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9.国際社会学―蘭 信 三

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9.国際社会学―蘭 信 三
第Ⅲ章 専任教員による専門分野紹介
9.国際社会学―蘭
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信 三
はじめに
脱冷戦体制のなかで、いまや世界はグローバライゼーション(あるいはアメリカナイゼ
ーション)の荒波に呑み込まれています。政治・軍事面におけるアメリカの巨大化(「帝
国」化)、経済の急速なボーダレス化、「コカ・コーラ」や「マクドナルド」に象徴されるトラ
ンスナショナルな消費文化、そして越境する情報や文化等々が冷戦後の国際社会の
大きな趨勢となっています。その結果、トランス(脱)ナショナリズムとネオ・ナショナリズ
ムの激突、世界をさまようディアスポラがいる一方で祖国から遠く離れた地での遠隔地
ナショナリズム運動に命をかける若者の登場(新たなナショナリズムの顕現)、途上国へ
の工場移転とともに多国籍化し多様化する国内労働現場、いまや先進国では一般的
となった外国籍の定住者・外国籍「市民」と海外市民、そして 19 世紀以来の普遍的な
現象である大量の移民・難民の発生とそれへの排斥運動、さらには国境を軽々と越え
るトランスナショナルなアニメ・音楽などの若者文化と伝統文化の復興と激突、等々の
現象 が現れてきています。言葉をかえれば、グローバル化と反グローバル化、革新と
伝統という異なるモメントが激しくぶつかり合う状況となり、国際社会の意味がますます
大きくなると同時に、近代に所与のものとして存在していた国民国家や国民そのものの
意味が根底から問い直されているのです。
1.国際社会学と国際移民研究
日本社会でも、1980 年代以降の国際社会の急速な変化にのみこまれて、様々な側
面でグローバル化が深 化しました。その現 実の急激な変化と欧米での新たな研究動
向を受けて、国内でも帝国論、国民国家論、国際労働力移動論、外国人労働者研究、
汎く移 民・難 民研究、トランスナショナルな文化現象・社 会運 動等々国境を越えて国
際社会にあふれだす社会現象に関する国際社会学的な研究が急速に展開されてき
ました。
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なかでも、もっとも盛んなのは国境を越える人の流れ、すなわち人口移動(移民や難
民)に関する研究です。それは、国際移民体制や国際労働力移動というマクロレベル
に関する研究や、そのもとでの送り出し側と受け入れ側の具体的メカニズムとそれを媒
介するシステムというメゾ(中間)レベルに関する研究や、そして移民個々人やその家
族の生活戦略と経済的精神的適応問題というミクロレベルに関する研究、という主とし
て3つのレベルからアプローチされてきました。宮島喬、駒井洋、梶田孝道という第1世
代によって欧米の研究とその移民研究が紹介され、第 2 世代はグローバル化した日本
社会の現実に向かいあい新宿の外国人調査や東海地域におけるブラジル人や中国
帰国者の生活適応などに関する研究が多数蓄積されてきています。これらの研究は、
外国籍市民が 210 万人を超えるという現状や、地域において深化する国際化を反映
しているだけでなく、身近な生活領域が世界システムと密接に関連している研究領域
であるという対象の幅広さとダイナミズムさゆえに、鋭敏で優秀な若手研究者を惹きつ
けています。この結果、国際社会学は日本社会学のなかでもっとも進境著しい研究領
域のひとつに成長しました。
ただ、従 来の国際 社会学 的研究 の問題 点は、国 際社 会との関 連で対象を見る視
点が前面に出て、その歴史的な視点が欠落しがちな点でした。たとえば、私が長年続
けてきた「満洲」移民研究や中国帰国者研究は国際社会学というよりも、歴史社会学
の領域に位置づけられてきました。もっとも、私自身も『「満州移民」の歴史社会学』と
いうタイトルの本を 1994 年に刊行しましたように、それは歴史社会学の領域と考えられ
てもおかしくはなかったのです。しかし、その歴史的因果としての中国帰国者(中国残
留日本人孤児やその家族)を見れば、「満洲」移民研究や中国帰国者研究は歴史社
会学的なアプローチと同時に、国際社会学のアプローチから接近するテーマであると
言えましょう。なぜなら、中国残留日本人孤児は、単なる戦後処理問題というだけでは
なく、グローバル化に巻き込まれた中国農村社会や日本の地域社会の問題と密接に
関連しているのです。しかも、中国帰国者の皆さんが中国で「小日本鬼子」と批判され、
日本では「中国人」と差別されてアイデンティティ・クライシスに悩む姿は、まさに脱植
民地主義(post-colonialism)の文脈にあります。イギリスの旧植民地 出身者を研究す
るH・スチュアートに言及するまでもなく、国際社会学と歴史、端的に言えば脱植民地
主義との関連は切っても切れないものなのです。そして、それは現代日本の外国人労
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働者や外国籍市民というエスニック・マイノリティ研究においても同様なのです。
2.日本帝国をめぐる人口移動の国際社会学
つい先日、私は『日本 帝国をめぐる人口移動 の国際社会 学』(編著、不二出 版)を
出版しました。これは、まさに、日本帝国の崩壊後の人口移動(引揚げ、送還、「密入
国」、「残留」など)という現象がどのように現れたか、そして東アジア地域秩序のなかで
抑制されてきたメカニズムを明らかにすることを目的としたものです。たとえば、在日朝
鮮人問題や中国帰国者の問題は日本帝国の形成・膨張・崩壊という歴史の大きなう
ねりに規定された過去を引きずっているだけでなく、同時に今日的な脱植民地主義と
深く関連しつつグローバル状況に直面しているというきわめて国際社会学的なテーマ
なのです。このように国際社会学的なテーマの多くは、現在の国際世界の状況のみで
なくその歴史的な背景との関連を抜きには考察できないのです。それぞれの現象のな
かに縦糸(脱植民地主義という歴史的な視点 )と横糸(グローバル化という視点)がど
のように織りなされているのかを解き明かすことこそが、国際社会学に要請されている
課題なのです。
3.フィールドワークとの出会い、国際社会学との出会い
さて、私の経験を少し話してみましょう。「人生は出会い」と言われますように、私の研
究生活も先生や重要なインフォーマントとの出会いによって大きく規定されてきました。
社会学でも学説研究や理論研究以外は考えられないような雰囲気だった京都大学大
学院文学研究科社会学研究室に進学しながら、「蛮勇」を持ってフィールドワークを始
められたのもまさに益田庄三先生との出会いにありました。益田先生は古き良きフィー
ルド屋ともいうべきひとで、きかん気の私に、じっと我慢しながら手取り足取り我が子の
ように教え込んで下さいました。また、満洲移民を研究テーマにしたのは、大学院の指
導教官である中久郎先生の勧めだっただけでなく、満洲移民 体験者であるK氏夫妻
に出会ったことが決定的でした。そして、それまでの地域研究を捨てて満洲移民に関
する歴史社会学的研究へと大きく方向転換しました。その出会いで感じたことにこだわ
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り続け、研究を継続してきたことが今へとつながっているのです。K氏夫妻との出会い
からこの夏で 24 年になりますが、満洲移民から、中国残留婦人、そして中国帰国者の
戦前体験と戦後体験を追い続け、現在の研究へと至っています。29 年前の大学院で
の授業がフィールドワークという方法へと私を導き、24 年前の偶然の出会いが大きな
裾 野をもつ山 、歴 史社会 学、国際社 会学 という研究 課題 へと私を導いてくれたので
す。
4.おわりに
さて、これから大学院で研究を志す皆さんにひと言アドバイスするとすれば、それは
自分 にあった研究テーマと研究 方法を見つけて下さい、というものです。私の場合を
紹介しますと、私は研究者が本来もっとも要求されるはずの緻密なテキスト・クリティクス
を得意とはしていませんでした。しかし、その反面、知らない世界に飛び込み、知らな
い人と会って話すことが大好きでした。それに、何よりも共同研究グループを組織しそ
れを支えコーディネートするのが得意でした。物心ついたころからガキ大将で、近所の
子供たちを集めて野球や相撲に明け暮れましたが、それは大学まで続き、まさに体育
会系の典型的なリーダータイプとして育ったのです。
それらの経験の蓄積が、長年の貴重な共同研究のコーディネータとしての資質とな
っているのです。子どものころから初対面の人と会ってもすぐ仲良くなるのが得意な私
には、フィールドワークという方法はまさに打ってつけの方法でした。大手メーカーへの
内定を捨てて進学したいという私に、オーソドックスな研究者をイメージする先輩や友
人から、「お前には研究者は向かない、もったいないよ!」、と忠告されました。フィール
ドワークという方法に出会わなければ、先輩や友人たちが心配したように中途半端な
研究者に終わっていたと思います。
また、満洲移民という研究テーマにしても、当時はこのテーマを社会学的にどのよう
に研究するのかは私も周囲もまったく手探りの状態でした。当時は、学会で報告しても
ほとんどコメントも質問もしてもらえないというほどでした。社会学的な研究テーマとして
馴染みのないものを選んでしまい、学会で無視され、大いに悩みました。「彼はいい素
材なのに、あのテーマではね」と、惜しまれたこともあったと聞きました。しかし、それを
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根気強く掘り下げていくうちに、気づいてみれば、私がこの領域を切り開いていたので
す。このテーマが自分にぴったりとあっていたとまでは言えませんが、やはり学生時代
から移民(人口移動)や親世代の戦争体験には大きな関心があったのです。ただ、そ
れが社会学のオーソドックスな研究テーマとして相応しいものだとは思えず、諦めてい
たのです。研究を追求するうちに、まさに自分の人生と重なり、私にピッタリのテーマと
なってきたのです。
自分にあったものを見つけるのはそう簡単なことではありません。まずは、自分の関
心のあるテーマをしっかりと掴むことが大事でしょうか。先ほどから述べていますように
私自身は、K氏夫妻へのインタビューに衝撃を受けて現在の研究に研究テーマを大き
く変えました。研究書からの衝撃、ニュースからの衝撃、日常生活での衝撃、どこから
でも研究関心は生まれてくるでしょう。その関心をしっかりと受け止め、時間をかけて育
てていってください。そして、得意技を磨いて下さい。本を読むのが好きな人は研究書
をしっかりと読んでください。街を歩いたり人と話したりするのが好きな人はインタビュー
やフィールドワークの技法と論理を得意技にすることです。あとは、健康に留意してマ
イペースで根気強くテーマを掘り下げていけば、道は自ずと開けてくると信じます。
最後に、皆さんが、自分にピッタリのテーマと方法に出会われることを念じます。そし
て、上智大学グローバルスタディーズ研究科国際関係 論専攻への進学がその「人生
の出会い」であることを心から願っています。
5.参考となる文献
[国際社会学の参考文献]
・総論的な位置づけの本・講座もの
梶田孝道編『新・国際社会学』名古屋大学出版会、2004 年。
梶田孝道編『国際社会学(第2版)』名古屋大学出版会、1992 年。
駒井洋編著『講座移民問題 (第1巻∼第5巻)』明石書店、2002 年。
宮島喬ほか編『国際社会(全7巻)』東京大学出版会、2002 年。
本間浩『難民問題とは何か』岩波新書、1990 年。
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・各論的な位置づけの本
梶田孝道・丹野清人・樋口直人『顔の見えない定住
日系ブラジル人と国家・
市場・移民ネットワーク』名古屋大学出版会、2005 年。
宮島喬・太田晴雄編『外国人の子どもと日本の教育』東京大学出版会、
2005 年。
福岡安則・金明秀『在日韓国人青年の生活と意識』東京大学出版会、1997 年。
川上郁夫『越境する家族−在日ベトナム系住民の生活世界』明石書店、
2001 年。
吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学』名古屋大学出版会、1992 年。
蘭信三著『「満州移民」の歴史社会学』行路社、1994 年。
蘭信三編著『「中国帰国者」の生活世界』行路社、2000 年。
蘭信三「満洲移民研究における社会学的方法の可能性」『社会情報学(札幌学院
大学)』第 9 巻 2 号、2000 年。
蘭信三編著『日本帝国をめぐる人口移動の国際社会学』不二出版、2008 年。
[フィールドワークの参考文献]
桜井厚『インタビューの社会学−ライフストリーの聞き方』せりか書房、2002 年。
ジェイムス・ホルスタインほか(山田富秋ほか訳) 『アクティヴ・インタビュー』せりか書
房、2004 年。
ロバート・エマーソンほか(佐藤郁也ほか訳)『方法としてのフィールドノート』新曜社、
1998 年。
佐藤郁也『フィールドワーク(増訂版)』新曜社、(初版 1992 年)2006 年
佐藤郁也『フィールドワークの技法』新曜社、2002 年
玉野和志『実践社会調査入門』世界思想社、2008 年
好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房、2000 年。
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