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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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<論文>カレン族の農民化過程における家族儀礼
飯島, 茂
東南アジア研究 (1967), 5(2): 308-320
1967-09
http://hdl.handle.net/2433/55392
Right
Type
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Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
カレン族 の農民 化過程 にお け る家族 儀礼
島
飯
茂
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J
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は
じ
め
に
タイ国北部地 方 に住 む カ レ ン族 1) の文化変 容 につ いては,すで に拙稿 2) で大づ かみな記述 と
分析 を お こな って きた。 そ こで ,本 稿 で は カ レン族 の文 化 を構成 して い る諸要 素 の一 つを取 出
して,文 化変 容 につ いてやや ミクロな扱 い方 をす る ことに しよ う。そ の手初 め と して ,家族 儀
礼 が カ レン族 の農民 化 とい う文化変容 の流 れ のなかで , どの よ うな位 置にあ り, また どんな役
割 を果 た して い るか とい うことにつ いて述 べ る こ とにす る。
Ⅰ 農
民
の
概
念
er
t
z
3) が整
農民社 会 の研究 は現在 い ろい ろな立場 か らお こなわれて い るけれ ども,それを Ge
理 した ところによ り分類 す ると, だいたい次 の よ うにな る。
1
) Ro
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dの民 俗社会 (
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y)と都 市社 会 との対立 す る文 化様 式 の一 環 と
して見 る立 場 。
2) Jul
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dや Er
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cR.Wol
fな どを 中心 に展開 され て い る農業生産者対 地主 ,役
人 ,商人 ,労働者 と して と らえ る見 方 。
3) Kar
lA.Wi
t
t
f
ogelが提 出 してい る支配 者対被支配者 と して考 え る見解 。
以上 の よ うに, これ まで お こなわれて きた農民社会 の研究 は 3系列 に分類 す る ことがで き る
d丘el
d理論 を念頭 に入 れて ,論 を進 め ることに しよ う。
が , ここで は第 1にあげた Re
Red丘el
d 教授 は メキ シ コ東南部 の ユ カタ ン半 島の調査研究 を通 して,二 ,三 の モ ノグ ラフと
TheFo
l
kCu7
多数 の論 文 を発表 し,それ らを総 括 した形 で ,有名 な 「ユ カタ ンの民俗文 化 」(
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fYuc
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an)
4
)
を 出版 した。 これ らの研究 の過程 で, 同教授 は民俗社会一都市社会 の理論
1
) 本稿で扱うのはおもに S
gaw Kar
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nである。以前の拙稿では,これを Skaw Ka
r
e
n と書いてい
る。
2
) 飯島 (
1
96
5
),I
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1
965
),飯島 (
1
966
)
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r
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z(1962
)p
p.ト41
3
) Ge
4) 参考文献参照。
3
08
- 80-
購 烏 :カ レ ン族 の 家 族 儀 礼
を精微 化 して , 農民社 会 に対 す る認識 を深 め
て い った。
この本 に よ る と,同 教授 は他 の学 者 とい っ
しょに, ユ カタ ン半 鳥の メ リー ダ地 方 にあ る
部族 民 の村 ,農 民 の村 ,小 さな町 ,都 苗 を比
較社 会 学 的視野 か ら 調査 を お こな って , 「部
族 社 会一
一農 民社 会- 町→都 市 」 とい う文 化変
容 の図式 を 作 りあ げ た。 そ して , この文 化 変
容 を次 の よ うに特 徴 づ けた 。5)
1)
孤 立 性 の弱体 化
2) 異 質化
3) 複 雑 な分 業
4) 高 度 に発達 した貨 幣経済 化
ハイウエイ
5) 職 業 にお け る専 業者 の 出現
0
6) 親族 組織 の弱体 化
図1
5
0k
m
タイ同北西部と調査村の使臣と
7) 非 人 格 的 制 度 に よ る統 制- の依存
8) 宗 教 的行 事 の減少 とl
田谷化
9) 病 気 の 原 岡 を ≠た た り〝に求 め る ことの減少
10)
自 由な行 為 と選 択 の拡 大
ご く大 づ かみ に言 うと,農 民化 とは以上 の文化 変 容 の前 半 の部 分 を指 して い る と言 え る。 す
な わ ち, 農 民 化 とい う文 字 が示 す よ うに, こ こで は カ レ ン族 とい う ≠部 族〃が 農民 にな って ゆ
く過 程 で あ る。 そ こで ,農 民 とは どの よ うな もので あ り, また どの よ うな社 会 を形 成 して い る
か , とい う ことにつ いて , Red丘el
d 教 授 の定 義 6) を要 約 して, この節 の締 め くくりとす る こ と
に しよ う。
≠人 間 の社 会 とか性 格 を社 会 学 口
和 こ分析 した り, 歴 史 的観点 か ら理 解 す る と,
農民 は部 族 と
都 市 の住 民 の 中間 に位 置 して い る と言 え る。 農民 は あ る意 味 で 部族 と も都 市 の住 民 と も似 て い
る点 が あ るけれ ど も, それ は対 照 的 な意 味 においてで あ る。 農民 は都 市 の住民 と相 違点 が あ る
とい う限 りで は部族 に似 て い るけれ ど も,部族 と差異 が あ る とい う点 で は都 市 の住 民 に類 似 し
ている
。
す な わ ち農民 は,一 方 それ に起源 を有 す る部 族 的生 活 か らと,他 方都 市 とか文 明 か ら
つ の類型 で あ るけれ ど も, 同時 に都 市の存在 や違 饗 に よ って, ゆ るや か にな にか部 族 とは異 な
5) Re
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d(
1
93
4),pp.5759, Redf
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1
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)pp.33
833
9
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) Redf
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d(
1
962
)p.286
- 81-
309
東南 ア ジア研 究
第 5巻 第 2号
った もの に形成 されて い る。〟
そ こで , カ レン族 の家族 儀礼 0Ⅹeの実態 に接近 す る ことによ って , ≠な にか部 族 とは異 な っ
た もの'
Yにな って ゆ くカ レン族 の文 化 に,農民 化 の研 究 の足掛 か りを求 め る ことに しよ う。
Ⅱ 家 族 儀 礼 の 実 態
カ レン族 の社 会 を考 え ると, その組織 は双 系的傾 向が強 く7'
, 単 系社 会 の多 くに見 られ るよ
うに,氏族 な どを発達 させ て いない。 また,一般 的 にはかれ らの形 成 して い る地縁 集団 もあ ま
り強 固で はな い。 そのため に, い きお い家族 が カ レ ン族 の社会 組織 のなかで は相対 的 に重要 さ
を増 して い る。
この よ うな カ レン族社会 の あ り方 は,宗 教 の あ り方 に も反 映 して い るのは当然 で あ る。 す な
わ ち, い ろい ろな カ レン族 の宗 教 儀礼 のなかで も, 家族 を 中心 にお こなわれ る 0Ⅹe 儀礼 が い
ちばん大 切で あ ると考 え られ て い る。 これ は家 の精霊 Bgha に捧 げ られ る儀礼 で,山地 に住 む
カ レン族 は もとよ り,平 地 にい るカ レン族 の あいだに も普 遍的 に存在 して い る。
また,0Xeの儀礼 は本稿 で扱 って い るスゴー ・カ レ ン族 だ けで はな く, ポー ・カ レン族 の問
で もお こなわれ て い る と ころを見 ると, この儀礼 が いか に カ レ ン族 文化 の深 層 に根 差 して い る
かを知 るので あ る 。8)
スゴー ・カ レン式 の家族 儀礼 は 0Ⅹe Chuko と言 い, ポー ・カ レ ン式 の もの は 0Ⅹe P'
goと
呼 ばれ るが ,両 儀礼 と もた い- ん に類 似 して い る。 と りわ け, この傾 向 は ビル マ よ りもタイ国
goの間 には微妙 な儀礼上
で顕 著 で あ る と言 われて い るO しか しなが ら,0ⅩeChuko と 0ⅩeP'
の差異 が認 め られ, それが カ レン族 の農民 化 の過程 を考 え る うえで重要 な意 味 を持 って い るよ
うに思 われ る。 そ こで , この二 つ の儀礼 の相 違点 を明確 にす るため に, 本節 で は 0ⅩeChuko
と 0ⅩeP'
goの儀礼 のや り方 につ いてやや立 入 って述 べ る ことに しよ う。 な お, 0Ⅹe儀礼 は地
域 によ って若干 の差異 が あ ると同時 に, ビル マの カ レ ン族 の問 には 3種類 の Bghaに対 す る儀
礼 が記録 されて い る。
9
) しか しなが ら,本 稿 の 目的 は カ レン族民族誌 の作成 で はな いので,タ イ
国西 北部 の メサ リア ン地方 に住 んで い るカ レ ン族 の家族 儀礼 に限定 して記述 す る ことにす る。
1. 0ⅩeChukoの儀礼 につ いて
0ⅩeChukoは 0ⅩeP'
goの儀礼 の場合 と同様 に, あ る家 の成員 の だれ かが病 気 にな った時 に
お こな う儀礼 で あ る。 また,病 気 の よ うな災害 がその家 の者 に降 りかか らな くて も,年 に 1度
ぐらい は 0Ⅹe儀礼 を その ≠予 防クのため にお こな う。 これ は家 の精霊 Bghaを慰 め , 災害 や事
7) 筆者の調査のほかに T.
St
e
r
nや F.
K.Le
hmanなどの諸学者 もこのことを確認 している。
Le
hman(
1
9
6
7
)p.1
1
5参照。
8) スゴー ・カレン族 とポー ・カレン族は異なった言語集団と分類 されているが,文化的には連続性が
存在 していると思われる。 これについては別の機会に論 じることにしよう。
9
) Mar
s
hal
l(
1
9
2
2
)pp.2
4
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5
7
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ngkham (
1
9
6
4
)p・1
5
3
1
0
-8
2-
飯 島 :カ レ ン族 の 家 族 儀 礼
故 な どを未 然 に防 ご うとす るの が 目 的 で あ る。
0ⅩeChukoが お こな わ れ る場 合 に は , まず や一 家 〟の 全員 が呼 び 集 め られ る 。10) 儀礼 を す る
こ とが 占 い
'
で 決 定 され る と, 0Xeに 出席 す る成員 の 1人 が使 い に行 き, 出席 予 定 者 に ≠何月
11
の何 L
Hこ0Ⅹeを す る〃と喜 げ る。 この よ うな通 知 を受 け る と,た とえ どの よ うな こ とが あ って
も, 各人 は万 難 を 排 して ,儀礼 に 出
席しな けれ ば な らな いC と りわ け,OxeChukoの儀 礼 某 団
iにな る
の場 合 は成 員 が死 亡す るか , キ リス ト教 に帰依す るか ,そ れ と もあ とで述 べ る Chakas
以外 に は, い か な る事情 が あ って も 0Ⅹeに 出席 しな けれ ば な らな い. も し,この 儀礼 某 杜l
o
j成
F
t
.
1で 1人 で も欠員 が で き る と,0ⅩeChukoの 儀 礼 は成立 しな い。 た とえ 儀礼 を お こな った と し
て も, そ の効 果 が ま った くな い の み か, /
去:
が あ る と さえ言 われ て い る。1
2
)従 って ,0ⅩeChuko
を お こな って い る家 で は, 欠 席者 が い る と, 儀礼 を お こな わ な い。
この 0Xeの 儀礼 集 団 は mat
ri
l
i
neageを基 礎 に形 成 され た社 会 集 団 で , Dopuweh とか Taduxo と呼 ばれ て い る。 この 社会 集 団 は時 に は単 婚 家 族,また あ る時 に は拡 張 家 族 と一 致 す る こ
と もあ るが,基 本 的 に は家 族 を形 成 す る 原理 と多少 累 な った 原理 を持 つ 尉 系 的 社 会 集 団 で あ る。
で は図 2に従 って , Dopuweh につ い て 簡単 な
説 明 を しよ う。 Dopuweh の 中心 にな る人 物 は そ
の集 団 の最 年 長 の女 性 で ,通 常 は祖 母で あ り, こ
の 図 で い うと M lに 当 た る。 M lの両 親 が死 亡 し
た後 に は , Mlの夫 で あ る X も この 儀礼 集団 に入
る。 この Ⅹと Mlの 間 にで きた子 供 で あ る M2 と
m2は両 親 も し くは 母親 の属 して い る 儀礼 集 団 の
成 員 で あ るけれ ど も, 息子 m2の結 婚 後 に妻 の 両
親 が死 ん で しま う と, 自動 的 に妻 が属 して い る他
図 2 0Ⅹeの儀礼集団
注 :カ レ ン語 Do
puweh もしくは Taduxo
の Dopuweh に移 って しま うO また,m2の子 供 は m2自 身 の住 属 が いず こに あ って も, m2の
1
0
) 実際は家族 とは多少編成の原理を異にす る社会集団であるo Lか し, ここでは便宜的に ≠
一家〟 と
述べておこう。詳細はあとで説明す ることにする。
1(
1
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2
2
)pp.2
7
9
2
8
5参照。
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l
) この場合 は鶏の両羽根を使 ったもの。詳細は Mar
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1
2
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2
)p.2
5
7
- 83-
311
東 南 ア ジア研 究
この Dopuweh に属 して い るが , m 3 は
m 2 の場 合
第 5巻 第 2号
と同様 に,条件 が整 え ばかれ の妻 の Dopuweh
の成 員 にな って しま う。 M3 や さ らに M。の配 偶者 は それ ぞれ M3 や M4 の両 親 が死 亡 した時
に は, この Dopuweh に吸収 され て ゆ く。
0ⅩeChuko儀礼 の司祭 役 に 当た る者 は後述 の 0ⅩeP'
go儀礼 の場合 とは異 な り,母 系 の原 理
-M2-→M3- - と継 承 され て ゆ く。
が完 全 に貫 ぬ か れ て, Ml
0Ⅹe Chuko の儀礼 が始 ま るの に当 た り, 儀礼 の 司祭 役 で あ る女 性 は 出席者 が室 内に入 る こ
とを命 ず る。一 同 が室 内 に集合 す る と, 司祭 者 は儀礼 に使 用 す るなべ を洗 い始 め る。 そ うす る
と, 参加者 は静 粛 で あ る ことが望 まれ る。 も し儀礼 をや って い る間 に話 を しな けれ ばな らな い
場 合 には, カ レ ン語 を使 用 す る ことが要求 され, この地 方 の リンガ ・フ ラ ンカで あ る北 タ イ語
の使 用 は禁 止 され る。 その後 , 司祭 役 の女 は室 内で米 を といで ,囲炉裏 の上 にか けて た き始 め
る。 これ が終 わ る と,一 同 は い ちお う室 内か ら外 に出 る ことは許 され るけれ ど も, それ はテ ラ
ス まで で ,高 床 の は しごを お りて ,家 か ら出 る ことはで きな い。
なべ の 中の米 が煮 え あが り,重 湯 状 の汁 を た き こぼす以前 に全 員 はふ た た び入 室 しな けれ ば
な らな い。 こ こで家 の精 霊 Bghaに捧 げ る鶏 や豚 が犠牲 に供 され る0 Ht
iKaniの よ うな平 地
の村 で は, 0ⅩeChukoを お こな う家 で も,最 近 は鶏 だ けを使 って お こな う簡易 な儀礼 が多 くな
った と言 われ る。しか しな が ら,伝 統 的 に は二
鶏 と同時 に豚 を犠牲 にす るのが理 想 と され て い る。
最 もオ ー ソ ドックスな 0ⅩeChukoの儀礼 にお いて は,豚 の犠牲 は部 屋 の 中で お こな われ る。
まず , 出席者 の r
i
lの男 が豚 の足 や 口を ひ もで結 わ えて室 内 に持 込 む。豚 を部 屋 の床 の上 に置 く
と, 出席者 全 員 が匁 物 で豚 の体 に浅 い傷 をつ け る。 す る と,通 常豚 は大 あばれ を す るので , い
そ いで豚 の鼻 を押 え るか,ぬれ た布 で鼻 をふ さ ぐか して 窒 息 させ る。 か くして犠 牲 が終 わ る と,
豚 の体 を火 にか ざ して ,体毛 を焼 く。 そ の後 ,豚 の体 は解 体 され て , 肉や 内臓 で カ レー料 理 1
3
)
が作 られ る。料 理 が作 られ て い る間 は,参加 者 一 同室外 の高 床 の所 まで は 出 る ことが許 され て
い る。
豚 や鶏 な どの カ レー と 御 飯 がで きあ が る と, 参加 者一 同 はふ たた び 部 屋 の 中 に 呼入 れ られ
る。 そ うす る と, 男性 の年 長者 は御 飯 と カ レーをバ ナ ナの葉 の皿 に盛 って床 の上 に置 き,精 霊
かて
の Bghaに対 して一 家 の加 護 を祈 る。かれ は ≠Bghaよ !わ れ はすで に十 分 な糧 を み もとに捧 げ
した め に, 手 もとに食 物 な し。 それ ゆえ, ふ た た びわが家 に も ど り賜 わぬ ことを願 うク と と
な え なが ら,竹 張 りの床 のす き間 か らバ ナナ皿 の上 に盛 った食 物 を地面 に落 とす 。
以上 の ことが終 わ ると, 儀礼 の一 環 と して Dopuweh の成 員 と精霊 Bgha の共 餐 が お こな
われ ,男 の年 長者 ,女 の年 長者 -- ・
長 男 ,長女 ,次 男 ,次 女 - - とい った男 か ら女 ,年 長者 か
1
3
) H.
Ⅰ
.Mar
s
hal
lによると,元来 は犠牲に供 された鶏や豚を塩 と トウガラシだけで味付けをするや り
方 もあったと言われる. しか し,今 日のメサ リアン地方では,それに香料を入れて,普通のカ レーを
作る。 これ も宗教儀礼の俗化の現われではなかろうか。
3
1
2
-8
4-
飯 島 :カ レン族 の家族儀 礼
ら若年者 の順 序 で御 飯 と カ レーを食べ る。 しか し, この食事 は儀礼 的 な もの な ので , あ ま り食
べ 過 ぎ るの は儀礼 上 よ くな い と言 う。 この 際 に食 器 の食 物 が残 って い る問 は, 出席者 は だれ も
室外 に出 る ことはで きない。 か くして ,共 餐 が終 わ ると,長子 か らじ ゅん じ uん に屋外 に出 る
ことが 許 され る。
以上 0ⅩeChukoにつ いて述 べ て きたが , 豚 を室 内で犠牲 にす る 0ⅩeChukoは家 族 儀礼 の
中
で い ちばん オ ー ソ ドックスな もので , ChukoOxa と言 われ る
。
それ に対 して , 鶏 だ けを使
った簡易 化 され た 0ⅩeChukoが あ り, ChukoGoma と呼 ばれ る。一 方 , 0XeP'
goの 場 合 に も
goOxa と略式 の P'
goGomaの 2種類 の儀礼 が あ る。 この よ うな ○Ⅹe儀
オ ー ソ ドックスな P'
]
礼 にお け る様 式 の差 異 に関す る研 究 は,民 族学 的 にはた い- ん に興 味 が あ り, 重 要 な問題 で あ
る と思 わ れ る。 しか し,ここで はむ しろ農民 化の研 究 とい う社 会 科 学 的 関心 の 方がつ よいので ,
主 題 を オ - ソ ドックスな 0ⅩeChuko と 0ⅩeP'
goを比 較 し, 分 析 す る ことに限定 しよ うと思
う。
2. 0ⅩeP'
goの儀 礼 につ いて
go もその 目的 や実 施 方 法 に大 差 はな い。 しか し, カ レ ン
家 族 儀 礼 は 0Ⅹe Chuko も 0ⅩeP'
族 の農民化 を考 え る うえで ,次 の よ うな重 要 な点 につ いて両 者 の問 に微妙 な差異 を見 出す こと
が で き る。
1
) す で に前節 で 触 れ た よ うに, 0ⅩeChukoの儀礼 集 団 において は,母 系 の系譜 の 中 で牲存 し
て い る最 年 長 の女性 が儀 礼 の 司祭 役 にな り,男性 は その役 をす る ことがで きな い。す な わ ち,
これ に該 当す る女 性 が その家 にい な い場 合 に は,0ⅩeChukoの儀礼 は成 立 しない ので ,他 の
方法 に よ る儀礼 を考 え な けれ ば な らな い。
と ころが , それ に対 して 0ⅩeP'
goの儀礼 をす る場 合 には, 女 性 が 司祭 役 に当た る ことが
望 ま しい と 言 わ れて い るけれ ど も, ■
封 青に よ って は 男性 で もこの役 目を 果 たす ことがで き
る。 た とえ ば, あ る家 で おば あ さんがす で に死 亡 して い る時 には, お じい さん が 司祭 の役 に
当た る ことがで き る。
2) 次 に儀 礼 の参 加者 につ いて で
あ るが,こ こで 言 うまで もな く,
○Ⅹe Chuko の場 合 には Dopuweh全員 の 出席が 不可 欠 で あ る。
しか しなが ら,0ⅩeP'
goの儀 礼
で は , Dopuweh の成員 が チ ュ
ンマ イの よ うな遠方 の町 に行 っ
て
,
,
i
廿且が わ か らな い時 にで も,
儀礼 を 欠員 の ま まお こな う。 そ
写真 1 両地 カ レン族 と象 の親子
- 85-
31
3
東 南 ア ジア研究
第 5巻 第 2号
して,0Ⅹeの ため に作 った儀礼
用 の御飯 と カ レーを乾 燥 ・保存
して おいて,欠席 した成 員 が家
に も どった 際 に,それ を与 えて,
儀礼 を完 了す る。
3) 0ⅩeChuko と 0ⅩeP'
goの
儀礼 のや り方 で
,
た い- ん に異
な って い るの は,豚 の犠 牲 につ
いて で あ る。正 式 な 0ⅩeChuko
写真 2 平地カレン族の家
で は豚 の殺 し方 が面 倒 で ,犠 牲
を薄 暗 い室 内で お こな わな けれ ばな らな い ことは,す で に述 べ た とお りで あ る。 しか るに,
0ⅩeP'
goで はい ちば んオ ー ソ ドックスな場 合 にで も,豚 は戸 外 で殺 せ ばよい ので あ る。 犠 牲
に 当た って は,豚 を絞殺 す るか, Ll
か ら水 を流 し込 ん で溺死 させ るだ けで ,室 内に持 込 ん だ
り,匁 物 で豚 の生体 に傷 つ け るとい った よ うな手数 が か か らな い。
4) 0ⅩeP'
goの儀礼 において は, 豚 や親 が犠 牲 に供 され るほか に, 川 の魚 を用 い る ことが あ
る。山村 の Ht
iTopaには この例 はなか った けれ ど も,平 地 村 の Ht
iKaniで は 1例 が認 め ら
ePapai村 出身 の
れ た。 それ は Pと言 う老 人 の場合 で , かれ は チ ェ ンマ イ県 ホ ッ ド郡 の Ma
ポー ・カ レ ン族 で あ る. P老 人 によ ると,ポ - ・カ レ ン族 によ る ≠本 物 クの 0ⅩeP'
goの儀礼
goとあ ま り変 わ らな い と言 う.しか し,
は ス ゴ- ・カ レ ン族 の村 で お こな われて い る 0ⅩeP'
ポー ・カ レ ン族 の場 合 には,時 々儀 礼 に魚 を使用 す るのが特 徴 的 で あ ると述 べ たo魚 は 2匹
必要 で あ り14),1匹の大 き さは少 な くと も 指 幅 に して 2本 ぐらいな けれ ばな らない と され て
aと言 い, 北 タ イ語 で は papong
い る。 この魚 は うろ この あ る種類 で , カ レ ン語 では nyapl
と呼ぶ 。 0ⅩeP'
goの儀礼 には これ以外 の種類 の魚 は使用 しな い。
儀礼 に魚 を使 い, その カ レ- と御 飯 を精 霊 の Bghaに捧 げて も効 果 のな い場 合 には, さ ら
に豚 を犠 牲 に供 して, 別 な儀 礼 を お こな う。
最 後 に, 0Ⅹe儀 礼 の様 式 を子 供 が親 か ら受 け継 ぐ時 の方 法 に触 れ て み よ う。
一 般 的 に子 供 は母 親 の 0Ⅹe様 式 を とる場 合 が おお い。 けれ ど も, 両 親 の 0Ⅹe様 式 の うちで
容易 な方 を踏 襲 す るの を好 む傾 向が あ るの は いな めな い。 なお,男子 は結婚 後 ,妻 の儀礼様 式
1
ko儀 礼 の煩 わ
に従 うの だが , これ も決 定 的 な ことで はな い。 妻 が オ ー ソ ドックスな 0ⅩeCh1
しさに閉 口 して い る際 には,夫 の 0Ⅹe様 式 に従 うこと もあ りうる。
1
4) 魚を川に取 りに行 った時 に, 2匹以上つかまえた場合には,余分の魚は逃が さなければな らない。
31
4
-8
6-
飯 島 :カ レン族 の 家族 儀 礼
m 農 民 文化 への傾 斜
1. Chakas
i儀 礼 に よ る精 霊 Bghaか らの解 放
iの儀
これ まで 0Ⅹe儀 礼 に言 及 して きた ので , カ レ ン族 の農 民 化 を考 え る うえで , Chakas
礼 につ いて触 れ な けれ ばな らな いで あ ろ う。Chakas
iの儀 礼 は カ レ ン族 を精 霊 Bghaか ら解 放
し,0Ⅹe儀 礼 を放 棄 す るため の重 要 な手 段 で あ る。 キ リス ト教 化 す る ことに よ って も, カ レン
族 は 0Ⅹe儀 礼 か ら解 放 され, あ る種 の 農民 化 が進 む訳 で あ る。 しか し,これ で は仏 教 化す る道
が ほぼ完 全 に閉 ざ され , ク リス チ ャ ン ・カ レ ンとい う特 殊 な集 団 を形 成す る結 果 にな る0
)で,
本稿 で は この問題 を い ちお う割 愛 す る ことに しよ う。
Chakas
iは ビル マで発 生 した と言 われ る仏教 系宗 教儀礼 で ,泰 緬 国境 のサ ル イ ン川 西方 C
/
jビ
heと呼 び, カ レ ン族 は これ を CheCheと言 う。
ル マ領 で は ビル マ人 が Nac
iKani村 には同 じメサ リア ン郡
平 地 カ レ ン族 の Ht
Pus
al
a,
の北 部 にあ る MaeLa村 か ら,シ ャ ン旗 の行者 (
また は カ レ ン風 の な ま りで は Pus
as
a)が や って来 て ,
Chakas
iの儀 礼 を お こな う。 な お, この 付近 の Mae
Te 村 や Sol
t
i村 に も カ レ ン族 出身 の行者 が いて , こ
れ と同様 の儀 礼 を お こな うと言 う。
まえ に も触 れ た よ うに, Chakas
iの儀 礼 の 目的 は あ
る 特 定 の Dopuweh の成 L
iも し くは そ の 個 人 と 精霊
Bgha との関係 を断 ち,人 々を 0Ⅹe儀 礼 の煩 わ しさか
ら解 放す るた め の もので あ る。 そ の儀 礼 は だいた い次
の よ うにお こな わ れ る。
まず村 で栽 培 して い る と うが ら し, 棉 ,いん げん 豆,
大 豆 ,と う もろ こ し,き L
わう り,ご まな どの種 子を黒 蟻
げ にな るほ ど火 で あぶ り, 種 子の発 芽 力を止 めて しま
う。 それ に儀 礼用 に絞 殺 した郡 で カ レ-汁 を 作 り, 刺
写真 3 平地村のカレン娘
飯 や 陀魚と と もに村 はず れ の特 定 の枯 木 の所 に持 って 行 く。 そ こには い ろい ろな精 霊 が住 んで
い ると信 じ られ て い る。枯 木 の前 で は,行 者 が食 物 を 供 えて ≠も し, ここにあ る和 子 と この枯
木 か ら芽 が いで , 花 咲 か ぬ限 り, Bgha よ, ど うか この家 にふ た た び もど り賜 うな〃 と祈 り
を あ げ る。祈 りに 用
い
る言葉 は シ ャ ン語 で あ り,読 み あ げ るお経 は ビル マ語 で あ るが ,Chakas
i
儀礼 のた め にだ け書 かれ た経典 はな い よ うで あ る。Chakas
iの儀 礼 は ,
L
t
川行者 の両 手 首 に糸 を巻
く Ki
chu (も し くは Ki
s
u)を もって終 わ るけれ ど も,口
封二は両 手 の薫
別旨と人 差 し指 の付 根 に 1
カ所 ず つ小 さな入 れ 墨 をす る こと もあ る。
ー 87-
31
5
東南 ア ジア研究
第 5巻 第 2号
akasiの儀礼 を受 け ても, 2代 目 まで の者 は年 に 2回 ほ ど行 者 に来 て も らって ,Ki
chu に
Ch
よ る簡単 な儀 礼 を して も らわな けれ ば な らな い。 しか し, この際 に は 0Ⅹ
e儀 礼 とは 異 な り,
D op
uwe
h の全 員 が 家 に集合 す る 義務 は な い し, 豚 を犠 牲 にす るよ う な 出 費 もと もな わ な い
。
さ らに, 3代 目の人 間 か らは 完 全 に B
ghaか ら解放 され , この精 霊 に 関 して は いか な る儀 礼 も
す る必要 が な くな る。
な お, 両地 カ レ ン族 の 村 Hti
Topaで も,1
0年 ほ ど前 か ら,Ht
i
Ka i村 へ訪 問 して来 て ,Cha
kas
i
n
の儀 礼 をお こな うシャ ン族 の行者
と同一 人物 とお ぼ しき者 がや って
来 て ,Chakas
iの儀 礼 をお こな っ
て い る と言 う。 この儀 礼 によ り,
aか らほ解 放
何 人 か の村 人 は Bgh
され て,0Ⅹe儀 礼 を中止 した 。調
べ て み ると, その第 1号 は驚 くな
かれ , この村 の伝 統 的宗 教 指 導者
写真 4 シャン族の仏壇
カレン族のものには
仏像 がない
で あ る Sapga の称 号 を持 って い
る R老 人 で あ った. かれ は あ る 日筆者 に こっそ りと, ≠
0Ⅹeをや めて,ほん と うにほ っと した'
'
と告 白 した のが印象 的 で あ った 。15)
2. 農民化 の象 徴 と しての ≠
仏 壇 クの導入
カ レ ン族 の 間 で は,仏教 文 化 の影響 の強 い平 地 の村 で は もち ろん の こと, そ の影 響 を直 接 的
に受 けて い な い 山村 において も,程 度 の差 こそ あ るが ,す で に仏 壇 の原型 と思 われ る物 が存在
して い る。 これが カ レ ン族 の家 々に導入 され た の と,Chakas
iの影 響 が あ った の とほぼ機 を一
に して い るの は興 味深 い。 ≠
仏 壇 〃の導入 は カ レ ン族 の文化 と ≠大 きい伝 統 ''16) との接 触 を象 徴
す る事 実 と して注 目に価 いす る ことで あ る。
1
5
) 飯島 (
1
9
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5)p.1
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Cf
.
Ber
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9
61
,p.3
3
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)
31
6
-8
8-
飯 島 :カ レン族 の 家 族儀 礼
山 か ら降 りて来 た カ レ ン族 に よ って, 平 地 の村 Ht
iKaniが設立 され た の はす で に 3- 4世
代常 の ことで あ る。 その た め, まえ に も触 れ た よ うに, この村 の カ レ ン族 はす くな くと も数十
年 か ら百 年余 りの問 , 周 囲 の シャ ン系仏 教 文 化 の
iKani村
影響 を受 けて きた。 しか しなが ら, Ht
の カ レ ン族 に仏 教 の影 響 が か な りは っき りと現 わ
れ始 め た の は,一 説 には数 十 年 昔 と も言 い
,
一説
には 30年 ほ ど 前 (戦争 のす こ し前 ) と も言 う。 そ
の、
r
'
i
畔 , この村 に シ ャ ン系 と思 われ る隠者 が現 わ
れ た と伝 え られ て い る
。
村人 はかれ を カ レ ン族 の
精 霊 信仰 の なか で , もっと も 中 心 的 な精 霊 で あ る
Ht
iKs
aKaw Ks
aの 化身 17
)
で は な いか と思 って ,
た いへ ん丁 重 に迎 え た。
当 の隠者 は村 の家
々に や仏 壇 '
'の原 型 と思 われ
花 の家 の意 味 ,別 名 を Met
eko と言 い,
る Dapo(
これ は葉 の あ る所 と言 う意 味 ) を作 らせ ,毎 「
1御
班 , 花,水 な どを供 え る ことをすす め た。初 期 に
写真 5 寺院には熱心に通 うが,仏教徒
になりきれないカレン族たち
お いて は, 現 在 の 山地 カ レ ン族 の家 にあ る Dapoの よ うに礼拝 対 象 物 は ま った く存 在 しなか っ
iKani村 で は , 高僧 の写 真 や 仏 陀 の絵 画 が Dapoに張 られ て
た と言 われ る。 だが,今 日の Ht
KePl
a)や北 タ イ人 の仏壇 (
KenPaChao) に
い る。 とは言 って も,これ には シャ ン族 の仏 壇 (
見 られ るよ うな仏 像 が安 吊 され て い ない。 この事 実 は 0Ⅹe儀 礼 と関係 が あ るが , 詳 細 につ い
て は 「結語 」 の と ころで説 明 す る ことに しよ う。
一方 , 両 村 の
Ht
iTopa に Dapoが 導入 され た歴 史 は Ht
iKani村 に比 べ る と, か な り新 し
い事 で あ る。 まえ に も述 べ た よ うに Ht
iTopa の村 人 に よ る と, 1
0年 前 に シャ ン族 の行者 が
Chakas
iを広 め るた め に この 村 にや って来 た時 に,家 々に Dapoを 作 る ことをす す め た と言 う。
iKani村 の場 合 と同様 に, Dapoに対 して花 や水 や御飯 を毎 日捧 げ るよ う
そ して , 隠者 は Ht
に教 え た。 だが ,現在 まで の と ころ, Ht
iTopaの Dapoには仏 像 は お ろか, Ht
iKani村 で見
iTopa村 の 山地 カ レ ン族 は Dapo
られ るよ うな仏 陀 の絵 や高僧 の写貢 す ら飾 られ て い な い 。Ht
に供 え物 をす る こ とに よ り, 現 世 的 御 利益 を期 待 す るか, せ いぜ い カ レ ン族 に ≠固有 〃な精 霊
信仰 に結 びつ けて考 え る くらいで あ る 。18) いず れ にせ よ, この ≠仏 壇クに象 徴 され て い るよ う
に , l恒也カ レ ン族は平 地 カ レ ン族 と仏 教 とい う大 きい伝統 の影 響 を受 けた程 度, す なわ ち農艮
文 化 - の傾斜 の 度合 が違 うよ うに思 われ る。
1
7) 平地カ レン旗のこの発想 自体がたい-んに仏教的と言えよう。
1
8) 飯島 (1
965
)p.1
4
- 89-
31
7
東 南 ア ジア研究
第 5巻 第 2号
3. 農民化 の外 部 的促進条件
カ レ ン族 もほか の東南 ア ジア諸 国 にお け る山地民 系 の住民 と同様 に,近年外 部 か らい ろい ろ
な形 の衝 撃 を受 けて きた。 その ため, カ レ ン族 の農民 化 が促進 されて きた ことは言 うまで もな
い。 問題 を本稿 で扱 って い る家 族儀礼 の 0Ⅹeに限定 して も, カ レ ン族 に対 す る 外 界 か らの影
響 がつ よ くな るに従 って, 0Ⅹe儀礼 に多少 の変 化 が現 われ だ した。この傾 向は と りわ け平地 に
住 ん で い るカ レ ン族 の間で顕著 に見 出す こ とがで き る。 す なわ ち, もともとは夜 分 にお こなわ
れ る ことの多 か った 0Ⅹeが,最 近 で は早 朝 にお こなわれ るよ うにな った。 それ は外 部 の者 ,と
りわ け 官 憲 の 目を避 け るため だ と言 われ る。 昔 は豚 の よ うな 家 畜 を 自分 の家 で 屠殺 す る時 に
は,税 を役 所 に支 払 う必要 は ま った くなか ったの だそ うだ。 しか るに,近年 にな って屠殺 税 が
約4
50円)も郡役場 19)に支 払 わな けれ ば
設 け られて ,豚 を屠 殺 す る際 には 1頭 につ き25バ ー ツ (
958-63年) 以 降 は 中央政府 の国民形成 に対 す る努 力が
な らない。 その うえ ,サ リッ ト時代 (1
しだ い に実 を結 び始 め,以前 に増 して, 司法 や行 政機構 が メサ リア ン地 方 の よ うな末 端 に も,
す こ しずつ及ぶ よ うにな って きて い る。 か くして, メサ リア ンの町 の周辺 にあ る村 々で は,警
察 の 目が以前 よ りも多少 は住民 の 日常生 活 に も届 くよ うにな った と言 われて い る。従 って, カ
レ ン族 の側 か ら見 ると,前 よ りは官憲 の 目が煙 た く感 じられ るよ うにな った。 その ため に,豚
の屠殺 を伴 う 0Ⅹe儀 礼 が人 目につ かない早 朝 にお こなわれ る ことにな ったのは 当然 で あ る。
筆者 の調査 を した平地 カ レ ン族 の村 で は,これ まで に 0Ⅹe儀礼 のた め に豚 を密殺 す る ことに
よ って,警 察 に検 挙 され た り, 郡役場 に罰金 を支 払 わ され た りした例 は ない。 しか し, メサ リ
/
2- 1日行程 の所 にあ る MaeHanや MaeTop とい うカ レ ン族 の村 々で は,す
ア ンの町 か ら1
で に この件 で二 ,三 人 の逮捕者 が 出て い る と聞 いて い る。 そ こで, カ レ ン族 の 1人 に,0Ⅹeの
儀礼 をお こな う際 に, なぜ 警 察 の許可 を と らないのか と尋 ねて み た。 かれ の答 を要約 す る とだ
いた い次 の 2点 にな る。 その第 1はかれ らに とって25バ ー ツの罰金 は大金 で あ り, この金額 は
一 人前 の男子 の二 ,三 日分 の 日当 に当た るので,支払 うのがつ らい。第 2の理 由は,0Ⅹeの儀
礼 をや る と言 うことをあ ま り他 人 が知 って しま うと,精霊 Bghaの怒 りをか って,儀 礼 の効果
が減少 して しま うと信 じられて い るか らで あ る。
0Ⅹe儀礼 は カ レン族 が圧倒的多数 で あ る地域 とか,外 界 か ら孤立 した環境 の もとにおいて は
成 り立 つ し, かつ カ レ ン族 の文 化 や社 会 にお け る有 力 な凝 集力 の 中心 と して機 能 す る. しか し
iKani村 の よ うに,タイ系 の住民 の まった だ中にあ り,政府 の出先機 関
なが ら,谷 間 にあ る Ht
のか な り強 い影響 下 にあ る社 会 環境 にあ る場 合 には, この よ うな伝統 的儀礼 自体 がす で に不適
応 をお こ して い る。 そのため, なん らか の文 化 的調 整が 必要 にな って きて い るので あろ う。 こ
の よ うに して, カ レ ン族 を取巻 く客観情勢 が かれ らをす こ しずつ農民社会 の方 向へ と押 しや っ
て い る ことだけは た しかで あ る。
1
9
) 郡 とはタイ語の県 (
Cha
ngwat
)の次の行政単位で,Ampho
eと言 う。
3
1
8
-9
0-
飯 島 :カ レン族 の家 族儀 礼
結
語
最 後 に, これ まで述 べ て き た 事 をふ り返 りなが ら,カ レ ン族 の 農艮 化 と家 膜儀礼 0Xeの 闇 係
につ い て考 え て み る こ とに しよ う
。
0ⅩeChukoの儀 礼 集団 , 0ⅩeP'
goの 儀礼 某団 , さ らに Chakas
iに な った者 を比 較 して 気付
くこ とは, これ らの諸 集 団 の 問 に-・
連 の文 化的 堅標 の 移動 が 認 め られ る こ とで あ る
式 化 す る と,図 3の よ うにな る
G
≠「
油 な行.
/
:
3と選 択 の拡 大'
'
, 寸組 族組 織 の f
]
引本化 ク, や宗 教 的行 車の 減
問題 を 家 族儀 礼 の変 容 に限定 した。
これ を 棋
O
x
eC
h
u
k
o
この種 式 図 の 矢 印 の 方向 に 向 か って ,
少 と世俗 化〃が進 行 して い る。本 稿 で は カ レ ン族 の 農艮 化過 程 の 中で ,
。
0
×
eP
9
0
その た め に,「は じめ に」 C
/
)と こ
ろで述 べ た Redf
i
el
d教 授 によ る,1
0項 目にわ た る文 化変 容 の特徴 づ け
の一 部 に しか 触 れ る こ とがで きな か っ
た
。
しか しな が ら, このJ
家族 儀
この文 化 変 容 の 中で , 豚 の犠 牲 の 簡 易 化 な い し申 l
Uまもっ と も注 目
す べ き こ とで あ ろ う。 カ レ ン族 の説 明 に よ る と, 屋 内 に お け る豚 の犠
件とそ れ に伴う
血 20)
化す は易
又示さ容
ばを太的
向向 の対 〇
万万印和す
のの矢の示
印容 た容を
失変ま変さ
化 の 姿 を 見 るの で あ る。
図 3 家 族儀礼 変容 の
方向
ト
ヒ
ヽ
,′
.1
礼 の変 容 の流 れ の 中 に, ≠部 族'
yか ら や
豊艮^
'へ とい うカ レ ン族 oj農民
が カ レ ン朕 の家 々に 仏 像 を持込 む こ とや , す ぐれ て ≠本 物 '
Yの 仏 教 徒 に な
iに な る こ とが
る ことを妨 げて い る と言 う。 ≠本 物 '
'の 仏教 徒 に な るた め に は, や は り Chakas
前提 の よ うで あ る。
Ht
iKani村 の村 上
引 こよ る と,村 の北 方約 20キ ロメ- トル の所 に あ る MaeLanoi村一帯で ・
且
カ レ ン族 が シ ャ ン族 と 汗か L
ちなが く 混住 して い た の で, 前者 は 後者 の景三
轡 をつ よ く 受 けて,
Chakas
iにな った者 が す くな くない。 この た め , そ この カ レ ン文化 に お け る仏教 的 色 彩 は きれ
めて つ よ く, 珪 活様 式 の うえで は カ レ ン族 と シ ャ ン族 . また近 年 この地 力J
に移入 して きた北 タ
イ人 とは あ ま り明確 な相 違 が見 出せ な い と言 うo 筆 者 もそ の地 方,
をお とず れ たI
呪 二は, これ と
同様 な印象 を得 たの で あ る
。
いず れ にせ よ, カ レ ン族 の問 で は家 の精 霊 Bghaは 社 会的 凝 集 力 の核 と して の機 能 を持ナノ
.
0Ⅹe 儀 礼 は そ の強 力 な文 化 的支 柱 と して の 役 割 を果 た して い る
。
この 意 味 か ら言 って,
精ノ
】
.
Bgha,従 って また 0Ⅹe 儀 礼 は カ レ ン侯の農艮 化 に対 して , 決定 「
机l
L
書 要 困 とな って い る こ と
だ けは 間 違 い な い。
謝
辞
本 稿 は タイ国 西 北 部 の農村 調査 に基 づ い て 省か れ た もC
'
)で あ る。 調査 の実 施 に当 た って は京
20
) おそらく仏教における殺生戒の-一
種の par
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n と思われる。
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31
9
第 5巻 第 2号
東 南 ア ジア研 究
都 大 学 東 南 ア ジア研 究 セ ンタ - の岩 村 忍 所 長 , 本 間 武 教 授 ,石 井 米 雄 教 授 を は じめ とす る闇 係
の教 官 や 事務 官 の方 々に は い ろ い ろ とお世 話 に な った。 ま た ,
在 タ イ国 日本 大 使 館 は もと よ り,
タ イ国 政 府 機 関 の諸 氏 や村 の人 た ち には ひ とか た な らな い 協 力や 助 力 を賜 わ った 。 記 して深 謝
の意 を表 した い 。
参
考
文
献
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京大東南アジア研究セ ンター
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飯島茂 (
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)「タイ国北西部 におけるカ レン族の平地民化」『東南アジア研究』第 3巻第 5号,京都 :京
大東南 アジア研究セ ンター
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