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定禅寺通市民フォーラム 進行次第

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定禅寺通市民フォーラム 進行次第
定禅寺通市民フォーラム
進行次第
○司会
PM:1:10∼千葉大学工学部都市環境システム学科教授
北原
理雄
公共空間の利活用、「街の魅力と元気を育てる公共空間の賑わい利用」
。
PM:1:50∼市民フォーラム「けやき並木の新呼吸∼定禅寺通はみんなのステージです∼」を開催。
今年 4 月定禅寺通に対する利活用の市民マネージメント組織ハロー定禅寺村が発足。定禅寺通の
中央緑地で 4 月 29 日∼6 月 29 日までの毎週土・日曜日ハロー定禅寺村発足記念イベントとしてオー
プンコンサート、オープンギャラリー、オープンカフェの実施、8 月には夕涼みライブ当月 21 日に
は定禅寺ストリートセレブウェディングと称しまして、タウンウェディングが開催されました。本
日もオープンコンサートや絵画展、オープンカフェが行われています。本日のフォーラムにもハ
ロー定禅寺村村長の米竹隆様にもパネリストとして出席して頂いています。
(略:アンケートの説明・回収方法・募金箱の設置について)
○司会
定禅寺通市民フォーラム「街の魅力と元気を育てる公共空間の賑わい利用」 の講演会の開催
します。定禅寺通は七夕祭り、青葉祭り、定禅寺ストリートジャズフェスティバル、光のページェ
ントなど杜の都仙台を彩るイベントステージとして市民の皆様を初め、観光客の皆様にも親しまれ
ております。杜の都のシンボルであるけやき並木を生かし市民生活における憩いと潤いの創出や、
中心市街地の活力と賑わいを育んでいくために市民の皆様が主人公になって様々な取り組みが動
きはじめています。本日のフォーラムは定禅寺通などの公共空間を今後、どのように活用すべきか、
また活用することによってどのような可能性があるのかなどについて、専門家の先生や、仙台市、
広島市の市民組織の代表の皆様がたに討論して頂きたいと思っております。千葉大学工学部教授
北原
理雄様に
わい利用
公共空間の利活用についてのご講演、 町の魅力と元気を育てる公共空間のにぎ
と題しまして、お話し頂きます。
1947 年神奈川県出身、東京大学工学部都市工学科を卒業、現在は千葉大学工学部の教授として教
鞭をとっております。1995 年から各地で講演活動のほか、千葉県建築文化賞専攻委員会委員長、屋
外広告物審議会会長など幅広く活躍されています。本も出版されていますので、詳しくは、リーフ
レットをご覧下さい。
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講演:「街の魅力と元気を育てる公共空間の賑わい利用」
○北原
理雄
「公共空間の賑わい利用」というサブタイトルになっておりますが、町の通りや広場や公園と
いった公共空間でなんで賑わいなんだろう、なぜ賑わいが必要なんだろうということ、賑わいを考
えるときにパリやヨーロッパのいくつかの都市が浮かんできますが、海外の都市では公共空間の通
りや、広場の利用をする時にどういう風に利用しているのだろうということをご紹介して、最後に
私達が取り組んでいる千葉市の実験を簡単にご紹介したいと思っております。
昭和 35 年千葉の駅前通りの様子です。当時の千葉の人口は 25 万ほどの小さな町でした。
しかし、
駅前通りはとても賑やかで、人口 25 万の 1 割以上、3 万強の人達が毎日この通りを歩いていました。
駅前通りは、さかえ町という町で、戦後のバラック建築でしたが、とても元気な町でした。
その同じ町の現在の姿です。千葉市は政令指定都市になりまして、人口 90 万ですが、さかえ町
の人の通りは 3000 人を割っています。戦後の街づくりは、物としての街づくりをしてきました。
物としての街を立派にすれば、街が活性化していくに違いないと思っていたのですが、必ずしもそ
うではないようだということをこのような事例を見て考えさせられることが多く、ここ 10 年はこ
ういったことを考えながら、賑わいというキーワードにたどりついたわけです。
最初に賑わいづくりに取り組んだのは名古屋でした。なぜ名古屋ではじめたのかというとを最初
に紹介させて頂きます。名古屋の中心部に「広小路通り」という通りがあります。幅 30m ほどの通
りですが、もともとは 16 世紀の後半に町人地と武家地の間に防火帯として造られた、当時から 30m
ほどの幅があった「広小路」というのが起源で江戸時代から(どの町でもそうですが)広小路とい
うのは盛り場として賑わっていました。
明治になって鉄道の駅が名古屋の西側にできまして、都心部と鉄道駅を結ぶメインストリートと
して栄えました。名古屋で最初の、全国でも 2 番目か 3 番目に市電が走ったのもこの通りです。し
かし、昭和 40 年代の半ばに、市電が廃止されて、時を同じくして車が増えてきたということで、
車道を広げて、歩道を狭くしました。それまでは歩道に屋台が並んでいて東京の「銀ブラ」に対し
て、名古屋の人は「広ブラ」という言葉を使っていました。夜になるとたくさんの人達が(大人だ
けでなく)家族づれが集まって賑わいを楽しんだという風に昔を懐かしんで、皆語っております。
しかし、歩道が狭くなってからは専ら通り過ぎる場所、人がある場所からある場所へ行くために
通る場所になってしまいました。沿道の商店街が昭和 56 年に近代化計画を立てました。そのお手
伝いをしたときに、当時の商店街の近代化計画というのはカラー舗装をすることだったのですが、
それではあまり能が無いので、「歩道を広げたらどうだろう」という提案を致しました。これが歩
道を広げる提案の絵ですが、歩道を広げてそこでゆったりしたり、交流をひろげたり、そういう場
所にしたらどうでしょうという提案をしたのですが、当時はまだそういう時代ではなかったので、
「交通を阻害するような計画、提案は・・・」ということで一蹴されてしまいました。
名古屋市では昭和 62 年に都市景観基本計画という計画づくりをしました。その計画をお手伝い
するなかで広小路は都心の賑わい軸だという位置付けをなんとかすることができました。その計画
を受けるような形で平成になってから、この広小路通りの歩道整備計画が実施されました。車道を
半車線分削って歩道を広くして、ストリートファニチャ類も一新して計画が実現しました。これは
朝日新聞名古屋本社前の昭和 56 年の様子ですが、私たちが歩道を広げる提案をした頃の様子です。
街づくりは一朝一夕でできるものではありません。歩道が拡幅されて公共空間が整備されて、めで
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たしではなく、「出来上がったら妙にさびしい」、「こんなはずではなかった」、「私たちが歩道を提
案した時にはそこが賑わいのステージになるということを考えていたはずだった」、これではいけ
ないということで、ものを造るだけではなくそれを使いこなしていく知恵、デザインも必要だとい
うことになりました。この辺から賑わいづくり、賑わいのデザインということがテーマになってき
ました。
名古屋では、平成 9 年に都市景観基本計画を制定して 10 周年ということで、名古屋世界都市景
観会議という国際会議を開きました。その中で、賑わいの景観デザインという文化会の企画を担当
することになりまして、賑わいをやるのなら会場の会議室だけではなく、町で市民と一緒に賑わい
を考えるようなイベントをやりたいということで、企画を出したところ、市が予算をつけてくれま
した。
久屋大通りという 100m 道路が都心部にあるのですが、現在は公園用地になっておりますが、当
時は劇団四季の劇場が仮設の施設として建っていて、そこと歩道との間の細長いスペースで「賑わ
い景観のデザイン」の実験をする、デモンストレーションをすることになりました。細長い空間を
使って真ん中にカフェ、両側に縁日という賑わいの舞台づくりをミニチュアですが、やることにな
りました。カフェは国際会議にお招きしていたコペンハーゲンのデンマーク法律芸術大学のヤン
ゲール教授にお願いして教授と学生さんに来てもらって、カフェのセッティングをする、カフェの
縁日の方は千葉大学と名古屋市立大学でセッティングをするという形で実現しました。これが「コ
ペンハーゲンプラザ」という名前をつけられたカフェです。歩道に面したところに高さ 40cm ぐら
いの木のプラットホームを造って、その上に椅子を 32 脚並べて大きなパラソルを置いて、パラソ
ルも当時は(特にリースでは)、あまり良いパラソルがなく、カールスバーグというデンマークの
会社がイベント用に持っているパラソルを空輸してもらって使いました。予算はそれが一番かかり
ましたがともかく舞台を造るときには小道具が舞台の雰囲気、クオリティーを高めるということで
カフェが実現しました。
8 月の末の名古屋の残暑の厳しい時にやりました。名古屋の 8 月の末は東京より 3∼4 度高く、大
抵の人は地下街に入ってしまうので、こんなことをしても人は入ってこないという意見もあったの
ですが、なかなか盛況でした。その後(毎年名古屋では時期は夏だったり秋だったりするのですが)、
イベントとして定着しています。これはその隣でやった「風の縁日」ということで、夏なので少し
でも涼しさを五感で感じられるようにしようということで、風を目でみたり、耳で聞いたりできる
ようにするということで、風鈴を 250 ほど並べて都心の騒音の中でも風が聞こえるようにしました。
風車を 450 ほど並べで風がみえるようになど仕掛けをしました。
名古屋の周辺は焼き物の産地で瀬戸、美濃、多治見、常滑とかあるので、若手の人たちに作品展
示のブースを屋台風に出してもらいました。美濃器村というブースなのですが、4 日間で 170 点ほ
ど作品が売れました。仕掛けをうまくすると気候条件が必ずしも良くないときでも、人々をひきつ
け、賑わいが生まれてくるということが確認できた良い機会になりました。
この時、デンマークの法律芸術大学のチームを呼んでカフェをやってもらいました。たくさんの
人から「なぜデンマークなのか?」と聞かれましたが、(特にコペンハーゲンですが)今から 40 年
ほど前には街には一つもオープンカフェがありませんでした。現在はだいたい 5,000 席のオープン
カフェが中心市街地にあります。
デンマークから呼んできて、やってもらったのは 40 年という時間があれば、新しいライフスタ
イルを作り上げて、それが都市の魅力と元気、力になるのだと、身に持って分かってもらっている
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人たちにやってもらえば説得力があるだろうということで呼んできました。
これはコペンハーゲンの歩行者空間の図ですが、1962 年の状態です。1962 年にコペンハーゲン
の中心部は 1km 四方ぐらいの広さがあります。その真中をストロイエという中心商店街がはしって
います。中世以来の狭い通りで、幅 10∼15m くらいしかありません。長さ 1km ほどの通りですが、
ここを 1962 年に歩行者専用街路にしました。
歩行者街路にする前のストロイエの状態です。狭い歩道、車で一杯の車道、狭い歩道にひしめく
人の流れ、歩行者街路にすることで、コペンハーゲンの町が大きく変わりました。コペンハーゲン
は北欧の国ですから、冬が長く 9 月の後半になると暖房が必要なところです。そこで歩行者街路を
造っても夏は短いし、有効に使われないということでしたが、実現してみると、たくさんの人達が
集まり、町が賑やかになったということで、その後どんどん歩行者空間のネットワークが広がって
行きます。
この時が全部で 1.5ha ほどの面積なのですが、この段階では 10ha、10 倍くらいに広がっていま
す。
2000 年の様子です。ゆったりとした歩行者のスペースとして、道端に展開するオープンカフェが
実現しました。誰でもお店を出せるのではなく、オープンカフェを出すにはルールがあって、市の
都市計画部門が全体のデザインのコントロールをしておりまして、そこに届け出をし、許可を得な
ければならない。届け出をする時の条件は、まず建物の所有者と上の階に住んでいる人達の同意書
を持ってくること。音が出たりするので、周りの人が同意しているということが必要です。オープ
ンカフェを出せる人は、1 階で飲食店を営業している人で、お店の前だけに出せます。ストロイエ
通りの場合は、昔の歩道と車道の境界線が浅い U 字溝になっており(今でも残っていますが)、こ
のラインまで出せますということになっています。
ストロイエ通りの周りにたくさん広場があるのですが、広場の場合は自分の店の前で 40 ㎡まで
という決まりがあります。パラソルは全部「生成りの白」、ビニールなどではなく布のキャンバス
地の「生成りの白」と決まってます。カフェ以外に露店も出店できますが、露店もパラソルは白、
露店は白のテント、テントに関しては市が持っています。借りて営業しますが、全部白で統一して
います。
大道芸に関しては 3 人までは許可を得ないでやっていい、4 人以上は許可がいる。音楽学校の生
徒さん達は発表会の練習を兼ねてということですが、この場合は許可を得ないで出来ます。時間は
制限があって、仕事をしている時間と眠る時間は避けて 4 時∼10 時まで、カフェに関しては朝の 8
時∼夜の 12 時までです。季節は 4 月∼9 月まで、9 月の末になると東京周辺の師走くらいの寒さに
なりますが、カフェには毛布が置いてあり、毛布を掛けてコーヒーを飲むと言う、そのぐらいコペ
ンハーゲンの人達の暮らしに定着しているということです。
「ルールを作って町を活用しよう」というのがコペンハーゲンのやり方です。これはカフェの本
場のパリも同じです。パリでも市がルールを作って市が運用しています。シャンゼリゼ通りは 1 階
で飲食店を経営しているお店が前に出せる、シャンゼリゼ通りは歩道の幅が 20m くらいあるので、
カフェは自分のお店の 5m の所まで出せます。5m 出せるものに関してはガラスで囲った構造も可能
です。この場合は基本的に透明な壁で 8 時間以内に撤去できる構造となっております。オプション
でこの前に 2.5m お店を出せることが出来ます。
オプションはもう 1 種類あって、壁から 10m 離れたところに 5m のしま状のカフェをおくことも
出来ます。コペンハーゲンではパラソルやテントの色は白だけでしたが、シャンゼリゼでは 3 色、
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白、赤、青です。これはマクドナルドですが色を規制しています。赤と黄色だけ認めていますが、
日本の場合は赤、黄、白で黄色がきつくでますが、色を抑えています。
パリのカフェの 1 年間の使用料 30 億円が市に入ります。カフェを出している所の管理はお店が
責任を持ってやりますが、それ以外の所を清掃する、緑色の清掃車などの、ほとんどが管理分から
出ていることになります。このようなルールを作ってやっているのだということで、日本でも活用
を考えると同時に、ルールのあり方を考えて行きたいと思っています。
今はルールの前にハードルが多すぎて前に進めないというのが現状です。千葉市の例を簡単に説
明します。千葉市の人口は現在 90 万ですが、高度成長期には年々1 割くらいずつ増えた時期があっ
て、中心市街地の整備が進まないまま都市が大きくなってしまったという側面があります。
やっと 10 年ほど前から中心市街地の整備、「もの」の側の整備が出来始めました。これは中央公
園という 60m 四方の広場が 13 年ほど前に出来ました。駅と中央公園を結ぶ幅 50m の通りの歩道 15m
の整備が 5 年ほど前に出来ました。こういった空間、ステージが出来たので、これを使いこなそう
ということで平成 12 年から都市景観市民フェスタ、最初は市民フォーラムといっていたのですが、
去年からフェスタに名前を切り替えました。ここでは中央公園でカフェをやって、プロムナードの
歩道の方でパラソルギャラリーをやろうということで、これで市民の街のステージを使いこなそう
という意識を高めてもらおうということで、実施主体は実行委員・地元の商業者と住民団体・商工
会議所・TMO・大学と市で作った組織で運営しています。
普段の中央公園です。大変のどかな閑静な中央広場なんですがここに 100 席のカフェを作りまし
た。初年度はパラソルもともかく急造なのであまり揃えられませんでしたが、これは花の回廊と
いってハンギングバスケットのコンテストを同時にやりました。3 日間で 900 人ほど集まり、地元
の飲食店さんにお店を出してもらいました。地元でやるという意気込みでやっております。駅前の
15m の歩道です。ここも閑散としています。初年度はここに 25 のパラソルを並べました。パラソル
の下は市民のアートスペースということで色々な展示をしてもらい無料で貸し出し、15 団体ほど出
てもらいました。ここでも 3 日間で、一番お客さんが来たブースで 1,000 人ほどでした。今年 4 年
目でオープンカフェは 2 年目が 16 日間、初年度は 3 日間でしたが、3 年目が 37 日間、今年は 4 月
26 日から今日まで半年やっております。
去年まではキッチンはテントでやっていたのですが、今年は半年間なので、ユニットのキッチン
を作りました。これも専門の業者に頼むと 1,500 万かかるということでしたが、プレハブのメー
カー・ボランティアにお願いして 500 万ほどで作りました。これが今年の状態です。今年のパラソ
ルはグリーンでハイネケンで出してくれたのでグリーンで統一という形でやっています。
手作りで公共空間の使い方を手探りで考えていく、その中で一つずつハードルを乗り越えながら、
最終的には TMO を中心とする地元の団体が運営して、市はルールの運用に当るというような形に
もっていければいいなと思っておりますが、まだまだ発展途上の段階です。
都市整備というのは「もの」づくりとしてずっときましたが、かなりストックが「もの」のレベ
ルでは充実してきました。それを使いこなしていくという時代に入ってきたのかなと思い、21 世紀
は持続可能な時代であり、街の財産を使いこなしながら、より豊かな暮らしを実現していく、そう
いう時代になっていくのだろう、そういう中でこういった賑わいづくり、オープンカフェだけが賑
わいづくりの方法ではないのですがアピールする上では効果的ではないのかなと思っております。
こういったものを使いながら町をもっともっと元気に魅力的にしていくことが出来たらいいな
と思っております。
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市民フォーラム:「けやき並木の新呼吸∼定禅寺通りはみんなのステージです∼」
○司会
定禅寺通市民フォーラム「けやき並木の新呼吸∼定禅寺通はみんなのステージです∼」を開会致
します。
コーディネーター:宮原
博道
パネリスト:浅野ジュン、尾崎行彦、海藤節生、北原理雄、米竹
隆
略
○宮原
博通
平成 14 年度に仙台市民関係団体からなる定禅寺通利用活用方策検討委員会というものを設置致
しました。本日の市民フォーラムの検討委員会の提案を受けまして、市民マネージメント組織が出
来、9 月 14 日には定禅寺通のジャズフェスティバルで道路の片側の通行止めが出来たり、色々な新
しい動きが出てまいりました。そのようなことから、けやき並木が息をし始めた、「けやき並木の
新呼吸」ということで市民フォーラムを開催するに至りました。平成 14 年度の委員会の活動を皆
様にお伝えしたいと思います。
委員会でけやき並木の中央の公園を活用するに当りまして、仙台の将来を考えるきっかけとなり、
「仙台に新しいエネルギーを巻き起こす」というそのようなことを考えていくにも、この利用・活
用の意義というものを市民の方達が共有しなければならないだろう、そして使うに当っての基本方
針というものをはっきりさせていこう、先ほどの海藤さんの歌にありましたようにまさに私たちは
次の世代の子供達のために、地球のために、定禅寺の利用・活用がそういったことのきっかけにな
ればという思いがあります。定禅寺通を会場としたイベントが数多く行われております。杜の都の
アート展、平成 13 年に大きく定禅寺通のシンボルロードが大改造され、オープンガーデンとして
定禅寺通で楽しむ時間が出来てきた。こういった道路の利用につきましては「オープンカフェとい
うようなものが市民の憩いの場、潤いの場になり得るのだろうか」と、そういったことを確認して
いかないと、とかく計画をつくるものというのはひとりよがりになりがちですが、一体、市民の方
達はどれほど「本当に活用することに同意をされるのか?」、「本当にともに喜んで行けるのか?」
というようなことでアンケートをとった結果がこちらです。
オープンカフェというものについて定禅寺通の中央で利用された方がおりますが、ここで実際に
「とってもよかった」、
「よかった」という方が 97%、そのうち 50%が「とてもよい」と答えてく
れました。やはり市民の方に求められている環境なんだないうとことでありまして、道路を活用す
るにあたって、道路を通行止めにすると定禅寺通の利用・活用についてすばらしいものになってい
くことだろうと誰しも思うわけです。
「通行止めにして本当にそれは沿道の方、利用者にとっていいのか」というと、これも「イベン
トを行うに当って賛同を得られるか」というような意味合いのアンケートですが、沿道の住民の方
も「全面通行止めにしてもいいのではないか」という方が 63%おります。実際のオープンカフェの
利用者、歩行者というのが 50%、60%と高い数字が得られました。
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委員会は何を検討してきたかといいますと、第一回の委員会ではまず、定禅寺通はどう使われて
いるのかという現況を確認しようということで、定禅寺通として将来に向けてどのように利用して
いったらよいのかということを検討しました。
第 2 回目では、実際に実験しよう、定禅寺通の中央の公園でお茶を飲むというオープンカフェの
実験をして、アンケートをとって市民、事業者の意向というものを確認しました。交通の激しい中
で快適なのだろうか、交通の現況も確認しました。市民ニーズに対応する沿道の環境にも配慮する
という細かい目線も大切ではないか。
第 3 回では、「継続的な多彩な利用活用方策として実際にどんなことが可能なのか」、「中央の緑
地で具体的な利活用のメニューというものを考えてみよう」、「メニューを考えることで利活用の
仕組み、ルールを検討しよう」、「そして法律的に防災、安全、衛生上様々な視点からどのような管
理が必要なのか探ってみよう」、そして委員会の最終には利活用におけるルール、仕組み、誰が管
理するのか、いつまでも市民が行政の関係セクションにおんぶにだっこでいいのか、楽しんで使う
側が本当にいい使い方を提案できるのではないか、市民によるマネージメントをどのように管理し
運営していくのか、そして市民の人達にどれだけ提供できるか、仙台の町としてそれを後世に引き
継ぐべく利用活用をさらに延ばしていくにはどうしたら良いのか、未来のことも考え、まさに次の
世代を担う子供達に意義を伝えていくためには、民間はどのように動けば良いのか、個人はどう参
画すればよいのか、そういうことをきちんと作っていきませんと、とかく「絵に描いたもち」にな
りがちなわけです。
そのようなことをつめて第 4 回委員会を持ちまして米竹村長さんから色々と運営面とかのお話も
あろうかと思います。
現在、公共空間というものは行政の立場で管理されております。管理というのは、「市民にとっ
て安全であるべき」、「都市の機能をきちんと支えていくためにどうあるべき」、そういう視点から
行政が管理されております。行政は公共空間の利用の手続きを簡単にして、窓口を一本化していこ
うということであるわけですが、だんだん市民の公共空間に関わるウエイトは高くなってきます。
行政の役割はだんだん低くなって、市民の役割が多くなってきます。そうしますとある基本的なメ
ニュー、ルール、仕組み、使うに当っての基本方針がはっきりしてきます。
次に、市民主体の運営組織が出来るだろう。そして繰り返し、試し、試すだけではなく実際にア
ンケートをとったりしながら、求めているものは何かというものをつかんでいかなければならない。
そういうようなことを繰り返し行いまして、市民と行政の協働による持続的な運営を展開していこ
う、この時にはじめて定禅寺通、仙台、東北の中核都市である仙台が、他の都市にたくさん波及効
果をもたらすだろう。そういう市民の役割が高くなっていくことが、定禅寺通の利活用の大きな目
的であります。ということで委員会を終えることができまして、それを受けて「ハロー定禅寺村」
というものがこれからの定禅寺通をさらに活かすそういう役割を担っていくそういう環境が生ま
れたわけです。
そのような委員会の活動を致しました。米竹さんから今年度の活動状況致しまして、マネージメ
ント組織の設立、ジャズフェスティバルにおいて初めて片側通行止めになったその状況などについ
てご報告をお願いしたいと思います。
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○米竹
隆
定禅寺通を、われわれ市民が「遠慮なく使っていく。そのためのフォーラム」ということを認識
して考えていただければ、より身近なものとして感じることができるだろうと思います。
昔の定禅寺通はちょうど緑道がありまして 12m でしたが、本来はこれよりちょっと狭くて 10m ぐ
らいでした。
それが戦災復興記念事業をということで、歩道から歩道まで 46m まで拡幅されました。
現在一番町から市役所に行く通りや稲荷小路、県民会館の通り、こういう通りは昔はありませんで
したが、拡幅されたことによってこのような道路ができました。この時点において現在の定禅寺通
が出来たということです。
晩翠通は、昔は細横町といって非常に狭い通りでした。昭和 36 年の写真ですが、これを出して
きた理由は緑道にけやきを二本植えています。
昭和 33 年に植えてちょうど 3 年たった様子ですが、
このあたりのけやきの成長というものは、目を見張るものがあります。けやき二本が緑道にあった
のですが、歩道にもけやきを植えました。昭和 40 年ごろですがケヤキを植えて向こう側にも植え
てこれでけやきが 4 本になったということなのです。そういうふうなことから定禅寺通というのは
出発しています。
定禅寺通の場合は大幅に何が変わってきたのかというと、地下鉄の開業と政令指定都市として仙
台市が指定を受けたということで、非常に定禅寺通の環境というのが急激に変わりました。それに
伴って「ハロー定禅寺村」というのが発足したわけですが、そのころは「遊び心」と「だめでもと
もと、やってみなければ分からないし、やってできなければしょうがない」ということで、光のペー
ジェントをやり、ジャズフェスティバルをやったわけですが、おかげさまでここまで成長してきま
した。「ハロー定禅寺村」が今回発足した理由というのは「だめでもともと」「遊び心」というわけ
にもいかないぐらいの状況になってきたということと、定禅寺通が非常に立派になってきて、我々
の街だけでなく仙台市民のシンボルとして、仙台の財産として非常に多額のお金をかけて整備され
てきた。それをサポートするには我々がやっていくにしょうがないではないかということで「ハ
ロー定禅寺村」を再結成しております。
「ハロー定禅寺村」は 18 年前に発足して平成 8 年に解散して、そして今年また発足しました。
その間は何をやっていたかというと「定禅寺通街づくり協議会」として行政との窓口として色々な
ことをやってきました。それで今までの流れがお分かりになっていただけたかなと思います。
けやき並木を 2 年間で(総予算が 12 億円というお金をかけて)、定禅寺通をリニューアルしたの
ですがリニューアルすることでこのままでは終わりというわけにはもちろんいきませんし、市民の
方もどうしても「緑道を使って何かやっていきたい」と誰でも思うわけで、ただ眺めているだけで
はしょうがない。そんなことから利活用の提言を持ちまして、オープンカフェというのをやりまし
た。オープンカフェをやることによって市民の皆さんに来ていただいて、そこでアンケートをとっ
て、果たしてそこで定禅寺通をどのように使ったらいいのか、どのようなお考えをお持ちですか、
この辺の沿線の方たちはいかがでしょう、よろしいでしょうか、という、いわゆるそういう機会の
ためのオープンカフェです。
平成 14 年にやったオープンカフェにおいて、通行止めにしたらいいではないか、オープンカフェ
については「そんなこと、あんなことをやったらいいのではないか」という提言がありまして、今
年初めて通行止めにするにはどのようにやったらいいのか、通行止めにするには何かの機会があっ
たときではないと許可はもらえないということで、ジャズフェスティバルに焦点を合わせようとい
うことで、ジャズフェスティバルの時に通行止めとしたということであります。
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平成 14 年のオープンカフェに合わせて、アンケートを 1 回やっております。ジャズフェスティ
バル時に通行止めにしたときにアンケートをやっております。平成 14 年のアンケートと、通行止
めの時に出したアンケートは全くと言っていいほど同じ結果が出ております。ということは裏を返
せば、「皆が思っていることはあまり変わりがない」と「やはりこういう考えであって間違いない
のではないか」と自信を持ちました。
一般市民と沿線に住んでいらっしゃる方、その方を対象にアンケートをとっております。(ほと
んど一般市民の方だったのですが)男女については半々で回答頂いています。「青葉区」、「泉区」、
「太白区」という順で回答いただいておりますが目的はほとんど定禅寺通に来るということは「イ
ベント」が 1 番で「買い物」は 2 番目です。交通機関はほとんどが「地下鉄」25%、「バス・車」
が 20%、あるいは「徒歩」、「タクシー」でわざわざ来る人はほとんどいないという結果が出ていま
す。通行止めに関してはいかがですかという質問に関しては、「不便を感じません」というのが 92%
という高い数値を出しております。望ましい使い方としていろいろありますが「イベント」、「パ
フォーマンス」、「お祭り」が 50%を占めています。「オープンカフェ」や「公園の利用」が 20%、
「フリーマーケット」、
「テレビや映画のロケーション」で使ってもらいたい、「写生会」などは 20%
ぐらいこんな構図が大体前回、今回と同じようになっております。
これがアンケートの説明ですが、私たちが言いたいことは公共の空間を「ハロー定禅寺村」が仕
切ってやっているいんだとそういうことではなく、最終的には道路や公園や車道というのは皆さん
のものだということです。ただ建設や行政というのは社会の秩序や安全、いろいろなこういう風な
ことをやっても困ります、というようなことえを考えた上で許認可をやっている機関なのです。
パイロット役をしようというのが「ハロー定禅寺村」であります。将棋大会、お茶会、結婚式、
生花展、全くそういうことは今まで出てこなかった話です。皆さんの力でできる時代になってきて
います。そのへんを今から討論会でお話ししていきたいと思います。知恵を出して実現に向けてい
きたいというのが、このフォーラムの一番の目的でございます。
○宮原
博道
パネルディスカッションの核心部に入っていくべく、始めさせて頂きます。
昔から道路や広場は生活の結節点として存在してきました。「もの」のやりとり、
「情報」のやり
とりや子供たちが思いきり道路で遊んでいるという場面もありました。そして祭りの場として地域
の文化を形成してきたということもあります。いずれにしましても道路というのは街の骨格を形成
していきます。
そして街の機能を作り出す、まさにそこには血液であり神経でありといった(人間にたとえれば)
その様な部分さえも持っております。このすばらしい定禅寺通というものを今や市民が本当に自分
たちが楽しんで将来に向けて活用しようとそういう動きが始まったわけです。そして今日の討論会
の方向では、この定禅寺通の道を「賑わい」「潤い」「憩い」そういうものをもたらす公共空間とし
ての観点からとらえまして市民の方々とともに「どのように創造していくべきか」、「いかに街を活
性化させていくか」、そのようなことをそれぞれの立場からご提言を頂くということで展開したい
と思います。まずはそれぞれのパネリストの方が、どのようなバックグラウンドを基に色々と活動
されているかの話しをお伺いいたします。
北原先生はどういう活動をされているかということを話されたので、米竹さんお願いします。
9
○米竹
隆
今もお話ししましたように、いろいろな「イベント起こし」をやってきたのですが、それはひと
つのお祭りイベントとしてやってきたことであって、本来なら定禅寺通というのは生活道路ですの
でひとつをやることによって非常に影響を受けるか人もいるかと思います。
例えば通行止めすれば通勤者、音楽をやれば近所の方たちが音の問題で迷惑するなど、その問題
は街の中では避けて通れない問題だと思っています。しかし、それも考えながらこういうふうな街
を使っていくということがどれだけ大切かということを、これからの高齢社会においては、皆が車
で郊外に出られるわけではないし、モールに買い物に行けるわけでもない。やはり市民には市民と
して、その場その場の暮らし方ということがあるわけです。そんな中で非常に街の中にこういうふ
うな公園(緑道は公園という位置づけなっていますが)を使って私たちはなんでもない生活の中で
も、ちょっとベンチに座って森林浴をするということは贅沢でもなんでもないのですが(できない
ということはやはり贅沢ということに置き換えられてしまうので)、それを我々はまさに出来る舞
台を作っていただいたということでもって真剣に考えていかなければならないのではないかなと、
そういうことで水先案内人としての「ハロー定禅寺村」としては(順調にいくまでは 2∼3 年かか
るか何年かかるかわかりませんが)、皆さんとともに歩いていきたいというわけで組織を立ち仕上
げております。
それと、今言ったように繰り返しますが定禅寺通というと必ず言うことは「定禅寺通は杜の都の
シンボルロード」とこれは誰も異存がないと思います。しかし自分達のシンボルロードというのは
誰に対してのシンボルロードなのか、決して県外者に対して「シンボルロードです」とご案内する
わけではないと思うのです。シンボルロードを自分達の庭として自由自在に使うことが私たちに
とってはシンボルロードとしての価値が出てくるのではないかと思っておりますし、ここでお話し
を聞いている中でも、過去、あるいは現在(これからでも良いのですが)緑道でやってみたいとい
う方が必ずいると思います。
そこで何がネックになっているかというと「市」に行って、「行政」に行って大変難しい顔され
る、「警察」にいけば「そんなこととんでもない」と言われるというふうに考えると思います。
確かにそれはそうだと思いますが、「今まで」はです。これからは行政に関しては非常に協力的
な、非常に温かい言葉をいただいております。現にいろいろやっていただいています。「行政とい
うのも一緒になって考えよう」と提案しているわけですから、決してやってもらうことを陳情とし
てお願いしていくのではなく「共にやりましょう」というスタイルが街づくりのスタイルではない
かと思っているわけです。
「街灯を立ててください」、「道路が壊れたから直してください」など、それも結構ですが、そう
いうことだけでなく「こういうふうにやっていきましょう」という提案をしていかなければ行政と
してもなかなか足を踏み出せない。行政と市民はパートナーシップを組んで互いに理解をして、お
互いがやっても名目がたつという、やるのが当然だ、やっておかしいことはなにもないのではない
かというそのへんの引き出し方、テクニックを市民みんなが持ってくれれば、街を活性化できるの
ではないかと思っております。
一番町の商店街の色々なイベントがありますが、どちらかというと自分たちの街に人を集めるた
めに自分たちの祭りとして、自分達がやって、ややもすると自分たちの商店街の特色を出して「隣
の商店街はどのように考えているのかわからない」というような、ややもすれば孤立したようなひ
とつひとつ独立したようなお祭りをやっているわけです。私はそういうことではなく点から線とい
10
ういわゆる一番町の四丁目がお祭りをやるのであれば、駅前も一緒の線として考えるような、ある
いは定禅寺通として考えるような、そういうような線として考えていかなければ、来ている人達は
皆流れるわけですから、イベントをやっていただきたいと思っております。
○宮原
博道
それぞれのバックグランドから提言に入ってしまったと思いますが、続きまして中国で地域づく
りをされています浅野ジュンさんにバックグラウンドの方を少しお願いしたいと思います。
○浅野
ジュン
わりと仙台市は協力的に市民とやっていらっしゃるんだなと思いますが、私たちの中国地域づく
り交流会というのは 13 年前にまちづくりをやろうという人達が 500 人ぐらい集まりましてできた
組織で、任意団体です。未だ持って任意団体ですが、行政からもそのころはまだ支援というか(今
も支援はありませんが)、市民の立場から立ってやるには自分達でやったほうがいいだろうという
ことで任意団体の 162 が 1 口 5 万円で 1,800 万、株式会社を作りました。
中国地域づくりセンターという株式会社で、これは「シンクタンク的な機能」と「コンサル的な
機能」を持とうということで、作りまして中国地域づくり交流会という 500 人いる会員さんの街づ
くり、いわば受け皿になろうということで 13 年がたちます。
皆さん「道の駅」というのはご存知でしょうか、「道の駅」というネーミングも中国地域づくり
交流会がつけた名前です。それで「道の駅」の概念も中国地域づくり交流会というメンバーさんが
10 人くらい「道の駅部会」というものがあるのですが、部会を作りまして最初は「道の駅」ではな
く「道にも駅があってもいいよね」ということから始まり市民が集まりました。
行政の人もプランナーの人も入っていますが、市民が中心となって「道の駅」という発想をしま
した。これが全国に広がりまして 700 カ所ぐらい全国にあると思います。ただ当初思っていた「道
の駅」は国の政策に乗っかって、違う方向で(補助金をもらうための)「道の駅」になった感もあ
りますが、「農村と都市の人達が交流する場」、「道路利用者が使い勝手の良い施設はないのだろう
か」という発想が「道の駅」で、今日も今も定禅寺通なんかの緑地の使い方もそうなんですが、広
島も 100m 道路の平和大通というのがあります。皆さんご存知のように広島には原爆が落ちて、原
爆が落ちる前に、防火用(延焼しないため)に立ち退きさせられた 100m ぐらいの幅の道が戦後そ
のまま、当時の市長さんが「きっとこれから大きな道路がいるんだろう」ということで、100m の幅
をそのままその再開発せずに道路にされて、それが結果的には、今の広い道路が必要な時に有効に
生きているのです。
この 100m 道路をどのようにうまく使っていこうかということで、交流会としては 10 年ぐらい前
ですか、これは別に行政にやって下さいと言われたわけではなく、市民がせっかく 100m の道路を
持っていながら、緑地もそうですが広島の方は緑地は両方にあります。これは真中に定禅寺通はあ
りますが広島の方は真ん中が道路で端っこに緑地帯がかなり大きな緑地帯を持っていまして、そこ
の有効活用をということで、当時はまだそういう公共空間を勝手に使うとうるさい時期ですが、交
流会の人達がゲリラ的に、自分たちでオープンカフェグッズというものを持っていまして、ちょっ
とした椅子と机とコーヒーをいれるセットそれを自前で持っていまして、日曜日になると交流会の
メンバーが集まって 100m 道路の中にちょっとした 10 人ぐらい集まれるオープンカフェを作り、1
日なんとなくそこに座ってみんな楽しげに過ごしている。そうしていると、通る人が何をやってる
11
んだろうと寄ってこられて、というようなことをしながらこの 10 年間そういう公共空間の使い方
をやっていこうということでやってきました。
広島は川が 6 本あります。道路だけではなく河川敷も非常に都市河川としては整備されているで
すが、それもなかなか使っていません。私は広島ではなくもともと東京ですが、広島に行ってみる
と「何と素晴らしい河川空間があるんだな」と思いながら、広島市民はその河川敷に寄ってこない
んですね。非常に芝生もきちんと植えてあるし、メンテもされてるんですが皆知らん顔して休日な
んかでも河川敷に人はあまり寄ってきませんし、私たちみたいに東京から来ると、あんな良い空間
を使わないともったいないと思いまして広島に来た当初は、よく河川敷に子供を連れては遊んでい
ました。
交流会ができたころ、河川敷をうまく使ってみようということで、河川敷でお祭りをやったり、
お祭りも地域の方々がもともとやっていたお祭りを復活させようということで、交流会のメンバー
と一緒に来ましてお祭りをやってみたり、100m 道路でオープンカフェをやってみたり、ゲリラ的で
すが「捕またって別に留置所に入れるわけではなく、始末書をかけばいいだろう」という考えがあ
るみたいなので、ゲリラ的に 7∼8 年間はやっています。
広島は原爆が落ち、平和公園のそばで毎年 1 回「灯篭流し」というのをやります。亡くなられた
方の慰霊をこめて灯篭を流すのですが、灯篭を流す側が親水護岸で、元安川というところですが、
浸水護岸の整備がされて非常に良い空間なんですが、誰も使おうとしません。皆さん使い方がわか
らない、せっかくいい空間があるので 8 月の 6 日、5 日に灯篭を流す時にコンサートをしたいとい
うことで、交流会にご相談があったので、交流会として公共空間をどういう風に使うかというルー
ルづくりを含めて(地球ハーモニーという名前をつけていますが)、8 月 5 日に平和公園のそばでコ
ンサートをやっております。仙台もルールづくりを色々やっていますが、広島の方も 10 年ほど前
からやっているのですが、まだなかなかルール作りができておりません。最近「社会実験」と言う
のですが、市民が一緒になってやっていくことから、ルールを作って、いちばん市民にとって使い
勝手がいいような公共空間を作ろうと、今も広島市でやっと推進協議会を作られて市民と一緒に
なってルール作りをしているところです。
○宮原
博道
引き続き海藤さんどのような活動をなさっているか、お願い致します。
○海藤
節生
みなさん一人一人が何ができるかということで、私は支倉町に生まれまして木町通小学校を入り
まして 2 年前に環境を中心とした市民活動をやっている方々と知り合いました。
街の中を歩くようになったのですが、街の中を歩いてまず嬉しかったのは、定禅寺通を今の形に
残してくれた米竹さんや尾崎さんや仙台市の方たち、そういう人達にお礼を言いたいのと、今の定
禅寺通は非常にすてきだと思うのです。このフォーラムの休憩時間にみなさんお持ちだと思います
が、歌をつくり、私のイメージは無邪気な笑い声が流れる広瀬川と木漏れ日(というのはやはり定
禅寺通の木漏れ日のイメージでしたので)、私は来るべきしてここに座っているのかな思います。
なぜここにいるかということなんですが、「何でいろんな市民活動をしているのかなあ」と思い
ましたら私はなんとなく人の役に立ちたいのかなと思います。よく仙台でイベントがある度に、へ
んてこりんな分別 BOX みたいなものを作って(みかけたことはありませんか?)
、定禅寺通ジャズ
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フェスティバルでも市民広場の真ん中の所でごみ箱を前に置いて、ごみの分別をしていました。七
夕花火祭りのときも、子供達を交えて「ごみを減らしましょう」という活動をしまして、そのとき
はそこに参加してくれた子供達が「わりばし」を回収して自分達で洗って、干してそれを製紙工場
に持ち込んで、これを紙にして下さいというところまでいけたということが、「ワケル」という行
為からひとつ進んでいったというところで、いいことをしたなと思っております。
立町小学校の子供たちとも「音の学習」ということでお付き合いをさせていただいたのですが、
子供達はとても元気です。元気じゃないのは大人たちで、せめてみなさん元気になって。人が元気
にならないと街も元気にならないと思うので。
○宮原
博道
「定禅寺通ストリートジャズフェスティバル」実行委員長の尾崎さんにお願いいたします。
○尾崎
行彦
生まれは北海道札幌で、その後、盛岡で 9 年という長い学生生活を送りました。27 の時初めて仙
台にやって参りまして、今年で 22 年になります。各種学校の教員を務めましてその後、独立いた
しましてアトリエを構えて(アトリエも学校の中に開いたのですが)、おととし定禅寺通の立町側
に自分のアトリエを構えまして 22 年間定禅寺通で生活をさせていただいております。
アトリエを構えるときに私が思ったのは「絶対ここから動くまい」と「この定禅寺通から動くま
い」とメディアテークができるということもありますし、並木を生徒さんとスケッチしたり、西公
園でスケッチしたり、絵を描くという空間、芸術、美術という空間で非常に春日町、立町というの
はこれから仙台市のメッカになっていくのではないかと感じさせられて、「ここから絶対動かない
ぞ」と決めました。
私が定禅寺ストリートジャズフェスティバルというのに出会ったのは 10 年目、勤めを辞めると
きで、いろんなことを考えているときに「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」というお祭り
に出会いました。その時は、定禅寺通に 9 カ所 25 バンドというバンド数のお祭りで、3 歳になる息
子と出てきました。「こんな楽しいお祭りがあるなんて」ということで、そのことで仙台に残ろう
かなという気の方が多くなりまして、仙台に残るにあたって、いつかは札幌に帰ろうと思っていた
のですが、仙台市に関わるということも「足を踏み入れないでうわべだけでつきあっている」とい
うか、「仙台に残って自分で教室を開いてやろう」と、「一生仙台で過ごすのだ」と思った時に、
「仙
台の街にとけこんで、仙台の人間にならなければならない」と思った時に、ちょうどジャズフェス
ティバルがありまして、第 2 回から関わらせていただいて、そういう「市民活動を通じて生きてい
く」ことによって「ぼく」という存在が、仙台の中で「はやく仙台市民になれたらな」ということ
を思わせていただきまして、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」というのに関わってきま
した。
昨年から委員長をさせていただいて一昨年に「仙台市都市景観大賞」というの頂き、昨年はお祭
りを認めていただきまして、「サントリー地域文化賞」という賞をいただきました。今年で委員長 2
年目で、懸案事項でありました定禅寺通を通行止めにしてジャズフェスティバルの時には、とても
良い空間になった。よい空間と安全面を考え、そのようにさせていただきました。初めて車道を人
間が歩いているのを見ました。
13
今まで通行止めになるのは仙台ハーフマラソン、青葉祭り、七夕、光のページェント、サンタパ
レードというのがあります。「通行止め」にはなりますが、それは車道が舞台になるための通行止
めで、われわれは歩くことが出来ないわけです。ジャズフェスティバルのときに試験的にやって、
大変異様な空間、すばらしい空間になっていました。人が歩いていることに感激いたしまして、本
当に楽しいことをやったなと思っています。これが来年、再来年と続いていって、いつからか全面
通行止めに、
週に 1 回はなればいいなあと、ひとつのステップを作って行きたいと思っております。
○宮原
博道
コーディネーターから各パネリストの方々に共通の話題を投げかけたいと思います。「定禅寺通
などの公共空間をどのように活用していくと面白いか」、「活用することによって公共空間という
のはどのようなエネルギーを生み出す可能性を持っているのか」、ということを新たな企画へのヒ
ントをということでお話しいただき、それをお聞きになった皆様が「定禅寺通ってこのように活動
できるのではないか」、など色々なひらめきを持って頂いて、こういった、組織に還元して頂くと
いうことにしていただければ幸いと思います。それでは今のお題を、まず最初に北原先生の方から
お願いできますでしょうか。
○北原
理雄
定禅寺通というのは私のような「よそ者」にとって「仙台」という名前を聞いたときに思い浮か
べる青葉城、広瀬川、定禅寺通が 3 つくらい浮かんでくるうちのひとつです。
けやき並木とその下にある彫刻、イルミネーション、そういったものが浮かんできますが、仙台
という街を代表とする「シンボリック」な空間ですね。そういった所を活用するというのはやっぱ
り先ほど「生活道路でもある」というお話しでしたけど、その前の生活というのはどちらかという
と「晴れの生活の場」と思うのです。そういう場所での利活用というのは「晴れの活用」「少し晴
れがましい活用の仕方」というのがやっぱり似合っているのではないかなと思っています。
それから仙台の方たちが日常をごく当たり前に行っている暮らしのさまざまな営みの「ちょっと
上のところ」、「ちょっとおしゃれなところ」「ちょっとクオリティの高いところ」というのがここ
で実験的に行われる、そういう新しいライフスタイルが情報として発信されるような、そういう使
い方もしていく場所であろう。実際にジャズフェスティバルでも今回のカフェでもそういった使い
方をされているので、私が改めて言うまでもないと思うのですが、そういう形でちょっと前を見な
がらこれからの仙台をもっと魅力的に元気にしていくというような使い方をしていく、知恵を絞り
ながら発想していくということが必要なのではないか。
そういう使い方をするときに、先ほどから出ている話題として「ルールを作っていく」これは(日
本の場合は)ルールというと、従来は行政が決めていました。日本で行政というと、「お上」とい
う色彩が強いのですが、ヨーロッパの事例を見ているとルールというのはやはり「皆で考えて合意
していく」、実際に運用しているのはパリでもコペンハーゲンでも「市」なんですが、しかしそれ
は「お上」が決めたことではなくても、向こうの公共(パブリック)というのはみんな「民衆」と
いう意味です。
日本語でも「道路」というのはみんなの場所だというふうに昔から言われていましただけど、日
本のこれまでの発想は道路はみんなの場所だから、誰かが(特定の個人や組織が)そこで利潤を上
げるような活動をしていけないという風に言ってしまう。だから道路は使えない。
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だけど向こうの発想は「道路はみんなの場所だから、みんながもっと楽しく道路を使えるように、
みんながもっと行き来できるように道路の使い方を考えましょう」、「街を行き来するために色ん
な利用の仕方を考える。だけどそれでまた住民が迷惑を被らないように皆で使い方を考えよう」と
いうことがあります。使うのだけど「周りの人達の同意をとりましょう」というルールを作ってい
くわけです。向こうのカフェーは店先で 1 階で営業している人が、そこの店先でやるというのが原
則です。なぜかというと衛生状態が 1 番よく保てるということと、行政の側からいえば毎日道に出
している椅子やテーブルやパラソルを全部片づけるのですが、その片づける場所が常にすぐそばに
ありますから、管理をきちんとお店を出している人がやってくれるという保証があるわけですね。
お店を出している側から言えばオープンカフェをやって何が 1 番大変かというと、(しばらくする
と、はっきりわかってきたのは)お天気に左右されるということです。
1 年目は 3 日間お天気がよかったのでよかったのですが、去年は 1 ヶ月やった内に 2 回台風がき
まして、その前後でも 5 日間ぐらい商売にならないということで(それでも何とかトントンになっ
たのですが)、今年は半年やって今年はまれに見る冷夏だったので夏の売れ行きがいい時にあまり
をオープンカフェは繁盛しなかったということがあって、天候にものすごく左右される。だけどお
店の前に出してれば、お天気が悪くても最低限のお客さんは受け入れているので経営上は成り立つ。
行政、営業をする人、市民にとってもみんながハッピーになれるルールを作っているわけです。
パリでは椅子やテーブルというのは籐製ラタンです。パリに行って椅子に座ってコーヒーを飲む
というのは、使う人にとっても気持ちが良いのですが、お店の人たちにとっては、あれはすごくメ
リットがあって片づける時にとても軽くて良いのです。そういうふうにみんなにとって良いもの、
行政にとってもクオリティーを上げることができ、そこのある種の市場性を高くすることができる
ということで、みんながハッピーになるようなところでルールが出来ている。
そういうルールを、知恵をだして作れるのか、ということが、日本でこれからルールを作るとき
の鍵で、どうも千葉でやっている例などを見ると「易きにながれてしまう」「Easy に流れてしまう」。
もうひとつがんばって良くなるようなルールを作ろうという方向に行くのはなかなか難しい。皆さ
んで知恵を出し合って、もっともっとクオリティーを高めるルール作りをしていただければと思い
ます。
○宮原
博道
米竹さん。お題に対してよろしくお願いいたします。
○米竹
隆
先ほども言いましたように「公共空地、緑道をどういう風に使ってやっていくか」ということが、
今日の題目です。簡単に言いますと緑道を使うときの 1 番の障害というのはまず警察の許可と行政
の許認可、この 2 つにだいたい絞られます。先ほど言いましたように皆様の意向も非常に大切です
が、その場合に緑道というのは現在は公園という形になっていますので厳密には警察の許可はいり
ません。いわゆる行政さん(具体的にいえば市役所・区役所の管理課の方)にいけばいいというこ
とです。これも比較的簡単にいただけます。それと簡単に頂けますというだけではなく、仙台市と
しては許認可の申請の時には色々と回らなければならない。ですがそういう部署を行政の方では
「ハードルを低くしよう」ということで各部署間で話し合いを持っております。
15
そんなことで行けば大抵、この辺まではクリアでき、あとは「この辺で企画書を出せばいいよう
だ」という所までいっていますので、皆さん企画を出して自分でやってみるようなことをしてみれ
ば、今日の会議が有意義になると思います。
光のページェント、ジャズフェスティバル、シンボルロード事業などの時には、常に警察とはお
話しをしておりますが、担当査察官の思惑というのでもだいぶ左右されます。枠があって「許可を
する」「しない」ということですが、警察が今まで非常に変わっていることが一つあります。要す
るに今では安全秩序ということで「だめ。だめ。だめ。」という感じで押してきましたけど、今の
警察はとにかくやるにはどういう風にしたらよいのか否定の方向ではなく、肯定の方向での提案を
してくれます。
今回のジャズフェスティバルで考えたわけですが自分の街でやるのだから、自分達で責任を持て
るような警備は自分達でやっていこう、それに対して警察がいくらかお手伝いをしていこう、その
ような感じのお話しでした。そのような点では、非常に流れが変わってきていると思います。
仙台中央署の特別な例かもしれませんが、今回の定禅寺通の一部通行止めに関しては全国にメー
ルでもって、今回の実験についての経過を発信しております。それについては大阪の府警から非常
に「特異な例」として問い合わせがきております。ということは要するに市民団体が公共用地を使っ
てイベント等をするにあたって、通行止めの許可を与えるという例は「かなり異例」であるという
ことで、とらえられています。
それで一つ面白いことがあるのですが、「歩行者天国」と「通行止め」というのは皆さん同意義
に考えていると思いますが、警察は「歩行者天国」という言葉に関してはものすごいアレルギーを
持っておりまして、ジャズフェスティバルのプログラムに「歩行者天国実現なる」という名前を出
しましたが即「名前を変えなさい。通行止めという名前にしなさい。」と言われました。これに大
変なエネルギーを費やしましたが、よく聞いてみますと「歩行者天国」と「通行止め」という言葉
は違います。「歩行者天国」というのは車道は本来車のためにあるもので、それを封鎖をして車を
止めて人が歩きます。要するに車を止めるという「通行止め」だということです。「歩行者天国」
というのは車道も何も関係なく止めて歩行者がぶらぶら歩くんだという、それではないんだと、そ
のへんのけじめ(結果は同じですが)、そういう風な警察の考えが「一事が万事」で、やはり普通
の考えではなかなかいけないと思いますがやはり「真心」といいましょうか、自分達の話しをすれ
ば、警察も非常に動いてくれると、非常に希望と期待と、「現実に私ができた」のであって、皆さ
まにもやっていただきたいと思います。
やはり相手に何かを求めるということは、必ず自分たちも何かを背負わなければならない。いわ
ゆる「義務」と「権利」ですがイベントをやるとき自分たちが考えなければならないのは、ルール
にのっとったということは、絶対に外せないことです。ルールにのっとったというのは、どういう
風にするかというと、ややもすれば自分たちのルールを押して行きますが、やはり一歩下がって「受
ける側、行政、警察官はどのように受け取るのかな」とその辺の噛み合わせをよく考えてやってい
けば、この辺は非常にスムーズ行くと思います。
今日の会で皆様がサークルに入っている、何かやりたい、こんなことをひらめいた思うならば、
ぜひハロー定禅寺村にお話ししていただいても良いし、直接行政にお話ししていただいても良いの
で、よろしくお願い致します。
16
○宮原
博道
浅野ジュンさん。お願い致します。
○浅野
ジュン
「公共空間は誰の為にあるのか?」というと市民のためであって、ただ市民のためといいながら、
一人だけのものではないわけですから、その辺はルールがいるのだろうと思います。その「誰のた
めか?」ということをまず考えてやらなければならないのではないかと思います。
道は車のためにあるのではなく、人のためにあるのですから基本的には「公共空間というのが人
のためにあるのだ」と、それでは人のためにどのように使ったらいいのかというのは地域、地域に
よって違うのかと思いますが、昨日からこちら来させていただいて並木通りを見て(他人の芝生は
良く見えるといいますが)、非常にこういう空間が素晴らしくて広島にもこのような空間があった
ら、人が楽しく使うのだろうと思います。なかなか良いものがあっても地域の人達は気付かずに使
わずに、そのまま「こんなもんだろうなぁ」と思っている人が多いのだと思いますが、こういう非
常に良い空間を(私が住んでいることは平和公園のそばですが)非常にきれいな緑地で都市河川と
してはきれいなのですが、誰も使わないんですね。お昼なんか上から見ても誰も弁当を食べに来な
いし、子供達もいないし、私たちが「少し使ってみるか」というとをこう呼ぶ私も、オープンカフェ
ではなくユーロな使い方をしてオープンパラソルギャラリーですが、「公共空間を私達が使ってい
いのか」というのを私達が分かっていない、市民というのはそういうことが良く判らないし、行政
がそれをよく伝えてくれてない。
行政がしてくださったことが多いですから、いたれりつくせりで、皆「公共空間は行政のものだ」
と思って、市民のものだと思っていないので、なかなかうまい使い方ができないのだと思います。
交流会もゲリラ的にオープンカフェをやってみたり、時には太田川で「太田川なべ」というなべ
があるのですが、大きななべを持っていって、その中にしじみを入れて「太田川なべ」といって、
50∼100 人集まって、「皆さん寄っていきませんか?」と声をかけて寄せているのですが、皆さん「こ
んな場所でこんなことしていいの?」とお聞きになるんですよね。公共空間を私達が使っていいの
かということを私達が分かっていない。規制が緩和される中きっと私達も使って良くなるのでしょ
うが、野放図に使っていると公共空間は汚くなるし、ルールもきちんとしてなければとんでもない
使い方をされてしまう。
先ほど平和公園でコンサートをやると言ったとき、広島市や警察は嫌がりました。どうしてかと
いうと長いこと「てきや」さんがお店を出してらして、それをどけるのに広島市が苦労したもので
すから、「コンサートをやる」というだけで「それは困る」とか、「そういうことができないような
条例が作ってある」ということで、
「やってはいけない」というと交流会の人達は「やってみたい」
という人がいっぱいいますので、それをクリアしながら平和公園の中でコンサートをできるように
なった、ということは私達にとっては有意義ですし、公共空間の使い方もまた新しい方向になった
のですが、何かやってみたいというのは市民の人達が「私達はどう使いたいのか」ということを行
政の方に言っていかないと行政の方から「さぁ!使ってください」と出題されても結局は使わない
で終わってしまうので、ぜひ自分達がどう使いたいのかということを、社会実験なりワークショッ
プをされる中で自分達にあった公園の使い方ができるのではないかと思います。
17
○海藤
節生
浅野さん、米竹さんもおっしゃっていましたけれども公共空間というのはやはり「市民のための
もの」ということで確かに「使っていいのかな」とか、私もアマチュア時代に「ここで演奏したら
怒られるのではないかな」とかそういうのがありまして、今は中央通や一番町通の中では夜、歌っ
ている方もいるようですが、やっぱりそういうことによって町が元気になるということは間違いな
いことなんですけれども、街づくりということを考えたときに、私も武道館でやった後に喫茶店を
経営したことがありまして(福祉大の方でやったのですが)元ハウンドドックのベーシストがやっ
ている喫茶店だから絶対入ると思っていました。最初のうちは来ましたが、だんだん珍しさもなく
なりお客さんも来なくなりまして、何で来ないのかなと思いましたら、わざわざ行くというほどで
もなかったのでしょうね。ただ通行する学生達と顔見知りになっていって、お客さんがいないとき
私は店の外に出て、「たまにボトルでも入れてくれ」というような人間関係が出てくると自然に人
が集まるようになってきて、元気なお店になっていったのです。「そこで住む人」と「そこで働く
人」がいい関係が持てれば、街というのは元気なる、そのためにせっかくこの真ん中にすてきな公
共空間というのがあるので、「どうしてしていくか?」という話だと思うのです。先程ご紹介にあっ
たパラソルギャラリーというのは大変いいことだと思いますが、常にやるのは、やる方が非常に大
変でしょうから声をかけていただければさっそくお助けに参ります。そういうところをみんなで支
えていって、そこで発表することによって仙台で新しい文化なり、仙台に昔からある文化を学んだ
り、継承したりしていくということが出てくるのかなと思います。
先日、「みそらカフェ」というのが同じ仙台市の「横山味噌醤油」さんのところで(やはりオー
プンカフェだったんですけど)、オープンカフェというのは、やはり、「流行って当然」というか、
やはり皆、気持ちが良いのですね。天気のいい日に椅子と机があって、コーヒーを飲んで、そこで
くつろいで、みそしょうゆ屋さんのみそ蔵の前でバイオリンコンサートというのがありまして、す
てきな企画でそれを目指していった方もたくさんいらっしゃいました。普段その町に住んで、ただ
生活している人もそこに引きずりこまれていって、普段入っていいのかなという所がそのように
なっていたので、入って行けたのだと思います。
そのような意味で公共空間に少しでも人が集まってくると、「ここは入っていいのだな」という
気持ちになってくれば、そこに人が集まるようになって、街がそうやって出来てきたと思うので、
それが本当の街づくりなのではないかなという気がします。
私も自転車で通える所に住んでいますので、自転車で来ますけれども、自転車の理論になって車
を通れなくすればいいと言ったら、車で通っている人は来なくなってしまうので、それはまた別な
議論だと思いますが、交通機関と停留所という問題もありますし、駐車場の位置というのも重要な
形になってくるのではないかなと、例えば西公園を駐車場無料開放などとすると、街の駐車場の方
にも問題があるでしょうし、西公園におけば、「西公園から定禅寺通に人の流れが出来るのではな
いかな」と素人ながらに考えております。
18
○宮原
博道
尾崎さん。お願い致します。
○尾崎
行彦
22 年間ここで生活していますが、整備事業が終わって良くなって来ていますが、いつも思います
が、誰もループル仙台でここ(せんだいメディアテーク)の前で降りる人がいないんですね。我々
は、「この定禅寺通というのはシンボルロードだ」と言っていますが、シンボルロードを歩いてい
るのを見たことないですね。その両脇を歩いているだけですごく寂しいんですよね。シンボルロー
ドと言っていますが、観光客が歩いていない、それ以前に市民さえ歩いていないわけで、それでも
メディアテークが出来てから細横町といいますか、晩翠通からこちら側が明るくなって良くなった
んですが、本当に人が集まっているのかというと、集まるのはイベントのときだけ、最近立町、春
日町でずっとしていますが、後ろ側がマンション街になってきました。
都心回帰というのでしょうか、今までは郊外に家を持っていたけど、孫も子供達とは生活が別に
なって、それでは生活が不便だからと都心部に戻りマンション住まいをする人達が増えています。
ここにマンションを造って、「この人達はどうやって生活をするのだろう」「どこで買い物するん
だろう」と思うと、どんどん小さなお店がなくなっている様な気がします。本当に便利はいいのか
なと思います。
そんなことも考えていくとこの定禅寺通の「シンボルっていったい何なんだろう」と思うと、もっ
と人に優しい、生活者にとって優しい空間になっていけばいいのかなと一つ考えています。
それと、定禅寺通ストリートジャズフェスティバルは今年 780 組の応募がありまして、このうち
約 2 割が県外からです。ということは約 600 ぐらいのバンドが宮城県民のバンドです。なんでこん
なにいるのだろうと思うのです。600 もバンドがあるのだろうと。600 の人達は一体どこで演奏し
ているのだろう、どこで発表しているのだろう、仙台市内ライブハウスは 10 カ所ぐらいしかない
わけですが、発表する場所も本当にないのだろうか、我々定禅寺通ストリートジャズフェスティバ
ルというのは、その 9 月の 1 回だけやるのではなくて、もっと日常的にバンドの人達にしてあげら
れる手段がないのだろうかということも考えています。
女性旅行雑誌を見ると載っていることは 3 つしかない、そこに行けば何か楽しいものが観られる
という観るということを満足する、もうひとつが舌を満足させること、もう一つはそこにいくと何
か買えるというという購買力、この 3 つを何十年も同じ事が繰り返して旅行雑誌に載っているよう
な気がします。そうすると「定禅寺通というのをどうしたらいいか」というと、この 3 つをクリア
することで「定禅寺通が良くなってくるのではないか」と「人が集まる通りになるのではないか」
と思います。
そういうマンションに帰って来た高齢者のために、どこかの区画では週に 3 日でも「市場」にな
るとか、ある空間では仙台市は劇都仙台という風に言って、テンボックスにするなど、テンボック
スはありますが、演劇を志している人がどこかで何をやっているのを見たことはないんですね。そ
ういうものを発表する空間として定禅寺がある。それが毎日のように、だれかが音楽をやったり、
それを観ることを楽しませる、そして屋台街があるなど、11 月 3 日にアート展というのがあります
が、若者達が自分たちが創ったものがいつでもここで出られるような空間をつくる、そういうこと
をしていくことによって、この定禅寺通がもっと活性化して人が集まってくるのではないかと、僕
はそれを夢みていますが私事ですがハロー定禅寺村の会員で、そちらの方で夏に僕の作品を 30 点
19
ほど並べて展覧会をやると、人が通るんですよね。やらないから通らないのであって、「アートの
スポット」と言って「メディアテークと連動して」と言いますが、そこは渡れないですよ。渡るた
めにはあっちまで行って渡らなければならない。歩道橋や歩道がついて、渡って何か出来るように
などと思っているのですが、衣食住ということを連動して、質の高いものでいくと本当に「定禅寺
通が楽しい空間になっていくのではないかな」とずっと思っております。
質疑応答
○宮原
博道
パネリストの方からこれからの時代に、どう公共空間を利用していくことができるのか、様々な
角度からご提言をいただきました。各パネリスト方達から色々提言頂いたことから、会場の皆様か
ら少しご質問を頂きたいと思います。なんでも結構でございますので、ざっくばらんにお話し、ご
質問をしていただけたら思います。会場のどなたからでも結構ですのでいかがでしょうか。
○太白区ソブさん
質問というよりは意見になりますが、22∼23 年前に商店街のご依頼がありまして、活性化のため
の座談会に出たことがあります。その時に尾崎さんの言われましたことに関連しますが、「若者を
取り込まないとまず切り口としてだめなんじゃないか」商店街で改築なんかされる場合、「若者た
ちがパフォーマンスをやる場所を提供する工夫はないでしょうか」、
「それは 3 坪でも 4 坪でもいい
のではないでしょうか」と「彼らに責任をもって運営させてやる方法も含めて開放場所を作れない
か」、当然、人の土地を使いますので「周りの協力が必要だ」と、「運営するためにはお金もかかる
かもしれない」と、やっぱり「商店街の活性化の費用として見ていく方法はないか」というような
意味合いの話をしました。
その時は、ちょうどバブルがはじけたころでして商店街の皆さんは、そういうスペースがあった
ら、売り場面積の拡張に行ってしまう。商店街の「次世代の方」という方に会う機会がありまして
話しをしましたら、「あなたがおっしゃるような話しで悩んでいるのだ」ということをおっしゃっ
ていて、これは非常に大きな問題を含んでおり、仙台は昔から商売の姿勢として殿様商売といいま
しょうか、批判があります。こういうの伊達の殿様の街の、「特有の何か」がそうさせているよう
な気がしますが、もう少し何十年先の「今」を想定して取り組みが必要なのではないかと、その一
つとして若者を取り込むと、宮城大の前学長が新聞でおっしゃったことなのですが、「仙台市は今、
若者の流出が激しい」と「仙台には若者をひきつける刺激的なものが何もない」と、「都市機能が
ない」というご指摘でした。その通りでしてシンボル的な役目としてあるのが定禅寺通ではないの
かと、これは箱物をたくさん作ればいいのではなくて、空間を若者のパフォーマンスの場として
使っていくという方法、その方法は先ほど尾崎さんが言われたような方法でいいのかと、それだけ
申し上げたいと思います。
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○青山さん
定禅寺通は都市景観的にも、非常に美しい景観ですが、定禅寺通はイベントがないときは、まっ
たく人の通りが見られないと感じております。周辺住民が庭として、個人的な空間として使えるよ
うな、そういう動きがあっても良いのではないかと思います。島根県で行っております「アドプト
プログラム」という周辺住民が道の清掃や植え込み等の手入れを積極的にやっていくという活動が
あることを知ったのですが、そういうのを仙台市はやっていかないのか、そういうのをやっていけ
ば、定禅寺通が「市民にとっても親しみがある」、「個人的なレベルでもかかわっていける空間」に
なるのではないかと考えるのですが、そのへんの動きというのはないのかなと考えております。
○浅野
ジュン
確かに広島の方でもマイロード制度と言って、道路の里親制度のようなものですが、やっており
ます。行政が全部やってくれたところを、突然あなた達の空間ですから何か自由に使いなさい、そ
のかわり自分達で管理しなさいと言っても、まだ皆さんに助走ができていませんよね。
個々の空間もそうでしょうけれど、好きなように個々の人が使えるのであれば、個々の管理も地
域の人達がやって行こうと、自分達の公共空間とは頭がまだ慣れていないので、できれば少しずつ
自分たちのものだというところで、自立して自分達の地域は自分達で作っていきましょうと、今か
らしていかなければならないのではないかなと思います。
こういう場所というのは皆さんのコミュニティーの形成場所だと思いますが、若い人たちもここ
に来ると誰かがいて、何かいろんな情報の交換ができるとか、高齢者の人たちがひとり寂しくマン
ションにいるよりはこういう場所に出てくればだれかいて話し相手になってくれるとか、そういう
場所の空間として作れるんじゃないかなと思います。それは行政ができることではなくて仙台に住
んでいる方がこういう場所をうまく使っていこうということを皆さんで形成されることが必要な
のではないのでしょうか。それは広島市にも言えることだと思いますが。
○青葉区錦町林さん
毎日、定禅寺通を通勤しております。先程尾崎さんがおっしゃるようにほとんど使われていませ
ん。私もほとんど真ん中を歩きません。今日非常に有意義な話しを伺ったというお礼を言いたいの
と、ジャズフェスティバルで私も非常に感激しました。普段車が通っている道を我々が歩けたのは、
非常に革命的だなと思います。その輪をどう広げるかということなのですが、先程米竹さんからご
紹介のあったアンケートで「車を止めてもいいですか」、
「みんな OK だよ」という話しがありまし
た。止めるためにはそれなりの仕掛けが必要となると思いますが、「どういう方にお聞きしたのか」、
「運輸業者さんやこの辺のオフィスビルで業務をやっている方はいたのか」、「それは日曜日だか
ら OK だよ」
、という話しなのか、補足させて頂ければと思います。いずれにしてもこの間の感激を
早くやって欲しいと協力をして行きたいと思います。
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○米竹
隆
「車を止める」とか「通行止め」というのは、ほとんどが日曜日に限ってというのが多いようで
す。続いて土曜、続いて祝日、ということは土日とか祝日、日曜とかそういう日に限ってというこ
とです。
それから定禅寺通の近隣の方や、他の人達もそうですが、生活道路ですから緑の空間といっても
生活道路ですから、1 日 2 万台の通行もありますし、非常に生活と密着しているものですから、個
人の享楽というのでしょうか、「自分達が恩恵を被るけれども他の人達には迷惑をかける」という
兼ね合いもありますのでアンケートについては限られた日でのということになっています。
通行止めに賛成する人が 90%といいましたけれども居住者、事業者に限ってはちょっと数字が違
います。できればここをしてもらいたくない事業者についてみれば、デメリットが発生しますので、
あまりしてもらいたくないというパーセンテージもあります。ごくわずかですがそれは当然だと思
います。市民の方は、ここを楽しんでやってもらいたいけど、商売にデメリットだからやめてもら
いたい。その辺の兼ね合いは街の中の出来事ですから、これが絶対悪いということではなくて、行
政や警察と同じように市民レベルにおいてもお互いが理解していかなければならない。その中での
最大公約数をとって時間もだいたい 10 時∼4 時という希望がやはり多いようです。夜間はしてもら
いたくないというのが多いようです。
先程の、若者を取り組むというようなお話しでちょっとお話ししたいと思うのですが、「よさこ
い祭」りというのがあります。仙台に限らず「札幌よさこい」は年間 1 億円というお金を使ってやっ
ていますが、学生達がやる部分と大人達がサポートする部分が完全に分かれています。若者達がや
りたいというのを設定しています。大人達も大人達で資金面のバックアップということで、線を引
いてやっております。仙台の若者達も自分達やっていくお祭りだということを認識してやっており
ます。大人が若者に提供するとか、若者が大人に提供をお願いするとかという時代ではないと思い
ます。自覚年齢になったら、自分達は「自分達の街」で「自分達の年代に相応した祭り」を立ち上
げるのだという気持ちでやっていかなければ、いつまでもおんぶにだっこではいけないのではない
かと思います。
○太白区ソブさん
若者の取り込みに関しては、よさこいのような大きなイメージではなく、定禅寺通でちまちま
やって、自然人が集まるというイメージです。
市民の側の問題ですが、先程浅野さんからもお話がありましたが、出来上がったものにただ乗っ
かっていく、悪ければ悪口を言う市民だったと思います。私を含めまして、課題はがんばっている
方と関係ない市民も含めてどうやって良くなるか考えていく姿勢、システムを欲しいのかなと、例
えばハロー定禅寺村に窓口を開いているというお話しでしたが、一般市民が参加していくという大
きな窓口を作っていければなと思います。
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市民フォーラムのまとめ
○宮原
博通
ここで、本日の市民フォーラムをまとめさせていただきたいと思います。
北原先生からは、これからの街は、ちょっと前を見ながらお洒落で元気な環境を生み出すような
「ライフスタイルを発信していく場」であり、それを良くするためのルールづくり、また、それを
心がけながらどう展開していくか?ということが市民に課せられた課題であるということをお話
を頂きました。
米竹さんからは、これからは公共空間の利用が可能となったきっかけを捉えて、これからは様々
な企画を通して、自分でやってみる、自分が参加するという機会が出来上がっているので、それを
活用すべく関わってもらいたい。そして、なによりも色々な、これまでの行政、警察、道路や公園
管理者の公共空間の利用に対する考え方も変わってきているということ、それに対して活用しよう
とすれば、熱意も必要であるが、もっと自分も責任を持つ、つまり、関わることに対して相手に求
める分、自分も責任を持って行っていく、それがまさに自分の熱意というものになり、「市民パ
ワー」につながっていく事であろうというお話を頂きました。
浅野さんからは、公共は市民のために存在しているということではありますが、やはりきちんと
したルールは必要であろうと、そして、「市民のためにどう使っていくか?」、「使い手がどうした
ら自分たちが活用できるか?」そういった情報を伝えていくことが必要ではないかということをお
話しいただきました。
海藤さんからは、これから「地域の公共空間」を使う人が集う色々な場面で、街の環境を考えて
いく、そういったことを考えると、基本は「文化を継承していく」ということではなかろうか。そ
して普段入ってはいけないような所で公共空間の活用がなされて、「使って良いのかな」と考える
ときに、どういった文化が本当に必要なのだろうかということを考えていってはどうかというお話
を頂きました。
尾崎さんからは、定禅寺通はシンボルロードといわれているが、その「シンボルとは何だ?」、
これは、「基本をしっかり考えよう」ということであると思いますし、その時に人間本来欲しいも
の、欲しい行為というものは、「観る」であったり、地域の個性豊かな食べ物を「食べる」、本当に
自分たちが求めていたものを「買う」、そういったことを、地域のお店がお客様とコミュニケーショ
ンを取っていけるということは、そこには新しいエネルギーが成り立っていくということをお話頂
きました。
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人には個性というものがありますが、街にも個性があります。特に道路に表情がない街というの
は、本当に殺風景で、埃が待っているような感じがありますし、道路の表情が乏しいと、地域の個
性というものも育まれません。道路の表情を豊かにしていくと、地域の個性が見えてきます。それ
でも地域の個性というものは埋もれている、眠っている、掘り起こせないでいる、そういったこと
が多聞にあると思います。地域の歴史や風土、文化そういったものを知れば知るほど、街の魅力を
造り、街の魅力を捉えられるのだと思います。
その個性というのは、人が、住み手が磨けば磨くほど光っていくものです。それはまた一方で、
地域に関心がないと、磨く人が現れない。歴史、風土、個性といったものを掘り起こせないという
ことになります。そうなると地域の個性というものを、市民が評価できません。「本当に素晴らし
いのか?」、
「私たちがそれを更に磨けるのか?」、「磨いてどうなるか?」ということもできなくな
ります。ですから、正しく地域の個性を評価し、育んでいく、そんなことに市民が関わっていくこ
とが大切な事であると思います。このことは、公共空間の活用に市民の方が、自分の企画で、自分
の責任をもって、より多くの機会を捉えて参加していく事ではないかと思います。そして、歴史的
事実と、この街の将来に向けての可能性、未来性、そういったものを、これからの市民の役割とし
て造っていくべきであると思います。実際にジャズフェスティバルが 13 回目を迎えたわけであり
ますが、これも、歴史的事実が積み重なって初めて、昨年の「都市景観賞」も、今年の「通行止め」
も成し遂げられたのだと思います。歴史的事実は何か布石を打たなければ始まりません。そしてそ
ういった公共空間が利用されるときというのは、わたしは「自然景観」というものに対して、「社
会景観」というよりも「活力景観」といえると思います。そのような言葉はないかもしれませんが、
活力を産み出している景観だという認識がなければ、これをより活かそうということに結びつかな
いのではないかと思います。
本日は、地域でリーダーシップを執られている方々に来ていただきましたが、その地域にはリー
ダーシップを執る方が必要です。よく「地域にリーダーがいない」「リーダーを育てよう」という
言葉が巷を飛び交いますけれども、私はそれは違うと思います。リーダーというものは育てるもの
ではなく、自ずから生まれるもの、自ら立ち上がり、結果としてリーダーとなっていくものである
と思います。それには地域を愛する人が多くなれば多くなるほど、そういったリーダーシップを
執っていく方が生まれてくる、そして、そこにはその街の歴史、文化が大切にされていく事だと思
います。ですから、街の伝統、文化や風俗、風習、行事そういったものは、やはり大切なものを伝
える意味をたくさん持っています。ものを伝えると言うことは、知恵とか知識を共有するというこ
とだと思います。それを共有すると言うことは情報を「発信」していくことであり、これから「公
共空間をこう使える」「こういうふうに自分たちが関われる」そのようなことを知ることも、情報
の共有であります。ところが、今の時代、情報化社会とか言われていますが、実はそういった知恵
とか知識、平たく言えば「楽しさ」「おもしろさ」を共有する情報が不足がちです。また不十分と
も言えます。
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そして、その知識、知恵の次は「誇り」という意識の共有であると思います。誇りの持てない街、
これはリーダーシップを執れる人は生まれません。誇りという意識を共有し、また、街に対する思
いを共有したとき、本当に街が活き活きとしていく場面なのだと思います。そしてその後に、様々
なイベントが生まれた時に人が集まる。そうすると、「他人によって自己を見いだす」そして、「積
み重ねられていく歴史において自己を見いだす」、「育まれる風土の中に自己を見いだす」そういっ
たことが、次の世代のエネルギーを醸成していく事になるでしょうし、それはなにより「人を優し
くしていく」ということにつながるのではないでしょうか。
次の世代の子供たちのために、この定禅寺通の環境を見直すことによって、広く地域社会に貢献
していく、そんなきっかけが「定禅寺通」なんだ、この定禅寺通という空間だけをいつまでも考え
ていくと言うことではない。今回のこのフォーラムもこうしたことがきっかけで、市役所の方も
おっしゃってましたが、「こういった通行止めを全国一斉にやったら面白いんじゃないか?」そん
な話もうかがいましが、まさにそうだと思います。「みんなで道を見直そう」「地域のコミュニティ
を見直そう」「国民の公共空間に対する認識を改めよう」そういうことを全国一斉に行うというこ
とは、部分部分の行政の管理であるとかということではなく、国民イベントとして、そういった視
点からダイナミックに見ていくことも必要ではないかと思います。しかし、それもこいうった定禅
寺通りの、様々な使われ方の実績によって提言できることであると思います。きっとこのようなこ
とが、これからの仙台を含めて、日本そのものを活き活きとさせていくのではないかと思います。
以上まとめさせていただきましたが、これをもって、このパネルディスカッションを閉じさせて
いただきたいと思います。
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