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特別史跡名古屋城跡全体整備計画(案)

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特別史跡名古屋城跡全体整備計画(案)
特別史跡名古屋城跡全体整備計画(案)
名
古
屋
市
目
第1章
次
本計画の目的と位置づけ ................................................ 1
1.計画策定の背景 ...................................................... 1
2.計画の目的 .......................................................... 1
3.計画策定の対象範囲 .................................................. 2
4.本計画の位置づけ .................................................... 3
第2章
名古屋城の概要 ........................................................ 4
1.名古屋城の概要 ...................................................... 4
1)位置 ............................................................ 4
2)歴史 ............................................................ 5
3)名古屋城の歴史的特色 ............................................ 6
4)史跡等の指定状況 ................................................ 7
2.城に関する現存資料 ................................................. 10
1)史料等 ......................................................... 10
2)発掘調査資料 ................................................... 11
第3章
名古屋城の現状 ....................................................... 12
1.所有区分 ........................................................... 12
2.管理区分 ........................................................... 13
3.関連法規制および条例 ............................................... 14
4.現存文化財等の状況 ................................................. 15
1)縄張りの残存状況 ............................................... 15
2)堀・土塁・石垣・虎口の状況 ..................................... 19
3)建造物の状況 ................................................... 22
4)その他文化財等の状況 ........................................... 24
5.名古屋城の自然環境 ................................................. 26
1)植物 ........................................................... 26
2)動物 ........................................................... 27
6.運営について ....................................................... 28
7.名古屋城の利活用の状況 ............................................. 29
1)来訪者の状況 ................................................... 29
2)利便施設の状況 ................................................. 30
8.現状の課題 ......................................................... 33
第4章
全体整備計画 ......................................................... 35
1.保存・活用の基本理念 ............................................... 35
2.保存管理の基本方針 ................................................. 37
3.整備活用の基本方針 ................................................. 38
4.各地区(各曲輪)の整備方針 ......................................... 39
1)本丸 ........................................................... 39
2)二之丸 ......................................................... 42
3)西之丸 ......................................................... 43
4)御深井丸 ....................................................... 43
5)三之丸外堀跡 ................................................... 43
6)石
垣 ......................................................... 43
7)その他の整備 ................................................... 44
5.城の活用方策について ............................................... 48
6.事業計画について ................................................... 49
1)全体方針 ....................................................... 49
2)短期計画事業 ................................................... 50
7.事業推進体制について ............................................... 51
1)整備推進体制について ........................................... 51
2)運営について ................................................... 52
第1章
本計画の目的と位置づけ
1.計画策定の背景
名古屋城は慶長 15 年(1610)に徳川家康の命により築城され、日本有数の規模と質により天下
の名城として知られてきた。城は当時の名だたる大工や工匠たちがその技能を競って作りあげたも
のであり、また城下は、清須から短期間に町ごと移転して計画的に作られた都市であった。新たな
城は、人々に戦国期の終焉と新時代の到来を予感させるものであったであろう。その後、江戸時代
には戦乱のない安定した治世が続き、名古屋城は名古屋のまちのシンボルとして、「尾張名古屋は
城でもつ」という言葉で表現されてきた。
明治期になると城は、初めは軍用施設、のちに離宮として利用された。その後、昭和 5 年には名
古屋市に下賜され、一般公開されるようになり、名古屋市民にとってはより身近で愛着の持てる存
在となっていった。
しかし昭和 20 年(1945)、第二次大戦中の空襲により天守閣をはじめとする主要な建物は焼失し、
城の象徴である金鯱も焼け落ち、戦災の被害の大きさを象徴する状況となった。戦後の復興に伴い、
市民の強い願いにより昭和 34 年(1959)に天守閣は再建されたが、そのほかは現在も失われたま
まである。
こうした状況下において、本丸御殿の復元については、復元課題検討委員会などにより調査が実
施されるとともに、名古屋城本丸御殿積立基金に多数の寄付が寄せられている。
一方、昭和 45(1970)年度から進められている名古屋城の石垣修復工事をはじめ、隅櫓など城
の遺構・建造物の保存に関わる事業も計画・実施されている。
本計画は、これらの個別の事業計画を進める上で、昭和 61 年度の名古屋城整備の基本構想調査
報告書等を踏まえ、現況の保存や活用整備上の課題を整理し、城全体の将来像を想定するとともに、
その実現に向けての考え方及び活動について整理し、名古屋城全体の整備計画を策定するものであ
る。
2.計画の目的
本計画は以上の背景を踏まえ、以下を目的として検討を行う。
① 現存文化財の保存状況等、特別史跡名古屋城跡の現状における課題を把握する。
② 特別史跡名古屋城跡の保存・活用等にあたっての基本理念及び基本方針を策定する。
③ 上記の理念・方針等を実施するための整備計画を策定する。
1
3.計画策定の対象範囲
特別史跡名古屋城跡史跡指定地(一部未告示地を含む)を本計画の対象範囲とする。なお、検討
内容により関連する区域についても対象範囲とする。
図 1-1:計画策定の対象範囲
2
4.本計画の位置づけ
名古屋市総合計画「名古屋新世紀計画 2010」
各種関連計画等
□名古屋市都市景観基本計画
□名古屋市都市マスタープラン
これまでの検討・調査
□名古屋市みどりの基本計画
(花・水・緑なごやプラン)
等
□名古屋城整備の基本構想 調査報告書
(昭和 61 年度)
□名古屋城整備基本計画調査 報告書
(昭和 63 年度)
□名古屋城整備課題調査 報告書
(平成 7 年度)
等
特別史跡名古屋城跡全体整備計画(本計画)
・名古屋城の保存・活用等の基本方針の策定
これまでの検討・調査
□名古屋城整備課題調査報告書
(平成 3 年度)
□名古屋城本丸御殿復元課題調査
報告書(平成 9 年度)
□名古屋城本丸御殿復元課題調査
報告書(平成 10∼13 年度)
等
これまでの検討・調査
□石垣修復報告書
公開・活用に関わる事業
保存整備に関わる事業
(本丸御殿復元 等)
(石垣保存修復 等)
等
図 1-2:本計画の位置づけ
3
第2章
名古屋城の概要
1.名古屋城の概要
1)位置
名古屋城は名古屋市域の中央やや北西に位置し、市の玄関口である名古屋駅、あるいは中心街
栄から約 2.5 ㎞の位置にある。南・東に官庁街、北に名城公園が隣接しており、周辺の一部には
下町の雰囲気を残す住宅街が残っている。また、築城に際して整備された堀川が城の西端を南下
し、名古屋港に注いでいる。
家康が名古屋城を築くにあたっては、南に台地が長くのびて熱田の海を臨み、北に自然の要塞
となる沼沢地を有し、東西の交通が自由に開けていることなどから、この地を選んだといわれる。
名古屋城
名古屋市
名古屋城
名古屋市役所
愛知県庁
名古屋駅
図 2-1:名古屋城の位置
4
2)歴史
■築城前∼江戸期
名古屋城の地は古く付近一帯を那古野荘と称し、大永 2 年(1522)頃、今川氏親が那古野
城を築いたが、天文元年(1532)に織田信秀がこの城を奪取、その後廃城となった。
関ヶ原の役の後、徳川家康は豊臣氏の東上に備えて清須城を固めていたが、規模、水害な
どの危険性から、これを名古屋の地に移すことに決めた。
慶長 15 年(1610)に前田利光、黒田長政、加藤清正ら諸大名 20 名に担当箇所を命じて築
城に着手、慶長 17 年(1612)に天守・櫓等の作事が完了した。本丸御殿は慶長 17 年(1612)
より作事を始め、元和元年(1615)に完了、二之丸御殿も元和 3 年(1617)に完成した。藩
主義直が二之丸に移り住むに際して、本丸大奥殿舎が撤去され、二之丸庭園が築造された。
寛永 10 年(1633)将軍家光上洛に備えて本丸御殿に上洛殿などを増築した。その後、改変
されつつ、17 代慶勝に至るまで尾張徳川家の居城としての役割を果たした。
■明治∼戦時中
明治 4 年(1871)の廃藩置県の後、全て国有となり、本丸と二之丸が陸軍省の所管となっ
た。その後明治 21 年(1888)第 3 師団が新庁舎に移転するまで、兵舎などの建築のため、
櫓や御殿の取り壊し、二之丸庭園の移転などが行われた。明治 24 年(1891)には濃尾地震
により、本丸西南隅櫓の倒壊をはじめ、榎多門崩壊、建物の屋根や壁の破損、石垣の崩壊な
ど甚大な被害を被った。その際被害を受けた本丸、二之丸の多聞櫓は取り壊された。
明治 26 年(1893)には、本丸及び西之丸の一部が宮内省に移管され、名古屋離宮と称さ
れた。天皇の行幸もたびたびあり、明治 43 年(1910)には濃尾地震で被害を受けた榎多門
を取り壊し、旧江戸城蓮池門を移築した。
昭和 5 年(1930)に名古屋市に下賜され、御殿及び城郭建造物 24 棟が国宝に指定された。
昭和 7 年(1932)には名古屋城区域一帯約 4 万 4 千坪が史跡として指定され、昭和 17 年(1942)
には本丸御殿障壁画の大部分が国宝に指定された。しかし、終戦間近の昭和 20 年(1945)5
月、空襲により、天守閣、本丸御殿などが焼失し、本丸の東南隅櫓、西南隅櫓、表二之門、
御深井丸の西北隅櫓、二之丸の東鉄門、西鉄門がかろうじて残されたのみとなった。
■戦後
昭和 25 年の文化財保護法の施行により、西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、表二之門が重
要文化財となり、昭和 27 年に史跡区域一帯は特別史跡に指定された。重要文化財に指定さ
れた建造物は、昭和 27∼28 年に東南隅櫓の解体修理、昭和 28 年に西南隅櫓の半解体修理、
昭和 37∼39 年に西北隅櫓の解体修理が行われた。
昭和 30 年代に入ると、失われた天守閣等の再建を希望する声が上がり、昭和 34 年に市制
70 周年記念事業として、天守閣及び榎多門が鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された。天守閣
は昭和 37 年に博物館相当施設の指定をうけ、展示や催事に活用されている。また昭和 39 年
には昭和 23 年より旧兵舎を校舎として使用していた名古屋大学が移転、旧向屋敷に愛知県
体育館が建設された。これに伴い昭和 37∼38 年には東鉄門と西鉄門の除却、昭和 47 年には
これらの復元(東鉄門は移築復元)が行われた。昭和 50 年、東鉄門と西鉄門が重要文化財
5
に指定された。
昭和 53 年には本丸不明門や二之丸東庭園の整備、その後御深井丸の整備、便益施設の整
備もなされ、市民の憩いの場、観光ポイントのひとつとなっている。
3)名古屋城の歴史的特色
■近世城郭の代表例
名古屋城は徳川家康の権威の下に築かれており、当時の名だたる大名や工匠たちが数多く
動員され、その技能を競って構築し、施工した。設計の規模、石垣の構造、建築の様式、障
壁画などの装飾、庭園等、すべてが当時の文化の粋を集めたもので、近世城郭の代表例とい
うことができる。
■将軍上洛の宿としての本丸御殿
中でも、寛永年間(1624∼1644)に将軍家光上洛の際の宿泊施設として上洛殿が増築され
た名古屋城本丸御殿は、城郭内の書院造り建造物として、京都二条城二之丸御殿と双璧とさ
れていた。建物内を飾る豪壮華麗な障壁画の大部分は金地極彩色の濃絵であり、豪華な城郭
建築を象徴する傑作が多い。まさに本丸御殿は美術の殿堂と呼ぶにふさわしいものであった。
不幸にも戦災によって本丸御殿は焼失、障壁画も一部失われてしまったが、残されたものは
重要文化財となっている。
■城郭庭園
二之丸庭園
名古屋城の歴史的な価値を高める重要な要素として、名勝二之丸庭園がある。近世を代表
する城郭庭園の一つで、巨石を多用し、地形険峻、木々を密植するなど、一朝有事の際の要
害として、また藩主の一時避退の場所として設計されている。文政年間(1818∼1830)に大
改造され、また明治以降には軍の将校集会所の前庭として整備されるなど幾たびか改変され
ているものの、創設当時の趣をよく残す、極めて貴重な存在である。
■城と一体となった城下町づくり
名古屋のまちは、築城と同時に開始された清須からの町ぐるみの移転(いわゆる清須越)
に始まる。城のまわりに武家地、町人地、寺などを計画的に配置し、町人地は碁盤割の道路
により構成されていた。熱田の湊と城下町・城を結ぶ堀川は築城に合わせて開削された。こ
れらの街の特性は現在も都心部に引き継がれている。「尾張名古屋は城でもつ」という言葉
が示すとおり、名古屋城はまちの歴史と文化の中心的存在であり、シンボルであり、市民の
誇りとなっている。
6
4)史跡等の指定状況
(1) 特別史跡名古屋城跡の範囲
整備計画対象範囲は名古屋城跡として昭和 27 年 3 月 29 日に特別史跡指定がされた部分と、昭
和 52 年に国の文化財保護審議会において追加指定が答申された範囲である。史跡範囲面積は
495,836 ㎡で、
「図:史跡の範囲」に示すように名古屋城外堀で囲まれたエリアと、三之丸の外堀
部分からなっている。
表 2-1:史跡範囲総面積
城郭内
357,039 ㎡
城郭外(三之丸外堀)
138,797 ㎡
計
495,836 ㎡
(2)他の文化財指定状況
重要文化財として建造物 6 棟、障壁画・天井板絵など 1,047 面、名勝として二之丸庭園のう
ち図に示す部分 5,137 ㎡、天然記念物に樹齢 600 年以上のカヤの木が指定されている。このほ
か、建造物の中には、明治期に城外に移築され、市あるいは他町の文化財に指定されているも
のもある。
表 2-2:文化財等指定状況
区分
重要文化財
名称
指定年月日
西北隅櫓
493.32 ㎡
昭和 5 年 12 月 11 日
西南隅櫓
416.52 ㎡
同上
東南隅櫓
416.52 ㎡
同上
表二の門
同上
二之丸大手二之門
昭和 50 年 6 月 23 日
旧二之丸東二之門
同上
旧本丸御殿障壁画
331 面
附 16 面
旧本丸御殿天井板絵
331 面
昭和 17 年 6 月 26 日
(昭和 30 年 6 月 20 日追加指定含む)
昭和 31 年 6 月 28 日
附 369 面
名勝
二之丸庭園
5,137.18 ㎡
昭和 28 年 3 月 31 日
天然記念物
名古屋城のカヤ
昭和 7 年 7 月 25 日
国登録有形文化財
乃木倉庫
平成 9 年
7
図 2-2:特別史跡の範囲
8
図 2-3:文化財等の状況
9
2.城に関する現存資料
1)史料等
・名古屋城に関する記録は種々あるが、中でも「金城温古録」は、奥村得義が藩命によって、文
政年間(1818∼1830)から名古屋城を調査し、各種の記録・伝聞に自分の見聞などを加えて万
延元年(1850)に完成した記録書であり、詳細な図面資料も多い。当時の名古屋城を知る重要
な資料となっている。
・名古屋城に関する資料で特徴的なことは、写真資料が多く残されていることである。14 代藩
主徳川慶勝は独自の薬剤調合による湿式ガラス板写真技術を会得し、その技術を駆使してさま
ざまなものを撮影している。この中には名古屋城の建物群、二之丸御庭、下御深井御庭などが
ある。昭和 7 年から 5 ヶ年計画で、実測図、金具の拓本、ガラス乾板の写真などにより記録保
存されており、これらは戦災焼失以前の城の姿を知る上での貴重な資料となっている。
・史料・絵図等の文献調査については、
「名古屋城整備課題調査委託(報告書) 平成 6 年 3 月」
、
「名古屋城整備課題調査報告書
平成 8 年 3 月」に詳しい。
表 2-3:主な文献資料一覧
文献名
中井家史料
内容概略
資料所在
築城工事の設計施工を指導した中井家の史料。主として内裏・城
宮内庁書陵部、中井
郭・公家屋敷・武家屋敷・神社寺院に関する作事の史料で、他に町
忠重氏、長香寺、京
絵図や河川道路図、敷地の請渡絵図なども含まれる。
都大学図書館、京都
府立総合資料館
事蹟録
尾張藩正史の原簿ともいうべき記録。慶長 15 年から元禄 13 年まで
徳川林政史研究所
の 128 冊が知られ、原則として1冊1年の編年体になっている。
敬公実録
編年大略
初代藩主義直の伝記。編年形式で、義直の生涯を知ろうとするとき、 蓬左文庫
他に掛け替えのない資料的価値を有している。
鶴舞中央図書館
尾張藩の編年略史ともいうべき史料。藩主やその親族をはじめとし
国会図書館、徳川林
て家臣・市井一般の動静に至るまで、こと細かに記されている。同
政史研究所、東京大
類書は流布本が多くあるが、いずれも編述の年代や経緯については
学史料編纂所、など
明らかにされていない。
蓬左遷府記稿
名古屋城築城関係の集大成史料。文化 14 年に御本丸番加藤品房に
よって記されている。絵図もあり、名古屋城や城下の武家住宅、町
割の図が残されている。
名城古事録
金城温古録
名古屋城築城関係の記録のひとつ。著者不明。およそ江戸時代中期
鶴舞中央図書館(弘
の史料と考えられる。
化 2 年の写し)
奥村得義が文政年間に名古屋城全般を調査した報告書。万延元年に
蓬左文庫。鶴舞中央
脱稿。城郭の現状と沿革、建物の実測を図示している。
日本名城集成
10
図書館などに写本。
名古屋城
1989 内藤昌ほか
より
2)発掘調査資料
二之丸地域では、二之丸東庭園部分について発掘調査がなされている。三之丸に関しては、建
物の建設、施設整備に伴う緊急的な調査として、十数か所の発掘調査が行われている。
発掘調査の位置を下図に示す。
図 2-4:発掘調査位置図
11
第3章 名古屋城の現状
1.所有区分
史跡範囲の土地の所有に関しては、下図に示すとおりである。概ね、堀及び名勝二之丸庭園
などを文部科学省が、庭園以外の二之丸部分を財務省、本丸・御深井丸・西之丸などを名古屋
市が所有している。三之丸外堀部分においては文部科学省と名古屋鉄道株式会社(民有地)、
一部を名古屋市が所有している。
図 3-1:史跡範囲の所有区分
12
2.管理区分
史跡範囲の所有区分は、前述のとおり、文部科学省、財務省、名古屋市、民有に分かれている。
管理については所有者である国からの使用許可を含め、大部分が名古屋市の管理となる。市管理区
域については、市民経済局名古屋城管理事務所が管理する部分と緑政土木局が管理する部分とがあ
り、下図のとおりになっている。
図 3-2:史跡範囲の管理区分
13
3.関連法規制および条例
史跡範囲の法規制の状況は下図のとおりである。三之丸を含む旧城郭の全域は、第 2 種住居地域
に指定されている。また、同様にほぼ全面が風致地区に指定され、部分的に緑地保全地区、防火地
域、駐車場整備地区などとなっている。
現在市役所西庁舎、県西庁舎のある区画は、特定街区となっており、容積率、壁面後退、高さに
関する制限がかけられている。
また、三之丸部分は全面が郭内申し合わせ区域となっており、壁面後退、建物高さに関する制限
や屋外広告物等に関する制限がかけられている。
図 3-3:史跡範囲の規制等
14
4.現存文化財等の状況
1)縄張りの残存状況
・特別史跡指定地となっている本丸および二之丸庭園、愛知県体育館がある二之丸とこれを取り
囲む堀は、ほぼ廃城期の縄張りをそのまま残している。
・本丸表門の南にあった大手馬出は、西之丸との間の堀が明治 33 年頃までに埋め立てられた。
同時に東・西拍子木門も撤去され、以降は西之丸と一体の空間となっている。
・武家屋敷や寺社が並んでいた三之丸(史跡指定地外)は、官庁街となっており往時のたたずま
いは残っていないが、碁盤の目状の屋敷割り(土地区画)はその概略の形態を残している。
・外堀と土塁は、東北の一角が消滅し、北側の清水門部分が幹線道路整備に伴い消滅、また西側
外堀が住宅地として埋め立てられているものの、ほぼ全体にわたり残存している。
・城の北に広がり天然の要塞となっていたと思われる沼沢地は、義直治世下のうちに御深井御庭
(下深井御庭とも)として整備された。明治時代の陸軍練兵場を経て、現在名城公園となって
いる。
・以上のように名古屋城の縄張りは、大都市名古屋の市中心部に位置しながらよくその原状をと
どめており、特別史跡にふさわしい状況にあるといえる。
本丸大手馬出のあったところ
15
16
名古屋城内郭全図(享保 14 年-1729)
「名古屋城―21 世紀へ向けて―名古屋城整備の基本構想
中間報告―(1986.3)名古屋城整備基本構想調査会」より
図 3-4:城の縄張り
図 3-5:現況地形図
17-18
2)堀・土塁・石垣・虎口の状況
・前述のように、本丸大手馬出の西境空堀は、明治
期に埋没している。かつての水堀のうち、二之丸
南側(東−西鉄門の土橋間)は明治 30・31 年
(1897・1898)に水を抜かれ、空堀化している。
・外堀の堀底はかつて鉄道が敷設されていた関係か
ら私有地(名古屋鉄道株式会社所有)となってお
り、将来的な保存を考える上で、その取り扱いが
課題となっている。また、西側の堀は民家地とな
り、埋没している。
本丸西側内堀
・名古屋城の石垣は、築城以来、地震・台風など度
重なる災害で被害を受け修復されてきたが、昭和
45 年の集中豪雨での御深井丸北側石垣の崩壊を
契機として、昭和 50 年度より文化庁の指導を仰
ぎながら変形の著しい箇所から順次修復工事を
実施している。
・平成 14 年度から 17 ケ所目の本丸搦手馬出周辺石
垣の修復工事に着手しており、継続して事業を進
めていく予定である。
巾下門跡(西側より)
・虎口は外堀に伴う御園門・本町門・東門・巾下門・
清水門の枡形は破壊されているが、部分的には旧
状を保っている。本丸の各虎口の保存状況は良好
である。二之丸・西之丸では、明治以降、改変を
受けている虎口もある。また、名古屋城の特色と
して、本丸大手及び搦手に広大な馬出が設けられ
ていた。馬出の出入口に門がつくられていたが、
現在、門は取り壊されている。また、大手馬出は
馬出を構成する堀も埋められ、西之丸と一体化し
ている。搦手馬出は南側(元御舂屋門)の虎口が
残る。また、御深井丸と塩蔵構の間にも虎口がつ
本町門跡(北側より)
くられ、塩蔵門が設けられていた。
19
明治期以降、空堀化
堀・土塁・虎口の状況
図 3-6:堀・土塁・石垣・虎口の状況
20
図 3-7:石垣の補修実績図
21
3)建造物の状況
廃城以来残されてきた名古屋城の主要部の建造物は昭和 20 年(1945)5 月の空襲の際、一部
を除き焼失した。
以下に、城郭関連建造物について、
「① 現存建造物」
「② 再建建造物」
「③ 滅失建造物」の別
に整理する。「③ 滅失建造物」については更に「戦災により焼失したもの」「明治期に取り壊さ
れたもの」に分けた。
①
表 3-1:建造物の状況
1 本丸東南隅櫓
【重要文化財】
公開
現 存 建 造 物
二重三階の大型隅櫓。創建当時の姿を伝える櫓で、鬼瓦などに葵の紋が見られ
る。昭和 27∼28 年に全面的解体修理、昭和 48 年(1973)に部分修理を行ってい
る。
2 本丸西南隅櫓
【重要文化財】
非公開
東南隅櫓と同じく、二重三階の櫓。明治 24 年(1891)の濃尾大地震で石垣ととも
に崩壊し、大正 12 年(1923)に宮内省により修復された。その後昭和 28 年に半
解体修理を行っている。石垣に問題はないが、建物基礎地盤の沈下が見られる。
3 西北隅櫓
【重要文化財】
公開
三重三階建て、千鳥破風が付けられている。清須城の遺構を移築したとの説が
あったため、清洲櫓とも言われる。創建当時の姿を伝えている。昭和 37∼39 年に
解体修理を行っている。
4 本丸表二之門
【重要文化財】
本丸南側にある本丸大手の虎口桝形の外門で、高麗門形式。門脇の城壁も築城
当時のもの。全体的に傷みが進んでいるほか、瓦の割れ、傷みなどが見られる。
5 本丸東二之門
( 旧二之丸東二之門 )
【重要文化財】
かつて東鉄門と呼ばれ、二之丸東枡形にあったが、愛知県体育館建設のため、
昭和 38 年に除却、昭和 47 年に本丸東二之門跡に移築された。現在、傾きが見ら
れるなど、傷みが進んでいる。
6 二之丸大手二之門
【重要文化財】
②
二之丸西側にある虎口桝形の外門で、高麗門形式。
7 天守閣
五重六階の大天守と、二重三階の小天守からなる連結天守。昭和 20 年(1945)に
再 建 建 造 物
空襲で灰燼となったが、市民の願いのもと、昭和 34 年(1959)に鉄骨鉄筋コンクリ
ートで再建された。現在は展示館として利用されており、一階には本丸御殿の障
壁画も展示されている。
8 榎多門(正門)
創建以来の榎多門は、明治 24 年(1891)の濃尾大地震で被害を受ける。明治 43
年(1910)に江戸城蓮池御門を移築したが、戦災で焼失。昭和 34 年(1959)に天守閣
とともに鉄筋コンクリートで再建されたが、これは移築された蓮池御門の姿を写
している。
9 不明門
22
天守下の通用門で土塀の中に組み込まれた埋門。昭和 53 年に復元された。
戦 災
現在は礎石が残存。
取り外され別の場所で保管されていた障壁画など 1,049 面は戦災を免れ
建
焼 失
③ 滅 失
10 本丸御殿
ている。これらは狩野派の絵師により描かれたもので、重要文化財として
保存・公開されているほか、毎年、文化庁の補助を受けて修理を実施して
物
いる。また、製作当時の鮮やかさをよみがえらせる復元模写事業を平成 4
年度から行っている。
11 東北隅櫓
二重三階、入母屋造本瓦葺。外部は総塗籠。三つの隅櫓は構造手法がほ
ぼ同じであるが、この櫓は他に比べて外観上、出張屋根その他がやや簡素
になっていた。
12 本丸表一之門
入母屋造本瓦葺の三間一戸脇戸付櫓門であった。扉は脇戸とも竪格子板
張の堅固な構造で、桝形櫓門の典型であった。
13 本丸東一之門
入母屋造本瓦葺、上層塗籠造で、三間一戸脇戸付櫓門であった。表一之
門とほぼ同構であった。
14 本丸東二之門
一間一戸屋根本瓦葺の高麗門で、表二之門とはほぼ同構であったが、正
明治期取り壊し
面柱、冠木、扉などを条鉄張としていた点は装備の上でやや簡素であった。
15 本丸多聞
明治 24 年(1891)の濃尾大地震で崩壊、その後取り壊された。
16 二之丸御殿
明治 4 年(1871)に兵営利用のため取り壊された。跡地は現在、二之丸広
場と二之丸東庭園の一部になっている。
17 二之丸丑寅櫓
明治初年に鎮台となった際に取り壊し。
18 二之丸辰巳櫓
明治初年に鎮台となった際に取り壊し。
19 二之丸未申櫓
明治初年に鎮台となった際に取り壊し。
20 二之丸太鼓櫓
明治初年に鎮台となった際に取り壊し。
御深井丸、二之
明治 24 年(1891)の濃尾大地震で崩壊、その後取り壊された。
丸、西之丸の多
聞
西之丸月見櫓、
明治 24 年(1891)の濃尾大地震で崩壊、その後取り壊された。
未申櫓
三之丸の御園
明治初年に鎮台となった際に取り壊し。
門、本町大手門
三之丸の東門、
不詳。
清水門、巾下門
23
4)その他文化財等の状況
そ の 他
表 3-2:その他文化財等の状況
21
二之丸庭園
【一部名勝】
二之丸東庭園
二之丸庭園は、二之丸御殿に伴い元和年間(1615∼1623)に造営さ
れた枯山水回遊式の庭園である。現在国の名勝に指定されている。
二之丸庭園東側は明治時代に兵営造営のために多くが破壊された
が、昭和 53 年 4 月に二之丸東庭園として整備された。
---
三之丸の遺構
特別史跡指定地外である三之丸では、建築工事等の事前調査として
愛知県埋蔵文化財センターと名古屋市教育委員会により発掘調査が行
われており、戦国時代の那古野城に関わる武家屋敷の区画、江戸時代
に三之丸に住んだ上級武士の屋敷跡や道路などが確認されている。
その他、整備計画対象範囲内には、前述のとおり、天然記念物に指定されているカヤの木、国
登録有形文化財となっている乃木倉庫などがある。また、竹長押茶屋(弥富町文化財)や風信亭、
余芳亭(いずれも市指定文化財)など、城外へ移築されて今に残る建造物もいくつかある。
天守閣(南より)
重要文化財二之丸大手二之門(西より)
24
重要文化財西南隅櫓(南より)
名勝二之丸庭園
図 3-8:城内建造物等の状況
25
5.名古屋城の自然環境
1)植物
「名古屋城の自然
樹木と薬草編
(林昌利著 H13.3.30)」では、名古屋城で観察された樹木
52 科 84 属 121 種と、現在城内に植栽されている 11 種の薬草について、それらの主な特徴と歴史
を、著者の所見を加えて紹介している。以下これによるものである。
西之丸にある推定樹齢 600 年のカヤの木は、市内唯一の国の天然記念物(昭和 7 年 7 月指定)
である。初代藩主義直が「大坂冬の陣」出陣に際し、武勲を祈念しその実を食膳に供したとされ、
以来、尾張藩では正月の祝膳に武家の食として主君に供する慣わしとなったと伝わる。
城内で最も多いものはクロマツで、300 本以上が植えられている。この中には老巨木も多く、
御深井丸西北隅櫓南側の樹高約 35m、幹周 3.2mの老巨木をはじめ、樹高約 20m以上のものが
50 本以上、本丸内堀土塁上に樹高約 15m以上のものが 40 本以上、正門東側外堀石塁上にも樹高
約 20∼25mのものが 20 本以上群生している。ウメも多く、西之丸に 120 本、本丸御殿跡南側に
55 本、二之丸に 25 本ほどが植えられている。エノキは城内に計 90 本ほどある。江戸時代各所で
人為的に植えられたようで、西北隅櫓前のエノキは、築城時に五本を一束にして植えられたとい
われ、五行の木と呼ばれる。これは現在、樹高 30m、総幹周 4.3mにもなっている。
このほかにも巨木・老木が多く、カヤの木の脇や鵜の首脇にあるモミの巨木は樹高 20∼25m、
幹周 2m程もあり、市内では最も大きいものである。西之丸展示館横には樹高 25m、幹周 1.9m
のヒノキがあり、クスノキについては、樹高 20m以上、幹周 2m以上の巨木が 50 本以上もある。
鵜の首北土塁のナラガシワも市内最大の巨木である。西北隅櫓南側の樹高 20m、幹周 2.9mのカ
キ(山柿)の老巨木は築城以前から自生していたと伝えられる。本丸北側内堀石塁の南斜面には
樹高 7m、幹周 2.2mの市内最大と思われるナツグミの老木がある。グミがこのような大木にな
るのは珍しいという。二之丸茶亭北側に庭石を包み込むように生えている樹高約 10m、幹周 2.5
mのモチノキの老木は、おそらく造園当時から存在するものと思われる。二之丸庭園亀島にある
テンダイウヤクは、もともとは中国原産の薬樹で、江戸浜御殿実生の苗が小石川御薬園に植えら
れた際に、尾張藩にも分譲されたものではないかといわれている。二之丸茶庭南側の 3 本の老ソ
テツは幹の太さから江戸時代から存在したものと思われる。
本丸御殿南側には大城冠という種のツバキの原木がある。
これは、築城当時から本丸御殿(上洛殿)の南庭にあったと
され、御殿椿と称されている。昭和 20 年本丸御殿とともに
焼失したが、焼け株から新芽が吹き出した貴重なツバキであ
る。
本丸東のくるみ林にはオニグルミが 55 本ほど群生してい
る。日本産のなかでは唯一食用となる種で、江戸時代には城
内の保存食として貯蔵されたと思われる。
江戸時代、名古屋城には「御深井丸御薬園」と呼ばれる尾
張藩の薬草園があった。現在、城内に「薬草コーナー」を設
け、当時あったとされる薬草の中から、ウイキョウ、ウコン
など土質にあう 11 種を選び栽培が試みられている。
26
天然記念物
「名古屋城のカヤ」
2)動物
「名古屋城の自然
昆虫編
(林昌利著 H12.1.12)」では 1997∼1998 年の 2 年間のうちに、名
古屋城で観察された昆虫 90 種(甲虫類 37 種、チョウ類 33 種、トンボ類 12 種、セミ・カメムシ
類 8 種)について紹介している。これによると、市内ではたいへん珍しいヒラタクワガタやコカ
ブトムシ、ジャコウアゲハ、キアゲハなどを見ることができる。
また、「名古屋城の自然 野鳥編 (林昌利著 H13.3.30)」では 1998∼2001 年の 4 年間のうち
に、名古屋城で観察することができた 12 目 26 科 48 種(野鳥 46 種、飼養鳥 2 種)について、主
に写真を中心に紹介し、飛来する季節、外形、特徴を著者の知見を加えて紹介している。これに
よると、一年を通じてよく観察されるものは、カワウ、コサギ、マガモ、カルガモ、ヤマガラ、
ムクドリ、コゲラなどである。夏鳥としては、ツツドリ、トラフズク、キビタキなどがあるが目
撃頻度は高くない。冬鳥にはオナガガモ、ユリカモメ、ジョウビタキ、ツグミなどがある。
ヒラタクワガタ
ジャコウアゲハ
キアゲハ
カワウ
オナガガモ
ジョウビタキ
27
6.運営について
名古屋城の管理運営の現状は以下のとおりである。維持管理に関しては名古屋城管理事務所と
北土木事務所が区域をわけてこれにあたっている。みやげ物店などの運営には(財)名古屋城振
興協会があたっている。
表 3-3:名古屋城の管理運営の現状
項
目
主
体
文化財の保存管
名古屋城管理
理
事務所
内
容
備
・石垣の保存修復
・石垣の保存修理については、見
(石垣検討委員会指導)
・現存建造物の維持管理
北土木事務所
考
・名勝二之丸庭園の維持管理
・障壁画等の美術工芸品の保
存管理
晴台考古資料館より学芸員の派
遣をうけている。
・障壁画等の美術工芸品の保存管
理は担当の学芸員があたってい
る。
・土塁・堀等の維持管理
城内環境の維持
名古屋城管理
・入場料の徴収
管理
事務所
・植栽の維持管理
・植栽・庭園の維持や清掃等の一
部は委託で行う。
・城内の清掃
北土木事務所
・施設(トイレ、ベンチ、園
路等)の維持管理
天守閣の維持管
名古屋城管理
・展示運営
理及び展示運営
事務所
・清掃
等
・清掃、警備、3D 映像などは外部
に委託している。
・防災・防犯管理
・建物の補修・修繕 等
活用事業の実
名古屋城管理
・各種文化行事の開催
施・運営
事務所及び事
・城のガイド・解説
業主催者
・城のガイドは土・日・祝等はボ
ランティアが行っている。
・菊の会、つばきの会、さつき会、
名古屋城景勝保存協会などの事
務局があり、花の大会などのイ
ベントを行っている。
利便施設の運営
(財)名古屋城
振興協会
28
・みやげ物店及び飲食店の
運営
7.名古屋城の利活用の状況
1)来訪者の状況
名古屋城の入場者数は平成 15 年度のデータで約 95 万 5000 人(平成 15 年名古屋市観光客・宿
泊客動向調査)で、名古屋市内の観光施設としては、熱田神宮(約 650 万人)、東山動植物園(約
198 万人)、名古屋港水族館(約 173 万人)に次ぐ入場者数を集めている。
居住地別・年齢別割合を見ると、居住地別では市内(35.8%)、東海地域(22.6%)、その他の
地域(41.6%)となっており、年齢別では 60 代以上(39.4%)、20 代(20.6%)、50 代(19.7%)
の割合が多い。60 代以上の高齢者の入場者が多いのは、空襲で多くの建造物が焼失する前の名
古屋城のイメージがいまだ根強く残り、名古屋のシンボルとしての名古屋城に対する思いが強い
ためと推定できる。
また、施設間の遊覧状況の調査では「テレビ塔」、
「パノラマハウス」
、
「徳川美術館」、
「熱田神
宮」の入込客は「名古屋城」に訪れる人が多く、
「名古屋城」、
「徳川美術館」、「テレビ塔」の入込
客は「熱田神宮」に訪れるケースが多いことが明らかになっている。これらのデータから「名古
屋城・テレビ塔・熱田神宮・パノラマハウス・徳川美術館」の関連性が強く、市内の主要な観光
ルートになっていることが考えられる。
以上の結果からわかるように、名古屋城は名古屋市を代表する文化財であるとともに、観光資
源としても大きな役割を担う施設である。
しかし、天守閣が再建された昭和 34 年以降の入込客数の推移を見ると、昭和 59 年の名古屋城
博、平成元年のデザイン博などイベントが行われた年を除き、客は長期減少傾向にある。また、
入場者は天守閣のみを訪れるパターンが多く、名勝二之丸庭園などその他城内の歴史的遺産の活
用が充分でない状況が見てとれる。
観光施設別入込客数の
居住地別・年齢別割合
観光施設別入込客数の割合
「名古屋市観光客・宿泊客動向調査(H15 年度概要版)
」より
図 3-9:来訪者の状況
29
2)利便施設の状況
現在、城内に設置されている活用・管理にかかわる施設は以下のとおりである。
表 3-4:利便施設等の状況
名
称
管理施設
1管理事務所
設置場所
西之丸
概
要
名古屋城の管理拠点。
(1階:売店・食堂、2階:管理事務所)
2天守閣内展示スペース
本
丸
昭和 37 年(1962)に博物館相当施設の
指定を受けており、
「名古屋城の歴史」・
「城内・城下の暮らしの再現」などの常
展 示 施 設
設展示や、
「本丸御殿障壁画復元模写展」
などの企画展を行っている。
3西の丸展示館
西之丸
昭和 26(1951)年に絵画館として建築。
本丸御殿障壁画復元模写事業の紹介な
ど様々な展示を行っている。
4御深井丸展示館
御深井丸
御深井丸にある展示館。名古屋まつり英
傑行列を再現した紙人形などの展示を
行っている。
便益施設
休憩所
本丸(1 箇所)
城内に数箇所の休憩所が設けられてい
西之丸(2 箇所)
る。トイレや売店・食堂などが併設され
御深井丸(1 箇所)
二之丸(2 箇所) ているものもある。
5茶席
御深井丸
御深井丸の一角にある。猿面・澱看茶席、
そ
又隠茶席などの茶室が設けられている。
の
一般公開はしていないが、あらかじめ申
し込めば、茶会などに利用できる。
他
6二の丸茶亭
二之丸
二之丸庭園を眺められる場所に設けら
れた茶室。抹茶の提供などを行ってい
る。
7愛知県体育館
二之丸
昭和 39 年に建設。大相撲名古屋場所が
開催されることでも知られる。第1・第
2競技場、温水プールやフィットネスル
ームなどを備え、各種スポーツ大会から
展示会、コンサートまで幅広く利用され
ている。
30
表 3-5:名古屋城の展示施設の現況
天守閣
●1階
本丸御殿障壁画・収蔵資料・旧国宝名古屋城古写真展・ビデオ
コーナー「名古屋城の自然と生き物」・本丸御殿3Dシアター
西の丸展示館
●2階
企画展示室
●3階
城内・城下の暮らし
●4階
名古屋城(石垣・門・本丸御殿・天守閣)
●5階
名古屋城の歴史(三英傑・金鯱・石引き)
本丸御殿障壁画復元模写事業紹介
その他企画展示(例
郷土玩具展、名古屋城の自然「昆虫展」、和凧展、
旧国宝名古屋城写真展、名古屋城石垣の拓本展など)
御深井丸展示館
名古屋まつり英傑行列紙人形展
天守閣内の展示のようす
5F
3F
4F
1F
西の丸展示館
御深井丸展示館
31
図 3-10:城内利便施設等の状況
32
8.現状の課題
①史跡指定地の確定
名古屋城の史跡指定範囲は、昭和 7 年の史跡指定当時に地番で定めたが、地番が現在と変わ
っており、一部範囲の不明確なところがある。範囲を確定するための測量や現地調査を実施し、
史跡指定地の確定を行っていくことが必要である。
②二之丸の整備
二之丸は、特別史跡指定の答申がなされ、指定地に準じた管理を行っているものの、未告示
となっている。この地区の南側には、かつては城の一部として向屋敷や馬場があったが、昭和
39 年に愛知県体育館が建設され、現在に至っている。城にふさわしい環境整備のため、特別
史跡の追加指定を含め、二之丸の保存整備が必要である。
③三之丸外堀跡
外堀は名古屋城の縄張り全体の保存の上で重要な箇所であり、特別史跡指定区域となってい
る。堀底等にかつて鉄道が敷設されていた関係から私有地が残されており、保存管理上の問題
が懸念されることから、保存整備に向けた土塁・堀等の取扱いの検討が必要である。
④城全体の石垣保存修復整備
石垣については昭和 45 年度より変形の著しい箇所から順次修復工事を実施してきた。平成
14 年度からは本丸搦手馬出周辺石垣の修復工事に着手しているが、他の箇所ではらみ等が認
められており、石垣検討委員会での検討を受けながら今後も調査・修復を継続する必要がある。
整備にあたっては、修復の緊急性を踏まえながら実施することが必要である。
⑤名勝二之丸庭園の調査・保存整備
二之丸庭園は藩主の日常の住まいであった二之丸御殿に伴う庭園で、造営当時のすがたを今
にとどめるものとして国の名勝に指定されている。
しかし、現在名勝に指定されているのは一部であり、指定されている部分についても、本来
の庭園の美観を偲ばせる状態になく、石組みが一部崩れるなど保存上の措置も必要な状況にな
っており、貴重な歴史的遺産でありながら、十分に活用がなされていない。貴重な歴史的遺産
の保存のためにも、名古屋城の歴史的価値をより高め観光資源としての活用を図るためにも、
名勝の指定範囲の拡大を視野に入れた適切な調査及び保存整備が必要である。
⑥現存建造物の保存修復
城に現存する建造物文化財のうち、西南隅櫓は地盤沈下による建物への影響が懸念され、表
二之門、東二之門は、建物に傷みが見られる状況である。これら現存建造物の保存修復を他の
整備事業との調整をはかりながら、適切に進めていくことが必要である。
33
⑦建造物の復元
二之丸、西之丸、御深井丸の主要建物は明治期に陸軍の鎮台が置かれた際に取り壊され、本
丸多聞は明治 24 年の濃尾大震災で崩壊し、天守閣、東北隅櫓、本丸御殿、表一之門は昭和 20
年の空襲で焼失した。
これらの建造物、特に廃城後市民に長く親しまれてきた戦災焼失建造物を復元することは、
名古屋の歴史的・文化的シンボルとしての名古屋城の価値を高める上で有意義であると考えら
れる。なかでも本丸御殿の復元については市民の関心も高く、これらの建造物の復元整備が必
要である。
なお、建造物の復元整備にあたっては、遺構の保存を前提に、文化財としての正統性を損な
うことのないよう、精密な復元考察が求められている。文献・絵図や実測図・写真などの史料
調査の成果を生かした実証的な復元が必要とされている。
⑧城にふさわしい便益・管理施設のあり方
現在、城内には多くの便益施設が設置されており、管理の拠点となっている管理事務所も置
かれている。
城の歴史的価値を高めながら、必要な来訪者サービスを行っていくためには、どのような施
設整備が望ましいか、その基本方針(基本ルール)を策定することは本計画の検討課題と考え
られる。
⑨まちづくりにおける名古屋城の保存・活用
名古屋城跡と城下町の歴史的遺産を全体としてどのように保存し、活かしていくのかも課題
のひとつである。
⑩名古屋城のさらなる活性化のための方策
運営体制、広報活動など、名古屋城をさらに活性化させていくために必要なソフト面の検討
も必要と考えられる。
⑪管理運営
城の維持管理に関しては、名古屋城管理事務所と北土木事務所とで行っているが、特に名古
屋城管理事務所においては、日常の維持管理、天守の展示運営、イベント運営などに加え、石
垣修復整備、障壁画の保存管理など、史跡や重要文化財としての管理・整備も行うなど、内容
が多岐に及んでいる。今後、全体としての城の整備を進め、活用のための事業を展開していく
ためには、管理運営についての再検討が必要であると考えられる。
34
第4章 全体整備計画
1.保存・活用の基本理念
名古屋城は名古屋のシンボルとして 400 年の歴史を歩んできた。名古屋に住む人々にとって長く
「外から眺めるシンボル」であった名古屋城は、昭和 5 年(1930)の宮内省から名古屋市への下賜
を契機に一般に公開されるようになり、名実ともに名古屋市民の歴史的財産・市民の愛着と誇りの
シンボルとなった。
昭和 20 年(1945)の戦災で、天守閣・本丸御殿をはじめ城内の建造物の多くが焼失したが、市
民の名古屋城再建にかける願いは大きく、昭和 34 年(1959)、名古屋の戦後復興を象徴するプロジ
ェクトとして天守閣が再建された。戦前は多くの国宝を有する「文化財」としての性格が色濃かっ
たが、戦後は公共のオープンスペースとして市民の憩いの場となっている。市民の間には戦前の名
古屋城を懐かしみ、名古屋のシンボルをより魅力あるものとして再生したいとの思いが根強い。
一方、名古屋城の歴史的遺産としての価値は、天守閣や御殿などの建造物のみではなく、石垣や
堀、大きな特色の一つと指摘されている庭園、地下に埋蔵されている遺構など、名古屋城の歴史を
あらわす全ての文化財によってつくられている。
こうした歴史的遺産としての価値と、文化的シンボル、文化観光資源、公園緑地など名古屋城が
持つ多様な役割を踏まえて適切な保存管理をし、活用を図っていくため、下記の項目を基本理念と
して掲げる。
①城の歴史的価値の保存と継承
特別史跡内にある石垣、土塁、堀、一部名勝に指定されている二之丸庭園、隅櫓、門などの
重要文化財を初めとする建造物、障壁画などの美術工芸品、地下の埋蔵文化財など名古屋城の
歴史的価値を構成するすべての歴史的資産を保存し、その価値を後世に伝えていく。
②名古屋の歴史的・文化的シンボルの再生
名古屋城の歴史的価値と魅力をより高めていくための整備を推進し、名古屋の歴史的・文化
的シンボルとしての求心力を高める。特に本丸御殿は、日本を代表する武家書院造の御殿であ
り、戦前には国宝に指定されていた価値ある建築物である。本丸御殿は不幸にも戦災で焼失し
たが、大部分の障壁画は難を逃れ現存し、重要文化財に指定されている。そのため、本丸御殿
の復元は、戦災等で焼失した名古屋城の本来の姿を甦らせる上で重要な役割を担っている。学
術的調査研究に基づき城を復元していくことは、名古屋城の歴史的価値を高め、名古屋の文化
的シンボルを再生する上で有意義であると考えられる。
③城の歴史的価値を発信していく基となる調査・研究の推進
名古屋城の歴史的価値を保存し、復元整備を行っていく上で、学術的調査・研究はその基本
となるものであり、城の歴史的価値を発見し、整理し発信していく基となる調査・研究を推進
する。
35
④日本を代表する近世城郭にふさわしい風格ある環境整備
日本を代表する近世城郭にふさわしい風格ある環境づくりを行う。名古屋城の歴史的特色を
表す本丸御殿等の整備とともに、文化的観光資源・公園緑地としての役割も勘案しながら、名
古屋城にふさわしい修景や施設整備等を行っていく。
36
2.保存管理の基本方針
①遺構・建造物の調査と保存
名古屋城の歴史的価値を構成する石垣、庭園、堀、建造物、地下遺構の調査と保存整備を行
っていく。
■石
垣
今後も名古屋城石垣検討委員会での検討・指導を受けながら、調査および修復工事を継
続させていく。
■二之丸庭園
発掘調査実施後、名勝追加指定を念頭に保存整備等を実施する。
■堀・土塁
崩落が見られる箇所は、随時、適切な補修を行っていく。また、指定範囲が確定してい
ない箇所の範囲確定調査を推進していく。
■建造物
地盤沈下による建物への影響が懸念される西南隅櫓をはじめ、現存建造物の保存状況に
ついての調査と修復を随時行っていく。
■埋蔵文化財
城内の整備にあたっては事前に発掘調査を実施し、その成果を反映させるとともに、保
存盛土等により埋蔵文化財の保存を講じる。
②城内既存施設の見直し
城の歴史的環境にそぐわない施設は将来的に適切な場所に移転させることを検討し、今後、
関係各機関との協議・調整を行っていく。
③保存のための追加指定等の推進
二之丸等の特別史跡未告示区域の追加指定へ向けて段階的に取り組むとともに、外堀周辺等
の史跡範囲の確定調査等を行い、城の保存措置を確立していく。並行して名勝二之丸庭園の調
査を行い、名勝の区域追加指定と保存整備を進めていく。
④環境の保全
名古屋城は市街地のオープンスペースとして動植物などの貴重な生息域となっており、それ
らの保全に努めていく。また、名古屋のランドスケープとしての城の再生を行っていくための
対策について検討し、近世都市の特色となる様々な文化遺産の適切な保存を図る。
37
3.整備活用の基本方針
①城の歴史的景観の再生
城の歴史的・文化的シンボルとしての求心力を高めていくため、戦災等で滅失した建造物、
二之丸庭園、その他城の歴史的特色を示す遺構の復元整備を行い、城の歴史的景観を再生させ
ていく。復元整備にあたっては歴史的正統性を損なうことのないよう、充分な調査・検討を行
う。
②城の調査・研究拠点、情報提供施設等の整備
城の歴史的特色と魅力を発見していく調査・研究の拠点として、また、その成果を展示する
施設として博物館・資料館等の整備を検討する。また、見学案内その他の総合的なインフォメ
ーションサービスを行う情報提供施設についても、来訪者へのサービス向上の観点から検討を
行う。
③調査・研究および整備を推進するための体制整備
城の保存・整備は、文化財調査・研究、観光、都市計画、公園緑地、建築など多分野にまた
がる内容を含んでいる。関係各機関との調整を図るとともに、専門職を増員するなど、調査・
研究および整備を円滑に推進するための体制を整備する。
④新しい文化交流拠点の創出
城の歴史的環境や空間を活かした文化イベントなどの活用事業や市民協働の運営・管理を積
極的に推進し、新しい文化交流拠点の創出を目指す。
⑤城にふさわしい利便施設等の整備
風格ある城の景観・環境づくりと来訪者サービスの向上との調和を目的に、城内の利便施設
等の総合的な整備を進めていく。
38
4.各地区(各曲輪)の整備方針
各地区・各遺構の整備については、市民要望、現況の遺構の保存状況など名古屋城をめぐる現況
を踏まえ、概ね 10∼15 年以内に着手することが望ましい事項を「重点的に整備を進める事項」、そ
の他の事項を「今後検討すべき事項」として整理した。
1)本
丸
天守閣を有する本丸は城の中枢であり、名古屋城を象徴する地区である。本丸御殿をはじめ戦
災等により消滅した建造物の復元を行い、城の歴史的景観や環境を体感・体験できる場としてい
く。
(1)重点的に整備を進める事項
①本丸御殿の復元
本丸御殿は絢爛豪華な安土桃山文化最盛期の建築文化を正統的に継承する武家殿舎と言わ
れ、我が国の書院造りの双璧として京都二条城の二之丸御殿と並び称されていた。昭和5年、
国宝に指定されたが、昭和 20 年、空襲により焼失した。天守閣と並び名古屋城を代表する建
造物として長く市民の間に復元を望む声が強い。
本計画ではこれに基づき、本丸御殿の復元を計画する。基本的な方針は名古屋城本丸御殿復
元課題検討委員会の提案を踏まえ、検討した。
また、重要文化財である障壁画の保存管理を行っていく。
図 4-1:本丸御殿復元整備イメージ
39
●本丸御殿復元の意義
ア.新たな市民の誇りの創出
(市民の誇りの創出)
世界的な文化遺産である本丸御殿を復元することにより、市民の心にさらに大きな誇
りをもたらす。
(名古屋の新たなシンボル)
戦後復興の象徴であった天守閣再興と並ぶ名古屋の新たなシンボルを生み出すプロ
ジェクト。
イ.名古屋城の価値と魅力の向上
(歴史と文化を楽しみ学ぶ名古屋城)
市民も来訪者も楽しみ学ぶことができる本格的な歴史ミュージアムとしての役割を
果たし、名古屋城の価値と魅力をさらに高めていく。
(天守閣と御殿が相まって格をなす名古屋城)
城は天守閣のみでなく、門や櫓・多聞、御殿など種々の要素があって成り立つ。特に
名古屋城は城のシンボルとしての天守閣に対して、美と文化の象徴である本丸御殿が
揃うことでより高い歴史的価値を得ることになる。
(近世武家文化の殿堂)
蓬左文庫や徳川美術館が有する史料や美術品とともに、武家の生活の場である本丸御
殿を復元することにより、名古屋が日本における近世武家文化を守り伝える中心的存
在となり、国内外へ名古屋の文化のすばらしさを広める殿堂となる。
ウ.名古屋の活性化
(文化観光都市としての発展)
文化を愛する都市としての名古屋の知名度を向上させ、文化観光都市として発展する
原動力になる。
(国際交流の拠点)
日本の歴史文化を体現する本丸御殿を活用し、国際交流の拠点として名古屋の活性化
に寄与する。
エ.伝統技術の継承
(伝統技術の知恵と技を学ぶ場)
本丸御殿の復元過程を公開することにより、市民や来訪者が先人から伝えられた知恵
と技の生きたすがたを学ぶ機会を提供する。
(熟練した技でつくられる本丸御殿)
伝統技術を継承し、再興する貴重な機会とする。
●復元目的
御殿の持つ歴史的意義を踏まえ、焼失前と同等の文化的価値を有し、かつ市民の財産と
して広く活用できるように復元する。
●復元手法
原則として旧来の材料・工法による復元を図る。なお、現在の技術や生産事情、活用の
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あり方も考慮して取り組む。
●復元場所
復元の歴史的・文化的価値が最も高い本丸御殿跡地において復元を行う。本丸御殿の礎
石を現地で将来にわたって保存するため、現状地盤面を保護する。
●復元時期(時代設定)
将軍の上洛殿として使用され、書院造の典型的な意匠をもつ寛永期とする。
●活用方法
本丸御殿の文化的価値および復元の精神を踏まえ、復元御殿にふさわしく、市民の財産
としての価値を一層高める活用を図る。
(観
覧)
・国内外からの来訪者に常時公開する。
・復元された障壁画、彫刻欄間、飾金具などの室内の様子を、間近に鑑賞できるように
する。
(体
験)
・本丸御殿にふさわしい文化的行事を実施できる場とする。
(交
流)
・国内外の賓客を迎える場として活用する。
②天守閣の耐震改修整備
天守閣は再建後 50 年近くを経過しており、外壁、屋根、設備等の修繕・更新時期を迎えて
いる。また、現行の耐震基準ができる以前の建築物であるため、天守閣の耐震改修整備などを
行う。また、これに併せて天守閣内の展示内容の検討を行う。
③建造物の修理
傷みがみえる本丸表二之門および、地盤沈下による建物への影響が懸念される西南隅櫓の保
存修理を行う。
(2)今後検討すべき事項
・本丸を囲む本丸多聞および本丸東北隅櫓の復元を行い、本丸の輪郭を明確にし、ランドマー
クとしての城の再生を狙う。
・本丸多聞の復元に伴い、本丸表一之門、本丸東一之門の復元の検討を行う。
・本丸東二之門は将来的に原位置である二之丸東枡形へ移築し、本来の門の復元を検討する。
・城の縄張りの上で本丸搦手馬出に対応する重要な空間である本丸大手馬出の復元を検討する。
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2)二之丸
二之丸は元和 6 年(1620)に義直が新設された二之丸御殿に移り住んで以来、藩主の日常の生活
の場となった場所であり、名古屋城の生活文化の拠点となった場所である。建造物の復元により歴
史的空間を再現する本丸に対し、名勝二之丸庭園を中心とした環境整備により名古屋城の歴史的遺
構を表す地区とする。
(1)重点的に整備を進める事項
二之丸は現在、北側が名勝二之丸庭園および二之丸東庭園、南側が愛知県体育館になっている。
まず、北側の名勝二之丸庭園と二之丸東庭園の調査を進め、名勝追加指定を念頭において保存整
備を行う。
①名勝二之丸庭園の保存整備、二之丸東庭園の再整備
名勝二之丸庭園の保存整備を行う。二之丸東庭園には廃城期以前、二之丸庭園と一体であっ
た部分も含まれていることから、再度発掘調査を行い、庭園範囲の確認や遺構の分布状況、保
存状況を確認し、名勝の追加指定を念頭において、二之丸庭園との一体的な再整備を行う。
②愛知県体育館の将来的な移転についての協議
現在、二之丸内にある愛知県体育館は将来的には城外に移転するよう、関係各機関と協議を
行っていく。
③特別史跡未告示地区の追加指定
特別史跡未告示地区の追加指定に向けて段階的に取り組む。
(2)今後検討すべき事項
下記の整備について検討する。
・本丸御殿と並ぶ城内の御殿として重要な位置を占めていた二之丸御殿跡の整備について
は、南側の愛知県体育館移転後に検討する。整備にあたっては、建造物の復元を行う本
丸御殿に対して、御殿跡の遺構を保存整備し公開することを検討する。
・二之丸庭園等の発掘調査に際しては、その様子を公開することを検討する。
・二之丸の櫓などについては、長期的視点から整備について検討する。
42
3)西之丸
西之丸は名古屋城の主要部への主な出入口であり、現在も城内へのメインエントランスとなって
いる。城のエントランスにふさわしい風格ある歴史的空間の再現と入口広場としての機能の調和を
図る。
・絵図等を参考に一番御蔵・二番御蔵の復元を行い、本丸大手馬出手前の空間として重要と考
えられる榎多門内屯の空間を復元することを検討する。
・天然記念物の「名古屋城のカヤ」を保護育成する。
4)御深井丸
本丸・二之丸等の整備が完了したのち、オープンスペースの状況を活かした整備について検討し
ていく。
・植生の保全と再整備を図り、より有効な活用を検討する。
・登録文化財である乃木倉庫は現況のまま保存する。
5)三之丸外堀跡
特別史跡指定地であり、名古屋城の縄張りの上で非常に重要な地区である。市の中心部を巡る貴
重な緑地として、また、城の広がりと城下町名古屋との関係が実感できる遺構として保存整備を行
う。
・土塁および堀跡の崩落部分等の保存修理を行う。
・外堀周辺の史跡範囲の確定調査等を行い、未告示区域の追加指定に向け段階的に取り組み城
の保存措置を確立していく。
・各虎口跡に説明板を設置する。
6)石
垣
(1)重点的に整備を進める事項
①石垣修復工事の継続
石垣は昭和 45 年度より順次、修復工事を進めている(p.21 参照)。今後も名古屋城石垣検
討委員会の指導を受けながら修復工事を継続していく。また、発掘調査など保存のための調査
を実施していく。
(2)今後検討すべき事項
石垣の保存上、好ましくない影響を与えている樹木は順次、除去していくことを検討する。
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7)その他の整備
以下については基本的に、特別史跡指定地内の緊急性、優先性の高い整備が完了したのちに、行
うべき事項と考える。
①三之丸及び特別史跡周辺
特別史跡指定地外であるが、特別史跡に接する区域として環境保全上、重要な位置を占めて
いる。三之丸は武家屋敷や神社、東照宮等の霊廟が並ぶ地区として歴史的にも重要であった。
・環境保全のための方策の検討
現在、三之丸地区には前出(p.14)のような法的規制が定められている。今後も城の景観
および環境保全が適切に行われていくよう施策の検討を行っていく。
・城の歴史的環境にふさわしい周辺環境整備
・サインや舗装、植栽などトータルな修景デザインにより、城の歴史的環境にふさわしい
景観整備を行っていくことを検討する。
・外堀周囲の歩道をより歩行しやすく、城の景観を楽しみながら歩ける散策路として活用
できるよう整備を行う。
・江戸時代の三之丸跡の様子や、三之丸跡発掘調査成果を示す説明板等を設置する。
・外周に案内板等を適宜設置し、城の外周を巡りながら、文化のみち(白壁町界隈)など
城下町へ至る散策ルートの検討を行う。
44
図 4-2:三之丸及び特別史跡周辺
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②展示施設・情報提供施設の再整備
現在、名古屋城では再建された天守閣が博物館相当施設として利用されており、その他、
西の丸展示館、御深井丸展示館が展示施設として利用されている。
天守閣は現在、再建後 50 年近くが経過し、修理や耐震改修工事の検討が必要である。また、
本丸御殿の復元整備など、当時の武家文化を体感できる場としての整備や城にふさわしい景
観整備が進展していくなかで、展示施設の役割・機能も変化していくことが予想される。
これらを踏まえ、名古屋城全体の整備に合わせ、展示のあり方を検討していく必要がある。
③利便施設の整備
・各曲輪の整備にあわせて蔵、番所など比較的小型な建造物を整備し、休憩所などの利便施
設として利用することを検討する。現在、配置されている利便施設は整備の進展にあわせ
て随時見直し、これらの建造物に機能を移転させていく。
・来訪者への情報サービスの向上を図るため、城の見学案内などを行うビジターセンター的
な施設を整備することを検討する。
④周辺地域とのネットワークづくり
名古屋城を中心とした周辺には、
・清須越から続く四間道界隈
・徳川家にまつわる徳川園、徳川美術館
・武家屋敷の面影が残る白壁地区
・大須観音に代表される大須界隈
・熱田神宮、東海道熱田宿
といったかつて栄えた歴史的町並みが今も残っており、これらを結ぶネットワークを構築
することにより名古屋城をより魅力的なものとして位置づけていく。
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図 4-3:周辺ネットワークイメージ
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5.城の活用方策について
名古屋城跡は名古屋を代表する歴史的遺産である。掛け替えのない文化財としてその歴史的価値
を学術的調査に基づき保全し、次世代に伝えていくことはもちろん、広く次のような役割を担って
いると考えられる。
ア
近世日本文化の象徴である名古屋城の歴史文化に触れ・親しみ・楽しめる
文化的観光資源としての役割
イ
様々な文化行事を行う文化交流拠点としての役割
ウ
歴史文化を継承し発展させていく拠点としての役割
エ
名古屋のイメージを発信する文化的シンボルとしての役割
オ
市民が憩う公園緑地としての役割
上記の役割を踏まえながら、名古屋城跡がより有意義に活用され、名古屋の文化交流拠点として
また、新しい市民文化を創出できる場として機能できるよう検討を行う。
①名古屋の歴史文化を体感・体験できる活用メニューの充実
名古屋の歴史文化に親しむ場としての名古屋城の機能をより活性化させ、文化的観光資源と
しての価値を高めるために、衣食住に関する歴史文化を体感・体験できる活用メニューを企
画・立案し実施していくことを検討する。
②文化交流の推進の場としての活用
文化交流拠点としてより活発に活用されるよう、城にふさわしい文化事業の開催や市民活動
への開放をさらに推進していくとともに、国際交流や文化芸術イベントなど広く国内外の文化
交流の場として積極的に活用される場となることを目指す。
③歴史文化の保存継承と伝統に基づいた新しい文化の創出
名古屋城が歴史的・文化的シンボルとしての役割をより積極的に果たしていくため、名古屋
城および名古屋の歴史的特質や伝統文化等を活かした教育プログラムおよびワークショップ
等を実施し、歴史に学んだ新しい文化を創出していくことを目指す。
④名古屋の魅力としての情報発信の強化
文化的観光資源としての名古屋城の魅力を広く国内外に発信し、より多くの来場者の誘致を
行うことが重要になると考えられる。これに向けて広報活動を行っていく。
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6.事業計画について
1)全体方針
概ね 15 年以内を目処に事業着手を行うものを短期計画とし、その他を中・長期目標とする。
■短期計画(概ね 15 年以内を目処に事業着手)
・本丸御殿復元整備
・本丸表二之門※1修復整備
・西南隅櫓※1修復整備
・天守閣※3耐震改修整備、展示内容見直し
・二之丸庭園※2保存整備(緊急性の高い保存工事については早急に実施)及び名勝追加指定
・石垣保存修復整備
・障壁画保存修復
・二之丸等の特別史跡未告示区域の追加指定
■中・長期目標
・本丸多聞および東北隅櫓復元整備
・西之丸榎多門整備(一番蔵・二番蔵の復元等)
・大手馬出の復元整備
・管理事務所の再整備
・三之丸のサイン・舗装等修景デザイン整備
・愛知県体育館の移転
・二之丸御殿跡の整備
・本丸表一之門、東一之門の復元整備
・現東二之門※1の原位置への移築整備
・外堀跡の整備
・石垣保存修復整備
・二之丸の櫓等の復元整備の検討
※1
重要文化財
※2
一部名勝
※3
博物館相当施設
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2)短期計画事業
短期計画事業案は下表の通りである。本計画(特別史跡名古屋城跡全体整備計画)は、平成 17
年度、委員会での審議を経た後、市役所内部で検討・調整を行う予定である。また、平成 18 年度
以降、今後の事業展開の上で重要な整備体制、運営管理方針(維持管理コストも含む)についての
検討を行う予定である。
本丸御殿の復元整備は、平成 18 年度に実施予定の本丸御殿復元整備基本設計において、より踏
み込んだ検討を行う予定である。また、保存修復が必要な本丸表二之門等については、御殿にあわ
せて工事を実施することを検討する。
天守閣は耐震改修工事に合わせて、展示内容の見直しについて検討を行う。
二之丸庭園については、専門委員会を設置し、委員会の指導を受けながら発掘調査の実施、保存
整備のための基本計画、実施計画を策定し、それに基づき修復工事を行う。緊急性の高い保存工事
については早急に実施していく。
石垣修復に関しては、今後も石垣検討委員会の指導のもと発掘調査と修復工事等を行っていく。
表 4-1:短期計画事業案
本丸御殿
表二之門
(重要文化財)
西南隅櫓
(重要文化財)
天守閣
二之丸庭園
(一部名勝)
石垣
障壁画
50
前 期
●委員会設置
●設計、活用運営計画検討
●復元工事
●障壁画復元模写
●調査
●設計
●修復工事
●調査
●設計
●修復工事
●耐震改修調査設計
●展示内容見直し
●耐震改修工事
●委員会設置
●発掘調査
●基本計画
●設計
●保存整備工事
●発掘調査
●修復工事
●保存修復
後
期
●復元工事
●障壁画復元模写
●修復工事
●修復工事
●耐震改修工事
●発掘調査
●基本計画
●設計
●保存整備工事
●発掘調査
●修復工事
●保存修復
7.事業推進体制について
1)整備推進体制について
整備推進にあたり、市役所内部で組織体制の充実を図るほか、外部有識者による委員会を設置し、
専門家の意見を取り入れ史実に基づいた整備を図る。
<市役所内の体制整備>
整備推進にあたっては、市役所内の組織体制について、人員や連絡調整体制などを充実させる。
平成 17 年 11 月には、市民経済局文化観光部に主幹と主査が設置された。平成 18 年度からは名
古屋城全体整備を担当する部署を設けるほか、関係する庁内各課による連絡調整会議を新たに設
置する。さらに石垣や庭園、本丸御殿等の事業の進捗に応じ、専任の人員を確保するほか、併任、
連絡調整体制の整備など、さらなる体制の強化を図っていく。
<外部有識者による委員会>
本計画を継承し、名古屋城全体の整備・管理運営を検討する全体整備委員会を設置する。全体
整備委員会には史跡名勝部会、建造物部会等を設置し、石垣、庭園、本丸御殿等について委員会・
部会の指導を受けながら事業を実施する。
史跡名勝部会
石垣
庭園
全体整備委員会
建造物部会
本丸御殿
その他
図 4-4:外部有識者による委員会のイメージ
51
2)運営について
(1)基本方針
日本有数の城郭遺構である名古屋城の文化財としての価値を継承するとともに、市民に文化遺
産に対する理解を広めていくため、運営の充実を図る。
今後、活用方策で検討した事業などを実施していくためには、整備の進展に伴い運営の充実を
図る必要がある。また、日常の維持管理業務を行う体制の充実を図るほか、様々な城の活用プロ
グラムを検討するとともに、その運営体制の充実についても検討を行う。
52
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