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「自我状態」概念再考

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「自我状態」概念再考
東洋大学人間科学総合研究所紀要 第7号(2007)
235-248
235
「自我状態」概念再考
篠
信之*
「自我状態」は、Berne が創始した心理療法である TA の最も主要な概念である。
Berne はこの概念について変更や矛盾した記述を行ったため、後続の研究者はこの概
念についての共通理解を持つことが困難となった。そこで本論文では、自我状態概念
を明確するために解決すべき問題を整理し、提案および今後の研究課題の提示を行
なった。それは、次の6点である。①自我状態の発達に関して認知説をより強調すべ
きである。②発達心理学の知見を取り入れつつ自我状態の発達について再検討する必
要がある。③< P1 >、< P2 >概念の拡張を検討する必要がある。④統合された
< A >概念を強調すると共に、その統合過程について考察を深めなければならない。
⑤機能モデルの扱いについて、根本的な解決のためには、精神内界過程と外顕的行動
の統合的理解が必要である。⑥「自我状態にいる」という表現は、「自我状態が活性
化している」にあらためるべきである。
キーワード:交流分析(TA)
、自我状態、統合された<A >、構造モデル、機能モデル
1.はじめに
何か新しいことを学ぶ際、その事柄の主要概念、キーワードを理解しようとするのは自然なことだ
ろう。各心理療法にもキーワードがある。そして、そのキーワードは、その方法にとって重要である
がゆえに、多くの研究者によって考察され、さまざまな解釈がなされるため、おうおうにして曖昧に
なりがちである。例えば、クライエント中心療法においては、いわゆる3つの必要十分条件について
の批判がなされてきたし(諸富,1997; Nye, 1992 など)、認知療法では、主要な概念であるスキーマ
*人間科学総合研究所研究員・東洋大学文学部
236
東洋大学人間科学総合研究所紀要 第7号
と自動思考について、区別が曖昧との問題点が指摘されている(町沢,1993)。
本稿で取りあげる TA(Transactional Analysis)の場合、同じような位置にあるのは自我状態
(ego-states)である。自我状態は、TA の創始者 Eric Berne 自身、「なんであれ自我状態を扱うもの
は TA であり、自我状態を軽視するものはそうではない」(Berne, 1970)と語ったように、TA の中
核的な概念である。しかし、後述のように、この概念に関しては、Berne 自身の著作のなかにすでに
矛盾点がみられるし、この概念を巡る議論は現在進行形であり、決着がついていない。その結果、こ
の方法を学ぼうとする人たちを混乱させたり、研究の蓄積に支障をきたしている。
本論文では、この自我状態概念を巡る未解決の問題を整理し、考察する。その際に、現在の TA 理
論を整合的なものとすることにつとめるが、同時に元々の Berne の概念規定から大幅に逸脱しないこ
とを心がける。なぜなら、解釈の違いで解決できないほど大きく逸脱している場合、それは自我状態
というよりは、別の概念とみなすべきだからである。このような姿勢は、例えば、後述の Stewart
(2002)の「5つの行動モデル」という新概念の提案に見られる。
なお、以下の文中で、<>でくくられているのは自我状態であり、〔〕は筆者による補足である。
自我状態の表記は現行の TA に関する著作に従い、添え字なしで<>に入っている< P >、< A >、
< C >は、二次的構造モデルで言う< P2 >、< A2 >、< C2 >と等しいものとする。
2.Berne による自我状態の定義
考察を開始するにあたって、元々の Berne の考えに戻りたい。自我状態について議論する研究者は、
口々にオリジナルに帰ることを強調している(Clarkson, 1992; Stewart, 1992, 2002; Trautman &
Erskine, 1981 など)。
その、Clarkson(1992)、Stewart(1992, 2002)、Trautman & Erskine(1981)らが、Berne によ
る自我状態の定義として最もよく引用しているのは次の部分である。
「< P >の自我状態は、親的人物の感情、態度、行動パターンに似たそれらである。
(中略)
< A >の自我状態は、現在の現実に適合した(adapted)、感情、態度、行動パターンの
自発的なセットによって特徴づけられる。< A >は、3 つのタイプの自我状態のなかで依然
として最も理解が進んでいないものなので、臨床実践においては、検知できるすべての
< P >と< C >の要素を分離した残りの状態として特徴づけるのが最も良い。(中略)
< C >の自我状態は、その個人自身の幼児期(childhood)の残存物(relics)である感情、
態度、行動パターンのセットである。」(Berne, 1961)
この後、最晩年の著作のなかで、Berne(1972)は、自我状態を次のように定義している。
「TA の基本的な関心は、自我状態の研究である。自我状態とは、思考と感情の一貫した
システムで、対応する行動のパターンとして表出されるものである。一人ひとりの人間は、
3つのタイプの自我状態を呈する。
篠
:
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(1)親的人物に由来するもの、これは口語的に< P >と呼ばれる。この状態にいるとき、人は、
彼が小さいときに、親の一人がしたのとまったく同じように感じ、考え、行動し、話し、反
応する。この自我状態は、例えば、自分の子どもを育てるときに活性化(active)している。
彼が実際にこの自我状態を表出していないときでも、それは彼の行動に『親的影響
(Parental influence)』として影響し、良心の機能を果たす。
(2)人が環境を客観的に評価しており、過去の体験に基づいて可能性を計算しているときの自
我状態は、< A >の自我状態、あるいは< A >と呼ばれる。< A >は、コンピュータのよ
うに機能する。
(3)各人は、自分のなかに小さな男の子、あるいは小さな女の子を連れている。その子は、彼
がある年齢の子どものときとまったく同じように感じ、考え、行為し、話し、反応する。こ
の自我状態は< C >と呼ばれる。(中略)。ここで重要なファクターは年齢である。それは、
通常の環境では、2歳から 5 歳の間のどこかだろう。」
この2つを比較すると、少なくとも、3点の違いがみられる。それは、① Berne(1972)は、
Berne(1961)とは異なり、< P >が、その人が「小さいとき」の親的人物の再現であることを明示
している。② Berne(1972)は、Berne(1961)と違って、< A >が「現在の現実に適合した」もの
であるとはしていない。③ Berne(1972)は、Berne(1961)と違って、< A >の感情について触れ
ていない。という点である。このなかで、最も議論を引き起こしており、未だに決着がついていない
のは、②の< A >に感情があるとするかどうかということである(Tudor, 2003)
。
Berne による自我状態の定義・記述にみられる問題は、このような、彼自身の考察の深まりによっ
てそれらが変えられたということだけにとどまらない。彼は同じ著作のなかで矛盾した説明を行うと
か、定義に十分に沿っていない例をあげるといったこともしており、こちらの問題のほうが深刻であ
る。こうした問題の結果、Berne の定義・説明のどこを強調するかということによって、Berne 以降
の研究者は、各々が一致しない定義・説明を行うことになった。
Berne(1961)は、上記のような自我状態の分析の記述の他に、高度な構造分析(advanced structural analysis)と称して、今日、二次的構造分析と呼ばれているものを提案している(図 1)。これ
は、< P >と< C >の内容をさらに詳しく分析するものである。
まず、< P >は、さまざまな親的人物からの取り入れだが、各親的人物自身も3つの自我状態を有
しているので、図 1-b のように描写できる(縦の< P3 >< A3 >< C3 >が一人の人物を表す)。ま
た、< C >については、Berne(1961)は、例えば、6 歳児の中にも、6 歳の時点で取り入れた親的人
物の要素や、6 歳児の時点よりもさらに子どもの状態があるとし(6 歳児が 4 歳の状態に「退行」する
といったことからその状態の存在が証明される)、< C >の内部もさらに3つの自我状態に分けて考
えられるとした。
Berne(1961)は、自我状態の診断、すなわちどの自我状態が活性化しているかの判断にあたって
は 4 つの方法があるとし、その 4 つの結果が関連するまでは、その診断結果の最終的な妥当性は保証
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P3 P3
P
P3 P3
A3 A3 A3 A3
<P2>
C3 C3 C3 C3
A2
A
<A2>
P1
C
A1
<C2>
C1
b 一次的構造モデル
a 二次的構造モデル
図1 自我状態の構造モデル(Stewart & Joines, 1987を一部改変)
されないとした。その 4 つとは、①行動的診断(行動、すなわち、言葉、声音、姿勢、表情などの観
察により診断する)、②社交的診断(その人が交流している相手の自我状態の観察を通じて診断する。
例えば、< AC >の自我状態を呈している人の相手は< CP >の自我状態の可能性が高いなど)、③歴
史的診断(その人やその人の周囲の人の過去の情報を集めることによって診断する)、④現象的診断
(過去の自分について、ゲシュタルト療法の技法などを用いて「今、ここ」で体験する際に明らかに
なる)、である。
3.現在の標準的な自我状態の定義
Berne 以降、自我状態はどのように理解されてきただろうか。TA を学びはじめる人たちのための
世界的に評価の高い入門書(James & Jongeward, 1971; Stewart & Joines, 1987; Woollams & Brown,
1978)では、定義が一致していない。現時点で最も普及している入門書は Stewart & Joines(1987)
だと思われる。その著者の一人である Stewart(1989)は、3つの自我状態について次のように語っ
ている。
「< C >にいるとき、個人はその人自身の過去から(from her own past)、すなわち自分
の幼児期からの行動、思考、感情を再生している。
.
< P >では、個人は、過去に(in the past)親あるいは親的人物(parent-figure)から無
........
批判にコピーした(uncritically copies)行動、思考、感情の方法を用いている。これを表
現するために、Berne は< P >を借りてきた(borrowed)自我状態と呼んだ。
< A >にいるときのみ、人は、現在(present)に直接反応する形で、行動し、思考し、
感じている。」(圏点は筆者。斜体は原著)
先に、Stewart が Berne による自我状態の定義として最もよく引用しているのは、Berne(1961)
によるものと書いた。実際、上記のものは Berne(1961)とほぼ同じである。それは、< A >に関す
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る問題で顕著であり、< A >には感情があることを強調しているし、< A >は現在への適応である
ということも示唆している。ただ、Stewart(1989)の定義では、時間軸と、各自我状態を構成する
ものの由来がどこにあるかが、より明確になされている。
この Stewart(1989)の定義は、世界的な入門書の著者であり、かつ、自我状態についての研究論
文が多い研究者のものという点からも、現在の最も標準的なものと考えてよいだろう。しかし、この
定義が全ての問題を解決しているわけではないことも事実である。
4.連合説と認知説
先ほどの Berne の定義では、< P >はいずれも親的人物の取りいれとしている。彼は、子どもがこ
うした人物のことをカセットテープのように忠実に記録すると考えていた。Stewart(1989)の定義
.........
の「無批判にコピーした」という箇所からも同様のニュアンスが受け取れる。しかし、人間の認知過
程においては、記銘時の解釈という認知過程が入りこむのが自然であろう。この点に関して、再決断
療法派の Goulding & Goulding(1979)は、臨床家としての経験から、Berne に明白に異を唱えてい
る。彼らによると、< P >は単なる親的人物のコピーではなく、子どもが取捨選択したものであるし、
また、自分たちで作りあげる可能性すらあるとしている。< P1 >に関しては、後述のようにさらに
拡張した考えを示している。
杉田(1985)は、Berne と Goulding & Goulding の立場を、「連合説」と「認知説」の違いと捉えてい
る。筆者は、杉田の言う「認知論」の立場をより強調することが、TA 理論の洗練と整合性に役立つと
考える。その理由は、①自我状態は記憶研究を踏まえる必要があることから(< P >と< C >は過去
の状態に関連するので)、「刺激を解釈なしでそのまま受けとめる」ということは考えにくい。②そも
そもバーンの定義には、親的人物の感情も取りいれるとしているが、感情といった内的状態を取りい
れるにあたっては、「(親的人物の言動などからして、その親的人物は)どのように感じているのか」
といった推測過程を子どもがしているのは明白。③ Goulding & Goulding ら再決断療法派を中心とし
て、「親のメッセージに対する子どもの解釈」をキーワードとする治療技法・理論が増えている、とい
うことである。先に引用した Stewart(1989)の定義のように、相変らず認知過程を軽視した定義は
改めるべきであろう。
5.一時的構造モデルと二次的構造モデルの問題
一次的構造モデルと、二次的構造モデル(図1)の双方がなぜ必要なのだろうか。その理由は、二
つに分けて考えなければならない。
第一の理由は、先に Berne(1961)を参照しつつ、「6 歳児の中にも、6 歳の時点で取り入れた親的
人物の要素……」と書いたように、子ども(成人からすると< C2 >)のなかにも、親的要素がある
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からである。また同時に、子どものときにも、われわれは子どもなりに現実に適応することがあった
し(< A1 >)、より早期の子どもの状態(< C1 >)に退行することがあったからである。そして、
これらより早期の自我状態(< P1 >< A1 >< C1 >)がどのようなものであったかという知識が、
治療にあたってのクライエントの査定に必要になる。
第二の理由は、一時的構造モデルと二次的構造モデルで示される自我状態の性質は違うということ
による。< P1 >と< P2 >、< A1 >と< P2 >の違いはどのように考えられているだろうか。違うか
らこそ概念として区別されるのであり、概念を明確にするためには、その違いについてはっきりとし
た記述が必要である。
まず、発達上の、よりはっきりと言うと、時間軸上の違いがある。この自我状態の発達についての
研究は断片的なものが多く、最も組織的と考えられるのは、Levin-Landheer(Levin, 1974; LevinLandheer, 1982)のものである。Levin-Landheer(1982)によると、< P1 >は、3 歳から 6 歳頃に発
達してくるものであり、< P2 >は、それに続く 6 歳から 12 歳頃に発達する(表1)
。同様に、< A1 >
は、6 ヶ月から 18 ヶ月、< A2 >は、18 ヶ月から 3 歳に発達し始めるものとされている。この時間軸
上の違いは、各概念の性質の違いにつながる。
< P1 >は、< P2 >よりも、より親的人物のメッセージや姿が歪められた形で取りいれられたもの
と考えられる。例えば、親的人物が、3 歳と 10 歳の子どもに同じメッセージ を伝えても、子どもが
受けとめるときに行う解釈は違っている可能性がある。特に、小さな子どもが、親のメッセージを必
要以上に深刻になものと受け止め、実際以上に過酷な親像を作り上げる危険性があり、それが不適応
につながりうることは、TA の文献ではさまざまな研究者が指摘している(Goulding & Goulding,
1979; Stewart & Joines, 1987; Tilney, 1998 など)。こうした考えは、先に示した認知説の立場と一致
するものである。< P1 >と< P2 >については、これらの概念の拡張という問題で再度取りあげる。
次に、< A1 >と< A2 >について。< A1 >は、言語獲得以前に発達するものである。一方、
< A2 >は、言語獲得以後に発達する。こうしたことから、< A1 >が行う思考は、非言語的で、直
観的なもの、言いかえれば、ひらめきのようなものに近いと解釈できる。このような< A1 >が捉え
表1 自我状態の発達
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た世界というものは、< A2 >が捉えたそれよりも、より非論理的・非現実的であろう(もちろ
ん、< A2 >に関しても、それが発達しはじめた時期というものは、言うまでもなく通常の成人のも
のより未熟であるが)。ただし、それは必ずしも悪いものではなく、創造につながることもあると考
えられてきた。成人は、論理的思考(< A2 >)だけを行うのではなく、ひらめく(< A1 >)こと
もある。このようなことから、< A1 >と< A2 >の区別が必要であろう。また、思考の面ばかりで
はなく、「理由はわからないが、なんとなく嫌い」といった現象を描写するためにも、< A1 >とい
うカテゴリーは大切である。
Berne は、Piaget などを参考にして自我状態の発達について語ってはいるが、組織的なものとは言
い難い。近年、乳幼児精神医学(Stern, 1985)や自己心理学(Kohut, 1971)の知見を取り入れて、
より早期の自我状態(< C1 >)についての研究が進められている(Hargaden & Sills, 2002)。今後
は、これらより早期についての研究を取り入れるのはもちろんのこと、それ以降の発達についてもあ
らためて検討し直す必要があるだろう。
6.< P1 >と< P2 >の拡張について
「4. 連合説と認知説」のところで取りあげた Goulding & Goulding(1976, 1978, 1979)は、< P1 >
について、かなり拡張した見方を示している。彼らは、クライエントの精神病理を理解する際に、禁
止令(injunctions)という概念を重視している。禁止令とは、「両親の<子ども>の自我状態から
のメッセージで、これは両親自身が苦痛を感じた状況から出されており、不幸、惨めな感じや状態、
不安、失望、怒り、欲求不満、秘密の欲望などを感じた両親が与えるメッセージである。」(Goulding
& Goulding, 1979)
。Stewart & Joines(1987)によると、これの重要なものは 3 歳までに与えられる。
つまり、< P1 >を構成するものである。Goulding & Goulding(1979)は、それ以降でも与えられる
ことを想定しているが、いずれにせよ、< P1 >に保存されるとしている。
Goulding & Goulding(1979)が Berne に反対して認知過程を重視する立場を取っていることは先
に示した。それは、特にこの禁止令について言えることである。彼らは、前記の認知説的立場を明白
にした箇所で、「私たちは、禁止令の多くのものは、実際には子供には与えられなかったのだと信じ
ている! 子供は空想したり、発明したり、誤解したり、つまり自分自身に自分で禁止令を与えてい
ることもある。」と書いている。彼は、自分の嫉妬のせいで弟が死んだと思い込んだ子どもが、罪悪
感の結果、自分自身に「存在するな」という禁止令を与えたという例を挙げている。つまり、Goulding & Goulding(1979)は、親的人物にはまったく由来しないものまで< P1 >に含めているのであ
る。
< P2 >についてはどうだろうか。前記のように、こちらは、< P1 >ほど親的人物のメッセージや
姿を歪めて受け止められた結果であることは少ないだろう。しかし、まず、こちらも、「4.連合説と
認知説」で指摘したように、親的人物のコピー以上のものであると考えられる。また、親的人物以外
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の情報源というものも無視できないだろう。例えば、おとぎ話やテレビを見て、「ウソをついてはい
けない」という価値観を手に入れるということはないだろうか。「親的人物が既に与えた価値観の修
正・強化」という解釈もできるかもしれないが、概念の定義の拡張を検討する必要がある。
7.統合された< A >
Berne(1961)による自我状態の定義と、それを引き継いだ Stewart(1989)の定義は、< A >に
関するまた大きな論争につながるものである。それは、治癒された人間像についてのものである。順
を追って言うと、まず、< A >が現実に適応している状態であるとするならば、適応している人に
は< C >、< P >はないということになる。
Berne(1961)、Stewart(1989)の定義に従うと、「かつて親的人物から取り入れたものであって
も、それが適応的なものであることはいくらでもあるではないか?」という疑問が出てくるだろう。
彼らの定義に従いつつ、この疑問に答えるには、「統合された< A >(integrated A)」という概念を
積極的に用いるしかない。この概念について、Tilney(1998)は、次のように書いている。
「〔統合された< A >とは〕< A >の発達における最終段階についての Berne の概念であ
る(Berne, 1961)。そこでは、< P >と< C >の自我状態のなかの価値あるものは全て消化
され、< A >の中に統合され、ただ一つの自我状態を形成することになる。
」
Tilney(1998)が参照しているように、Berne(1961)は、統合された< A >について触れている。
しかし、Berne(1961)は、
「〔統合過程は〕構造分析における最もあいまいな領域になり続けている。
」
とし、現象は想定しているものの、考えは示していない。Stewart(1992)は、Berne はそれ以降、
この概念を発展させなかったとしている。
Stewart & Joines(1987)は、< A >は、外界の現実吟味だけではなく、「自分自身の『親』や
『子ども』の自我状態の内容を、大人として評価する部分である」とし、例として、< P2 >のなかの
「道を横切る前に左右をよく見なさい!」という命令を大人として評価し、それが現実面で意味があ
ると結論した場合に、この結論は< A >の中にファイルされると書いている。彼らは明記していな
いが、この例は、< A >の統合過程の一例と考えてよいだろう。
統合された< A >という概念は、< A >に感情を認めるか否かという問題にも関連する。この議
論に関しては、本物の感情(authentic feeling)とラケット(racket)についての関係を念頭におく
と理解しやすい(篠
然な感情」(篠
, 2000, 2003)。本物の感情とは、「そのときそのときの刺激に対して起こる自
, 2003)のことであり、長い目でみて問題解決に役立つと考えられている。例えば、
親しい人の死という状況における悲しみといったものである。このような性質から、本物の感情は
< A >の感情と考えるのが自然である。一方、ラケットとは、人が親的人物の取り入れ、あるいは、
過去の経験から学習した感情であり、< P >あるいは< C >の感情と言える。
< A >の統合過程というものを積極的に評価するならば、「その場の現実に適応的なものは全て
篠
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< A >。そうでないものは、< P >あるいは< C >」ということになるので、少なくとも健常者を見
たときには、従来の TA の文献で扱われてきたのよりも< A >の領域が大きくなる。Berne(1961)
が< A >について語った、「検知できるすべての<親>と<子ども>の要素を分離した残りの状態と
して特徴づけるのが最も良い。」というのと逆の判断をすることになる。
統合過程は、いずれにせよ、まだまだ未開拓の領域である。例えば、先の Stewart & Joines(1987)
の例にしたところで、現在の状況には適応的だが「熟慮した結果ではないもの」は、統合された
< A >とみなせないのか、という反論がありうるだろう。
8.機能モデルの扱いについて
本稿でここまで扱ってきたのは、厳密に言うと、自我状態の構造モデル、あるいは、構造的自我状
態というものである。冒頭で自我状態概念には曖昧な点があると書いたが、TA 文献のなかで自我状
態について触れられている場合、Berne 自身に由来するものから他の研究者による単純な誤解に基づ
くものまで複数の切り口があり、それらをレビューした論文もある(Stewart, 2001; Trautmann &
Erskine, 1981)。それらのなかで、最も議論の中心となっているのは、機能モデルの扱いについてで
ある。構造モデルは、Berne が最初から中心的に扱ってきたものである。一方、機能モデルは、
Berne は、パーソナリティの記述的側面(Berne, 1972)といった項目で触れてはきたが、構造モデ
ルほど深くは考察してはいない。ただし、機能モデルで扱われる、< CP >、< NP >、< A >、
< FC >、< AC >という概念は、この5つのエネルギーを図示するエゴグラム(Dusay, 1972, 1977)
が学校現場をはじめ各所で活用されていることからもわかるように、むしろ、TA の概念のなかでは
最も TA 研究者以外に知られているものである。
機能モデルの定義と、それが TA の研究者間にどう受け止められているかは、次の Tilney(1998)
の文に簡単に示されている。
「〔機能モデルとは〕自我状態が対人交流にどのように表れるかを強調する自我状態のモデ
ルである。(中略)機能的自我状態は本物の自我状態なのかということに関して TA の文献
には若干の混乱がみられる。」
これに加えて、Tilney(1998)は、自我状態の機能モデルは、Berne(1961)の4つの自我状態の
診断法(「2. Berne による自我状態の定義」で触れた)のうち、行動的診断だけによるものだとして
いる。Berne(1961)が4つの診断法の関連を重視したと先に書いたように、そのうちの1つにしか
頼らず、しかも、外顕的行動のみを手がかりとする機能モデルについては、「機能的自我状態概念は
注意深く用いる必要がある」と、控え目に疑問を呈している。言い換えれば、「外顕的に観察可能な
行動としてある特徴が見られたとしても、そこから確実に、それがある特定の自我状態の現れである
と決定するのは難しい」ということである。例えば、ある人が怒りの表情を見せながら他者を叱責す
る行動を見せたからといって(これは< CP >ということになるだろう)、それがかつての腹をたて
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た親の再現(< P >)なのか、かつて欲求不満のために腹をたてた子ども時代の自分の再現(< C >)
か断言できないということである。
機能的モデルをどう扱うかについては、TA 研究者のなかにもさまざまな立場がある。
前記のように機能的モデルを前提にしているエゴグラムの提唱者である Dusay(1977)は、表に出
ない精神内界過程の存在を認めつつも、「頭の中の内容物にどれだけの重要度を置くかということに
ついては、可能性がいろいろとある」と書き、機能モデルを重視する発言をしている。彼は、外顕的
行動を扱うエゴグラムの言わば対照物であり、表に現れない精神内界を扱う精神描写図(psychogram)について「これ〔精神描写図〕は自認したものであり、外部の人には観察されたり、確認
されるはずがないので、エゴグラムのような正式な研究道具ではない。」と書いており(Dusay, 1977)、
実証研究という点でも機能的モデルを優位なものとしている。
Goulding & Goulding(1979)は、構造モデルと機能モデルを統合した考えを示している(図 2)。
この図によると、機能モデルで言う< CP >、< NP >は、構造モデルの< P >が外に現れたもので
あり、同様に、< FC >、< AC >は、構造モデルで言う< C >の表出である。前記の「外顕的に観
察可能な行動としてある特徴が見られたとしても、そこから確実に、それがある特定の自我状態の現
れであると決定するのは難しい」という問題を棚上げした形と言える。
Stewart(2001)は、曖昧さの残る機能モデルは放棄すべきとしつつも、そこで取りあげた5つの
Pm
Pf
Am
Af
Cm
Cf
Pm
Pf
Am
Af
Cm
Cf
f・父親
m・母親
批判的
P2
養育的
A2
図3 5つの行動モデル(Stewart, 2001)
P1
A1
自由な
C1
C2
P1
適応した
A1
C1
図2 完成した自我状態図
(Goulding & Goulding, 1979)
篠
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行動の分類(< CP >、< NP >、< A >、< FC >、< AC >)を捨てることまでは主張していない。
その理由は、対人関係を分析するうえで、この5つの分類が依然として有効だからだろう。ただし、
従来の名称だと自我状態と紛らわしいので、新しい名称を用い、また、従来円で描かれた自我状態と
の区別を強調するためか、四角形で描くことを提案している(図 3)。
Stewart(2001)はこのように、構造モデルと機能モデルの切り離し(そして機能モデルの放棄)
を提案したが、問題はそこで解決したとは思えない。というのも、彼の言う5つの行動モデルと構造
モデルの関係については何も語っていないからである。言い換えれば、5つの行動モデルによって示
される行動が、どのように学習されてきたのかという問題に触れていないからである。
構造モデルと機能モデルの関係(特に両者の混同)について、Tilney(1998)は、「この混乱は、
おそらく、行動的観点(外界の観察者)、精神内界の観点(内的観察者)の双方を統合した TA の統
合的性質に由来するものだろう。」と分析している。筆者の印象では、特に TA 初期の文献は、機能
モデルを強調したものが多かったと思われる。例えば、先にあげた Dusay(1977)のものなどである。
その理由としては、①実証可能性を強調したかった(先の Dusay(1977)の引用部分が典型)、②外
顕的行動を強調することによって母体である精神分析との相違点をより鮮明にしたかった(精神分析
との比較については Stewart, 1989 が詳しい)、の 2 点があると思われる。しかし、「TA の治療で精神
内界過程に焦点をあてなければ、脚本レベルの変化はまず起こらないだろう。」(Erskine & Zalcman,
1979)というように、すぐさま、精神内界過程の軽視に警戒する声があがった。機能モデルの扱いに
ついて本質的に回答を出すには、精神内界過程、外顕的行動の双方の関係を再検討する必要があるだ
ろう。
9.複数の自我状態の同時活性化の問題
TA の文献には、「私は、< A >の自我状態にいる(I am in my Adult ego-state)」というような
表現が用いられることがある。このような表現をとると、「ある瞬間の個人は、かならずどれか一つ
の自我状態におり、同時に複数の自我状態にいることはない」という前提があると思われてしまうだ
ろう。ところが、TA の文献を精査すると、そのような前提はないことがわかる。このことについて、
はっきりと、「われわれは、同時に< A >< C >あるいは< P >に『いる』ことができる。(We can
be ‘in’ Adult and Child or Parent at the same time)」と明言している研究者もいる(Tudor, 2003)。
この Tudor の表現そのものも、誤解を招きかねない。Berne の文献にもみられることがある、「∼の
自我状態が活性化している(∼ ego-state is active)」という表現がより好ましいだろう。
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The Bulletin of the Institute of Human Sciences, Toyo University, No. 7
Reconsidering Berne’s notion of “ego-states”
SHINOZAKI Nobuyuki *
One of the most important concept in Transactional Analysis psychotherapy is “ego-states”.
Eric Berne, the founder of this psychotherapy, wrote about this concept equivocally. The
author pointed out some issues to be clarified and proposed that 1) more cognitive and developmental points of view are needed; 2) an “integrated Adult” concept is required; 3) the relationship between intrapsychic processes and overt behaviors should be discussed more thoroughly;
and 4) the expression of “being in an ego-state” is not proper.
Key words : Transactional Analysis psychotherapy, ego-states, integrated Adult, psychological models, Eric Berne
* An associate professor in the the Faculty of Literature, and member of the Institute of Human Science at Toyo University
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