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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL <論文>カレン族の農民化過程における家族儀礼 飯島, 茂 東南アジア研究 (1967), 5(2): 308-320 1967-09 http://hdl.handle.net/2433/55392 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University カレン族 の農民 化過程 にお け る家族 儀礼 島 飯 茂 Fami l yc ul t si nt hepeas ant i z at i on pr oc es soft heKar e ns by Shi ger uI I J I MA は じ め に タイ国北部地 方 に住 む カ レ ン族 1) の文化変 容 につ いては,すで に拙稿 2) で大づ かみな記述 と 分析 を お こな って きた。 そ こで ,本 稿 で は カ レン族 の文 化 を構成 して い る諸要 素 の一 つを取 出 して,文 化変 容 につ いてやや ミクロな扱 い方 をす る ことに しよ う。そ の手初 め と して ,家族 儀 礼 が カ レン族 の農民 化 とい う文化変容 の流 れ のなかで , どの よ うな位 置にあ り, また どんな役 割 を果 た して い るか とい うことにつ いて述 べ る こ とにす る。 Ⅰ 農 民 の 概 念 er t z 3) が整 農民社 会 の研究 は現在 い ろい ろな立場 か らお こなわれて い るけれ ども,それを Ge 理 した ところによ り分類 す ると, だいたい次 の よ うにな る。 1 ) Ro ber tRedf iel dの民 俗社会 ( f ol ks oc i et y)と都 市社 会 との対立 す る文 化様 式 の一 環 と して見 る立 場 。 2) Jul i anH.St e war dや Er i cR.Wol fな どを 中心 に展開 され て い る農業生産者対 地主 ,役 人 ,商人 ,労働者 と して と らえ る見 方 。 3) Kar lA.Wi t t f ogelが提 出 してい る支配 者対被支配者 と して考 え る見解 。 以上 の よ うに, これ まで お こなわれて きた農民社会 の研究 は 3系列 に分類 す る ことがで き る d丘el d理論 を念頭 に入 れて ,論 を進 め ることに しよ う。 が , ここで は第 1にあげた Re Red丘el d 教授 は メキ シ コ東南部 の ユ カタ ン半 島の調査研究 を通 して,二 ,三 の モ ノグ ラフと TheFo l kCu7 多数 の論 文 を発表 し,それ らを総 括 した形 で ,有名 な 「ユ カタ ンの民俗文 化 」( t ur eo fYuc at an) 4 ) を 出版 した。 これ らの研究 の過程 で, 同教授 は民俗社会一都市社会 の理論 1 ) 本稿で扱うのはおもに S gaw Kar e nである。以前の拙稿では,これを Skaw Ka r e n と書いてい る。 2 ) 飯島 ( 1 96 5 ),I i j i ma( 1 965 ),飯島 ( 1 966 ) e r t z(1962 )p p.ト41 3 ) Ge 4) 参考文献参照。 3 08 - 80- 購 烏 :カ レ ン族 の 家 族 儀 礼 を精微 化 して , 農民社 会 に対 す る認識 を深 め て い った。 この本 に よ る と,同 教授 は他 の学 者 とい っ しょに, ユ カタ ン半 鳥の メ リー ダ地 方 にあ る 部族 民 の村 ,農 民 の村 ,小 さな町 ,都 苗 を比 較社 会 学 的視野 か ら 調査 を お こな って , 「部 族 社 会一 一農 民社 会- 町→都 市 」 とい う文 化変 容 の図式 を 作 りあ げ た。 そ して , この文 化 変 容 を次 の よ うに特 徴 づ けた 。5) 1) 孤 立 性 の弱体 化 2) 異 質化 3) 複 雑 な分 業 4) 高 度 に発達 した貨 幣経済 化 ハイウエイ 5) 職 業 にお け る専 業者 の 出現 0 6) 親族 組織 の弱体 化 図1 5 0k m タイ同北西部と調査村の使臣と 7) 非 人 格 的 制 度 に よ る統 制- の依存 8) 宗 教 的行 事 の減少 とl 田谷化 9) 病 気 の 原 岡 を ≠た た り〝に求 め る ことの減少 10) 自 由な行 為 と選 択 の拡 大 ご く大 づ かみ に言 うと,農 民化 とは以上 の文化 変 容 の前 半 の部 分 を指 して い る と言 え る。 す な わ ち, 農 民 化 とい う文 字 が示 す よ うに, こ こで は カ レ ン族 とい う ≠部 族〃が 農民 にな って ゆ く過 程 で あ る。 そ こで ,農 民 とは どの よ うな もので あ り, また どの よ うな社 会 を形 成 して い る か , とい う ことにつ いて , Red丘el d 教 授 の定 義 6) を要 約 して, この節 の締 め くくりとす る こ と に しよ う。 ≠人 間 の社 会 とか性 格 を社 会 学 口 和 こ分析 した り, 歴 史 的観点 か ら理 解 す る と, 農民 は部 族 と 都 市 の住 民 の 中間 に位 置 して い る と言 え る。 農民 は あ る意 味 で 部族 と も都 市 の住 民 と も似 て い る点 が あ るけれ ど も, それ は対 照 的 な意 味 においてで あ る。 農民 は都 市 の住民 と相 違点 が あ る とい う限 りで は部族 に似 て い るけれ ど も,部族 と差異 が あ る とい う点 で は都 市 の住 民 に類 似 し ている 。 す な わ ち農民 は,一 方 それ に起源 を有 す る部 族 的生 活 か らと,他 方都 市 とか文 明 か ら つ の類型 で あ るけれ ど も, 同時 に都 市の存在 や違 饗 に よ って, ゆ るや か にな にか部 族 とは異 な 5) Re df i el d( 1 93 4),pp.5759, Redf i el d( 1 9 41 )pp.33 833 9 6 ) Redf iel d( 1 962 )p.286 - 81- 309 東南 ア ジア研 究 第 5巻 第 2号 った もの に形成 されて い る。〟 そ こで , カ レン族 の家族 儀礼 0Ⅹeの実態 に接近 す る ことによ って , ≠な にか部 族 とは異 な っ た もの' Yにな って ゆ くカ レン族 の文 化 に,農民 化 の研 究 の足掛 か りを求 め る ことに しよ う。 Ⅱ 家 族 儀 礼 の 実 態 カ レン族 の社 会 を考 え ると, その組織 は双 系的傾 向が強 く7' , 単 系社 会 の多 くに見 られ るよ うに,氏族 な どを発達 させ て いない。 また,一般 的 にはかれ らの形 成 して い る地縁 集団 もあ ま り強 固で はな い。 そのため に, い きお い家族 が カ レ ン族 の社会 組織 のなかで は相対 的 に重要 さ を増 して い る。 この よ うな カ レン族社会 の あ り方 は,宗 教 の あ り方 に も反 映 して い るのは当然 で あ る。 す な わ ち, い ろい ろな カ レン族 の宗 教 儀礼 のなかで も, 家族 を 中心 にお こなわれ る 0Ⅹe 儀礼 が い ちばん大 切で あ ると考 え られ て い る。 これ は家 の精霊 Bgha に捧 げ られ る儀礼 で,山地 に住 む カ レン族 は もとよ り,平 地 にい るカ レン族 の あいだに も普 遍的 に存在 して い る。 また,0Xeの儀礼 は本稿 で扱 って い るスゴー ・カ レ ン族 だ けで はな く, ポー ・カ レン族 の問 で もお こなわれ て い る と ころを見 ると, この儀礼 が いか に カ レ ン族 文化 の深 層 に根 差 して い る かを知 るので あ る 。8) スゴー ・カ レン式 の家族 儀礼 は 0Ⅹe Chuko と言 い, ポー ・カ レ ン式 の もの は 0Ⅹe P' goと 呼 ばれ るが ,両 儀礼 と もた い- ん に類 似 して い る。 と りわ け, この傾 向 は ビル マ よ りもタイ国 goの間 には微妙 な儀礼上 で顕 著 で あ る と言 われて い るO しか しなが ら,0ⅩeChuko と 0ⅩeP' の差異 が認 め られ, それが カ レン族 の農民 化 の過程 を考 え る うえで重要 な意 味 を持 って い るよ うに思 われ る。 そ こで , この二 つ の儀礼 の相 違点 を明確 にす るため に, 本節 で は 0ⅩeChuko と 0ⅩeP' goの儀礼 のや り方 につ いてやや立 入 って述 べ る ことに しよ う。 な お, 0Ⅹe儀礼 は地 域 によ って若干 の差異 が あ ると同時 に, ビル マの カ レ ン族 の問 には 3種類 の Bghaに対 す る儀 礼 が記録 されて い る。 9 ) しか しなが ら,本 稿 の 目的 は カ レン族民族誌 の作成 で はな いので,タ イ 国西 北部 の メサ リア ン地方 に住 んで い るカ レ ン族 の家族 儀礼 に限定 して記述 す る ことにす る。 1. 0ⅩeChukoの儀礼 につ いて 0ⅩeChukoは 0ⅩeP' goの儀礼 の場合 と同様 に, あ る家 の成員 の だれ かが病 気 にな った時 に お こな う儀礼 で あ る。 また,病 気 の よ うな災害 がその家 の者 に降 りかか らな くて も,年 に 1度 ぐらい は 0Ⅹe儀礼 を その ≠予 防クのため にお こな う。 これ は家 の精霊 Bghaを慰 め , 災害 や事 7) 筆者の調査のほかに T. St e r nや F. K.Le hmanなどの諸学者 もこのことを確認 している。 Le hman( 1 9 6 7 )p.1 1 5参照。 8) スゴー ・カレン族 とポー ・カレン族は異なった言語集団と分類 されているが,文化的には連続性が 存在 していると思われる。 これについては別の機会に論 じることにしよう。 9 ) Mar s hal l( 1 9 2 2 )pp.2 4 8 2 5 7 , To ngkham ( 1 9 6 4 )p・1 5 3 1 0 -8 2- 飯 島 :カ レ ン族 の 家 族 儀 礼 故 な どを未 然 に防 ご うとす るの が 目 的 で あ る。 0ⅩeChukoが お こな わ れ る場 合 に は , まず や一 家 〟の 全員 が呼 び 集 め られ る 。10) 儀礼 を す る こ とが 占 い ' で 決 定 され る と, 0Xeに 出席 す る成員 の 1人 が使 い に行 き, 出席 予 定 者 に ≠何月 11 の何 L Hこ0Ⅹeを す る〃と喜 げ る。 この よ うな通 知 を受 け る と,た とえ どの よ うな こ とが あ って も, 各人 は万 難 を 排 して ,儀礼 に 出 席しな けれ ば な らな いC と りわ け,OxeChukoの儀 礼 某 団 iにな る の場 合 は成 員 が死 亡す るか , キ リス ト教 に帰依す るか ,そ れ と もあ とで述 べ る Chakas 以外 に は, い か な る事情 が あ って も 0Ⅹeに 出席 しな けれ ば な らな い. も し,この 儀礼 某 杜l o j成 F t . 1で 1人 で も欠員 が で き る と,0ⅩeChukoの 儀 礼 は成立 しな い。 た とえ 儀礼 を お こな った と し て も, そ の効 果 が ま った くな い の み か, / 去: が あ る と さえ言 われ て い る。1 2 )従 って ,0ⅩeChuko を お こな って い る家 で は, 欠 席者 が い る と, 儀礼 を お こな わ な い。 この 0Xeの 儀礼 集 団 は mat ri l i neageを基 礎 に形 成 され た社 会 集 団 で , Dopuweh とか Taduxo と呼 ばれ て い る。 この 社会 集 団 は時 に は単 婚 家 族,また あ る時 に は拡 張 家 族 と一 致 す る こ と もあ るが,基 本 的 に は家 族 を形 成 す る 原理 と多少 累 な った 原理 を持 つ 尉 系 的 社 会 集 団 で あ る。 で は図 2に従 って , Dopuweh につ い て 簡単 な 説 明 を しよ う。 Dopuweh の 中心 にな る人 物 は そ の集 団 の最 年 長 の女 性 で ,通 常 は祖 母で あ り, こ の 図 で い うと M lに 当 た る。 M lの両 親 が死 亡 し た後 に は , Mlの夫 で あ る X も この 儀礼 集団 に入 る。 この Ⅹと Mlの 間 にで きた子 供 で あ る M2 と m2は両 親 も し くは 母親 の属 して い る 儀礼 集 団 の 成 員 で あ るけれ ど も, 息子 m2の結 婚 後 に妻 の 両 親 が死 ん で しま う と, 自動 的 に妻 が属 して い る他 図 2 0Ⅹeの儀礼集団 注 :カ レ ン語 Do puweh もしくは Taduxo の Dopuweh に移 って しま うO また,m2の子 供 は m2自 身 の住 属 が いず こに あ って も, m2の 1 0 ) 実際は家族 とは多少編成の原理を異にす る社会集団であるo Lか し, ここでは便宜的に ≠ 一家〟 と 述べておこう。詳細はあとで説明す ることにする。 1( 1 9 2 2 )pp.2 7 9 2 8 5参照。 l l ) この場合 は鶏の両羽根を使 ったもの。詳細は Mar s ha1 1 2 ) Ce r t ai nc us t o msand t abusi nci de nt alt ot he`B̀gha"f e as t ss houl dbenot e d.Unl e s sal l t heme mbe r soft hef ami l y ar epr es e ntats uc h ac e r emo ny,exc e ptt hos eexc l ude df r om f er i ngsar et houghtt obeo bj e ct i o nabl et ot he"Bgha・ "I fape r s o nabs e nt s t hef e as t ,t heof hi ms e l ff r om af e as tt hati sbe i ng he l dt opr omot et her e c ove r yofas i ckr e l at i ve,hei s s us pe ct e dofde s i r i ng t hec o nt i nue di l l nes sort hede at h oft hes i c k one.Orhi sabs e nce may be i nt er pr et e d as an ef f or tt obr i ng c al ami t yupo ns omemembe roft he f ami l y. Such char gesar emadeagal nS tt heme mberofa f ami l y who be c omesaChr i s t i an and r e mai nsawayf r o mt hec e r e mony.Theot he r sal l e get hathenol o nge rr et ai nshi saf f e ct i o n f or hi s ki ndr e dandi swi l l i ng t obr i ngi l l nes sand di s as t e r upon t he m by hi sabs e nc e, whi c h ange r st he"Bgha. "Mar s hal l( 1 9 2 2 )p.2 5 7 - 83- 311 東 南 ア ジア研 究 この Dopuweh に属 して い るが , m 3 は m 2 の場 合 第 5巻 第 2号 と同様 に,条件 が整 え ばかれ の妻 の Dopuweh の成 員 にな って しま う。 M3 や さ らに M。の配 偶者 は それ ぞれ M3 や M4 の両 親 が死 亡 した時 に は, この Dopuweh に吸収 され て ゆ く。 0ⅩeChuko儀礼 の司祭 役 に 当た る者 は後述 の 0ⅩeP' go儀礼 の場合 とは異 な り,母 系 の原 理 -M2-→M3- - と継 承 され て ゆ く。 が完 全 に貫 ぬ か れ て, Ml 0Ⅹe Chuko の儀礼 が始 ま るの に当 た り, 儀礼 の 司祭 役 で あ る女 性 は 出席者 が室 内に入 る こ とを命 ず る。一 同 が室 内 に集合 す る と, 司祭 者 は儀礼 に使 用 す るなべ を洗 い始 め る。 そ うす る と, 参加者 は静 粛 で あ る ことが望 まれ る。 も し儀礼 をや って い る間 に話 を しな けれ ばな らな い 場 合 には, カ レ ン語 を使 用 す る ことが要求 され, この地 方 の リンガ ・フ ラ ンカで あ る北 タ イ語 の使 用 は禁 止 され る。 その後 , 司祭 役 の女 は室 内で米 を といで ,囲炉裏 の上 にか けて た き始 め る。 これ が終 わ る と,一 同 は い ちお う室 内か ら外 に出 る ことは許 され るけれ ど も, それ はテ ラ ス まで で ,高 床 の は しごを お りて ,家 か ら出 る ことはで きな い。 なべ の 中の米 が煮 え あが り,重 湯 状 の汁 を た き こぼす以前 に全 員 はふ た た び入 室 しな けれ ば な らな い。 こ こで家 の精 霊 Bghaに捧 げ る鶏 や豚 が犠牲 に供 され る0 Ht iKaniの よ うな平 地 の村 で は, 0ⅩeChukoを お こな う家 で も,最 近 は鶏 だ けを使 って お こな う簡易 な儀礼 が多 くな った と言 われ る。しか しな が ら,伝 統 的 に は二 鶏 と同時 に豚 を犠牲 にす るのが理 想 と され て い る。 最 もオ ー ソ ドックスな 0ⅩeChukoの儀礼 にお いて は,豚 の犠牲 は部 屋 の 中で お こな われ る。 まず , 出席者 の r i lの男 が豚 の足 や 口を ひ もで結 わ えて室 内 に持 込 む。豚 を部 屋 の床 の上 に置 く と, 出席者 全 員 が匁 物 で豚 の体 に浅 い傷 をつ け る。 す る と,通 常豚 は大 あばれ を す るので , い そ いで豚 の鼻 を押 え るか,ぬれ た布 で鼻 をふ さ ぐか して 窒 息 させ る。 か くして犠 牲 が終 わ る と, 豚 の体 を火 にか ざ して ,体毛 を焼 く。 そ の後 ,豚 の体 は解 体 され て , 肉や 内臓 で カ レー料 理 1 3 ) が作 られ る。料 理 が作 られ て い る間 は,参加 者 一 同室外 の高 床 の所 まで は 出 る ことが許 され て い る。 豚 や鶏 な どの カ レー と 御 飯 がで きあ が る と, 参加 者一 同 はふ たた び 部 屋 の 中 に 呼入 れ られ る。 そ うす る と, 男性 の年 長者 は御 飯 と カ レーをバ ナ ナの葉 の皿 に盛 って床 の上 に置 き,精 霊 かて の Bghaに対 して一 家 の加 護 を祈 る。かれ は ≠Bghaよ !わ れ はすで に十 分 な糧 を み もとに捧 げ した め に, 手 もとに食 物 な し。 それ ゆえ, ふ た た びわが家 に も ど り賜 わぬ ことを願 うク と と な え なが ら,竹 張 りの床 のす き間 か らバ ナナ皿 の上 に盛 った食 物 を地面 に落 とす 。 以上 の ことが終 わ ると, 儀礼 の一 環 と して Dopuweh の成 員 と精霊 Bgha の共 餐 が お こな われ ,男 の年 長者 ,女 の年 長者 -- ・ 長 男 ,長女 ,次 男 ,次 女 - - とい った男 か ら女 ,年 長者 か 1 3 ) H. Ⅰ .Mar s hal lによると,元来 は犠牲に供 された鶏や豚を塩 と トウガラシだけで味付けをするや り 方 もあったと言われる. しか し,今 日のメサ リアン地方では,それに香料を入れて,普通のカ レーを 作る。 これ も宗教儀礼の俗化の現われではなかろうか。 3 1 2 -8 4- 飯 島 :カ レン族 の家族儀 礼 ら若年者 の順 序 で御 飯 と カ レーを食べ る。 しか し, この食事 は儀礼 的 な もの な ので , あ ま り食 べ 過 ぎ るの は儀礼 上 よ くな い と言 う。 この 際 に食 器 の食 物 が残 って い る問 は, 出席者 は だれ も 室外 に出 る ことはで きない。 か くして ,共 餐 が終 わ ると,長子 か らじ ゅん じ uん に屋外 に出 る ことが 許 され る。 以上 0ⅩeChukoにつ いて述 べ て きたが , 豚 を室 内で犠牲 にす る 0ⅩeChukoは家 族 儀礼 の 中 で い ちばん オ ー ソ ドックスな もので , ChukoOxa と言 われ る 。 それ に対 して , 鶏 だ けを使 った簡易 化 され た 0ⅩeChukoが あ り, ChukoGoma と呼 ばれ る。一 方 , 0XeP' goの 場 合 に も goOxa と略式 の P' goGomaの 2種類 の儀礼 が あ る。 この よ うな ○Ⅹe儀 オ ー ソ ドックスな P' ] 礼 にお け る様 式 の差 異 に関す る研 究 は,民 族学 的 にはた い- ん に興 味 が あ り, 重 要 な問題 で あ る と思 わ れ る。 しか し,ここで はむ しろ農民 化の研 究 とい う社 会 科 学 的 関心 の 方がつ よいので , 主 題 を オ - ソ ドックスな 0ⅩeChuko と 0ⅩeP' goを比 較 し, 分 析 す る ことに限定 しよ うと思 う。 2. 0ⅩeP' goの儀 礼 につ いて go もその 目的 や実 施 方 法 に大 差 はな い。 しか し, カ レ ン 家 族 儀 礼 は 0Ⅹe Chuko も 0ⅩeP' 族 の農民化 を考 え る うえで ,次 の よ うな重 要 な点 につ いて両 者 の問 に微妙 な差異 を見 出す こと が で き る。 1 ) す で に前節 で 触 れ た よ うに, 0ⅩeChukoの儀礼 集 団 において は,母 系 の系譜 の 中 で牲存 し て い る最 年 長 の女性 が儀 礼 の 司祭 役 にな り,男性 は その役 をす る ことがで きな い。す な わ ち, これ に該 当す る女 性 が その家 にい な い場 合 に は,0ⅩeChukoの儀礼 は成 立 しない ので ,他 の 方法 に よ る儀礼 を考 え な けれ ば な らな い。 と ころが , それ に対 して 0ⅩeP' goの儀礼 をす る場 合 には, 女 性 が 司祭 役 に当た る ことが 望 ま しい と 言 わ れて い るけれ ど も, ■ 封 青に よ って は 男性 で もこの役 目を 果 たす ことがで き る。 た とえ ば, あ る家 で おば あ さんがす で に死 亡 して い る時 には, お じい さん が 司祭 の役 に 当た る ことがで き る。 2) 次 に儀 礼 の参 加者 につ いて で あ るが,こ こで 言 うまで もな く, ○Ⅹe Chuko の場 合 には Dopuweh全員 の 出席が 不可 欠 で あ る。 しか しなが ら,0ⅩeP' goの儀 礼 で は , Dopuweh の成員 が チ ュ ンマ イの よ うな遠方 の町 に行 っ て , , i 廿且が わ か らな い時 にで も, 儀礼 を 欠員 の ま まお こな う。 そ 写真 1 両地 カ レン族 と象 の親子 - 85- 31 3 東 南 ア ジア研究 第 5巻 第 2号 して,0Ⅹeの ため に作 った儀礼 用 の御飯 と カ レーを乾 燥 ・保存 して おいて,欠席 した成 員 が家 に も どった 際 に,それ を与 えて, 儀礼 を完 了す る。 3) 0ⅩeChuko と 0ⅩeP' goの 儀礼 のや り方 で , た い- ん に異 な って い るの は,豚 の犠 牲 につ いて で あ る。正 式 な 0ⅩeChuko 写真 2 平地カレン族の家 で は豚 の殺 し方 が面 倒 で ,犠 牲 を薄 暗 い室 内で お こな わな けれ ばな らな い ことは,す で に述 べ た とお りで あ る。 しか るに, 0ⅩeP' goで はい ちば んオ ー ソ ドックスな場 合 にで も,豚 は戸 外 で殺 せ ばよい ので あ る。 犠 牲 に 当た って は,豚 を絞殺 す るか, Ll か ら水 を流 し込 ん で溺死 させ るだ けで ,室 内に持 込 ん だ り,匁 物 で豚 の生体 に傷 つ け るとい った よ うな手数 が か か らな い。 4) 0ⅩeP' goの儀礼 において は, 豚 や親 が犠 牲 に供 され るほか に, 川 の魚 を用 い る ことが あ る。山村 の Ht iTopaには この例 はなか った けれ ど も,平 地 村 の Ht iKaniで は 1例 が認 め ら ePapai村 出身 の れ た。 それ は Pと言 う老 人 の場合 で , かれ は チ ェ ンマ イ県 ホ ッ ド郡 の Ma ポー ・カ レ ン族 で あ る. P老 人 によ ると,ポ - ・カ レ ン族 によ る ≠本 物 クの 0ⅩeP' goの儀礼 goとあ ま り変 わ らな い と言 う.しか し, は ス ゴ- ・カ レ ン族 の村 で お こな われて い る 0ⅩeP' ポー ・カ レ ン族 の場 合 には,時 々儀 礼 に魚 を使用 す るのが特 徴 的 で あ ると述 べ たo魚 は 2匹 必要 で あ り14),1匹の大 き さは少 な くと も 指 幅 に して 2本 ぐらいな けれ ばな らない と され て aと言 い, 北 タ イ語 で は papong い る。 この魚 は うろ この あ る種類 で , カ レ ン語 では nyapl と呼ぶ 。 0ⅩeP' goの儀礼 には これ以外 の種類 の魚 は使用 しな い。 儀礼 に魚 を使 い, その カ レ- と御 飯 を精 霊 の Bghaに捧 げて も効 果 のな い場 合 には, さ ら に豚 を犠 牲 に供 して, 別 な儀 礼 を お こな う。 最 後 に, 0Ⅹe儀 礼 の様 式 を子 供 が親 か ら受 け継 ぐ時 の方 法 に触 れ て み よ う。 一 般 的 に子 供 は母 親 の 0Ⅹe様 式 を とる場 合 が おお い。 けれ ど も, 両 親 の 0Ⅹe様 式 の うちで 容易 な方 を踏 襲 す るの を好 む傾 向が あ るの は いな めな い。 なお,男子 は結婚 後 ,妻 の儀礼様 式 1 ko儀 礼 の煩 わ に従 うの だが , これ も決 定 的 な ことで はな い。 妻 が オ ー ソ ドックスな 0ⅩeCh1 しさに閉 口 して い る際 には,夫 の 0Ⅹe様 式 に従 うこと もあ りうる。 1 4) 魚を川に取 りに行 った時 に, 2匹以上つかまえた場合には,余分の魚は逃が さなければな らない。 31 4 -8 6- 飯 島 :カ レン族 の 家族 儀 礼 m 農 民 文化 への傾 斜 1. Chakas i儀 礼 に よ る精 霊 Bghaか らの解 放 iの儀 これ まで 0Ⅹe儀 礼 に言 及 して きた ので , カ レ ン族 の農 民 化 を考 え る うえで , Chakas 礼 につ いて触 れ な けれ ばな らな いで あ ろ う。Chakas iの儀 礼 は カ レ ン族 を精 霊 Bghaか ら解 放 し,0Ⅹe儀 礼 を放 棄 す るため の重 要 な手 段 で あ る。 キ リス ト教 化 す る ことに よ って も, カ レン 族 は 0Ⅹe儀 礼 か ら解 放 され, あ る種 の 農民 化 が進 む訳 で あ る。 しか し,これ で は仏 教 化す る道 が ほぼ完 全 に閉 ざ され , ク リス チ ャ ン ・カ レ ンとい う特 殊 な集 団 を形 成す る結 果 にな る0 )で, 本稿 で は この問題 を い ちお う割 愛 す る ことに しよ う。 Chakas iは ビル マで発 生 した と言 われ る仏教 系宗 教儀礼 で ,泰 緬 国境 のサ ル イ ン川 西方 C / jビ heと呼 び, カ レ ン族 は これ を CheCheと言 う。 ル マ領 で は ビル マ人 が Nac iKani村 には同 じメサ リア ン郡 平 地 カ レ ン族 の Ht Pus al a, の北 部 にあ る MaeLa村 か ら,シ ャ ン旗 の行者 ( また は カ レ ン風 の な ま りで は Pus as a)が や って来 て , Chakas iの儀 礼 を お こな う。 な お, この 付近 の Mae Te 村 や Sol t i村 に も カ レ ン族 出身 の行者 が いて , こ れ と同様 の儀 礼 を お こな うと言 う。 まえ に も触 れ た よ うに, Chakas iの儀 礼 の 目的 は あ る 特 定 の Dopuweh の成 L iも し くは そ の 個 人 と 精霊 Bgha との関係 を断 ち,人 々を 0Ⅹe儀 礼 の煩 わ しさか ら解 放す るた め の もので あ る。 そ の儀 礼 は だいた い次 の よ うにお こな わ れ る。 まず村 で栽 培 して い る と うが ら し, 棉 ,いん げん 豆, 大 豆 ,と う もろ こ し,き L わう り,ご まな どの種 子を黒 蟻 げ にな るほ ど火 で あぶ り, 種 子の発 芽 力を止 めて しま う。 それ に儀 礼用 に絞 殺 した郡 で カ レ-汁 を 作 り, 刺 写真 3 平地村のカレン娘 飯 や 陀魚と と もに村 はず れ の特 定 の枯 木 の所 に持 って 行 く。 そ こには い ろい ろな精 霊 が住 んで い ると信 じ られ て い る。枯 木 の前 で は,行 者 が食 物 を 供 えて ≠も し, ここにあ る和 子 と この枯 木 か ら芽 が いで , 花 咲 か ぬ限 り, Bgha よ, ど うか この家 にふ た た び もど り賜 うな〃 と祈 り を あ げ る。祈 りに 用 い る言葉 は シ ャ ン語 で あ り,読 み あ げ るお経 は ビル マ語 で あ るが ,Chakas i 儀礼 のた め にだ け書 かれ た経典 はな い よ うで あ る。Chakas iの儀 礼 は , L t 川行者 の両 手 首 に糸 を巻 く Ki chu (も し くは Ki s u)を もって終 わ るけれ ど も,口 封二は両 手 の薫 別旨と人 差 し指 の付 根 に 1 カ所 ず つ小 さな入 れ 墨 をす る こと もあ る。 ー 87- 31 5 東南 ア ジア研究 第 5巻 第 2号 akasiの儀礼 を受 け ても, 2代 目 まで の者 は年 に 2回 ほ ど行 者 に来 て も らって ,Ki chu に Ch よ る簡単 な儀 礼 を して も らわな けれ ば な らな い。 しか し, この際 に は 0Ⅹ e儀 礼 とは 異 な り, D op uwe h の全 員 が 家 に集合 す る 義務 は な い し, 豚 を犠 牲 にす るよ う な 出 費 もと もな わ な い 。 さ らに, 3代 目の人 間 か らは 完 全 に B ghaか ら解放 され , この精 霊 に 関 して は いか な る儀 礼 も す る必要 が な くな る。 な お, 両地 カ レ ン族 の 村 Hti Topaで も,1 0年 ほ ど前 か ら,Ht i Ka i村 へ訪 問 して来 て ,Cha kas i n の儀 礼 をお こな うシャ ン族 の行者 と同一 人物 とお ぼ しき者 がや って 来 て ,Chakas iの儀 礼 をお こな っ て い る と言 う。 この儀 礼 によ り, aか らほ解 放 何 人 か の村 人 は Bgh され て,0Ⅹe儀 礼 を中止 した 。調 べ て み ると, その第 1号 は驚 くな かれ , この村 の伝 統 的宗 教 指 導者 写真 4 シャン族の仏壇 カレン族のものには 仏像 がない で あ る Sapga の称 号 を持 って い る R老 人 で あ った. かれ は あ る 日筆者 に こっそ りと, ≠ 0Ⅹeをや めて,ほん と うにほ っと した' ' と告 白 した のが印象 的 で あ った 。15) 2. 農民化 の象 徴 と しての ≠ 仏 壇 クの導入 カ レ ン族 の 間 で は,仏教 文 化 の影響 の強 い平 地 の村 で は もち ろん の こと, そ の影 響 を直 接 的 に受 けて い な い 山村 において も,程 度 の差 こそ あ るが ,す で に仏 壇 の原型 と思 われ る物 が存在 して い る。 これが カ レ ン族 の家 々に導入 され た の と,Chakas iの影 響 が あ った の とほぼ機 を一 に して い るの は興 味深 い。 ≠ 仏 壇 〃の導入 は カ レ ン族 の文化 と ≠大 きい伝 統 ''16) との接 触 を象 徴 す る事 実 と して注 目に価 いす る ことで あ る。 1 5 ) 飯島 ( 1 9 6 5)p.1 3 1 6 ) Thegr eatt r adi t i o ni sc ul t i vat e di ns cho ol sort e mpl es;t hel i t t l et r adi t i o n wor ksi t s el f out and ke e psi t s el fgol ngi nt hel i ve soft heunl e t t e r e di nt he i rvi l l age c ommuni t i e s. Thet r adi t i onoft hephi l o s ophe r ,t he ol o gl an,andl i t e r ar ymani sat r adi t i o nc o ns ci ous l y c ul t i vat e dandhande ddown;t hato ft hel i t t l et r adi t i o ni sf ort hemos tpar tt ake nf or gr ant e dandnots ubmi t t e dt omuch s cr ut i nyo rc o ns i der e dr e 丘ne me ntandi mpr ove me nt ・ ( Ro be r tRe df ie l d,"Pe as antSoc i et yandCul t ur e, "TheLi t t l eCo mmuni t y,Pe as antSo c i e t y ,Chi cago,1 9 5 6 ,pp.41 42 )Someoft hel i t t l et r adi t i onswo ul dappe art o be andCul t ur e as wi des pr e ad as t he gr eatt r adi t i ons ,andar edoubt l es sknown andpr ac t i c e d by f ar t t l e"and " l ocal "t r adi t i ons mor epe o pl et han many as pe ct soft hel i t e r at et r adi t i o n・"Li mus tnotbec onf us e d,f or "l i t t l e" t r adi t i onsar eof t e n nat i o nwi dei n di s t r i but i o n.( Cf . Ber r e man 1 9 61 ,p.3 3 9 ) 31 6 -8 8- 飯 島 :カ レン族 の 家 族儀 礼 山 か ら降 りて来 た カ レ ン族 に よ って, 平 地 の村 Ht iKaniが設立 され た の はす で に 3- 4世 代常 の ことで あ る。 その た め, まえ に も触 れ た よ うに, この村 の カ レ ン族 はす くな くと も数十 年 か ら百 年余 りの問 , 周 囲 の シャ ン系仏 教 文 化 の iKani村 影響 を受 けて きた。 しか しなが ら, Ht の カ レ ン族 に仏 教 の影 響 が か な りは っき りと現 わ れ始 め た の は,一 説 には数 十 年 昔 と も言 い , 一説 には 30年 ほ ど 前 (戦争 のす こ し前 ) と も言 う。 そ の、 r ' i 畔 , この村 に シ ャ ン系 と思 われ る隠者 が現 わ れ た と伝 え られ て い る 。 村人 はかれ を カ レ ン族 の 精 霊 信仰 の なか で , もっと も 中 心 的 な精 霊 で あ る Ht iKs aKaw Ks aの 化身 17 ) で は な いか と思 って , た いへ ん丁 重 に迎 え た。 当 の隠者 は村 の家 々に や仏 壇 ' 'の原 型 と思 われ 花 の家 の意 味 ,別 名 を Met eko と言 い, る Dapo( これ は葉 の あ る所 と言 う意 味 ) を作 らせ ,毎 「 1御 班 , 花,水 な どを供 え る ことをすす め た。初 期 に 写真 5 寺院には熱心に通 うが,仏教徒 になりきれないカレン族たち お いて は, 現 在 の 山地 カ レ ン族 の家 にあ る Dapoの よ うに礼拝 対 象 物 は ま った く存 在 しなか っ iKani村 で は , 高僧 の写 真 や 仏 陀 の絵 画 が Dapoに張 られ て た と言 われ る。 だが,今 日の Ht KePl a)や北 タ イ人 の仏壇 ( KenPaChao) に い る。 とは言 って も,これ には シャ ン族 の仏 壇 ( 見 られ るよ うな仏 像 が安 吊 され て い ない。 この事 実 は 0Ⅹe儀 礼 と関係 が あ るが , 詳 細 につ い て は 「結語 」 の と ころで説 明 す る ことに しよ う。 一方 , 両 村 の Ht iTopa に Dapoが 導入 され た歴 史 は Ht iKani村 に比 べ る と, か な り新 し い事 で あ る。 まえ に も述 べ た よ うに Ht iTopa の村 人 に よ る と, 1 0年 前 に シャ ン族 の行者 が Chakas iを広 め るた め に この 村 にや って来 た時 に,家 々に Dapoを 作 る ことをす す め た と言 う。 iKani村 の場 合 と同様 に, Dapoに対 して花 や水 や御飯 を毎 日捧 げ るよ う そ して , 隠者 は Ht に教 え た。 だが ,現在 まで の と ころ, Ht iTopaの Dapoには仏 像 は お ろか, Ht iKani村 で見 iTopa村 の 山地 カ レ ン族 は Dapo られ るよ うな仏 陀 の絵 や高僧 の写貢 す ら飾 られ て い な い 。Ht に供 え物 をす る こ とに よ り, 現 世 的 御 利益 を期 待 す るか, せ いぜ い カ レ ン族 に ≠固有 〃な精 霊 信仰 に結 びつ けて考 え る くらいで あ る 。18) いず れ にせ よ, この ≠仏 壇クに象 徴 され て い るよ う に , l恒也カ レ ン族は平 地 カ レ ン族 と仏 教 とい う大 きい伝統 の影 響 を受 けた程 度, す なわ ち農艮 文 化 - の傾斜 の 度合 が違 うよ うに思 われ る。 1 7) 平地カ レン旗のこの発想 自体がたい-んに仏教的と言えよう。 1 8) 飯島 (1 965 )p.1 4 - 89- 31 7 東 南 ア ジア研究 第 5巻 第 2号 3. 農民化 の外 部 的促進条件 カ レ ン族 もほか の東南 ア ジア諸 国 にお け る山地民 系 の住民 と同様 に,近年外 部 か らい ろい ろ な形 の衝 撃 を受 けて きた。 その ため, カ レ ン族 の農民 化 が促進 されて きた ことは言 うまで もな い。 問題 を本稿 で扱 って い る家 族儀礼 の 0Ⅹeに限定 して も, カ レ ン族 に対 す る 外 界 か らの影 響 がつ よ くな るに従 って, 0Ⅹe儀礼 に多少 の変 化 が現 われ だ した。この傾 向は と りわ け平地 に 住 ん で い るカ レ ン族 の間で顕著 に見 出す こ とがで き る。 す なわ ち, もともとは夜 分 にお こなわ れ る ことの多 か った 0Ⅹeが,最 近 で は早 朝 にお こなわれ るよ うにな った。 それ は外 部 の者 ,と りわ け 官 憲 の 目を避 け るため だ と言 われ る。 昔 は豚 の よ うな 家 畜 を 自分 の家 で 屠殺 す る時 に は,税 を役 所 に支 払 う必要 は ま った くなか ったの だそ うだ。 しか るに,近年 にな って屠殺 税 が 約4 50円)も郡役場 19)に支 払 わな けれ ば 設 け られて ,豚 を屠 殺 す る際 には 1頭 につ き25バ ー ツ ( 958-63年) 以 降 は 中央政府 の国民形成 に対 す る努 力が な らない。 その うえ ,サ リッ ト時代 (1 しだ い に実 を結 び始 め,以前 に増 して, 司法 や行 政機構 が メサ リア ン地 方 の よ うな末 端 に も, す こ しずつ及ぶ よ うにな って きて い る。 か くして, メサ リア ンの町 の周辺 にあ る村 々で は,警 察 の 目が以前 よ りも多少 は住民 の 日常生 活 に も届 くよ うにな った と言 われて い る。従 って, カ レ ン族 の側 か ら見 ると,前 よ りは官憲 の 目が煙 た く感 じられ るよ うにな った。 その ため に,豚 の屠殺 を伴 う 0Ⅹe儀 礼 が人 目につ かない早 朝 にお こなわれ る ことにな ったのは 当然 で あ る。 筆者 の調査 を した平地 カ レ ン族 の村 で は,これ まで に 0Ⅹe儀礼 のた め に豚 を密殺 す る ことに よ って,警 察 に検 挙 され た り, 郡役場 に罰金 を支 払 わ され た りした例 は ない。 しか し, メサ リ / 2- 1日行程 の所 にあ る MaeHanや MaeTop とい うカ レ ン族 の村 々で は,す ア ンの町 か ら1 で に この件 で二 ,三 人 の逮捕者 が 出て い る と聞 いて い る。 そ こで, カ レ ン族 の 1人 に,0Ⅹeの 儀礼 をお こな う際 に, なぜ 警 察 の許可 を と らないのか と尋 ねて み た。 かれ の答 を要約 す る とだ いた い次 の 2点 にな る。 その第 1はかれ らに とって25バ ー ツの罰金 は大金 で あ り, この金額 は 一 人前 の男子 の二 ,三 日分 の 日当 に当た るので,支払 うのがつ らい。第 2の理 由は,0Ⅹeの儀 礼 をや る と言 うことをあ ま り他 人 が知 って しま うと,精霊 Bghaの怒 りをか って,儀 礼 の効果 が減少 して しま うと信 じられて い るか らで あ る。 0Ⅹe儀礼 は カ レン族 が圧倒的多数 で あ る地域 とか,外 界 か ら孤立 した環境 の もとにおいて は 成 り立 つ し, かつ カ レ ン族 の文 化 や社 会 にお け る有 力 な凝 集力 の 中心 と して機 能 す る. しか し iKani村 の よ うに,タイ系 の住民 の まった だ中にあ り,政府 の出先機 関 なが ら,谷 間 にあ る Ht のか な り強 い影響 下 にあ る社 会 環境 にあ る場 合 には, この よ うな伝統 的儀礼 自体 がす で に不適 応 をお こ して い る。 そのため, なん らか の文 化 的調 整が 必要 にな って きて い るので あろ う。 こ の よ うに して, カ レ ン族 を取巻 く客観情勢 が かれ らをす こ しずつ農民社会 の方 向へ と押 しや っ て い る ことだけは た しかで あ る。 1 9 ) 郡 とはタイ語の県 ( Cha ngwat )の次の行政単位で,Ampho eと言 う。 3 1 8 -9 0- 飯 島 :カ レン族 の家 族儀 礼 結 語 最 後 に, これ まで述 べ て き た 事 をふ り返 りなが ら,カ レ ン族 の 農艮 化 と家 膜儀礼 0Xeの 闇 係 につ い て考 え て み る こ とに しよ う 。 0ⅩeChukoの儀 礼 集団 , 0ⅩeP' goの 儀礼 某団 , さ らに Chakas iに な った者 を比 較 して 気付 くこ とは, これ らの諸 集 団 の 問 に-・ 連 の文 化的 堅標 の 移動 が 認 め られ る こ とで あ る 式 化 す る と,図 3の よ うにな る G ≠「 油 な行. / : 3と選 択 の拡 大' ' , 寸組 族組 織 の f ] 引本化 ク, や宗 教 的行 車の 減 問題 を 家 族儀 礼 の変 容 に限定 した。 これ を 棋 O x eC h u k o この種 式 図 の 矢 印 の 方向 に 向 か って , 少 と世俗 化〃が進 行 して い る。本 稿 で は カ レ ン族 の 農艮 化過 程 の 中で , 。 0 × eP 9 0 その た め に,「は じめ に」 C / )と こ ろで述 べ た Redf i el d教 授 によ る,1 0項 目にわ た る文 化変 容 の特徴 づ け の一 部 に しか 触 れ る こ とがで きな か っ た 。 しか しな が ら, このJ 家族 儀 この文 化 変 容 の 中で , 豚 の犠 牲 の 簡 易 化 な い し申 l Uまもっ と も注 目 す べ き こ とで あ ろ う。 カ レ ン族 の説 明 に よ る と, 屋 内 に お け る豚 の犠 件とそ れ に伴う 血 20) 化す は易 又示さ容 ばを太的 向向 の対 〇 万万印和す のの矢の示 印容 た容を 失変ま変さ 化 の 姿 を 見 るの で あ る。 図 3 家 族儀礼 変容 の 方向 ト ヒ ヽ ,′ .1 礼 の変 容 の流 れ の 中 に, ≠部 族' yか ら や 豊艮^ 'へ とい うカ レ ン族 oj農民 が カ レ ン朕 の家 々に 仏 像 を持込 む こ とや , す ぐれ て ≠本 物 ' Yの 仏 教 徒 に な iに な る こ とが る ことを妨 げて い る と言 う。 ≠本 物 ' 'の 仏教 徒 に な るた め に は, や は り Chakas 前提 の よ うで あ る。 Ht iKani村 の村 上 引 こよ る と,村 の北 方約 20キ ロメ- トル の所 に あ る MaeLanoi村一帯で ・ 且 カ レ ン族 が シ ャ ン族 と 汗か L ちなが く 混住 して い た の で, 前者 は 後者 の景三 轡 をつ よ く 受 けて, Chakas iにな った者 が す くな くない。 この た め , そ この カ レ ン文化 に お け る仏教 的 色 彩 は きれ めて つ よ く, 珪 活様 式 の うえで は カ レ ン族 と シ ャ ン族 . また近 年 この地 力J に移入 して きた北 タ イ人 とは あ ま り明確 な相 違 が見 出せ な い と言 うo 筆 者 もそ の地 方, をお とず れ たI 呪 二は, これ と 同様 な印象 を得 たの で あ る 。 いず れ にせ よ, カ レ ン族 の問 で は家 の精 霊 Bghaは 社 会的 凝 集 力 の核 と して の機 能 を持ナノ . 0Ⅹe 儀 礼 は そ の強 力 な文 化 的支 柱 と して の 役 割 を果 た して い る 。 この 意 味 か ら言 って, 精ノ 】 . Bgha,従 って また 0Ⅹe 儀 礼 は カ レ ン侯の農艮 化 に対 して , 決定 「 机l L 書 要 困 とな って い る こ と だ けは 間 違 い な い。 謝 辞 本 稿 は タイ国 西 北 部 の農村 調査 に基 づ い て 省か れ た もC ' )で あ る。 調査 の実 施 に当 た って は京 20 ) おそらく仏教における殺生戒の-一 種の par O C hi al i z at i o n と思われる。 - 91- 31 9 第 5巻 第 2号 東 南 ア ジア研 究 都 大 学 東 南 ア ジア研 究 セ ンタ - の岩 村 忍 所 長 , 本 間 武 教 授 ,石 井 米 雄 教 授 を は じめ とす る闇 係 の教 官 や 事務 官 の方 々に は い ろ い ろ とお世 話 に な った。 ま た , 在 タ イ国 日本 大 使 館 は もと よ り, タ イ国 政 府 機 関 の諸 氏 や村 の人 た ち には ひ とか た な らな い 協 力や 助 力 を賜 わ った 。 記 して深 謝 の意 を表 した い 。 参 考 文 献 Be r r e man,Ge r al dD.( 1 9 61 )" Hi mal ayan RopeSl i di ngandVi l l ageHi ndui sm :anAnal ys i s , " Sout hwe s t e r nJo ur nalo fAnt hr o po l o gy,1 7( 4 ),p.3 3 9. i for d( 1 9 6 2 )" St udi e si n Pe as antLi f e:Communi t yandSoci et y, "Bi e nni alRe v i e u ) Ge e r t z ,Cl o fAnt hr o po l o gy 1 9 61e d.byBe r nar dJ.Si e gel ・St anf or d:St anf or dUni v.Pr e s s. e nso f Bur ma.Wes t mi ns t er:TheSo ci et yf o rt hePr o pagat i o nof Hughe s,C. K.( 1 9 43 ) Kar Gos peli n For el gn Par t s . 飯島茂 ( 1 9 6 5 )「タイ国北部における山地 カ レン族の文化変容」『東南 アジア研究』第 2巻第 4号,京都 : 京大東南アジア研究セ ンター I i j i ma,Shi ger u( 1 9 6 5 )" Cul t ur alChangeAmo ng t heHi l lKar e nsi n Nor t her n Thai l and, " As i anSur v e y,V1 8. 飯島茂 ( 1 96 6 )「タイ国北西部 におけるカ レン族の平地民化」『東南アジア研究』第 3巻第 5号,京都 :京 大東南 アジア研究セ ンター Lehman, F. K.( 1 9 6 3 )TheSt r uc t ur eo fChi nSo c i e t y.Ur bana:Uni v.ofI l l i noi sPr e s s・ As i anTr i b e s ,Mt ' no r i t i e s ,a ndNat i o nsed.byPet e rKl ユ nS t adt er.New Je r s ey:Pr i nc et o n Uni v.Pr e s s. c ar( 1 9 5 5 )L ' Pe as ar ] tCul t ur ei nI ndi aandMexi c o,A Co mpar at i veAnal ys i s , "Vi l l a ge Lei w S,Os udi e si nt heLi t t l eCo mmuni t y ed.by McKi m Mar r i ot t .Chi c ago:Uni v.of I ndi a, St Chi cagoPr e s s. Mar s hal l ,Har r y I.( 1 9 2 2 )TheKa r e nPe o pl eo fBur ma:A St udyi nAnt hr o po l o gyandEt h- no Z o gy.Col umbus:Ohi oSt at eUni ver s i t yPr es s・ Re df iel d,Ro be r t( 1 9 3 4)" Cul t ur eChange si nt heYuc at an, "Ame r i c anAnt hr o po l o gi s t:3 6 . .( 1 9 41 )TheFo l kCul t ur eo fYuc at an.Chi c ago& Londo n:Uni v・ofChi c agoPr e s s. Cul t ur e ・Chi c ago:Uni v.ofChi c agoPr e s s・ To ngkham So ngSae ng ( 1 9 6 4)De mo no l o gyAmo ng t heKar e ns ・Th・ BIThe s i s ・Chi e ngmai: Thai l andThe ol o gi calSe mi nar y. 32 0 - 9 2-