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自然再生と合意形成 - 東京学芸大学 環境教育研究センター

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自然再生と合意形成 - 東京学芸大学 環境教育研究センター
連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
東京学芸大学連続講演会 第 2 回
構造物で、昭和の初期にはここで遊ぶ姿も見られまし
た。これを再生しようというプロジェクトです。
「自然再生と合意形成」
堰が昭和 38 年の洪水で壊れて流出してその機能を
失ってしまった。それでどんどん埋もれてしまった。
ここに石井樋といわれる石の構造物があったのです。
これを皇太子の御成婚記念事業で復元しようという話
島
谷
幸
になり、平成 6 年今から 11 年前に、私が所長をしてい
宏 氏
九州大学大学院工学研究院
たのはわずか 2 年なので、その最後の部分のデザイン
環境都市部門・教授
するときにあたったのでやりました。長い間遺跡調査
ばかりやっていた訳です。掘り返してみるとコンクリ
ートの下に石の構造物が出てきました。
佐賀の人は物を壊すことはしないで、その上にコン
歴史的文化的環境の再生を目指して
こんにちは。島谷です。よろしくお願いします。
クリートを置くという、非常に節約したやり方だった
今日は自然再生と住民参加ということでお話をした
ので、江戸時代の構造物が全部出てきました。これが
天狗の鼻です。見てもさっぱりわかりませんがその内
いと思います。
最初に話は全然違うのですが、歴史的な環境の再生
分かりますので。
の話をしたいと思います。21 世紀は再生の時代と言わ
こんな立派なものが出てきたのでこれを復元しよう
れていますが、今日お話しする自然の再生と同時に、
ということなんですが、掘れば掘るほどどんどん出て
歴史的文化的環境の再生というのは非常に重要なテー
くる。この構造物は一度、1600 年ごろにできたものを
マです。
1690 年ごろ修復している。400 年ぐらい経っていた構
皆さんもご存知のように、今年の秋、韓国ソウル市
で清渓川(チョンゲチョン川)が再生されました。
ソウルの町の中、東京でいうと銀座のようなところ
ですが、そこで埋められていた川を掘り起こして復活
造物です。東京で言うと玉川上水より少し古いもので
す。江戸時代の初期にできました。ここを再生しよう
ということです。掘れば掘るほど出てきて、いつにな
ったら遺跡調査が終わるんだろうと思いました。
させようと、延長 5.8kmの川が甦りました。こうい
ここに「野越」という構造物が掘ると出てきまして、
う動きがいろいろありますが、先週できあがったもの
一段低くなった構造物です。洪水のときには泥の濃度
で佐賀の石井樋という樋が再生されました。私が武雄
の高い水が流れてくるわけですが、それをこっち側か
河川事務所で所長をしていたときにデザインしたもの
ら全部入れると、佐賀市内にものすごく泥が流れ込む。
で出来上がりました。面白いので見てみてください。
ここから水が乗り越えていきます。乗り越えた川の水
(以下、パワーポイントを使い説明)
の底のほうの水と上のほうの水を比べると、上のほう
石井樋というのは佐賀の川です。
(映像を見せて)こ
の水が泥が含まれている濃度が低い。洪水のときは上
れが石井樋。これが嘉瀬川です。とても大変でした。
水が入るように、このような構造をしているわけです。
何が大変かというと、例え事務所の所長でもなかなか
いよいよ改修、復元工事が始まりました。凝りに凝
自分の思い通りにならないというところでした。住民
りました。所長室で一日 7、8 時間模型を作ったりしま
とも職員とも合意形成が大変でした。要はこれが嘉瀬
した。いよいよ石積みの業者も決まりまして、一月ぐ
川という川で、上流から水が流れてくるんですが、砂
らい石を積む練習をしてもらって本番に臨んでもらい
がとても多い川なので、ここで佐賀市内に水を入れて
ました。一部はコンクリートで固めていますが、
「空積
いくのですが、そのときにまっすぐ水を入れると砂が
み」というコンクリートを使わない石の積み方をしま
入ってしまうので、象の鼻という構造物と天狗の鼻と
した。それから構造物の下に粗朶という木で編んだも
いう構造物を造って、ぐるりと水を回して、佐賀の城
のを敷き詰める方法を使いました。私が所長のときは
下に水を入れる。こういう構造物です。これを復元し
下に全部敷こうと思ったのですが、どうもこれを見た
ようという仕事でした。
らここだけ敷くようになっていて少し残念ですが、そ
これは昔のイメージです。約 400 年前に造られて、
れでもよく頑張ってやってくれました。是非機会があ
それがつい 30~40 年前までは現存の構造物として生
ったら佐賀のほうに見に行っていただけたらと思いま
きていたわけです。川の水が逆流する、とても珍しい
す。
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
それで写真をお見せしますと、これは上から見たも
うことで、一つは自然を取り戻そうという試みですが、
のです。ここに昔の古い堰が残っていて、ここに新し
なかなか自然は難しいので状況を見ながらやり方を順
い構造物があります。
(写真を見せながら、象の鼻、天
応的に見直していこうというのと、様々な人との連携
狗の鼻、導水路の説明)昔の遺跡をそのままその場で
を図ろう。こういうところが自然再生事業の新しいと
見せようということで置いたものです。それも非常に
ころです。というのは自然再生事業とは何かというと、
もめました。文化財をやっている人は、文化財という
過度に人間の影響を受けて劣化した自然環境を元に戻
ものは壊れないようにすることが大切という考え方な
そうという試みである、ということが言えます。
ので、昔の石井樋をそのまま使っています。ただ、壊
それでは自然再生の目標設定ですが、どういう風に
れないように全部埋めてしまうと、見られなくなるの
してやるかというと、どのような人為的なインパクト
で、これを残すのに構造物を造って模型実験をして、
が加えられ、それによって何が失われたのかを明らか
あそこの流速1mくらいだということを確認して残し
にする。簡単に言うと、人為的なインパクトを受けて
た。たったこれだけのことでしたが、とても大変でし
元々あった川がどういう風に変わったかを良く調べて
た。面白かったですけどね。
どの辺に戻すのかを明らかにする。それで目標を設定
していく。目標設定は難しい部分もいろいろあります
が、大体の場合は昔の状態に。自然再生で難しいのは
自然を再生するといったときに、そのままの昔の自然
を再生しようという風に思われるのが難しい。だけど
人間がいろいろ生きているので、全ての人間の影響を
取り去るのは難しい。全く昔と同じにはならない。で
は何を戻すかというところで意見が割れるところです。
自然再生にはいろいろな考えがあって、ペーパーに
書いてありますが、1 番の自然再生とは何かというこ
とで中村太士さんが言っている考え方があります。
Passive Restoration と Active restoration。これは
日本語で言ってほしいということで、
「受動的再生の可
能性をまず検討し、その結果、そのまま放っておいて
自然再生事業とは
も生態系が甦る可能性が無い場合、最小限の人為的介
ということでいよいよ本論に入りましょう。自然再
入を行なう」。 自然の力で自然に戻るかを最初に検討
生事業と住民参加ということで、今日は大学でやると
し、その結果そのまま放っておいても生態系が甦る可
いうことで、後でペーパーを使ってお話をします。今
能性がない場合、最小限の人為的介入を行なうという
お話しましたように 21 世紀は環境再生の時代という
のをベースにしたらどうか、というのが中村さんの考
ことで、自然再生のみならず歴史的再生だとか都市の
えです。これは世界的な考えではないでしょうか。だ
再生だとか再生が話題になっています。今日は特に川
から一つは人為的干渉を最小限に抑えて、自然自らの
の自然再生についてお話したいと思います。
力で甦るのを待つ。
自然再生とは何か、ペーパーにも書いてありますが、
2 番目は、構造物設置等のハードな技術を用いなが
私が定義したものは、
「過度に人間の影響を受け劣化し
ら自然を制御し、人間が積極的に関与しながら維持す
た自然環境を取り戻す試み」である。当たり前のこと
る方法。これを Active Restoration といいます。
です。役所はどう言っているかというと、国土交通省
Passive を基本に Active が補助的にというのが世界の
河川局は川本来の姿を甦らせる川造り。流域の視点か
考え方なんですが、なかなか 1 番では元に戻らないか
ら人為的に制約を受け川のシステムを元に戻す再生健
ら自然再生をする場合が多い。そうするとどうしても
全化である。自然の復元力を活かす。あと事業実施に
2 番をやらざるを得ない場合が多いのですが、1 番でや
よる自然の反応をモニタリングし、その状況に応じて
りたいと思っている人にはジレンマが生じることがし
フィードバックしながら順応的に見直すことが重要で
ばしばです。自然には人間がいろいろな影響を与えて
ある。それから計画、実施、管理におけるNPOや関
いるわけですね。
係機関との意見交換およびそれによる適切な連携とい
次のページを開けてもらうと、これは多摩川の例で
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
す。丸が健全な状態だと思ってください。昔と書いて
雨の降り方、それから地形地質。そういうものがベー
あるのは、例えば江戸時代では玉川上水で水を採った
スになりながら川の流量・土砂・水質というのが決ま
り水田開発をしたり砂利を採ったりと、多少円じゃな
ってきます。レジームと書いてあるのはパターンです
かったけど生き物が絶滅する程の歪な円ではなかった。
ね。多摩川だったら、流量は冬水が少なくて春間くら
それが右の図のように高度経済成長期になると水質は
いから雨が降って少し大きくなって、梅雨時、台風の
やたら悪化し、東京のビルは多摩川でできていると言
とき一番大きい。そしてまた冬は水が少ないというよ
われるくらいどんどん砂利を採った。あとでお話しま
うなパターンを含んだものを利潤水といいます。流量
すが川の形も変わってしまった。上流に小河内ダムも
や土砂などが川の骨格、川の形や川底の形を決めてい
できて、それから玉川上水で水も取られて流量は低下
く。これらが決まると川の非常に細かい構造が決まっ
した。こういう状況の結果、多摩川の生き物は影響を
てくる。流れとか材料とか川岸とか。それによって生
受ける。それで自然再生を行なおうということで、河
き物の棲み処が出てくる。それによって様々な生物が
原の再生を多摩川で行なった。それをどのように考え
生きていく。こういう風に自然の環境を捉えているの
ればいいかというと、水質は随分良くなった。上流か
ですが、人間の影響は今や気象にまで及ぼうとしてい
ら来る土砂の量は、砂利採取はやめたけど土砂は相変
る。
わらず止まったまま。主に堰がある影響ですが。それ
地球環境の問題ですね。これまでは流量のコントロ
を食い止めるために土砂投入を行なっている。河原が
ール。これはほとんど農業ショックによる影響が一番
なくなったために川の形が変わったので、河原の再生
大きかったのですが、それに加えて現在は都市汚水だ
を行なった。しかしながら流量の低下というプレッシ
とか様々な形の水利用に関する流量のコントロール。
ャーは相変わらず取れていないという状況です。だけ
それから洪水防御のための上流のダムなどによる流量
ど土砂が来ないだとか川の形が元に戻らない圧力は常
のコントロール。
に掛かっている状況で、土砂投入や河原の再生を止め
それから土砂に関しても一番大きい影響を受けてい
てしまうと、当然また右の図のように川はへこんで歪
るのは、昭和 30 年代から 40 年代にかけて行なわれた
になってしまう。だから自然再生といっても全部放っ
大量の川の中の土砂の採取です。高度成長期を支えた
ておけば言い訳ではなく、人間がある程度関与しなが
土砂はほとんど川から採っていたわけですけど、日本
ら自然を維持していかなくてはいけないというのが多
で一番土砂採取量の多かったのは多摩川です。多摩川
摩川の状況だといえます。これは何故かというと、人
は溜まっている土砂の更に多くを取ってしまった。現
間の影響を完全に排除できない、人間がここに住んで
在は上流の砂防ダムとか、ダムの影響、あるいは横断
いる限り排除できないというのが根本的な問題です。
工作物である堰の影響で土砂がそこで止まって下流に
それでは人為的なインパクトにはどういうものがあ
なかなか流れてこないので、昔の水量が復活しにくい
るか。これにはいろいろあります。今、丸で示したよ
というのが土砂の影響です。
うに水質の問題もありますし、上流から来る餌の質量。
水質は皆さんご存知のように、農地からの栄養塩類
水温の変化や濁り。水量も平常時の流量が変わるとか、
の問題とか都市からの汚濁物質の問題。こういうもの
季節的な変動が変わってしまうとか、洪水の量が増え
が加わることによって川の骨格や構造が変わって、そ
るとか減るとかです。全て両方あります。都市化する
れで生き物の棲み処がなくなって、様々な生物に影響
と水がしみこみにくくなり洪水の量は増えます。上流
を与える。自然再生というのはそういう根本的なとこ
にダムを造ると洪水の量は減る。平常時の流量が、昔
ろを解消するような自然再生もあるし、ここが難しい
に比べて増えている川と減っている川がある。季節的
場合にはその辺に手を加えて生き物を回復しようとい
な変動は一般的には昔に比べると小さくなっている。
う、そういうパターン。右側に行けば行くほど対処療
土砂の量は減っています。それから質の変化というこ
法的になるので維持管理が大変である。この辺がきち
とで、上流から流れてくる土砂の大きさも変わってい
んと維持することができれば完全な自然再生は可能だ
るし、生き物の棲み処も変わる。様々な環境のインパ
し、川から横側の土地利用などがありますから完全に
クトがある。これのうち何かが原因で生き物が非常に
元に戻すのは不可能です。
棲みにくくなっています。
このデータは少し難しいのですが、川はどういうも
のかを示したものです。川は基本的には気象ですね。
水辺における自然再生の事例
自然再生事業の対象はいろいろありますが、私がや
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
っている水辺関係であれば川・湖沼・湿地帯などです。
では水位を上昇させる需要がありました。冬場の水を
自然再生のポイントは今お話しましたが、最終的には
上昇させるという需要があって、その時に急速に植物
生物は棲み処に依存するので棲み処を再生する。だけ
が失われていきました。今から思うと当たり前ですが、
ど棲み処というのは自然の仕組みで作られるので、そ
日本の関東だとか、梅雨のあるところの湖というのは
の仕組みを作ってあげなくてはいけない。多摩川の場
冬水位が低くて夏水位が高かった。それを逆にしてし
合には河原に着目していますし、その次にお話します
まう。冬水位が高くて夏水位が低いという逆をすると
アザメの瀬というのは氾濫原の湿地というものに着目
生物が対応できなくてあっという間に数が減ってしま
して、機能を戻してあげる。そのままの姿ではなかな
いました。それで困って湖岸帯を再生しようというこ
か戻らないので、生き物が生きていける機能を再生し
とになりました。
ようというのが基本的な考え方になります。
水位の変化をしばらくの間止めてみようというのが
まず湿地の再生の話です。一番著名な例は釧路湿原
まず第一。それから湖岸帯がコンクリートで覆われた
の自然再生事業です。この事業は 5 年ほど前から始ま
護岸だったのですがこの前に広大な植生態を作ろう。
りましたが、基本的なコンセプトは湿原の面積の減少、
そのときには昔の地形をよく見て、昔と同じような姿
それから外来種がたくさん入ってきただとか、埋まっ
をその場所に与えていこうとしました。昔、そこに植
てきただとかです。湿原が減ってきた理由は埋まって
物が生えていたものを中心に再生する、というような
きた点と地下水が減ってきた点。湿地の中の微地形は
ことを考えてやった。これは今のところ大成功してい
どうか、地下水はどうか、それから湿地は流れてくる
ます。
土砂の量で埋まるので土砂量のコントロール、それか
霞ヶ浦の中に溜まっているヘドロを掻き出して、そ
ら栄養塩のコントロールです。ここはだから上流から
の中の種から再生する。真珠湖でも同じように自然再
全部含めて流域全体での自然再生ということで一生懸
生事業が行なわれています。6、7 年前になるでしょう
命やっています。
か。日本で湖岸帯の再生がそれほどできると思ってい
これは釧路湿原です。非常にきれいです。これは釧
なくて、当時どのようにやればいいか分からなかった
路湿原の中でやっている川の蛇行再生です。直線の川
のですが、既にスイスのボーネン湖ではこういう風な
を蛇行させます。私はこれに何の意味があるかよく分
形で再生が進んでいて、日本でもこういう風にやって
かりません。こんなに広いところでこれだけやったか
みようと挑戦しました。この時に中国の巣湖(シャオ
ら何になるのかと私は思ったのですが、北海道の方か
フウ)見に行きました。私たちは自然の湖の湖岸帯を
ら見ると単調に見えるようです。釧路湿原の場合はこ
自分で見たことがなかったわけなんですね。自分で見
れだけ広いところなので農地との関連が非常に重要で
たことがないものを再生することはできない。技術と
す。酪農をしている人たちと釧路湿原の関係は本質的
いうのは頭の中では分かるのと心で分かるのは別なん
に一番重要なんですが、ここはその合意形成がとても
です。自分の心で納得しないものはできない。そこで
難しくてその部分がどうであったかは、初期の段階で
中国の巣湖で自然の湖岸帯を見ました。日本の昔、40
は環境省主導型で少しアカデミックな部分が先に走っ
~50 年前はずっと霞ヶ浦などの沖まで植物があった
たので、住民はついていきにくかった印象を受けまし
ところです。信州大学の桜井先生は湖岸帯の絵を描い
た。どうしても酪農が悪いという感じになってしまう
て、徐々にヤナギの樹が在ってというような図を描い
と、非常に自然再生は難しい。やはり自然を再生する
たことがありましたが、そのものを見たことがないわ
時に誰かが悪いというのを作ってしまうと非常に後が
けです。それを我々は初めて見て、こういう風にすれ
難しいので、上手にそのあたりの合意をすることが大
ばいいんだと思いました。
切だと、釧路湿原から思うところです。
沖まで植物はあるんだと、そんな単純なことですが、
しかし、これは日本で最大の自然再生事業で、一生懸
そのイメージをどうしても持つことができなかった。
命やっておられるので時間が解決してくれると思いま
それでこれはできました。とっても緩やかにしている
す。
んです。それまで湖岸帯の再生、川岸の再生は緩いと
次は湖岸帯です。湖岸態についてはおそらく飯島さ
ころでも 10m毎にいったら 1m下がるくらい。これを
んのほうからお話があると思いますが、日本で最大の
斜面の呼び方は 10 分の 1 の勾配といいます。10 歩歩
霞ヶ浦の湖岸帯の再生です。湖の湖岸体の再生という
いて 1 歩下がる。自然の湖岸帯を見て分かったのは、
のは日本で一時大きな問題になりました。特に霞ヶ浦
どうも 100 分の1とか 200 分の1とかのとんでもなく
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
緩い勾配だということが分かった。それで少なくても
林が大体できます。湧き水が湧いています。川の中に
100 分の1にしようということで凄い前に出しました。
目を向けてみると裸地の河原があって、瀬があって淵
それまではこういうことを考えてもいなくて、だから
があってと、こういう構造です。非常に平たい川です
これだけ前に出しているんですね。本当は引いたほう
ね。日本ではこういう川をなかなか見ることができな
がいいです。前に湖の湖岸がなくなるのかというと、
くて、本当の扇状地のイメージはつかないですが、外
そういう湖岸帯の前に道路を作っているので、自然の
国に行くと、外国のものを見ると、もともとの扇状地
湖岸の前に出したからなくなるのだそうです。本来は
なんだというのが分かります。扇状地というのは平た
引いて造りたいのですが、土地の所有者がいるのでな
い形状であるとか、河原があるのが基本になります。
かなか難しいので、前出ししています。本当は引きた
川の特徴で重要なのは、洪水によってものが変わる
かった。引いて、しかもヤナギがあったりすることが
ということです。これは千曲川の例なんですが、1995
理想的な湖岸の形なんですね。そういうものを調べて
年の空中写真を見ると川の中には河原というものがた
いかないといけないと思います。そういうのも見てみ
くさんある。だけど 13 年も洪水がないと川の中に樹が
ないと分からない。日本はもうあまりないです。
たくさん生えているわけです。しかし大出水があると
川の自然環境というのは、地形や地質、上流中流下
もとに戻るということで、こういう変化する環境が、
流とかで違うわけです。だから自然を再生する場合、
川の川らしい環境です。だから、私が知っている鳥の
その場所にふさわしい環境を再生しないといけない。
研究者は、1995 年ぐらいになったら、10 年ぐらい前は
だけど再生といっても、昔あった通りの形にならない。
チドリやアジサシがいっぱいいた川だったが、最近は
いろんな形で制限されるから。そうじゃなくて、生き
すっかり川の中に樹が生えて、これは川の環境が変化
物がその場所に棲むことができる仕組みを再生するこ
したのではないかと言っていました。ですが 99 年に洪
とが重要です。
水が発生して、またチドリやアジサシが増えました。
川の上流っていうのはどうなっているのかというと、
そこでやはり、川は生き物の種類も、ある時間の中で
一般的に川岸に河畔林があって、ステップアンドプー
変化しながら、ですが全体で絶滅するわけではなくて
ルといわれる、水が落ちるステップがあってプールが
少しは領域は狭まりますがその中で生きている。生き
あってという構造になっている。こういうのがあると、
てはいけるが個体数は変わりながらいくのが川の自然
これに依存した生き物がいる。河畔林があって倒木が
の環境です。ですからこういう仕組みが維持されてい
あって落ち葉がある構造になっている。渓流部では、
ないと、川の中は木だらけになってしまうわけです。
だから先ほど述べたステップアンドプールと河畔林の
河原には、多摩川ですとカワラノギクだとかカワラバ
二つが非常に大きな環境を構成する要素で、だいたい
ッタなど、河原特有のものがいます。
上流の改修をすると、この二つがなくなってしまうの
この図は見にくいですが、日本の川の扇状地で樹林
でいけない。これが必要です。だからプールとは何か
化している川を示した図です。ほとんどの川では、川
というと、物質を居留したり底生動物とか魚類の生息
の中に樹がたくさん生えています。千曲川のように、
の場になるとか、河畔林は日陰になって水温が低い状
大きな洪水が来て樹がなくなる現象が非常に少なくな
態を維持するなど、機能をいろいろ持っている。ある
っている。これは先ほどお話したように、昭和 30 年代
いは小木も当然できますから、これが基本的な構造で、
から 40 年代の高度成長期に日本中の川から土砂を取
これをいかに上流でその川らしく再生していくのかが
ったからです。日本の大河川の平均の川底は、この時
ポイントです。渓流部の再生はまだ日本ではあまり本
期に 2~3m下がりました。それは何千年分という間に
格的なものは行なわれていない状況です。
溜まった土砂を取ったわけですから、簡単には元に戻
川の上流から見ていくと、今の渓流から平地に降り
てくると扇状地、自然堤防感覚という形のパターンが
らない状態が日本中の川で起きています。樹林化率は
大体 80%です。
非常に一般的なものですが、しかしながら扇状地的な
更に下流に行きますと自然堤防地帯という、いわゆ
ところにも丘陵が迫って川が広がりだして扇状地を形
る氾濫原にはいります。氾濫原は川が氾濫するところ
成しないなど、いろんなことがあって単純にはいきま
です。扇状地というのも氾濫原は氾濫原ですが、勾配
せんが、単純に言うとこういうものです。
は比較的急で扇状の地形になります。多摩川のように
扇状地と川はどういうものかというと、非常に広い
丘陵があると狭められて完全にそういう地形にはなり
河原が広がっている。川沿いに必ず河畔林、ヤナギの
ません。それが平たいところにいくと、川が蛇行を始
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
めて、自然に堤防ができて自然堤防と呼んでいます。
ですが、1974 年以降、川の面積が減少していることが
水が引きにくいので後背湿地という場所になります。
分かります。大体洪水があると川の面積が増えます。
それは高いところ、低いところ、泥が溜まるところな
ここは砂利採取によって自然裸地が減少した場所です
ど様々な微地形が生じます。春になると自然堤防の低
が、砂利採取を 1964 年に止めたとたん自然裸地が増え
いところから、水がビュッと溢れていって、そこでナ
始めます。洪水があると増え始めるのですが、何故か
マズとかドジョウが産卵する場所になります。
1974 年を境に河原は減少傾向の一途をたどっていま
人間の土地利用でいうと、自然堤防上に作地・畑を
す。
作り、後背湿地を全部水田にする土地利用をずっとし
それから、これは多摩川の長田地区の川沿いの面積
てきました。これは典型的な自然堤防です。この裏側
の変遷を示していますが、現在では 20%以下というこ
が後背湿地になっています。自然堤防の特徴は、川の
とが分かります。この場所をご存知の方もいらっしゃ
中は交互に蛇行を始めて交互に柵ができて淵ができる。
るかもしれませんが、多摩川長田地区の河原に溜まっ
あとは後背湿地のような氾濫する場所ができて、水が
た茶色の部分を掘削して、河原に戻そうということを
引きにくいジトジトした場所がある。そういうところ
やりました。
が特徴です。
これが再生する前と再生した後です。風景が随分変
わっています。河原を維持するためには上流川の土砂
多摩川の再生と課題
の量が少ないので上流に土砂を堆積させて、それを下
さて、多摩川の話に移りましょう。多摩川は皆さん
流に流させて河原を維持することをあわせてやってい
ご存知のように、多摩川の長田地区、福生の一部まで
るわけです。この土砂は小作堰という多摩川の玉川上
河原の復元が行なわれました。少しカワラノギクの群
水を通っている堰よりもっと上流の堰に堆積した土砂
落が大体どのような地域にあるかという調査を、次に
を運んできて堆積させています。
話される倉本さんや奥田先生の結果を見てみますと、
これは次に話される倉本先生がやられているもので
完全に扇状地河川の場所にしかありませんで、この植
すが、カワラノギクの亜種を育てて、それが芽生えて
物が扇状地的な川の特徴と、その生息範囲が一致して
います。2003 年には 3000 株が植えられました。こう
いることが分かります。これは 1941 年の多摩川長田地
いう形で、多摩川では河原を対象に自然の再生を行な
区ですが、50 年の間に川の中は木だらけになったこと
いました。多摩川の河原の復元の特徴は、研究者主導
が分かります。一部は液層がまったくなくなって、い
で再生を行なった。しかしながらカワラノギクの研究
わゆる土炭層と呼ばれる基盤岩が露出するようになり
的な保全対策ということで行ないましたので、本来の
ました。
河原よりも若干高いところに保全の対象を作っていま
川の方の変化を見てみますと、川を横断に区切って
す。その維持管理等については倉本先生を中心に市民
切って、これが横方向の距離でこれが高さ方向の距離
参加で行なわれている。しかしながら、扇状地河川の
になります。1968 年は平らだったのが、1993 年は一部
再生の一部に過ぎませんし、完全な自立的な復元が非
が 5mも下がって、このあたりは 2mと、高いところと
常に困難である。上流から来る土砂も少ないし流量も
低いところの差がものすごくできているのがわかりま
一定であるので、土砂の投入や適切な管理が必要な状
す。今は水がここにだけ流れています。ですから、ち
況にあります。今後どういう風にそれを発展させてい
ょっとした洪水でも水が乗らないで、細かい砂が溜ま
くのかが課題になります。
るようになって、ここに樹が生えるようになりました。
向こうは河原で、ちょっとした洪水でここがどんどん
住民参加と合意形成で進める自然再生
洗われて、河原だったのが深くなって川になる。こう
次に、私が行なっている氾濫原の話です。これは佐
いう変化のためにカワラノギクなど、そういう場所に
賀の松浦川というところでやっていることです。先ほ
依存していたものがいなくなるということが起きます。
どお話したように、下流になってくると今度は河原と
ここに生えている樹がハリエンジュと呼ばれるニセア
いうよりは周りの湿地と川とのつながりが非常に重要
カシアの樹なんですが、この樹齢を調べてみると大体
になってきます。近年、その川と湿地のつながりが減
1975 年くらいに生えていることが分かります。
ってきて、昔よく見られたドジョウとかフナ、鯉が見
河原の面積を調べてみると、縦軸が河原で、河原が
られなくなった。それを再生しようということです。
川の中に何%、どのくらいの割合あるのかを見たもの
そのポイントは人と自然のふれあいを再生しようとい
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
うことを最初のコンセプト、目的にしました。川と流
自然堤防、昔ここに高い土地があって、その後ろは湿
域のつながりがなくなる、そういう場所で遊んでいた
地だったことが分かりました。だけど良く見てみると、
子ども達に自然とふれ合うことがなくなる。自然と自
自然堤防の土が出てきたのはここだけなんですね。多
然のふれあいが減ることによって、人と自然のふれあ
分そうだろうということでやってみたのですが、上手
いが減る。それによって今度は人と水のふれあいが減
くいきました。
るというので、人と自然のふれあいを大切にしようと
しました。
結局 1000 年前の自然再生。平安時代の環境に戻そう
としました。みんなが自然再生の話をすると、大体昭
松浦川は佐賀県唐津市を北流する、とても小さい川
和 30 年代に戻そう、戦前に戻そうという話になります。
です。国が管理する川ですが、大きな川ではありませ
それが議論の中心なんですね。1000 年前にしておけば、
ん。川をどれくらい広げているかというと、昔の川に
そういうつまらない議論はなくなるのではないかと思
比べて二倍以上広げています。コンセプトは、昔は川
って、1000 年前にしました。要は何年前が重要ではな
と水田が繋がっていて、雨が降ると川と水田が繋がっ
く、生き物が棲める環境が戻ればいいのです。
て、これが昔の後背湿地の役割を水田がしていました。
だけど面白かったのは、いろいろ調べてみると、昔
そこでいろいろな生き物が産卵したり棲んだりしてい
の水位は平時 4m くらいでしたが今は 2.5m しかない。
た。それを人間が利用しながら生活するという関係だ
だから川底が 1m50cm も下げているのだろうというこ
った。しかし、水田が土壌整理され、河川改修される
とが分かります。だから 1m50cm も下げれば、つながり
と、完全にそことのつながりがなくなって、ここに依
が減るのもわかります。または、月 1 回の最高水位は
存している生き物が減ってきた。ごく普通に見ること
10m 平時です。5 年間の水位の 5 番目だから、一年に一
ができた鯉、ナマズ、ドジョウ、テナガエビが減少し
回はここにくるだろうという水位です。4 月は少し雨
てきたので、環境を再生しようということで松浦川沿
が降ると大体この辺まで来る。そうするとはっきり言
いの 6ha の水田を買い取って、湿地に戻そうとしまし
って夏頃はこういうわけですね。ナマズやドジョウは
た。これは元々湿地に戻そうとして買ったわけではな
5 月に来るから、地盤はどうしようか、などを決める
くて、私が所長で行ったときは、上に蛇行していると
ためにこういう図を作ってやりました。これが最初に
ころがあって山より上に平らな土地があるのですが、
造った図面ですね。下流から水が入って、雨が降ると
そこがいつも毎年のように浸かる。ここの侠客部を開
ここが水浸しになってドジョウやフナが産卵する仕組
けたら上流が助かるということで、30 年前に起きたプ
みを作りました。ここに柳などが生えていたりするの
ロジェクトだったのですが、下流にしばしば浸水する
が良いのではないかというのも話しました。
ところがあるので、合意の形成ができずに 30 年間開か
ここは徹底した住民参加と合意形成でやりました。
ずの事業だった。いよいよ私が行ったときに、ここは
ここで考えたのは、検討会方式を考えました。ポイン
堤防を造るよりも土地を買ったほうが安上がりだし良
トは、いろいろなところを見ていると、専門家や大学
いだろうということで土地を買うことになった。それ
の研究者がいろいろと言い過ぎる。その結果地元は下
でこの場所を全て買い取ることになりました。跡地利
がってしまう。それではいけない。だから専門家はア
用をどうしようかと相談している時だったのですが、
ドバイザーとしました。それがポイントです。今まで
今更公園というのもなんだろうということで、ここを
の部分の反省から、大学の研究者が最初に入ってくる
自然に戻すことにしました。こちら側には堤防がある
と難しすぎてみんな嫌になってしまう。だけど、ここ
が、こちら側にはないということです。
の事業は自然再生は難しいので、プロの人に関わって
ここを掘って湿地にしようとしたのですが、やはり
もらわなければいけない。その関係をどうするかがポ
うるさい人がいて、昔はどういう地形をしていたと言
イントだったので、アドバイザーという形をとったわ
いたいことを言う人がいました。湿地に戻せばいいじ
けです。
ゃないかと僕は思うのですが、昔はこうだった、再生
それから、合意形成をこの場所を作っていくときに
だろう、ということで言われました。機能の再生だか
自由参加を考えました。今まで国土交通省で物を決め
ら良いと思うのですが。ジオスライサーというもので
るときには、みんな委員会をつくって、委員の先生が
地盤をスライスして、昔の地形はどうなっていたかを
決めていた。そうではなく自由参加という形でやって
調べます。黒いところが粘土質性の堆積物です。5m
みよう。それは非常に開かれたものにしたいし、関心
くらい掘って炭素年代を調べると、1000 年前、ここに
がある人に参加してもらいたい。できれば全住民参加
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
にしたいがとても無理なのでなるべく多くの人に参加
は必要かということですが、僕は自然再生事業には住
してもらった。それで始めました。この形は今まで他
民参加は必要だと思います。何故かというと、やはり
ではあまりやっていないと思います。これはある意味
自然と付き合うのは簡単ではない。しかも、流域で生
では非常に良かったと思っています。それから先ほど
活する人の理解がない限りできない。場合によっては
述べましたが、専門家はアドバイザーとして位置づけ
酪農、農業と関係がある場合はその人たちの生活に直
ました。
接関係する場合がある。そういうこともあるので、住
また、地元の幅広い知識を吸収する努力をしました。
民参加は早い段階からやったほうが良いと思います。
これはどういう意味かというと、自由参加の検討会だ
それでなるべく多くの人が参加できる仕組みを作るこ
と時間が大体夜の開催になります。6~7 時。そうする
とが重要で、それは地域の特性によってものすごく違
と、女性の方が来られない。男性も年配の方ばかりに
ってきます。
なってしまうので、それ以外の人の意見を聞くために
多摩でやった場合は農村社会なので、農村の基本的
いろいろな場所に行って意見を聞くように努力しまし
なコミュニティーがあるので、その基本的なコミュニ
た。そして、みんなで作り上げていこうということで、
ティーをベースにやらないといけない。だから、いろ
繰り返し話し合われた。それから「してくれ」ではな
んな市民団体の人がいますが、市民団体よりも地域の
くて「しよう」を基本にしました。国土交通省が中心
コミュニティーがとても重要です。地域の婦人会や老
の事業なので大体説明会になるんですね。説明会にな
人会など、そのようなそもそものコミュニティーと、
らないように気をつけました。
「してくれ」は陳情なん
新しい市民グループのコミュニティーの両方のバラン
ですね。九州弁で行ないますから、
「『してくれ』はい
スを取りながら入っていただく工夫をする必要がある。
かんよ。『しよう』が基本よ。」と言いました。
だから都市は都市でやり方があるので、その流域の状
すぐに手を上げる。「所長、草ばっか刈ってくれん
ね?」
「良かばってん、草ばっか『刈ってくれんね』は
況をよく理解してメンバーとかその人が来れる時間帯
を見た会合の設定が必要になります。
駄目。
『刈ろうね』と言わんね」と言っていました。最
科学者が先行すると、どうしても住民が置いていか
後は国土交通省が刈っても良いけど、合意形成でみん
れるので、科学者の役割は今の自然再生ではとても重
なでやろうと言っているんだから、最初から何とかし
要ですが、そのかかわり方についてはもう少し配慮す
てくれんねは絶対駄目だといいました。これが基本な
る必要があると思います。環境省の行なっている自然
んです。こういう話し合いは陳情になってはいけない。
再生は、常に科学者が中心になって進める仕組みにな
みんなで何かしようよ。だけど誰がするかというのは
っていますが、それは必ずしも良いとは思えません。
その次です。最初からあいつがしろとすると、話がこ
場所によってやり方は変えるべきだし、やはり中心に
じれる。それから繰り返し話し合う。進め方もみんな
なっていくのはその地域の住民だと思います。ただし、
で考えて決める。
元々関心のない方もたくさんいらっしゃるので、それ
をどのようにするのかが重要です。
資料の 3 ページを見ていただくと、合意形成につい
てと書いてありますが、まずはなるべく早い段階から
はじめる。アザメの瀬での自然再生では、全く何も決
まっていないゼロの段階からはじめる、予算が付いて
いない状態からはじめています。また、予算が付いて
いるとしんどいので、おそらく予算の付いていない段
階から始めて、それから予算が取れるのが理想です。
それからアリバイ作りの合意形成はしない。これは
行政に対して言っていますが、これは多いです。やら
ないほうがいい。
それからあらかじめ結果を決めない。合意形成とい
うのはプロセスだから、あらかじめこういう風になる
プロセスとしての合意形成のあり方
っていうのを決めるとやはりうまくいきません。先ほ
ここからはペーパーを使ってお話します。住民参加
どアザメの瀬で、最初私が絵を描いたのですが、イメ
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
ージがつかめないだろうと思って絵を持っていったら、
するのに資料が残る必要は特にないので、合意を形成
「それで決まっているんだから、もうやらんでよかば
する前の資料を残す必要はないです。合意形成をした
い」と言われました。最初から案を出してしまうのは
あとの資料が残る必要はあります。前の資料まで完璧
良くないです。だけど 5 回もやると、案も何もないと
に作ろうとすると、合意形成の前にそこまで意思統一
議論ができんと言われてしまいますが、あらかじめ結
を行なっているので、逆に変えられなくなってしまい
果を決めてはいけないです。
ます。それは良くないですよ。だから立派な資料を作
それから信頼関係を作るのは基本です。行政はウソ
らない。だから間違っても責めないことが重要です。
をつかない。住民はむやみに疑わない。行政は間違い
間違いを恐れない。資料には間違いがたくさんありま
を恐れない。住民は間違いを責めない。行政は隠さな
すが、別にいいじゃないと思います。
い。住民はエゴを持ち出さない。行政も住人も時間を
それから和やかな雰囲気づくりですね。座席の配置
掛ける。行政は説明会にしない。住民は陳情にしない。
はとても重要です。二の字は対峙します。島型の配置
お互い構えない。柔軟な態度。回数をかける。情熱を
や教室型の配置。講演のときは教室型の配置ですが、
持つ。これは重要ですね。
合意形成のときはあまり良くないです。どちらかとい
この間、九州で国家公務員の研修に呼ばれていった
えば島型のほうがいいです。島を作ってぐるっと回る
のですが、住民参加に対して質問はありますかと聞く
ような配置です。それぞれの机に行政側の人が入ると、
と、
「住民参加というのは住民の方々に様々なご意見を
かなり和やかになります。それから車座。日本人には
お聞きして、それをまとめていくのが住民参加ですよ
車座が一番いいです。できればお茶やお菓子を用意す
ね」と質問がありました。僕は「違う」と答えました。
る。これだけでも随分和やかになります。それから多
君は何をしたいのか。俺はこういう九州にしたい、そ
くの人の意見を聞くということで、いろいろなワーク
ういう思いがベースにあって人に物を聞きなさい。何
ショップ、ポストイットを使ったりしますが、私はあ
にもないところでただ聞くのでは絶対にいけない。そ
まり使わないですね。
ういうのを合意形成とは言わない。やはり自分の中に
こういうことを考えながらやっていました。回数は
思いがあって、固い情熱を持って、だけど自分の考え
とっても重要ですね。徹底した住民との合意形成とい
が違うと思ったときは修正する。お互いの合意を形成
うことで、これは私が異動するときまでですが、現在
するには片一方の気持ちがなかったら合意にも何にも
までに 50 回くらいまでやっているということなので
ならないじゃないか、ということを話しました。結構
素晴らしいのですが、合意形成にはいろいろ揉め事は
意見をまとめるのが合意形成だと思っている方が多い
あります。第 1 回のアザメの瀬検討会では、大体月 1
です。それではいけないと思いました。
回ペースでやっていきます。先ほど専門的な知識は必
それから信頼される態度、お互い馬鹿にしない。当
要なので、途中でシンポジウムを入れながらやってい
たり前のことです。人間としての信頼関係。それから
きます。大体月 1 回やって今は 50 回やっています。そ
合意形成で重要なのは、なるべく意思決定ができる場
れで面白いのが、第 5 回検討会から第 6 回まで 3 ヶ月
に行政側も住民側も参加する。常に持ち帰って検討し
空いたんですが、そうすると噂が立つんです。
「所長は
ますでは、嫌になってしまいます。
やる気がなくなったらしか」。時間を空けると悪い噂が
それから手間を掛けすぎない。これは行政側に言え
いっぱいたつんですね。やっぱり毎月 1 回やらないと
る事ですが、準備に手間を掛けすぎます。だから立派
いけないと身にしみて思いました。やはり回数は重要
な資料を作らない、これはポイントです。私がアザメ
です。
の瀬検討会をやっているときには、紙の資料を一切配
もう 1 つの特徴は、事業評価というか、この事業が
りませんでした。役所というところは、紙の資料を出
上手くいっているかどうかというのを評価してくださ
すということを嫌がります。紙の資料を出すにはチェ
いということで、公募の研究がありました。いろいろ
ックが入ります。係員は課長に言って、課長は副所長
な大学の先生にこの場所を評価してもらって、なかな
に言って、副所長は所長に見せる。段階を 6 段階くら
か外部評価は今のシステムでは難しいので、大学の先
い上げて、一回の合意形成ができるのに、役所の中で
生に公募して、この場所を評価してもらいました。例
6 回ぐらい合意形成を行なわなくてはいけない。パワ
えば日本大学の先生だと、経済的な価値を評価しても
ーポイントのような映像ですとノーチェックになりま
らいました。東京大学の西野先生たちには、アザメの
す。非常に重要なことですよ。ですから、合意を形成
瀬でシードバンクが利用できるかどうかを評価しても
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
らいました。カヤネズミがどういう風に移入してくる
い出来事です。交通も代替交通を作らなかったのです。
かの研究もありました。こういう形で新しい試みがあ
それは、ソウルの中に車は入ってこないほうがいい
りました。後はアンケートもしました。
という思想からです。駐車料金を上げました。どちら
以上長くなりましたがこれで終わります。合意形成
には楽しいものと、苦しいものがありますが、楽しい
かと言うと日本と逆なんですね。凄い影響を世界に与
えています。この辺りでよろしいでしょうか?
合意形成をしていきましょう。
質問者 B:ありがとうございました。私が建設省の方
とお話していた時は、島谷さんのような方がさっぱり
<質疑応答>
いなくて、今日はこういう方がもっと増えてくれれば
質問者 A:ありがとうございました。学芸大学の韓国
随分変わると思いました。今日の話で、例えば洪水の
からの留学生です。韓国の清渓川(チョンゲチョン川)
危険があるようなところはあっさり買ってしまってそ
の話を伺いたいのです。2 月に完成したのですが 2 年
こは工事しない、こういう発想は今まであまりしなか
の間に完成したので私としては短いかなと思うのです
ったような気がするんですね。どちらかというとすぐ
が、それに関して何か問題点はありますでしょうか。
造りたい、人が住んでいたら必ず守らなくてはいけな
あと、環境でこれからも大事にしていきたいものがあ
い、という発想でやってきたと思いますが、それを達
ったら教えてください。
成するときに買い上げてしまえということに対して抵
抗はありましたか。
島谷氏:清渓川(チョンゲチョン川)の話は今日はあ
まりしませんでしたね。韓国で 5.8kmの延長の川を
島谷氏:こういうのはほとんどやっていないと思いま
再生しました。川の規模は 50 平方キロメートルです。
す。どのような抵抗があったかは、私が言ったときに
神田川が 105 平方キロメートルですからかなり大きい
は既に決まっていたので分かりません。だから 30 年間
です。この結構大きい川の 5.8kmを改正するという
止まっていたということは、それなりに色々な議論が
ことで、3 年前の 4 月に市長が選挙で通って、これを
あって、結局だけど本来は農地の仕事は農林省の仕事
公約にして選挙に勝ちました。
で、河川の仕事じゃないんですよ。だけどそれは上流
これが改修する前と後の写真です。この道路を取り
をあけるから、それの保障工事的にやっているからで
除いたわけです。日本だと、この交通量をどうしよう
きたと思います。堤防を作るよりは土地を買ったほう
か、代わりの道路はどうするのかと思うでしょう。こ
が安いので土地を買ったのです。
こに埋めていた川を取り戻す。これをわずか 3 年でや
らなくてはいけない。私が一番最初の 11 月の国際シン
質問者 C:それともう一つは、実はこの間サロベツに
ポジウムに参加したときに、今とは違う話をして、最
行った時に、やはり酪農家の場所によって水に浸かる
後にアザメの瀬の話をしました。その時にアメリカ人
ところがあって、今仰ったように買い上げてしまう形
とフランス人と一緒に行ってやりましたが、質問が出
にすればいいなぁと思うのですが、やはりそこの農地
たのは私の合意形成の時が一番多かったです。だから
の振興とか酪農の振興という視点があって合意形成が
一番困っていたのだと思います。それから地元住民と
なかなか難しい話になっていたのです。その辺につい
の話し合いを何百回もやったとおっしゃっていました。
てはどのようなコメントをいただけるでしょうか。
今年の試験注水をやるまではまだ反対意見がありまし
たが、水を通すときに 30 万人が集まった。そのとき大
島谷氏:基本的に江戸時代までは水行政というのは一
歓声が沸きあがって、今年 10 月の通水の際には 100
体行政。土地の管理、それから用水、利水、治水を全
万人集まったそうです。この町全体が生まれ変わろう
部一緒にやっていた。それを明治政府が機能を分解し
としています。凄い経済効果です。今年の夏に気象庁
ました。現在も河川管理者というのは、名前で分かる
と日本の気象関係の人が共同研究を行なっていて、こ
ように、河川を管理しているだけであって洪水を管理
の川が甦ったことで都市の気候がどれくらい影響を受
しているわけではないのです。ですから、これを突破
けたのか。その影響がどうもあるらしいのですが、僕
するのは合意形成。住民参加型によって農水サイドも
は川のデザイン自体が課題があると思うのですが、こ
建設サイドもみんな入ってきて、その中で協議会を作
れは歴史に残るでしょうね。アジアの中では素晴らし
ってやるしかないと思います。ですから、誰が主体か
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連続講演会 第 2 回 「自然再生と合意形成」 島谷幸宏氏
は分かりませんが、治水を含めて流域全体の環境を改
善するような形のものを今後、みんなが合意をするよ
うな仕組みを作らない限り、組織が変わるのは考えに
くいので、組織が変わらなきゃいけないという議論で
は永遠に変わらないので、組織はそのままでできるよ
うな仕組みを考えるのが一番早道だと思います。その
時に非常に重要なのが研究者や科学者の役割で、そう
いうものを総合的にやれば非常に良いんだよと、述べ
るなり計算なりで示すことが重要です。福岡でも今や
りかけているのですが、福岡市は皆さんご存知のよう
に洪水に 2 度も遭っている。それでも溜め池が 100 い
くつもありまして、それを埋めようという動きがすご
くあったのですが、そういうことがどれくらい洪水に
効いてくるのかを数字で示さないとなかなか皆動かな
いので、そういうところからやり始めて、ネットワー
クを構築していくしかないかなぁと、それだったらで
きる可能性があるかなぁと思っています。
(―会場、拍手―)
<講師プロフィール>
島谷
幸宏(しまたにゆきひろ)
九州大学大学院工学研究院環境都市部門・教授
1955年山口県生まれ。河川工学、河川環境に幅広く係
り、最近は、住民参加の川づくり、自然再生、川の風
景デザイン、流域全体での治水、技術者の技術力向上
などをテーマに精力的に取り組んでいる。関係した主
な河川や活動は、埼玉県黒目川(桜並木でもめました)、
神奈川県境川(蛇行と河畔林でもめました)
、多摩川宿
河原堰(美しいデザインでしょう)、多摩川河原の復元、
佐賀県松浦川アザメの瀬湿地再生など多数。
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