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山形県教育委員会 公式ガイドブック

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山形県教育委員会 公式ガイドブック
未 来に伝える
山 形 の宝
公式ガイドブック
最上川における近世舟運文化 黒滝編
最上川・五百川郷の宝物がたり
最上川の流通・往来及び左沢町場の景観
幻想の世界に息づく最上峡の自然と歴史文化
出羽の国に華開いた仏教文化 慈恩寺
「悠久の魅力」
人と農、歴史がまじわる
「原蚕の杜」
旧矢島街道でつなぐ加無山系番楽と女甑山の大カツラ
「安久津八幡」
~千年の夢をつなぐ~
下小松古墳群と希少な自然が織りなす里山の風景
能と歌舞伎 伝承の里 山五十川
山形県教育委員会
夕暮れの最上川
最上川における近世舟運文化 黒滝編
エリア:白鷹町菖蒲、下山、高岡、佐野原、大瀬地区 団体名:黒滝会
白鷹町
い も がわ
五百川峡谷には難所が多く、舟運に利用することは難
●● 保存・活用の取組み ●●
しいとされていましたが、17世紀後半に上杉藩京都御用
・最上川の文化、自然環境の調査
商人・西村久左衛門が私財を投じて、通船を妨げていた
・観光コースの設定、
黒滝を開削したことで舟運が可能となり、舟陣屋や蔵屋
幟旗・標識等の設置、環境整備
敷が整備され、人の往来や京文化の流入が活発になりま
・ふれあい道の整備、展望台の設置の検討
した。この地の岩盤群と舟道の開削は、最上川舟運の歴
史を物語るかけがえのない資産です。
構 成 文 化 財
最上川舟運跡(黒滝開削跡と舟道)
岩盤群とつぶて石
五百川峡谷の狭さく
五百川峡谷の岩盤群
の難所の開削跡で、
に地球創生活動の神
は、その美しさと共
部にさしかかる部分
秘に触れることがで
川幅の中に一段深い
きるものです。また、
水路があることが確
認されており、そこ
「つぶて石」には、
います。黒滝は最上
蔵坊弁慶の邪魔をし
朝比奈三郎義秀が武
を「舟道」と呼んで
ようと投げつけた大
川本川にあった滝
きな石であるという
で、現在でもその痕
言い伝えがあります。
跡が残っています。
けんさき
剣尖不動尊鰐口【町指定文化財】
N
元禄6年(1693)、西
大瀬
村久左衛門が最上川
剣尖不動尊鰐口
287
舟運の最大の難所で
佐野原
あった黒滝の開削に
岩盤群
着手する際、工事の
安全と成功を祈願し
て、佐野原村の剣尖
不 動 尊 を 再 興 し、
164
京都で作られた鰐
口を奉納しました。
高岡
287
つぶて石
255
黒滝開削跡
9
最上川から出土の小判
四季の郷駅
358枚が発見されま
した。古文書により、
254
天保元年(1830)、米
蚕桑駅
沢から荒砥へ硬貨の
348
●
白鷹町役場
線
最上川
9
分 金 9 枚、 二 朱 銀
フラ
ワー
長
井
鮎貝駅
ら文政小判23枚、二
菖蒲
荒砥駅
11
荒砥の船着場付近か
下山
小判出土地
287
3
移送を託された飛脚
が乗った渡し船が転
白兎駅
覆し落とした物とさ
れています。
【アクセス】フラワー長井線荒砥駅下車
【問合せ先】白鷹町教育委員会文化振興係 電話:0238-85-6146
2
い
も がわごう
最上川・五百川郷の宝物がたり
朝日町
エリア:朝日町内全域 団体名:NPO法人朝日町エコミュージアム協会
朝日町を流れる最上川に沿った地域は古くから「五百川郷」
と呼ばれ、最上川が形成した河岸段丘上には、先史時代から
●● 保存・活用の取組み ●●
の山・川の恵みに育まれた人々の生活、その後、湧水や河川
・構成文化財の調査、保存・整備
・案内ルート、説明資料の作成、
からの導水により農業を興してきた歴史があります。また、
案内人の養成
五百川峡谷に沿った陸路、江戸時代以降の最上川舟運によっ
・案内標識、説明板の作成と設置
て、米沢藩の物資などが遠く酒田まで運ばれていた歴史を背
・「五百川郷宝物がたり」紀行の開催
景に、数多くの歴史的文化遺産が存在しています。
構 成 文 化 財
豊龍神社の大スギ【県指定天然記念物】、若宮寺鐘楼【町指定有形文化財】、伊豆権現の種蒔き桜
くぬぎだいら
八ツ沼城跡、椹平の棚田、中郷本田堰、旧明鏡橋
佐竹家住宅【国指定重要文化財】
木造薬師如来立像
【県指定有形文化財】
江戸時代、米沢藩か
ら最上川舟運の通船
あらじゅく
新宿薬師堂の本尊で、像高1m、
差配役に任ぜられた
一木割矧造、漆箔を施しており、
佐竹長右衛門家が夏
面相きわめて優雅で気品にあふ
草に構えた新宅で
れ、衣紋も流れるように美しい
す。現在の建物は、
仏像です。平安時代後期に地方
元文4年(1739)の火
仏師の手によって作られたもの
災直後に建て直され
と考えられています。
たものです。寄棟造・
茅葺屋根で、内陸部
における上層農家の
建物です。
み なか
旧西五百川小学校三中分校【県指定有形文化財】
明 治 15 年 (1882)に
旧明鏡橋
N
三中八ッ沼に建築さ
れた木造三階建校舎
旧西五百川小学校三中分校
で、平成8年 (1996)
まで分校の校舎とし
た。白漆喰の壁に丸
八ツ沼城跡
た姿が特徴的な、明
若宮寺 鐘楼
窓や木瓜型窓を配し
治初期の非常に貴重
佐竹家住宅
な建造物です。
みなくち
水口十一面観音堂【町指定有形文化財】
18
豊龍神社の大スギ
伊豆権現の種蒔き桜
9
●
朝日町
役場
木造薬師如来立像
最上川
水口十一面観音堂
287
椹平の棚田
113
て使用されていまし
9
元文5年(1740)、常
盤水口に建てられた
9
木造平屋・茅葺の観
音堂で、梁や彫刻に
は江戸中期の手法が
287
見られ、当地方にお
中郷本田堰
(おおよその位置)
ける代表的な三間堂
です。五百川三十三
私たちが案内します
観音の一番札所にも
なっています。
朝日町エコミュージアム案内人の会 電話:0237-67-2128
【アクセス】JR 左沢線左沢駅からバスで25分
【問合せ先】NPO法人朝日町エコミュージアム協会 電話:0237-67-2128
3
〈国選定重要文化的景観〉
あてらざわ
最上川の流通 ・ 往来及び左沢町場の景観
大江町
エリア:大江町 左沢町場地区、楯山地区、最上川地区 団体名:大江町
最上川舟運の河岸として発展してきた左沢には、最上
川などの自然環境と、左沢楯山城跡や小漆川城跡が物語
●● 保存・活用の取組み ●●
る政治的拠点としての歴史があり、舟運や農山村との流
・景観の保存及び良好な景観の創出
通・往来に根ざした生活・生業が有機的に結びついて、
・芸能、行事、生業の継承
・まち歩きコースの設定及び説明板の整備など
複合的・重層的な文化的景観が形成されています。平成
25年3月27日、県内初の重要文化的景観として選定され
ました。
構 成 文 化 財
「最上川の流通 ・ 往来及び左沢町場の景観」にとって特に欠かせないものを「重要な構成要素」として特定
しています。(河川・道路・橋梁・遺跡・街並み ・ 建築物の6種類35件)
原町通り
左沢楯山城跡からの眺望
原町を含む左沢の町
国史跡に指定されて
ろに造られた小漆川
中世、最上川と檜木
いる左沢楯山城は、
は、江戸時代始めこ
沢に囲まれた要害の
城の城下町が基に
地に築かれました。
なっています。なか
城は最上川を眼下に
でも原町通り沿いに
見下ろす立地で、城
は元造り酒屋などの
跡内にはその眺望か
店蔵が並んでいて、
ら、「 日 本 一 公 園」
最上川舟運とともに
と呼ばれている楯山
栄えた町の風景を今
公園があります。
に伝えます。
最上川と旧最上橋、楯山
左沢楯山城跡
(楯山公園)
N
最上川は左沢の東端
を流れています。左
458
ン左沢線
ライ
ーツ
ル
フ
沢から最上川を渡る
往来は、江戸時代は
渡し船を利用してい
(1883)に木橋が架け
られ、後の昭和16年
(1941)にはコンク
9
リートの橋(現在の
9
ました。
大江町
役場
●
旧最上橋
内町・横町通り
458
月布川
最上川
旧最上橋)が開通し
左沢駅
御免町通り
27
左沢小
●
原町
通り
小漆川城跡
ましたが、明治16年
秋まつりの日の左澤中央通り商店街
9月に行われる大江
113
町の秋まつりでは、
287
左沢に伝わる囃子屋
台やシシ踊りなどが
左沢の町場を練り歩
きます。秋まつりの
風景は、江戸時代、
私たちが案内します
左沢の町衆が創りだ
した祭りや芸能文化
大江町観光ボランティアガイドの会 舟唄の里案内人
(大江町政策推進課観光振興係内) 電話:0237-62-2139
の景観を今に伝えて
います。
【アクセス】JR 左沢線左沢駅下車
【問合せ先】大江町教育委員会教育文化課歴史文化係 電話:0237-62-3666
4
幻想の世界に息づく最上峡の自然と歴史文化
戸沢村
エリア:戸沢村古口地内 団体名:戸沢村
戸沢村を流れる最上川中流部は最上峡と呼ばれ、両岸
には樹齢1千年を超す天然木の「山の内杉」が群生し、
●● 保存・活用の取組み ●●
左岸の土湯山の一角は「幻想の森」と呼ばれています。
・国名勝指定に向けた動植物、
最上峡は、「義経記」や「奥の細道」に記述があるなど、
文化、歴史、文学等の調査
古くから多くの文学者・詩人の描写の対象となっていま
す。最上峡の自然景観とその景観によって育まれた歴史・
・調査を基にした、貴重な動植物・史跡の保存
・パンフレットの作成、ガイドの養成、ツアーの企画
文化は、最上川を代表する貴重な資産です。
構 成 文 化 財
最上峡
仙人堂【村指定有形文化財】
最上川県立自然公園
舟でしか行けない最
緑、冬の山水画の世
み、 常 陸 坊 海 尊 を
上川の対岸にたたず
に指定され、春の新
祀っています。舟の
界と四季折々に人々
安全を祈る絵馬が数
の目を楽しませてく
多く奉納されていま
れます。最上峡には、
す。歴史文学にも登
白糸の滝をはじめと
場し、また、縁結び
する48の滝があると
の神社として多くの
言われ、奥の細道等
参拝者が訪れていま
多くの文学に登場し
す。
ます。
幻想の森(山の内杉)
N
最上峡に群生する天
然杉で、樹齢が1千
白糸の滝
年を超し別名「神代
杉」とも呼ばれてい
ます。日本でも数か
所のみの確認で、大
一夜観音
変貴重な天然杉です。
散策路が整備された
群生地が「幻想の森」
と呼ばれ、多くの人
仙人堂
47
最上川
高屋駅
が訪れています。
幻想の森
(山の内杉)
最上川一夜観音【村指定記念物】
陸羽
西線
47
戸沢村役場 古口駅
最上峡
草薙の白糸の滝を望
む場所に建つ観音像
で、小説「最上川一
夜観音」にちなんで
建立され、縁結びと
水守の観音として信
仰されています。対
私たちが案内します
岸の白糸の滝の眺め
は最高で、幻想の森
最上峡案内人協会 電話:0233-72-2001
と一体的に巡ること
ができます。
【アクセス】JR 陸羽西線古口駅下車
【問合せ先】戸沢村教育委員会共育課 電話:0233-72-2304
5
出羽の国に華開いた仏教文化 慈恩寺「悠久の魅力」
寒河江市
エリア:寒河江市慈恩寺 団体名:寒河江市
慈恩寺は、平安時代には寒河江荘領主摂関家藤原氏の
庇護を受けていたことから、優れた文化財が中央よりも
●● 保存・活用の取組み ●●
たらされ、今に伝えられています。また、建造物や仏像・
・保存修理
絵画、無形民俗文化財に加え、慈恩寺を取り巻く中世城
・史跡追加指定のための調査、整備計画の策定
館址群や慈恩寺修験秘伝の行場も発見されるなど、文化
・シンポジウム、学習会の開催
遺産が数多く残る地域です。
構 成 文 化 財
(建造物、仏像群、絵馬・仏画等)
建造物10件、慈恩寺仏像群28件、無形民俗文化財2件、
絵画 ・ 工芸品等15件、歴史資料等15件、記念物6件
慈恩寺【県指定史跡】
本山慈恩寺本堂【国指定重要文化財】
奈良時代に、聖武天
永正の兵乱
(1504頃 )
されたと伝えられて
山形城主最上家親が
で焼失した本堂を、
皇の勅命により開基
元和2年(1616)に再
いる古刹で、江戸時
建着工し、家親の子
代は、東北最大の寺
家信の代の元和4年
領を有していまし
に竣工しました。木
た。境内には、本堂、
造入母屋造、茅葺で、
山門、薬師堂、三重
黒を基調とし、組物、
塔などが立ち並び、
かえる
蟇股、虹梁などに桃
厳かに時を刻んでい
ます。
山時代の様式が伺え
ます。
木造弥勒菩薩及諸尊像【国指定重要文化財】
N
慈恩寺の本尊である
慈恩寺
弥勒菩薩坐像は、永
287
仁6年(1298)9月、
ほっきょうかんけい
法橋寛慶によって造
立されました。本尊、
脇侍の不動明王像、
287
降三世明王像、釈迦
如来坐像、地蔵菩薩
羽前高松駅
寒河
江川
112
フ
ル
ーツ
ライ
ン左
沢線
坐像の五尊像で、こ
チェリーランド●
の構成は国内では慈
恩寺のみです。
慈恩寺舞楽【国指定重要無形民俗文化財】
国指定重要無形民俗
道
車
動
自
形
山
文化財林家舞楽の
内。曲目は八番で、
この内、太平楽と二
の舞は慈恩寺一山の
れ、楽人は慈恩寺一
私たちが案内します
山で伝承している坊
さくらんぼの里観光ガイド(寒河江市観光協会内)
電話:0237-86-8866
の人々です。5月5
日の一切経会で奉奏
公演日 ■慈恩寺舞楽 ( 一切経会 ) /毎年5月5日
●
寒河江
市役所
寒河江駅
人々によって舞わ
されます。
西寒河江駅
【アクセス】JR 左沢線羽前高松駅から徒歩20分、JR 左沢線寒河江駅から車で12分
【問合せ先】寒河江市教育委員会生涯学習課歴史文化係 電話:0237-86-8231
6
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