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知る人ぞ知る塩谷哲 - WordPress.com

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知る人ぞ知る塩谷哲 - WordPress.com
「勘弁してよ!」
彼は、いきなりそういった。一年ほど先に予定されていたコンサートでとりあげる作品として、ぼ
くが、彼、塩谷哲(しおのやさとる)にベートーヴェンの第9交響曲を提案したときのことである。
さらに、彼はしばらく考えた後、「いずれにしても、少し考えさせて下さい」といった。
塩谷哲は、一部に熱烈なファンがいるものの、その知名度はかならずしも一般的とはいえない。し
かし、音楽関係者のなかには彼のキーボード・プレーヤーとしてのとびきりの技量とその抜群の音楽
的センスに注目している人は少なくない。
塩谷哲は東京芸術大学の作曲科で学んでいるが、彼の名前を広く音楽ファンに知らしめたのはオル
ケスタ・デラ・ルスにおける活動だった。そのオルケスタ・デラ・ルスに彼は1986年に参加して
いる。
オルケスタ・デラ・ルスは1993年に国連平和賞を受賞している。さらに、この年には日本レコ
ード大賞特別賞を受賞したり、NHKの紅白歌合戦にも出演したりして、新聞や雑誌でもさかんにと
りあげられたことで、その活動は音楽ファンのみならず、多くの人たちに注目された。
さらに、1995年には、オルケスタ・デラ・ルスの4枚目のアルバム『La Aventura 』がグラミ
ー賞にノミネイトされてもいる。このようなことからも、オルケスタ・デラ・ルスの名声が日本国内
にとどまらず、海外でも高いことがわかる。
そのような経緯があるので、塩谷哲のことを、まずオルケスタ・デラ・ルスとの関連で考える人が
多くなるのもやむをえない。しかし、塩谷哲は1996年に、このオルケスタ・デラ・ルスを退団し
ている。その後の塩谷哲の活動は熱帯ジャズ楽団やSALT BAND、さらにソロ活動へと移って
いくことになる。彼の最初のソロ・アルバム『SALT』は1993年に発表されている。
蛇足ながら書きそえれば、塩谷哲の愛称であるSALT(塩)は塩谷哲の塩からとられたもので、
リハーサル中に、共演するミュージシャンたちは、彼のことを親しみをこめて、
「SALT!」と呼ん
でいる。
そのSALTに困惑の表情をさせ、
「勘弁してよ!」といわせるようなことをぼくがしてしまったの
には、むろん、それなりの理由があった。
1975年に発売されているエマソン・レイク・アンド・パーマー(EL&P)のアルバムに『展
覧会の絵』がある。このアルバムでは、ご存じの方も多いと思われるが、キーボードのキース・エマ
ーソン、ベースのグレッグ・レイク、ドラムスのカール・パーマーといったロック界の三大スター・
プレーヤーがムソルグスキーの作曲した組曲を演奏していた。
余談になるが、このEL&Pの『展覧会の絵』がワーナー・パイオニアから(P8200A) という番号
のLPで発売されたとき、ぼくはライナーノーツを書いた。想像するに、レコード会社の担当者は、
あいつはロックも好きできいているらしいからといったような単純な理由で、ぼくにライナーノーツ
を依頼したにちがいなかった。
しかし、その後、ぼくは思いもかけない経験をすることになる。ぼくはこれまでにクラシックのア
ルバムでもそこそこの数のライナーノーツを書いてきた。しかし、あのライナーノーツを読みました
よなどといわれた記憶がほとんどない。にもかかわらず、そのEL&Pの『展覧会の絵』については
初対面の雑誌の記者や音楽関係の何人もの人が話題にした。そのことから、クラシックの多くのアル
バムとちがって、ロックのアルバムがいかにたくさんの人たちにきかれているかがわかった。
ぼくは、EL&Pが『展覧会の絵』でやったようなことを塩谷哲にベートーヴェンの第9交響曲で
やってもらえたら面白いのではないか、と考えた。そこでの、塩谷哲への第9交響曲の提案だった。
むろん、オリジナルがピアノ曲である『展覧会の絵』とオーケストレイションまで完璧に出来あがっ
ている第9交響曲では一緒くたにできないことは百も承知のうえでのことだった。塩谷哲の「勘弁し
てよ!」も、その点をふまえてのものにちがいなかった。
しかし、ぼくにはぼくなりの勝算があった。塩谷哲に第9交響曲を提案するまでに彼のリーダー・
アルバムのすべてをきいていたぼくには、彼ならなにか新しいことをやってくれそうだと思う、一種
の確信めいたものがあった。
塩谷哲にはさまざまなタイプの作品があるが、そのなかでもぼくが特に興味をそそられたのは19
97年に発売されているアルバム『SALTⅢ』(ファンハウス FHCF2394) できける「ボレロ」だ
った。塩谷哲の「ボレロ」があのラヴェルの「ボレロ」から触発されたものであることはあきらかだ
った。だれもが知っている名曲に対してこのようなスタンスがとれて、こういうことが出来る塩谷哲
であれば、第9交響曲でだって、きっと、彼なりの視点をあきらかにしてくれるにちがいないと、ぼ
くは考えた。
はたせるかな、塩谷哲は彼独自の鋭利な剃刀でベートーヴェンの名曲を見事に切ってみせた。その
ベートーヴェンの第9交響曲をとりあげたコンサートが終わったとき、塩谷哲は安堵のため息ととも
に、「まるで入学試験をすませたような気持ですよ」といった。
この、プロの第一線で活躍している花形ミュージシャンのものとはとても思えない謙虚なことばは
暗黙のうちに、ベートーヴェンに対する畏敬の念に押しつぶされそうになりながら、必死に、そして
真摯にベートーヴェンの音楽と対峙しつつ自己を主張しようとしたた若き音楽家塩谷哲の意欲を端的
に語っているように思われた。彼のそのようなひたむきさがききてに届かぬはずもなく、コンサート
は大成功で終わった。事実、塩谷哲版第9交響曲は彼の才気と情熱が十全に示されたもので、ききご
たえ充分だった。
それまで塩谷哲を知らなかったといっていた、日頃、おもにクラシックを中心にきいている友人ま
でもが、
「よかったよ、とても」といって、興奮した面持ちで帰っていった。それをきいて、困惑しつ
つ「勘弁してよ!」といった彼を口説きおとした手前、コンサートの結果を少なからず心配していた
ぼくも、ほっと胸をなでおろした。
そして、同時に、出来ることなら、来年の夏にもまた、塩谷哲にもう一度、
「勘弁してよ!」といわ
せて、彼によるさらなるベートーヴェンの音楽に挑んでの冒険をきいてみたいと思った。
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