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医療を支える死生観

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医療を支える死生観
October 2
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4
(安田賞)
受賞論文
―1
6
1―
医療を支える死生観
―― 医師へのインタビュー調査を通じて――
橘
はじめに
医療の現場では死は日常的な出来事である。自
分自身の死生観をもつこと、或いはその大切さが
第一章
尚
美
医療と死
!.現代医療の中の死
1.近代合理主義とメディカルモデル
分かることこそ、ターミナルケア教育の中心であ
今日「死」を考えることがまるでブームのよう
り、医療者になる者に最も大切な教育である(庄
に、終末期医療、ターミナルケアの在り方などを
司,1999)という指摘もなされているように、極
めぐって、医療従事者の間でも、非医療従事者の
めて特殊な環境といえる医療の現場に従事するも
間でも真剣な討議がなされるようになってきた。
のは、人間の共通する運命である死を真剣に考
この現状が提起した問題を真壁(1991)は二つ挙
え、死に対して成熟した態度を身につけていなけ
げている。一つは近代西洋医学の限界を社会的問
ればならない。
題として明らかにしたこと、第二には care の大
人の生死に直接関わる医療従事者たちは、実際
切さを改めて認識したことである。
どのような死生観に基づいて病む人と向き合って
近代西洋医学の限界とは一体どういうことだろ
いるのだろうか。死を目の前にして、自らの存在
うか。この近代西洋医学の発展がもたらした概念
を模索し、どう生きるかという魂の根源的な問い
の一つが、16世紀後半、西洋で起こった Scientific
を発している患者にどのように対応していくのだ
Revolution を背景として育てられた Quantity
ろうか(新見,200
2)。医療は人間の生とその営
life(命の長さ)である(藤井,2
000)。この革命
みを守る行為である。そのような医療の世界に従
によって、世の中の様々な事象を科学的に又合理
事するものは、
「死」に対して、非医療従事者と
的に分析することを「善」とする価値観が社会に
は異なる見方をしているのかもしれない(久保・
浸透していった。日本において、この合理主義に
田尾,1995)
。医療の中心にいる医師特有の価値
根ざした近代化路線が推し進められたのは、第二
観の一端を知ることは、今後の人間性豊かな医療
次世界大戦の敗戦後である(金児,1
990)。この
のあり方を探る上でも非常に興味深い。更には、
近代合理主義の社会こそが、死そのものを人生に
まだまだ「死は敗北」といった考え方が根強く残
おける敗北・挫折と捉えるネガティブな死生観を
る一般病棟や大学病院などにおいて、今日多く叫
醸成してきた。そして、人生の敗北である「死」
ばれているターミナルケアやホスピスケアの広が
を先延ばすことが「善」であるとして延命医学が
りにつながっていくのではないだろうか。今回、
進歩してきたのである。
of
様々な医療の現場で働く医師へのインタビュー調
西洋の合理主義が広まる過程で、現代医学に至
査を通して、現代医療を支えている死生観を明ら
る西洋近代医学をずっと支配してきたのがメディ
かにしてみたい。
カルモデルである。これは、ある身体症状が現れ
た時点で「まずその病気の原因を探り(検査)
、
そしてその原因を見つけ症状を確定し(診断)
、
最 後 に そ の 原 因 を 取 り 除 く(治 療)」(藤 井,
2000,p.34)という医療における一連のプロセス
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を さ す。藤 井(1998,2000)に よ る と、こ の メ
!.看取りの医学
ディカルモデルは、次のような理論に基礎をおい
1.看取りの医学を支える概念
ている。一つは、「病気には必ず何らかの原因が
看取りの医学の必要性を社会的に提示したホス
あり、症状はその結果として現れたものである」
ピス運動を支えた考え方の一つであるバイオサイ
とする特定病因論であり、もう一つは、
「人間の
コ ソ ー シ ャ ル モ デ ル(G. Engel,1977)と は、
心と体は別々のものであり、医学は人間の身体の
「病気を患者の身体の状態のみによって理解する
分野にのみ貢献する」
(藤井,2
000,p.34)とい
ことに疑問を呈し、病気は患者の社会的な側面、
う心身二元論である。メディカルモデルの考え方
心理的な側面、そして精神的側面を全て考慮して
に拠れ ば、
「医 学 の 捉 え る 人 間 は も は や Body-
初めて理解できる」と主張するものである(藤
Mind-Sprit というトータルな存在ではなく、その
井,2000,p.34)。藤 井(1998,2000)に よ る
肉体を中心とした捉え方にならざるを得ない。
と、このバイオサイコソーシャルモデルは、その
従って、医学の関心は、人ではなく、症状であ
根拠をシステム論に求めている(Engel,1980)
り、その部分となるのである(藤井,1993)」(藤
ため、
“病気”の本質は、システムを構成する各
井,2000,p.34)。
要素(すなわち、その人の環境、文化、生 活 習
慣、家族関係、友人関係、信仰等)がうまく機能
2.メディカルモデルの限界
しているかどうかにあるとしている。
「メディカ
このメディカルモデルの限界、すなわち近代西
ルモデルを症状に焦点をあてる Disease-Oriented
洋医学の限界の一つとして、藤井(2000)は、ど
モデルとすれば、バイオサイコソーシャルモデル
れだけ偉大な医学の力でも治せない病気があり、
は病気を持つ人に焦点をあてる Person-Oriented
病気のために死んでいく人がいるという事実を挙
モデルといえる」
(藤井,1998,p.123)。死を敗
げている。メディカルモデルに則れば、死は医学
北と捉えるメディカルモデルと違い、このモデル
の敗北である。そもそも医療のもっとも根源的な
では、死を医学的にのみ理解するのではなく、
姿は「誕生と死、そして、生にともなう痛みや苦
「その人の持つ社会関係の中での出来事と理解す
しみをやわらげること」
(真壁,1991,p.227)で
る。従って、たとえ治療法がなく、死にゆく過程
あったにもかかわらず、医学界においては、長年
であっても、その患者を社会的心理的苦痛を持つ
の間、治す医学ばかりに夢中になり、看取りの医
“人”と 見 る(藤 井,1993)」(藤 井,1998,p.
学には全く関心が払われてこなかった。
124)のである。これは、医療人類学の立場から
この西洋近代医学の限界を克服する形で登場し
みた病気が「どのような生物学的プロセスを伴っ
たのが、バイオサイコソーシャルモデルであり、
て生じようとも、文化的社会的に構成される一つ
ターミナルケア、ホスピスケアを支えるモデルで
のリアリティであり、人間的経験である」という
ある。ターミナルケアは単に末期患者のためのも
武井(1993,p.136)の指摘にも通ずる。
のだけではなく、現代の医療に欠けている要素を
即ち、医療は総合的人間学であり、医療従事者
補う概念であり、運動である(高宮ら,1
995)。
は、個々の患者について、身体、心理、社会全般
欠けているというよりは、本来の医療に確かに
にわたる深い次元で理解する必要があるのだ(植
あったものを長い間見失っていたということであ
村,1985)。そして、ターミナルケアは、この全
り、真壁(1991)は、医療者たちが、キュアから
人的医療の延長線上にあるものである。
ケアへ、本来の仕事の源流に立ち返ろうとすると
いうことにすぎないと指摘する。ターミナルケア
2.ホスピス・緩和ケア病棟の現状
という、キュアの限界に達して、ケアの価値が浮
人間の生命に全人的に関わるという考え方が具
き彫りにされる状況の中で、今日まで見失われが
現化されて近代的なホスピス運動の発端となった
ちであった医学におけるヒューマニズムの意味
のが、1966年、イギリスのロンドンに、シシリー
が、いよいよ明らかにされてきているのである
・ソンダースによって設立されたセント・クリス
(池見,1985)。
トファー・ホスピスである。日本におけるホスピ
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ス運動の先駆けとされるのは、1972年、淀川キリ
死ぬ人が自宅で亡くなる人の数を超えてしまっ
スト教病院が、ホスピス病棟を開設する以前に死
た。現状では、ホスピス・緩和ケア病棟でどんな
に 近 い 患 者 に 対 し て 実 践 し て い た OCDP
に素晴らしいケアが受けられるとしても、その数
(Organized Care of Dying Patient)である。
はまだまだ少なく、対象も狭められており、その
1981年に聖隷三方原病院ホスピスが日本初のホ
恩恵を受けられるのはほんの一部なのだ。圧倒的
スピスとして開設され、1984年には淀川キリスト
多数のターミナルの患者は、キュアを第一の目的
教病院に二番目のホスピスが開設された。1989
とする非人間的な環境の中で病み、十分なターミ
年、厚生省(現厚生労働省)は「末期患者のケア
ナルケアを受けられないまま亡くなっている。
に関する検討会」研究報告書とケア・マニュアル
つまり今求められているのは、ホスピスが現代
を発表し、1990年には、入院、処置、薬剤などの
医療からまったく独立した病棟をつくって専門領
費用を包括した緩和ケア病棟入院料を健康保険の
域を確立することではなく、ホスピスで提供され
診療報酬として適用し、それに伴う施設基準を設
ているケアのモデルを一般化することである(河
けた。その意味で緩和ケア病棟は厚生省の設置認
野,1999)。現段階では、緩和ケア病棟はターミ
可 に よ る 日 本 版 ホ ス ピ ス と い え る(河 野,
ナルケアの一つのモデル提示でしかありえない。
1999)。2003年12月1日現在、緩和ケア病棟承認
また、ターミナル期にならなければホスピスケア
・届出受理施設は123施設、2352床となっている。
を受けることが出来ないというのではなく、一般
2002年の保険点数の改定でコンサルテーション型
病棟の中でも、全人的視点にたち、苦痛の緩和、
の緩和ケアチームも点数化され(高宮,2
002)、
QOL の重視、チームアプローチといったソフト
「死」という事態を個人や社会がどう認識するか
面を生かして、いわゆるホスピスマインドに根ざ
の価値判断のなかで、ホスピス運動は確実に広
した医療のあり方を探ることが大切なのではない
がってきている。
だろうか。
「従来の病院ではできなくて、ホスピスならで
きることは何か」(ハート,1992)。この問いかけ
1.ホスピスマインドの一般化
に応えるかたちで、ホスピス・緩和ケア病棟はそ
「死の臨床のポイントは、ほとんどそのまま、
の独自のケアのあり方を探ってきた。ターミナル
生の臨床に通ずる」
(池見,1985,p.517)という
ケアが、疾患中心医療ではなく人間中心医療に基
指摘がなされているように、ターミナルケアのポ
づいた「パーソナルなケアの代表的なもの」
(池
イントがそのまま、生の臨床における全人的医療
見,1985,p.514)といわれているように、ホス
のポイントとして通用するものである。ホスピス
ピスケアのマニュアルといったものは一つの目安
マインドが全ての医療者の根底にあれば、ターミ
で し か な い(河 野,1999)。「care は あ ら ゆ る
ナルケアも生の臨床の延長線上に自然と位置づけ
cure を包む世界である。cure がだめなら、care
られるはずである。しかしながら現状において
を持ち上げるといった考えでは、care の本質に
は、ターミナルケアの専門性をホスピス・緩和ケ
迫りえない。care は歴史的にみて相応の科学性
ア病棟が中心となって確立し、それを医学教育に
を前提にしながら、自由で独創的でなければなら
とりこみながら、そのケアの概念やマインドその
ない。歴史的にみても当然のことながら『はじめ
ものを一般病棟や、第一線の研究・教育機関であ
に care あり』であった」(黒岩,1991,p.148)。
る大学病院に啓蒙していく方が有効的かもしれな
このことを忘れてはならない。
い。
今、医科大学などでは卒前教育として、疼痛な
!.ホスピスケア・ターミナルケアの課題
どの症 状 コ ン ト ロ ー ル、ホ ス ピ ス プ ロ グ ラ ム
ホスピスケアが現代医療に対するアンチテーゼ
(チーム医療、在宅ケア、家族のケア、グリーフ
として発展してきた(前田,1982)という指摘も
ワーク、音楽療法、心理療法、宗教の関わりな
あるが、このホスピスケアは、従来の病院では行
ど)、個人の死生観の自己覚知も含めた死の準備
えないということではない。1977年を境に病院で
教 育、ホ ス ピ ス マ イ ン ド(
“Not
doing,
But
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being”に象徴されるような関わり)などの視点
から、医学生へのアプローチも積極的にされるよ
第二章
ターミナルケアを支える死生観
うになってきた(高宮,1995)。医療の役割の中
心を担うのはやはり医師であるため、医師が変わ
第一章でみてきたように、全人的医療を実現さ
らないとなかなか病院の方針は変わらない。医師
せるためには、
「医療者自身が、全人的に開かれ
の意識を変えるという戦略もあって、特に大学病
た人間理解の素地(治療的自我)を培っておくこ
院でターミナルケアを専門的に実施していくこと
と、とくに死生観を深めておくことが必要」
(池
には大きな意味があるといわれている(高宮,
『死
見,1985,p.513)である。「『看取る』とは、
1995)。現に、大学病院や一般病棟においても、
を看取る』のではなく『看取る人』が今『死に直
ホスピスマインドに根ざした医療の実現に向け
結している生』を生きている『死に逝く人の生』
て、様々な試みがなされている。
を共に生き、その人の生に参加することであらね
しかし、病院の機能上の問題もあり、一般病棟
ばならない」(加藤,1999,p.89)。しかし、実際
においていかにターミナルケアを展開していくか
にはターミナルケアという死にゆく人の生に一歩
は模索段階にある。理想的なホスピスの姿とは程
踏み込んで共に生きるアプローチ(辻,1995)に
遠い病院の終末期医療の現場で、ホスピス的なケ
大きなストレスを感じてしまう医療者が大半では
アを目指した取り組みをしようとする医療者ほ
ないだろうか。このストレスの根底にあるものこ
ど、理想と現実の狭間で葛藤し悩むことになる悲
そ、医療者自身の死生観であるように思える。
しい現実があるのだ(河野,1999)。ターミナル
ケアの一般化を阻む要因には色々と考えられる
が、医療従事者が「死」と間近に向き合うことの
ストレスについて考えてみたい。
!.死生観とは
そもそも「死生観」とは、簡潔にいえば、「『宇
宙や生命全体の流れのなかで、個(私)の生や死
がどのように位置づけられ、どのような意味を
2.ターミナルケアにおけるストレス問題
もっているか、ということについての考え(コス
深浦ら(1994)の調査によると、死の臨床にお
モロジー)
』とでもいったものである。もっと単
ける蘇生処置に矛盾を感じている医師は95.
7%に
純に、『私はどこから来て、どこに行くのか』と
も上り、実際の蘇生処置は家族が揃うまでの儀式
いう問いに対して何らかの答えを与えるもの、と
的に施される場合が最も多かったと報告されてい
い っ て も よ い だ ろ う」
(広 井,2000,p.155−
る。死の臨床の環境そのものが医師にとって非常
156)。広井(2000)はまた、「死というものの意
にストレスフルな場であることは否めない。また
味」を自分にとって納得できるかたちで位置づけ
河野(1999)は、ターミナルケアのケアする側の
受け容れていく、何らかの死生観をもつことこ
ストレスとして、死に近い病者の衰弱した身体
そ、ターミナルケアのもっとも本質的な部分をな
と、死に近いことがもたらす特殊な精神・心理状
すものであると主張する。
態が重要な問題であるとしている。
第二次世界大戦の敗戦後、戦前に対する反動も
さらに河野は、終末期にある人とその医療に関
あり、ネガティブなものから目を背け、成功と達
与する人々に共通する根源的なファクターは、死
成のためにただひたすらまっすぐ進んできた高度
をどのように考え、捉え、対処するかに関わる死
経済成長社会の中で、死は一番ネガティブなテー
生観であると指摘している。
「死の臨床にさしか
マだった(尾崎,2000)。そうして死を見つめる
かって、にわかに強調される泥縄式のヒューマニ
必要性を押しやってきた戦後の近代合理主義の延
ズムや生命倫理では、真のターミナルケアの実践
長線上にもたらされたものが「死生観の空洞化」
さえ心もとない」(池見,1985,p.517)。医療従
(広井,2000,p.157)といわ れ る 事 態 で あ る。
事者自身の価値観、死生観、人生観など、人間性
人々は、「死の意味」をどう理解し、受けとめた
そのものが、真に人間的な医療を支えるものにな
らよいのかが全くみえない、即ち「生きている」
るのではないだろうか。
ことの意味や手ごたえがつかめない、という情況
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に陥った。1990年代になって社会が物質的に豊か
く、看護師はその中間に位置する結果となってい
になればなるほど、量では満たされない、質的な
る。また、この調査対象の看護師と医師は平均年
豊かさを求める QOL、真の命の豊かさとは何か
齢がほぼ等しく、また両者とも患者の死に接する
を発見しようとする気運が盛り上がってきた(尾
機会を等しくもちながら、医師の方が死の不安が
崎,2000)。いまや社会は死をタブー視するどこ
少ない。金児(1994)はこのことについて、医師
ろか、死に対する社会的関心は非常に高いものと
は死についてよく知っている、つまり、「死を知
なり、金児和子(1994)は、現在の死にまつわる
れば知るほど、死をみつめればみつめるほど、死
著作や発言の氾濫・流行ぶりを、
「死のポルノグ
にまつわる迷信や迷妄が払拭され、死の怖れが少
ラ フ ィ ー な ら ぬ“死 の グ ラ フ ィ テ ィ ー(落 書
なくなっていく」(p.547)と推察している。
き)”」(p.222)と表現している。つまり、
「それ
また医療従事者のうち、まだ現場にでていない
だけ死についての考察が多様性を帯び、その分
看 護 学 生 に 対 し て 実 施 さ れ た 新 見(2002)の
『私の死』の選択肢が多岐にわたる」(金児和子,
Purpose in Life Test の分析よると、「死」を自分
1994,p.2
22)ということになる。まさに現代は、
のこととして向き合い、受け止めている学生は少
自分自身の生き方、死に方というものについて、
なく、死を否定的に捉えたり、
「死」について考
一人一人が真剣に考えることが求められている時
えない学生や、死を一般論としてしか認識できて
代なのである。
い な い 学 生 が 多 い と 報 告 さ れ て い る。新 見
このような社会状況下で、現代医療は、全人的
(2002)は、この状況を、学生が患者に関わろう
視点に基づくより人間性豊かな医療・ケアのあり
とする時に「死を避けたい自己」と「看護しなけ
方を確立していかなければならないだろう。そし
ればならない自己」との間で混乱を引き起こして
て先ず、近代合理主義を背景に発展してきた現代
しまう可能性があることを危惧している。相馬
医療の問題点を解決するためには、これまでの社
(1999)も指摘しているように、医療従事者とし
会を支配してきたネガティブな死生観、もっと言
て大切なことは、病人が死について語りたいとい
えば、医療の現場を支える医療従事者自身の死生
うニードをもつ時、周囲の者が自分自身の不安や
観を改めて見つめ直す必要があるのではないだろ
恐怖のために、無意識のうちにそれを封じてし
うか。
まってはならないということである。そのために
も、「自分が死から目を背けていたのでは、死に
!.死の不安
「死とは、老若を問わず人間である限りつきま
とう根源的な不安である」(金児和子,1994,p.
直面した人の死生観を尊重し、慰め、苦しみを共
有することはできないということを忘れてはなら
ない」(相馬,1999,p.49)。
222)。現在のところ、死への態度の心理学的研究
また河野(1999)の看護学生と大学生を対象と
においてもっとも頻繁に用いられている尺度は、
した調査によると、看護学生は大学生よりも肯定
Templer(1970)による「死の不安尺度」(Death
的な死観をもっているものの、大学生よりも死の
Anxiety
Scale=DAS)で あ る。金 児 和 子(1
994)
不安が強いという結果が報告されている。即ち、
は、この尺度を用いて、女子短大生、看護学生、
肯定的な死観をもっていれば、死の不安が軽減さ
看護師、医師、及び高齢者の5群の死の不安を測
れるというわけではないのである。これは、死の
定している。この調査によると、職種によって有
不安が高いゆえに死を肯定的にみようとすること
意な不安な差があること、これら職種の範囲では
の表れであるともいえる。
年齢が高くなればなるほど逆に死の不安が有意に
死の不安が軽減され、肯定的な死観を有するこ
低くなることが報告されている。5群のなかで女
とで、自分や他者の死に対してより効果的に対処
子短大生の不安がもっとも強く、より死に近いと
できるようになると思われる。それでは、金児
ころにいる高齢者のそれがもっとも弱いというこ
(1994)が指摘していたように、現場に出て看取
とが明らかにされているが、医療従事者に限れ
りの体験を重ねることで、死に対する不安は軽減
ば、看護学生の不安が最も強く、医師が最も弱
することができるのだろうか。もしくは、死に対
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する考え方に何らかの変化があるのだろうか。医
態度の調査を行っている。その中で、死に対する
療に従事するものは、病や死に直面している患者
態度に影響する個人の人生におけるライフイベン
と関わる経験の中で、
「自らの死生観が少しずつ
トとして、家族との死別は、死の積極的受容と関
深められ、死や病気・苦しみは、ただ単なる否定
連があるという結果を報告している。河合らは、
的な感情だけで表現されるものではないことに気
この結果に対し「辛い死別は死や死後についての
づ き つ つ あ る の で は な い か」
(新 見,2002,p.
認識を深めさせ、死後に対して親和的な感情を抱
29)。
くようになる」(p.114)と推察している。
死の不安に影響する要因の一つである性差につ
金児和子(1994)は、この死観尺度を用いて、
いて少しふれておくと、
「女性ことに若い女性が
老人の死生観を調査し、更に、看護学生・看護師
男性よりも死に対する不安や恐怖が強いことは多
・医師・女子短大生との比較も行っている。全て
くの研究が明らかにしている」(金児,1994,p.
の群において死を「自然な最後」とみる死観が
546)。死の不安が強いものほど神仏を強く信じる
もっとも強い。注目すべきは、医師が「別離と悲
傾向にある(河野,1999)という報告もあるが、
嘆」、「転生と復活」、「未 知」
、「人 生 の 試 練」で
死後の世界に対する信仰も女性の方が強い(金
もっとも弱い傾向にあり、中でも「転生と復活」
児,1991)。女 性 は「男 性 に 比 べ て、死 に 対 し
という死生観はどの群と比較しても、どの死生観
て、真摯に向き合おうとし、死後の世界を想い、
と比較してももっとも稀薄であったということで
来世での再会を期待している」(金児,1994,p.
ある。
558)。これは、医師に比べて女性が多い看護職が
また清水と河野(2001)は死観尺度などを用い
患者の生活により密接に関わるポジションにいる
て、高齢者保健福祉施設の職員を対象に、その死
という要因に加え、緩和ケアに対して医師より遥
観と望む死に場所に関する調査を行っている。
かに意欲的で、高い関心をもつ看護師が増えてき
「どのような死観を有しているかで人生観や生命
ている現状(竹中,1999;小松,1999)にも通ず
観、生き様などは異なり、生への意味づけは死へ
るように思われる。
の意味づけに影響する」
(清水・河野,2001,p.
429)として、どのような死観を有しているかで
!.死
観
高齢者へのターミナルケアは異なったものになる
死の不安を測定する Templer の尺度(DAS)に
と推察している。施設における死の経験と意識化
対して、死を不安や恐怖という否定的側面からの
の問題に関しては、入所者・利用者の死を多く経
みではなく、死への態度を多面的に捉えることで
験していればいるほど死に無関心ではないことを
死のもつ肯定的側面にも目を向けることの必要性
報告している。「職員は入所者・利用者の死に様
が言われるようになってきた。死の問題に対して
を通して、死とは何か、死についての意味づけを
私 た ち が 行 う 様 々 な 意 味 づ け を 死 観(death
形成していくと思われる」
(清水・河野,2
001,
perspective)とよんで、その心理学的研究に先鞭
p.47)。この調査結果によると、職員は、死に無
をつけたのは Spilka ら(1977)のグループで あ
関心でなく、死は自然の終焉で苦痛ではないとい
る(金児,1994)。この死観尺度は、「苦しみと孤
う肯定的な死観を有している一方で、死は挫折
独」、「浄福な来世」、「無関心」、「未知」、「家族と
で、人生の集大成ではないという否定的な死観も
の別離」、「勇気」、「挫折」、「自然な終焉」の8つ
有していることが明らかになっている。このこと
の視点で死を捉えられるように構成されており、
に対して、清水と河野(2001)は、職員が、入所
「浄福な来世」と「勇気」は肯定的死観、他6つ
者や利用者の悔いが残る死を経験している可能性
は否定的死観といえる(金児,1994)。
があることを指摘している。
また河合ら(1996)は、恐怖、積極的受容、逃
避的受容、中立的受容の4つの側面から死に対す
る 態 度 を 測 定 す る DAP(Gesser ら,1987−88)
と DAS を用いて、高齢者を対象に、死に対する
".宗教との関わり
「『人々に何らかの死生観を提供する』という
機能こそ、宗教というものが果たしてきた主要な
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役割であった」
(広井,2000,p.160)と指摘され
結果に対し、金児(1991)は「死に対する不安が
ているように、宗教のもつ大きな役割の一つに死
もともと強い人は霊魂の観念も強く(逆もいえ
の怖れからの解放があることはよく知られてい
る)、そのような人が死の怖れから解放されるた
る。しかし、ことはそれほど単純ではなく、
「信
めには、死を肯定的にうけとらざるをえない。つ
仰の持ち方によって死の怖れが強められたり弱め
まり、死に対する怖れが強い人にあっては、その
ら れ た り す る」(金 児,1994,p.538)。河 野
怖れは霊魂の観念をもつことによって正当化され
(1999)が推察しているように、どのような宗教
る。しかしそのままでは認知的に緊急事態にある
観を有するかが、死への意味づけである死観に大
ので、他方では死を肯定的にとらえることによっ
きな影響力をもっており、宗教が死への態度に与
てこの緊張を解消している」(p.119)と考察して
える影響を決して軽視することは出来ない。
いる。
死を多次元的に捉えることが必要であったよう
いくつかの調査でみてきたように、医師は死の
に、宗教性に関しても、それが多次元的なもので
怖れが相対的に稀薄であるという事実は、宗教的
あることが明らかにされている(金児,1
991)。
信仰とは対極的位置にあると考えられている無神
金児(1991)は特定の宗教を信仰しているわけで
論や不可知論が、ある意味、医師の信念体系の中
はない多くの日本人の心情に即した宗教観尺度を
で宗教的役割を果たしているともいえるのかもし
作成し、三つの宗教性を析出している。一つは、
れない(金児,1991)。個人が、死というものに
一般的な意味で宗教に対して好意的態度(接近)
対して深い内省を求めるツールが何であれ、その
を示すのか、否定的態度(回避)をとるのかとい
内省を求められる機会があるかどうか、求めよう
う次元に関する“向宗教性”
、二つ目は風俗や年
とする動機があるかどうかが大切なのではないだ
中行事としての軽い宗教との結びつきに親しみを
ろうか。
感じ、自然にも敬虔な気持ちをもった宗教性であ
り、仏神の加護や報恩感謝の念やオカゲさまとい
!.まとめ
う恩情感がその中核をなす“加護観念”
、そして
人間の死に対する態度は実に複雑である。代表
三つ目は死者への畏怖の感情や、人知を超えた存
的な尺度を用いた量的調査によりある程度の傾向
在に対する畏怖の念、あるいは輪廻転生を信じる
が見出せるとはいえ、その個人個人のパーソナリ
といった観念を複合したもので、いわゆるタタリ
ティをみていけば、結果はもっと多様性を増すだ
意識という情念の観念に相当する“霊魂観念”で
ろう。
ある。
内布(2003)が、医療従事者を対象に、end-of-
金児(1991)が医療従事者の宗教性を調査した
life ケアの実施状況と、死に対する医療従事者の
ものによると、加護概念は看護師が、霊魂観念は
態度を調査し、医療従事者の死に対する態度に影
看護学生がもっとも強く、金児はここで医師の霊
響していると思われる要因を探っている。この中
魂観念の稀薄さに注目している。この宗教性と死
で内布は、死についてオープンになれる医療従事
の怖れとの関係に関しては、
「あの世への思考が
者は、死という現象に対してより積極的に取り組
強まるにつれて死の不安が増大する、あるいは死
もうとする態度が伺えると同時に、自分自身の死
を怖れれば怖れるほど霊魂の観念が強まってゆ
についても具体的な考えをもっており、死に対す
く」(金児,1991,p.193)と述べている。宗教性
る不安が少なく自身の死についての準備性が高
と死観との関係に関しては、宗教に対する好意的
かったことを報告している。この結果には、医療
態度は、死を肯定的に受け取る死観に関連してい
者個々人の価値観だけでなく、end-of-life ケアを
た(金児,1991)。また、加護観念よりも霊魂観
積極的に実施している病棟環境をもっていること
念の方が死に対する肯定的見方を促していること
などが関連しており、医療従事者の死に対する態
が示されていた。
度に影響する要因としては「個々人に内在する要
霊魂観念が死の怖れを高めるにもかかわらず、
因と、病棟におけるケアの実施状況といういわば
それが肯定的死観を形成するという一見矛盾した
外的要因の両方が関与している」
(内布,2003,
―1
6
8―
社 会 学 部 紀 要 第9
7号
p.160)といえる。
「はっきりと死を予感しながら生きている患者
".方
法
(1)調査対象者
は、しばしば、医療者よりも深い死生観をもつよ
今回の調査対象者は、7名の医師である。1人
うになるものである」(池見,1985,p.515)。そ
目の A 医師は経験年数5
0年で、今回の調査対象
して、患者は医療者が死をどのように見ているか
医師の中で一番年長者である。大学院で小児外科
を敏感に感じ取っている(ハート,1
992)。外的
を専攻し卒業後は大学病院で10年間外科医として
要因の一つとして、このような患者のケアにあた
勤務した後、内科を兼務しながら総合病院に勤
りながら、また、色んな患者の色んな生き様そし
め、現在は定年を迎え非常勤医をしている。2人
て死に様を目の当たりにしながら、医療者は死に
目の B 医師は経験年数2
3年で、現在総合病院の
ゆく人から多くを学ぶことができると思われる。
副院長である。外科・内科を兼務しており、今回
しかしながら医療者が死に対して成熟した態度
の調査対象である一般病棟に勤務する医師の中で
を身につけることの必要性については多く述べら
唯一緩和医療に積極的に取り組んでいた。3人目
れているものの、実際の現場において、どのよう
の C 医師は経験年数21年で、卒後4年間研修医
な内的要因と外的要因が医療従事者の死生観の形
として大病院に勤務し、その後消化器外科を中心
成に影響しているかは明らかにされていない。
に中小病院に勤務している。4人目の D 医師は
「死」という出来事を日常的に経験し、その「死」
経験年数22年で、脳神経外科を専攻し、現在総合
に自分自身が関わるという重く尊い経験をしてい
病院に勤務している。5人目の E 医師は今回の
る医師たちは、死にゆく人から何を学び、どのよ
調査対象医師の中で最も若く、経験年数2年半
うな死生観を有し、どのような思いで医療に取り
で、現在総合病院で整形外科医として勤務してい
組んでいるのだろうか。
る。6人目の F 医師は経験年数12年半で、研修後
4年間大学院で整形外科を専攻した後、現在総合
第三章
インタビュー調査
病院で整形外科医として勤務している。7人目の
G 医師は経験年数11年で、今回の調査対象医師の
!.調査の意義・目的
中で唯一ホスピスに勤務する医師である。卒後8
これまでみてきた死生観に関する調査は主に代
年間は大学病院の血液内科に勤務しながら大学院
表的な尺度を用いた量的調査であり、調査対象に
を修了し、現在、総合病院の緩和ケア科に移って
よって結果も特徴のあるものになっていた。その
3年目である。
中でも、医療従事者、特に医療の現場の中心にい
る医師を対象にした調査は少なく、医師自身の死
(2)調査方法
に対する意識と患者に対する態度との関係につい
協力を依頼した後、事前にインタビュー項目の
ても多くの推察はなされているが、実際に医療の
内容を送らせてもらい、その後で直接アポイント
現場でそれがどう影響しているのか、踏み込んだ
メントをとり先方の都合のいい場所に伺った。イ
調査はあまりされていない。量的調査では明らか
ンタビュー時には回答を録音させてもらうことの
に出来ていなかったもの、特に医師個々人に内在
了承を得た。時間の都合上、直接会うことが難し
する要因(医師自身を支えている価値観、信念、
かった医師は、インタビュー項目への回答をそれ
患者観、医療観、人生観、死生観など)について
ぞれ文章化して、郵送してもらう形になった。
調べるためには、現場で働くものの自由回答によ
る生の声をきく必要がある。本論文では、一歩踏
(3)インタビュー項目の作成
み込んで医師特有の死生観と現代医療の在り方と
医師個々人に内在する要因、言い換えれば医師
の関連性を探るために、
「医師個々人に内在する
自身を支えている価値観(信念、患者観、医療
要因」に焦点をあてて、半構造インタビューによ
観、人間観、死生観など)を探るために、様々な
る質的調査を試みた。
角度から質問項目を設定した。
具体的には、医師自身に焦点を当てる項目と、
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医療の現場におけるこれまでの経験や環境によっ
されていることなどは何かおありですか?(例
て変化した部分に焦点をあてる項目である。前者
えば、治療変更に伴うインフォームド・コンセ
は、医師を志した動機、自分自身の性格、仕事の
ントの方法、告知の仕方、回診時の病床での関
やりがい、医療に取り組む際の信念、患者・家族
わり、退院に際しての社会復帰、心理面でのケ
との関わり方などを尋ねる項目である。後者は、
アなど)
医療に対する考え方、看取りに対する思い等を尋
③患者さんとの交わりの中で、ご自身がもともと
ねる項目である。更に後者の項目では、医師の死
持っていらっしゃった医療に対する考え方、患
生観により深く触れるために、看取りの体験を重
者さんに対する態度などに、変化がもしおあり
ねることで、看取りに対する思いと医師自身の死
でしたら、おきかせいただけますか?
生観の具体的な変化を尋ねる項目を設定した。
そして医師自身の死生観とターミナルケアとの
関連性を探るために、ターミナルケアやホスピス
3.看取りの体験と死生観に関して
①患者さんを看取るときの思いについてお聞かせ
・緩和ケア病棟に対する考えなどを自由に話して
いただきたいと思います。
もらう形で質問項目に取り入れた。以上を踏まえ
どんなことをお感じになっておられるのでしょ
て作成したインタビュー項目は全16項目(資料
うか?
1)である。
一番最初に患者さんを看取ったとき、どのよう
なお気持ちでしたか?
資料1.インタビュー項目
また看取りの体験が重ねることで、その感情に
1.バックグラウンド・現在に至るまでの経過と
何か変化がおありでしたらお聞かせいただけま
動機に関して
①経験年数・経歴
②どういう切っ掛けでこのような世界にお入りに
なったのですか?
③医師というご職業をされていて、どのようなこ
とに一番やりがいを感じておられますか?
すか?
②(そのような)医療の現場にいらっしゃって、
ご自分の死について考えることはありますか?
③ご自身は「死」というものを、どう考えておら
れるのでしょうか?例えば「人は死んだらどう
なるのか」というようなことにについてどうお
④医師という職業は専門職ですが、専門職能力に
思いになりますか?「死は無である」
「死後の
加えて人間性のようなものも必要だと思われま
世界がある」「天国がある」とか色々あると思
すか?(もし必要だとすれば)それはどんなも
のでしょうか?
⑤今までのご経験の中で、しんどかったこと辛
かったことなど、もしよろしければきかせてい
ただけますか?
⑥ご自身の性格はどのように考えておられます
か?(プラス思考、マイナス思考、など)
いますが・・・
④もし患者さんから「死んだらどうなるのか」と
いういような問いかけがあったらどう対応され
ますか?
⑤患者さんを看取る体験を通じて、ご自身の死生
観に何か変化がおありでしたら、おきかせいた
だけますか?
(先生は特定の宗教をおもちですか?たとえば
2.患者(家族)との関係に関して
死の不安を和らげるという考え方をどう思われ
①患者・家族との関係で悩むことにはどんなこと
ますか?また、宗教をお持ちの患者さんへの対
がおありですか?具体的なエピソードをお聞か
応で何かお感じになるところはありますか?)
せいただけますか?どのような患者さんとの関
わりで、どんな時に、どんなことで悩むので
4.ホスピス・ターミナルケアに関して
しょうか?
①ホスピス・緩和ケア病棟に対してどうお考えで
②患者さんの治療にあたる上で、その関わりの中
で気をつけていらっしゃること、信念をもって
しょうか?
ターミナルケアというものに対しての考えをお
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7
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社 会 学 部 紀 要 第9
7号
聞かせいただけますか?
ても肯定的な見方をしていた。しかし G 医師も
その問題や課題などについてお感じのところを
看取るその時には、その場をどうコーディネイト
お話いただきたいと思います。
すればよいかを考えて「自分の涙はあとから出て
(トータルペインの考え方や、スピリチュアル
きます」と述べていたことから、患者の死に対し
ペインの問題についてどうお思いですか?)
て、看取りのその場では、専門家として客観的か
②ターミナルケアを一般病棟で実施していくとい
つ冷静な対応をする医師の姿が共通してあった。
う問題について、お考えをお聞かせいただけま
金児(1994)が指摘していたように、現実的に
すか?
死を知れば知るほど、死にまつわる迷信や迷妄が
払拭されていくと同時に、専門職者として、人の
!.分析結果・考察
死の責任が自分に問われるというプレッシャーの
属性
中で、医師たちは死というものをより客観的に見
調査対象の医師は、外科内科兼務の医師3名、
るようになっていくと思われる。しかし、決して
脳神経外科医1名、整形外科医2名、ホスピス医
看取りの体験を重ねることで自分自身の死の怖れ
1名という7名の医師であり、全員男性である。
が少なくなっていくということではなかった。こ
このうち B 医師、C 医師、D 医師の3名が書面に
のことについては後に述べる。
よる回答になった。平均年齢は、44.
1歳で、平均
また、医師にとって、患者の死を看取ることが
経験年数は20.
4年であった。平均インタビュー時
辛く悲しい体験なのではなく、患者の辛く悲しい
間は一人約50分程度であった。宗教はキリスト教
死に方に関わることこそ医師にとって辛く悲しい
が1名(A 医師)、仏教が2名(E 医師、F 医師)、
ことであり、非常に大きなストレスになってい
求道 者 が1名(G 医 師)で、そ の 他 は 無 宗 教 で
た。患者との交わり、特に患者の死を通じて、医
あった。以下インタビューを分析した結果と考察
師は、常に自分が出来ることの限界、自分の無力
の一部を報告する。尚、本文中で医師の発言を用
さといったものに直面し、悩んでいる様子が伝
い た 場 合 に は、医 師 名、科、経 験 年 数 の 順 で
わってきた。インタビューの中で「現場に出て謙
(A,外内科,50)という様に示した。
虚になった」「患者と苦しみを共にしてやっと変
わ っ て き た」(A,外 内 科,50)と い う 発 言 が
考察1.看取りの体験が影響するもの
あったが、医療に携わる中で、患者の苦しむ姿と
今回の調査では、医師にとって最も辛くしんど
自分自身の無力さに直面することは、医師自身が
いことに、患者の死に接することを挙げた医師は
自分を深く省みると同時に、看取りの医学の必要
少なかった。看取りをあまり経験することがない
性を認識する大きなきっかけになるものと思われ
科の特殊性によるものとも思われるが、整形外科
る。医師を仕事として割り切って苦しみから目を
の医師は他の科の医師よりも“患者の死”を“医
背けてしまうのではなく、豊かな感性で人の苦し
療の限界”と捉え、看取りの体験に対してマイナ
みを感じ、患者と共に悩み苦しみながら進んでい
スのイメージを強く抱いている傾向がみられた。
く過程が大切なのである。人間性豊かな医師ほど
また、一般病棟に勤務する医師とホスピスに勤務
辛く苦しむことは多いだろう。それだけ人の苦し
する医師とでは、そもそも患者の死の受け止め方
み痛みに共感することが出来るのだから。そして
が違うことが明らかになった。G 医師は、「もと
その“苦しみの中に留まれる力”こそ、現代の医
もと治癒を目標としていないので、死が敗北とは
療の中に求められているものかもしれない。医療
思いません。患者と家族と自分たちと同じ方向を
者として、患者と多くの苦しみを共にするという
むいて一緒にやっていく中で、いい時間がもて
経験を重ねる中で、いかに自分自身の限界と医療
て、その人の気持ちに添って看取ることができた
の限界に向き合い、既存の価値の転換をはかって
のなら成功ではないかと思います。患者さんの死
こられたかが問われるのである。
は寂しいし疲れるけど、そんなに辛いことではな
しかし医師にとって限界状況における苦悩は、
い気がする」と述べており、患者の死に対してと
決して肯定的とはいえない死観を形成する可能性
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1―
があることも示唆された。色んな患者の色んな死
の死に立ち会うということは、それなりに“死”
を看取ることで、現実的に自分を苦しめるような
というものに対して個人の感情とは切り離された
死観を有している医師が非常に多かったのであ
感情があると思われる。看取りというのは医師に
る。以下にその発言を挙げてみる。
とって一つの“仕事”なのである。医師の一人
「死んだら自分は天国には行けないだろうなと
が、「親父が死ぬ時はあまり僕はみたくなかっ
は、よく思いま す」(D,脳 外,2
2)、「親 の 教 育
た。母と妹が看取りました」
(D,脳外,22)と
もあって恥ずかしくない死に方をしなければなら
述べているように、二人称(家族、友人、大切な
ないとは思っていましたが、医者になってから
人)の死に対する感情と、患者の死に対する感情
色々な死をみてきて、考え方は変わったと思いま
とは全く切り離されている。そういう意味で、医
す。無念、無残、苦悶のなかで迎える死もありま
師にとって死は日常の出来事であるが、それはあ
すので、自分の死についても、身体的、精神的に
くまで、「個人的関わりのない死、一般論での死」
苦しみがあってもおかしくない。癌の末期で疼痛
(比嘉,1996,p.225)といえるのかもしれない。
管理がうまくゆかず、苦しみながら逝った患者さ
しかし、今回の調査では、患者の死に対して冷静
んもいるわけです。申し訳ないので自分にそうい
かつ客観的な見方をしている一方で、医師たちか
うことがあっても甘んじて受けねばならないと覚
ら患者、家族を思いやる愛情を感じることができ
悟しています。しかし死という現象に対して否定
た。患者の死に接する中で抱える様々な苦悩を話
する気持ちはないです」(C,外内科,21)、「死
す医師もいたように、患者の死は、医師にとって
を前にした潔さ、見苦しさも見てきました。死は
の二人称の死にはなり得なくても、決して三人称
人生の完結であり、集約であると思いますが、本
の死ではないように思われた。
人がいくら慈悲をもって生きた人でも幸せな死を
日常的に二人称の死を体験するということは、
迎えるとは限りません。自然が作るものとして受
医療従事者にとっては、多大な精神的ダメージを
け 止 め る よ う に 心 が け て い ま す」(B,外 内
日常的に受けることになり、そのような環境では
科,23)。
仕事は続けられない。インタビューの中で「看取
医療に従事するものは、病気や死に直面してい
りの体験を重ねてもその感情に変化はない」とい
る患者と関わる経験の中で、
「自らの死生観が少
う発言が多かったのは、いい意味で“看取り”を
しずつ深められ、死や病気の苦しみは、ただ単な
医師の一つの業務として割り切っているとも言え
る否定的な感情だけで表現されるものではないこ
る。現場では、自分という人間から、医師という
と に 気 づ き つ つ あ る の で は な い か」
(新 見,
“プロ”へと、感性のスィッチを切り替えること
2002,p.29)という推察に対して、簡単には死と
で、安定して業務をこなすことが出来ると思われ
いう人間の苦しみに肯定的な意味を見出せず苦悩
る。医師と患者の関係が、職務上の専門的な人間
している医師の姿や、現場の過酷さが浮き彫りに
関係である限り、二人称の関係になってしまって
なった。医師にとって患者の死は、時に自分の無
は、医師自身が仕事を続けられなくなるが、全人
力さを突きつけるものであったり、挫折感を味わ
的視点に立って人の命に関わる交流がある以上、
う残念な結果の一つであったり、一つの人間関係
それは二人称の関係でなければならないし、三人
を失うことの喪失感をもたらすものであったりす
称の関係であってはならない。2.
5人称、もしく
る。日常的に客観的立場から人の死に関わりなが
は3人称プラスアルファの関係とでも言えないだ
ら、その人の命の責任を負う立場にあるという、
ろうか。この看取りという専門職の一業務の中
一般の人々が持ち得ない様々な精神的ストレス
で、いかに患者の死にゆく過程に敬意を払い、愛
は、決して肯定的な死観を育むものではないのか
情を込めて死にゆく人と見送る人を思いやること
もしれない。
が出来るか、これは医師の専門的な知識や技術と
は関係なく、医師自身の人間性が問われるところ
考察2.医師にとっての「患者の死」とは
考察1でも述べたように、専門職者として患者
であるように思う。
看取りの場に限らず、一人の人間として相手を
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7号
思いやれる優しさや素直さ謙虚さと、客観的立場
その死生観に影響するのは、医師自身の一人称の
であるプロとしての自覚とを持ち合わせること
出来事すなわち人生におけるライフイベント(病
は、ある意味ジレンマのように思える。ホスピス
気、死別体験など)や加齢という現象そのもので
の医師も自覚していたが、専門職者として安定し
あった。
た仕事をこなすためにも主観と客観を区別するこ
更に、看取りの体験を通して否応なく人の死に
とは大切なことである。
“プロ”として全て割り
接しても、死そのものについて深く考えるかどう
切ることが出来れば何の苦労もないが、人間だか
かは、
「自分なりに死ぬこと、生きることの意味
ら完璧ではない。患者との関係に医師自身の主観
をみつけたい、考えたい」といった、個人のモチ
が混じってしまうが故に、いつも「患者の立場に
ベーションに大きく左右されていた。このモチ
たてるいい医者」でいることが出来ず、自己嫌悪
ベーションは生まれつき備わっているものではな
に陥ってしまうと話す医師もいた。この、専門職
く、個人の性格を形成してきたもの、つまり個人
者としての客観性と、自分という人間としての主
をとりまく環境、歴史等、色んな要素が複雑に影
観性のバランスを保っていく難しさというのは、
響しあい、相互作用を繰り返す中で自然とつくら
医師に限らず全ての専門職に共通しているもので
れるものである。そういう意味で、個々人に起
ある。医師に限らず、すべての専門職者は、主観
こった様々なライフイベントや、年をとって様々
的感情に飲み込まれることなく、その感情を閉じ
なライフイベントを重ねていくことは、それだけ
込めてしまうのでもなく、豊かな人間性に基づい
その人の人生を豊かにするものであり、それだけ
たプロとしての客観的判断が求められている。こ
豊かな人間性を育むように思われる。しかし、自
のような立場にありながら医師がより人間性豊か
分の人生に起こったライフイベントを自分の人間
に患者の死に向き合うためには、第一に患者も医
性に柔軟に取り込んでいけるかどうか、つまり、
師も同じ人間であり、互いに不完全な存在である
そのライフイベントに自分なりに意味を見出し、
こと、そして共に死にゆく存在であることを受け
価値づけていくことができるかどうかも、その個
容れていることが大切ではないだろうか。
人のパーソナリティに左右される。個人が、死と
いうものに対して深い内省を求めるツールが何で
考察3.死生観に影響するもの
看取りの体験を通じて医師自身の死生観に変化
があったかという問いに対しては、答えが3つに
あれ、その内省を求められる機会があるかどう
か、求めようとする動機があるかどうかが大切な
のである。
わかれた。もともと何らかの死生観を自分の中に
また、河合ら(1996)の調査によると、家族と
築いてきた人、死生観というものについて深く考
の死別体験がある者は、死を積極的に評価するこ
えたことがない人、臨床を通じて死生観を築いて
とによって死を受容する傾向が高く、死後に対し
きた人の3つである。いい意味で看取りを仕事と
て親和的な感情を抱くことが報告されていた。死
して割り切っているからか、看取りの体験を重ね
別体験によって死との親和性が増し、死に対して
てもその時の感情に変化はないという一方で、
楽観的、肯定的な見方をするという傾向は、今回
「色んな患者の色んな死を看取る」ことで、医師
の調査でも青年期に母親の死を経験しているホス
自身の死生観には少なからず変化があることが明
ピスの医師から強く感じることが出来た。
「ホス
らかになった。しかし、全ての医師にとって、患
ピスケアをするにはやはり自らの人生のケアの体
者を看取る体験が自分自身の死生観を確立するの
験がなくてはならない」
(安部,1986,p.25)と
に大きく影響しているわけではなかった。死に対
いう指摘がなされているが、特に死にゆく人を思
して自分なりの考えをもっている医師ほど、変化
いやれる豊かな人間性が求められるホスピスの現
はあまりないと答える傾向がみられたように、医
場において、
「ケアする側は個人の人生において
師の看取りに対する感情は、個人そのものに内在
ネガティブからポジティブへと変化させた体験が
する要因に基づいていた。つまり、看取りの体験
あることが望ましい」
(安部,1
986,p.25)とい
以上に、個々人に死について考える機会を与え、
えるのかもしれない。
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考察4.「死は無である」という死生観
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る。
死というものがただ単に「無に帰すること」で
医療従事者自身のネガティブな死生観は、患
あるという考えを、人は絶対に受け容れることは
者、特に末期の患者に対するケアにいい影響を与
できないと、広井(2000)は指摘している。しか
えはしないかもしれない。死の不安が少なく、肯
し、死は無に帰すということが、本当に否定的な
定的な死観を有することで、自分や他者の死に対
死観なのだろうか。今回の調査では、3名の医師
しより効果的に対処できるようになるのかもしれ
が「死は無である」と答えていた。これまでも述
ない。しかし、何よりも大切なのは、自分自身が
べてきたように、色んな人間の色んな死に日常的
生死の問題について無関心ではなく、真剣に考
に関わる体験によって、医師は“死”に対して現
え、自分なりの死生観を確立していることではな
実的な見方をする傾向が強い。医師という専門職
いだろうか。多くの調査で、死を真剣に考えるこ
上、科学的なものの考え方が優先してしまうとも
とで死に対する不安は増していくことが明らかに
考えられる。しかし、全ての医師が「死は無であ
されていた。死に対する不安が強くても、目をそ
る」と考えているわけではなく、また死は無であ
らすことなく自分なりに真剣に生死の問題につい
るからと言って、死を否定しているわけではな
て考えているものは、死にゆくものにも対等に向
かった。「死は無である」という死生観も、
「死」
き合っていけると考える。
を自分なりに納得できる形で自分の人生の中に意
また逆に、ホスピスの医師は、生に対する執着
味 づ け る こ と が 出 来 て い る と い え る。金 児
が強い患者に寄り添っていく上では、関わる自分
(1991)が指摘していたように、「死は生物学的に
自身が死を身近に感じすぎることがあまりよくな
無に帰す」という科学的根拠に基づく医学的な死
いと思うこともあると述べていた。医師にとって
生観が、ある意味、医師の信念体系の中で死の不
大切なのは、他者の価値観を理解できる心の広
安を和らげるような宗教的役割を果たしているの
さ、そしてその異なる価値観を尊重した対応がで
である。
きる柔軟性ではないだろうか。
「自分自身は、生物学的に死は無に帰すと考え
ていますが、そう思っていない人にはその人の考
考察5.ターミナルケアを阻むもの
え方に共感するようにしています。この生物学的
ターミナケアの実現に際して、医師自身の死生
死の考え方は、青年期までに培われた、いわゆる
観や医学教育の問題と関連があることは否定でき
“科学的なものの考え方”の故と思います。・・・
ないが、一般病棟におけるターミナルケアのスト
私自身は、両親の生死の境をさまよった戦争体験
レス問題として無視できないものの一つに“患者
を聞いて育ってきたことと、祖母が広島で原爆死
と医師の信頼関係”が挙げられる。今回の調査で
しており、そういう戦争死の追体験が原点にある
も D 医師が「(患者との)信頼関係が崩れそうな
ようにも思います。飼っていた金魚が死んでし
時、すなわち、患者さんの望むように手術が上手
まったのでお墓を作って土に埋める。しばらく月
くいかなかった時」に大きなストレスを抱えてい
日がたってそこをそうっと掘り返してみると何も
た。黒岩(1991)は、患者と医師を信頼で結びつ
無い。死んだら土に還るんだ、と理解しました。
けるものは医師の技能と治療方針と人格の三つで
人間だって特別ではない。お墓の土の中で土に
あると述べている。しかもこの関係は、病状の評
なっていくんだろうと」(C,外内科,21)。この
価と治療方針が変われば、当然そこで改めてお互
C 医師の発言からもわかるように、
“死は無に帰
いの納得が必要になり、黒岩は、ターミナルケア
す”という一言の裏には、それを支える本人の歩
の困難さが、この“変更”のところにあるとい
んできた色濃い歴史の中で形成された独自の死生
う。つまり「一般的には治る、よくなるという
観を見出すことが出来る。C 医師は「死は生物学
『傾斜』の中で、医師と患者の関係が結ばれてい
的に無に帰す」という死生観を自分なりに納得で
る。ところがこの治る見込みのなくなった時点、
きる形で受け入れており、それ故に自分とは異な
即ち『逆傾斜』となったときに、それまでと同質
る人間の考え方にも共感できると言えたと思われ
の信頼関係を持続できるかということである」
―1
7
4―
社 会 学 部 紀 要 第9
7号
(p.167)。G 医師も述べていたが、ホスピスでは
く医師たちの考え方の根底にある。それぞれの現
そうした状況になっても、信頼関係に基づいて患
場で求められている役割を果たそうとする認識
者・家族と共に目標を再設定しやすい環境がある
が、それぞれの医師の信念にも影響しているので
といえる。D 医師なども指摘していたが患者・家
はないだろうか。そういう意味では「医療者の死
族側の受容の問題もここでは大きく影響してく
に対する態度がケアの実施に影響しているのか、
る。ターミナルケアのストレス問題は医療者側だ
ケアを積極的に実施している状況が医療者の死に
けではなく患者家族側にも大きな要因があるのは
対する態度を形成しているのか」
(内布,2
003,
否めないが、医師というプロとして、これらのス
p.161)という問いかけに対して、キュアを積極
トレスにどのように対処していくか、どのような
的に実施している一般病棟の状況が、医療者の死
方向性を見出し両者の関係を再構築していくか
に対する態度の形成に及ぼす影響は否定できな
は、自身の人間性が問われてくるところといえる
い。
のではないだろうか。
河野(1999)が指摘していたように、最後まで
また、ターミナルケアは同じ医療の世界の中で
キュアの流れが強い病院においては、ホスピス的
も、充分に理解されているとはいえない。一般病
なターミナルケアに真剣に取り組もうとする医療
棟に勤務する医師の殆どがその実態については
者ほど、理想と現実の狭間で葛藤し悩むことにな
「知らない」と述べていたことから、終末期医療
るだろう。患者の死に対して自分の無力感や挫折
の在り方に関する概念が社会的に根付いてきたと
感をおぼえてしまう可能性もある。今の医療の現
はいえ、現代医療の中において、まだまだホスピ
状に疑問を感じ、より人間的な医療のあり方を模
ス・緩和ケア病棟やターミナルケアといったもの
索しながら努力している医療者が増えてきている
は圧倒的にマイノリティである。通常の医療の現
ものの、この医療の流れを変えていくには、もっ
場は、復帰を目標に掲げて患者を治療するという
とマンパワーと時間が必要である。
考え方が根本にあり、患者側も治療されることを
繰り返しみてきたように、全人的医療を支える
望 ん で い る。そ う い う 現 場 で 医 師 が、“Never
視点は、生の臨床においても死の臨床においても
give up”の信念(D,脳外,22)に基づき、治す
共通の根源的なものである。緩和ケアという特別
ことにやりがいを持って従事するのも当然であ
なケアがあるわけではなく、緩和ケアに必要なも
る。「(ホスピスで)働いている人たちがどういう
のは一般病棟にも必要であるし、一般病棟に必要
気持ちで働いているのかと疑問に思います。医者
なものは緩和ケアにも必要であり、「病院から緩
というのはそもそも病気を治すためにある。ある
和ケアをなくす」運動こそ必要ではないか、とい
意味わりきらなければだめでしょうね。どちらか
う考え方もできるかもしれない(高宮,2002)。
と言えば(ホスピスは)キュアじゃなくてケアな
つまり、医療全般において求められているの
わけでしょ。そういうストレスに対してどう思っ
は、もっと柔軟性のある対応である。柔軟性に欠
ているのかなと思います」(F,整外,1
2)。この
けているが故に出来た両者のこの“溝”こそ、問
発言からもわかるように、死にゆくものを care
題の本質ではないだろうか。ホスピスの医師は以
するという考え方は、cure の業務におわれる医
下のように述べていた。
「医者になったらホスピ
療の現場においてそう簡単に根付くものではな
スで働きたいと思っている医師は大勢いると思っ
い。
ていましたが、実際そうではなかった。自分も内
一般病棟において看取りの医学への理解が根付
科で働いていた時は、疑問や違和感を覚えながら
かない実態の背景には、医師個人のネガティブな
も、その中で流されてしまっていました。一般病
死生観の影響というよりも、キュアを第一の目的
棟におけるターミナルケアの教育が足りていない
とする、一般病棟の環境そのものに影響されると
のは明らかですが、実際に教育が行き届いてもな
ころが大きいと思われる。そもそも一般病棟と、
かなか根付くのは難しいような気がします。僕も
ホスピスとでは目標設定が違う、すなわち求めら
この領域に散々興味もって学生時代から学んでき
れている医療の機能が違うということが現場で働
たつもりでしたが、ここに来てからわかったこと
October 2
0
0
4
―1
7
5―
が本当に一杯あります。ホスピスでの研修が医学
いうのは、河(1994)も指摘していたように、皆
教育のシステムに組み込まれれば変わるかもしれ
が同じ目的をもっているという力強さ、やりやす
ませんが、それに対応できるだけのホスピスの数
さといったものが一般病棟に比べれば恵まれてい
がありません。」
るといえるかもしれない。ターミナルケアにおけ
またホスピスの医師は“溝”の一つを埋めるた
るチームアプローチに限らず、一人ではどうしよ
めに、一般病棟に対して以下のことを求めてい
うもできないことにチームでアプローチするパ
た。「大きな病院の中で、積極的治療をやってい
ワーの大きさは一般病棟でも実感している医師が
る段階から、少しずつ緩和ケアが入ってきて、少
いた。しかし環境的な要因の一つとして、ホスピ
しずつ転換できる、そしてそろそろ緩和ケア病棟
スの医師が一般病棟で回診を軸とする「緩和ケア
に治療の場を移しましょうかというように、いき
チーム」に対しては不安を覚えていたことから、
なりギヤチェンジするのではなく少しずつしてい
ターミナルケアにおけるよりよいチーム医療を実
ける環境が、ホスピスではない一般病棟の中でで
現するためには、根をおろせるしっかりとした土
きてくれればいいなと思います。実際紹介されて
壌が必要であることも示唆された。
くる患者さんの中にはここまで痛みを我慢してい
全人的医療を支える要素として、次に個人に内
たのかと驚いてしまうケースもあります。患者さ
在する要因すなわち人間性に焦点をあててみた
んもここに来てとても楽になるので驚かれる。一
い。ターミナルケアに従事するというマイノリ
般病棟でも痛みのコントロールに関する教育は
ティの領域をあえて選択するモチベーションは何
もっとなされてほしいですね。」
によって支えられているのだろうか。ホスピスの
医師が今現在そこで働くに至るまでの思いという
考察6.ターミナルケア・全人的医療を支えるもの
それでは今後、このターミナルケア、全人的医
のは、個人の身内との死別体験によって死を身近
に感じてきたことや、学生時代に出会った“人”
療を支えてくれるものとは一体何だろうか。まず
から受けた影響に基づくものであり、またそれを
患者の全人的なニーズを把握しそれに応えていく
自分なりに人生に価値づけてきた医師個人の豊か
全人的医療を実現させるためには、医療の現場に
な人間性によるものであった。
「事実を冷静に見
おけるチームワークが必要不可欠であること示唆
つめ、そこに意味を見出し価値づけする姿勢は、
された。医師に必要な人間性として「協調性」を
厳しい現状に置かれている患者から逃げ出すこと
挙げた医師もみられたが、非常に大切なことであ
なく、苦悩の中の患者とともにいることができる
る。「チームの力ってすごく大きいんですよ。だ
存在になり得ると思われる」
(新見,2002,p.29)
から僕がいくら情熱と信念をもってやったとして
という指摘は、ターミナルケアに携わる専門職者
も、もし一人でどこか別の病院に放り出された
にとって、必要な人間性そのものといえるかもし
ら、自分の引き出せる力は何分の一になってしま
れない。ホスピスの医師が「患者さんの目線に
うか・・・ここだから出来る治療というのは一杯あ
なって、その人の目線で物事を考える能力、相手
ります。それは、やっぱりトータルペインを色ん
の問題をピックアップできる能力」の必要性を述
なスタッフが色んな形で引き出してくれて、それ
べていたが、これも“苦しみの中に留まれる力”
をスタッフの中で情報共有して、またフィード
があってこそ発揮できるものである。
バックして、という流れの中で始めて引き出せる
世の中には、キュアこそが医療に求められてい
力です」(G,ホスピス,1
1)。志を同じくし互い
るものであると考え、ケアにやりがいを見出すこ
に尊敬しあうメンバーで構成されたチームによっ
とができない医師が多くいる。特にターミナルケ
て、患者・家族へのよりよいアプローチが可能に
アはパーソナルケアの代表と言われているよう
なると同時に、メンバー同士が支えあい助け合い
に、死の臨床の現場では患者をマニュアルに沿っ
互いの力を引き出しあうという医師自身への癒し
て一様には扱えない。そこが死の臨床の難しくも
の効果も見受けられた。ターミナルケアへの志を
あり、やり が い の あ る と こ ろ で も あ る と 河 野
同じくするという点でホスピス・緩和ケア病棟と
(1999)は主張する。“自分の力が最大限発揮で
―1
7
6―
社 会 学 部 紀 要 第9
7号
き、自分の有用性を見出せる場所”というものを
接点の中で一番難しかったがん告知の問題も、最
医師自身がどう認識しているかによってターミナ
近では告知するケースが多くなりましたが、
“が
ルケアのやりがいに対する見方も様々だろう。今
んの末期です。あと一年の命でしょう”とパソコ
回の調査で尋ねた医師のやりがいには、医師とし
ンのデータをみながら無表情に話す医者もあると
ての技量など自分自身の中に満足感を求める内的
ききます。患者さんの深い心情を理解できない、
側面と、患者との関わりの中で得られたものに満
あるいは理解しようとしない、このような医者は
足感を求める外的側面の二側面があった。どちら
困ったものです。」
に重きをおくかは、医師個人のモチベーションや
人の痛みや苦しみがわかる人間性があってはじ
パーソナリティに拠ると思われるが、後者に重き
めて、死にゆくものを思いやることも出来る。ホ
をおくものは患者との対人関係の中にやりがいを
スピスケアでの問題は、本人が意識する、しない
見出そうとする点で、医師としての人間性の豊か
に関わらず自らの QOL や個人の生き方、それ自
さが伺える。医師もまた患者に救われ支えられて
体が問われるということである(安部,1986)。
いることを決して忘れてはならない。
厳しい現場の様々な苦難から目を背けて、医療従
「いくらホスピスケアを論じても、自らの人生
事者として楽な人生を歩むことも出来るだろう。
のケアができない者は多くの患者から拒否され
しかし人間的な医療を支える真の医療者は、苦難
る。医師、看護婦、ケースワーカーという肩書き
の中に患者家族と共に留まり共に生きるという豊
ではなく、“私”という個人のあり方が問題とな
かな人生を歩むことが出来るものでなければなら
るからである。ゆえにホスピスケアは、成熟した
ないのではないだろうか。
人格にむかい成長している人でなければならない
のである。患者、家族に対するケアだけではなく
!.調査の限界
スタッフのケア、また自分自身のケアといった
インタビュアーの私自身が未熟で何のインタ
ト ー タ ル な ケ ア が 必 要 と な る の で あ る」(阿
ビュー技術も持ち合わせていない上に、非常にプ
部,1986,p.23)。ターミナルケアにおいては、
ライベートな領域の質問であったため、失礼な行
いかに治療するかではなく、いかに最後までよく
動言動が多々あったことを反省している。また、
生きよく死ぬことを支えることが出来るかが目標
一般病棟で内科を専門にしている医師がいなかっ
となり、よりよい看取りが成功となる。
「人は生
たことなど今回協力を得ることが出来た医師の専
きてきたように死ぬ」とよくいうが、そういう意
門に偏りがあり、結果的に科や病院の機能による
味では、一般病棟も緩和ケア病棟も関係なく、看
違いを明確にできなかったのは残念であった。
取りの場こそ、濃縮した生を支える医療のケアと
しかし、今回の依頼に対して、2名の医師が、
キュアのあり方が問われる場であり、その成果が
自分の死生観を見つめなおす機会を与えてもらっ
現れる場といえるのかもしれない。死を前にして
て“喜んでいる”
、インタビューを受けて“楽し
全ての生き物は平等である。看取るものも看取ら
かった”という、非常に有り難い感想を述べてく
れるものも、共に死にゆく存在であることを自覚
れた。医療という職業が医師の死生観にどう影響
していなければ、真のターミナルケアは実現しな
しているか、その死生観が医療にどう影響してい
いのではないだろうか。
るかを中心に調査を進めたかったため、家族構成
A 医師が、今の医学教育の中で一番欠けている
のことや、個人がこれまで経験してきたライフイ
のは人間性のある医者をつくるという視点だと述
ベント(死別体験など)などに関しては、あえて
べていた。「最近は若いお医者さんと付き合うこ
インタビュー項目にはいれず、踏み込んできくこ
とはあまりないんですが、すぐ患者さんをデータ
とはしなかった。しかし、個人個人が質問項目を
だとか画像だとかに置き換えて、そちらの方ばか
真剣に考えて、インタビューに沿って答える中
りに注意がいってしまい、患者さんがいろんな心
で、自然と医師という職業にとらわれない、一人
を持った人間であることを忘れているんじゃない
の人間として歩んできた姿をみることが出来た。
かなと感じることがあります。・・・患者さんとの
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0
0
4
―1
7
7―
".医療従事者の福祉
第四章
福祉の視点から
死の臨床で何よりも大切なのは看取る者も看取
られる者も、ともに死にゆく存在であることを見
!.医療における福祉の視点
つめて、それを受け入れようとする姿勢、その自
今日、医療と福祉の連携といったものが社会的
覚ではないかと述べてきた。しかし、ホスピスケ
にも求められているように、よりよい医療のため
アでの問題は、本人が意識する、しないに関わら
にはよりよい福祉が必要であり、その逆も言え
ず自らの QOL や個人の生き方、それ自体が問わ
る。そもそも人の命を支える医療というものは人
れるということである(安部,1
986)。人の生と
の生活を支える福祉と相いれないものではない。
死を目の当たりにする機会は、自分の生や生き方
「この世で最後の成長を遂げる機会を与え精一杯
を問われることにつながり、真はだかの自分をつ
過ごすことができるよう、死にゆく人が生活主体
きつけられる厳しい体験となることもある。小松
として望む役割を可能な限り援助していくのが福
(1999)は、このような機会は、その人の大きな
祉のアプローチである」
(藤井,1993,p.129)と
成長にもなるが、自我の同一性を揺さぶるよう
いわれているように、そもそも、全人的医療、
な、その人自身の内的な問題や家族との問題を浮
ターミナルケアを支えるマインドというのは、福
き彫りにすることもあると危惧している。実際今
祉のマインドに他ならない。
回の調査に協力してくれた医師の中にも自分を現
この福祉マインドの本質をなすのは、ソーシャ
実的に苦しめるような死観を有しているものがい
ルワークの価値といわれるものである。ソーシャ
た。ホスピスに勤務する医師も「やっぱりこの仕
ルワークの価値とは、社会的存在としての責任と
事はしんどい」と話していた。また、定年を迎え
尊重(社会的尊厳)を含め、全人的人間の無条件
て現在は非常勤医として勤務している A 医師は
の価値に基づき、各個人の成長する潜在的可能性
インタビューの最後にこのように話してくれた。
の実現をめざすものである(藤井,1993)。そし
「自分では7
0歳定年のつもり。やっぱりもう、病
て「ソーシャルワークの価値が人間の尊厳、人間
気の人とか死んでいく人とかにこちらが耐えられ
の社会性(社会的尊厳)
、人間の変化する可能性
ないというんでしょうか、力を尽くせない、精神
にあり、ソーシャルワーク実践がそれぞれの人の
的にも肉体的にも尽くせなくなってくるんですよ
自己実現を達成する目的を持つのであれば、『死』
ね。今までもずっとずっと自分が磨り減るような
はまさにその価値が凝集される究極の状態なので
感覚。疲れ果てたという感じですね。
」人の命の
あ る」(藤 井,1993,p.128)。そ の よ う な「死」
責任を担うという重圧は、時としてそのやりがい
の臨床でケアに携わるものは、人が死の瞬間まで
以上に医療者を苦しめているものなのかもしれな
成長する可能性があるものであり、人それぞれが
い。
自己実現に向けての成長欲求を有する存在である
高宮(2002)は、緩和ケア医師、そしてこれか
ことを知ってケアに臨まなければならない(藤
ら緩和ケアを目指す医師が、何よりも、
「緩和ケ
腹,1991)。否、「死の臨床にさしかかって、にわ
ア」という仕事に誇りと充実感を感じること、感
かに強調される泥縄式のヒューマニズムや生命倫
じられる仕事にすること、患者のスピリチュアル
理では、真のターミナル・ケアの実践さえ心もと
ペインだけでなく、緩和ケア医師自身のスピリ
ない」(池見,1985,p.517)という指摘の通り、
チュアルケア(人生の役割・意味)となる仕事で
「確実 に『死』が 訪 れ る 人 へ、ど ん な レ パ ー ト
あることが肝心だと主張する。この主張は緩和ケ
リーでもって援助したとしても、その方法がソー
アに従事するものに限らず全ての医療従事者にい
シャルワークの価値から導かれたものでなけれ
えることである。人間の体と心を支えることが求
ば、また、実践者の死生観、死にゆく人への価値
められている医療者自身のメンタルな部分、スピ
観がソーシャルワークの価値観と一致していない
リチュアリティを支えるためにも、真の福祉援助
のなら、それは、何の意味も持たないのである」
においては、ケアするものをケアする存在も欠か
(藤井,1993,p.127)。
せないのである。
―1
7
8―
社 会 学 部 紀 要 第9
7号
参考文献
おわりに
私自身は「死」について考えることを極端に恐
れてきた人間である。幼い頃、私にとって「死」
というものは、不安と恐怖の塊だった。幼すぎて
その不安と恐怖を言葉にすることが出来ないま
ま、膨らんだ塊が心に重たくのしかかり、私はと
にかく孤独を感じていた。誰といても何をしてい
てもどこにいても、その言い様のない不安の塊は
突然襲い掛かってきて、私の情緒を乱した。私は
極力「死」というものから目を背けることで自分
自 身 を 救 お う と し て き た。今、再 び こ う し て
「死」というものに興味が引き寄せられてしまっ
たのは、大学一年生の時に勇気を出して受講した
「死生学」という講義がきっかけである。それま
で「死」に対して目を背けてきたことに対する反
動のせいか、私は自分でも不思議なほどに「死」
と「生」を考えたいと思った。
「死」を真剣に見
つめ直し、自分なりの死生観を確立することで私
自身救われたかったのかもしれない。少しでも
「死」というものに肯定的な意味を見出したかっ
た。死に対する恐怖や不安は決してなくなりはし
ない、それ故に死に積極的な意味を見出そうとす
る価値の転換を図ろうとしたのである。
医 療 の 現 場 は 勿 論 の こ と、社 会 的 に も っ と
「死」を語る場が広がっていけばと思う。私自身、
身をもって体験したことだが、私たちがくつろい
だ気持ちで死について考えることができるように
なれば、生きることもずっと心地よいものになる
(ハート,1992)のである。死にゆく人に対して
特別な見方をすることもなくなるのかもしれな
い。全ての生き物は、今この時も“死にゆく存
在”として生きているからである。
謝辞
稿を終えるにあたり、お忙しい中調査にご協力
いただきました医師の皆様に感謝いたします。同
時に、調査手続きのご配慮と貴重なご助言を賜り
ました、関西学院大学藤井美和先生と両親に心よ
り感謝申し上げます。
安部一男(1
9
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6)
.「ホスピスケアにおける心理学的問
題」『社会心理学研究』1,2,1
9−2
6.
アルフォンス・デーケン(1
9
8
6)
.「第一章:死への準
備教育の意義−生涯教育として捉える」
,アルフォ
ンス・デーケン編『死への準備教育:第一巻死を
教える』メヂカルフレンド社.
池見酉次郎(1
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5)
.「ターミナル・ケアの概念」『公衆
衛生』4
9,8,5
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3−5
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7.
植村美代子(1
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8
5)
.「看護とターミナル・ケア」『公衆
衛生』4
9,8,5
3
3−5
3
9.
内布敦子(2
0
0
3)
.「医療施設における end-of-life ケア
の実施状況と医療従事者の死に対する
態度:H 県における医療従事者の意識調査から」『ター
ミナルケア』1
3,2,1
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4−1
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2.
尾崎雄・中原秀臣(2
0
0
0)
.「対談クロスオーバー:生
命と社会福祉」『月刊福祉』1
2,7
4−8
1.
尾崎雄(2
0
0
2)
.「グリーフケアの視点:アメリカのホ
スピスを訪問して」『月刊福祉』7,1
0
6−1
0
9.
小畑万里(2
0
0
2)
.「専門職養成と死の教育」『月刊福
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2−1
0
5.
加藤勇三(1
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金児暁嗣(1
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0)
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文研究 大阪市立大学文学部紀要』4
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2,3
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0.
金児暁嗣(1
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金児暁嗣(1
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金児暁嗣(1
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金児和子(1
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,伊吹山太郎監
修『現代の心理学』有斐閣.2
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河合千恵子・下仲順子・中里克治(1
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河野友信(1
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河正子・近藤まゆみ(1
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病棟におけるターミナルケア」『看護学雑誌』5
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October 2
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0
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河野由美(1
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河野由美(1
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「座談会:ターミナルケアの周辺―緩和ケア・ホス
ピスケアの普及を教育の視点から」『現代のエスプ
リ』3
7
8,5−3
3.
丹下智香子(1
9
9
9)
.「青年期における死に対する態度
尺度の構成および妥当性・信頼性の検討」『心理学
研究』7
0,4,3
2
7−3
3
2.
辻悟(1
9
9
5)
.「死にゆく患者の心理」
,日本死の臨床研
究会編『死の臨床!:全人的がん医療』人間と歴
史社.1
1
4−1
2
7.
―1
7
9―
ディル・V・ハート,井桁碧訳(1
9
9
2)
.『死の学び方』
法蔵館.
新見明子(2
0
0
2)
.「看護学生の死生観:Purpose in Life
Test 分析より」
『川崎医療短期大学紀要』2
2,2
5−
3
0.
梁勝則・他(1
9
9
5)
.「原著:一般病院におけるホスピ
スケアの試み」
,日本死の臨床研究会編『死の臨床
":死の準備』人間と歴史社.3
2
6−3
3
2.
比嘉肖江(1
9
9
6)
.「看護者の死に対する意識調査」『静
岡県立大学短期大学部研究紀要』1
0,2
1
7−2
2
7.
平山正実(2
0
0
2)
.「よりよく生きるためのケアと死の
視点」『月刊福祉』5,9
6−9
9.
広井良典(2
0
0
0)
.『ケア学−越境するケアへ』医学書
院.
深浦麻人・他(1
9
9
4)
.「我が国の肺がん末期医療にお
ける D.N.R.order(蘇生処置禁止の指示)の実際と
医 師 の 意 識 調 査」『日 本 癌 治 療 学 会 誌』2
9,9,
1
6
9
6−1
7
0
8.
藤井美和(1
9
9
3)
.「ターミナルケアにおける福祉の視
点:福祉は人の「死」をどう捉えるか」『ソーシャ
ルワーカー』3,1
2
5−1
3
1.
藤井美和(1
9
9
7)
.「死にゆく人のクオリティーオブラ
イフ:その構成概念の妥当性」『医療社会福祉研
究』6,1,6
4−7
3.
藤井美和(1
9
9
8)
.「ホスピスケア:その理論的枠組み」
『関西学院大学社会学部紀要』7
9,1
2
1−1
3
1.
藤井美和(2
0
0
0)
.「病む人のクオリティーオブライフ
とスピリチュアリティー」『関西学院大学社会学部
紀要』8
5,3
3−4
2.
藤腹明子(1
9
9
1)
.「現代日本ホスピス考」
,黒岩卓夫編
『宗教学と医療』弘文堂.1
2
0−1
4
5.
前田信雄(1
9
8
2)
.「ホスピスケアの現状と将来」『公衆
衛生』4
6,9,6
0
3−6
0
8.
真壁伍郎(1
9
9
1)
.「忘れられた女神、ヒュギエイア―
医療は何をめざすのか」
,黒岩卓夫編『宗教学と医
療』弘文堂.2
0
9−2
3
7.
円山誓信(1
9
9
1)
.「ホスピスの歴史」
,黒岩卓夫編『宗
教学と医療』弘文堂.9
3−1
1
7.
村田久行(2
0
0
2)
.「福祉臨床でのスピリチュアルケア」
『月刊福祉』1
0,9
2−9
5.
山本俊一(1
9
8
5)
.「死と医学」『公衆衛生』4
9,8,5
0
0
−5
0
4.
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