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東京歯科大学同窓会

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東京歯科大学同窓会
東京歯科大学
同窓会会報
1978年 2月
点}~ (肉科大 '
γ
:
r
a
J窓 会 会 出
:;t~ 1
81 ~J
目 次
巻頭 1
_
1
.
.
.
.
.
.
.
・
・
・
・ ・
・
・
・・
・
・
・
・
・
・
一
0
・
一.
.
.
..1
お 知 ら せ・ ・ …・
・ ・
・
・
・ ・・
.
.
.
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.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
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.
.
.2
新年交歓会・・・ ・ー・……ー・…・ ・・
ー
・
・
ー
-… .
.
.
.
.
3
新 役 員 紹 介・ ・
.
.
.
.
.
.
4~
・・ ・ ・・- ・
・
6
本 部 短 信 ..
.
. ・・
・ー・…-・ー...
.
.
.
.
.目
・
…目
・.
.
.
.
..
.
目
.
.
..
.
.7
8 (
逝去会員
)血向先生叙勲祝賀会
.
.
.
.
.
.
.
.
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.
.
.
.
..
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
..
.
.
・9
j
長)
1
:夫卒後援会版告..
.
.
..
.
・
・・ー……一..
.9~ 1O
京株f大 病 院 長 退 任 ・就任の技拶・ ・
・
…
・
・
・
・ "' 1l ~ 1 2
付 校 だより .
.目
.
.
.
.
..
・
・
・
目
..
.
.
・
・
・
・
・
・
'・ ' 1 2~ 1 4
支部のうごき... . .... . .... . . . . . . .. ......… ・ ・・・・・・ 1 5 ~ 1 7
クラス会だより ・ ・ ・・ ・・ ・ ・ ・ 田 . . .... .... . ..... .. . . . . .. . . 1 8~26
'
1
'村 保 夫 慶 大教 授 定 年 記 念 会 案 内 ・ .......
.
・.
2
6
会員トヒックス ・
・
.
..
.
.
.
.
.
..
.
.
.
.
.
一・
ー・
・
・
・
…
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.2
7
すいどうば し・・・・ 目 ・. . . . ..….... . . .. . . ... ・…・ ・・・・ 28 ~ 29
(表紙 ・カット
菊池豊〉
呈一口
年
頭
会長
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:
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7
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e
_
I
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t
井上
真
希望に満ちた昭和 5
3年の年頭に当り,この想い
に歯科医を択ばした両親の慈愛と,歯科医たらし
出深い母校ホー ルに於いて ,同窓諸兄 と共に年賀
む可く教育して下さった母校並に恩師に対し深甚
のご挨拶を交す事が出来ます事は誠にご同慶の至
なる感謝を しな ければならないと思います。
りであります。
恩師血脇守之助先生は,大正 8年,母校の将来
今年は干支で申しますと,午年であります。奔
を案じ ,経営主体を財団法人に改め全私財を学校
馬天空を往く大飛躍の年であります。先人の言葉
へ寄附され尚不足分を一般有志並びに 同窓の寄附
に,一年の計は元 Eにあり ,一月の計は朔日にあ
∞ 万円を投じ今日の大学の基礎を造
に依存し約 1
り,一日の計は朝にありと申します。
られたのであります。
今年は吾等同窓は, 何を計画す可 きか ,何を為
私は同窓諸氏の全財産を学校の為めに提供して
す可きか。申すまでもなく,目玉事業は,同窓会
欲しいとは申しません 。せめて 1年 ,1
2か月の内
80周年記念事業の募金を取り上げなければなりま
自分の生れた月 , 1か月分の各自の収入を 1回だ
せん。今年こそ,学校と同窓会との表裏一体の実
け母校の為めに寄附し て頂けたら ,稲毛の講堂或
を,態度 で示す可き年であります。
は体育館は申すに及ばず,私達が今集っている,
政府は所謂 1
5か月予算と称し実に 3
4兆の膨大な
予算を計上しました。是れは昨年に比し 6兆の増
であります。是れは沈滞した景気を何とかして回
復に向わせる手段であります。
この場所 ,この老桁化した水道橋校舎の改築もあ
ながち夢ものがたりでは無いと確信します。
私は今日,輝しい元旦に当り僅かではあります
が,金壱百万円を ,同窓会創立80
周年記念募金第
石油シ ョック,次いで最近の円高 ,吾国経済界
1号として法人理事長鹿島俊雄先生にお託し致し
の混乱,特に構造不況業種,大企業の相継ぐ倒産
ます。吾吾一人一人の力は極めて微々たるもので
は其の止まるところを知らず,是れに因する自殺
ありますが ,百人,千人,同窓 8千有余が其の気
者も後を断たない誠に深酷な現状であります。
になれば目的は必ず実現する事と信じます。
翻って吾々歯科業界を観まするに,診療報酬の
「ニッコリ笑って母校へ寄附金」この一言をキ
低廉,加うるに諸物価特に人件費の高騰等其の生
ャッチフレ ーズとして全同窓各位に訴える次第で
活は苦しいとは申しながら,歯科医院の倒産,自
あ ります。
殺者等は未だ其の噂を耳に致しません 。是れ一重
こ
っ
ユj
住戸
、
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・
・
・
.
.
.
.
炉建
〓
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且
お知らせ
......聞~E:.:$ γ一吋伊朝国際市
十 可ー
0 第2
0
3回東京歯科大学学会例会
とき
昭和5
3年 3月1
1日〈土〕
ところ
東京歯科大学
講演
一般講演(午前)
午前 9時
午後 5時
特別講演(午後)
(
1
) UCLA
,USC,Loma L
inda 歯科大学における臨床教育およびアメリカ歯科医療
の現状
I
I
)
高橋一祐助教授(保存 I
(
2
) 伝統について
平井満喜男教授(進学課程 ・英語〉
なお ,当日は歯科医療関係商社の展示即売会を併催いたします。
o TDC卒後研修セミナー
〔主題〕
(
第 3年次)
総合的な視点にたった歯科診療一一一口腔機能の維持と回復一一
皿 メインテナンスとレストレーションの調和を求めて
。第 3回
〔昭和5
3年 3月1
8日(土))
9:30~ 1
1:3
0 1
. 乳歯根管の特徴と根管治療の考え方
町田
孝 雄 ( 東 歯 大 ・児歯〉
1
2:30~15 :4
0 2
. ポイント根管充填の理論
砂 田 今 男 ( 医 歯 大 ・保存〉
1
6:00~17 :3
0 3
, 根管の形態は何を物語っているか
筒 井 正 弘 ( 大 歯 大 ・病理〕
O第 4回 〔昭和53
年 4月1
5日(土))
9:30~ 1
2:0
0 1
. ポイント根管充填の臨床
東 海 林 芳 郎 ( 東 京 都 ・開業〉
1
3:00~ 17 :0
0 2
. 糊剤根管充填をめぐって
石 川 達 也 ( 東 歯 大 ・保存〉
浅 井 康 宏 ( 東 歯 大 ・保存〉
0第 5回 〔昭和5
3年 5月2
0日(土))
9:30~ 1
1:3
0 1
. 辺縁の適合性と歯肉縁下の実態
1
2:30~14 :30 2
, 支台歯形成と歯周組織
1
4:50~17 :0
0 3
. マージンの処理と間接法のかんどころ
O第 6回 〔昭和53年 6月24日(土))
9 :30 ~12: 00 一般臨床のベリオの処置を含めたマネージメント
1
3:OO~ 1
7:0
0
_ー症例を中心として一一
。 第 7回
羽 賀 通 夫 ( 東 歯 大 ・補綴)
真 坂 信 夫 ( 東 京 都 ・開業〉
川 崎
仁(東京都 ・開業)
鈴 木 文 雄 ( 千 葉 県 ・開業〕
〔昭和5
3年 7月1
5日(土))
9:30~ 1
1:3
0 1
.
外科的暁合改善の進歩
1
2:30~14 :0
0 2
. 臨床家の活用できる M.T.M.
1
4:20~17 :00 3
. 顎関節のメインテナンスのための修復処置
。 第 8回
井 上 昌 幸 ( 医 歯 大 ・補綴〉
高 橋 正 二 郎 ( 東 歯 大 ・口外〉
栗 田 春 海 〈 静 岡 県 ・ 開業)
藍
稔(医歯大 ・補綴)
〔昭和5
3年 9月 9日(土))
9:30~ 1
2:3
0 1 長一シャルデンチャーの床をめぐる問題点と対関根
弘(東歯大・補擁〉
1
3:30~17 :0
0 2
. パーシャルデンチャーと暁合のプランニング
敦〈大歯大 ・補綴)
山下
。 第 9回
〔昭和5
3年 1
0月 7日(土))
9 :30~12: 0
0
1
. 症例からみたプランニングの問題点
1
3:00 ~ 1 6 :3
0
2
金 子 一 芳・
他 (東京都 ・開業〉
1
6:30~ 17 :0
0
2, 第 3年次のまとめと第 4年次の展望
~.
_ _~..
_
卒後研修特別委員会
3
. 閉講式 ・受講証授与
4階経団連ホール(地下鉄千代回線 ・丸の内線 ・東西線 ・都営 6号線大手町駅,
会 場 経団連会館 1
国電東京駅下車〉
0第 83回東京歯科大学卒業証書授与式
とき
昭和 5
3年 3月2
3日(木〉午後 1時
ところ
1)
東京歯科大学体育館(市 )
0第 2
8回東京歯科大学歯科衛生士専門学校卒業証書授与式
とき
昭和 5
3年 3月2
5日(土〉午後 1時3
0
分
ところ
東京歯科大学(水道橋〉
0第 8回進学準備セミナー
と
き
A クラス(現高 2)
昭和 53年 7 月 29 日 (土 )~ 8 月 13 日 ( 日 〉
Bクラス(現高 1) 昭和5
3年 8月 5日(土), 6日(日〉
ところ
.
笹川記念会館(東京 ・三田〉
詳細は本号に折込みの色刷 りのご案内をご覧下さし、。
新年交歓会開催
井上同窓会会長
8
0周年記念募金第 1号寄贈者に
恒例の新年交歓会は,第 5次井上執行部の初の
れたのち,稲毛校舎建設資金として鹿島理事長に
行事として昭和 5
3年 1月 1日 (日〉午後 1時から
巨額の基金を寄贈された。鹿島理事長は,感謝の
母校中央ホールにおいて盛大に行なわれた。本年
は,前年までの会場であった母校第 1教室の机が
固定式に改装されたので ,昔懐しい中央ホールに
復活したのである 。暖かい元旦で雨となったにも
拘らず,大学役員 ,教職員の方々 ,そして同窓会
会員でホ ールも満席となった。
言葉に次いで私もこれに続きたいと付言され,同
0周年記念募金第 1号とされたし、旨を希望な
窓会 8
れた。
また,新副会長 5名別掲の紹介が井上会長 より
行なわれ,尚一層のご協力,ご鞭撞ご叱声を賜わ
安嶋同窓会総務の司会により開会,鹿島理事長
松宮学長,井上同窓会会長 ,山 本父兄会会長の祝
りたいと結ぼれた。ここに,同窓会井上執行部の
第 1歩が名実共に踏みだされた。
辞と挨拶があり , ともに本年こそ最良の年である
次いで,杉 山不二名誉教授の 音頭で乾盃,伝統
ことを期待したし、とのべられた。ことに,井上会
の交歓会が開宴し ,和やかで有意義な歓談がいつ
長は,新年の抱負と本年度の会務執行方針を話さ
までも続いた。
3
東京歯科大学同窓会の新役員紹介
会長
井上
;
青藤志郎 (
再任)
真 (再任)
昭和1
5
年卒
副会長
常任理事
渉外担当
高 木 健 吉 (再任)
村 越 義 雄 (再任)
昭和 2年 卒
河 辺 清 治 〔新任〕
昭 和 6年 卒
昭和 1
8
年 9月卒
共済担当
寛 (再任〉
坂
昭和1
9
年 9月卒
坂 垣 正 太 郎 (新任〕
昭 和1
1年 卒
総務担当
福本
忍 (新任)
昭和1
9年 9月卒
安嶋宣忠 (
新任〕
昭和 1
4年 卒
渉外担当
関
口 恵 造 (再任〕
昭和22
年卒
4
常任理事
常任理事
会計担当
学術担当
今 村 嘉 孝 (再任〉
佐 々 木 達 夫 (再任〕
昭 和27
年卒
昭和22
年卒
広報担当
総務担当
中久喜
梅 田 昭 夫 (再任〕
喬 (再任)
昭 和27
年卒
昭和23
年卒
渉外担当
会計担当
熱 田 俊 之 助 (再任〉
菊池
豊 (再任〉
昭和 3
5
年卒
昭和24
年卒
共済担当
広報担当
杉 山 邦 夫 〔再任)
溝上隆男 (
新任〉
昭和24
年卒
昭和37
年卒
理事
北海道 ・広報担当
学術担当
白川
尚 (新任〕
昭 和24
年卒
松 川 健 二 (新任)
昭和 1
3
年卒
総務担当
東北 ・総務担当
中 野 年 朗 (再任〉
宮田欣一 (
新任〕
昭和26
年卒
昭和22
年卒
理事
理事
関東 ・会計担当
中国 ・共済担当
田 部 井 三 雄 (新任〉
財 満 史 郎 (新任〉
昭和 1
6
年卒
昭和 1
4
年卒
東京 ・渉外担当
四国 ・渉外担当
並 木 俊 雄 (再任〉
正 岡 健 夫 (再任〉
昭 和2
9
年卒
東海 ・広報担当
朝波
篤(新任〉
昭 和1
6
年1
2月卒
昭和1
5
年卒
(
思)
九州 ・広報担当
野上
順
平 〔再任〕
昭 和 7年 卒
監事
信 越 ・学術担当
徳
山 貞 長 (新任〕
昭和2
4年 卒
合
i
竜
義 胤 (新任〕
昭和 7年 卒
句
酬
・
北陸 ・広報担当
高 木 圭 二 郎 (再任)
青 木 康 三 (新任)
昭和1
0
年卒
昭和1
8
年 9月卒
事務局
近 畿 ・広報担当
林
幹 雄 (再任)
昭和1
6
年卒
事務長
中野喜一
沢田典子
松川栄子
勝村和子
6
本部短信
1月1
2日 丸の内 ・麹 町 支 部 合 同 新 年 会 井 上
1
) 行事・役員出張・その他
1
1月1
9日 九州地域支部連合会総会
会長 出席
高木副会
1
5日 東京医科歯科大学同窓会名刺交換会
1
9日 東 海 地 域 支 部 連 合 会 総 会 井 上 会 長
1
7日 鹿島俊雄先生叙勲祝賀会 井 上 会 長
長 ,中野,野上理事出張
井上会長出張
坂本副会長 ,森理事 出張
会員多数 出席
2
2日 大 森 支 部 総 会 熱 田 理 事 出 張
20日 会報編集委員会
2
3日 近 畿 地 域 支 部 連 合 会 総 会 井 上 会 長
2
1日 卒後研修セミ ナー (第 3年次第 1回
〉
出張
2
4日 会報編集委員会
2
6日 卒後研修特別委員会(合同〉
2
7日 栃 木 県 支 部 総 会 清 藤 副 会 長 出 張
1
2月 2日 東 京 地 域 支 部 連 合 会 総 会 井 上 会 長
出席
(開講式,午前9
,
3
0 井上会 長 松
宮学長 出席)
2
1日 神奈川県支部連合同窓会新年会員懇
談 会 井 上 会 長 ,中野事務長出張
2
3日 卒後研修特別委員会(小委員会〉
2
4日 同窓会顧問,故渡辺昌夫先生葬儀
3日 茨城県支部総会 中久喜理事出張
4日 千 葉 県 支 部 総 会 井 上 会 長 出 張
8日 父兄会 座 談 会 井 上 会 長 出 席
2
4日 世 水 会 新 年 会 井 上 会 長 出 張
9日 歴代学長年末墓 参 井 上 会 長 参 列
2
7日 浅草 ,下谷 支 部 合 同 新 年 会 井 上 会
井上会長参列
2
5日 芝 支 部 総 会 井 上 会 長 出 張
1
0日 四 園 地 域 支 部 連 合 会 総 会 井 上 会 長
出張
12日 父兄会理事会,懇 親 会 井 上 会 長 出 張
1
3日 玉川支部,世田谷支部合同懇親会
長 出張
2
8日 京北歯科同窓会新年会
2
8日 1
1歯科大学同窓,校友会懇談会
井上会長,清藤副会長出張
1
4日 日 本 橋 支 部 総 会 井 上 会 長 出 張
1
7日 浅 草 支 部 総 会 井 上 会 長 出 張
1
7日 同窓会報第 1
8
0号発送
1
8日 理事会
出張
2
8日 理事会
2) 支部長交替
小樽 支部九津見敦
(
昭和1
8
.
9年卒) 5
3
.1
.1
1
8日 関 東 地 域 支 部 連 合 会 各 県 会 長 会 井
上会長出張
大学支部
佐藤徹一郎
(
昭和 2
8年卒〉
2
1日 大学支部総会
2
1日 放奥村学長の年末墓参井上会長,
京橋支部佐藤
/
/
本郷支部安達嘉典
〈昭和1
3年卒〉
2
7日 卒後研修特別委員会(企画小委員会〉
昭5
3年
1
1
元
(
昭和2
6年卒〕
安嶋理事参列
2
6日 丸 の 内 支 部 総 会 井 上 会 長 出 張
清
藤副会長,村越,熱田,並木各理事
H
下谷 支部白井孝一
1月 1日 新年交歓会(於母校中央ホール ・午
後 1時
〉
1
0日 卒後研修特別委員会(合同〕
(昭和2
3年卒〉
鳥取県支 部 今 井
1
1
悟
(昭和3
0年卒)
1
1
7
3) 躍 災 会 員
実
山口県支部江本
(昭和 1
2年卒)
5
3.1.1
北 支 部 小 松 基 博 ( 昭1
8
.
9年卒〉
家屋半焼(11
月 6日
〉
逝去会員
下記の会員が逝去されました。
ここ に 謹
ιで哀悼 の意を表し
心からご冥福をお初り申し上げます
(敬称略.届出 1
)
原
〉
昭
1
9
.9卒
山口県支部
昭
3 卒
目黒支部
昭
3 卒
群馬県支部
〒3
7
6 桐生市錦町 1-914
6 卒
尾張支部
大
1
3卒
和歌山県支部
昭
2
4卒
渡辺
昌夫
橋元伊八郎
干4
6
7 名古屋市瑞穂区汐路町
森本太平
宮野
稔
林
東信支部
干3
8
4 小諸市相生町 4
1
医学校卒
山
江戸川支部
千1
3
2 江戸川区平井町 6-61-15
田
幸一
口 敬蔵
口
基
群馬県支部
干3
7
0 高崎市住吉町2
0
医学校卒
山本稔雄
三重県支部
干5
1
8 三重県上野市農人町 3
8
6
1
2卒
日本橋支部
‘
肘
変
5
2
.1
1
. 3
急性 心不 全
5
2
.1
2
.2
9
老
衷
5
2
.1
2
.2
6
全
5
3
. 1
.4
癌
5
3
. 1
. 6
化症
5
3
. 1. 9
衷
5
3
. 1
.1
0
硬
心
d
不
干6
4
9
-0
3 有田市箕島 1
8
別科卒
昭
5
2
.1
2
.2
2
1-32
〒3
3
0 大宮市大門町 1-2
0
薦
交通事故
〒1
5
6 世田谷区松原 2-4
0-23
埼玉県支部
推
8
長谷川重作
渡辺良猷
大
5
2
.4
.1
7
1
干1
5
3 目黒区下目黒 4-80
医学校卒
7 卒
癌
市
目
圧司光人
干3
61 埼玉県行田市宮本町 6
世田谷支部
5
2.1
2
. 3
出
千7
5
6 山口県小野田市千代町6
4
2
8
埼玉県支部
大
血
単
日
吉屋茂隆
饗庭格太郎
〒1
0
3 中央区日本橋浜町 3-10-3
』
市
脳軟
老
脳
出
血
5
3, 1, 4
J
I
当
f
I
n
栓
5
3
.1
.1
6
前立腺癌
5
3
.1
.2
2
鹿島俊雄先生叙勲祝賀会開催
│昭和 5
3年 1月 1
7日(火)午後 4時 3
0
分からホテ
ル ・オークラ平安の聞において鹿島俊雄先生叙勲
祝賀会 が発 起 人 代 表 主 催 に よ り 盛 大 に 開 催 さ れ
たρ
高木下二郎副学長が開会,政 ・財界の名士,歯
科界の長老による多数の祝辞,祝樽鏡聞き ,全て
先生のご功綴を称え,栄誉を祝福する万福の拍手
によって終始した。万才三 唱は井上同窓会会長,
閉会は高木健吉副会長がそれぞれ行った。
謹啓
厳寒の候,孫々ご清博のこととお慶び r
fし上げま
す。
槻て,去る 1月 1
7日 (
火
〉 鹿島俊雄先生叙索、
祝賀会の開
催に際しては ,政, 財界及び歯科界初め多数の皆様方の
ご臨席を得まして無事感会に終了致しました事を発起人
代表の一人として衷心より有難くお礼申し上げます。
島先生へのご厚情の賜ものであり ,本人に代り心からお
今後も今までの経験を生かし邦家のため,歯科界発展の
ため ,又歯科教育にご尽力される事と思いますので,今
後共相変らず宜しく御支援御協力をお願 L、致しまして,
礼申し上げます。
御礼,御挨拶と致します。
この度の祝賀会の成功はひとえに皆様方の永年に亘る鹿
鹿島先生は当日の来賓各位の御祝辞にもありました如く
敬具
昭和 53年 2月
8
年間の政治活動により ,
医政活動歴約 26年,国会在籍 1
東京歯科大学同窓会
特に国政枢機に参画した功績により受章されましたが,
会長井上真
東京歯科大学同窓会浅井 美幸後援会報告
昭和 5
1
年度本学同窓会評議員会において ,わが同窓である浅井美幸君(公明党副委員長 ,衆議院
議員)の後援会を設立することが満場一致で決議され ,その後 ,井上真会長のもとで,その組織づ
2年 7月2
8日,本校第 1演習室で第 l回の後援会常任幹事会
くり ,具 体化が急がれていたが ,昭和 5
を開催した。
浅井代議士の選挙区である大阪の平支部長,伊藤副支部長も役員として出席された。
以下,当日決定をみた 会則及役員名簿を示すと次の通りである 。
東京歯科大学同窓会
浅井美幸後援会会則
第 1条
本会は東京歯科大学同窓会浅井美幸後援会と 称する 。
第 2条
本会は浅井美幸君の政治活動を後援し ,社会保障の充実及び確立のための研究を図るこ
第 3条
本会はその 目的達成のため講演会,座談会等の諾会合その他必要と認める事業を行なう。
第 4条
本会は事務所を大阪市東区南新町 2丁目 3
4番地に置き ,連絡事務所を東京歯科大学同窓
とを目的とする 。
会事務所内に置く 。
第 5条
本会は東京歯科大学同窓会員及び前条の目的に賛同する者をもって会員とする。
9
第 6条
本会の総会は定時総会及び臨時総会とする 。
34 第
2 定時総会は年一固定時に開催する 。
臨時総会は会長が必要を認めた時 ,開催する 。
緊急を要する場合は常任幹事会をも って,総会に代 え ることができる O
7条
本会に次の役員を置く 。
会 長 一 名 副 会 長 若 干 名 幹 事 長一名 常 任 幹 事,幹 事 各 若 干 名 監 事 二 名
第 8条
本会の会長は同窓会長若しくは同窓会長の委嘱する者とする 。常任幹事会は,会長,副
会長 ,幹事長 ,常任幹事をもって構成する 。
第 9条
本会には,名誉会長及び顧問を置くことができる 。
第 10 条
本会の役員及び顧問は会長が委嘱する 。
第 1
1条
本会の役員の任期は 2ヶ年とし,再任を妨げなし、。
第 1
2条
本会の経費は会員の拠出金並びに ,寄附金をもって支弁する。
3条
第 1
本会の収支は定時総会に報告する。
第 1
4条
本会の会計年度は,毎年 1月 1日に始 まり ,1
2月3
1日に終るものとする。
第 1
5条
2年 1
0月 1日よ り施行する 。
本会会則は,昭和 5
同同
嵩 孝明
嘉
藤村岡
伊今福
同同同
春樹
常任幹事 森
中野年朗
同
幹 事 山 本 糧三
同窓会理事
同
顧 問 鹿島俊雄
山本義茂
同
山崎数男
同
同同同同同同
長
ムE
真土口美晴忠雄保
健豊直宣該博
上木本宅嶋越川
井高坂 三安村市
名誉会長
副会長
同
幹事長
常任幹事
同
同
役 員 名 簿
斎藤静三
清藤志郎
平佐武郎
熱田俊之助
菊池
豊
鈴木貞一
同窓会支部長
松宮誠一
北村勝衛
同窓会員の皆様
浅
井
美
幸
衆議院議員
新年,明 けましておめでとうございます。
昨年は「東京歯科大学 同窓会浅井美幸後援会」
を設立 ,発足させていただき,あり が とうござい
こ
。
まし T
学び舎を同じくし, ともに道を志した同窓の方
ること が予想されます。
々の暖い御後援は,国政に微力を傾ける私にとっ
歯科界に おいても,医療制度の抜本改正を始め
て,ことのほか心強く ,謹んで感謝申し上げる次
とし ,諸懸案の解決の兆もなかなか進捗しない中
第でございます。
でありますが,この一年,力一杯この目的完遂の
さて ,昨年は物価高と不況が同時進行するいわ
ため闘って参る覚悟でございます。
ゆるスタグフレーションに明け , 円高不況に暮れ
同窓会の皆様におかれましても,倍旧の御支援
た一年で、あり , この正月を明るい気分で・迎えた方
をお願い申し上げますとともに ,本年が実り多い
はむしろ少なかったのではなし、かと思し、ます。 し
一年間であります様お祈り申し上げ,お礼と新年
かも年が改まったからといって,こうした重苦し
のご挨拶にかえさせていただきます。
い経済状況は一 向に好転の気配すらみせておりま
何卒よろしくお願し、申し上げます。
せん。 ますます,米国からの経済圧力が加えられ
1
0
学 術会議会員 当 選 病 院長退任
ならびに同窓会役員辞任のご挨拶
山本
義茂
昭和5
3
年の年頭に際し,同窓諸先生方には本年も益々
本学を卒業以来 4
4年余にわたって勤務できましたこと
御壮健で御活践のことと,心からお慶びを申し上げま
は,偏に教職員を始めとして,同窓会諸先生方の御愛顧
す。私も本年 1月で齢6
7才を迎えましたが,相変ず元気
の賜だと存じております。特に病院長として二期 6カ年
で,今年も皆様方のお役に立てれば宰だと存じておりま
聞は文字通り 全力投球してきましたが,微力のため充分
す
。
な成果が得られなか ったと思っております。なお後任と
さて,昨年は御存知の通り,東京歯科大学学会の御推
して,高橋庄二郎教授を推薦いたしま した。私の所属し
1期学術会議会員選挙に立候補いたし,苦
薦により ,第 1
ておりました矯正学教室の方は,瀬 端 教 授 を 始 め と し
戦こそしましたが,無事当選の栄に浴すことができまし
て,心身気鋭の若いスタッフで大活躍をされておりま
たことに対し,厚く御礼申し上げます。昨年の本学は,
4年余の思い出は数行にしたためることはでき
す。私の 4
4回歯科医学会総会等,非常に多忙な年で‘
稲毛建設,第 1
ませんが,是非私を踏み台として益々御発展下さるよう
ありました。このような状況下で,松宮学長をはじめ,
願って止みません。私も退任と同時に ,昨年 1
1月には,
大学の各関係者の御益力と,特に井上会長を中心とする
東京歯科大学名誉教授の称号をいただき,身に余る光栄
同窓会関係の諸先生方の限りない御努力と,そして,暖
と感謝いたしております。
い御支援を載いたことが今回の当選に結びついたものだ
同窓会については,昭和47
年から常任理事,昭和49年
と,心から深く感謝いたしております。本来ならばし、ち
1 月 ~52年 1 2 月まで副会長として , 大学と同窓会のパイ
いち参上しなければならないのですが,紙面を借りて御
プ役として努めてきましたが, この度任期満了のため返
礼の御俊拶にかえさせていただきます。私も微力ながら
任することになりました。この間十分なことができませ
今後は松宮前学術会議会員におとら ぬ よう,東京歯科大
んでしたが,同窓各位の御好意を心から嬉しく感謝して
学ならびに歯学の発展に寄与する所存でおりますので,
おります。
先生方の一層の御声援を賜りますようお願い申し上げま
末筆ではありますが,大学および同窓会の益々の御隆
昌を祈って私の御挨拶といたします。なお当分の間, 3
す
。
この度昭和5
2年1
0月31日付の病院長任期終了にともな
い,東京歯科大学を定年退職いたしました。昭和 8年
,
階の名誉教授室におりますので,御来校のおりにはお立
寄り下さ し
。
、
学術会議会員選挙の御礼
選挙対策委員長瀬端正之
昨年おこなわれました第 1
1期学術会議会員選挙で‘は,
いろいろとお骨折をいただき誠に有難うございました。
選挙対策の責任者として ,恩師山本義茂先生の当選は,
べきところですが,一言 ここに御礼の御技拶を申し上げ
ます。
猶,学術会議選挙については,有権者の資格や,投票
筆舌に尽くし量産い喜びでございます。これは偏に大学お
の方法など, 十分に御存知なき方も多数おいでと思われ
よび同窓諸先生方の暖たかし、御支援の賜と深く感謝した
ますので,折をみてこれらの事も御報告いたしたいと存
しております。本来ならば,拝眉の上御挨拶申し上げる
じます。
H
病院長就任のご挨拶
高橋庄二郎
このたび専門課程教授会のご惟l
J
i
!ならびに理事会のご
している次第であります。大学病院は学生に対する臨床
承認をえて東歯大病院長に就任いたしましたので,紙上
教育の場としてばかりでなく,患者に対して客観的デー
をお借りして同窓の先生方にご校拶Jjlし上げます。
タに基づく最新設良の治療を行い,社会福祉に氏献する
本学病院はご存知のとおり,わが国技占の歴史と伝統
と己ろであります。また,いよいよ本年より大学創立以
をもち ,常にわが国の街科界をリートして参りました。
米の火事業であります緬毛校舎建設が始まります。この
また病院長としては花沢 j
i
l教授を始めとして溝上喜久男
時に当たり,州院長とし、う大任を命ぜられ,そのよ日務の
w
1
ニ 教授,関根水滋教 J
受.K
尾喜設教授,山本
数段,大 )
iH:大さを J
り
え ,決必;を$iたにして努力精進いたす所存で
定数段など歯科界に節々たる諸先生が月在任され
義t
めります。ここに I
r
i
J窓の先生方の温いご支援とご椴│丞 を
I~l
越
した管理運蛍のもとに年々発展充実して参りました。弘
1し仁げ, ご挨拶とさせていただきます。
お似し、 '
の虫日き若殺がよくその任を果たしうるかどうか大変危似
母校だより
0
され .Il:~;)木,教育,研究に多くの功績をあげられたが ,
稲毛校舎建設調査委員会再開
東術大州院長の任期満了とともに 1
0月31日を もって定年
既報(広報) 58号のように, 学内稲毛校 {
'
7
i
l
l設調査委
0月 1
1日の全体教授会におけ
退職されたまた,同教授は 1
9日に発足し,夏期休暇の間,高
員会は,昭和 52年 7月1
る万場一致の推薦を受けた後,第 420回理事会の承認を
木委員長,金竹副委員長を初めとして各教般が,基礎部
1月 1日付て名誉教授の称号記が授与された。
えて .1
会,臨床基礎部会. j
丙院部会,進学,;m程部会,共同施設
山本義茂教授略目安
部会,学生施設関係部会に分かれて,担当する課題に対
してそれぞれ精力的な検討をつづけた結朱. 9月初旬に
部会案とし、う構想をまとめ,委員長に符巾した。
6日の第 1
0
1
その後│対係筋で検討されていたが .11月 1
凹全体教綬会において
J
r~6 木委員長から稲毛校舎建設に
年 1月23日生
明治 44
本 将 来 京 締 千 代 間1
)
(神田須町町 1の 2
現 住 所 東 京 部 文 京 阪 小 石 川 3丁目 1
3番 6号
昭和 4年 4月 東京歯科医学専門学校入学
昭和 8年 3)
J 東京術科医学専門学校卒業
ついて各部会から提出された資料を盤理した結果につ
昭和 8年 4月
山1
9590号を以て歯科医}t;へ笠録
き.1
1月1
6日総合企│由l
調整部会を聞き
昭和 8年 4月
同校訓手(口腔外科学教室)
明を受けた旨の報告があり,この案(J1
09案〉に対して
1
1
8不
'
L
I
9年 6対
同校助子(口腔外科学教室〕
七
二1各部会を再開して検討してほしい旨の発
Jが あ っ
0年 1
0月
昭和 1
前正学教室勤務を命せe らる
1
0
9案を中心に各部会において検討が加え
た。現在この 1
7'
f
F
.:~刀
昭和 1
日比師昇任(歯科矯生学)
0422坪
,
られている。 1109案 で は , 国 絞 は Netで 1
昭和20年 6凡 助教授昇任(歯科矯正学〕
Grossて:
'
1
4
5
7
0坪となっている。なお表記写真は 1109~長
昭和29年 3月 文部省学術奨励審議会(学術用語分科)
3
鹿島建設から説
来議会専門委員(文部省)
の建物等の配置図であるが ,変更される箇所もあるので
念の為。
l
凶和 30年 4月
0山本義茂教授
(
病院長〉退任,名誉教授
の称号を授与さる
山本教授は本学卒業後約 44年間の長期にわたって在職
1
2
教授昇任(歯科矯正学〕
i
昭和 34年 4月 東京焔正歯科学会会長(1年任期)
脳和34年 4月
日本矯正歯科学会理事今日に至る
昭和 35年 3月 医学博士の学位受領(信州大学)
二 二 二 ご コ 母 校 だ よ り 二二一二二
昭和36
年 4月 東京歯科大学病院矯正部長
記
病院長
高橋(庄〉教授
副院長
羽賀教授
口外部長
大森教授
副部長
重松助教授
昭和37
年1
0月 歯科矯正学講座主任教授
補綴部長
関根教授
副部長
存在上教授
H
B和39年 1月 日本矯正歯科学会副会長
保存部長
石 川 教媛
副部長
浅井教授
昭和36
年 4月 東京歯科大学衛生士学校講師(歯科矯正
学
〉
矯正部長
瀬端教授
副部長
一色助教授
昭和39
年 2月 歯科医師試験蕃議会委員を委帰国家試験
児歯部長
町 田教授
副部長
後藤 助教授
1年 2月ま
部会員に指命(厚生省) (昭和4
歯麻部長
中久喜教授
副部長
金子助教授
で
〉
歯放部長
黒柳教授
(昭和40
年1
2月まで)
昭和39
年 8月 海外派遣を命ぜらる(東京歯科大学〉
臨床検査室長
昭和40年 1
0月 第 1
7回大韓歯科医師協会綜合学術大会特
内科診療室主任坂本教授
別講演とソウノレ大学校歯科大学講義のた
め出張
中久喜教授
稲毛歯科診療所長歯科長谷川教授
臨床教授会幹事佐藤教授
昭和4
1年 4月 学校法人東京歯科大学評議員
臨床教育委員会委員長
0年 1月 東京矯正歯科学会理事(昭和 4
2
年1
2月ま
昭和 4
大学病院運営委員会委員
石 川 教授
石川教授 ・関根教授
中久喜教授 ・瀬端教授
で
〕
昭和 4
3年 1月 東京都歯科技工士 試験審議会委員(昭和
l
4
4年 1
2月まで)
昭和43
年 4月 矯正治療における述続抜歯法について弘
学研究費をうける(文部省〉
昭和 4
5
年 1月 台湾省歯科医学会第九次学術講演及び姉
0 学位記授与
30回 (
5
2
.9
.1
2
) 合 格 第 231回 (
5
2
.1
0
.
2
4) 授与
第2
竹島弘道(微生物第4
90号 乙 259号
〕
上村次郎(解剖第4
91号 乙 26
0号
〉
第231
回(
5
2
.1
0.
24
)合 格 第 2
3
2回 (
5
2.
11
.1
4)
授与
妹校台北医学院講義のため出張(東京歯
古井
科大学〉
船 越 良 一 ( 口 腔 外 科 H第493号 甲 233号
〉
5
年 7月 学術謀議会専門委員(文部省) (学術用
昭和4
語分科会に分属する専門委員) (昭和 47
年 3月まで〕
年1
2月 東京歯科大学病院高Ij院長
昭和45
年 9月 沖縄無歯科医地区歯科澄回診療班指導及
昭和46
荒野
瞭(病理 ]
実(補綴 H
音田清人(解剖
第4
9
2号 甲 232
号)
第494
号
I
P
2
34
号)
第495号 乙 2
6
1号
〉
0 第 202回東京歯科大学学会 (52年度総会〉
2日(土〉の同窓会総会
第 202回東歯学会総会は .11月 1
助言のため出張(厚生省) (昭和 46年 9
をはさんで .11月1
1日(金〉と 1
3日(日〉の両日にわたって
月まで)
開催された。両日とも午前 9時から一般講泌が始まった
6年 1
1月 東京歯科大学病院長
昭和 4
0高橋庄二郎教授東歯大病院長に就任
病院新人事発令
山本義茂病院長退任に伴う次期病院長選任について
は,昨年 1
0月 5日および 6日の選考委員会で慎重品議の
が,総数 6
8題の多きにのぼった。特別講演としては ,
“今わが教室では" というテーマのもとに,基礎 2題
,
臨床 3題の計 5題が取り上げられた。すなわち 1
1日の午
後には,見明清教授の“歯の局所微細備え1
を採る"坂田
3
三弥教授の“校合圧が感覚情報に変換される機構. 1
結果高橋庄二郎口腔外科部長を推薦することに決定し,
日の午前,午後には,川 島康教授の“市川州院における
1
0月1
1日専程教授会に諮ったところ満場一致て‘承認をえ
オーラノレメディ ν ンの現況ぺ大森清弘教授の“口腔外
た後,法人理事会の承認を経て 1
1月 1日付をもって発令
科の立場から痛みと麻痔を考えるべ木村吉太郎名誉教
された。
1
1月 8日の第 1
00回全体教授会において ,東歯大病院
長の交代に伴い ,同病院の新役職名を下記の通りに ,学
長から発表された。
2
年1
1月 1日付とし ,任期は 3年と
発令年月日は昭和5
する。ただし,任期途 中での定年退職者はこれを除く。
綬の“口臭について"の 5題がそれぞれ講演され大勢の
参会者に感銘を与えた。
なお 1
3日(日)には評議員会および総会が聞かれた。 l
、
官
務担当理 J
'
f
.
か
ら ,会員数 3.
822名,学会回数 3凶,理事
会開催数日回,評議員会回数 l回 , 機 関 誌 発 行 回 数 歯
科学報.
1
2
回,学会プロクラム 3回
, 学会 ニュース 3固 と
1
3
母校だより
ー
の報告があり , また会計担当理事から 5
2年度決算報告,
53年度予算案が呈示され承認された。
名誉会員として,竹中,木村および山本の各名誉教授
川 と水道橋で盛大に行われた。 28日に市川で前夜祭が催
された後,球技 5種目のうちバレー ,バスケット ,サッ
カー,野球の 4種目が教職員も参加して行われ ,2
9日か
が推薦,承認された。
ら31日に亘る予戦と 3日の決勝戦で,白熱した試合を展
O 東京歯科大学学会新役員
開させた。水道橋では l日
前記評議員会の席上において,松宮学会長から ,任期
2年間にわたる新役員が次のように発表された。
2日の両日,各教室で学生
が日頃の勉学から湧いた疑問を解き明かそ うとまとめあ
げた成果が会場に所狭しと展示され,彼らの創意工夫に
学会長松宮学長
よる模擬庖も開かれた。また 2日には球技大会のうちの
副学会長高木副学長金竹学監上篠研究科長
l種目であるボーリング大会が後楽園で聞かれた。表彰
常任理事
理
事
中久喜教授,佐藤教授(庶務担当)
式では学長自ら,総合優勝した球技部門の学 2と展示部
浅井教授(歯科学報編集担当〕
門の口腔衛生の各代表に表彰状を手渡し,その労をねぎ
高添教授(学会部担当〉
らった。全 日程 6日間に亘る 学生の一大行事も,
町田教授(会計担当〉
後夜祭でその華かな幕を閉じた。
竹内教授,坂田教授,石川教授
0
羽賀教授,関根教授,田熊教授
O川 村 顕 助 教 授 , 土 田 哲 也 助 手
見明教授,鈴木(和)教授,西村教授
P
h
il
adel
p
h
ia で聞かれた The6
t
hI
n
te
r
n
a
t
i
o
n
a
lSym-
大森教授,堤教授,川 島教授
posiumon DrugsA
f
f
e
c
t
i
n
g Lipid Metabolism で発
加藤教授,河合教授,金光教授
監
3日の
事高橋(庄〕教授,大野教授
O 歯科医師家国試験委員
海外往来
(市川病院内科学)
表の為 8月2
5日か ら当月 4日まで渡米した。
O金子芳洋助教授(衡生学)
W H Oフェローシップにより臼月 2日羽田を発ち , ケ
厚生省から委嘱された本学関係の国家試験委員は下記
ンタッキ 一大学,パノレチモアのケネディ一 心障施設,コ
の通りであり,任期は 5
2
年1
1月から 5
4
年1
0月までとなっ
ベンハーゲンの王立心身障害者施設の各研究所で約 3カ
ている。
月にわたって研究した後,ロンドン,ジュネーブ,マニ
高橋教授(口!箆外科 ・ 再〉羽 1~ 教授(補綴 ・ 再〉
ラの W H O事務局を視察し 1
2月 1
3日に帰国した。
大森教授(口腔外科 ・再〉坂田教授(生理 ・新
〉
O~
浅井教授(保存 ・新
〉
5
2年度短期の大学派遣海外出張教授として 9月 9日
1回国 際神経
羽田を発ちアムステノレダムで開催された第 1
岸 助 教 授 ( 補 綴 ・新)
O 解剖諸霊位供養法要
1
1月 1
7日(土〕午後 2時3
0分か ら,本学中央ホーノレにお
雅文教授(市川病院整形外科学〉
学会に 5日間出席した後, ミュンヘン,ザノレツフツレグ,
いて勧修された。教職員 ・学生(専 J) のほか ,当日生
チューリッヒ,ジュネーブ,パリを歴訪し,
憎の雨天にも拘らず多数のご遺族が出席された。真珠院
帰国した。
住持石井尊師の議論が行なわれ,ひきつづき松宮学長の
0高添一郎教授(微生物学〉
祭文が奉せ.られ ,医学の教育・研究のため,その尊いご
9月2
5日に
FDIに参加する為, 1
0月1
9日にトロントへ向けて発
遺体を解剖に供された諸霊に対し.深甚なる謝意を表す
ち,1
0月30日に帰国した。
ると共に安らかな冥福を祈念された。参列者全員の焼香
0高橋一祐助教授(保存 1
<
1)
が行なわれ, しめやかに法要の幕を閉じた。この後ご遺
5
2年度長期の大学派遣海外出張助教授として ,アメリ
族揃って真珠院の基所に参り墓前での読経,焼香が行な
カ,カナダ各地の歯科大学における臨床教育システム及
われた。
び保存学の研究調査の為,昨年 1月1
9日に日本を出発し
0
実験動物供養祭
1
1月 1
8日(金〉午後 2時3
0分から,中央ホールにおいて
たが, 1
1月2
5日長期に渡る調査を終え無事帰国した。
0溝上隆男教綬(補綴 1
)
執り行なわれた。実習および研究のために ,その身を拠
国際協力事業団の要請で,大学教授の学術講演等の派
し犠牲となった小動物遠の :
.
H福を祈り関係教職員ならび
遣計凶lの為,ジャマイカへ向けて 1
2月 4日出発し, 1
2月
に学生(専 1
1
) 多数が列席した。
20日帰国した。
0
東歯祭開催
0月から 1
1月にかけて,学生の祭典が市
秋たけなわの 1
1
4
(大学j広報第60~ より〉
r
6
回
東京支部連合会では第 6回定時総会を昨年 1
2月 2日
(金).母校第一議議室で聞いた。
時
~
k
口
必h
Z玄
総
42
第
.6.
一
一
東 京 地 域 支 部 連
き
支部のうご
り,会員の関心が高まった事を意味し,それだけに同窓
会本部に対しても協力体勢が出来上りつつあるとも云え
司会には梅田総括が当り清藤会長の挨拶につづいて,
来賓挨拶にはさきの学術会議会員に当選された山本義茂
前病院長,井上真同窓会長,松宮誠一学長,高橋庄二郎
新病院長がなされた。議長 ・副議長には熱田俊之助,津
島秀雄両氏が選出され,会務報告は中野理事,会計現況
報告は宮下理事がそれぞれ行い議事に入った。
第 l号議案
昭和 51
年度会計収支決算(監事報告)
第 2号議案
昭和5
3
年度事業計画案
ょう。尚 ,総会終了後,グリ ーンホテルで盛大な懇親会
が催され,なごやかなうちに散会した。
昭和5
3
年事業計画は次の通り
O庶務関係
o
学術関係
第 3号 議 案 昭 和 53
年度会計収支予算案
入り座長に清藤会長が当り. I時局問題について」 山崎
数男日歯会長の説明があり ,活発な質疑応答を行った。
本連合会も結成以来 6年を経過し,支部長会,学術講演
会,新開発行,福祉共済事業等,幅広い日常活動が着々
②支部長会の開催 ①地域
支部連合会との連絡
① TDC
卒後研修セミナーへの協力
①会
員の学術研修
。広報関係
以上の議案を満場一致で可決確定した。続いて協議に
①総会の開催
①連合会新聞の発行①連合会諸行事の同
窓会会報への掲載
O福祉共済関係
o医政関係
①福祉共済の徹底
①連合会斡旋のグ
ループ保険の拡充
①医政政策の研究 ①民の 他
東京都のみならず,全国の同窓会員の絶大なるご指導
ご協力をお願い致します。
と実を結び,総会の回を重ねる度びに出席会員が多くな
(安藤記)
新 潟 県 支 部
去る 1
0月29日,東歯大同窓会新潟県支部総会が,秋を
彩る紅葉の宿,大湯湯元館で開催 された。
感じとられる。秋の夜長の語らい。紅葉の宿も眠りにつ
く
。
県内から馳せ集う同窓の方々,又溢々東京から参加し
明けて日曜日,秋空はカラリと晴れあがる。観光組と
て下さった来賓の先生方が一堂に会し ,和 や か な う ち
コツレフ組に別れゴルフ組は早朝長岡カントリーへ。観光
に,総会が進められてゆく。
組はノミス 1台を貸り切り ,来賓の先生同乗で, シノレパー
来賓の山本先生は,稲毛校舎建設に伴う寄附金の問
ラインをひた走る。トンネノレの中から,時々紅葉の山肌
題,役員改選. 80周年の募金などについて話された。
が顔をのぞかせる。一路パスは奥只見へ。船で銀山湖を
又,金竹先生は,持参された学長の挨拶を吹き込んだテ
渡る。頬をなでる風も冷たい。
ープを会場に流す。要旨は ,大学の建設は来年 3月着工
特別許可がないと,見せて貰えないというダムの内臓
の予定である。又来年の入学試験については,文部省か
部を見学,巨大なダムの 中に,機械類が一杯収まり,こ
ら全面的な改革を迫られて来ていると。
れを遠隔操作で制御しているという。素晴らしい見学が
議長の星先生の進行よろしく,庶務報告,会計報告も
スムーズに事運ぶ。副支部長には,田村先生(長岡〉に
出来た。
ここから同じ陵道を引き返し,昼の宿堀の内へと向
代り,皆川先生 (三条〕が副支部長に。次期開催地は,
う。鮎 ・鮭 ・鯉と魚、へんの料理が食べ切れない程,食膳
上越地区 (柏崎〉に決定。
に並ぶ,酒がまた旨い。
写真撮影の後,宴会に移る。浴衣姿でくつろぎ,同窓
の老若男女が一堂に勢揃い。芸妓の踊り ,有志の自慢の
のど,はてはミュージカノレ ・ショーが演じられる頃は,
宴も最高潮。地元先生方の 温かい心遣いが,ひ しひし と
ゃな場で来賓の先生方をお見送りし,一行は小千谷の
駅前で解散。
今年の総会も無事終了することが出来ました。
(
新潟小林茂記)
1
5
一一一ー 支 部 の う ご き
車問
~
本木
県
支
音
日
先般の昭和 5
2年度東歯大同窓会青森県支部定時総会は
点を強調されました。次ぎに同選対委員長 ,東歯大矯正
1
1月 6日(日〉に青森市新町アラスカ会館で開催されまし
学教室瀬端正之教授より ,今回の選挙につきいろいろの
た
。
運動方針につき説明あり ,応援方を依頼されました。後
午前 1
1時から 3階ルビーの間で役員会開催,定刻正午
佐賀高Ij支部長から講師に謝辞をのべ閉会の辞あり ,記念
から 4階ホールで・定時総会開催,工藤理事開会の辞,浅
撮影後工藤理事の司会により懇親会に移り佐貫副支部長
田支部長の挨拶,座長選出は石山芳雄氏が選らばれて座
の挨拶,宮崎先生の乾杯後宴会になりました。方形のテ
長席につき,工藤理事から庶務報告,今年度の物故会員,
ーフツレを囲んで美人のお酌もあり 和やかな雰囲気で和気
久保内健太郎氏の霊に黙祷を姥げました。小笠原院事か
刻々の縄に充分に親陵を図り楽しい会合となりました。
ら監査上の報告あった後議案に移り嶋中理事より昭和51
アルコーノレも充分に廻 った頃学生時代に返って校歌を斉
年度収支決算承認決定,昭和53
年度会費増額 ,
1 000円の
唱し散会となりましたの
件承任,昭和 5
3年度収支予算案を審議し承認となりまし
た。その他鹿島,井上後援会の件につき l月会員から I
当日の出席者は次の通りです。
来
賓
人当り 5,
000同社保収入から差しヲ│かせて頂いた金額中
山本東歯大 F
付属病院長
昨年,本部評議員会の席上井上裕氏へ金 1
0
万円贈呈した
清藤東歯大同窓会副会長
残りにつき協議した結果,医政対策費とし特別会計とす
る点嶋中理事の説明承認となりました。次ぎに浅田支部
瀬端東歯大教授
板恒青森県歯科医師会会長
支
部
長の高齢会員の支部会費免除につき本部同様,満75才に
畑中正文
石 山 芳雄
成田忠直
なった時適用するかどうかにつきいろいろ意見もでたが
佐藤静郎
浅田喜三郎
佐 貫 大之助
年度から支部でも実施することに決定いたしまし
昭和54
小笠原栄造
宮崎芳雄
工藤一 郎
た。特別講演は東歯大向窓会副会長 ,清藤志郎氏(本県
桜田雅美
小 川
佐々木
正男
A
寸~一L
出身,東京都東歯大同窓会連合会会長〉からの東歯大同
奥瀬
清藤三津郎
安田良造
窓会の現状につき懇切に説明あり。東京歯科大学新築に
上条敏夫
工藤
嶋中豊彦
つき水道橋に同窓会会館(案〉を作り会員から l口 1
0万
大竹
奨
成田文治
円
, 2日以上 5年間で寄附する案が計画されている点等
跡地敏夫
工藤孝男
説明されました。次ぎに東歯大の現状と将来について ,
付属病院長より稲毛に新校舎を作り後水道橋
山本東歯大v
の校舎を新築する件につき,詳細に説明あり ,第 1
1期日
本学術会議会員選挙に立候補した理由と御協力を求める
1
6
!
答
勤
小泉
仙
篠田守 利
I
頂
〉
(敬称略,卒業1
東樹大同窓会青森県支部
支部長浅田喜三郎
支 部 の う ご き 二二二ごて
栃 木 県 支 部
同窓会栃木県支部では恒例行 目J~ の懇親旅行の季節に日
2
年度定時総会を旅行をか
本歯科医学会が行われたため 5
った。
6
1侍から懇親会に移り黒崎支部長,消藤並びに高橋先
i
酉n
豊かに'長に入り迫力たっ ぷ り手
1月2
7.2
8日浜松館山寺温泉ヒューホテノレ湖月にて
ねて 1
生の挨拶があ って
会員 25名参加にて行われた。午後 3時から白井副支部長
つきもあざやかな大海造り実演が行われ一同相好をくす.
の司会の下に開会,小平副支部長の開会の辞に続いて然
し歓談,和気鋭々の席とな って 親睦を深めた次第,来賓
崎支部長の挨拶がなされた。次で来賓の同窓会副会長清
の先生はご都合で帰京なされた後夫々思い思いの二次会
藤志郎先生と今度新に母校病院長に就任された高橋庄二
を楽んでから湖畔の夢路をたどった。
郎先生が同窓会,母校の現況特に稲毛校舎建設について
習2
8日,朝食後館 山寺に赴き参詣するものもあり,遊
夫々懇切かっ詳細な報告をなされ会員一同母校の現況に
覧船で奥浜名湖往復の観光を楽んだ。その後車に分乗し
ついて認識を強めた。次で本年度の緩賞,表彰者である
て表浜名湖にドライブ,関所建造物残存では唯一の新居
黒崎 ,両国 ,新井(故人)三先生に記念品贈呈を行 っ
関所跡を訪れたが月曜休みで中に入れなかったのは残念
た。議事は小川幹事を議長に選 出 して庶務報告,会計及
であった。昼食会は小締麗な料亭で名だたる鰻で一杯と
び共済部現況報告,第 1号より第 4号迄の経常議案が-
W
uやかに歓談の花を咲かせた。午後は近く完成の東洋一
潟千里で承認可決された。第 5号議案の任期満了による
と言われる浜名湖大橋を右に,東海道の松並木を左に眺
役員改選の件についてはあと一期の条件つきで黒崎支部
めながらドライブを続け日本三大砂丘の一つ中田島の砂
長再任を全員一致で可決した。小滝副支部長の閉会の昨
丘に赴く ,起伏に富んだ広漠と した砂丘で若い会員が遊
で総会を滞りなく終了,湖畔に出て大草 山をノ、ックに記
覧ジープを運転する愉快さもあり遠州灘の自然の厳しし、
念撮影を行なった。
風景を楽しみ,一同大に浩然の気を養った。 2時半浜松
4時から学術研修講演に入り今回は特にエキス パート
駅解散で総会及び懇親旅行を終了した 。参加者,栗原正
として名声の高い地元浜松市に開業の同窓一志会の藤原
三,黒崎弘毅,白井良夫,正岡寿,大久保雅 1慎,宮島ー
康功先生にお願いした。 〔自家製アタチメント 」の 題 名
郎,県信哉 ,平山浄二,池上武正,鈴木民夫,田中徹,
でユニークな残存歯維持による豊富な臨床例とその考え
津田紀夫,湯沢哲郎,小平正夫,小平崇,石川融,伊沢
方が数百枚のスライドで解説され,
歯牙保存と n
o
n
c
l
as
p
八郎,丹野寛,小川進,宮原昇吾,阿部博,及川真二,
d
e
n
t
u
r
eを志向する延々 2時間に及ぶ有意義な講演であ
小滝鐙己男 ,園田省平。
1
7
遊
42
東
今年は存は旅行会を 中止し ,高輪プリンス ,高縄亭で
力を尽して頑張りますと,決意、を披歴された。
懇親会を行ったので,秋には是非旅行会を,と思ってい
この後,小山内幹事より庶務報告,会計報告が行われ
たのだが諸般の事情でまたまた東京で‘場所も母校の地
異議なく承認された。又郵便料金の値上げで来年からは
元,神田駿河台下,ちよだで総会と秋季懇親会を開催し
誕生電報は残念乍ら中止せざるを得ない状況が説明され
た。旅行会を期待しておられた先生方に先づもって ,お
T
こ
。
花びを致します。
1
2月 2日は夕刻から相悪く時折小雨がぱらつく天気だ
ったが,正 5時に大学か ら高木副学長 ・金竹学監がお出
でになられ,会員も三々伍々勢揃い ,ゃあゃあと肩を た
たき合って再会を喜びあう。
又7
7才になられた方々の内, ご出席の宮下清さん ,寺
本定次郎さんに井上会長から記念品が全員の祝福の拍手
の中で手渡された。
6時,金子さんの乾杯の音頭で懇親会が始まる。飲む
程に酔う程に隠し芸が続出,中久喜さんのとても 8
0才と
5時 1
5分地挽幹事の司会で総会を開会。井上会長から
は思えない張りのある渋い声,真栄回さんの詩吟,地挽
再度同窓会長をお引受けになられた決意と ,八千同窓が
.
.
.
.
.
J等々輿に乗
さんの明治時代の寄生節「熱海の海岸 .
力を合せて母校の発展,特に稲毛建設に遁進しようとの
り,昔話に花が咲き,何時果てるとも知れぬ賑ひであっ
ご挨拶があった。殊に東遊会員は功成り名 を遂げられた
たが会場の時間もとうに過ぎ名残を惜しみつつ再会を期
方々の集まりであるので特段のご協力をお願いしたい,
して散会した。
と結ぼれた。会長挨拶の後物故会員に黙祷をささげ一同
深々と頭をたれご冥福を祈 った。
次いで高木副学長 ・金竹学監よりご挨拶をいただく。
母校始め同窓会,原田さん,宮下さん,中久喜さん,
佐々木さん,三枝さんより多額のご寄附を頂戴した,厚
く御礼申し上げます。
高木先生は春の高縄亭以来二度 目の ご臨席,大学の現在
当 日出席者
の情勢など を説明さ れた。金竹先生は東歯大の 出身では
来 賓 高 木 圭 二 郎 副 学 長,金竹哲也 学 監, 金 子 保
ないが ,学監 とし、う重要な役を おおせっかり大変光栄且
(杉並区)斎藤富太郎(水沢市〉渋谷常三郎(板橋区)
つ責任の重大さ を感 じて いる。この重責を全うする為全
竹内末松(新宿区〉寺本定次郎(八 日市場市)中久喜八
1
8
クラス会だより
十(台東区〕真栄田義光(船橋市
〕 宮 下 清 ( 荒川区〕
i
川平電(大宮
黛誉治(目黒区〉森谷銀治(草加市〕官J
一一一一一
(千代田区〕地挽鈴雄(港区〉小山内喜久治(大田区〕
の諸氏 20名
。
(三輪記す〉
市〕水谷義一(文京区〕森野武夫(千代回区〕
役員,井上真(世田谷区)三輪源じ,三輪久夫附添
四
42
東
大正四年卒業
大正卒業組の記事が,会報にさっぱり載らない。わが
東四会亦然、りである 。
東四会は 1
2
8名の同期生であ ったが,吉田秀一君のお
をつれて出席したからである。
そのうちにこの会も ,
そんなわけで,ある会員が. I
女ばかりの会合になるだろう 」とささやいたので,聞い
骨折りで,卒後 2
5年ほと.経た昭和 1
6
年に第 2回目のアノレ
た者逮は一機に笑ったが考えてみると ,その意味する処
パムが出来た。その時点では,他界した友が3
1名で,生
は,すこぶる深刻で,笑うどころではなさそうである。
存者が 9
7
名であった。現在幾名残っているか。同窓会本
お膳が出て ,最年長の (
8
5才)故に,私が乾杯の音頭
部に照会して見ないとわからなし、。 20名位であろうか。
をとることとなったが,夫君を亡くされた奥さん方が幾
いやいやも っと下廻るかも知れなし、。はっきり判らない
人も座っていると,いつもの乾杯の音頭とは勝手がちが
方が気易し、。
私の属する千葉県の同期生も 8名あったのに,今は長
谷川利兵衛君と私と 2名だけ。それに岡谷市に開業した
荒井真三郎君が健在との事であるから ,同 君をいれても
3名しか残って居ぬ訳である。
東四会の会合は,卒業後毎年一回は 誰かが幹事となっ
ぅ。でも誠意があれば,その場にふさわしい言葉が出る
ものである。
山海の 珍味が並べば,婦人方は婦人方で,結好楽しそ
うに話したり ,笑ったり ,食べたりしている。
さて同窓会報を毎号見ると,卒業年度の若いほど報告
が頻繁に載ってい ,元気にはしゃぐ記事が多い。
て,その住所近傍に開催して来たのであるが,昨年は異
大正卒のクラス会の記事などは,めったに載らないの
例として出雲市の井原協ー君が幹事役になって,京都の
は,あんまり会員が少数になって. ?ラス会など開催し
2
柊家(ひいらぎや)で 6月に開催した。何せよ卒業後 6
ないためであろうか。
年目のクラス会。その間 l回も欠席しなか ったという鎌
然、し老年になってからの会合は,老年でなければ味わ
倉の成川隆明君には精勤賞を贈ろうなどとの冗談も 出た
えない老年の喜びがある。年齢が年齢ゆえに,まかり聞
が,考えると冗談どころでなく 60年無欠席は大変な事で
違えば,或いはもう会えなくなっていたかも知れないの
ある。私など毎年のように幼稚園の全国大会や保護司の
に,こうして今日又会えたということが,しみじみと熔
全国大会その他がし、つも東四会とダブ って ,どうしても
しいのである。その逆もある。一昨々年,舞子での東四
出席できず,漸く出席できたのは ,今から 8
. 9年前か
会で「又来年逢おうね」と青森の福嶋誠吉君と二人して
らであった。
ベンチに腰かけて話している処を,新宮市の小倉信男君
昨年の出席予定者は,例年よりも,いよいよ少 くなっ
て 9名とい うことであったが,開催直前にな って ,下関
が撮ってくれた写真だけが残って,福嶋君は翌年四月に
他界してしま った
。
の T君が突然入院,名古屋の O宥が夫人の高血圧のため
MAN 1
5 MORTAL とし、う言葉がある。時来ってこ
に欠席となり,結局会員の出席は 7名という,近来にな
の世から消えてしまうことは,天の常数であり ,神さま
い少人数とな った。でも 出席の総数は 2
6
名と な っ た の
の摂理である。私たちはそれを認識した上で,大能の主
で,さして淋しい会合ではなか った。ということは,永
が許して下さるだけ世に永らえて,時には喜び,時には
い間夫妻同道で出席していた者は,先生が他界しても,
苦しみながら ,一生懸命,人のために働くのである。
夫人は婦人同志で逢うことが楽しみと見え(或いは慰さ
さて,終家からちりぢりに別れる時は,一人一人が洩
めともなるので).独りで,又は他へ嫁いだ 娘さんなど
れなく皆と握手することを私が提唱して,全員に受け入
1
9
一一一一一 ク ラ ス 会 だ よ り
れられ ,ヨ翌日は,その通りにして別れたのである。
せることができるよう ,ひたすらに祈っている。
又
, '
}
_
f会の!釘 tで,仏賀市の東林立去 1
¥ご夫妻が, 5
3
(浅野燈記)
年度東四会の幹事になることを快諾して下さった。どう
1
:
l
r
.
i
'
i
'
会
員
井原協ー,成川降明,小倉信男,栗林真再,
ぞ昨年出席された者がもれなく佐賀市て、元気な阪を合わ
竹J
I
、
l
式幹,
¥
JI
l
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j・ i
長
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'
f
"
伍
AQ
一
品
昭
~:
昭和 9年卒
主のなせる奇同な秋芳洞をめぐり歩き又の再会を約して
秋期旅行記
解散した。
日本列島をおそった晩秋の暖かさは,心地よい旅情を
2年 1
0月27日より
いやが上にもかき立ててくれた 。昭和 5
2
9日山口県に集合した。
行動を共にしたクラスメートは (A BCI
l
慎
〉
安 保 正 憲 飯 島 家 治O石 井 安 治 及川彦 市 大 岡 橋
渋谷孝麿下野日光田坂致和竹内民勝永田穣
第 1日は湯田温泉で若き血ならぬ六十路過ぎのおのこ
が出来るだけ ~IR やかに陽気をとりもどすべく努力をし
た
。
第 2日は瀬戸の海と日本海とのネックの様な地狭('J)
O藤 林 博O藤本敏雄O松 田 潔 武 藤 悟 山 口 亨
田 村 清 蔵 指 島 一 文 深 野 繁O樋 口 梓O慈 多 作
O穂積藤紘 以上竹内記
Oは奥様同行
来春は石井安治君を現地幹事として東京 (11
白〉房総半
を通って幾多明治維新の英傑を生んだ彩、市に入ってパス
島 (1泊〕で開催される予定です。
ガイドの説明を開いた。
多数の御出席を希望いたします。
萩市には同級田坂致和君がし、る。
8,1
9,2
0日の 2泊 3日です。
予定日数は 5月1
第 3日は途中,カノレスト地形の秋吉台を通り自然、の造物
鳴
AQ
一
品
鹿
(渋谷記〉
昭和 1
0
年卒
昭和 5
2年度鹿鳴会総会を兼ねての伊勢志摩,南紀州路
イライン経由,眺望は快晴に恵まれて絶好であった。真
1
0月 1
1日宇治山田駅前に
珠島にたちより御木本真珠の見学を来しんで鳥羽小沢周
集合。北は北海道より南は鹿児島から,集まった級友並
ホテノレに安利。-}J~I弓あびて一同くつろいだ姿で総会に
の旅は
3泊 4 日で行われた。
に令夫人達総勢6
8名,特に広 m一夫{¥とは卒業以米, 4
2
うつり,今回お位話をした関西支部有志が,まず挨拶に
年振りの再会を喜び合った。 2台のバスに分]長して出
たち,物故会員特に今年他界された伴長敬,塚沢利元,
発。先ず外宮に参請。内宮て‘は神域内参入特別参拝がれ
rの御以ゐiを祈り黙祇?を
藤尾木!tfの三 ¥
されて,奥神殿前庭まで入る事ができた。伊勢志摩スカ
析してがI
夫人同伴て、参加している大阪の高橋正武荷御両
2
0
wげ,更に今年結
ー クラス会だより
人に祝福の昨を贈ったり,諸協議を終えて一同乾杯の後
となる。村井おは玄人はだしの日本舞踊を長時間にわた
安会に人る。談笑,倣談真に一家そのものの様な楽しい
って見せてくれて,久方振に皆を喜ばせ筋かせてくれ
集いの内に夜の更けるのも忘れた。
た。“全 山の紅葉に郷智の滝の見ゆ n “大小の橋杭岩や
1
0月 1
2日(水〕晴
秩日和川
旅の釘~
2日目は志摩より遠く熊野路を越えて南紀勝浦
“橋杭も見ゆ串本も秋晴るる凶
1
0月 1
4日(金〉晴
までの長いパスの旅である。“同期生伊勢路旅せり柿の
旅の第 4日目。悠々最終日である。
秋凶尾斜_,土井の竹林を経由して新宮市に到来。ウォー
朝日時30分,出発前にホテノレ庭園芝生に集まり一同記念
タージェット船に分采して清挟紛八丁を探勝。美しい深
撮影後母校の校歌を合唱して白浜泉都めぐりに 出発。円
淵山 と岩と水がつくる静の美に絶資の声をあげた。勝浦
月島,千円:敷や三段壁では充分時聞をとって遊ぶ。平草
のホテノレ浦島 山上館に着いたのは午後 6時半頃。宴会は
原を経て白浜駅へ。特急くろしお 4号で,一同大阪天王
土地のきれい所の附や端本節,勇壮な南紀民謡太地の権
寺駅到着。来年の総会は 中国地方を中心に開催する事と
lIt1iり会員の唄や夫人の日本舞踊など楽しい南紀の一夜は
なり ,おたがいに再会を約して解散した。今 回の参加者
変けて行った。
は次の通りであった。(順不同 ,敬称,同伴者名省略。〉
“熊野路のなかなか速 し萩を凶
同伴者一一赤塚康太郎,浅野正男 ,伊丹一男 ,大沢三武
“[併さしてのぼれる(il
や薄紅葉凶
郎,岡本伝, 神戸明 , 北正Il
J, 後藤和光, 佐々木三知
“勝浦の島また島の秩日和、
、
夫,宿沢直僅,清水義郎,鈴木義一,田村元,高橋茂,
1
0月 1
3日(木〉晴,
高橋正武,高橋八十吉,竹村善次郎,戸田幸一,徳永道
熊野那智大社参拝,那智滝を心ゆくまで拝し正午鯨の
秋,広田弘,浜田啓次,藤井立吾,藤田成孝,松崎附,
町と 風見鶏の舞台で有名な太知に到着。串本海岸から橋
松本四郎吉,向笠窓,望月民部,繊 山国蔵,吉岡敏雄,
杭岩を見て少憩,本場串本節の削や都:に満喫。夕刻白浜
吉本党二,広凹一夫,下原朝光。
温泉古賀の井ホテノレに到着した。一風呂浴びて ,今旅行
単身者一一小野武夫,喜多見正二,佐々良 ,増田武夫,
の最後の夜の懇親会となる。奈良から村井宗哲 g,泉佐
村井宗哲,武藤十郎,阿保出:じ郎。
野より広田弘君父子が多忙や病気を押して,今夜参加し
(徳永道秋記)
て呉れて一同大拍手をもって歓迎した。総勢7
1名の参加
21
クラス会だより
木村吉太郎名誉教授・高木圭二郎副学長
就任祝賀会聞かる
ご承知の通り木村吉太郎れは卒業以来母校に於て 4
2
年
大な祝賀会を開催することができました。両君からも級
間,教育と研究に専念され,昨年 1
0月2
2日に定年退職,
友諸君の深い友情に対し御懇篤な御挨拶と御礼の 言葉を
1
1月 8日に名誉教授に推薦されました。また高木去二郎
戴いております。
君は昨年 6月 1日で母校副学長に就任されました。
鹿I
!
島会では両君の栄誉を祝福し ,全級友に呼びかけて
今後とも両君の一層の御活躍と御健康を祈ります。
〒1
0
3東京都中央区八重州
1-6-1
9 フタパ歯科<阿保喜七郎>
(今回,鹿鳴会事務所が
昨年 1
1月2
2日,芝の留園で祝賀会を催し,記念品を贈呈
いたしました。
電話
03-271ー 1
08
9に変更になりました〉
全国各位からの御応捗と多数級友の御出席を得て,盛
3列 左 か ら 増 田 武 夫 赤 塚 康 太 郎 伊 丹 一 男 山 脇 弘 高 橋 八 十 吉 横 山 国 蔵 松 崎 岡1
1 千寿弘訓
田村元松本四郎吉広田一夫大沢三武郎
2列 左 か ら 神 翁 正 後 藤 和 光 中 村 虎 雄 佐 々 良 藤 田 成 孝 望 月 民 部 竹 村 善 次 郎 太 田 芳 樹
椋俸令夫人鈴木義一椋俸康子高市章松本正一河村三省岡本伝
前列左から小野武夫鈴木信山田有勝笠井久之阿保喜七郎茂木正男推貝敏夫木村名
誉教授高木副学長神戸明宿沢直他朝浪惣ー
ふ
一
品
志
燦
昭和 1
6
年卒
燦志会では, 8年前に琴平,高松,徳島(阿波踊引
を見学,ホテノレに帰 って夜の懇親会に移り,宴会場は夫
方面を観光したので,本年は浅りの四国を一周とい うこ
人が半数近くなり,花の咲いたような撃かさの中を,ハ
とで, 1
1月 1
3日より 3泊 4日の旅が,地元徳島の猪子寿
ワイの武田君には,特に一同の注文で挨拶を英語と日本
一君の世話で,計画されました。
諮で、や って頂き ,歓迎の拍手も一段と高かったようでし
1
1月 1
3日道後温泉ホテノレ大和屋に全国より 6
3名(内同
た
。
2名〉が集合,特に本年は卒業以来 3
6
年ぶりに,ハ
伴組5
日本最初の温泉として知られる道後温泉 ,明治 2
7
年に
ワイより武田俊勝君夫妻が参加されて,一段と賑かにな
建てられたという木造 3階建ての ,道後温泉本館の浴槽
りました。午後 2時より松山の伊予緋の製造と,子規堂
はすべて花樹岩で作られ,夏目激石も激賞したという ,
2
.
2
一 一 一 ク ラ ス 会 だ より
一一一 一 一
泉質と相まって,今日でも尚,明治大正の落ちついた気
夕方竜河洞に着き, 鐙乳洞を見学して高知市 の城西館
分を味わしてくれたことは ,私達にとって予想外の喜び
に宿をとりました。最後の夜は,当地の太万おどり,幹
でした。
事さんの特別の計らいで優雅なストリ ・
・ ショ ーまで飛
5
万
翌朝,伊予緋,子規虎子を生んだ,四国の小京都 1
び出し ,そして最後に土佐犬の登場で。
石の松山城下町をあとにして,一路瀬戸内を西に ,浮か
1
司手喝采でした。翌朝来年のハワイでの再会を
興事会場は-1
ぶ瀬戸の島々に,伊予水軍の住時を偲び乍ら ,宇和島の
約して一応解散しましたが ,希望者の半数近くは第 2次
占で,即1瑚の妖しい
闘牛に ,手に汗を撮り ,竜串のllIII瑚f
コース大歩危
美しさに目を奪われ,足閉パシフィッタホテノレに入りま
た
。
m谷かずら橋,高松にむけ旅を楽しみまし
今回の旅については地元猪子君夫妻に多大のご配慮を
した。
夜宴会に先立ち,総会を聞き,庶務会計報告のあと ,
議案 3件次期クラス会々長にもう 1年丈とし、う条件で高
宮昌美君,同窓会クラス評議員には引き続いて天野博徳、
して頂き御護で大変心楽しい旅をすることが出来ました
ことを心からお礼を申し上げます。
尚最後の夜具の途中で昨年度の旅での写真コンク ー
君を再選し,最後に来年のクラス会は武田君岩本正三君
ノレを行い,八王子の牛久保君,長野の長瀬君,伊勢崎の
のお世話で,ハワイということで閉会,あとは数々の余
田辺井君が入賞員・品としてフイノレムを贈呈しました。
興で , さすがに足惰の潮騒もここまではとどきませんで
こ。
しT
参加者(同伴者)八賀益則,天野博徳,渡辺監,脇田
進,岩本初ー,藤井金一郎,大久保義勝,高宮
3日目はホテルから海岸に続く群生する亜熱帯の林を
昌美,坊!内鎖男 ,井田実,柴田光雄,松本宜澗
抜けて,四国最南端足摺の岬に立ち ,太平洋の雄大な眺
矢島敏夫,浜松繁,安藤正,岩本正三,大久保
めをカメラに収め,ジョン万次郎の銅像て‘はその生涯と
忠貝1
]
. 栗田哲次,水口栄,江副哲郎,宮下売人
名前の由来をきき,四国霊場3
8
番金剛寺にお諮りした
武田俊勝,久松正章,井上良和,猪子寿一,辻
ら,境内には袖隠しに近い梅芯咲きの白い俸が花を咲か
村博夫
せていて南国の面影を偲ばせていました。
(単身者〕長瀬宰治,名波佐智夫,田部井三雄
特に今回はパス旅行のため,幹事さんは大阪より態々
i
河内次男,酒井燐二郎,萩原貞雄,野村益朗,
2台の特別車を呼んで準備して下さ ったため,連日の長
平岡光一,大内憲一,高嶺長二,深町秋子 (
J
I
債
旅にも殆んど疲れもなく,快適な旅が出来一同を喜ばせ
不同)
てくれました。
(安藤記〉
A
去
志
昭和 1
7
年 9月卒
5
2年一志会旅行は,総会を兼ね秋色濃い瀬戸内で,福
た
。 26日早朝より集合場所福山グランドホテルには前夜
山市の高橋立夫君のお世話で, 1
1月26,27日 に 行 わ れ
からの宿泊組,夜行到着組が久々の再会を喜びあい,全
23
一一一一 ク ラ ス 会 だ よ り
一
一一一一 ーーー一一一←一
一
一一一一一一一一
員揃って朝食を供にする。貸切りパスで三原港へ,更に
後の夜とあ って皆ハッスノレ,無形文化財の有田神楽を鑑
チャーターした高速艇で小雨摩る内海を瀬戸田の耕三寺
賞したあとは大部酔いも廻り ,鹿毛君のしぶい喉,池田
(西の 日光) に習り,続いて西日光農園の蜜柑狩り ,持
(嘉)~のハーモニカ,歌人原旧東紅君 ,ユー モラスな藤
ちきれぬ程採る。史に大三島の大山祇神社参拝,固定館
1
1
1(彦)台,そして各夫妻による合唱等々実に業しい一夜
:
を見
では全国の国宝重文の 8割と云われる'{J¥0'1.刀剣免t
を過した。
学,竹原港よりパスで広島グランドホテノレへ,途 l
t原田
してね}路についた。
1
2
2
9日広島駅にて別れをおしみつつ再会を約
広の小用エピソート等あり ,到着後直ち に総会会場の料
今回の旅行では ,地元高橋君夫妻は勿論のこと ,助手
苧寿可福へ,型通りの総会を終え,引き続いての 良会は
の大久保さん ,同窓の 三七昭典先生,そして不自 由な体
4
広島の統廃どころを揃えた実に面白い演妓? ぷ附しい
L
Lの佐伯君には大
で出精され記念スタンプ集を贈られた 1
料J!Jlで一同満喫する。家族は別のスケジューノレが組ま
変御世話になったことを感謝します。(三村記〕
れ,夫々楽しい一夜を過した o
'
&
127日,皆元気でホテノレ
出席者
佐野 .J
I
'上 (
1
出
〉
西村(1盗)坂,児玉,神田
近くの縮景園を散策,平和公園を細 って 有名な社自)
J
j船で
藤田(彦) 安 1
1
1.飯島 ,高橋(立)以上夫妻。原因 ,小林
閉そしても
中食,一路宮島へ,厳島神社,五:吊;場千i'l:1
古井 ,鹿 毛,池附, 佐々木,関口 ,三村
。
みぢ谷の美しい紅葉を眺め,宮島グランドホテノレへ,最
1¥
AQE
.
.
L
.
.
.
昭和 1
8
年 9月卒
辺楽しい会になりました。
万年幹事と云う事で酒泉 ,板倉 .福本,今井と云う人
々の力添いによってのみと常に感謝して居ります。今年
の総会で二六会の同窓会評議員が変る事になりました。
j
専〉で今度鹿内がなる事になり
初代熊行(ー〉で次が福本 (
ました 。
う
長年の総会は関西で行なう事となりました ,畠山,松
本が大辺だと忠、いますが宜しく御 W
,
1
'
!
l、致します。
参加者今井(政).松本 (直).小林 (温).中村(正積〉
I
p
j川. 1
現行,高田,小島())高).佐藤 (貞).長
本年は卒業以米満34年目になります。例年の様に新橋
J
f
J催しました。全│同各地より参集せし
の古今?で総会を I
2名の特に J
会らしい顔 としては神
者,沢野夫婦子供合せ 3
戸の松本(直〕北海道の清水 ,岡山(中村〉旧佐々木等で大
2
4
内,北村 (宗). 畠山, 鈴木(安). t
夏本 , 林
(
*
'
1
0.問中〔滋).竹田,大築,木村(正).沢
里f
.三浦,問中(式).福本,板倉 ,鹿内
(鹿内記〉
クラス会だより 一
一
蟻
ム玄
仏
賛
昭和 3
0年 卒
京怖が紅 L、イとを咲かせる. I
晩秋にしては珍らしく暖い
卒業以米. 22年余ともなれば,髪は薄く,或は白髪が
1
1月 1
9日,東京高輪のプリンスホ テル別館高純';;で,険
i
昆り ,肢は出て .i
IH
寺の│面影はないものの ,久し振りの
l
興会の総会及び懇親会が 2年ぶりで開かれた。
総会では . f
'め配布された会則案について石川代表幹
級友との再会に,たちまち学生時代に帰ったように ,大
事の説明のあと ,審議に入札 若干の修正があり決定し
疋に. A B C各級会に移行し ,一泊後,再会を約して散
た。又役員は全員留住,会費については, 一時基金制と
会した。
し,金額は 2万円に決定する。
いに飲み ,大いに t
i
l
lり合い ,盛会の中に懇親会を終え ,
今回の出席者は 49名,水道橋を 出て,間も なく 4分の
思えば,昨年は,勝因,越川の両討を戊い,村│札J¥
桐の両君が火災に遭うなど,相次ぐ悲報に,心を傷めた
わけであるが,今回 ,同期生が心を合せて,新しく会,M
J
I
1I
止紀,次凶には,より多くの人との再会を期待したい
ものである。
出席者氏名阿部,足代,荒川
, 石川
, 五十嵐,忠則 ,
を作り,一層の親睦を計ることにな ったのは ,誠に,立
小守,秋野,花井夫妻,佐藤,笠井,勝 l
l
L 杉山,倉橋
義深いことである。
夫妻,金子一,村岡 ,伊藤 ,松本 ,小沢,島出 ,吉沢,
その後 ,母校の新年度の入試の状況,或は稲毛拶転問
L
l.西口,近藤,小竹,中島,石井(宏).
渡辺(正).四JE
題等が話題になり,総会を終り,記念品t
彬の後,懇親会
横山
, 大井,松村,小野瀬,北原,小林(ー).中川
, 手
下
に入 った。
柳,山口. "
'
1
'1
"
1.谷口, 船出,宮'島, ノ
j板川
, 府出 ,須
大井君の音頭で,一同の健康を祈念し位 i
1
iをする。そ
佐美,石井(俊).竹原,大内。
の後,酒田で大火に巡った村岡沼の御見舞激励に対する
(
松村記〉
謝辞があ った。
A
AQ
一
尚
子
志
昭和 4
2年 卒
卒業 1
0周年記念クラス会報告
の l消火により被害にあった合 田君につい て , 松川 ~より
昨年 1
0月 1
5日の 日本歯科医学会開会式当日の夕刻 ,横
状況説明とカンパ .3
. 次j
切クラス会 開催の件, 等 そ れ
浜の華正楼にて 67
名の 出席を得て志学会総会および懇税
会を開催しました。
総会では 1
. 卒業 1
0周年の記念事業の件 .2 有 珠 山
ぞれ報告されました。
懇親会は我々のクラスの副主任であった前松本歯大教
綬で,現在東京回無で開業されている服部玄 門先生の参
2
5
クラス会だより
一 一一
加を得て,中華料理を囲みながら ,各地区の参加出来な
史,海老原典子,羽生晴好,石田五十維,今村幸男 ,伊
かった諸氏の消息など報告があり ,盛大に行なわれまし
藤英紀,飯島和彦,伊丹景子,池田恒彦,飯島龍司 ,後
た。宴会の後は当日の宿泊場所の横浜グランドホテノレで
藤建機,黒田百樹,桐原俊治,菊池雄一郎,首村泰永,
夜ふけまで語りあかしました。
勝海昭,古賀克隆,康子夫妻,中島史和,黒田昌彦 ,菊
0月 1
5日朝よ
なお,このクラス会総会に先き立って , 1
地誠,中川勝洋,窪田洋一,宗本匡向 ,増田憲司 ,牧野
り,榎本,古賀両君の努力で,第 2回志学会ゴルフコン
伸一,松川清三,松本信彦,佐代子夫妻,宮地建夫,松
ベが秦野のレイクウッドゴルフコースで関かれ 山口弘二
井一成,村居正雄 ,小貫克,小野武文,大岡紀一郎
, 大
君が優勝しました。
曽根洋,大沢武雄,立川潤,大石孝弘 ,関谷和夫,柴田
また総会の決定として次期クラス会は,北関東を中心
功,佐牟田和康,松崎輝宏,関根英臣,高橋利武,田中
とするクラス会メンバー,矢内,関恨,関:(i-, f
'
j村君ら
一実,田辺晴康,団代俊三,鈴木則雄,日田久美子,児
によって,昭和5
4年,伊香保で開催される予定です。そ
野喜穂,田中文彦 ,矢内市策,山川 雅義 ,谷田部賢一,
の時には,今回参加出来なかった背さんの出席を望んで
吉井修,山口秀晴,梅村和弘
, 山 口弘二,熊谷肇,高垣
います。
1
1
頃吉。
(田辺記〕
(出席者)安達登,赤穂英生,荒川明 ,有明ー,版本洋
中村保夫教授定年ご退職のお知らせ
永年口腔外科学第一線でご活路!中の慶応義塾大学医学
場所
併国ホテノレ別館 7階スカイノレーム
部歯科口腔外科学教室中村保夫教授(母校昭和 1
0
年卒)
会費
2万円(業績集代を含む〉
には,昭和5
3年 3月末をも って定年ご退職の運びと相成
りました。
尚同伴者は 1名につき l万 5千円
記念品代
1口 l万円
今般,先生のこれまでのこe業績をたたえ,且永年のご
ご出席ご希望の方は 5
3年 3月 1
0日までに ,会費並に記 │
指導に感謝するため下記の虫1く慶応義塾大学医学部歯科
念品代同封の上(記念品代のみご質問頂ける方も〉現金 │
口腔外科学教室同窓会と同教室共催で記念パーティーを
書留にてお申込み下さし、。
企画致しました。
先生には東京歯科大学教授としても永年ご活紘一になり
ましたので,その聞にご指導を受けられた方々にも禽 っ
lてご参加頂きたいのでご案内致します。
│
干1
6
0 東京都新宿区信濃町 3
5
慶応病院歯科口腔外科
屯話にてのお問合わせば
03-353
ー1
21
1 内線 2480(
外来), 2
4
8
4(
教室〕
日 時 昭 和5
3
年 3月 1
8日(土〉午後 l時半
会
酒泉和夫宛
(野本種邦記)
訂正とお詫び
前号 (
1
8
0号〕巻頭言の左側上から 1
7行自の 1
8
0名は, 1
6
0名の誤植につき訂正させていただきます。また綴
じ孔をあけずにお届けしご迷惑をかけました。深くお詫びいたします。
26
ここに人あり
神霊能力者
昭和 27年卒の村上
│
国(嘉章)氏
あなたは今,仏教であろうと ,キリスト教であろうと
あなたの宗教より受ける ,業を持って生きて行かねばな
らないとし、う事実を背負っています。業をなくする事が
毎日の安らぎとなるのです。 1人 で も 多 く 不 思 議 な 波
動
, 文の I唯一無二の全能なる神の存在を知ってほしかっ
たので, この様に筆を取った次第で、す。
氏は j
折僚な書き出しで,白からの信念と信仰l
で一番を
公けにしたのです。読んでみて下さい。そしてその不思
議な ,奇蹟を体験して下さい。
私はこの書を一昨年暮松井隆弘先生から頂いた。ひと
通り読み終って全く不思議な現像に肝をつぶした。去る
1月 8日村上氏を訪問す可く朝 1
0時半診療所の前まで行
「奇演の中に lあなたの人生に幸運の波動を招く予言
の書。
って見ると延々長蛇の列,約 5
0
0名の列の終りにくっ附
時間半,午後 2時漸く村上氏に面接
いて順番を待つ事 31
この世の中は余りにも空しく ,心が無さ過ぎる事が残
する事が 出来た。様々たる線香の煙 ,3~ 40 センチの観音
念でなりません。というものの ,私が常に云って来た様
像の前で信者の礼拝,村上氏は l人 l人に揮手して神の
0年以後は ,心の時代に入って来ているとし、う
に,昭和 5
恵を伝えられている。今日は 3
0
0
0
人を越すだろうとの事。
徴候が 出て来た事は本当に喜ばしいことであります。
これより 何十年かは,再び心の時代の行き過ぎがある
まで年を送る事になるでしょう。
特に霊に関する事がそうです。ところが神霊にしろ ,
人,動物霊にしろ一般の人々は本当に誰れにも解らない
ところに多くの場合,虚言,虚行が出てくるのだと思い
ます。 昨今のテレピを見ても虚偽に満ち厚顔居土が堂々
とまかり通るという今 日
, 本当に慨嘆に耐えません。
神の心を無視する事は,重大な時代を招来させます。
たとえ無神論者でも事実は否定出来ません。
私は何年か以前より,神の波動の中で生活の素晴らし
さを知ってほしいと思いました。どの様な政治の 下 で
も,多くの人々は生きて行かねばなりません。そして幸
福に暮す事は神より与えられた事なのです。神からの啓
示は難解な言葉ではありま せん。ごく平易な口語調で
す
。 私 自身一人一人に不思議な ことが起 る度に驚いたも
のです。一番大切な事はどんな宗教に入られて いても必
神 奈川 県小田原市浜町 1-1
0-3開業
ず救われる という事です。ただしあなたが真の神,本当
電話
の仏と対面する方法を知 った時です。
0
46-22-82
1
8 村上歯科医院
婦人生活 社 発 行 定 価 6
8
0円 (
井上
真記す〉
2
7
一一 一一ー すいどうばし
お元気を保たれていられることに深い感銘を覚えて心か
らご敬服致しております。先生は 文中幾度か,危機を脱
「
突け /
せられたとき,いつも自分は宰運にも神様のご加護を得
て,到底のがれ得ないと思 った危機から放われたとお書
笑え / 歌えグ」
きになっていられました。その時弘は 「陰徳あれば陽報
あり | という i診が思い起こされ,事~傑のご加護とはこの
と,私
ようにして頂けるものかと強い感動をうけました。そし
て又先生は「信仰は悩みに耐える力を得る為には必要で
村田秀純 (
H日和 5年卒)
あろうが ,色々の悩みに耐え得た者には信仰以上の信念
がある │とf
i
p言 っていられます。このことは先生のよう
本会々報第 1
80号で小畑蕃先生の「突け/ 笑 え /
に数知れないあらゆる 夜 のご経験をのりこえられたお方
歌え ゲJの随想、集が紹介され,思召しでおわけ下さると
でなければ言いきることの出来ないことであり , まこと
のことでしたので・お願いを致したらすぐにお送り下さい
に有難い貴いお教えと深く感じ入りました。私も先生と
まし T
こ。
同じ術科医という社会人としての職業をもち,
1
2
、の所業
本をひらき,まづ自についたのは ,r
表紙について l
が直ちに世の人々に善業(ご う
〕 とな って働き易い恵ま
の頁に,ベートーベンは 3
0才で聴力を失った。音築家に
れた職業をもてたことを本当に幸制に感じました 。それ
とってまさに致命的宿命である。しかし彼の不屈の闘魂
につけてもこのような立派なご本を弘一人のものにして
は作 rtllを通して ,ひたすら人々に希望と慰擬と光明を与
は勿体ないと思い ,一人でも多 くの方に読んで頂きた く
えることを念願した。突きながら笑いを求め歌うことを
存じておりますが ,同業の多くの方は皆保険下のわが業
願ったのである。彼の音楽のー音一昔を耳を通して触れ
界の現状では ,たとえ読みたい本は沢山あっても,なか
ることは彼の音楽に接する者の幸福である。突け/ 笑
なかその時聞がおもちになれません。それで限られた部
歌え μ と書かれてあ った。思わず感にうたれそ
数の貴重なご本ですか ら,最も有効に読んで頂けるよう
えノ
して先生の絶妙な筆致に魅了され,一気に夜の明けるの
身近かな方に優先的に読んでみよ うとし、う意欲をもたせ
も知らず読み続けてしまった 。そしてその感動の余りす
てご本をお貸ししようと思 っています。些少ですが金子
ぐ次のようなお礼状と厚かましいお願いまでしてしま っ
同封致しますので一冊でも二冊でもご恵送頂ければ卒せ
たのである。
を
です」 とし、う文意のお手紙を書いて厚かましいお願 L、
「この度は早速ご本をお送り下され有難うございまし
致しました。すると幸いに三冊もご恵送下さいましたの
た。先生のお筆に魅せられ忽ち書中にひき入れられ夜明
で余りの絡しさに ,同窓の方々に一人でも多くお読み頂
け近くまで読み続けてしまいました。私はご本の全体に
きたし、ものと 1:t 1~ 、文でお願 L 、を致します。小畑先生のご
溢れている先生の温かし、思いやりのお心,そのようなや
住所は
さしいお心の先生のどこに ,常人の経験する何十倍かの
〒1
9
2 東京都八王子市片倉町5
8
4の 6です詳しいことは
重い,そして度重さなる人間苦を,よくも力強くのりこ
第1
80号 38頁会員トピックスを,そして先生の妙えなる
0才と は思えない心身ともに壮者を凌ぐ
えられて,今日 8
筆に接して ,希望と慰撫と喜びを/
記録の
ラ~
」
と 〈そ の
1)
松 井 降 弘 ( 昭 和 7年卒,東京歯科大学名 誉教授 )
戦争(太平洋戦争〉が激しくなると ,紙が不足し,出
後には ,物資の欠乏甚だし く,記録を残すには,余程大
版も思うようにはし、かなくなった。戦争中,殊に終戦前
衆,社会性のあるものでなければならなか った。従って
28
一 一 ー すいどうばし 一 一 一 一
一個人,或は一衛科大学にと って は 非 常 に 大 切 な 記 録
も,大半は,記録に残らずに消え去 って しま った。今
,
考えると,ああゅうこと,こうい うこと,と数々のこと
があった。しかし,それは殆んど記録としては残されて
秋田分校東歯尊入学式次第
1
. ー岡敬礼
L 宮威溢拝 ]
育に関する勅語奉読
国歌 P
I
'
,1
. 教
1
. 告辞(安井学時!o
1
. 祝辞
(六郷町長(武蔵助役代理),秋田県歯科医師会荒巻会
いなし、。いつの日か,そんなこともあったのかと,語り
. 宣誓(新入生代表) ]
. 聖
長,六郷国民学校長) 1
草の一つにでもなればよい方である 。 しかし,これだけ
寿万才
は残して記録として置きたいことは,数々ある。ここに
l
一同敬礼
以上となっている。
当日は天気もよく,申し分のない入学日和であった。
於いて,今のうちに ,次々と思いつくままに,いくつか
東京の夜は,空襲讐報で寝てはし、られないのに,秋田
の記録をと考え,記めてみた次第である。若し誤りがあ
l
[
1北郡,六郷村ともなれば B29の爆撃機も,目標には
県j
れば,御訂正なり,御追加を頂ければ幸である。
入れていなかったようである。青森市や秋田市が夜間爆
秋田分校のこと
撃された折りでも , どことなく空が赤いような気がした
1年 1
2月発冊〕を
東歯同窓会創立80周年記念号(昭和5
程度で ,まさか東北の大都市が攻撃されていようなどと
見ると,伊豆の韮山分校のこと (P,34,3
5
) が出てい
は考えず,よく睡眠をとっていたというのが実情であっ
る。これは 2年生が草山,
た
。
1年生が秋田県 f
l
l
l北郡六郷村
で疎開授業を行うことに決定し実施されたものである 。
市川病院のこと
9年〕本土空襲は激しくなり, 慶応大学は
当時, (昭和 1
市川病院は,日本 パイプ製造 K.K.
脚市川工場の青年
山形県へ疎開して授業をしているというので,東歯も安
学校工員資及び実習場である。これが終戦後,本学に譲
全なところで授業をしようということになった。病理研
渡されたものである。それについて ,忘れてはならない
究室(花沢教授主任)で日本地図をひろげて,検討が始
のは,当時の工場長であ った,渋谷寿光氏(三崎鋭、郎教
まった。教室員一同は,安全で秩回米の産地が丁度,安
授の思師〉の御厚意である。終戦当時,学生は下宿に困
全地のように思えるので,ここにという話に一決した。
っていた。学生の宿舎には日本パイプの青年学校が適当
当時は食べることが先決時代であった。いざ教授会にか
であろうと,その申し込みに,松井が出かけ,不用にな
かった際に ,途方すぎると反さ対れたのが花沢先生で,
った時には ,是非,一言,話をして貰いたし、と頼んだの
では 2年は花沢先生を中心に静岡県韮山と決定した。 l
である。果して工場は縮小され,青年学校と ,)j定盤の工
年は自分が主張した秋田県 六郷村ということになった。
場(実習場〕を売り払うから,封鎖でよし、から ,45
万円
当時,六郷村には有力な同窓 I
ほ
惣
畔
J
_
I
:
;(
大正 1
5
年〕がお
余でという返事が来た。(封鎖とは当時,日本貨 幣 は 自
られ,また,兎唇で有名な赤坂東九郎氏も疎開しておら
由に使えす¥許可のあった範囲だけ使うように封鎖され
れた。六郷国民学校を借用して授業を行うとし、う話にな
ていた。)当時,学校の預金は 4
7万円余しかなかった。
り,実際は宿舎のお寺で行われた。昭和 20年 7月 22日
奥村校長と花沢病院長に話をしたところ ,少し待って貰
1時 より安井作太郎教授(
化学)が校長代理
(日),午前 1
いたい,考えるからということで,申し込んだ自分とし
として秋田に出張,六郷国民学校講堂に於いて松井司会
て非常に因り,金策にかけ回ったが,当時の大金はそう
の下に入学式が盛大に挙行された。(式次第は後掲の通
易々とは貸してくれず,途方に暮れていたところ,歯科
り〉六郷村はお寺の多いところなので,学生は各寺に分
の校
医専も大学に昇格ということで,急に予科, 3年制j
宿,授業は善能寺で主として行われた。常駐の主任教授
舎が必要になり ,こ こに,正式購入という話がまとま っ
は榎本美彦教授 ・斎藤久教授(共に矯正学〕事務主任は
た。東京医科歯科大学では学生寮として ,購入したいと
山本義茂教授(矯正〉であった。松井は東京の本校の教
いう話であ ったが,渋谷氏は東歯が正式に断ってこない
務も担当していた関係で,現地との連絡に当った。この
以上,返事はできないと待 ってくれたので,東歯のもの
分校は終戦後,直ちに閉鎖して,学生全員を帰郷させ,
となったのである 。土地は地主から借りていたので,地
待機させた。当時の若い学生が配給食糧では到底間に合
代を支払 っていたが,後に貝取 って貰いたいという話に
nうことにな った
なり順次買いと った。東倣の予科校舎と市川病院(歯科
わないので,土地の良家から米などを
が,余り堂々とやみ米を買うこともできず,世話役の!際
と│付科 ・外科程度〕とな ったのは後の 3
7
1である。今の進
費同窓は一家挙げて,非常に苦労された。改めて誌上か
学課程校舎の校舎はず っと後に,当時の農場として使っ
ら厚く御礼申し上げる次第です。
ていた土地に建てられ,木造の予科校舎も病棟に改造さ
れた。
29
-原稿応募規定
原稿締切りは奇数月の 1
0日で,原則として翌月発行の会報に掲載し、たします。
投稿は原稿用紙に 横書き でお願いします。便婆などのご使用はご遠慮下さし、。 尚この会報専用の原稿
用紙 (
2
5字 xlO行〉も準備してありますから ,必要な時に請求して戴けば,お送りします。
随想 , 詩,短歌 ,時評など,寄稿は 1 編 1 , 500 字以内 ぐらい ,
クラス会だよりは 700 ~ 800 字 程度でお
願いします。 よろず告知板も , ご遠慮、なく御利用下さし、。
折角ご寄稿戴いても ,規定字数を超える場合は,
「私 のアルノミム」の材料などは,
掲載いたしかねることがありますのでご諒承下さし、。
ほとんどの皆様がお持ちと思います。簡単な文章をつけて是非ご提
供下さし、。ま た古い想い 出の写真など,お貸し願って誌上で・昔のよしみを温めたいと存じます。
原稿及び写真は原則としてご返却いたしませんが,
特に貴重な写真などの場合はその旨お書き添え下
さればご返送申しあげます。
編集 ・発行人
昭和5
3
年 2月1
5日 印 刷
梅
回
昭
夫
東京歯科大学同窓会
昭和5
3
年 2月2
0日 発 行
東京歯科大学同窓会会報第 1
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印
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〒1
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1 東京都千代田区三崎町 2-9一1
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電話 (
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2-3421(内線 2
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所
東京都新宿区下落合 2-4ー 1
2
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0
3
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ききなれたことばてすが
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No・3
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No.2 恐しし 、歯そう膿漏
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