそんな何うもその、私共は尼の身の上で
にょうぼ
えのない事を言いかけられて、何うも何ういう訳で、その
い
る者を、荒物屋の 居 女房 なんてまア何う云う何 かね⋮⋮お
何だか、それが実に、それはお前は何ういう訳で﹂
そないな
前さん﹂
又﹁何ういう訳だってもいかねえ、種が上って居るから隠
しかた
永﹁さア何ういう訳で其
様 ことを、さア誰がそんな事を言っ
さずに云え、云わなければ 詮方 がねえ、お前方二人をふん
じば
たえ﹂
って落合の役所へ引いても白状させずには置かねえ、さ
縛 いっかじ
又﹁隠しちゃアいけねえ、あなたは 一箇寺 住職の身の上で、
ばゞあ
ふる
わ
ア云わねえか、云わなければ了簡が有る、おい云わねえか﹂
つか
ぼ く
と云われこの時は永禪和尚もこれは 隠悪 が 顕 れたわい、
ぶちころ
このお梅さんと間男をするのみならず、亭主の七兵衞が邪
もう是れまでと思って 爺 い婆 を切殺して逃げるより外 はな
いあい
い き
ふ と うしろ
ほか
魔になるというので、薪割で 打殺 して縁の下へ隠した事が、
いと、 道中差 の胴
金 を膝の元へ引寄せて半身構えに成って
じゞ
奕 の混雑から割れて、 博
居 られねえのでお梅さんの手を引
坐り、居
合 で抜く了簡、 抦 へ手をかけ身構える。爺も持って
どうがね
いて逃げて来なすった時に、私の忰の眞達と 何処 でお別れ
参った鉄砲をぐっと片手に膝の側へ引寄せて引金に手を掛
にらみあ
こ い つ とびどうぐ
どうちゅうざし
なすったい﹂
けて、すわと云ったら打果そうと云うので 斯 う身構えまし
ゆうべ
ど こ
永﹁これ何を云う、何を云うのじゃ、思い掛けない事を云っ
た。互いに竜虎の争いと云おうか、 呼吸 の止るようにうー
い
て、眞達なんて、それはまるで人違いじゃア無いか、何う
んと 睨合 いました時は側に居るお梅はわな〳〵慄 えて少し
ばくち
いう訳じゃ、眞達さんと云うのは 昨夜 話に聞いたが、 私 は
も口を利くことも出来ません。永禪は不
図 後
に火縄の光る
こ
知りアせぬが﹂
のを見て、 此奴 飛
道具 を持って来たと思うからずーんと飛
わし
又﹁とぼけちゃアいけねえ、お前さん、しらアきったって
あが
種が 上 って居るから役に立たねえ、眞達を連れて逃げては
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ぬきうち
処に、鉄砲の音を聞いて今度ばかりは本当に死んだような
心持になりましたよ﹂
掛り、 抜打 に胸のあたりへ切付けました。
永﹁毒喰わば皿まで 舐 れだ、 止 むを得ぬ、えゝ悪い事は出
や
さしつか
ねぶ
二十九
来ぬものじゃ、怖いものじゃア無いか﹂
ゝ
こ
梅﹁本当に怖い事ね﹂
うちぬ
又﹁やア斬りやアがったな﹂
からでっぽう
やぶれかべ
永﹁ 此処 に泊ったのが何うして足が附いたか、もう此処に
そ
と引金を引いてどんと打つ、永禪和尚は身をかわすと運
長う足を留めて居る事は出来ぬ、広瀬の追分を越えるだけ
い
の 宜 い奴、玉は肩を 反 れてぷつりと 破壁 を 打貫 いて落る。
の手形が有るから 差支 えはないが、今夜此処を逃げて仕舞
おの
又九郎は 汝 れ斬りやアがったなと空
鉄砲 を持って永禪和尚
ぱず
うと、死骸は有るし夜中に山路は越えられないから今夜は
ひ
きれもの
に打って掛るを 引 っ外 して、
さ
此処に寝よう﹂
ちょこざい
きりさ
永﹁猪
口才 な事をするな﹂
き
梅﹁怖くって、寝られやアしません﹂
かずさど
と肩先深く 斬下 げました。腕は 冴 えて居るし、 刃物 は良
ばゞあ
永﹁今夜は誰も尋ねて 来 やアせんから﹂
たお
し、又九郎横倒れに 斃 れるのを見て婆 は逃出そうと上
総戸 梅﹁死骸は何うするの﹂
えゝ
へ手を掛けましたが、余り締りを厳重にして御座いまして、
永﹁ 宜 わ﹂
かけがね
ふみかゝ
かけお
ところ
と又九郎夫婦の死骸をごろ〳〵土間へ転がして、鉄砲を
うしろ
しんばり
張 を取って、 栓
掛金 を外す間もございません、 処 へ永禪は
持って来て爺婆の死骸を縁の下へ入れましたが、 能 く死骸
うつぶし
けんそう
よ
逃 げ ら れ て は 溜 ら ぬ と 思 い ま し た か ら 、土 間 へ 駈下 りて、
を縁の下へ入れる奴です。これから血の掃除を致し、 図々 ふる
かくれが
ちしまむら
わたし
ずう〳〵
から一刀婆に浴せかけ、横倒れになる処を 後 踏掛 ってとゞ
しく残りの酒を飲んで永禪和尚は 鼾 をかいて寝ましたが、
ひっさ
かたほとり
いびき
めを刺したが、お梅は畳の上へ 俯伏 になって、声も出ませ
実に剛胆な奴であります、翌
朝 身支度をして何喰わぬ顔で、
よくちょう
んでぶる〳〵慄 えて居りました。ところへ 見相 変えて血だ
此処を出ましたが、出ると急ぎまして、宜 い塩
梅 に広瀬の渡 あやう
せ
あんばい
らけの胴金を引
提 げて上って来ました。
を越して、もう是れまで来れば宜いと思うと益々雪の降る
しっ
な
よ
永﹁あゝ 危 い事じゃったな﹂
気候に向って、 行 く事も出来ませんから、人知れず 千島村 ゆ
梅﹁はい﹂
という処へ参って、水
無瀬 の神社の片
傍 の隠
家 に身を潜め、
み
永﹁確 かりせえ﹂
そっ
梅﹁確かりせえたって私は 窃 と裏から逃げようと思ってる
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
お百度の歩く通りに左右へ頭を廻して、とうとう 仕舞 まで
往ったり来たりするのを見て、頭 を 彼方 へふり此
方 へふり、
こっち
翌年雪も解け二月の 月末 に越後地へ掛って来ます。 芦屋 よ
見て居りました。
あっち
り平
湯駅 に出で、大
峠 を越し、信
州松本 に出まして、稲
荷山 武士﹁あゝ美しいな、婆ア今あの不動様へお百度を上げて
くび
より 野尻 、 夫 より越後の国 関川 へ出て、 高田 を横に見て、
居た 彼 の女は、何
処 の女だのう﹂
あしや
田村 から水
岡
沢 に出まして、川
口 と云う処に幸い 無住 の薬
つきずえ
師堂が有ると云うので、これへ惠梅比丘尼を入れて、又市
三十
のじり
おかだむら
みずさわ
せきがわ
かわぐち
うち
むじゅう
ようや
こゝ
いいやま
ひえ
さむらい
ど
こけい
なん
こべんけい
あ ら
しまい
が寺男になって居てお経を教えて居る。其の 中 に尼はだん
か み
いなりやま
〳〵覚えてお経を読むようになると、村方から麦或いは 稗 婆﹁はいありゃア 何 でござりやすよ、あの白島村の者でご
かた〳〵
しんしゅうまつもと
などを持って来て呉れるから、貰う物を喰って 漸 く此処に
ざりやすが、 能 く間があると参詣にひえー参 りやすが、あ
おおとうげ
身を潜めて居る中に又市も 頭髪 は生えて寺男の姿になり、
りゃア信心者でござりやして、何でも廿八日には 暴風雨 が
ひらゆえき
方 は坊主馴れて出家らしく口もきく此処に足掛三年の間
片
あっても欠かさないでござりやしてな、ひやア﹂
みのちごおりしろしまむら
おおたきむら
たかた
居りますから、誰有って知る者はございません。 爰 にお話
武士﹁ 宜 い女だね﹂
それ
は二つに分れまして寛政九年八月十日の事でございますが、
婆﹁ひやア 此処 らにはまア沢山はねえ女でござりやすよ、
やまが
ようかんいろ
こ
信州 水内郡 白
島村 と申す処がございます。是は飯
山 の在で
ひやア﹂
わき
は
ど
家 でございます。大
山
滝村 という処に不動様がありまして、
武士﹁ 何処 の何者の娘かな﹂
なかぬき
あ
その 側 に掛茶屋があって、これに腰を掛けて居ります 武士 婆﹁何だか知りやしねえが 武士 の娘で有りやすが、浪人し
はんてん
めえ
は、少し 羊羹色 ではありますが黒の羽織を着て、大小を差
てひやア此の山家へ 引込 んだ者じゃアはと評判ぶって居り
よ
して紺足袋に 中抜 の草履を穿 き、煙草を呑んで居りまする
やす、ひやア﹂
よ
うしろ
ひろそで
し
と、此の前を通りまする娘は年頃二十一二でございますが、
武士﹁はア左様かのう﹂
しきり
八
か
い
色のくっきり白い、山家に似合わぬ人柄の 能 い女で、誠に
男﹁ちょっと〳〵旦那え﹂
ひとえもの
こ
おとなしやかの姿で、前を通って 頻 に不動様を拝みお百度
と 後 に腰を掛けて居りました 鯔背 の男、木綿の小
弁慶 の
さむらい
を踏んで居ります。武士は余念もなく 彼 の娘の姿を見て居
衣 に広
単
袖 の半
纏 をはおって居る、年三十五六の色の浅黒
ひっこ
りますが、お百度だから長うございます。自分も用がある
いなせ
のに出掛けようともしませんで、お百度の済むまで、娘が
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
武士﹁あゝ左様かえ、貴公 些 と遊びに来て下さらんかえ、私
傳﹁へい朝晩顔を見合せますからね﹂
ちっ
い気の利いた男でございます。
は 桑名川村 だから﹂
い
武士﹁いやお前はナニとんと心付かぬで、何処にお 居 でか
くわながわむら
な﹂
傳﹁じゃア隣り村で造作アございません﹂
ありあいもの
男﹁この衝
立 の後に有
合物 で一杯やって居ります、へー、碌
武士﹁拙者も江戸児で、江戸府内で産れた者に逢うと、江
ついたて
な物は有りませんが、此の 家 の婆さんは綺麗好 で芋を煮て
戸児は了簡が小さいせえか、懐かしく親類のような心持が
ごしゅっしょう
ずき
も牛
蒡 を煮ても中々加減が上手でげす、それに綺麗好だか
しますよ﹂
うち
ら喰い心がようございます﹂
傳﹁そうです、変な言葉の奴ばかりいますから 貴方 のよう
ごぼう
武士﹁はゝあ貴公何だね、言葉の様子では江戸 御出生 の様
な方に逢うと気丈夫でげす、 閑 で遊んで居りますから 何時 えどっこ
こ
やなぎだてんぞう
あなた
子だね﹂
でも参ります﹂
やまぐに
ほ
つ
男﹁へい旦那も 江戸児 のようなお言葉遣いでげすね﹂
武士﹁何うだえ拙
者宅 へ是を御縁としてな、拙
者 は柳
田典藏 い
さむらい
ごはん
い
武士﹁久しく山
国 へ来て居て田舎者に成りました﹂
と申す武骨者だが、何うやら 斯 うやら村方の子供を相手に
なん
どちら
ひま
男﹁今の娘を 美 い女だと賞 めておいでなすったが、あれは
して暮して居ります﹂
お
さくらいけんもつ
てまえ
白島村の 何 です元は武
士 だと云いますが、 何 ういう訳か伯
傳﹁何で、 何方 の御
藩 でげす﹂
きょうだい
たんと
てまえたく
父が有ると云うので、 姉弟 で伯父の世話になって居ますが、
典﹁なに元は神田橋近辺に居た者だ、 櫻井監物 の用人役を
あ
ど
弟は十六七でございますが、色の白い 好 い男で、女の様で
も勤めた者の忰だが、放蕩を致して府内にも居 られないで、
や
斯ういう処へ参るくらいだから、別して野暮な事は言わぬ
い
ございます、それで姉弟で 遣 ってるのだが彼 の位のは 沢山 が、兎も角も一緒に、 直 き近い細川を渡ると 直 ぐだ﹂
す
はありませんな﹂
傳﹁御一緒に参りましょう﹂
じ
武士﹁はゝあ、貴公は御存知かえ﹂
とずう〳〵しい奴で、ぴょこ〳〵付いて来ました。
でんじ
男﹁へい、私は白島村の 廣藏 親分の厄介で、 傳次 と申す元
典﹁さア、 此方 へ這入りなさい⋮⋮庄吉、今お客様をお連
ひろぞう
は魚屋でございますが、江戸を 喰詰 めてこんな処 へ這入っ
れ申したから﹂
ところ
て、山の中を歩き廻り、極りが悪くって成らねえが、金が
庄﹁はい大層お早くお帰りで、今日は此の様にお早くお帰
くいつ
出来ませんじゃア、江戸へ帰る事も出来ません身の上で﹂
こっち
武士﹁はゝア左様かえ、じゃア彼の婦人を御存知で﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
這入りなさい﹂
りはあるまいと思って居りました⋮⋮さア 此方 へお客様お
と、傳次は改めて手を突き、
と是から 有合物 で何かみつくろってと云って一杯始める
典﹁左様かえ、兎も角も﹂
こちら
傳﹁へいこれは何うも、御免なさい⋮⋮おや庄吉さんか﹂
傳﹁ 私 ア旅魚屋の傳次と申す者で、何うか御贔屓になすっ
うらない
ありあいもの
庄﹁や、こりゃア傳次さんか、いゝやア是れははや、何う
て⋮⋮大層机などが有りますね﹂
わっち
も﹂
典﹁あゝ田舎は様々やらでは成らんから、出来はしないが、
お
すまい
えきがく
村方の子供などを集めてな、それに以前少しばかり 易学 を
の
傳﹁何うした思い掛けねえ﹂
学んだからな 売卜 をやる、それに又 た少しは薬屋のような
いろ〳〵
ま
庄﹁何時も変りも 無 うて目出とうありますと﹂
事も心得て 居 るから医者の真似もするて﹂
めえ
傳﹁いやア何うも、 何 とも彼 とも、お前 にも逢いたかった
傳﹁へえー手習の師匠に医者に売卜に薬屋でがすかこれは
かん
が、彼 れから行
端 がねえので﹂
大丈夫でげす、どうも結構なお 住居 ですな﹂
なん
典﹁庄吉 手前 は馴染か﹂
典﹁田舎では 種々 な事を遣らぬではいかぬ、荒物屋は荒物
ゆきは
ばかりと 極 めてはいかぬて﹂
あ
三十一
てめえ
傳﹁妙でげすな﹂
らち
典﹁さアお酌を致しましょう﹂
き
庄﹁いや馴染だって互いに打明けて 埓 くちもない事をした
身の上で⋮⋮まア無事で 宜 いな﹂
傳﹁へえ⋮有難う﹂
い
傳﹁何
時 此
方 へ来たのだえ﹂
典﹁まずい物だが召上れ﹂
い つ こっち
庄﹁何時と云うてお前も此方へ何時来たでありますと﹂
かた
傳﹁頂戴致します⋮⋮庄吉さん久し振で酌をして呉んねえ、
ど
何うも懐かしいなア、何うして来たかなア﹂
わっち
傳﹁いや 何 うも私 もからきし形 はねえので、仕ようが無い
から来たんだ﹂
庄﹁本当に思掛けなくゆやはや恥かしいな、何うしてお前
こ ゝ
庄﹁旦那妙なもので、これは本当に真の友達で、銭が無け
もちあわ
も 此処 へ来たか﹂
お
傳﹁旦那おかしい事があればあるものさ、此の人はね越中
や
りゃア貸して 遣 ろう、 己 らが持
合 せが有れば貸そうという
の高岡で宗慈寺という寺に居りました寺男でね、 賭博 をし
ばくち
中で有りますと﹂
くずぶ
傳﹁随分此の人の部屋で 燻 った事もあるのでねえ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
すぎさ
お か
あ
けつまず
あが
笑 しい話だが、彼 可
の時おれは一生懸命本堂へ逃げ 上 った
こ
そ
ておかしい事がありやした⋮⋮今では 過去 った事だが、あ
きず
おっか
が、本堂の様子が分らねえから、木魚に 蹴躓 いてがら〳〵
わし
音がしたので、驚いて跡から 追掛 けるのかと思ったが、 然 お
れは何うなったえ﹂
しびと
ひど
庄﹁何うたって何うにも 彼 うにも 酷 い目に 遭 うたぜ、 私 ア
うじゃアないので、又逃げようとすると、がら〳〵〳〵と
こ
縁の下に隠れて、 然 うしてお前様死
人 とは知らぬから先に
位牌が転がり落る騒ぎ、何うか 彼 うか逃げましたが、いま
そ
逃げた奴が隠れて居ると思うたから、 其奴 の帯を 掴 んでち
だに経机の角で 向脛 を打った疵 は暑さ寒さには痛くってな
ひきず
むこうずね
ま〳〵と隠れて居ると、さア出ろ、さア出ろと云うので帯
らねえ﹂
つか
を取って引かれるから、ずる〳〵と引
摺 られて出ると、あ
庄﹁ 怖 かねえことであったのう﹂
そいつ
の一件が出たので﹂
傳﹁それが此処で遇おうとは思わなかったが、お互いに苦
しびと
おっ
傳﹁旦那もう過去ったから構わねえが、此の人が 死人 と知
しにん
労人の果だ﹂
い
つかま
らずに帯に掴 って出ると、死
人 が出たので到頭ぼくが割れ
の
ぬし
典﹁時に改って貴公にお頼み申したいことがあるが、今の
あ
て縛られて往 きました﹂
婦人は 主 はないのか﹂
お
い
傳﹁えゝ主はない、たった 姉弟 二人で弟は十六七で美 い男
せ じ
きょうだい
庄﹁すると彼 れから其の響けで永禪和尚が逃 げたので、逃げ
じゃアまア
る時、藤屋の 女房 と眞達を連れて逃げたのだが、眞達を途
い
こ
はた
さ、此の弟は姉さん孝行姉は弟孝行で二人ぎりです﹂
しにん
とばく
とて
で け
中で切殺して逃げたので、ところが眞達は 死人 に口なしで
ど こ
えったん
典﹁親はないのか﹂
えっしょ
こちら
傳﹁ないので、伯父さんの厄介になって 機 を織ったり糸を
かろ
罪を負うて仕舞い、 此方 は小川様が情深い役人で、調べも
ったり、 繰 彼 のくらい稼ぐ者は有りませんが、 柔 しくって
えろ〳〵
さい
やさ
くなって出る事は出たが、 軽 一旦 人殺しと賭
博 騒ぎが 出来 人柄が 宜 い、いやに生 っ世
辞 を云うのではないから、あれ
てまえ
いさゝ
あ
たから、誰あって 一緒 に飯い喰う者もないから、これは 迚 が 宜 うございます﹂
い
と
も仕様がねえ、と 色々 考え、何
処 か外 へ行 こうと少しばか
典﹁ 拙者 も当地へ来て何うやら斯うやら 彼 うやって、家 を
にょうぼう
しびと
てづる
なま
りの銭を貰うて流れ〳〵て此処へ来て、不思議な縁で、今
持って、 聊 か田畑を持つ様になって村方でも何うか 居 り着
い
は旦那の厄介になって居 るじゃ﹂
いて呉れと云うのだが、永住致すには 妻 がなけりア成らぬ
つか
ほか
傳﹁旦那、⋮⋮寺の坊主が前町の荒物屋の女
房 と悪いことを
が、貴公今の婦人に 手蔓 が有るなれば話をして、拙者の処
こいつ
よ
しやアがって、亭主を殺して堂の縁の下へ 死人 を隠して置
うち
いたのさ、ところで其の死人に 此奴 が掴 まって出たと云う
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ようになれば、親類 交際 に末永く往 き通いも出来るから﹂
れで荒物 店 でも出して、一軒の 主 になって女
房子 でも持つ
てはいかぬけれども、貴公も 左様 して遊んで居るより村外
出来んが、貴公に二十金進上致すが、その金を遣 ってしまっ
も、橋渡しにでもなって、 貰受 けて呉れゝば多分にお礼は
の妻にしたいが、何うだろう、話をして貴公が 媒介人 にで
右衞門 が引取り、伯父の 多
手許 で十五ヶ年の間養育を受け
せん二人の子供は家の潰れる訳ではないが、白島村の伯父
やまが八歳、山之助が三歳でござりますから、年の 往 きま
から行方知れずになり、母は心配致して病死致した時はお
おやま山之助の 姉弟 は、白島山平が江戸詰になりまして
三十二
なこうど
傳﹁有難うがす、 私 も斯う遣 ってぐずついて居ても仕様が
て成人致しまして、姉は二十二歳弟 は十七で、小
造 な華
者 にょうぼう
わっち
おきざり
たより
や
あるじ
そ う
もらいう
ねえから 女房 も置
去 にしましたが、これは下谷の上野町に
な男で、まだ前髪だちでございます。姉も島田で居ります
こしら
にょうぼこ
おやじ
すき
そ
いきしに
きょうだい
居りますが、 音信 もしませんので、向うでも諦らめて、今
が、堅い気象で、姉弟してひょっとお 父様 がお帰りの有っ
つか
では団子を拵 えて遣って居るそうですが、そうなれば有難
た時は、伺 わずに元服しては済まないと云うので二十二で、
よ
わたし
おもいあ
と
あるい
ひま
ひ
きゃしゃ九
ゆ
い、力に成って下されば二十両戴かなくっても 宜 い、併 し
大島田に結って居ると申す真実正しい者で、互いに姉弟が
ゆ
苦しい処だから下されば貰います、それは有難い、 私 が話
力に 思合 いまして、山之助は馬を引き 或 は人の牛を牽 きま
づきあい
せば造作なく出来るに相違ありませんから、行って話をし
して、山歩きをして 麁朶 を積んで帰る。姉は織物をしたり
みせ
ましょう﹂
糸を 繰 ったりして 隙 はございませんが、少し 閑 が有れば大
い
い
てもと
典﹁早いが宜 いが﹂
滝村の不動様へ 親父 の生
死 行方が知れますようにと信心し
すぐ
ぜん
た え も ん
傳﹁えゝなに直 に往 きましょう﹂
て、姉弟二人中ようして暮して居ります。門口から旅魚屋
よ
やま
こづくり
と止せば宜 いに直に柳田典藏の処を出て、これから娘の
の傳次がひょこ〳〵お辞儀をして。
こぐち
こちら
おとゝ
処へ掛合に参る。是が間違の 端緒 、この娘お山 は前 申上げ
傳﹁へい御免なさい﹂
さんのすけ
どなたさま
わっち
とっさま
た白島山平の娘で、弟は 山之助 と申して、親山平は十六年
山之助﹁はいお出でなさい﹂
な
きょうだい
うかゞ
から行方知れずになり、母は 前 亡 くなって、この白島村の
傳﹁今日は結構なお天気で﹂
しか
伯父の世話になって居りますが、これから 姉妹 が大難に遭
傳﹁へい 私 も久しく 此地 に居りますからお顔は知って居り
山﹁はい、 何方様 で﹂
だ
いますお話、一寸一息つきまして。
ぜん
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ところ
んで、今は御運が悪くって山家へ這入って居る様子だが、彼
むこう
もれ
の姉さんを嫁に 貰 えてえが傳次お前は同じ村に居るなら相
やっけえもの
ます、私は廣藏親分の 処 に居る傳次と云う魚屋でございま
談して貰いてえと頼まれましたが、そうすれば 弟御様 は一
おとゝごさま
すが親分の厄
介者 で﹂
緒に引取り、 先方 で世話をしようと云う、お前さんも 弟様 わちき
ど
わたくし
そ
にいさん
山﹁へえそうでございますか﹂
も 仕合 せで、此の上もねえ結構な事、お前さんの為を思っ
ねえさん
傳﹁どうも感心でげすね、 姉様 を大事になすって、お中が
て 私 は相談に来たんだが、早速お話になるよう善は急げだ
しやあ
って実に姉弟で 宜 斯 う睦ましく行 く家 はねえてえ村中の評
が 何 うでげしょう﹂
こ
うち
判でございますよ、へえ御免なさいよ﹂
やま﹁まことに御親切は有難うございますが、 私 の身の上
ねえさん
ゆ
やま﹁さアお掛けなさい、何か御用でございますか﹂
は伯父に任して居りますから、伯父さえ得心なれば私は何
こ
傳﹁へえ 姉様 まアね藪 から棒に 斯 んな事を申しては極りが
うでも 宜 いので﹂
いい
悪うございますが、頼まれたからお前さんの胸だけを聞き
傳﹁へえ伯父さんあの多右衞門さんでげすかえ、へえ 然 う
やぶ
に来ましたが、あの大滝の不動様へお百度を踏みにいらっ
で、堅い方で、長い茶の羽織を着て居るお人かね、時々逢い
すぐ
よ
しゃいますね﹂
ます、あの伯父さんさえ得心なれば宜しいの、宜しい、左
よしずっぱり
やま﹁はい﹂
あすこ
傳﹁今日お百度を踏んで帰んなさる時、 葮簀張 の居酒屋でそ
様なら﹂
ゆ
れ御ぞんじでげしょうね、詰らねえ物を売る、 彼処 にね腰
と 直 に伯父の処へ 行 きまして。
い
さかやき
を掛けて居た、黒の羽織を着て大小を差し色の浅黒い 月代 わっち
どちら
こちら
傳﹁へえ御免なさい﹂
さっぱり
の生えた人柄の 宜 い旦那をごらんなすったか﹂
多﹁はい 何方 から、さア此
方 へ﹂
わたくし
やま﹁はい私 は何だか急ぎましたから、薩
張 存じません﹂
つかいばん
傳﹁へえ 私 は廣藏親分の処に居ります、傳次てえ不調法者
あ
傳﹁彼 の方は元お使
番 を勤めた櫻井監物の家来で、柳田典
うち
てなれえ
で﹂
うらない
さんてんばり
藏と仰しゃる大した者、今は桑名川村へ来て 手習 の師匠で
多﹁左様で御ざりやすか、御近所に居りましても碌にお言
おい〳〵 で ん じ
わっち
ご
医者をしてそれで 売卜 をする三
点張 で、立派な家 に這入っ
葉も 交 しませんで、何分不調法者で、此の 後 ともお心安く
みのうえ
さむれえ
かわ
て居て、これから 追々 田
地 でも買おうと云うのだが、一人
願います﹂
ねえ
ねえ
傳﹁へえ 私 も何分お心易く願います、 就 いてはね、今 姉 さ
こちら
つ
の身
上 では不自由勝だから、傳次女房を持ちてえが百姓の
いや
娘では 否 だが、聞けば何か 此方 の姉 さんは元武
士 のお嬢さ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ぞんしょう
ひょっと親父が 存生 で帰った時は、親父に一言の話もしな
めいご
いで聟を取ったり嫁に行っては済まぬと云って、 姉弟 で、
ど
とっ
い
きょうだい
んの処へ往ったのでげすが⋮⋮あなたには 姪御 さんであり
あゝ 遣 って、元服もせずに居りますくらいでござりやすか
や
ますね﹂
ら、 何処 から 何 と云っても駄目でござりやす、聟でも取っ
なん
多﹁へえ、おやまに﹂
て遣りたいが中々 左様 言ったって聴きアしませんから﹂
こ
傳﹁へえ姪御さんに逢ってお話をした処が、伯父さんさえ
傳﹁それじゃアお 父 さんが帰らねえでは相談は出来ません
ぼんやり
そ う
得心になれば 宜 いと云う嫁の口が出来たので、誠に 良 い口
か﹂
あすこ
い
で、桑名川村の柳田典藏と云う大した立派な 武士 だが、運
多﹁へえ親父が帰れば 直 に相談が出来ますが、帰らぬうち
い
が悪いとは云いながら 此方 へ来て田地や何かも余程有り、
は駄目でござりやして、ひやア﹂
おとゝご
さむれえ
また是から段々 殖 そうという売
卜 に手
習 の師匠に医者の三
傳﹁弱りましたね、左様なら﹂
こっち
点張と云う此のくらい結構な事は有りませんが、 彼処 へお
と 呆然 帰って来て。
ど
すぐ
りなすっては何うで、 遣 弟御 ぐるみ引取ると云うので、随
傳﹁へえ往って来ました﹂
あなた
てなれえ
分お為になる処でございますが﹂
典﹁いやもう待って居ました﹂
うらない
多﹁おやまが 貴方 に御挨拶致すに伯父が得心なれば構わぬ
ふや
と言いましたか﹂
傳﹁へえ﹂
や
傳﹁えゝ言いました﹂
典﹁ 何 うもね、お前は弁舌が 宜 し、何かの調子が 宜 いから
得心の上からは失礼の様だが、まア当座十金差上げるつも
しにく
りで目録包にして 此処 に有るので﹂
よ
多﹁何うも自分ではお断りが 仕憎 いから、大概の事は私 の
先方で得心するなら、多分のお礼は出来ぬが、直にうんと
はなアとてもな無駄でございます﹂
傳﹁へえー、からどうも仕様がねえね、誠に何うもいけま
あ
傳﹁へえ何う云う訳で﹂
せん、幾ら金を包んでも仕様がねえあれは﹂
いいぬけ
わし
処へ行って相談して呉れと、まず 言抜 に云いますよ、 彼 れ
典﹁何ういう訳で﹂
こ ゝ
三十三
傳﹁何うたっていけません、誠に話は無しだねえ、親父が
おやじ
十六年あとに行方知れずに成ったから、親父の 帰 らぬうち
あと
多﹁いえ十六年 前 に親
父 が行方知れずになって、今に死ん
けえ
だか生きたか知れない、音も沙汰もねえでございますが、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
いな
くわし
典﹁それはいかぬ、 先 先方で縁談が 調 うか否 かを聞いて詳 とゝの
くは 云わんで、然 るべき為になる 家 ぐらいの事を云って、
まず
は嫁にも 行 かぬ聟も取らぬ、元服もしねえ、親父に聴かね
お前 行 くか、はい参りますとぼんやりでも云ったら、そく
い
えうちにしては済まぬてえ 彼 れは変り者 でげす、いけませ
〳〵姓名を打明けて云っても 宜 いが、極らぬうちから姓名
ゆ
も
いろざかり
まえ
うち
んよ、へえ﹂
を打明けては困りますな、何うも 最 う少し何か事柄の 解 る
なこうどおや
しか
典﹁いかぬと云うのか﹂
お方かと思ったら存外考えがなかった、宜しい〳〵、実は荒
一〇
傳﹁えー 往 かねえと云うのでげす﹂
物屋の店でも貴公に出させようと思って、二三十金は 資本 もん
典﹁左様か仕様がない、それは仕方がない、それは 先方 で
を入れる了簡で、 媒介親 と頼まんければ成らぬと思いまし
あ
なんでげしょうが、 厭 然 う云わなければ断り様がないから
て⋮⋮最う少し万事に届く方と思ったが、 冒頭 に姓名を明
い
だ、今時の者が親父が十六年も行方知れず音沙汰のない者
かされては困りますねえ、実に恥入る﹂
しらが
これ〳〵
はたち
いろ〳〵わっち
くろ
やっぱり
みち〳〵
もとで
わか
を待って元服もせずに居るなんて、そんなら二十年も三十
傳﹁然う怒ったっていけません、旦那、旦那怒っちゃいけ
むこう
年も四十年も帰らぬ時は何うする、 白髪 になって島田で居
ません、斯う仕ようじゃアございませんか、 種々 私 も路
々 い
る訳にもいかぬが、それは先方が断り様がないから、然う
考えたが私の云う事を聴いて然うお 前 さん云ってしまって
そ
云うのだ、宜しい〳〵、宜しいけれども実は事を極めて来
いや
たら直に礼をする心得で、ちゃんと金も包んで置いたが、
はいけねえ、あれさ、そんな事をぷん〳〵怒ったっていけ
てなれえ
ひとり
いゝおとこ
のっけ
仕方がない、是までの事だ﹂
ません、何でも気を長くしなければ成らねえ、あの娘は不
しらが
さん
めえ
傳﹁から何うも仕様がねえ変り 者 でげすな、お前 さんの云
動様へ又お参りに来ましょう、そこでまだ貴方を見ねえの
せんぽう
もん
う通り 白髪 の島田はないからねえ、何うも仕様がないね何
だから先
刻 私
が話を聴いて見ると、斯ういう墨 の羽織を着
わし
そ
さ っ き わっち
うも﹂
て、 斯々 の方を御覧かと云ったら急いだから存じませんと
わっち
う
典﹁貴公 私 の名前を先
方 へ言いますまいねえ﹂
云うから、あの娘に貴方を見せたいや、貴方ね、二十二ま
たっ
つ ゞ
傳﹁私 は左
様 言いましたよ、柳田典藏様 と云う手
習 の師匠
で 独身 で居るのだから、 十九 や二
十 で色
盛 男欲しやで居る
なら
で、易を 立 て斯 うとすっかり列 べ立ったので﹂
けれども、貴方をすうっとして 美男 と知らず、矢
張 村の百
姓と思って居るから厭だと云うかも知れねえから、お前さ
うちあか
んの色白で黒の羽織を着てね、それが見せたい、まだ当人
こ
典﹁それは困りますね、姓名を打
明 して呉れては恥入るじゃ
アないか﹂
よっぽど
傳﹁だって余
程 受けが宜かろうと思って列べたので﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
すぐ
あした や
傳﹁宜しいてえ是は訳はねえ、 明日 遣 りましょう﹂
ひっか
うぬぼれ
に逢わないからで、娘が逢いさえすれば 直 だからお逢いな
と悪い奴も有るもので、柳田典藏も 己惚 が強いから、
か
い
さい﹂
典﹁じゃア 往 きましょう﹂
うかゞ
てめえ
ゆ
よしずっぱり
典﹁逢うたって、それ程厭てえものを逢う訳にはいきませ
と翌
日 は 彼 の大滝村へ怪しい黒の羽織を 引掛 けて、 葮簀張 あした
ん﹂
の茶屋へ来て 酒肴 を並べ、衝
立 の蔭で傳次が様子を窺 って
わたくし
ついたて
傳﹁それは工夫で、お前さんと二人で例の茶見世へ行って、
居ると、おやまが参って 頻 りにお百度を踏み、取急いで帰
ねえ
こないだ
しき
旨くもねえ、碌なものはねえが、美 い酒を持って行って一ぱ
ろうとすると飛出して、
い
一一
ちょっと
たのみ
さけさかな
い遣 って、衝
立 の内に居るのだね、それで娘がお百度を踏
傳﹁ 姉 さん﹂
ひっぱりこ
い
んで 帰 る所を 引張込 んで、お前さんが乙 う世辞を云って一
やま﹁はい﹂
うか
い
ついたて
杯飲んでお呉れと盃をさして、調子の 好 い事を云うと、娘
傳﹁此の間は﹂
や
はあゝ程の宜 い人だ、あゝ云う方なら嫁に 行 きたいとずう
やま﹁はい此の間は誠に﹂
おつ
と斯う胸に浮 んだ時に、手を取って斯う酔った紛れに□っ
傳 ﹁此
間 話したね柳田の旦那が彼
処 で一杯飲んで居るが、
けえ
てしまうが宜い、こいつは宜い、これは早い、それで伯父
寸 お前さんに逢いたいと云って﹂
一
きっと い
ゆ
さんに掛合うからいけないが、当人に貴方を見せてえ、こ
やま﹁有難うございますが、 私 は急ぎますから﹂
わっち
こないだ
あすこ
れが私 は屹
度 往 こうと思っている﹂
傳﹁お急ぎでしょうが、そんな事を云っちゃアいけねえ、
間 ね、旦那にお 此
頼 の事はいけねえと云うと、 手前 は 行 き
むやみ
典﹁だけれども何かどうも赤面の至りだな、 無暗 に婦人を
引張込んで宜しいかねえ﹂
そう〳〵
もしねえで嘘だと云って疑ぐられて居て詰らねえから、お
あが
わっち
わっち
前さん厭でも一寸 上 って、傳次さん此間はお 草々 でしたと
あそこ
そ
三十四
云えば 宜 い、然 うすれば 私 が行ったてえのが通じるのだか
い
ら、 彼処 へ往って一寸私に挨拶するだけ﹂
きんそん
こ
傳﹁宜しいたって、お前さんの様な人は 近村 に有りゃアし
やま﹁いけませんよ﹂
や ぼ
ません、だからお前さんを見せたい、ちょっと 斯 う大めか
傳﹁いけねえてえ 私 が困るから、野
暮 なことを云わずにお
い
出でなさい﹂
なん
しに着物も着替え、髪も綺麗にしてね﹂
ど
典﹁何 うも何 だか、宜しいかねえ、旨く往 くかねえ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
額を叩き、口も利かずに扇を振り廻したりして、きょと〳〵
お世辞を云うも間が悪かったか 反身 になって、無闇に扇で
上って来ると、柳田典藏は嬉しいが満ちてはっと赤くなり、
がら 上 り口 へ手を突くと、臀 を持って押しますから、厭々
と無理に引
摺 り込んだから仕方なしにひょろ〳〵蹌 けな
せずに待って居ると云うお話だから、その事を柳田さんに
たのだ、宜 いかえ、処がそれはお 父 さんが居ねえので元服も
い⋮姉さん、人の云う事をお聞きよ、 此間 伯父さんへ掛合っ
ん口を出しちゃアいけねえ、黙って頭を叩いておいでなさ
惚れたんだ⋮⋮旦那、黙って 其方 においでなせえ、お前さ
う事をお聞きなさいよ、この旦那は早く言えばお前さんに
アから何うも仕様がねえ、それは然うだがね姉さん人の云
よろ
して変な 塩梅 で有りますから、
話すと、それは 御尤 だてんで、今日も柳田さんがお前さん
ひきず
傳﹁旦那、旦那お連れ申しました、 此方 へ〳〵、ぐず〳〵
を呼んでくれと云ったのではない、全く 私 の了簡で、旦那
あんばい
しり
して居てはいけねえ、姉 さんに御挨拶をさ﹂
は誠に感心な娘だと云うので、どうも十六年も 音信 をしな
ぐち
典﹁これは何うも誠に、何か、御信心参りにお出での 処 を
い 親父 を待って、それ程までに元服もせずに居るとは、実
あが
斯様なる処へお呼立て申して甚だ御迷惑の次第で有ろうと
に孝行な事だから嫁が厭なら宜しいが、実にその 志操 に傳
あが
なおほれ
とっ
そっち
申した処が、何か、御迷惑でも御酒を 飲 らぬなれば御膳で
次や 尚 惚 るじゃアねえかと 斯 ういう旦那の心持で、誠に 尤 そりみ
も上げたいと思って、一寸これへ、何うも恐入ります、一
だからそう云う事ならせめて盃の一つも 献酬 して、眤
近 に
い
いいぬけ
わたくし
とりやり
わっち
こないだ
寸只御酒はいけますまいから、じゃア御膳を﹂
成りたいと云うので、決して引張込んで何う斯うすると云
い
と云うのを傳次は聞いて、
う訳じゃアないが、お前さんが得心して嫁になれば弟も引
こちら
傳﹁いけねえね、そんな事ばかり云って困るな、めかして
取って世話をすると云う、実に仕合せだから、うんと云っ
わたくし
むりやり
ごもっとも
居て⋮⋮一寸姉さんお盃を、お酌を致しますから﹂
たら 宜 いじゃアないか﹂
ねえ
やま﹁何をなさる、お前さん方は何をなさるのでございます
やま﹁何をうんと云うのでございますえ、 私 の身の上は伯
ちかづき
ところ
え、私 の様な馬鹿でございますけれども、あなた方は何も
父に﹂
い
かこつ
ちかづき
こゝろざし
おとずれ
お近
眤 になった事もない方が無
理遣 にこんな処へ手を持っ
傳﹁それは伯父さんに聞いたよ、 遁辞 で伯父さんに托 ける
わたくし
おやじ
て、厭がる者を引張込んで、人の用の妨げをして、酒を飲
と云う事は知ってる﹂
もっとも
めなんて、私 は酒のお相手をする様な宿屋や料理茶屋の女
やま﹁知って居るなれば何も仰しゃらんでも 宜 いじゃア有
こ
とは違います、余り人を馬鹿にした事をなさいますな﹂
そ
傳﹁旦那、腹を立っちゃアいけねえ⋮⋮姉さん 然 う云っちゃ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ち
と袖を引張るのを、
わたくし
ご ふ
りませんか、 私 も今は浪人しては居りますけれども、やは
やま﹁お放しなさい﹂
おもて
くじ
と立上りながら振切って百度の 籤 をぽんと投付けると、
じょうろ
り以前は少々 御扶持 を頂きました者の娘でございます、あ
柳田典藏の顔へ 中 ったから 痛 うございます。はっと面 を押
さし
つら
なた方の御酒のお相手を致すような芸者や旅稼ぎの 娼妓 と
えて居るうち 戸外 へ駈出しました。
いと
は違います、余りと申せば失礼を知らぬ馬鹿〳〵しいお方
典﹁傳次々々﹂
あた
だ﹂
傳﹁へえ、何うも 彼 の通りで仕様がねえ﹂
あ
典﹁だからいけぬと云うに、無理遣りに連れ出して、 内々 おれ
おっか
き ざ
いろ〳〵
ない〳〵
三十五
ならば仕様も無いが、 斯 ういう茶見世へ参って恥を与える
たとい
い
こ
とは 怪 しからん事﹂
や
あ
そ
傳﹁あれ、それじゃア 姉 さん、だがね、困るねどうも、 然 傳﹁お前さん、そう怒っちゃアいけねえ﹂
ねえ
うお前さん言ってしまっては⋮⋮何とか云い様が有りそう
典﹁貴様は 最 う己 の家 へ来るな﹂
こ ゝ
あんま
け
なものだ、何 うも困るね、左
様 じゃア﹂
傳﹁そんな事を言ってはいけねえ、旦那腹を立ってはいけ
う
やま﹁左様じゃアって考えて御覧なさい、お前さんは頼ま
ません、 婆 がね、娘の跡を 追掛 けたが、居ないから最う仕
そ
れたか知らないが、 此処 にいらっしゃる方は大小を差した
方がないが、お前さん腹を立っちゃアいけません、そこは
ど
立派なお武家様で、人の娘を知りもしない 処 へ 無理遣 りに
女 で、仮
処
令 向うが惚れていても、 気障 だよお止しよと振
し
もん
うち
摺込 んで、飲めもしない者に盃をさして何うなさる、 引
彼 払うのは娘っ子の情で、 殊 には二十二まで何だって島田で
いや
も
の方は本当に馬鹿々々しくて、 私 も武士の家に生れたが、
居る様な変り 者 だから、気短かに何う斯うと云うなア、か
なん
ばゝあ
武家はそんな乱暴な馬鹿な真似は 為 はしません、 余 り馬鹿
らもう色をした事もないようで、極りが悪いじゃア有りま
む り
な事で呆れて愛想もこそも尽果てた厚かましい人だ﹂
せんか、何でも気長に 往 かなければいけません、旦那斯う
ところ
典﹁なに厚かましいと、何 だ、馬鹿々々しいとは何だ、否 な
しましょう﹂
きむすめ
ら否で宜しい、無理に嫁に貰おうと云う訳ではないが、手
典﹁もう手前の云う事は聴かぬ、 種々 の事を云って籤 を投
わたくし
前が⋮⋮﹂
付けて﹂
ひきずりこ
やま﹁厚かましいから厚かましいと申しました、袖をお放
こと
しなさいよ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
よ
い
見遊山にも出ず、不動様へお参りに 行 くだけで、夜 に入 っ
ゆ
て山之助と二人で、祭礼だから見て来ようと云って来ると、
どぶ
傳﹁籤 なんぞは何でも無い、此の前張倒されて 溝 へ落ちた
然 に竹藪の茂みから駈出して来て、おやまを担ぎ上げて、
突
さし
人も有るそうでねえ、斯うなさい、娘を何うかして、そーッ
どん〳〵〳〵〳〵林の 小路 へ駈上りました事でございます
あおむけ
だしぬけ
と他
処 へ連れて行こう﹂
から、山之助は 盗賊 ⋮⋮勾
引 ⋮⋮と呼んで跣
足 で追
掛 ける
わ き
典﹁連れて行って何うする﹂
と山之助は典藏に胸をどんと突かれましたから、田の中へ
はびろやま
ひきす
くやし
こ
ひど
うち
かどわかし
こみち
傳﹁何うすると云ってまアお聞きなさい、 何処 かへ夜連出
向 に転がり落ちます。其の 仰
中 にどん〳〵と 路 を走り、葉
さるぐつわ
しばはら
かつ
みち
めえ
よう〳〵
どろぼうかどわかし
わび
おっか
して、 酷 い様だが私 一人ではいけねえ、ぎゃア〳〵云わね
広山まで担いで駈上ります。折から雨がざあー〳〵と降出
こないだ
ねえ
や
はだし
え様に 猿轡 でも 箝 めて、庄吉と二人で葉
広山 へ担 いで行っ
して来ましたが、その中をどん〳〵滑る路を 漸々 と登りま
も
にら
そ
どろぼう
て、芝
原 の綺麗な人の 来 ねえ処で、さて姉さん、是程惚れ
して芝原へおやまを 引据 えて、三人で取巻く途端、秋の空
うち
こ
て居る者を宜く 此間 は大滝村で恥を掻かしたな、殺して仕
の変り 易 く忽 に雲は晴れ、 木 の間 を漏れる月影に三人の顔
いや
ど
舞うと云うのだが、可愛くって殺せねえ、 若 し云う事を聴
を 睨 み詰め、おやまは 口惜 いから身を慄 わして芝原へ泣倒
にょうぼ
わっち
かぬ時は武士が立たぬとか男が立たぬとか云って、何でも
れました。
ひど
房 に成って呉れ 女
否 てえば仕方がねえから、腕を押えても
おし
きっと
かつ
□□□寝るが何うだ、それよりは得心して知れない様にと
三十六
は
云えば命が惜 いから造作アねえ、それから 家 へ連れて来て、
むこう
こ
得心ずくでお前さん□□□寝ちゃア何うです宜うがすか、
傳﹁おい 姉 さん、泣いたっていけねえ、おい、お 前 本当に
い
いや
にょうぼ
ま
それで娘の方で 屹度 惚れるねえ、初めて男の味を覚えて、
今日斯 う遣 って担 ぎ上げたのは酷 い、盗
賊 勾引
と思うだろ
そ
たちまち
真にあゝ云う人ならと 先方 から惚れて、伯父さん嫁に 遣 っ
うが、 然 うでない、実は旦那が又惚れたんだ、お前が 籤 を
やす
てようと先方から云うよ﹂
ぽんと投付けて 否 だと云ったので、何うも堅い娘だ、感心
うかゞ
とっ
し
ふる
典﹁うーん然 う旨く往 くかえ﹂
だ、あんな女を女
房 に貰わないでは己 が一旦口を出したのが
や
傳﹁それは大丈夫いきますとも﹂
恥だから、お 父 さんの帰った時はどの様にも 詫 をする⋮⋮
こ
とそれから様子を 窺 って居ると、八月の十八日は白島村
担ぎ上げたのは酷いが、話を 為 たいからの事だが、これか
うち
さし
の鎮守の祭礼で、今日は屹度来るに相違ない、何うかして担
おれ
ぎ出そうと昼から附けて居ると、昼の 中 は用が有るから物
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
付けられて、 他 へ縁付く事も出来ねえ、それよりはうんと
くちゃアならねえが、 左様 すればお前得心ずくでなく 疵 を
足を押えて居ても、否でも応でも旦那に思いを遂げさせな
へ這入って旦那に済まねえ、済まねえから二人で腕を押え
処 で酒の相手をして、な、否てえば仕方がねえ、 彼
私 が中
ら柳田の旦那の 処 へ行って⋮⋮なに泊めやアしない、 一寸 き、一人は鼠の 頭陀 を頸 に掛け、白い脚
半 に甲掛草鞋。
草木綿 の股引に 千
甲掛草鞋穿 で旅馴れた姿、 明荷 を脇に置
し合羽で、 柄前 へ皮を巻いて、鉄
拵 えの 胴金 に手を掛け、
いた 行脚 の 旅僧 、今一人は供と見えて 菅 の深い 三度笠 に廻
と云う声は 谺 に響きます、後 の三
峰堂 の中に雨
止 をして
やま﹁ひー殺してしまえ、殺せえ﹂
と□□□ 押転 し、庄吉は足を押える。
□﹂
ちょっと
云って得心さえすれば 弟御 も仕
合 、旦那も斯 んな 挙動 を為
男﹁あゝ気の毒な、助けて 遣 らん﹂
ところ
たくはねえが、お前があゝ云う気性だから仕方がねえ、よ
と飛出しましたのは前 申上げました水司又市の永禪和尚、
おとうとご
ね
きず
うん
ちくさもめん
か
くらげみち
つかまえ
たびそう
ず
こだま
おしこか
う後生だ、ようそれで連れて来たんだ、私が困るから 諾 と
の川口の薬師堂に寺男になって居ると、尼様に寺男が御
彼 わっち
云って、よう後生だから諾と云って呉んねえ﹂
経を教えて居る、あれは寺男が本当の坊主の果で有ろうと
あすこ
やま﹁さア殺しておしまい、何うも恐しい悪党だ、徒党を
段々噂が高くなり、薄気味が悪いから、川口を去って越後か
めえ
くび
や
こうがけわらじばき
だ
ぜん
てつごしら
あまやみ
かなき
こちら
すげ
きゃはん
すか
かよわ
あけに
さんどうがさ
あまやみ
して山へ連れて来て慰さもうとする気か、舌を噛んでも人
ら 倉下道 を山越をして信濃路へ掛って、葉広山の根方を通
えりがみ
みみねどう
に肌身を 汚 されるものか、さア殺してしまえ﹂
り掛ると村雨に逢い、少しの間 雨止 と三峰堂へ這入って居
うしろ
傳﹁それじゃア仕様がねえ、おいそんな事を⋮⋮お 前 が否
ると、雨も止みましたから、支度をして出ようと思う処へ
あご
なん
どうがね
だと云えば手足を押えても□□ぜ﹂
人殺し、殺してしまえと云う女の 鉄切 り声ゆえ、つか〳〵
めえ
あんぎゃ
やま﹁慰めば舌を喰切って﹂
と飛出しまして、又市は物をも言わずに、娘の腕を押えて
そ う
典﹁なに﹂
居りました傳次の 襟髪 を取って引倒し、足を押えて居た庄
むりやり
ほか
傳﹁旦那腹を立ってはいけねえ、おい 姉 さん、お 前 否だと
吉の 頤 を土足で蹴倒しますると、柳田典藏は驚き、何者だ
ま
云えば仕方がない﹂
と長いのを引抜いて振上げる。 此方 も透 さず道中差をすら
こ
と無
理遣 に手を取りますると、
りっと引抜き、
しあわせ
やま﹁何を、放せえ﹂
又﹁何者とは 何 だ、悪い奴らだ、 繊弱 い女を連れて来て、
けが
と手に喰付きますから、
ねえ
傳﹁いけねえ、此のあまっちょ、おい庄吉さん□□□□□
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
えば承知致さぬぞ、さっさっと行け﹂
奴だ、旅だから許してやる、さっ〳〵と 行 け、兎 や角 う云
前達 が何か慰もうと云うのか、ひい〳〵泣く者を不埓な
手
﹁ 太 え奴だ人殺し﹂
部へ 疵 を受けながら、
ちながらばら〳〵〳〵〳〵山から駈
下 りました。傳次は面
刀に典藏が 肱 の辺 へ切込みますと、典藏は驚き、抜刀を持
をはすって 頭 へ少し切込まれたが、又市は覚えの腕前返す
かしら
傳﹁ あ ゝ 痛 え、 突然 に無闇と蹴やアがって、飛んだ奴だ、
と又市の足へ 縋 り付く処を。
てまいたち
前 は訳を知るめえが己達は勾
手
引 でも何でもねえ、この 女
又﹁放せえ、うーん﹂
かど
めえ
こっち
ふて
とゞ
さぞ
びっく
ぬぐ
さや
すが
あたり
には訳があって旦那に済まねえ 廉 が有るから、此
方 が為に
と 止 めを刺しましたから、其の儘息は絶えました。
おど
ぬか
い
ひじ
なる様に納得させようと思って居るのに、きいきい云やア
永﹁惠梅々々﹂
こ
がるから 嚇 しに押えるのだ、お 前 は何も知らねえで、何も
梅﹁はい 恟 りしました﹂
と
いらざる所へ邪魔アしやアがるな、旅の者だと 吐 しやアが
又﹁ 宜 いかえ﹂
い
る手前は﹂
梅﹁あゝ怖い﹂
よ
のり
さが
す
かけお
と月影で顔を見合せると、互に見忘れませぬ。又市も傳
又﹁お前は 嘸 怖かったで有ろうのう、 斯様 な奴を助けて置
きず
次も見たようなと思うと、庄吉は宗慈寺に旧来奉公して居
くと村方を騒がして 何 の 様 なる事を為 るかも知れぬから、
だしぬけ
りましたから永禪和尚の顔を 能 く知って居りますから、
土地の助けに殺したのだ﹂
いた
庄﹁えゝ〳〵〳〵貴方は高岡の永禪様﹂
やま﹁有難うございます、命の親でございます﹂
わがみのうえ
あまっちょ
永﹁庄吉か﹂
と手を合せたが、おやまは 後 へ下 る、是は又市が刃物を
かどわかし
庄﹁永禪様か﹂
持って居りますから気味が悪いから後へ下る。
てめえ
と此の時は又市も驚きまして、 此奴 らは 吾 身
上 を知って
又﹁何も心配は無いから﹂
うしろはちまき
うち
かよう
居る上からは助けて置いては二人の難儀と思い、永禪和尚
と 血 を 拭 って鞘 に納め、額の疵へ頭陀の中より 膏薬 を出
けさがけ
こびん
よう
と声を掛けられるや否や持って居た刀で庄吉の肩へ深く切
して貼付け、 後鉢巻 をして、
はず
ど
付ける、庄吉はきゃアと云って倒れる。傳次は驚いて逃げ
又﹁さア是から 家 まで送ろう﹂
よろ
あと
に掛る処を 袈裟掛 に切りましたから、ばったり倒れると、
とおやまの手を取って白島村へ帰ろうとする途中、山之
ふりかぶ
こいつ
柳田典藏は残念に思い、この乱暴人と自分の乱暴人を忘れ
こうやく
冠 って切掛ける。又市は受損じ、蹌 振
めく機 みに又市が小
鬢 敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
はず
かど
すぐ
まを 辱 かしめようとした 廉 があり、 直 に桑名川村へ調べに
ばか
助が帰って伯父に知らせたから、村方の百姓二十人 許 りお
参ると、典藏は家を畳み、急に逐電致しました故、此の事
こっち
やまの行方を捜しに来る者に途中で出逢い、これから家ま
は山家ではあるし、事なく済みましたが、 此方 は急ぐ旅で
なお
で送り届けると云う。是が縁に成って惠梅と水司又市の二
ないから 疵 の癒 る間逗留して下さいと云われ、おやま山之
きず
人がおやま山之助の家へ来て永く足を留める。これが又一
とき
の 家 に逗留して居る間は、惠梅比丘尼は方々へ 斎 に頼まれ
ずまい
て参り、 種々 な因縁話を致しまして、
いえ
助二人暮しの田舎 住居 、又市は幸いにして膏薬を貼って此
梅﹁私も因縁あって尼になり、誠に私は若い時分種々の苦
いとぐち
三十七
労も有ったが、只今では仏道に 入 って胸の雲も晴れて、実
あだうち
つ仇
討 に成りまする端
緒 でございます。
に世の中を気楽に渡る、是が極楽と申します﹂
うち
こ
もっと
いろ〳〵
おやまの危 い処 を助けて、水司又市と惠梅比丘尼は 彼 の
などと、 尤 もらしい事を云うと、田舎の百姓衆は 此方 へ
ど
ほか
い
つ
あわひえ
い
おやまの 家 まで送って参る途中で出会いました者は、弟山
卒 いらっしゃって、私の親類が三里先に有りますが、是
何
か
之助に村方の者でございます。
へもと云ってお布施を貰い、諸方へ参ってお斎を致します
ところ
山﹁姉は 何処 へ担がれて参ったかと、伯父多右衞門と大き
と、お布施の 外 に割
麦 或
は粟 稗 などを貰って、おやまの家 あやう
に心配して尋ねに参る処で、貴方が助けて下すったか有難
の物を食って居るから、実は 何時 までも置いて貰いたいと
しか
こしら
こちら
う存じます﹂
思って居りますうちに疵も癒り、 或日 惠梅比丘尼は山之助
こ
あぶな
どうぞ
皆々も大悦びでございます。
と隣村まで参りまして、又市は疵口の膏薬を貼替えまして、
つい
ぜんだて
つ
さわ
うち
又﹁実は 斯 う云う訳で、図 らずも通り掛ってお助け申した
白布で巻いては居りますが、疵も大方 癒 たから 酒好 と云う
ひきわりあるい
が実に 危 い事であった、 併 しお怪我もなくて幸いの事で有
事を知り、 膳立 をして種々の肴を 拵 えまして、
あるひ
りましたが、 就 ては私 も止むを得ず二人まで殺したからは
やま﹁もしあなた、一杯お酒を 癇 けましたから召上りませ
はか
其の届を出さなければ成るまいが﹂
んか、お医者様も少し位召上っても 障 りには成らないと仰
すき
さけずき
多﹁はい〳〵届けましても御心配はございません、重々悪
しゃりますから、一口召上りまして﹂
いえ
い事が有る奴でございますから﹂
又﹁いや誠に有難う、大した事ではなし、一体酒が 好 で旅
わし
と是から名主へ届けました処が、 素 より悪人という事は
もと
村方で大概ほしの付いて居ります旅魚屋の傳次なり、おや
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
れます、日々あゝやって御城下へ参りまして、荷を置いて参
が年も 彼 往 きませんから届きません、只私を大事にして呉
やま﹁いゝえもう二人ながら未だ子供のようでございます、
実に感心の事じゃ﹂
んは 牛馬 を 牽 いて姉弟で斯う稼ぐ人は余り見た事がない、
うちから起きて糸を繰ったり 機 を織ったり、また山之助さ
えゝお前はまア 姉弟衆
二人ながら仲よう稼ぎなさる、暗い
様に隠して内
所 で飲むこともある、これは〳〵有難う⋮⋮
をするには一杯飲めば気が晴れるから、宿で一杯出せば尼
なりましたが、親父は 私 の少 さい時分行方知れずに成りま
やま﹁はい両親はまアない様なものでございます、母は亡
又﹁御両親はないのかえ﹂
やま﹁はい 私 の真実の伯父でございます﹂
真実の伯父さんかえ﹂
又﹁あの 何 で、この先に伯父さんが有るが、 彼 はあなたの
やま﹁はい﹂
なア⋮あゝ最う十分に 酔 いました、もしおやまさん〳〵﹂
又﹁あゝ見
惚 れますねえ、お前さんの其の、品の良いこっちゃ
と笑います顔を、余念なく見て居りましたが、
ひ
きょうだいしゅう
あちら
よ
こちら
わたくし
なん
み と
ります、又彼
方 から参る物は此
方 へ積んで参りまして少々
してから、いまだに音沙汰がございません、死んだと存じ
ちんせん
ないしょ
の賃
銭 を戴きます、はい宜く稼ぎますが、丁度飯山の御城
まして出た日を命日として居りますが、ひょっとして存命
なん
ゝ
や
ていしゅ
きょうだい
わたくし
え
下へまいり、お酒の 美 いのを買って参りましたが、お肴は
で帰って来たらと 姉弟 で信心して居ります位で﹂
こ
はた
にもございませんが、召上って下さいまし﹂
何 又﹁はア左様かえ、お前さんまだ 御亭主 は持たずに﹂
つ
よ
や
あれ
又﹁いや 此処 らは山家でも御城下近いから便利でございま
やま﹁はい﹂
ぎゅうば
す、一杯頂戴致しましょう、是ははい御馳走に成ります⋮⋮
又﹁二十二に成って 亭主 を持たずに、此のどうも花なら半
い
一杯 酌 いで下さい、四五日酒を 止 めて居たので酔いはせん
開という処その何うも露を含める処を、斯う 遣 って置くは
あれ
かな﹂
実に惜しいものじゃアね、お前さん﹂
ちい
やま﹁どうぞ召上って﹂
やま﹁はい﹂
もと
わたくし
ごていし
となみ〳〵とつぐ。 素 より好きな酒、又市二三杯飲むう
又﹁お前まアねえ、一杯飲みなさいな﹂
くりかわちゃ
よ
わし
ち、少し止めて居たから顔へ色がぼうと出ましたけれども、
ん
やま﹁いゝえ 私 は御酒は少しも戴きません﹂
えい
にっこり
そ
桜色という訳にはいきません、栗
皮茶 のような色に成りまし
又﹁ 其様 な事云わんでも 宜 い、私 のじゃアに依 って半分ぐ
し
くせもの
らい飲んで呉れても宜いじゃないか﹂
と
じゃいんかんち
おやまは 年齢 二十二でございます、美くしい盛りで、 莞爾 たが、だん〳〵酔 が廻りますと、もとより 邪淫奸智 の曲
者 、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ても云出し兼ていたが、酔うた紛れに云うじゃアないけれ
たっ
ども、お前さん私は 只 た一度で諦めますぜ﹂
よ
三十八
か
やま﹁あなた本当に仰しゃるのですか﹂
こ
い
又﹁本当だって今まで 如何 にも好 い娘じゃアと思うても色
わし
やま﹁いゝえ半分などと仰しゃっては困ります、お厭なれ
こ
気も何も出やアせぬが、けれども朝夕膏薬を貼替えて呉れ
どうぞ そ
ば何
卒 其
処 へお残し遊ばして﹂
わし
る其の優しい手で額を 斯 う押えて呉れまする、其のどうも
おなご
又﹁おやまさん、私 は最うこれ四十に近い年をして、お前の
たっ
手当に 私 は惚れた、さア最う斯う云い出したら恥も外聞も
お
ような若い女
子 を想うても是は無駄と知っては居るが、真
ないじゃア、 誰 も 居 らぬは幸いじゃア、 只 た一度で諦める
やさ
たれ
実お前のような 柔 しい、器量といい、其のどうも取廻しな
から﹂
ど
り口の利きようといい別じゃアて、心に想うて居ても私は
やま﹁あら呆れたお方様で、それでは折角の貴方御親切も
きず
まア今まで口に出して言やせぬが 何 うだえ、私は真実お前
水の泡になります、伯父も 彼様 なお方はない、額に疵 を受
あ ん
に惚れたぜ﹂
けるまで命懸で助けて下すったから、その御恩を忘れては
わたくし
済まないよと伯父も申しますから、 私 も有難いお方と存じ
さが
とおやまの手を取ってぐっと引寄せに掛りましたから堅
て居りまして、実に届かぬながらお世話致します心得でご
あと
い娘で驚きまして、振払って 後 へずうと 下 りまして、呆れ
て又市の顔を見て居りました。
ざいますに、そんな事を仰しゃって下さると実に腹が立ち
え
又﹁怖がって逃げんでも 宜 いじゃないか﹂
たっ
あすこ
ます﹂
あなた
よ
わし
やま﹁あらまア 貴方 御冗談ばかり仰しゃって困りますよ﹂
よ
又﹁腹が立ちますと云ったって、恩義に掛けるわけではな
よう
又﹁困る訳はない、 宜 いじゃアないか、えゝ只 た一度でも
ど
いが、けれども、 宜 いじゃアないか、 私 も命懸で彼
処 へ這
じょうあい
わし
お前 私 の云う事を聴いて呉れたら、お前の為には 何 の様 に
き ず
入って助け、私が通り掛らぬ時は、悪者に押え付けられて、
いや
も情
合 を尽そうと思うて居る﹂
でも応でも三人のため瑕
否 瑾 が付くじゃアないか、それを
わたくし
ん
やま﹁御冗談でございましょう、貴方の様な方が 私 の様な
こ
助けて上げたから、彼処で□□□□れたと思うて素性の知
わし
れた私に一度ぐらい云う事を聴いても宜いじゃアないか﹂
な ぜ
者にそんな事を仰しゃっても私は本当とは思いません﹂
やま﹁貴方にはお 内儀 がお有んなさるではございませんか﹂
かみさん
又﹁何
故 、私 は年を取って冗談やおどけにお前さん 此様 な
と
事を言掛ける事はない、お前さん、実は 疾 うから真に想う
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
又﹁女房は有りやせん﹂
存じまして、おやまは何うしようかともじ〳〵して居りま
れた恩義が有るから、余り無下にしても 愛想尽 し気の毒と
ちますから 殴付 けてやりたいと思うが、そこは命を助けら
はりつ
やま﹁あら惠梅様は貴方のお内儀でございます、お比丘尼
あいそうづか
様に済みませんから貴方の側へは参りません﹂
す。
あ
又﹁比丘だって 彼 れは女房ではない、彼れは山口の薬師堂
わし
に居た時に私 は寺男に這入ったので﹂
三十九
げ し
やま﹁それでも夜分は一緒に 御寝 なるじゃアございません
ひげ
や
え
なん
さけのみ
ところ
きも
ほうぺた
わし
又市は増長して無理に引付け、 髯 だらけの 頬片 をおやま
あいつ
か﹂
に 擦 り付けようとする 処 へ、帰って来たは惠梅に山之助で
ところ
又﹁御寝なるたって 彼奴 が薬師堂に居た時、私 は奉公に這
ございますが、山之助は気の毒だから 後 へ下 る。惠梅は腹
こす
入ったが、彼奴も未だ 老朽 る年でもないから、肌寒いよっ
を立って、 麁朶 を持って二三度続けて殴ったから 胆 を潰 し
おいくち
て、この夜着の中へ這入って寝ろと云うので、 拠 ろなく這
て、
こ ゝ
そ だ
さが
入って寝たが、婆ア比丘尼じゃアから厭で〳〵ならん、お前
又﹁いや帰ったか﹂
うしうま
びっく
あと
がうんと云うてくれゝば、惠梅に別れて、私は 此処 の家へ
梅﹁まことに呆れてしまって⋮⋮おやまさん、さぞ腹が立
よんどこ
這入って働き男になり、 牛 馬 を牽 いたり、山で麁
朶 をこな
ちましたろう、私も 恟 りしました、山之助さんにも誠にお
わたくし
おなご
あちら
つぶ
し、田畑へ出て 鋤 鍬 取っても随分お前の手助けしようじゃ
気の毒で、お前さん何をするのだよ、おやまさんにさ﹂
ち
だ
アないか、然 うして置いて下さい﹂
又﹁誠に困ったなア、今御馳走が出たので一杯 遣 った処 、つ
いきなり ぶ
そちら
そ
やま﹁そんな事を仰しゃっては困ります、それでは 明日 に
い酔うてそのな、酒を飲めば若い 女子 に冗談をするは 酒飲 ひ
も直 にお発
足 遊ばして下さい、 私 は御恩になったお方ゆえ
の当り前だ、 突然 打 ちやアがって、打たんでも宜 いわ﹂
すきくわ
大事と思うから手厚くお世話をするのでございます、それ
梅﹁おやまさんお腹も立ちましたろうが堪忍して下さいよ、
あした
を恩に掛けるなれば、私も随分貴方へ御恩報じと思って出
私は少し云う事が有りますから 彼方 へ行って居て下さい、
そ
来ないながらも看病して居る心得でございます、はい﹂
まりやれこれ云って下さると増長するのでございますか
余 た
又﹁お前のように堅く出られては面白くない、そんな事を
ら、どうぞ 其方 へ⋮⋮又市さん今の真似はあれは 何 だえ﹂
すぐ
云わずに﹂
あん
と無理遣りに手を取って引寄せまする。この時は腹が立
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ともないわ﹂
たね、 突然 打 つとは酷 い、疵 が出来たらどうも成らん、み
又﹁酔うたのだよ、酔うて居るから 宥 せと云うに⋮⋮困っ
お前さんも元は榊原様の藩中で、水司又市と云う立派な侍
たり、 夜夜中 歩いて怖い思いをするのはお前さん故だよ、
梅﹁私はお前さん故で 斯様 に馴れない旅をして、峠を越し
んで来た﹂
又﹁あゝ聞いて居たな、酔うた紛れだ⋮⋮ 打 つな、血が染 にじ
梅﹁何だえ今の真似は、ようお前 幾歳 にお成りだよ、命を
では有りませんか、武士に二言はない、決して見捨てない、
ぶ
助けたの何のと恩義に掛けて、あの 娘 が彼
様 に厭がるもの
おれも今までの坊主とは違い、元の武士の了簡に成ったか
ゆる
を無理に引寄せてなぐさむ了簡かえ、呆れた人だね、怖い
ら見捨てないと云うから、亭主にしたけれども、お前さん
きず
人だね﹂
何だろう、浮気をして私を見捨る人だと思うと心細くって、
えら
又﹁怖い事は有りやせん、若い娘にからかうは酒飲の当り
附いて居るも何だかどうも案じられて、見捨られたら何う
いきなり ぶ
前だ﹂
しようと思うと、こんな山の中へ来てと考えると心細くな
きょうだい
こ
あ
なん
おとな
ちょっと
こんな
梅﹁当り前だって宿屋の女中や芸者じゃアない、一軒の 主 るよ﹂
かたじん
よるよなか
じゃアないか、 然 うして 姉弟 で堅くして 彼 アやって、温
和 又﹁見捨てやアせん﹂
いくつ
しくして居る 堅人 だよ、伯父さんも村方で 何 とか 彼 とか云
梅﹁見捨てかねないじゃアないか、見捨てられて難儀する
あんな
われる人で失礼ではないか、お前さんを主人の様に、姉弟
も 罰 と思うのさ、 終 には七兵衞さんの 祟 でも、私の身も 末 き
あるじ
二人で私の事を尼様々々と大事に云って呉れるじゃアない
始終碌な事はないと思っては居りますけれどもね﹂
そ
か、それに恩を 被 せてあんな真似をすれば、今までの事は
又﹁愚痴をいうな、 一寸 酔うた紛れに云うたのだ⋮大きな
かん
水の泡に成るじゃアないか﹂
声をするなよ﹂
すえ
又﹁己が悪いから宥せ﹂
梅﹁お前さんも高岡の大工町で永禪和尚という一箇寺の住
おか
いや
たゝり
梅﹁宥せじゃアない、お前さんは何だね、あの 娘 がもし義
職の身の上で有りながら、亭主のある私に無理な事を云う
つい
理に引かされて、仕方なしにあいと云ったら、あの娘をな
から、 否 とも云えない義理詰に、お前さんと 斯 ういう訳に
ばち
ぐさんで、あの娘と訝 しい中になると、私を見捨る気だね﹂
成ったのが私の因果さ、それで七兵衞さんを薪割で殺して﹂
こ
又﹁いゝや見捨てやアせんじゃア、そのような心ではない﹂
又﹁これ馬鹿、大きな声をするな﹂
すけべい
こ
梅﹁おとぼけでない、嘘ばかり 吐 いて、越後の山口でお前
つ
の処へ這込んだ 助倍 比丘尼と云ったろう﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
はず
おれが酔うたのだ、はっと云う 機 みじゃア﹂
さっき
梅﹁云いたくもないけれどもさ、 先刻 云う事を聞けば、比
梅﹁わたしはもう厭だ、 此処 に居るのは厭だよ、立つよ﹂
る
よ
ゝ
丘尼を打
捨 ってしもうても、お前がうんと云う事を聴けば、
又﹁おれも立つよ、おれが悪いから宥せ﹂
いろ〳〵
ひ
し ょ
こ
おれは此の家 へ這入って、寺男同様な働きをして 牛 馬 を牽 と 悋気 でいうが、世間へ漏れては成りませんから、又市
うっちゃ
いて百姓にもなろうと云ったが、 能 くそんな事が云われた
は 種々 に宥 めて、その晩は共に 臥 りましたことで、先 ず機
ひ
義理だと思って居るよう﹂
嫌も直りましたが、 翌朝 になり、又市は此処に長く居ては
うしうま
都合が悪いと心得、 正午 時分までは何事もなくって居りま
うち
四十
したが、昼飯を食ってしまって急に出立と成りましたから、
りんき
おやまも悦び、いやな奴だから早く立った方が 宜 い、それ
よ
又﹁それは悪いよ、悪いが大きな声をして聞えると悪いや
でも義理だから伯父を 喚 んで詰らぬ物でも餞別など致しま
いとまごい
つきおかむら
ち
よこくら
ま
アな﹂
す。これを又市が脊
負 いまして 暇乞 をして出立致しました。
ちくまがわ
よ
ま
しょうはくおいしげ
こちら
ふせ
梅﹁いったって 宜 いよ﹂
御案内の通りあれから白島村を出まして、 青倉 より横
倉 へ
よ
しろさかとうげ
よくあさ
又﹁馬鹿いうなよ﹂
掛り、 筑摩川 の川上を越えまして月
岡村 へ出まして、あれ
なだ
梅﹁言ったって 宜 うございます﹂
から 城坂峠 へ掛ります。 此方 を遅く立ちましたから、月岡
むやみ
こ
ところ
よ
又﹁宜 いたって、此の事が世間に知れちゃアお互に﹂
へ泊れば少し早いなれども丁度 宜 いのを、長い峠を越そう
い
梅﹁お互だって当りまえで、馬鹿々々しいね、本当に 能 く
と無
暗 に峠へ掛りますると、 松柏
生
茂 り、下を見ると谷川
ごえ
あかり
まっくら
こんな
ちょうちん
あおくら
あんなことが云われたと思うのだよ、私は本当に高岡を出
の流れも 木 の間 より見え、月岡の 市街 を振返って見ると、
よ
て、お前に連れられて飛騨の高山越 に﹂
最うちら〳〵灯 のつく刻限。
たゞ
よ
又﹁そんな事を云うな、己が悪いよ﹂
又﹁あゝまだ月が出ねえで、 真闇 になったのう﹂
ま
梅﹁唯 悪いと云えば宜 ゝかと思って、お前は見捨る了簡に
梅﹁ちょっと〳〵又市さん、私は斯
様 に暗い 処 ではないと
い
なったね﹂
なん
思ったが、斯様に暗くなっては 提灯 がなくっては歩けない
ねじ
又﹁あいた〳〵〳〵痛い、 捻 り上げて痛いわ、 何 じゃア﹂
よ﹂
あん
又﹁提灯は持っている﹂
ゆる
梅﹁痛いてえ余 まりで﹂
はりつ
又﹁また殴
付 けやアがる、これ己が悪いから 宥 せと云うに、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
あかり
つ
こと
そ
だ
きず
ほころ
又﹁打ったで済むか、 殊 に面部の此の疵 縫うた処が綻 びた
ちっ
おのれ
梅﹁灯
火 をお点 けな﹂
ふて
ら何うもならん、亭主の横面を 麁朶 で打つてえ事が有るか、
ゆ
まっくら
又﹁もう 些 と先へ行って﹂
え奴じゃア汝 太 ﹂
よこつら
梅﹁先へ 行 くたって真
暗 で仕様がない、全体月岡へ泊れば
と拳を固めて、ぽんと惠梅比丘尼の 横面 を打ったから眼
い
いに、この峠を夜越して来たから仕様がないよ﹂
宜 から火が出るよう。
とき
てめえ
又﹁己も越したくも何ともないわ、えゝ 汝 がぎゃア〳〵騒
うち
よ
お
梅﹁あゝ⋮⋮痛い、何をするのだね、何を打つのだよ﹂
あすこ
ぎ立てるから 彼処 の家 にも居 られず、急ぐ旅ではなし、彼
又﹁打ったが何うした﹂
あと
お
ぶちたゝ
おちつ
処に泊って彼処の物を喰って居て、お 斎 に出て貰った物が
梅﹁呆れてしまう、腹が立つなればね、宿屋へ泊って 落著 たま
やきもち
よんどころ
れば、 溜 後 の旅をするにも宜 い、後の旅が楽じゃア、それ
いてお云いな、何もこんな夜道の峠へかゝって、人も居な
こ ゝ
を詰らぬ事に嫉
妬 でぎゃア〳〵云うから居 られないで、 拠
い処へ来て 打擲 きするは余 りじゃアないか、 此処 で別れる
四十一
あんま
なく立って来たのだ﹂
とお云いのはお前見捨てる了簡かえ﹂
夜になって峠を越すのは困るね﹂
い
梅﹁よんどころなく立ったにもしろ月岡へ泊れば 宜 いのに、
又﹁困って悪ければ是から別れよう﹂
ぶ
たま
やきもち
ど
よ
梅﹁別れて何 うするの﹂
こと
あいそ
又﹁己は愛
想 が尽きて厭になった、ふつ〳〵厭になった、坊
い つ
ぶ
主頭を抱えて 好 い年をして嫉
妬 を云やアがるし、いやらし
よこッつら
又﹁汝 おれが横
面 を宜くも人中で打 ったな﹂
い事ばかり云うから腹が立って 堪 らんわい、人中だから耐 てめえ
梅﹁打ったってお前そんな事を 何時 までも腹を立って居る
えて居た、 殊 に亭主の頭を 打 ちやアがって、さア是れで別
ゆきどころ
こら
がね、私も腹立紛れに打ったのじゃアないか、 彼 の娘 が義
れよう﹂
たとえ
こ
理ずくで、命を助けられた恩義が有るから、お前の云う事
梅﹁呆れてしまった、私を見捨てる⋮あ痛い何をするのだ
あ
を聴けば見捨てかねないよ﹂
ね、 何 うも怖ろしい人じゃアないか、腹立紛れに打ったの
う
ぶ
かりそめ
又﹁ 仮令 見捨てると云ったにもせよ、何故 苟
にも亭主の横
は悪いと謝まるじゃアないか、こんな峠へ来て何だねえ、
ど
面を打 つという事が有るか﹂
私を見捨てゝ 行処 のない様にして何うする気だねえ﹂
ん
梅﹁打 ったのは悪いが、お前さんも 彼様 な事をお云いだか
あ
ら、私も打ったのじゃアないか﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
梅﹁あれ危い、胸を突いて谷へでも落ちたら何うするのだ
又﹁さっ〳〵と 行 け﹂
梅﹁愛想が尽きたってお前さん﹂
きた﹂
云って、二人の首の落るを知らぬか、 余 り馬鹿で愛想が尽
又﹁何うも 斯 うもない、一大事の事を 嫉妬紛 れにぎゃア〳〵
惠梅の指を二三本切落して、非道にも谷川へごろ〳〵〳〵
なりで狂い死 を致しました故中々放す事が出来ませんから、
まず谷へ死骸を突落そうと思うと、又市の裾に 縋 り付いた
は来はせぬかと見ましたが、 誰 あって来る様子もないから、
〳〵と身を慄わして、其の儘息は絶えましたが、 麓 から人
力に任して突きながら 抉 り廻したから、只 た一突きでぶる
と云いながら、刀を 逆手 に持直し、肩
胛 の所からうんと
又﹁おゝ知れた事だ﹂
やきもちまぎ
ね、本当に怖い人だ、それじゃア何だね私にお前愛想がつ
〳〵どんと突落し、餞別に貰いました 小豆 や 稗 は邪魔にな
こ
きて邪魔になるから、お前の身の上を知って居るから谷へ
りますから谷へ捨て、 血 を拭って鞘に納め、これから支度
こじ
のり
たゝず
あずき
たっ
かいがらぼね
突落して殺す了簡かえ﹂
をして、元来た道を白島村へ帰って来ました。悪い奴は悪
さかて
又﹁えゝ知れた事だ﹂
い奴で、おやまの 家 の軒下へ佇 んで様子を聞くと、おやま
あんま
と云いながら道中差の小長いのを引抜きましたから、お
山之助は、何かこそ〳〵話をしている様子でございます。
ひえ
すが
ふもと
梅は驚きまして、ばた〳〵〳〵〳〵逃げかゝりましたなれ
たれ
ども、足場の悪い城坂峠、殊には夜道でございますから、
とん〳〵〳〵〳〵。
ゆ
あれ人殺しと声を立てに掛ったが、相手は亭主、そこは情
又﹁おやまさん﹂
じに
と云うものが有るから、人殺しと云ったら人でも出て来て、
山﹁はい誰だえ﹂
うち
二人の難儀に成りはしないかと思い、
又﹁ 一寸 開けてお呉んなさい、又市じゃア明けてお呉んな
ちょっと
梅﹁あれ気を静めないか、全く別れるなら話合いに﹂
かけお
とりのぼ
さい﹂
も
と言掛けまするが、 最 う取
上 せて居りますから、木の根
やま﹁又来たよ、又市が何うして来たねえ﹂
こちら
に 躓 き倒れる処を 此方 は 駈下 りながら一刀浴せ掛ければ、
山﹁はい何でございますか、昼間お立ちなすった方ですか﹂
山﹁はい〳〵﹂
つまづ
惠梅比丘尼の肩先深く切付けました。
又﹁一寸開けて下さい、災難事が有って来たから﹂
と山之助が表の 半戸 を開けますと、きょと〳〵しながら
あ
梅﹁あゝ私を切ったな悪党、お前は私を殺して 彼 のおやま
さんを又口説こうという了簡だな﹂
はんど
と足にしがみ付くを、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
又﹁此
方 へ惠梅比丘尼は来ませんか﹂
這入って、
きら〳〵するのを抜きました故な、 此方 も命がけで切抜け
又﹁いや怖い目に遭いました、あゝ心持が悪い、二三人で
でなさるから足を洗って﹂
こちら
山﹁いゝえお出 なさいません﹂
ました故、 疵 を受けたかも知れぬ、着物に血が着いて居る
わし
こっち
又﹁はてな何うも、今に此方へ来るに相違ないが、城坂峠
ようで﹂
いで
へ掛るとね、全体月岡へ泊れば宜かったが、修行の身の上
山﹁足を洗ってお上りなさい﹂
きず
路銀も乏しいから一二里は踏越そうと思ったから、峠の中
又﹁はい、 私 は怖くて胸の動気が止まらない、どうぞ度胸
こっち
定めに酒を一杯下さい﹂
い
ばまで掛ると、四人ばかり追剥が出まして、身ぐるみ脱い
と是から酒を飲んで空々しい事を云って寝ましたが、 此方 わし
おなご
こちら
で置いて 往 けという故、此
方 は修行者でございますから路
は 真実 と心得伯父に話をすると、惠梅比丘尼の 行方 を尋ね
そ
銀は有りませぬ、お比丘尼を助けてと云うに、 然 うは往か
ますと、月岡村の 雪崩法寿院 という寺の山清水の流れに尼
いろ〳〵
なに
ぬすびと
さぞ
ゆくえ
ぬときら〳〵する刀を抜いて威 す故、私 がお比丘に目
配 せ
の死骸が有ると云うので、その村の人々が気の毒な事と云
お
まこと
したら惠梅比丘尼は林の中へ駈込んで逃げたから、最う 宜 うて、 彼方 へ是を葬りました事が、翌日の日暮方に分りま
ちっ
とこ
めくば
いと思い、種
々 云って 透 を見て逃げようと思い、只今上げ
したので、
ゆ
わし
ます、 些 とばかり旅
銀 も有るから差上げますから、手をお
山﹁ 何 ともお気の毒様で申そう 様 もございません﹂
ほか
おど
放しなさいと云うと、ほっと手が放れるが 否 や、転がり
又﹁いや 私 も今聞きましたが、山之助さん、まア情ないこ
ふびん
なだれほうじゅいん
落ちて死ぬるか 生 るか二つ一つと、一生懸命谷へ駈け 下 り
とに成りました、私は 盗人 に胸倉を取られて居る、惠梅は
よ
逃げたが、比丘尼は 外 へ行 く処はない、お前さんの 処 へ来
取られた胸倉を振切って先へ駈下りたなれどなア、 女子 で
すき
るに相違ないと思ったが、未だ来ませんか﹂
足は弱し、悪い奴に取囲まれ、切られて死んだかと思えば
あちら
然 じゃなア、月岡の寺へ葬りになりましたとは知らずに
憫
ろぎん
四十二
居りましたが、左様かえ、致し方はない、何うも情ないこ
あん
いな一二
とで﹂
わらじ
よう
やま﹁あれまア、 余 まり遅うお立で、途中で間違が有って
山﹁誠にお気の毒様、 嘸 お力落しでございましょう﹂
いき
はいけませんと思いましたが、それは〳〵お比丘様は今に
いで
お出 でしょうからお上りなすって⋮⋮山之助お 草鞋 でおい
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
まア年も 往 かぬ若い姉
弟 衆の力になる心得で、 何 の様にも
ど
又﹁年を取って女房に別れるは誠に厭な心持じゃア、大き
真実を尽すが、なれどもお互いに此の気の置けぬ様に生涯
きょうだい
に御苦労を掛けましたが何うも仕方がない、不思議の因縁
一つ処に居る事は、□□れて居ないでは居られるものでは
い
じゃアに依って山之助さん、お前さん方も月岡まで寺参り
ないなア、 本 が他人じゃアが年を取って居るから 亭主 に成
ていし
に往って下さい、 私 も比丘を葬りました其のお寺で法事で
ろうとは云わぬが、 只 た一度でも□触れて居れば、是から
もと
も為 て貰いたい、よく〳〵因縁の悪いと見えてまア是れ情
先お前が亭主を持とうとも、どう成っても 其処 が義理じゃ、
わし
ない、出家を遂げても剣難に遭うて死ぬは、何ぞ前世の約
追出しもせまい、是程まで思詰めたから只た一度云う事を
そ こ
束で有りましょう、実に胸が痛うて成らん、お酒を一杯下
聴いて下さい﹂
にら
たっ
さらんか﹂
と云われ余りの事に腹が立ちますから起上って、おやま
し
と 其様 な事を云っては酒ばかり飲んで居りますが其の夜
は又市の顔を 睨 みつけ、
そ ん
部屋に這入って寝ますと、水司又市はぐう〳〵と 空鼾 を掻
やま﹁只た今出て行って下さい、呆れたお方だ、怖いお方
そらいびき
いて寝た振りをして居ります。山之助おやまも寝ました様
いや
だ、何ぞと云うと命を助けた疵が出来たと恩がましい事を仰
うしろ
子でございますから、そうッと起きまして、おやまの寝て
しゃって猥 らしい、此の間は御酒の機嫌と思いましたが、今
ては実に困ります、そんなお方とは存じませんで伯父も見
きちがい
居ります 後 の処へ来まして、横にころりと寝まして、おや
の様子のは御酒も飲まずに 白面 の狂
人 、そんな事を仰しゃっ
損じました、 只 た今出て行って下さい﹂
さま
やま﹁何をなさる﹂
又﹁お前、何で私 が是程まで惚れたに愛想尽しを云って、年
しらふ
まの□□襟の間へ手を入れましたから。おやまは眼を 覚 し、
又﹁静かに﹂
を取って男は 醜 くも、それ程まで思うてくれるか憫
然 な人
いや
わる
わし
たっ
やま﹁えゝ恟 り致しました、何をなさるので﹂
という 情 がなければ成らぬが何んで其の様に憎いかえ﹂
びっく
又﹁おやまさん、私 はお前さんに面目ないが、実は命がけで
ん
ふびん
年にも恥じずお前さんに惚れました、それ故に此の間酔っ
四十三
あいそづか
わし
た紛れに 彼様 な猥 らしい事を云かけて、お前さんが腹を立
じょう
てゝ 愛想尽 しを云うたが、何と云われても致し方はないと
やま﹁はい、あのお前さんが情知らずのお人かと存じます、
あ
私は真実お前に惚れて、是からは何処へも行く処はない身
うち
の上じゃアに依って、私がお前さんの 家 の厄介者になり、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
あした
こ
ゝ
帰られませんわ、さア 此処 に私の刃物がある﹂
にょうぼ
惠梅様と云う 女房 が災難で切殺されて、 明日 法事をなさる
いや
やま﹁あれ、脇差を持っておいでなすったね﹂
ゆ
そ ん
又﹁さア、可愛さ余って憎さが百倍で殺す気に成るが、何
た
わたくし
と云う、お寺参りに 往 く身の上じゃア有りませんか、その
じょう
うち
房 が死んで七日も 女
経 たぬ中 に、私 に其
様 な猥 らしい事を
うじゃア﹂
にょうぼう
言掛けるのは、 余 り情 のない怖ろしいお方と、ふつ〳〵貴
やま﹁これは面白い、はい、私が云う事を聴かない時は殺
あんま
方には 愛想 が尽きました﹂
すとは恐ろしいお方、さア殺すならお殺しなさい﹂
又﹁これさ、何うしてお前が可愛くって殺せやあせぬ、殺
わし
やま﹁え⋮⋮﹂
すまでお前に惚れたと云うのじゃ﹂
あいそ
又﹁惠梅も憎くはないが、実は 私 が殺したのじゃア﹂
又﹁さア、斯 う私 が悪事を打明けたら致し方はない、実は
やま﹁何を仰しゃる、死ぬ程惚れられても私は厭だ、誰が
わし
私が殺したのじゃア、お前此の間何と云うた、惠梅さんと
云う事を聴くものか、厭で〳〵愛想が尽きたから行って下
こ
云うお方は貴方の女房じゃアないか、 彼 のお方に義理が立
さいよう﹂
あ
ちません、私の云う事は聴かれませんと云うから、惠梅が
又﹁愛想が⋮⋮本当に切る気に成りますぞ﹂
やま﹁さアお切りなさい﹂
こちら
なければ云う事を聴こうかと思うて、殺して 此方 へ帰って
来たのじゃア、何うじゃア﹂
又﹁ 然 う云われても殺す気ならば、是ほど思やアせんじゃ
そ
やま﹁まアどうも怖いお方でございます﹂
アないか、えゝか、ほんに云う事を聴かぬと、 私 は思い切っ
おど
わし
と 慄 えながら云うのを山之助は寝た振りをして聞いて居
て切りますぞ﹂
ふる
りましたが、うっかり口出しも出来ぬから、何うしよう、
と 嚇 す了簡と見えて、道中差を四五寸ばかり抜掛けまし
いろ〳〵
た。是を見るとおやまは驚きまして、
い
こっそり抜出し、伯父の処へ駈けて 往 こうかと種
々 心配し
て居りますと、
やま﹁あれえ人殺し﹂
たぶさ
又﹁お前これ程まで云うても云うことを聴かれぬか﹂
と
と云って駈出しました。山之助も驚き飛上り、又市の 髻 た
やま﹁聴かれません、怖くって、恐ろしい、お置き申すわ
を 把 って、
あね
けにはいきません、 只 った今おいでなすって下さい﹂
山﹁ 姉 さんを何うする﹂
一三
かゝ
と引きましたが、引かれる途端に斯う脇差が抜けました。
時は仕方がない、今こそは寺男な
又﹁云う事を聴かれぬ
わし
れども、元私 は武士じゃア、斯う言出して恥を掻 されては
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
事を 訴人 すると心得ましたから、人を殺し又悪事を重ねて
と駈出しますのを又市は、人殺しと云うは惠梅を殺した
やま﹁人殺しイ﹂
方 は抜身を見たから、
一
多﹁あゝ情ない事をした、そんな悪人とは知らずに、恩返
虫の息になって居る処へ伯父が参り、
は水司又市で、お山は余程の 深傷 でございますから、もう
の百姓衆が集って来ましたが、何分にも刃物は 利 し、 斬人 て、何
処 を何う潜 ったか、窃 かに川を渡って逃げた跡へ村方
きまして、多勢の百姓共に 取捲 かれては一大事と思いまし
とりま
も己 の罪を隠そうと思う浅ましい心からおやまを 遣 っては
しの為だから丹誠をして恩を返さんければならぬと云って、
かた〳〵
成らぬと山之助を 突除 けて土間へ駈
下 り、 後 から飛かゝっ
に行 直 こうと云うのを無理に留めたが、それが現在自分の
おのれ
あたり
たけぼら
ゆ
ようや
そば
ひそ
て、おやまの肩へ深く切掛けました。おやまは前へがっぱ
連れて来た比丘まで殺して、其の上無理恋慕を言掛けて此
しっか
くゞ
と倒れる、山之助は姉の切られたのを見て驚き、うろ〳〵
の始末に及ぶと云うは 悪 い奴、お山何か思い置く事が有り
ど こ
して 四辺 を見廻しますと、枕元に合図の 竹法螺 が有ります
はしないか﹂
ねえ
や
こ
ゝ
きりて
から、是を取って切られる迄もと、ぶうー〳〵と竹法螺を
と云うと、山之助も涙ばかり先立ち、胸が閉じて口を利
あるい
よ
吹きました。 山家 では 何方 にも一本ずつ有りまして、事が
く事も出来ませんが、 漸 くに気を取直して。
たんと
かつ
い
ふかで
有れば必らず是を吹きますから、山之助が吹出すと 直 隣で
山﹁ 姉 さん〳〵確 りしてお呉んなさいよ、今お医者様を呼
そにん
ぶうーと吹く、すると又向うの方でぶうーと云う、一軒吹
びに 遣 りましたから、確かりしてお呉んなさいよ﹂
いえかず
かりゅうど
や
出 す と 離 れ て 居 て も 山 で 吹 出 す 、川 端 の 家 で も 吹 出 す と 、
と云う。伯父もお山の 傍 へ参り耳に口を寄せて、
すきくわ
うしろ
村中で 家数 も 沢山 は有りませんが、ぶうー〳〵と竹法螺を
多﹁お山やア〳〵しっかりして呉れよ﹂
かけお
吹出し、何事かと 猟人 も有るから鉄砲を 担 ぎ、又は鎌或 は
と呼びまする。その声が耳に 入 ったから、がくりッと心
つきの
鍬 鋤 などを持って段々村中の者が集まるという。これから
付いて、起上って見ると、鼻の先に伯父が居り弟も居りま
すぐ
水司又市を取押えようとする、山之助おやま大難のお話で
すが、もう目も見えなくなりましたが、やっと這出して山
ね
にく
ございます。
之助の手を握り、
どちら
やま﹁山之助﹂
やまが
四十四
山﹁あい 姉 さん確かりしてお呉んなさいよ伯父さんも 此処 たけぼら
じき
あね
水司又市は十方でぶう〳〵〳〵〳〵と吹く 竹螺 の音 を聞
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
はいけないぞ﹂
の傷では死にやアしなえから、必ず気を丈夫に持たねえで
多﹁あい此処に居りやすから心を 慥 かに持ってな、此の位
やま﹁伯父さん﹂
お呉んなさい﹂
遣ります、姉さん今にお医者様が来ますから、確かりして
て、簀
巻 にして川へ投 り込むか、生
埋 にして憂
目 を見せて
市の跡を 追手 を掛けましたから、今にお前さんの 敵 を捕え
へ来て居ますよ、村方の百姓衆も大勢来て、手分をして又
やま﹁ 若 しお父様が御無事でお帰りが有ったら、私は災難
山﹁あい決して忘れやしません、姉様確かりして下さいよ﹂
やま﹁ 汝 も武士の忰だ、心に懸けて又市の顔を忘れるな﹂
山﹁あい見忘れはしません﹂
榊原の家来だと云ったが、彼奴の顔は見忘れはしまいなア﹂
は、又市の額には葉広山で受けた 創 が有るし、元は彼
奴 も
やま﹁はい私は何うも助かりません⋮⋮山之助や、は、は、
に成って親父に逢おうと云う心で無くちゃアならないぞ﹂
死なれては、年を取った己は何も楽みが無いだ、よう達者
より優しくして呉れたから、力に思って居るのに、今 汝 に
くざ阿魔で力に成りやアしねえから、お 前方 二人が実の娘
めえがた
やま﹁あい伯父さん、永々御厄介になりまして、十六年あ
で悪人の為に非業な死を致しました、一目お目に懸らない
とっさま
たし
うち
っかさま
うきめ
あと
かわ
も
の
あいつ
われ
とにお 父様 が屋敷を出て行方知れずになってから、親子三
のが残念だと云って、お父様に先だつ不孝のお詫をしてお
とて
かたき
人でお前様のお世話になり、其の 中 お母
様 も亡くなってか
呉れ﹂
おって
らは、山之助も私もお前様に育てられ、お蔭で是れまでに
と後 を言い残して、かかかかかっと続けて云うのは、 咽喉 いきうめ
大きく成りましたから、山之助に嫁を貰って、私はお前 様 が 涸 くから水をと云いたいが、口が利けなくなって手真似
どうぞ
ほう
のお力になり、御恩を送る積りで居りましたが、何の因果
を致します。伯父が是を見て、
すまき
か悪人の為に、私は伯父さんもう 迚 も助かりません、これ
多﹁咽喉が涸くだから、水を飲ましたら宜かろう﹂
きず
まで信心をして、 何卒 御無事でお父様がお帰り遊ばすよう
と手負いに水を与えてはならぬと申す事は 素 より心得て
いまわ
てまえ
にと、無理な 願掛 を致しましたが、一目お目に懸らずに死
居りまするが、伯父は心ある者で、もう 迚 も助からぬから、
さん
にまするのは誠に残念でございます、私の無い跡では猶更
終 の別れと水を飲ませるのが此の世の別れ、おやまはそ
臨
ど
身寄頼りの無い弟、何卒目を掛けて可愛がって遣って下さ
れなり息が絶えました。これを見ると山之助はわっと其の
がんがけ
い、よ伯父さんお頼み申しますよ﹂
場に泣倒れます。なれども伯父は、
ほか
もと
多﹁あいよ、そんな心細い事を云って己も娘ばかりでござ
とて
りやすし、外 に身寄頼りの無い身の上、娘はあの通りのや
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ゝ
和﹁あいまア 此処 へ来なさい﹂
こ
多﹁何うも致し方が無い、幾ら泣いても姉の帰るものじゃ
萬﹁へえ御免を蒙ります﹂
ほか
アないから諦めるが宜い、若し貴様が煩うような事が有っ
とこ
和﹁さて萬助どん、 外 の訳じゃア無いが、まアお前の頼み
わし
ては己が困る﹂
じゃて﹂
ふじや
に依って 私 が処 へ逃込んで来て、何う云うものか、それな
萬﹁はい〳〵〳〵、何うも御厄介でござりまして、誠にはア
い
と云い、村方のお百姓衆も色々と云って山之助に力を附
りにずる〳〵べったりに成って 居 るのは、藤
屋 の娘のお繼
が貧乏な 私 日傭取 で、育てる事も出来ませぬなれども、私
ようや
け、漸 くの事で村方の寺院へ野辺の送りを致しました。
四十五
の主人の娘で 何 の様 にもとは思いましたが、ついはや 好 い
ど
ひようとり
気になって和尚様へ 押付放 しにして 何 ともお気の毒様、へ
わし
扨 お話二つに分れまして、丁度此の年越中の国射水郡高
え誠に有難い事でござりまして、若し 此方 が無ければ致し
こっち
りこう
おしつけぱな
にげこ
あんばい
ゆ
わかしゅあたま
わし
よ
岡の大工町、宗円寺といふ禅宗寺の和尚は年六十六歳にな
方のないわけでござります﹂
よう
る信実なお方で、萬助という 爺 を呼びに遣 ります。
和﹁誠に 彼 は怜
悧 な者でなア、此処へ遁
込 んでから、 私 が
さて
和﹁おゝ萬助どんか、来たら 此方 へ這入りなさい﹂
手許を離さずに側で使うて 居 る、私が 塩梅 悪いと夜も寝ず
なに
萬﹁へへえ何うも誠に御無沙汰を致しました、 一寸 上らん
に看病をする、両親が無いとは云いながら年の 行 かぬのに、
とて
しり
こなた
ければならぬと存じましたが、盆前はお忙がしいと思いま
あゝ遣 って他人の世話をするのは実に感心じゃ、実にそりゃ
わし
や
して、それ故にはア存じながら御無沙汰を致しました、そ
ア立派な者も及ばぬくらい、それで私は彼が可愛いから、
じゞい
れに又 婆 が病気で足腰が立ちませんで、 私 もまア 迚 も〳〵
小さい時分から袴を着けさせて、檀家へ 往 く時は必ず供に
としやみ
こ
あれ
助からぬと思って居ります⋮⋮なに最う取る年でござりま
連れて 行 くと、彼も中々気象が勝って居て、男の様で、ベ
あと
ちょっと
すから致しかたは無いと思いますが、私が先へ死んで婆が
タクサした女の様な事が嫌いだから、今迄は男のつもりで
ど
い
へ残って呉れなければ都合が悪いと、へえ存じますが、
後 過ぎたが、もう今年は十六歳じゃ、十六と成っては 若衆頭 どない
ゆ
何うも婆の方が先へ死にそうで⋮⋮いゝえなに 老病 でござ
でも 何処 か女と見え、 臀 もぼて〳〵大きくなり、乳房もだ
や
りましょうから、思うように宜くはなりません、それ故に
ん〳〵大きくなって何
様 な事をしても男とは見えないじゃ、
ばゝあ
御無沙汰を、えゝ只今急にお使で急いで出ましたが、何か
ゆ
御用で﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
金が出来たから、支度をして相当の処へ縁付けたいと思っ
金も有るじゃ、それに又少し足して、十両二十両と 纒 った
り、私も永く使った事だから、給金の心得で 貯 けて置いた
けて少しも無駄遣いはせんで、私の手許に 些少 は預りもあ
ら、少し 宛 の貰い物もある、処が小遣や着る物は皆私に預
ら縁付けたいと思って居ると、彼も方々で可愛がられるか
誠に何うも困るて、それからまア何うか相当の処が有った
にして 彼 の娘を 夜 さり抱いて寝るなどゝ云う者も有るで、
すると中には口の悪い者が有って、和尚様はまア男の積り
知らぬ奴が有りますか﹂
和﹁なにそう云う事を聞きましたも無いもの、西国巡礼を
萬﹁成程、へえ成程、そう云えば 左様 いう事を聞きました﹂
和﹁なに西国巡礼だ、西国巡礼と云って西の国を巡 るのじゃ﹂
萬﹁はいイ大黒巡礼と申しますると﹂
和﹁何処と云って、まア西国巡礼だろう﹂
う﹂
いと巡礼に成って、一体まア 何処 へ 行 く気でござりましょ
萬﹁こりゃアとんだ事で、何うも 此方様 の御恩を忘れてぷ
て居るのは心配じゃから、お前に此の事を話すのじゃ﹂
へでも 行 こうと云う心かと思うが、それに就いても預かっ
い
て居るのじゃ﹂
萬﹁和尚様、どうぞ一
寸 お繼を此
処 へお呼なすって下さい﹂
よ
萬﹁それははや有難い事でござります、それ程に 思召 して
和﹁あい呼びましょう⋮⋮繼や居るか﹂
あ
下さりますとは、何とお礼の申し様もないでござります、
繼﹁はい⋮﹂
あいつ
の
ゆ
く
おぼしめ
しき
こ
ゝ
そ
う
い
こなたさま
はい〳〵何うも有難い事でござります﹂
とは云ったが次の間で話を聞いて居りましたから、これ
わらじ
ほうたつ
こ
和﹁就いてなア 彼奴 は何ういう訳だか知らぬが、この高岡
は何でも叱られる事かと思いましたが、つか〳〵〳〵と出
こしら
きゃはん
ど
に永く居る気は無いと見えてなア遠くへでも 行 く心が頻 り
て来て和尚の前へ両手を突きます。⋮⋮見ると 大髻 の若衆
ずつ
と支度をして、 草鞋 を造る処へ行って、足を 噛 わぬ様に何
頭、着物は木綿物では有りまするが、生れ付いての器量 好 どうぎょうににん
ちっと
うか五足 拵 えて呉れえとか、菅 の笠を買うて来て、 法達 に
しで、芝居でする久松の出たようです。
おいずる
おおたぶさ
めぐ
頼んで 同行二人 と書いて呉れえとか、それから白の 脚半 も
まとま
拵え 笈摺 も拵えたから、何でも西国巡礼にでも出るという
四十六
いや
ちょっと
様子でなア﹂
すげ
萬﹁へえそれは〳〵何で 其様 な馬鹿な事を致しますえ﹂
繼﹁お呼び遊ばしましたのは⋮⋮おや叔父さん宜く﹂
よ
和﹁何ういう訳か知らぬが、まア此処に居るのが 厭 なので、
そ ん
並の女では旅が出来ぬから、巡礼の姿に成って故郷の江戸
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
にか西国巡礼を始めるという事だが、何うも飛んだ話だぜ、
萬﹁宜くたってお前急にお人だから来たんだ、おいお前な
工町に世帯を持たしたが、引込むくらいだから何も出来や
で来なすった、それで私は銭も何も有りやアしないが、大
のだが、お前のお 父 さんが 意気地 なしだから 此方 へ引
込 ん
るに相違ない、えゝ私は永い間お 祖父様 の時分から勤めた
じいさん
和尚様の御恩を忘れては済まないじゃア無いか、それで和
アしない、それから和尚様の御丹誠で悪党の一件の 後 の始
あと
ひっこ
尚様は預かってる者が居なくなると困るから、 私 を呼んだ
末を附けられないのを、皆御丹誠下すった、それを今お前
ひしゃく
こっち
と仰しゃるのだ、全体お前、何だって巡礼に出るのだえ、誰
がぷいと行ってしまっては和尚様に済まない、己も亦方丈
いきなり
じ
か其
様 な 事を勧めたのかえ﹂
様に済まない、済まないよ、方丈様によ﹂
わし
い く
和﹁まア待ちなさい、お前のように半ばから 突然 に云い出
和﹁まア〳〵そう小言を云いなさるな⋮⋮お繼何も隠さい
あるい
とっ
しても、繼には分りゃアしない、始めから云いなさい﹂
でも宜い、何ういう訳で白の脚半や 笈摺 や柄
杓 を買ったの
わし
萬﹁私 は気が短いもんですから、 突然 出
任 せに云いますの
だの、大方巡礼にでも出る積りであろうが、何の願いが有っ
一四
で⋮⋮えゝお繼お前何ういう訳で巡礼に出るのだえ、十二
て西国巡礼をするのじゃい、巡礼と云えば乞食同様で、野
そ ん
の時から御厄介になって十六まで和尚様が御丹誠なすって、
に 臥 し山に寝、或 は地蔵堂観音堂などに寝て、そりゃもう
いきなり で ま か
全体お前は両親が無いじゃアないか、そこを和尚様が御丹
こしら
おいずる
誠 な す っ て 下 す っ て 誠 に 有 難 い こ と だ 、そ れ の み な ら ず 、
難行苦行を積まなけりゃア中々三十三番の札を打つ事は出
ふ
もう年頃に成るから永く置いてはいけないから、相当な処
来ぬもんじゃ、何う云うものだえ、巡礼に出るのは﹂
いますれば、お隠し申しは致しません、叔父さん⋮萬助さ
そ
へ縁付けたいと仰しゃってる、男の積りにして有ったがも
繼﹁はい 然 う旦那様が笈摺を 拵 えた事までも御存じでござ
んお前さんにも永々御厄介に成りましたけれども、私の親
しり
う十六七に成れば 臀 がぶて〳〵して来るし、乳も段々とぽ
ちゃ〳〵して﹂
父を殺して逃げたのは、永禪和尚と 継母 お梅の両
人 に相違
ふたり
和﹁これ萬助どん、余計なことを云わいでも宜いわな﹂
ございません、小川様のお調べでも親を殺したのは永禪和
まゝはゝ
萬﹁でも貴方の仰しゃった通りに云うので⋮⋮それで段々
尚と分って居り、永禪和尚は元は榊原様の家来で水司又市
わし
きん
女に見えるから 嫁 けたいと云って支度の 金 までも出して下
と申す侍と云う事も、小川様のお調べで分って居りますが、
かたづ
さる、それをお前が無にして行 かれちゃア私 が申訳が無くて
お父さんが非業に殺され堂の縁の下から死骸が出ましたの
い
ゆ
困る、何だってまた、西国とは何だえ、西国とは西の国だ、
きっと
そんな遠い処へひょこ〳〵行 こうと云うのは屹
度 連れが有
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
何うかお父さんの 敵 を打とうと思いましても、十一や十二
がり、枕紙の濡れない晩は一晩もございません、それで
塞 ません、実に悔しいと思いまして、夜も枕を付けると胸が
を見てから、寝ても覚めても今迄一 時 も忘れた事はござい
れは 止 すが 宜 いとは云い悪 うござりますが、何うしたら宜
此の子も口
惜 しいと見えます、もし旦那様、 私 も何うも、そ
かぬ身の上で、お父さんの敵を討ちたいというのは 行 善々 萬﹁どうも、飛んだ事を云い出しました⋮⋮敵討⋮⋮年の
萬助﹂
とき
では 迚 も打つことは出来ませんが、もう十六にも成りまし
うございましょう﹂
よ
わし
うちおわ
い
や
よく〳〵
たし、お弟子さんのお話に三十三番札所の観音様を巡りさ
うちおさ
い
えすれば、何 んな無理な願
掛 けでも屹
度 叶うということを
四十七
ふさ
聞きまして、何うせ女の腕で敵を打つ事は無理でございま
ゆ
いわゆる
くりき
わし
すが、三十三番の札を 打納 めたら、観音様の功
力 で敵が打
和﹁これは何うも 留 ることは出来ぬなア、思い立ったら 遣 ひしゃく一五
く や
てようかと存じまして、それ故私は西国巡礼に参りたいの
るが宜い﹂
かたき
で、実は笈摺も柄
杓 も草鞋までも造ってございますから、
萬﹁遣るたって何うも 私 は主人の娘が敵討をすると云うな
そ こ
のぞみ
にく
誠に永々お世話様に成りましたのを、ふいと出ては恐れ入
ら、一緒に 行 きてえのだが、今いう通り婆が死に掛って居
ひま
よ
りますが、いよ〳〵参る時はお断り申そうと思って居りま
るから、それを置いて行く訳にもいきませんが、一人で 行 とて
したところ、ちょうど只今お話が出ましたから隠さずにお
かれましょうか﹂
どうぞ
きっと
話し申します、 何卒 叔父さんからお 暇 を頂いて巡礼にお出
和﹁いや 其処 は所
謂 観音力で、何 んな山でも何んな河でも
いんしん
がんが
しなすって下さい、私は江戸に兄が一人有りまして、今で
越えられるのが観音力じゃ、敵を討ちたいという 的 が有っ
ど
は音
信 不通、縁が切れては居りますが、その兄が達者で居
て信心して札を打てば、観音の 功力 で見事敵を討
遂 せるだ
くりき
りますれば、それが力でございますから、兄弟二人で敵を
ろう、こりゃア 望 の通り立たせるが宜 い﹂
いず
いとま
こ
とめ
打ちまする心得、 何 れ無事で帰って来ましたら、御恩返し
萬﹁はい〳〵〳〵﹂
かたきうち
わし
ゆ
ど
も致しましょうから、何卒叔父さん和尚様にお 暇 を頂いて
和﹁じゃア 斯 うしよう、是は追々に預かった小遣の貰い溜
たんと
まと
討 にお 敵
遣 りなすって下さいまし﹂
有ります、 沢山 持って行 くのは危いから、襦袢の襟や腹帯
め、また別に 私 が遣りたい物もあり、檀家から貰うた物も
お
よ
萬﹁旦那様え、敵討え、旦那様﹂
や
和﹁いやはや何うもえらい事を云い 居 るな、何うじゃろう
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
いくつ
これ〳〵
男は何でも坊主で、女は 何歳 ぐらい、是
々 是々と云うこと
す
が、ぷいとお繼の耳に這入ったから、 扨 はと 直 ぐに川口へ
さて
に縫い付けてなア、旅をするには重いから、軽い金に取換
来て尋ねると、つい 先日 出立したと云うことを聞きました
さきのひ
えて、そうして私が路銀に足して二十両にして遣ろうかえ﹂
ゝ
繼﹁有難う存じます﹂
こ
から、さては山越しをして信州路へ掛ったのではないかと
わし
萬﹁私 も遣りてえが、銭がねえ、 此処 にある一分二朱と二
思いまして、信州路へかゝりましたが、更に手掛りがござ
いませんから、信州路へ這入って善光寺へ参詣をいたし、
みんな
百文、これを 皆 遣ってしまおう、さ私は是れが一生懸命に
善光寺から松本へかゝって、 洗馬 という宿 へ出ました。洗
にいがわ な
ごえいか
わかしゅあたま
むこうがわ
とりいとうげ
うっかり
いでたち
よくちょう
しゅく
遣るのだ﹂
馬から 本山 へ出、本山から 新川 奈
良井 へ出て、奈良井から
ば
繼﹁有難う存じます﹂
原 へ参りまするには、此の間に 藪
鳥居峠 がございます。其
せ
是から檀家へ此の話を致しますると、孝行の徳はえらい
の日は洗馬に泊りまして、 翌朝 宿を立って、お繼が柄杓を
い
もので、 彼方此方 の檀家から大
分 餞別が集まって、都合三
持って向う側を流して居ると、その 向側 を流して行 く巡礼
ゆきおろ
ら
十両出来ました。その内二十両はぴったりと腹帯肌襦袢に
がある。と見ると、是も同じ 扮装 の 若衆頭 、白い脚半に甲
こうがけわらじ
ごほうしゃ
もとやま
縫付けて人に知れぬように致し、着慣れませぬ新らしい笈
掛草鞋笈摺を肩に掛け、柄杓を持って 御詠歌 を唄って巡礼
やぶはら
摺を 引掛 け、 雪卸 しの 菅 の笠には同
行二人 と書き、白の脚
に 御報謝 を⋮はてな 彼 の人も一人で流している、私は随分
あわ
だいぶ
半に甲
掛草鞋 という姿で、慣れた大工町を出立致しまする。
今まで諸方を流して慣れてるから、もう此の頃はそんなに
あちらこちら
其の時には土地の者も 憐 れに心得て、とうとう坂井まで送
旅も怖いと思わぬが、彼の人は未だ慣れない様子、誰か 連 で
こちらがわ
いとま
ゆ
り出したと申す事でござります。これから 先 高田へ来まし
もある事か、それとも一人で西国へ参詣をするのか、 矢張 どうぎょうににん
たのは、水司又市は以前高田藩でございますから、 若 しも
三十三番の札を打ちに 行 く人では無いかと思いましたが、
とん
すげ
隠れて居りはせぬかと、高田中を歩きましたが、少しも心
道中の事で気味が悪いから、 迂濶 と尋ねることも出来ませ
ひきか
当りがございませんから、此処を出立して越後路を捜した
ん。その 此方側 を流して通ると云うのは、白島山之助が姉
あ
が、頓 と手掛りが有りません。だん〳〵尋ねて新潟へ参る
の敵を討ちたいと申して、無理に伯父に 暇 を乞うて出立し
ど ん
やっぱり
つれ
と、新潟は御承知の通り人出入りの多い処でございますか
た者、山之助も向うへ巡礼が来るなと思いましたけれども、
も
ら、だん〳〵諸方を歩いて聞きますると、人の噂に川口に
知らぬ人に言葉を懸けて 何様 な事が有るかも知れぬ、姿は
くッつきあ
まず
は不思議な尼がある、寺男がお経を教えて、尼が教わると
ゆ
いうことだが、大方あれは 野合 って逃げた者であろう、寺
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
こしらえ
の脚半に甲掛、草鞋という如何にも旅慣れた 扮装 、
なら
侍﹁是々巡礼落合へ 行 くなら是を左の方へ付いて行け﹂
あたり
い
しばら
まっくら
ゆ
優しいが油断は 成 ぬと思って言葉を懸けません、其の晩は
繼﹁有難う存じます﹂
の
ねざめ
みちのり
鳥居峠を越して 宮之越 に泊りましたが、丁度八里余の 道程 と是から教えられた通り左へ付いて行くと、何処まで行っ
みやのこし
でございます。翌朝お繼は早く泊りを 立出 でゝ、 前 申す巡
てもなだれ上 りの山道で、見
下 す下の谷
間 には、渦を巻いて
すはら
せん
礼と両側を流し、向うが 此方 へ来れば、此方が向側と云う廻
どっどと落す谷川の水音が凄まじく聞えます。日はとっぷ
たちい
り合せで、両側を流しながら 遂々 福島を越して、 須原 とい
りと暮れて 四辺 は 真暗 になる。とお繼は気味が悪いから誰
こちら
う処に泊りましたが、宮之越から此処迄は八里半五丁の道
か人が来れば 宜 いと思うと、後 の方からばらばら〳〵〳〵
み
うしろ
たにあい
程でございます。斯様に始終両側を流して同じ宿には泊り
〳〵
おちあい
や
みおろ
まするが、なれども互いに怖くて言葉を掛けません。これ
﹁巡礼、巡礼 暫 く待て﹂
まごめ
そ
よしずばり
あが
から皆様御案内の通り福島を離れまして、 彼 の名高い 寝覚 と云われたが真暗で誰だか分りません。
くにざかい
とう〳〵
の里を 後 に致し、馬
籠 に掛って落
合 へまいる間が、 美濃 と
ではず
じっきょくとうげ
か
信濃の 国境 でございます。此の日は落合泊りのことで、少
四十八
あと
し遅くは成りましたが、急ぎ足ですた〳〵〳〵〳〵と馬籠
ゆ
え
の宿を 出外 れにかゝりますると、 其処 には 八重 に道が付い
こっち
こ
て居て、 此方 へ往 けば 十曲峠 ⋮⋮と見ると其処に 葭簀張 の
侍﹁これ巡礼﹂
かけぢゃや
茶屋 が有るから、
掛
繼﹁はい〳〵〳〵﹂
てめえ
繼﹁少々物を承わりとう存じますが、これから落合へまい
どなた
典﹁思い掛けねえ、 手前 久振で逢ったなア﹂
た
りますには何う参りましたら宜うございますか﹂
へッつい
繼﹁はい 何方 でございます﹂
しき
と云いましたが、婆さんは耳が遠いと見えて見返りもせ
ひど
侍﹁何方もねえもんだ、己は桑名川村にいた柳田典藏だが、
てめえ
の姉のお蔭で苛 汝 い目に逢って、あれまで丹誠した桑名川
こちら
ずに、 頻 りに土
竈 の下の火を焚 いて居りますから、また、
村に 居 られないように成ったのだ、その時は家財や田地を
ゆ
繼﹁あの是から、落合へ 行 くには 此方 へ参って宜うござい
売払って逃げる間も無いから、 漸 く有合せの金を持って逃
い
ますか﹂
げて、再び桑名川村へ帰る事も出来ぬような訳だ、その上
ようや
と云うと、奥の方に腰を掛けて居た侍は、深い三度笠を
めくらじま
かぶり、廻し合羽を着て、柄袋の掛った大小を差して、 盲縞 敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
典﹁えゝ何と隠してもいけねえや、ぐず〳〵云わんでさっ
きず
右の手の裏へ傷を受け、その 疵 を縫って養生するにも長く
さと出せ、 若 し強情を張ればたゝんでしまうぞ﹂
ぶっき
わたくし
も
掛ったが、先
刻 己が寝覚を通りかゝると汝が通るから、こ
繼﹁いゝえ 私 はそんな人じゃア﹂
さっき
れは妙だ、何ういう訳で巡礼に成って出るかと思って跡を
﹁えゝ 打斬 ってしまうぞ﹂
一九
典
つ
けて来たんだ﹂
尾 と柳田典藏が抜いたから光りに驚いて、
わたくし
繼﹁はい何方でございますか、人違いでございましょう、 私 繼﹁あれえ﹂
たにあい
と
うしろ
は左様なものではございません﹂
と一生懸命に逃げに掛るのを 後 から、
そ ん
典﹁汝は其
様 なことを云って隠してもいけねえ、先刻おれが
典﹁待て﹂
みのちごおり
笈摺を見たら、信州 水内郡 白島村白島山之助と書いて有っ
と手を 延 して菅笠 の端を 捉 ったが、それでも振払って
ふみはず
二〇
た﹂
逃げようとする 機 みに笠の紐がぷつりと切れる。一生懸命
のば
繼﹁えゝ﹂
に逃げる途端道を 踏外 して 谷間 へずうーん⋮可愛そうにお
わたくし
はず
典 ﹁さ其の通り書いて有るから仕方がねえ﹂
繼は人違いをされて谷へ落ちまする。すると、是を知らぬ
一六
繼﹁いゝえ私 は左様な者ではございません、私は越中高岡
山之助は、是も落合まで 行 く積りで山道へ掛って来まする
あいやど
ゆ
の者で﹂
と、後 からぱた〳〵〳〵〳〵〳〵と追掛けて来たのは、勇
治 よっぽど
てめえ
山﹁左様でがすか﹂
ゆうじ
典﹁えゝ幾ら汝が隠したっても役に立たねえ、姿は巡礼だ
という胡麻の灰。
てまえ一七
おいはぎ
へい
あと
が、 汝 が余
程 金を持ってる事ア知ってる、さ己が 汝 の姉
勇﹁おい〳〵巡礼々々﹂
こ
ゆる
てめえ
の為に 斯 う云う姿になった代りに金を 強奪 って汝を殺すの
山﹁あい﹂
ぬすびと
ふんだく
だが、金を出しゃア命は 宥 して 遣 ろう、おれは追
剥 をする
勇﹁己は 汝 と須原で 合宿 になり、宮之越でも合宿に成った
や
のじゃアねえけれども、この頃では 盗人 仲間へ入 った身の
勇﹁左様でがすかじゃアねえ、これ道中をするには男の姿
者だ﹂
だ、さア金を出せえ﹂
でなけりゃア成らぬと云うので、そういう姿に成ってるが、
のお蔭なん
一八
繼﹁私 は左様な者ではございません、私は其の山之助と云
汝は女だな﹂
上だ、斯う成ったのも実はと云うと、汝兄弟
う者ではございません、私は越中高岡の宗円寺という寺か
わたくし
ら参りました者で﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
えねえ、口の利き 違 様 から外
輪 に歩く処は、何う見ても男
礼の姿に成って来ることが有るが、汝は手入らずの 処女 に
勇﹁隠したってもいけねえや、修行者でも 商人 でも宜く巡
山﹁いゝえ私は男でげす﹂
は白島村に居る時分に、牛を 牽 いたり 麁朶 を 担 いだりして
と山之助が勇治の 頬片 をぽんと打ちました。処が山之助
山﹁何うもいけません、何をなさるのだ﹂
勇﹁無闇が何うする、斯うだぞ﹂
山﹁無闇な事をなさるな﹂
勇﹁何をと云って何うせ 此方 は盗みが商売だから﹂
こっち
のようだが、無理に男の姿に成って居ても乳が大きいから
中々力のある者、その力のある手で横っ面を打たれたから、
あきんど
仕方がねえ﹂
こりゃア女でも中々力がある、滅法に力のある女だと思っ
きむすめ
山﹁何を仰しゃるのだえ、私はそんな者ではございません、
て、
そとわ
全く男でござります﹂
勇﹁何をする、汝がきゃアぱア云やア 拠 ろなく叩き斬るぞ﹂
よう
勇﹁いけねえ、何でも女に違えねえ、今夜己が落合へ連れ
本当に斬る気では有りませんが、 嚇 して抱いて寝る積り
ちげ
て行って一緒に□□□□ようと思って来たんだ﹂
で、胡麻の灰の勇治がすらり抜くと山之助も 脊負 っている
よんどこ
おど
し ょ
かつ
山﹁冗談を云っちゃアいけません﹂
から脇差を出そうかと思ったが、いや〳〵怪我でもして
苞 だ
勇﹁冗談じゃアねえ、汝を宿屋へ連れて行ってから、きゃア
そ
ぱア云われちゃア面倒くさいから、こゝで己の云う事を聴
はならぬ大事の身体と考え直して、
ひ
いたら、得心の上で宿屋へ泊って可愛がって遣るのだ、ぐ
山﹁ 人殺 い⋮⋮泥坊⋮⋮﹂
ほゝぺた
ずッかすると宿場へ遣って永く苦しませるぞ、さア此処は
と横道へばら〳〵〳〵〳〵〳〵。
つと
もう誰も通りゃアしねえ、その横へ這入ると観音堂が有っ
勇﹁この 女 っちょめ﹂
ひとごろし
て堂の縁が広いから﹂
四十九
ません﹂
と 追掛 られて 逃途 がないが、山之助年は十七で身が軽い
ん
勇﹁そんな事を云っちゃアいけないよ、お前が宿に泊って
から、谷
間 でも何でも足掛りのある処へ無茶苦茶に逃げ、
そ
山﹁冗談しちゃアいけません、私は 其様 な者じゃアござい
湯に這入る時に大騒ぎをするから、肌襦袢に縫付けて金を
蘿 などに手を掛けて、ちょい〳〵〳〵〳〵と逃げる。殊
蔦
つたかずら
たにあい
おいかけ
あま
持ってる事もちゃんと承知だ﹂
にげど
山﹁何をなさる﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
に山坂を歩き慣れて居るから、木の根方に足を掛けて歩く
おい巡礼さん何処の巡礼さんか 確 かりしなさいよ、此処は
アないか、此の人は何うしたんだろう、目をまわして居る、
思ったから言葉も掛けなかったが、何うも飛んだ災難じゃ
うと蔦が切れたと見えて、両手に攫 ったなり谷底へ落ると、
せん。何うした事か山之助が足掛りを踏外したから、ずず
とは云っても谷間を歩くのは下手で追掛ける事は出来ま
勇﹁なに此の女っちょ﹂
歯の間から薬を入れ、谷川の流れの水を 掬 って来て、口移
り歯を 喰 しばって居りますから、自分に 噛砕 いて、漸 くに
と貯えの薬を出して、飲ませようと思いましたが、確か
したんだろう、おゝ薬が有ったッけ﹂
の笠も柄杓も此の人のだ、己のじゃアない、だがまア何う
谷の中でございますよ、可愛そうに何うしたんだろう、此
しっ
事は上手です。なれども始めての処で様子を知りませぬか
下には草が生えた 谷地 に成って居り、前はどっどと渦を巻
しにして飲ませると薬が通った様子、親切に山之助が 摩 っ
ほそくて
ら、一生懸命死者狂いになって逃げると、 細手 の勇治は、
いて細谷川が流れます、
て遣りますと、
つかま
山﹁はアー何うも怖い事、伯父さんがそう云った 汝 一人で
繼﹁有難う〳〵﹂
すく
さす
ようや
え敵討をする心でも大胆だ、とても西国巡礼は出来ぬ、
縱 山﹁お前さん確かりなさいよ﹂
あいつ
さ っ き おッこ
てめえ
かみくだ
道中は、怖いもので、昔これ〳〵のことが有ったと云って
繼﹁はい﹂
おッこ
のけぞり
う
くい
意見をなすった、それでもと云って覚悟はしたが怖いなア、
山﹁大丈夫です、私は 胡散 な者じゃアございませんよ、私
ち
こりゃアいけない、柄杓を落してしまった⋮だが 彼奴 はま
はお前さんと 後先 に成って洗馬から流して来た巡礼でござ
ひげつら
や
ア何だろう、私を女と思って居やアがって、無闇と人の 頬片 いますよ﹂
はず
てめえ
へ髭
面 を摩 り附けやアがって⋮⋮おや笠を落してしまった、
繼﹁はい有難う怖い事でございました﹂
たと
仕様が無いなア⋮⋮おや笠は此処に 落 ちてる、先
刻 落
ちる
山﹁成程お前さんは何うなすったの﹂
おッこ
や ち
そ
うさん
みに柄杓を⋮⋮おや柄杓も此処におや〳〵巡礼も此処に
機 繼﹁何うしたんでございますか人違いでございましょうが、
むこうがわ
あとさき
ちてる⋮⋮﹂
落 私が山路に掛って来ると、 後 から大きな侍が追掛けて来ま
ほッぺた
と 谷地 を渡って向うへ 行 きますると、草の上へ 仰向反 に
して、左
様 して私にねえ、汝 は白島の山之助とか何とか云っ
こす
なって居る巡礼が有るから、
て、誠に久しく逢わなかったが汝の姉のおやまゆえに斯ん
あいやど
ゆ
山﹁おう〳〵〳〵〳〵可愛そうに、此の人は洗馬で 向側 を
あと
流して居て、宮之越で合
宿 になった巡礼だ、其の時は怖いと
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
山﹁それは大変、何うもお気の毒様、お前さんを私と間違
繼﹁あの柳田典藏とか云いました﹂
山﹁その男は何と云う奴で﹂
繼﹁はい﹂
白島の山之助と云いましたか﹂
山﹁それはお気の毒様、それじゃア私と間違えられたのだ、
して、此処へ落ちましてございます﹂
脇差を抜いたから、一生懸命に逃げようと思って足を踏外
すると云うから、私は 左様 な者で無いと云いますと、 突然 な浪人に成ったから、汝の持ってる金を取って意趣返しを
思って急いで参りました、お前さんは何方へ﹂
山﹁山道へ掛って様子は知らぬが、落合まで日の 暮々 はと
繼﹁お前さん 何方 へお泊り﹂
山﹁えゝよく似て居りますねえ﹂
繼﹁おや私も西国へ。よく似て居りますねえ﹂
山﹁私は西国巡礼に﹂
繼﹁お前さん 何処 へお出でなさるの﹂
山﹁私の方がお気の毒様だ﹂
繼﹁おやまアお気の毒様﹂
と云って逃げる途端に、足を踏外して此処へ 落 ちたんだ﹂
った処が、脇差を抜いたから、私は一生懸命に泥坊〳〵
打 んと云って私の 頬片 を嘗 めやアがったから、 其奴 の横
面 を
よこつら
えたのでございます﹂
繼﹁私も落合と思って、何うもよく似て居ますねえ﹂
そいつ
繼﹁左
様 でございますか、私はそんな者でないと言いわけ
山﹁えゝ何うもよく似て居ますなア﹂
な
を云っても聞きませんで﹂
繼﹁あなた私を連れて行って下さいませんか﹂
ほっぺた
山﹁そりゃア全く私の間違いです、お⋮前さん女でござい
山﹁えゝ、一緒に参りましょう﹂
ぶ
ますねえ﹂
繼﹁それじゃア 何卒 ﹂
いきなり
繼﹁いゝえ﹂
山﹁一生懸命に 攫 ってお出でなさい﹂
さよう
山﹁それでも今私が抱いて起した時に乳が大きくて、口の
繼﹁何卒お連れなすって下さい﹂
どちら
どうぞ
つかま
しんじんまいり
おっこ
利き様も女に違いないと思います﹂
と互に 信心参 の事でございますから、お互いに力に思い
こ
繼﹁左様でございますか、私は本当は女でございます﹂
思われまして、
ど
山﹁左様でしょう、それじゃア私はお前さんと間違えられ
山﹁何か落すといけませんよ﹂
くれ〴〵
たのだ、私が山道へ掛ると胡麻の灰が来て 汝 は女だろうと
繼﹁はい柄杓も此処に有ります﹂
そ う
云うから、いえ私は女ではないと云うと、そんな事を云っ
てめえ
ても乳を見たから女に違いない、金を持ってるから出せな
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
五十
始りでございます。
ら二人で西国三十三番の札を打ちますと云う、巡礼敵討の
始めての合宿で、互いに同行二人力に思い合って、これか
りまして、これから落合の 宿 に泊ったのが山之助とお繼の
と笠を片手に提 げて、山之助の案内で、漸く往来まで這
登 ずに親切に介抱を致します。山之助は心配をいたして種々
の他人の山之助をば親身の兄を 労 わるように、寝る目も寝
親の敵を討とうと云う位な 真心 な娘でございますから、赤
ません。此の 中 の介抱は皆お繼が致して遣りますが、女で
当を致しますが、何分にも山之助の病気は容易に全快致し
から手当は出来ようと医者を連れて来て薬を貰い、種々と手
る。加納屋の亭主も 種々 心配致しまするが、 連 の者が居る
か、初めて病と云うものを覚えて、どうと枕に 故 就 きます
に立とうと思うと、山之助が慣れぬ旅の心配を致しました
はいのぼ
と申しますると、
さ
山之助お繼は其の晩遅く落合に泊り、翌
朝 になりまして落
繼﹁なに 仮令 半年一年の長
煩 いをなすっても私が御詠歌を
おんたけ ふ し み
かのうや
おおた
おんじゃく
ながわずら
いた
たくわ
ごりやく
つ
合を出立致して、大
井 といふ処へ出ました。これから大
久手 唄って報謝を受けて来れば、お前さん一人位に不自由はさ
よ
せい
久手 へ掛り、 細
御嶽 伏
水 といふ処を通りまして、 太田 の渡
せません、それに私も少しは 儲 えが有るから、まア〳〵決
しゅく
しを渡って、太田の宿の 加納屋 という木賃宿に泊ります。
して心配をなさるな﹂
ひら
うすいとうげ
こと〴〵
よっぽど
つれ
ちょうど落合から是れまでは十二里余の道でございますが、
と 云 っ て 山 之 助 に 力 を 附 け ま す 。ま た 時 々 塩 を 貰 っ て
かけはし
ひ
いろ〳〵
只今とは違って 開 けぬ往来、その頃馬方が唄にも唄いまし
石 を当てる、それは実に親切なもので。すると俗に申す
温
ま ご
うち
たのは木曾の 桟橋 太田の渡し、 碓氷峠 が無けりゃア 宜 いと
通り一に看病二に薬で、お繼の親切が届いて其の年の暮に
つゞらおり
二一
し ょ
まごゝろ
申す唄で、馬
士 などが綱を牽 きながら大声で唄いましたも
は追々と全快致し、床の上に坐って味噌汁位が食えるよう
よくちょう
のでございます。さて時候は未だ秋の末でございますが、
に成りましたから、お繼は 悉 く悦んで、或日のこと、
ゝ
おおくて
此の年の寒さも早く、殊に山国の習いで、ちらり〳〵と雪が
繼﹁山之助さん、今日は余
程 お加減が宜うございますねえ﹂
おおい
降って参りまする。山之助お繼も致し方がございませんか
山﹁お繼さん誠に有難う、私はまア 斯様 にお前さんの介抱を
まず こ
やっぱり
たとえ
ら無理にも出立致そうと思いまするが、だん〳〵と雪の上
受けようとは思いませんかったが、不思議な縁で連に成っ
ほそくて
に雪が積りまして、山又山の 九十九折 の道が絶えまするか
たのも 矢張 笈摺を 脊負 ったお蔭、全く観音様の 御利益 だと
もと〳〵
こんな
なれども 本来 修行の身の上でございますから、雪も恐れず
ら、心ならずも先 此
処 に逗留致さんければ相成りません 、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
山﹁じゃアお繼さん脊中合せに寝ましょう、けれどもねえ
こ
思います、実に此の御恩は死んでも忘れやア致しません﹂
こゝ
女と男と一つ寝をするのは何だか私は極りが悪いし、観音
めぐ
繼﹁何う致しまして、 斯 んな事はお互でございます、お前
様にも済みませんから、 茲 に洗った草鞋の紐が有りますか
そっち
さんも西国巡礼私も西国を 巡 るので、一人では何だか心細
ど こ
ら、是を仕切に入れて置いて、是から 其方 がお前さん、是
ゆ
うございますが、一緒に 行 けば 何処 を流しても同行二人で
から 此方 は私としてお互に此の仕切の外へ手でも足でも出
せなかあわせ
じだい
お互いに力に成りますから﹂
したら、それだけの 地代 を取る事に致しましょう﹂
こっち
山﹁誠に有難いことで﹂
繼﹁それじゃア脊中合せが 温 かいから﹂
あった
繼﹁山之助さん、誠に寒くていけませんし、斯う 遣 って別々
と云うので到頭 脊中合 に成って寝ました処が木曾殿と脊
や
に長く泊って居りますと、蒲団の代ばかりでも高く付きま
中合せの寒さ 哉 で、何処となくすう〳〵風が這入って寒う
かな
すから、私の考えでは蒲団を返してしまって、下へはお前
ございますから、枕の間へ脚半も入れましょう、股引も入
そ う
さんと私の着物などを敷いて 左様 して上に一枚蒲団を掛け
れましょうと云って種々な物を肩に当てゝ、毎晩々々二人
よ
て、一緒に寝る方が 宜 いかと思いますが、お前さん厭でご
そ
こ
なんにょ
じょうあい
で寝る事に成りましたが、斯ういう事は決して遊ばさぬが
よ
ざいますか﹂
い。どんなに堅いお方でも 宜 其処 は 男女 の情
合 で、毛もく
すべ
山﹁えゝ寝ても宜うございますけれども、お前さんが男な
じゃらの男でも、 寝惚 れば 滑 っこい手足などが肌に触れゝ
ねぼけ
ら宜いが、女だからねえ、私は何うも一緒に寝るのは悪う
ば気の変るもの、なれども山之助お繼は互に大事を祈る者、
もと
ございますから﹂
一方は親の敵一方は姉の敵を打とうと云う二人で、 固 より
い
繼﹁何も 宜 いじゃア有りませんか、お前さんの長い煩いの
堅い気象でございますから、決して怪しい事などはござい
ころ
ませんが、だん〳〵親しくなって来ると。
さす
の中へ寝た事もございますよ﹂
繼﹁山之助さん﹂
うち
には私が足を 中 摩 って居ながら、つい転 りとお前さんの床
山﹁左
様 ですかねえ﹂
山﹁あい﹂
さよう
繼﹁本当に費 では有りませんか、是からも未だ長い旅をす
繼﹁私はまア不思議な御縁で毎晩斯う遣ってまア、お前さ
めい〳〵
ついえ
るのに、 銘々 蒲団の代を払うのは馬鹿々々しゅうございま
あった
ざいますねえ﹂
んと一つ夜具の中で寝ると云うものは実におかしな縁でご
ん﹂
すよ、却って一人寝るより二人の方が 温 かいかも知れませ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
て下さいますか﹂
繼﹁私はお前さんに少しお願いが有りますがお前さん叶え
山﹁えゝ 余程 おかしな縁ですねえ﹂
山﹁私もお前さんに力に成って貰いたいと思ってねえ、私
んの志の優しいのは見抜きましたから﹂
私の様な者でも力に成って下さいませんか、本当にお前さ
番の札を打ってしまって、お互いに大願成就の暁には生涯
よっぽど
山﹁何の事でございますか、私は病気の時はお前さんが寝
しんじつ
は 彼様 な煩いなどが有って、お前さんが無かったら大変な
ん
る目も寝ずに心配して看病して下すった、其の御恩は決し
所を、 信実 に介抱して下すったので、お前さんの信実は見
あ
て忘れませんから、私の出来る 丈 の事は 仕 ますがねえ、何
抜いたから、その信実には本当に感心して 惚 る⋮⋮と云う
し
ですえ﹂
訳じゃア無いが、真にお前さんは 好 い人と思って﹂
だけ
繼﹁私は只斯う遣って、お前さんと共に流して巡礼をして
繼﹁えゝ﹂
ほれ
西国を巡りますので、三十三番の札を打つ迄はお前さんも
山﹁だから私は真に力に思って居ますねえ﹂
い
御信心でございますから、決して間違った心は出ますまい
繼﹁そうして斯う男と女と二人で一緒に寝ますと、肌を 触 おんな
ふれ
し、私も大丈夫な方とは思いますが、気が置かれてねえ、
ると云って 仮令 訝 しな事は無くっても、訝しい事が有ると
た と え おか
何か打明けてお話をする事も出来ませんけれども、私も身
じでございますとねえ﹂
同 おんな
寄兄弟は無し、江戸に兄が一人有りますが、これも絶えて
山﹁なにそんな事は有りません、おかしい事が無くて 同 じ
も
と云うわけは有りやアしません⋮⋮だからいけない、互に
おとずれ
信 が無いから、今では死んだか生きたか分りません、 音
若 観音様へ参る身の上だから、 先 に私が別に寝ようと云った
せん
し兄が 亡 い後 は私は全く一粒種で﹂
んだ﹂
のち
山﹁何うもよく似た事が有りますねえ、私も一人の姉が有
繼﹁そんな無理なことを云っちゃア済みませんが、お前さ
な
りましたが、姉が亡くなってからは私も一粒種で、親は有
んも身が定まれば、 何時 までも一人では 居 られないから、
お
ると云っても、十六七年も音信が無いから、死んだか生き
お 内儀 さんを持ちましょう﹂
つ
たか分らぬから、真に私も一人同様の身の上だがねえ﹂
山﹁えゝそりゃア是非持ちます﹂
い
繼﹁不思議な御縁で斯う遣って一緒に成りましたが、三十
み
五十一
三番の札を打って、お互に大願成就してから、私の様な者
か
そ
繼﹁まア何うも、 然 うでございますか、それじゃア三十三
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
でもお内儀さん⋮⋮にはお厭でございましょうけれども、
繼﹁まアお前さん云って御覧﹂
山﹁本当によく似てるねえ﹂
繼﹁ 左様 ⋮⋮よく似て居ますねえ﹂
う
可愛そうな奴だから力になって遣ると仰しゃって置いて下
そ
されば、誠に私は有難いと思いますが﹂
山﹁まアお前から云いなさい﹂
繼﹁ 本 当 に お 前 さ ん が 左様 仰しゃれば真実生涯見棄てぬ、
て呉れゝば有難いねえ﹂
御免を蒙ると云って逃げられると仕様が無いからねえ﹂
山﹁でも一大事を云ってしまってから、お前がそれじゃア
を見棄てないという証拠になるから﹂
繼﹁まアお前さんからお云いなさいな、打明けて云やア私
う
末は夫婦という観音様に誓いを立って⋮貴方も私も 外 に身
繼﹁私は女の口から斯ういう事を云い出すくらいだから、
そ
山﹁そう成って下されば、私の方も有難い、本当に 左様 成っ
寄は有りませんが、改めて 仲人 を頼んで⋮斯うという事に
そんな事は有りませんよ、本当にお前さんを力に思えばこ
う
成りますれば、私は江戸の葛西に伯父さんが有るから、そ
そ、 死身 に成って、亭主と思って、お前さんの看病をしま
そ
の伯父さんが達者で 居 れば、その人がちゃんと身を堅める
した﹂
ほか
時の力になろうと思います、勿論それを 舅 にして始終一緒
山﹁誠に有難う、そう云う訳なら私から云いましょうがね
なこうど
にいる訳でも有りませんが⋮⋮ 左様 なれば私も一大事を打
え⋮実はねえ⋮まアお前から云って御覧﹂
い
明けて云いますから、お前さんも身の上を隠さずに互に話
繼﹁まアお前さんから仰しゃいな﹂
しにみ
をいたしたいと思いますが﹂
山﹁うっかり云われません⋮⋮全体其のお前は何だえ﹂
しゅうと
山﹁左
様 観音様に誓いを立って、私の様な者を亭主に持っ
繼﹁私は元は江戸の生れで、越中高岡へ 引込 んで、継
母 に
そ う
て呉れるなら、私は本当にお前に打明けて云う事が有るけ
育てられた身の上でございます⋮ 誰 か合
宿 が有りやアしま
そ う
れども、 若 し途中でひょっと別れる様な事に成って、喋ら
せんか﹂
あと
あいやど
あいつ
まゝはゝ
れると大変だから、うっかりと打明けて云われないねえ﹂
山﹁あの怖い顔の六部が居ましたが、 彼奴 が立って行って
ひっこ
繼﹁私も打明けて云いたいが一大事の事だから⋮⋮若し男
も居ないよ﹂
誰 も
の変り易い心で気が変った 後 で、他へ此の話をされると望
繼﹁実は山之助さん、私は 敵討 でございますよ﹂
たれ
みを遂げる事が出来ぬと思って、隠して居りますが、本当
山﹁えゝ敵討だと、妙な事が有るものだねえ、お繼さん私
だれ
に私は大事のある身の上﹂
かたきうち
山﹁私も一大事が有るのだよ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
父さんを薪割で殺して逃げました、其の時私は十二だった
前の宗慈寺という真言寺の和尚と間男をして、 然 うしてお
のは越中高岡の大工町に居ます時、継母のお梅と云うのが、
繼﹁私はねお 父 さんの敵を討ちに出ました、その訳と云う
山﹁本当によく似てるが、何ういう敵を討つのだえ﹂
繼﹁あらまアよく似て居ますねえ﹂
も実は敵討で出た者だよ﹂
繼﹁似て居ますねえ﹂
山﹁そりゃア妙な事が有るもんだねえ、よく似てるねえ﹂
が、元は水司又市と云う者で、やっぱり私の尋ねる敵だわ﹂
げた奴も永禪和尚と申しますので、真言寺の住持に成った
繼﹁まア何うも 希代 なこと、私のねえお父さんを殺して逃
間で聞いて知ってるので﹂
惠梅という比丘尼が 嫉妬 をやいて身の上を云う時に、次の
司又市と云う奴⋮⋮その名の分ったのは姉を口説いた時に、
程も分らずに居るが、私の姉を殺した奴も元は榊原藩で水
やきもち
が、何
卒 敵を討ちたいと心に掛けて居る 中 に、もう十六に
とっ
も成ったから、止めるのを無理に暇
乞 をして出て来ました、
五十二
りやく
きたい
三十三番の札を打納めさえすれば、大願成就すると云う事
そ
は予 て聞いて居ますし、観音様の 利益 で無理な事も叶うと
山﹁何うも不思議な事も有るものだ、それじゃア何だね、お
うち
云う事でございますから、目差す敵は討てようと思って居
前のお母さんは坊さんかえ﹂
どうぞ
ますけれども、貴方は男だから、夫婦に成って下すったら
繼﹁いゝえ、私の継母は元は根津の 女郎 をしたお梅という
いとまごい
助太刀もして下さるだろうと、力に思って居りますので﹂
者で、女郎の時の名は何と云ったか知りませんが、又市と
かね
山﹁それは妙だ、私も敵討をしたいと思ってねえ、私は 姉 逃げるには姿を変えて比丘尼に成ったかも知れません﹂
じょうろ
さんの敵だが、それじゃアお前の敵は越中高岡の坊さんか
山﹁これは何うも不思議だ、あの十曲峠で私と間違えてお前
あね
え﹂
を 追掛 けた、あの柳田典藏という奴が私の 家 の姉 さんに恋
あね
繼﹁いゝえ坊さんに成ったのだが、その前は榊原様の家来
慕を仕掛けた所が、姉さんは堅い気象で中々云う事を 肯 か
うち
でございます﹂
ぬから、到頭葉広山へ連れて行って、手込めにしようと云う
おっか
山﹁うん榊原の家来⋮⋮私の親父も榊原藩で可なりに高も
所へ、通り掛ったのが今の水司又市と云う者で、これが親
かみほとけ
き
取る身の上に成ったのだが、何う云う訳か私と姉を置いて
切に姉さんを助けて家へ送って呉れたから、兎も角も恩人
しょうし
して、行方を捜したのだが、今に死んだか生きたか 生死 の
行方知れずに成りましたから、実は姉と私と 神仏 に信心を
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
うち
の事だからと云って家に留めて置く 中 に、水司又市が又姉
どうぞ
さんに恋慕をしかけるから、姉さんは厭がって早く 何卒 し
て突き出そうと思ったが、中々出て行かない、その中に宜
あんばい
い塩
梅 に家を出立したと思うと、お前さんの継母か知らな
さんちゅう
いが、惠梅比丘尼を 山中 で殺して家へ帰って来て、又姉さ
たけぼら
んに厭な事を云い掛けたから、一生懸命に逃げようとする
と、長いのを引抜いて姉さんを切った、それで私は 竹螺 を
吹いて村方の人を集め、村の者が大勢出たけれども、到頭
ようや
又市に逃げられ、姉さんの臨終に云った事も有るから、始
終心に掛けて、 漸 く巡礼の姿に成って旅立をした所が、私
よっぽど
のが
の尋ねる敵をお前も尋ね、お互に合宿になって私が看病を
して貰うと云うのは、 余程 不思議なことで、これは互に 遁 れぬ縁だ﹂
繼﹁あゝ嬉しいこと、何卒私の助太刀をして下さいよ﹂
山﹁助太刀どころじゃアない、私が敵を討つのだから﹂
繼﹁いゝえ私が親の敵を討つのだから、お前さん一人で討っ
ちゃアいけません、私の助太刀をしてしまってから姉さん
の敵をお討ちなさい﹂
山﹁そんな事が出来るものか、何うせ私も討つのだから夫
よ
婦で一緒に斬りさえすれば 宜 い﹂
こ
繼﹁本当にまア嬉しい事﹂
山﹁私も 斯 んな嬉しい事アない、これも観音様のお引合せ
だろうか﹂
繼
たとえ
のが
﹁本当に観音様のお引合せに違いない⋮⋮南無大慈大
二二
悲観世音菩薩﹂
と悦びまして、
山﹁もう斯う打明けた上は、 仮令 見棄てゝも 遁 れぬ不思議
な縁﹂
うち
とこれから山之助は気が勇んで、思ったより早く病気が
つきずえ
全快致しましたからまだ雪も解けぬ 中 を、到頭出立致し、お
い〳〵旅を重ねまして、翌年二月の 月末 に紀州へ参りまし
た。紀州へ参りましたが、一向何も存じませんから、人に
ひかず
たとえ
教わって西国巡りの帳面を見ると、三月十七日から打初め
るのが本当だと云う事で、少々 日数 は掛りまするが、 仮令 こ
ゝ
月日が立とうが敵を尋ねる身の上でございますから、又市
まず
の隠れて居そうな処へ参っては 此処 らに潜んで居ないかと
敵の行方を探しながら、三十三番の札所を巡ります。 先 一
こがわでら
まき
お
番始まりが紀州の那智、次に二番が同国紀三井寺、三番が同
じく粉
川寺 、四番が和泉の 槙 の尾 寺、五番が河内の藤井寺、
なんえんどう
みむろ
かみ
だいごでら
六番が大和の壺坂、七番が岡寺、八番が長谷寺、九番が奈
おうみ
いわまでら
良の 南円堂 、十番が山城宇治の三
室 、十一番が 上 の醍
醐寺 、
うちめぐ
たにくみ
十二番が 近江 の岩
間寺 、十三番が石山寺、十四番が大津の
三井寺と段々 打巡 りまして、三十三番美濃の 谷汲 まで打納
めまする。其の年も暮れ翌年になると、敵を捜しながら、
ちゃく
ほか
段々と東海道筋を下って参り、旅をすること丁度足掛三年
目の二月の五日に江戸へ 着 致しましたが、是と云って 外 に
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
たまげ
でか
婆﹁あれや何うも魂
消 たとも、何うも巨 く成ったアなア、ま
まず
頼る処もございませんから、 先 葛西の小岩井村百姓文吉の
ア宜く尋ねて来たアなア、巡礼に成って来ただかえ﹂
とお〴〵
繼﹁はいお婆さんに逢いたいと思って 遠隔 の処を参りまし
ゆ
処に兄が居りはしまいかと思って、村の入口で聞きまする
えのき
と、それはあの 榎 のある処から曲って行 くと、前に大きな
た﹂
はん
ばき
の 木 が 有 る か ら と 教 え ら れ て 、其 の 通 り 参 っ て 見 る と 、
榛 ばあさま
婆﹁ ま ア 宜 く 尋 ね て 来 た よ 、是 や ア 誰 か 井 戸 へ 行 っ て 水
よ
百姓家は土間が広くしてある、その日当りの 好 い処に婆
様 を汲んで来て⋮⋮足い洗って上りなよ⋮⋮おう〳〵草鞋 穿 わし
が何かして居りますから、
で⋮⋮ 汝 話しい聞いた事ア無かっきアが、これア 私 の孫だ
われ
繼﹁御免なさいまし〳〵﹂
よ、それ江戸へ縁付けて 出来 した娘だ⋮⋮さア足い洗って
で か
男﹁はい何だえ﹂
上るが宜い﹂
こちら
繼﹁あのお百姓の文吉さんのお宅は 此方 でございますか﹂
と云われたから巡礼二人は安心して上へ上り、
こっち
男﹁あい文吉さんは 此方 だが、何だえ﹂
繼﹁御機嫌宜う﹂
も
繼﹁あのお婆さんはお達者でございますか、 若 しお婆さん
と挨拶を致しますると、
ば
は亡くなって、伯母さんでございますか﹂
ほう
こちら
婆﹁お前は全く藤屋七兵衞の娘お繼かえ﹂
じょうろ
うち
あと
わし
えんきり
男﹁婆 アさま〳〵巡礼どんが二人来て、婆アさまに逢いた
繼﹁はい全くお繼でございます、兄は 縁切 で 此方 へ預けら
あれ
いと云って立ってるだ﹂
よ
れた事は承知して居りますが、只今でも達者で居りますか﹂
どなた
婆﹁はい 何方 でございます、巡礼どんかえ、修行者が銭を
婆﹁はあえ、彼 は親父の心得違いで女
郎 を呼ばったで、違っ
いじ
貰いに来たら銭を上げるが 宜 い、知ってる人が尋ねて来た
た中だもんだから、 虐 められるのが可愛そうでならなえか
こちら
かえ﹂
ひっこ
ぶっつぶ
ら、跡目相続の惣領の正太郎だアけれど、私 い方 へ引取り、
いんしん
繼﹁御免なさいまし、貴方が 此方 のお婆さんでございます
信 不通になって、そうしてまア 音
家 い焼けてから跡は 打潰 ゆきかよ
か﹂
ばゝ
れて麻布へ 引込 んだきり行
通 いしない、後 で聞けば遠い国
わし
こ ゝ
婆﹁はい 私 が此
処 の婆 アでございますよ、あんたア誰だか
へ引込んだと云うことで、七兵衞は憎いから心にも掛けなえ
おれ
けれども、己 ア為には真実の孫のあの娘が継母の手にかゝっ
わたくし
ねえ﹂
て居るかと心配して、 汝 が事は忘れた日は無いだ⋮な、え十
われ
兵衞の娘繼と申す者でございます﹂
繼﹁あなたお忘れでございますか、 私 は湯島六丁目藤屋七
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
あと
おい
果した後 で、何うにも斯うにも仕方が無いが、まア真実の 甥 おら
だからと云って文吉も可愛がって居たゞが、嫁の 前 も有る
めえ
八だとえ、己 アはア七十の坂を越して斯う遣って居るだけ
から 一寸 小言を云うと、それなり飛出しやアがって、丁度
ばゝあ
れども、まア用の無いやくざ 婆 だから早く死にたい、厄介
ちょっと
のないように眠りたいと思ってるだが、斯うやってまア孫
よ
三年越し影も形も見せないから、本当に仕方が無いやくざ
じょうろ
く 女郎 を買って銭が欲しい所から泥坊に成る者も有るから
い
が尋ねて来て顔が見られると思えば、生きて居て有難かっ
な野郎になってしまったが、何処へ 往 きやアがったか、 能 のう 婆様 、と云われる 度 に胸が痛くて寧 そ放 ん出さないば
ちゃん
きア⋮⋮ 父 は達者かえ﹂
宜かったと
こ け
ない〳〵
よ
あと
てめえ
たとえ
みのうえ
ど
ばゝあ
思ってなア、 若 しや縄に掛って引かれやアし
と
五十三
ないかと心配して忘れる事はないだ⋮何ういう訳だい、巡
いっ
礼に成って 此処 え来たのは﹂
たび
繼﹁はいそれに就いてはお婆さん 種々 訳が有って来ました
繼﹁はい実はこれ〳〵〳〵〳〵でございまする﹂
なま
え
ばあさま
が、何
卒 早く兄さんに逢いたいものでございます﹂
と涙ながらに、三年 前 の越中の高岡から旅立を致しまし
か
は
も
婆﹁おゝ正太郎かえ、あの正太郎には 痩 るほど苦労をした
てと細かに話をした時は、婆さんも大きに驚いて、親の敵を
すぐ
ちっ
二三
だ、その訳と云えば、あの野郎を連れて来て 堅気 の商
人 へ奉
討とうと云う事なら、 手前 ばかりではいけない、今に文吉
いろ〳〵
公に遣り、元の様な 大 い家 を拵 えさせたいと思って奉公に
が帰って来れば力に成って、 仮令 相手は 何 んな侍でも文吉
どうか
遣ると、何処へ遣っても 直 に駈 ん出して 惰 けて仕様がない、
が助太刀をして討たして遣るから、決して心配せずに、心
なじみ
やせ
そうしてる中 に己 あ家でこれ些 とべい土蔵という程でもな
丈夫に思って居るが 宜 いが、此の連れの方は何ういう人だ
あきゅうど
いが、物を入れる物置蔵ア建てようと云って職人が 這入 っ
と問われて、是もこれ〳〵と身
上 を打明けると、 婆 は一通
いなばちょう
かたぎ
てると、その職人と 馴染 になって職人に成りたいと云うか
りならぬ喜び、文吉も共に力に成りまして、田舎は親切で
ちょうはち
こしら
ら、それじゃア成んなさいと云うので、京橋の 因幡町 の左官
ございますから、山之助までも大事に致して呉れます。山
うち
の長
八 と云う家へ奉公に遣っただ、左官でも棟梁になりゃ
之助の身の上を聞いて伯父文吉が得心の上、改めて夫婦の
でか
ア立派なもんだと云うから、奉公に遣った所が、職人の事だ
盃をさせ 内々 の婚姻を致させましたから、猶更睦じく両人
ばア
ぬのこ
おら
から道楽ぶちゃアがって、 然 うして横根を踏出しやアがっ
は毎日葛西の小岩井村を出て、浅草の観音へ参詣を致して、
うち
て、婆 さま小遣を貸せと云うから、小遣は無いと云うと、そ
そ
れじゃア此の 布子 を貸せと云ってはア何でも持出して遣い
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
是から江戸市中を流して歩るきます。すると二月から二三
百﹁あんたア立派な 好 い嫁を貰って、まだ孫が出来ないだ
夜になると眠くてのう﹂
婆﹁達者では私 無 いだ、腰もつん曲るし役にも立たないで、
わし ね
四と四月の廿七日迄日々心に掛けて敵の様子を尋ねて居り
ねえ﹂
よ
い
ましたが、頓 と手掛りがございません。少し此の日は 空合 婆﹁まだ出来ないよ、あんたア子供は 幾人 有るだかなア﹂
そらあい
が悪くてばら〳〵〳〵と降出しましたから、毎 もより早く
百﹁ 私 ア二人でなア、惣領の姉に養子をしたゞが、養子は
とん
帰って脚半を取って、山之助お繼が次の間に足を投出して
堅い人間だからまア 宜 いでがすが、弟の野郎が十三になり
いつ
居りまする。すると丁度夕刻 前 此の家へ這入って来ました
奉公をすると云うので、それからまア深川の菓子屋へ奉公
たげつ
いくたり
のは村方のお百姓と見えて、
に行ってるだ﹂
ばあ
わし
百﹁はい御免なさい﹂
婆﹁はえゝ 然 うかえ、もう十三だって、早いもんだのう﹂
ぜん
婆﹁誰だい﹂
百﹁それで何だ、深川の猿子橋の側の 田月 という大 い菓子
そ
百﹁おゝ 婆 さまか、家のは何処へ﹂
屋の家に奉公をしてるだが、時々まアそれ親が恋しくなる
でか
婆﹁今日は細田まで行くってえなえ、嫁も今湯う貰いに行っ
と見えて、来て呉れというので、 私 も野郎が厄介に成ると
あと
わし
たから留守うして居ますわ、まアお掛けなさい、一服お吸
思って、菜の有る時は菜を抜いて持ってッたり、また 茄子 きゅうり
おら
おれ
す
いなさい﹂
や胡
瓜 を切って売 に持って 行 く時にゃア折々店へも行くだ、
やっけえ
っかあ
むやみ
ばゝあ
な
百﹁はア細田へ行ったゞかえ、それじゃアちょっくら帰ら
するとまア私が帰ろうと云うと 後 から忰が出て来て、是は
ゆ
ないなア、婆さま、まア何時も達者で 宜 いのう﹂
菓子の屑だから、 父 さま帰ったらお 母 に食わせて呉れ、こ
こうおんじ
うり
婆﹁達者だってこれ何時までも生きてると 厄介 だと思うけ
りゃア江戸なア菓子だと云ってよこすから盗み物でア悪い
え
れども、何うも寿命だから仕様が 無 えだ、早く死にたいと
ぞと云うと、なに菓子屋じゃア屑は 無暗 に食うのだが、 己 あめ
とっ
云ったら死にたいと云うのは愚痴だって 光恩寺 の和尚様に
ア食いたくないから取っといて遣るのだと云って 己 がにく
ね
小言を云われただ﹂
れる、己も心嬉しいから持って来て 婆 に斯う〳〵だと云う
わし
よ
百﹁長
生 すれア 宜 かんばいじゃアないか﹂
となア、婆さま家の婆が悦びやアがって、江戸なア菓子は
ながいき
婆﹁お前も何時も達者だねえ﹂
えらく 甘 えって悦ぶだア﹂
おれ
は達者だ﹂
百﹁私 アはア婆様より二十も下だが 己 の割にすると婆さま
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
は え
ま
くゝ
よんどこ
は い
あんまとり
かり縛って出られないようにして、中の 間 の柱に繋 って置
そ
婆﹁はえーい感心な子だのう、親の為に食い物を贈る様な
いて、 然 うして奥の間へ這
入 ると、旦那が奥の間で 按摩取 うち
そ け
心じゃア末が楽しみだアのう﹂
を呼んで、横になって揉ませて居る 其処 えずっと這
入 って
ちゅう
百﹁所がのう婆さま、忘れもしねえ去年中 、飛んだ目に逢っ
来て、さア金え出せ、 汝 が家 は大 い構えの菓子屋で、金の
でか
たゞ﹂
有る事は知ってる、さア出せ、ぐず〳〵しやアがると 拠 ろ
え
われ
婆﹁はえーい何うしたゞえ﹂
は
なく斬ってしまうぞ、さア金を出せと云うから、旦那は魂
おしこみ
百﹁何うしただって婆さま、 押込 が這
入 ったゞ﹂
消たの魂消ないの、まるで旦那は口い利かれない、只今上
ど け
え
婆﹁はえーい何
処 えなア﹂
は
めえ
げます〳〵命はお助け、命だけは堪忍して呉れと云うと、
おっか
つく
百﹁忰が行ってる菓子屋へ 這入 ったなア、こりゃア何うも
け
命までは取らぬ、金さえ出せば帰るから金え出せと云うの
そ
なかったって、もう少しの事で殺される所だってえ﹂
怖 こ
で、 其処 え 蹲 なんでしまっただ、するとお 前 旦那を揉んで
そ
婆﹁はえーい﹂
ぽ
いた按摩取がどえらい者で、 其処 に有った火鉢を取って泥
か
おっか
で
坊の顔へぶっ 投 った﹂
は
ぽ
婆﹁はえい 怖 ないなアまア、うん、ぶっ 投 って火事い出
来 ざいご
つきだ
え
五十四
あきゅうど
え
あかり
は
したかえ﹂
こ
百﹁まだ宵の事だと云うが、商
人 の店は在
郷 と違って戸を締
そ
百﹁なに火事でなえ、灰が眼に 這入 って、是アおいないと
ばあさま
くゞ
めても 潜 りの障子が有るから灯
火 が表から見えるだ、する
騒ぐ所へ按摩取が一人で二人の泥坊を押えて、到頭町の奉
か
めえ
つえ
と婆
様 、其
処 をがらり明けて二人の泥坊が 這入 って、菓子
行所へ 突出 したと云うのだが、何と 剛 い按摩取じゃアない
二四
呉れと云いながら跡をぴったり締めて、栓を 鎖 ってしまっ
とけ
か、是でお 前 旦那も助かり、忰も助かったゞ、それからお
ぶちき
こ
たゞ、店には忰と十七八の若い者と二人居る処 え来て、声
こ
前、誠に有難い、お礼の仕様がないと云う訳で、物も取られ
ど
を立てると打
斬 ってしまうぞと云うから、忰も若い者も口
とみかわちょう
ず、怪我もせず 斯 んな嬉しい事アないが、お前は何処なア
わし
が利けない、すると神妙にしろ、亭主は 何処 にいる、金は何
按摩取だと云うと、 私 は是から五六町先の 富川町 にいて按
まなこ
摩取を致します、旅へ出てる 中 に眼 悪くて旅按摩に成りま
たまげ
うち
処に有るか教えろ、声を出すと打斬ってしまうぞと云うか
したと云うから、何か礼をしたいもんだが何か欲しい物は
え
ら何うも 魂消 たねえ、それからなえ婆様、 這入 った奴は泥
は
坊で自分が縛られつけてるから人を縛る事が上手で、すっ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
いきなり
と話をして居ると、部屋に居ったお繼が 突然 飛出して来
や
あたりまえ
ないか、金を 遣 りましょうと云うと、金は入りません難儀
まして、
い
繼﹁おじさんお 出 でなさい只今承わりました、元は侍で、一
すき
ほしもの
を救うは人間の 当然 で、私は何も欲しい物は有りませんが、
ひきこ
富川町へ 引越 してから家内が干
物 をする処が無いに困って
旦出家に成りまして、また還俗致して按摩取に成ったと云
たのし
る、私も草花が 好 だから草花でも植えて 楽 みたいと思うそ
うのは、名前は何と申しますか、その人の額に 疵 が有りま
ばかり
きず
れには少し許 の地面と井戸が欲しいと思って居りますと云
すか﹂
二五
ばかり
うので、旦那は金持だから、それじゃア地面を買って遣ろ
あ
、茄子の二十本 許 も植える様
おら
百﹁はい⋮⋮おや巡礼どんが出掛けて来た﹂
あて
うと云って、井戸も掘って
わき
こ
婆﹁なにこれア 己 が孫だよ﹂
あんばい
にして 充 がったゞが、何うも 彼 の按摩取は只の人でなえ、
百﹁へえ婆さま、 斯 んな孫が有ったかえ﹂
あんた
彼の泥坊を押える 塩梅 が只ではなえと思って旦那が聞いた
婆﹁ 少 さい時から他 へ往ってたから、貴
方 ア知んなえが﹂
ちい
ら、元は侍だが仔細有って坊様に成りまして、それから私
百﹁そうかねえ⋮⋮額に疵が有りますよ﹂
まなこ
が眼 潰れましたが、だん〳〵又宜く成りまして、只今では
繼﹁じゃア年は何でございますか、四十ぐらいに成ります
そ
か﹂
ちょっと
百﹁えゝ然うさ、四十もう一二ぐらいであろうか﹂
わし
も只の人でなえと思ったッて、 私 もまア 一寸 年始に行った
按摩取を致しますと云うから、何うも 然 うだんべえ、何で
時見たが立派な 武士 で、成程只の按摩取でなえ、黒の羽織
繼﹁元は榊原の家来に相違有りませんか﹂
さむらい
を着て、短い木刀を差して、 然 うして按摩をしたり、針を
百﹁えゝ然ういう話だなえ﹂
そ
したり何かするって、針も中々えらいもんだって、大変に
これを聞くと山之助が出て来て、
いっとく
山﹁只今蔭で承まわりましたが、その男は顔に疵がござい
や
まして、もとは侍で、一旦出家いたして、その還俗した者
は
行 るだ、何でもその按摩の名は 流
一徳 とか何とか云ったっ
け﹂
というお話でございましたが、其の名前は水司又市と申し
ん
婆﹁はえーい元は侍だって、 何様 な人だえ﹂
ますか﹂
ど
百﹁うん、何とか云ったッけ忘れた、ん、ん何よ元は榊原
百﹁おや〳〵〳〵また巡礼どんが﹂
げんぞく
様の家来で、一旦坊様に成ってまた 還俗 したと云うが、何
婆﹁是も 己 がの孫だよ﹂
おら
でもはア年は四十二三で立派な男だ﹂
そ
婆﹁はえーい然 うかなえ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
めえ
いくたり
二六
百﹁婆さま、お 前 はまアえらく孫が 幾人 も有るなア⋮⋮然
おら
云う通りの名前だっ
いよ〳〵
ちょっと
が飛込みまして、 愈々 猿子橋の敵討に相成りますると云う
お話になります。 一寸 一ぷく。
五十五
け、あんたア宜く知ってるなア﹂
うだ、 己 アもう忘れたが、アんたア
繼﹁それだよお婆さん﹂
繼に、十九歳に相成りまする白島山之助が、互に姉の敵親
の敵を討ちたいと、三年の間諸方を尋ねて艱難苦労を致し
婆﹁まあ然うかえ﹂
もんだねえ﹂
ましたる甲斐有って、思わずも只今お百姓が来ての物語に、
引続きまする巡礼敵討のお話で、十八歳に成りまするお
えら
百﹁えゝそりゃア実に豪いもんで、もう少しで忰もぶち斬
人 は飛立つ程嬉しく思いますから婆アの 両
留 るのも聞入れ
繼﹁本当だよ、観音様の御利益は有難いもの、本当に 豪 い
られる所だったが⋮⋮ 後 で泥坊をお調べになったら、一人
ずに 見相 を変え、振払って深川富川町へ駈出します。する
ばけもの
あと
は浪人者で 極 悪い奴だ、何とか云った、元は櫻井の家来で、
と 暫 く経 って帰ったのは伯父の文吉でございます。 婆 は両
てんすいおけ
しばら
た
けえ
とめ
それからが化
物 のような名前で、柳の木の幽霊、細い手の
人が駈出してから立ちつ居つ心配して泣いて騒いでも、七
しおき
ふたり
幽霊いや柳の木に 天水桶 か、うんそうじゃない、浪人者は
十を越した 婆様 でございますから、只騒いで心配するばか
ごく
柳田典藏で、細い手と云うのは勇治とかいう胡麻の灰とい
り、何うする事も出来ません。
いけど
けんそう
う事が分って、お 処刑 に成ると云う話だ﹂
文﹁婆さま、今帰りました﹂
たまげ
うち
ばゝあ
婆﹁⋮⋮おいこれえ待て〳〵、これえ待たねえか、 汝 が二
婆﹁おゝ文吉帰 ったか、 己 アまア心配ばかりして居ったが、
ばあさま
人駈出しても文吉が帰って来ないば、向うは泥坊を 生捕 る
何うもまア飛んだ訳に成ったゞよ﹂
い
われ
くれえな又市だから、汝が 駈 ん出してもか細い腕で遣りそ
文﹁何うしたゞえ、何時でも婆さまは仰山な事を云って 己 めえ さ っ き
おら
こなっては成んねえが、これ〳〵待っちろ、文吉が帰った
ア本当に 魂消 るよ、まア静かに﹂
か
ら相談ぶって三人で 往 けよ⋮﹂
婆﹁静かにたって、お 前 先刻 茂左衞門 が 家 へ来ての話に、
す
おら
と云ったが敵に逃げられては成らぬと云うので富川町の
敵の水司又市が深川の富川町で按摩取に成ってると云う事
つと
もざえもん
々 斯々と聞くや否や飛立つばかりの喜びで、是から 斯
直 ぐ
を話したゞ、するとお前、お繼も山之助も飛上って、さア
これ〳〵
に巡礼の姿に成って、 苞 の中へ脇差を仕込み、是を小脇に
うち
抱え込んで飛出し、深川富川町の按摩の 家 へ、山之助お繼
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ん出しても仕様がない、返り討にでも成ってアならねえ
駈 坊を取って押えるような 豪 い侍だから、か弱い汝 ら二人で
是から 直 に敵を討ちに 行 くと云うから、待てえ、向うは泥
ございます。是から中へ這入ると左右が少し許り畠になっ
が 片方 明いて居て、 其処 に 按腹揉療治 という標札が打って
門の云った通り入口が 門形 に成りまして、竹の打
付 の 開戸 て人家の少ない時分でございます。成程来て見ると茂左衞
はまばらに人家が有りは有りまするが、只今とは違って至っ
ゆ
から待っちろと云うのに、聞かないで駈ん出すから、 己 ア
て、その横が生
垣 に成って居りますから、 凡 そ七八軒奥の方 すぐ
出て押えようと思ったら、 突転 して駈ん出すだ、 追掛 ける
に家が建って居まして、表の 方 は小さい玄関 様 で、踏
込 が
つきこか
われ
きっと むこう
そ
おっか
おめえ
ことも出来なえから、早く 汝 が帰らば宜 いと心配ぶって居
一間ばかり土間に成って居ります、又式台という程では有
えら
たゞ、早く何うかして追掛けて呉んなよ﹂
りませんが 上 り口は 板間 で、障子が二枚立って居り、 此方 ど
ほう
あが
ぶッつけまど
あじさい
こ
いたのま
わらづと
となり
かやり
あんぷくもみりょうじ
かた
そ
こちら
よう
ほう
こちら
ふみこみ
ひらきど
文﹁こりゃア困ったなア、それだから 己 が不断から然 う云っ
の 方 は竹の 打付窓 でございます。あの辺は四月二十七日頃
け し
すまい
ふみし
どなた
ぶッつけ
て置くだ、二人で行っても 屹度 先
方 に斬られもんだ、よし
でももう蚊が出ると見えて、夕景に 蚊遣 を焚いて居る様子、
つんの
ゆ
ふる
もんがたち
んば斬られんでも怪我アするは受合いだアから、 何 んな事
庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に
か
が有っても己を待ってる様に云うだ、婆様何故遣ったゞえ﹂
子 や紫
芥
陽花 などが植えて有って、 隣家 も遠い所のさびし
かじゅう て め え
どなた
そ
婆﹁何故遣るたっても遣らない様に仕ようと思うと、 突除 い 住居 でございます。二人は 窃 っと 藁苞 の中から脇差を出
い
かた〳〵
けて行って、留 ても留らぬから仕様がないだ﹂
して腰に差し、 慄 える足元を踏
〆 めて此の家 の表に立ちま
おら
わし
おら
文 ﹁そりゃア困ったなア⋮⋮これ 嘉十 手
前 も一緒に行 け、
したのは、丁度日の暮掛りまする時。
ゆ
こなが
およ
二人に怪我をさしては成んねえから、 己 も直ぐに行くだか
山﹁御免なさいまし、お頼み申します﹂
とびだ
こちら
いけがき
ら、手前長く奉公して世話に成ったから一緒に 行 け﹂
太﹁はい 誰方 え﹂
よ
嘉﹁敵討に行 くだから一緒に行 けって、私 い参 りましょう、
山﹁あの揉療治をなさる一徳さんは 此方 でございますか﹂
かつ
おら
なに死んだって構いませんよ、参りましょう﹂
太﹁はい一徳の宅は手前だが 何方 だえ、此方へお這入んな
もがりがま
とめ
と田舎の人は正直で親切でございますから、本当に死ぬ了
さいまし﹂
二七
簡と見えて、 藻刈鎌 を 担 いで出掛けまする。文吉も 小長 い
繼﹁少々承まわりとう存じますが、一徳さんのお年は幾つ
しもやしき
や
のを一本差しまして、さっさと跡から 飛出 して余程急ぎま
でございますえ﹂
あすこ
めえ
したが、間に合いません。山之助お繼は富川町へ駈けて参
い
りますると、其の頃は彼
処 に土屋様の下
屋敷 があり、 此方 に
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
つるべがた
ける所を 引外 して 釣瓶形 の煙草盆を投付け、続いて湯呑茶
ひっぱず
碗を 打付 け小さい土瓶を取って投げる所を、 横合 からお繼
おれ
太﹁何だ障子越しに 己 の年を聞くと云うのは何だ⋮⋮御冗
が、親の敵覚悟をしろと突掛けるのを身を 転 して利
腕 を打
こ ゝ
きゝうで
よこあい
談や調
弄 では困ります、此方へお這入りなさい﹂
つと、ぱらり持っていた刃物を落し、是はと取ろうとする
えりがみ
ぶッつ
山﹁はい、あなたは何でございますか、額に疵がございま
所を 襟上 を取って膝の下へ引摺寄せる、山之助は 此所 ぞと
からかい
すか﹂
切込みましたが、 此方 は何分手ぶらで居った所、幸いお繼
かわ
太﹁何だ⋮⋮左様でござる、手前は額に疵も有りますが、何
が取落した 小刀 が有ったからそれを取って、
こちら
方でげすえ﹂
太﹁これ怪我を致すな、人違いを致すな、宜く心を静めて
しょうとう
山﹁えゝ、元は榊原様の御家来で、お年は四十一でいらっ
体 を見ろ、人違い〳〵﹂
面
めんてい
しゃいますか﹂
と二三度打流したが、相手の方から無二無三に打って掛
どちら
腕が利いて居る、余程深く斬込みました。
おもて
太﹁なんだ⋮⋮はい 私 の年まで知っていて、面
部 に疵が有
るから、
わし
ると仰しゃるのは 何方 のお方でございますえ﹂
太﹁これ人違いを致すな﹂
り早く、がらり障子を明けながら、
山﹁あア﹂
どなた
山﹁お名前は水司又市でございますか﹂
と払い除けました、其の 切尖 が山之助の肩先に当ると、
山﹁姉の敵い⋮﹂
どんと山之助が臀
餅 をついたなり起上る事が出来ません、
きっさき
と水司又市と云う名を聞くや否や山之助は一刀を抜くよ
太﹁はい 何方 だえ﹂
と 一声 一生懸命の声を出して無茶苦茶に切込んで来る。
山之助が斬られたのを見るとお繼が
しりもち
続いてお繼が、
﹁わーっ﹂
ひとこえ
繼﹁おのれ親の敵覚悟をしろ﹂
が這
二八
と其の場に泣倒れました。
かなきりごえ
お
と鉄
切声 を出した時には不意を打たれて驚きましたが、
ど こ
あかり
太﹁これ 何処 へ参って居 るかな、これ照や、狼藉者
い
太﹁これ何を致す、人違いをするな﹂
入ったが、何処へ参って 居 るか、これ早く燈
光 を持って参
そば
れ、燈光を⋮⋮﹂
ぶッつ
と云いながら 傍 に有りました今戸焼の蚊遣火鉢を取って
此の時女房は裏の井戸端で米を 磨 いで居りました。じゃ
と
付 けると、火鉢は山之助とお繼の肩の間をそれて向うの
打
つきか
柱に当って砕け、灰は八方に散乱する。また山之助の 突掛 敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
うち
としごろ
こびん
ると、成程 年齢 は四十一二にして色白く、鼻筋通り、口元
なでつけ
〳〵〳〵〳〵と米を磨いで居り、余程 家 から離れて居りま
が締って眉毛の濃い、散髪の 撫付 で、額から 小鬢 に掛けて
かおかたち
が有りますなれども、能く見ると 疵 顔形 が違って居ります
きず
するから、右の騒ぎは聞えませんだったが、大声で呼びま
る故、
あわ
したから、何事かと思って 慌 てゝ家へ這入って見ると右の
始末、
山﹁あゝ是は人違いをした﹂
二九
と思うと、
照﹁おや何う⋮﹂
太﹁何うたって今狼藉者
太﹁何うじゃ、違って 居 ろうな﹂
お
分らぬから早く燈光を点 けて来い﹂
山﹁はい誠に申訳がございません、全く人違いでございま
が這入ったのだ、何分暗くって
と 云 わ れ て 、女 房 は 慌 て な が ら 火 打 箱 で か ち 〳〵 〳〵
す﹂
つ
〳〵。
あと
照﹁人違いで敵だと云って斬込むとは人違いにも程がある、
い
あなた
何ぼ年が 行 かぬと云って、斬ってしまった 後 で人違いで済
こ
五十六
そ
みますか、 良人 はお怪我は有りませんか﹂
よ
太﹁そんな事を云わんでも 宜 い、早く其
処 らに散乱して居
ようよ
る火を消せ﹂
つ
の事で蝋燭を点 して、
と云われて 御新造 が柄杓に水を汲んで蚊遣の火が落ちた
とも
お照は火を打つ所が、慌てるから中々 点 かないのを漸 う
照﹁何うしたの﹂
処に掛けると、ちゅうぶうと云う大騒ぎ。此の時まで只泣
しっ
ごしんぞ
と見ると若い男が一人血に染って倒れて居り、また一人
いて居て口の利けぬのはお繼で、今燈火の影で山之助が血
い
の娘を膝の下へ引敷いて居りますから。
よ
に染って 居 る姿を見て、
三〇
照﹁こりゃアまア何でございます﹂
ど
よう
わび
どうぞ
繼﹁山之助さん 確 かりして下さいよ⋮⋮全く人違いでござ
が這入ったのだ⋮さこれ 能 く
太﹁何だって今此の狼藉者
いますから、 何 の様 にもお 詫 をいたしますが、 何卒 お医者
あや
体 を見ろ、人違いを致すな、己は人を 面
害 めた覚えも無し、
様を呼んでお手当を願います﹂
太﹁そりゃア人違いと分れば手当もして遣ろうが、油断は
おもて
出来ませぬ、ひょッとして又、何うもなア⋮⋮全く人違い
めんてい
敵と呼ばれて打たれる覚えも無い、これ 面 を見ろ、心を静
めて面を見ろ﹂
あかり
と云われたから、山之助が漸うに起上って 燈火 で顔を見
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
山﹁はい﹂
であろう﹂
繼﹁はい〳〵、私は越中の高岡大工町の藤屋七兵衞の娘繼
これ娘お前泣かずに訳を云え﹂
司又市を敵と探す者か、 此方 は手
負 で居るからせつない、
ておい
太﹁左様か﹂
と申しまする者でございますが、七年 前 に私の 継母 と、つ
こちら
山﹁お年と云い、額の疵と云い、榊原の家来で水司又市様
い前の宗慈寺と申す真言寺の永禪と申しまする和尚と不義
あと
せんだっ
まゝはゝ
と仰しゃいましたから、同じお名前故に取違えましたので
をして、 然 うして親共を薪割で殺して二人で逃げました、
ねら
あと
ございます﹂
私は丁度十二の時で、何うぞ敵を討ちたいと心に掛けまし
ち
そ
太﹁やア是ははや是ははや、 私 は水司又市じゃアない、私
て、三年 前 に高岡を出まして、巡礼を致して敵の行方を捜
そ
わし
は水
島太一郎 という者だが、按摩に成ってからは太一と申
しました所が、更に心当りもなく、つい 先達 て江戸へ出て
みずしまたいちろう
すが、 其方 は水司又市を敵と狙 うのか﹂
参りました、参って伯父の処に厄介になって居りまする 中 げんぞく
うち
山﹁はい﹂
たび あ た ま
に、この深川富川町に水司又市という人が有って、元は榊
やしき
太﹁やアそれは気の毒千万な事を致した、うん、うん、姉
ゆ
原様の家来で 家敷 を出て、一度 頭
髪 を剃り、又還
俗 して按
あ
わかもの
の敵で、 彼 の者には親の敵だと、未だ年も 行 かんで親の敵
摩をして居る水司又市と聞きました故、親の敵という一心
こちら
姉の敵を討とうと云う其の志ある 壮者 を、怪我させまいと
ふびん
で 此方 へ斬込みましたのでございます﹂
むねうち
こり
打 にする心得だったが、困った事を致したな、 背
是 ゃア不
便 ふかで
太﹁成程お前の為には親の敵だ、またこれは姉の敵だと云っ
はず
な事を致した、手が 機 んだから、余程深
傷 のようだ、まア
たな﹂
か
〳〵〳〵待て﹂
ようよ
山﹁はい〳〵﹂
ておい
と 彼 の按摩取太一が山之助の傷を見ると、果して余程深
と 手負 に成りました山之助が、 漸 うに血に染った手を突
もた
く切込みました。
いて首を 擡 げましたが、
とて
太﹁こりゃア機みも機んだので、 迚 も助かりそうは無い⋮⋮
も
山﹁はア旦那様誠に申訳もございません、私は其の永禪と
こ
申しまする者が還俗して、また元の水司又市と申します者
わし
たれ
まアこれ表の 鎖鑰 を掛けろ、誰 も這入っては来 まいが、 若 が、此のお繼の一旦親に成りましたお梅と申す者を尼の姿
かけがね
し来ては成らぬから締りをして参れ、これ誠に気の毒な事
に 扮 して、私の宅に泊り合せ、私の姉に恋慕を云い掛けま
ふかで
や
だけれども、 私 も刃物で切込まれるから、 已 むを得ず気の
やつ
毒ながらも深
傷 を負わしたが、一体何う云う仔細でまア水
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
太﹁うん二人は兄弟か﹂
す﹂
踏込んで斬掛けました不調法の段は幾重にもお詫を致しま
榊原の家来水司又市と仰しゃいます故に 善々 お顔も見ずに
りましても、貴方のお年は四十一歳、額に疵が有って元は
で今
日 只今敵に逢いましたと存じまして、是へ参って承わ
巡礼に成って西国三十三番の札所を巡りまして、 漸々 の事
敵を討ちたいと心に掛けまして、此のお繼と二人三年越し
逃げましたのが水司又市でございます、それから私は姉の
した所が、姉が云う事を聞かぬと云うので到頭姉を殺して
お 父様 の事もお前に話して有るが、 若 し御
存生 でお目に掛
だに行方も知れず、 生死 の程も分りません、これお繼私の
段々姉と 両人 で神
仏 に祈念して行方を捜しましたが、いま
て、それから江戸屋敷から行方知れずに成りましたので、
ら十九年で、私が 未 だ生れぬ前に、江戸屋敷詰に成りまし
うが、十七年 前 に家出を致しまして、もう国を出ましてか
は榊原藩で貴方も御同藩なら御存じでいらっしゃいましょ
怨まぬのが残念でございます、私の親と申しまする者は、元
ぬのは決してお怨みとは存じませんが、只水司又市に 一刀 も
山﹁はい有難う、有難う、私は不調法から貴方に斬られて死
申置く事があらば遠慮なく云えよ﹂
時には己が力に成って助太刀をして討たせるが、何か貴様
しっ
かゝ
これ〳〵
しょうし
かみほとけ
じいさん
め み
え
どうぞ
ひとたち
山﹁えゝ是は只今は私の女房でございます﹂
る事が有ったらば、私は 斯々 の訳で不覚を取ったが、 何卒 よう〳〵
太﹁うん左様か、うん是は何うも誠に気の毒千万、えん、う
一目お目に懸りたいと云って居たと云って下さい﹂
こんにち
ん水司又市あーア何うも 彼奴 は兇悪な奴だ、今に悪事を重
繼﹁はい、 確 かりしてお呉んなさいよ﹂
ふかで
よう
あと
ねる事で有るか、何う致してもなア、医者を呼んで手当を
太﹁貴様が側で泣くと手負が気力が落ちていかん⋮⋮これ
ど
あと
よく〳〵
して遣ろうが、中々の 深傷 で有るて、なれども確 かり致せ
お前の親は榊原藩で何という名前の人だえ﹂
あいはて
いま
よ、命数尽きざる 中 は何 の様 な深傷でも、数十ヶ所縫う様
山﹁はい私の 祖父様 がお抱 えに成りましたのだそうでござ
ふたり
な傷でも決して死ぬものじゃアない、又万一療養相叶わず
いますが、足軽から段々お取立に成りまして、お 目見得 近
むやみ
ごぞんしょう
して 相果 る事があれば、 後 に残るは貴様の女房⋮⋮二人が
くまで成りました、名は白島山平と申しまする者でござい
つか
﹁えゝ何だ貴様の親は白島山平⋮⋮何か貴様は白島山
三一
も
剣術も知らずに 無暗 に敵を討とうと思っても、水司又市は
ます﹂
のち〳〵いよ〳〵
とっさま
中々の 遣 い手だから容易に討てやせぬ、手前も仔細有って
太
あいつ
其の水司又市に逢わんければ成らぬ事が有るから、貴様が
平の忰か﹂
あや
しっ
万一の事が有れば娘は自分の娘にして剣術も教え、貴様は
うち
己が 過 まって殺したのじゃに依って、後
々 愈
々 又市を討つ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
れました、 姉様 が死にます時にも、お 父様 に逢わずに死ぬ
厄介に成って居りまする 中 に、姉さんが又市の為に斬
殺 さ
きりころ
山﹁はい白島山之助と申しまする者で﹂
のは残念だ、一目逢いたい〳〵と申しました﹂
うち
太﹁おゝ是は何うも、 宥 してくれ、これ忰、貴様の親の山
太﹁うん左様か、実にそれ程までに 私 を慕って、今思い掛
わし
ひとかたな
とっさま
平は此の水島太一であるぞ﹂
けなく面会致したが、現在親の手で子を殺すと云うのは如
よう
あねさん
何なる事か、皆これまで非道な行いを致した天罰 主罰 が酬 ゆる
五十七
い 来 って斯 の様 な訳、あゝ親として手前を己が殺すと云う
とっさん
むく
のは実に情ない、手前己を親と思わずに 一刀 でも怨んで呉
そ ん
よんどこ
しゅうばつ
山﹁えゝお父
様 あの貴方が﹂
れ﹂
こ
と云って二人ともに膝の上に 縋 り付く手を取って、
山﹁いゝえ勿体ない事を﹂
おおせつ
とっ
きた
太﹁あゝ面目次第もない、己が貴様の親だと云って 名告 っ
照﹁あなた其
様 な事を仰しゃっても仕様がございません⋮⋮
とっさま
て逢われべき者ではない、実に非義非道の親である、其の
あのお前さん、初めてお目に懸りました、お前さんは定め
すが
が懐妊中に江戸詰を 方 仰附 けられて江戸屋敷に居る間に、
てお 父 さんを憎いとお恨みでございましょうが、お父さん
の
若気の心得違いで屋敷を駈落する程の心得違いの親、実に
な
情ない事だ、親らしい事も致さぬ親を憎いと恨まんで、宜
の悪いのではございません、みんな私が悪いのでございま
ほう
く臨終に至るまで手前に逢いたい懐かしいと遺言まで致し
す、と申すは 拠 ろない訳で私がお前さんのお 父様 を慕いま
する故に、お父様がお屋敷を出る様な事に成りました、そ
ぼっ
てくれた、あゝ面目ないが、母も 歿 したか、うん、なに姉
おやまも又市に討たれたか﹂
やど
れも私の養子が得心で二人共にお屋敷を出ましたけれども、
あね
かみほとけ
山﹁はい〳〵有難う存じます、お懐しゅうございます、お
うち
ごしんぞ
永い旅を致して 宿 へ着くとは、国へ残してお出でなさった
どんな
懐しゅうございます、貴方にお目に懸りたいと云って 姉 さ
新造 やお前さん方に済まないと云って、私も 御
神仏 に心の
どうぞ
んも 何様 に待っておいでなすったか知れません、貴方が家
でお詫ばっかり致して居りました、 中 何卒 堪忍してお呉ん
お
出をなさいましても屋敷に 居 られぬ事はございませんが、
いたしかた
ちい
なさい、お父様を怨まずに私を悪い者と恨んでお呉んなさ
ほか
なく
いまし﹂
っか
お母 さんは心配して三年目に亡 なりまして、私は 少 さし姉
太﹁これ山之助今更 懺悔 を致す訳でも無いが、余儀なく屋
こっち
い
さんも年が往 きませんし、外 に致
方 がございませんで、伯
ざんげ
父さんが 此方 へ引取ろうと云って、信州白島の伯父さんの
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ばち
かしら
そりこぼ
是も皆天の 罰 、こりゃア頭
髪 を剃
毀 って罪滅ぼしを致さん
な ぜ
お
敷を出んければならない訳に成ったのは、武田から来た養
じょう
けが
ければ世に 居 られぬ﹂
ひとつね
ようや
とう
みょうせき
照﹁誠に御尤もでございます﹂
あと
おもてむき
子の重次郎と 同衾 を致さぬと云う 情 を⋮⋮立てる其の間に
山﹁お 父様 え、貴方も水司又市を捜す身の上と仰しゃいま
つげぐち
口 を致す者も有って、 告
表向 になれば名
跡 が汚 れるから重
したが、 何故 あなたは水司又市に似た様な名をお附け遊ば
うみおと
かどわか
とっさま
次郎の 情 で旅費を貰うて家出を致したが、丁度懐妊中の子
した﹂
なさけ
を生
落 して夏という娘を得たから、 漸 く十五歳まで育って
太﹁手前は何も存ぜんが、お 祖父様 は元信州の者で、故 有っ
やまがり
たいち
せんくん
い
あるひ
ゆえ
楽しみに致した所が、三年 前 に信州の鳥居峠へ掛る時、悪
て越後高田に近き 山家 へ奉公住みを致して居 ると、或
日 榊
たにあい
つきばかり
じいさま
者に出逢い、 勾引 されんとする時に、一 刀 を抜いて切結ん
原公が山
猟 にお出 遊ばして、鳥を追って段々山の奥に 入 り、
わし
つい
とて
い
だが、向うは二人 此方 は一人、其の時受けた疵が斯のよう
道に迷って御難儀の処へお祖父様が通り掛って、御案内を
もみりょうじ
やまが
に只今でも残っている、娘は其の時 谷間 へ落ちて到頭其の
して城中へお帰りに成ったから、うい奴と仰しゃって 先君 こちら
儘に相果てたから、 私 も此のお照も実に一 月許 の間は愁傷
がお取立に成った、是が 私 の先祖で、其の時は白島太
一 と
いたしかた
いで
して、泣いてばかり居って、 終 には眼病と相成ったから、
いう名前で有ったが、山を平らに歩かせたという所から山
平という名を下すった、それ故先君から頂戴の名を大切に
わし
は出来ぬと心得て居った所が、追々眼病も快く成って段々
方 なく按摩に成って 致
揉療治 を覚え、迚 も生涯世に出る事
見える様に相成ったから同じ死ぬなら故郷懐かしく、此の
心得て名を 汚 すな〳〵という遺言が有ったなれども、私は
けが
江戸へ立帰って、富川町に昨年世帯を持ち、相変らず按摩
いえ
実に家名を汚す不孝不義の山平ゆえ、先代が頂戴の名を附
お
も
を致して 居 る内に、よう〳〵の事で眼病も 癒 るような事な
けて居ては成らぬと云うので、信州水内郡の水と白島村の
な の
れども、揉療治を致すような身の上に成ったから、 若 し屋
島の字を取って 苗字 に致し、これに父の旧名太一を名
告 っ
たびだち
むく
みょうじ
敷の者に見られては相成らぬと思うて、屋敷近くへ参る事
て水島太一と致したが、今と成って見ると此の水島太一と
いかゞ
も出来ず、如
何 致そうかと照も心配致して、又々 旅立 を致
いう姓名を附けなければ斯の様な間違いも有るまい、是も
たゞ
ふたり
あや
そうか、 但 しは謝 まって信州の親族の処へ参ろうかと思っ
皆若い時分からの罪で斯う成るのであろう、あゝあ恐るべ
ばち
なげ
て居った所で有るが、一人の娘を谷間へ落して殺したのも
き事である、これ忰手前なア何うかして助けたいが、実は
あと〳〵
も助からぬ事と存じて居ろうが、 迚 後々 の事には心を残さ
わがて
とて
たのだ、今また其の方を 我手 で殺すとはあーア飛んだ事、
是も皆 罰 で、 両人 の者へ歎 きを掛けるような事が身に 報 っ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
い
めえ
いますから、家の男を連れて駈けて 参 りましたが様子が知
こ ゝ
んない、 其処 らで聞くと此
家 だと云うから、済まぬようだ
そ こ
ず往生致せ、縁有って手前の家内に成って 居 るお繼という
が窃 っと這入って、裏へ廻って様子を聞いて居りますと、人
そ
此の娘は私が引取って剣術を仕込み、手前の為には姉の敵
きっと
に当る水司又市を捜して 屹度 敵を討たせるから、心を残さ
違いだ〳〵と云う声がするから、はてと思って聞いて居り
ざんげ
ちい
ず往生致せよ﹂
ましたが、間違いとは云いながら、 少 さい時分に別れたお
あんた
山﹁はい〳〵〳〵有難う〳〵、逢いたい〳〵と思うお 父様 前様の子、それを 貴方 が知らないとは云いながらはア斬っ
とっさま
にお目に懸り、お父様のお手に懸って死にますれば何も心
て殺すと云うは、若い時分の罪だと 懺悔 する其の心
持 を考
何うも飛んだ間違いに成りました、これ嘉十、もう鎌なん
こゝろもち
を残す事はございません、これお繼少しの間でも御厄介に
えますと、我慢しようと思いましたがつい泣いたでがんす、
ざアぶっ 放 ってしまえ﹂
どうぞ
なった伯父さんやお婆さんに 何卒 宜しくお前云ってお呉れ
よ﹂
太﹁何うもお恥かしい事がお耳に入って面目次第もござい
さん
ぽ
繼﹁はい山之助さん 確 かりして下さいよ、お前さんが死ね
ません﹂
しっ
ば私は此の世に生きて居 られません﹂
文﹁何うか助かり様が有りましょうか﹂
お
と山之助に 取縋 って泣きまするから、 堪 え兼 てお照も泣
太﹁ 迚 も助かりますまいとは存じますが、此の辺に 生憎 療
かね
伏します。水島太一も膝の上に手を置くと、はら〳〵〳〵
治を致す者もござらぬ、手前少々は傷を縫う事も心得て居
こら
と膝へ涙が落ちる。すると台所の方から大きな声で
りましたが、つい歎きに紛れて⋮⋮何しろ 焼酎 で傷口を洗
とりすが
﹁御免なせえまし﹂
いましょう﹂
かた〳〵
あいにく
山﹁伯父 様 宜く来て下すった﹂
しっ
とて
五十八
と云う声も 絶々 でございますから、
うち
あ
しょうちゅう
太﹁ 確 かりしろ、今傷口を洗うぞよ﹂
たえ〴〵
太﹁何だえ﹂
と云う 中 に山之助は最 う目も疎 く成りますから、片
方 に
びっく
ゝ
さ っ き うち
うと
文﹁へえ〳〵真平御免を蒙ります﹂
山平の手を握り片方はお繼の手を握って、其の儘山之助は
そ
も
太﹁何うも 恟 りする、誰だえ﹂
呼吸は絶えましたから、お繼も文吉も声を 揚 げて泣倒れま
よ
こ
文﹁私 は 此処 にいるお繼の実の伯父で百姓文吉と申します、
わし
私は今日 他処 へ行って先
刻 家 へ帰ると、敵討に行ったと云
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
けんければ成らぬから﹂
違えて 斯様 々々に成ったと云う事を細かに訴えて検屍を受
したい、それにはお前方が確かな証人だに依って、敵と間
して 上屋敷 へ知れては相成らぬから、何
卒 親でない事に致
太﹁幾ら歎いても致し方がない、 私 が親と知れてはぱっと
したが、
司又市は今は 何 の様 な身の上か知れんが、何でも腕の優れ
一人で敵と 名告 って斬掛ける事は決して成らぬ、相手の水
う 譬 えも有るから、ひょっと途中で水司又市に 出遇 っても
山﹁ 先 ず追々腕も出来て来たか、 生兵法 は敗れを取ると云
ら山平も喜びまして、
しいもので、段々山平でも受け 兼 る程の腕に成りましたか
込んだら何うお受けなさると云うくらい、人の精神は恐ろ
出来て腕も宜くなり、もし貴方を又市と心得まして斯う斬
したゝ
かよう
わし
と是から百姓文吉に山之助の女房お繼が証人で、直 に細か
た奴だに依って、決して一人で 名告 掛ける事は成らぬぞ﹂
かね
ど
なのり
うち
なまびょうほう
かね
に認 めて訴え出でましたから、早速検屍が出張に成って傷
と 予 て言付けて有ります。毎日々々朝は早く巡礼の姿で
どうぞ
口を改めましたが、現在殺された山之助の女房と伯父 両人 家を出まして、浅草の観音へ参詣を致し、市中に立って御
かみやしき
が証人で、全く人違いで斯様な事に相成りましたと云うか
詠歌を唄っては報謝を受けて帰り、月夜の時には夜になっ
なきがら
ぼだいしょ
きんじょ
よっぽど
もん
い
い
あ
ら、さしたる 御咎 もございませんで済みました。その跡の
ても裏の畑に莚を敷いて一生懸命に剣術の稽古を致します。
あいつ
くつろ
なかむらきゅうじ
で
骸 は文吉が引取りまして、別に寺もありませんから小岩
遺
すると 近処 では不思議に思いまして、
ま
井村の 菩提所 へ葬むり、また山平は伯父と相談して兎も角
○﹁あの按摩の 家 は余
程 変ってるぜ、巡礼の娘を貰ったと
たと
もお繼を引取り、剣術を仕込み、草を分けても水司又市を
なア、妙な者を貰やアがったなア、でも腕は余程 宜 いに違
てもと
い
の
捜し出して親の敵を討たせんければ成らぬと、深川の富川
いない無闇に剣術を教えるんだが、それも夜中にどん〳〵
ちくとう
な
町へお繼を連れて参り、これから山平の 手許 に置いて剣術
初めやアがる、 彼奴 は余程変り者 だぜ﹂
すぐ
を仕込みまする所が、親の敵を討とうと云う志の 好 い娘で
と云う噂が高く成りまする。丁度九月の節句の事でござ
むしろ
よう
ございますから、両親に仕えて誠に孝行に致します。また
いましてお繼は例の通り修行に出て 家 に居りません。山平
ふたり
お照も山平も実の子の如くにお繼を愛します。是から 竹刀 も別に用事が無いから、 寛 いで居 る所へ這入って来ました
おとがめ
を買って来て、間が有れば前の畑に 莚 を敷きまして剣術を
のは、土屋様の足軽 中村久治 と申す人。
うち
教えまするが、親の敵姉の敵夫の敵を捜して、水司又市を
久﹁先生々々﹂
よう
ゞ
討たんければ成らぬと云う一心でございますから、教えよ
た
うも教え 様 、覚える方も尋
常 でないから段々〳〵と剣術が
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
久﹁えゝ中村久治でげす、さて先日は大きに﹂
山﹁誰
方 ですえ﹂
事でげしょうなア﹂
名人という事を聞きました⋮成程して強い御家来衆も有る
というのが御指南番で、成程あれは老人だが 余程 澁川流の
山﹁へえ成程杉村内膳、柔
術 は⋮⋮うん成程 澁川流 の 小江田 だ
山﹁えゝ貴方は先日急に御用で揉掛けになって、まだ腰の
久﹁沢山ある上に其の上にも〳〵と抱えるのは、全体殿様
こ え
方だけが残って居りました﹂
が武張っていらっしゃるので、武芸の道が何よりもお 好 で
しぶかわりゅう
久﹁いやもう 私 は酒は飲まず、 外 に楽 みも無いので、まア甘
なア、先年此の 常陸 の土
浦 の城内へお抱えに成りました者
やわら
い物でも食い、茶の一杯も飲むくらいが何よりの楽み、それ
が有りまして、これは元 修行者 だとか申す事だが、余
程 力
どなた
に私はまア此の 疝気 が有るので、疝気を揉まれる心持は 堪 量の勝れた者で、 何 のくらい力量が有るか分らぬという事
ど
しゅぎょうじゃ
いまわ
う だ
よっぽど
ごうか
せんげんやま
よっぽど
えられぬて、湯に這入ってから横になって疝気を揉まれる
で﹂
やわら
ごうりょく
あら
すき
のが何より楽しみだが、先生は私の様な者だからと思って
山﹁はゝア大した力量の有る者をお抱えに成りましたな﹂
あたりまえ
たのし
安く揉んで下さるんで先生は 柔術 剣術も 余程 えらいと云う
ほか
ことを聞いて居りますが、何うも 普通 の先生でない、たし
五十九
わし
か去年でげしたか、田月という菓子屋で盗賊を押えなすっ
ごうだん
と かさま
つちうら
たって、私の屋敷でもえらい評判でねえ﹂
み
ひたち
山﹁なに出来やア致しませんが、幸いに泥坊が弱かったか
久﹁えゝお抱えに成りましたと云うのは、 宇陀 の浅
間山 に
よ
こた
ら⋮⋮これ照やお茶を上げろ⋮⋮是やア詰らぬ菓子ですが、
條彦五郎 という泥坊が隠れていて、是は二十五人も手下
北
せんき
丁度貰いましたから召上るなら﹂
の者が有るので、 合力 という名を附けて 居廻 りの豪
家 や寺
よっぽど
久﹁いやこれは有難い、先生の処はお茶は 好 し菓子までも
院へ 強談 に歩き、沢山な金を奪い取るので、何うもこりゃ
ほうじょうひこごろう
下さる、有難いと云って毎度噂を致します、 何卒 又少し療
ア 水戸 笠
間 辺までも暴 すから助けて置いては成らぬと云う
どうぞ
治を願いましょうか﹂
ので、城中の者が評議をした、ところが何うも八州は役に
ごたいはん
どなた
さぞ
山﹁えゝお屋敷も 御大藩 でげすから、御家来衆も 嘸 多い事
にんず
立たぬから早川様が押えようという事になって、就きまし
およ
でございましょうが、御指南番は何
方 でげすえ﹂
分に取巻いて見た所が、北條彦五郎は岩穴の中に住んでい
ては 凡 そ二百人も 人数 が押出しました押出して浅間山を十
すぎむらないぜん
久 ﹁なに 杉村内膳 と云って、一刀流ではまア随分えらい
三二
者だという事で﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
ょ
わたくし
おい
り付けで、これから其の修行者に取押えを言い付けた所が、
し
奴 のいうには手前の 其
脊負 った笈 に目方が無くては成らぬ
そいつ
る、その穴の入口が小さくて、中へ這入るとずっと広くて、
から、鉄の棒を入れるだけの手当を呉れと云うから、多分
あるい
すまい
処 に 其
家 を拵えて住
居 として居り、また筑波口の方にも小
の手当を遣ると全く金を取って逃げる者でも無く、それか
うち
さい岩穴が有って、これから是れへ 脱 けるように成って 居 ら手当の金で鉄の重い棒を買い、笈の中へ入れて、 彼 の北
こ
るから、 此方 の方を固めて居ても、此方の方から谷に下り
條彦五郎の隠れて居るという穴の側へ行って、 其処 へ笈を
そ
て水を汲んだり、 或 は百姓家で挽
割 を窃 み、米其の外 の食
放り出して、 労 れた 振 をして修行者が寝て居ると、ある月
ど ん
とう〳〵みずぜめ
い
物を運んで隠れて居ります、さ、これでは成らぬと槍鉄砲を
夜の晩に彦五郎の手下が穴の側へ見張に出て見ると、修行
おち
ぬ
持って向った所が穴の中が 斯 う成ってゝ鉄砲丸 が通らぬか
者が居るから、
﹁これ何うした﹂
﹁私 は歩けません﹂
﹁何うい
ぬ
こちら
ら、何
様 な事をしてもいかぬ、所でもう 是 りゃア水攻めに
う訳で歩けぬ﹂﹁道に労れて歩けませんから、寝て居りま
おおぜい
し ょ
か
するより外に仕方が無いと云って、どん〳〵水を入れて見
す﹂と云うと、﹁此処に居ては成らぬから 行 け﹂﹁行くにも
ほとん
かつ
わたくし
こ
ると、下へ脱 けて落 る処が有るから遂
々 水
攻 も無駄になっ
行かないにも荷物が脊
負 えません﹂
﹁脊負えぬなら脊負わせ
す
えら
ど
そ
て、何うしたら宜かろうと只浅間山を 多勢 で取巻いて居る
て遣ろう﹂と云うので手下の奴が動かそうとしたが中々動
おいはぎ
ほか
だけじゃが、肝腎の彦五郎は裏穴から脱けて、相変らず人
かぬから、こりゃア何ういう重い物だか、是を脊負うのは
しゅぎょうじゃ
ぬす
を殺したり追
剥 を為 るので、これには殆 ど重役が困ってい
い者だといって手下の者が皆寄ったが持てぬから﹁ 剛 手前 だいりきぶそう
ひきわり
る所に、一人の 修行者 が来て、あなた方は幾ら 此処 を取巻
これを脊負って歩くか﹂﹁歩けますが、此の通り足を 腫 ら
と
かた
ふり
いて居ても北條彦五郎を取押える事は出来ません、殊に北
したから仕様が有りません﹂と云うので足を出して見せる
わたくし
てめえ
つか
條彦五郎は 大力無双 で、二十五人力も有るという事だから、
と、巧 く拵えて膏薬を貼って居て﹁これだから 担 げません﹂
ど
だま
てもいけぬに依ってお引揚げなさいと云うから、引揚げ
兎 と 云 う か ら﹁ 手前 は何 のくらい力がある﹂﹁ 私 は五十人力
こ
たら何うすると云うと、 私
一人に盗賊取押え 方 を仰付け
ある﹂と云うと、手下の奴が﹁そりゃア嘘だろう﹂
﹁なに嘘
こ
られゝば有難いと云うので、然らば修行者は 何 のくらいな
じゃアない﹂
﹁いや嘘だ、嘘は泥坊の初まりだが、こりゃア
ゆ
力が有るかと云うと、私は力が有ります、何うか盗賊取押
手前が嘘だ﹂﹁いや決して嘘でない﹂という争いになると、
こ ゝ
えを仰付けられたいと云うから、段々評議をした所が、何
北條彦五郎が、なに此の位の物を脊負って動けぬことが有
や
は
てめえ
せ今までのように頑張っていても出るか出ないか知れぬか
うま
ら、当人が取押えると云うなら 遣 らして見ろという仰しゃ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
に首
領 が打たれたと云うから、そりゃアと 鉦 太鼓で 捕人 が
物が上へ載ったから動きも引きも出来ない、すると修行者
したから、ぐしゃッと彦五郎が倒れると、恐ろしい目方の
ないで、やっとよじ〳〵五六足 歩くと、修行者が後 から突
飛 た、大
力無双 の奴だから、脊負って立ちは立った所が歩け
るものかと云うので、 連尺 を附けて脊負って立ちやアがっ
山﹁只今は 何方 に﹂
久﹁なに、時々下屋敷へも来ますよ﹂
のでげすな﹂
その才智もえらい者だが、 私 は何
卒 して其の方を見たいも
山﹁左様でげすか、そりゃア立派な者でげすなア、何うも
派な 逞 ましい 骨太 の剛い奴で﹂
又市というので、面
部 に疵があり、えゝ年は四十一二で、立
久﹁いゝえ桜川の庵室に居ったから、それを姓として櫻川
れんじゃく
行って、手下の奴を押えて吟味すると 何処 から這入って何
久﹁今は 小川町 の上屋敷に居ります﹂
かしら
ぬ
とりて
みょうじ
も
ほねぶと
いずかた
おがわまち
いず
お
処から 脱 けるという事まですっぱり白状に及んだから、よ
山﹁ 若 しお下屋敷へお出でになったら 一寸 教えて下さいま
さくらがわ
か
う〳〵の事で浅間山の盗賊を掃除したと云うので、是れか
せんか、 何 れそりゃア尋
常漢 では有りませんなア、こりゃ
だいりきむそう
ら其の修行者は剣術も心得て居るだろうから当家へ抱えろ
ア見たいな、何ういう男か一度は見て置きたいが何うか一
ぐあい
たく
という事になって、これまで 桜川 の庵室に居ったから苗
字 寸ねえ﹂
よっぽど
つきとば
を櫻川と云って五十石にお抱えに成ったが、知慧もあり剣
久﹁そりゃア造作もない事だから知らせましょう﹂
うま
うしろ
術も出来て余
程 賢い奴だ、其の荷を拵えた 工合 は旨いもの
山﹁じゃア一寸知らせて下さい、別にお礼の致し方は無い
あし
で、動けない様にする工夫が 巧 いものじゃアないか﹂
が、あなたの非番の時に 無代 療治をして、好 い茶を煎 れて
た ゞ
たゞもの
た ゞ
きっと
どうぞ
山﹁へえ、それは全く修行者で、六部でげすか﹂
菓子を上げる位の事は致しますから﹂
たゞもの
わし
か お
わし
久﹁いや段々聞いたら何でも 尋常 の奴でない、人の噂でも
久﹁それははや、そんな旨い事は無い、こりゃア有難いが、
かね
何うも 尋常漢 でない、大かた長脇差では無いかという評判
それは茶と菓子ばかりで療治の代を取らぬと云うこたア有
ど こ
を立てたら、当人がそんならお話をいたしますが、実は 私 りません、今度来たら 屹度 知らせますが、滅多に此
方 へは
ちょっと
は元は侍で、榊原藩でございますと云ったそうだが、 面部 来ません﹂
こちら
い
に疵を受けた、 総髪 の剛 い奴で﹂
山﹁何うか知らせて﹂
い
山﹁それは何でげすか、名はなんと﹂
久﹁えゝ宜しい﹂
えら
久﹁名は櫻川という処に居った者で、櫻川又市と云う﹂
そうはつ
山﹁へえ桜川という処の者で﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
れ難く、十月十五日に猿子橋でお繼が水司又市と 出遇 いま
と、中村に頼んで櫻川の来るのを待って居ると、天命 免 もの﹂
山﹁屹度それに相違ない、何うかして 見顕 わして遣りたい
ました。跡で山平は、
と云うので療治を致して、旨い菓子などを食わせて帰し
山﹁さア御療治﹂
の和尚に逢って、丁度親父の祥
月命日 、聊 か志を出して、何
へ出て、白山を流して 御殿坂 を下 り、小
石川極楽水自証院 致して、 彼 れから下谷へ出まして本郷へ上 り、それから 白山 うど十月の十五日の日でございます、浅草の観音へ参詣を
唄って日々に窓から首を出す者の様子を 窺 います所が、ちょ
早く又市を見出したいと心得、土屋様の長屋下を御詠歌を
と 言聞 けて置きましたが、お繼は是を聞いてからは 何卒 討たせるから﹂
て、宜く心を静めて又市が下屋敷へ参る時に認めて、私が
えこう
ねんご
い
あが
はくさん
こいしかわごくらくみずじしょういん
まなこ
みのうえ
いきどのざか
あった
ありあい
こはるなぎ
あ
しょうつきめいにち いさゝ
ほか
とん
どうか
すると云う、これから愈
々 巡礼敵討のお話でございます。
うかお経を上げて下さいと云う。和尚も巡礼の 身上 で聊か
いいき
でも銭を出して、仏の 回向 をして呉れと云うのは感心な志
みあら
六十
と思いましたから、 懇 ろに仏様へ回向を致します。お経の
うかゞ
間待って居りますると、和尚が茶を 点 れたり菓子を出した
のが
さて図らずも白島山平が敵の手掛りを聞きましたから、
り、また精進料理で旨くはないが、 有合 で馳走に成りまし
まどした
あ
お繼が帰って来るのを待って話を致すと、飛立つ程に悦び、
て、是から極楽水を出まして、 彼 れから壱
岐殿坂 の下へ出
い
あ
繼﹁少しも早く土屋様のお屋敷へ参って﹂
て参り、水道橋を渡って小川町へ来て、土屋様の下屋敷の長
せん
よ
で
と云うを、
屋下を御詠歌を唄って、ひょっとして窓から報謝をと首を
せんだっ
わし
お
山﹁いや未だ 確 と認めも付かぬうち、先 の様に人違いをし
出す者が又市で有ったら何ういたそうと、八方へ 眼 を着け
めんてい
とて
あだ
ごてんざか
ては成らぬ、人には随分似た者もあり、顔に疵のある者も
て 窓下 を歩くと、十月十五日の 小春凪 で暖 かいのに、すっ
そち
やせうで
いよ 〳〵
有るから、先
達 ての人違いに懲 りて、これからは 善 く〳〵
ぱり頭巾で 面 を隠した侍と、 外 に二人都合三人連の侍が通
しか
心を落着け、確と 面体 を認めてから静かに討たんければ成
用門を出まして小川町へかゝるから、顔を隠しては居るが、
あにいさま
こ
らぬ、殊に汝 は剣術が出来てもまだ年功がなし年も 往 かぬ
ひょっとしたら 彼 れが又市ではないかと、段々見え隠れに
おもて
から其の 痩腕 では迚 も又市には及ばぬ、 私 も共に討たんで
跡を追って参ります、なれども 頓 と様子が分りません。す
あ
は成らぬ、殊にお照の為にはお 兄様 の仇 であり、年頃心に
い
掛けて 居 る事ゆえ、お前一人で討つわけには往かぬに依っ
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
と 名告 りながらぴったり 振冠 った時は、水司又市も驚い
繼﹁親の敵﹂
あと
ると 伊賀裏 まで来ると一人の侍は別れ、 後 は二人になりま
たの驚かないの、 恟 り致して少し後 へ退 る。往来の者も驚
いがうら
して、
きました。人
中 で始まったから、はあと皆後 へ 下 りました。
ひげ
せい
あった
ふりかぶ
侍﹁あゝ大きに熱うございました﹂
ちょうど此の時白島山平は少しも心得ませんから療治を致
そうはつ
いっぱい
の
と云う。これは成程熱い訳で、気候がぽか〳〵暖 かいに、
して一人の客を帰した 後 で、茶を点 れて一服 遣 って居りま
これ
うちか
な
頭巾を 冠 っていては堪 らん訳でございます。やがて頭巾を
すると、入口から年四十二三の色の浅黒い女が、 半纒 を着
すぐ
やが
い
ちょうずば
さが
取ると総
髪 の撫
付 で、額には斯う疵がある、色黒く 丈 高く、
て居りましたが、 暖 かいから脱ぎまして、包 へ入れて 喘々 つれ
きた
た
あと
から 頬 頤 へ一
抔 に髯 が生えている逞 しい 顔色 は、紛れもな
して、
あ
びっく
い水司又市でございますから、親の敵と 直 に討
掛 かろうと
女﹁少しお頼みでございますがお 手水場 を拝借致しとうご
はまちょう
おふなぐらまえ
そ こ
せっちん
ひ や
つゝみ
や
あが
さが
思ったが、まだ 連 の侍が一人居りまするから、段々見え 隠 ざいます﹂
もみぐら
たばこや
きわ
あと
れに付いて参ると、 浜町 へ出まして、彼 れから大橋を渡り
照﹁はい 其処 は汚 のうございますが、何ならお 上 りなすっ
かたかわ
ぬりなお
ひとなか
ますると、また一人の侍は挨拶をいたして別れ、 御船蔵前 て﹂
こちら
あった
へ掛って六間堀の方へ曲りますと、水司又市は一人になり
女﹁いゝえ、汚ない処が心配が無くって宜しゅうございま
とま
あと
まして、深川の元町へ掛って来たから最う我慢は出来ませ
す﹂
たま
ん。先へ通り抜けると、御案内の通り 片側 は籾
倉 で片側町
とつか〳〵と雪
隠 へ這入り頓 て出て参って、
なでつけ
になって居りまして、竹細工屋、瀬戸物屋、 烟草屋 が軒を
女﹁あの少しお 冷水 を頂き 度 いもんでございます、此
処 に
かむ
並べて居り、その頃田月堂という菓子屋があり、前町を出
有るのを頂いても宜しゅうございましょうか﹂
あじろ
す
さ
こ ゝ
はんてん
抜けて猿子橋にかゝりますると、 此方 は猿子橋の 際 に汚い
照﹁其処にも有りますが、汚のうございますから、是れで⋮⋮
ねばつち
がんしょく
代 を掛けて、 足
苫 が掛っていて、籾倉の 塗直 し、其の下に
さア水を﹂
しぐれ
たくま
土 が有って、一方には 粘
寸莎 が切ってあり、職人も大勢這
と柄杓で水を出すから、
これ
入って居るが、もう日が西に傾きましたから職人も仕事を
女﹁有難うございます﹂
うち
しょうとう
せい〳〵
しまいかけて居ります、なれども夕日は一ぱいに 映 す。其
と手に水を受けながら顔を見て、
はねの
がく
の中 に空は時
雨 で曇って、少し暗くなりました所で、笠を
さ
取って 刎除 け、 小刀 を引抜きながら、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
照﹁あのそれ団子屋のきんが﹂
山﹁なに﹂
照﹁まア 思掛 けない⋮⋮あの旦那様きんが﹂
きん﹁誠に暫く﹂
照﹁なにお嬢様どころではないお婆
様 だよ﹂
きん﹁あら誠にお嬢様﹂
照﹁おやまアお前はきんかえ﹂
女﹁おや﹂
も有りませんけれども、まア志のお経を上げて帰って来る
て、 猿江 のお寺へ今日お墓参りをして、其処に埋めた訳で
てから、日は分りませんが 私 もまア出た日を命日としまし
りましたが、三年経っても音沙汰がない所へ、それを聞い
は馬鹿が夫を待つという 譬 の通り、もう帰るかと待って居
きましたが、それとは知らず一旦亭主にしましたから、 私 の葉広山とか村とかいう処で悪い事をして 斬殺 されたと聞
魚屋の仲間の者が帰って来て聞きましたら、三年 前 に信州
して、女房を置去り同様音も沙汰もしずに居ましたが、旅
屋でございますが、商売に出ても 賭博 が好きで道楽ばかり
ばくち
きん﹁おや〳〵あの山平様、誠に何うもまア貴方何う遊ば
道で、あなたにお目に懸るとは本当にまア思掛けない事で
わたくし
やっぱり
そめい
うち
あと
したかと存じて居りましたが、宜くまアそれでも⋮⋮ 私 は
ねえ﹂
あ
きりころ
何うもお見掛け申したお方だと考えて居りましたが、貴方
照﹁本当にねえ、だがお前は 矢張 あの上野町に居るのかえ﹂
ばあさん
の方がお忘れ遊ばさずにきんと仰しゃって下すった﹂
きんじょ
たなちん
ひっこ
おうじ
わたし
照﹁私は 彼 の時は元服前で見忘れたろうが、私は何うも見
六十一
たとえ
た様だと思い、お前が口を利く 声柄 で早く知れましたよ﹂
おもいが
きん﹁誠に何うも思掛けない、まア〳〵旦那様御機嫌宜しゅ
きん﹁はい上野町に居りましたが、 彼 の近
辺 は家 がごちゃ
さるえ
う、何うしてね此処に入らッしゃるのでございますえ﹂
〳〵して居ていけませんし、ちょうど白山に懇意なものが
わたくし
山﹁はい長い間旅をして、久しく播州の方へ参って、少しの
居りまして、あちらの方はあの団子坂の方から 染井 や 王子 こえがら
間世
帯 を持って居たり、 種々 様々に流浪致し、眼病に成っ
へ行く人で人通りも有りますし⋮⋮それに 店賃 も安いと申
こちら
あ
てから故郷懐かしく、実は去年から此処へ来て 世帯 を持っ
すことでございますから、只今では白山へ 引越 しまして、
ちっ
いろ〳〵
て居る﹂
やっぱり団子茶屋をして居りますがねえ、何うも何でござ
せたい
きん﹁何うも 些 とも存じませんよ、尤も 此方 の方へは滅多に
いますね、何うもつい 此方 の方へは参りませんで﹂
わたくし
しょたい
は参りませんけれどもねえお嬢様、あらついお嬢様と云っ
こちら
て、あの御新造様え、 私 の亭主の傳次と申します者は旅魚
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
きん﹁あの御新造様も大旦那様もお 逝去 になりました、それ
来ない身の上で﹂
照﹁あ、お父
様 やお母
様 はお達者かえ⋮今以て帰る事も出
何か無事かえ﹂
山﹁じゃア何か屋敷の様子はお前御存じだろうが、武田や
て、
と云って聞いて居ると、ばら〳〵〳〵〳〵と人通りがし
山﹁何だか表が騒がしいが何だ﹂
照﹁まア 種々 話も聞きたいから少し⋮⋮﹂
事でねえ﹂
いましょう、お力落しでございましょう御丹誠甲斐もない
きん﹁へえお十五まで、それは 嘸 まア落
胆 遊ばしたでござ
がっかり
に御養子はいまだにお 独身 で御新造も持たず、貴方がお 出 甲乙﹁なに今敵討が始まった、巡礼の娘と大きな侍と 切合 さぞ
遊ばしてから 後 で、書
置 が御新造様の手箱の引
出 から出ま
が始まった、わーッ〳〵﹂
あと
かきおき
たとえ
ひとり
っかさま
したので、是は親不孝だ、仮
令 兄の敵を討つと云っても、女
と云って人が駈けて通るから山平は驚きまして、
とっさま
一人で討てるもんじゃ無い、殊に亭主を置いて家出をして
山﹁これ何を、それ大小を出しな﹂
みくじ
しにめ
いろ〳〵
は養子の重二郎に済まない、飛んだことだと云って御新造
きん﹁何でございますえ﹂
かくれ
は一層御心配遊ばして、お 神鬮 を取ったり御祈祷をなすっ
山﹁何でも宜しいから大小を⋮⋮きんやお前 此処 に居て⋮
うち
いで
たりしましたが、それから二年半ばかり経ちまして、御新
お前居ておくれ、二人 往 かなければならんから留守居をし
みん
ひきだし
造がお逝去になり、それから丁度四年ほど経って大旦那様
て﹂
そ
はしょ
とびしさ
よっぽど
あきんどや
きりあい
もお逝去﹂
金﹁何うなすったんでございますえ﹂
すそ
こ ゝ
照﹁おやまア 然 うかえ、心得違いとは云いながら親の 死目 山﹁何うなすった 所 じゃア無い何うでも宜しいから早く﹂
たのし
よう
い
にも逢われないのは 皆 な不孝の 罰 だね⋮⋮私も家 を出る時
と是れから 裾 を端
折 って飛出したが、 此方 は余
程 刻限が
ばち
には身重だったが、翌年正月生れたんだよ﹂
遅れて居ります。お話は元へ戻りまして、お繼が親の敵と
しるべ
こ
どころ
きん﹁そう〳〵お懐妊でしたね﹂
切りかけました時は水司又市も驚いて、一間ばかり 飛退 っ
しょたい
三三
め﹂
こちら
照﹁それが女の子で、旅で難儀をしながらも子供を 楽 みに
て長いのを引抜き、
そ
何うかしてと思って、播州の 知己 の処へ行って身を隠し、
又﹁狼藉者
こ
少しの内職をして 世帯 を持っていた所が、其
処 も思う 様 に
と云うと往来の者はどやどや 後 へ逃げる、商
人家 ではど
あと
行かず、それから又長い旅をして、その 娘 も十五歳まで育
なく
てたが 亡 なったよ﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
はたもと
あ
やっぱり 旗下 のお嬢様か何かで、剣術を知らんでは 彼 の大
にげこ
か〳〵ッと奥に居たものが店の鼻ッ先へは駈出して見たが、
い
きな侍に切掛けられアしない、だが女一人じゃア危ないな
ん
ふりかぶ
し
ア、誰か出れば 宜 いなア﹂
あたり
少し怖いから事に依ったら再び奥へ遁
込 もうと云うので、丁
かなきりごえ
度臆病な犬が魚を狙うようにして見ている。 四辺 は粛
然 と
丙﹁危ないから無闇に出る奴は有りやアしません﹂
こっち
して水を撒いたよう。お繼は鉄
切声 、親の敵と呼んで 振冠 っ
甲﹁だって向うは大きな侍、 此方 はか弱い娘で⋮⋮あゝけ
んのんだ﹂
そ
でも変りは無いもので、
と見物がわい〳〵と云う。
めんてい
たなり、 面体 も唇の色も変って来る。然 うなると女でも男
繼﹁私を見忘れはすまい、藤屋七兵衞の娘お繼だ、 汝 は永
丙﹁おい早く 差配人 さんへ知らせろ﹂
てまえ
禪和尚で、今は櫻川又市と云おうがな﹂
丁﹁おれの差配人さんでは間に合わない、 何処 の差配人さ
や
と云う其の声がぴんと響く。その時に少し 後 へ下 って又
んへ 然 う云うのだ﹂
お
市が、
丙﹁差配人さんが間に合わぬなら自身番へ知らせろ⋮⋮あッ
お
又﹁何だ覚えはないわ、左様な者でない﹂
あー⋮危ねえ〳〵敵討は何とか云いましたか﹂
そ こ
こぶし
かた
たもと
あいつ
たま
﹁何とか云ったッけ、 汝 を討たんと十八年﹂
ど こ
とは云っても覚えが有るものでございますから、其
所 は相
乙﹁何と云ったか聞えやアしない﹂
さが
手が女ながらも心に 怯 れが来て段々後へ下る。すると段々
乙
あと
見物の人が群 って、
甲﹁何を云やアがる騒々しい喋っちゃアいけねえ﹂
そ
甲﹁何でげす﹂
丙﹁あゝ危ねえ〳〵﹂
おく
乙﹁今私は瀬戸物屋へ買物に来て見ていると、だしぬけに
と 拳 を握って見ている、人は人情でございますから、何
こわ
なんじ
親の敵と云うから、はッと跡へ下ろうと思うと、はッと土
うぞして娘に 勝 せたい、娘に怪我をさしたくないと見ず知
三五
瓶を放したから、あの通り石の上へ落ちて 毀 れてしまいま
らずの者も心配して、橋の袂 に一抔人が溜 って居りますが、
たか
した、あゝ驚きました、何うも 彼 の娘でげすな﹂
中々助太刀に出る者は有りません。
あ
甲﹁へえ彼の娘が敵討だと云って立派な侍を狙うのですか、
い
甲﹁向うに侍が二人立って見ているが、 彼奴 が助太刀に出
三四
そうなもんだ、何だ覗いて居やアがる、本当に不人情な侍
あ
感心な娘で、まだ十七八で 美 い女だ、今は一生懸命に成っ
だ、あの 畜生
打
擲 れ﹂
ちきしょうぶんなぐ
てるから
顔つきが怖いが、 彼 れが笑えば美い女だ﹂
乙﹁へえ、それは感心、あゝ云う巡礼の姿に成って居るが、
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
とわい〳〵云う 中 に、
と思わず声を上げました。
うち
繼﹁親の敵思い知ったか﹂
あいじょうだん
きりおろ
六十二
ひとあし
さが
が、一足 下 って相
上段 に成りました。よく上段に構えると
と 一足 踏込んで切
下 すのを、ちゃり〳〵と二三度合せた
あと
き っ と はたもと
ふりかぶ
かたはしおり
見物﹁あゝ危ねえ、誰か助太刀が出そうなものだ﹂
せいがん
ざら
つつッぽ
か正
眼 につけるとか申しますが、中々剣術の稽古とは違っ
さいとり
たれ
と云って居るが、 誰 も出る者はない。すると側に立って
ほか
て真剣で敵を討とうという時になると、只斬ろうという念
じゃく
ぶ
だれ
めくらじま
居たのは左官の 宰取 で、 筒袖 の長い半纏を 片端折 にして、
ふたえまわ
より 外 はございませんから、決して正眼だの中段などとい
はだし
つら
やつ
さが
重廻 りの三尺 二
を締め、洗い 晒 した 盲縞 の股引をたくし上
うかゞ
いきづか
うち
う事はない、唯双方相上段に振上げて斬ろう〳〵と云う心
げて、跣
足 で泥だらけの宰取棒を持って、怖いから 後 へ下 っ
こあま
で隙 を覘 う、水司又市も 眼 は血走って、此の小
娘 只一撃 と思
て居たが、今鼻の先へ巡礼が倒れ、大の侍が 振冠 って切ろ
こいつ
まなこ
いましたが、一心凝 った孝女の 太刀筋 、此の年四月から十月
うとするから、人情で怖いのを忘れて、宰取棒で水司又市
すき
まで習ったのだが一生懸命と云うものは強いもので、少し
の横っ 面 をぽんと打 った。
あと
たちすじ
も斬込む隙がないから、 此奴 中々剣術が出来る奴だなと思
見物﹁あゝそら出た〳〵助太刀が出た、 誰 か出ずには居な
こんじょう
こ
い、又市も油断をしませんで隙が有ったら逃げようかなん
いて、何うも有難うございます、いゝえ中々一人では討て
こちら
と云う横着な 根生 が出まして、 後 へ段々 下 る、此
方 も油断
屹度 旗
下 の殿様
る訳がない、あれは姿を ※ して居ても、 さが
はないけれども年功がないのはいかぬもので、段々 呼吸遣 おっか
よこッつら
だ、有難い〳〵﹂
つか
いが荒くなって 労 れて来るから最早死物狂いで、
と喜び、わア〳〵と云う。又市は 横面 を打たれるとべっ
みけんさき
てんどう
繼﹁思い知ったか又市﹂
ねばつち
たり顔に泥が付いたが、よもや斯ういう者が出ようとは思
そば
と飛込んで切込むのを丁と受け、引く所を附け入って来
わぬ所だから、是れに 転動 したと見え、ばら〳〵〳〵〳〵
あおむけ
ひとあしふたあし
るから、 一足 二
足 後へ下ると傍 の粘
土 に片足踏みかけたか
ひとうち
ぶッぱら
と横手へ駈出した。すると宰取は 追掛 けて行って足を一つ
ふりかぶ
がんしょく
ら危ういかな 仰向 にお繼が粘土の上へ倒れる所を、得たり
ぶ
払 うと、ぱたーり倒れましたが、直ぐに起上ろうとする
打
﹁窶﹂の﹁穴かんむり﹂に代えて﹁うかんむり﹂
、
﹁窶﹂の俗字、 514-11
ま
と又市が 振冠 って一
打 に切ろうとする時大勢の見物の顔
色 処を又 た打 ちますと、眉
間先 からどっと血が流れる。する
1
が変って、
見物﹁あゝ﹂
1
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
山﹁あゝそれは感服、敵の又市は何処にいる﹂
繼﹁いゝえ怪我は致しませぬ、首尾 好 く仕留めました﹂
よ
と見物は尚わい〳〵云う。
繼﹁縁の下に居ります﹂
くら
見物﹁そら逃げた殴れ〳〵﹂
め
と云う奴があり、又石を投げる弥次馬が有るので、又市
山﹁縁の下に⋮⋮じゃア縁の下へ隠れたか﹂
せんだっ
こ
は眼 が眩 んで、田月堂という菓子屋へ駈込んだから菓子屋
繼﹁いゝえ只今落ちましたから 其処 を上から突きましたの
ぬきみ
まんじゅう
はず
あだうち
そ
では驚きました。店の 端先 へ出て旦那もお 内儀 も見ている
で﹂
うすべり
かぶ
かみさん
処へ 抜身 を提 げた泥だらけの侍が駈込んだから、わッと驚
山﹁うん 然 うか、やい出ろ﹂
せんべい
はなさき
いて奥へ逃込もうとする途端に、 蒸 したての饅
頭 の蒸
籠 を
と 髻 を取ってずる〳〵と引出しますと、今こじられたの
ひっくりかえ
さ
覆 す、 転
煎餅 の壺が落ちる、 今坂 が転がり出すという大騒
は急所の深手、
あきんど
あたま
そ
ぎ。商
人 の店先は揚
板 になって居て薄
縁 が敷いてある、そ
又﹁うーん﹂
ふみはず
せいろう
れへ踏掛けると天命とは云いながら、何う云う 機 みか揚板
と云うと田月堂の 主人 はべた〳〵と腰が抜けて奥へ逃げ
はず
ふか
が外 れ、踏
外 して薄縁を天
窓 の上から冠 ったなりどんと又
る事も出来ません。山平が是を見ると、地面まで買ってく
たぶさ
市は揚板の下へ落ちる、処へ得たりとお繼は、
れた田月堂の主人が鼻の先に居るから、
こじ
いまさか
繼﹁天命思い知ったか﹂
山﹁これは何うもお店を 汚 しまして何とも、御迷惑でござ
あげいた
と上から力に任して 抉 ったから、うーんと苦しむ。する
いましょうが、これは手前娘で、 先達 て鳥
渡 お話をいたし
あるじ
と嬉しがって左官の宰取が来まして
た、な、が全く親の 仇討 に相違ございません、 委 しい事は
けが
宰取﹁この野郎〳〵﹂
後でお話を致しますが、決して御迷惑は懸けませんから御
くわ
と無闇に殴る処へ、人を分けて駈けて来たのは白島山平。
心配なく﹂
こ
と云ったが田月堂の主人は中々口が利けません。
ど
繼﹁あゝお父
様 ﹂
田月の主﹁え⋮あ⋮うん⋮うんお立派な事でございます﹂
ちょっと
山﹁巡礼の娘お繼と申す娘は 何処 に居りますか﹂
山﹁おゝ〳〵〳〵討ったか﹂
と泣声を出してやっと云いました。
とっさま
繼﹁お父様宜く来て下すった﹂
い
山﹁さア是れへ出ろ、これへ参れ⋮⋮これ見忘れはせぬ、
てまえ
分 に汝 大
も年を取ったが此の不届者め、 汝 が今まで活 きて
うぬ
山﹁それだから申さぬ事じゃア無い一人で⋮⋮怪我は無い
だいぶ
か﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
しんぶつ
てまえ
そ
みなり
山﹁えゝ何うも恐入りました、只今は 然 ういうお身
形 だが、
しか
々 は然 前
るべきお身の上のお方と存じます、左もなくて腕
まえ〳〵
いるのは 神仏 がないかと思って居た、この悪人め、 汝 は宜く
がなければ中々又市を一 撃 にお打ちなさる事は出来ぬ事で
せつがい
も己の娘のおやまを、先年信州白島村に於て 殺害 して逐電
うち
致したな、それに汝は屋敷を出る時七軒町の曲り角で中根
な、えゝ御尊名は何と仰しゃるか必ず然るべきお方でござ
たちの
わっち
善之進を討って 立退 いたるは汝に相違ない、其の方の常々
おうぎ
たしか
いましょう﹂
らくがき
持って居た 落書 の扇
子 が落ちて居たから、確 に其の方と知っ
宰取﹁うーん、なに 私 は弥次馬で﹂
しょう
ては居れど、なれども確かな 証 がないから其の儘打捨てお
山﹁矢島様と仰しゃいますか﹂
ねえか﹂
わっち
かれたのであるが、少女に討たれるくらいの事だから、最早
宰取﹁うん、なに矢島様じゃアねえ、只 私 は見兼たからぽ
山﹁ い や こ れ は 手 前 養 女 で ご ざ る 、実 父 は 湯 島 六 丁 目 の
あ
どうせ其の方助かりはしない、さア汝も武士だから隠さず
かり極めたので⋮⋮お前さん親の敵だって親が 在 るじゃア
しにしても云わせる、さア云わんか﹂
問屋 藤屋七兵衞と申す、その親が討たれた故に親の敵と
糸
ごぶだめ
善之進を討ったら討ったと云え、云わぬ時に於ては 五分試 と面 を土に摺
付 けられ苦しいから、
申すので、只今では手前の娘に致して居ります﹂
やっ
すりつ
又﹁手前殺したに相違ござらん﹂
おもて
と云うのが漸 と云えた。
宰取﹁えゝ藤屋七兵衞、おい、それじゃア何か、妹のお繼
こいつ
いとどいや
山﹁繼、 予 て一人で手出しをしては成らぬと云って置いた
か﹂
かね
が、お前一人で 此奴 を宜く討ったな﹂
繼﹁あれまア何うも、お前は 兄 さんの正太郎さんでござい
こ
にい
繼﹁はい 此処 においでなさいますお方様が、私が転びまし
ますか﹂
ゝ
て、もう殺されるばかりの処へ助太刀をなすって下すった
どうぞ
とっさま
ので、 何卒 此のお方様にお 父様 お礼を仰しゃって﹂
わっち
六十三
め で
と
山﹁うん此のお方が⋮⋮何うもまあ﹂
ちゃん
ろく
おら
こゝのつ
こんちきしょう
正﹁おゝ正太郎だ⋮⋮何うも大きくなりやアがった 此畜生 、
あんばい
きめ
宰取﹁はアまことに何うもお 芽出度 うございます、なに 私 父 は殺されたか⋮⋮えゝなに高岡で、 親
然 うか、己 ア九
才 そ
は側に立っていて見兼たもんですから、ぽかり一つ極 ると、
の時別れてしまったから、顔も 碌 そっぽう覚えやしねえく
とっ
い
驚いて逃げる所を又 打殴 ったんだか、まア 宜 い 塩梅 で⋮⋮
ぶんなぐ
お前さんは此の方のお父 さんで﹂
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
てめえ
おれ
こ ゝ
あだ
せんだっ
うきくろう
と申す者と三年前から巡礼を致して、長い間旅寝の 憂苦労 ようや
れえだから、 手前 は猶覚えやアしねえが、 己 が此
処 へ仕事
を重ね、 漸 く今日 仇 を討ちましたが、山之助は 先達 て仔細
ほん
有って亡なりました、それ故に手前忰の嫁故引取り娘に致
めえ
に来ていると 前 へ転んだから、 真 の弥次馬に殴ったのが、
ぶんなぐ
丁度 親父 を殺した奴を 打殴 ると云うなア是が本当に仏様の
して、手前が剣術を仕込みまして、何うやら斯うやら小太
おやじ
引合せで、敵討をするてえのは⋮⋮何う云う訳なんです﹂
きゝ
刀の持ち様も覚える次第、まことに思掛けないことで、葛
かた
かね
山﹁訳を申せば長いことでござる、 予 て噂に聞 ましたがお
西の文吉様にもお世話に成りましたから、手前同道致して
さん
前が正太郎様 で、葛西の文吉殿の 方 に御厄介に成っていら
お詫言に参りましょうが、まア兎も角も敵の⋮⋮えゝ人が
あ
しった﹂
立って成らぬなア﹂
とけ
わっち
正﹁ 私 が一太刀﹂
かど
あいそ
ね
いなばちょう
かさ
わびごと
正﹁え⋮⋮彼 れは叔父で⋮⋮お繼、何か小岩井のお婆さん
山﹁いや、お前はお 兄様 でも 初太刀 は成りません、お繼は
ちゃん
おら
おれ
おれ
の 処 え行きてえから、お婆さんに 己 の 詫言 して呉んねえ、
七年このかた親の仇を討ちたいと心に掛けましたから、お
とけ
の敵を討つ助太刀をしたと云う 父 廉 で詫言をして呉んねえ、
繼が初太刀で、お前は 兄様 でも 後 ですよ﹂
こっ
ね
い
あにさん
しでえ
あっち
あと
しょたち
アもう腹一抔 己 借尽 して、婆さんも 愛想 が尽きて寄せ附け
正﹁兄でもからもう面目 次第 もねえ、じゃア後で遣 っ付け
やっ
ちげ
ゆる
あにいさん
ねえと云うので、 己 も行ける義理は無 えからなア、土浦へ
やしょう、 此様 な嬉しい事アござえやせん⋮⋮何でえ 然 う
かりつく
行って 燻 ぶって居たが、その中 に瘡 は吹出す、帰 る事も出
立って見やアがんな、 彼方 へ行け、何だ篦
棒 めえ己は弱虫
いちにんめえ
そ
ちい
やっつ
あまつさ
おっか
や
来ず、それからまア 漸 との事 て因
幡町 の棟梁の処 え転がり
で泣くのじゃアねえ此ん畜生⋮⋮早く 遣付 けて﹂
てつでえ
こんちきしょう
けえ
込んだが、一
人前 出来た仕事も身体が利かねえから宰取を
山﹁なアに早く遣っ付けろと仰しゃっても、長く苦痛をさ
うち
して、今日始めて 手伝 に出て、然 うして妹に遇 うと云うな
して 緩 りと殺すが宜 い﹂
くす
ア不思議だ、こりゃア神様のお引合せに 違 え無 え、何うも
繼﹁これ又市見忘れはすまい、お繼だ、よくも私のお 父様 めえ
たちの
とっさま
そ
大きく成りやアがったなア 此畜生 、幼 せえ時分別れて知れ
を薪割で打殺して本堂の縁の下へ隠し、 剰 え継
母 を連れて
ん
やアしねえ、本当に藤屋の娘か、おい立って見や⋮⋮これ
退 き、また其の前に私を殺そうとして 立
追掛 けたな﹂
こ
をお前 さんのとこの子にしたのか⋮⋮一廻り廻れ﹂
と続けて切ります。
わし
べらぼう
などと云う。
山﹁さア〳〵照やお前も﹂
あ
山﹁誠に是れは思掛けないことで、何うもその死んだ七兵衞
まゝはゝ
殿のお引合せと仰しゃるは御尤もなこと、実は 私 の忰山之助
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
照﹁はい、兄の敵又市覚悟をしろ﹂
と切る。
きりころ
かあい
ふびん
わざ
山﹁さア〳〵今度は私に遣らしてくれ、 可愛 い忰が 不便 の
こいつ
こな
死を遂げたも 此奴 の為、また娘を 斬殺 したのも此奴の 業 、
此奴め〳〵﹂
一
﹁ならない﹂は底本では﹁なならい﹂
欄外に校注:おだやか○平穏○
﹁御留守居役﹂は底本では﹁御留守居後﹂
︵拠小相英太郎速記︶
二
﹁勧められて﹂は底本では﹁勤められて﹂
後註
三
﹁呉れるから﹂は底本では﹁呉るれから﹂
あにさん
四
と四つ角で鮪を 屠 すようで。
五
﹁又﹂は底本では﹁婆﹂
山﹁さア 兄様 だ﹂
六
﹁着て居る﹂は底本では﹁来て居る﹂
ん畜生め﹂
こて
へっつい つくろ
とゞ
すぐさま
うち
正﹁今
度 ア私 の番だ、此ん畜生め親父を殺しやアがって此
わっし
と 鏝 で以て 竈 の繕 い直しをするようにさん〴〵殴ってこ
七
﹁ 頻 ﹂は底本では﹁ 頻 ﹂
こんだ
れから立派に止 めを刺す。其の 中 に諸方から人が出て捨てゝ
八
くわし
しき
も置かれぬから、お繼と山平は 直様 自身番へ参りまして、そ
﹁華者﹂はママ
しきり
れより細やかに町奉行へ訴えに成りましたが、全く親の敵
九
﹁傳﹂は底本では﹁ぱ﹂
ルビの﹁いな﹂は底本では﹁いや﹂
﹁ 詳 くは﹂は底本では﹁詳 くは﹂
﹁聴かれぬ﹂は底本では﹁聴かれね﹂
一一
一二
﹁ 其様 な﹂は底本では﹁其
様 な﹂
一〇
一三
ルビの﹁ひしゃく﹂は底本では﹁ひゃくし﹂
ならび
くは
討と云う事が分りまして、殊に悪事を重ねましたる水司又
とがめ
市でございますから、別段にお 咎 も無く此の事が榊原様の
一四
﹁典﹂は底本では﹁繼﹂
よこちょういけ
しょうどう
はた
あだ
したやかやちょう
平の 手蔓 から 正道 の者で有ると榊原様へお抱えになり、後
てづる
白島の 名跡 を立てますと云う。また左官の正太郎は白島山
のち
一五
ルビの﹁てまえ﹂はママ
か
一六
﹁兄弟﹂はママ
お屋敷へ聞えました所から、白島山平 並 にお照は召返しの
一七
上、彼 のお繼は白島の家の養女になり、 後 に養子を致して
には立派な棟梁となり、正太郎左官と云われて、 下谷茅町 一八
﹁典﹂は底本では﹁繼﹂
そんな
の 横町
池 の端 へ出ようと云う処に、つい十一二年前まで家
一九
そ ん
も残って居りました。目出たく親の 仇 を討ちまして家栄え
みょうせき
ますると云う、巡礼敵討の物語は是が結局でございます。
敵討札所の霊験 三遊亭圓朝
三五
三四
三三
三二
三一
三〇
二九
二八
二七
二六
二五
二四
二三
二二
二一
二〇
﹁乙﹂はママ
﹁成ってるから﹂は底本では﹁成ってるらか﹂
﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂
﹁久﹂は底本では﹁山﹂
﹁太﹂は底本では﹁山﹂
﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂
﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂
﹁狼藉者﹂は底本では﹁狼籍者﹂
﹁文﹂は底本では﹁山﹂
﹁アんたア﹂はママ
﹁掘って﹂は底本では﹁堀って﹂
﹁声﹂は底本では﹁處﹂
﹁宜かったと﹂は底本では﹁宜かつと﹂
﹁繼﹂は底本では﹁山﹂
﹁相成りません﹂は底本では﹁相成りせん﹂
﹁菅笠﹂は底本では﹁管笠﹂
底本:「圓朝全集 巻の二」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和 38)年 7 月 10 日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の二」春陽堂
1927(昭和 2)年 12 月 25 日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、
「其の」と「其」
、
「此の」と「此」
、
「彼《あ》の」と「彼《あの》
」は、それぞれ「其
の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧
にかえました。
入力:小林繁雄
校正:松永正敏
2005 年 3 月 19 日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(
http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制
作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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