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豚の帝国

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豚の帝国
中国養豚業の今―
豚の帝国
豚肉を求める中国の強烈な食欲は、この国の発展のシンボルだ。
しかし、同時に世界の危機を意味してもいる。
中華人民共和国江西省萍郷市蘆渓県よりレポート
2014 年 12 月 20 日 The Economist 誌より抜粋
訳 森田真由子(オルテック・ジャパン)
豚 5422 号が、のそりのそりと囲いに入る。そこは数平方メートル程度の広さでプラスチック製のスタン
ドが備え付けられている。作業者が豚の腹側を掃除して、手で探り、30cm程の長さのピンクの細いチュ
ーブ状のものを引き出した。そしてマッサージを始める。他の豚たちは、鼻をブーブー鳴らしたり、キー
キーと声をあげたりしているが、その豚は動かない。すぐにその豚は 600 億以上の精子で断熱コップを
満たした。150 頭ほどの豚がその短い生命をこの作業に費やす。
中国中央部、萍郷市蘆渓県にあるフシン養豚場。麦芽の様な匂いが空気中を漂う。小さな貯水池のほとり
の 10 ヘクタールの敷地に、コンクリート製の低層な小屋と野原があるこの施設では 2000 頭ほどの豚が
飼育されている。この事業は 4 年前、31 歳だった Ouyang Kuanxue 氏が立ち上げた。Ouyang 氏の友人
達は言う、彼は中国の黄道十二星座の豚年生まれで、まさに養豚家になるために生まれてきたような人間
であると。だが、彼自身の説明はもっと平凡なもので、2003 年、北京にある大学で経営を学んだ後に彼
の地元である萍郷市へ戻った時に、それ以外にやることがなかったのだと言う。彼の祖父は炭鉱で働いて
おり、数頭の豚を飼育していた。そして彼の父親は既に 100 頭を飼育しており、それを拡大しようと決め
たのだ。
今では一家総出で運営し、3 つの農場に合計 5000 頭の豚を有している。彼の弟は生産の責任者であり、
義理の妹は事務を担当している。昨年は豚肉の価格が低く、飼料価格は高い状態が続いたため、彼らにと
って、そして他の養豚農家にとって厳しい一年であったと言う。だが、この不調だった年に続いて、今年
は非常に実りが豊かだった。Ouyang 氏の愛車はフォルクスワーゲンの SUV で、彼の妻はアウディの新
車に乗り、カルティエのブレスレットを身につけ、2 つのネイルサロンの経営をしている。彼らはそして
地元の新興地域にアパートも所有している。携帯電話には豚関連のニュースがたくさん配信されてくる。
だが、彼は友人と外食する時には豚肉を食べない。
中国の養豚略史
Ouyang 一家の幸運は過去 35 年に渡って大きく飛躍した養豚市場を象徴している。1970 年代後半に政府
が農業を自由化してから、中国国内の豚肉消費量は 7 倍近くに膨れ上がった。今では年間 5 億頭近い豚
を生産し、消費しているが、これは世界中の豚の全頭数の半分に当たる。中国の養豚にまつわる話は、故
に同国の非常に速度の速い経済成長のたとえ話に用いられるのである。だがこれは、象徴的というだけに
とどまらない。中国の豚肉に対する切望は同国経済に、環境に、そして世界に、深くかかわって影響を及
ぼす。
豚は中国の文化、料理、そして家族生活において、数千年に渡り中心的な存在であった。豚肉は中国で消
費される主要な食肉である。標準中国語では肉、を表す単語は、豚肉、という単語と同じである。家族を
表す漢字は屋根の下に豚がいる様子に由来する。豚は黄道十二星座のひとつであり、豚年に生まれる人は、
勤勉で思いやりがあり、寛大であるとされている。また、豚は繁栄や男らしさの象徴である。詩や物語、
歌などでも豚は祝福を受けている。漢の時代(紀元前 206 年~220 年)の墓からは小さな陶器の豚が発見さ
れている。歴史家らは、一万年ほど前に中国南部の人々が野生の豚を飼育したことが養豚の始まりと考え
ている。
数世紀にわたって、豚はいけにえとされ、肉は食され、あらゆる形の祝い事や祭典に用いられた。重陽節
(太陰九月の 9 日)では、年配の男性が子孫の墓へ集まり、子孫繁栄の象徴として豚をさばいて供える。ま
た、財産が危機に陥った場合には、最後に手放されるのが豚である、というのは、ハーバード大学の人類
学者、James Watson 氏である。なぜなら、秋の祭典がぞんざいにされると、祖先は再び、しかもむごい
死に方をし、魂が完全に消え失せてしまうと考えられているからである。
↑一家に一頭が必要
かつて、郊外の家々のほとんどでは少なからず豚を飼育していた。共産主義時代に入ってからも、豚は家
庭の循環システムの一環であった。豚は食べられない廃棄物以外は何でも食べ、彼らの糞は重宝された(あ
の毛沢東ですら、この“4 本足のある肥料製造機”を大事にしていた)。そして、豚の肉はいつも中国の料理
において中心である。「中国料理に最適な味をしている」のだろうとフードライターであり、料理家の
Fuchsia Dunlop 氏は考える。捨てるところなどない。豚の顔は美食の極みであり、Dunlop 氏によれば、
脳みそは「カスタードのように柔らかく、危険なほど濃厚」だそうだ。調理だけでなく、薬用の魅力もあ
る。内臓は治療効果があるといわれている。
足の先から尾の先まで、中国では豚のすべてを食す。だが、これまでの中国の歴史のほとんどで、豚はご
くたまにしか食べることのできない―時にはほとんど食べることのできない―贅沢品であった。この点は
大きく変わった。
鳴き声以外すべて
Ouyang 氏の農場の管理人、Lei Xiaoping 氏は最近、昼食にも夕食にも豚肉を食べる。農場で起きる豚同
士の争いの中で死んだ豚や、小さすぎて出荷できない豚を食べているのだ。彼は、自分が育てた豚を食べ
ることについて特に気にしない。Lei 氏が子供のころには(今、彼は 51 歳である)年に 3 回ほどしか豚を
口にする機会はなかった。
1949 年に起きた革命の前、中国の多くの人々が年間に摂取するカロリーの内、肉から得ていたのはたっ
た 3%のみであった。豚はその後、さらに減少した。毛沢東によって、1950 年代後半から 1960 年代前半
に行われた大躍進政策ののちに発生した飢饉により、大量の豚が死んだのだ。その後、ほかの用途に豚の
脂を使用するようになる前は、農民らは豚の脂を鍋に塗り、調理する野菜に豚の香りをつけていたと
Dunlop 氏は言う。1990 年代初め、多くの中国人たちは市場で購入する野菜中心の食生活を送っていた
豚が不足していた時のことは Lei 氏や、彼の同郷の人々の記憶に残っている。驚くことではないが、当時、
肉を食べるということは、困難に打ち勝ったことの象徴であり、高層ビルやぎらぎらした都市を作り上げ
てゆく中国への変身を表しているかのようだった。飢えた記憶のある祖父母世代は孫世代の子らに、自分
たちの時代に不足していたものを食べさせてやろうする。その不足していたものとしてトップにあげら
れるのが豚肉である。現在、平均的な中国人は豚肉を年に 39 キロ(約豚 1/3 頭)消費して、(特に牛肉を好
む)アメリカ人の豚肉摂取量を上回り、また 1979 年の中国人一人当たりの豚肉摂取量と比較すると 5 倍
も多く摂取していることになる。
最も明らかな影響は豚そのものに対してのものである。1980 年代までは Ouyang 氏の農場のような規模
の農場は知られていなかった。中国の豚の 95%は飼育頭数 5 頭以下の小規模な農場で生産されていた。
ハーグの International Institute of Social Studies の Mindi Schmeider 氏によれば、現在では、
「裏庭農
場」で生産される豚の割合は 20%ほどのみだという。しばしば、州か多国籍企業が所有する施設では、
年間 10 万頭もの豚が生産される。これらの豚たちは、生涯金属製のすのこの上で生き、太陽の光を見る
こともなく、繁殖まで至るのはごくわずかである。豚たちは自分たちの身体的特性をも変えてきた。海外
から入ってきた 3 種類の系統の豚が全体の 95%を占めており、中国は固有種保護のため、遺伝子バンク
(基本的にはその豚の精液を凍らせたものを保存する大きな冷凍庫) と、固有種の豚を飼育する施設のネ
ットワークを持っている。だが、数十種もの古来種変異の豚が間もなく絶滅することになるかもしれない。
だが、中国における豚人気の被害者は豚だけではない。豚の需要は、共産党を不安に陥れるものであり、
間もなく世界最大となるであろう経済を支えるものであり、またアマゾンの熱帯雨林を脅かすものであ
る。
(後編へ続く)
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