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グローバルな視野育成の授業実践に対する認識: 日本の

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グローバルな視野育成の授業実践に対する認識: 日本の
Kobe University Repository : Kernel
Title
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識 : 日本の
中学校教師を焦点に(How Do Teachers Recognize the
Development of Global Perspective? : The Case Study
of Junior High School Teachers in Japan)
Author(s)
武, 寛子
Citation
六甲台論集. 国際協力研究編,11:45-63
Issue date
2010-01
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002150
Create Date: 2017-03-31
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
―日本の中学校教師を焦点に―
武 寛子
1.はじめに
1.1 研究の背景
グローバル化時代における教育実践として、国際理解教育の分野では、留意することが避けられない
現実がある。それは、貧困や飢餓、環境破壊といったグローバルな課題の深刻化、国境を越えた人の交
流が進むことで国内外での異なる文化との接触機会の増加という現実である。教育は、国内外における
社会的情勢に応じて変遷してきている。国家間の社会的、文化的、政治的な関連が強くなり、人の移動
も増す中、教育を通した市民の国際的意識の啓培もまた教育課題の一つである。
1970 年代以降、日本の国際社会への経済的躍進、国内への移民の受入といった背景があり、それらは
留まるどころか、より急進している。そのため、日本でも教育によって市民のグローバルな視野を育成
することは喫緊の課題といえる。1974 年、国際理解教育に関する答申を提出し、その後ユネスコによる
「国際理解、国際協力および国際平和のための教育ならびに人権および基本的自由についての教育に関
する勧告」
(以下、国際教育勧告)を受けたものの、日本の国際理解教育の内実は、他国の文化理解、外
国語学習、海外帰国子女教育、在日外国人教育であり、国際教育勧告における教育内容や目標とは全く
乖離していたことが指摘されてきた(山名ら 2005:60)
。
近年では、国際理解教育の内実をより充実化させるべく、国際教育の実施が検討されている。2005 年、
「初等中等教育における国際教育推進検討会―国際社会を生きる人材を育成するために―」が設置され、
同検討会は、国際教育を「国際化した社会で、地球的視野に立って、主体的に行動するために必要な態
度・能力の基礎を育成するための教育」と定めている。
この国際教育という名称は、ユネスコによる「国際教育勧告」を喚起させるが、その内実は、ユネス
コによるそれとは異なっている。検討会の説明によると、国際教育とは、国際理解教育、海外帰国子女
教育、在日外国人教育を統合した名称である。すなわち、国際理解教育に変わって国際教育と呼ぶこと
を目的とはしていないのである。ゆえに、他国理解を進めるための教育活動は、国際理解教育という名
称が依然として当てられ、都道府県によってどのような教育活動を実施するのかによって異なって呼称
されている。例えば、中央教育審議会の答申においても、国際教育という呼称が一貫して使用されてい
るわけではなく、依然として国際理解教育の名称が使用されているのが現状である1。
1
平成 20 年版文部科学白書「第 1 節 国際社会で活躍する人材の育成」では、国際理解教育の用語を用いている。
政府の答申を受けて各都道府県の教育委員会によって作成された教育計画をみても、
「国際理解教育」の語が使用
されている。例えば、大阪市教育委員会が発行している 2008 年度の「学校教育指針」では、他国の文化理解、外
国語学習を通した国際理解教育について記載されている。
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しかし、グローバル化の進展を背景に検討された国際教育では、自国と他国の文化理解を通した他者
の受容をさらに越えた、
「自分と世界との関係性を認識できる」グローバルな視野育成が必要である。こ
のようなグローバルな視野育成が、学校教育を対象にした場合、国際理解教育や総合的な学習の時間(以
下、総合)における国際理解を対象に論じられてきた。
1.2 問題の所在
従来の学校教育における国際理解教育の研究分野のなかで、グローバルな視野育成、グローバルな課
題の実践研究についても検討されてきた。石森(2008)は、英語教育と国際理解教育の双方においてコ
ミュニケーション能力の育成が目標になっているという観点から、英語科における国際理解教育の実践
について、グローバルな課題に関する指導の観点から検討している。先行研究では、グローバルな課題
に関する教材とともに、教師自身が生徒の視野を広げられるよう「意図的なしかけ」を仕組むことの重
要性を指摘している。具体的に、英語の教科書において、その内容が欧米諸国だけでなく、アジア・ア
フリカ諸国を取り扱うようになったとしても、生徒は依然として開発途上国に対する差別意識や欧米志
向の考え方を有していることを問題視している。そして、調査者自身が実践者となって、環境問題や人
権、平和などのグローバルな課題を実践することで、グローバルな課題に焦点を置いた英語授業の可能
性と効果を提示している(石森 2008)
。文法中心の英語学習から、グローバルな課題の内容を中心とし
た英語学習への移行は、生徒にとって授業での学習内容の理解を深化させ、批判的思考能力の育成の可
能性を提示する重要な課題である。しかし、実践の検討による新たな教育方法の提示は、他の現場で教
育実践をする教師への示唆にしか過ぎない。すなわち、グローバルな課題を取り入れた教授方法や課題
の提示は、あくまで一定の生徒と教師とのやり取り内で留まることを前提に提起されている。
これまで、このようなグローバルな視野育成のための教授方法の実践事例や、カリキュラムの検討が
なされてきた。しかし、これらの先行研究は、実践者となる教師自身が研究対象にはならず、総じて本
人不在のものと指摘できよう。すなわち、先行研究では、教師の力量、認識不足を指摘するのみにとど
まっており、実際に現場ではどのような教育が行われ、実践者である教師はどのようにこれらの教育活
動を認識しているのか、という点までは十分に問われていないのである。
しかし、グローバル化時代に対応する教育活動に向けて、教師の意識や態度が調査対象となっている
研究が全くないわけではない。近年注目を浴びている市民性教育の分野では、市民性概念の主要な伝達
者として教師は重要視され、教師の意識調査が行われてきている。具体的に、Lee と Fauts(2005)が
行った先行研究では、これまで教師を対象とした研究が数える程しかないことを問題視し、教師は未来
の“良い市民”を育成するためにどのように、何を教授しているのかを明らかにすることを目的として
いる。この研究は、単に教師の認識について研究するだけではなく、各国の教育政策やカリキュラムを
踏まえた上で、教師はどの点を重視しているのかという点まで踏み込んでいる。この先行研究では、教
師は、
「目の前にある状況」と「生徒のしつけ」に関心を払っているため、教師にとっても遠い存在であ
るグローバルな課題実践の比較優位性は必然的に低いことを主張している(Lee and Fauts 2005)
。この
先行研究における結果は、グローバルな課題の実践に関する教師の問題は、力量や認識といった実践力
量が低いというわけではなく、そもそも、学校現場における教職上の立場からグローバルな課題の実践
にまで及ばないという、新たな課題を突き付けていると考えられる。
本稿では、調査対象を教師とすることで、これまでの議論とは別の視点を浮かび上がらせ、グローバ
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グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
ルな視野育成を実践する教師とともに、教師をとりまく現状をこれに加味することを目的とする。具体
的に本稿では、グローバルな視野育成に向けた学校全体の方針、実際に指導を行う教師、そして、指導
を受ける生徒に注目し、グローバルな視野育成の学習の意味づけをめぐる調査校の全体的な実情を描き
出すことで分析を行う。
1.3 先行研究の検討
従来の日本の中学校における国際理解教育に関する研究では、カリキュラム開発を念頭においたもの
がほとんどである。平和学習、地球市民教育、開発教育といった教育活動を、学校現場における国際理
解教育で活用するために教材開発やカリキュラム開発がなされてきた。
近年のグローバル化時代という状況に鑑み、グローバルな視野を育成するための教育課題についても
分析が行われている。小関(2002)は、多義的な国際理解教育を包括するものとして地球市民教育の研
究が進められていることを指摘している。しかし、地球市民教育自体が曖昧で価値付加的な概念を持ち
合わせているため、十分に整理されず、実践に関する課題まで考察されてこなかったことを問題視して
いる(小関 2002)
。そして、結論では、地球市民教育概念の構造視軸の中心概念として、
「つながり」
「ち
がい」
「未来」を提示している。グローバル教育、地球市民教育に関する多様な概念の視軸を整理し、明
確な中心的理念を打ち出したことは、その理念を礎とした教育実践を可能とし、実践課題における問題
点をも浮き彫りにさせるだろう。
一方、多文化化した教育現場を対象とした先行研究としては、教育社会学、異文化間教育学の分野に
おいて進められてきている。しかし、これらは国際理解教育を実践している教育現場を対象とはしてお
らず、多文化化した教室における教師と外国人児童生徒との教授関係に着目している(額賀 2003)
。日
本の教育現場におけるマイノリティ児童の現状を浮上させた先行研究では、日本の教師は、マイノリテ
ィ生徒と日本人生徒は言葉や文化の違いはあるが、人間として「同じ」であることを強調することが明
らかにされた。この研究は、教師対マイノリティ生徒という関係性のうえで、教師がいかにマイノリテ
ィ生徒を捉え、彼らと接しているのかということを明らかにしている。具体的には、日本の教師は、全
ての生徒を同等に扱うという認識によって、ニューカマー生徒の集団的ニーズの把握を阻害していると
指摘する。一方で、全生徒を前にした教師が、いかに多文化共生について教え、その先のグローバルな
視野育成をいかに捉えているのか、という点については、この分野では問われていない。
以上のように、日本の学校教育現場に対する平和教育、開発教育といった新たな教育活動を含んだ国
際理解教育への提案、それらを包括する地球市民教育の提案、教室における多文化化に直面する教師に
関する先行研究が存在している。これらは、国家が求める「日本人」育成を目的にした教育内容、国家
ありきの国際理解教育に対して警笛を鳴らしている。しかし、先に挙げた 2 つの先行研究ではいずれも、
教育現場の実践を充実化するためのカリキュラムや教材開発に着手し、教育実践の構造的充実化に問題
関心を置いている。その結果、先行研究では、教育現場が生徒のグローバルな視野育成に沿った教育内
容をどのように実現させようと考えているのか、というような教育活動が行われている現場レベルでの
問題関心は置かれてこなかった。しかし、前節で指摘したように、人々の国境を越えた行き来が増し、
国内外において多文化と接触する機会が拡大した中、これらに対応するべくグローバルな視野育成が重
要視されている。
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1.4 研究方法
初等教育段階では、地域・国レベルの学習が中心で、国際問題やグローバルな課題の学習が始まるの
は、前期中等教育段階からである。後期中等教育段階にあたる高校においても、グローバルな課題を学
習内容に取り入れている場合があるが、高校によってその頻度や程度にはばらつきがある。そのため、
ここでは、義務教育段階における取り組みに焦点を当て、中でも中学校教師を研究対象とする。中学校
のグローバルな視野育成に関係するカリキュラム、実践に対する教師の認識を考察するため、筆者が
2008 年 9 月から 10 月および 2009 年 2 月から 3 月に大阪府内の中学校 6 校の教師 11 人に対して行った
現地調査の結果をもとに分析する。全国的にみて、大阪府は、長年在日韓国・朝鮮人や同和教育に積極
的に取り組んできた地域である。さらに、今日では外国人児童生徒・帰国子女生徒の受け入れに伴って、
多文化共生のための教育活動が取り組まれてきている。
本稿の構成は、第 2 章で、グローバルな視野育成を定義した後で、学習指導要領(第 3 章)と大阪府
の学校計画(4 章)におけるグローバルな視野育成の存否について整理する。第 5 章では、大阪府内の
中学校における現地調査をもとに、各校のグローバルな視野育成に関する教育内容および方針について
考察する。それらをふまえ、各教師の実践状況およびグローバルな視野育成の必要性に対する認識につ
いて明らかにする。最後に第 6 章では、以上の議論を踏まえたうえで事例の教師たちに対する認識に影
響している背景を考察したい。
2 グローバルな視野とは
グローバルな視野育成は、グローバル教育の分野において求められてきた。最初にグローバルな視野
を提案したのは、Hanvey(1976)である。Hanvey は、グローバルな視野として以下の 5 つを挙げてい
る。それは、
(1)見方を意識すること、
(2)地球の状態を意識すること、
(3)異文化を意識すること、
(4)
「グローバル・ダイナミクス」に関する知識、
(5)人間的選択を意識すること、である。ここで
のグローバルな視野とは、自分自身と他者との世界観、価値観の違いから、異なる国の人々との考え方
の違いの多様性を意識し、様々な世界情勢の在り方2とその関連性を意識するという能力を意味している。
Case(1993)もまた、グローバル教育の多義性を問題視し、その目的であるグローバルな視野を整理
している。Case は、グローバルな視野を実態的次元(substantive dimension)と知覚的次元(perceptual
dimention)とに二分化している。そして、5 つの要素を提案している。Hanvey と Kneip が提案したグ
ローバルな視野の 5 要素を実態的次元に分類し、さらに知覚的次元として新たな 5 つの要素を提案して
いる。それは、
「寛容」
、
「複雑性の認識」
、
「偏見への抵抗」
、
「感情移入の傾向」
、
「非狂信的愛国主義」で
ある。これらは、自国中心主義へと陥らず、自らとは異なる文化や慣習を受け入れるための認識につい
て言及している。
セルビーとパイク(2007:10)は、グローバルな視野を空間的次元、時間的次元、問題的次元、内面的
次元の 4 つに分けて考えている。さらに、各次元に通じる育成するべき認識として、以下の 5 つを挙げ
ている。
(1)システムを理解すること、
(2)異なる視点を意識すること、
(3)地球の健康を認識する
こと、
(4)関わりを意識すること、
(5)過程を重視すること、である。
これらの研究者が示すグローバルな視野育成の解釈に関する共通点は、次の 2 点ある。それは、経済
2
人口、経済成長、移動、資源、物理的環境、国内外の紛争などのこと。
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グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
のグローバル化、資本主義の普及・拡大化を意図しているものではないということ、教育内容の西洋化、
画一化の促進を示していないということである。
まず前者に関して、グローバルな視野育成は、市場優先のグローバル経済資本主義の理解を目的にし
ていない。山名ら(2005:58)は、グローバルな視野育成のための体験型学習と理念との間に齟齬が生じ
る場合があることを指摘している。これによると、先進国が途上国を経済的に搾取する構造を体験的学
習によって学ぶ「貿易ゲーム」が、そのゲームが実施される場や目的によって全く反対の意味をもつこ
とに警笛を鳴らしている3。教育分野におけるグローバルな視野の育成とは、熱狂的な愛国主義に陥るの
ではなく、他国、自国の理解を通した価値多元的な思考を育成することである。加えて、これは、自ら
が所属する地域、国のことを否定した「根なし草」になることを推奨しているわけではない。自らが帰
属する場、そこで生じている諸問題と、それに影響を与える要因を広範囲に考える視野を育成すること
を意味している。
またグローバルな視野育成とは、教育内容の画一化、グローバル化を意図しているわけではない。グロ
ーバルな視野育成のための教材は、導入、展開と多様な活動内容が存在しており、教師は、これらを対
象となる生徒、目的に応じて実践することが可能である。教材の内容は、協同作業のものが多く、他者
との共同作業を通じて、価値観の多様性、他者を受け入れるための寛容の精神の育成などが目的となっ
ている。これらは、自己中心主義を脱却し、多元的な考え方を啓培するためのものである。
以上のことから、グローバルな視野とは、自己中心的な考え方を否定し、自己と身近な他者、他国及
び複数国との関連性とそのシステムについて批判的に考察できるような能力のことを意味する。グロー
バルな視野を育成するにあたって、対象となる内容も多様であることがわかる。グローバルな視野育成
のために教授される内容は、1 つの事項に留まるものではない。他国の文化や伝統、風習に関する「他
国理解」
、貧困や環境破壊、人権といった「問題学習」
、自己と他者とのつながり、他国や世界との関連
性や、その背景に対する意識をもつこと、といった多様なファクターとのつながりを世界的に考察する
視野の育成が目指される。
「グローバルな視野」で意味する“グローバル”とは、自らを中心とした偏狭
な範囲、例えば、自らが居住する地域や範囲だけでなく、自らに影響を与える周辺の事象を捉えた全体
的な考え方とする。すなわち、グローバルな視野とは、ある事象を対象にしたときその背景にある複雑
性や原因について考察し、識別する能力のことを意味する。
では、日本の教育制度におけるグローバルな視野はいかなる変遷を辿ってきたのであろうか。次項で
は、教育制度、カリキュラムの変遷における、本稿で定めるグローバルな視野の存否について確認して
いこう。
3 教育制度とグローバルな視野育成
第二次世界大戦が終結した 1945 年から 1951 年サンフランシスコ対日講和条約調印まで、アメリカ太
平洋陸軍総司令官の下で、教育制度が構築されてきた。
国際理解と世界平和の習得が目指されたのは、1958 年学習指導要領においてである。ここでは、民主
主義を礎に、世界的視野に立って日本と他国の地理、歴史について学習することで、世界の一員として
の自覚の高揚および強調の精神を養うことが目的とされた。第 3 学年では、国際的視野にたって、他国
3
貿易ゲームが、ある企業における研修で用いられた。しかし、ここでは、企業家としてのリーダーシップと、交渉
力などを育成するための「企業家精神を体験的に学ぶ」(同 p.59)ことが目的となってしまう場合が確認された。
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との協調のもとで世界平和を確立しようとする態度の育成が目標として掲げられた。
1966 年 10 月の中央教育審議会「後期中等教育の拡充整備について」答申別記には、
「期待される人間
像」が付せられ、真の愛国心と天皇への敬愛によって、自己啓発の意識を高め、国家への関心や関係性
を意識させることが主張された。これにより、1968 年に改訂された学習指導要領(1969 年施行)にお
いて「愛国心」や「天皇への敬愛」が含まれた。
「世界的視野」や「国際的視野」という文言は削除され、
「広い視野」に立って、日本と他国の歴史、地理、政治に関する知識を身につけることが示されている。
新たに設置された公民的分野では、
「国家・国民統合としての天皇の位置」の理解が求められた。世界に
おける日本の役割を理解することで、国際理解、国際協調を深めることもまた目指されている。この国
際協調とは、先進諸国との政治的、経済的結び付きのことを示しており、途上国に関しては日本の優等
的立場を暗示している。
中央教育審議会(以下、中教審)は 1974 年に「教育・学術・文化における国際交流について」を提出
した。国際社会に生きる日本人の育成のための重点施策の一つ「国際理解教育の推進」において、国内
における国際理解教育のための具体的方策が提示された。しかし、これらは、日本以外の国や人との交
流があって成立するものであり、体験的な国際交流を念頭に置いており、受容側となる生徒のグローバ
ルな視野の育成については検討されていない。
同 1974 年 11 月、ユネスコは「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育ならびに人権及び基本
的自由について教育に関する勧告」を採用した。同勧告は、グローバルな視野育成、世界的相互依存関
係の認識、異文化理解を重要視し、平和教育、人権教育、開発教育、環境教育の包括的な教育実践とし
ての国際教育を主張するものである。しかし、同勧告が日本の学校教育における国際理解教育の政策に
影響を与えることはなかった。嶺井(2004:128)が指摘するように、日本の国際理解教育は、1974 年の
中央教育審議会答申「教育・学術・文化における国際交流について」を基礎にしており、国際教育勧告
とは異なる「日本独自の国際理解教育を進めるものとして成立し、その後の基調を作り出し今日にいた
っている」
。
1977 年に施行された学習指導要領以降、
「国際理解」の文言は削除され、国際社会における経済的、
政治的結び付きを強調した。高山(1978)は、世界の人口、産業、地理の理解を何かと日本と結びつけ
て指導する方法は、
「地域の資源目当て、市場確保のための自国中心の国際理解」
(1978:34)と非難する。
正しい世界的視野に立つためには、
「地球上に存在する多様な地域、多様な民族、多様な生産と生活文化
を偏見なく理解し、多様性と共通性を認識すること」(1978:34)とし、国際理解に関する情報と経験を積
む必要性を主張する。
1984 年から 1987 年に中曽根首相の下、臨時教育審議会が結成され、
『教育改革に関する答申』につい
て審議された。最終答申において、国際化時代の変化への対応を挙げており、その中の一つ「生徒の主
体性と相対化の確立」では、国際社会で活躍する日本人育成のためには、日本人としての主体性を確立
しつつも、自らを客観的に見つめ、相対的思考を有することを目指している。ここでは、日本の文化、
伝統に対する理解を深め、
「全世界的、客観的な視点から日本の在り方を相対化」できる能力、態度の育
成が求められている。この教育改革によって、客観的に、より広範囲なグローバルな視点から日本を捉
え直すという考えが盛り込まれていることは評価できる。それを受けた 1989 年学習指導要領では、
「主
体性と相対化の確立」を目指すべく、地理的分野では、
「世界を大観させる」学習を基礎とし、日本と他
国の特色を比較検討できるよう指導することが記載されている。しかし、客観的立場から日本を見つめ
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グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
直すことは、地理的分野に限られ、公民的分野においてはみられない。公民的分野では、日本の主体性
が強調され相対化を確立するには至っていない。
1996 年、中教審は「21 世紀を展望した我が国の教育の在り方について」第一次答申において、国際
理解教育では、体験的学習を取り入れることで、実践的な態度の育成を示している。指導の場として提
案された総合的な学習の時間は、2002 年度より実施されている。総合的横断的な課題として国際理解、
情報、環境、福祉・健康を内容として提示したものの、具体的実践方法は地域的特色に応じたものとし、
その手法を有さない教師や学校にとっては効果的な学習が実践されていない。
2006 年 12 月、第 165 回臨時国会において新しい教育基本法が公布、施行された。教育基本法の改正
を受け、中学校社会科の目標は「国際社会に生きる平和で民主的な国家・社会の形成者として必要な公
民的資質の基礎を養う」こととされた。国際化、情報化によって変化しつつある現代社会を理解し、将
来自らが生活するうえでの包括的な経済的、法的、政治的知識を養うことがねらいとなっている。
公民的分野では、空間的な広がりをもった国際的視野から、多面的・多角的な思考や視点の育成を目
指している。公民的分野においては、国際的視野の文言が使用されていることから、他国間との比較を
通じた視野の育成が意図されていると言えよう。地理的分野においては、世界的視野から、日本と他国
の地理的知識を養うことを目的としている。世界的視点とは、本稿で定めるグローバルな視野とは全く
異なっており、地球上のあらゆる地域的特色の学習のことを指している。国際化に変わって、グローバ
ル化を一つの時代の変化としているが、その教育内容は、1974年に提示された内容が変わりなく存続す
るものである。
4.大阪府における取り組み
大阪府教育委員会(以下、府教委)は、大阪の教育が目指すべき教育の方向性として、2006 年に「大
阪府における国際教育」について発表し、各市町村教育委員会、及び各学校に対する指示事項として、
次の 3 つを挙げている。
(1)自国の歴史や文化、伝統に誇りをもち、諸外国の異なる文化・習慣に理解
をもち、違いを認め、共生できるよう能力を身につけること、
(2)近隣アジア諸国との交流活動を促進
し、相互理解を深めるよう取り組むこと、
(3)
「在日韓国・朝鮮人問題に関する指導の方針」及び「大
阪府在日外国人施策に関する指針」に則り、違いを認め合い、共生できるような教育を実施すること、
在日韓国・朝鮮人の生徒らが、自らに誇りをもって、本名を使用できる環境を構築すること、である。
さらに、府教委は、2009 年 1 月に「
『大阪の教育力向上プラン』を策定し、その一つに、国際理解教
育に関連する重点項目が設置されている。これは、
「人権教育、障がい者理解教育、国際理解教育、福祉
教育の推進」が目的となっている。府教委が提示する政策は、外国語学習を国際理解教育と捉えており、
中期計画目標では、全小学校での外国語活動を充実させることを掲げている。また外国人の生徒に対す
る配慮については記載されているが、日本人の生徒にどのようにこれらの問題に意識付けさせるのか、
という点まで策定されていない。府教委によるこれらの教育計画は、大阪府内の政令指定都市を除く全
ての市にて実施が計画されている4。それでは、政令指定都市の大阪市が掲げている教育目標について概
観してみよう。
大阪市教育委員会(以下、市教委)が 2008 年に発行した『学校教育指針』では、学校の特色に応じた
4
同プランは、政令指定都市を除く学校を対象にしているが、大阪府全体の学力を向上するには、政令指定都市の協
力も不可欠であると大阪府教育審議会は示している。
51
六 甲 台 論 集 - 国 際 協 力 研 究 編 -
第 11 号
総合の活用についてふれ、人権、平和、国際理解、情報、環境、福祉・健康に関する学習を横断的に実
施することを規定している。人権教育は、大阪府と同様に重要課題に位置付けられている。国際的な事
象に関する関心を高める教育活動として、国際理解教育を挙げている。自国の文化を誇示し、異なる文
化を受け入れ、その多様性を尊重すること、他者との連帯意識を涵養することを掲げている。大阪市の
学校教育指針は、政令指定都市として全く独自の方向へ進もうとするものではなく、人権教育を尊重す
る点、提示項目の類似性といった点から大阪府と同調しているといえる。
どちらの教育委員会も、提示する教育計画には、
「グローバルな視野」や「地球的課題」といった文言
は全く記載されていない。学校にいる異なる文化をもつ他者との理解、他国の理解を前提条件とし、こ
れらの学習を通じた批判的思考の育成、多面的な視野の育成は求められていないといえる。さらに、こ
の教育計画は、各学校が、地域の実情に応じた教育の提供を可能にするため、大綱的な内容になってい
る。それにより、各校は規定に従いつつも学校にいる生徒の実情、興味に合わせて、多様な教育実践を
行うことができる。次章において、具体的な学校の取り組み及び教師の認識について考察しよう。
5.調査結果
5.1 調査方法
本稿の調査対象となったのは、大阪府内の公立中学校 6 校である(表 1)
。2008 年 9 月から 10 月と、
2009 年 2 月から 3 月にかけて調査を実施した。調査校の選定については、大阪府教育センター(以下、
府センター)に調査内容を伝えたうえで、研究を遂行することが可能な学校の紹介を受けた。これらの
学校は、府センターにおいて国際理解教育に取り組んでいる中学校として学校名及び活動内容が登録さ
れていることから、大阪府内においても総合における国際理解教育の取り組みを熱心に実施している学
校といえる。
具体的に調査校では、学校経営にかかわる管理職の校長と、国際理解教育を担当している一般の教師
に対するインタビューを行った。校長には、グローバルな視野育成に向けた国際理解教育に関する学校
全体の方針を、一般の教師には、実際に授業で国際理解教育を実施する過程の中で、教師が意図してい
ることを中心に話を聞いた。一般の教師の選出については、校長にあらかじめ調査内容の趣旨を伝え、
国際理解教育を担当している教師の紹介を求めた。調査対象者の教師を選定する過程で、教師が着任し
て年月が浅いことや、業務が多忙であるためインタビューに応じることが困難という理由から、全ての
学校で希望通りの教師を対象にして調査を実施できたわけではない。また文中にでてくる学校名、教師
名、生徒名は全て仮名である。
5.2 調査地の概況
大阪府の人口は約 800 万人で、そのうちの 2.4%にあたる約 21 万人が外国人登録者である。国籍別で
は、韓国・朝鮮籍が約 60%、次いで中国籍が約 20%となっている。過去 10 年間、府の人口に大きな変
動はなく、横ばい状態である。外国人登録者数も同様に、過去 5 年で約 21 万人前後となっており数値に
大きな変動はない。長年、東京都に次いで 2 番目に多い外国人登録者が存在していたが、2007 年に愛知
県と入れ替わって全国で 3 番目となっている5。全国の公立学校には、約 360 万人の生徒が存在し、約 2
5
2003 年、外国人登録者数は愛知県は約 16 万人、大阪府は約 21 万人であった。その後、愛知県は増加傾向をたど
り、2007 年、愛知県には約 22 万人の外国人登録者がおり、大阪府を抜いて東京(約 38 万人、2007)に次ぐ 2 番
52
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
万 2 千人の外国人児童が在籍している。府内には約 24 万人の生徒が単式学級に在籍し、そのうち外国人
生徒数は約 3,600 人で、帰国生徒数の総数は約 90 人である。愛知県では、約 21 万人の生徒のうち、2400
人が外国人児童である。神奈川県では、1900 人の外国人児童生徒が在籍している。この外国人児童生徒
とは、日本に来日して間もない日本語指導が必要な生徒のことを意味する。この数には在日外国人児童
の数は含まれておらず、日本以外の国のバックグラウンドをもつ生徒の数は、外国人児童生徒の数より
も大幅に上回ると思われる。
大阪府内は、歴史的経緯から他都道府県と比して同和教育、在日外国人教育に基礎を置いた人権教育
に尽力している。在日外国人、特に韓国・朝鮮籍の生徒に対する教育方針に 1970 年以降取り組んできて
いる。1999 年に「人権教育基本方針」
、
「人権教育推進プラン」を策定し、府内の学校は、同和問題、子
ども、男女平等、障がい者、在日外国人に関わる人権問題の解決を目的とした教育活動に取り組んでき
ている。従来の同和教育、在日外国人教育に関する教育活動を通した共生の概念の涵養とともに、昨今、
中国残留孤児やニューカマーの生徒との相互理解が進められている。
本稿の対象は、公立中学校 6 校である。先述のとおり、これらの学校は、府センターにて、国際理解
に関する教育活動を実施している中学校として、学校名及び活動内容が登録されている。そのため、大
阪府内においても総合における国際理解教育の取り組みを熱心に実施している学校といえる。全ての調
査校は、国際理解の教育活動に関わる先進的取り組みをしており、有意義な考察対象であると考える。
表 1.調査校の概要(2007 年度)
学校名
JA 校
JB 校
JC 校
JD 校
JE 校
JF 校
生徒数
約 270 人
約 280 人
約 300 人
約 500 人
約 900 人
約 800 人
ニューカマー
○
×
○
×
○
×
○
×
○
○
○
○
生徒受入生徒
特別プログラ
ムの有無
注1)特別プログラムとは、特別教育特区としての指定を受けている、もしくは、文部科学省より研究
指定校としての指定を受けているなど、学校独自の教育内容を生徒に提供している場合を指す。
出所)筆者作成
5.3 調査結果
(1)学校全体の方針と校長の期待
調査校における 2008 年度の取り組みをまとめたものが表 2 である。全ての調査校で、グローバルな視
野育成のための教育は、総合で実施され、外国の文化や伝統を知ることで共生の意識を涵養することが
目指されている。これらの教育活動は、総合で行われるか、特設されている英語の時間内で行われてい
る。JE 校を除く全ての学校で、1 年から 3 年までのいずれかの学年の一つの学期内で行われている。JB
校、JF 校では、各国の文化や習慣について調べた内容を、文化祭で発表している。他国理解を学習する
目に多い外国人登録者がいる。
53
六 甲 台 論 集 - 国 際 協 力 研 究 編 -
第 11 号
際、グループやクラスに分けられて行われる。各グループや各クラスは、調べ学習の対象となる国のこ
としか集中的に学習できない。そのため、文化祭を学習発表の場にすることで、他の生徒と情報を共有
する場として用いている。
調査校では、全ての総合学習の時間を国際理解の学習に割けるわけではなく、学年ごとに環境、福祉、
職場体験など異なる教育機会が当てられている。しかし、これらの学習が横断的に関連して教えられて
いるわけではない。総合学習の時間が、国際理解、環境、福祉に関する学習内容と総合的に実践するこ
とで、多方面からの継続的な学習を可能とし、グローバルな視野育成につながると考える。
ほとんどの調査校で、カリキュラムが系統的に構築されているわけではない。中山(2005)は、多文
化教育に関する教師の実践報告が「一学習単元もしくは一活動事例」に終始していることを批判してい
る。校長との調査においても、
「全ての学年で系統立てて国際理解教育を実施しているわけではない」
(JD
校、校長)という意見がみられ、中山による多文化教育の実状に対する批判は、国際理解教育において
も言及できる。
表 2.各校における 2008 年度の取り組み
JA校
JB校
JC校
JD校
JE校
JF校
名称
多文化共
生教育
国際理解
教育
平和人権教
育
国際理解
学習
国際教育
国際理解
教育
実施年次
1年3学期
1年2学期
1年1学期
3年2学期
全学年
2年2学期
実施教科
・総合
・総合
・総合
・総合
・総合
・国際コミュ
ニケーショ
ン
目標
異なる文
化との共
生
異なる文化 身近な多文
との共生
化共生を考
える
内容
クラスに
いる外国
人児童の
母国理解
ブラジル、
韓国、ハワ
イの文化を
調べ、文化
祭で発表
世界の子供
たちに目を
向ける
外国人生徒、 ・教育問題
帰国子女生 や貧困問
徒の文化の 題の学習。
体験
・JICA訪問
・総合
・英語特別
クラス
国際社会で
世界の見
生きるための 方を身に
スキル獲得
つける
・国際交流(1
年)
・グローバル
な課題の学
習(2年)
・世界の中の
自分(3年)
英語のリ
ズム・チャ
ンツを通し
て他国の
紹介
注1)総合とは、
「総合的な学習の時間」の略称である。
出所)現地調査をもとに筆者作成
各校の校長は、グローバルな課題の認識に関する教育活動に対して、どのような解釈を持っているの
だろうか。
調査対象校の全ての校長は、表 2 に示した教育活動の内容について深く関与しない。総合における学
習内容は、各学年、生徒の状況によって、教師が持つ興味関心分野が異なるからである。校長は、これ
54
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
らの教育活動の方向性について教師と議論することはあっても、内容の決定は担当教師に委ねていると
いう。
「教科のことは、担当の先生にお任せしています。各学年の目標があって、最終的に決まったこと
に対し良い、悪いということはある。
」と JD 校の校長が言うように、学校教育方針の大枠を設定する役
割を担っているのは校長であるが、詳細については各教師に任されていることがわかる。これは、総合
に限ったことではなく、教科の授業に関しても、校長が教師の日常の授業内容に関与することはない。
教科を担当する先生間で議論をすることがあっても、校長とともに教授内容について話し合うことはな
い。中心的な役割となっているのは、各学年に設置されている国際理解教育委員会や人権教育委員会と
いったグループとなっている。
では、担当教師が生徒にグローバルな課題を教授することに対して、どのような期待を校長は抱いて
いるのだろうか。調査校の校長達は、このような教育活動に対して、生徒が日本以外のことについて知
る契機となることを望んでいることが、次の言葉からわかる。
「今の段階で、学んだことで、これから先において自分自身で世界を見られる、世界を見られるよう
になっていく、その一つのきっかけというのかな。今の時間はそんな形にもっていけたらと思いま
す。全部が全部、世界的にかかわるようなことはないと思うのだけど、やっぱり世界的にこれから、
関わっていくということが日本人には必要なので、そういうふうな子どもたちが、一人でも、二人
でも増えていく教育をしていきたいと思っています。
」
(JF 校、校長)
「人権教育の基本は違いを認め合って、お互いを尊重しあうことだと思います。言葉が違っても、国
が違っても、同じ人間、同じ中学生としてかかわれば、お互いのアイデンティティを尊重できます。
偏見なしに、今の時代から(そういう教育を)もっていったら(異文化を受けいれる態度が)育つ
のではないか、と思いますね。
」
(JC 校、校長)括弧は筆者
「もちろん、実践の場で、生きた力として発揮されるのが一番やと思いますね。彼らが必ずしも、国
際の舞台に立つ子ばっかりじゃないと思います。国際の舞台に立たない子は(国際教育は)いらな
いじゃない、という話ではなくて、要するにこれからの社会は、国際社会に向かっていくことは確
かなのね。たとえ家にいたとしても国際情報をきちっと認識できるとか、社会はこんなふうにかわ
っていくんだな、こんな変革があるんだな、それについて日本はどういう立場でいるんだろうとい
うことを心配できたり、それを提言できたり。また、それをただ見るだけで、自分の意見を持たな
いというのは悲しいので、どんなことが起ころうとも、しっかり自分の意見がもててそれに対し発
言できる人になってほしいと思っています。
」
(JE校、校長)
これら調査校の校長は、世界的なつながりの進展を認めつつも、生徒のほとんどが国内に留まること
を想定している。生徒が将来、他国との接点をもつ機会がないということを想定しつつも、日本にいな
がらにして他国で起こっていることについて学ぶことを期待している。そして、これらの感覚がすぐに
発揮されることは予想されておらず、生徒の将来において役立つことを望んでいる。
では、次項で直接の実践者になる教師に視点を移してみてみよう。後述するように、調査を通して、
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六 甲 台 論 集 - 国 際 協 力 研 究 編 -
第 11 号
二つの異なる教師の姿が見られた。まずは、
「学校内での人間関係構築を求める教師」について、みてい
こう。
(2)学校内での人間関係構築を求める教師
調査校の教師は、生徒のほとんどが国内に留まり、異文化を有する人との接触が稀であるということ
を前提にしている。教師は、グローバルな視野を育成するためには、まず地域社会、学校内といった身
近な場所における人間関係の構築が必要だと考える。それから、徐々に視野を広げることが必要だと考
える。調査校の教師は、各校の教育活動内容は異なりつつも、生徒自身が周囲との人間関係を構築し、
自己理解と他者理解を促進できるようになることを望むという、共通の考えを持っている。
「世界のことを知るためにも、まず、隣の子のことを知らないと。
」
(JF 校、深倉)
「グローバルなことをやったって、ローカルがめちゃめちゃやったら何にもならない。足元を見て
いかないと。
」
(JA 校、斎藤)
「周りの子かな。周りの子の気持ちとかね。世界やって言っても隣の子の気持ちをわかっていない
と世界のことはわからないと思います。まあ、逆もそうだと思いますけれども。やっぱり身近な子
のことを考えずして、世界のことなんて言えないと思います。
」
(JA 校、山田)
「違うっていうのが間違っているというふうに日本人は言いますけれど、そこあたりで、同じこと
が正しいと思っている子も中にはいるけれども、そうやって違うことに目を向けることで、同じク
ラスの子の違いにも気付いて、お互いを認めることにつながってくれたらと思います。
」
(JC校、佐
藤)
上述で取り上げた事例の教師は、生徒のグローバルな視野を啓培させるには、クラス内の身近な友人
たちとの相互理解を促進させる必要があると考える。すなわち調査校の教師は、生徒の身の回りにおけ
る不安定な人間関係、相互不信が、グローバルな視野育成を妨げる要因になると認識している。
さらに、生徒が異なる文化、慣習と出会うこと自体が僅尐であることに配慮した調査校の教師の姿も
また確認された。
「違ったらショック、とかね、カルチャーギャップで、ええ!?これはなしやなっていう気持ちが
でてくると思います。それは、自然なことやと思います。今までそんな体験ってしてきてないの
で。だから、それをおもしろいなって(思えるような授業をしています)
。
」
(JF 校、深倉)
「なかなか、たとえば、外国人の人と出会うという機会がここの学校では 3 学期に外国人の先生に
来ていただいていますけれども、あまり接点って実際はないじゃないですか。道端で外国人に会
ったって、たまに言う子もいますけど。
」
(JC 校、三国)
56
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
この事例の教師は、生徒自身が自らと異なる文化と接触・対峙する機会の乏しさゆえに、まずは生徒
に異文化接触への柔軟な対応を徐々に身につけさせることを前提にしている。また調査校の中には、生
徒にとって未知の世界である国を対象にするにあたり、教師自らが情報開示を操作して、好意的に他国
のことを受容できるように工夫することが必要だと考えている教師もいる。
「子どもたちは、遠い国のことなんて知らないですね。まずは、遠い国はこんなんだよって、教えて
あげないと。アジアやアフリカの情報って偏った事ばかりですよ。問題を強調するのではなく、好
きになっていくようにしています。
」
(JF 校、深倉)
「一方的な見方じゃなくて、日本ではこうかもしれないけれども、その国ではこんな考え方をしてい
るとか、こういう風に生きているって言う、そういうこと。
(略)みんな外国のこと知らないと思い
ますよね。思い込みで、思っている子もいますからね。その辺をできるだけ取り除いて公平な目で
見られるような、そんな教材の掘り下げ方をもとに授業をやっています。
」 (JC校、長井)
この事例で調査校の教師は、生徒が他国の異なる文化について無知であることを前提として、生徒に
偏見を持たせないよう意識している。またこれらの事例の教師は、生徒のほとんどが国内外での異文化
との接触がないことを想定している。生徒が異文化に接触・対峙する機会が希尐であり、情報を通じた
間接的な異文化との接触が生徒のグローバルな視野育成を阻んでいることを示している。すなわち、教
師は、グローバルな視野育成のためには、他国の文化や伝統を理解することが第一で、それらを受容す
ることが必要だと考えている。
このように、調査校の教師は、グローバルな視野育成を、国家の枠組みを前提として捉えている。言
い換えると、教師は、生徒に異国の文化や伝統といった表面的理解を促し、日本と他国との経済的、政
治的、文化的結び付きを通した事象の因果関係を捉えるということを「生徒に偏見を招く」ものとして、
慎重な姿勢を見せている。
(3)世界のことを知る契機を提供する教師
前項で指摘したように、調査校の教師は、グローバルな視野を育成するには、生徒の世界観が狭いた
め、まず他国の文化紹介を通してその国を好意的に捉えられるようにする必要があると考える。しかし、
調査校の教師が特定の国の文化理解を啓培しようとする一方で、生徒の一部は、日本と他国で起こって
いる事象の関連を学ぶことに興味をもつ生徒もいる。具体的に、総合での学習内容は、平和や人権など、
あるテーマに沿った学習の重要性は認識しつつも、その内容を心理的負担に感じている場合もある。そ
して、テーマを通した学習ではなく、日常ニュースで報道されている内容について、その背景や因果関
係について知りたいという興味を示す場合もある。例えば、以下に挙げる生徒の事例をみてみよう。
「大川:平和のこととか、学べて良いなって思いますけど、どうしても、ちょっと重いじゃないです
か。それがちょっと苦しいです。
竹山:先生が話をするだけなので、そんなおもしろくはない。
57
六 甲 台 論 集 - 国 際 協 力 研 究 編 -
第 11 号
大川:アメリカの経済の状況とか、いま問題になっていることとか。ニュースとかでてきてもわか
らなかったりすることがあるので、それについてちょっと詳しく説明してもらったらうれしい
なと思います。
」
「河合:授業やったら、教科書に書いてあることを言うじゃないですか。でも、総合学習のときは、
実際あったことを鮮明に教えてくれるので、現実味がありますよね、やっぱり。授業やと、
聞いてノートに書くだけですけど、総合学習のときは、なんて言ったらいいのかな?
大川:はいってくる?
河合:はいってくるっていうか、何か、自分もその時代にいってしまう、というか。
」
「そういう学習をしたら、ニュースの見方が変わりました。前やったら、テレビをつけて、流れてい
るのを何かしながら見ているだけでしたけど、歴史のことについてだったら、外国の経済のことも
はいってきたりして、それを考えたら今はどうなんやろうとか思いながらニュース見たりとか、新
聞読んだりとか、そういうのをしますね。
」
(JC校、河合)
上述した事例は、全てJC校の生徒である大川さんと竹山さんの会話、河合さんと大川さんの会話、河
合さんの意見である。この事例で、生徒は、総合で他国の紛争について学び、平和、人権に関する学習
に終始することを、疎く感じている。それは、講演を受けて学習するという受動的な学びであることに
起因している。しかし、平和、人権に関する学習を不必要と考えているわけではないことがわかる。こ
の事例の生徒は、これらのテーマが、生徒たち自身と切り離されたものとして扱われていることで、興
味を抱くことができなくなっている。これらのテーマが、テレビや新聞での話題と結びつくことを望ん
でいる。河合さんの事例のように、生徒の中には、自ら総合で学習したことと、日常報道されているこ
ととを結び付けて考える者も存在する。
全体としてみれば、総合による生徒の興味、関心をもつ点は、多様であるし、事例の教師たちが述べ
るように、
「全ての生徒が総合で扱う内容に興味を抱くわけではない」
(JD校、高橋)
。しかし一方で、
本項で取り上げたように、生徒の中には、学習指導要領が規定するように「学び方やものの考え方を身
につけ」
、
「学習や生活において生かし、それらが総合的に働くよう」な態度とスキルを身に付け、日常
生活においてもそれらを発揮している生徒も存在している。そして、生徒は、人権、平和、他国理解と
いった切り取られた課題について学ぶのではなく、それらの問題の背景にある因果関係を学ぶことを求
めている。
調査校の教師の中にも、問題の因果関係を学び、物事の複雑性を知ることで中学生の視野を広げ、そ
の後の進学においてもこれらのスキルを高めることを望む者も存在する。
「世界の中でも、家族の中でも、学校の中でも、一人で生きているわけじゃないってことを分かって
ほしい。
」
(JD 校、野山)
「勉強だけじゃなくて、世界の状況についても知ってほしい。生徒たちがすでに知っていることでも、
その背景にある問題や複雑性について知ってほしい。
」
(JE 校、藤谷)
58
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
「日本っていう中で生きていて、その中でも大阪府の JB 市という小さなところに住んでいるわけで
すよね。それが全部つながっているじゃないですか。今、特に輸出輸入が激しいから、食糧だって
自給自足できているわけじゃないし。そういうので、つながりがあるということと、自分たちもそ
うだけど、世界でいろいろな問題が起きていて、これから 21 世紀、これから大人になる君たちはこ
れを尐しでも良くしていってほしい、自分たちの手で。そして、視野を広くしないと、日本さえよ
ければいいとか、己さえよければいいという発想だったら、絶対失敗するから。
」
(JB 校、幸田)
これらの事例で示される通り、調査校の教師は、教科書で学ぶ知識の背景に存在する物事の因果関係
について考察することを望んでいる。また同時に、グローバルな視野育成のための教育が生徒にとって
日本以外の世界を知る契機となることを求めている。生徒が利己的な思考に陥ることを避けようと認識
している。そして、3 番目の事例の幸田先生が主張するように、自分自身の生活が、他国と相互依存関
係のもとで成立していることを認識させようと考えている。
しかし一方で、調査校の教師は、グローバルな視野育成の教育を実践したとしても、興味を示さない、
消極的な態度を示すという生徒が存在することを問題視している。生徒の事例でも明らかなように、問
題学習を重荷に感じている者も尐なからず存在する。具体的に、調査校の教師によると、貧困、環境破
壊、人権問題に関する内容を授業で扱った際、生徒は他人事のように捉えることが明らかになった。こ
れらの内容は、課題として生徒に学習させるだけでなく、自らの生活との関連性や原因の複雑性につい
て考察し、批判的能力を育成させることにつなげなければならない。グローバル化時代におけるこれら
の諸課題が単なる知恵として形成されるのではなく、壮大で複雑な背景までも含めて考えられる能力を
育成されることが必要である。事例の幸田先生が述べるように、グローバル化が進展する中で、他国理
解や平和、人権といった内容が切り取られているようでは、国内外の文化的多様性が増す時代に対応で
きない。このように、調査校の教師は、将来生徒にとって必要になると認識しながら、日本と世界との
相互依存関係、国内外の文化的多様性との接触、というグローバル化時代に求められる知識、態度、技
能の育成を求めている。
二項にわたって、教師の異なる認識を提示した。これらは主に総合に対する教師の認識であって、教
科内における学習にまで及んでいない。生徒からの意見、特に河合さんの事例でわかるように、教科と
総合における学習方法が異なることがわかる。つまり、教科では教師から伝えられた教科書の内容を機
械的にノートに書き写すという一方的な知識の伝達が行われており、総合では体験者からの具体的な事
実を伝え受け、その体験談と生徒自身とを照合するという双方向的な学びが行われている。教科と総合
における授業実践形態の違いは、全ての事例の教師からも確認されている。つまり、教科では試験や受
験対策のため、あくまでも教科書の内容を押さえることが重要視され、一方、総合では体験的な学習を
通じた学びが実践されており、これらが統合されているわけではないのである。
6 まとめと考察
本稿では、中学校の教師が、生徒のグローバルな視野育成に関わる教育実践をする過程で、その教育
実践をどのように意味づけているのかを、教育現場への視座から明らかにした。教師 11 人を対象に調査
した結果から、代表的な意見の集まりを区分すると、異なる教師の姿勢が確認された。具体的に調査で
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六 甲 台 論 集 - 国 際 協 力 研 究 編 -
第 11 号
は、グローバルな視野育成に対して、生徒にとって身近な他者との人間関係構築を重視する教師と、日
本の外に目を向けることを望む教師の、2 つ異なった認識をもつ教師の存在を明らかにした。生徒にと
って日本以外の国との接触が尐ないことから、教師は他国理解を優先に考えている。その一方で、教師
は、ほとんどの生徒が国内に留まるであろうことを想定しながらも、国内に居つつ物事の事象の世界的
な相互依存関係について考察する能力の育成に取り組んでいる姿も明らかにされた。
しかし、次の課題点が指摘できよう。全ての事例は、大阪府の中でも先進的なものでありながら、教
科と総合との連携という点で課題を有している。これは、1990 年代の教育改革以降、特に教育社会学の
分野で指摘されてきたことである。久富(2000:333-4)は、知識伝達に重点を置く教科と、創造性や自
主性を養う総合における教授方法との間に不調和が生じ、それらをめぐる教師の業務に複雑さと混乱を
招いていることを指摘する。具体的に久富は、バーンステインによる理論を援用し、強い枠組みで統制
され、知識獲得を指向する教科で構成されたカリキュラムに、弱い枠組みによって生徒の能力形態の養
成を指向する指導が、必要な条件整備なしに実行され、混乱を招いていることを批判する。本稿におけ
る事例の校長、教師、生徒の意見からも、教科と総合との学習の不十分な連携が確認された。総合での
学習の有意義さを認識する一方で、表 2 に示したように、グローバルな視野育成のための教育内容が、
イベント的な「一学習一活動に終始」している現状がある。生徒は、定期試験や、入学試験を控えてい
るという状況もあり、教科書の内容を伝えることを等閑に付すべきではない。このような状況によって、
総合と教科とにおける学習に連続性を持たせることは困難となり、教科では知識伝達に重点を置き、生
徒間の議論を深め、批判的思考の育成が部分的なものにしてしまう。事例では、他国理解に焦点を置く
学校と、グローバルな課題学習に焦点を置く学校とが存在している。ほとんどの事例で、3 学年中のい
ずれかの学年で行われるのみで、横断的・縦断的に学習が取り入れられているわけではない。そのため、
各国における文化の紹介や、貧困や環境破壊といった「~について」の学習になり、これらを題材とし
た能力(例えば、コミュニケーション能力や批判的思考力の育成)といった点までは踏み込めないでい
る。そのような土壌に、参加型学習や対話型実践を総合だけに取り入れたとしても、それらの学習を通
じた批判的思考のスキルを生徒に根付かせることは難しいだろう。
こうした教育の構造的課題の上に、調査校の教師が、このように異なる二つのグローバルな視野育成
に対する認識を形成している社会的背景には、次の二つがあると考えられる。
一つ目は、グローバルな視野を発揮する場が制限されていることである。日本人の出国者数は、約 1600
万人で、その目的の多くは短期の観光やビジネスである(法務省入国管理局 2008)
。国内で外国籍を有
する者の数は、日本の総人口と比して 1.2%である。これは、いずれも欧米先進諸国(フランス 6.4%、
カナダ 5.3%、スウェーデン 5.3%)と比較すると僅尐である。事実、調査校の教師は、グローバルな視
野は海外によく出る人が積極的に持つべき能力で、国内にほとんどいる者にとって必要はないと捉えて
いる。つまり、調査校の教師は、一般公立中学校に通う生徒たちの多くが国内に生涯留まることを予想
しているのである。今回の事例では、国内では異国の文化に触れることはなく、海外に出ることを特別
視している。また日本以外の国のことを考える機会は、彼らが成人し、海外旅行の際だと考える。その
ため、事例の教師は、食や衣服といった異なる文化を通じて、極めて身近な他者との関係、特に教室内
での人間関係構築を求めていると思われる。
二つ目は、
“グローバル”がもつ崇高なイメージである。獲得した知識や技術を携え、糧を得ながら国
境を越えてグローバルに移動をする人たちは、限られた人たちのみである。その目的も多様で、ビジネ
60
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
ス目的もあれば、途上国での支援活動が目的の場合もある。しかし、グローバルな視野における“グロ
ーバル”の意味は、物理的な移動を示しているわけではなく、物事の全体像を捉え、考察するという、
広範囲な思考の旅を意味する。このようなイメージと、先述した教授上の課題とが相俟って、貧困や環
境破壊などのグローバルな課題について学んだとしても、教科的な知識とはかけ離れたもので、一つの
知恵のようなものになり、批判的思考や態度の育成にまで及ばない。一回の活動で終始する貧困、環境
....
破壊に関する学習は、事象についての授業に留まるのが現実だと思われる。
以上の学校教育の構造的課題、社会的背景の下で、調査校の教師は、生徒の偏見や自己中心的な考え
を除去し、思考範囲を広められるよう、教育現場にまなざしを向けている。先行研究では、グローバル
な視野育成ための教育が提案され、実践者となる教師の力量が指摘されてきた。しかし、教師は生徒が
置かれている現状を加味し、それぞれが意図する内容でグローバルな視野育成ための授業を実践してき
ている。従来指摘されてきた、教師の認識不足については、彼・彼女らは認識が不足しているのではな
く、研究者が定めるものと異なる捉え方を有していると考えられる。このような結果は、教師の現状を
踏まえた上でのより効果的な教育の実践のための対策、すなわち、他国との接触する機会が他先進諸国
と比べて著しく尐ない日本における教材開発や教師への研修が必要であることを示しているといえよう。
最後に、事例におけるこれらの教師の存在は、学校の特色と必ずしも一致しない。例えば、海外帰国
子女生徒や外国人児童生徒を受け入れる JA 校と JE 校の教師は、それぞれ異なる考えを有している。ま
た JC 校の教師らも、教科によって異なる考えを持っている。そのため、今回の事例では、学校の特色・
方針と教師の考えの関連性まで考察するに至っていない。その点については稿を改めて記すとともに、
今後の課題としたい。
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62
グローバルな視野育成の授業実践に対する認識
How Do Teachers Recognize the Development of Global Perspective?:
The Case Study of Junior High School Teachers in Japan
Hiroko TAKE
Abstract
The purpose of this study is to clarify how teachers recognize the development of students’
global perspectives. According to the objectives of the latest curriculum in Japan, enhancing
students’ global perspectives is incorporated into the subjects of civics and geography.
Researchers have examined the curriculum and strategy of teaching global issues, and pointed
out teachers’ insufficient recognition and wrong caliber to implement education programs on
global perspectives. However, previous researches did not elucidate how teachers teach these
issues and how they recognize them. It is teachers that play a seriously important role in
implementing what the government and curriculum say. They are not only the mediators but
also the practitioners of any education activity. Therefore, this article sheds right on teachers’
recognition of teaching global perspectives.
Participatory observation and semi- structured interviews were conducted at six junior high
schools in Osaka, Japan. The research revealed teachers’ two recognitions: expecting students
to build interpersonal relationships within schools, and providing students with opportunities to
learn about the world. The unique social background in Japan shapes teachers’ recognition as
well. The number of foreigners, though it is increasing, is still low and it gives students less
opportunity to experience different cultures.
For that reason, teachers assume that most
students will stay in Japan for most of their lives. In addition, the social context makes
teachers misunderstand that the term “global” of “global perspective” refers to physical
movements to other countries. As an implication, the article suggests that it is important to
introduce teaching materials which are designed to develop global perspectives to both teacher
training and student learning.
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