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31 - 日本森林技術協会デジタル図書館
|唾﹃憩鵠溺仙・●認.隠祷噌喝畷儀州I 一 肩 舜靭、 虫 f ,,&d己 “! 森林航測 〔_〕 1962 ∼ L R ,b, MAR. 日本林業技術協会測量指導部 一 Q ① 森林航測研究体制の強化 r領や鰯。︾41︲丙 副瀦畷︲ち昌園︲︲lLl 、凸 財偲胸附鹿睡凹 ~ 斎 藤 美 鴬 子供述ば怪物や超人を愛する。そして無限の空間にえがかれた想徽の世界i星身をゆだねることができる。 そこはわれわれに見られるさまざ主の制約や前提となる規約もない夢の国である。ところが現海われわれ の血って、、る現爽を兄回わしてぷるとき‘いかに多くのかっての夢が,また幼い頃I1Nを卸かした空想小脱の 災際がありのままのリド実として発展してきてL,ることに気づく。現在は人類がその発生以来の生存限界とし た小宇宙を破り.無限の範ちゅうと蹄ふ出した大きな時点のさ中にある。これはこれに至るまで着對皇職蕊 ”礼られ,探究せられてきた埜礎学l側の上に立つ人智の進歩の一角を示すものに他ならない。学究の通にた ずきわる識ことって,夢とは将来への予測であり、想像とはそれを“肘べき道穏に他恥らない。 ひ筋かえってわ,ILわれに身近なl:1本の林業の現状を直視して象よう。林業は現鋤Ⅱ速度的に増大する需要 iこ対処して恨本的な生産蛍の拡大と.経営・管理の合理化をは力‘り,その労働生産力の急速な増加を期待す べき時i二ある。このためには林木育成の技術,作業の概械化,生産物利用の高度化,または詮営形態の近代 化的改蒋など多くの分野において強力な促進がは力・られると共に, また国士利用や治山技術についても商度 の発展を期待しなければならな↓,。 これら放舎の煎要な目標を考えるとき・い談れの分野にあってもそれを達成するに鍬‘先ず韮礎となるべ 。 き街源の鼓と配磁の適確な把握と.それを科学的に探究し解析する近代的研究方途の灘入が欠くべからざる ことば肌らかであ罰。 肺・ず b昭。 瀞 『〃 牌﹄ 一 航空写真は極めて輔惜に地変の現蚊を記録しており,これが今後の林業近代化におb、て果すべき役剛ば大 きI・・林業の分野にあってばすでに航空写真は価値の認醗や利用の普及を脱ぐべき時代は過ぎたとも、われ為 かもしれない。が果してその現況は満足すべきであろうか。効果味十分iこ発揮せられているであろうか。残 念ながらいずれの点においても満足するにば程逮L、といわざるをえない。すなわち写爽利用はけっして測避 や地上鯛在の補鋤こ止まるべきものではなく,本来より輔密な調在を, より科学的な正硴さをもって林梁が 近代亜業としての要求にこたえるべき測定技術を解明すあことにロ槻がある。 本年ば戦後再びロ本の航空曾喋が附始せられ,その肢初の試象として東京部下高尾山附近で森林航空写真 が搬影せられて力・ら10胸年目に当る。以来今日に至るまでの関係者の方々の努かこば深く敬意を払うもので ある。年頭に当っては測赴,判謝歯川各分野を抱含した新い、日本写其測鼠学会が設立せられ,また林梁獄 験場にあっては森林航測研究のため研究体制の強化が考えられている。現在の学問において,その研瑚熊極 めて多岐の分野にわたる韮礎学問の綜合成果によって始めて成り立ちうるものであ為。今後の森林航測の発 展を期待するに当って.より一層の各方面のご協力を期緋して止まない。 -1- (縦者・林業試験場長) (5妬) 31名である。受講生の噂l'1朧地質学,地球物理学.地理 空中 学.林学,写真測壁学など多岐にわたって媚り、そのた め地質,地球物理,航空写典などそれぞれの知細こつ↓‘ 武田裕幸 探査講習会に 出席して 寺 て力なりアン"息ランスであった。その上.笥雄のハンデ キヤップがあるため,購師もなかなか骨がおれたようで ある。 × × × × Morleyl専士は専門外の受辮生が多1,ため主ず磁気学 の悲礎につ、,ての講義,突験から始め,般後にば理解の 程度を試すためクイズが出された。受誹生朧そのノート 提出に大いに頭を痛めたもの‘である。おかげで受講生達 は,とにかく空中物理探磁について一通りの知賊から判 ● 。 読茜で大いに洗脳されたわけであるが.限られた11鋼で 韮礎力・ら判読までというのはとうても、無理な諾で,判院 ● '二ついて‘全多少時間切れの感があった。し力.し日本でそへ 昨年10月5日から11月25日までの50日間,国連主雌の 空中探査誹習会(UnitedNation'sCourseof 'recn- iqueforAerialSuryeys,略称UN-CTAS)が地質 閲査所で開か41た。これは航測関係では.アジア極東地 域で開かれた蹴習会として鮫初のものである。アジア極 のまま利川できるかどうかは別問題として今後の研究の 緒をつけられたことは大いIこ意義があった。 × × × × Fischer博士も航測についての華知誠から始めら れ,大鞘,;kその講義および実習であった。内容ばアメリ 東地図会識で姫も諭談されながら般陞場所につ、、ての思 惑から継統審徹にもちこされてし、るTrainingCenter カで寵に実施されてい為もので, ラディアル・プラニメ につ、、て.まずその現実が東京において作られたとも↓、 プレット法iこよる三角測蹴,ケルシ・プロッターによる える。 測定,唾である。地質判洸の実習はアメリカの写真を用 ともあれ,国述のTschang博士と日本の兼子地獄調 査所長により事務局が溝成され‘ 2人の外人澗師により いて反射実体鏡により行なったが,何しろ数│10粁あるい トリック・プロッター(KailPlotter)を{'k用してテン や 開識されたわけであぁ。講師の1人FiScher博士はアメ リカ地質調在所において.すでに600人以上の地質家に 対し紋空写真利用の訓練をしたという先生で,写典地質 学を担当し, もう1人のMorley博士はカナダ地質調査 所の物探部艮をされて、、て,空中磁気探査・空中寵磁気 探査,空中放射能探懇こついての購誰を担当された。 受講生はインドネシヤ,輔国,フィリッピン. タイ は数100粁も地層が巡焼して蝿出して、"ところであ り,地廟の走向,傾斜も容品に測定でき,色測,肌理と 1,つた写真の調子も容脇に地質と結びつくわけである。 この問.4謡リ講義としてSOuthard氏(アメリカ地質 調ft所)の正射投影写真(Orthophotograph),Rogers 氏(アメリカ林野庁)の森林判腕,Karo氏(アメリカ沿浄 測地局長)の沿岸地域の地侭判読,丸安教授(東大)の天ハ 然色写其および赤外線写其,佐な教授(北大)の日本にお 国,台湾から9名,日本から地質劉査所,地理院,水路 ける写真地質,吉田博士(関西電力)の新熈部ダムにおけ 部鉱山会社.石油会社,測避会祉などから22名,合計 る地賀の写真判暁といった粥義が行なわれた。 ー一国 ←■ーひ 。 一L竪一【エー ゥ画==ー一 画一ロロ■ー神 一一尾シーーユニユ← ーー■ ■一一一■ ユー ∼ 一森林航測No.31 (3月号)目次一 ○森林航測研究体制の強化……..…・…・燕鴎蕊鴛・・・’ ○空中鑛鰯蝿会に出席して.・・・,.……・・武田祐幸・・・2 ○航測あ.ら・かると・・・…・""…‘・……・西尾元充.,. '1 ○鵠材紹介・……・・・…・"…・…….."…・…・・・鈴木義久・・・'9 ○質疑'00題。.…・…………・・・…・・・…..…細築室・・'9 "C14間立体iこ見え為写典を撮影寸一 ○ヨーロッパ,東南アジアところ る条件とはどういうもので どころその2...……平岡条・・6 すか?.……・・・………………・鯛染室・・、'9 ○航空写真の露出……‘ ・…………・・・……・大斑健次…'0 ○航空写爽に,k為林遊没計・・・・..…….。…測避指郡部・・・12 ○航測おたより.…・・・…..……………...、測賦指導部…20 C糊災後記……..………・・…・・・………‘….....‘..…..…20 ○森林航測鯏座 森林判洸の夷祭その4.・・・…・・中島厳…'6 ..−.−2− 一 (547) ← 毎IJI .午前が誹職,午後が実習で,受講生もようやく 実体悦になれてきたころ.会期も終わりに近づき, Fi- ける比較li│州としてより役に立たない。判銃を志すもの にとってはこのような因子を解析,解明していく烈題が scherl#土の専問である色彩写真および熱線写真の研究 残されていると考えられる。 などにつ、’ての誹義があり 煮たダム,水防.逝路など 土木地賛への応用,おもに南北アメリカおよびアフリカ しかし.地形および土壊はその下部柵造である地質撒 戒に最も左右されてL、ること朧疑問の余地がなし、。これ における地質判読の例などの話があって一応辮義の方は を利用して地形を目的に応じて判謎し、地質iこその判読 終了したわけである。 最後に常跳炭田の平地方でj1 11間実習が行fにわれ、あ らかとめ噸内で判洸Lた写真のh蝿を野外'二拓ける観察 を統黙力‘える二と力地質判胱の主要な要素である。土木 および林業におけ為立地条件の調在では,地形,地賀‘ 土壌は一体となってk、る。地形,地間,土壌を関述させ て総合的iこ調査する勘合. とつき合わせて染たのであ る.(写爽参照) × × 航空写典の利用iこよる澗壷 が鮫も威力を発抓するもの × 欧米において紋空写真腱よ と侭じられるのである。 る地質判洸が発述しばじめた 一 × × × のは節2次大戦後のことであ 今回の附習会で私述が1り るが,わずか10数年間で非常 ‘こ進歩し,現在では航空写真 たものば非術に多い。少な くとも日木の地質家提写真 を使用しない地質調猫はな↓、 利用によあ地質調正につ、、 といっても過言でない。しか て刺激をあたえ,あらため るiこ日本では,一部の地質家 て見直されるようi二なった ことは那爽である。 の間では利用されていたけれ 富た.すでに利用してい どもほとんどかえりゑられて た地質家にとっても従来の いなか旬た。 これには, 日本で地形図が 断片的な知城を体系とする 子 簡単に入手できることとか、 写真の入手が経済的に困雌だ ったとか、、ろいろ理lliがある が, n木の地質構成が大陸に 比して耕しく複雑で,写其で は判識霞むずかしかろうとL、 う先入感力地質家自身;こあっ 一 ことができた。しかし,日 柵期県双蕊郡大久村の地質判疏概附凹(原寸2/1〕 へ口諏IRM.塑鱗…"職騒。回“臓聯 水で臆われiaitg"で“ の写真判続を体系づけ,日 《雷瀬臺蕊〕…鍵響霧馴‘"臺蕊> ・園癖噛” 本で利刷できるものにして いかなければならない。そ れによって,地形.地徴. 《圏鍵蕊> ・騒謹“穆圃'鋼” 遮蛎写刻さ米猟銃空写真(縮尺約1/45.000) たことが飛大の原因といわなければならない。たしかに 土壌とL,ったものの総合調 在を必要とする林業地賀の方而でも今後大いに利川され 地質柵造が複雑で柵IIh作刑変成作川を多く受けている るであろう。日本では写典地質が現在スタートラインに 日本列助は,アメリカ大陸とかアフリカ大陸のように写 つ↓たところであり.われわれ地質家にIヨ本の写典地質 翼を見ただけで地質を望見できると、、う地域は少ないよ という命題があたえられたわけである。 うであ為。おもに鮒三紀臘より上此の地層分布地域とか 会期中蜘W7・ジア各地の人達,国内のいるし、ろな方面 新期火山岩地域に限られてL,る。し力、しながら中生層以 の人達とも親交を結ぶことが出来たことも忘れることは 前の地刷.変成岩地域,古期火成岩地域といえども節 できない。猫互いIこし、ろし,ろな経験を交換しえたことは 理,破砕IIF, I析溜などはかなりよく聯真に現われてい 鮒雑にもまして収穫であった。 る。植生および土壌に砥われて猟賦の少ない所でもそれ らを遮跡することがIII来るので.写蟠り誰がn本でもぜ ひ取入れたけれぽならなL、ことば輪をまたなし、・ 各人は.それぞれの分野で航空”‘利用についての抱 負と感慨を胸;こいだいて,それぞれの戦場へ散ってし、つ て1,つたのであるc 写真そのものは地表におけ為物賀の物性を光学的に反 (圃際航菜KK研究室理仰) 射された肥録であるから.地裟の物質のあらゆる因子が 作用してL,るわけである。日本では土壌,植生の櫛成方: 垂一 複雑で人為作用を受けたところも多く,気象条件も四季 の差とか降雨と力による変化が多い。したが,って写其の 色調, M邸といった悲本的な判説梢椛も.小池域内にお −3− × × × (548) 西尾 元 譜乗員の人だが,機体と共に散華された後で,今からで は単に私述がいろいろと拙測するだけですものね。{熱、 充 し、人ばかりだったのに一一。 一一 その伽こは.会津の山中での遭建。ところがその蹴 前,あの飛行掛主、低空飛行でぐ為ぐると,ある部落の 上空をまわっていたことが判っています。着睡聴1I#" つけて一一恐らく不時新陸の場所を探していたか,ある い“也点を確認してし、たの力.,どちらかでし里うが,そ 航測あ・ら・かると の直後の琳故ですから、後になってこのことを知ったII# 地上でこれを見ていた人なの胸の中はどんなだったでし 1う。考えただけで.胸那うずきます。 適鯉也点が発見されるまでの2週側,それこそ日本の 航空史上最大といわれる空陸からの捜紫が行なわれたの あるロマンチストの話(2) は,ご亦知D通りです。 早いもので,あれからもう一年経ちましたね。この前 職後に.とうとう占い屋にまで行きました。いや,笑 は高原の温巣宿で,つい一杯の酒腱酔って,つまらない わないでください。普段.科学者だなどととL、って,威 昔話をしましたが,今夜は海岸の温泉宿で,またこうし 張ってL,主すが、しょせんは人間ですよ。 て昔話をしなけりやならなくなったと↓、うのも,何かの 因縁でしょう。おや今夜は大分新しい顔も見えているよ 夜間飛行の経験のな、、人には判らな↓、かも知れません もんでしてね。特に今夜のように若い人迷に囲まれて, が,真胤な壁につつまれて飛んで↓、るI聯の孤独な気捧 は.ちょっと表現できませんからね。大空の一・点と,地 上の一点との間には,眼に見えな↓、ラジオの糸が狼って あるとは、、え.あの刀弛統線の中を、計器だけを噸りに こうして飲んでし、ると‘胸の中iこ若い血が甦えってくる 飛んでいたあの人逮にとっては,たまたま見えた地上の とL,った気持ですね。全くいい気持ですなあ− ところで、この前はとんだ失敗をやらかし雀してね。 、,や実は今から30年昔の物価が,いかに安かったかとい 灯り催,何よりも錨しかったのでし主うが−淵の中で うことを脱明するのに,ほんのちよいと口が滑りまして とがあります←纈邑,夜中にふと目が覚めて寝つかれぬ 海。一晩中芸者を呼んで..…・などとも、ったものだから, 時.微かに夜間飛行の爆音を聞くと.必ず思い出すんで さあ大変,あれを伝え│Ⅲいた人までが, す。 うですね−b どうも年寄りとし、うものは.すぐ昔話をする癖がある r貴方もお若い 今でも卿主このことを湾えて,たまらなく渡しくなるこ これから,人間が宇宙空間を飛ぶ時. もはや大地とは 度盈でしてね。それ巽りも.老妻に藍で皮肉をいおれた いえなも、、この地球の光郷く球体を見ながら飛ぶIIキの気 のには弱り堂したよ。今もって謹蛾実if[な超としたこと 識土一体どんなものでしょう。おや.話が飛躍し過ぎた が.全くの失敗でした。 ようですオ風一一。 さてと−航空写其が盛んになったのは全く驚くばか ところで戦争中.沢'11の航空殉難者の中にば、叩服を りですね。つい先きどるも,国際連合の主雌で,航空写 つけない,いわゆる民間航空人の、それも航空写真関係 其の判瀧の識習会が日本で開かれて,はるばる外国から 者の多いことを忘れてはいませんよ。第二次大戦の初め も参加するようになったんですからね。大したもんで から,敗戦蓑で,実に多くの人杢が航空写真を写したの す。これを機会に. 日本の航空写翼もまた飛羅す為こと です。今.幾つもある日本の航空写典測鎚会社で,デス でしょうよ。 クに座って仕事をしている温和な紳士の中に,実は戦争 ほんとに銘しい限りですね。昔から航空写真をやって L,ろ私達年符りには、 これより感しいことはありませ ん。それにしても今までに,殉職した沢山の同恢や. 先輩のことがすぐ思し、出されてなりません。彼等も今で の股中に,敵の砲火を潜りながら.館一線の苛烈な戦況 れていることでしょう。 口 刻杢と謎遇する時間,これに比例して瑚加する寂審悠, 時は随分、お盛んで一』などと.ニヤリとされることが は草葉の険で,今日の日本の航空測趾の臘況iこ喜んでく 一 一 を写し藍くった勇敢なカメラマンや,敵の戦斗機と渡り 合った空のつわもの述が何人い、ることを、賢方述が, あの人がと思うような優しい人柄の半面に,そんな強い 一面があったことを知って貰いた↓、と思い室す。とにか く今度の戦争が,その発生や過裡においてどんなもので 般近では,九州の山で避難した擬影峨のことが,侍さ んの記侭に新しいことでしょう。 あったにせよ,航空写爽に関係のある人だがその職域に 活舩したのは,すべての国に共通なことなのです。そし あの吟も,消息が絶えて,探し出した1I#ik.すでに全 て, 藍た.この戦↓、によって.航空写爽の技術が素晴ら −4− 一一 (549) し<発達したことも3W実です。極限まできたと↓、われる −守 の羽布に、無念の爪跡を残して,矢のように地面に向っ る↓、ろな方法が発明され,われわれ年寄りの眼から見れ ば.童るで夢ですよ。 飛行機も大きくなり童したね。230馬力のサルムソン て蕗,らていきました。 斜写瓦を撮影しようとして、座附に立上ろうとした瞬 の撮影に, 450鳩力の双発機で飛ぶんですからね‘’飛行 磯が大型になると.それにつれて癖故の際の被害も大き くなるのは止むを得なし、ことだと思し、叢す。そこへゆく と背は全く愉快だった。そうそうこんなことがありまし 間に‘磯体が傾いて,磯外にほうり出され,やっと膜の たよ。 う。 あれはいつだったかなあ−°勿論私が若くて, まだ 頭の方もふさふさしていた時分のこと,私の友人のある L、や絶対に私は水ラを吹、、ているのではないのです。 ええ. もちろん今夜い、い加減に酢、、玄したがね。何し ベルトと座席を結んだ茄子藻のお険で吊り下げられたま ま埼睦した人も↓、ました。彼は終戦の時に満州で自決し たそうですが,今考えると嘘のようなことばかりでし主 パイロットが,自分の故郷の近くで.男気を出して高等 ろ現在の進歩した飛行職や,就空カメラを見ている人逮 へ飛行をやったのはいいが.その後がいけません。皮定を にとっては,余りにも脇鹿らしL,よう准ことばかりです 失って錐も熟になって墜落したんです。ああ−巻の終り から;ね。それだけに,言葉を変えて、,え鶴ロマンがあ と思うでしょう。ところが,巡良く電線に引っかかった ったともし、えるでしょうね。 魁は,自分のロカ、ら、、うのは変ですが,自分で自分を が,寵線に引っかかって,大きく腫線がバウンドして, ローマンチストだと思っています。 お陰で飛行機はゆっくり地面に鼻をつけて,パイロット は,その時のはず象で道傍にひ王こんと降り立って,ほ 時勢も今のようにガツガツしていなかったような気が しまずし,航空写典というか,飛行機というか. とにか んとにひよこんと,それこそかすり傷すら受けな↓・で降 く空を飛ぶ,空から眺めるとL、うこと'二,何よりも生き 甲斐を感じている人間の無りでしたよ。それだけに毎日 の仕恥が楽しく,毎日渉多、、生活でした。 りたのですから.偶然と、、いますか,奇跡とL、います 力‘,命拾、・をした訳です。もっとも私が急を側冊て駈け つけた時は, まだ典背でぽ一つとして↓堂した。 今の若も、人にはこんなことは侭用できなL、でしょう ね。昔の飛行機というのは、そんなもんだったのです。 しかしこの飛行磯も,ニンジンは機体にめり込むし,翼 は前の方へ釿れ曲るといった調子で駄目になり寵した が,人間が助かったのですから万を鮫です。 助かったという話で,こんなこともありました。その ハ霊露鰯暢:鯛鰯臘慧蕊麓 一一 何しろ,当時の航空写真の撮影士は.畿体から身体を 乗り出して眺めるのが習慣;二なっていましたからね。 から比べると.仙綱と小学生の述いですよ。今では普通 んですね。商度が低くかつたと↓.うせいもありましょう 写 時は一度機体に手がふれたらい、のですがね一一°胴体 レンズの性能の良さ.地図を作る機械の発展,それにい す。これも私の友人ですが,飛行中に突然飛行機がエヤ ーポケットに入って,す−つと垂直に降下したんです。 物のは顎*と、、うものは恐ろしいもので,その時どうし ていたのか,彼の身体はフワッと空中lこ浮上り,そのま ま下に落っこったんです。もう万噺休すと思いきや,幸 巡にも彼は自分の乗っていた飛行機の胴体の上に落ちた のです。自分の繁っていた座僻の中に落ち込あぱ’これ はもう完壁ですが,神織もそこ篭では手が回わり兼ねた と梁えて,後の方に落ちたんですが,この前も話しまし たように,その当時の飛行機は羽布張りでし1う。すつ ぼんと羽布を破って片足を胴体の中に蹄j蕊込んで止句た のです。そのまましがみつ↓、て藩陸して漸く助かったの ところが最近はどうでしよ”鼠。私ば老人だから,余 りいいたくはないでずがねα今のご時世ば一体何と、、っ たらいL,のでしょう。IWない話ですよ。いやこれは航空 写其の方でなくて,政治や社会愉勢の方“、ってるんだ から.そう目を吊り上げんで下さL,よ・ Lかし,航空写典噸僅歩したもんですね。小学生が航 空写典を手に持って歩く時代も. もう画ぐでしょうよ。 それに話涯よると,アメリカやドイツでは.地図のオ ートメ化とかし、って,無人の地図を作る郷準匿が作ら れているそうではな、、ですか。蕪、たもんですね。私が 今話したように,現在の仕辨の方法などが昔語りに話さ れるのも,もう直ぐでしょうよ。夢があったとか,ロマ ンがあったなんて.もう全然通用しなくなりますね一一 きっと。 ああそうそう。この前日本に来たオランダのスケマホ ン教授も, 日本での#”(会の席上に,これと全く同じこ とをL、ったのを覚えて↓、ます。その時も図化のオートメ ーシ画ソのことに関してだったですよ。 教投はこうい、、ました。 『もはや,航空写真測量の世 界に, 陣マンはうしなったのである』と。ああ,今夜も いい気持でした。もうそろそろ寝まし上うか−。 ですが,こんな例は今までにたった一度だけしかありま (アジア紘空測盈KK主任研究員) せん。 その次にも,これと全く同じ例淡あり蓑したが,その ・−−. 5−一一・ (550) 東南アジア フ / しかし述紺してあるシイベルヘグナー社のS君の蕊が 見えぬ。いささか心細くなってギヮロキ9,1コ見阿わして L、ると,つとグレタ・ガルポばりの素晴らしく背の高い 、欧州 岳 焚人が筆者を見下しながら声をかけて来た。 ,米80厘あ る筆者は女性に見下されたのは今回が初めてである。s と ころ 薪出張不在のため代わって飛者を出迎えてくれた曲,シ どころ イベルヘグナー社のセクレタリイ. MartedeT6r6k 嬢である。塙の示す通りオースタリーの掛峡出身,彼女 −2 の案内でチューリッヒ市内目抜きのホテルに投宿する。 彼女は繁者の独主英従の拠合会話に当惑してか何れ力. 一方にしてく.hと↓、う。当方はさような勝手なことを↓、 平岡 学 われても限る。思い付も、た単路をロから出して並べて↓・ るに過ぎない擁若に無理な注文をするものである。 ス イ 元来この国はドイツ語72%以上フランス語20%,その ス ー一 他イタリー, ▲ バンコックから 脾マーニッシュ研でこの四つが国語であ ;でこの四つが国語であ ■戸 クローテン飛行場 バンご:ツクからスイメ航空 季 ー一 画 る。大体に於てドイツ語 がしゃべれればおおむね 用を弁ずる・簸者がこの 機に塔乗,カルカッタ.カラ 国に於て面擁した50才年 チ.ベイルート,アチナイを 誰の人達は.たいがいド 窪と一気腱チューリッヒのク イツ語だけで英卿主ほと ローテン飛行場に赴く。機上 約20時1111太陽を追、、かけてt, んど通じない。しかし若 るのか追いかけられているの 国語的に英船を勉強して いるので,鉦者のような い年齢層のIMlでは半ば副 かわからないが。と;二角砿黙 の12時間余を駿上i二遇す。航 空会社のサ・一ビスは満点.眼 空会社のサ・一ビスは油鳳、 IU,と 会話でもドイツ謡ならば 写爽1モンテローザの大氷河 何とか通ずあらい、。 1Iリとか皿するらしい。 を覚まして煙革を吸えば待ち派ねていたようにスコッチ 食住の死活の問題が絡むので. 日本繭は通用しなL,と の饗応にあずかる。これからの旅行先スイスの地図を拡 げていれば,スチニワーデスが隣のシートに座り親切に か.れこれ教えてくれる。果ては薙老の謡学力と独り旅を 左らぱ当方も必死,30年前の記憧を辞啓を執りに呼び起 =L.どう1こかやっていけることを発見して以後の欧州 旅行に自侭を持つことが出来た。但しこの日賦が後にな 案じてかホテルの心配迄してくれる。シイベルヘグナー って相当の珍談奇談を生じた原因ともなった次鮒である 社に万21F依頼しあることを線ずて深く好懲を謝する。 が。さて今回の旅行でわたしはこの国だけでばなく,各 アチナイ飛行場を離陸してからば夜明けの快晴に恋ま れ,ユーゴスロバキヤを右手にやや進めば左手にイタリ 一 国についてそれぞれの癖がいかに乏しいかということ を改めて認職した。 −の111だな-・認指呼の間に眺めることが出来た。中近東 スイスのお国柄 の奥深く見わたす限り赤!Mずんだ山な難,あだかも谷川 スイス.それはアルプスの山の国,永世中立の国,赤 岳を商くしたような山雀たl11が幾重にもⅢなり合ってユ −ゴの国の性描を象徴するようにそびえ立ち,遥か遠く トルコ辺りと考えられる所迄見果すことが出来た。イ猟 リーを経,壮大なアルプスll1系を縮脈しながらクローテ ソ飛行柵に到着する。 流石観光の国,税関吏その他の愛想の良さ何の倹在も 無く賊に見?IFである。没方のこの国ウこ於ける滞在中充分 ニソジ灘イされんことを望む等の挨拶な受けて感激する やら婚しくなるやら,チップの少し位ははず単たいほど 良い気持'二なる。 十字社,圃際労働事務局,圃際郵便連合鋪の本部のある ところ,民主を義の発祥の地であることが簸者の智識で ある。この国がヘルヴエチア(HELVETIARepubliq ueHelVetiquel798にIi I来する)といMIjの国名を有 すること,首部はジニネープでなくベルンであること. 国旗は赤l-字を反対にした赤地に白十字であること,大 統領は政府閣隙7名の一年輪稀交替であることなどは今 回の旅行で初めて知り得たところである。更に驚Lたこ とは全く縦者の無智の暴露でお恥かしい次鈍であるが, この国は国際遮合に加わっていない,国述のメンバーで MartedeT6riik嬢 < 無いということを知らなかったことである。国連漣加盟 −6− 一一 (551) と して、,ないのは諸国家の紛争;こまきこまれず永久;こ平和 燭なので彼女にその非を説明し,わたしの持参した版画 を維持す為と、、う目的のためだと, 、、われをlⅡ1力、さ』1・,れ 二.三枚を日本の名誉のため進呈することを約束する。 ぱ成径も.つとも至極とうなずくことも出来るが,WIIを あの画の‘上うなものから日本を解釈しているとすれば, 股も愛するといわれてL、る国が国巡のメムバーでないと 彼女が先程篭者に示した交通心得も宣なるかなである。 市内目抜きの大通りを一巡し,彼女の好意を辞して独 いうところになんだか矛盾極論を感ずる。 元来スイ易の民主々義は多くの圃堂のように理論から へ 先に生じたものではなく、既成の1脚実を職黙上げても、っ パーグの間台. たところに特徴がある。例え噸閣の政治iこしても小さな 周辺輔を尋ねて歩、、た。Neatandcleanというスイ 村落からその述合体へ,更にカントンと、、われる州へ, スの形容詞がある。碓かにその通りだ。全てがあまりに 州から連邦へと長い歴史的過毯を経て完成されたもので も美しく震た清潔である。そして童男淑女が憧がれる国 でもある。だがしかし独りで旅行する国では無さそう ある。従ってこの国に於ては外の閲と異なり民主々識ウf 匝接国民の手『1'に残っており.梱民はその権限を蚕任は するけれども愛娘はしなL,とも、われてL、る。大統慨か政 府閣僚の稿碓一年交替制等はわ』Lわれに取って誠に奇異 iこ感ぜられるか, 己れ等もスイスの政治が個人のかこよ る政治の凝兆であり.現在のこの国はそれが組減の力に よる政淵こ迩鯲ルしてL,るものと見るべきであろう。 スイスの核武盤の場合に現われてきている国民投票制 度等も,この国の国民の間}こ於ける民主盈義の根強さを ジヤのアンコール紀行の時も米人に「識は如何なる目的 の旅行なりや」と尋ねられ, 「半分仕3l'畔分観光』と笹 えたら.何故妻君を辿れて歩かぬかと叱られた。スイス もまた女厨を連れて歩く国である。 ヘルベルグヘ ある日,本日はチューリッヒよりセントガーレンを経 るから, この辺りに国際述合iこ加盟しない消息もあるの プルグに赴くことになった。案内役はシーペル社のヒイ フティ氏とs君のご両人,シイベル社挺の好意に甘えて キネ・デイラックを拝借, 300kmの行程を段む。町と田圃 と家騒も服装も何もかも少しも変わらぬ。 旅装を解いた翌日,例のテレク嬢が市内案Iノサのためホ 都市と田園と全く同じであるということは民度が同じ テルに迎えにきてくれた。早速連れ立って出掛ける。先 ず銀行にてトラベルチェックを現金化する。このI馴土口 由通貨国なので毎日各国の通貨レートが各銀行に発炎き れる。彼女ば両替iこ当って堂ず本日の相場を見よとL、 であるということかも知れぬ。何の家の窓にも庭先にも 何とL、う草花か赤い花が咲きこぼれて、、る。後で気が付 う。高低があるとしても1’職こ付10∼20サンチーム位の ことであるが, こうb、うところが勤勉なスイスの婦人ら ている。欧州人は皆花を愛するものの態うだ。それだけ もたことであるがドイツでもフランスでも皆全て一概に 田翻風慨として窓に花が見られ,花壇に花が咲きこ綴れ 日本人と異なって風1Wがあり余裕がああものらしい。 だかIn剛に朧麦畑も野菜畠も見当らぬ。変も野菜も作 しい。 や だ。独りではまことにつまらなく,面白くな↓、。カンボ 明確ならしめている制度である。かようなお国振りであ チューリッヒの街 一 トーマスーマンの故宅チューリッヒ湖の てポーデンゼーの辺りに出, ウイルド社工柵のあるヘル であろう。 =一 りとなり,中央駅前より遊覧パスの厄介になりニートリ 彼女この東洋人を何と見たかまず躯遊歩道の区別,恢 らぬもののようである。全て青をとした牧離地帯だけで 断箇所の標識慈糎ついて筆者に脱明を試男鴎る。瓶に触わ 土は少しも見当らぬ。匝径15cm位の大きな鈴を首にぶ って仕方が無い力・ら「それ等は全て万国共通である。わ ら下げた牛があちこちでのんびりと草をはんでいる。コ が東京に於て朧自助車70万台,柾年10万台以上増加し,交 ロン動画ンと鈴は快い背を出している。その快音で牛君 通事故に依る死者毎日3名年平均1200名、負傷者征日120 は腎液の分泌が良くなり消化を助け,蛾を沢山食べ従っ 名.年Igl4,500名である」というと彼女全く信用出来な て牛乳が沢山出るとし、う理屈だ。 、、とL、うような畝をする。あげくの果權筆者の数字の表 快適に走っているわがキャデイラックが時折牛歩とな 現がドイツ箙であるための誤りではないか等と失礼なこ ることがある。この牧密の牛君の蕪がわが大遊の行手 とをいう。止むを得ずバーンホブメトラーセの”│則でノ ートを出し,この国辱的数字を納得せしめるのに一苦労 を阻むからだ。2mn:位の牛群が大道を正しく右側通行し ている。牧童がいる柵合もあるし,ない勘合もある。従 ってそのままでは追い越せない。警笛を鳴らすと左側に する。このバーンホフストラーセの立派な商店の飾窓iこ 日本の浮世絵らしきものが掲げてある。富士lllの龍腱わ 全員,否全牛避けて逆を譲って呉れるので始めて迫趣可 ら葺屋根の家,あまりにも誇大に画いた紙の戸すなわち 能となる。日本の自動車よりも行儀が宜しい。華者はこ 障子、見たことも網、東海逆五十三次の一つのような画 のキ1.デ.1ラックで約1,000Kばかりスイス国内を走り なので顔を近付・け良く見ればMADEINITALYとあ 回わったが,このような牧歌的蹴牛群にしばしば出合っ る。勿誇木版画では無い銅版画である。あまりにもひどい た。かような風景を2,3回繰り返してヘルブルグのウイ 一一7−−−− (552) ルド社に到蒲した。チニーリッヒより8時間である。 Wild社 ヘルプルグはスイ然東国境近くの−寒村で, ウイルド 社があるの黙,むしろウイルド社に依って開けた村だ。 早速社長シユニットハイニ博士.キンドラー副社是腫而 られ,現在擬本金150万SF・有潴な時計オメガやスイス のあらゆる機械メーカーの代理店をも派ねて↓・る。1961 年度に於ける会社の対日輸出額は磯械部だけでも35惚円 (C1F価IM)の巨額に達する。以て会社の規椣の一端が 号 頚えるであろう。 蕊蕊 を総越して毎日この工場に れた葡萄から作ったワイン 無まって来る。この点ツア である。Rheinlandist Weinlandという砿が欧 州にある。ヘルプルゾはう インの上流である。そこの イス社がドイツ人だけでか たまってL,るのと極めて異 衝的だ。人堺rml1の而でそ れと曇く濡取出来たことは ワインが悪かろう袴が無 一 何となく聯風胎海和気瓶を 、、。非術にう寵<何杯もお 替りをし,その間にシャン ペンもスーッチも出された ので食事が終わる顔に臆相 とし、ったようなムードが漂 ↓、, ツアイス社の何気なし に厳格きを感ぜられる亜苦 Lい空気と好個の対象をな 当酩酊をして了った。 すようである。中立国と敗 シ豆一ル│卿士の案内で工 写真2チューリッヒ湖の辺り“左からヒイフテイ‘轆者 戦闘と↓、う作用以外に峨場 場を見学する。同行のヒィフテ,1蝿も. s君も他の所用 のあり方, ドイツ人の本米的な服従心に依存する職階制 にかまけて湊をくら室し.結局縦者一人シ冨一ル博士に のきびしさ等;こ本質的な遊異があるのかも知れぬ。 ついて約2時間調無く案内を勢ナる。 < ステレオプロッターA8 ウイルド社は創立以来1961年を以て40年となる。元来 この会社はかつてドイツ,イニナのツアイスにおられた ウイルド榊士が1921年現社長のシュニットハイ二伸士協 力の下iこ“、10名の人達とこのヘルプルグで新に測鮭機 械製作の会社工場を創設された。爾来鎚膨こ殿遊を政ね 現社長統率の下に値か40銅剛腱擬本金600万SF, 3,000 人以上の従業貝を擁する大製迭会社に迄発展した。今間 西独のツアイスと蝿こ今や世界の二大測量機械製泄会社 として全世界を艸睨している。 全製品中の45%は実測磯城,30%は写真測量機械. 10 筆者の股も関心を有していたA8は各部脇が完全に出 揃い20台組立竹譲に入ってし、た。A8の納期の柵促をナ ることが雛者の仕事の一つでもある。これを地及すると シ画一ル│#士はキンドラー棚社長と打合わせようとか, 全部売れたとか称して話題をそらすもその桔好が丁度兎 が耳を後ろiこして逃げるような塵.こそっくりなので面白 くなり. A8の部品の室に来ると翻也悪く同じ質問を繰 り返えし彼の逃げ口上をⅢlき秘かに快を叫んでいた。シ ヨール博士よ,わが非礼を詐されよ。 このウイルF社創設の礎を固めたものにレベルとセオ %が顕徽鏡,製図機恢,その他がI畔実験磯器軍用機器 弊である。そして雌上全製品の世罪に於ける分布状況は メイヱ国内15%,欺州35%‘北米20%,中南米5%,ア フリカ10%,アジア13%節濠州4%となってL,る・ ドライ1・な求めたとするなら蟻中興の礎,蹴瞳の功綴の 一端はA8,にあるだろう。それ位A8の製作は成功した。 このシリーズ製作に入って既に10年,その総台数も300 余をゆうに越えたであろう。さて次の世代の馳陛の韮礎 の創立はあまりにも古く既に100年以上を閲しており. だし筋喚すへきA8の成功だ。 ついで漣シーペル社を詔介して股くロわ力掴に於ける ウイルド社の代理店はシーペルヘグナ−社である。会祉 横浜に支店を鮒設したのが文久2年とあるからには1862 年であ‘り.従って本年を以て丁度100年を経過している 二とになる。日本に於ける燈も歴史の古い外国商社の一 っであろう。社長はシーペルヘグナ−翁であるか闘齢の ため代わって女鮒のゴーチェ氏代変取締役として活剛せ 一 を作り出すもの臆何か,ステレオ・コンベラトウルか, A9か.はたまた120.広角カメラ。か神の験ぞ知る。け シ璽一ルI卿士の2時間余に亙る識義と説明の迎統に華 老い、ささか疲労困ぱいL.一巡して応接間に帰り熱、 た時は酔余でもあり,居眠り力細る始末であった。ショ 一ル陣土は気が付か#T状二と思う。ご免なさい。 さてこれだけの大工場でありながら奇異に感ずること −8 .−−−− テ 〔553) − 唯、締│岬生施‘没とLEのスポーソ施,没が何も蝉こと ものと,吟えているらい・・2座雑け・て頂戴できる程うま だ。IIイ唯らぱど【ずめ野球助力・らテニスコートその他 L、ものでは無L,。 巡勅関係の施没が役けられぁであろうL、熊ければ細合 との間のIK要懸案の一つとな'"<,であろう。欧州では スイ火の.蕊ならずF.f ・ソでもフランスでも.従業員に対 十ら会社の拙利腱k施投としてのスポーツ施設は何も無 、・・スポーツと1.う二とiこなれば飽<迄個人の趣味の問 題二腿L .他人の干与L干渉すべき』稲で無L、とt、う分 へ 限をきちんと,1: ’てのことからのようである。ただ一つ ーズをとき.溶けて猟茶色になったところを2cm角切り 例外がある。ウイルIJ工勘は柔道の逝場を作った。従業 仇に対L椛獄二−F救えを乞うと│#上に綴われたかこれ は問朧Lた° 11本の冊利IWl§とLてのスポーツのあり方 は不I:1然・変則││'!りであり,ある棚の肱│淵性を潜在せしめ てL・るものの,kうであ府,。力、くて一・I」掛l)のウイルドエ の'ミンに主ぶしブープーふきさましながら口の中に放り 助兇‘驍秘,}途はリーレソゼーをl''1わり.チムーリッヒに 夕刎7Ⅱ州研を以て終加っに。 スイス料理も乙なもの 1. BiindncrFleiscl1ソンネルノプイシェ牛肉の 塊をアル・ノメ111'l'の尚冷所‘皇ざらI_ E乾燥させたもの. 術<切,て皿に1I1盛りとLて出Lてくれる。丁度張テト チノ'J>111蝋りのよう唱色はり,た#酸唯真赤でま= と‘と兇上11も奇塊である。Wfばこ.仇を牛肉のスルメと 称L旅rr@│ !L"Lぱ愛食Lた⑨ 2. BoUil1onmilM:11・k ,誰の′jもす通り・1$髄J>スー プ。 I11も雌Lイ§可もなLo 3, FondueBourguignonneフォンドゥ示一ギニ オン ノ'3肉の鋤塊とでい・うべざものか。仲の良い番lil 志の血える科jM!。先ず鋼蝿の,サラダオイルをアルコール ランプで洲らI.て股く。2cm角のノ│;l:灯を山朧りにⅢ怠し -ご│蝿ざそ,11.ならもごも怖の先きにつきさし,沸らした汕 一 込む。熱ければ冷ぃ荊物澗をぐっと飲む。窓外にはほの かにマッターホルンがj1光にその壮大な蜜をしのばせて 、、為。こうなぁと一かどのアルピニス1,,山男になった ような心算になり酔う職に飲む磯に賊に心持良き料理で あ学,た。 この料珊ホ恥l(でも雌近食べさせてくれる。銀座尾張 町の卿llilj=,hMの隣り,U職チーズリ・ロンで一人前500円 スイメIkl内旅肺のつ↓,でに, ↓,ただIにスイス料理に ついて‐、I・触ルLておこう。メイスでご恥とに柵成った肢 初の料蝿はチューリッヒモシィペル1tよりお招れきを受 けて頂蛾したものであ為。 ← 次はトーズフオンフ・ュであるこればマッターホルン に降った際,山施のツェルー零ヅトのホテルで食べたもの である。十月のこととてシーズンオフの山の冷気は肌に 靜かに忍び寄句てくる。案内役のS君以外旅人とて無 し・ストーブの修で鋼鐡にシェリー酒と蒸溜酒のキルシ ワッサーをアルゴールランプでたぎらせて.その中にチ の111につき込ム,ポ娘<lルっにところを蕊味香料をつけ て食べベル擢味岱料は10倣洲ヤ棚えてある。こ・ILは仲ぐ う熱,{! <111=L,ようで碁にあらず.さらりとしてl'くら ども食へらILも漉苫.M1}似後M観趣向で数回拭皐人 ’二も鮎すケめしたが併どんi毛喜二んでいただ│l,た 次嘘-、ルンIニ赴く途中ソイール、 ノミルト.シュナ,ダ ーゼーの辺りウイリアム・テルの伝脱-で名高L・ルノッェ ルンの町の*1蝿店シ:Lパーネンで食べた鱒料理である こ=を肋iLるロ水人は殆んどらのシュ,:一ネンを再び訪 れるもののようで日木人凧lhかしてL,る°白湯で蕪た鱒 をレモン酢で食べるだけの料理,新鮮と山、うことが取得 である。猫者ば時lifこころ.Aる。 Mill朧ブェル・零グトから壁ll蝿鉄の厄介になり3,200 mのゴルナーグヲー卜迄蕊りつめる。象よりモソテロー 形‘ ・イッターホルン.ジンブロンジュ, ワィスホルン等 の像容"鞭の前‘こそびえ立ら,山眼は大氷河に取巻かれ てL,る。張購らい,胱観である。心l ・くまま堪能し下山 の途I", 3、0M)m位のところi二ある湖程立寄る。マッタ ーホルンを趣こ写ケ唯・の湖てある。周囲約1キー,そ の水でS君力3作亡くれた日本のイン界タント味噌汁, そ.!Lとチユーリゾヒカ.ら棚行の.二ぎりめし、これ位今回 の旅行でう識、食へ称,噸か句た。スfス料理とは話が 述うかS.‘にお礼の恵味を雑て附記して置く。 さて. これ聯のスイス料理を頂蛾するのには,ビール よりは欠張りワインの方が血い、ようである。勿齢フラ ンスのシャ1.-鞭とぜも、たくなものは必要でない。地酒 で紬!"、オ・ゾソェンネルワインすなわち銘柄と瓶結を詣 泌せず鰍を、、細な、,でi1i文すれば,プラス雪i二4分の1 リッ1.礼を瓶からI(職汲んできてく』しる。これが溌者等 には非柑にうまく味えゐ。も心ともS君はヒィフティ氏 と派老の馴笑をlりめにザウ・リ嘗一とかアウメシャンクと かL ,ろ、、ろワイン4ニなん1Wの巣聖職X力.り飲んでいる。 ヒィブテf鴎と堆叡kこれ聯をワインの赤ん坊と称して S,勘を軽蔑するのだが同郷二は更に利目なく,彼泳盛ん j二愛剛する。州けば近年太陽を呑むと称して赤ん坊を飲 むことが大流行のII1, 1M来秋し力無いものらしt・が野菜 の少ない側固では好まれるのが当然だろう。識こs君の ように日本人でメイスりこ長く滞在している者に取ってば 野菜代川にともも、うべきであろう。 で何の礎哲も雛L,ものだかjとらくI│l本料理iこ接LなL、 (。雁者.個際航業K,K・常務取締役) とこんなものでも懐L<な&。この料蛎岳は失敗談が絡 んでL,4 -のII"、ルンよりザュリノヒに帰り.同『Jシ ¥ イ〆、処祉のⅢ蝿s蝿と別れ.仮独りで料理店に赴、’た。 そこで撒店推為のものなく,ILと城文した。出さ・れたの力. 辰巳のシュ,:一ネンで食ぺた全く同じ鱒料理である。こ れIこ'よ、,きざかWII ILた。 l l水人は全てこの料理を好む −9− × × × 而磧比, 三ントラ決卜.色彩郡に 至るまで処理しなけj1噸ならなか 今 ったのですが.どの別・算盤もあま り適切ではなか.’たようです。 卸 露出計算盤のもう一つの欠点は 人工光線の撮彫に極めて射かつた ことで-ず。そのため電気鍬i矧が ー ■ーロ アー ● 出現すゐとたちまち力聯がうすく ー なってしまL,裳した。そLて股初 ャ ピ ー も君, 一汗 に述べたよう;こ通気露出計万飽喋 E … …・2代i二なり.今では一〃円そ 、 こそこのカメラにまでfE気 一 瞬,. ユ ユ ‘・ 凸孑 、、逐壼ー函考室… 左からニアロゴマンダ-680E・ピーチクラ ■■■● プトC18SDD,11.ビーバー 澄近の小型カメラには値気露出計 の内蔵されているものが多く,更に 写体にカメラを向けてシャッター鍼 タンを押すだけで適正露出の美い、 写真が掘れるようになりました。も っともこの方式もカメラの広告に香 し、てある程うまくゆくわけではあり 鴬せんが,とに力・く近頃はアマチュ アカメラマンが露出のことをあ龍り 大 賀 航空写真の露出 写亥1欽空写真拠影専朋の銚空極 それが絞りと速動しているものは被 露出計が内蔵されるようi二 なりました。 のカメラi二目を転じ玄すと スイスのウイルドやド,f" のツア・f浜エアロ│、鑛聯が 誇る世界曜尚水準の1千〃 円クラメのカメラ#二さえ近 気露出計体つ,id ,ていなL,の −Eす。またそjL等のカメラ を取扱う特別の教ffをうけ 健 た撮影士もあまり通気蝋│} → h彦 ;│・に頓ろうとはして↓炎せ 次 ん。この雛子を兇て「航空 写翼のカメブマンは時代迦 気にしなくなったことは砿かです。 .‘""""""‘‘“ しかし昭和のはじめ頃には蝿Mの れも甚だい、」と部Lた人 決定が写其を掘る時の股大の悩雛でした。その頃は購れ , 畠れは航測の撮影関係者が二の散イ14 があるそうですが‘られは航測の撮影関係:茜か二の蚊平 た円でも雨の1]でも藤山時間を大過なく判断出来るプマ 間苦労を随ねて.航空写典に弱い砥気熱I剛・を何と力役 チュア虻ら.それだけでもう大天狗だったものです。 その後感光材料が進歩して露出の過即蝿をフイルムや 立てようと研究していたこと力狸解さ』して1°な、、 一例か と思い堂す。 乾根の寛容度がいくらかカバーするようになりました さて.地上の搬影にはあれほど威力を発揮卜心電気露 が,何といっても湿気露出計が出現するまでは露出の決 出計が.何故航空写真に弱いのかといいますと.航空'駁 典は必ず数百米乃至数千米にも及讓空気の閣を通して擬 影するのですがカメラ!主そのために特別に設計された 定が撮影技術股大の耀関でした。それ故電気露出針が出 現する以前にも露出の悩承を解決しようとする試承はい ろいろとなされました。その一つに露出計算醗と、,うも プィルターと特殊感光乳剤の組合わせで巧黙に空気牌の のがあり,一時は相当広<利Mされ、その獅瓢もスライ 乱反射を消去して鮮明i二地表面を描写します。 ド式の計算尺のようなものや円錐を回振させるものなど しかし露出計の方は空気層で起二る乱反射に幻惑きれ いろいろありましたが,陳理はいずれも大同小異で露出 て正い、指示を与える二とが出来主せん。職職,呈典F 決定の要素を大体次の4頂目として取扱っていました。 を向けた露出汁を取付けて飛行中その術針を兇<t・f, 1. 感光材料の感度 と.地面が階L、森であろうが明る↓畠地であろうか鮴ま 2. 光度〈太陽角度) 殆ど動きません。また地上の写真でiま電気露出回卜を彼字 へ 体に近づげて例るL,部分と暗L,;部分の値と別とに測定し 3.気象状態 4.被写体の稲顛 て露出を判断しますが.絃空写真で朧そのような手段は 以上のうち1.2.3.i'こ関しては比鮫的簡単にう主く処理 非備にとり雌くなります。 出来たのですが. E詞 ところが航空写典測釦II ‘1が問題でした。 JIでは被塀体の明る こ,れ等の点を何とか解決した、、と蹴っていろ!、あと拭 さば勿論のこと,画面に於ける明るい部分と階L、部分の み、られましたが,未だに適切な方法がなL,ようです。ア −10− 一 (555〕 - メリカでもCDaSta1ldGCodeticSul・vCyで航空'腓典 に電気浦1I1汁を利"ける方法が研究き,IL , WestoluM aSterという冠気錦l職には航空写莫のための緋別リ│)11 盛まで施さj1.まLたが(e.IL!に関しては本総輔9¥II" 寵で3年liilに紹介さ.IIて↓。ま-ケので参蝋せら,il. Agl ,). このノノ法も少なくとも11本てはその後あ世り利川ど.Iこて L・ない梯fです. 躯気獅Ⅱiilが大Lた戚ノjを発揮Lk,・となると、 、%然 {'1力他にもっと良b、もの11kな↓、〃と↓・う量とになります か,そ巳で地上の写真では雌に過去のものとな,た雌lll 計算盤"郷険討ざれて参りました。前に露川;I盤算の脳 点唯多棚多撒の被写体をうきく分析整難。rることが出来 メにかつたノ側と.人工光線ドの撮影には殆ど利川lll米な、‘ ことだとI│ILまLたが.航噸写真の勘合被写体の条{'│:lk へ地上写典にくらべて遥かl&"iiですし、人工光緑で搬影 ケることもありません"、ら蹄賑1・1算盤'二とっては非柑に そこで股近イー深トマンコダック祉"・ら「ゴグック航 空用露出計・算盤」KodakAerialExposureComPuCrとL,うものが111S.ILfLた。この,1I.算盤は次のd1・ 写体の狐顛の6つの螂然力‘ら紋りとシャッター巡喫を算 出す為ようになっても、ます・3の純度炎でば搬影地の緯 度がすぐ疵魏取ILるようにな,てこ、て, .1の炎では緯度 と撮影ノ1日と時刻から太陽の尚慶がわかるエうi忌な.'て 、、ます‘,この表では太'場,淵鴎まI。∼30・の部分麓けを扱 い, 1.峡Fの時は搬彫に不適11. 20.以上の時は30・と│Id じ露出でよ(・と説明がつ、、てし、まず-. 皇の31'算盤も実際の搬影にあ-[はめてみるとL,fjtuろ ほとんど忘れられた蝋1i@汁算盤が航空'ケ其の分Wfでlljif 討されて↓、ること肱典味深も・ことだと忠いま・ケ。 以l鳥航空写真の露出かどのkうに考えられても4,かに つL,て述べて参り寵した。呪".k僻膠上の勘と#M"f の部分から出来て、ます。 礎とLて補助的に泄剣露出‘汁や航空川館出舟l・1算盤が利川 さ,ILて↓、ふようiこ見受けられますか,撮影上の勘と、、う ものを分枅して.ムると,その大部分か遮気僻111!il・や露出 MI錬跳によって『成きれたものにと1、えます',t,ILはと 移動量計算盤('rime-MotionDial) 2.露出計算盤(ExposllreDiai) 当季 度.フィルター、職嫡度.太賜i溌度.空刻の状態.被 のⅢl脳点はありますが,一般"”・・孑・チュフ・写典家迦"‘ら 好那合です。 1 巳の画像のズレを,il猟すべ,郁分が1の移助Ⅱ│算雛噂 す。この叶算盤ではシ-1,抄グーが川いて↓、Xj間に1W職 がど.!Lだけ移動寸心か, また無卿、で画像がどjLだけ移 勤十心〃、とL、うことが簡蝋にわかもようiこな,-EL* す。この棚の,;│・算をj-んに味ダルトンの航法│,,I.算樅(水 瀧輔15IjPP.238参照) .上り遥かにI岬│にlll来てい堂ケ。 2の鋸出計算盤は股も進要な部分でフイルムの感光 3. 緯度表(LatitUdeZoneMaP) 、1. 太陽商度表(Sola'・AItitudeTal)1cs) 地上で人物写""を擬る場合には主題と背景の錐ケ典 合群を考lはして. 章ず,絞りを決定し,それI呈合"勘たシ 題かり;畔的に解決されて1・-1,.ア'fを持ったカパブか出 ャッター逃庇を避ぶの力柵汕ですが,航空写真の勘合lよ 3LL,航測の臓暇上も蹄I 1の判lWiに悩主さ'IL心ことがな )'&行眺の対地連度.爪f〃ル座, レンズの餓点距離沸力、ら くな勘ものと思います。 凹像のズレが制限以内に納生もようシャッター速度を定 TIME−MO未UoNDIAL 蝋 18 めてから絞りをそれに合わせて考え雀す. も力・く航測用カメラの世界でも近、・将来に, ‐ケ'くての間 (施者,アジア航空測脳KK,巡航部jを代川!) 凸 EXPpSuREqIAL・ 屯 4qqアロロ ロ I f ■ ■。 Ⅳ ...LATUTUD鱈.zo鱒昏噸AP ’ ‐ 窒 A 藍 1.. 0 − ’ H1 回f 今写一ヶH 爽2.イーヱトマンコグック社の航噂写真Ⅲ蹴川計算盤 −11− qわ台9 画且B区 ロ皀旬ず = 30 ー 1 旦Oワ 一 I;淵辮職協: 邪 君Oe 織熱 I朧織 50 II:;;I' (551i) 航 "tr 里丁二 写真によ る 一 索道路線の選定について 日林│〃測量揃蝉部 『 1 序 航窯'郷“昭和27年lソ、ルミ.側イ称及び比イi仲のIM1係公 j卵i体により既にノ<面WI'にわたる搬影が行な』うれて.肘 位1世測定力0'1能か佛力・を検討ケfj,恵味力・ら. 1蝿に現心二 架,役磐'ILた適当な錐遊路線を対鎮に避定し、 l・ランシツ トリ鋤により各支剛li】の水平距離.闘低遥郡を測遊L、 り.航空写典測鐘の技術は鋪二次大戦後、苫Lく,鮒めら l(iじ位i趾をケルシユプロプクー測図機によ"M)ELて両 れ図化i↑錐{典飛離的発展をして↓、駒。 斯を比核したのである。 N難縦断における航空啄典は従来' illll樹部門及び疎林 水捌縮こは林伽州│伽課n,illi"'1│I.‘川辺I1I{汝1.1│:氏. 11! f"fil.I"こ利ハ'さ』Lても、るだけ 洋航鋤l#¥KK・ │ 1,1隙航業K で, 'k"lf*.土木耶碓郡他の Kにご協力を賜った。=こ‘≦へ 部II'lでは利用されておらず, 煮 各卿こ対し深く感MIの,慰を炎 た技術的な兜リjも│,分にさ』Lて する次輔である。 こ、ない州kである 2現地実測 イゼ付′卿聴の蛎大と生磁性向上 脇M伽呈使用した既架‘没の粂 が間脳とに。’てL・る今I Iの林梁 界{二.帆、て林業繩僻全般に航 空'蝿4を広く利川Lその一・助と "'k柵ド奥多隅l11.lllli(にある 川辺│11{次郎蝿所イjのものであ す。−と力.出来るなら0f多大の る。この紫瞳は先年. 41京大 効!IMflUIffL緋あと共に.航空 学榊I利ルi学紋竜が仲野庁の 写典そのものもますます1It盤性 晦川ljf究曲をi¥て, 、今般比付 "W十一とかf想さ#16。従ゐ 林に符及するための「│催fけ‘ て航ソ催がり〔利)Mに閲す“心用技 標職Ⅲ衆道」 fl,jの11i朧燈必こ砿似的に批准す Lに結鵬.現地‘こ架批選ILた (‘'0剛)を研究 翰邑と肱. II錐技i{「Hの嘆剣に ものであり,珊犬唯『磁線・ 拶慰せねば江らぬ間皿でもある 腹帆・多支間・多荷IIt.述送 ・術叩式」てあり.轍3支柱 の.ご*》ゐ ,乱述はこの肌蝋に上,.と、 主 一< 現地の鳥脈写真 で約163度凧IIIILてbゅ。 一 ず航空聯典による錐迦IM係の諦施批">I;I.画, !iMil1・ .測雌 に関すら腿礎的考繁を行な-’た。 火測は鰯1 lX│のごとく約212mの雄線を,世うけてI・ラ ンシツトによる三角側壁により節1.鋪2.鮴3支柱の 索遊はH雛の機械化の先峰を似,’て牧年無数多くの 州z距離.地難問を求め,鋪2、縮2'支柱間と.輔8支 災験研究により大き雌発展を遂げ広く瞥及Lている。し かしながら今11行肱われている設叶j法は一般にトラン 住から館3'、終#雛ではl・ランシッ1.によ患'スタジブ測 』1:により水平距離.地盤I輔を測批した。 シットIらよるスクジア測般であり,このため急峻な11l膝 これとl可時iらケルシュブ稗ツター測図幟・そ棚定する 迦二おける実測こは伐側及び測馳こ多大の日数,労〃帷 際,起点.総点及び各支住の位舩を明らか‘畠するため、こ びIこ羅蝋を要するものであり、踏代,予測、実測の納果 各‘噸の位慨を縮尺約1/10,000の航空写期=刺釧・’に。(輔 から爽測図(平而,仙断.縦断)を作製してその図而に 鰹、て索遊の投汁を算を行なっていら・これらの外漿に 縦僧ケ関を使ⅡIすれば,蹄朧力‘ら爽測'ニ至るまでのf作 黙が殆んど内雌で済む,こうになり、蹄線illl│跡こ蝋ケボJII 11刺.館21劇参照) 3ケルシユプロッター測図機による測定 皇,ILに使川’た航空‘夢典は1轆郁水逝局。ご撒影Lたも のご'IMj,, 数,妙ノノ・経俊の脚";IIIMMMMM」ものとM1きれ (1)搬膨術定総》及び地匹名: 111 ・159奥噌,摩 る。 今In1の測鯛土索道蹄線測吐を航空写典測遼で行な,’た 場合,糾弛の識│、々算に必要とさIL為紬度で必要地蝋の (2)撮影力ようと燃点距離9RC5a 20り.77mm (8)撮影高度;約4,500m 仏)撮影縮尺:約1/22,000 −12− 一 (557) (5)搬影年月m: II鯛旧4年10ノ115I] a / 航空三角測赴により求められた標定点により絶対標定 を行な、、.約1/5.100に摸像が結ぶように概械を設隆し た。測定方法は現地鯛迩で刺針した点の内.起点,第3 支牲,終点に柵当する点を描画器により図紙上に描示 し,その点間を直線で結ぶ。この直線上に淵って描画器 びjf供 一 〃” 亜 拘型 回 t蛇1 又心 を移動して地形の変化点ごとに測標力地表に接するよう 描両器の高さを澗節し.その値を統歎とると同時にその 点の平而位置を面線上に描示する。地形の変化点測定の 際.特に索道に陣窪を及ぼすと思われる地点や‘中悶支 "4 e■ Jr々フグ 。 ●=〃 ひ己ら■ 抄占凸 ︲ 19 F −J J fL 6j I 柱を必要とする点におも、てほ.測定点の間隔を細かくと ‐ 鈍辱急 瀞紘翻 って測定した。 以上の測定値から地雛高の31.節をし.図紙上に描示さ 〃〃矛 1■ a抄①空 “オア十 れた各点間の水平距離を拙、mまで、盛られたスケール ,ト により求めた。 ー へ 承” PnE涙へ 十クセ淀 (鋪3図.第4図参照) 4実測とケルシュプロッター測図機による 埴‘ず:・fIWj即i》 一 測定値の比較 ’ロガヰ ‘qw了| 爽測値とケルシュプ芦ツター測図機による測定値の比 ‐ "皿46 ’ 較は鮒1表の通りであるが.ケルシュプコッター測図機 画 │", :爵│&‘ 一 永殺 Gこよる測定値は数回の測定値の平均値をもとめる必要が あるが,時間の関卿“に1回の測定臆しか符られなか Jどざ7円 第 1 図 った。また,実測値も第3支柱以後は高い精慶を期待で 期3図 測一煙ィ脚 ∼ 一一 一 L -”r 一一F辨 乎厘丑今“ 卜撚 1… JJ” 旨鍛i海 上″良鐸 記 伽 ” 必 ロ遺︾ 凡認 久認 難麺︾ 癖 ︾蔀 ︾︾︾呼州︾ 唖 , 凸 B B H 8 炉 I l B 三当 Ⅱ Ⅱ 11 K p ■ ■ ■ ■ C e 菱 鰯 ︾ −13− ↓l 1 ■ 第 ‐ ■ !'劉 、 ■ 2 、 ■ ︾ 垂一 弟 I 8 妙” 丙蝿 ” ■ LIIlトレートレトト11卜I1lLl 評辨雛騨”“ 凸■毛年﹁・ ︾誰︾ ■つ■P町● 率寒寒.評碑率葬癌癖 吟 ︾辮舞難吋︾ ︾鈍 縄 IrI06ILL99﹄岸rF0r︲11トーIIIIlFIj,11. 亨反 趣 恥 麺 ’陣Illll脾トーlFh胸llIlll片IllllLllllIll 寸打ヨ唾蝿レソッ 鰹叩 ざぷ 嫉夕 泌 姫” 7 7潅 垂 ︾ 狸” 律鞭 I﹄岸 ︽︾が と訂。﹄可畑f I 識蘂戎 乱? ■ 1 1 1 ■ ■ 6 4 0 4 ・ P L B ■ 7 0 1 1 0 ’ 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 F 日 7 9 1 Ⅱ 1’1 l−lPll01IlL院胎lIIl卜 錘 『群議鶴, I 一貞弐fJ 『…’ q 凝計蝋: 〃・。 _ l 五一 y r 、●Fタグ h 樟IIIFIIllLlII︲lLF11 j −、 口 一 トー’十IIllrlI制壬r’ 巳 #“│…│・…‘│''"‘│鱈嶬’ イ街二確率へ 烏『 坤榊諏惣 嵐│*認“│捲曾│群轆蝋羅§│畢扇 lXi 1 (558) 1‘330.94 I 1,610141 0.00m 131.82 261.60 ’ 267.10 の核 854.1.1 1,306.'16 |m封率奉却率唖 ’ ルー 838.08 ’ 地盤商 Ⅲ 1 突比 盤”輔無蝋 434..16 4 24.48 279.20 0.00m 間差、配沌釦鴎調犯 低mL,a尻12 16.06 452.32 距離’ 才奔尚u瑠聰M1 ・103.62 の較、卯駆部調野鯛 4341.46 災比 I と022012 測一十十十一一 n叩︾︽nun−へ︺︽叩﹀の〃︼︽四三つ’一 O."m 追加水平| 実測との 比較 水平距離 m 卯沌妬、塑蛇 ︿、叩︾■④●ら●4 Q一十一一一一 舗点住枇柱柱柱点 支起節第罪鋪節終 支支支支支 桂12 ,33 館1表水平距離と地盤高の比較 ‘1ル'1.78 ・116.11 一一 458. 413 ’ ”「実測との比絞」は(「爽測値」一「ケルシュプロッターによる測定値」)である。 第2裏 支間傾斜角の比較 鮒1支桂∼輔 2支桂 起点 雛】支墜一| 実 433.56 測 ケルシュプ .134,416 戸ツター 較 鳫悪鳫織卿| 130481 131.821 錐 −− 水平距離 支間 高低錐 支 間 傾斜角 16。・14'罰〃 ‘107.34 129.07 17.34'53. 15.60 500 16・52'LI2' ‘103.62 129.78 17.49'29. 16.06 5.50 -7,幅, ’ 測 ロッター 錐 水平距離 278.18 間差蛎犯 水平距離 ケルシュプ 綾 a。 第3’支柱∼終点 支 間 傾斜角 低 一犯娼 支商 鳶鰻 蔚斜澗 支間 高低錐 〃5 年■ 9 4 1 3 4 F6 JJ 9 2 0 0 .0 。◎ 8 3 5+ 実 鮒3支柱∼鮒3'支柱 間 支 間 傾斜角 −14'36〃 鋪2'支柱∼第3支柱 水平距離 水平距離支間 商低盤 身″が 7 6 9 1 1 5 〃〃 〃7 . 6 4 4 5 0 ○C 7 8O 1 1 1 − 水平距離 第2支柱∼第2'支柱 279.20 支 間 傾斜角 7.48'39’ 8.37'09句 三 -48'30r 第3表各支間の索長・強力の比較 ー 差 %("x'0' ) 1.568.49カ ’ 1,484.59p 1,475.68力 −2.50 −1,60 -4.93p +8.91p −0.53 −0.57 −0.32 +0.60 第一 絃 タ 1.563.56’ 越 終|叫岬郊姻 ツ 薊鰯 鮒1支柱∼ 第2支柱 一柱助鋤助3 測 ケルシュプ戸 1658 8 ●4 ●3 ●7 や 8 5 3 0 岨 娼 十 十 実 96 42 52 8 3 ① 守 中 凸 4 5 1 0 妬 偏 一 一 ,爵,掬驚灘;恩 雛零厭 難支# 儲,窪 柱点“助雌7 ○張力(kg) 鱗岬呼祁郵 ○衆艮(m) きない乳状であるから,この両者の比較の忠から普逼的 に粘度に側する問題を云をすることは出来ないが.一応 林地排では地上が木に砥われて地変がはっきり見えなL, ので,この場合に嘘1.8m以上の測定誤差がともなうと D目安とするために棚単な分析を試馨ることにする 考えられる。 実測とケルシニプロッター測武との間に終点の支間間 低差で約4m,地盤商で7mの差があり,他の点に比べ て大きな隈麓が生じているが,錦3支柱から終点叢での 実測はスクジア測量によったものであるから他の点、由り 実測値の締度力悪、、と思われる。 ケルシュプロッグー測図賎の実用的な測定糖度は擬影 商度の1/2.500といわれている。使用した航空写爽の搬 影高度は約4,500mであるから約18mの測定誤差が術に 附随するものと考えられるが,特に地盤高測定の際は恋 節1変の両測定値の比校では18m以上の誤差をもつ た値が出ているが.測定回数を墹してその平均値をとる ことiこより,重た’測定点の平面位I趾を描画図紙上に記 す場合,針によるなどして測定による誤差を最小限に食 いとめるように注意すれば,尚一閣の精度力糊待出来る 次に両測定値を支間傾斜角に換算して比較すると館2 表の通りである。短距離支間では相当大きな誤蓬を生じ てくるが長距離支1I;jでは誤差は極く微小となる。これは ケルシュプロッター測図機の測定誤差は距離の長短,高 一14− _二 一 (559〕 =477.418m 低差の大小に関係なくその測定点の象に現われる絶対的 な誤差で.それが累蔽誤錐として他の測定点の精度に影 ← 長距離の方が相対精度が上ることになる。 索道の撒叶を算に必要な因子で実測により求める数値 は支間水平距離と支間傾斜角であり.特に主索設計上賦 大の要点である最大張力の算出に必要な数値は曜大支澗 lこおける水平距離並びに支間傾斜角であるから,ケルシ ュプロッター測図磯による測赴結果が上記のような範囲 の誤差であるならば.主紫の設計,強度の計算に及ぼす 影響は可成り雌少なものとなる。 5考察 実測数値とケルシュプロッター測図磯によ今て得られ へ た数値により原乗の簸大張力を妓大支間一一第2'∼鋪3 支柱間におし、て,当値垂下比等分布荷航法批物線索公式 を用いて押出して承る。 手 ←−−−− 2 L 』/ 沙は線比亜(kg/m) 峨大張力係数 ’0=堂…=3.475189 8s 最大張力 Tomax=や0,W=1,659.331kg この衆道路線の餓大張力を生ずるこの支間において, 索畏は爽測に比較してケルシュプロッター測図機では+ 2.49m、052%琳であり,最大恨力は0.63%期である。 この.kうな精度で測瞳数値が得られるならばこの数値に より設計,賎大喪力の算定をして爽際の索張りに使用し てもその影響はないものと思われる。尚参考までに各 支間の索長と張力の比絞表を第3淡に掲げる。 ケルシュプロッグー測図磯による測定の結果から水平 距離と地盤高を求め,地形の縦断面図を描き,そ‘れに原 索線形と荷重をかけた場合の軌跡を計算.作図して中間 支柱の位賦を決めて地上障害物に触れる心配がなL、もの と判断されたならば,その索遊の起点,終点及び中間支 柱の“段を航空写典上より現地iこ確認して索逝脇線の位 侭を決める。この航空写真上の各点の位腫を現地に正し く移すことは,起点,終点及び中M1支柱の位趾を髄かに 変更しても、索弧りの良否に大きく影響する索逝蹄線で は,非常に重要なことである。その実際の方法は今後の 一 & 一 f 〃 4’2 三二 調在と考察を待つ次鮒である。 6 1, 測飼:に代わって.航空写蕊を使剛してケルシュプロッタ ー測図機により洲銑するために洲在を行なったのである が, −1蝿の数少ない比較だけから鮒度に関する問題を結 第5図 (1)実測の秘合(鋪5図参照) 支間水平距離 ノ0=45031m 支間傾斜角 α=17.56'35” 原索中央垂下比s==f/ノ0=0.0・1 支間の斜距離 ノ=Josec"=473.33m 雛縫 エ=('+:s'・c・s'")'=4%、 諭ずけることは出来な、、。また,経我上の検討.紫道路 線の現地への確認報技術面上の澗碓も巽際に行なわな力, ったので.今後各方面で調査が行なわれ実用の段階に なる.kう希望して,この調査結果を賓科として報告する わけである。なお本研究を主として担当したのは, 日林 協山本裁永と東京大学農学部林学教室南方康である。 索自並〈全荷重)W=・174.98jkg 力は線比霞(kg/m) 鍛大弧力係数 あとがき 以上,染道設計の測量に現在行なわれて、、ろスタジァ 4 一 染自重(全荷Ⅲ)W=477.48jkg 響を及ぼすことがないので、距離測定では短距離よりば 航空写真の使い方 妙0=ヘ/1+(4s+tan")z 8S 木本民房瑠 =3.471539 最大磯力 定価密320 Tomax=j0.W=1.648.95"kg ②ケルシュプ戸ツター測図機の場合 一 支間水平距離 Io=45232m 支間傾斜角 α=18.4‘54” 原索中央垂下比s=f/Jo=0.04 支間の恩距離 ノーノoSeC"=475.82m 索鍵 L=('十号争…)・' A5 P、 152 〒実費 写莫図莱約 jWi加する航空写哀を利用する人☆に理解し腿く するために,桝き下ろした航測指導書の決珂仮。 日本林業技術協会発行 −15− (560) 小心 小◆ 出 0 4川 0副4 森謡林榊航鍔測 ....."‘’,.".‘,‘” ’ I OG、■QQg■BBebQ 講 ー その4 森林判読の実際 中島厳 座 │ ;....""哩竺 トランセクト法は普通透明板に等間隔に多数の平行線 6.面積の測定 が印刷されたものを.測るべき図形の上にnKねて各六の 6.1面積測定の基本的なものは 区劃境界内に入る線の畏さを測ってその合叶で面積を推 定するものである。この場合に測定する区M1の図形や配へ 点と線は位│世と長さで定まる.それが広がりをもった とき‘その敵を数値で表わすことが面積測定であること 積値をどうしたらもっとも合目的に写其上から測りうる 列が数値に影習を及ぼすことがあるので,2回目は第1回 に測った時の平行線方向に対して,直角の方向に線が走 るようiこして蹴り返し測定するのがよい。平行線の間隔 は測定に必喪な糀度によって変わぁ。ドッ}、グリット法 ではただ点の数を数えるだけで長さを測る必要もなく, 更に能率的であるのでこれについて少し説明をしよう。 かが問題となる。いうまでもなく面積測定の方法は必要 これにはドットテンプレートといわれる透明板に正確 は森林航測におも、ても何舗変わりがなL,, したがって輔 密な数値を艇する行政賓料的な而涜などは純然たる測熾 分野の│III腿である。 ここではホI誰経営や作業. またその管理上に必要な面 な精度と,対懲となる林地の条件で全く変わってく為。 写真上直樹1!リりうるものもあれば,対象林分を箱密に図 な桁子線の交点を配列L・たものが使われる(鮒1図参 照)。これを測ろうとする図形の上腱丞ねて各去の区劃 化または地図上に移写して行なわれるものもある。 図形の内におちる点の数を諾;鳥取る。ドットの1点は図− 山岳地が大部分である日本の林地では林分面積の測定 形の縮尺に応じてそれぞれ一定の単位而就値を表わして いる。操作が蜥純であるので製差が少なく,また時間は は大ていが地図から測る方法がとられる。 写真上での森林区劉.その結果の現地検討と移写など は別の菰月であるので,ここでは既にそれが測られるべ き状態にあるものとしておく。 1 I ごく・藤通に使われる方法はプラニメーター法である。 台 ● これは図而の縮尺が確爽で正確に行なわれたならば‘細 由 卓 令 七 。 ■ ◆ ● 検討される。 ● 4 日 旬 ● 甲 ■ e p ● ● 4 ◆ ● 由 り P ■ ■ 。 ● ■ ■ ■ ● 申 心 ・ ◆ 申 凸 。 ● 争 、 寺 ● 合 守 ● ● ● ① ● ■ ■ c ● ● ■ ■ 岳 ■ 由 凸 ① 申 ● 岳 申 申 や ■ ▼ ● 中 中 ■ 白 申 昏 ◆ 早 令 辱 凸 a ● ○ 号 * 4 凸 ● ■ 。 参 中 中 句 申 ’ 申 勺 ① 骨 = 堀1脚テンプレートの例 -16- ● 由 で,それiこよって面涜値と測定誤差率の値が能率的に卿 られる。 血 由 も ● G 甲 争 申 、 ■ 申● ●● 争 凸 ◆● 弓 ● ■ 合● ● 早 ◆ ひ 早 ● 凸 ● ● 4 G 。 凸 ■ e ○ひら 目的に応じた細かさの数値,または全体が知られても、る 場合の内部比率より得られる而積値が十二分精度をもつ ものが大部分である。したがってこのような場合に使わ れる方法は統計的な方法によるものが本体となるべきで あろう。典休的にはトランセクト法とドットグリッド法 ■ 分 また測定誤差も含堂れやすいものである。 6.2合理的な統計的な方法の応用 多くのj刈合森林判読の部111,また森林作梁の実際で朧 ■ 。 吾 。 区劃単位の秋男J二げ値と全体の面積の値によって結果は い。つまり可覗則な図形を測るIこは大爽聯間がかかり. 申 ● へ 巳 かい数値を出すことができる韮本的な方法である。内部 この方法について取り立てて説明することばしな↓, が,ただ艦本法が最も能率的な方法であるとはL、えな E 合 C (56]) 一一 プラニメーター法の鞘から%ですむ。ドットテンプレー ト(点格子)は要求される糖度と図面の繍尺に応ずる各 _VQ×3.84 紐のものがあるが,これは適宜手製のものを作ってもよ で;l・算出来る。 nP ↓、。苦”/5,000ぐらいの森朴種の測定には5Crn2に100 )側内におちる点の数が多↓、方がその肘の測定輔庇がよ ↓、のは当然であるが.それは作梁能率にひび↓・てくるの で必要性の精度を考えねばならない。そこで測定に必要 な許容盤を定めて大体の点の数を定めることが行なわれ 点,つまり5mm間隔に点を配列させたもので使われる ことが多い。 この場合は250m恩に100点であるから1点の表わす面 積は0.0625haとなる。紡尺が1/10.000であれば,それ は0.25haとなる。たとえば1/5,000図面で測定対象地の 全面積がOとわかっているとすれば,全体におちる点の る。その許容誤差は10%のでよい吟もあれば3∼1%は 必要なときもあるが,それをAEとすれば点の数nはP (100-P)tg を%として 数(N)はO/0.0625となる。 勿論NからO=Nx0.0625haも計算でき,図面の伸 縮なども袖正される。そしてそのうちの一つの林分勵こ P(AE)塾 で求められる。 そしてこのnをもとにして適当な点格子を作今たり, また週んだりできる。nから全体耐i秋をこの点密庇で測 おちた点の数の合計をnとし.それのNとの割合をPと へすれ感この闇の面獄のOに対する比率はnPであるか るときの点の数Nを求めれば,図面の縮尺が1/Rの場合 に…"鯛鰯(。)=/子×÷で郷られる。 らこれを0.0625倍すればよい。 またこの時のこの測定値の標準誤遥は±VnP(1-P) 例をあげて説明しよう。今ある剛が全体の約10%の面 となる。つ主り全体に対する面積比率は(1-P)=Qと 敬をしめてし、るとする。そして全休に4,000点おちる点 おけばnP±t、/n。P.Q・でえられる。点の数の標準誤差率 (変動係数)はこれをEとすれば95%侭頼度で, 格子を使って測ったとす沁笈.その闇におちる点の数は 4,000×0.4=1600'蝋となる。この場合のこのjWの而積 E=t△璽一、/ nE- 測定の榊仙誤差は±V1,600×(0.4)×(0@6)幸士17 t=1.96として …×17に点の代表する単位面職を乗じたもので表わきれ nP nP となり.約1%弱となる。そしてこの値は1.600±1.96 や 40000 幸1.ロ 3DO00 孝2.0 一 =“ 00 15000 ー樟SpOOU 剴一4CO” → BOODO −17− ﹃一 色000, −10.0 2図 ゴー15000 ‐+一ZOOロ、 蕊 ÷30 粥 00”叩叩叩 −トー20 卵 0000 1目 2u 3u 5 口 藍 菫 ■ 0 4llllIIll6lll 夕● 〆口叱 〆 函 〆 毎● 句 〆一斤 悩 句▲ 幸申 ●一 ぐ︾配弛 王§ロ 夕と ︲1111毛︲I必,IIIIIIII ÷ 主 方諺 玉。 で、 奉 零 う回000 −100 00 9誇0 伽 令斗士十上 I 塀 、 一T−C、1 10 5 1 庁 一一一 10000 4一5 ↓今■一勺一一口一一 戸G2 “ (100-P)・3“00 〃=一-一一一 2 。P一仏毒P一一一B一レート一戸﹄■﹄■一 一十一一■一一一画一旬一■一や一句一合一 〃= O000 0腸0 O塵錨面積(1,Q) 8000“ nQJ 々唾地図錘は写真縮尺 0 〃璽点の間隔(Cm) 0 S画%で表h'た許容盤差 一 00 m的0 叩0 叩 000D 叩 印0 加胴0 卵郡 0 叩5 亜 Ⅷ 5 2 1 〃一︲・一三寺一・↑一乖二や芽圭 〃口点の蕊 ←4 0 P・%で表わLに正効率 2 ﹃ 腸 卜 一 L ﹄ 一一一や一一一一一ムユ|&﹄一 (侭頓塵−. 95%) 0 0 → 1 幻 季3 0 EEE傍弗鞭f︽一一﹃.|・淳索﹄王土 〃 S 格子点法にふろ面積測定精度の計算図袈 Z,0o 000 (562) る。 また図而の縮尺が1/20,000で対象地の全体が1.000ha 判疏の分野で最も必要性の生ずる肋所面積とは樹冠而 職や樹錨彼慨度の測定である。樹高についで樹冠の大き さや被覆度は森林分頻の遮要な因子である。しかもこれ であったとすれば,それに必要な点の間隔朧 ÷ は地上で求めるには非備に非能率的なものである。樹冠 /要需×恭而 被覆庇は樹冠の疎密の陛合を比率で変わすのに使わ#し, 多くの場合には対地而脳比の%で求められる。それiこは から2,5mmあればよいことがわか為。 どの闇を規準にしてドットを作るかは般大の面潰比を しめる卿,最も璽要な屑,燈少の比率の屑などの許容限 前記したドットテンプレートと同じような板も使われ 界をどのようにす為かで週ばれる。また既往のドットを すれば,十分に目的の数値がえられる。ただし少なくと 使った場合の補度の点険も上記の方法で行なわれる。こ のような計算はそう復雑ではないが,もっと簡単にする ない。写真が4翻尺(1/20,000以下)である場合, 主た ;二は図表を使えばよい(第2図参照)。 対繊林分が調鍾世のように小面戯の掛合には,蕊密度板 実際に測定を行なうには10cm方眼ぐらいのます目を る。そして樹冠の上におちた点の数を総体の点数と比較 もその対象林分総体の点数は25以上60位はなければなら による比較測定が便利である。 と読む。ドット法はプラニメークー法のように同一線を これは10%ごとの疎滞度範例を印刷した透明板で,こ れを写真の上に鮭き立体視しながら像の上をすべらせへ て,同じような密度の像の位置での数値を読承取る。こ の板も縮尺別に作っておくのが望ましい。この方法では 経験をつめば5%ごとの区分けも行な、‘うるものであ 少なくとも2度たどる齪笠や技術から解放され,また十 る。 分に目的Iこ合う精度を期待することができ論。 林分を2つの樹冠胴別に区分してその疎密度を測る場 合に肱, まず擬勢木を含む層についての測定を行ない 地図上に引き.その1区側ごとにつし、て層別点数をチェ ックしながら行なう。周辺の方眼区劃の内の点数は一定 となるばずである。後で誤りを検討するためにもこの方 法那望ましい。層の境界の其の上におちた点は、 0.5点 6.3写真上で直接測る面積 あまり問鞘度を要しない測定,大体の見当をつける測 決L,で全体の測定を行なえばよし.。その差が節2jWの疎 定などの糊合は,モザイクや単写真上から直接このドッ 贈度となる。これにば樹高階別.または樹冠の大きさ別 に, 主たば樹魎別になどの分類方法力蝿合iこよって生ず ト法で而職推定することが出来る。写其の上涯直接ドッ I、テンプレートを遮れて行なうが,線のズレを考慮に入 れないために.対象がjli純な地形である方が精庇はよ い。 この場合単写典では伽Hする区鞠ま水平距離の測定の 項(本鮎29号16頁)で述べたマツチラインに囲まれた脆 囲内の象とする。写典上から直接而税を測為場合,モザ イクにあってもこの方法では必らずしも区劃層の境界線 を記入したくてもよ、、という利点があぁ。それは各なの るが,いずれも10%以内の精度で測ることができる。樹= 冠の測定は像の鮮肌さや.像のズレ. また影によって影 響されるところが大きい。つまり明るい斜面の立体度の 少な↓、金饒樹林ば過小測定され,影の是い林分, 日影の 林分,写真の周辺に近い林分などは過大に測定されやす L,ものであ為。佃なの樹冠面就の測定は微小距離の測定 に準じて,樹冠直隆尺や喫尺を使って行なわれるので説 明を略する。 一 点の像を記録しておいたり,堂た層に区分した茨の中に 』跨ちた点を勘きこんでいけば,層別、職や寅料は・後で これから梨:1することができる。 いずれの場合でも,この測定法の糖度は縮尺に関係す るものであるから.山耐也では低所は過小に高所は過大 3回位で終了し.こうと思って始めたこの諦座も,窓外 ;二基くなりだしたが,これまでで通的な判読部門が一段 落したので.次いで筑的な問題に入りたいと思う。すな わち森林の分類や調蹴の実際についてである。 に推定されあ口像のズレによる誤埜はイIJ秋きれる性賀が (錐老・林業試験嶋技'#) あるが,この縮尺によるものはこれと同一に考えるわけ にはい力.ない。それは大体林分の変化ば標簡腱影響され あものが多く.林型区分も標高別iadkって分布状態が左 右されることが多いからである。そのためにはこの測定 数値は袖』lヨされなければならない。測定した而職を糊尺 × × × 母数差の自乗比で修正しその補正を行なう。 プラニメークーやl・ランセクト,またドットテンプレ −1.を使用する他にIM:法もあるが,これの説明は柑略 として,次ぎに局所面W(の測定を述べよう。 6.4樹冠の面積などについて −18− 一 (563) を接面し. Y視整をドーヴ.プリズムでx視差に変換 し,実体像の視整を消去してから乾仮の膜而をドリル刀 一一 器材紹介 で直径60ミクロンに切り取り幟度±1/100mmで移写す る。一方"子Wi算機の発迷によりオーl・グラフA−7( またば、訓なのコンパレーター)との組合わせで解析航 空三角測逓の選点,接合点の移写を行なうとき性能と諦 鈴木義久 度ば充分に発抓される。 〒 2. 1,WILDPUG2POINT ARISTOCOORDINATOGRAPH4440 TRANSFERDEVICE ①金風縮枠③光学幌③ドリル頭部④写真移動台、スポ 罰 《》 ット・ライト⑥ドリル頭部カバー⑦ドリル・ホルダー・ スリーヴ③乳白色散光盤、写真乾坂⑩写真移動台と×視 へ差調節ネジ@Yi移動台とY視差調節ネジ⑫スポットライ 淳一 ト調節⑬ドリル。レバー⑪ドーヴ・プリズム調節⑭熊嵐 調節ネジ⑬測際とドリル孔の相互中心規整ネジ⑰メイン ・スイッチ⑬カバー 2コ 4 3 5 一 本機はグリッド・ラインの描画と座陳展開を能率的に 与 海鞘度で作梁できる。すなわちX軸レールとY軸レール の固定により‘ifに座標の噸角庇は保たれ, 目的縮尺の目 盛を簡蛾に交換でき,グリッド・ライン描画と同時に韮 地点の座漂展IⅢができるからである。 粘度ば±3/100mmで,股小目盛ば1/lOmm, 斑 17 陥壱 秘 13 目測 1/100mmであり,またテーブルはライ1. .テーブルに 12 なっており.その利用範囲は非総に広く,座標象隈の変 本磯は一般にプリッキング・デヅアイスと呼ばれ,華 換も簡単で熟練者を必要としない。アクセサリーとし へ地点移写磯である。特提はパスポインI・の選点,接合点 て,目盛附マイク戸・スコープ,針附言イクロ・スコー の移写をすあ場合写真上Wj瞭な地物を対称とせず容晶に 設定できるので,とく}こ山地における接合点移写には有 プ,各種縮尺のテープと輸尺,グリッド・ラインとX龍 に朧Y戦を平行に移動するための設備等がある。 (著者・ペシィフィック航空測量KK) 一題, 一 ︿型禰 ■ nUg ■ 、イ脈土. ︾季昌へ 麓 ︾.一理︾・韓 甸軸︽。 一●召 ● ●“腓巧 蕊 効である。方法は10倍の実体像に面径30ミクロンの測漂 戸 ■ 1一 それぞJh異なった光の像が入ってきて.それが網膜にう つり.膜の'I!で遠近力&判定されるとき椹,物体の位股の 錐によって両眼の焦点の合う位低と,両眼の視線の挟む 仇度がちが、てくることから生ずるので l-。 句 ● ●●守 □ 夕雑 、蕊 こ・ ‐ ‘ =,認‘I、 寺 .。。… −−−.‐ ≦_鰯I睡甑潔 瞬 編集室 二 第“問立体に見える写真を撮影する条件とはどういう ものですか。 Lたがって輔一の条件;土左右の目に入る同一物の徹が 片一方づっの11で見た甥合と同概になるよう'二,両擬彫 の位瞳に.ある距離を世いたものであることです。もし このとき両搬影位腫の間隔が人の両眼間隔6 "cmのも のですと肉眼立{イ懇と同じ位のはずですが,実際は索外 立体感が低いものです。つまり視線の交角だけによる肉 答ものが立体に単えることは,元来が左右別との│眼に 眼立体感とは案外少な↓、ことに他なりま耀止ん。そこで符 −19− (5641) 遮はこの立体感を誇眼することが行なれ寵す。一般に遠 近感を判定しなければならぬものまでの距離の1/20以上 は望壷い、.とされ主す。つ室り物体が20m先にあれば 最低lm位、 2mでは20cmぐらい撮影位睡を離すこと です。そしてまたこれを勝張す患としても限度がありま す。間搬影の光軸の交角が90.を越えるようでば肉眼の 視野と鮎点深度を越えます。童ず60。以内に止むべきで し我う。 この他に‘厳識的に肱なりますが次の条件をあげておき まし上う。 1. 両写真は少なくとも同じ部分を被艇して↓、るこ と。 去 隆,中的恨がそれぞれ割蛎局お‘こび部会餐貝に参加し た。削立総会は各離題を終了した後,武田通獅喝の「妓 近における航空写典測壁」佐を保雄北大教授の「地質学 に対する就空写典の応用』の特別鰕演が行なわれ,次も、 で祝斑ペーテ#にうつり盛会裏に聯力名とじられた。 なお直ちに開かれた第1回“1余で.早急永鮒1回学 会酷の発行と韮金の確立、部会の巡営iこついての凝案が 討議された。 林業部門では幸いにして既に木賊の如き専間誌もあ 2.泌膠光軸は同一平面になけれ噸ならない。 3.両写真の猫尺はほとんど同じ縮尺でなければなら ない。 り,一応の母体があるのでこれを雅準として独力な部会 の結成と運営が計られることを希製する。典体的には本 年.1月.林学会大会の期を利して.第,回休業部会を淵へ なおこれらのことは特通のカメラで,また立体鏡位で 見る掛合のことを述べたもので,糀密な地上写爽綴紳雌 や、地上写真図化機などを恥、ろ場合は大分事愉が異な りますから念のため。 測 ○日本写真測量 ■■■■■■■■■ Ti おたより 一一戸 伽したい予定で鯏附を進めて↓、る。 ’1本写真測堂学会の事務局は東大生産技術研究所内 (港区麻卿噺竜工町10,振替口座東京25750恭力11入 将負担) i,こ殿かれたが.林業細Iリに関しての述絡は日林 …∼‐・乱‐−−・‐。、ヘー…一一一一一一ベーベー全一・ヘヘー. 航 役ilには林学界.上り,顧問にI↑』山腓一. 】卿ドに松川恭 佐,中島雌雛那に松原茂,群継倶に嶺一三,齋藤美 鴬.吉村滴英、盤リドに松原茂の溌氏力選出され.また成 協測撞指導部で行なう。なお会凹は年600円であり.た だ今の払込みに対しては明年3月末までの会凹とする。 但しI国際写真測撒学会にも加入希望の場合は別途分担金 を払わオユばならない.なお会誌は日本版は会負に無料賦 学会の発足 布,英文版は原Ⅲとして実数とする。 国際写真測蹴学会の傘下団体とし < 林梁部門よりの会員の瑚加を期待する。 て,雲た日本における写真測倣と応 測堂指導部ノMの総合された組織団体として役立 を要ヨ!されてL、た日木写真測逓学会は,去る1月20日 (土)に創立総会が日林協に近い自治労会館の諦堂で,各 界より多数の参加を見て行なわれ正式に発足した。 当日堂でに入会通知を送られた会員散は800名を越え, その分野味測通, ホ畔、地質,土壌聯きわめて広範囲に 亘っている。 L ,、 、、、、吟、いいvvVゾゾゾゾヴダグジググァァ・ 編集後記 l]本写真測泣学会が各方面からの要望にこたえて. ↓. よ↓、よ今春再発足し藍した。世界の学会への窓口がI附け たわけ,まことにご同慶の至りです。 謝麓涯鷺曜囎慧詩説麗巽へ 賀爪‘鼎でなく消蠅品である」ことを忘れな↓、で下さい。 新しい/森林家必携.' K式測高器 1人で距離も,樹間も, 林莱縫営の末端怪まで航空写真が行きわたり、労務渚篭 でが辱真を片手に山歩きをするようになれば、各人の脳 裡に平面的に立体的にあらゆる角度から山の姿を焼きつ けられ,親し象をも、よし、よ蝋すことになりましょう。 今年は大いに航空写真に親しむ年にして下さい。 (橘 谷) 簡単に測れる 定価15,0",円 特価9,980R 昭和37年3月10日発行(2カ月1回発行) 〒突盤 森林航測第31号 ご一報次鮒カタp−グ急送 発行所社団法人日本林業技術協会 林業関係販売一手坂扱 東京都千代田区六番町7番地 電話(331)4214,4215振替東京6“48 日本林業技術協会 定価1部30円〒突挫 −20− 寺