...

問題文

by user

on
Category: Documents
15

views

Report

Comments

Description

Transcript

問題文
課題 4(出題:2015 年 12 月 14 日、提出:2016 年 1 月 13 日午後 3 時までに学生課の提出用ロッ
カーに提出すること)
注意:
 A4 用紙に手書きで提出してください。
 計算問題については,計算プロセスをすべて手書きで記述してください。
1
現在の企業価値( X 0 )が 100 億円、企業価値変化率の標準偏差(σ )が年率 30%、安全利
子率( r )は年率 0%とする。以下の 3 つのケースについて、1 つのタイプの割引社債、ある
いはいくつかのタイプの割引社債の組み合わせで元本償還総額 60 億円分を資金調達する場合、
それぞれの社債利回り(年率、ここは安全利子率が 0%なので、信用リスクプレミアムに等し
い)を求めなさい。また、なぜ、社債のタイプごとに社債利回りが異なるのかを簡単に説明し
なさい。
1.1
1.2
1.3
1.4
2
元本 60 億円を 5 年物普通社債で資金調達する。
元本 30 億円を 5 年物優位社債、元本 30 億円を 5 年物劣位社債でそれぞれ資金調達す
る。
元本 20 億円を 5 年物優位社債、元本 20 億円を 5 年物メザニン債、元本 20 億円を 5 年
物劣位社債でそれぞれ資金調達する。
1.3 のケースについて、当初、社債権者に説明していた投資プロジェクトを社債発行後
に突然変更したために、企業価値変化率の標準偏差(σ )が 30%から 50%に大きく上
昇したとする。この場合、優位社債、メザニン債、劣位債の利回りは、どのように変化
するかを計算しなさい。また、なぜ、利回りの変化の度合いが、3 種類の社債ごとに異
なるのかを説明しなさい。
J 国の転換社債市場について、
大学生の A 君と B 君の間で以下のような議論が取り交わされた
とする。この会話を踏まえて、以下の問いに答えなさい。
A 君「J 国の金融市場では、転換社債の償還を迎える前に、転換権を早期行使するのが一般
的だけど、株価が上昇していれば、早期行使も当たり前だよね。
」
B 君「そんなことはないさ。転換社債の保有者が合理的であれば、償還まで待って転換権を
行使すると思うよ。
」
2.1
2.2
2.3
B 君は、どのような根拠を持って、そのような主張をしたのであろうか。
B 君は、J 国の転換社債市場で早期転換が一般的な状況に疑問を持って、転換社債価格
の理論値を求めてみた。すると、J 国で流通している転換社債の市場価格は、その理論
値よりも安くなっていることに気が付いた。B 君は、さらに研究を進めてみると、転換
社債の市場価格がその理論値を下回る度合いが、転換権のオプションプレミアムにほぼ
相当することを突き止めた。B 君の発見は、どのように解釈したらよいであろうか。
B 君は、すでに証券会社で働いている兄の C 君に、2.2 に述べたような自分の発見を語
った。すると、C 君は、ニヤリとして、翌日会社に行くと、弟の B 君の発見に基づいて
転換社債市場における裁定機会を狙ったファンドを立ち上げて、1 年後に莫大な裁定収
益を得ることに成功した。C 君は、どのようなポートフォリオを構築して、莫大な裁定
収益を得ることができたのであろうか。
3
今,T 年とする。T+5 年に満期償還を迎える割引債元本(額面)1000 万円について,T+3 年
に売買する先渡し契約が結ばれたとする。やや変則的であるが,この先渡し契約では,1 年ご
とに値洗いをすることが売り建て側と買い建て側の間であらかじめ合意されていた。以下の問
いに答えなさい。
3.1
3.2
3.3
4
現在,ある株式指数が 1,000 円であるとする。この株式指数は,半年後に 1,100 円に値上がり
するか,900 円に値下がりする可能性がある。さらに半年後には,1,100 円に値上がった場合
には,さらに値上がりして 1200 円になるか,値下がりして 1000 円になる可能性がある一方,
900 円に値下がりした場合には,さらに値下がりして 800 円になるか,値上がりして 1,000 円
になる可能性がある。こうした株式指数の変動を前提として,以下の問いに答えなさい。ただ
し,安全利子率は年 0%であるとする。
4.1
4.2
4.3
5
T 年の 5 年物スポットレートが年 5%,3 年物スポットレートが 3%であったとする。T
年に取引された先渡し契約の売買価格はいくらになるか。
1 年が経過して(T+1 年となって)
,4 年物スポットレートが年 3%,2 年物スポットレ
ートが 3%であったとする。すでに T 年に取引された先渡し契約(T+3 年の売買を予約
したもの)について,売り建て側と買い建て側で値洗いをすると,両者の間でどのよう
な金銭の受け渡しが生じるか。
さらに 1 年が経過して(T+2 年となって)
,3 年物スポットレートが 5%,2 年物スポッ
トレートが 3%であったとする。すでに T 年に取引された先渡し契約(T+3 年の売買を
予約したもの)について,売り建て側と買い建て側で値洗いをすると,両者の間でどの
ような金銭の受け渡しが生じるか。ただし,T+1 年に一度,値洗いをしたことに留意し
なさい。
1 年満期で行使価格が 1,000 円のヨーロピアン・コールオプションの価格を求めなさい。
1 年満期で行使価格が 1,000 円のヨーロピアン・プットオプションの価格を求めなさい。
4.1 と 4.2 の解答を前提とすると,教科書の 161 頁から 162 頁に説明しているプット・
コール平価が成立することを示しなさい。
今,ある株式指数について,1 年先に満期が到来するヨーロピアン・プットオプションの取引
者の間で株価の下落リスクを薄く広くヘッジする取引が行われているとする。現在の株式指数
は 20,000 円,その指数の収益率のボラティリティー(標準偏差)は年 20%,安全利子率は年
0%であるとする。以下の問いに答えなさい。
5.1
5.2
5.3
5.4
オプション業者 A は,行使価格 18,000 円のオプションを売り,行使価格 16,000 円の
オプションを買った。オプション業者 A は,どのようなリスクを引き受け,その見返り
としてどれだけのオプション料(オプションプレミアム)を前もって得ていたか。
オプション業者 B は,行使価格 16,000 円のオプションを売り,行使価格 14,000 円の
オプションを買った。オプション業者 B は,どのようなリスクを引き受け,その見返り
としてどれだけのオプション料(オプションプレミアム)を前もって得ていたか。
オプション業者 C は,行使価格 14,000 円のオプションを売り,行使価格 10,000 円の
オプションを買った。オプション業者 C は,どのようなリスクを引き受け,その見返り
としてどれだけのオプション料(オプションプレミアム)を前もって得ていたか。
オプション業者 D は,行使価格 10,000 円のオプションを売り,同じ行使価格 10,000
円のプットオプションに相当するポートフォリオをダイナミックヘッジングで構築し
た。オプション業者 D は,どのようなリスクを引き受けていることになるか。また,オ
プション業者 D がダイナミックヘッジングに基づいて構築したポートフォリオは,どの
5.5
5.6
6
2015 年 12 月 9 日の講義で説明したように,サブプライムローン(米国の住宅ローン会社が抵
触者向けに貸し付けた高金利の住宅ローン)の証券化商品価格が 2007 年夏に大暴落して,世
界の金融市場が大混乱に陥った。直接の原因は,米国の住宅価格が下落したことであるが,サ
ブプライムローンが組成され,そのパッケージが証券化され,欧州の投資家を中心に有力な投
資先としてきた。
格付け会社は,
サブプライムローンの証券化商品に対してトリプル A(AAA)
の格付けを与えていた。この金融危機に対する過失として,以下のプレイヤーについて,どの
ような問題があったのかを簡単に論じなさい。
6.1
6.2
6.3
7
ようなものになるか。
半年が経過して,株価指数が 12,000 円まで下落した。また,株価指数のボラティリテ
ィーも年 30%まで上昇した。この場合,ダイナミックヘッジングを行っているオプショ
ン業者 D は,ポートフォリオをどのように変更するか。
さらに 5 ヶ月が経過して,株価指数が 10,000 円まで下落した。株価指数のボラティリ
ティーも 40%まで上昇した。このようなケースでは,株式市場やオプション市場ではど
のようなことが起きるであろうか。
住宅ローン会社
格付け会社
サブプライムローンの証券化商品の投資家
以下は、2012 年 10 月 20 日付 Economist に掲載された記事で 1987 年 10 月 19 日に起きた
Black Monday を回顧したものである。全文を読んだうえで第 5 段落を訳しなさい。また、第
5 段落にある”The market cannot insure itself”の意味を説明しなさい。
Black marks from Black Monday
A big market crash happened 25 years ago this week. The wrong lessons were taken from it
Oct 20th 2012 | From the print edition
(1)TWENTY-FIVE years ago, on October 19th 1987, global stockmarkets suddenly, and
unexpectedly, collapsed on what instantly became known as Black Monday. The Dow Jones
Industrial Average fell by almost 23% in a single session, still a record decline. At the time
analysts rushed to look backwards. Parallels with the 1929 crash, which preceded the Great
Depression, were immediately made. In fact they should have been looking forward. Three of
the main reasons why the crunch happened in 2007 date back to 1987.
(2)The biggest mistake was to do with monetary policy. Central banks around the world
responded quickly to the crash, some cutting interest rates, others pumping money into the
system. “The Federal Reserve, consistent with its responsibilities as the nation’s central bank,
affirmed today its readiness to serve as a source of liquidity to support the economic and
financial system,” said Alan Greenspan, recently appointed as head of the Fed. Calming a
fraught financial system made sense at the time, but it introduced the idea of the “Greenspan
put”, the notion that central banks would always intervene to support the markets when they
fell sharply.
(3)This was compounded by Mr Greenspan taking the opposite position when it came to
asset bubbles: that even when prices were sky-high, it was not the job of central banks to
outguess markets by trying to bring them back to earth. The one-day price fall of 23% in 1987,
seemingly unconnected to economic fundamentals, gave a hint that markets are not always
efficient. But Mr Greenspan declined this newspaper’s advice to intervene both when dotcom
stocks surged in the late 1990s and when house prices rocketed in the early 2000s. For
investors, markets became a one-way bet: central banks would intervene when markets were
falling, but not when they were rising. The “great moderation” was a long period of steady
growth and low inflation—and a huge build-up of debt.
(4)The second mistake was to enlarge the protected part of finance. Before 1987 the focus
was on the big deposit-taking banks: stockbrokers and investment banks were relatively
unimportant players in the system. But after Black Monday, with equity markets dominating
the headlines, policymakers expanded the concept of systemic risk to other forms of
finance—which encouraged banks and others to sprawl. By 2007 banks like Citigroup and
insurance companies like American International Group had grown “too big to fail”.
(5)The third mistake was to do with trading. In the mid-1980s many institutional investors
adopted “portfolio insurance”, a way of hedging against market declines. It involved selling
stockmarket futures so that investors’ gains in the derivatives market offset their losses on their
equity portfolios. But the technique exacerbated the market’s decline, as waves of
futures-selling alarmed equity investors. The lesson that should have been learned was that the
market cannot insure itself: if most investors want to sell assets, there will be no one on the
other side of the trade with a big enough wallet to buy them. Twenty years later, the same
problem was demonstrated when investors stampeded for the exits in the securitised mortgage
market. With no willing buyers, prices collapsed.
Put in its place
(6)With trading, then, investors (and their regulators) simply failed to learn anything, and
made the same mistake again. But the other two errors sprang more from policymakers opting
for a solution that itself created problems. Perhaps the biggest conclusion of all is that any
extended period of rapidly rising prices is an indication of a bubble—and that sadly there is no
painless way to clean up the mess after the bubble pops.
Fly UP