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2016 年野外巡検(根釧・知床巡検) - 地球惑星科学科

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2016 年野外巡検(根釧・知床巡検) - 地球惑星科学科
北海道大学理学部 地球惑星科学科 3 年生カリキュラム
2016 年野外巡検(根釧・知床巡検)
日程:2016 年 9 月 26 日(月)~30 日(金)
テーマ:北海道東部の中・新生界と第四紀火山
担当教員:沢田 健,馬上 謙一
TA:舘下 雄輝,青柳 治叡
レポート課題:
1)見学した地点の地質学・地球科学的事象の調査レポート(実習で観察したこと,現地での説明,自
分で調べたことをもとにまとめる)
2)見学した地点の気がついたこと,興味深かったこと。
3)巡検の感想
提出期限:10 月 31 日(月)
野外巡検2016 参加者名簿
班
A
1
2
3
4
B
5
6
7
8
C
9
10
11
12
D
13
14
15
17
E
18
19
20
21
所属名
学生番号 氏名
性別 年次 メールアドレス
担当日程:2日目 テーマ:
理,地球惑星 02140435 中井 勇海 男
3
理,地球惑星 02140241 朝日 啓泰 男
3
理,地球惑星 02142019 鈴木 花
女
3
理,地球惑星 02142055 和田 壮平 男
3
担当日程:3日目 テーマ:
理,地球惑星 02140779 吉田 哲治 男
3
理,地球惑星 02141037 池上 森
男
3
理,地球惑星 02140183 池田 雅志 男
3
理,地球惑星 02140655 高倉 直樹 男
3
担当日程:5日目 テーマ:
理,地球惑星 02142206 成田 そのみ女
3
理,地球惑星 02140620 小林 唯
女
3
理,地球惑星 02142049 中島 重大 男
3
理,地球惑星 02140269 山本 洋司 男
3
担当日程:1日目 テーマ:
理,地球惑星 02142205 藤浪 知世 女
3
理,地球惑星 02142017 安藤 瑞帆 女
3
理,地球惑星 02140215 太田 耕輔 男
3
理,地球惑星 02140962 塚田 大河 男
3
担当日程:4日目 テーマ:
理,地球惑星 02140023 橋本 繭未 女
3
理,地球惑星 02140963 薄田 悠樹 男
3
理,地球惑星 02140056 水谷 歩
男
3
理,地球惑星 02142047 徳井 雄太 男
3
引率教員:
沢田
馬上
TA:
舘下
青柳
健
謙一
男
男
[email protected]
[email protected]
雄輝
治叡
男
男
[email protected]
[email protected]
●巡検コース:
9/26(月):札幌 10:00 発 → 赤岩青岩峡 (→ 下佐幌協心) → 忠類 → 帯広市街
見学地点 1:占冠村赤岩青巌峡(神居古譚帯のチャート,千枚岩,蛇紋岩)
見学地点 2:清水町下佐幌協心(潮汐堆積物・火砕流堆積物など:池田層群最上部と芽登凝灰岩)
見学地点 3:忠類ナウマン象記念館(ナウマンゾウ化石,十勝平野の第四紀生態系)
宿泊:みどりヶ丘温泉サウナビジネスホテル(帯広市西 12 条南 17 丁目 3 番地)
9/27(火):帯広 → (川流布) → 白糠恋問 → 釧路湿原 → 釧路市街
見学地点 1:川流布(根室層群活平層の K-Pg 境界層)
見学地点 2:釧路湿原(湿原の植生と泥炭)
宿泊:すみれ旅館(釧路市若松町 8-12)
9/28(水):釧路 → 昆布森 → 琵琶瀬 → 羨古丹 → 花咲岬 → 納沙布岬 → 中標津市街
見学地点 1:昆布森(古第三系浦幌層群丁寧礫岩と舌辛層)
見学地点 2:琵琶瀬(根室層群霧多布層の火山礫岩)
見学地点 3:羨古丹(根室層群尾幌川層の堆積相)
見学地点 4:花咲岬(根室層群シート状溶岩・枕状溶岩:車石)
見学地点 5:納沙布岬(根室層群の層状分化岩床)
宿泊:ホテル秀月(中標津町西 5 条北 1 丁目 1 番地)
9/29(木):中標津 → 野付崎 → 羅臼港 → 知床熊の湯 →
→ オシンコシン滝 → 網走市街
知床峠(羅臼岳) →
知床五湖
見学地点 1:野付崎(鉤状砂嘴)
見学地点 2:知床熊の湯(間欠泉,ネイチャーセンター)
見学地点 3:羅臼岳(知床第四紀火山)
見学地点 4:知床五湖(南岳巨大崩壊と知床五湖)
見学地点 5:オシンコシン滝(常呂層群のドレライト:俵石)
宿泊:北海ホテル(網走市新町 1 丁目 1 番地 1 号)
9/30(金)
:網走 → 硫黄山 → 屈斜路湖 → 阿寒湖 → オンネトー → (足寄博物館)足寄
札幌 18:00 着予定
見学地点 1:硫黄山(溶岩ドーム:アトサノプリ)
見学地点 2:屈斜路湖(カルデラ湖,湖水環境の変化)
見学地点 3:阿寒湖(カルデラ湖)
見学地点 4:オンネトー・湯の滝(酸化マンガン鉱床)
1
→
赤岩青岩峡
赤岩青巌峡は、占冠村ニニウ地域の鵡川上流にある渓谷で、赤色や青色をした巨岩・奇岩が河岸に広
がっている。この地域は、地質区分では神居古潭帯に分類される。この地域は、今から約一億年前は日
高地向斜と呼ばれ、海底にあったと考えられている。海底火山がいくつも分布していて、それらの火山
活動が元となって、このような巨岩や奇岩が作られた。
赤色の岩石は放散虫の殻を主成分とする放散虫チャートで、陸からの物質が供給されにくい遠洋性の
環境下で放散虫の遺骸が堆積し固結したものである。中には、含まれている元素の濃度の違いが原因で、
青色~緑色をしたチャートもある。
灰色の千枚岩は、付加体に取り込まれた泥質岩や凝灰質岩などの細粒堆積物が高温高圧下で再結晶した
もので、岩石に千構造があり、薄くシート状に割れやすい。また、大規模な蛇紋岩の地すべり箇所も観
察できる。このあたりでは、メランジという地質構造が見られる。蛇紋岩は水を吸って脆くなる性質が
あり、蛇紋岩の路頭は地滑りを起こしやすい。比重の軽い蛇紋岩体に浮力が働くことでチャートや千枚
岩のブロックを巻き込みながら上昇して全体を持ち上げたため、チャートや千枚岩のブロックが蛇紋岩
の中に混在している。これがテクトニックメランジという付加体に特有な地質構造である。
<チャートの観察>
赤岩青巌峡のチャートは放散虫の殻を主成分とする放散虫チャートであり、陸からの物質が供給され
にくい遠洋性の環境下(深度 3000~4000m)で放散虫の遺骸が堆積し(放散虫軟泥 radiolarian ooze)、
固結したものである。
チャートの表面を軽く水で濡らしてルーペで観察すると、放散虫岩 radiolariaite と
呼ばれる石英質のつぶが観察できる。放散虫岩は透明~黒色の粒子(1mm 以下)である。
※日高変成帯
日高変成帯は、北海道の日高山脈沿いに、長さ約 140km幅 10~25km程度にわたって露出している。地帯構造区分上
は、北海道中央部の日高帯の範囲内に位置する。変成帯の北側には、緑色岩を伴う陸源堆積物からなる白亜系―古第三系
が分布する。変成帯東部では変成度が低下し、白亜紀最末期―古第三紀の厚い陸源堆積物からなる中の川層群に移行する。
一方、変成帯の西側は、幅 10-20km程度の砂泥質岩、玄武岩、チャートなどから構成される白亜紀の付加体に接する。
日高変成帯は、主帯と西帯に区分される。南北に細長く分布する西帯の岩石は、変成したオフィオライト岩体とみなさ
れ、東側ほど変成度が高い。一方主帯は、マイロナイト帯を伴った断層によってポロシリオフィオライトおよびイドンナ
ップ帯の東側に接する。
変成帯には、塩基性-酸性の変成岩類が大量に分布し、変成岩類に貫入しており、特に変成帯の北部と南部に集中して
いる。ソレアイトおよびカルクアルカリ系列の深成岩体が存在する。一般的に、より塩基性の岩体ほど西側に分布し、特
徴的な帯状配列を示す。小松ほかは、はんれい岩―閃緑岩を、下部はんれい岩―閃緑岩、かんらん石はんれい岩―はんれ
い岩、上部はんれい岩-閃緑岩に区分した。さらに、主衝上断層にそってかんらん岩体が点在する。
← 日高変成帯の地質概略図
下佐幌協心
池田層群
池田層群は十勝平野の丘陵地を構成する鮮新世~更新世に堆積した地層である。本層群は火山砕屑物
によって下部上部最上部に区分される。池田層群下部は層厚 150~200mで非海成の泥岩及び極細粒~細
粒砂を主体とし褐炭を頻繁に挟む。池田層群上部は層厚 450m以上で礫岩・砂岩・泥岩が繰り返し累重
する小堆積輪廻で特徴づけられる。
池田層群最上部
池田層群最上部は層厚約 150mで下位より芽登凝灰岩、夾炭シルト層・細粒~中粒砂岩・砂岩礫岩互
層、上然別凝灰岩層、青灰色縞状泥岩、砂礫岩からなる。夾炭シルト岩は、一般に凝灰質で極細粒砂~細
粒砂岩と細かい互層をなし、亜炭を頻繁にはさみ、炭化した樹幹を処々に含む。亜炭の炭丈は一般に 50cm
以下であるが、ときに 1m 程度になることもある。本層は、河川後背湿地などの流水の影響が比較的弱
くなった所の堆積物と考えられる。上然別凝灰岩層の岩質はしそ輝石安山岩質とされている。一部では
炭化樹幹を多く含んでいるが、これは軽石流流出の際に樹林を巻き込んだことによるものと考えられる。
青灰色縞状泥岩層は湖成堆積物様の堆積物である。一般にかなり凝灰質であり、粘土~シルト~砂質シル
ト岩またはこれらと極細粒~細粒砂岩の細かい互層よりなり、所により砂~砂礫と互層をなす。砂礫岩は
一般に最大 10cm までの亜角~亜円礫により構成きれており、礫種は粘板岩・ホルンフエルスなどの基盤
岩礫および石英安山岩・溶結凝灰岩などの
新第三紀~更新世前期の火山岩礫よりなる。
礫種構成は基盤岩礫と火山岩礫の割合が
1:1~1:3 で一般に後者の割合が多くなっ
ている。
芽登凝灰岩
芽登凝灰岩は池田層群上部の最下部に
位置し、池田層群を上部、下部に分別する
鍵層となっている。十勝清水では芽登凝灰
岩は2つのユニットに分かれていて、炭化
した木片が特徴的に散在する。芽登凝灰岩
の下部のユニットは大きな浸食によって
谷状になっており、上部の地層には砂層が
見られる。芽登凝灰岩は十勝三股盆地に分
布する火山体を供給源とする火砕流によ
るものと考えられている。また、十勝三俣
盆地は約 1Ma の大規模珪長質噴火によっ
て形成されたと考えられている。そのプリ
ニー式噴火後の火砕流のうち南東方向に
堆積したものが芽登凝灰岩である。
清水町下佐幌協心の位置(Stop2) →
参考:
高清水康博, 2007. 十勝平野の堆積相と水理地質,
地質学雑誌 113, p
石井栄一, 中川光弘, 2008. 北海道中央部、更新
世の十勝三俣カルデラの提唱と関連火砕流堆
積物, 地質学雑誌 114, p.
岡考雄,1986. 5 万分の1地質図幅説明書中士幌.
忠類ナウマン象記念館
忠類ナウマン象化石は 1969 年 7 月に忠類晩成の農道工
事現場で発見された。発見から 3 度の発掘調査で、全
骨格の 70~80%にあたる 47 個の化石骨が発掘された。
ほぼ 1 頭分の化石骨が見つかるのはとてもめずらしく、
忠類で発掘されたナウマン象化石の復元骨格は 22 体
複製され、日本のほか、海外の博物館にも展示されて
いる。
ナウマン象は約 2~3 万年前の新生代更新世後期まで
日本列島や東アジア大陸に生息していた。体高は 2.5~
写真1 ナウマン象の全身骨格
3mと小柄で全身は体毛で覆われ、皮下脂肪が発達し、
氷河期時代の寒冷な気候に順応していた。
忠類ナウマン象記念館(下図)を上空から見るとナウ
胴体
マン象の姿をイメージしたデザインになっており、
中央の丸いドームの部分が胴体、四隅の展示室など
が足、正面入口が頭部、玉石を埋め込んだ外壁は象
の肌、
『時の道』とよばれる入口までの長い歩道は
頭部
鼻と牙をイメージしている。その外壁にはナウマン
象の肌をイメージして玉石が埋め込まれている。ナ
時の道
ウマンゾウ記念館の外壁に埋め込まれている石は
花崗斑岩である。
参考文献:
「ナウマン象のまち-幕別町観光物産協会」http://www.makubetsu.jp/kankobussankyokai/nauman/index.html
(2016 年 9 月 17 日アクセス)
~川流布~
現在、日本では唯一ここで K-Pg 境界(※1)が確認さ
れており、上の写真では黒い部分の粘土層が境界と
なっています。この黒色粘土層からはイリジウム異
常(※2)が検出されています。また、この写真の境界
露頭は根室層群活平層中に含まれます。
※1 「K-Pg 境界」…およそ 6500 万年前の中生代
と新生代の境目のこと。恐竜をはじめ多くの生物が
絶滅した。このときには直径 10km ほどの隕石がメ
キシコのユカタン半島に衝突したと考えられている。
この衝突により舞い上がった粉塵が堆積し粘土層を
写真1:北海道地質百選 Web サイトより
作ったと考えられている。
※2 「イリジウム」…77番目の元素。Ir。地表
では希少な金属元素で隕石に多く含まれている為、隕石衝突を示唆する証拠と考えられている。
~参考文献~
北海道地質百選: http://www.geosites-hokkaido.org/geosites/site0213.html
加藤誠・勝井義雄・北川芳男・松井達愈 編集, 1990.「日本の地質1北海道地方」, 共立出版.
(川流布担当:中井勇海)
~釧路湿原~
《湿原のでき方》
「低層湿原」
:多くは浅い湖や沼の水面が植物に覆い隠される。そして植物が枯れ、底に沈みそのまま堆
積し泥炭となる特徴)栄養分豊富
「高層湿原」
:低層湿原ののち、泥炭層がどんどん厚くなり水面の上まで発達するようになる特徴)栄養
スゲ
源が少ない。
「中間湿原」
:低層湿原から高層湿原に移行する湿原。
ヨシ
スゲ
《低層湿原の植物》
水が周囲から流れ込み栄養を多く含むため、ヨシやスゲといった植物が成長。
《高層湿原》貧栄養でも生育可能なミズゴケなどが生える。
《釧路湿原の形成》
1 万年前:地上への氷河の大量な堆積のため海水量が減って海水面が低下し、釧路湿原一帯も完全に陸地
化していた。
約 6000 年前:気温上昇により気候が現在より温暖化し海水面も今より 2 から 3m 高くなった。当時、釧
路湿原一帯は大きな浅い湾を形成し、気温も現在より平均 2℃から 3℃高く、現在の東北地方と似た気
候であったことが湿原周辺の貝塚からわかる。
4,000 年前:気温の低下により現在の海岸線が形作られたが、釧路湿原の内陸部は水はけの悪い沼沢地に
なった。その後そこに生育した植物が泥炭化。
約 3,000 年前に現在のような湿原になった。
《釧路湿原の特徴》
タンチョウやエゾセンニュウなどの多くの鳥類の繁殖地・休息地となっている。
特にタンチョウの夏季繁殖地が湿原を含む道東各地に広がっているが、冬には釧路湿原へ戻ってきて越
冬する
〈参考文献〉
①環境省釧路湿原自然再生プロジェクト HP ページ
②http://kushiro.env.gr.jp/saisei1/modules/xfsection/article.php?articleid=18
(鈴木花)
コラム:十勝東部・釧路の海 1
・十勝沖地震
北海道東部沖では、北アメリカプレートに太平洋プレートが沈み込んでおり、
それに伴う圧縮場により発生する逆断層性の地震の影響を受けている地域で
ある。最近では 2003 年の 9 月 26 日に発生した十勝沖地震では M8.0 を記録
し、最大震度 6 弱であった。
この地震により、道路の破壊や建物の損壊も発生した。この地震による犠牲
者は出ていないが、十勝川河口で秋サケを釣っていた男性 2 人が行方不明と
なった。これは川を遡上してきた津波に巻き込まれてしまったと考えられて
いる。
2003 年十勝沖地震震源メカ
ニズム解(F-net より)
(朝日啓泰)
釧路炭田
1. 概要
釧路炭田は,石狩炭田に次ぐ北海道第二の炭田で江戸時代の 1857 年に白糠石炭岬とオソツナイで石炭を掘ったこ
とが始まりである.このあと,1887 年に再び掘り始め,現在に至るまで採炭を続けている.この炭田を含む地層は,古第
三系の浦幌層群で,大楽毛向斜帯の向斜部に植物や動物の遺骸が堆積し形成されたものと考えられている.石炭の
埋蔵量は 19.7 億トンと推定されており(石狩,筑豊に次いで国内第 3 位),燃料に適した石炭が中心で,ガスの発生量
が少なく,海底下に有望な炭層が多いという特徴がある.現在の採炭層は春採挟炭層を稼行対象としている.炭質は
全般的に亜渥青炭である.断層が稼行区域をいくつかに分断し,かつ小断層も数多いが,断層間の採掘部内では地
質条件が非常に安定しており,緩傾斜であるため,高度な機械化採炭が可能になっている.
2. 釧路炭田地域の地質
2.1. 概説
道東海岸地域は,基盤として白亜系〜古第三系の根室層群があり,これを不整合に覆う形で一部に古第三系始新
統の浦幌層群が分布する.浦幌層群は 6 つの層準に分類され,下位から別保層・春採層・天寧層・雄別層・舌辛層・尺
別層に分けられ,これらの層はそれぞれ整合関係にある(佐脇ほか,2012).(層序の総括は図 1 参照のこと).これらに
含まれる炭層の堆積は巨視的に見ると 3 期に分けて考えられ,別保-春採層堆積期,天寧-雄別層堆積期,舌辛-尺別
層堆積期に分けられる(百石,1966).
2.2. 各層紹介
● 基盤岩(上部白亜系)
釧路付近では別保駅東方とオソツナイ海岸の一部に露出している.根室層群のうち,露頭で観察できるのは最上部
の汐見層である.岩相は主に暗灰色のシルト岩で,まれに細粒砂岩をはさむ.堆積状況は,全体として東方から西方
に向かって堆積源物質が供給されたと考えられている.
● 別保層
別保(べっぽ)層は浦幌層群の基底礫岩として白亜紀上位に不整合に覆う地層で,砂岩・シルト岩を伴う.レキ種はチ
ャート・黒色頁岩・砂岩・泥岩など堆積岩とホルンフェルス・玄武岩〜安山岩質・花崗岩質が認められる.円磨度は亜角
礫〜亜円礫で,しばしば大礫もみられる.また,礫の外観上の色調から「黒玉礫岩」と称される.この特徴は西部では不
明瞭で,白糠以東に顕著にみられる.つまり,河川堆積物(扇状地堆積物)と考えられている.オビラシケ川沿いの採
石場(東工業)で河川堆積物の特徴を持つ露頭が見られるほか,桂恋漁港の西側脇では根室層群と別保層基底礫岩
との不整合面や別保層−春採層の岩相境界の観察ができる.
● 春採層
別保層との境界は,礫岩から急に砂岩・シルト岩に移り変わる部分である.別保層同様,層厚は場所により著しい変
化をしていて,最も厚い庶路炭鉱付近では 120m,最も薄い西縁部・東縁部においては 10m 以下の厚さとなる.春採層
には砂岩・シルト岩・数枚の炭層が挟まれていて,砂岩は淡灰白色〜灰色で中粒〜粗粒である.泥岩は暗灰色〜帯青
灰色で緻密無層理を示す.また,炭層の上下にしばしば灰白色〜白色を呈するモンモリロナイト質凝灰岩が分布して
いる.採炭・選炭の障害となっているが,春採層を知るための鍵層の役割も果たしている.数枚の凝灰岩層があるが,
春採本層と下層,および上層との間にある凝灰岩層が連続性がよく,最もよい鍵層となっている.炭層は下位から下
層・春採本層・上層・二尺炭・五寸炭・蛮岩付の 6 層が知られている.特に春採本層はよく発達し,北東部から南西部の
海底に向かって肥大する傾向がある.
● 天寧層
天寧(てんねる)層−春採層境界は砂岩泥岩もしくは石炭が,再び急激に礫岩に変わる部分である.岩相は礫岩・含
礫砂岩・砂岩などからなっていて,レキは赤色チャート,火山岩起源の緑色岩,黒色泥岩がある.ごく少量安山岩・花
崗閃緑岩の円礫が伴われる.別保層の礫岩が黒玉礫岩と呼ばれるのに対し,こちらは赤チャートを含む部分が赤玉礫
岩と呼ばれている.層厚は 80〜110m で炭層は 2〜5 層あり,厚さ数 cm〜10cm 程度の薄層だが,150cm を超えることも
ある.
● 雄別層
層厚 70〜80m の砂岩・炭質シルト岩・石炭層からなる地層.陸成層である下部層(雄別互層)と汽水成層の上部層
(清水泥岩層)に大きくわけられる.模式地の雄別地区では雄別夾炭部層と双雲夾炭部層に分けられる.それぞれの
堆積相は,雄 別夾炭部層が蛇行河川で堆積したことを,また双雲夾炭部 層が潮流の卓越する内湾の潮間帯から潮
下帯で堆積したことを示している(日本地質学会編, 2010).
● 舌辛層
砂岩が主体で,多くの貝化石を含んでいる.瀕海~浅海成堆積層で,厚さ 140m 上以の地層.岩相により下部層(緑
灰色の中粒〜粗粒砂岩,礫岩シルト岩の薄層を挟むこともある)・中部層(粗粒シルト岩〜泥岩)・上部層に分けること
ができる.
● 尺別層
尺別層は浦幌層群最上部の地層で,炭層を含む淡水~汽水成の堆積層である.舌辛層との境界は最下部の炭層,
炭層下盤の泥岩または本層に特徴的にみられる鳩糞礫岩を尺別層の基底としている.鳩糞礫岩は,流紋岩の細礫を
多く含むことによって特徴づけられる礫岩である.下部は鳩糞礫岩を伴う中~粗粒砂岩と泥岩との互層で,3~8 枚の
炭層をはさんでいる.中部から上部にかけては細粒となり,細~中粒砂岩・泥岩の互層である.炭層は多い場所で 10
数枚含まれる。 最上部は炭質物に富む雲母質の中~粗粒砂岩で,灰白色~風化して黄褐色を呈し,塊状をなす.細
粒砂岩は帯青灰色で雲母質であり,一般に板状で炭質物を含む.泥岩は暗灰~黒灰色で緻密,植物化石や炭質物
に富んでいる.
● 砂岩岩脈
(七山ほか,1999)によれば,釧路市知人岬から厚岸湾にかけての道東海岸部には,大小合わせて 200 本以上の砂
岩岩脈が分布していると述べている.これらの砂岩岩脈は地震活動によって層内に亀裂ができ,そこに上位の砂質堆
積物が吸い込まれて形成されたものと考えられている(佐脇ほか,2012).最大級の岩脈は「春採太郎」と呼ばれるもの
で,脈幅が 4.4m ある.
(左上)図 1:層序総括,
(右)図 2:別保層(上)
,
根室層群−別保層(中)
,別保層−春採層(下)
(左下・右最下段)図 3:採炭方式の違い
※図 1・図 2 は(佐脇ほか,2012)より.図 3 は JCOAL
の資料より
3. 鉱開発
3.1. 歴史(簡単に)
Year
Event
1781
1856
松前長広「松前志」に「タキイシ此物東部クスリヨリ出ツ」との記録
「開拓使事業報告」(1897)に「安政3年,幕府は初めて釧路獺津内で媒炭を採掘し,幾許もなくし
て止む」との記録
1857 石炭岬での石炭採掘が始まり,茅沼(現 岩内町)へ移動するまで7年間続く
1887 山田朔郎,春採での石炭試掘を出願.硫黄製錬用燃料として,安田善次郎が買収し「春鳥炭山」とする
1895 大阪鉱業,別保に鉱区設定,採炭を開始
1916 三井鉱山が別保炭砿を買収,「三井鉱山釧路炭砿」とする
1917 木村久太郎,安田炭砿(明治34年に春鳥炭山から改称)を20万円で買収,「木村組釧路炭砿」として
事業開始
1920 木村組釧路炭砿と三井釧路炭砿が合併,太平洋炭砿株式会社設立
1944 「樺太及釧路に於ける炭砿勤労者,資材等の急速転換の件」が閣議決定され,各炭鉱は休・保坑.6000
人の労働者が九州へ転換
1945 終戦により,各炭鉱保・休坑が解除され生産再開へ,労働者も九州各炭鉱より帰還
1947 太平洋炭砿,春採坑左本坑道第一卸のダムを越え海底下への採掘に着手,興津坑には新鋭輸入機器,
カッター,ローダー,シャトルカーを投入し機械化採炭をスタート
1949 太平洋炭砿別保坑閉山,設備,人員を春採・興津両坑に集約
1967 太平洋炭砿,シールド枠(S)とドラムカッター(D)による「SD採炭方式」の開始
1973 太平洋炭砿,昭和52年度の出炭,史上最高記録260万9千623トンを達成
2002 太平洋炭砿,1月1日最後の採炭.1月22日労使閉山正式調印し30日一時閉山
前年末に設立された釧路コールマイン4月より出炭開始
重要なイベントを抜粋するとこのようになる.
3.2. 採炭技術
地下で石炭を採掘するためには,地表での採掘方法(露天掘り)とは異なる技術が求められる.その中で最も重要な
のが採炭技術,すなわち炭層をいかに効率よく(採炭率大)安全に採掘するか,という技術である.大きく分けて 2 つの
方法があるが,現在主流となっている採炭法はそのうち 1 つである.
● ルームアンドピラー採炭法
コンティニュアスマイナー(ブルドーザのような形をした掘り進める機械)で炭層内を格子状に掘り,採炭する方法.採
炭しない石炭を柱状に残していくため,実収率が悪く生産能率が低い.しかし,断層などで炭層に大きな変化(段差や
ずれ)がある場合でも,生産能率が極端に低下しないという利点もある.
● ロングウォール採炭法
100m〜300mt 程度の幅で一気に採炭する方法.一連のシステムは採炭用のドラムカッターとコンベアー,そして天井
を支える自走支保から構成されている.削り終わった箇所は天盤の発破(ばらし)もしくはズリの充填で地圧を分散させ
ながら,どんどん削り取って後退していくことで全面の採掘が可能なので実収率が高い.また,1つの切羽からの出炭
量が多く,その出炭に対する維持坑道も少ない.その上,通気もよく自然発火やガス爆発のリスクが少なく,深ければ
深いほど地圧が高まるため,掘進の能率が向上する.このように,沢山のメリットがあるため現在はこちらが主流である.
● ロングウォール採炭法の進化系!“超重装備機械化採炭切羽法(SD 採炭法)”
SD 採炭法とは,採炭設備をシールド支保(S)とドラムカッター(D)を組み合わせたもので,シールド支保と両端ドラム
式レンジングドラムカッター,ホーベル,コンベアーを一体運用する方法である.削り終わった場所は,シールド支保の
後ろから自然崩落するため,ズリの再充填などの作業が不要である.これにより,昼夜連続での採炭が可能となった.
1967 年から太平洋炭鉱はこれを導入し,現在では「ロングウォール採炭」といえば SD 採炭法を指すほど主流である.
図 4:SD 法による採炭のようす
※JCOAL の資料より
図 5:SD 法による採炭のようす(断面図)
※JCOAL の資料より
参考文献
・
五十嵐信(2012)日本の深部採炭法,石炭エネルギーセンター
・
井上英二・鈴木泰輔(1962)5 万分の 1 地質図幅「ウコタキヌプリ山」および説明書,北海道開発庁.
・
緒方乙丸・小山一郎・馬島清丸(1989)「日本の鉱山」,内田老鶴圃.
・
草野真樹(2002)釧路コールマイン株式会社を視察して,九州大学リポジトリ
・
佐脇貴幸ほか(2012)釧路海岸の浦幌層群.GSJ 地質ニュース Vol.1 No.12,pp.363-368.
・
百石浩(1966)釧路炭田東半部における春採層の堆積に関する研究.鉱山地質 16(78),pp172-182.
・
日本地質学会編(2010)日本地方地質誌 1「北海道地方」,朝倉書店.
・
長浜春夫(1961)5 万分の 1 地質図幅「釧路」および説明書,北海道開発庁.
・
松本裕之(2016)日本における石炭採掘技術の現場〜釧路コールマインの現状と新たな展開〜,釧路コールマイ
ン株式会社.
・
石炭エネルギーセンター「石炭開発と利用のしおり」
http://www.jcoal.or.jp/intern/resource/shiori/
・
釧路産炭地域総合発展機構ホームページ
http://www.santankushiro.com/index.html
・
釧路市「釧路炭田とその軌跡」ホームページ
http://www.city.kushiro.lg.jp/www/common/003hp/home.html
・
地質図 NAVI
(和田壮平)
コラム:十勝東部・釧路の海 2
・親潮
親潮はアラスカ域から千島列島に沿って南下し、最終的には北
海道の大西洋側や三陸沖まで到達する寒流であり、千島海流とも
呼ばれる。親潮は北太平洋亜寒帯循環の一部であり、反時計周り
の循環である。この親潮は低塩分・低温・高栄養塩であることが
知られている。低塩分な理由は、降水量が蒸発量を上回るため、
低温な理由としては、ベーリング海などの低温な海域を通過して
いることや、温かい海水の供給がないことによる。高栄養塩の理
由であるが、北太平洋亜寒帯循環の海流の中には深海からの湧昇
域を通過する海流があり、そこで得られた高栄養塩の水が海流の
循環の中で親潮に供給されるものと考えられる
親潮は北海道東部太平洋沿岸域の環境に多大な影響を与えて
いる。その一つに鮭や秋刀魚、スケソウダラ、カレイなどの魚
類や、花咲ガニやタラバガニ、毛ガニといった甲殻類、さらに
はホッキガイやウニなどの底生動物といった寒流系に特徴的
な生物を育んでいる。どの生物も体色は地味ではあるが、非常
においしい水産物である。また、親潮はこの地域特有の気候の
原因となっている。十勝東部から釧路にかけて、町を覆いつく
すような霧が有名であるが、これも寒流である親潮によるもの
である。
日本南部には太平洋高気圧があり、この高気圧が日本に暖かく
湿った空気を送っている。この暖かい空気が釧路に到達する際、
釧路市街での霧
親潮の上空を通ると、空気自体が冷却され、冷たく湿った空気
となり、冷たく湿った空気が釧路に到達し、霧を発生させる。このようなメカニズムは「移流霧」と呼
ばれている。
道東での巡検の際に、霧に遭遇したり、おいしい北海道の魚を食べる際には是非、親潮の力を考えて
みてはいかがでしょうか。
参考文献
・道東の自然を歩く 北大出版会 道東の自然史研究会 1999
・一般気象学 東大出版会 小倉 2016
(朝日啓泰)
興津海岸~昆布森
概要
かつて釧路炭田として栄えたこの地域。江戸幕府が開国後、国内最初の近代式炭鉱を白糠町に置いた
のがはじまりであり、その後財閥による炭鉱開発が行われた。第二次世界大戦後、石狩炭田に次ぐ道内
二位の炭田であったが、エネルギー革命によって現在太平洋炭礦が縮小して継承された「釧路炭鉱」を
除いて閉山した。それでも年間 50 万トンの生産をほこる国内唯一の坑内掘り炭鉱として現存している。
地質学的みどころ
興津海岸には最終間氷期(約 11 万年前)の海成段丘が広く分布して
おり、その基盤は浦幌層群である。浦幌層群は下部から上部に向かっ
て礫質河川、砂質河川、浅海~陸棚、内湾、陸成環境へと変わる大き
な海進-海退サークルによって形成されている。
浦幌層群は下部から順に別保(べっぽ)層、春採(はるとり)層、天寧(て
んねる)層、雄別(ゆうべつ)層、舌辛(したから)層、尺別(しゃくべつ)
層で構成され、その多くは非海成層からなる。
今回の観察地点、昆布森では地層は西に向かってゆるく傾いており、
東から西へ順に天寧層、雄別層夾炭部層、双運夾炭部層、「ハチの巣
岩」と呼ばれる風食岩がある舌辛層と西側が新しい地層となる。
天寧層に見られる礫岩に含まれる礫種は、赤玉礫岩と呼ばれる赤色
チャートや変質した火山岩(緑色岩)などである。斜交層理の状況な
どからこれらの砕屑物は別保層の堆積時期とは古流向が反対で、また
供給源を構成していた岩石が異なっていることがわかる。
雄別層夾炭部層のトラフ状斜交層理のみられる砂岩は蛇行河川の
堆積物で、植物根を含むシルト岩は蛇行河川の氾濫原堆積物である。
またシルト岩には
汽水生の貝化石を含むことからラグーン(潟)の環境もあったと考え
られる。双運夾炭部層ではシタカラシジミとトクダイシジミの2種類
が見られる。
昆布森で見られる舌辛層の「ハチの巣岩」は、均質の粒でできてい
る砂岩が、強風による海岸の砂の吹き付けによって岩が削り取られた風食作用でできた地形である。
参考文献
1)日本地方地質誌 1 北海道地方 (2010 日本地質学会) 朝倉書店
北海道自然探検ジオサイト 107 の旅 (2016 日本地質学会北海道支部) 北海道大学出版会
『釧路湿原および周辺の地層』 釧路市立博物館 http://www.kushiro-ee.jp/stratum/stratum_map.pdf
釧路海岸の浦幌層群 GSJ 地質ニュース Vol. 1 No. 12(2012) 佐脇貴幸ら他
https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol1.no12_363-368.pdf
(02140183 池田 雅志)
羨古丹 根室層群尾幌川層
○羨古丹の地質
羨古丹地区では海岸沿いの露頭に根室層群が露出しており、羨
古丹駐車場公園から海岸へ降りてそれらを観察できる。今回の実
習で観察するのは後期白亜紀に形成された根室層群の中の尾幌
川層と呼ばれる部分である。
尾幌川層は頁岩を主体としており、砂岩がかなり優勢な砂泥互
層からなる下位の門静層の上に頁岩優勢の砂泥互層が整合に重
なる形で変移している。本層下部は細粒砂岩と頁岩の薄互層、上
部では砂岩の介入が減り頁岩に富む層中に 3〜10cm 厚の砂岩層
写真 1:羨古丹周辺の地図
が入るようになる。ただし地域によっては頁岩に代わりシルト岩
が発達する箇所や粗粒砂岩との互層を形成する箇所も見られる。また、灰白色の薄い凝灰岩層を頻繁に
挟むことも特徴である。なお、同定可能な化石は発見されていないとされる。
北海道教育大学釧路校・授業開発研究室が提供する写真及び地
図を参考にすると、今回訪れると考えられる駐車場公園からほ
ど近い露頭では、恐らく本層下部と見られる頁岩優勢な砂岩と
頁岩の薄互層が見られ、凝灰岩層は同様に薄いが様々な厚さで
含まれている。
砂岩泥岩互層は主にタービダイトに特徴的な堆積構造であり、
観察する露頭火山活動に伴う海底地滑りが起源のタービダイト
である可能性が高いと考えられる。また、それは堆積環境が大
陸斜面下の比較的深い水深の場所であったことを示すと考えら
写真 2:駐車場公園付近の露頭のようす
れる。
〇頁岩とは?
頁岩の頁はページを意味する文字であり、堆積面に沿って薄く剥がれるような割れ方をする特徴から名付け
られている。一般的に厚さ 0.4mm 以下の葉理を持つ。定義に用いられる粒度は泥岩と等しく、頁岩と異なり
特定の割れる方向を持たないものは泥岩(粒度によりシルト岩、粘土岩に分別)と呼ばれるが、内容として泥岩
と頁岩の間に差はなく頁岩は泥岩の一種として扱われることも多い。また、変成作用を受け再結晶化で劈開面
ができる粘板岩とは区別される。
〇番外. 浜中町奔幌戸地区のアンモナイト
羨古丹地区の露頭から 1 キロメートルほど西へ移動
した海岸には、尾幌川層より上位の厚岸層が露出して
いる。その下部にあたる砂岩層からは白亜紀後期マス
トリヒチアン世の、
この地に特有なアンモナイトが産出している。そもそも
北海道は有名な白亜紀後期のアンモナイト産地である
が、白亜紀最後のマストリヒチアン世の化石を産する箇
所は根室層群の他ではむかわ町周辺でしかほぼ確認
図 1:Gaudryceras hamanakenze
されておらず、この地域から産出する標本は貴重なものである。しかし、それに関する学術的な記載は少ない。この地
から発表された新種のアンモナイトである Gaudryceras hamanakenze を代表として数種類のアンモナイトが産出すると
報告されている。この地域での化石産出はかつては非常に多かったが、今ではそれほど多くな いとのことである。
Gaudryceras 属は白亜紀後期に非常によく発展し、北海道各地の様々な時代区分から非常に数多く産出が報告されて
いる。その進化の最後にあたるものとなるこの種を用いた環境の変化の考察などを行ってみても面白いかもしれない。
花咲岬 車石とシート状溶岩
○車石とは
車石は根室市花咲岬にあり、1939 年に天然記念物として指定さ
れ観光地となっている。車石に観察できる構造は溶岩の冷却によ
る柱状節理であるが、一点を中心として節理が延びる放射状柱状
節理と呼ばれる世界的にも稀である特異な構造である上、6m とい
う巨大なものであるため大変珍しいものとなっている。この地域
では最も大きく有名なこの車石の他にも同様の構造を持った岩体
が点在しているという。
写真 3:車石
○車石を形成するシート状溶岩・枕状溶岩について
これらの岩体を構成する岩石は、北海道開発庁の地質図幅解説書によると含かんらん石粗面玄武岩と名
付けられている。シート状溶岩は根室層群の根室層中に貫入しており、走向傾斜は堆積岩層と類似する。
発達した板状節理が見られ、貫入時の急冷構造に加えて内部での分化作用による上下方向の組成変化が
見られる。その岩質変化は下方から急冷された斑状玄武岩、粗面粗粒玄武岩、閃長岩岩脈を含むモンゾ
図 2:岩石(玄武岩)の特徴を示した表
ニ岩というように表される。
車石は十数枚の岩床が重なり柱状節理
(場所によっては板状節理)が発達する部
分の中程に 4〜5m の厚さで存在する。2
つの間には黒色ガラスを挟み、それぞれ
の節理は別々にできたものと考えられる
が、一部連続的変化を見せる部分もある。
車石の構造は枕状溶岩の巨大なローブで
あり、徐冷によりこのような内部構造が
発達したと考えられている。
※粗面組織:
『火山岩の石基の中の短冊状の長石
が密接して互いに並んで流れるように配列した
組織。配列の方向は熔岩の流動方向によって生
じたものである。
』岩石学辞典, 朝倉書店より
粗面岩というと粗面組織を持つアルカ
リ岩(色指数は石基部分で 10 以下,岩石全体で 10~30 程度)と組成の要素も含まれるようになり、粗面
玄武岩はアルカリ火成岩に特徴的なネフェリンまたはノゼアンを含む粗粒玄武岩ということになってい
る。ただし、その組成などの基準は論者や書籍によって揺らぎがある。
○柱状節理とは?
岩体に規則的に走る割れ目は節理と呼ばれ、その内その割れ目によって分かれる岩体が柱状になっているも
のを柱状節理と呼ぶ。これはマグマや溶岩の冷却が面的に起こったため、岩体が等方的に収縮しできたもので
ある。そのため節理は冷却面に垂直で柱の水平断面は六角形になることが多い。節理には他にも板状に割れる
ような板状節理、直方体を作るような方状節理などもあるが詳しいでき方については不明な点も多い。
参考
北海道立地下資源調査所 小山内ら, 北海道開発庁, 1961.五万分の一地質図幅説明書 厚岸,
理科教育センターデジタルコンテンツ 羨古丹, 北海道教育大学釧路校・授業開発研究室
http://cs.kus.hokkyodai.ac.jp/sapporo/nemuro/urayakotan/urayakotann1.html
Tatsuro Matsumoto, 1979.A new gaudryceratid ammonite from eastern Hokkaido (studies of the Cretaceous
ammonites from -Hokkaido and Saghalien- XXXVII) , Trans. Proc. Palaeont. Soc. Japan, N.S, No.l14, pp. 65-76.
北海道立地下資源調査所, 北海道開発庁, 1958.五万分の一地質図幅説明書 根室南部,
北海道立地下資源調査所, 北海道開発庁, 1959.五万分の一地質図幅説明書 根室北部,
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 , Britannica Japan Co., Ltd., 2014
伊豆半島ジオパーク http://izugeopark.org
(編集:02141037 池上森)
琵琶瀬(霧多布湿原)
概要
琵琶瀬は北海道厚岸郡浜中町に属する地域。その付近一帯に
広がる霧多布湿原を一望できる『琵琶瀬展望台』の存在と、湿
原内を流れる琵琶瀬川があるため、霧多布湿原だけでなく琵琶
瀬という地名も比較的知られている。一方、展望台の反対側(湿
原の逆側)には太平洋のパノラマが広がっており、その海岸に
は『窓岩』がみられる。この窓岩、以前は 2 つの窓がメガネの
ように並んでいたが、平成 5 年、6 年の釧路沖地震で片側が崩
れてしまった。
写真1:窓岩の現在の様子(①より)
地質学的みどころ
地質学的に注目すべきものはいくつかあるが、まずは霧多布湿原につい
て。霧多布湿原は、南東方向に琵琶瀬湾に向いて広がる日本第三位の広さ
を誇る湿原であり、その面積はおよそ 3000 ヘクタールにもなる。湿原の地
面を構成しているのは海成砂やシルト、粘土などの無機質と植物由来の泥
炭である。湿原が海に面した場所にあり、北海道には火山が多いこともあ
って、津波、高潮、火山噴火による火山灰などがその地質に影響を及ぼし
ているということが、湿原での地質調査からわかっている。
一方、海岸沿いであることから、そこには根室層群や浦幌層群といった
堆積岩や火成岩からなる地層が観察できる。琵琶瀬付近の海岸では礫岩が
おもにみられる。全体的に雑然として、礫のサイズが大きい。これを琵琶
瀬の西、火散布(ひちりっぷ)沼に繋がる河口付近で見られる礫岩と比較
すると、その違いが容易にわかる。というのも、琵琶瀬付近の海岸にある
図:霧多布湿原の概観図
礫岩の層は霧多布層と呼ばれており、現在の千島火山列の前身にあたる火山があり、そこから噴火で排
出された火山岩によるものであるのに対し、火散布沼河口にある礫岩は、粒が比較的小さい角ばった礫
からなり、その礫の中にはチャートと呼ばれる堆積岩が含まれている(チャート:海洋底で放散虫など
のプランクトンの骨格が堆積したもの)
。
納沙布岬
概要
北海道根室市納沙布の北緯 43 度 22 分、東
経 145 度 49 分に位置し「日本最東端の岬」と
して広く知られる。
(日本最東端は東京都の南
鳥島だが、本土から大きく離れているため、こ
ちらの方が広く知られている)最東端という関
係上、日本で最も早く朝日を眺めることができ、
晴れていれば北方領土の島々も眺めることが
できる観光スポット。その位置ゆえに、周辺に
は北方領土に関するモニュメント(早期返還を
図 3:根室半島の全景(Google Earth Pro より)
願ったもの、
「四島のかけ橋」
「希望の鐘」等)が設置されている。このうち「四島のかけ橋」の手前の
広場の石畳に、日本各地の石材が敷き詰められている。また、最も早く朝日を見られるとあって、大晦
日から元旦にかけては沢山の観光客が訪れ、イベントなども実施されている。
地質学的みどころ
根室半島全体をみると、大きな河川や高い山がなにもない。半島全体が低く平坦な大地からなってい
る(図 3)
。これは、かつての海食台(波の侵食作用によって海底が平坦になったもの)が隆起してでき
た地形(準平原)であり、根室層群(白亜紀〜古第三紀)の地層が海食崖(波の侵食作用でできた切り
立った崖)に沿って南にゆるく傾斜しながら露出している。納沙布岬では、灯台周辺の海岸およそ1km
にわたって露頭があり、層状分化岩床(※1)の多彩な岩石と鉱物が観察できる。納沙布岬の岩石は粗
粒(通常 1〜5mm、大きいもので 1cm 程度)のため、肉眼でも十分に観察が可能。
海岸では、露頭の他に海岸の砂も特徴的である。単斜輝石が濃集して部分的に暗緑色に見える砂層が
みられる。この単斜輝石は斑状ドレライトやピクライト質モンゾニ岩にふくまれていたものが、波で洗
われることで砂浜に濃集したものである。引き潮で海面が下がっていれば、根室層群の堆積岩に対して
岩相の由来のマグマが接触して、急冷したときにできた斑状ドレライトや斑状玄武岩の境界がみられる。
この境界から離れるにしたがって、ドレライトが段々と粗粒になる。また、海岸に沿って歩くと、下の
図 1 のように露頭の岩相の変化(※2)がみられる。この岩石のうち、灰白色の斑晶鉱物は斜長石、暗
緑色の鉱物は単斜輝石である。
※1:層状分化岩相
→さまざまな岩石が岩床の内部で層状の構造をなしているもの。納沙布岬周辺の海岸の露頭は、白亜紀末期の
根室層群中に入り込んだアルカリドレライト質のマグマの岩床によるもの。このマグマが冷えるうちに分化し、
密度差から層状の構造をなしている。
※2:納沙布岬の岩相について
→納沙布岬の岩相の主な構成鉱物は以下の通り。
・ モンゾニ岩
[斜長石+カリ長石+単斜輝石(+かんらん石+黒雲母+チ
タン磁鉄鉱)]
・ ピクライト質モンゾニ岩・優黒質モンゾニ岩
単斜輝石が最大 60%、かんらん石が 20%ほど含まれる
・ 優白質モンゾニ岩
斜長石やカリ長石などの無色鉱物の割合が多い
・ ドレライト(粗粒玄武岩)
[斜長石+輝石(互いの割合がほぼ同じため、斑晶と石基の
区別がつかない)
]
・ 閃長岩
[カリ長石を主成分とする深成岩]
図 4:納沙布岬周辺の海岸の岩相変化図
参考
①北海道浜中町観光協会−見どころ自慢 2 琵琶瀬展望台
http://www.kiritappu.jp/home/nn/midokoro/2biwase/2midokoro.html
②辻井達一・橘ヒサ子 編著, 北海道の湿原, 北海道大学図書刊行会
③道東の自然史研究会 編, 道東の自然を歩く, 北海道大学図書刊行会
根室印刷株式会社, ネムロナビ
ポケットブック.
平塚市博物館 http://www.hirahaku.jp/hakubutsukan_archive/tisitu/00000040/25.html
道東の自然史研究会 編, 道東の自然を歩く, 北海道大学図書刊行会.
(02140655 高倉直樹)
野付崎
1.
概要
知床半島と根室半島のあいだに位置する、全長約 26km の日本最大の砂嘴。
内側に野付湾があり、合わせて野付風蓮北海道立自然公園、北海道遺産、ラムサール条約湿地に指定さ
れている。
(画像は北海道の野付風蓮道立自然公園のページから)
2.
野付崎の砂嘴
野付半島の砂嘴は、釣り針のようなその形から「分岐砂嘴」や「鉤状砂嘴」
「複合鉤状砂嘴」などと呼ば
れる。砂の堆積によってできる海に突き出るような地形を砂嘴という。砂嘴が海に向かって成長した後、
内側に曲がったものが鉤状砂嘴。それが何段階も連続したものが複合鉤状砂嘴と呼ばれる。野付崎の砂
嘴は、9 つの鉤状砂嘴からなっている。つまり、内側の 8 つの枝はかつての砂嘴の最先端だった部分で、
一番外側の砂嘴が現在成長している。9 つの鉤状砂嘴は、砂嘴を覆うテフラの噴出時代によって形成時期
が推定されており、根元から、1:4000 年前に形成された砂嘴の名残、2,3,4:約 2000 年前、5:約 1500
年前、6,7,8:約 1000 年前、9:500 年以降に形成され現在も成長が続いているもの、とされている。
「オホーツク海から根室海峡に流れ込む潮流が,知床半島から標津に至る海岸を浸食,砂を南東側へ運
ぶが,野付半島の北東岸を通過すると,潮流は弱まり,運ばれてきた砂が野付半島の先端に堆積する」
というメカニズムによってできたとされる。
(画像は地質ニュース 651 号 P32 から)
砂嘴は、砂
の堆積と海
による浸食
のつり合い
によって形
成されてお
り、現在ま
でに何度か起きた海面の上昇、下降の影響によって今の形になった。現在も形は変わり続けている。
高さ 3~5m の砂質堆積物からなり,砂堤と呼ばれる堤防状の高まりや溝状の地形が組合わさってできて
いる。さらに,半島の多くは微高地が草原,低地が湿原で,半島の先端部外海側に広い砂浜があり,半
島中央部内海側には平坦地があり森林となっている。野付湾については砂泥質堆積物が堆積した極浅い
海域のようで,澪(浅い海域や干潟にできる川のような地形)も発達している。
3. その他
野付という名前はアイヌ語由来で、
「下顎」という意味。砂嘴の形が鯨の下顎に似ているからこの名前に
なったとされる。9 月末頃は、タンチョウやオジロワシ等の鳥、ハマナス、ノコギリソウ等の花が見られ
るかもしれない。
知床熊の湯
熊の湯は羅臼川のほとりにある無料の露天風呂である。樹林内にあり、大自然の中にある。清掃の時
間以外は通年 24 時間入浴することができる。地元の方々も利用しており、地元のボランティアによって
維持されている温泉なので入浴のマナーなどは注意しましょう。温泉自体は含硫黄ナトリウム塩化物泉
で神経痛、筋肉痛や冷え性などに効能がある。
この熊の湯の近くにあるのが羅臼ビジターセンターである。このビジターセンターでは、知床の自然
や歴史、文化、利用に関する展示や映像などがあり、知床国立公園を知り、その自然を楽しむための情
報が満載である。シマフクロウやシャチの骨格標本なども展示されている。
また、ビジターセンターの裏には間欠泉がある。この間欠泉は 1962 年に温泉ボーリングしていた際に
できたもので、一時間おきに約 15m の高さに4分間噴出するものと、15分おきに約 10m の高さに 2
分間噴出すものがあったそうだ。その後、周期に乱れがあり、今現在では 30 分から 2 時間の間隔で 2 分
間ほど 5~15mの高さに噴出するとのことだが、ここ最近、間欠泉の噴出が不定期になっており、通常
センターでは噴出予想を行っているが、今現在はしていない。(2016 年 9 月 16 日時点)
*間欠泉 (又は間歇泉、英で geyser)
規則的に(または不規則的に)
、水蒸気や熱湯を噴出する温泉のこと。火山地域にみられるが、特にニ
ュージーランドやアイスランド、アメリカのイエローストーンのものが有名である。日本では宮城県の
鬼首(おにこうべ)温泉が有名である。
間欠泉は天然によるものとボーリングによってできたものがあるが、両者と
もに比較的寿命が短い。間欠泉の仕組みは主に2つの説がある。空洞説と垂直
管説の2つである。
空洞説…熱水の湧出途中に空洞があり、そこで熱水がさらに加熱され沸騰し、
水蒸気圧が静水圧以上になっ
て、空洞中の熱水が噴出する。
噴出すると、水蒸気圧がさが
り、噴出がとまる。
垂直管説…鉛直に近い湧出管があり、あ
る深さの水温が沸騰点に達す
ると、そこより浅い部分の水が
噴出するという説である。
図
左)空洞説、右)垂直管説
http://www.goko.go.jp/index.html
羅臼岳
基本データ
標高 1660ⅿ、知床半島最高峰。1996 年に活火山として認定された。標高こそ 1600m 以上あるが、800m
までは海底に堆積していた泥などでできており、火山はその上に乗って標高を稼いでいる。
ビジターセンター
知床横断道路
知床峠
火山活動について
羅臼岳は、有史の期間での噴火活動は記録されていない。しかし、火山噴出物などの痕跡から、2300 年
前、1600 年前、700 年前の計 3 回の噴火が少なくとも発生していたことが分かっている。羅臼岳の山頂
部には溶岩ドームが突き出しており、火山活動があったことがはっきりとわかる。また、山の中腹には
溶岩堤防と呼ばれる溶岩が流れていった痕跡が見て取れる。
2300 年前の噴火
この噴火は近年の噴火の中で最も大きく、火砕流が発生したことが分かっている。この噴火による火砕
流堆積物が観察できる主な場所としては、知床峠周辺や岩尾別川の林道、羅臼ビジターセンターの前な
どが挙げられる。
1600 年前の噴火
この噴火は、軽石が大量に噴出されるプリニー式噴火で、火山噴出物は羅臼側、遠いところでは国後島
にも堆積した。この時の軽石は褐色がかった汚い色をしているが、割って中を見るときれいな乳白色を
しているという特徴がある。この堆積物は羅臼の灯台周辺などで見ることができる。羅臼岳山頂の溶岩
ドームはこの噴火によって作られたということが SiO₂成分の分析などから判明している。
700 年前の噴火
この噴火はあまり大きなものではなく、噴出物が堆積した場所も限られている。海岸沿いでは、羅臼中
心部より北にある岬町周辺に限られる。
現在の火山活動
現在、羅臼岳周辺で高温の噴気活動が見られる場所は見つかっていないが、山腹からは硫黄成分に富む
水が湧き出していることが確認されている。この硫黄が含まれた湧水は、知床横断道路沿いでも見るこ
とができる。
知床五湖
北海道斜里町にある湖である。五湖とあるように、一湖から五湖まである。知床の原生林に囲まれて
おり、知床連山も一望できるとあって、現在では観光地として栄えている。周辺の植生は、エゾマツや
トドマツである。遊歩道ではエゾリスやエゾシカなどを見ることができる一方でヒグマが目撃されるこ
とも多々あり、注意が必要である。昔、神様が手がついたとき、5 本の指のくぼみが湖となったという伝
説がある。この五湖は硫黄山の山頂部分が崩壊した際にできた窪地に水が溜まってできたとされている。
流入する川はないが、知床連山の伏流水によって潤っている。
写真 知床五湖 http://www.goko.go.jp/index.html
オシンコシン滝
所在:北海道斜里郡斜里町、落差:50m、滝幅:30m、水系:チャラッセナイ川
名前の由来:
「エゾ松が群生するところ」の意である「オ・シュンク・ウシ」より。
滝の特徴:滝の流れが二つに分かれている
オシンコシンの滝周辺の地域の地質:
硬質頁岩を主要構成員とし、淡緑色砂岩・凝灰質砂岩を挟在し、泥質団塊を含む達音別川層中に岩
脈・岩床状をなしてドレライト(粗粒玄武岩)が露出する。頁岩は各層の単層が 20~50cm の厚さを
有する縞状層理を持つ。また、ドレライト(粗粒玄武岩)は柱状節理が発達し、特にオシンコシンの
滝ではこの節理が顕著に観察できる。 オシンコシンの滝及び同滝近くのオシンコシン崎においても
顕著な柱状節理が観察され、その見た目から「俵石」と呼ばれている。
参考文献:
北海道 野付風蓮道立自然公園 HP
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/environ/parks/notsuke.htm#3
地質ニュース 651 号 P30-33
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/08_11_08.pdf
八千代エンジニヤリング株式会社 砂嘴は語る2
http://www.yachiyo-eng.co.jp/feature/2009/f40.html
「知床世界自然遺産・知床国立公園 羅臼ビジターセンター」http://rausu-vc.jp/
「羅臼間欠泉」 http://www12.plala.or.jp/k-hirao/kankou/14_03.html
斜里町教育委員会, 2007. 知床の地質.
「知床五湖 公式サイト」 http://www.goko.go.jp/
5 万分の一地質図幅 説明書 宇登呂(網走―第 28 号)
杉本良也、松下勝秀 北海道開発庁 昭和 36 年 3 月
URL:https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_01028_1961_D.pdf
文化遺産オンライン オシュンコシュン粗粒玄武岩柱状節理
URL: http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/179283/1
見学地点 1:硫黄山(溶岩ドーム:アトサヌプリ)
弟子屈町にある標高 512m の硫黄山は、硫黄の独特な匂
いと高山植物が低地に生えている変わった景色を持つ。ア
イヌ語でアトサ(裸)ヌプリ(山)とも呼ばれ、現在でも
硫黄の噴煙があちこちで立ち上がっている。
約 3 万年前に形成された、屈斜路カルデラ(東西 26km、
南北 20km)の中央部に位置するカルデラ(アトサヌプリカル
デラ、直径約 4km)を有する安山岩質外輪山と、カルデラ形
成後にその内外に噴出した 10 個のデイサイト(SiO2 量は
63.3~72.6 wt.%)の溶岩ドーム群からなる。溶岩ドーム群は、
図 1:アトサヌプリとイソツツジ
約 7000 年前の摩周カルデラ形成期よりも古いものと新し
いものに分けられる。最近の噴火は数百年前であり、火山群は活動度の低い「ランク C」の火山と認定
されている。なお、硫黄山は現在、落石の危険性がある事から登山者の安全を考慮して立ち入り禁止と
なっている。
☆硫黄採掘量全道 1 の経験も
硫黄山では、かつて大規模な硫黄の採鉱が行われていた。
当初馬や釧路川を利用して釧路まで硫黄を運搬していたが、
明治19年には約1万 400 トン採鉱し、全道一の硫黄鉱山
になるほどの埋蔵量を誇った。明治 20 年には硫黄山から標
茶町まで北海道で2番目に早く鉄道を引き、大量に輸送す
ることが可能となった。しかし、大量採鉱、大量輸送によ
って硫黄資源はすぐに枯渇、明治 29 年に採鉱を休止、鉄道
も消えてしまった。現在、当時をしのぶものは硫黄山レス
トハウス裏の青葉トンネル(鉄道敷跡)と呼ばれる遊歩道
くらいしか残っていないが、弟子屈町の発展に大きく貢献
した山でもある。
図 2:噴出する硫黄
☆低地に生える高山植物
麓にある白いイソツツジの大群落は日本最大と言われている。本来、低地のイソツツジは他の植物と
混生していることが多く、つつじヶ原のように優占されることはほとんどない。しかし硫黄山からの噴
煙や、酸性土壌など、他の植物には厳しい環境をイソツツジは好むため、広範囲にわたって自生してい
る。標高170mにも関わらず、硫黄山の麓には他にも高山性の植物が存在し、ハイマツ、ガンコウラ
ンなどもその一種である。
見学地点 2:屈斜路湖
面積
79.54 ㎢
最大水深
117.0m
平均水深
28.4m
貯水量
2250 億ℓ
成因
カルデラ湖
形成時期
3 万年前
図 1:屈斜路湖
日本最大のカルデラ湖で、湖としては日本で 6 番目の面積。湖の中央部には、これも日本最大の湖中
島である中島(火砕丘)がある。湖水の内訳は、河川からの流入が 20%、地下から湖底への湧出が 80%で
ある。かつては現在の 2 倍ほどの面積でほぼ円形だったと考えられているが、4 万年前の火山活動によっ
て南東部に溶岩円頂丘群が噴出し、現在の形になったと考えられている。
1917 年にはイトウをはじめ多くの魚類・水草が生息していたが、1929 年には湖水表面の pH が 4.9~5.1
となり、魚類の姿はあまり見られなくなった。しかし 1935 年には一時的に pH が 6~7 程度まで回復、魚
類も増え始め回復の兆しを見せたが、1938 年の屈斜路地震で湖底から硫酸塩が噴出。pH は 4 前後になり、
魚類はほぼ絶滅した。現在は酸性に比較的強い魚の放流などが行われている。
2 月になると全面凍結するため、未確認生物「クッシー」の冬期間の生活が心配である。
見学地点 3:阿寒湖
面積
13.25 ㎢
最大水深
45.0m
平均水深
17.8m
貯水量
249 億ℓ
成因
カルデラ湖
形成時期
1 万年前
図 1:阿寒湖
イベシベツ川・キネタンベツ川・チュウルイ川・ポンチュウルイ川・駒尻別川を主な水源とし、カル
デラ湖としては傾斜も深さも穏やかである。特別天然記念物としても有名なマリモのほか、ヒメマス(紅
鮭の湖沼残留型)やワカサギ、イトウなどが生息している。
湖畔には泥火山があり、100℃を超える泥水が地下からボコボコと湧き出る。これはボッケと呼ばれ、
周辺には硫黄の匂いが満ちている。
冬季にはウィンタースポーツも盛んに行われ、夏季の釣りと併せて年中訪れる人の絶えない湖である。
見学地点 4:雌阿寒岳・阿寒富士
雌阿寒岳は千島湖の火山フロント状に位置し、8つの火山(1042m 峰、南岳、東岳、中マチネシリ、
西山、北山、ポンマチネシリ、阿寒富士)から構成される成層火山群である。アイヌ語で「女の山」を
意味するマチネシリという名前が付けられている。構成岩石は玄武岩~デイサイトとバリエーションが
あり、これらの大部分はマグマ混合の証拠を示している。さらにこれらのマグマ混合は単純な2種類の
マグマの混合ではなく、マグマ溜まり及び火道で複数回の複雑なプロセスを経たことがわかっている。
阿寒富士は雌阿寒岳の 8 つの火山のうちの一つで、雌阿寒岳の南側にそびえる。美しい円錐状の山容
を持つことが名前の由来である。活火山で雌阿寒岳の中でも今後噴火を起こしやすい山の一つとされて
いる。標高は 1476m である。
図1:雌阿寒岳のマップ。複数の成層火山からなる。(和田,1991 より)
雌阿寒岳の形成史
和田(1989)によれば、雌阿寒岳の形成過程は 3 つのステージに分類される。
ステージⅠの時期(2~5 万年前?)には 1042m 峰、南岳、中マチネシリ、東岳の 4 つの成層火山が形
成された。
約 13000 年前から 3000~4000 年の間隙を持って中マチネシリ火口から火砕流が噴出した。ステージⅡ
(13500 年前)は中マチネシリ山頂での大規模火砕噴火によるもので、この時期にデイサイト質軽石、
玄武岩安山岩~安山岩質スコリア・安山岩質火山岩塊などを含む火砕堆積物が堆積した。
ステージⅢ(7000 年~現在)玄武岩質成層火山の西山と阿寒富士、安山岩質成層火山のポンマチネシ
リ、中マチネシリ火口内の安山岩質中央火口丘が形成された。阿寒富士の火山体は 1000~2500 年前にで
きたとされる。
表1:雌阿寒岳の形成史を表にしたもの。(和田,1991 より)
図 2:雌阿寒岳噴火実績図。
(消防防災博物館 http://www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index.cgi より)
最近の噴火活動
1955~1966 年は活動が盛んで、1~2 年の間隔で水蒸気噴火を繰り返した。近年では 2006 年と 2008 年
に小規模な水蒸気爆発が観測された。活動が比較的穏やかな時期でも鳴動や火山性の地震が観測されて
いる。これらの活動の中には太平洋側で発生するプレート型地震と連動して活性化するケースも見られ
るようだ。
雌阿寒岳・阿寒富士の自然
雌阿寒岳火口付近は未だ有毒な火山ガスが噴き出しているため植物が生育しない。山麓にはやせた土
地でも成長できるエゾアカマツの森が広がり、北海道に流暢として周年生息するクマゲラが見られる。
雌阿寒岳(ポンマチネシリ)と阿寒富士を結ぶ鞍部にはメアカンキンバイ、イワグロ、窯草などの貴重
な高山植物が生息しエゾシカ、シマフクロウ、エゾライチョウなどの動物が暮らす。ヒグマの目撃情報
もある。
図3:
(左図)
雌 阿 寒 岳
( 左 ) と阿
寒富士(右)、
( 右 図 )日
本 に 分 布す
る キ ツ ツキ
科の中で
最 大 種 であ
るクマゲラの画像。頭頂の赤い部分はオスのほうが広い。
見学地点 5:オンネトー・湯の滝
【オントネー】
面積
0.23 平方キロメートル
最大水深
9.8m
貯水量
0.0007 立方キロメートル
水面の標高
623m
成因
火山による堰止湖
←左下に雌阿寒岳、その左に見える小さな
図 1:オントネー
黒い影がオンネトー。
オンネトーは雌阿寒岳の西麓に位置する。雌阿寒岳から流出した溶岩が螺湾川の流れをせき止めてで
きた堰止湖である。湖水は酸性のため魚は生息できず。エゾサンショウウオとザリガニのみが生息する。
この他にも湖底からは天然ガスの徴候も報告されている。北側の沢部から湧出し沼に流れ込む水は褐色
の水酸化鉄が多量の沈殿している。流出河川の螺湾川は西方の十勝方面へと流れる。
オンネトーの湖面は、刻々と色彩を変化させることから五色沼の異名もとる。尾山・芝原(2008)は、
採取した湖水中の懸濁物の消散係数を測定した結果、青色を強調するレイリー散乱や光吸収はみられな
かったとしている。そこで彼らは、懸濁物について実測したパラメータを用いてシミュレーションを実
施した結果、水深の違いが黄〜赤の波長帯(600-800nm)を大きく変化させ、水深が深くなるに従い黄→
緑→青緑→緑青と変化することを確認した。
オンネトーという名前はアイヌ語で「年老いた沼」あるいは「大きな沼」の意味である。五色を彩ら
れたこの小さな沼を「年老いた」と表現するアイヌの美意識、年を重ねることへの価値観思いを馳せる
のも面白い。
オコタンペ湖、東雲湖とともに北海道三大容易に一つとされているが、三つのうちオンネトーのみが
一般の人でも容易に近づくことができ、周囲には散策道なども整備されている。
【オンネトー湯の滝】
オンネトー湯の滝は、活火山である雌阿寒岳と阿寒富士の西麓に拡がる原生林内に位置し、阿寒国立
公園の重要な地域となっている。
オンネトー湖の南東方向にある高さ 20 数メートルの2つの滝からなる。
滝上流の泉源では温度40℃ほどの温泉が湧き出し、雌阿寒岳由来の安山岩溶岩から成る崖を流れ落ち
る。
湯の滝ではマンガン鉱物が形成されている。現
在地球上でマンガン鉱床が形成されている場所
は、海底(海底火山の噴出物や大洋底のマンガン
団塊)に限られる。オンネトー湯の滝は、陸上で
観察できる最大のマンガン鉱物生成場所であり、
「天然の実験室」として世界的にも注目される。
湯の滝の温泉水は、雌阿寒岳や阿寒富士の斜面
での降水が地下に浸透し、十数年かけて溶岩の末
端から湧出したものである。水中の Mn2+は pH が
約 10 以上で分子状の酸素ガスと結合して Mn02
を沈澱させるが、現場の pH が約 6 なので成因に
は微生物の作用が推察された。泉源と滝の斜面に
は、光合成によって酸素を放出するシアノバクテ
リア(ラン藻類)、この酸素と温泉水中のマンガ
図 2:オントネー湯の滝の地図
ンイオンを結合するマンガン酸化細菌などの微
生物が生息する。こうした微生物の複合作用によ
り、滝斜面に二酸化マンガンが形成され、年間1トン以上の沈殿物が生成する。
オンネトー湯の滝におけるマンガン鉱物は昭和20年代には、総量およそ3,500トンが採掘さ
れた。マンガン鉱物は、現代文明を維持する上で重要な資源である。製鉄の際に不可欠であり(マンガ
ン鉱物消費量の約9割)
、乾電池の原料としても重要であった。原料となるマンガン鉱石は、地質時代に
形成された鉱床から採掘され,オーストラリアや南アフリカなどから輸入されている。
2016 Special Course of Field Geoscience
Department of Earth and Planetary Sciences, Faculty of Science,
Hokkaido University
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