...

えんそくvol.9 静かの海

by user

on
Category: Documents
12

views

Report

Comments

Transcript

えんそくvol.9 静かの海
理系文芸誌
え ん そ く
v o l . 9
2009.6.7
住田翔星君・武田聖子さんのご結婚を祝して
——
漫 画 別にいいんですけどね
クリスチーヌショコラ
004
コラム 韓国旅行記
石田 和徳
010
小 説 淡きこと
落 雅季子
015
コラム 生活にカクテルを
佐藤 陽輝
024
小 説 鋏の使い方
小野本 洋
027
座談会 新婚夫婦と座談会@新居
050
小 説 想紅
佐藤 彩香
075
企 画 大江戸線すごろく
088
小 説 鈍色テクニカラー
案西 稿志
103
コラム 基礎静岡学
鈴木 菜見子
115
小 説 ショートショート
荒川 真成
117
小 説 有限の幸福な対称性
山崎 太陽
127
004
別にいいんですけどね
005
別にいいんですけどね
006
別にいいんですけどね
007
別にいいんですけどね
008
別にいいんですけどね
009
別にいいんですけどね
010
韓国旅行記
石田
和徳
の講師をしているというのだから驚きだ。勿論、韓国語はペラ
ペラ。
成田空港から二泊三日の旅に出たのであった。ちなみに姉は、
その妹に会いに、いつもながら若干服装が派手な姉と共に、
三月七日
自ら設定した空港での待ち合わせ時間に平気で三十分遅刻し
ソミヨン
World Baseball
ル文字の量の倍は眺めただろう。早くも日本語が恋しい。
に乗っている間だけで、僕がこれまでの人生で目にしたハング
れている大量のハングル文字に酔い始める。おそらくこのバス
仕方なく、窓の外をぼんやり眺めていると、町の看板に書か
てしか分からないので、やきもき。
だなあ、なんて思いつつ、試合の状況が野球にうとい妹を通し
)の東京ラウンド日韓戦の初日。韓国でも注目度高いん
Classic
の声が聞こえてきた。実はこの日は、WBC(
向かうためバスに乗る。すると、ラジオから韓国語で野球中継
釜山に着くと、妹が迎えに来てくれていて、一緒にホテルに
た。まあ、いつものことなのだけど……。
僕は、作ったばかりのパスポートを携え家を出た。僕にとっ
て、初めての海外旅行だ。尤も、字の通りにとってしまえば、
僕の出身地である沖縄県も本州から見て「海外」にあるわけだ
が……。
成田空港へ到着。しかしまあ、成田は遠い。成田空港も初め
てなので、若干コーフン。
ふと壁を見ると、ポスターに
と書いて
"Welcome to Tokyo"
あった。日本の玄関である成田空港が、外国人観光客にこんな
国家的詐欺をまかり通している。多くの外国人に「ニッポンハ
恐ロシイクニダ」と思われているに違いない。
プサン
今回の旅の目的地は、韓国の釜山。無論、流暢な韓国語など
しゃべれるわけはなく、僕の知っている韓国語といえば、
「ア
西面の地下街を歩く。繁華街の地下道なだけあって、若い人た
ホテルは釜山の繁華街である西面にあり、バスから降りて、
います)」
「サランヘヨ(愛しています)
」
「オジャパメン(ごっ
ちが多い。通りを歩く彼らを見て一番驚いたのは、女性同士が
ニョハセヨ(こんにちは)
」
「カムサハムニダ(ありがとうござ
つええ感じ!)※ 」くらいのものだ。そんな僕が今回の旅の
腕や肩を組んで歩いていること。男女のカップルみたいな感じ
で仲良く腕を組んで歩いているので、
「あの二人はひょっとし
目的地を韓国に選んだのは……、妹に会うためだ。
僕の妹は今、韓国に住んでいる。おまけに韓国で日本語学校
韓国旅行記
011
て……」と想像してしまった。
張 っ て 全 部 食 べ る と、
「料理が足りなかったのか。それは悪い
また、日本と違って「取り皿でとる」という習慣もない。よ
ことをしたな」と振舞った側が思ってしまうらしい。
ビールはあまり飲まれない。妹曰く、美味しくないらしい。そ
そわれている皿から直接とって食べるのが常識で、お皿を持っ
ホテルに着いた後、軽く飲みに行くことになった。韓国では
の代わり、焼酎やマッコリ(日本の「どぶろく」に相当するも
て食べるのはNGとされる。
というか激辛に近い。僕は激辛系がダメなので、スープが口に
プの味に未だ慣れない。韓国で出てくるスープは、大概は辛い。
朝から韓国料理の食堂に行く。食べ方には慣れてきたが、スー
三月八日
かなりリーズナブルな旅である。
で三万ウォン(二〇〇九年四月現在、約二千三百円)と格安。
お腹いっぱいになった。それでもウォン安の影響もあり、三人
この時は、軽く飲み食いするだけのつもりだったが、かなり
の)がよく飲まれるらしい。
マッコリを頼むことにした。
マッコリは甘く、度数も高めで、後々悪酔いしそうだったの
この後、地下鉄に乗って釜山近郊の海雲台に向かった。この
ヘ ウ ン デ
韓国では、飲み屋でも、普通の韓国料理を出すお店でも、料
海雲台はリゾート地らしく、ビーチがあり、そのお隣には高級
合わないのが残念であった。
理の量が半端でなく多い。飲み屋のお通しも、日本の三倍くら
マンションやら別荘やらがあり、日本でいえば湘南と軽井沢を
で、着いた初日ということもあり、ほどほどにしておいた。
いの量である。一般家庭で客をもてなす時も同様らしい。沢山
足して二で割ったようなところだ。
の絵の看板を発見。どうやら韓国では日本以上に「クレヨンし
ここでしばらくまったりしていると、
「クレヨンしんちゃん」
の料理でもてなすことが、客に対する最大のおもてなしと考え
ているようだ。客が料理を残しても気にしない。客の方にも、
も っ た い な い か ら 残 さ ず 食 べ る と い う 感 覚 は な い。 む し ろ 頑
韓国旅行記
マッコリ
012
んちゃん」が人気らしい。
た だ し 韓 国 は 儒 教 の 国 な の で、 子 供 が 自 分 の 親 に 向 か っ て
ファーストネームを口にすることはあり得ない。
「しんちゃん」
が母親を「みさえ」
と呼び捨てにするところは、
韓国語訳では
「お
ナ ポ ド ン
母様」となっており、他にも「しんちゃん」の「みさえ」に対
する言葉は全て敬語になっているようだ。
(テポドンではない)
。ここで、昼食にチーズ入りの石焼ビビン
呼ばれる商品店街があり、そこでは、ニセモノと思われる大量
また、チャガルチからちょっと歩いたところに、国際市場と
次に向かったのは、釜山で一番の観光スポットである南浦洞
バを食べた。チーズ入りを頼んだのは、韓国の食べ物の辛さに
③「辛いチキソ」
。ここの店長はきっと「ちゃねら」だ。
4
②「おかめ」を存分にアピールしている。
①「フライドチキン生ビール」って、チキン?
ビール?
ここで南浦洞の街で目にして気になった日本語をご紹介。
のブランド物のバッグやポーチが、路上で売られていた。
チャガルチ
飽き飽きしていたからである。きっと、チーズ入りビビンバは
日本人観光客向けであろう。
れたての魚介類が所狭しと並べられている。
浦洞を観光。チャガルチという港の近くの市場を見物した。と
夕方から妹の彼氏に会うことになっていたので、それまで南
ビビンバ
韓国旅行記
013
アン
夕方になって、妹の彼氏の安さんと合流。安さんは韓国で日
彼氏が全部払うそうだ。
で、サムギョプサルやオギョプサル(どちらも豚バラ)などを
まずは、安さんお薦めの焼肉料理店へ足を運ぶことに。そこ
忍びないため、両方の店とも、姉が全部払った。しかし安さん
相当なウォン安だった。いくらなんでも安さんに払わせるのは
の中で学生は安さんだけで、残りは社会人。しかも、この時は
慣例に従えば安さんが全て払うことになるが、このメンバー
食べた。韓国の焼肉は、まず大きな肉を焼いて、はさみで切っ
はうちの姉が払うことを頑に拒否した。もうとにかく「俺に払
本語を学んでいる大学生で、とても日本語が上手。
て、チシャ(サニーレタス)で包んで食べるのが一般的だ。チ
わせろ」みたいな感じで。こういうところで、韓国の男性は面
別れとなった。
朝から仕事のため、ホテルまで送り届けてもらって、そこでお
した後、安さんと別れ、ホテルのある西面へと戻った。妹は翌
その後、僕ら四人は釜山タワーに昇った。釜山の夜景を一望
子を保ちたがるようだ。韓国の男性は大変だ。
シャで包んでも、そのままでも、どちらでも美味しかった。
一通り食べ終わった後、うちの姉がまさかの発言。
「ここのお店、
カルビなくない?
あたし、
カルビ食べたくなっ
てきたんだけど」
このため、焼肉屋をはしごすることに。安さんも大慌て。そ
して、二軒目はガイドブックお薦めのカルビ焼き肉店に入った。
ここのカルビも美味しかったが、それ以上に美味しいと感じた
のは、焼酎とサイダーだった。焼酎をおちょこに入れて、スト
レートでくいっと飲み、その口直しにサイダーを軽く飲むとい
うスタイル。サイダーが焼酎の口当たりを楽にしてくれて、す
ごく飲みやすく美味しかった。
韓国旅行記
その後、お会計となったが、ここで旅一番の衝撃。
韓国の男性は、女性とのデートの時は絶対に割り勘にせず、
男性側がお金を払う。それはまだいいとしても、彼女の友達も
一緒に遊んだ場合は、彼女の分だけでなく、その友達の分まで
著者近影@釜山タワー
014
韓国旅行もとうとう最終日。
三月九日
審査で顔を見られても、全く怪しまれなかったこと。
ちょっと後悔。そして今回の旅で最も安堵したことは、出入国
ぱりこういう経験は学生のうちにもっとしておくべきだったと
※オジャパメンとは、正しくは「昨日の夜」という意味
やっぱ俺の顔って、そこまで怖くないんじゃん。
この日は月曜日で、帰りの飛行機は朝十時発であったため、
空港までの道のりで朝のラッシュに捕まる。行く先々で目にし
た時間に追われるサラリーマンの姿は、日本と何も変わりない
なと感じた。
この旅で日本と韓国の違いばかり感じていたので、
朝のラッシュ風景に少しホッとしてしまった。
最後に空港で、明らかに日本人向けな「冬ソナ」の絵の入っ
たお土産用のお菓子を買った。韓国には、そもそもお土産の習
慣はない。その店にいたのは日本人ばかりだった。
後日談
実は後で妹から聞いた話だが、安さんと一緒に入った二軒目
のカルビのお店は、
安さんはすごくまずいと感じていたらしい。
そのせいで、
僕らに申し訳ないことをしたと思っていたようだ。
僕らは美味しいと思って食べていたのに。味覚も日本人と韓国
人では大分違うようだ。
終わりに
今 回 が、 僕 に と っ て 初 の 海 外 旅 行 と な っ た わ け だ が、 す ぐ
お隣にある韓国でさえ、文化のギャップを痛烈に感じた。やっ
韓国旅行記
淡きこと
落
雅季子
016
先生に会いたくなるときの気持ちを言葉にすると、
ほろほろ、
マサトは、ワックスで髪を撫でつけながら鏡越しに言った。
を崩すようにやってきて、居座り、ふくらむ。これを止めるの
はとくとくと人生を語るようなひとじゃなかったし、自分の学
口に出してみたものの、どうも違う、という気がした。先生
「恩師」
は先生でなくてはだめ、
というのがしっかりわかるところまで。
生を正しく導く、という感じでもなかった。卒論の指導は、と
というのがしっくり来る。いつだってそれはほろほろと胸の奥
『あなたから連絡をくれるなんて、また芝居のお知らせかと思
考えを静かに深め、散歩しながら思索にふけるようなひとだっ
てもていねいだったけれど。どちらかというと、先生は自分の
先生からの返信メールの書き出しに、
思わず笑ってしまった。
た。ばりばり本を書いて出版したり、国際政治学会の理事をつ
いました。
』
先生には、大学を卒業して以来会っていなかった。何度か、
大学時代にわたしが芝居をやっていたころ、先生はわたしの
日のゼミの飲み会にはきっちり顔を出し、たっぷりお酒を飲ん
とも口に出さないし、風邪を引いて講義を休んだかと思えば翌
とめたりするような先生も大学にはいたけれど、先生にはそう
応援者だった。わたしの先生はロマンティックな国際政治学者
で満足げに帰ってゆくひとだった。
会いたい、と強く思ったけれど、仕事をはじめたわたしが忙し
で、大学を卒業してしばらく自分で劇団を率いていたくらい、
「うちの大学には、そういうタイプ見なかったからなあ。
イメー
いうことは関係ないみたいだった。
物静かで、大事なことはちっ
芝 居 が 好 き だ っ た の だ。 わ た し は ゼ ミ に 出 る か た わ ら 役 者 を
ジわかないなあ」
くなりすぎて、つい疎遠になった。
やっていて、劇団の公演には、いつも先生を招待していた。大
だったという。わたしとはまったく違う生き方をしてきたひと
マサトは工学部卒で、学生時代は研究室で実験を重ねる日々
らっとやってきて、いちばん後ろでわたしを見ていてくれた。
だけれど、それゆえにすこぶる仲はいい。
学 の 片 隅 の 講 堂 や 中 央 線 沿 い の 芝 居 小 屋 に、 先 生 は い つ も ふ
わたしが先生にとって少し特別な学生だったとすれば、それが
「じゃ、楽しんできてね」
靴の紐を結んだ。これから夜にかけて、学生時代の友達と麻雀
言いながら、マサトは小さなショルダーバッグを肩にかけ、
理由だったと思う。
「じゃあ、そのひとはミツキの恩師ってわけだ」
淡きこと
017
をするらしかった。
「いってらっしゃい」
「うん」
とくたびれた大人が入る飲み屋だ。
カウンタに案内され、わたしと先生は並んで座った。
「もう年ですからあまりお酒はね」
言いながらも、先生は焼酎のメニューを眺めている。先生が
先生とは、大学の最寄り駅で待ち合わせた。先生はもうわた
生は肌も白いほうだし、髪の色も全体的に灰色で、繊細な風貌
一息つき、先生の横顔に目をやる。薄茶の瞳がきれいだ。先
マサトはこちらを向き、
手をひらひらふって出かけていった。
したちの大学を離れていたけれど、ぜひあの街で、とわたしが
である。
鹿児島の麦焼酎に決めたようなので、店員を呼んで注文した。
リクエストしたのだ。この駅のシンボルだった赤い屋根の駅舎
先生って昔、小説も書いてたらしいよ。
わたしたちは図書館で先生の著作を探し回ったことがあった。
は、数年前に取り壊されていた。駅は改築中で、ホームから改
し寂しさを覚えた。
結局本は見つからず、先生に直接尋ねてみるも煙に巻かれた。
あるとき一年上のゼミの先輩からそんなことを吹き込まれ、
「お久しぶりです」
賞を獲ってデビューしていたのは本当らしかったが、ペンネー
札までの道はトタンとゴムシートの仮設造りになっていて、少
「先生も、お変わりないようで」
かった。先生は、そんなわたしたちを見ながら、夢の続きを生
ム も 雑 誌 名 も わ か ら な い の で、 結 局 た ど り つ く こ と は で き な
嵩が小さくなったような気がした。きっとわたしも同じぶんだ
きているみたいに、いつも静かにほほえんでいた。
言ったものの、久しぶりに会った先生は、少し白髪がふえ、
け年を取って見えたことだろうけれど。
先生の焼酎とわたしの林檎酒がきたので、小さく乾杯して飲
みはじめた。
大学正面の道は長い桜並木で、満開から少し経った、散りざ
まの美しいころを迎えていた。道沿いに提灯が飾られ、ビニー
「そういえば仕事、まだ続けてるみたいですね」
「だって先生が、はじめるならすぐやめないほうがいいって」
先生はわたしを見て、含み笑いで言った。
ルシートを広げて花見をしているひともいる。
わたしと先生はふらっと一本裏道に入り、手ごろな店の暖簾
をくぐった。学生のころにはあまり寄りつかなかった、ちょっ
淡きこと
018
「そんなこと言いましたか」
「おっしゃいましたよ。ほら、卒業式のちょっと前に」
「ああ」
先生は少し考えて、思い出したようだった。
「あのころのあなたには、そうでも言わなければね」
その昔、わたしがまだ先生のゼミの学生だったころのこと。
先生とふたり、研究棟の裏手の池で亀を見た。
そのときも、どうしても先生に会いたくなって、散歩に誘っ
たのだった。わたしは、来春からの就職が決まっていたにもか
かわらず、知り合いの劇団に出演することにし、稽古に明け暮
れる日々だった。
思えば先生と二人きりで話したのは、あのときだけだった。
い つ も ゼ ミ の 仲 間 が ま わ り に い た し、 先 生 は 大 学 院 の 授 業 も
持っていて、忙しかった。
と、きっぱり答えたのを覚えている。実際、それがわたしの
最後の公演になった。
さらに別れ際、またもや何の前触れもなく先生は
「あなた、勤めるならやめないほうがいいですよ」
と言ったのだった。
すぐやめる気はなかったが、続ける見通しもさだかではない
ことを見抜かれたようだった。でも、あのとき先生にそう言わ
れたから、今日まで仕事をやめなかったのかもしれない。そん
なふうに思うこともある。
マサトとわたしは、今年の十一月に結婚する。わたしが会社
に入って五年め。マサトが八年め。一昨年、同じプロジェクト
で出会ってから半年で付き合いはじめて、きわめて順調に、こ
こまで来た。
あるとき、マサトに言ったことがある。
「マサトって『虚』と『実』で言ったら、ぜったい『実』って
感じだよね」
先生は、用もなくふらっと研究室を訪ねてきたわたしを見て
何も言わず、池のほとりでサンドイッチを食べるのに付き合っ
「何それ。褒めてる?」
と、マサトは笑った。
てくれた。すっかり食べおわって、残ったパンくずを亀に投げ
たりしていたとき、先生は言った。
俺は普通のサラリーマンだからね、というのが彼の口癖だっ
定的に。それを聞くたびわたしは思う。おかしいな、わたし、
た。自嘲的になるのではなく、ごく当たり前のこととして、肯
「あなたはずっと芝居をやるかと思っていたのですが」
それに対してわたしは
「いいえ、今回が最後です」
淡きこと
019
普 通 の サ ラ リ ー マ ン な ん か き ら い、 っ て 芝 居 し て い た こ ろ は
「いつですか。お相手はどんな」
「ありがとうございます」
ねる。
先生はすっかりうれしそうになって、わたしにいろいろと尋
思っていたのに。でも今は少し違う。普通になるって、そんな
にこわいことじゃないかもしれない、って。
仕事いや。会社にいきたくない。いやなことがあるとすぐに
「今年の秋に。普通の社内結婚です」 勢いに乗って、先生はするする三杯めの焼酎を干した。わた
ぐずるわたしを、マサトはいつもなだめ、励ましてくれた。未
線に乗り込んでどこかに行ったり、夜中に起き出して急にしく
しは、
先生の素直なお酒の飲み方が好きだった。
先生に付き合っ
「結婚に普通も何も」
しく泣いたりしてしまう。いい大人だというのに、何ごとにも
て深酒しても、ふしぎなくらい翌日残らないのは昔からだった。
だにわたしは、急に思いついて会社を休んだり、日帰りで新幹
集中できず、ぐらついてばかりだ。いつもどこかうわの空で生
分のなごりでおでんを頼み、串ものや刺身なども食べた。先生
先生の祝福にうれしくなって食欲がわいたわたしは、冬の気
きるマサトは、とてもまぶしいのだ。
の自宅は湖の近くなので、そろそろ水温む春を感じるとか、東
活しているわたしにとって、迷わずひとのために働くことので
「先生」
ヨーロッパのここ最近の民主政策についてとか、あんこうは肝
先生も、受け入れた。
「そうですね。酔い覚ましに」
一息ついてわたしは、先生を夜桜見物に誘った。
「ちょっと歩きましょうか。せっかくいい季節ですし」
足していた。
しばらく過ごしたことのなかった上質な時間に、わたしは満
るうちに、ずいぶん飲んでしまった。
と白子のどちらが好きか、などと話すついでにおかわりしてい
「はい」
先生がグラスを置いたのを見計らって、わたしは言った。
「わたし、結婚することになったんです」
「へえ」
先生は、
一瞬目をしばたたかせ、
そのあとみるみる笑顔になっ
た。うれしいのかおかしいのか、どちらともつかない表情であ
る。
「それはそれは。おめでとう」
先生はかしこまって、グラスをかたむける。
淡きこと
020
ふたりで半分ずつくらい出し合って会計をすませ、店の外に
出る。三月の夜風が、酒に酔った頬に心地よい。
先生がのんびり歩いているので、わたしは半歩遅れてついて
ゆく。自然と話は、わたしの結婚に回帰する。
たとえば産休から復帰してまで今の仕事に戻る執着心がわたし
にあるだろうか。この仕事じゃなきゃだめ、とはっきり言える
ほどの情熱が。たとえば、寝ても覚めても芝居のことを考えて
いた、学生時代のような。
構内をのぞいてみたけれど、街灯がわずかしかついていなくて
歩きながら、大学の目の前までやってきた。門のすきまから
「はい」
暗かったので、散歩はあきらめた。
「ミツキさん」
「旦那さまは、素敵な方ですか」
「池、見たかったな」
「夜の池なんていいことありませんよ」
残念がるわたしに、先生は
「ええ」
迷わず、答えることができた。
「あなたがためらいなく言うなら、間違いないでしょう」
と、言って笑った。
「のんびり帰りましょう。春の夜は、更けております」
そう。わたしの中の揺らぎをなだめ、守り、つなぎ止めてく
れるのは、マサトなのだ。マサトじゃなきゃ、だめなのだ。そ
「はい」
「ところで、僕は今でも、あなたは戻ってくると思っています
答えて、回れ右をした先生に、したがった。
のことは、よくわかっている。
「お仕事は」
「しばらくは続けると思いますけど、でも、そのうち」
同期入社の女の子たちはまだ独身の子が多い。女の先輩が少
かもしれない。先生の話はどこからはじまっているのか、あい
思い出したように先生が言った。本当はずっと考えていたの
がね」
ないこともあって、わたしは自分の将来像をうまく描けない。
かわらずちっともわからない。
正直な気持ちだった。
もっとも、まわりにサンプルがあったところで、うまくやれな
「…どこにですか」
「さあ。あなたの戻りたいところでしょう」
いのがわたしなのだけれど。
しばらくは、
仕事も家庭も両立もできるだろうと思う。でも、
淡きこと
021
「だから、ぜんぜんだめだったんですよ。役者のあなたは」
先生は苦笑して、わたしをからかった。
戻りたいところ。
思わず心の中で繰り返す。そんな場所、あっただろうか。
先生の言うとおり、役者としてのわたしは、まったく才能が
わたしと先生の乗る電車は、反対の方向へ走る。中央線のひ
先生の顔に落ちかかる花びらを見つめていた。
たのは、どうしてだったのだろう。ゆっくり思い出しながら、
ていた。当時も先生にさんざん言われたのに役者をやめなかっ
てず、吸引力のない役者だった。客席の先生には、それがばれ
なかった。ひとの目を意識しすぎるわたしはのびのび舞台に立
何のことを話しているのかわからないまま、先生の空気にか
らめ取られる。
先生は疲れたらしく、並木道に設置されたベンチにすとんと
座った。わたしも、ハンカチをひいて横に座る。
今はサークルの新歓の季節だ。そこかしこで学生たちが、桜
を見て陽気に歌っている。地面にはところどころ桜の吹きだま
りができていて、花びらが風にくるくると舞い上がっては同じ
ところへつもっている。
なびたホームで電車を待ちながら、わたしは先生にお願いして
みた。
わたしは暗い空をふりあおぎ、先生に尋ねた。
「結婚したら、そこにはもう戻れないんでしょうか」
「わたしを、飲み友達にしてください」
先生はあっさり言った。
「まだ早いんじゃないですか」
「さあ」
先生は同じ答えを返した。ななめ先の地面に目線を落とした
まま、黙っている。
「あなたにはね、まだエネルギーがありすぎます。とてもわた
しの手に負えない。あなたがもうちょっと草臥れたころなら、
春の夜に吸い込まれるようにして、わたしはとうとう言って
しまった。
ぜひ」
「まあ、しばらくお会いすることも、なさそうですが」
わたしもほほえんで言った。
「そうですね」
「わたしずっと、戻れなくなることが、こわいと思ってました」
先生が緩慢な動作でこちらを向く。目が、合う。
「そうやって奥にこもろうとするのは、
あなたの悪いくせです」
「え」
淡きこと
022
先生は正直に言葉にし、茶目っ気をこめて笑ってみせた。
ああ、わたしは先生のこういうところ、すごく好きだったな、
と思い出した。
先生に手をにぎってもらうと、胸の奥にほろほろと居座って
いた気持ちが消えてゆくのを感じた。変わってしまったわたし
と、変わらないわたしのすきまを埋めるように、さらさらと。
先生と亀を見た日、わたしが何を考えていたのかもう思い出
せない。あのころ、何を不安に思っていたのかも。それくらい
「今日はお会いできて本当によかったです」
「わたしもです」
遠くに来てしまった。
中央線の中で、携帯電話がふるえた。マサトだった。
に行くのだろうか。
うち思い出せなくなるだろうか。ここからもっと、遠いところ
先生と桜を見た今日、わたしが何を考えていたのかも、その
「実を言うと、もう会えなくなる気がしていたので」
「なんですか。ひとをもうすぐ死ぬみたいに」
「そんな」
わたしは吹き出したが、先生と別れるときは毎回思っている
ことなのだ。次に会うのはいつになるだろう。あと何度、先生
に会えるだろう。いつだって先生は、流れるみたいにやってき
わたしは笑って、メール画面をぱちんと閉じた。
『麻雀ちょっと勝った。明日ケーキでも食べにいこ』
「先生」
マサト。好きだよ。今から帰るよ。
て、流れるみたいに行ってしまうのだもの。
「何ですか」
オレンジ色の車体は、ごとんと鳴る。夜の街を抜け、静かに
わたしを運んでいく。
(了)
「わたし、本当に結婚しちゃうんですね」
「そうですよ」
わたしよりずっと、確信に満ちた表情で、先生は言った。
「しあわせになってください。そうなることを、寂しがったり
しないで」
先生はわたしの右手を取るとしっかりとにぎった。
「はい」
淡きこと
024
生活にカクテルを
佐 藤 陽 輝
翔星君からのリクエストで、シャンディガフを紹介したいと
思います。
シャンディガフは、ビールとジンジャーエールで作る、非常
にシンプルなカクテルです。ビールは飲めないけれど、これな
ら飲める、という方も多いのではないでしょうか。
シンプルなカクテルの場合、材料にこだわって提供するお店
があっても良さそうなものですが、今まで出会ったことがあり
ませんでした。
過去形で終わってしまうと、その後の展開が読めてしまいま
すね。そうです、特別なビールで作るシャンディガフが飲める
お店に出会ったのです。
今回はスペシャルなシャンディガフが飲めるお店の紹介と、
いつも通りカクテルの作り方の紹介をしたいと思います。
(ヘ イメル)」です。この
Hemel
今回足を運んだのは、渋谷の道玄坂にあるベルギービールを
専 門 に 取 り 扱 っ て い る お 店「
お店ではベルギービールを使用したシャンディガフを飲むこと
ができます。
生活にカクテルを
025
皆さん、ベルギービールをご存知でしょうか?
「変わったビール」として記憶している方も多いかもしれませ
ん。その印象に違わず、様々な色、香り、味があります。分類
方法にもよりますが、千五百以上の種類があるそうです。
ウエ ル クワ ッ ク )
」のグラスで、揺れる馬車の中でも、ゆっく
りとビールを楽しめるようにデザインされたのだそうです。
(ヒューガルデン)」を使用
Hoegaarden
早速、シャンディガフを注文します。このお店のシャンディ
ガフは、白ビールの「
させて発酵させる、という変わった作り方をしていた歴史があ
の刺激とが調和して、独特な雰囲気を醸し出しています。日本
一口飲んでみると、白ビール特有のまろやかさと、ジンジャー
しているため、少し白く濁って見えます。
るからです。本来なら避けるべき野生酵母の混入が昔から行な
のビールでこの味を出すのは難しいだろうと感じる一杯です。
これほど多くの種類があるのは、天然の酵母菌を自然に繁殖
われ、珍しい味わいのビールを生み出したのです。
ベ ル ギ ー ビ ー ル は、 材 料 も 様 々 で す。 隣 国 の ド イ ツ で は、
一五一六年に制定されたビール純粋令という法律で「ビールは、
麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とする」とされていて、こ
れが厳格に守られています。一方ベルギーでは、発芽していな
い小麦、オーツ麦、カラス麦、ハーブ、スパイス、果実、ジュー
スなども用いて、多様性に富んだビールが作られています。
ベルギービールについて話し出すときりがないので、これく
」に入店すると、まずグラスの数に圧倒されます。所
Hemel
らいにしましょう。
「
狭しと、個性的なグラスが並んでいるのです。
ベルギーでは、ビールの銘柄ごとにその個性に合わせてオリ
(パ
Pauwel Kwak
ジナルグラスが作られます。中には、木製の支えの付いたフラ
ス コ の よう なグ ラスも あり ま す。 こ れ は「
生活にカクテルを
▲Pauwel Kwak
グラスが特徴的
▲Hoegaardenの
シャンディガフ
026
シャンディガフの作り方を紹介します。とても簡単なので、
是非挑戦してみてください。
材料
・ビール
・ジンジャーエール
作り方
①材料を良く冷やす
②ジンジャーエールをグラス 1/2
注ぐ
③ビールをグラス 1/2
、ゆっくり注ぐ
④ 回、ゆっくり混ぜて出来上がり
%と低いのでご安心を。お好
喉ごしが心地良く飲みやすいので、ついつい飲み過ぎてしま
いますが、アルコール度数は約
ルは甘味と辛味、そして香りを与える役です。自分の味をちゃ
ガフの場合、ビールは苦味と酸味を与える役、ジンジャーエー
カクテルの材料には、それぞれの役割があります。
シャンディ
みでレモンスライスを入れると、爽やかさが増します。
2
んと主張しつつ、お互いの持っていないところを補い合って、
つの味を作っています。
でみたらどうなるでしょう?
素晴らしい物になるかどうか、それを決めるのは運命だと言
う人もいれば、相性だと言う人もいるでしょう。捉え方は人そ
れぞれです。どんなに運命的な出会いをしても、どんなに相性
が良くても、二人の関係を築き続けるには絶え間ない努力が大
切だと、私は思っています。翔星君夫婦にも、そう思って頂け
たら幸いです。
仲良くシャンディガフを飲む二人の姿を思い浮かべながら、
筆を置きたいと思います。
▲Grisette Fruits des Bois
3種のベリーのビール
▲FLORIS Chocolat
チョコレートのビール
3
人生という名のグラスに、ちょうど半分ずつ、お互いを注い
1
生活にカクテルを
鋏の使い方
小野本
洋
028
☆
実現させることのできない期間は苦痛だった。
職場には夢を抱いた同僚がたくさんいたが、ナツと同じ夢を
抱いている同僚は一人としていなかった。「お客様の喜ぶ顔が
見たくて」と決められたような台詞を言う同僚が、ナツは好き
すみた
隅田はこの春、都内の大学に通うために田舎から上京した。
ナツは仕事において「大好きなことがしたい」というのが前
でなかった。
い。おしゃれな店に行こうと思ったら、一時間に一度来る電車
提にあるべきだと考えている。それによって客が喜ぶかどうか
隅 田 の 実 家 の 周 辺 に は 田 ん ぼ が 広 が り、 建 物 は ほ と ん ど な
に乗って一時間揺られなければならなかった。そんな気持ちも
というのは、ナツにとってあまり大事なことではない。
ヒロミが今どこでどういった生活をしているのか、知ってい
☆
☆
☆
もある。
「大好きなことがしたい」という衝動が抑えきれなくなること
職場では言われたとおりの仕事をしているが、我慢している
起こらず、高校時代の隅田はおしゃれとは無縁だった。
春から始まった新生活は、隅田にとって実家の庭で朝採った
ばかりのトマトのように新鮮だった。
隅田は東京で、人ごみというものを知った。星の見えない夜
空の味気なさを知った。
駐車場のないコンビニの存在を知った。
ビールの味を知った。
それまで未知だった存在を次々に知り、何となく自分の未来
は明るいような気がした。
る者は少ない。
もしヒロミがどこかのマンションを借りているのであれば、
ナツはこの春、職場から責任ある立場を与えられた。
あれば、
店員はヒロミが買ったものを覚えているかもしれない。
いるかもしれない。もしヒロミがスーパーで買い物をしたので
☆
☆
ナツの下積み期間は他の同僚と比べて特に長くはなかった
もしヒロミが警察の世話になったのであれば、警察官はヒロミ
大家は今朝会った時ヒロミがどんな格好をしていたかを知って
が、夢を抱いて職場に飛び込んだナツにとって、それをすぐに
鋏の使い方
029
の償うべき罪を知っているかもしれない。
川獺は最初の自己紹介でクラスの皆との間に深い溝ができたよ
ヒロミは思う。自分から一切のつながりを拒否しようと思え
を志望していたこともあり、隅田は川獺と学校の図書館でよく
川獺は勉強ができたし、幅広い知識を持っていた。同じ大学
うに感じていた。余り者同士、二人はつるんだ。
ば、誰も自分とつながっていることなんてできないのだと。そ
一緒に勉強をした。しかし、川獺が勉強を教えてくれたことは
現在、ヒロミは家族や知人との連絡を一切断っている。
して、世の中にはそのような横暴な態度をとっても生活水準を
一度もなく、二人は隣り合ってただ黙々と勉強した。
社会人になってもその気持ちは変わらなかった。彼女にとって
ナツは小さな頃から「切る」という行為が大好きな少女で、
☆
☆
て図書館は最適ではない」と川獺は大きな声で言った。
には何かを教える才能はない。二つ目に何かを教える場所とし
頼んだことがあったが、静かな放課後の図書館で「一つ目に俺
一度だけ、隅田が川獺に「ここが分からないから教えて」と
保てる者もいるのだと。
ヒロミは自分のことだけを信じている。
☆
入学式を翌日に控えた土曜日、隅田は同じ田舎から同じ大学
かわうそ
に入学した同い年の川獺と家電量販店に行った。一人暮らしを
始めたので、自分用のパソコンを購入しようと思ったのだ。
かわせ
川獺というのはあだ名で、本名は川瀬という。隅田は川獺と
初めて会った時のことを一生忘れないだろう。
ナツが切ることに興味を持ったのは幼稚園の頃だった。ナツ
切ることとは生きていくことである。
大きな文字で「川獺」と書いて自己紹介をした。クラスの皆は
は、他の園児たちがしているお手玉やおままごとなどといった
川獺は隅田のクラスに来た転校生だった。転校初日、黒板に
それが「カワウソ」と読むことを知らなかったので、川獺の渾
遊びには一切興味を示さず、ある一冊の鳥の図鑑に没頭した。
戯の時間を、ナツは億劫に思った。
皆で行わなければならない字のお稽古やピアニカの練習、お遊
身のギャグは不発に終わった。
その日から、隅田と川獺は長い時間を一緒に過ごした。引っ
込み思案の隅田には、
それまで友達が一人もいなかった。一方、
鋏の使い方
030
ん作ろうと思っていたが、そんな初心はすぐに消え去った。
次第に、ヒロミは同じ大学の学生たちに軽蔑の念さえ抱くよ
ナツが熱中した図鑑には、様々な色の鳥が載っていた。青い
空の下を飛ぶ白いカモメ。花の咲いた桜の幹で羽を休めている
うになった。
生まれつき愛想を振りまくことは得意だったので、
際立ってオタクで、かつ成績も優秀なとある男子学生のこと
体裁は保てていた。
緑のメジロ。暗い夜の森で目を光らせて獲物を狙っている黒い
フクロウ。それらの美しい色の鳥たちが世界中の空を飛び回っ
ていることを想像すると、清々しい気持ちになった。
業に出席しないヒロミだったので、ノートやレポートはノート
を、ヒロミは心の中で「ノート君」と呼んでいた。ほとんど授
とナツは思った。それは、どれだけ美しい鳥も、その羽や嘴の
君頼みだった。
ただ、そんな美しい鳥たちにも共通した一つの欠点がある、
美しさからは想像もできないくらいに不格好で醜い足を持って
だったが、ヒロミが一度話してみたら、すぐに自分が授業中に
ノート君は、あまりと周囲の人間と上手くいっていないよう
ナツは鳥の足の醜さを認めたくなかったし、できることなら
取 っ た ノ ー ト を 見 せ て く れ る よ う に な っ た。 演 習 や 実 験 の レ
いるという点だった。
ば誰にも気付いて欲しくないと思った。そこで図鑑の鳥の足を
ポートも見せてくれたし、試験の過去問も回してくれた。
までに多少のタイムラグがあった。
とがあった。名前を聞いて、それがノート君の本名だと気付く
「ヒロミ、□□君と仲いいよね」とクラスメートに言われたこ
たまらない人たちのことだと認識している。
タクという人種を、自分の興味があることについて語りたくて
てくれないと思い込んでいたことが挙げられる。ヒロミは、オ
かけたことと、ノート君が自分の趣味について他の誰も理解し
ミがノート君の好きなアニメについて少し調べてから彼に話し
ヒロミがノート君をこんなにも虜にできた理由として、ヒロ
消しゴムで消そうとしたが、消しゴムと労力の無駄に終わり、
後には消しゴムのカスだけが残った。そしてナツは、図鑑に印
刷された鳥の足を鋏で切ることを考え付いた。
☆
☆
☆
ヒロミは三年ほど前まで大学に通っていた。理系の単科大学
で、ヒロミは大学の雰囲気があまり好きではなかった。
まず、女性の絶対数が少なかった。また、大概の男性がマザ
コンかオタクで話が合わなかった。入学した頃は友達をたくさ
鋏の使い方
031
☆
川獺はファッションにも詳しかった。
はない。折角東京に来たのだから、
こんなジャージではなくて、
せめてもう少しまともな格好をしたい、おしゃれな服を着て山
手線の内側を闊歩してみたい、そしてできることなら女の子か
らモテたい、と思ったからである。
の隅田は、田舎にある床屋で髪を切っていたし、服装に関心を
る電車に乗って一時間揺られておしゃれな店まで通った。一方
着れないじゃないか。何としても、こきたないジャージ以外の
「そんなこと言ったら、僕は一生このこきたないジャージしか
前を連れて行ける店を、俺は知らない」と断った。
隅田が買い物に行こうと誘うと、川獺は「そんな服を着たお
払うこともなかった。隅田が休日も学ランや体操着を着ていた
物が着たい。そして、もっとサークルから勧誘されたい」
高校時代、川獺は服を買う時や髪を切る時、一時間に一度来
のは愛校精神が強かったわけではなく、単純に私服をほとんど
打ったようで、「お前が一生こきたないのでは、隣を歩く俺も
もっとサークルから勧誘されたい、という言葉が川獺の胸を
隅田が大学でできた友達と構内を歩いていると、様々なサー
つらい……」と川獺は呟いた。隅田がおしゃれな格好をするこ
持っていなかったからだ。
クルの勧誘にあった。内情はどうか知らないが爽やかそうなテ
とで、一緒にいる川獺にも勧誘の声が掛かることを想像したの
川獺は相変わらず不器用で、大学に入ってからも新しい友達
ニスサークルや、宗教めいた男声合唱サークル、免許が安く取
しかし、隅田と川獺が二人で構内を歩いている時は、勧誘の
ができなかった。一人で歩いている時、サークルの勧誘の声が
だろう。
声が全く掛からなかった。髪をぼさぼさに伸ばした川獺は、新
全く掛からないことも、密かに気にしていた。隅田は、川獺が
れることを前面に押し出した自動車部などがあった。
入生が持つフレッシュさを一切持っていないために、新入生と
強がりな反面とても寂しがりなことを知っていた。
初めての日となった。
かへ出かけていたので、その日は川獺が最後まで授業を受けた
入学以来、川獺は毎日のように授業を途中で抜け出してどこ
認識されないのだろう。一方の隅田も、いつも薄汚れたジャー
ジを着ているために声が掛けづらいのだろう。
あ る 日、 隅 田 が 授 業 が 終 わ っ た ら 買 い 物 に 行 こ う と 川 獺 を
誘ったのは、川獺のようなモダンな服が欲しいと思ったからで
鋏の使い方
032
☆
☆
ナツはあまり手の掛かる子供ではなかった。幼い頃から先生
を怒らせることは滅多になかったし、特に迷惑を掛けたことも
なかった。しかし、幼稚園生の時に一度だけ先生から叱られた
公 園 に い る チ ョ ウ は ほ と ん ど が モ ン シ ロ チ ョ ウ で、 図 鑑 に
載っているような鮮やかな色ではないし、特異な模様もなかっ
た。しかしナツは、緑の芝生と白いモンシロチョウのコントラ
ストを綺麗だと感じた。自分もその一部に溶け込みたいとさえ
思った。
ナツはセミの抜け殻を集めるのが大好きだった。ナツにとっ
ナツが幼稚園に置いてあった図鑑のページを鋏で切ったの
ある年にはセミの抜け殻をたくさん集め、それが何というセミ
はよくなかったが、そればかりはどうしようもないなと思った。
て、セミの抜け殻は形も色艶も手触りも全てが完璧だった。味
だ。それを知った先生はナツを叱った。その出来事によりナツ
の抜け殻なのかを図鑑で調べ、夏休みの課題として提出したこ
ことがあった。
は「何かを切るということを、人前でやってはいけないのだ」
ともあった。そのレポートは秀逸で、都の教育委員会から表彰
ナツはトンボの羽が可愛そうで仕方なかった。何故あれほど
を受けた。
という少しずれた考えを持つようになった。
ナツが本物の生物の部位を初めて切ったのは、小学一年生の
時だった。
一人でいることの方が多かった。一人でベンチに座って図書館
ると毎日その公園に向かった。
公園で友達と遊ぶ日もあったが、
取り、
しばらく美しさを観賞した。羽が風になびく様子を眺め、
を捕まえ、体と羽を切り離した。ナツは切り離された羽を手に
ある秋の日、ナツは鋏を持って公園に行った。そしてトンボ
トンボの羽は綺麗なのに、体は醜いのだろうと思っていた。
で借りた本を読んだり、公園にいる虫たちと戯れたりした。ナ
羽に夕日を照らしてその輝きを見た。ナツに羽を切り取られた
ナツの家のすぐそばには広い公園がある。ナツは学校が終わ
ツは一人で過ごす時間が嫌いではなかったし、寂しさを感じる
トンボはアリの群れの餌食になったが、羽を失ったトンボなど
その日から、ナツはトンボを捕まえてはその羽を切り取るよ
ナツの関心があるところではなかった。
こともなかった。
春にはチョウを追いかけ、夏にはセミの抜け殻を拾い、秋に
はトンボを捕まえた。
鋏の使い方
033
の 間 に は 最 適 な 距 離 と い う も の が 決 ま っ て い る。 特 殊 な 光 を
X線解析とは、物質同定の一手法である。物質の原子と原子
トンボの羽切りを手始めに、ナツは様々な生物の部位を切り
様々な角度から当て、原子間の距離を測ることで、その物質を
うになった。これは家族も友達も知らない秘密だった。
取った。それは、全体の醜さによって特定の部位が輝きを失っ
構成する成分を同定することができる。
暑苦しくてたまらないだろうし、あまりに離れすぎてもそれは
はないかと思った。例えば、人と人とがあまりにくっついたら
ヒロミは、どんなものにも適切な距離というものがあるので
が、
「原子間の最適な距離」という言葉だけは印象に残った。
いても丁寧に説明した。ヒロミはあまり話を聞いていなかった
教員は測定原理について詳しく述べ、使用する実験装置につ
て い る、 も し く は 醜 い 特 定 の 部 位 に よ っ て 生 物 全 体 が 輝 き を
失っているとナツが感じたからである。
☆
☆
☆
ヒロミが自身の特異性に気付いたのは、大学二年の学生実験
の時だった。
それで寂しいものだ。では、ライオンとライオンとではどうだ
ろうか。きっと、縄張りの広さというものが決まっているだろ
その特異性は、心の幼い者が抱きがちな「自分は人と違う」
だとか「俺は何だってできるんだ」というような傲慢かつ漠然
う。植物の場合はどうだろうか。互いに近すぎては土中の養分
線の照射角度、縦軸に検出
線回折図が描かれるのを見る地味な作業
線回折図とは、横軸に
パソコンの画面上に
教員の話が終わると、
早速実験に移った。装置に粉末を入れ、
ろう。そういったことを空想した。
を奪い合うだろうが、あまり遠すぎても繁殖に有利ではないだ
とした自負ではなく、具体的な能力であった。
ヒロミは実験である粉末のX線解析を行った。学生たちはい
くつかのグループに分けられ、各グループに異なる物質の粉末
が配られた。
ヒロミはノート君と違うグループになった。グループによっ
だった。
される光の強度を取ったグラフだ。ヒロミはパソコンの画面に
て結果が異なる実験では、ノート君からレポートを写させても
らうわけにいかない。教員が実験の説明をしているのを聞きな
ふとその時、ヒロミは両耳の鼓膜に今まで感じたことのない
退屈な回折図が描かれるのを眺めていた。
X
X
がら、ヒロミは今回のレポートは誰に写させてもらおうかとい
うことばかり考えていた。
鋏の使い方
X
034
のも、川獺の影響なのかもしれない。
隅田は幼い頃から絵を描くのが苦手で、学校の文化祭などで
類の違和感を覚えた。それは、音を耳にした時に感じるような
ものではなく、もっと別の刺激を受けた時に感じるような違和
自分の絵が展示されるのが嫌だった。高校の文化祭で、川獺は
ヒロミはグループの他の誰よりも真剣な顔でパソコンの画面
を凝視した。すると、両耳にさっきよりも強い《刺激》を感じ
線回折図には複数のピー
た。その直後、またピークが検出された。
二十分ほどして実験は終了した。
クが描かれたが、それら全てが、ヒロミが《刺激》を感じた直
後に検出されたものだった。
が上手に見えるのは、お前の絵が隣に展示されているからだ」
と言った。隅田は、そう言われて不思議と嫌な気はせず、皆の
絵が同程度に上手なものだったら世の中どれだけつまらないだ
ろうかと考えた。
上 京 し て 一 ヶ 月 も 経 っ て い な い の に、 川 獺 は こ の 街 に 詳 し
かった。隅田は、川獺が毎日のように授業を抜け出して一人で
出かけている先はここだったのだと思った。
初めに隅田は古着屋へ案内された。
「ここで服を買い、
すぐに買った服に着替えろ」と川獺は言い、
「慌てることはないさ。こきたない格好を段々と綺麗にしてい
けばいいんだ」と続けた。
自分という引き立て役がいるからなんだ」と無理やりな理屈で
た が、 あ ま り 気 に し な か っ た。
「 こ の 街 が 素 敵 に 見 え る の は、
繰り出した。隅田は街のおしゃれな雰囲気から完全に浮いてい
隅田と川獺は大学の最寄り駅から急行電車に乗って繁華街に
モヤシライスとは一袋三十円のモヤシを炒めてご飯に盛った激
しまったら、当分はモヤシライス生活だな、と隅田は思った。
とした。財布の中には五万三千円ある。これをほとんど使って
ておろした。「残高0円」と印刷された領収書を目にしてぞっ
分からなかった。大学の近くのコンビニで今月分の仕送りを全
隅田は、自分で服を買ったことがなく、服の相場がいまいち
自身を納得させた。隅田がこんな屁理屈を考えるようになった
☆
自分の絵と、その隣に展示された隅田の絵を見比べて「俺の絵
感だった。痛みよりも辛みに近い、それまでに感じたことのな
線回折図の縦
線回折図に検出された
い刺激だった。そして、それを感知した直後、
軸が跳ね上がった。
ヒロミは、自分が感じた《刺激》と
X
ピークとを関連させて考えずにいられなかった。
X
X
鋏の使い方
035
安手料理のことで、大学で知り合った貧しい奨学生から教わっ
その笑顔に負けて隅田はその
上に、大好きな苺を乗せるの」とでも言っているようだった。
シャツを買うことにした。
たものだ。隅田は米だけは実家から十分に送ってもらっている
ので、千円でも残れば三十三食はしのげる計算である。
川獺は、隅田が古着屋で服を選ぶのに付き合ってくれなかっ
代金を支払い、古着屋を出た。隅田はこの時初めて、店内に
彼女以外に店員がいないことに気付き、自分と同年代なのに仕
事を任されている彼女を見直した。
川獺は店の前で待っていた。道路の脇に停められたママチャ
古着屋に入ってから三十分ほど経っていたので、隅田は川獺
隅田が店内の服を何となく眺めていると、店員に「よろしけ
リにまたがり、ペダルを空転させながら本を読んでいた。隅田
仕方なく隅田は一人で店に入った。店は地下にあり、地下へ
れば、ご試着ください」と声を掛けられた。その店員は隅田と
に気付くと
「ずいぶん待った。もう少しで読み終わるところだっ
が帰っていないか心配だった。川獺は気が短い。それに携帯を
同い年くらいの女の子で、
ヒッピー風のワンピースを着ていた。
たじゃないか。早くトイレでも行って着替えて来い」と命令口
の階段は幅が狭く、天井も低かった。しかし店内はずいぶん広
両耳には合計七つ、唇には三つのピアスをつけていた。隅田は
調で言った。川獺の話し方はいつも断定的で、人を見下したよ
持っていないので、帰られていては連絡が取れない。
彼女の外観を愛しく思ったが、その格好では古着屋以外の客商
うなところがあるが、付き合いの長い隅田は気にしない。
川獺が教えた公園は広く、噴水もある。都会にもこんな空間
があるのかと、隅田は感心した。芝生を舞うモンシロチョウを
な 歌 手 の、 大 好 き な 歌 の 歌 詞 な の 」 と 言 い、 ア イ ス ク リ ー ム
』とプリントされていた。店員は「私の大好き
before get old
の乗っていたママチャリのタイヤはゆっくりと回転しており、
既に川獺は消えていた。どうやら本を読み終えたようだ。川獺
隅田が公園のトイレで着替えを終えて古着屋の前に戻ると、
見て、実家の近くのキャベツ畑を思い浮かべた。
ショップで働く女の子がお薦めのアイスを聞かれて答える時の
シ ャ ツ に は、 大 き な 文 字 で『 Hope I die
シャツと二つの缶バッチを買った。
隅田は、店員に薦められるままに服を試着し、ジーンズと
売はとてもできないだろうとも思った。
く立派で、ジャージ姿の隅田は緊張した。
た。店の前で待っている、と彼は言う。
T
ついさっきまで川獺がそこにいたことが推測された。
店員が薦めた
T
ような笑顔を見せた。それはまるで「大好きなバニラアイスの
鋏の使い方
T
036
☆
☆
のような行為が行われたとは思えないほどだった。
三つ目のルールは「その行為を行っているところを、他の誰
かに見られてはならない」というものだった。
いつも自問していた。生物を切ることは好きだったが、それは
フリーター時代、ナツは自分が本当にしたいことについて、
に強まった。そして、その行為には三つのルールが生まれた。
ナツだけの秘密だったし、それを活かした職業など見当もつか
生命の部位を切る行為に対するナツの執着心は、加齢ととも
一つ目は「この行為によって、生物から醜い部位を切り離す
休日に、ナツはよく一人でペットショップに行った。チワワ
なかった。
を切り離すことでその部位が輝きを取り戻さなければならな
は肉球以外の全てが美しい。インコの足はやはり美しくない。
ことでその生物が輝きを取り戻すか、或いは醜い生物から部位
い」というものだった。ただし、醜いかどうか、輝きを取り戻
猫の爪はエジプトの壁画のように美しい。ペットショップにい
くなった姿を想像した。
る動物に対してそうした判断を下し、それらの生物がより美し
すかどうかは、あくまでナツの主観であった。
例えば、ナツはトンボを見ると、その綺麗な羽を醜い体から
切り離したいと思ったが、セミを見てもそうは思わなかった。
猫……。本来の輝きを取り戻した動物を愛しく思った。部位を
ナツは月に一度のペースで野生動物を切った。カエル、鳩、
が彼女の判断だった。また、鹿の可愛らしい目鼻立ちは、醜い
切り取られた動物が大きく寿命を縮めることは知っていたが、
セミの体に美しい部位はなく、美しいのは抜け殻だけというの
角から切り離されるべきだと思うものの、牛の丸々とした体と
罪の意識はなかった。その行為によって動物は輝きを増すのだ
ある日の夕方、ナツが近所のカフェで働いていると、中学生
から、推奨されるべきだとさえ考えていた。
角とを切り離すべきだとは思わなかった。
二つ目のルールは「いつも同じ鋏を使わなければならない」
というものだった。
ナツは未成年の客が嫌いだった。いつも一品だけ頼み、参考
ぐらいの少女がやってきた。
で、錆一つなく、光沢はメスのように洗練されていた。その鋏
書を片手に長居するからだ。ナツは自分が働いている店の外観
ナツの鋏は幼稚園の頃から使っているステンレス製のもの
を使って生物を切ると、切断面には出血が一切なく、まるでそ
鋏の使い方
037
「店長さんはいらっしゃいますか?」と少女は言った。手には
うな客は切り離されるべきだと思っていた。
や商品、店内の雰囲気が大変気に入っていて、この店とそのよ
「来てくれたんだ」店番をしていた少女の母親が話しかけた。
もいない。
類の専門店だった。オープンしたばかりなのに、他に客は一人
暗く、いくつもの水槽が青い間接照明に照らされていた。爬虫
た。
これでは爬虫類の専門店でなく、カメレオンの専門店だと思っ
ナツは会釈を返し、
店内を見回す。カメレオンばかりが並び、
ビラの束を持っている。店長に何の用だろうか。
「少々お待ちください」と言って、ナツは店長を呼んだ。
それまで店の奥にいた店長は、少女の顔を見るなり「しばら
く見ない間に大きくなって……」と、まるで彼女の親戚か何か
その少女の父親と店長とは古い付き合いで、家族ぐるみで親
空間の調和を乱していると感じた。ナツは、そのカメレオンの
た。しかし、青い光を過剰に反射する一匹のカメレオンの瞳が
薄暗い店と、静かなカメレオン。ナツはその空間が気に入っ
交があり、店長は彼女のことを昔から知っていたようだ。その
目玉を切り離すべきではないかと思ったが、同時に違和感を覚
のように親しげに話しかけた。
日から、ナツの働くカフェには少女の持っていたビラが置かれ
えた。
とを目的に切断を行ってきたが、この日に感じた欲求は今まで
それまで、ナツは生物または生物の部位が輝きを取り戻すこ
るようになった。それは、近所に新しくペットショップができ
たことを知らせるものだった。また、少女は家族と一緒に頻繁
にカフェに訪れるようになった。
はストロベリーサンデーを頼んだ。ナツは相変わらず若い客が
すとは限らない。自分で定めたルールのうち、切断によって生
空間から生物の部位を排除しても、その生物が輝きを取り戻
のものと明らかに違っていた。
好きになれなかったが、ストロベリーサンデーをほおばる少女
命が輝きを取り戻すかどうかが最も重要だ。そう考えると、何
夕暮れ時に、少女がカフェに一人で来ることもあった。少女
の顔が可愛かったので許せた。この笑顔なら店から切り離す必
となく自分の進むべき道が見えた気がした。
この日を境に、ナツは動物を切らなくなった。
要はないと思った。
ある休みの日に、ナツはいつもと違うペットショップに足を
運んだ。少女の家族が経営する店だ。地下にある店内はとても
鋏の使い方
038
☆
☆
☆
ヒロミは、自分には特別な感覚があり、それは有用な、能力
と呼べるものではないかと興奮した。その一方で、自分が感じ
た《刺激》について冷静に分析を始めた。
線に限らず特定の波長域や波
線回折図のピークとタイミングが重なったことから、
《刺
激》は 線によるもの、或いは
それでも諦めずにレースを観ていると、ある馬が失速して急に
順位を下げる直前に《刺激》を感じることが分かった。
買い物に行った時にも強い《刺激》を感じることがあったが、
目に映るものが多過ぎて、具体的に何から《刺激》を感じてい
るのか特定できなかった。
数週間に及ぶ分析期間の末に、
《刺激》は視覚から入る情報
線の強度で
において《何かしらの数値が上がること》を予測した時に感じ
る、という結論に至った。何かしらの数値とは、
あったり、サッカーや野球の試合の得点であったり、競馬の馬
ターの添乗員のアルバイトを始めた。ビルの中を上下するエレ
ヒロミは、《刺激》に対する感覚をもっと鍛えようとエレベー
い る と、 試 合 中 に 何 度 か《 刺 激 》 を 感 じ た。 す ぐ に、
《刺激》
ベーターに一日中乗り続ければ、《刺激》に対する感覚を鍛え
られるのではないかと考えたのだ。
ヒロミは一年ほどエレベーターの添乗員を務め、次第に大学
に行かなくなった。
ヒロミは株式投資も始めた。株価の変動をグラフで見ている
事前に予測できれば簡単にお金を稼げる。しかし《刺激》を感
ヒロミは競馬のテレビ中継を観ることにした。レース結果を
もあった。
の下落は予想できないために、売り時が分からず損をすること
時に株を買った。すると、株価は必ず上昇した。ただし、株価
と、
《刺激》を頻繁に感じた。そして、強い《刺激》を感じた
じるのはいつもレースが始まってからで、それでは遅すぎる。
の力を使えば必ず何かできるはずだ。
自分には近い未来を予測する能力があるのだと確信した。こ
すると、同様の傾向が観測された。
球には詳しくないが、
分析のためにプロ野球の試合を観戦した。
ヒロミは他のスポーツではどうだろうかと考えた。あまり野
を感じた直後には必ず得点が入ることに気付いた。
ヒロミはサッカーが好きで、サッカーの試合をテレビで観て
形の電磁波によるものではないかと仮定した。理系学生のヒロ
X
の着順であったり、商品の値段であったりと様々だ。
X
ミにとって自然な発想であったが、間違いであった。
X
X
鋏の使い方
039
☆
「だから、髪を切ったのは美容師だ。俺じゃない」
「どっちでもいいよ。僕と買い物に行った日に切ったの?」
「切られたんだ」
これでは話が進まないと隅田は考えた。
「買い物に行った日に、美容院に行ったの?」
隅田と買い物に行った次の日からしばらく、川獺は大学に顔
を出さなかった。川獺の不在と関係なく地球は回り、大学の講
「ああ、そうだ」と言って、川獺は財布から名刺を取り出し、
かけた。
」という店のロゴと大きく開かれた鋏が
Butterfly
その日の夕方、隅田と川獺は先日買い物に行った街に再び出
プリントされていた。
名刺には「
隅田に渡した。「この店には行くな」
義は進んだ。
隅田は大学でできた友達とあまり距離を縮められずに悩んで
いた。実家から通う者が多く、彼らは休日などは高校の時の連
れ と 遊 ん で い る の だ ろ う と 隅 田 は 想 像 し た。 そ う す る と 少 し
ホームシックになったし、自分から遊びに誘いづらかった。
だから川獺には早く大学に出て来て欲しかった。取り合えず
隅田と川獺は前回よりも少し価格帯の高い店を回った。値段
の張る店になるほど、店員が自分に対して無愛想に接している
川獺のためにも講義のノートを取っておこうと思った。
結局、それから一週間後に川獺は登校した。
ように隅田は感じた。どうせお前の手が届く商品はない、とで
も言われているかのようで腹立たしかった。
雲一つなく晴れ渡った、とても気持ちのよい日だった。しか
し、そんな天気にも関わらず、川獺は毛糸のニット帽を深々と
かった昼休みの学食で川獺に話しかけた。
「川獺、髪切った?」隅田は、ここ数日は一人で行くことも多
の長髪は、あのニット帽に全て収納できないだろう。
隅田は、お前がいつもサボっている授業のノートを誰が取って
うして大学に行くのにカバンが必要なんだ?」
と川獺は尋ねた。
「これなら大学にも持って行けそうだ」と隅田が言うと、
「ど
だった。
た く さ ん の 店 を 回 っ た が、 隅 田 は カ バ ン を 一 つ 買 っ た だ け
「俺は切っていない。俺の髪が、美容師に切られんだ」
いると思っているんだ、と思ったが口には出さなかった。
かぶっていた。落ち武者を思わせる長くぼさぼさに伸びた川獺
「いや、要するに川獺は髪を切ったんでしょ?」
鋏の使い方
040
情けは人のためならず。いざという時のために、恩を売って
おくことが肝心だと隅田は思った。
☆
☆
ナツは専門学校在学中に一人の男性と付き合った。相手の男
くさい
より上がオフィルビルだった。ナツの通う専門学校の他には、
小さな会社のオフィスや学習塾が入っていた。地下には三階に
またがる大きな駐車場があった。
平日、草井は仕事が早く終わると、車でナツを迎えに行った。
草井は大手メーカーの営業職で、車の運転が上手かった。ビル
で夕食を取り、その後にドライブをするのが定番のデートコー
ナツの通っていた専門学校は男性が少ないために、クラスの
は草井からの一方的なものだったが、次第に双方向にされるよ
二人は会えない時も連絡を取り合った。初めは電話やメール
スだった。
女の子たちは出会いをコンパに求めていた。ナツは人と話すの
うになった。草井は、ナツの冷たい仕草の中に見える不器用な
は草井といった。
があまり得意ではなかったが、よくコンパに誘われた。ナツの
優しさが好きだった。ナツは、自分に対する草井の深い愛情に
感謝していた。二人は美男美女で、誰が見ても幸せそうなカッ
美しい容姿は「切り札」として重宝された。
ナツは自分の容姿を特に整っていると思っていなかったが、
プルで、そして実際に幸せだったが、幸せは長く続かなかった。
の日だった。
二人の幸せが終わりを迎えたのは、ナツの専門学校の卒業式
どこか特定の部位を切り離したいとも思わなかった。それは、
自分には醜い部分がないと評価していることを意味する。
草井との出会いもコンパだった。初め、ナツの草井に対する
えに来てもらう約束をしていたが、セレモニーが思っていたよ
校内で卒業セレモニーが行われた。ナツはその後に草井に迎
しかし、ナツのそっけない態度にもめげずに、草井は猛烈な
りも早く終わったので、七階にあるバーで同期と一緒に飲むこ
反応は、万人に対するのと同様に冷たかった。
アタックを続けた。半年に渡って九回のデートをした後に、二
とにした。卒業したら多くの仲間と離れ離れになる。人付き合
ら始まる社会人生活を不安に思った。
いの苦手なナツも、仲間との別れは寂しかった。また、これか
人は付き合うことになった。
ナツの通っていた専門学校は十三階建てのビルの九階にあっ
た。そのビルは一階から七階までがファッションビルで、八階
鋏の使い方
041
るだろうか。まだビルが閉まるまでには時間があり、業務を終
た。勤務中の添乗員が勝手にエレベーターを操作することがあ
まった。気付くと店の外の椅子にもたれて眠っていた。
えるには早いはずだ。よく見ると添乗員は青ざめていて、一階
その日ナツは、その後約束があるにも関わらず深酒をしてし
「起きた?」優しい目をした草井が言った。
でドアが開くと、急いでエレベーターから降りた。
「ナツ、エントランスで待っててよ。車回すからさ」草井はナ
ナツは我に返った。少し吐き気がする。頭が重い。時間を確
認しようと携帯を取り出す。草井との待ち合わせの時間はとっ
ツを気遣った。
から降りた。それが草井と交わした最後の会話だった。
「うん。分かった」ナツは草井の言葉に感謝してエレベーター
くに過ぎ、草井からの着信履歴が何件も残っている。
草井は、
ナツの同期が電話に出て店に呼んでくれたと伝えた。
仕事が終わって迎えに来てから、ずっと一人で介抱してくれて
その後、草井を乗せたエレベーターが炎上するという事故が
起きた。ワイヤーが切れて落下し、安全装置が上手く作動せず
いたのだろう。しかし、草井は疲れた様子を見せない。
「家まで送っていくよ。歩ける?」
に発火したのだそうだ。
ヒロミの意図したとおり、エレベーターの添乗員を務めるこ
☆
☆
☆
ナツは草井と会うことができなくなった。
「大丈夫、歩ける。今日はごめんね」草井の肩に手を預ける。
二人はエレベーターに向かった。
「下へ参ります」聞き慣れた添乗員の声。
このビルはファッションビルとオフィスビルとで異なるエレ
ベーターを用いている。この添乗員は多分ファッションビルの
従業員なのだろう。食事や買い物でファッションビルもよく利
ヒロミが勤務していたのは、地下三階から地上七階にまたが
とで《刺激》に対する感覚は研ぎ澄まされた。
地下三階のボタンを押す草井。いつものように車を地下駐車
る新しいファッションビルで、おしゃれなアパレルショップや
用していたので、ナツはこの添乗員を以前から知っていた。
場に停めたのだろう。エレベーターのドアが閉まり、空間はナ
レストランが入っていた。八階より上はビジネスフロアになっ
ていて、会社のオフィスや学習塾もあるようで、様々な客がエ
ツと草井と添乗員だけのものとなった。
その時、ナツは添乗員が一階のボタンを押したことに気付い
鋏の使い方
042
レベーターを利用した。
添乗員を始めてしばらくすると、客が何階に行こうとしてい
るのか、客がボタンを押すよりも先に分かるようになった。感
じた《刺激》の強さに比例して、エレベーターは上昇した。し
かし、エレベーターの下降に関して《刺激》を感じることはな
かった。
いる。閉店間近になると飲食店から出てくる客でエレベーター
は賑わうが、この時間帯はそれほど込まない。
不意に、強い《刺激》を感じた。その強さから、ヒロミはエ
レベーターが七階まで上がることを予見した。
七階で、よく見かけるカップルが乗ってきた。彼女の方はか
なり酔っている様子だ。ヒロミはその女の翡翠のように澄んだ
ような気がした。
瞳が苦手だった。自分の能力も、その目には見透かされている
買値より少しでも値の上がった株はすぐに売却した。
それでも、
「下へ参ります」とヒロミは言った。七階が最上階なので、本
同様に株価の下落も相変わらず予測できなかった。そのため
ヒロミは値の上がる株だけを買うことができたので、貯金は増
来そのようなことは言う必要がないと思った。
そのままヒロミは一時間近くトイレの中で気を失っていた。
くと、逃げるようにその場を去ってトイレに駆け込んだ。
ヒロミは悩んだが、一階のボタンを押した。一階でドアが開
目が気になる。どうしよう。
も襲われた。この場所から逃げたいと思った。しかし、翡翠の
顔から血の気が引いているのが実感できた。激しい吐き気に
うな、何かが切断されたような、そんな痛みだった。
たことのない鋭い痛みだった。頭の中の一部が抜き取られたよ
その時、ヒロミは急に頭痛を感じた。それは今までに経験し
停めているのだろう。今から彼女とドライブだろうか。
彼氏の方が地下三階のボタンを押した。地下の駐車場に車を
える一方だった。
夕方から夜にかけてはエレベーター添乗員の仕事をし、帰宅
してから朝まではパソコンで株価の動きを見つめる。大学には
全く行かなくなっていた。
単調な毎日だったが、ヒロミは充実感を覚えていた。自分だ
けが持つ特殊な能力にも満足していたが、下降に対しても何ら
かの《刺激》を得られればと思っていた。
そして事件は起こった。添乗員のアルバイトを始めて一年が
経とうとしていた、ある夜の出来事だった。その日はいつもの
ように、夕方から二十二時の閉店までの勤務だった。
四階から乗った親子二人組を一階で見送る。エレベーターに
はヒロミ一人が残った。腕時計を見ると二十一時を少し回って
鋏の使い方
043
見回りをしていたビルの警備員に起こされ、エレベーターの事
故があったことを聞いた。
☆
ない。それに生まれて初めての美容院だ。
目当ての美容院はすぐに見付かった。大きな窓やガラス扉は
なく、白い外壁に覆われ、中の様子はよく分からない。わざと
らしいほどに白い外壁は強い日差しに照らされ、いっそう白く
輝いて見えた。
「いらっしゃいませ」ドアをくぐると何人もの従業員が隅田を
「本日ご予約は承っておりますか?」受付の女性が尋ねた。
隅田はまじめに授業に出続け、川獺は授業をサボり続けた。
広がった。大学でできた友達は、それまで出会った人たちと比
「いえ……」隅田は予約をしていなかった。メニューの中から
迎え入れた。隅田は緊張した。
べ様々なバックボーンを持っていて、彼らの話を聞くのはとて
「シャンプー+カット」を選択した。
隅田は段々と新生活に慣れた。サークルにも入り友達の輪が
も刺激的だった。
「スタイリストのご希望はございますか?」
「いえ、特には……」美容院のシステムをよく理解していない
五月の最後の日曜日、隅田は髪を切りに行くことにした。ど
こに行こうか悩もうにも、一つしか当てがなかった。川獺が名
隅田は、美容師を指名できることなど知らなかった。地元の床
刺をくれた「
受付の女性は隅田を応接空間に案内した。
屋では、いつも同じ理容師に切ってもらっていた。
」という美容院だ。川獺はこの店には行
butterfly
くなと言っていたが、隅田は気にしていなかった。隅田は名刺
に印刷された鋏のデザインがとても気に入っていた。
の外装とは対照的に、天井や壁面は黒かった。座席は二十近く
隅田は黒い革張りのソファに腰掛け店内を見回した。白一色
隅田がその街を訪れるのは三回目だったが、まだ少し緊張し
あり、従業員の人数も田舎の床屋とは比べ物にならない。隅田
電車に乗って、美容院のある街へ向かう。
ていた。初めての時は、こきたないジャージ姿の自分は浮いて
隅田は緊張を振り払うために目を瞑り、店内のBGMに聴き
は、自分はこの空間にいてもいいのかと不安になった。
は、前回に買った服が、おしゃれに対して目の肥えた人たちに
入った。知っている曲だった。リズムに合わせて首を揺らすと
いるのではないかと思い、周囲の目が気になった。二回目の時
受け入れてもらえるのか不安だった。そして今日は、川獺がい
鋏の使い方
044
少し緊張が和らいだ。
高校の時、隅田はケンウッドのオーディオプレイヤーを買っ
た。それ以来、寝る前にFM放送を聴くことが隅田の日課だっ
た。流行には疎い隅田だったが、音楽にだけは詳しい。
社会人生活のスタートは楽しいものではなかった。客を担当
させてもらえず、鋏を使えない下積み期間。フラストレーショ
ンは溜まっていく一方だった。仕事でつらい思いをした時は、
草井と過ごした日々を思い浮かべた。
そんな日々の中で、ナツはふと、草井と最後に会った日に見
た、どこか様子のおかしかったエレベーターの添乗員のことを
「お待たせしました」
女性にしては少しトーンの低い声がして、
隅田は目を開けた。
思い出した。あの日の記憶は曖昧だったが、添乗員に対してあ
あの時、どうして添乗員はエレベーターから降りたのか。顔
「本日担当します小沢です」
女性従業員が言った。
ネームプレー
小 沢 は、 隅 田 が イ メ ー ジ し て い た 女 性 の 美 容 師 と は 大 き く
が青ざめていたし、まるで逃げるようにエレベーターから降り
る種の疑いを抱いた。
違っていた。パーマを当てた明るい色の髪で、服装も色彩豊か
去った。そして、その直後に事故は起きた。あの添乗員は、事
トには『小沢奈都』と書かれていた。
で華やか、というのが隅田のイメージだった。それに対し、小
故が起こることを知っていたのではないだろうか。
ナツは、デスクの引き出しやキャビネットの中を探し、ついに
頼んだ。男はナツを置いて事務所を飛び出した。一人残された
込んで来て、トラブルが起こったので急いで来て欲しいと男に
ナツがもう諦めて帰ろうとした時、若い女性の事務員が飛び
が、男の意志は固かった。
に関する個人情報は開示してもらえなかった。ナツは懇願した
ビルの事務所で雇い主の男に詳しい事情を話したが、添乗員
た。正社員ではなく、アルバイトだったようだ。
次の休日にそのビルへ行ってみたが、添乗員はもう辞めてい
沢は黒髪のストレートで、白のワンピースを着ていた。
隅田は小沢をとても綺麗だと思った。髪の色は艶やかで漆を
塗ったようだった。肌は透き通るように白く、黒髪とのコント
ラストが鮮やかだ。色素の薄い澄んだ瞳は翡翠を思わせた。
隅田はまた緊張した。
☆
☆
草井と会えなくなった日からナツは一週間泣き続け、真っ赤
な目で社会人生活を迎えた。
鋏の使い方
045
あの添乗員の履歴書を見付けた。
その男は、南波広海という名前だった。ナツは男の名前と住
所を覚えると、履歴書を元に戻して事務所を後にした。
後ろめたい気持ちでいっぱいになった。
その不安は、アルバイトを辞めて引っ越しをしても拭い去る
ことはできなかった。
中株価の推移を見続け、食欲がわけばピザを頼み、眠くなれば
ヒロミは一ヶ月あまり一歩も外に出ない生活を送った。一日
事故について、予め何か知っていたに違いない。それなのに、
毛布にくるまって眠った。《刺激》に関する感覚が衰えていな
ナツは南波という男が許せなかった。南波はエレベーターの
どうしてそれを教えてくれなかったのか。あの男を切断するこ
いことで罪悪感に苛まれたが、同時に安心感も得られた。この
混沌とした意識の中で、ヒロミがうっすらと覚えていること。
のか、何週間だったのか、あやふやだ。記憶が曖昧なのだ。
も長かったように思えるが、何時間だったのか、何日間だった
ロミは苦しみに耐えられず、ただひたすら眠った。それはとて
は前回のものと比較にならないほど鋭く、重く、長かった。ヒ
知らせる《刺激》が再びヒロミを襲った。しかも今度の《刺激》
そんな引きこもり生活も長くは続かなかった。急激な下降を
能力さえあれば何とかなるとヒロミは思った。
とは私の使命だ。ナツはそう考え、南波の行方を追った。
ナツはなかなか南波を見付けられなかった。履歴書に書かれ
ていた住所には既に別の人間が住んでいたし、大学も辞めたよ
うだ。まるで何かから逃げているようだとナツは感じた。
☆
☆
☆
急激な下降に対しても《刺激》を得られたという事実は、ヒ
ロミをむしろ不安にさせた。
ていたのではないかと考えるようになった。自分が《刺激》を
り、自分が《刺激》を感じることが原因で様々な現象が起こっ
ているものだと考えていたが、事故が起こってからは弱気にな
きなり地面にぽっかりと穴が開いて、中から鋭く輝く鋏が出て
その何かは追ってこないだろうと地面に着地する。すると、い
ヒロミは何かから一生懸命に逃げるように空を翔けた。もう
夢の中でヒロミはトンボになっていた。
それは、ヒロミが眠っている時に見た夢の内容だ。
感じなければ、事故は起こらなかったかもしれない。きっと、
くる。鋏はヒロミの両翼を切断し、再び穴の中に戻った。不思
それまでヒロミは、自分は未来の情報を《刺激》として感じ
あの翡翠の目は全てを見抜いている。そう考えると、ヒロミは
鋏の使い方
046
議なことに、痛みはほとんどなかった。穴を覗くと、奥に翡翠
のような輝きがきらりと見えた。その輝きをヒロミは恐れ、そ
隅田は緊張していて何と答えたのか覚えていない。きちんと
答えられただろうか。
一生懸命逃げているのだ。そして、もう追ってこまいと踏んで
ヒロミは別の動物に姿を変えた。だが、その動物も何かから
合ってしまうような事態を心配した。アシスタントとの会話は
もらっている最中、隅田は目隠しのタオルがずれて店員と目が
のはアシスタントの仕事のようで担当が替わった。髪を流して
多少の受け答えの後、シャンプー台に案内された。髪を流す
着地しようとすると、やはり地面が開いて中から出てくる鋏に
ぎこちないものになった。シャンプーを終え、小沢の元へ戻る
の場から逃げ去るのだった。
体の部位を切り取られた。
小沢は隅田の髪を切り始めた。鏡越しに小沢の翡翠のような
と、ビニル製の白いケープを着せられた。
変え、鋏に切り取られる部位も動物によって様々だった。ヒロ
目が見える。何でも見抜きそうな鋭い輝きを放っている目だ。
それが途方もなく繰り返された。ヒロミは様々な動物に姿を
ミが猫になった時は肉球を切り取られ、鳩になった時は足を切
隅田はまた少し緊張して目を閉じた。店内には隅田の知ってい
を取っていた。
るBGMが流れていた。隅田は無意識に頭を軽く揺らしリズム
り取られ、カエルになった時は喉と水かきを切り取られた。
最後に、ヒロミは元の人間の姿に戻った。そして、やはり鋏
が目の前に現れた。
「頭を動かさないで」と小沢に注意された。
頭を制止する隅田。再び緊張した。
目を覚ました時、ヒロミは色々なものを失っていた。まるで
夢 の 中 で 見 た 鋏 に 切 り 取 ら れ た か の よ う だ っ た。 財 布 は な く
小沢の真剣な視線に気付き、隅田は小沢の仕事に対するプラ
少し遠くを見つめた後に、小沢は「私にとって、切るという
隅田は思ったことを口にした。
「小沢さんは、どうして美容師になろうと思ったんですか?」
人になれば自然と身に付くものだろうか。
イドを感じた。自分には人に誇れることがあるだろうか。社会
なっていたし、調べると貯金もほとんど下ろされていた。所有
していた株も暴落していた。
☆
「どういう髪型にしますか?」
鋏の使い方
047
「大体そんなところ。色々なお客様が来るの。春は特に。美し
「それが小沢さんが髪を切る理由ですか?」
た。
行為は、生命の持つ本来の美しさを取り戻す行為なの」と答え
もあったわ」
「それとは反対に、男性を切ることによって、女性にしたこと
「そういうものなんですか」
やっぱり一番美しいの」
の 人 い る で し ょ?
そ う い う 人 は、 男 性 的 な 髪 形 を す る の が
隅田は、女性を男性的な髪型にすることなら簡単そうだが、
い人、醜い人、その中間。それぞれに合ったヘアスタイルを提
供することが、私の使命」
その逆は難しそうだと思った。
小沢は手を止め「出来上がり。髪の毛流すね」と言った。
「醜い人って僕みたいな?」
「あなたは違う。醜いっていうのは、相対的な比較で、髪の毛
髪を流してセットしてもらうと、鏡の中に、今までとあまり
変わらない隅田がいた。少し短くなったかなと隅田は思った。
に比べて容姿や内面が劣っていること」
「そういう人にはどうするの?」
「少しずつでいいの」と言って小沢は笑った。
「今日も色んなお客さんが来たな」仕事が終わった後に家で缶
☆
☆
隅田は自分に少し自信が持てた。
以前より笑顔が似合うようになったと感じた。
隅田は小沢の笑顔に魅せられ少し笑った。鏡に映る自分は、
「坊主かな。髪の毛が可愛そうだから。できることなら、お客
の五人に一人くらいを坊主にしてあげたいんだけど、それだと
お店の採算が取れないから……」
「取れないから?」
「お客様に言われたとおりの髪形を提供しているの」
「そういうものなんだ」
「話は少し戻るけど……」隅田はもう少し小沢の仕事に関して
ビールを一本飲みながら一日を振り返ることが、この春からの
「私は一人では存在できないから、
わがままばかり言えないの」
話を聞きたいと思った。彼女の価値観は独特で面白い。
「それ
ナツの日課となっていた。
春は出会いの季節だ。新しい土地で生活を始め、美容院を変
ぞれに合った髪型っていうのは?」
。
「例えば、女性でも力溢れんばかりの、まさに男勝りって感じ
鋏の使い方
048
える人が多い。美容院にとって新規顧客を開拓する絶好のチャ
ンスである。
今日も色々な出会いがあった。それぞれの客に合ったサービ
スを提供できたという実感がナツにはある。
ナツは今日店に来た隅田という男のことを思い出した。私が
彼に言ったことは真実だ。人間も生物なのだから、切るという
行為によって本来の輝きを取り戻すことができる。この考えは
多分このまま変わらないだろう。
やはり後悔はしていない。
ナツは缶ビールを空けた。手のひらで握ると、空き缶は少し
つぶれた。缶にプリントされた麒麟も、少しひしゃげた。
ナツは、麒麟がこの世界にいたとしたら、切り離すべき部位
はどこだろうかということを考えた。そんなことを考えながら
眠りについた。
☆
☆
☆
ヒロミが色々なものを失ってから三年が経つ。
仕事を始めてまだ三年と少しだが、ナツは今まで仕事をして
いて後悔したことはない。きっと、切るという行為に対して一
近頃は、何も持たないということに対して、それほど悲観的
でない。何も持たなければ失うものはなく、誰も信じなければ
貫したぶれない姿勢を取っているからだろう。
「反省はしてもいいけど、後悔をしてはいけない」とは生前に
裏切られることもない。何か新しいことを始めるには、一度全
てを失う必要があるのかもしれない。
草井がよく言った台詞だ。
反省といえば……、ナツは先日店に来た川瀬という男を思い
望を聞いたのは初めてのことだった。ナツはその要望どおり、
めた。一年後、貯金の半分を使って土地を買い、野菜を植えた。
ら離れた田舎町に引っ越した。残り半分で、また株式投資を始
三年前に失わずに残った貯金の半分を使い、ヒロミは都心か
自分の思ったとおりの髪型にした。可愛そうな髪の毛たちをた
残り半分を株に回して収入を得た。再び一年後、貯金の半分で
出す。ナツは客から「お前の好きなようにしてくれ」という要
くさん切り離してあげた。
《刺激》に対する感覚は年々鈍くなってきているものの、株で
土地を買い足し、野菜を植えた。
値観をすり合わせないといけないということを、いつも反省し
稼ぐには十分だ。株で貯金を増やし、増えた分で土地を買い、
その客は怒って帰ってしまった。ナツは、もう少し周りと価
ている。しかし、好きなようにしてくれと言われたのだから、
鋏の使い方
049
野菜を植える。
《刺激》に対する感覚を完全に失うまで、この
サイクルを繰り返していくつもりだ。
急激な下降を予感することは二度となかった。夢の中で見た
鋏が、色々なものと一緒に切り取ってくれたのかもしれない。
毎朝早く起きてシャワーを浴び、昼過ぎまで農作業をする。
夕方から夜にかけて株の動きをモニターし、空腹を覚えれば自
分で収穫した野菜を食べる。これが、ここ数年のヒロミのライ
フスタイルである。ほとんど誰とも話をしていないが、日々の
生活に満足していた。
ヒロミはシャワーを浴びている時に、鏡に映る自分の姿を見
た。ホルモンバランスが崩れ、胸の膨らみは、少しずつ何かを
蓄えつつあった。
(了)
鋏の使い方
050
新婚夫婦と座談会
んそく史上初の、新婚夫婦を交えての座
居のリビングに七人の男女が集った。え
二〇〇九年三月二十二日、住田夫妻の新
聖
今さらな感じが……。
太
え?
星
ああ、やるんだ?
太
では、自己紹介を……。
すみた
談会。メンバは次の七人である。
真
継続的な読者は、もう、うんざりか
ほしゆういちろう
・星裕一郎(以下、星)
なと。
・福富平記(以下、福)
・荒川真成(以下、真)
・荒川史朗(以下、史)
山崎です。最近読んだ本は、西尾維新の
太
自己紹介はやりましょう。編集長の
史
継続的な読者なんていないよ(笑)
。
(一同笑)
しようせい
ふくどみ ひ ろ き
まさなり
・住田翔星(以下、翔)
森見登美彦の『太陽の塔』と『夜は短し
薬α で殺菌します』です。新規開拓では、
『 刀 語 シ リ ー ズ 』 全 部 と、 森 さ ん の『 目
さとこ
自己紹介
歩 け よ 乙 女 』 を。『 太 陽 の 塔 』 の 方 が 面
の『カエルのテーマ』を歌い出した)
真
僕は『四畳半神話体系』が好きです。
聖
私は『夜は短し』の方が好き。
白かった。
福
♪タータタタ、
ターター、
ター、ター、
太
真っ当な恋愛小説ではないと思うけ
聖
恋愛小説だもんね。
短し』は、あまり笑い所がなくて。
太
ああ、『四畳半』は面白そう。『夜は
(一同笑)
福
それでは、座談会を始めます。
(一同失笑)
ター……。
(突然、福富がゲーム『クロノトリガー』
1
・住田聖子(以下、聖)
あらかわ し ろ う
やまざきたいよう
・山崎太陽(以下、太)
@新居
新婚夫婦と座談会@新居
051
リーズ』を。では、荒川(史朗を指す)
。
ど。あとは、米澤穂信さんの『古典部シ
るみさんの『リピート』と、『イニシエー
真
荒川弟です。最近読んだ本は、乾く
が『陽気なギャングが地球を回す』を読
福
確か、まーくんの影響で、荒川さん
んだんですよ。
ション・ラブ』と、あと『
の神話』
。
史
荒川兄です。最近『チームバチスタ
史
まーすけ(真成を指す)の影響では
ない。心外なんだけど(笑)
。
の神話』はメフィスト賞受賞作
だっけ?
福
まーくんが薦める本に大体ハズレは
星
『
聖
彼女が読んでるから?
真
そうですね。あとは……。
ける音が響く)
ステリだと思うんですけど、ミステリの
ん で ……、『 陽 気 な ギ ャ ン グ 』 は 一 応 ミ
ないです。僕も『陽気なギャング』を読
買 っ た か の よ う に「
『チームバチスタの
聖
ごめんなさい。アッハッハ!(笑)
要 素 よ り も、 キ ャ ラ の 魅 力 や 世 界 観 が
( パ リ パ リ パ リ、 と 聖 子 が 煎 餅 の 袋 を 開
栄光』超面白い!」って言ってたよ。
翔
その声の方がうるせえ。
も 強 く な い し。 で も、
『ナイチンゲール
史
不思議ですよね?
ミステリの要素
星
そうだね。
大賞なんだろう。
な に 面 白 く な い。 ど う し て『 こ の ミ ス 』
る。『 チ ー ム バ チ ス タ の 栄 光 』 は、 そ ん
ンバー』です。以上です。
が、最後に読んだのは『ゴールデンスラ
福
福富です。最近は本を読んでません
太
じゃあ、福富。
トーク』
。以上です。
川賞を受賞した人の『イッツ・オンリー・
真
あとは、絲山秋子さんっていう、芥
ロ』とかを読みました。
始めて『オーデュボン』とか『重力ピエ
き で す( 笑 )。 そ れ で、 伊 坂 さ ん を 読 み
福
『 陽 気 な ギ ャ ン グ 』 も、 世 界 観 が 好
界観」って連呼してた(笑)
。
星
「世界観」って言葉、好きだよね?
太
出た!(笑)
……。
の 沈 黙 』 は、 す ご く 面 白 い で す。 次 に、
太
福富って、伊坂さんが好きだね。
太
では、星さん、お願いします。
(一同笑)
西尾維新の『化物語』を読もうと思って
福
まーくんの……荒川弟の影響です。
星
はい、星と申します。最近読んだ本
太
『オーデュボンの祈り』を語る時、「世
ます。
星
まーくんで良いよ(笑)
。
次の『ナイチンゲールの沈黙』を読んで
史
僕 が 貸 し た の に( 笑 )
。 今 は、 そ の
聖
そ う な の?
さ も、 自 分 で 選 ん で
史
いいや。僕が買って貸したんだよ。
の栄光』を読みました。
J
太
では、まーくん(真成を指す)
。
新婚夫婦と座談会@新居
J
052
覚えています。
ようやく『死神の精度』を読んだことは
は 覚 え て い ま せ ん が、 年 が 明 け て か ら、
ター……。
福
♪タータタタ、
ターター、
ター、ター、
聖
いよいよ?(笑)
星
森見さんの小説を、京都のあの辺に
いました。私は、あれが好き。
から読んで、なんて面白いんだろうと思
爵と僕』を読みました。あとは、奥田さ
翔
翔星です。最近、森さんの『探偵伯
太
では、翔星、どうぞ。
星
はい。
好きな作家さんですね。以上ですか?
太
ああ、案西君(えんそくメンバ)の
回も言ってないのは、石持浅海さん。
星
最近ではないけど、多分この場で一
太
ですね。今回は、
そういう号だから。
良いんじゃない?(笑)
星
いやいや。別に、言ってもらっても
史
別に、そんなのいらなかった。
太
ああ、そういうことか。
聖
住田聖子としては、お初です。
星
座談会は二度目ですよね?
史
お初ではない(笑)
。
聖
住田聖子です。お初です。
一同
よろしくお願いします。
太
では、よろしくお願いします。
ふうん、と。
聖
あと、『探偵伯爵と僕』も読んだけど、
星
ふうん、そう。
センスが素晴らしいです。
ではないでしょう。森見さんはギャグの
太
その場所だから面白い、というだけ
白くないのでは?
が意外。京大付近を知らなかったら、面
住んでなくても面白いと思えるというの
んの……、何だっけ?
史
あ、そっか。
(一同笑)
聖
『町長選挙』でしょ?
太
今さらですが、ご結婚おめでとうご
太
新規開拓はありませんか?
太
あ あ、 文 庫 化 し た ね。
『探偵伯爵』
ざいます。
住田夫婦の人生を振り返る
は未読だけど、どうなの?
太
そっか。では、いよいよ……、聖子
いです。
せんでしたが、悪いと思ったわけでもな
翔
うーん……、普通。良いとは思いま
を 読 み ま し た。 森 見 さ ん は『 夜 は 短 し 』
聖
翔星より先に奥田さんの
『町長選挙』
太
で、最近読んだ本は?
聖
ありがとうございます。
一同
おめでとうございます。
えんそくを刊行させて頂きます。そこで
太
今 回 は、 お 二 人 の ご 結 婚 を 祝 し て、
①
―翔星の幼き頃
さん、お願いします。
2
2
新婚夫婦と座談会@新居
053
簡単に振り返りたいと思います。
折角なので、お二人のこれまでの人生を
真
星さんはずっと、司会の人がオカマ
と笑ってた。
星
手紙の朗読中、僕とまーくん、ずっ
(一同笑)
は地方公務員で、職場のサッカーチーム
がサッカーをやっていたからです。親父
翔
サッカーを始めたのは小二で、親父
太
そう、そう(笑)。
福
(得意げに)こういう感じですよね?
(笑)
星
本人に語らせるの?
だって言ってました(笑)
。
みたいなのに入っていて、実家の寝室に
聖
ええ、何それ
太
みんなが質問を投げかけます。結婚
聖
え オカマだった オカマじゃ
ないよね?
オカマじゃないと思うんだ
父がサッカーやってるのは知ってまし
父の写真とかもあって、小さい頃から親
得点王の賞状とかが飾られてあって、親
ですな、トロフィーとか、アシスト王や
式でも新郎新婦の紹介ってありますけ
ど、普通は形として残らないので、こん
けどな……。
(一同沈黙)
太
まあ、司会がオカマだったかどうか
た。親父ともサッカーをして遊んでたの
田夫婦の結婚パーティの中で、新郎の母
か?
太
誰か、お二人への質問はありません
はさておき。
が息子に宛てた手紙が読まれた。その文
福
(挙手して)はい!
(一同笑)
中で、幼い頃に翔星の目に野球のボール
星
おお、きた!(笑)
聖
じゃあ、キャッチボールの代わりに
で、「 何 か ス ポ ー ツ す れ ば?」 と 言 わ れ
が 当 た っ た 事 故 が 紹 介 さ れ た。
「眼球か
太
はい、福富。
お父さんとボール蹴ってたってこと?
(一同笑)
らゼリー状のものが出た」という生々し
福
翔星さんはサッカーをされていまし
翔
キャッチボールもしたけどね。
た時に、
「じゃあ、サッカーで」と。
い表現が用いられ、会場は感動と笑いと
たが、いつ頃、どうしてサッカーを始め
翔
キ ャ ッ チ ボ ー ル し て て、 目 か ら ゼ
聖
あ、そうなの?
カー少年団のコーチになって。
翔
小三から、親父は、僕が入ったサッ
星
そうなるね。
ざわつきに包まれた。
(一同感心)
られたのですか?
※二〇〇九年ニ月十四日に行なわれた住
して残ってますよね。
福
翔星さんのお母さんの手紙は、形と
な企画も良いかなと。
!?
星
母親からの手紙に「ゼリー状」って
単語はあまり登場しないよね?(笑)
新婚夫婦と座談会@新居
!
!?
054
リー状の物が。
(一同笑)
聖
なるほど、そこに繋がるんだ(笑)
。
化学科だと二年目で実験があるから二年
翔
僕 は、 単 位 が 足 り な か っ た ん で す。
星
うん。誰でも入れる。
聖
でも、すぐ辞めた……。
福
おお、格好良いですね!
……。
るんです。でも、数学か物理か地球惑星
聖
でもマネージャとして復帰して、敏
福
あ……。
福
(挙手して)はい!
科学なら、スルリといけるんです。
腕マネージャとして過ごした(笑)
。
生になれなくて、卒業するのに五年かか
聖
優秀(笑)
。
※翔星は地球惑星科学を専攻した。
史
小学校でマネージャなんていた?
(一同沈黙して福富の質問を待つ)
福
中学校時代にサッカーで……。
星
そう、そう。
(一同笑)
聖
またサッカー?
聖
いた。バスケが盛んだったから。
聖
田臥に会ったこともあるよ。
真
能代工業もありますしね。
史
へえ、知らなかった。
②
―聖子の幼き頃
福
(挙手して)はい!
(一同笑)
福
翔星さん、得意科目は何でしたか?
福
(挙手して)はい!
は後から入ってくるのね。司会が「バス
聖
県大会の合同開会式で、前回優勝校
一同
おお!
聖
理系だね。
太
はい、福富。
ケットボール、能代工業高校」って言う
(一同沈黙して福富の質問を待つ)
太
化学科に入ろうと思ってた?
福
と、会場中の女の子が「キャー
に学科に所属する。一年時の成績の良い
という学科のグループに所属し、二年時
学校時代とかは何をされてたんですか?
福
すみませんでした。聖子さんは、小
太
まだ早い。
太
結構マニアックだね(笑)
。
聖
中学では、科学部だった。
福
中学校時代は何を?
史
へえ、そうなんだ。
!!
聖 子 さ ん は、 翔 星 さ ん の ど こ が
翔
最初は、そうでした。
……。
者から、希望する学科に所属できる。
聖
小学校ではバスケット部に入って
」って
聖
頭が足りなかったんでしょ?(笑)
(一同笑)
史
あれ?
化学科は人気ないよね?
騒いだ(笑)
。
※ 翔 星 の 出 身 大 学 で は、 一 年 時 は「 類 」
翔
小、中では算数で、高校では化学。
2
新婚夫婦と座談会@新居
055
言う通りにやってたら、良い成績を残し
聖
先生がすごい人だったから、先生の
太
今から行って、
採用してもらいなよ。
ても、
入れてあげる」って言われた(笑)。
聖
持 ち 前 の リ ー ダ シ ッ プ を 発 揮 し て、
翔
煽てられる天才(笑)。
部長にまでのし上がったよ。途中入部の
くせにね。
「あの時、約束したでしょ!」って。
翔
よし、読売新聞に就職だ!
福
前から思ってたんですけど、聖子さ
て全国四位になった。
聖
あれ?
朝日新聞だったかな?
んは格が違いますね。
一同
ええ
星
何で競うんですか?
太
そこを忘れてたらダメだね。
太
で、高校は?
③
―大学時代
(一同笑)
聖
論文を書いて発表しました。
聖
「 カ ラ ス ビ シ ャ ク 」 っ て い う 草。 雑
聖
高校は合唱。
(一同笑)
草なんだけど、生態が解明されてないか
福
ああ
翔
何て草だっけ?
ら、 調 べ て み た ら っ て 先 生 に 言 わ れ た。
で道管と師管がどうなっているか見たり
葉なのかってところから始まり、顕微鏡
葉っぱが三枚で、まず単子葉なのか双子
福
高校時代は何を?
太
じゃ、どうぞ。
福
はい!
太
ん?
福富が質問する?
星
知らない。誰?
聖
そう、そう。超気持ち悪い。
史
確かに、あいつは気持ち悪い。
聖
シ○オが嫌いだったんだもん。
史
一年くらいしかやってないよね?
福
大学でも合唱ですよね?
して、三年生の時に論文を書いて全国四
聖
高校は合唱(笑)
。
位に。
聖
初めは入る気なかったんだけど、音
太
どうして合唱を?
太
へえ。
聖
そうそう(笑)
。
るんですよ。
史
髪型がクリボーみたいな指揮者がい
聖
え?
まあ、昔はね(笑)
。
楽の授業は取ってて、音楽の先生が合唱
聖
これ、カットしといてね!(笑)
(一同笑)
翔
否定はしないんだ。
部の先生で、先生に「お前、声が良いな。
太
絶対にシ○オは読まないから大丈
史
神童じゃん。
聖
読 売 新 聞 社 か ら 表 彰 さ れ た よ。
「大
合唱部に入れよ」って言われて(笑)
。
(一同笑)
きくなったら、うちに入りな。何があっ
新婚夫婦と座談会@新居
!!
2
!?
056
翔
きっと、みんなと一緒でしょう。
太
まあ、僕もよく分からんけども。
翔
どうしてですかねえ……。
どうして合唱を?
夫。一応、
名前は伏せとくけど。翔星は、
いたら入ってた。
翔
僕も、嵐の新歓を乗り越え、気がつ
史
気がついたら入ってたね。
新歓の飲み会に行って……。
太
僕や荒川はクラスが同じで、一緒に
て、どのように恋に落ちたのですか
の後、お二人はどのように出会い、そし
福
高校でも色々あったわけですが、そ
(一同笑)
星
高校は?(笑)
星
うん。
誘われたから入っただけですよね?
史
星 さ ん は、 ふ ら っ と 最 初 に 行 っ て、
聖
星さんの理由が気になる。
れは分からない。
星
みんなの理由が分からないから、そ
史
星さんは違いますよね?
に、すんごい下心だ。
太
そんな期待をして入ったのか。確か
るかなって。アハハハハ!(笑)
うとね、東大と一緒だったから、何かあ
聖
そう、そう。……すんごい下心を言
から続けたの?
太
聖子さんは、高校で合唱をやってた
星
結局、たいした理由もないよね。
荒川史朗がただで飲ませてくれそうだか
大 学 で カ ク テ ル バ ー や る っ て 言 わ れ て、
聖
翔星が一個下です。私が四年の時に、
違うんだっけ?
星
それは何年生の?
あ、二人は学年
だよね?
聖
初めて会ったのは、東工大の大学祭
(一同爆笑)
太
あれ?
煙草が吸えるから、では?
ら行った。そしたら、荒川史朗が「ドラ
ンクドラゴンの鈴木に似てる奴がいるん
翔
だが、いたのは、シ○オ。
(一同笑)
だよ」って言ってて。
星
みんなは違うの?
太
おお。
福
(挙手して)はい!
の鈴木に似てるんだ」って。
聖
「 こ い よ、 翔 星。 ド ラ ン ク ド ラ ゴ ン
ちょっと恥ずかしいんだけど(笑)
。
史
そ ん な の、 よ く 覚 え て る ね。 僕 が
史
少なくとも僕は、煙草が吸えるから
福
お二人とも、小学校、中学校、大学
史
恥ずかしい!(笑)
④
―出会い
入ったのではないですね。
と色々あったわけですが……。
あ……。
太
あれ?
誰かからそう聞いたけどな
くて良くない?(笑)
星
煙草が吸えるからって、別に入んな
!?
星
だから、僕も違うよ(笑)
。
2
新婚夫婦と座談会@新居
057
聖
翔 星 と は、 そ れ か ら 全 然 会 っ て な
翔
おかしな話だなあ。
史
ああ、そうだったんだ。
くるねってことに。
日しか行けなかったから、じゃあ行って
聖
誕生日だったけど、大学祭にはその
翔
その日が、その時の男の誕生日。
星
ほう。
いた。
翔
うん、そう。その時、聖子には男が
焼き肉を食べに行った。それが初めて。
て言った。それで一緒に飲んで、
その後、
聖
そ れ で 翔 星 が き て、
「 似 て る!」 っ
翔
……恥ずかしい!(笑)
も、近くにいたからだよね?
聖
私がインフルエンザにかかったの
翔
うん。
インフルエンザ仲間だ。
聖
こ の 人 が 発 生 源 で、 私 も か か っ た。
ザだったんだ。
翔
あ、そうだ。その時、インフルエン
あってね。
たんだよね?
そしたら、この人、熱が
聖
その日はグダグダ飲んでて、泊まっ
翔
うん。
で喋ってたら面白くてね。
となくて、気まずいと思いながらも二人
きてくれて、それまであんまり喋ったこ
らどれくらい?
太
いや、日付じゃなくて、出会ってか
聖
三月十七日。
太
付き合ったのは、いつなの?
(一同笑)
で終わった。
史
翔星が聖子さんにすり寄ったところ
星
そうだね。
ろじゃなかった。
史
さっきは、まだ付き合い始めたとこ
真
付き合い始めてから?
翔
でも、どこからですか?
聞かせてください。
太
結婚に向かうまでの流れを、簡単に
⑤
―結婚
かったんだよね。たまに、お互いの演奏
(一同笑)
ないのか、そっけない感じで……。
声かけるんだけど、この人はよく覚えて
翔
恥ずかしい!(笑)
くるの。
聖
寝てるとさ、この人が、すり寄って
福
い か に し て ……、 ど ち ら か ら ……。
太
いかにして、どちらから?
聖
半年後。
真
ええ
会で見かけて「ああ、翔星くん!」って
太
ふむふむ。
(一同笑)
エロス!
聖
そんな感じです。アハハハハ!
(笑)
(一同笑)
2
聖
で、しばらくして、
みんなで餃子パー
ティをやったんだよね?
翔星が迎えに
新婚夫婦と座談会@新居
!?
058
聖
それで、翔星が言ったんだよね?
翔
うん。
たんだよね?
て、それで三月十七日に翔星の家に行っ
まだ、ちゃんと付き合うとは言ってなく
な っ て、 ほ ぼ 付 き 合 っ て る 感 じ だ け ど、
聖
一 緒 に 遊 ん で く れ て、 良 い 感 じ に
翔
そう、そう。
て言ってくれたんだよね?
メールしたら「じゃあ一緒に遊ぼう」っ
言ったのに断られたの。それで、翔星に
ら れ て、「 ち ゃ ん と 会 っ て 話 そ う よ 」 と
てくれ」って電話で一方的に別れを告げ
てて、結局「好きな女ができたから別れ
聖
いや、向こうも気持ちが離れたりし
太
他の人とかと遊んでるから?
だけど、気まずくなってて……。
聖
その時は、私にはまだ彼氏がいたん
翔
そう、そう。
んだよね?
聖
ことあるごとに、みんなで遊んでた
した方が良いのかな、って感じに。
うする?」とか話してて。そしたら結婚
て 親 に 言 わ れ て、
「 遠 距 離 に な る ね。 ど
おいておけないから秋田に帰ってこいっ
聖
私が会社を辞めて、じゃあ東京には
翔
そう。
聖
私が会社辞めたからだよね?
翔
ない。
たよね?
聖
結婚しようという話は、特になかっ
ことに?
太
どのようにして、結婚しようという
史
翔星がかわいそう(笑)
。
翔
……。
ると思って。
太
翔星が用意してたんだよね?
いけ
キが出てきた(笑)
。
聖
「お願いします」
って。そしたらケー
翔
「付き合ってください」って。
太
何て言ったの?
翔
うん。
輪の箱を開けるジェスチャ)
はなかった。
かな。でも、結婚しよう、パカ(婚約指
聖
一応、挨拶から入籍までが婚約期間
太
婚約もなかったのか。
ないよ」とはずっと言ってたんだよね。
言 わ れ て な い か ら、「 プ ロ ポ ー ズ さ れ て
聖
そう。ちゃんと「結婚しよう」って
翔
はい。
はなかったのか。
太
そうなんだ。それまで、プロポーズ
翔
はい。
太
その時に、結婚を申し込んだの?
翔
めちゃめちゃ緊張した。
ね?
に来て……、人生で一番緊張したんだよ
聖
私も分かんない。でも、それで挨拶
なあ……。
翔
どんな流れで、そうなったんだっけ
に行くよ」って言われた。
聖
翔星に「ゴールデンウィークに挨拶
翔
うん。
新婚夫婦と座談会@新居
059
聖
これ、載せといてね!
翔
はあ……。
よね?
聖
でも、来年くらいには、くれるんだ
翔
ねえよ!(笑)
真
歳上が好きなの?
福
あ、最高ですね!
聖
良いよ。お姉さんウケしそう。
翔
女の子を紹介してあげたら?
福
是非(笑)
。
聖
邪魔はするけどね(笑)。
一緒にいても、読書もゲームもできる。
翔
一 人 の 時 間 が 欲 し い と は 思 わ な い。
一同
おお。
翔
プラスしかないです。
(一同笑)
翔
一 人 で 集 中 し て 読 書 を し た い と か、
ゲームをしたいとかはないんで、誰かが
いてもできる。何か困るかなあ?
理 に 憧 れ が あ る よ ね?
実家に帰りた
星
ふっくん(福富を指す)って、手料
(一同笑)
太
おお。
翔
美味しい!
あと、もしあれば、逆に独身の方がここ
太
お 二 人 に、 結 婚 し て 良 か っ た 点 と、
聖
へい。
すので。
太
お二人以外は未婚の者どもばかりで
聖
へい。
太
では、次の話題になりますが。
太
聖子さんは、何かある?
翔
すまん。最近やっちゃった。
連絡なしに帰ってこないのは困る。
聖
ちゃんと言ってくれれば良い。でも
翔
帰らなくても良いんじゃない?
といけないからね。
史
自由な時間がないし、家に帰らない
くない!」って言ってたよね?
結婚して良かった点
(一同笑)
福
……別にそうでもない。
(一同笑)
福
(挙手して)はい!
星
おお(笑)
。
福
聖子さんの手料理は美味しいです
い っ て 言 う か ら、 な ん で っ て 尋 ね た ら、
は良かったなあという点を、教えて頂き
聖
私は、一番良かったことは、居場所
太
荒川なんて、この前まで「結婚した
お母さんの味噌汁が飲みたいって言って
たいです。
ができたこと。
か?
たもんね。
翔
結婚して良かったことかあ……、恥
福
食いてえなあ、おい
聖
へえ、かわいい。じゃあ、うちにも
星
おお、深い。
3
ずかしい!
ご飯食べにおいでよ。
新婚夫婦と座談会@新居
!?
060
聖
だから連絡よこせって言ってんだろ
メリットだとは思わない?
史
二人で旅行に行けなくなるとか、デ
翔
かわいいから。
何 と な く 一 人 ぼ っ ち み た い な 気 持 ち が、
う が よ( 笑 )
。 不 安 に な る の。 連 絡 が な
翔
そ れ よ り も、 か わ い さ が 勝 っ て る。
(一同笑)
ずっとあった。定まってない、
というか、
いと、何かあったんじゃないかって。
若い内に産んじゃった方が、後が楽。
聖
東京で一人暮らしで、
彼氏がいても、
どこにも所属してない、というか。仕事
太
いやあ、良い話が聞けました。
聖
確かに。
翔
自分たちが元気な内に、一緒に遊べ
生 活 す る っ て こ と で も そ う な ん だ け ど、
う。今死なれたら、
すごく困る。それは、
聖
この人が死んだらどうしようって思
(一同笑)
星
ありました?(笑)
聖
あ……。
翔
なーんにもないよね?
るし。
聖
私も、ないんだよね。友達とも遊べ
身はここが良かったということは?
い じ ゃ ん。 二 人 で 旅 行 し た り と か も ね。
聖
今しか自由に友達と遊んだりできな
史
そうだよなあ。
のは女の方だから。
聖
でも、子供を産むことで大変になる
翔
もう欲しい。
太
翔星は?
らいは二人だけでいても良いかな。
聖
欲しいけど、まだ良い。あと二年く
まだ欲しくないですか?
太
では、次の話題に移ります。子供は
太
産まれたら、すぐに決めないといけ
えてるんですけど、なかなか……。
翔
一夜漬けで決めるのかな。ずっと考
……。
聖
考えてはいるんだけど、なかなかね
太
子供の名前なんて考えてるの?
聖
ラグビー 初めて聞いた(笑)
。
遊びたい。ラグビーも。
翔
サッカーもしたい。野球も。一通り、
太
それは結構先だね(笑)。
翔
酒を飲みたい!
太
何をして遊びたいですか?
子供の名前
もしてたし、友達もいるんだけど、何か
一人ぼっちみたいな気持ちがあった。結
婚したら、居場所ができたなあと思う。
今は子供もいないから、この人が死んで
それをもっと楽しんでからが良いな。
ないんだっけ?
る。
私に何も残らないのが、すごく嫌。
史
なんで翔星は子供が欲しいの?
太
そっか。じゃあ、強いて言えば、独
翔
生命保険に入りました。
4
!?
新婚夫婦と座談会@新居
061
翔
「さつき」
、
「なつき」
、
「いつき」。
太
高いね。今ならまだしも、二十年以
翔
「 翔 星 」 っ て 読 め る し、 他 に い な い
さつき
翔
でも、親父のレベルはかなり高い。
聖
一週間以内に届けないとかな?
史
上も前だもんね。
聖 子 さ ん の「 聖 」 に「 月 」 で
※出生日を第一日目として十四目までに
「聖月」と読ませても良いのでは?
翔
それは最初に思いつきました。
から。
しようせい
出生届を提出する。普通は子供の名前を
記入して提出するが、空欄のまま提出し
聖
「聖月」?
ダハハハハ!(笑)
せいげつ
て後から決めることも可能。
太
「さつき」
「いつき」なら、男女どち
福
松田翔太も、その字ですよね?
一番人気なんだって。
聖
「翔」って、今流行りの文字だよね。
好良い名前じゃないですか?
らでもいけるね。
聖
ああ、良いこと言うね。
(一同沈黙)
太
うん。
聖
五木ひろしを思い浮かべる(笑)
。
福
よし!
福
翔星さんも聖子さんも、二人とも格
福
子供の名前は難しいですよね?
翔
読めないのは嫌ですね。
ポイントゲット。
翔
難しい!
プレッシャです。
太
翔星の「翔」に聖子さんの「聖」で
いですよね?
真
でも、両方の要素を入れるのは難し
聖
完全に翔星側の都合だよね。
子供の名前には「月」を入れたい。
翔
僕の名前に「星」が入っているので、
福
プレッシャですよね?
翔
そういうのは好みじゃない。よく考
聖
へえ、源氏名みたいだね(笑)
。
の「真」に、
「林」とか。
真
マリンちゃんっていますね。真ん中
も避けたい。
ん 」 と か、
「 マ リ ン ち ゃ ん 」 と か。 あ れ
翔
カタカナにもしたくない。「レオちゃ
史
いじめられちゃうからね。
太
そうだね。
太
哲学の「哲」?
聖
「てつこ」。
史
聖子さんのお母さんは?
太
お父さんは素朴だね(笑)
。
翔
「泰」です。
史
ちなみに、お父さんの名前は?
太
方向性?
宇宙関係ってこと?
翔
方向性はそっちにしたいです。
太
「月」は必須?
「翔聖」は?
(一同笑)
聖
すごいな!(笑)
えたなあ、という名前をつけたい。
聖
武田鉄矢の「鉄」に……、あ、間違
やすし
翔
紛らわしいので却下(笑)
。
聖
翔星は、自分の親父を超えたい?
しようせい
真
「月」って難しいですよね?
新婚夫婦と座談会@新居
1
062
※聖子の旧姓は「武田」
。
(一同笑)
よね?
一文字違い。
翔
武田鉄矢の「鉄」だったら、まずい
聖
哲学の「哲」だ。
星
黒柳徹子?
えた!(笑)
翔
「翔星」には実は対案がありまして、
だよ。
聖
でもね、画数とかって本当にあるん
入ってたら、推したい。
れたらやめようかなと。でも、相当気に
翔
聖子がこう言うので、悪いって言わ
聖
やだ。
翔
悪いって言われても良いです。
です。
んですけど、親父が「翔星」を推したん
んを立てて「武夫」も候補にしたらしい
じる」で、「武信」なんですよ。じいちゃ
翔
じいちゃんが、武士の「武」に「信
翔
武田の「武」に「夫」。
太
「たけお」はどういう字?
名前の影響ってあるかなと。
(一同笑)
聖
し か も 違 っ た し。 武 田 鉄 矢 の「 鉄 」
「 翔 星 」 じ ゃ な か っ た ら「 た け お 」 だ っ
たけのぶ
じゃない。
聖
あれ おじいちゃんが「武夫」を
真
名字との相性ってありますよね。
太
まーくん、何かある?
聖
うう、申し訳ない。
(一同笑)
んですよ。危ないチョイス(笑)
。
べて、うーんって考えて「翔星」だった
翔
「 住 田 翔 星 」 と「 住 田 た け お 」 を 並
星
ずいぶん違うね(笑)
。
(一同笑)
んないの?(笑)
聖
なんで星さんが分かって、私が分か
を推しました。
星
そうですね。で、お父さんが「翔星」
(一同唖然)
たんですよ。
翔
「 住 田 」 っ て、 何 と も 合 わ な い か ら
福
紙一重(笑)
。
翔
しかも、じゃねえよ。
大丈夫。
真
婿 養 子 だ っ た ら、
「武田たけお」で
推したんじゃなかったっけ?
真
姓名判断とかで決めてもらうのは?
すよね。
聖
この人は気にしないけど、私は気に
太
そういうの気にする?
ないと思うんですよ。
そういう意味では、
翔
「 た け お 」 だ っ た ら、 今 の 性 格 じ ゃ
(一同笑)
太
男なら、良いんじゃない?
星
「海月」だね。
だと、えらいことに。
くらげ
する。
翔
海も好きなんですけど、「海」に「月」
(一同笑)
星
画数とか?
!?
新婚夫婦と座談会@新居
063
太
あまり男はいないね。
すね。
真
「月」だと女の子の名前が多そうで
太
ぐにゃぐにゃ?(笑)
りそう。
聖
やだ。ぐにゃぐにゃした男の子にな
もね。
星
まさかの「武夫」でリベンジするか
聖
お父さんに決めてもらえば?
父はすごいんです。勝てない。
翔
そうなんですよ。だから、うちの親
せー、しょーせー。
太
「 翔 星 」 は 呼 び や す い よ ね。 し ょ ー
書いてた日記を読み直すんですけど、日
かって思うんですね。それで主人公が昔
わ な く な っ て、 も う 治 っ た ん じ ゃ な い
中学生くらいの頃からは、全く記憶を失
つけようということになりました。確か
憶をよくなくすんです。だから、日記を
た人間で、障害なのか、小さい頃から記
福
SFです。主人公がちょっと変わっ
らいと
史
「月」は?
(一同笑)
太
なかなか決まらないですね。
が あ る こ と が 分 か っ た ん で す ね。 昔 に
記を読むと、その当時に戻れる特殊能力
聖
やだ(笑)
。
太
あ、思い出した。僕の名前の対案に
聖
ま、ゆっくり考えればいっか。
戻ってちょっと状況を変えるだけで、そ
の 後 の 人 生 が だ い ぶ 変 わ っ ち ゃ い ま す。
主人公は好きなように過去を変えるんで
すけど……、というお話です。
好きな映画
も「月」が入ってるんですよ。
聖
え、そうなの?
ゆ き え
太
僕 に は 姉 が 二 人 い て、
「雪恵」と
はなえ
「 花 恵 」 で、 親 が「 雪 月 花 」 を 狙 っ て て
太
では、くじでお題を決めて、それに
つきえ
僕は「月恵」のはずだったんだけど、男
太
説明がうまい。面白そう。
星
「ですけど」って、良い言い方だね。
太
じゃあ、聖子さん引いて。
聖
うん、観たい。
ついて話しましょう。
太
「月恵」はどう?
僕の代わりに。
聖
はい。……「好きな映画」
。
史
最近
『ベンジャミン・バトン』を観た。
だったから「太陽」になったんだ。
星
僕の代わりに?(笑)
福
俺は『バタフライ・エフェクト』が
太
ああ、観たんだ。
うまい。
聖
じゃあ、自分の子につけろよ。
好きです。
星
どんなの?
(一同くじを作成)
太
確かに(笑)
。
太
どんな感じ?
聖
へえ、そうなんだ。
翔
呼びやすい名前が良いですね。
新婚夫婦と座談会@新居
5
064
ヒッチコックの『鳥』とか『サイコ』と
た い で、 今 観 て も 古 臭 く な い ん で す よ。
はよくあるそういう設定の作品の原点み
中で身代金の取引をするんですよ。今で
で、山崎努が誘拐犯を演じてて、電車の
国と地獄』とか。山崎努が若い頃の作品
真
僕は昔の映画が好きで、
黒澤明の
『天
史
先に書かれるとね。
書けないな。
こうと思ったことがあるんだけど、もう
太
そんな設定を思いついて、小説を書
最終的にどうなるか……。
く 一 方 で、 女 の 子 は 歳 を 取 っ て い っ て、
取っていくんです。主人公が若返ってい
た ん で す が、 そ の 女 の 子 は 普 通 に 歳 を
供の頃に、ある女の子と出会って恋をし
んで、どんどん身体が若返るんです。子
史
主人公が、産まれた時におじいちゃ
聖
そうなの?(笑)
たんだよね?
史
何度もみんな寝ちゃって観れなかっ
太
ああ、観たね。
を観たよね?
史
ふっくんの家で『 2001
年宇宙の旅』
福
ミュージカルですからね。
史
死体が踊り出すんですよ。
太
大爆笑ではない。
史
僕は、観て大爆笑した。
ク』が好きなんです。
太
あとは『ダンサー・イン・ザ・ダー
福
あれは面白いですよね。
好きだよね?
史
太陽は『時計じかけのオレンジ』が
※実は『サイコ
星
嘘に気づいた(笑)
。
(一同笑)
福
……嘘だ!
翔
マイナだけど『クレイマー、クレイ
史
ああ、良いね。
ンが好きです。
福
あの『フィガロの結婚』を流すシー
話なんだろうって引き込まれた。
僕は何も知らないで観たから、どういう
史
脱 獄 も の と い う 雰 囲 気 を 出 さ な い。
まるんですけど、色々あって脱獄する。
翔
銀行員の男性が主人公で、冤罪で捕
星
どんな話?
史
あれは分かりやすい。
福
スカッとしますよね。
ことにしてます。
ら『ショーシャンクの空に』って答える
翔
あ ま り。「 一 番 は?」 っ て 訊 か れ た
史
翔星は映画は観ない?
福
でも映像はすごかった。
いって諦めた(笑)
。
三回くらい全滅して、もう、これ観れな
た け ど、 ま た 十 分 く ら い で み ん な 寝 た。
』は存在する。
かも好きですね。
史
観 始 め て 十 分 く ら い で み ん な 寝 た。
2
』なんてあるの?
』が……。
マー』も。
史
『
福
ああ、
『サイコ
寝ちゃったからもう一回観ようってなっ
2
2
新婚夫婦と座談会@新居
065
真
『 ダ イ・ ハ ー ド 』 と か、 子 供 の 頃 っ
聖
はい、はい。
メージなんですよね。
真
吹 き 替 え か ら 入 る と、 そ の 声 の イ
福
雰囲気がガラッと変わります。
聖
ああ(笑)
。
史
嫌なの?
太
でも、テレビだと吹き替えだよね?
やってます。
真
よくテレビの金曜ロードショーで
史
超面白い。
ズ 』ばっかり観ますね。
真
僕は、それと『インディ・ジョーン
史
テンション上がるよね。
ザ・フューチャー』が大好き!
聖
あまり観ない。でも『バック・トゥ・
史
聖子さんは?
真
好きです。
聖
今の若い人は、字幕映画が観られな
太
確かに、
それは字幕のデメリットだ。
逃すともう分かんない。
りやすいんだけど、字幕だとちょっと見
史
吹き替えだと喋ってくれるから分か
んね(笑)
。
聖
そうだね。後からすごい説明したも
ど、僕だけいまいち分からず。
史
僕以外は完璧に理解してるんですけ
聖
ああ、そうだ(笑)
。
たんですよ。
聖子さんとかと『イーグル・アイ』を観
史
いつも、
そうなんですよ。この前も、
星
「何があったんだ?」ってなるの?
字幕だと「何があったんだ?」って。
史
吹 き 替 え の 方 が 話 が 分 か り や す い。
聖
ああ、そうだね。
んですよね(笑)
。
ると、あんなに頑張って声を張ってない
のイメージがあって、いざ字幕で観てみ
(一同笑)
言ってる。
からハッピーエンドしか作らない」って
史
うちの母親は「アメリカ人は馬鹿だ
ばハッピーエンドですよね。
んでも、主人公とヒロインが生き延びれ
真
ハリウッド映画って、人が何人も死
本人の声の方が良い。
太
そうかもね。作品によっては、俳優
真
映画の内容によりますね。
福
ああ、分かります。
るためには、すごく集中しないと。
史
やっぱり字幕は疲れる。全部理解す
聖
高校生とか、二十代前半とか。
星
若いっていうのは、どのくらい?
上映が減ってきてるんだって。
聖
そういう人が多いから、字幕映画の
太
今の若い人、みんな?
きないんだって。
聖
映像と文字と一緒に記憶して理解で
太
なんで?
級っぽくなる。
てビデオは借りないでテレビでばかり観
いんだって。
太
るから、ブルース・ウィリスの声として
新婚夫婦と座談会@新居
B
066
史
でも、そのハッピーエンドが良いっ
て言ってる(笑)
。
史
でも、一億持ってて、いつでも辞め
れるって気持ちで会社で働くって最高
ないから、ポカリとカロリーメイトを大
史
しばらく家から出られないかもしれ
聖
そんな時に観てたんですか?(笑)
星
うん。体調悪くて死にかけててね。
史
面白かったですよね?
星
ああ、そうそう。荒川が来た時ね。
観てましたよね?
に『羊たちの沈黙』があったけど。
星
あまり観ない。ビデオだったら、家
スピーカを買って音楽を楽しみます。
福
部屋を買って完全防音にして、高い
真
部屋?
福
部屋が買えますね。
真
一億円で何か買うってこと?
は?
史
そういう答えは期待していないので
星
そうだね。
太
とりあえず貯金。
たらどうするか」
。
聖
はい。……「宝くじで一億円当たっ
太
では、次のくじを。
※ピースボートとは、同名のNGOが主
聖
ピースボートは嫌(笑)。
翔
百六十万くらい。
聖
世界一周っていくらかかるかな?
端だよね。
史
家を買うにしては、一億って中途半
聖
家を買う?
星
そう。使えって言われても使えない。
史
半分なんて使えないよ。
太
もっと取っておけば?
聖
半分貯金して、半分は使おうかな。
太
でも、一億じゃあ一生は暮らせない。
宝くじで一億円当たったら
量に買って、DVDを借りて観てたんで
太
へえ、僕なら浪費しないと思うな。
催する長期船舶旅行の名称。世界一周旅
じゃない?
すよね?
星
うん、僕も使わない。まあ、一部は
行で有名だが、サービスの悪さや政治的
太
星さんは全く観ないんですか?
太
寝てた方が良かったのでは?
使うかもしれないけど。
意図に対して非難も目立つ。
(一同笑)
星
寝ながら観てたよ。
太
そうですね。
真
宇宙に行くには、どのくらいかかる
有頂天ホテル』を借りて
THE
太
い や い や、 ち ゃ ん と 寝 て た 方 が 良
史
仕事は?
んですか?
史
でも『
かったと思いますよ(笑)
。
太
辞めない。三億なら辞めるけど。
6
新婚夫婦と座談会@新居
067
太
分かりません。人類は月に行こうと
星
月に行くには、いくらかかるの?
るのに、何十億円もかかる。
太
地表すれすれで無重量状態を体験す
真
ああ。
みたいな(笑)
。
真
「 好 き な も の を 買 い 占 め ら れ る!」
福
確かに。
代名詞だったよ。
星
子供の頃なんて「百万円」が大金の
(一同笑)
一億円が」って思われるかも。
た ら 怪 し ま れ な い?
「 こ い つ、 ま さ か
太
ハンバーガをものすっごく買って
史
そうだね。
危ないじゃん。
よね?
知らない人にまで知られてたら
太
一億円当たったことはバレたくない
(一同笑)
していないので、個人で行こうとしたら
史
一億手に入ったら貯金って言ってる
星
思われないよ(笑)
。
いでしたよね?
とんでもないことになります。
じゃん。でも本当に手に入ったら、十万
史
星さんは本を買いますか?
太
どこまで行くかによる。無重量状態
※二〇〇九年現在、高度四百㎞の軌道飛
くらいはパーッと使っちゃうでしょ?
星
いや、本は科研費で買うから。
真
ハンバーガだったら、一万個も買え
行 で 約 二 十 億 円 か か る と 言 わ れて い る。
星
確かに、それはあるかも。
聖
そうなんですか。
星
そうだよね。
この高度は地球半径のわずか六%程度で
太
それでも、せいぜい百万かな。
星
私生活なら多少変わるかも。小説を
を体験できるくらい?
あり、また太陽は大学院で高度六万㎞上
史
せいぜい百万だね。
新品で買ったりとか。
ますね(笑)。
空の領域を研究対象としていたために
聖
パーって使うなら、何に使うの?
史
星さんはブックオフ専門ですから
真
でも、今では一億円って結構現実的
「地表すれすれ」と表現している。なお、
太
僕なら、マックを買うかなあ。
ね。
真
地球の外です。
ジェット旅客機の一般的な飛行高度は一
聖
ん?
星
そうだね。外食も増えるかも。
聖
大人買い(笑)。
㎞強である。
太
ああ、パソコンね。
史
星さんは「お金があったら毎日マッ
な金額……でもないですね(笑)
。
史
そう考えると一億円って……。
聖
ああ、びっくりしたあ!(笑)
太
それが曖昧なんだ(笑)
。
真
子供の頃って、一億円って無限みた
新婚夫婦と座談会@新居
068
(一同笑)
星
正直、毎日は食べたくない(笑)
。
(一同笑)
作ってもらえば?
太
じ ゃ あ、 人 を 雇 っ て 家 で ポ テ ト を
聖
面倒臭い(笑)
。
星
僕が毎日、家でポテトを作るの?
ンを買って家で作れば良いのでは?
太
百万あったら、ポテトを作るマシー
聖
星さん、かわいい(笑)
。
星
食べたい(笑)
。
たよね?
クのポテトを食べたい」って言ってまし
いじゃないですか。
翔
貯めてるだけだったら、もったいな
星
へえ。
翔
運用したい。貯金は絶対にしない。
太
翔星は?
聖
お料理が好きなんだね。
真
はい。
聖
ドーンって、アメリカンな?
真
コンロも大きくて。
聖
でっかいオーブンがあったりとか?
真
キッチンにお金を使いたいです。
聖
まーくんが住むの?
真
土地と家ですね。
て買ってみたい(笑)
。
聖
服 と か。
「 こ こ か ら こ こ ま で!」 っ
翔
何の?
聖
私、大人買いしたい!
太
聖子さんは?
聖
アハハハハ!(笑)
翔
その辺はあまり惹かれない。
聖
フカヒレとかキャビアとか?
りたい。牛肉とか豚肉とか。
翔
そういうのを、色んなジャンルでや
聖
確認作業ね(笑)。
てなっても、
それはそれで良いんですよ。
翔
「なんだ。もう飲まなくて良いや」
っ
と
太
そうすると、同じ服の
史
田舎なら可能だけど、この辺にテニ
太
田舎なら可能じゃない?
トが欲しい。
一 回 飲 ん で み た い で す。 味 わ え る 舌 を
す か。 本 当 に う ま い の か っ て 思 う の で、
百万くらいのワインってあるじゃないで
翔
真
でも大人買いしたいって、すごく分
(一同笑)
る(笑)
。
聖
本 当 だ。
「 こ れ 着 れ な い!」 っ て な
か買っちゃうんじゃない?
・
星
へえ、そういうもんなんだ。
スコートが欲しい。
持ってるかは分からんけど。
かります。
・
史
僕は、できることなら、テニスコー
太
なるほど。まーくんは?
聖
結局、五千円以上は一緒だって思う
使 う と し た ら、 車 と か、 飯 と か。
真
土地。
聖
や っ て み た い よ ね?
「これの色違
L
かもね(笑)
。
M
星
土地だけ?(笑)
S
新婚夫婦と座談会@新居
069
翔
色違いなんて揃えてどうするの?
い、全部ください!」とか。
(一同笑)
るの?
翔
だって、それが二億だったらどうす
星
そうだね。
ん。
結婚相手だと、また違うのかもしれませ
太
思いついてる人から言ってもらった
方が良い。
聖
確 か に。
「 こ れ 全 部 着 に く い!」 っ
聖
「結婚相手に必要なもの」
。誰だ、こ
太
では、次のくじを。
聖
対抗意識?(笑)
(福富も挙手)
一同
おお!
結婚相手に必要なもの
聖
すごく着やすかったら、何着か欲し
いじゃん!
翔
一着買ってみてからじゃねーの?
てなる(笑)
。
れ?(笑)
太
じゃ、まーくんから。
(真成が挙手)
(一同笑)
太
すんごいトイレに行きたいんだけ
星
もし着にくかったら……。
翔
「この色は嫌い」とかあるでしょ?
太
でも、大抵はちょっとはあるよね?
真
「思いやり」です。
太
で は 再 開 し ま し ょ う。 さ っ き 休 憩
真
大抵の人にあるけど、僕が一番重要
ど、行ってても平気?
値 段 を 気 に し な い で 買 い た い の。 要 は、
中 に ま ー く ん と 喋 っ て た ん だ け ど、
「満
視するのが「思いやり」です。
聖
なんで、そんな現実的なの?
値段を見ずに買いたいの!
十六歳以上の異性であること」とかでは
太
考え方がよく分からない。必要条件
星
なるほど。
史
じゃあ、今でも値段見ずに買えば良
ないんだよね?
ではないんだよね?
それなら、かわい
星
じゃあ休憩しよう。
いじゃん。
聖
そういうことではない。
い方が良いし、思いやりがある方が良い
翔
あまりに魅力的じゃねーんだもん。
聖
でも気になるじゃん。絶対、値段見
史
当然。
し、どう選んで良いものか。
史
「思いやりのある人」ってこと?
ちゃうじゃん。
星
これ、前にもやったよね?
史
思 い や り が あ っ て も、 顔 が モ ン ス
(一同休憩)
翔
そりゃそうだよ(笑)
。
太
前 は「 恋 人 に 求 め る も の 」 で し た。
聖
「 こ れ 好 き!」 っ て 気 に 入 っ た ら、
史
一億持ってたって、値段は見るよ。
新婚夫婦と座談会@新居
7
070
真
それなら前者を取る。
子だったら?
スターと、すっごくかわいいわがままな
史
例えば、すごく思いやりのあるモン
太
そっか。
あまり厳密ではないんだね。
と。
史
だから、あえて言うなら何かってこ
(一同笑)
太
厳しいよね。
ターだったら?
一番求めてたことなんだなあって思う。
互い自分の時間を過ごせることが、僕が
それを嫌がられてたら自由じゃない。お
う と で き る。 自 分 が 自 由 に し て い て も、
ら、じゃあ自分もどこか遊びに出かけよ
史
そう。例えば相手が遊びに出かけた
聖
いつもベッタリじゃないってこと?
てること。
史
僕が思ったのは、自分の時間を持っ
星
かぶったらいけないの?(笑)
なってくなあ。
太
な る ほ ど ね。 ど ん ど ん 答 え が な く
が近い方が良いですね。
福
そ う、 世 界 観( 笑 )
。そういう感覚
聖
世界観?(笑)
が似てるというか。
福
笑いに限定しなくて、価値観や感覚
史
笑いのツボが同じ?
福
同じタイミングで笑ったり……。
と嬉しいですよね。
福
僕も自信がないんで、認めてくれる
くれる人。
太
自分らしさを出しても、受け止めて
福
ああ、すごく分かります。
考えるんです。
す。こんな奴を好いてくれるものか、と
は他の人よりも自分に自信がないんで
ずっと好きでいてくれること。多分、僕
太
僕 は、 そ う で す な あ。 僕 の こ と を、
星
言葉さえ通じれば、なんとかなる。
翔
すごく大事。
星
僕は、日本語が通じる方だったら。
太
そっかあ。星さんは?
太
野放し(笑)。
ねえ……。
史
モンスターで自由にさせてくれても
(一同笑)
太
そっか。じゃあ、すごく有力な評価
軸なんだね?
真
そうですね。
翔
僕も、がぜんモンスター。
真
ですよね。
聖
え、私はモンスター?
(一同笑)
太
福富は?
(一同笑)
福
モンスターでベッタリは最悪(笑)。
(一同笑)
星
前者を取るんだ。へえ。
聖
そっかあ。
太
そうだね。
太
え?
今、モンスターを取ったの
太
それでも、モンスターは無理?
!?
新婚夫婦と座談会@新居
071
(一同笑)
る。すごい妥協の結婚だとか(笑)
。
翔
どうして結婚したんだってことにな
(一同笑)
まずい?
聖
もし私が「色黒な人」とか言ったら
よね?
か。言ってみて、実際と違ったらまずい
太
あとは、お二人(翔星と聖子)だけ
(一同笑)
(福富と太陽が握手を交わす)
聖
じゃあ、信用だ。広い意味で、信じ
翔
信頼の方が狭そう。
聖
ああ、なるほど。
あって思ってる状態。
ど、 相 手 は そ の 通 り に で き な い か も な
は、相手の言ってることは信じられるけ
信用できるけど信頼できないって状態
太
信 用 は、 相 手 を 誠 実 だ と 思 う こ と。
頼?
どう違うの?
聖
信 用 で き る こ と。 …… 信 用?
信
太
なるほどね。聖子さんは?
星
もう、言いたいことはないの?
ジがない(笑)。
真
角煮って、家庭料理っていうイメー
福
変ですか?
太
角煮?(笑)
福
角煮!
聖
何が食べたい?
い。僕も憧れてます。飯食いにきます。
福
お二人で幸せな家庭を築いてくださ
聖
ありがとうございます。
翔
ありがとうございます。
福
ご結婚おめでとうございます。
福
あります。聖子さんが羨ましいです。
星
ほう。なんで?
聖
怒ってプンってなって、話し合いを
太
無視する人なんている?
ると、問題が解決しない。
う?
星
それで、お二人から何か言ってもら
せなお二人へ一言を。
太
じゃあ、締めますか。我々から、幸
史
言葉がおかしい(笑)。
(一同笑)
星
もらわれて(笑)。
福
もらわれて。
星
立派な男に(笑)。
締め
られることが大事。
※翔星はかなり色白である。
太
どっちから言いますか?
翔
僕は、星さんと一緒です。話し合い
しない人。
太
ええ。送辞、答辞みたいに。
真
学がない(笑)
。
福
翔星さんのような立派な男に……。
翔
そうすると、何を怒ってるか分から
星
ああ、良いね。
ができないとだめです。無視されたりす
ないから進まない。
新婚夫婦と座談会@新居
8
072
ございます。
真
では、次は僕が。ご結婚おめでとう
聖
ありがとうございます。
でとうございます。
福
羨ましい限りです。以上です。おめ
んだ?(笑)
星
カップル的な?
カップルではない
……。
福
お二人は、世界最強のカップル的な
聖
無理がある(笑)
。
のような、すっごい美しい女性を……。
福
翔星さんも羨ましいです。聖子さん
星
確かに(笑)
。
い。全然お元気そうに見えないから。
聖
この人(翔星)によく言ってくださ
さい。
星
ですから、お元気でいてあげてくだ
聖
そうですね。
ら。
お互いに嬉しいことに通じるでしょうか
星
お 互 い に 元 気 で い る こ と が、 多 分、
聖
お元気で(笑)
。
までも、お元気で。
星
ご結婚おめでとうございます。いつ
(一同笑)
すか?
られるのは、翔星くらいだと思う。他の
史
そういうところを全面的に受け止め
聖
アハハハハ!(笑)
よくプリプリする。
かなあと思うので。一方で、聖子さんは
れに対して聖子さんは母性が働くタイプ
ん坊で寂しがり屋なところがあって、そ
は、基本的にしっかりしてるけど、甘え
本当によく合っていると思います。翔星
史
じゃあ、最後に。僕は、この二人は
聖
アハハハハ!(笑)
話ですが。
ください……と、僕がいうのもおかしな
太
人生は有限なので、うんと楽しんで
聖子さんの懐の深さを感じました。
馬 鹿 な こ と を や れ る っ て い う と こ ろ に、
が失礼かもしれないですけど、ああいう
仮装をしていたじゃないですか。言い方
話になっている後輩で、一番大事な後輩
なあと思います。翔星は、僕が一番お世
ます。僕も、こんな夫婦になれたら良い
この二人の関係、雰囲気を羨ましく思い
太
ご結婚おめでとうございます。僕も、
聖
是非。
史
たくさん、遊びにきます。
聖
ありがとうございます。
なあと思う。どうか、お幸せに。
らではだね。うまくピースがはまってる
人じゃ、やってられないよ。この二人な
翔
よろしくお願いします。
聖
ありがとうございます。
(一同笑)
太
おお、なるほどね。
です。今後もよろしくお願いします。
(一同笑)
真
結婚パーティの最後に、翔星さんが
福
今の、俺が言ったことになんないで
新婚夫婦と座談会@新居
073
限りです。……ん?
せになっていく人たちが多くて、嬉しい
えればと思います。今後も、どんどん幸
聖
これからも、ずっと仲良くしてもら
福
よ!(拍手)
い限りです。
こんなメンバに加えてもらい、ありがた
聖
みなさん、
ありがとうございました。
太
では、お二人から何かお言葉を。
しっかりしなきゃなあと思って行動して
準 を 作 っ て し ま う と い う 意 識 が あ っ て、
きゃいけなくなったりとか、そういう基
なったりとか、お返しをしたら次もしな
た ん で す が、 次 も 奢 ら な き ゃ い け な く
翔
例えば今回、幹事さんにご飯を奢っ
星
うん、うん。
準を定めたような気がします。
とか、幹事さんへの対応とか、一定の基
れるのかなと思います。結婚式のやり方
翔
だから、ベンチマーク(基準)にさ
さん、お疲れさまでした。
せて頂きありがとうございました。みな
太
こちらこそ、夜分に大勢でお邪魔さ
りがとうございました。
が続くことを希望しています。今日はあ
せ て 頂 き た い で す。 今 後 も「 え ん そ く 」
翔
次にこういう機会があれば、参加さ
聖
よろしくお願いします。
いします。
話になると思いますので、よろしくお願
翔
ですので、今後も二人で色々とお世
(一同笑いながら拍手)
福
よ!(拍手)
一同
お疲れさまでした。
ニティにいても、結婚が早い方です。会
翔
僕が感じてるのは、大体どのコミュ
聖
ありがとうございます。
ざいます。
を開いてもらったわけで、ありがとうご
翔
はい。今日は我々のためにこんな場
太
では、翔星。
てくるんです。
翔
はい。こいつ
(聖子)
もぐんぐん入っ
太
相手側の、ってこと?
ティにもからんでくタイプです。
翔
我々二人は、大体どっちのコミュニ
太
ほう。
いなと思います。そういう心配が一つ。
が結婚される時に迷惑にならなければ良
(閉会)
きたつもりなんですけど、今後みなさん
社の同期でも、このメンバでも。
聖
ぐんぐん(笑)
。
(一同笑いながら拍手)
星
うん。
新婚夫婦と座談会@新居
想紅
佐藤
彩香
076
「サザンカは花が開ききるけど、
ツバキは完全には開かないの。
それに、サザンカの花びらは一枚一枚ひらひら落ちるけど、ツ
バキは花が萼から丸ごと落ちるの。大きな違いはそんな感じ。
」
これに当てはまらないツバキもあればサザンカもあるが、そ
んなこといちいち説明する気は毛頭ない。それに、ツバキが縁
起の悪いものとして扱われることがあるのも言わないようにし
おもいくれない
花が丸ごと落ちる性質は、首が落ちる様子を連想させるらし
雪の中で凛として咲くツバキの深い紅色、
「想 紅」
。
に、誕生色というものがある。日本古来の伝統的な色を参考に
い。例えば、競馬の馬の名前を付ける際にも、落馬を思い起こ
ている。面倒な反応が返ってくるからだ。
制定されたものらしく、想紅は一月の誕生色。雪の重みに耐え
させるからツバキという名を使うことは避けられているという
そんなツバキの謂れを知った時、それを自分の子供の名前に
ながら、懸命に花を咲かせるツバキのその様は、何か秘めたる
冬の朝、ガラッと窓を開けた時の静けさは、ツバキの紅を一
付けた両親のセンスを彼女は疑った。しかし、雪国に住む祖父
話を聞いたことがある。
層際立たせる。辺り一面の銀世界にぽつぽつと鮮やかに映える
だ。だから彼女は、
『椿』の名は嫌いではなかった。
していると、そんな両親への思いは消えてなくなってしまうの
の家で、毎年雪の重みに枝をしならせて咲くツバキの姿を目に
同じ説明を繰り返す。
の興味のなさそうな返事がくるだけだ。それを承知で、彼女は
たとえ答えを知ったところで、
「へー。そうなんだ。
」くらい
こんな質問をする人間がたまにいる。
「ツバキとサザンカって何が違うの?」
ように感じられ、その美しさにいつも、はっと息を呑む。
この窓枠に縁取られた景色は、彼女にとって異世界のものの
その紅は、まるで鮮血が飛び散ったかのようにも見える。
強い想いを連想させるのかもしれない。
生まれ月に因んで決められた誕生石や誕生花などがあるよう
1
想紅
077
ただでさえ営業時間中に疲弊しているのに、私にとっては恐ろ
し い 日 締 め 時 間 に 追 わ れ て、 さ ら に 冷 汗 や ら 脂 汗 や ら を か き
きった状態になる。
無事にそれを乗り切ると、その日の数十人にも上る客との会
話や事務手続きを思い出し、その日の内に折衝記録をこれでも
に着替え、諸準備をし、毎日九時に開店、三時に閉店する。
住宅街にあり、客はお年寄りばかり。八時前には出勤し、制服
話に付き合わされる。勉強会と称して、ビデオの中の緊張した
話で客から罵倒される。客や上司の悪口を言う先輩や後輩の会
不景気のためかストレス解消のためか、理不尽なことでも電
かというくらいに事細かく入力しなければならない。
「三時過ぎたら何してるの?」
、
「閉まるの早くない?」
、など
本部の人間がただぺらぺらとしゃべる様子を見せられる。
銀行に勤めて三年目になる。私の職場は自宅から一時間程の
と友人にも客にもよく言われるが、この仕事は三時過ぎてから
金や小切手などの現物と、事務手続きをする機械上の計算がぴ
閉店後、すぐに日締めという作業が始まる。一日で扱った現
世界で生きているように。そして絶えることのない緊張に縛ら
客も。全てが中身のないものに感じられた。まるで、うわべの
ない。そう、本当に中身がない。仕事の内容も、職場の人間も、
毎日毎日同じことが繰り返される。この繰り返し……中身が
たりと合っているかを確認する作業。計算が合っているのが当
れ、神経質な私は家に帰っても常にその緊張を感じてしまって
もやるべきことがてんこ盛りなのだ。
たり前のように思われるかもしれないが、銀行独特の複雑な事
休みの日は特に決まった予定もなく、部屋で紅茶を飲みなが
いた。
こかで時々ミスは起こる。今はかなり機械化されていて、昔よ
らただ何となく過ごすことが多かった。やりたいと思うことは
務や、有価証券などの取り扱いも含まれているため、やはりど
りは楽なのであろうが、確認作業が終わるまでのこの緊張感は
たくさんあったが、全くやる気が起きず、あっという間に一日
雑誌を捲りながら、ほろ苦いチョコレートを口に放り込む。
が終わってしまうのが常だった。
今も昔も変わらないだろう。
もちろん一円でも合わなければ原因が分かるまで帰れない。
さらにその原因が自分だった時にはもうとんでもないことだ。
想紅
2
078
カカオの香りが残っている内に、濃いめに入れたミルクティー
を一口。
目を閉じてふーっと息をつく。
何も手に付かない私にとって、
この瞬間は唯一の幸せを感じる時間だった。
甘いものは、そう。
「……魔法みたい。
」
甘えてばかりいたわけではないし、むしろ私は甘えるのが苦
手だった。彼の愚痴や悩みをどれだけ聞いてきたことか。支え
になってきたつもりだった。それを考えると虚しくて涙が出た。
もう全て忘れてしまいたかった。突きつけられた言葉が、常に
頭の中に体の中に感じられた。
四年半も付き合ったので、彼のいない休日というものは想像以
一ヶ月前、
私は長いこと付き合っていた彼氏に振られていた。
道を渡っている時、コートのポケットに入れていた携帯電話が
はすでに疲労を感じる。職場は駅のすぐ目の前にある。横断歩
ものように職場に向かった。満員電車に揺られ、駅に着く頃に
北風が強く冷え込んだ朝、澄んだ空気を感じながら私はいつ
上に寂しいものだった。別れることにはお互い納得の上だった
鳴った。
私はもう一度、軽く溜息をついた。
し、お互いがお互いを振って振られたような別れ方だった。
画面には受信メールの表示。送信者は……「臼井蒼汰」
。一
こんな朝っぱらから誰だろう。
――
えばよく分からない。これでも今まで人並みに恋愛というもの
瞬息を飲んだ。苦い想いが込み上げてくる。急いで本文に目を
彼を好きだったのは間違いないとは思うのだが、今にして思
を経験してきたわけであるが、本当に大好きだと胸を張って周
向けた。
駆け抜ける。まだまだ景色は枯色だが、足元に目をやれば、そ
岸辺の立ち枯れたススキの中を、鈍色の水面を、風がさっと
風が見える。
しかし突然、全てが真っ暗になった。
りの人間に自慢できるほど人を好きになったことはなかった。
相手にしてみれば失礼極まりない話だ。いつも申し訳ないとい
う罪悪感に苛まれていたが、それでも、今回だけは違うと思っ
ていた。
「椿には頼れない。頼るには弱い。
」
別れ際に彼が発した言葉。この言葉だけはどうしても許せな
かったし、思い出すたび何度も何度も私の心を突き刺した。
想紅
079
は春であるが、頬に当たる風はまだ冷たく、今は雲がどんより
こかしこに小さな緑が芽吹き始めている。弥生の月、暦の上で
私が一人の人物の記憶を失くしたことだった。
と思われていた。しかし、一つだけおかしなことが起こった。
私は家の近くを流れる川の土手にうずくまっていた。ただ座
は 私 の 知 ら な い 人 だ っ た。 母 親 に、
「 誰?」 と 耳 打 ち す る と、
ことだった。顔を見ても、名前を聞いても、声を聞いても、彼
このことに気がついたきっかけは、病室に臼井蒼汰が現れた
り込んで、風を見るのが好きだった。ここでは風が途絶えるこ
母は目を丸くして驚いた。
と立ち込めている。
とはない。
冷え切った指で、何度も何度も読み返した手紙の文字をなぞ
言葉を交わし、ようやく「臼井蒼汰」という人物と、彼に関連
その後しばらく母親と押し問答を繰り返し、彼ともいくつか
「何言ってるの、椿、自分の恋人じゃない。……どうしたの?」
る。決して上手いとは言えない字と文章だが、とても丁寧に書
する出来事の記憶がすっかり飛んでいるという結論に至った。
私の手には一通の手紙があった。
かれたことは分かる。
記憶障害が残ったのかと母親が医者に相談し、もう一度検査
を受けさせられたが、何も問題は見つからなかった。本当に彼
「うすいそうた……。
」
この名前を見ても、手紙を読んでも、これが誰なのかどうし
事故に遭った時の記憶が全くないのだ。原因は車の信号無視。
あ の 朝、 私 は 車 に 轢 か れ た ら し い。
「 ら し い 」 と い う の は、
人は相当ショックを受けた様子だった。それでも何度かお見舞
え込むのだが、いつも無駄な努力に終わった。当の臼井蒼汰本
たかのように、ぽっかりと。私はなんとか思い出そうとして考
のことだけを忘れてしまったのだ。そう、まるで頭に穴が開い
気が付くと、
包帯で体中をがんじがらめに巻かれて、
病院のベッ
いに来てくれたが、私は何を話したらいいのか分からず、彼の
ても分からなかった。
ドの上に横たわっていた。
なく、つらい入院生活を終えて無事に退院し、今はリハビリの
くても俺の気持ちは変わらない、一緒に生きていこう、という
退院してから届いた手紙には、椿が思い出しても思い出さな
たわいない話をただ俯きながら聞くのが精一杯だった。
ため定期的に通院している。右太腿から脹脛にかけて大きな傷
ようなことが書かれていた。恋人だったのなら、これはプロポー
右腕と左肩、それに右足を骨折したが、奇跡的に命に別状は
が残った以外、後遺症などもなかった。いや、後遺症はない、
想紅
080
ズなのだろうか。しかし、私にとっては赤の他人。どうして返
茶頼んじゃいました。
」
「ううん、私も今来たばっかり。何を頼みます?
私、もう紅
は決まっていたのでそれを断った。珈琲を頼んだ後、俺は話を
芽衣は俺に店のメニューを手渡そうとしたが、もう頼むもの
事などできるだろう。
冷たい風が頬を撫でてふと顔を上げると、白い鳥が一羽、水
面から羽ばたいていった。
切り出した。
「椿、どう?
元気にしてる?」
「うん、
先週の日曜日に会ったけど、もう怪我はかなり良くなっ
てるみたいですよ。でもまだ通院しなきゃいけないみたいです
けど。
」
かけると、ついそちらに目がいってしまう。しかし、本人なわ
街を歩いている時、彼女に似たような髪形や服装の女性を見
て、じっとこちらを見ている。
た。二歳くらいの子供がベビーカーから身を乗り出すようにし
窓の外を見ると、ベビーカーを押す若い女性の姿が目に入っ
「そっか。
」
けもなく、はっと我に返る。そして俄かな期待を胸に携帯を手
芽衣に声を掛け、テーブルの脇に砂時計を置いた。
カップ。砂が落ちきったらカップに注いでください、と店員が
芽衣の紅茶が運ばれてきた。白いティーポットに白いティー
「うん、やっぱり聞いたんだね。
」
「臼井先輩のことだけ……忘れちゃったってことですか?」
芽衣は困ったような表情を見せた。
俺は幼い視線から目を逸らして言った。
「……俺のこと、聞いた?」
俺はそう言いながら椅子に腰掛けた。
「ごめん、待たせたかな。
」
て、こちらに軽く手を振っていた。
喫茶店に入って店内を見回すと、窓際の席に芽衣が座ってい
めに。
俺は駅前の喫茶店に向かっていた。椿の友人、芽衣に会うた
と我に返って自己嫌悪に陥る。
に取ってみるが、
彼女から連絡が来ているはずもなく、
再びはっ
椿に似ている。
――
3
想紅
081
そういえば、前に椿とここに来た時、砂時計が好き、と言っ
て砂が落ちるのをじっと見つめていた気がする。
気づくと砂時計が止まっていた。
「砂、もう落ちたよ。」
「あ、すみません。はっきり知らない人なんて言っちゃったら
「……。」
ら、椿、すぐに出ると思います?」
く知ってるでしょ。もし知らない番号から電話が掛かってきた
いのは当然ですよ。それに椿、人より神経質だし。先輩ならよ
「そりゃあ、椿にとって先輩は今知らない人だから、電話出な
くれないかな。
」
来ないし、電話にも出てくれない。芽衣ちゃんから言ってみて
「退院してから椿と連絡が取れないんだ。メールしても返事が
働いているらしい。
た。芽衣のクールな印象は相変わらずで、今は商社でバリバリ
院する病院で、
芽衣とは久しぶりに再会した。
卒業して以来だっ
サークルで彼女たちの一つ上の先輩という立場だった。椿の入
簡単にはいかないですよ。」
先輩を好きになるってことになる。そんなことドラマみたいに
ないんだから、寄りを戻すなんて……。彼女の方はまた一から
「でも……彼女は忘れてるよ。付き合っていたことを覚えてい
聞いて、いても立ってもいられなくて……。」
ただけなんだ。だから話がしたくて、それに事故に遭ったって
「いや、違う、違うんだ。俺は……俺は椿と寄りを戻したかっ
ちょっと考えれば分かるでしょ?」
事 故 で 精 神 的 に も 不 安 定 に な っ て る の に。 そ れ く ら い の こ と
り ま す け ど、 椿、 先 輩 に 振 ら れ て る ん で す よ?
ただでさえ
「……先輩、なんで病院に行ったんですか?
心配なのは分か
トの香りが漂った。一口紅茶をすすると、芽衣が口を開いた。
わりと湯気が立ちのぼる。
琥珀色の液体から、ほのかにマスカッ
芽衣はティーポットからティーカップへ紅茶を注いだ。ふん
「あ、そうだった。ありがとうございます。」
シ ョ ッ ク で す よ ね ……。 事 故 で 椿 の 携 帯 ぐ ち ゃ ぐ ち ゃ に な っ
「うん、でも……もう一度、思い出してもらえないのかな。も
椿 と 芽 衣 は 大 学 時 代 の 吹 奏 楽 サ ー ク ル の 同 期 で、 俺 は 同 じ
ちゃったから、みんなの連絡先が分からなくなって困ったって
う俺の記憶は椿の頭の中のどこにもないのかな。
」
ルがちょうど運ばれてきたところだった。
甘い香りがしてふと隣の席に目をやると、焼きたてのワッフ
言ってたけど、アドレスは変わってないから、メールの内容は
ちゃんと伝わってると思いますよ。
」
「……そっか。
」
想紅
082
「そんなこと私に聞かれても答えられないですけど……。でも
く砂をただじっと見つめた。
「……俺が椿に言ったこと?」
どれだけつらかったか分かります?」
を忘れちゃったか。別れる時に先輩が言ったこと、椿にとって
聞いた。……まだ諦めきれないんだ。椿に断られたわけじゃな
たと思った。でも後になって椿がその日に事故に遭ったことを
と思って連絡したんだ。でも、返事は来なかった。もう遅かっ
「……別れてから一ヶ月くらい経って……俺は寄りを戻したい
俺には……俺には理由がある。
「覚えてないんですか?」
いし、もしかすると椿も同じ気持ちだったかもしれない。俺の
私、色々話を聞いてたからなんとなく分かる。なんで椿が先輩
「うん……。
」
きっと。だから椿の体が忘れたかったんですよ。
」
もしれないけど、
彼女にとっては大きなショックだったんです、
思いをしていたのに。他の人が聞いても大したことじゃないか
「言った当人は全然覚えてないんですね。椿はあんなにつらい
俺が言ったこと……思い出せない。
理由があるのか知らないけど、自分勝手な気がします。椿のこ
たけど、振られたことも忘れちゃったわけですから。どういう
ようとしてるんじゃないですか?
椿は先輩のこと忘れちゃっ
「……先輩はそうやって、椿を振ったことをなかったことにし
いけない理由がある。」
てほしいと思ってるんだ。俺には……俺には椿を守らなくちゃ
ことを思い出してくれなくてもいいから、もう一度好きになっ
「教えてくれないか?
俺が何を言ったのか。
」
とを本当に想ってくれているのか……疑問です。」
コーヒーが運ばれてきても口を付ける気にはなれなかった。
「私の口から言うべきことじゃないと思います。
」
「もう椿には近づかないでほしいです。やっと怪我も治って、
芽衣は紅茶をぐいっと飲み干した。
「椿が思い出すことを望むより先に、先輩の方こそ自分が言っ
これからっていう時なんですから。先輩が現れると椿、混乱し
芽衣は俺をまっすぐ見据えてはっきりと言った。
たことを思い出すべきなんじゃないですか。
」
そう言い残して芽衣は席を立った。
てきっとまた苦しみます。
」
芽衣が止まっていた砂時計を勢い良くひっくり返した。
砂時計はまた、ぴたりと止まっていた。
「……。」
俺はすぐに言葉を返すことができずに、さらさらと落ちてい
想紅
083
あの時……、病室で椿の母親に事故当時の状況を聞いた時、
俺は血の気が引いた。
彼女は車に轢かれた時、携帯を見ていた。そのため信号無視
芽衣に会った後、悩んだ末に俺は椿に手紙を出した。手紙な
ら、気持ちが伝わるんじゃないかと思ったからだ。でも、手紙
を出してからもう二週間が過ぎようとしていた。
俺は事故当日、敢えて朝にメールを入れた。付き合っていた
かして、自分の中の彼女の記憶にすがりついていたくて俺は必
こに来るのが好きだと言っていたのを思い出したのだ。どうに
俺は川の土手の上を歩いていた。付き合っていた頃、椿がこ
時、いつも彼女は仕事場の最寄り駅に着いてから、メールを俺
死になっていた。
の車に気づくのが遅れたという。
に送ってくれていた。だから、
その時間にメールをすれば、
ちゃ
一緒にいて色々なことを共有してきたはずだったのに、その多
椿が嬉しそうに話していたこと、悲しそうにしていたこと、
「歩きながら携帯を見るのは危ないから気をつけてねって言っ
くをすぐに思い出すことができない自分に俺は嫌悪感を抱いて
んと見てくれるのではないかと思ったから……。
たばかりだったのに……。携帯に気を取られていなければ、事
でも一方で、なぜこんなにも芽衣に責められなければいけな
いた。
を言っても仕方ないけれど。……臼井君、たまにお見舞いに来
いのだろうと思う自分もいた。椿と付き合う中で、我慢をして
故に遭わずに済んだかもしれないわね……。今さらこんなこと
てやってね。椿も心配してくれる人がいて、とっても心強いと
きたこともあったのに。椿の話もちゃんと聞いてあげたつもり
だったのに。そんな思いも心の中に強く渦巻いていた。
思うわ。これからもよろしくお願いしますね。
」
椿の母親の話はほとんど耳に入っていなかった。
俺に振られて、何か言われたことがショックだったというの
なら、それだけ俺のことが好きだったってことだ。もし記憶が
俺は言えなかった。
携帯のことも、もう別れているということも。
そのままだったとしても、椿はまたきっと一緒にいてくれるは
水面から一羽の白い鳥が飛び立った。足を止めてその白い鳥
ずだ。
だからこそ、俺には椿の側にいなきゃいけない理由がある。
事故に遭ったのは俺のせいかもしれない。傷が残ったのも俺の
せいかもしれない。だから……。
想紅
084
を何気なく目で追う。目線の先に、一人うずくまる人影があっ
いに目の前の景色をただ見据えているしかなかった。
た。
風が椿の持つ手紙をカサッと揺らすと、彼女が先に口を開い
うだ。
「あの……。手紙、ありがとうございました。
」
た。その人影もふいに羽ばたいたその鳥に視線を送っているよ
「……椿?」
そう言って、持っていた手紙を丁寧に折り畳み、封筒に仕舞っ
た。
「いや、
電話やメールより、
こっちの方が見てくれるかなと思っ
たからさ。……読んでくれたんだね。」
「……はい。
」
彼女はその封筒を鞄の中に入れながら言った。
「あの……、聞いてもいいですか?
ちょっと不思議だなと思
うことがあって……。
」
「何?」
れを止めた。
「こんなこと聞くのは失礼だって分かっているんですけど、で
うに話を切り出した。
椿は一瞬躊躇うような動きを見せたが、すぐに意を決したよ
「いや、そのままでいいよ。隣、いい?」
「手帳。
」
「どうしてそう思うの?」
蒼汰は体のどこかがぴんと張りつめたような感覚を覚えた。
ていたんですか、私と。事故のあったあの日まで。」
も気になるので。臼井……さんは、本当に……本当に付き合っ
並んで座った二人の間で、しばらく重い沈黙が続いた。お互
たが、そのことに触れる勇気がすぐには涌いてこなかった。
蒼汰は、彼女の手に自分が送った手紙があることに気が付い
椿は座り直して答えた。
「はい。」
彼女は立ち上がろうとしたが、蒼汰は椿の肩に手を置いてそ
「あ……。
」
白い鳥を追いかけていたその目線が蒼汰の方に移った。
「椿。」
蒼汰は椿の元に駆け寄った。
4
想紅
085
「手帳?」
友達からでいいからさ。俺は椿と一緒にいたいんだ。」
「俺と……俺ともう一度付き合ってみる気はない?
もちろん
岸の風景に目をやった。そしてやがてぽつりと呟くように言っ
蒼汰の言葉を聞いて、椿はゆっくりと目の前に広がる向こう
「うん、手帳。私の手帳の一月の予定、臼井さんとの予定が一
つも書いてなかったんです。十二月までは、週に一回はそれら
しき予定があったのに。
」
「臼井さんは……優しい人。でも、今は誰かと一緒にいたらい
た。
「私、日記とか苦手で全く書かないから、詳しいことは調べよ
けない気がするの。私はもうちょっと、一人でも生きていける
椿の隣で更に自分の体が緊張していくのを感じる蒼汰。
うがなくて分からないけれど、でも……だから本当なのかなっ
くらい強くなりたいと思っているんです。」
か細い声でその言葉は発せられたが、しかし椿の意思の固さ
て思って。
」
彼女は顔色を窺うように蒼汰の方に顔を向けた。
「そんな……そんな大きな怪我だって乗り越えられたんだ、も
が彼女の表情から見て取れた。蒼汰は戸惑いを覚えた。
を装って言った。
う十分、椿は強いよ。それに、一人でなんて言わないで、みん
蒼汰は椿と目を合わさずに、合わせることができずに、冷静
「本当だよ。もちろん。一月は俺の仕事が忙しかったんだ。そ
なと助け合っていけばいいじゃないか。
」
椿はゆっくりと首を振った。
れに、椿のお母さんだって言ってただろう。俺が椿の彼氏だっ
て。」
な っ て す ご く 実 感 し た ん で す。 私 が 一 人 で 生 き て い く な ん て
「事故に遭ったことで、みんなに助けられて支えられてるんだ
たようにも見えた。
きっと無理な話であって、それは分かってる。ただ、もっと自
椿は何とも読み取れない表情をした。蒼汰には、少し落胆し
「そう……ですよね。すみません、私の考えすぎですね。
」
分がしっかりしていれば、事故にも遭わなかったかもしれない
し、もう少し自分が努力すれば、みんなに掛ける心配も減るん
すっきりしない顔をしている椿を見て、蒼汰は迷っていた。
彼女に本当のことを言うべきか、それとも……。
じゃないかなと思うから。それに、
誰かに言われた気がするの。
私は弱いって。いつ言われたのか、誰に言われたのか分からな
「……椿。
」
俯いていた彼女が顔を上げてこちらを向いた。
想紅
086
いけれど。もしかしたら子供の時のことかもしれないし、本当
に言われたことがあるのかも分からないけれど。でもなぜか、
頭から離れない。
」
そうだ、俺は確か……。芽衣が言っていたのはこのこと
――
「……弱いなんて。誰も言わないよ、そんなこ……。
」
か。
あ の 時 メ ー ル を 送 っ た の も、 そ の 言 葉 を 言 っ た の も、 全 部
……事故に遭ったのも、
俺のことを忘れたのも、
全部俺のせい?
いや、考えすぎだ。でも……。
「あっ……。
」
椿の足元に小さなピンク色の帽子がころころと飛んできた。
反射的に手でぱっと掴む。
「すみません!こら、冬香、帽子のゴム取っちゃだめだろう。
」
そう言いながら、小さな女の子の手を引いて父親らしき人が
小 走 り で 近 づ い て き た。 女 の 子 は や っ と 歩 き 始 め た ば か り と
いったところだろうか。足取りがまだおぼつかない。
椿は立ち上がって父親に帽子を手渡した。
「ありがとうございます。すみません……どうも。
」
父親はそう言いながら女の子の頭をぽんと軽く叩いた。
「ちゃんとありがとうってお姉さんにお礼を言いなさい。
」
しかし彼女はじっと椿を見つめたまま動かなかった。
「ほら、ありがとうって。」
もう一度父親が促すと、女の子は手に握っていた小さな白い
花をぐいっと椿の方に突き出した。
「可愛いお花だね。
」
こくっと頷いても、女の子は手を下ろそうとしなかった。
「もしかして、お花……くれるの?」
すると女の子はまたこくっと頷いた。
「ありがとう。
」
椿が小さな手からその花を受け取ると、女の子はようやくに
こっと笑顔を見せた。
父親は小さく会釈し、親子はまた手をつないで土手の上を歩
いていった。
椿は親子の後姿をしばらく見届けた後、また蒼汰の隣にしゃ
がみ込んだ。
「あの子、可愛かったね、椿。」
椿の手には小さな白い花が残った。よく陽の光が当たる土手
の斜面などにたまに見かける花だ。春の到来を告げるように、
他の花々に先駆けて咲き始めたものだろう。細長い白い花びら
が風に揺れている。
その時、遠くの空で、重く垂れ込めていた雲の合間から、弱々
想紅
087
彼女は嫌がらず、不思議そうに自分の手に重なっている蒼汰
の手を見つめている。
しい陽の光がさっと淡く射しこむのが見えた。椿はその陽が射
した方向に、白い花をかざすように持ち上げた。
「また見に行こうよ、一緒に。思い出はこれからいくらでも作
ではなかった。
――
るぎない事実。永遠に変わらない真実。
どこかでまた一つ、ツバキの花が落ちた。
(了)
風が通り抜ける。川面を、岸を、空の中を。これだけは、揺
つも見ていたふんわりとした笑顔
彼女は俯いたまま、少しだけ笑顔を見せた。それは蒼汰がい
れるんだから。
」
「雪の結晶に似ているかもしれないな。
」
椿はその花に語りかけるようにして、話し始めた。
「小さい頃は毎年、年末に祖父の家に帰省していたの。私たち
が行く頃にはもう雪で街が覆われていて。……祖父の家の庭に
ツバキがあってね、そこのは『雪椿』っていうの。普通のこっ
ちのツバキよりも枝がしなやかで、雪の重みにも耐えられるよ
うになってる。雪に潰されそうになりながら、真っ赤な花をた
くさん咲かせるの。それがとても一生懸命に見えた。その姿を
見るのが大好きだった。最近は休みがなかなか取れなくて帰れ
なかったけど、……また行きたいな。冬に、ツバキが綺麗な時
に。この花を見て思い出しちゃった。
」
椿は白い花を揺らしてみせた。
「私がツバキで、この花が雪。雪椿みたい。
」
椿の手の中の白い花を見つめながら、蒼汰は言った。
「その雪椿……俺も見たことあるんだよ、一緒に。それも……
覚えてない?」
「……一緒に?」
花を見つめたまま、彼女はそう呟いた。
蒼汰はそっと彼女の手に触れた。
想紅
088
大江戸線すごろく
二〇〇九年三月二十一日(土)午前九時、
都 庁 第 一 本 庁 舎 の 前 に 男 た ち は 集 っ た。
大江戸線すごろくの幕開けである。
《ルール》
都 庁 前 駅 か ら ス タ ー ト し、 サ イ コ ロ を
振って出た目の駅数だけ大江戸線の環状
部分を右回りに進み、一周してちょうど
都庁前駅に着いたらゴール。都庁前駅を
降は常に都庁前駅の方に向かってサイコ
荒川真成(以下、真)
住田翔星(以下、翔)
通り過ぎた場合はゴールできず、それ以
ロの目の駅数だけ進む。
(スタート)
福富平記(以下、福)
①都庁前
駅に止まる度に課題をこなす。課題には
駅固有の「固定課題」と、くじを引いて
決める「不定課題」の二種類がある。
山崎太陽(以下、太)
星裕一郎(以下、星)
《参加者》
発しよう。
う。いつ来るか分からないので、もう出
だけど繋がらない。きっと寝てるんだろ
太
七時頃からずっと電話をかけてるん
(課題一覧は次頁)
荒川史朗(以下、史)
真
あれ?
ふっくん(福富を指す)
は?
東京都庁第一本庁舎前で記念撮影
大江戸線すごろく
089
《課題一覧》
都庁前(スタート)
新宿西口........... 不定(くじ)
東新宿............... 不定(くじ)
若松河田........... 不定(くじ)
牛込柳町........... 不定(くじ)
牛込神楽坂....... 肉まんを食べて額に「肉」と書く
飯田橋............... 不定(くじ)
春日................... 後楽園で乗り物に乗る
本郷三丁目....... サイコロを振って出た目の人数の東大生と一緒に写真を撮る
上野御徒町....... 上野動物園で動物をスケッチする
新御徒町........... アメ横で武器を買う
蔵前................... 不定(くじ)
両国................... 力士を見付けて一緒に写真を撮る(相撲経験者可)
森下................... 森下さんを見付けて一緒に写真を撮る
清澄白河........... 不定(くじ)
門前仲町........... 深川めしを食べる
月島................... もんじゃ焼きを食べる
勝どき............... 不定(くじ)
築地市場........... 寿司を食べる
汐留................... 日テレタワーの前で「ズームイン」のポーズをする
大門................... 東京タワーを徒歩でのぼる
赤羽橋............... 通行人に「赤羽駅はどちらですか」と尋ねて赤羽橋と赤羽を
間違えた事に気付いてショックを受ける
麻布十番........... 不定(くじ)
六本木............... 六本木ヒルズで組体操をする
青山一丁目....... 青い物を購入する
国立競技場....... サッカーボールを見付ける
代々木............... 不定(くじ)
新宿................... 不定(くじ)
都庁前(ゴール)
大江戸線すごろく
090
約したんだよね?
星
ところで、荒川(史朗を指す)は婚
のワンデーパス」を購入。価格は五百円
都 庁 前 駅 の 券 売 機 で「 都 営 地 下 鉄『 春 』
神楽坂を下っていると、パトロール中の
に「タイヨウ」って書いてある(笑)。
史
細木数子事務所だ。しかも、その下
警官とすれ違った。
で、一日に限り何回でも乗降可能。
分、都庁前を出発。
史
額に「肉」って書いてたら警察に捕
まるんじゃない?
太
なんで?
性見せろ」って。
街を歩いていると、神楽坂上の交差点で
課題《肉まんを食べて額に「肉」と書く》
神楽坂の「五十番本店」で肉まんを人数
太
卑猥ではないと思う(笑)
。
史
だって卑猥じゃない?
史
逃げたい(笑)
。
分買い、コンビニでビールも購入。
が良いですか?
」
史
左。右だとテニスができなくなる。
星
テニス?(笑)
翔
で も、 左 だ と、 キ ー ボ ー ド の「
が押せなくなりますよ。
史
確かに。
」とか、話が小さい(笑)
。
。
太
いやいや。テニスとか、キーボード
の「
史
では、第一投目を。
史朗がサイコロを振る。出た目は
神楽坂の五十番の肉まんは有名
とあるビルが目についた。
②牛込神楽坂
分、牛込神楽坂に到着。
史
はい、しました。
時
星
もう逃げられない?
星
相手の親がヤクザで「結婚したけれ
57 47
翔
右手の小指と左手の小指と、どっち
ば 指 を 詰 め ろ 」 っ て 言 わ れ て も?
「根
時
史
そうですね。もう、賠償金が発生し
9
ます。勿論、逃げませんけどね(笑)
。
9
A
5
A
細木数子事務所の前で記念撮影
大江戸線すごろく
091
史朗は諦めきれずに建物に近づく。
太
だめだって。
史
怒られたら出て行けば?
太
いや……、良くないだろ。
「東京理科大学森戸記念館」であった。
史
ここで良いんじゃないですか?
と、史朗が大学施設らしき建物を発見。
横道に入って適当な場所を探している
太
適当に歩いて探してみましょう。
星
どこで食べようか。
最後は、太陽が「肉」を書かれた。
一同、順番に額に「肉」と書かれる。
太
では、額に「肉」って書きますか。
で肉まんを食べることになった。
ようやく史朗が諦め、善国寺の境内の隅
星
ここは東工大ではない。
れない!
史
ここが東工大だったら、絶対に怒ら
はならないだろ。
太
だからって、入って良いってことに
史
ドア、開いたよ?
真
肉まん、美味しいですね。
一同、肉まんとビールを楽しむ。
星
まあまあ。乾杯しようよ。
史
額に「肉」って書いたまま?(笑)
太
そのまま、結婚式挙げられるよ!
全に隠れている。
史朗は前髪が長いために「肉」の字が完
太
お前なんか、無傷じゃん!
史朗は悪魔のような笑みを浮かべた。
史
そんなことないって(笑)。
太
明らかに僕だけ大きい!
太
うん。でも量が多い。
。
一同、食べ終わると額を洗って「肉」の
字を消す。
20 10
分、新御徒町に到着
5
史
では、二投目を。
分、牛込神楽坂を出発
史朗がサイコロを振る。出た目は
時
11 11
時
大江戸線すごろく
すると、自動ドアが開いた。
額に「肉」と書かれる翔星
額に大きく「肉」と書かれた太陽
——
ル ー ル 通 り、 新 御 徒 町 か ら ア メ 横 に 向
書きですね(笑)
。
太
これは、完全に僕らに対しての注意
徒町駅から」という注意書きがあった。
みを挫くかのように「アメ横へは上野御
しかし、改札階に上がると我々の意気込
るよ。
から。でも、新御徒町からも歩いて行け
アメ横でミリタリーショップ
「マルゴー」
真
いや、違うと思います(笑)。
星
これ、武器屋っぽくない?
う看板を目にする。
上野御徒町の駅の近くで「刀削麺」とい
すごくシュール(笑)
。
太
森 下 で「 山 下 さ ん 」 を 探 す な ん て、
星
いや、
「森下さん」だよ(笑)。
真
許可が要りそう。
とか持ってたら捕まるんじゃない?
史
ここは本格的な武器屋だね。ナイフ
星
いや、知らなかった(笑)。
を決めたんじゃないんですか?
太
え あるって知ってて、この課題
星
おお、本当にあった(笑)。
を出したら、今回
を発見。実用ナイフ、ガスガン、スタン
真
ところで、次に
3
一番大変な「山下さん」ですよね?
手広く取り扱っている。
かって歩く。
ミリタリーショップ「マルゴー」
太
うん。刃物はまずそうだね。
新御徒町駅の注意書き
ガン、特殊警棒などミリタリーグッズを
太
上野御徒町の課題が先に決まってた
町なんですか?
真
じゃあ、どうしてこの課題が新御徒
太
はい。上野御徒町まで戻ります。
星
アメ横への行き方は分かるの?
駅のホームにて
課題《アメ横で武器を買う》
③新御徒町
092
結局、ヌンチャクを購入(千八百円)。
よ。危ないなあ。
太
武器屋なんて、そうそうありません
!?
大江戸線すごろく
093
感じじゃないですか?(笑)
太
それなら、大きい方がより押し出す
ている。押し出す感じ(笑)
。
星
僕 は、
「ピストン」のピスで記憶し
れる、という話がありますよね。
ウ」の「ピス」で牛のオシッコだと思わ
太
英語圏で
「カルピス」
って言うと、「カ
翔
ピス。
星
オシッコは英語で?
翔
オシッコしたいです!
店を出ると、翔星が尿意を訴えた。
太
まあまあ。
男
なんでカメラ持ってんの?(笑)
太
折角だから写真撮りましょうよ。
星にとっては先輩である。
遭遇した。星の同期で、太陽、史朗、翔
偶然にも大学時代のサークルのメンバに
星
えっと、遊んでるというか……。
男
あれ?
何してんの?
星くんも。
太
あれ?
もしかして……。
知った顔を見つけた。
新 御 徒 町 へ 向 か っ て 歩 い て い る と、 見
太
僕はタカヤスさんだと思った。
史
ヨシノリさんですよ。
星
タカヤス君じゃない?
ちらだったのか分からないのである。
同じ大学の同じサークルにいたため、ど
男には双子の兄弟がいて、しかも二人で
太
星さん、今のはどっちですか?
ことを太陽が口にした。
男と別れた後、誰もが疑問に思っていた
太
では、先輩お元気で。
男と一緒に記念撮影をする。
星
大きい方は英語で何て言うの?
翔
ヨシノリさんじゃないですか?
太
え?
史
全然痛くない!
太
何?
どうしたの?
き始め、一同は呆気に取られた。
突然、史朗がヌンチャクで自分の頭を叩
駅 の 近 く で 福 富 の 到 着 を 待 っ て い る と、
る方が悪い、という意見さえ出た。
た。双子で同じ大学の同じサークルに入
結局、どちらでも良いという結論に至っ
太
それは動詞でしょ?
星
大便そのものはシッティッド?
太
大便する人はシッタ?
翔
じゃあ、ベビーシッタは……。
太
もう、えらいことになるね(笑)
。
翔星がトイレに行っている間に福富から
連絡が入り、新御徒町で落ち合うことに
なった。
大江戸線すごろく
翔
シット。
久々の再会を祝って記念撮影
094
史
全然痛くない!
太
はあ?(笑)
クが案外柔らかくて、頭をいくら強く叩
何か確認せずにとりあえず
「くださーい」
課題《ふと目についた正体不明の商品を
④清澄白河
いても痛くないために興奮したそうだ。
と言って買う》
気が狂ったのかと心配したが、ヌンチャ
太
本当に痛くないの?
て い た ら 薬 屋 の 前 で「 キ ヨ ー レ オ ピ ン 」
太
この課題はですね、先日、街を歩い
太
全然ではないけど、案外痛くない!
と 書 か れ た 幟 が 目 に 飛 び 込 ん だ の で す。
史
(太陽を叩いて)ほら。
翔
本当ですか?
さらに歩くと玩具屋があった。店先に積
「キヨーレオピン」って一体何だろうっ
て思いますよね?
み上げられた玩具の中に「古玩ぱたぱた」
史
(翔星を叩いて)ほら。
史
いや、知ってるよ。
福
すみません。寝坊しました。
福富が到着し、駅のホームで合流した。
正体不明の商品を求めて街を歩くが、そ
太
とりあえず探してみましょう。
知らない物って探すの大変だよ。
星
ほら、誰かしら知ってるって。誰も
んな分かんないんですから。
翔
これで良いんじゃないですか?
み
福
分かんないです。
史
何でしょうね?
星
これ、何だろうね?
翔
痛ってー
史
大袈裟だなあ(笑)
。
太
ええ
太
では、サイコロを。
こは閑静な住宅街で、そもそも商店が見
星
そうだね。これにしようか。
時
分、新御徒町を出発。
分、清澄白河に到着。
30 23
4
太
両国、森下を無事に乗り越えたね。
史朗がサイコロを振る。出た目は
史
ほい。
当たらない。しばらく歩くと質屋の看板
太
……ごめんなさい。分かります。
。
を見つけたが、民家にしか見えない店構
という木製の玩具を見つけた。
史朗は悪魔のような笑みを浮かべた。
玩具屋の店先
史
え、本当に?
!?
!!
えで入りにくく、入店を諦めた。
時
12 12
大江戸線すごろく
095
星
じゃあ、買ってみて、太陽くんの想
太
たぶん遊んだことがある。
史
どうなってんの、これ
星
おお。
「 古 玩 ぱ た ぱ た 」 を 購 入 す る。 店 の お ば
たから、探し直しか。
星
面白いね。でも、太陽くんが知って
一同、しばらく「ぱたぱた」で遊ぶ。
ちゃんから、おまけの飴をもらった。
太
すみません……。
像通りではなかったら良しとしよう。
星
これ、どうすれば良いの?
さらに歩くと、文房具屋を発見。
が入ってるとか?
太
柄 を 水 平 に 持 っ て、 柄 を 軸 に し て、
太
何て商品?
福
違います。
太
ここで探してみましょう。
福
名 前 を 聞 い た ら 分 か っ ち ゃ い ま す。
史
じゃあ、耳栓?
板をくるっと百八十度回してください。
俺はもう見ちゃったんで分かるんですけ
福
違います。
数分後、福富が何かを見つけた。
ど、みんなも商品を見て用途が分からな
星
フェルトペン?
星
ほい。
かったら良いんじゃないですか?
福
違います。
福
太陽さん、商品自体を見て用途が分
太
そうだね。じゃあ、買ってきてくれ
星
分かんない。何なの?
すると、連なっている他の板も、ぱたぱ
る?
商品だけをみんなに見せて。
福
ホワイトボードのペンの替芯です。
太
何かのケース?
ロケット鉛筆の芯
そして福富が買ってきたのは、座薬のよ
一同、納得。これにて課題クリア。
太
おお。なるほどねえ。
からない、ってのも良いんですか?
福富が見つけた正体不明の商品
うな形で、フェルトのような感触の、正
体不明の商品だった。
大江戸線すごろく
!?
たと次々に回転した。
「ぱたぱた」で遊ぶ星
096
だから、六人で七玉と考え
ればちょうど良いね。
太
期待値
史
すごく高いんじゃない?
史
でも、六人で一玉とかだったら、店
星
そうだね(笑)
。
太
星 さ ん、
「特殊ラッパ管」って知っ
翔
サイズとか訊かれるかも。
星
駅の方に戻ろうか。
てますか?
史
「ウェルダー」も分かんないし、「ハ
引いたらやり直し、
太
じゃあ、最低三玉は食べよう。
に迷惑じゃない?
太
あ の 看 板 に 書 い て あ る ん で す け ど、
ト メ 打 ち 機 」 も 分 か ん な い。 あ の 看 板、
はどう?
」とか言えば買えるかな?
太
「
一体何なのか分かんないんです。
ほとんど分かんない(笑)
。
史
良いね。また
——
なら二倍、っての
太陽は、文房具屋の向かいにある工具店
太
確かに。正体不明の商品だらけ。
。
を指差した。
分、清澄白河を出発。
駅に戻りサイコロを振る。出た目は
時
分、月島に到着。
課題《もんじゃ焼きを食べる》
もんじゃストリートを歩きながら
引いて、その数字で決めましょう。
翔
トランプがあります。カードを一枚
振って決める?
太
別 に 決 め て な い よ。 サ イ コ ロ で も
史
もんじゃは、いくつ食べるの?
2
を
星
知らない。何それ?
7
星
本当だ。何だろうね。
M
25 20
⑤月島
時
13 13
1
なら四倍……。
2
るんですか?(笑)
翔
めちゃくちゃ大量になったらどうす
2
太
もちろん、食べきるまで次の駅には
もんじゃ焼きを作る史朗
太
あれを先に見つけてたら、「特殊ラッ
パ管」を買ってたかもしれませんね。
工具店の看板
大江戸線すごろく
097
行けない。終電がなくなったら終了。
史
じゃあ、でかい目を……。
いと、ゴールできないかも。
太
焼くのに時間がかかったね。急がな
近くも居座った。
がらビールを何杯か飲んで、店に三時間
その後、もんじゃ焼きをのんびり焼きな
星
そこまでは言ってない(笑)。
すからね。
真
ああ、そうですね。社会不適合者で
てみる星。
フリータの真成に、料理人への道を勧め
く方が向いてるんじゃない?
う一回やりましょう。星さん、もう少し
太
写真見せて。うーん、いまいち。も
史
じゃあ、撮りますよー。
ここで、まさかのヌンチャクの活躍。
チャク使っても良い?(笑)
星
「 ド 」 の 濁 点 は ど う し よ う?
ヌン
良いでしょう。
太
ひらがなとカタカナも、混ざっても
星
漢字は無理だろうね。
課題《駅名を体で表現する(かな可)
》
福富が引いた課題は
福
はい。
。
太
も う 電 車 が き ま す。 こ れ に 乗 り ま
妙に熱心な太陽。
星
はい(笑)
。
ビシッと足を上げてください!
——
結 局、 星 が ジ ャ ッ ク を 引 い て、 六 人 で
分、月島を出発。
分、勝どきに到着。
。
サイコロを振る。出た目は
時
星
おお、刻んだね(笑)
。
十 一 玉 食 べ る こ と に。
「もんじゃ屋満天
別館」に入店。次々に注文して、主に荒
川兄弟がもんじゃ焼きを作った。
時
しょう。荒川、サイコロ振って!
史朗がサイコロを振る。出た目は
大江戸線すごろく
福
明太もんじゃ、超うまい!
⑥勝どき
分、勝どきを出発。
分だった。
一同、急いで電車に乗り込んだ。
時
勝どきの滞在時間はわずか
6
太
二人とも、作るの上手だね。
史
まーすけ(真成を指す)は、料理す
太
初めての、くじの課題ですね。
るの好きなんだよ。
星
ま ー く ん( 真 成 を 指 す )
、料理人に
1
史
ふっくん、引いて良いよ。
46
40 38
なったら?
会社勤めよりは、一人で働
6
16
16 16
ビールともんじゃ焼きを堪能
098
車内にて
——
よ ね?
牛 込 柳 町 と か、 門 前 仲 町 と か、
太
この課題が、勝どきで良かったです
カ・ち・ド・キ!
国立競技場とかだったら、もう漢字でも
かなでも絶望的に難しいです。
分、六本木に到着。
星
確かに(笑)
。
時
16
59
⑦六本木
課題《六本木ヒルズで組体操をする》
六本木ヒルズは割と賑わっていた。
星
意外と人がいるね。
太
写真を撮ってもらいやすいですね。
星
前向きだな、君は(笑)
。
太
この広場でやりましょう。
まずは「扇」に挑戦。太陽以外の五人で
取り組み、太陽が撮影した。
「腕が痛い!」とわめく一同
次に「サボテン」に挑戦。
史
まーすけが死ぬかと思った(笑)。
翔星が奇跡的に写真に収めた。
二 組 の「 サ ボ テ ン 」 が 存 在 し た 一 瞬 を、
たのか、史朗のペアも崩壊した。
した。弟の惨劇を間近で目撃して動揺し
び、美しい弧を描いて頭から地面に落下
に 揺 れ 始 め た。 た ち ま ち 真 成 は 吹 っ 飛
太陽の上に乗ったが、乗るや否や不安定
とても安定していた。その隣で、真成が
まず、星が史朗の上に乗った。こちらは
真成が吹っ飛ぶ直前の奇跡的瞬間
大江戸線すごろく
099
⑧青山一丁目
課題《青い物を購入する》
優勝者には景品をあげましょう。
星
景品は何にする?
太
本 人 の 希 望 す る 物 を あ げ ま し ょ う。
ただし、五分以内に五千円以内の赤い物
太
青山には初めて来ましたが、さぞや
翔
そこは、自己責任ですな。
えば優勝できるとは限りません。
史
上限なしで。必ずしも、高い物を買
星
値段は?
一同、判断基準を暗黙の内に了承する。
星
分かった(笑)
。
史
いや、総合的に判断しましょう。
星
青さで?
太
そうですね。競争しましょう。
星
青い物は各自で買うの?
史
集合時間に、あれに乗って現れたら
です(笑)
。
翔
あの車を買ったら、間違いなく優勝
な青い車が飾られていた。
社が目に留まった。そこには、色鮮やか
周辺を歩き回っていると、本田技研の本
か、めぼしい商店が一軒も見当たらない。
辺りは暗く、ショッピングモールどころ
太
あれ?
何もない。
ながら地上に出て、辺りを見渡した。
一同、買い物の競争の話題で盛り上がり
史
良いね。面白そう。
を選ぶ、という条件をつけましょう。
最 後 は「 ピ ラ ミ ッ ド 」 で 締 め く く っ
お洒落なお店が連なったショッピング
面白過ぎる(笑)。
——
た。六人全員で取り組むため、通行人に
モールなんかがあるんでしょう。
二十分近く歩き回って、ようやく一軒の
ホームにて
シャッタを頼んだ。初めに声をかけた夫
福
そういうイメージはありますね。
コンビニを発見。競争は諦め、仕方なく
時
。
が出たらゴールです。
分、六本木を出発。
しかし、サイコロの目は
史
ほい!
太
荒川、頼む!
真
太
では、サイコロを。
婦が快諾してくれた。
太
行動範囲はショッピングモール内に
コンビニで買い物を済ませることに。
1
5
45 42
分、青山一丁目に到着。
大江戸線すごろく
新名所「六本木ピラミッド」
し て、 制 限 時 間 は 二 十 分 く ら い に し て、
時
17 17
100
一同、完全にやる気を削がれ、急に身体
何か適当に、青い物を買ってください。
太
五分もあれば良いですね。
みなさん、
太
手抜きだな(笑)
。
福
「キシリトール」!
太
福富は?
翔
「アルフォート」かぶった!(笑)
太
もし「うまい棒」六本だったら、地
数だけ各自で「うまい棒」を買って食べる》
く じ 課 題《 サ イ コ ロ を 振 っ て 出 た 目 の 本
太陽が引いた課題は
太
うん。……これだ!
史
ショッピングモールがあれば、もっ
コ ン ビ ニ に 入 り、「 う ま い 棒 」 を 購 入。
太
三本か。地味だな(笑)
。
——
の疲れを感じ始めた。
史
太陽は?
味にきついよね(笑)。
——
太
手ぬぐい。星さんは何ですか?
史朗がサイコロを振る。出た目は
と盛り上がったんだろうね。
。
分、青山一丁目を出発。
分、新宿西口に到着。
史
太陽、くじ引く?
史
喉が渇くね。
コンビニの前で食べる。
が出ればゴールです。
史
ほい!
しかし、出た目は
時
星
一駅通り越したね。
5
太
今度こそ、頼む!
真
太
まあ、進もう。では、サイコロを。
3
コンビニで「うまい棒」を買う史朗
4
42 29
⑨新宿西口
時
18 18
五分後
太
みなさん、何を買いました?
星
青なのに「レッドブル」!(笑)
。
史
「アクエリアス」と「ショパン」
。
真
「 Gokuri
」と「アルフォート」
。
各自コンビニで青い物を購入
大江戸線すごろく
101
福
潤いが足りない。今ならコーラ
は余裕です。
史
ほい!
一同
出たー
分、新宿西口新宿西口を出発。
が出て、ゴールが決定した。
時
時
(ゴール)
分、都庁前に到着。
⑩都庁前
太
やっと戻ってきましたね。
一 同、 周 辺 を 歩 き 回 っ て 空 き 缶 を 探 す。
星
最後にくじの課題をやろうか。
太
良いですよ。
星
新宿って、意外と空き缶落ちてない
簡単かと思いきや、そうでもない。
星が引いた課題は
んだね。
茂みの中や、自転車の籠の中を探す。
くじ課題《サイコロを振って出た目の本
てる》
福
コーラだったら結構いけますよ。
やらせるよ(笑)
。
翔
あった!
太
そうですね。案外きれいですね。
——
史
じゃあ、星さん、引いてください。
空き缶を求めて新宿の街を彷徨う一同
太
どこかゴミ箱ないですかね?
十五分ほどで、
全員が空き缶を見つけた。
真
こっちにもありました!
太
おお。
太
では、サイコロを。
。
かつて福富は、本誌の企画で、二十四時
史朗がサイコロを振る。出た目は
史
ほい!
」参照)
。
vol.3
太
では、一人ひとつ、空き缶を拾って
1
数だけ各自で空き缶を拾ってゴミ箱に捨
ℓ
!!
太
そういうこと言ってると、また企画
太
そんなに飲めないでしょ。
08 06
1
19 19
ください。
大江戸線すごろく
「うまい棒」に齧りつく翔星
2
間で自身の体重分の水を飲むことに挑戦
した(「えんそく
を出してくれ!
星
じゃあ、そろそろ行こうか。
太
頼む!
1
102
今度はゴミ箱を探し歩き、発見する。
何か発見はありましたか?
ただの感想
でも良いですけど。
史
今 回 は、 も ん じ ゃ 焼 き に 時 間 が か
かったね。
太
前回の《大塚駅で「大塚さん」を探
す》と同じくらいかかったのかな。
星
も ん じ ゃ 焼 き を 十 一 玉 食 べ る の は、
大塚駅で「大塚さん」を探すのと同じく
らい時間がかかる、ということが分かっ
たね。
太
全然使えない知識ですね(笑)
。
書きがあった。一人ずつ、自分が拾った
ゴミ箱には、ゴミのポイ捨て禁止の注意
星
おあつらえ向きのゴミ箱だね。
とかだったら、後味が悪いよね。
星
最後が
《知らない人に小便をかける》
翔
ああ、確かに。
とをして終わったから気分が良い。
んで本当に良かった。みなさん、お疲れ
太
そうだね。一回通り越しただけで済
真
ゴールできて良かったですね。
星
最後にゴミを拾うっていう、良いこ
ゴミ箱に空き缶を捨てる。
太
そんな課題ありません!(笑)
様でした!
太
ここに捨てましょうか。
太
この構図は、ポイ捨て禁止を訴える
史
確かに、今は清々しいですよね。
太
では、まとめますか。今回の企画で
《まとめ》
太
いやいやいや(笑)
。
く思える。本当は違うのに(笑)。
ポスターみたい(笑)
。
一同
お疲れ様でした!
無事にゴールできたことを祝って記念撮影
星
うん。自分たちがすごく良い人っぽ
各自拾った空き缶をゴミ箱に捨てる
大江戸線すごろく
鈍色テクニカラー
案西
稿志
104
がたん、と大きな音を立てて洗濯機が回り始めた。右に左に振
り回される様を見ていると、なんだか昔遊園地で乗ったびっく
りハウスを思い出し、少し頭が痛くなってくる気がして目を閉
じた。久し振りに全力で走って疲れていたのか、目の奥がじわ
りと温かくなるのを感じた。
間なく濡らした。傘を持ち合わせていなかった僕は無防備に雨
分の一程その体躯を宙空に投げ出したハンガが目に入った。背
外はまだ雨だった。二段になった洗濯機の上方を見遣ると、三
無気力な電子音に思考停止を遮られ、ゆっくり目を開くと、
に打たれ、阿倍野に辿り着いた時には頭の天辺からスニーカの
染み込んだニスが経年の使用感を象徴していた。
伸びして手に取ってみると、酷く埃を被ってはいるが焦げ茶に
造作に置かれた丸椅子に腰掛ける。なんとなく日本橋をぶらぶ
らし、新世界から一番街へ渡って軽く串カツを食べた。南海の
高架を潜った辺りからぽつぽつきて、気にせず歩きだすと直ぐ
に土砂降りになった。少しくらいならと高を括っていたのが良
くなかった。大通りを外れると、ただ古びた住宅街が続くとい
うことをまだ分かっていなかった。
もう直ぐ梅雨明けかという陽気だった六月の大阪は、一気に
齎された湿気で異様な臭気を発し始めていた。
いつもと変わらず銀杏並木のベンチで読書をしていた。入学
以来変わらぬ習慣である。時には古典SFを、また別の時には
最近のエンタテインメントものを、特に拘りなく、その時々の
ンズのCMのように着ていたTシャツとジーンズをドラム式洗
紀行文である。今は、彼此半年以上前から読んでいる金子光晴
今日みたいに日差しの強い初夏の日は大抵アジアかそこらの
気分に合ったものを読むのである。
濯機に放り込んだ。
じゃらじゃらと百二十円を投入口に放ると、
五分程経っても人通りがないことを確認し、いつか観たジー
2
目に飛び込んできた無人のコインランドリィに駆け込み、無
先端まで水浸しになっていた。
突然降り出した雨は夏の香りを漂わせ、大阪ミナミの街を隙
1
鈍色テクニカラー
105
蛮なだけで、大抵の面で近代化の為された現在における田舎の
除しようとする土着部族の気性は、近代化していない分少し野
密林に滞在した時の部分だ。余所者を寄せ付けず、積極的に排
『マレー蘭印紀行』である。著者がチャオプラヤ川上流の熱帯
「財産だよ、それは」
ておらず、同じ本が何冊もあったりする。
する。新品、中古問わずだ。そんな調子だから買った本を覚え
それは実際で、なにかの巡り合わせと託けて次々に本を購入
肯定は出来ない。現に、ただでさえ狭い僕の部屋を更に圧迫し
そうだね、と言い掛けて口を噤む。確かにそうだが、素直に
ない。
ているのだ。迷惑以外の何物でもない。
年寄りとそう違わない、ある意味で普遍的なものなのかも知れ
「金子光晴なんてまた渋いねぇ」左肩越しに話し掛けて来たの
「あ、
次の講義あるから行くね」特になにも反応せずにいると、
僕はただその光景を眺めていた。日差しの強い午后だった。
こうへ駆けて行った。
そう言って彼女はこちらを振り返り、手を振りながら並木の向
は同じサークルで文学部の女子だった。
少人数のサークルで、新入部員は自分と彼女だけだったので
基本的に無口な僕でも比較的容易に打ち解けた。屈託なく話す
彼女の雰囲気にも因ったのかも知れない。
「そう。親父の本だけどね」ページから目を離さずに応える。
父親が溜め込んだ書籍は最早彼の生きている時間では到底読
破出来ない程に膨れ上がり、実家の押し入れを占拠していた。
自分が大阪に、両親が福岡に引っ越す際に、捨てるのは勿体な
ルのままそれらが安置されている。
大和川の辺に佇むボロアパートの部屋には、梱包された段ボー
誰にともなく呟く。
部室には僕と先輩と二人しか居ないのだが、
どるんや」しとしと降る窓外の霧雨に目を遣りながら、先輩が
「なあ、お前はなんでいっつもいつもそんなに本ばっかし読ん
いし、古本屋に売るのも忍びないと言うことで僕が引き取った。
「読書家なんだね、
お父さん」
にこりと微笑んで彼女は空席だっ
僕に話し掛けている風ではない。
四月の入部以来、確かに僕は部室で本ばかり読んでいた。特
た僕の左に必然のように腰を下ろす。
「いや、蒐集家だね。そこそこは読むけど」
鈍色テクニカラー
3
106
向いている。
「もっとこう、若者らしくなぁ、女とデートとか
でもしそうな勢いで先輩は言う。いつの間にか視線はこちらに
「やることなくて本を読むなんてお前は老人か」乗り突っ込み
気のない相槌を打つ。
「いや、やることないんで」一応聞こえてはいるので、そんな
前半にして既に僕は一端の大学生になっていた。
くないし、課題が出るわけでもない。梅雨も明け切らない七月
わけでもなかった。暇だったのだ。思った程大学の講義は難し
に読みたい本があるわけでも、読まなければならない本がある
いてるし」
「あら残念。じゃあほら、君は暇なんでしょ。また本なんか開
先輩は見事に二年生である。
回帰してまう。それについでが邪魔したら悪いやろ」三回生の
「ああ、金もないし、流石に明日のレポート出さんとまた原点
女が呟く。
「あれ、先輩は行きませんか」ちょっと意外、という表情で彼
言う。
「どうせ暇なんやろ」
「ほれほれ、行ってきいや、若者達よ」冷やかす調子で先輩は
ると丁度良い具合に視線が合った。
所に来ると無意識に早足になってしまう。彼女の先導がなけれ
平日だというのに難波は相変わらずの人込みで、こういう場
間違いではない。しかしこの状況、なんだか恥ずかしい。
女とデートとかないんかい」
「女友達なんて殆ど居ませんし。そんなこと言ってここに居る
先輩も変わりませんよ」視線を上げ、ぼそっと呟く。そろそろ
梅雨明けの報が出てもいい頃なのに、外は相変わらずすっきり
しない。
い良く開いた。
あるためか音も空気も外界と遮断された印象である。初めて来
外の雑踏とは対照的に、南街名画座は閑散としており、地下に
ば、
足が勝手に人の少ない方へ少ない方へ向いてしまいそうだ。
「ねえねえ、
暇なら映画行こうよ。
『白痴』
やってるんだよ。ジェ
たのにどこか懐かしさを感じてしまうのは、自分の育って来た
そんな風に余りにも平和な会話をしていると、部室の扉が勢
ラール・フィリップっていいよね。あの病的な中性さが。あ、
環境にあるのかも知れない。
りで、如何にも目の肥えた映画通、といった雰囲気を漂わせて
ぱらぱらと散らばって座っている僕等以外の客は漏れなく独
塩基性ではないよ。ほらほら誘ってやってんだからもたもたし
ない」今までの会話を聞いていたかのようにまくし立てる。
先輩も僕もきょとんとして彼女を見遣る。先輩の方に目を遣
鈍色テクニカラー
107
と、両手に紙コップを抱え、彼女が戻って来た。
いる。微かな居心地の悪さを腹の底に湛え、暗転を待っている
群までもがその穏やかな雰囲気の中で息を潜めている。大学進
静な住宅街で、地上からはその全貌を確認出来ない巨大な古墳
れた商店街の雰囲気が中原区と似通っているからかも知れな
学とともにこの街に引っ越して来て三カ月程経つが、なんだか
薄っぺらな紙コップの側面には無数の小さな水滴が付着し、
い。蛸焼き屋とお好み焼き屋の数と関西弁以外は。大阪で唯一
「はい。無理に連れて来ちゃったから」片方のコップを渡しな
受け取った右手から微かに体温を奪う。渇いていた喉を潤そう
の繁盛路線と言われる御堂筋線も関東都心部に比べると混んで
ずっと昔から住んでいるように居心地が良い。古い町並みや寂
と僕も彼女も直ぐに一口飲み込む。予告編がうっすらと映し出
いるという程でもなく、東横線や目黒線と同程度である。
がら言う。コーラだった。
されたスクリーンを糞真面目に見詰める人達の中で、上映の最
ない。好きな映画は『フォレスト・ガンプ』だし、好きな俳優
そもそも映画なんてそんなに観ないし、俳優なども殆ど知ら
突き刺さるスポットライトの光線。なにかを求め彷徨う都市民
された大阪の明かり。どこからともなく浮かび上がり、夜空に
多摩川から東へのそれに酷似している。うっすらと雲に映し出
夕闇に包まれようとしている時分、大和川から北への眺望は、
は子供の頃に観た寺島進である。そういう僕だからなのか、そ
の意識を象徴しているのかも知れない。
中にげっぷが出ないことだけを切に願った。
ういう僕にでもなのかは分からないが、
どちらにしても『白痴』
とジェラール・フィリップはトラウマとなって僕の心に刻み付
くの定食屋で同じメニューを食べる。そのうち半数程は先輩と
特にこれといって食に拘りがないので、夕食はいつも大学近
5
二人である。そろそろ落下しそうな部室の針時計が二十時を指
鈍色テクニカラー
けられるだろう。無彩色の狂気と共に。
大阪市住吉区と大和川で隔てられた堺市北区は基本的に閑
4
108
本というのがお決まりのパターンである。
の時間を過ごしながら料理を待つ。先輩は音楽雑誌、僕は文庫
店の常連は、大抵書籍か雑誌、携帯用ゲーム機などで思い思い
ら早くても十五分は待たされることを充分に理解しているその
す頃、どちらからとなく立ち上がって店に向かう。注文してか
わりのようだったので文庫を開く。まだ『マレー蘭印紀行』で
「まあそんなもんです。俺ですし」違いない。どうやら話は終
あないわ」
ほと呆れた、と言いたそうだ。「まあでもお前やもんなぁ。しゃ
「ラーメン……。そうかそうか、そりゃ結構なことやわ」ほと
「そういえば、今日は『ミュージック・マガジン』じゃないん
ある。
席に着くなり話し掛けて来た。
ですね」気になっていたことを聞いてみた。
その日は珍しく分厚い単行本を脇に抱えて来ていた先輩が、
「こないだの映画はどやった」
ではないがどうでもいい味で、もう二度と行かないだろう。そ
「はい。ああ、飯は食いました。ラーメン四天王」不味いわけ
てのけ反りながら言う。
「映画観て、終わり?」
「なんじゃそら。
俺が外した甲斐なしってことか」
頭に手を遣っ
「いや、特にないっすよ」真実である。
じで身を乗り出して来る。
「いやいやそやないやろ。その後や、後」興味深々といった感
「ああ、結構嫌な映画でした」率直な感想である。
い。
なんて観ていないし、もし観ていようと彼が知っている筈がな
とはそんなに大層なものなんだろうか。分厚い本は、それだけ
「いや、知らないです。どんなのなんですか」レコードの美学
「なんや、そんなまじまじ見て。知っとるんか」
奴だ。
クラフトワークのアルバムジャケットに似た汽車の絵が表紙の
く例の段ボールに入っている。タイトルは全く覚えていないが、
僕はその著者名に見覚えがあった。読んだことはないが、恐ら
「そうやそうや、希少本やぞ」にやりと嬉しそうに自慢する。
みる。表紙はシンプルなレコードの絵。相当年期が入っている。
「細川周平『レコードの美学』」書いてあるままを読み上げて
行本を開き、背をこちらに向ける。
「お、いいとこに気付きよったな」そう言って、例の分厚い単
もそも大阪に来て美味いラーメンを食った記憶がない。数える
でなんとなく気になってしまう。
彼女に連れられて行ったやつのことだろう。それ以外に映画
程しか行ってないのだが。
鈍色テクニカラー
109
りの定食が運ばれてきた。
ある。表現上はなんの問題もない。そう思ったところでお決ま
「音楽学って面白いですね。がくがくって」音としてのことで
ンセや」
聞いてみよう。
「最近亡くなったけど、民俗音楽学の偉ーいセ
る彼は如何にも彼らしい。覚えていたら二週間後くらいにまた
「そんなん知らんわ。読み始めたばっかし」当然のように答え
代的な工場の中に凄く大きい煙突があって、海に突き出してる
やっぱりヒューリン海岸かな。マラガから少し行くとなにか近
りを旅行したことあるよ。アルハンブラ宮殿も良かったけど、
「色々あるけど、やっぱりスペインかな。グラナダとマラガ辺
は?」
るばかりで、見渡す限り碧い海と白い砂浜が広がっていた。
「君
し冷たい風の吹く吉佐美の大浜には少数のサーファーの姿があ
の。でも海がすっごい綺麗で、そのギャップが好き」彼女は本
当に楽しそうに話をする。行ったことのない僕でもその光景が
目の前にくっきりと浮かんで来そうな躍動感がある。紀行文で
も書けばなかなか良さそうである。「テレビとか写真で見たと
分類では国内すら満足に行ったことがない。一番印象に残って
高校二年のときに修学旅行で行っただけで、純粋な旅行という
「 う ー ん。 そ も そ も 海 外 な ん て 韓 国 し か 行 っ た こ と な い し な 」
晴れやかである。
えるよりは、じめじめとした外気に包まれて読書する方が幾分
ろな冷房に頼るより窓を開け放つ方がいい。局所的な極寒に耐
横目に、彼女が聞く。このくらいの気温ならば、備え付けのぼ
「君は外国だとどこが好き?」窓から覗くすっきりしない空を
路に就く。上着を持ってこなかったことを後悔しつつ部屋に着
うわけでもない写真を数枚撮り、そのうち肌寒くなってきて帰
当たればなんだかすっきりする。携帯電話のカメラでなにに使
長めに自転車に乗って汗をかき、余計な思考を排除して海風に
体がそこに至るまでの道程を含んで考えられている。ちょっと
で満足してしまう」僕の場合、海を見たくなる、という考え自
自転車で東京湾とか見に行ったよ。今は堺浜。そのくらい近場
単純に出不精なだけ。なんとなく海を見たくなったときとか、
「基本的にはないな。その場所に魅力がないとかではなくて、
ころとかで、行ってみたいところとかないの?」
いるのは中学生のときに家族三人で行った下田である。まだ少
鈍色テクニカラー
6
110
くと腹が冷えていて、直ぐにトイレに籠もる、といったパター
である。
子で聞いた。いつもこんな調子なので先輩も気にしていない筈
ベトナムとか?」まあ大抵の人は知らないだろう。あんな老齢
ン。「あ、ギョレメは見てみたいな。機会があれば」
そんな話をしていたら、ふぅ、と嘆息のようなものを吐きな
な評論家なんて。僕だって親父がいなければ知ることもなかっ
「遂に死んだんや、とうようが。遂に」
がら先輩が入ってきた。
今日もあの分厚い本を脇に抱えている。
た名前である。
「ギョレメって聞いたことあるな。カッパドキアだっけ」
「どうしたんですか、嘆息なんか吐いて。単位でも落としまし
「ああ、これがなくなったらどうすればいいんや。もう音楽聴
「ああ、遂に来ましたか。季節の変わり目ですしね」確か御大
た?」笑い半分に彼女が尋ねる。
くなってことかいな」部室の棚に綺麗に並べてあるミュージッ
「そうそう。岩壁に教会とかあるとこ。写真と文章でしか知ら
「ああ、それより深刻かもしれんわ。ああ」なんだか世界が終
ク・マガジンを見詰めながら呟く。まあ、雑誌は後進が継続す
が病床に就いたのはもう半年程前だった気がする。年も年だし、
わったような顔である。
る だ ろ う が、
『とうようズ・トーク』はなくなるだろう。確か
ないけど」確か日野啓三の紀行文にあった筈だ。氏の纏わり付
「 彼 女 に 振 ら れ た と か?
って言っても彼女いないですよ
にショックではある。
長くはないだろうと思っていた。
「御大」という呼称は先輩譲
ねぇ。なんだろう。なんですか?」若干人を馬鹿にしたような
「ま、新しい趣味を見付けるのもいいんじゃないですか」と、
くような文体も相まって強烈な印象が残っている。
この言動も、彼女に限って言えば殆どの人は許せると思う。屈
自戒の念を込めて声に出してみた。
りである。
託がなさすぎて、突っ込みようがないのである。
「なにか二人で通じ合ってるけど、
なんなのよ『とうよう』
って」
「じゃあ卒業旅行はスペインかトルコだな」
腕を組んで決めた、
「ああ、いつか来るとは思うとったが、いざ来たらショックで
目を丸くし、少し頬を膨らませて先輩と僕を交互に見る。先輩
「なになに?
東洋が死んだってどういうこと?
中国とか?
かいわ」どうにも要領を得ない。
はその視線にすら気付かず、ソファに腰を埋めてしまった。
という感じで言う。
「だからなんなんですか。はっきり言って下さい」少し強い調
鈍色テクニカラー
111
「ああ、天気悪いし。ああ」
今、この瞬間に梅雨明けが宣言されてもおかしくない程に晴
「まだ、の間違いやろ」
「もう、です。僕の中では」
「まあまあ、どっちでもいいじゃない。遅れたわけじゃないん
だし」まあ確かにそうだ。先輩と顔を見合わせる。「ほらほら、
行きましょ」
今日は、彼女が先輩に串カツを食べに連れて行けと約束した
のに僕も誘われたのだった。先輩のことだから、女性が居よう
書籍形態すらばらばらである。父にしてはおかしいと思って調
作揃って段ボールに詰めてあったが、それぞれ出版社も訳者も
な三部作の一部らしいが、他の二作には手を付けていない。三
いた。ポール・オースター『鍵のかかった部屋』である。有名
筋を見下ろす場所に突っ立ったまま、僕は古びた新書を広げて
道橋で過ごしていた。約束の時間にはまだ半時間程ある。御堂
ろ赤く染まり始めようとする昼と夕方の間の時間を天王寺の歩
だし」
「流石にここまでは来たことないですね。イメージ的にもあれ
だった。
世界側ではなく、最早西成のど真ん中、といった雰囲気の場所
したと思ったらそこは一番街だった。ただ、僕の知っている新
の少ない幾つかの裏通りを抜け、十五分程してアーケードに達
思っていたが、先輩の足はまず阿倍野へと向いている。人通り
天王寺から右手の動物園を過ぎて新世界へ行くものとばかり
と小綺麗な店は選ばないだろうと考えて付いてきた。
べたら、全集以外では揃いでは出ていないようである。物語も
「私もないなぁ、ここは。おばさんとはいつも阿倍野だし」彼
れ上がった大阪の空はいつものように少し霞んでいる。そろそ
不思議だが、そちらもかなり不思議である。
がらこちらへ近付いてきた。
である。
かはよく知らない。もし会うことがあれば聞いてみたいところ
女の叔母さんは阿倍野に住んで長いらしい。具体的にどの辺り
「相変わらず早いな、お前は」
「そうやな、この辺は。ディープ・サウスやからな。十字路に
そんなことを考えていると、彼女と先輩が並んで手を振りな
「もう十五分前ですよ」
鈍色テクニカラー
7
112
「まあまあ、別に慣れりゃどってことないわ。みんな人間や。
名高い十三の出身である。
グを言う。先輩は大阪でも西成と一、二を争う治安の悪さと悪
は気を付けなはれやってか」けらけら笑いながらマイナなギャ
買っているのかも知れない。
い う ガ サ ツ さ が 無 用 な 遠 慮 を 排 除 し、 素 直 な 人 格 形 成 に 一 役
視しているし、女子が居ることも気にしていない。しかしそう
昨今の若者はビールを飲まない、という統計情報など完全に無
「じゃ、適当にくれや。いいよな」僕等が決めかねていると、
「串はどうしよか」壁のメニューはもう何十年もそこにあるよ
先輩が立ち止まった場所は、横から吹き出す煙の煤と油で茶
先輩が店主にそう伝えた。僕等は顔を見合わせ、うんうんと頷
ちゃんとしとるかどうかは置いといて」大声で笑いながら言う
色く変色した看板に『やまお』とペンキ書きされている木造の
いた。なんだか、こんな兄貴肌の先輩は初めて見たが、嫌いで
うで、風格すら漂わせている。
建 物 の 前 だ っ た。 中 で は 数 人 の 日 に 焼 け た 労 働 者 風 の 中 年 が
はない。
先輩にはらはらしながら彼女と僕は後に続く。
コップ酒に串をやっていた。
「おう、おっさん久し振り」引き戸を開け、右手を上げて言う。
「大学の後輩や。入学したてのほやほやや。ついでに大阪もほ
の人間やなさそやな。お前もそやけど」
き男がすかさず突っ込む。
「後ろのお二人は、如何にもミナミ
向き勝ちに応える。半年程前から病院に居る、というのは先輩
「まあまあや。もう一人で散歩なんかしとるみたいよ」少し俯
が先輩に話し掛けた。
「親父は元気か?」そろそろ食べる方の手が止まった頃、店主
串カツはどれも美味で、心地良く酒も進んだ。
やほやや」なんだか、
大学に居るときよりも生き生きしている。
から聞いたことがある。
「おう、久し振りやな、って、先週も来たわどあほ」店主らし
やっぱり、この人に勉強は似合わない。
「そりゃ良かった。元気になったら来いって伝えといてや」
珍しく先輩が奢ってくれた。今回だけ、とは言っていたがそ
話を取り出して画面を眺めた。「そろそろ行こか」
先輩は声では答えず、少しだけ右手を上げた。ちらと携帯電
「そか、ほやほやか。ま、こんなぼろぼろやけど贔屓にしたっ
てや」愛想のいい表情で店主はこちらを見遣る。陰のない笑顔
であった。
「取りあえず、瓶くれや。コップは三つな」問答無用である。
鈍色テクニカラー
113
の僕等は、なんだか分からないが温かい気持ちだった。
新今宮の駅の方へ横断歩道を渡って行った。取り残された感じ
「じゃ、俺はここで。後はごゆっくり」そう言って右手を上げ、
とは違って、一番街を御堂筋まで進んだ。
れでも嬉しかった。先輩はなんだか上機嫌そうだった。来た道
「そうなんだ、
意外だと思ってたんだよね。読書家ってヘビィ・
いる。しかも今日は持ち合わせていない。
ない」ポリシィというわけではないが、一応そうと決め込んで
「いや、あれば喫うんだけど、基本的に知り合いの前では喫わ
く煙草を喫っていたので気付いたのかも知れない。
早い。
い る 文 字 列 を イ メ ー ジ に 変 換 し、 若 干 の 脚 色 を 加 え る 時 間 に
い。ニコチンが脳の血流を抑制している間、それが目に映って
スモーカって気がして」その認識は間違っていないかも知れな
「まだ帰らないなら阿倍野行かない?」僕の気持ちを読み取っ
なっている気がする。
携帯電話を出して時間を確認するとまだ八時半で、帰るには
たか、彼女が提案した。特に断る理由もないので承諾した。
こちらも裏のない笑顔で彼女と僕を招き入れた。
かい」実年齢よりも年を取っている雰囲気のこっちの店主は、
「いらっしゃい。あれ、今日は一人かい、と思ったら彼氏持参
た。
階建ては、高層ビルのない阿倍野で広がる暗闇に溶け込んでい
ことだった。先程の串カツ屋とそう変わらない佇まいの木造二
酒屋で、彼女の叔母さんがいつも彼女を連れてくる店、という
のかと思った。こう憂鬱そうに」少しだけ不服そうに、しかし
「なんか、普通だね。太宰とか芥川とかみたいにかっこつける
美味い」
イ タ を 取 り 出 し て 一 服 吸 い 込 む。 頭 が す っ き り す る。「 あ あ、
は亡くなっていた曾祖父もそうだったらしい。ポケットからラ
けではないが、父親はピースを喫っている。僕が生まれる前に
「頂きます。久々だなぁ、ピース」ヘヴィ・スモーカというわ
は皺になったカートンを差し出す。ピースだった。
「ほれ、口に合うか分からんけど」そう言って隣のおっちゃん
「まあ、ほれ一杯」注文もしていないのに店主はコップを二つ
笑顔は崩さずに彼女は言った。
彼女に連れてこられた場所は、阿倍野商店街の一角にある居
持ってきて、
僕等にビールを注いだ。
隣の常連客らしきおっちゃ
「そんな人殆どいないでしょ。多分」
そんなどうでもいい、しかし心地良い会話を少し続け、その
んもこちらの話に加わり、乾杯をした。
「そう言えば、君って煙草喫わないよね」まわりの客は漏れな
鈍色テクニカラー
114
意しておかなければならない。御堂筋線へ降りる階段のところ
てな、と僕等を送り出した。その機会には借りた分の三本を用
われる人間が幾らかは居る。ジェラール・フィリップだってど
うようズ・トーク』を届けてくれないだろうか。そうすれば救
火星と高速通信が可能になったこの時代、向こう側から『と
か。
で彼女と別れ、地下へと進んで行った。終電までにはまだ幾分
うにかなりそうなものだ。総天然色の彼の姿が見られるかも知
日はお開きになった。こっちの店主と隣のおっちゃんはまた来
時間があった。
れない。
そんなどろどろとした僕の妄想は今日の出来事と共に大和川
の誇る水量に押し流され、アパートの隣の公園で猫と遊ぶ頃に
は跡形もなく消え去り、代わりに睡魔という名の安らぎを連れ
南海線に乗ると、遠く南紀白浜まで行けるらしい。白浜とい
気分にさえさせてくれる。それがまた良かったりするからやめ
のである。目覚めたときには今、新しい命を与えられたような
てやって来る。万年白旗の僕は、されるが侭に今日も力尽きる
うくらいだから白い砂浜が広がっている筈だろう。吉佐美大浜
(了)
られないのである。
おう。多分天国に召された御大はそのことを知っているだろう
うとしたのかも知れない。彼が快復したら一度歌を聞かせて貰
いう先輩の親父さんはブルーズ・マンで、悪魔に魂を売り払お
違っていない筈だ。もしかすると一番街の外れで大怪我したと
ゴだろうか。大分スケールが違う気もするが、雰囲気的には間
ミナミがディープ・サウスなら神戸がダラスで、京都がシカ
差異ではなく、その個が自分にどう作用するかである。
などは関係なく、白ければ満足するのだ。重要なのは個と個の
とどちらが白いだろうか。いや、実際のところどちらが白いか
8
鈍色テクニカラー
鈴木
菜見子
親が転勤族のために各地を転々としてきた私ですが、一応の
出身地である静岡県について、ざっくりと、独断と偏見たっぷ
りの、かいつまんだご説明をさせていただきます。
ほぼ中央
位置的に日本のほぼ中心にあり、また人口比などもほぼ日本
ときに、学級委員長がクラスメイトに話しているのを、会話に
混ざってもいないのに聞いて相当気に入って他の人にしゃべり
まくった話だ。今思えば、そこまで面白くないし、しゃべりま
くった相手たちの反応もいまいちだった記憶がある。
名産
静岡の有名な食べ物を思いつく順に挙げてみよう。うなぎ、
うなぎパイ、安倍川もち、緑茶、富士宮やきそば。他にも地味
に色々あるが思い出せない。なお、銀座や青山で大人気のタル
ト屋「キルフェボン」の本店は静岡にあり、東京ほど混んでい
域になりやすいらしい。日本の首都を移転する際は静岡が第一
ぎパイの梱包現場であり、広い工場の面積の四分の三くらいは
浜松のうなぎパイ工場は誰でも見学できるが、メインはうな
ないので穴場だ。
候補であったが、東海大震災の問題を孕んでいるから云々、と
梱包のためにあるといっても過言ではない。うなぎパイが割れ
の平均と同じとのことで、新製品の試販売、先行販売の対象地
いう噂がまことしやかに囁かれていた……のはきっと静岡県内
ていたらテンションが下がる人もいるだろうから、レーンの要
地銀の中では横浜銀行の次くらいに安定しているといわれて
静岡銀行
のメーカーの本社も浜松にある。
クし続けるあの人たちが必要なのである。ちなみに、源氏パイ
所要所に配置された、ただひたすらうなぎパイの割れをチェッ
だけなのだろう。
特別仕様
県境の輪郭を抽出してみると、何かに似ている。西側が頭、
伊豆半島が尾ひれの金魚である。この情報は国家機密であり、
日本が何らかのピンチに見舞われた際、静岡県だけ切り離して
泳いで逃げることができるそうだ。これは、私が中学二年生の
基礎静岡学
基 礎 静 岡 学
115
116
サッカー
J リーグチームが二つあるからか、静岡がサッカー王国と呼
いる。だが、小口の客への対応がズサンであるなど、お高くと
まっているらしい、という話は地元では有名。私の母が独身時
ばれていることは有名。個人的にはあまり詳しくないが、その
へんの主婦が「オフサイド」の意味を知っている割合は他県の
代に静銀マンとお見合いをしたことがあり、会うなり「君のお
父さんとの関係が大切だから来たけど、四大卒の人としか結婚
比ではなかろう。
遠方から、とにかく人がごったがえす。人だかりの向こうを見
く、世界的に名高いらしい大道芸人が集まるらしい。近所から
たりを会場にして行われる。世界的にも知られている祭典らし
る割と大々的な祭典。駿府城跡地の公園や静岡市街、清水港あ
静岡も、温暖ですごしやすく、それなりに良いところだなあと
小学校時代をすごした沖縄県の石垣島だったりします。でも、
静岡に住んでいたのは七年間にすぎず、最も愛着のある土地は
説明でした。実のところ、私がこれまでの二十六年間の人生で
以上、ざっくりと、独断と偏見たっぷりの、かいつまんだご
富士山といえば、山梨県ではなく静岡県だろう。
富士山
する気はない」といわれたという(※母は短大卒)
。それ以来、
静岡
鈴木久子は静銀が嫌いだ、という話は鈴木家では有名。
大道芸ワールドカップ
るためのグッズが売られたり、専門の雑誌が刊行されたりと、
思います。
読んだ。実際は微塵も関係ないはず。
静岡に何か関係があるだとか、都市伝説みたいな話をどこかで
直訳すると……!
ということで、
舞台のモデルが静岡だとか、
ちょっと古いかもしれないが、
一世を風靡したホラーゲーム。
サイレントヒル
経済効果はそれなりにありそう。
すんぷじよう
街おこしのために、数年前から毎年十一月初旬に行われてい
in
基礎静岡学
ショートショート
荒川
真成
118
1.『血』
と少女に近づく。少女は、私の気配に気づかずにすやすやと寝
息を立てている。
子供の血液は、特に甘みが強くて美味い。
私は興奮して、早速血を奪うことにした。血を奪うといって
も殺すわけではない。少しばかり、血を抜き取るだけだ。
頂く血は、新鮮でなくてはいけない。柔らかい肌にかぶりつ
いて、動脈をどくどくと流れる熱い血液を直接啜るのが最高の
人々が寝静まった夜道……。
私は、あるものを求めて彷徨っていた。
贅沢であり、最良の味なのである。
「ぐあっ!」
と、その時。
私は喜んで、女の血を頂こうと忍び寄った……。
太った人間の血も、美味いものだ。
太った女が同じくベッドで眠っていた。
探し始めた。隣の部屋に移ると、少女の母親だろうか、丸々と
そして、私は新たな血を求めて、子供部屋を出て別の人間を
私の中で、そんな欲望が膨れ上がった。
もっと血が欲しい。もっと質の良い血が。
の味に刺激されて、却って喉の渇きが増したようだ。
……しかし、私の食欲はまだ満たされなかった。さっきの血
……美味い。今夜の獲物は上等だ。
私が求めるもの……。それは、血。人間の血液だ。私の喉の
渇きを癒すものは、人間の鮮血以外にない。
生暖かく、トロリとした滑らかな舌触り。強い苦味の中にあ
る、仄かな甘み。赤黒く光る液体の甘美な味わいに、私はやみ
つきになっていた。
そして、今夜も私は、闇に溶け込む黒い出で立ちで、夜道を
徘徊してターゲットを探している。
しばらくすると、窓の開け放たれた一軒の民家が目に留まっ
た。灯りは点いていない。
戸締まりもしないで、無用心だな。……だが、私には都合が
良い。今日はこの家にするとしよう。
ターゲットを決めると、私は窓から部屋の中へ忍び込んだ。
部屋に入ると、奥のベッドで幼い少女が眠っていた。私はそっ
ショートショート
119
目と鼻を突く、強烈な刺激臭に襲われた。たちまち視界は霞
み、体は言うことを利かなくなった。
「ぐっ……!」
私はその場に倒れ、もがき苦しんだ。
そして、意識が遠のいた……。
まるで、病人の見本のような風体であった。
診察を終えた医者は呟いた。
「ふむ……」
医者の表情は硬い。眉間に皺を寄せ、顔を俯けたまま、それ
きり言葉を発さずにじっと押し黙っていた。
その様子に不安を覚えた男は、恐る恐る医者に尋ねる。
「先生、検査の結果はどうだったんですか?」
「それがですね……、この病院でできる検査は全て行いました
*
*
*
やがて、
《吸血鬼》は息絶えた。
が、あなたの病気の原因を見つけることはできませんでした」
医者は重々しく口を開いた。
奴を、死に至らしめたもの。
「……ただ」
もう助からない……。そう思った男は、深く絶望した。
かった。
その言葉が、男の心の中に、鉛を落としたように重くのしか
原因不明の病気。
ても、男の病名は分からなかった。
便検査。MRI。超音波検査。脳波検査。それらの検査を受け
心電図。X線検査。血液検査。胃カメラ。尿検査。髄液検査。
この数日間、男は病院に通い詰め、様々な検査を受けていた。
男は絶句した。
「そんな……」
(了)
それは、一本の蚊取り線香であった。
2.『病』
とある病院の一室。
一人の男が診察を受けていた。
男の体はやせ細り、顔はやつれている。目の下にはどす黒い
隈があり、そして顔色は青白い。
ショートショート
120
肩を落とし、うなだれた男に向かって医者は声を掛ける。
その声に、男はハッと顔を上げた。
「ただ……、何ですか、先生?」
「あ、待ちたまえ!」
医者は慌てて後を追ったが、男の姿はすでになかった。
「……やれやれ、困ったものだ」
男が去り、一人となった病室で、医者は呟いた。
男の体は至って健康であった。にも関わらず、男は再三病院
「思い当たる病気が、ひとつあります」
医者はそう言った。
を訪れ、そのたびに検査を要求した。そう。男は、自分が病に
侵されていると思い込んでいただけなのである。
「そ、その病名は?」
男は、医者にすがりつくように聞く。
「病は気から、とはよく言ったものだな……」
男の病名。
「いや、しかし、そうだとしたら……」
医者は、またもや言い澱んだ。
それは《心配性》である。
たのである。
3.『食』
あぁ、おいしいなぁ。
甘くて、しょっぱくて、やわらかくて、かたい。
ふしぎなふしぎな、そんなお菓子。
(了)
内科医である医者には、その心の病を治すことができなかっ
その態度に男は思わず声を荒げる。
「先生、はっきり言ってください!」
「もし、あなたの病気が私の思った通りだとしたら、私には治
すことができない……」
「そんな……」
男は、それ以上言葉が出せなかった。
医者ですら治すことができない病気。
もう死ぬしかない……。男は思った。
「あなたの病名は……」
「もう結構です!」
医者の言葉を遮り、男は乱暴に席を立って、部屋の出口へと
駆け出した。
ショートショート
121
いつまでたっても、なくならない。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ボクはあやまった。
ないの。
どれだけ食べても減ることもない。
もう食べません。だからゆるして。
ボクはいつもそれを食べていた。
ふしぎなふしぎな、そんなお菓子。
ママ、おねがい。
いう事件が起こりました。
今日、自宅で母親が自分の息子の指を刃物で切り落とす、と
「……では、次のニュースです。
*
*
*
そしてボクはお菓子を取り上げられてしまった。
でもママはゆるしてくれなかった。
あぁ、おいしいなぁ。
でもあるとき、ママが言ったんだ。
もう、よしなさい。
そうしないと取り上げちゃうわよ、って。
ボクは困った。
こんなにおいしいボクのお菓子。
取り上げられるのはいやだった。
だからボクは、それからはこっそりかくれて食べた。
母 親 は、『 自 分 の 子 供 が、 い つ ま で も 指 を し ゃ ぶ っ て い る
の に 腹 が 立 っ て や っ た 』 と 供 述 し、 大 筋 で 容 疑 を 認 め て お り
暗いへやで、ひとり。
ボクだけの、ひみつの味。
……」
(了)
この味はだれにもわたさない。
でもボクは、またそのお菓子を食べているところをママに見
つかってしまった。
ママは怒って言った。
もうやめなさいって言ったでしょう。なんで言うことをきか
ショートショート
122
辺りには霧がかかっていて、川の向こう岸は見えない。その川
は、まるでどこまでも続いているように思えた。
これが話に聞く三途の川だろうか、と男は思った。そうであ
から一隻の小さな舟がやってきた。近づくにつれて、その姿が
4.『金』
れば、俺は死んだということになる。
とあるビルの屋上。
はっきりとしてくる。
そんなことを考えながらその場に佇んでいると、川の向こう
落下防止のフェンスを乗り越え、ビル先端に立っている一人
女は、白装束を羽織っていた。袖から伸びる腕は簡単に折れ
木でできた舟。そして、舟を漕ぐ一人の女。
男には莫大な借金があった。ギャンブルで作った小さな借金
てしまいそうなほど細く、透き通るように青白い。それとは対
の男。その男は今まさに死のうとしていた。
が、あっと言う間に膨れ上がってしまった。最早、男が一生働
照的な真っ黒な髪は、背中にかかるほどの長さであった。前髪
が目を覆っているため顔はよく見えない。
いても到底返せないような金額である。
食べるための金。
女は川岸に舟を停め、舟から降りた。
水先案内人。
明した。
女は自らを「水先案内人」と名乗り、ここは三途の川だと説
楽しむための金。
生きるための金。
この世では何をするにも金が必要だった。
金を持たない男はこの世に別れを告げることに決めた。
「あの世に行けば楽になれる……」
三途の川。
女はこれから男をあの世へ連れて行くと言った。
最期にそう呟き、男はビルの屋上から身を投げた。
目を覚ますと、男は川岸に立っていた。
女の説明では、
三途の川というのは、『この世』 ——
現世と『あ
それらの言葉から、男は自分が死んだことを確信した。
男の目の前にある光景、
それは視界一面に広がる川であった。
ショートショート
123
の世』
極楽浄土とを隔てる川であり、その橋渡しをするの
——
「あなたは何か勘違いをしていませんか?
こちらでは楽に暮
らせると思っていませんか?」
「……」
が水先案内人の役目であるとのことだった。
極楽浄土。
「そんなことはありません。みんな働いて、お金を稼いで生活
「ほら」
大袈裟な、と男は思った。
なくて食べられず、小枝のようにやせ細っても死ねません」
「どれだけ苦しくても、決して死ぬことはありません。お金が
男は安堵の表情を浮かべた。
「そうだよな。俺はもう、苦しんで死んだのだから」
「ただ、現世とは違って、苦しんで死ぬことはありません」
「なんだか、現世みたいだな……」
ちらに来る方も多くて、社会現象になっています」
しているのです。最近は、死んだら楽になれると思って自らこ
その言葉の響きに男の心は弾んだ。その光景を頭に描き、男
は意気揚々と舟に乗り込んだ。
と、女は男に向かって声を掛けた。
「船賃はお持ちですか?」
船賃?
お金のことだろうか。
「いや、持っていないが……」
男は答える。
そもそも借金を苦に自殺したこの男が、金など一銭も持ち合
わせているはずがなかった。
「そうですか、それでは舟を降りてください。お金を持ってな
いのなら乗せることはできません」
女がそう言って指差す方を見ると、小枝が数本落ちていた。
いや、違う。目を凝らすと、まさに小枝のようにやせ細った、
女は冷淡に言った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。なぜ金が必要なんだ?」
それでいて人間の身体の形を留めたものが地面に転がってい
「ひ、ひい!
極楽どころか、地獄じゃないか!」
「なぜって、これが私の仕事ですから。私はこの舟で人を運ぶ
収入?
仕事?
「そう呼ぶ人もいます。でも、それはその人次第でしょう。真
て、風の音のような乾いたうめき声を上げていた。
現実的な言葉が急に出てきて、男は戸惑った。
面目に働けば、幸せに暮らせます。現世と同じです」
ことで収入を得ているのです」
女は言葉を続ける。
ショートショート
124
「真面目に……」
「とにかく、そういうことですから、舟を降りてください」
そう言って女は男を舟から降ろした。有無を云わさぬ口調で
舟は岸を離れ遠ざかっていく。
それは多くの人々を魅了した。
私の声。
5.『声』
小さくなった舟に向かって男は叫んだ。
人はみな、私の話に耳を傾けた。
あった。
「これから、俺はどうすれば良いんだ?」
人はみな、私の歌に酔いしれた。
私の話に笑い、興奮し、時に感動の涙を流した。
「泳いで渡ってみては如何ですか?
まあ、どれだけかかるか
私の歌を真似して歌う人も多くいた。
するとこんな言葉が返ってきた。
は分かりません。もし溺れたら大変ですよ。死ぬこともできず
私の容姿はお世辞にも良いとは言えないけれど、それでも、
誰もが彼のパフォーマンスの虜になり、彼の踊りや歌、演技
た。そして、一躍彼は人気者になった。
彼は魅力的な容姿を持つと同時に、美しい声も兼ね備えてい
……彼が現れるまでは。
私は幸せだった。
誰もが私の歌を求め、私の話を待ち焦がれた。
に、いつまでも苦しみ続けます……」
そして、舟は霧の中へと消えていった。
一人残された男は、
川底を覗いた。水は透き通っているのに、
川底は不気味に揺れて深さが分からない。
じっと目を凝らせば、
底にも「小枝」が落ちていた。
男は溜め息を吐いて、呟いた。
「全く、どの世の中も世知辛いものだ……」
(了)
は日本中、いや世界中の人々の目に留まることになった。
今や彼を知らない人はいない。
ショートショート
125
そんな彼の人気の陰に私は隠れ、私の声を聞いてくれる人は
日に日に減っていった。
誰か私の声を聞いて。
昔のように私の話に耳を傾けて。
誰か私の声を聞いて。
昔のように私の歌に酔いしれて。
誰か……だれか……ダレカ……!
私は声を張り上げてそう叫んだけれど、私の声はかすれ、ま
るで雑音のようにしか聞こえなかった。
あぁ、私は声すらも失ってしまった。
唯一の取り柄であった、あの美しい声も。
そして私は悟った。
私はもう必要とされない存在なのだと。
私の時代は終わったのだ。
*
*
*
「ねぇ、昨日の番組観た?」
「観た観た。面白かったー」
「昨日徹夜でDVD観ちゃってさぁ……」
人々の間で交わされる、テレビの話題。
——
今やテレビは一家に一台、いや一人に一台の時代といっても
過言ではない。携帯電話やパソコンなどを通じて見ることも可
能になった。
その一方で、今やラジオを聴く者はほとんどいない。
(了)
ショートショート
有限の幸福な対称性
山崎
太陽
128
いくらはるき
伊倉春樹が目を覚ますと、細い雨の音と、鳥のさえずりが聞
のなか
こえた。ベランダで、小鳥たちが雨宿りをしているのだろう。
かのん
に注いでダイニングテーブルに置く。かたん、と乾いた音が鳴
り、朝の静寂に溶けて消えた。
一口飲んでから時計を見ると、八時五分前であった。きっと、
花音はあと一時間は起きないだろう。花音が起きるまで、読み
春樹の隣では、花音が静かに眠っている。旧姓は野中だが、
数ヶ月前に伊倉花音に改姓した。つまり、春樹と花音は新婚夫
かけの文芸誌でも読んで過ごそうか、と春樹は考えた。しかし
すぐに、友達と約束があるから八時に起こして欲しいと花音に
婦だ。花音は春樹の方を向いて、すっぽりと毛布にくるまり、
まるで寝具のコマーシャルのように気持ち良さげな寝顔を浮か
頼まれていたのを思い出した。
小説だ。読み終えたら本棚に仕舞うことにしている。
た書籍の隙間にカップを置いた。全て春樹の所有物で、未読の
春樹は寝室に戻ると、ベッドのそばのテーブルの上に積まれ
べている。
六畳の寝室には、ベランダに面した大きな窓と、小さな出窓
がある。カーテン越しの柔らかい朝日が、静物の輪郭をなぞる
ように室内を薄く照らしている。
白い壁に木目調の家具。本棚に無秩序に詰め込まれた、色彩
の物音では滅多に起きない。
ベッドの方を見ると、案の定、花音はまだ眠っている。多少
鉢が置かれている。料理に使うために栽培しようと春樹が提案
「花音、起きて」花音の肩に手をやり、軽く揺らす。
豊かな文庫本たち。新書や出窓の棚にはバジルとパセリの植木
したものだ。
「んー」やがて花音は薄目を開け、何やら咀嚼しているかのよ
うに口を動かした。
春樹は、花音を起こさないよう注意して寝室を抜け出すと、
キッチンで珈琲をセットした。ミルが激しい音を鳴らして珈琲
「花音、起きて」春樹は繰り返した。
春樹はカーテンを開けようと、その端を掴んだが、ふと、も
ラクダの顔立ちを克明に思い浮かべた。
ラクダみたいだ、と春樹は思った。いつしか鳥取砂丘で見た
「んむんむ……」やはり花音は口をもぐもぐと動かす。
豆を砕いたが、この音では花音が起きない。
春樹は食器棚からマグカップを取り出した。花音が好きなク
マのキャラクタのデザインで、容量が大きく使いやすいので春
樹も花音とお揃いで愛用している。
やがて、キッチンが香ばしさに包まれる。珈琲をマグカップ
有限の幸福な対称性
129
ぐしている。
「んむんむ……」春樹が振り返ると、花音は相変わらずもぐも
何食わぬ顔で何かを食うとは、これ如何に。
いた日には、
腰を抜かしてしまうかもしれない。それにしても、
ならまだしも、雨宿りの小鳥たちを食べて口から血を垂らして
ていたら、僕は驚いて大声を上げてしまうかもしれない。植物
と空想した。何食わぬ顔で、ベランダの植物をもぐもぐと食べ
しも窓の向こうにラクダがいて口をもぐもぐとさせていたら、
「そう、恐竜展。今月までだから、今日行かないと」
て知らなかった。
の付き合いだが、それでも花音が恐竜に興味を持っていたなん
「恐竜?」春樹は少し驚いた。新婚夫婦とは言え花音とは四年
恐竜展に行くの」と言った。
和らぐ。そして、ようやく目を薄く開けて「ちいちゃんとね、
「んー、そうなの」花音の表情が、日だまりで眠る猫のように
「昨日、そう言ってた」
「和風パスタのお店でランチして、それから恐竜を見て、その
「へえ、恐竜ね。ふうん」
する。「ええい、ままよ!」と心中で叫びながら、春樹はカー
後お茶するの。
ほら、あのタルトのお店」花音は嬉しそうに話す。
ラクダの存否はカーテンを引いて観測することで初めて確定
テンを勢い良く開けた。
「うん。じゃあ、もう起きたら?
今、八時だよ」
「うん、起きるー」そう言うと、花音は上半身をなんとか起き
勿論、ラクダがいるのではないかと本気で考えているわけで
はない。あまり他者と共有しようとしない春樹のささやかな冗
上がらせた。
春樹は窓を開け、新鮮な空気の流れを寝室にもたらした。
談であり、内向的な趣味である。
果たして、ベランダにはラクダも小鳥もいなかった。雨は既
鼻から深く息を吸い、鼻からゆっくりと吐き出す。
花音は頬を撫でる微かな気流に刺激され、徐々に覚醒した。
らした。
「水、飲む?」春樹は尋ねた。
に上がり、初夏の清々しい光が差し込み、花音の白い寝顔を照
「うー、眩しい……」花音が呟いた。
「うん、頂戴」花音は微笑んだ。
ウォータを注いだ。さっき淹れた珈琲と一緒に、木製のトレイ
春 樹 は キ ッ チ ン に 向 か い、 丸 い グ ラ ス に 冷 た い ミ ネ ラ ル
「もう、起きたら?」春樹は振り返って言った。
「今日は約束
があるんだよね?」
「んー?」花音は眉根を寄せた。
有限の幸福な対称性
130
花音は満面の笑みで「ふー、お腹ぽんぽん」と言って腹をさすっ
ついさっきも、春樹が作ったホットサンドを平らげた時に、
春樹が寝室に戻ると、花音はベッドから這い出てビーズクッ
た。これはきっと「ぱんぱん」と同じ意味なのだろうと推測で
で運ぶ。
ションに腰掛けていた。グラスを渡すと両手で受け取って一気
きたものの、どうにも違和感を拭えない春樹であった。
分からないが、それでも意味は推測できる。
て何だ。もし既存の擬音のアレンジならば、高等過ぎて原形が
い水をきゅおーって飲むと……」などと言う。
「きゅおー」っ
更におかしいのが水を飲む時の擬音だ。花音はたまに「冷た
に水を飲み干し、
「ぷはー」と息を漏らした。
「生き返ったー」と花音は言った。
春樹はつい「死んでたの?」と尋ねる。
「ううん」と首を振る花音。
春樹は「そう」と言って軽く頷いた。
「春樹?」花音が怪訝な表情を浮かべている。春樹が何も言わ
く服を選んでいる。花音が「もかもかの服」と形容したのは薄
簡単な朝食と化粧を済ませた花音は、姿見の前で今日着てい
「うん、そうだね。そうする」花音は顔を綻ばせ、セータを仕
スの上に何か薄いのを羽織っておいて、暑かったら脱げば?」
「ああ、
セータは暑いかもね」
春樹はとっさに答えた。「ワンピー
ないからだ。
手のセータのことだ。それを着るか、綿のワンピースを着るか
舞う。
「もう、もかもかの服だと暑いかな?」
迷っている。
間が口にしているのを聞いたことがない。勿論、人間以外の生
きっと意味は「もこもこ」と同じなのだろうが、花音以外の人
「花音、
携帯鳴ってるよ」近くにいた春樹が取って花音に渡す。
のかは判別できる。
着信音を設定しない。それでも振動音のパターンでどちらのも
不意に、テーブルの上の携帯電話が震えた。春樹も花音も、
物が「もかもか」と発音するのを聞いたこともないので、花音
「ありがと。おお、ちいちゃんだ」花音は電話に出た。
「はい、
春樹は「もかもか」という擬態語が一般的なのか気になった。
以外の生物が「もかもか」と口にするのを聞いたことがない、
はい。もしもし?」
春樹は空になったカップを持ってキッチンに移動した。珈琲
ということになる。ただ、そう表現すると、まるで花音が「も
かもか」という鳴き声が特徴の珍しい生物みたいだ。
有限の幸福な対称性
131
くのが苦手ということもあった。
のお代わりを注ぐためだが、人が電話をしているのを近くで聞
考えたんだろ」春樹は切った爪をゴミ箱に捨てながら言った。
折衷っぷりで、なかなかの造語センスだと思うけどなあ。誰が
そして「まあ、品があるか否かは別問題だけど、日本語の面白
変更されたのか。
「ああ」展覧会自体が中止になったのではなく、花音の予定が
「ちいちゃんが行けなくなったの」
「え?
本当?」春樹は吃驚した。
詰めたまま、口を尖らせた。
「恐竜展、中止になった」花音は手に持っている携帯電話を見
りを取って爪を切り始めた。
ニ ュ ー ト ラ ル に 戻 り つ つ あ る。
「 じ ゃ あ、
『 copy and paste
』
「 む う ……、 そ っ か あ 」 花 音 の 反 応 は い ま い ち だ が、 機 嫌 は
ンス語と仏教用語の夢の競演だよ」
を妨げる魔神『マーラ』の音訳の『魔羅』の略だからね。フラ
その相手がよりによって『魔』だよ。
『魔』とは、釈迦の瞑想
フランス語の『 sabotage
』であることはあまりに有名だけど、
「もっとすごい造語は『サボり魔』だね。『サボる』の語源が
「そうかなあ」腑に落ちない表情の花音。
さを表してるね」と付け加えた。
「もう、ドタキャンって何?」花音は溜め息を吐いた。
と『道場』を組み合わせて『コピペ道場』とかどう?」
春樹が寝室に戻ると花音の電話は終わっていた。春樹は爪切
「予定を直前に取り消すこと」春樹は爪を切りながら答える。
「え?
何それ?
そんなのあるの?」
ら
「え?」
「うん」花音は自信満々に答えた。「今考えた」
ま
「ドタキャンの意味」
そうは言わずに話を合わせようと試みた。「えっと……、
それは、
自分で考えた言葉なら何でもありだろうと春樹は思ったが、
「そう」春樹は言った。
「ところで『ドタキャン』って、土壇
どんな道場なの?」
「深い山奥にあって、髭もしゃもしゃの師
「意味を訊いてるんじゃないよ」花音は語調を強めた。
場でキャンセルの略だろうけど、面白い言葉だと思わない?」
範がいて、弟子達がパソコンに向かって日々コピペの道を究め
「はあ……」春樹は爪切りを仕舞い、耳掃除を始めた。
んと鍛錬を重ねているの」
「どうして?」花音は首を傾げた。
「だって『土壇場』っていう少し古臭い日本語をさ、『
』っ
cancel
ていう英単語とくっつけて略したんだよ。清々しいほどの和洋
有限の幸福な対称性
132
「そういうディティールは好き」と春樹は言った。
カットを使うの」
クしてペーストするんだけど、上級者はキーボードのショート
「初級者はマウスで右クリックしてコピーして、また右クリッ
「うん、いいよ。春樹はきんぴら好きだね」
コンのきんぴら作って」
「そうだね」レンコンが春樹の目に留まった。「じゃあ、レン
和食にしよっか?」
「師範なんかは、胡座をかいたまま空中浮遊するの」
「その能力をコピペに注ぐのはもったいないな」
に触らずとも念力でコピペができるの」
「こら」春樹はたしなめた。
「私も、デザートは別腹」
「やっぱり好きな物って沢山食べられる。きんぴらは別腹」
「食は細いのに、きんぴら作るとすっごい食べるよね」
「昔から、きんぴら、ひじき、おからは大好き」
「最早コピペと関係ないよ」春樹は苦笑したが、花音の機嫌が
「ふあ……」花音は肩を落とした。
花音は嬉しそうに続ける。
「黒帯クラスになると、パソコン
直ったので良しとした。
花音は甘い物に目がないが、程々にするように春樹が注意し
に出かけた。
を、今では週に二回までに制限している。もちろん、健康でい
らだ。一方、春樹も独身の頃は毎日のように飲んでいたビール
ている。太らないで欲しいからではなく、健康でいて欲しいか
「お昼どうする?」カートを押しながら、春樹は訊いた。
るためだ。
花音の予定がなくなったので、二人で近所のスーパに買い物
「うーん、どうしよう」花音は指を顎に当て首を傾げる。
二人とも、ほぼ毎朝バナナを食べる。花音はダイエット効果が
結された規則で、その一つが、互いになるべく健康であろうと
ても、花音が一方的に提案して春樹が水のように飲むことで締
結婚する際に、二人で三つの約束をした。約束をしたと言っ
あると信じているからで、春樹は寝起きの食欲があまりない状
努めることである。ちなみに残りの二つは、法を犯さないこと
入り口そばの果物コーナで、春樹はバナナをカゴに入れた。
態でも食べやすい上に味も栄養も優秀な食品として一目置いて
と、
浮気をしないことだ。春樹はこの三条を『合法、
健康、誠実』
、
略して『合憲性』と文字変換して記憶している。こうしないと
いるからだ。
野菜コーナで花音が言った。
「朝がパンだったから、お昼は
有限の幸福な対称性
133
覚えられないのではなく、軽い脳内ジョークだ。
「え?
そう?」
「何作るの?」春樹が尋ねた。
をカゴに入れた。
「ほっぺは冗談だけど、十分に丸いよ」
「私こんなに丸くないし、
ほっぺ赤くないよ」花音は反論した。
が赤い」
「花音みたいに丸顔だし、前髪を七三くらいで分けてるし、頬
「スペイン風オムレツ」花音が元気良く答える。食べ物の話を
「えー」花音は両手を顔に当てる。掌のカーブが頬のラインに
野菜コーナで、花音が玉葱、トマト、じゃがいも、ピーマン
している時が一番嬉しそうだ。
見事にフィットする。
け、角ばった輪郭の自分とは対照的だ。
花音は色白で丸顔で、白玉みたいだと春樹は思った。頬がこ
「いいね。野菜がごろごろ入ってて好き」
他には、長茄子、ズッキーニ、チーズ、パンを買い、二人は
帰路に就いた。
「マトリョーシカ、取りましょーか?」春樹は脈絡のない発言
性なんだよ」
「ティーコゼのこと?
昨日、布買って作ったの。すごい保温
う厚手のカバーを指差した。
「あれ?
そんなの、あったっけ?」春樹はティーポットを覆
ジリンとアールグレイしか分からない。
ジリンだった。花音は紅茶が好きで多種飲むが、春樹にはダー
て作る別の言葉だよ」
「それは回文。アナグラムは、ある言葉の構成要素を並べ替え
葉?」
「アナグラム……、って何だっけ?
逆さから読んでも同じ言
しょーか』のアナグラムだなあって思い出す」
「
『マトリョーシカ』って言葉を聞くたびに、いつも『取りま
「え?
何?」花音は混乱した。
をした。
「へえ……」春樹はその模様に注目する。頭巾をかぶった少女
「
『マトリョーシカ』
、『取りましょーか』、……おお、本当だ」
昼食後に花音は紅茶を淹れ、
春樹も一杯注いでもらった。
ダー
がランダムに配置されている。
「これ、マトリョーシカ?」
花音は目を見開いた。
「他には?」
「他に?
うーん……」春樹は考えた。
「そう、かわいいでしょ?」
春樹は吹き出す。
「花音に似てる」
有限の幸福な対称性
134
だんじり
……、ルアー入れ食い……、駄目だ、
『イ』を二度使った。ス
「怖い夢でも見たの?」花音は春樹の頭を撫でた。
た。
「……え?」春樹は頬にくすぐったさを覚え、触ると濡れてい
ペイン風オムレツ……、インフレおむつ……、全然駄目だ、三
「いいや……」春樹は夢を思い出そうとした。
ダ ー ジ リ ン ……、 地 車 ……、 長 音 が 余 る。 ア ー ル グ レ イ
文字も余る。それに『インフレおむつ』って何だ?
「え?
思い付いたの?」春樹は驚いた。
「どんなの?」
こういうのはどう?」
「 ね え、 ね え 」 花 音 が 招 き 猫 み た い に 手 を 動 か す。
「 じ ゃ あ、
いる。
それでも、特に感情が揺さぶられることは無かったと確信して
睡みの世界に置いてきた。
ディティールは全然思い出せないが、
が、菓子か何かを作っていた。それ以上の情報は、柔らかい微
夢の中で、自分は子供で、場所は実家のキッチンで……、姉
「グアム、奈良」
「泣いてないよ」春樹は答えた。「目から、水が出ただけ」
春樹は諦め、首を横に振った。
「すぐには思い付かない」
「ん?
おお、
『アナグラム』のアナグラム」春樹は感心した。
「グアム、奈良!
グアム、奈良!」
「大丈夫。まあ、確かにこれは涙かもしれない。……広義の涙
寂しげな表情だった。
「大丈夫?」
「普通、それを涙って言うんだよ」花音は笑顔を浮かべたが、
「修学旅行の定番は?」
かな」
調子に乗った花音は、妙なメロディに乗せて繰り返した。
「グアム、奈良!」
「……抗議の涙?」
かべているであろう漢字を想像した。
「広い意味では、これも
「いや、その多分コウギじゃなくて……」春樹は花音が思い浮
ページを捲っていたが、本を胸に抱えたまま眠りに落ちた。
涙なのかもね。でも、泣いてはいないよ。たまに寝起きに涙が
テ ィ ー タ イ ム の 後 に、 春 樹 は ソ フ ァ に 寝 転 が っ て 文 芸 誌 の
「春樹?」
目から出る水って意味では、これも涙なのかな」
するりと流れ出るんだけど、ただそれだけで感情の起伏はない。
花音の丸顔がすぐそばにあった。
「ふうん……。とにかく、悲しいわけじゃないんだね?」
花音に呼ばれ、
目を覚ます。まぶたをゆっくり持ち上げると、
「泣いてるの?」花音が尋ねる。
有限の幸福な対称性
135
感謝の気持ちは、花音に負けないと思う。
もずっと深く、強く、固いのではないだろうか。だからこそ、
る。花音の自分に対する心配や気遣いや思いやりは、自分より
花音は自分よりもずっと心配性な性格だと、春樹は感じてい
イパンから取り除き、適当に切ったベーコン、玉ねぎ、長茄子、
沸いたら塩とスパゲッティを放る。きつね色のにんにくをフラ
垂らして弱火にかけ、にんにくを一片浸して香りを移す。湯が
皿ごと冷蔵庫に入れて冷やす。フライパンにオリーブオイルを
で千切って散らし、オリーブオイルと塩と黒胡椒を振りかけ、
輪切りにして皿に交互に並べ、その上に摘みたてのバジルを手
「大丈夫だよ、花音」春樹も花音の頭を撫でる。
ズッキーニを炒め、缶詰のミートソースを注ぎ、茹で上がった
「うん、大丈夫」春樹は深く頷いた。
「うん」花音は安堵の表情を浮かべた。
スパゲッティをからめて皿に盛る。
「はーい」花音が寝室から飛んできた。
「花音、できたよー」
「あ、座る?」
春樹が頭を上げると、花音はソファに腰掛けた。春樹は花音
の膝に頭を着地させる。
「ふおー、いい匂い!」花音は目を輝かせる。
春樹はスパゲッティの皿をテーブルに乗せた。
「どんな夢?」
「待って。もう一品作ったんだ」春樹は冷蔵庫からカプレーゼ
「私も気が付いたら、すかーって寝てて、変な夢見たよ」
「うん、コピペ道場の夢」
を取り出し、テーブルに運ぶ。
「飲み物は?
私ジンジャエール飲むけど」
春樹は吹き出した。
「本当?」
「うん」花音は頷いた。
「コピペ道場にね、カトペ派が乗り込
「じゃあ僕も」
花音はタンブラーグラスに氷を入れ、自家製ジンジャシロッ
んできたの」
「カトペ派って?」
プのソーダ割りを二つ作った。
食べようか」
「カットアンドペースト派。つまり、道場破りね」
夕食の準備は、春樹が担当した。
「うん、いっただっきまーす」
「 あ り が と う 」 春 樹 は グ ラ ス を 受 け 取 っ て 礼 を 言 う。
「 じ ゃ、
鍋に水を入れて火にかける。モッツァレラチーズとトマトを
有限の幸福な対称性
136
「いただきます」
を再開した。花音は梅酒を飲みながらネットサーフィンをして
「ねえ、春樹」花音はパソコンの方を向いたまま言った。「切
いる。
運んだ。時折、料理の感想を述べ合うくらいで、黙々と食事を
ると涙の出る玉は?」
二人は合掌を解き、フォークにスパゲッティを巻き付け口に
進める。
い。しかし、どうしても観たい番組がある、と花音が要求した
時に一人暮らしを始めた時から一度もテレビを所有していな
「なぞなぞだよ。子供向けの」花音も首から上だけ春樹の方を
「何、今の質問?」春樹は視線を本から花音に移して尋ねた。
「怖い!」
「目玉」春樹は即答した。
ので、パソコンでテレビ番組が観られるようにチューナを買っ
向けて答える。
伊倉家にはテレビがない。春樹がテレビが嫌いで、大学進学
て設定してやった。
「市販のジンジャエールより香りが強いから、シャンディガフ
ルが半分残っているグラスに注いでシャンディガフを作った。
「正解は、
『玉葱』でしたー」
「……」春樹は絶句した。
「いや、間違ってるから」
「なんだ。道理で簡単なわけだ」春樹はしたり顔で言った。
にするとおいしいよ」
「玉葱は葱であって玉ではない」
先に料理を平らげた春樹は、缶ビールを開け、ジンジャエー
「そう?
嬉しいな」花音は喜んだ。
作ってテーブルに戻ると、花音がようやく料理を食べ終えた。
「そんなことない。もっと問題出して」
なぞなぞは苦手そう」
「なぞなぞだから、
いいの。春樹ってクイズは得意そうだけど、
「ふー、食べたー。お腹ぽんぽん」花音は腹を撫でる。
「ほい」花音はパソコンの方に向き直ってマウスをクリックし
春 樹 が 一 杯 目 の シ ャ ン デ ィ ガ フ を 飲 み 干 し て、 お 代 わ り を
「多かった?」
た。
「全部旦那のせいにする奥さんがいる、海の生き物は?」
傾向にあろう、と思ったが春樹は口にしなかった。
女性は男性よりも感情的で非論理的だから夫婦は大抵そんな
「んー、でもおいしかったから食べれたよ。ごちそうさま」
夕食の片付けが済むと、春樹は缶ビールをもう一本開け読書
有限の幸福な対称性
137
んだ?」
びマウスをクリックした。
「逆さになると、軽くなる動物はな
「なぞなぞなんて、大抵は駄洒落だよ。じゃあ次ね」花音は再
「ああ、駄洒落なんだ」
「正解は『オットセイ』
でしたー。
夫のせい、
ね」
花音は解説した。
「皆目見当がつかない」
「分かんない?」
「目、値が張る……。メバル!」
「おお、いいよ。その調子」花音は握り拳を振って応援した。
い……」
「目玉だけ、値段が高い……。目玉、値段、高い……。目、高
「そうだね」花音は頷く。
「……これも駄洒落?」春樹はヒントを求めた。
「じゃあ、次ね。目玉だけ値段の高い魚ってなんだ?」
「もう分かったよ。正しいかどうかではなくて、本当にシャレ
「うん、そういうノリ」
「ああ、そういうノリ?」
「『イルカ』を逆さにすると『カルイ』だから」
「どうして?」
けど、答えは『イルカ』なの」
「えっと……、正解からかなり遠そうだから、もう言っちゃう
あって、質量欠損が起こるってこと?」
「地球に対する向きによってポテンシャルエネルギーに差異が
「え?
まあ、地球にいる動物だね」
象なの?」
「おお、すごい!
そういう、なぞなぞ的思考が必要なの」
「分かった!
あれか。そんなのいるか、で『イルカ』?」
魔獣を」
「なんか、リアルなの想像してるでしょ?
おどろおどろしい
「……」
別の生き物になったよ。さて、なんだ?」
探した。
「ああ、これは難しいよ。烏、牛、山羊が合体したら、
「そうだね。逆に、そうかもね」花音は春樹を励まし、難問を
すいんじゃないかな?」
「……もっと難しい問題にして。その方が、僕には逆に解きや
「答えは『メダカ』なの……」
「まさか……、違うとでも?」春樹は嫌な汗をかいた。
「アンビリーバボー!」
なんだね」春樹はビールを一口飲んだ。
「オーケイ。もうドン
「やっぱり、僕には難問が向いてるんかな」春樹は手を顎に当
春樹は眉間に皺を寄せた。
「それは、この地球上で生じる現
と来いだ。悪いけど、これ以降は全て正解してしまうよ」
有限の幸福な対称性
138
て得意げに言った。
に集めることで狭義の「幸福度」の分布を拡散させるのに対し、
ている。ギャンブルが多数の者の富を少数の「大当たり」の者
対する外的要因の影響度は低いと考えているからだ。
最低限のものにしか手を出していない。自分の場合、幸福度に
尤も、春樹はギャンブルとは無縁で、保険も会社で加入した
を収束させる働きを持つと言える。
保険は少数の「大外れ」の者を他多数で救い「幸福度」の分布
「あ、いや、正解ではないの……」
寝る支度を全て済ませた春樹と花音は、寝室でストレッチを
して身体をほぐしている。
アロマディフューザからはラベンダーの香りが、ラジオから
はクラシック曲が流れている。どちらも花音の趣味だ。
「んぐー」花音は僧帽筋を伸ばしながら答えた。
「パッヘルベ
ばしながら答えた。
「うん」春樹は蛍光灯から垂れている紐を引っ張る。
「電気消して」花音は言った。
ることが重要だ。
(了)
きちんと健全な幸福を求めることと、有限の幸福を噛みしめ
ルのカノンだよ」
「おやすみ、春樹」
「これ、聴いたことある。何だっけ?」春樹は上腕三頭筋を伸
「ああ、これがカノンなんだ。これ、好き」春樹は大胸筋を伸
「おやすみ、花音」
有限の幸福な休日が、また一日終わった。
手を繋ぎ、目を瞑る。
ばす。
「むぐー」花音は広背筋を伸ばした。
「私の名前の由来だよ」
春樹は頷いた。花音の名前には旧姓の方が似合う。野中花音。
秀逸な組み合わせだ。
「ふう、完了」ストレッチを終え、花音は毛布にくるまる。
「来
週は忙しいの?」
「ぼちぼちかな」春樹は明日からのスケジュールを思い描く。
春樹は保険会社に勤めているが、入社前から保険業に特別興
味があったわけではない。保険とはギャンブルの逆だ、と考え
有限の幸福な対称性
理系文芸誌えんそく vol.9
静かの海
編集後記
翔星君、聖子さん、結婚おめでとう。今回は二人の結婚を祝しての発行である。
大学のサークルなど、日本に星の数ほどあるが、僕と翔星はたまたま同じサークルに
所属して出会った。彼は、星の数ほどある酒の席をともに潜り抜けた戦友である。また、
研究室の後輩でもあり、幾多のゼミの前夜をともに過ごした。最も親しく感じる後輩で
あり、最も世話になった後輩でもある。彼の言動はマクスウェル方程式のように洗練さ
れ、嗜好も服装もお洒落で、眼鏡の奥の瞳は理知的な光を放っている。無駄な動きが多
い田舎者の山崎太陽とは月とスッポンである。それにも関わらず、彼は世界で五本の指
に入るほどの山崎太陽の理解者であり、山崎太陽よりも山崎太陽に詳しく、山崎太陽の
モノマネをやらせれば彼の右に出る者は山崎太陽である。山崎太陽に二足歩行と人語と
火の使い方と花を愛する心を教えたのも彼だと言われている。
「山崎太陽の第一人者」
と言っても過言ではない。マニアからは「平成の山崎太陽」と呼ばれているようだ。
そんな彼の特性に甘えて誤解を恐れずに正直に述べると、翔星と聖子さんの結婚を聞
いた時に、僕は「結婚おめでとう」という言葉が頭の中に浮かばず、今回の座談会まで
口にする事も無かったと思う。二人の結婚は勿論喜ばしい事だが、あまりに自然であり、
必然とさえ感じ、特におめでたい出来事だとは考えられなかったのである。卑近な例で
恐縮だが、磁場の時間変化により電場が生じるように至極当然の結果である。わざわざ
「電場発生おめでとう」と喜ぶ者がいないのと同じ理屈だ。
とは言え、この喜びを形にして伝えたいという気持ちは確固としてあり、自分らしく
本誌の発行をもって二人を祝福しようと、多くの人に声を掛けて原稿を集めた。発行の
遅延を大目に見てもらえれば幸いである。その対偶は、「幸いでなければ発行の遅延を
大目に見てもらえない」である。もしも大目に見てもらえないのであれば、では何目に
見てもらえるのか気になって夜も眠れず、平日会社で眠くなるのも仕方ない。
最後に、マクスウェル方程式を示してお祝いの言葉と代えさせて頂きたい。
2009 年 6 月 7 日 えんそく編集長 山崎太陽
Fly UP