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基調講演: アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較

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基調講演: アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
Kobe University Repository : Kernel
Title
基調講演 : アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
(学術講演会:アスベスト問題の現在-社会と医療-)(The
international comparative analysis about legal
responsibility and compensation of asbestos disaster)
Author(s)
宮本, 憲一
Citation
21世紀倫理創成研究,7:1-16
Issue date
2014-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81006665
Create Date: 2017-03-31
「アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較」
宮本 憲一
アスベスト災害の研究者セリコフの警告
ご紹介いただきました宮本でございます。先ほどもご紹介いただきましたよう
に私が京都大学の庄司光教授と『恐るべき公害』という本を書いたのが 1964 年、
岩波新書で出版しまして、それ以来公害や環境問題に興味を持っていたのですが、
アスベストについては当時は全く関心がありませんでした。まあ大変恥ずかしいこ
とではありますが、この 1964 年というのは有名なセリコフの「アスベストと腫瘍」
に関する、ある意味ではアスベスト研究の最も金字塔である本が出ているのであり
ますが、そのことはですね、全然知りませんでした。これは労働災害であったとい
うこともあって知らなかったのです。私が最初にこの問題を研究しなければならな
いと思ったのは、1982 年に、財政調査でニューヨークにいるときに、朝ニューヨ
ークタイムズが一面を潰しましてマンビルという世界でも有数のアスベストを使っ
ている会社が倒産する、アスベスト被害賠償裁判によって、しかしこれは偽装倒産
じゃないかという記事が出ておりました。これは大変反響を呼んでいる状況であり
ました。これは大変だと思いまして、アスベスト問題の病理学で有名な鈴木先生に
頼んで、セリコフに会いました。半日間、セリコフが忙しいのに私に講義をしてく
れました。
「私が非常に不思議に思っているのは、日本はたくさんのアスベストを
使っているのに、全然日本から被害の情報が流れてこない」と、
「私は毎年3000人
から 4000 人くらいアスベストで日本人が死んでいると思うんだけれども、なぜ社
会問題にならないのか、あなた帰ったら調べてください」と言われたんですね。帰
国して専門家に会って調べてみると、医学者は良く知っているんですが、知ってい
るだけの話でそれをどういう風に社会的に救済するかは何もやっていない、社会問
題にはしてない。一方では、工学部ではアスベストを使わなきゃ、建物の安全は保
証しないということで、建築基準法に基づいて、どんどんアスベストを使っている。
誠に矛盾した学界の状況だったんですね。私はそれで『公害研究』に「アスベスト
災害は償い得るか」という論文を 1985 年に書いたんですが、これも全然反響があ
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りませんでした。それがクボタショックによりまして、日本だけじゃなくてアジア
を震撼させる状況になったわけであります。そういう意味でアスベストの被害を知
っていても社会問題にならなかった。これは原子力の問題もそうですが。これは経
済の問題と関わっているので、あるいは政治の問題と関わっているので、環境問題
というのがすぐ、露呈しないということなんです。このアスベスト等も、典型的な
問題なのではないかという風に思います。今日は到底この大きな問題についてお話
を全部することは出来ませんので、出来るだけ責任の問題と救済をする場合に、日
本の場合、国際比較してどんな問題があるのかということを出来るだけわかってい
ただきたいと思って、お話を致します。
世界のアスベスト使用状況
今大体世界の 50 か国がアスベストの使用を禁止していると思います。先進工業
国はほとんど原則的に使用が禁止されているのですけれども、カナダは最近インド
へのアスベストの輸出を禁止しましたが、まだ使用禁止はしていません。ここには
非常に有力な鉱山があるせいだと思います。今 1 番問題はやはりアジアでありまし
て、アジアと中南米が使用が急増しているわけでありまして、後からお話しますが、
中国は世界の 30 パーセント、インドは 15 パーセント使用しているわけで、アジア
で世界の半分のアスベストが使われているという状況であります。北欧は大体
1980 年代に全面禁止に入りまして、それからその他のヨーロッパの諸国が大体
1990 年代、アメリカは禁止にはしませんがほぼ全面的に使用しないという形にな
っているのでありますが、日本はクボタショックがあるまで使っておりまして、と
りわけヨーロッパが全面禁止に入っていくときに、世界最高使用をしていたという
状況でございます。その後、焦点がアジアに移ってまいりまして、ここにあります
ように、中国は今恐らく世界一アスベストを使用しているのではないかという風に
思います。クボタショックが影響しましたので、韓国と台湾は世論の圧力で規制を
始めまして、韓国は 2009 年に全面禁止をしましたが、台湾は使用を限定しまして、
2015 年を目途にして全面禁止をする予定になっています。どの国も大体青石綿は
禁止をしていますので、白石綿を主体に使用が続けられています。管理使用をすれ
ば大丈夫だというのが、特にそういうことを世界的に奨励しているカナダとロシア
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アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
の言い分であります。
アジアの方の状況から入りますが、韓国の場合にはアスベストが 16 鉱山ありま
した。今はもうほとんど動いていないわけでありますが、1993 年に 118 工場あり
まして従業員が 1976 人いました。日本と同じように、建材が主体であります。こ
れも非常に遅れたのですが、他の国より 10 年ぐらい遅れていますが、81 年に青石
綿の営業を禁止しまして白石綿をずっと使っていたのです。ここで問題なのは日本
のニチアスの子会社、第一化学というのが釜山を中心に操業しておりまして、ここ
が 1 番問題を出しているのではないかと思いますが、規制が厳しくなったのでこの
会社はインドネシアへ移っていきました。中皮腫の死亡が334人出ています。日本
と類似の救済法を 2010 年に制定を致しまして、今後は建物の解体、過去に建物に
かなりアスベストを使っておりますので、それが問題だと思います。台湾の場合は、
製造業、造船業、特に 80 年代までの船舶の解体で、高雄に被害が出ています。こ
こも 1989 年にアスベストを特定物質に指定いたしまして、ここは日本と同じよう
な形のですね、規制の基準を持っていまして、それで規制を始めまして限定的な使
用を今は認めているという状態なんです、これは公害輸出という問題がいつも付き
纏うんですが、自国で禁止されると、危険物質を外へ持っていくんですね。台湾の
場合も、中国と東南アジアにアスベストの工場を移転しています。中皮腫は 1975
年から 2005 年までで 423 件出ています。
問題は中国でありまして、ここは世界第 3 位の石綿の埋蔵量を誇っていまして、
そのほとんどが西部の少数民族の居住地にあります。2002 年に 1 番毒性の強い青
石綿の使用を禁止しましたが、これも他の国と比べると 20 年ぐらい遅いわけであ
りまして、かなり長く使っていたわけでありまして、今は白石綿になっているって
いうんですが、これも白石綿が安全だという保障はないわけでございまして、白石
綿で癌が発生するっていうのはこれも事例が色々出ているわけです。中国のことを
お話すると長くなりますから簡単にいたしますけれども、労働災害についてはごく
最近国家としてきちっと対策を立て始めていると言っていいと思います。労災の認
定についても始まっているわけでありますが、環境災害については今のところ情報
はないと言ってもいいのではないかという風に思います。なぜ明らかに危険がわか
っている石綿の使用を禁止しないのかという風に政府の担当者に聞きますと、1 つ
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は生産を禁止すると失業が出ると、かなりの数の労働者が従事しているわけですの
で、それから特に少数民族地域の地域経済財政に重大な被害が出ること、代替品の
価格が 15 倍から 40 倍して経済的損失が大きいので、それで禁止は出来ないのだと
いうことを理由として述べていました。今後この労災と環境災害が中国で非常に大
きくなる可能性があると我々は考えています。インドネシアの場合はあまり情報が
入らないんですけれども、日本や韓国の工場が出ていっていましたので今でも石綿
繊維を作っていますから、被害が出ていると思われるのですが、当局の対策が遅れ
ていましてやはり同じようにアスベストの使用禁止は必要ない、と。これは日本で
も 1990 年代に労働組合を含めて、アスベストの使用を禁止できなかった理由がそ
ういう失業の問題だとか経済の問題でした。
日本のアスベスト被害の状況
さてそれで日本の問題に入りたいのですけれども、クボタショックまでは日本
ではアスベストの問題はあまり表面化しませんでした。今でもまだ完全な疫学調査
が行われていませんので、被害の全貌はわからないと言った方がいいと思います。
石綿災害の認定者というのは 94 年までで 203 人しかいませんでした。95 年から中
皮腫の認定調査がちゃんと行われるようになってまいりましたので、そこから
2004 年までの 10 年間で認定されたものが 654 人。ですから 1 年間にしますと 60
人から 70 人しか認定されていなかったのであります。もちろんこれはアスベスト
を使ってから発病までの年限の問題があります。アスベストは 15 年から45 年、あ
るいは 50 年ののちに発病するというふうに言われていますので、その問題もある
と思いますけれども、実は隠れていたわけです。これは公害問題の特徴でありまし
て、病気になった人が私は公害ではないかと言って、私の人権が侵害されたと言っ
て手を挙げない限りはですね、絶対に表に出ない。これは水俣病の経験も恐らくそ
うなのです。ですからこの時期には実際に手を挙げた人が 60 人から 70 人くらいし
かいなかったということですね。ところがクボタショックで、アスベスト反対の世
論が起こり、そして何らかの救済の必要性というものが表沙汰になってきたら途端
にアスベストの被害者の数が増えていくわけです。クボタショックがあった年の
2005 年には、それまでの 10 倍、721 人の人が労災の認定を受けます。2006 年に
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なると 30 倍、1784 人の人が認定を受ける。結局クボタショック以降 12 年までの
累計で 9709 人が認定されていますね。そして、翌年の 2 月に救済法が出来ますの
で、その救済法が出来て以降13年までの救済法の認定は9067人でありますので、
この救済法っていうのは、労災の認定を受けなかった人、それから労災以外のアス
ベスト災害と思われる人を救っているわけでありますが、その適用者が 9067 人で
すから、両方合わせると、片方は 13 年で片方は 12 年なので少しずれますけれど
も、両者合計 18146 人、毎年大体 2000 人から 3000 人の死者の可能性が出ている
ことがわかります。つまり先ほど私が言いましたように、1982 年にセリコフが予
言した通りなのですね。実際日本ではずっとこのぐらいの数の死者の数が出ていた
のですけれども、隠れていたっていうことが、明らかじゃないかというふうに思い
ます。これがその経緯を表したものでありまして、毎年労災で 1000 人くらい、そ
れからやはり救済法で 1000 人近くでありまして、2000 人から 3000 人という被害
者が出ているのであります。クボタの場合は恐らく、既に被害者が出ていたんだろ
うと思います。1985 年に環境省は大気汚染防止法を改正しまして、自治体のほう
から要請があった場合に特定の地域における、アスベストの大気汚染の調査を始め
たんです。これが日本の公害対策の最も悪いところで、PPM 主義と言っているの
ですが、環境基準を決めて、自分の決めた環境基準より小さければ、大丈夫とこう
いうのです。観測データが実態を表しているわけじゃないんだから、たくさんのア
スベストを使っている工場があることがわかっていたわけですから、その周辺で健
康調査をやるべきだったのです。1985 年に私も論文書いていますし、世界中でア
スベストと癌の関係も出ているわけですから、当然やらなきゃいけない健康調査を
しなかった。クボタの場合にも 2005 年以前に被害者が出ていたことは間違いがな
い。
クボタショック
2005 年 6 月、3 人の勇気のある患者が告発したから初めて公害が表面に出たの
です。もしあの 3 人が支援団体とともにクボタを告発しなかったら、この問題は消
えていたに違いないのですね。幸いにしてその 3 人の被害者、そしてそれを追求し
たマスメディアの力によって、クボタの周辺で大規模な公害が起こっているという
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ことが明らかになりました。車谷教授らが疫学調査をやって、クボタ尼崎工場の周
辺 2 キロ以内に大量のアスベスト被害者がいるということが明らかになったのであ
ります。これは恐らく世界災害史に残る非常に大きな出来事じゃないかと思います。
既に住民の死者が247人出ているのです。全くこの人たちはですね、何の利益もク
ボタから得ているわけではありません。イタリアにおける公害問題が非常に深刻で
ありますけれども、それと並ぶ大事件で、恐らく247人というのは全体の被害の一
部であって、まだまだほかにも被害者がいるに違いないわけであります。何でこん
なことになったのかって言いますと、工場の従業員の労働災害を見ても分かるので
すけれども、約500人くらいの従業員がアスベスト水道管、あるいは工業用水道管
を製造するのに従事していたわけですが、それに従事していた多くの人々が死んで
いるか、療養しているかという形でありまして、そういう意味では恐るべき労働現
場であるし、恐るべき安全を無視した作業が行われていた。恐らくその作業場の管
理も悪くて、飛散するアスベストを集める電気集塵機も上手く動いていなくて、そ
れが工場外に飛散していた。クボタは当時 9 万トンの青石綿を使っていたのです。
その青石綿が外部に流れ出して、住民に従業員以上の死者を出すという状況を招い
ているわけです。そもそも工場内の安全管理が悪かったから、その周辺にまで大被
害が出たんだと思います。今クボタは法的責任を取らないで、自分のところだけが
被害を出したのではないとして、見舞金という名目で、労災並の一人当たり 4600
万-6300 万円の救済金を支払っているのです。公害は労災以上に原因者の責任は
重い。労災の場合には、企業と労働者が契約をして、それで労災が起こっているわ
けですけれども、住民というのは企業から利益を得ているわけでもなければ、何の
契約もしていないわけですから、労災と同じような賠償金を払ってそれでいいとは
思えない。4600 万円と聞くと貧乏人はたくさん出しているなという風に思うかも
しれませんけれども、これはあくまで見舞い金でありまして、法的責任を取るとい
うことはしていないわけであります。
日本は代替品の導入が遅れまして、2006 年に全面禁止しまして、今の被害者は
1950 年代から1970 年代に曝露したものだと思いますので、今世紀を通じて、被害
は累積すると考えていいと思います。このアスベスト公害は四日市の公害や水俣病
と違うのは、複合的ストック公害です。つまり生産過程でだけ原因が発生するとい
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アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
うものじゃないんですね。経済の全過程で発生するという性格を持っているわけで
す。労働過程でも、それから労働者の家庭でも、そしてまたその周辺に住んでいる
住民にも、さらにその商品を使ってその商品を使ったために起こる被害、あるいは
また廃棄物、これは震災の場合なんか既にもう神戸・淡路大震災で 5 名の方が中皮
腫で亡くなっていますけれども、そういう廃棄物の処理過程、全過程で起こってく
るわけです。これが特徴ですね。ここにありますように、アスベストの労災を出し
た企業の数は実に 7590 事業もあるわけです。水俣の場合は 2 事業ですよね。それ
に比べていかに事業数が多いか。それから事業数が多いだけでなくて、被害者が全
国に及んでいます。労災の事業の地域の分布は都道府県のなかでは大都市に多いの
ですけれども、全都道府県、北海道から沖縄までその労災の認定地域があるわけで
あります。そういう意味では今までの公害とは違う非常に複雑なものだと。私が先
ほども言いましたように複合型ストック公害だと、あるいはストック災害だと言っ
ているわけでありますけれども、なぜこうなったかというと、これは魔法の素材と
言われているわけですが、鉱物ですけれども実に細工のしやすい髪の毛よりもずっ
と細い繊維ですから色んな加工ができる。耐熱、耐火、そういう機能というものが
非常に優れているのです。ですから、宇宙船ではアスベストというのは絶対不可欠。
原子力・火力発電所、あるいは軍艦、船舶、汽車、自動車など高熱を出す機関を持
つところでは不可欠です。カナダがなかなか止めないというのは、アメリカの宇宙
産業と関係があるからなんです。そういう意味では安くてしかも性能が非常に良い
ということから危険がわかっていても使ってきたわけであります。今まではアスベ
ストを使うのを止めたら大変だと、止めたら経済的に影響が出ると、建築産業やエ
ネルギー産業が困るとか色々意見を言ってきていたのですが、今使用をやめても経
済的には何ら支障がないのですから、明らかに企業が安全を無視して、安くて便利
であるということで、アスベストを多用していたのです。企業の責任は重いといっ
てよい。
政府の失敗
政府はこのクボタショックで慌てまして、もう一度歴史を振り返って、自分た
ちの対策に過失がなかったかどうかという点検をしています。その報告書があるの
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ですが、結論は予防原則から言えば問題があったかもしれないけれども、その時々
においては外国の他の国の規制のやり方、その他と比べて、別に日本が特別遅れて
いるとは言えない。だから不作為はない、法的責任はない、そういう結論を出しま
した。おかしいですね。先ほど言ったように、誰が見ても欧米に比べて 10 年から
20 年遅れているわけで、しかもその遅れている間に大量に使ったという、これを
見逃してしまうことは許されないはずなのですけれども、そういう結論を出してい
ます。この結論では環境省は予防原則からみれば、失敗といえるかもしれないと言
っています。予防原則は 1992 年のリオ会議から各国で環境問題の責任原則になっ
ていますから、その意味でも対策が遅れたことは間違いがない。
アスベスト災害の企業の責任は大きいですし、またそういう企業の活動、高度
成長期に最もたくさん使ったわけですが、そういった事態を許していた政府の責任
は重いと言っていいのではないかと思います。こういう責任問題について考えるな
らば、私は、環境省が予防原則というのは 1992 年のリオ会議から知っていたけれ
ど、他の省は知らなかったから、それを環境省は言わなかったと言うのですが、予
防の原則は 1992 年からこういった環境問題の原則として採用され始めていた。も
ちろん、予防の原則を使うのはなかなか難しいことではありますけど、既に癌が発
生するということは分かっていて、癌が発生するという場合には、鈴木武夫先生の
意見を言えば、その原因物質を使うことは絶対に禁止しなければいけない、そうい
う土壇場にきているはずなのですけども、予防の原則から言って、どうして 1990
年代から規制が出来なかったのかと、政府の最終見解には納得がいきません。いま、
この政府の最終見解には納得がいかないので、泉南アスベスト裁判では国の責任を
問うた判決も出ています。
日本の医学の場合、他の国に劣らないかたちで、すでに 1937 年に厚生省の保険
院が泉南地区の調査をしていまして、石綿肺の蔓延を確認しまして、しかもその作
業が悪いので規制をしなければならないと勧告をしています。戦後も、このような
調査が継続されています。近畿中央病院などもやっています。その意味では、日本
の医学者が研究を続けていて、それが非常に危険であるということを警告していた
ことは間違いないわけです。例えば、1978 年に大気汚染の基準が緩和されたので
すが、その時鈴木武夫先生が委員長として出した報告書のなかに、
「アスベストの
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アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
調査をやれ」ということを書かれており、これが非常に危険な問題を生むというこ
とを言っていらっしゃります。したがって、1978 年の段階で、環境省がその勧告
を無視していたということは明らかです。それは許されないことなのではないでし
ょうか。
その証拠が 1995 年の阪神淡路大震災であります。アスベストの危険というのは、
この時には分かっていたわけですから、当然アスベストの対策をとるべきでした。
これは、住民が非常に騒ぎました。中路さんをはじめとする神戸の市民グループが
アスベストの危険を警告したので、環境省も慌てて、すでに建物の解体がどんどん
進んでいたあとでありますけども、あるいはアスベストの廃棄物をどんどん運んで
いって被害が出ることは確実になってきていた段階で、ようやく指針を出して、調
査をしました。調査の結果、大丈夫だという結論を出しました。これは間違ってい
たのですが、震災当時に、アスベストが危険だということを真面目に知らしめると
いうことをしていなかったのは事実であり、震災時のアスベスト対策のマニュアル
も非常に遅れて 2007 年に出しています。私たちは、そのマニュアルを主な都道府
県と政令指定都市や県庁所在地などといった重要な自治体に送りました。そして、
「震災の時にどういった対策をとるつもりか?あなたたちは最近環境庁が出したア
スベストマニュアルを読んだか?」ということを質問したところ、40%の自治体だ
けが「見たことはある」と答え、
「対策を考えている」と答えたところはほんの僅
かでした。私たちは慌てまして、2011 年 1 月に、その調査結果を公表し「震災の
時にアスベストの被害が出る」という警告をするため、岩波書店からブックレット
を出しました。そしたら、偶然 3 月 11 日に大震災が起こったわけです。その後も
私たちは調査をしておりまして、必ずしも私たちのブックレットがちゃんと読まれ
たという形跡がない。さすがに神戸の時と比べますと、今回の震災の解体に従事し
ている自衛隊や警察官、あるいは自治体の職員たちは、マスクをしていましたが、
住民はしていませんでした。ですから、今回の場合も、今後アスベストの被害が出
る可能性があります。そういう意味では、クボタショックがあったにもかかわらず、
日本の政府も自治体も企業もアスベストの危険性に対してまだまだ注意を向けられ
ていないように思われます。
いま、裁判が行われており、おそらく 12 月 25 日に泉南の第二陣の高裁の判決が
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出ることになっています。状況は二対二になっています。国の責任を問う裁判の判
決が必ずしも確定していないのです。しかし、12 月の判決でどちらかに決まる、
あるいは最高裁判までいくのではないかと思います。常識で考えた場合に、私は
「政府の責任はまぬがれ難い」と思います。もちろん、直接的には企業の責任です
が、日本の場合には、歴史を振り返ってみると、そう判断せざるをえないし、また
先程も言ったように、経済の全過程で使用されていたという意味では、労災を出し
ている工場の企業の連帯責任ともなりうるのではないかとも思います。つまり、自
動車会社や造船会社もたくさん使用しているわけで、決して泉南の繊維産業だけが
悪いのではないのです。これはこないだの横浜の建築労働者のアスベスト裁判の判
決では否定されていますので、
「経済の全過程における災害の責任をどう考えるか」
という問題は検討される議題となってくるのではないかと考えております。
今後の対策について、とりわけ被害の救済問題についてお話したいのですが、
日本の公害対策の非常に重要な特徴というのは、疫学調査をして疫学をもって因果
関係を明らかにして、責任を明確にするということです。一番難しい大気汚染の問
題、つまり四日市ぜんそくの問題などでも、この疫学が決め手になりました。他の
国は、疫学調査やっていても、それをもって被害の責任をとらせる、法的責任をと
らせる、というところまでいっていません。日本は、被害が非常に深刻で、かつ調
査が上手く行われていたので疫学が決め手になってきたのですが、アスベストに関
しては、きちんとした疫学調査が行われているとはまだ言えないと思います。環境
省は地点を選んで、疫学調査らしきものをやっています、ですが、全員が健康調査
をやっているわけでもないし、ましてや、長い間そこに住んでいた人は良いのです
けど、そこからすでにほかのところに移っていった人の追及をしているわけもあり
ません。申請してきた人を対象にした健康調査を一定の地域でやっています。けれ
ども、先程言いましたように、7000 工場あります。しかも、全国にわたっている
わけですから、本気ならば、その 7000 工場の中から一番アスベストを使用してい
るところ、あるいは労災の数が非常に多いところに重点を置いて、疫学調査をして
いいのではないかと思います。しかし、これはまだやられていません。私たちも、
環境庁が指定したいくつかの疫学調査を行っている地域について調べてみたのです
が、希望者を募っているかたちにしていても、これだけ時間も経っているわけです
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アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
から、人々もなかなか出てきていません。クボタショックの前後は診察を受けに来
た人がかなりいますが、そういった人たちがだんだんと減ってしまって、もう疫学
調査をやめた方がいいのではないかといった空気が出ている状況です。実際は、こ
のままいくと、疫学調査が不十分なまま終わる可能性があるのです。ただ、こうい
った疫学調査の様態をとっているから、大阪の西成区のポンプを作っている事業所
で中皮腫の患者が出て、いま疫学調査の要求が出ています。そういった様子を見る
と、やはりきちんとした疫学調査をやるべきではないか、お金がかかってでもやっ
た方がいいのではないかと私たちは考えています。
それから、クボタ自身についても、クボタの労働者の歴史的な調査が行われて
いるかが明確にされていません。これだけ世界に衝撃を与えたクボタショックなの
ですから、クボタのアスベスト問題に関する研究調査がちゃんとなされなければな
らないのではないかと思いますが、被害の全体像というのは、今のところつかまれ
ていません。このような現状について、私は社会科学者なので、公衆衛生の方々や
工学者のように具体的に分析は出来ませんが、研究者として非常に残念に思ってい
ます。
被害の救済の国際比較
日本の救済の問題に関して、他の国に比べて非常に大きな特徴があるのではな
いかと私は考えています。これから申しますように、アメリカの場合には裁判で問
題が解決する、国家賠償は取らないというかたちで企業責任の追及が行われていま
す。それに対して、フランスは、社会保障的にもれなく救済するというかたちをと
っています。日本と違うのは、政府の責任を明らかにした上で救済法を作ったこと
です。日本の場合の責任の取り方、救済の取り方はこれら二つの国とは異なってい
ます。日本を真似して救済法を作ったということから、日本の救済法に一番よく似
ているのは韓国だと言えます。日本の救済法は、非常に曖昧な形です。責任を取っ
ているような、とっていないような感じです。しかし何もしていないわけではなく、
何かはしている。そういったことが、日本のアスベスト問題の基本的な特徴ではな
いかと思います。先程言いましたように、クボタもニチアスも、その他救済法に賦
課金を出している 4 社とも、法的責任はとっていません。とにかく寄付をする、見
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21 世紀倫理創成研究
第7号
舞金を出しているところが、ヨーロッパ諸国やアメリカと違っているところです。
私は、日本の救済法が文字通りの世論対策だったと思っています。クボタショ
ックで非常に大きな社会的世論が起こって、このままいくと紛争が深刻になると考
えて作った法律ですので、非常に慌てて作られたものです。ですから、欠陥が多い
です。これは日本の特徴で、水俣病の救済法も同じです。私は治安対策だと思って
います。治安対策で公害対策ではないのですから、きちんと疫学調査をやって、被
害者とも十分話し合って、法律の内容を決めているわけではない。とにかく何らか
の処置をとっているのだ、という世論のガス抜きをするために急いで作っているの
です。この石綿救済法も同じなのです。したがって、救済額は労災額の補償額の
10 分の 1 程度であります。救済額は改正すべきであることは間違いありません。
それから、救済の対象が中皮腫に偏っており、肺がんの認定が少ないです。も
ちろん、中皮腫がほぼアスベストが原因だというように言われていますが、肺がん
は煙草だとか色々な原因があるので、認定することが困難かもしれません。いまア
スベストの被害をみている臨床医師によれば、アスベスト肺がんは見つけにくいも
のではないとも言われていますから、あまりにも他の国と比べてアスベスト肺がん
の認定が少ないのは、やはり問題があるのではないかと思います。
ここで比べてみたいのですが、アメリカの場合、国家賠償はなく、その PPP と
いうのは汚染者負担原則で、汚染者負担原則と EPR というのは拡大生産者責任原
則、この二つを原則として、アスベスト関連全企業と言うのを被告にしています。
そういった意味で、裁判で訴えられる企業の数が日本と違って多いです。一番新し
い資料が手に入らなくて、これはランド研究所が出した資料の情報ですが、2002
年現在で裁判が 6 万件も起こっているそうです。被告の企業は、実に 83 業種で、
6000 社です。支払い金の補償額はすでに 540 億ドルになっています。いまのドル
で換算しますと、5 兆 4000 億円位になると思います。そして、すでに倒産してい
る企業が 60 社あります。マンビルのように、分社をして、補償金を支払う会社と
会社本体とを分けてしまった会社も幾つかあります。これは、マンビル救済のため
にアメリカの破産法を改正したと言われているのですが、そういうことをやってマ
ンビルを救ったわけですが、分社をしますと、それ以後の補償額は激減しています。
それゆえ、アメリカの行った救済策も問題があると言われています。それで、この
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アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
中皮腫の補償額は 1110 万ドルです。これも高額なわけです。ただ裁判が非常に多
く行われていて、しかもこれが弁護士の儲けの材料になっていますから、被害者が
直接受け取る金額は、この 50~60%と言われています。しかし、将来は 2200 億ド
ルの補償が必要になってくるのではないかという予測も出ています。それは大変な
ことでありまして、これは日本に比べると、補償額は高いです。しかし、先程言い
ましたように、国家賠償はされておりません。ただ、被害者の団体などは、なかな
か裁判が上手くいかず長引く場合があるので、救済法の必要性を求めています。ア
メリカの上院では、すでに法案が出ているのですけども、まだ可決をされている状
況ではありません。
つづいてフランスは、過去の植民地に非常に立派なアスベストの鉱山があった
りしたので対策を遅らしていましたが、訴えられ、最高裁で政府の責任が明確にな
りました。そして、そのために、フランス政府は、アスベスト障害者補償基金を
2000 年に制定しまして、日本と同じように、全ての被害者を漏れなく救済すると
いう方針をとりました。そのために、補償の対象が大変広くなり、日本の場合は最
近やっと広げましたけれど、中皮腫と肺がんだけでなくて、石綿肺、肺がん、胸膜
肥厚、中皮腫、それから胸膜プラークまで入れまして救済をしています。この救済
の資金は、それほど高くありません。そのために、フランスの場合は約 1000 件の
裁判が起こっています。日本の救済法よりははるかに高いのですが、この政府の補
償額が少なすぎるという声も上がっています。しかも、政府が支払うというかたち
をとると、責任が不明確になる。加害をした企業の責任追及は出来ない。こういっ
た理由から、制度があるにもかかわらず、1000 件もの裁判が起こっている状況で
あります。
そういった点では、日本と違いがあり、日本の場合どうしても今の対策を改革
しなければならないと思います。さしあたって私たちがいま直面している大事な問
題は、建物の安全な解体です。いま建材に蓄積している石綿が500万トンあると言
われていまして、2020 年に解体のピークが迎えるわけですが、解体作業は極めて
いい加減なものです。京都の解体業も極めていい加減なもので、京都市役所の担当
等に聞きますと、
「とても手が足りないし、そんなきっちり監視はできない」と言
います。それから、また、きちんと解体をしようと思うと大変高い値段が掛かるの
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21 世紀倫理創成研究
第7号
で、依頼主の方が嫌がり、それでいい加減な作業になるということもあるようです。
これは、大変心配な状況であります。このような状況でありますので、学際的な研
究、総合的な行政の組織、国際的な交流が今後まだまだ必要になってくると思って
おりますので、今日の様な機会に他の分野の方と接触できることを大変嬉しく思っ
ております。
質疑応答
質問者 1:先生、今日はどうもありがとうございました。一つお伺いしたいことあ
ります。講演のなかで、
「加害は全産業、被害は全地域」という言葉がありました。
解体のお話もありまして、私が思いましたのが、神戸市は震災で大きな被害を受け
て、町全体が一つの石綿工場の様になったと思っております。だから、神戸市もぜ
ひ健康リスク調査の対象にしていただいてもいいじゃないかということを、今日の
講演を契機に神戸から声をあげて頂きたいと思います。いかがなものでしょうか。
宮本:研究者としては全くその通りだと思います。神戸もそうですけど大阪もそう
ですよね。あれだけたくさんの石綿関連工場があったのですから、神戸と大阪など
はアスベストリスクの健康調査をやっていいと思います。おそらく、神戸市にヒア
リングに行ったことがあるのですが、今のところ、行政的な人員だとか、資金的に
も足りていないとか、そういう風に言うと思いますね。尼崎でさえやってないです
からね。尼崎は全市健康調査をしてもいいと思いますけどね。ですから、そういう
要求をここで神戸市の方が掲げて、私たちはそれを支持したいです。他の地域も含
めてですね。先程も言いましたが、疫学調査はいい加減ですよね。石綿工場も非常
にたくさんあって、明らかに労働災害者が出ている、そういう地域においてもっと
徹底したアスベストリスク調査をやって欲しいというのを今日ここで決めていただ
ければ、有り難いと思います。
質問者 1:ぜひ、こういった問題に対して、神戸大学の方たちも私たちも、皆で取
り組むという姿勢を今日ここで確認できたら嬉しいと思います。先生、今日はあり
がとうございました。
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アスベスト災害の責任と被害救済の国際比較
質問者 2:先進国ではほとんどアスベストを使わないけれど、途上国ではまだアス
ベストを使用していると聞きますが、国際的な機関とか世界の政府はアスベストに
対してどんな対策をしているのでしょうか。私は、自分の研究の関係で、東南アジ
アに行くことが多いので、ときどき心配しているんですけれど、国際的な機関はア
スベストの使用に関して、とりわけ途上国に対してどういった対応をしているので
しょうか。
宮本:大変残念なことですけれど、ロシアを先進国と言っていいかは分からないの
ですが、ロシアとカナダは白石綿は管理使用すれば大丈夫だと言って、むしろ世界
的にそういうことを熱心に進めている先進国もあるのです。カナダの場合は、そう
いった政府の方針に反対をする動きが強くありまして、先程も言いましたが、イン
ドが中国に次いでたくさんの輸入をしてアスベストを使用し始めているのですが、
カナダからの輸入が行われているということで、カナダの内部で研究者を中心とし
た反対運動があって、ケベック政府がインドへの輸出を禁止すると宣言したので、
カナダは変わってくるのではないかと思っています。御承知なように、カナダは連
邦政府ですから、ケベック政府がどう動くかにかかっていますね。ケベックには素
晴らしい鉱山があり、それが一つの重要産業ですから、他の州が反対していてもケ
ベック州が「やる」というと、連邦政府としては、禁止はできないですね。ですか
ら、いま、ケベック州における政治的な紛争がどのような結末をつけるかというこ
とに期待をかけています。白石綿を推進する協会がケベック州にございまして、そ
れが世界的に動いているわけですね。インドネシアに調査に行ったときに、
「カナ
ダみたいな先進国が勧めているから大丈夫です」とインドネシアの政府の高官は言
いました。だから、先進国の中でも本当にアスベストの危険を止めることが出来な
ければ、なかなか上手くいかないのではないかと思います。WHO では、もちろん、
かなり早くから 70 年代にアスベストの危険は警告しており、ILO なども、国際機
関として、使用しない方がいいという勧告は出しているのですが、最終的には、環
境問題と同じで各国の政府の判断にかかっています。今のところ NGO が、
「国際
的に集まってアスベストフリー社会を作ろう」という決意や運動をしているのです
が、国連のなかで水銀条約みたいなかたちのものはないですね。水銀条約を見ても
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21 世紀倫理創成研究
第7号
分かりますように、水銀条約でも禁止は出来ないのですよね。その判断は各国に任
せています。それから、一定の規制の方向性を示してやるということになるので、
これは公害環境問題の難しさですね。やはり、それぞれの国の産業政策、経済政策
の関連が先に立つということになるのではないかと思います。
質問者 3:海外が危ないと分かった時に一番敏感に反応するのは保険会社ではない
かと思います。たしか、アメリカの労災保険の約款の中には、アスベストがあると
免責になり、保険を払わなくてもいいということがあったと思うのですが、それは
今どうなっているのか。または、その責任についてはどんな感じなのでしょう。
宮本:その通りです。先程言ったように、1982 年にマンビルが倒産し、破産法を
改正しマンビルを救ったわけですけど、その時点で、アスベストは保険の範囲外に
なりました。それまでは裁判に関連すると保険会社が動いていて、先に保険を渡し
て裁判を引っ込めさせるということもやっていました。ですが、もうアスベストは
適応除外になっています。
(大阪市立大学名誉教授 滋賀大学名誉教授)
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