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C:fiVŠš‚å−w−wŁñ icohp
「小石の観念」について
十一フローベールの旅・試論一一
平
田
靖
フローベールは,十九世紀フランス文学者の中にあっては,なかなかの
旅行家であった。ただ生来の旅行家ではなく,自発的な意志で計画された
旅は少ないので,その文学的生涯に大きな位置を占めているとは言い難い。
しかし交通手段の未発達状態にあった当時,他世界体験は,例えば多くの
ローマ賞受賞者のイタリア体験とその後の芸術の関係に似て,看過できな
い《踏みきり板》の効果をもっていたであろう。
2
筆者は,この小説家の旅の意義について既に考察に取りかかった :そ
こでは,旅は「ものの見方」の独特な型の確認と獲得であったと指摘した。
対象の観察における感受性の型が,旅の初期で、出来あがっており,問題は,
この感受性を時として《
etilausnes
》(肉感)と表現する旅人の目の特異
さと強調した。
旅がくり返えされ,その旅がさし出す日新しい対象を目の当りにする時,
この異能の旅人の感受性は,より多彩な,より深い形相を提出するはずで
ある。唯の旅行者にも, edipertni
(大胆不敵な)という形容詞が相応し
い時代,フローベールの続けた旅をふり返り,小論で、は,この点を深めて
みたい。
フローベールは,最初の旅のノートを閉じる際,次のように書きつけて
し、る。
(3 〕
《これからの旅のための白紙》
たしかにこの取りのけておいた紙に後の旅行の記録は書きつけられるの
であるが,第二の旅以降の記録は,文体修業を目ざした『野を越え,磯ふ
(4)
み
』
〔全てを語ることを前もって決心した旅の記述)を除いて,最初の旅
631
天理大学学報
のノートと異なり,短文の連なりであることが多い。
《おまえは,あふれる熱狂と,自由な幻想の歓喜のさけびをつつみこむ
はずだった》
最大の旅である東方旅行の際も,書き出しこそ,
て紀行文の態をなしているが,途中から,
「河舟の上で」と題し
《この先は手帳を写すことにす
(6)
る》と,ーきょに短文となっている。
この点をとらえて,例えば『エジプト紀行』を編んだ C.M
の序文に,
r は,そ
巴y 巴
《記述の余白と文章の沈黙の聞に強烈な感動が立ち現われてい
る》と評しているが,フローベールの真の思いは,やはり雄弁な『書簡』
に求めねばならないであろう。
ダマスより親友ルイ・ブイエに宛てた手紙に次の一節がある。
《町,人間,習慣,衣服,道具,要するに(ぼくがここで見ているもの
は)人間のものしかないのだ。ぼくはその細部なぞ,はっきりととらえて
いないのだ》
「すでにもう見てしまったものばかり J と,大概の場合には,普通の旅
行記の形式を拒否していることに留意しよう。
そして同じ手紙の中で,
《けれどもぼくにも進歩があるのだ。
(中略)ぼくは自分が,日に日に,
ますます感じ易しますます心を動かしやすくなってゆくのを覚えている
のだ》
と,自覚する作家に注目しよう。これは三年後,旅行記の記述方法を顧
みて,
《ぼくがただ一つの省察も書いていないことに注意して下さい。ぼくは
ただ単に最も簡潔な言い方で,不可欠の事,すなわち感覚だけを書きとめ
たので、あって,夢想や思念は除外しているのですよ》
と証言する作家の意図を考え合せると,紀行文の短文化の目的が判然と
してくるだろう。
放置すれば,
「ぼくは拡散と夢想によって失うところがあるかも知れな
(10 〕
し、」と,自己の本性を反省するフローベールに,この旅の途次に構想され
たあのブ‘ルジョワ思考の集大成『紋切型辞典』の一項目,
〔
)1
《廃嘘:夢想を誘い,風景に詩情を添える》を重ね合せると,この間の
「小石の観念I について
731
事情も明らかになるであろう。
すなわち,作家にはすでに選びとった覚悟と旅の型があったにもかかわ
らず,新しい旅先では「笑うべき J フ+ルジョワ精神を発揮しそうになる自
分を見い出してしまうのであり,悪戦苦闘の末,それを抑制する方法とし
て旅行記の簡潔な言い方が採用されたことになる。
大切なのは感じ方であり,そこにフローベールの自覚する「進歩」がど
のように発現するかを,以下考えてみよう。
《ラプレーの次の一節が絶えず脳裏に浮ぶのは何故だろう。
「アフリカ
)21(
は常に新らしいなにものかをもたらす」》
3581
年秋,フローベールは,愛人ルイーズ・コレに宛てて書きしるす。
この年は,
『ボグァリ一夫人』制作の文体の苦闘の最中である。張りつめ
た精神が,作品の進捗状態以外の事柄にも数々のするどい考察を行ってい
ることはよく知られているが,ここでは,旅についての新しい思いが語ら
,h ている。
;
では旅を思うとき,それが何故ラプレーであり,アフリカなのであろう。
これを手掛りに考えてみよう。
ラプレーは,フローベールが生涯敬愛した作家で、ある。フローベールは
かなり偏愛型の読者であったが, 61 才の時,小論文を献げたラプレーは,
セルパ γ テス,シェークスピアと共に,フローベール文学の父祖といえる
であろう。
《フォルスタフ,サンチョ,ガルガンチユアの三人こそ,古い社会に辛
らつな栄冠を捧げるグロテスクな三部作悲劇を構成するのではなかろう
)31(
か》
そしてラプレーは,
「彼の時代にそうであったであろう社会を探った」
作家である故に,フローベールの心をひいたらしい。
その作家の創出した,古い社会を撃つ登場人物のセリフの中のアフリカ,
そのアフリカが新らしいとすれば,彼のいる社会という鏡に映してみての
ことになる。ラプレーの主人公たちもおおいに旅することを考え合せると,
フローベールの先の思いは納得がゆく。留まるのではなく,旅行く者の目
138
天理大学学報
にこそ,世界の新らしさが時に見事に映じることがあるというのである。
ではアフリカに象徴される世界の新らしさとはどんなものか。次にこの
点を探ってみよう。
同じ旅先からの手紙をさらにもう一通読んでみよう。
には全くうんざりする」,
「エジプトの寺院
「われわれはノートをとったり,旅行したりす
る。でもそんなことはなんとも惨めなことかJ と,旅の無柳をかこつ筆の
合い聞に,次の文章をみつけられる。
《われわれは今エジプトに,ファラオンの国に,プトレマイオスの土地,
クレオパトラの祖国にいます。
(中略〉やっとの思いで,最初の目まし、か
ら立ち直ったところです。ベートヴェンの交響曲をやっているところに,
眠ったまま投げ出されたみたいです。金管楽器が耳をつんざき,コントラ
パスはうなり,フルートがため息をついています。パートに心をつかまれ,
魅惑され,心を締めつけられ,心を奪いさられるにつれて,全体はつかめ
なくなっていきます》
まったく新しい景観を前にしての混乱と興奮を交響曲に例えているわけ
だが,ここで注目すべきは,規模の大きくなった観察の対象に対し,全体
と細部という見方をしている点である。この手紙は,
「そして次第に調和
し,全体の見はらし(パースベクティブ)を得ょうとする意志によって,
その(あるべき〉位置にもどることができる」と,読けられるが,フロー
ベールはまず細部の新奇さ,激しさに身をさらすことから始めるべきだと
言っているのである。最初の旅でも対象から見つめられることを認めたフ
ローベールで、あるが,ここでは対象との関わりが極度に濃密となり,対象
の細部のもつ激しさ, dynamisme
に対峠する旅人たれと意識しているの
である。
これが,数多くの退屈さの中に,アフリカの提出する新らしきだと,旅
人は考えた。この細部との対峠という段階を経て,対象全体に作家個有の
パースベグティブを獲得するのであるが,その前にこの細部対|時の段階の
作家の緊張のドラマを今少し検討しておこう。
前節で引用した手紙と同じ日付で,ルイ・ブイェに宛てた書簡に次のー
「小石の観念」について
139
節がある。
《(スフィングスを前にして〉ぼくはほんとうの目まいを覚えた。マクシ
ムはぼくのノートの紙よりも青くなった。
(中略〉三人はスフィンクスの
方へ目をこらして,怒り狂ったように馬を走らせた。スフィングスは立ち
51( 〕
上る犬のように,大地からぬっと現われ,大きくなりつづけた》
先の手紙で交響曲の場合になぞらえられた感覚がここにある。そしてそ
れは,
61( 〕
「登りはじめ,中ごろに達した時巨大となった」と感じられたピラ
ミッドの印象と大きく異なっていることにも注意しよう。対象が持っと感
じられる激しさ, dynamisme
の差が出ている。アフリカの新らしさとは,
71( 〕
「いかなる絵もその edi
を与えてくれなかった」というスフィンクス
の証言が語るようなものである。
この dynamisme
を感知する目から,ラプレー的世界(文学世界)を
見わたす証言を読むと,この dynamisme
の特質がよく理解できる。
ラプレー以下の文学的天才を称揚した書簡から 5 カ月後,相変らず『ボ
ヴァリ一夫人』執筆の煉獄にいるフローベールの手紙にその片鱗がみえる。
「ホメロス,ラプレー, ミケランジェロ,シェイクスピア,ゲーテ」と,
先の系譜に新しい名前を加えつつ,この「何かしら不思議と優しいものが
全体に漂っている(作品〉の静けーさ,そして力強さ」を歌い上げた書簡は
セルパンテスの描くサンチョへの讃歌で、圧巻をむかえている。
《例えば,サンチョに比べると,フィガロは何と貧弱な創造でしょう。
ロパにまたがり,生の玉ネギを食べ食べ,乗りものを睡でけりながら,主
人としゃべり合っている彼の姿は実にありありと想い浮べられます。どこ
にも描写されていなし、あのスペインの街道が,はっきりと自に見えてき
ます。が,ブィガロはどこにいるでしょう。コメディー・フランセーズの
)81(
舞台にです。社交的文学です》
さらに「ぼくが愛するのは,汗をかいている作品」と言い切る時,フロ
ーベールの言う dynamisme
を持った作品こそ,
の質は明らかになるだろう。こうした特質
「ほんの小さな裂け目から深淵を見,下の方に暗黒と
肱景が存在する」ことを感知させるとフローベールは考えている。
041
天理大学学報
回
以上見たように,対象の細部に対峠するとは,対象と dynamiqu
巴に
切りむすびつつ,そこに小さな裂け目を見つけること,そこを通してはじ
めて見えてくる全体へのとば口をつかむことであった。
ところで,この裂け目は対象に近寄ればみつかるものではないだろう。
そこから全体が見わたせる特権的な位置であり,その発見には「意志」を
働かさなければならなし、からである。作家がこの特権的位置に身を置いた
と確信するのはどのような時であろうか。ここで少し考えてみたい。
この東方旅行の間,同行のマクシム・デュ・カンは数々の写真を撮って
いる。現在パリ国立図書館に残る彼の作品は,
「ルポルタージュ写真」と
いうジャンルの草分けのーっと評価されている。スフィンクス,ピラミ
γ
ド,宮殴など,そのスケールを捉えるのに銀版写真の重い器械をあちこち
と忙しく移動する彼の姿は,フローベールの報告するところであるが,こ
のごく初期の写真には,焦点や絞りなどの装置は欠けており,
トリミング
などの技術も未知のことであってみれば,対象を画面に収める距離の発見
がその忍耐の全てであったらしい。
〔
91 〕
デュ・カンの作品の一枚にフローベールの姿が写っている。
「ひげの旦
那」とエジプトで呼び名されていた風貌で,しかも原地人の衣裳を身につ
けている。しかしこの写真もうつむき加減の,旅の日の作家を写したもの
ではなく,カイロの街角とその建物を記録したものである。記録という実
際的目的のための適当な距離はとられているであろうが,例えばここに写
し出された人物の心奥の思いを窺いうる何の手掛りもなし、。まだ若い芸術
である写真は,
「画家の絵筆と同じように」とし、う息込みにもかかわらず,
深さを得ていない。
芸術家フローベールの言う距離とは,その最初の旅で、確認された,あの
ミイラや廃撞をよみ返らせる感受性の力が十分発揮される距離であること
を思いおこしてみよう。旧稿では「がつがつする感受性」と指摘したこと
であるが,ファインダーならぬ芸術家の眼が対象を十分捉ええたと感知す
る瞬間が,光学的原理の外にあるのであろう。
ある時フローベールは,ルネサンスの巨人ミケランジエロについて次の
「小石の観念」について
141
様なことを語っている。
《ミケランジェロは,自分が近づくと大理石がふるえ出すと言ったそう
です。たしかなことは,彼の方が,大理石に近づくとふるえ出したに違い
ないということです。ですから,この人物にとっては,山々も魂をもって
12( 〕
いたのです》
この大芸術家のエピソードの解釈で,フローベールは,見る主体と見ら
れる対象の聞に魂の共鳴があることを語っている。山々に抱かれ直接目に
することの出来ない大理石の鉱脈,山々の魂とも言えるこの見えざる鉱脈
に魂のふるえ出す距離を見つけることへの共感が表明されている。
チボーデは「フローベールが真に自分を発見した」時期として「事物を
2( 〕
正しくみきわめるべくおいた距離を得た」時と,すこぶる正鵠を射た「距
離」についての立論を行ったが,ここにもう一つ,フローベールの特色と
なるべき「距離j 観があるように思われる。
チボーデのいう「距離j は,画家ドラクロワに「もしもっと早く銀版写
真が発明されていたら,私の仕事はもっと充実していたろう」と嘆かせ,
〔
)42
ブ、ルトンに「描写を無にしてしまう」とその著『ナジャ』への掲載を拒否
さぜた写真の持つ表現性を確保させるものであろう。フローベール文学の
大きな魅力は,ここから生れている。
しかし,フローベールには,
「正しく」と言い切ると誤解されがちな対
象の見方が存在している。ミケランジェロのふるえを伴った,共感の距離
である。この対象への対し方が誤解を招きがちなことは,旅先でのデュ・
カンの反応で十分理解できる。
デュ・カンは,自分の同行者が東方を目のあたりにしても,少しも興奮
せず,敷物の上に寝そべって,西欧から持参した本を読んでばかりいるの
に驚いたらしい。しかしフローベールの内部では,その時少々特異な反応、
が起っていたのである。
《デュ・カンがぼくをてっきり死んだものと思いこんだ時のことを書い
ていましたね。他の人たちだってそう思いこんだかもしれません。そうし
た時,ぼくは実に深いところに貝のようにもぐりこんでしまい,その場に
いないも同然になってしまう。
(中略〉こうした状態は特に自然を前にす
ると起り,そのような場合,ぼくは何も考えていません。ぼくは身動きで
天理大学学報
241
)52(
きず,匝になり,ひどい阿呆になっています》
「旅行をしている間,しばしばこんな状態になったものです」と自ら証
言するこの反応は,同じ相手への五ヶ月後の手紙を重ね合せると,いよい
よフローベール独自の対象対時の姿が現われる。
《間々を長いこと馬鹿みたいに見つめていれば,その視繰を伝って,樹
液が心にしみこんできます》
つまり,対象との共鳴,交感を実現する距離を得た実感は,実に生理的
なもので,一般的な興奮という形ではなく,他からみて不動,白痴状態を
現わすというのである。実際フローベールは,作品や書簡において,白痴,
狂人,未開人,犬,樹木さらに屍体などと共感し,交感する場面を数多く
書き残しているが,作家にあってこの距離がどれほど不可避なものであっ
たかを示しているであろう。
五
3681
年,サント=ブーヴの仲立ちで相識ることになったツルゲーネフに
著書を献呈された際,フローベールはそこに『ドン・キホーテ』の生の玉
ネギを連想し,
「風景に思想を与える共感作用は,小生の讃嘆するところ
であります」と,返礼を書き送っている。
これは,前節で、述べたフローベール独自の「匝離」観で見た「風景論J
となっている書簡であるが,そこで,さらに続けてこう書いている。
《これは何とし、う芸術でしょう。感動と,皮肉と,観察と,色彩の何と
いう混合なのでしょう》
ここで表明された「混合」こそ,フローベールが自らの文学に追求した
ものであるが,本論では,それが以上のような対象対時の眼の獲得の末,
到達しえた文学観であることを指摘するに留めておこう。
82( 〕
ただこの「混合」こそ,チボーデが指摘した「双眼」によって見つめら
れた世界が提出するものであろうが,この「双眼」でながめられた世界の
例として,作家の愛姪の洗礼式を報告した手紙を読んで、みよう。
《昨日,ぼくの姪は洗礼を受けた。その子も,列席者たちも,ぼくも,
食事を終えて真赤な顔でいる司祭すらも,一体自分たちがなにをしている
のかさっぱりわかっていなかった。ぼくらには無縁の,こうしたさまざま
341
「小石の観念」について
な象徴を見ていると,なんだか土ぼこりの中から掘り起した,はるか昔の
宗教儀式にでも参列しているような気になった。
(中略〉たしかに,一番
りこうだったのは,昔はいっさいの事象を理解し,おそらくそれをいくぶ
ん記憶している小石だろぅ}
人生における重大儀式の一つであろう洗礼式とそれに列席する人々を,
「皮肉」な限でながめると同時に,それらが「感動」的な意味をもってい
たであろうことを「記憶」している小石を理解する眼が,この場面には共
生している。そして小石をみつめる視繰を伝って,フローベールにしみこ
んできた過去の豊かさに,作家は「驚きから醒めなかった」とし寸。
チボーデもこのエピソードを引用しつつ,この小石に「冷ややかな精
神」や「芸術の原理」を見出し,《小石の観おと名付けむが,小論では,
この名称を借用しつつも,この世界の裂け目になっている小石の発見には,
大理石の鉱脈を前にしたミケランジエロに似た,歓喜のふるえが伴なって
いたことを強調しておこう。そしてフローベールは,彼の描く「人生」に
見つめられるべき一個の石を配置して,共感作用のドラマの糸口を提供す
るであろう。
例えば晩年の珠玉の作『純な心』の美しい描写,
《ときどき,天窓から
さす陽の光が,オオムのガラスの眼におちて,きらきらと大きな光を放っ
と,フェリシテの心は法悦に満ち協という文も,耳の聴えぬ老女中と剥
製の烏の至高の交感が,ガラス玉を通して行われることで,《小石の観念》
の見事な発現となっている。この小さな,もの言わぬものの象徴である小
石にこそ,フローベール文学のもう一つの核があったのである。
、
『
−
'
−
J
以上見てきたように,
《小石の観念》とは,対象に適正な距離を得た時
見えてくる裂け目があり,そこを通して作家を位惑する世界が想起される
というメカニズムをもつことがわかった。それ故,これ以降作家の作品執
筆へのゴー・サインは,この小さな裂け目の発見にかかってし、く。
例えば『サランボー』の場合,それを次のように証言している。
《『カルタゴ』はゆっくりした足取りではあるが,順調に捗っている。少
なくとも,今やぼくは「見える」ようになった。レアリテに到達しかけて
天理大学学報
41
いるのだと思う。それを書くということになると,気も狂わんばかりだが
ね》
「見える」眼の獲得を自負する心が手にとるようにわかる。そうしてそ
の実りである作品についても,
《わたしが自分のこの目で見てきたツッガ寺院の廃撞によって,ありし
日のままを再現しえたと確信しています。もっともこの廃嘘については,
わたしの知るかぎり,どんな旅行者も古代学者も語っていまぜん》
と,旅における「見える」眼獲得の自信を表明している。
そしてこの眼に「見える」ものは,ボードレールの指摘する
tner
)43(
subcr
・
と呼ばざるをえない世界である。 ロマン主義文学者たちの逃避手段
としての東方旅行が,この作家にあっては,その地下にあるレアリテを発
見する旅となっている。ロマン主義文学者たちが「この世の外なら何処へ
)53
〔
でも」と積極的に《地下の異郷》へ身を投じて行くのに対し,フローベー
ルの限は地下の伏流の世界を発見しつつも,双眼のもう一つは,もう一つ
のレアリテを見つづ、けているのである。
《私たちは事物になんと執着心があるのでしょう。ことに旅に出た時な
ど,物体に魂の悲哀が投影しただけなのに,
「物質の悲哀J がしみじみと
)63(
感じられます。どうしてなのでしょう》
この旅先での悲哀感の説明は,
《小石の観念》の特徴をよく表わしてい
。
る
作家生来の双眼の一方には「悲哀」というレンズしか入っていないので
ある。そしてその「悲哀」を実感するのは,眼前に存在するレアリテにで
はなく,双眼のもう一方がそこに秘やかに存在し,決しでもの言わぬ事物
に裂け目を発見し,心がふるえる時だというのである。
それ故フローベールは,この発見以降,
「どんな物質のかけらでも,思
念(パンセ〉を蔵していないものはありません」という強い確信を元に,
大理石のふるえを感じる大芸術家に及ばぬまでも,
「百分のーにも充たな
い自分のピラミッドを築くために,ぼくらは小石を一つ一つ積み上げねば
)83(
ならないのです」という決意で芸術の道を旅していくことになる。
東方旅行の折,親友ルイ・ブイエのために,エルサレムの描写よりも,
)93(
土産としてその街で石を三つ四つひろうエピソードは,偶然とはいえ,心
541
「小石の観念」について
をうつ。フローベールの文学世界は,この《小石の観念》をおおいに意識
しつつ,読みこまれなくてはならない。
注
(1 〕 拙稿「フローベールと旅
ピレネー・プロヴァンス・コルシヵ」『天
理大学学報』第79 輯
( 2)
Le erianoitcid
sed
sedi
,seu;rer
tome
,6 .p .485
以下フローベー
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ル作品の引用は『書簡』を除き白servu
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Honete
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1791
57 )に拠った。
Voyages
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ed ,segayov
tome
,01 .p .943
(4)
Louise
teloC
宛書簡, 2581 年 4 月 3 日付中で Par se! mazlc
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( 5)
segayoV
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ed ,segayov
tome
,01 .p .834
.p .544
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( 7) evatsuG
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Voyage
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(8)
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巴t 宛書簡. 0
581 年 9 月 4 日付
(9)
Louise
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宛書簡. 3581 年 3 月72 日付.
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.L hliuoB
巴t 宛書簡. 0
581 年 6 月 4 日付.
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Le erianoitcid
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21( 〕 Louise
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宛書簡, 3
581 年 9 月 2 日付.
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年 3 月61 日付.
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5 日付.
年 8 月62 日付.
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年 1 月51 日付.
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年 4 月 7 日付.
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天理大学学報
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宛書簡, 9581 年11 月 2 日付.
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巴UV 巴宛書簡, 2681 年21 月52 日付.
ボードレール「ボヴァリ一夫人」, 『ボードレーノレ全集』第三巻 .p 491
(人文書院〕参照.
)53(
渡辺守章,山口昌男,蓮実重彦『プランス』 (岩波書店, )3891
.p ,25
参照.
)63(
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宛書簡, 3581 年 5 月72 日付.
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宛書簡, 7581 年 3 月72 日付.
)93(
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宛書簡, 0581 年 8 月02 日付.
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