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残雪に龍を見る

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残雪に龍を見る
関東学院大学文学部 紀要 第120・121号合併号 上巻(2010)
残雪に龍を見る
―― 雪形(雪絵)の伝承 ――
大 越 公 平
要 旨:
残雪に「龍」の形を見る伝承についてこれまでの雪形研究を確認してみる。
決して多くの事例があるわけではないが、共同研究「日本農村社会における龍
の表象」
(代表者 北京第二外国語学院 鉄軍教授)の研究テーマの一つとして
考察し、雪形伝承の先行研究を簡単に振り返りながら「龍」の表象研究との接
点を探っていく。
キーワード:
雪形(雪絵)
、伝承の研究、龍の形象、共同研究「日本農村社会における龍の
表象」
1 .雪形伝承の現在
残雪にさまざまな形を探すのは日本人の得意技というべきなのだろうか。
ヨーロッパ・アルプスでもロッキー山脈でもそのような習俗があるようだ
といわれている。雪に覆われる山々が多い中国でも残雪を見て気候の変化
を読み取る生活習慣が伝承されているのであろう。でも、まだまだ情報が
少ない。未調査なのであろう。いまのところ、山の斜面に降り積もった雪
が春の気温上昇に伴い、短期間で解けだし、残雪の形が大きく変化してい
く日本の山々ならではの関心事といえるのであろう。
日本では、農事暦として伝承されたものを雪絵または雪形という(1)。古
くはユキノカタともいわれていたという。雪形が現れることで、その雪形
の名称が山そのものの名称となった例もある。駒ケ岳(秋田県ほか)や爺
ヶ岳(長野県)、蝶ヶ岳(長野県)等々が知られている。白馬岳(長野県)
もこの一例である。白い馬が現れるのではなく、代掻き(しろかき)馬が
現れるのである。雪そのものの形ではなく、雪が解けて現れる岩盤の形で
ある。したがって当該年の積雪状況により 5 月中旬に現れるとは限らず、3
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残雪に龍を見る
(図 1 )2005年 5 月21日
(図 2 )2005年 5 月21日
雪形「代掻き馬」
雪形「仔馬」
月に、4 月に、ときには 1 月にも現れたりするのである。白馬岳で最もよ
く知られた雪形は実は出現する時期が一定していないので、農事暦の目安
にはならないと話す地元の人びともいる。「仔馬」と呼ばれている雪形は 5
月中旬に 7 日間∼10日間という短い期間に形が出来上がり、さらに形を変
えていくのでこちらを農事暦としての目安にしているという人もいる。
(図 3 )「代掻き馬の雪形を背景にした田起こし作業風景」
宮野典夫(2008)より引用(昭和32年〈1957年〉5 月 海川庄一 撮影)
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農事に関連する馬を連想させる雪形が多いのはうなずけるが、すでに機
械化が進んでいる農業において、農耕馬の役目は伝承の世界に入りつつあ
る。図 3 のような誰もが発想する「代掻き馬の雪形を背景にした田起こし
作業風景の画像」は地元の博物館でも限られたものしか残されていないよ
うである。
2010年の現在の様子は、白馬岳・乗鞍岳の斜面に雪形(代掻き馬、仔馬、
種まき爺、種まき婆、カモシカ等)が現れている。図 4 の場所は図 3 の場
所よりやや北側、白馬の駅に近い場所である。土曜日の午後、田植えは、
田植え機を取り付けたトラクターを駆使した短時間の作業であった。雪形
は農事暦の実用性はなくなり、春の風物詩として雪形観察者に伝承されて
いる。
今後は残雪模様にどのような形を認識するのであろうか。訪れた観光客
の観察では、漫画の主人公や国内の動物園および水族館で話題になってい
る動物の姿をイメージすることも多い。ただ、それは個人やその時に出会
った仲間のなかで共有するだけであり、当該地域における伝承には結びつ
かないのである(2)。
(図 4 )「土曜日午後の田植え風景」
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2010年 5 月22日(土)白馬村
残雪に龍を見る
(図 5 )爺ヶ岳の種まき爺
双耳峰の左側にある二つ
の雪形。右の小さい爺は大
町市で伝承され、左の大き
い爺は安曇野市で伝承され
ている。地域により形が微
妙に違う。ただし、そうは
見えないという人も多い。
2008年 6 月 7 日
長野県大町市
2 .雪形の形象
長年、雪形について研究し、写真を撮り続けた田淵行男は、昭和56年に、
東日本を中心とした雪形、約300について説明した『山の紋章・雪形』(東
京 学習研究社 1981)を著した。現在に至るまで他に類を見ない報告書
である。田淵は、
「種まき爺さんがいたり、お婆さんがいたり、小僧さんも
出てくる。馬やもっこなどの農具もそろって雪形の顔ぶれは多種多様、信
濃の国だけでも57体に及び、全国では300を軽く越すのではあるまいか。」
( 8 頁)と述べている。解説した雪形の中から明確な形を315選び出し、人
形 71、家畜 69、その他の動物 73、植物 12、器具 34、文字 22、雑 34に
分類し、人形 71のうち農作業をする形を45のパターンとしてまとめている
(318−321頁)。なかでも「種を蒔く仕草」をイメージした雪形は、農作業
(図 6 )吾妻小富士の
種蒔きウサギ
2003年 4 月29日
(福島市)
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に直接結びつく代表的なものといえる。
最も多い例が、種まき爺(長野 8 、青森 2 、新潟、福島、群馬、山形、
秋田)という。ほかに、種蒔き入道、種蒔き小僧、種蒔き婆さんがあり、
蒔くものも稲とは限らず、稗や豆の例もある。また、種まき男(新潟 2 )、
ズジマキ男(新潟)(スジは種のこと)、農男(静岡)の事例を取り上げて
いる。
「種まき男」は、事例こそ少ないが、農作業の様子を示す雪形の典型
といえる。
新潟県柏崎市の米山に現れる「スジマキ男」は、古くからよく知られて
いる雪形であったが、最近になり、在住の研究者は山麓の集落を丹念に歩
き、集落毎に多様な伝承が残されていることを詳細に報告している(渡邉
1997)
。笠を被った姿、種籠を持つ姿、蓑を付けた姿等々、その伝承は豊か
である。また、富士山にも「農男」
(種まき男)が出るときは豊作と江戸時
代の文献『羇旅漫録』(滝澤馬琴)にはあるが、それ以降の開発のためか、
現在の山容からは十分に確認できない雪形である(大越 2003)。
人の形以外の形象で親しまれているのが、
「駒・馬」である。駒ケ岳ファ
ンクラブの編集した『全国駒・馬の雪形』
(2009)では、全国の駒ケ岳にみ
られる総数は明確にされていないが、新潟県の54例、長野県の32例を確認
しているという。農事暦としての伝承が消えていくなかで、雪形の形象そ
のものに関心をもつ人びとの調査によりわずかではあるがその数は増加し
ている。
雪形の形象をどのように分析していくかは、古くから試みられているテ
ーマであるが、その研究方向はまだまだ模索の状態といえる。残雪の部分
の形、山の地面の形、どちらを見て認識するかは一般に後者であるといわ
れている。これを写真の用語を援用して雪解けで現われた地面の形を「ネ
ガ」
、残雪の形を「ポジ」という呼び方が使われている。田淵の発想といわ
れている。だだ、このような視点は生活暦としての見方ではなく、自然観
察の見方である。これまでの伝承研究とは違った観点からの考察も模索さ
れている(3)。
3.
「龍」の雪形
残雪に龍をみるという伝承がある。少し古いデータであるが、田淵によ
れば、竜(長野県)と飛龍(青森県)の二つの伝承が知られていたという(田
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残雪に龍を見る
淵 1981)
。決して多くはない。この二つの事例をはじめに取り上げ、次に
最近の報告資料に見られる事例を述べながら、その特徴を考えてみたい。
(1)岩木山(青森県)―二つの飛龍
岩木山(青森県)には飛龍が現れるという。これは江戸時代の民俗誌家・
菅江真澄が聞書きしたものとされている(菅江真澄 1807)
。現在では、こ
れを特定することができず、地元の研究者をはじめ多くの研究者が毎年観
察を続け推察している。室谷(2010)によれば、裾野の東側と西側両方の
斜面にでる細長いポジの形の可能性が高いとしている(室谷 2010)
。
私は、残雪期の岩木山を一望できる機会に残念ながら出合ったことがな
い。下の画像は少し時期を過ぎた岩木山である。すでに田植えは終わりに
近づいていた。室谷氏の図から少し西側で、やや距離のある地点からみた
岩木山である。図 8 の右半分の雪形が室谷氏の図に相当するのであろうが
定かではない。望見した時期も少し遅い。西側には日本海に面した沿岸が
(図 7 )室谷洋司(2010)
ホームページより引用
(図 8 )2005年 5 月下旬
五能線沿線からみた
岩木山
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続く。おそらく菅江真澄も秋田を出発し、この海岸を通って弘前、青森へ
向かったのであろう。
(2)中央アルプスの飛龍
中央アルプスの田切岳・南駒ケ岳の山腹に現れる雪形に「飛龍」の形が
現れるという。駒ケ岳本峰前山麦草(上松町)で 4 月下旬から 5 月上旬に
見えるとされている。麦刈りの季節であるという(田淵 1981:214)
。
長野県商工観光課の発行した「信州の雪形」(2001)には
飛竜(南駒ケ岳)
養命酒のマークの飛竜。赤穂福岡地籍から見る
と、ちょうど養命酒駒ヶ根工場の上に白く残雪で
現れます。[ポジ型]
■雪形が現れる山 中央アルプス南駒ケ岳
■見える場所・時期 駒ヶ根市赤穂福岡
(図 9 )「信州の雪形」
6 月上旬∼中旬
(2001)より
と説明されている。同じものを示していると思われる。
確かに養命酒のマークは飛龍であるが、中国から伝わ
った薬としての由来から発想されたもので、養命酒の
工場の職員はこの雪形について意識しているわけでは
ないし、知らない人も多いという。また、駒ヶ根工場
は最初、他の谷に立地していたが、近年、この地に移 (図10)
転したものという。
ちなみに、話題となった養命酒のマークを比べてみ
養命酒(株)の
ホームページより
ると、確かにイメージとしては近いといえる。
(3)白山の龍―水龍・火龍
田淵(1981)には載っていない雪形であるが、白山の山麓には、水龍と
火龍の伝承があるという(小川ほか 2007)
。白山市相川(そうご)の家で
代々受け継がれていて、龍の形で水が多いかすくないかを占い、その結果、
田植え後の水田にまく肥料の量や種類を変えたという。集落全体の共通理
解ではなく、この家だけに伝えられたものと述べている。1979年には灌漑
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残雪に龍を見る
写真 3
水龍、火龍
図4
2007年 6 月16日撮影。
撮影場所:白山市上野町。写真 2 と同じ撮影場所。
水龍、火龍
輪郭線の詳細は推定
(図11)小川ほか(2007)48頁より引用
用水が整い、この占いも不要となったとされている。この報告によると水
龍(白山山稜の四塚山北東斜面)
、火龍(白山山麓の清浄ヶ原)は残雪部分
が白い形をなす、いわゆるポジ型で、白山市相川から眺めることができる。
4 月下旬∼ 6 月にかけて現れ、その様子により水不足を予想するという。
なお、他の伝承者は龍ではなく、2 匹の蛇と言い伝えられていると答えて
いることも記されている。
水龍と火龍の形における特徴やその民俗的意味については定かではない。
私もこの報告をした研究メンバーと一緒に歩いた石川県白山市徳光では、
この雪形についての伝承があると集落の人に伺ったことがある。
「水龍と火
龍は対だから・・・・・・」という回答止まりで、さらに詳しい民俗情報を多
くの人びとに尋ねたいところであった。この場所に限ったことではないが、
「ある形に似た雪形がある」という点だけが強調され、その詳しい内容につ
いては知らないまま伝承されており、その農事暦的な情報についてはほと
んど伝えられていない現状を多くの調査地で確認している。
(4)駒ケ岳(越後三山の一つ)の龍―昇り龍・下り龍
新潟県の越後三山の一つ、駒ケ岳にも龍がみられるという。齋藤の『図
説 雪形』(1997)には駒ケ岳の昇り龍・下り龍が紹介されている。
「五月中旬には、夫婦ガラスの下に続く沢に上向きに昇り竜、下の沢
へ向かうように下り竜の形の雪形が出る。これらは苗代の作りから田
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(図12)駒ケ岳(越後三山)の昇り龍と下り龍の出る斜面。すこし時期が早い。
2010年 5 月 8 日 上越新幹線浦佐駅付近
植え前の準備にとりかかる目安となった。大和町荒山の村ではこの雪
形の出現で農事暦の指標としていた。
望見地域
南魚沼郡大和町荒山・大倉(現在の魚沼市)
北魚沼郡小出町大浦新田、岡新田」
と述べている(齋藤 1997 83頁)。
この時期には上越新幹線の車窓からも見ることが可能である。この時は
まだ少し早く、形をなしているとはいえない状況であった。しかし、本来、
かなりあいまいな形のまま龍と呼ばれている。誰もが認識しているとは言
い難い。
(5)立山の龍―龍の雪絵
今年、2010年は東京でも桜の開花後、41年ぶりに 4 月の雪が降り、ずい
ぶん寒い日が続いた。例年の春とは違った天候であったが、それでも季節
の変化は着実に訪れているようである。4 月24日(土)、雪雲の多い北アル
プス、立山連峰上空を通り富山空港に降りた。雪解けによる清らかな水が
穏やかに流れている神通川、常願寺川の様子を見ながら山々に残る雪の変
化は例年に近いものであるように感じられた。
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残雪に龍を見る
富山では、五箇山にある人形山に子ども二人の雪形、県北東部の僧ヶ岳
には僧や大入道、馬の雪形が知られているが、4 月25日の時点では雪が多
く、人形山の雪形は姿を現さず、僧ヶ岳の雪形は、すでに何度か見続けて
いる人の目からはその輪郭が確認できる程度であった。
富山は長野や新潟に比べ、雪形の数が少ない。しかし、登山愛好家は里
ではなく、登山路から見る新たな表象を探し出し、山仲間では言い伝えら
れているのだという。雪形観察者が集まった国際雪形研究会で話題になっ
た。立山カルデラ砂防博物館の飯田肇学芸員の説明によると、その一つに
「龍の雪絵」があるという。これまでにマスコミで報道された記事としては、
次の記事(北日本新聞 2000年 2 月22日)が知られている。
この新聞記事に示されたものも決して明確ではなく、見る人が見るとそ
のように思われるという程度であろうか。立山(雄山)の直下に 6 月にな
らないと現れない形であり、山岳ガイドがふと気がついて話題にしたとい
う。修験者がこの雪形をみたのかどうかは記録にないようであるが、登山
者が眺めながら頂上を目指す一つのポイントであるという。伝承されなく
なっている雪形とは異なり、こうした表象の言い伝えが、新たな「伝承」
となっていくのであろう。
4 .残雪に龍を見ようとする思い
山の谷にそって降り積もった残雪の細長い帯を見ても、何も考えない地
域もあるが、比較的単純な形から鹿の角や鍬の形を連想する地域もある。
蛇を連想することがあってもよいと思ったりもするが、これはあまり例が
ない。田淵(1981)には 1 例のみである。龍も多くはない。田淵(1981)
には 2 例であるが、さらに新しい事例を追加できるのかもしれない。
なぜ残雪に龍をみようとするのか。川の水量が気になる農家では、水を
もたらす超自然的なもの(水神)への敬いの念がそのようにイメージさせ
たのであろうか。日本の民間信仰における水の神を具現化したものとして
は、蛇や龍の表象に繋がる事例が多いようである。雪形に見る龍も水神様
の化身であると理解すべきであろうか。
この点はさらに多くの伝承や古い記録を探し、分析する必要があるとい
えよう。また、中国における雪形伝承の有無についても再度確かめてみる
ことが必要であろう(4)。
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注
(1)「雪形」という言葉を初めて使った人は誰なのかは、これまでも幾度か話題
になった。この言葉の名付け親については、柳田国男であるという説があり
(岩科小一郎 1968)、新潟県民俗学会誌『高志路』等に昭和10年代に使われ
たことが最初とする説もある。さらに遡れば江戸時代の民俗誌家・菅江真澄
の日記にも「消え残る雪の形」という表現があり(菅江 1967)、このよう
なものがヒントになって創造されていった可能性も否定できない。多くの論
議を経て古文書から歴史的事実を引き出す試みが今後活発化するであろう。
(2)雪形の研究は、農事暦の一つとして民俗学の観点から研究されてきたが、現
代の稲作は伝統的農事暦とは結びつかなくなり、雪形伝承は忘れ去られる傾
向にある。生活伝承としては、生業暦としてではなく、行楽を兼ねた山菜採
りのための山入りの目安等として使われている地域もある。
田淵(1981)の研究以来、雪形の見える山がある各市町村史(民俗編)に
おいて伝承や現状の報告がなされ、基礎的なデータが集積されてきており、
徐々にではあるが、新たな研究が進められている。青森県の雪形をまとめた
室谷(1999、2010)
、新潟県の雪形を詳細に記した『図説 雪形』
(斎藤 1997)
、
福島県吾妻小富士の雪ウサギの伝承を追った『雪形(ゆきがた)の話∼吾妻
小富士の雪ウサギ∼』(作田 2001)
、自然観察のハンドブックとして長野の
雪形を多くのカラー写真とイラストで解説した『新版 信州雪形ウォッチン
グ』(近田 2007)等々にも観察のポイントは受け継がれている。
また、雪氷学の観点からは、雪形の出現時期、出現から消滅までの形態変
化、年々の形態変化を見ていくことにより、積雪、融雪、地形・植生の情報
を読みとる研究が行われている(納口 2004、和泉 2004)
。
最近では麓から山を眺め、残雪模様に漫画のキャラクターを重ね合わせる
など、観察者が残雪模様をもとに創造した「ニュー雪形」をプレゼンテーシ
ョンする試みなども行われ、山里の春の風景を楽しむツアーもみられるよう
になった。雪形は本来の自然暦よりもカレンダーにおける残雪風景を写し取
ったポスター画像の一部として利用されることが多くなった(大越 2008)。
長野県大町市の農業共同組合が組合員向けに発行したカレンダーは、1 月か
ら12月まで白馬岳、
「武田菱」が現れる五龍岳、
「鶴と獅子」が現れる鹿島槍
ヶ岳、爺ヶ岳等々、安曇野で見られる主な雪形を解説したカレンダーが特集
されたこともあった(1998、2006)。残雪の山々を撮影した画像は毎年各地
域のカレンダーの一枚を飾ることが多いが、典型的な雪形が強調されること
なく、山の風景の一部として映し出されていることもある。残雪をいただく
山々の姿は、日本の山々の姿を表象するのに不可欠なイメージとして固定化
しているようである。
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残雪に龍を見る
なお、自然暦と旧暦は本来別の発想であるが、現代社会を見直し旧暦を基
にした生活を考える場合、自然暦と旧暦が密接に結びついていることの指摘
もある(田中 1984、松村 2010)。暦文化およびカレンダー文化の研究の
一つとしてさらに研究を進めていくことも考えられる。
雪形研究は地元での定点観測が一番よい方法である。しかし、横浜に住む
私にはいまのところ不可能な方法であり、雪形調査の小旅行を計画しなけれ
ばならない。例年、長野県安曇野に向かい、北アルプスの山々を観察し、地
元の人と懇談し、伝承されている事柄の聞書きを行っている。
(3)納口(2004)の解説は、雪形の伝承ではなく、「形の科学」としての一つと
して取り上げられている。図像学等々の研究の接点を見出すきっかけを示し
ている。
(4)2010年度より北京第二外国語学院の鉄軍教授との共同研究「日本の農村社会
における龍の表象」を進めている。古くから語り継がれた「龍の表象」に関
する文献(笹間 2008 等)を参考にし、これまでの雪形研究をもとに「龍
の表象」という新たな視点からの考察を継続していく。
参考文献
和泉薫
2004「日本海と雪・風土」『国文学 解釈と鑑賞』
(特集 古典文学にみる日
本海)64−11:130−137
岩科小一郎
東京:至文堂
1968『山の民俗』東京:岩崎美術社
大越公平
2003「雪形伝承研究の広がり ―コーヒーアワーの余韻―」『人文科学研究所
報』(関東学院大学人文科学研究所報)第26号 115−117頁
2008「カレンダーにみる雪形 ―自然暦を伝える一つのかたち」
『アジア遊学』
106(特集 カレンダー文化)18−26
小川弘司 納口恭明 神田健三 和泉薫
東京:勉誠出版
2007「白山の雪形」『石川県白山自然保護センター研究報告書』34:45−53
石川県白山市:石川県白山自然保護センター
北日本新聞
2000年 2 月22日「竜描く雪形 山が語る修験者の歴史 絶景にふれ雑念を払
う(立山こころありて 7 )」『北日本新聞』富山:北日本新聞社
駒ケ岳ファンクラブ編纂委員会
2009『全国駒・馬の雪形』横浜:駒ケ岳ファンクラブ
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近田信敬
2007『新版 信州雪形ウォッチング』 長野:信濃毎日新聞社
齋藤義信
1997『図説 雪形(ゆきがた)
』東京:高志書院
作田哲啓
2001『雪形(ゆきがた)の話∼吾妻小富士の雪ウサギ∼』福島(自費出版)
笹間良彦
2006『図説 龍の歴史大事典』東京:遊子館
菅江真澄
1967『菅江真澄遊覧記 4 』東京:平凡社
1971『菅江真澄全集』東京:未来社[1807『錦木』文化四年 大館市立栗盛
記念図書館所蔵(現在の大館市立中央図書館)]
田中宣一
1984「暦と年中行事」『日本民俗文化大系』第 9 巻(暦と祭事)東京:小学
館
田淵行男
1981『山の紋章・雪形』東京:学習研究社
田淵行男記念館
1988『雪形』長野:田淵行男記念館
長野県商工観光課
2001「信州の雪形」
(「さわやか信州」シリーズ)長野県
納口恭明
2004「雪形をみたことがありますか」
『形の科学百科事典』東京:朝倉書店
松村賢治
2010『旧暦と暮らす スローライフの知恵ごよみ』東京:文藝春秋(文春文
庫)
宮野典夫
2008「代かきのころ」『山と博物館』53−3
室谷洋司
長野:大町市立大町山岳博物館
1999「青森県八甲田山の雪形」
「青森県岩木山の雪形」
『ゆきのまち通信』63、
64 青森:企画集団ぷりずむ
2010「青森県岩木山の雪形」(ホームページ)より
http://www.actv.ne.jp/~munakata/yukigata/yk-05.html
渡邉三四一
1997「米山の雪形伝承と地域差―スジマキ男とコイガタ伝承を中心に―」
『柏
崎市立博物館』11
新潟:柏崎市立博物館
― ―
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