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こちら - 日本記者クラブ

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こちら - 日本記者クラブ
汚染水、原子炉の現場を知る
福島原発にクラブ取材団
東京電力福島第一原発と第二原発の現場を直接取
材する日本記者クラブの取材団が 月 日、 日の
日間、原発サイトに入った。 ・ から 年を前に、
全国から法人会員の新聞・放送・通信 社の記者ら
計 人が参加した。スチール、ムービーの映像は代
表撮影だった。
第一原発の免震重要棟に入り、小野明第一所長か
ら 現 況 を 聞 き 質 疑 応 答のあ と 緊 急 時 対 策 本 部 な ど を
見た。バスに乗り、小森明生フェローの説明を受けな
がら汚染水タンクや 号機から 号機の建屋近くを通
り、車内から第一原発の構内を取材した。第二原発で
は 号機原子炉建屋内に入った。使用済み燃料プー
ルを上から見下ろし、原子炉格納容器内部に入り原
子炉圧力容器を真下から見上げた。設楽親第二所長
らとも会見した。 日とも同じ日程。施設により防
護服を着用し、被曝線量を管理した。( 、 ㌻に詳報)
11 1
15
16
リゼ・ケベック州政府国際関係相(
・ )
㌻
﹁カナダは︵独立から︶150 年だが、ケベック
は 400 年の歴史がある。カナダとは違う﹂
・
) 24
1
21
6
㌻
﹁ エ ネ ル ギー立 地 町 と し て 石 炭 の 時 代 か ら 火
力、原子力と東京に電力を送る使命があった﹂
遠藤智・福島県広野町長(
伊澤史朗・福島県双葉町長(
30
7
㌻
7
3
・ ) いずれもYouTube
日本記者クラブチャンネルに会見動画
3
6
3
9
65
3
48
8
1
2
2
今月のことば
﹁双葉郡 町村は戻っているところ︵広野町と川
内村︶、戻ろうとしているところ︵楢葉町︶、ま
だまだ戻れないところの、 つに分かれている﹂
1
1
8
Ⓒ日本記者クラブ2014
2014年2月10日第528号
日本記者クラブ会報
公益社団法人 日本記者クラブ 〒100 - 0011 東京都千代田区内幸町2 - 2 - 1 日本プレスセンタービル TEL. 03 - 3503 - 2722 http://www.jnpc.or.jp/
格納容器の底に立つ
東京電力福島第二原発 3 号機の原子炉圧力容器を見上げる日本記者クラブ取材陣
第一原発と同じ沸騰水型で、この部分からメルトスルーが起きたとされる= 1 月15日 福島県富岡町
代表撮影:小林 健(日本経済新聞写真部)
クラブ月 報
読売新聞 鵜飼哲夫
リレーエッセー
私が会った中上健次さん
18
マイ BOOK マイ PR
19
してほしい。( 、 ㌻に取材団報告)
8
9
人が推薦される
2014年度の日本記者クラブ賞
と同特別賞の会員からの候補推薦は
月 末 で 締 め 切 っ た。「 ク ラ ブ 会 員
または法人会員社に属する個人」が
対象のクラブ賞には 人が推薦され
た。
「原則として会員以外のジャーナ
リストやジャーナリズム活動」が対
象の特別賞の推薦は 人だった。
個人D会員 人で構成する推薦委
員会がまず審査し、ふさわしい候補
を選考委員会(総務委員 人で構成)
に具申する。推薦委は会員からの推
薦がなくても適格と思われる特別賞
の候補を独自に具申できる。選考委
は 月に開き、受賞者を理事会に答
申、理事会が決定する。贈賞式は
月 日、社員総会の日に行う。
クラブ賞候補
(専務理事・事務局長 中井良則)
1
10
記者ゼミ 中国編
染野憲治・東京財団研究員
11
ワーキングプレス
名護市長選
12
沖縄タイムス 儀間多美子
13
韓国 ・ 朴大統領就任 1 年
産経新聞 加藤達也
全国から記者 人
年を前に現場取材 東電福島原発
2
9
7
クラブの基幹を構成するプレスの
法人会員として新たにジェイ・スポー
ツ(東京都)
が入会した。スポ ー ツ 中
継が中心のBS・ケーブルテレビ放
送。 年度に入会した法人会員社は
これで 社、計133社に増えた。
法人会員 ジェイ・スポーツ入会
15
65
早野透
岩見隆夫さんを偲んで
今年の桜は…
3
9
3
東京都知事選立候補者連続会見 3
田母神俊雄氏/舛添要一氏/宇都
宮健児氏
福島の原発サイトに日本記者クラ
ブとして取材記者団を送りたい。昨
2
地方発
14
JR 北海道 相次ぐ不祥事
北海道文化放送 喜多真哉
諫早湾干拓事業 開門調査問題 15
佐賀新聞 大鋸宏信
試写会「小さいおうち」
森脇逸男
20
寄贈書
新年会員懇親会/
「2013 年予想アンケート」結果/
21
最高得点者表彰
だけでなく第二原発も見る。現地で
発電所長ら責任者が会見し、質問に
答 え る。 交 渉 に 時 間 は か か っ た が、
東電も受け入れ態勢を整えた。
取材規制があり、希望がすべて通っ
たわけではない。スチール、ムービーと
もに代表撮影は 社に限定され、担当
者に映像をチェックされた。法律に
基づき「核物質防護設備」の情報が外
部に漏れてはならないから、建屋の
出入り口やフェンスなどは撮影禁止
と指示された。第一原発では免震重
要棟に入れたが、原子炉建屋はバス
から窓越しに見るだけだった。サイ
トを歩き回るためには全員が防護服
を着なければならず、人数の多さと
短い日程ではできないと説明された。
日間で計 人が参加した。ほと
んどが初めての事故現場取材だった。
取材の成果は各紙・局の記事や番組
となったし、これからの報道にも生か
13
7
東京電力 福島第一・第二原発
8 ▶9
取材団報告
年から東京電力に働きかけていたプ
ロジェクトが、事故から 年を前に
ようやく実現した。
東電は廃炉作業の進展や汚染水問
題、政治家の視察などニュースや広
報テーマに応じて現地取材に応じて
いる。だが、在京の全国紙やキー局
でも、あの現場を歩いた記者はそう
多くない。地方紙・局では、機会は
はるかに少ないようだ。日本記者ク
ラブ取材団という形なら、全国から
記者が参加できるし、東電も受け入
れるのではないか。取材組織である
当 ク ラ ブ の 役 割 が 果 た せ な い か と、
東電に協力を求めた。
できるだけ参加者を増やすため、同
じ日程を 日間繰り返す。第一原発
5
1
4
28
クラブゲスト
三木由希子・情報公開クリアリングハウ
ス理事長/秋山弘子・高齢社会検定協会
代表理事、大方潤一郎東京大学教授/
下村博文・文科相・東京オリンピック・
5
パラリンピック担当相
ニューマン・2020 年東京五輪招致プレ
ゼンテーション・トレーナー/森雅子・
特定秘密保護法担当相/リゼ・カナダ
6
ケベック州政府国際関係相
遠藤智・福島県広野町長 /中西友子・
東京大学大学院教授/伊澤史朗・福島
7
県双葉町長
福島第一原発構内をマスク、手袋、靴あてをつけてバス
車内から見学( 1 月15日/小林健日本経済新聞写真部撮影)
書いた話書かなかった話 16▶17
北朝鮮で交通事故に遭った話
鈴木勝利
65
4
2014 年経済見通し研究会
菅野雅明・JP モルガン証券/関志雄・
野村資本市場研究所/ロバート・フェルド
マン・モルガン・スタンレーMUFG 証券/
早川英男・富士通総研経済研究所
3
2
クラブ月報
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 2
た
も がみ
共同会見は断念 連続会見に
14
3 4
17
4
22
(会見順)
司 会: 川 上 高 志 委 員 /
出席:192人/動画
1
とし お
よう いち
都知事選の候補者会見は実現まで
曲折があった。当初は、主な候補
人を一堂に集めた共同記者会見を企
画したが全員がそろわず断念し、
人を個別に招く連続会見に切り替え
た。共同会見が実現しなかったこと
自体がニュースとして報道された。
月 日開催の企画委員会(会田
弘 継 委 員 長 )は 年 の 都 知 事 選 と 同
じように共同記者会見を告示日前日
の 月 日 午 後 に 開 く 方 針 を 決 め、
宇都宮健児、田母神俊雄、細川護煕、
舛添要一の 氏に出席を求めた。細
川氏以外の 人からは 日までに出
席の返事が届いたが、細川氏だけ返
事がこない。
「唯一の論戦の機会とな
る」とあらためて呼びかけた。
日午後になって細川陣営は「参
加できない」と返答。クラブは、 日
夜でも主催できると提案したが、
「別
の日程があり、やはり出席できない」
と断られた。全員がそろわないため
共同会見は開けない。ほかの 人に
は事情を説明し、 日午後、 分ず
つの連続会見となった。
日程の確定は 日夜となり、会員
と報道各社にはメールとファクスで
臨時の案内を送った。はがきの案内
は間に合わなかった。 (中井良則)
1
20
田母神 俊雄 候補
ます ぞえ
司 会: 川 上 高 志 委 員 /
出席:226人/動画
けん じ
東京新聞出身 塚田
博康
ネルギーの開発と並行して漸減する
とし、宇都宮氏は原発のない社会を
東京から発信すると述べて、それぞ
れの違いが際立ちました。
福祉では、舛添氏が母の介護や厚
労相の経験を踏まえて、ご近所同士
の助け合い組織化などの着想を披露。
宇都宮氏はアベノミクスが必ず破綻
するという視点から貧困や格差是正
への決意を述べ、田母神氏は少子化
対策として、 歳まで母親が面倒を
見る体制づくりなどを唱えました。
五輪では、宇都宮氏が前提となる
近隣諸国との友好増進を主張。田母
神氏は五輪を機に災害に強い街づく
りを、と述べ、舛添氏は、自身の運
動体験を踏まえて身障者スポーツへ
の公的助成強化などを語りました。
氏とも熱弁で、同日夕、都庁で
初の公式記者会見をした細川護煕氏
が、原発反対を語るときとはうって
変わって、 億円受け取り問題で用
意したメモを読む慎重さをみせたの
とは対照的な印象でした。
人のお話だと、防災はじめ、五
輪関連や老朽都市基盤のための公共
投資、少子・高齢化対策などに必要
な膨大な財源、人材の確保といった
都政の基本についてのご理解は、十
分とはいえず、不安が残りました。
3
1
舛添 要一 候補
う つの みや
宇都宮 健児 候補
司 会: 瀬 口 晴 義 委 員 /
出席:140人/動画
本稿がお目に留まる頃には、東京
都知事が誰になったか決まっていま
す。
「六日のあやめ、十日の菊」とは
このことでありますね。
告示の前日に個別
連続会見が行われま
したのは、主な立候
補予定者がそろわな
かったせいで、究極
の後出しジャンケン
だったことが一因で
しょう。有権者に、そ
れぞれの主張を比較
検討していただく機
会をつくれなかった
のは、まことに残念
です。
さて、出席いただ
けたのは田母神俊雄
元航空自衛隊幕僚長、
舛添要一元厚生労働
大臣、宇都宮健児元
日本弁護士連合会長
の方々です。論点は
と り ど り で し た が、
大 ま か に い え ば「 原
発」「防災」「福祉」「東
京五輪」ということになるでしょう。
原発では、田母神氏が放射線の危
険性が誇張されているという立場か
ら推進を主張。舛添氏は再生可能エ
3 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
3
4
㊌
論点とりどり 3氏の描く首都・東京
東京都知事選立候補者連続会見
3
22
50 3
12
22
20
フェイスブック、ツイッターでホームページの更新情報をお知らせしています
ク ラブゲスト
1.22
1・27(月)研究会④/
司会:水野裕司委員/
出席:85人/動画/会
見詳録
1・27(月)研究会③/司会:
大信田雅二委員/出席:96
人/動画/会見詳録
4
6
3
9
4
7
11
●チャ
イナリスクは
世界的危機招かず
富士通総研経済研究所
エグゼクティブ・フェロー
(元日銀調査統計局長)
●いずれ起きる「大地震」に備えを!
「 年前の登壇時は日銀調査統計局
長だったので踏み外さないよう大変
だったが、今回は自由に話させていた
だく」との前置き通り、大胆な発言で
沸かせた。
「日本経済最大のリスクは
財政赤字」と言い切り、
「デフレ脱却が
視野に入ってくると長期 金利は最 低
でも %程度に上昇し、国や金融機関
は多大なダメージを被る」と続けた。
対GDP比 率でギリシャを上回る
国債残高を抱えながら日本の財政が
維持されてきたのは、
「国債のほとん
どが国内で消化されていたことと、デ
フレ・低金利で利払い費用が増えな
かったことによる」と分析。
「高齢化
による貯蓄率の急落や構造的貿易赤
字により国債安定消化の基礎は崩れ
かけ、税収が歳出の半分しかない日
本では、デフレ脱却が実現してもプ
ライマリーバランスすら改善しない」
と警告した上で、
「
(Xデーは)
大地震
到来に近い世界。いずれ起きる、と
いまから歳出削減など抜本的な対策
を講じ備えるべきだ」と呼びかけた。
(八牧)
ひで
モルガン・スタンレー MUFG証券
マネージングディレクター
チーフエコノミスト兼債券調査部長
●将来、超インフレの危機も
13
時事通信出身 八牧 浩行
お
早川 英男
はや かわ
44
7
3
ロバート・フェルドマン
今年の日本経済の最大の焦点は
月の %への消費税引き上げの影響。
初来日以来 年の米国出身ベテラン
経済ウオッチャーの見立ては「 ~
月期に落ち込むだけでなく ~ 月
期も回復できない」と悲観的だった。
この日、日本の 年の貿易収支が
年連続で赤字となり、しかも 兆円超
に達したと発表されたばかり。巨額財
政赤字にあえぐ中で、将来年間経常
収支も赤字となり、デフォルト(債務
不履 行)
やリスケジュール(債 務 返済
繰り延べ)
の危機に陥るのでは?との
質問も飛び出した。回答は「大幅なイ
ンフレになる。これは一種のデフォル
トといえる」と衝撃的。頼みのアベノ
ミクスに対しても、
「哲学(理念)
はA
だが内容はB、実行はC」と辛口。イ
ノベーション(革新)
による成長を志向
した点を評価したものの、
「財政支出
や規制緩和など多くの面で既得権益
層に斬り込めず、構造改革が進んで
いない」と苦言を呈した。
8
JPモルガン証券
チーフエコノミスト
●予期せぬリスクに注意
1・24(金)研究会②/
司会:村田泰夫委員/
出席:110人/会見詳録
中国経済の抱える危機がいつ現実
化するのか、不安が高まっている。バ
ブル化した住宅価格が、いつまでも
上がり続けることはない。バブルを
支えているシャドーバンキングは、い
ずれ行き詰まる。土地の譲渡で潤っ
ていた地方政府の財政は、バブルが
はじければ破綻する。
中国発の世界危機が心配されるゆ
えんだが、関氏は「シャドーバンキン
グが破綻しても、世界経済の全面的
危機を招くことはない」とみる。
国の規制を逃れて巨額の融資をし
ているシャドーバンキングの破綻は、
金融システムの危機を招いた日本の
住専の破綻を思い起こす。しかし、関
氏は、シャドーバンキングが破綻し
ても、中国の銀行本体の財務状況は
良好で損失をカバーする体力がある
し、そもそも国有銀行だから政府が
支援に乗り出すという。
だから、システミックリスクを顕
在化させないとみる。そうであるこ
とを切に願うしかない。 (村田)
関志雄
まさ あき
の
かん
1・20(月)研究会①/
司会:安井孝之委員/
出 席:125人/動 画/
会見詳録
世界経済は波乱含みだ。一見好調
な米国経済だが金融緩和の縮小とい
う爆弾を抱えているし、南欧の財政
危機をしのいだ欧州ではデフレ圧力
が強まっている。中国はバブル化し
た経済をいかに軟着陸させるか、か
じ取りが難しい。
こうした予見できるリスクは、お
そらく顕現化させずにクリアできる
だろうと菅野氏は楽観的にみる。低
インフレ下の金融緩和が世界や日本
の景気を下支えしている。
しかし、落とし穴はある。注目して
いなかった国で破綻が表面化し、それ
をきっかけに、新興国から資金を引き
揚げる動きが出てきて、大きなパニック
を招くことがあるかもしれないという。
菅野氏の予感は、現実のものとなっ
た。会見の数日後、アルゼンチンペ
ソが急落し、トルコや南アフリカの
通貨下落に波及した。米国の金融緩
和の縮小が背景にあり、新興国の通
貨の「変調」から目が離せない。
野村資本市場研究所
シニアフェロー
菅野 雅明
村田 泰夫
企画委員 朝日新聞出身 KWAN Chi Hung
クラブゲス ト
日本記者クラブチャンネルに会見動画
2014 年経済見通し
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 4
フェイスブック、ツイッターでホームページの更新情報をお知らせしています
ク ラブゲスト
み
き
ゆ
き
こ
三木 由希子
情報公開クリアリングハウス理事長
情報公開を対抗軸に、メディアも主張を
ひろ
高齢社会検定協会
あき やま
じゅん いち ろう
こ
おお かた
秋山 弘子 代表理事
大方 潤一郎 東京大学教授
長寿社会生きる知恵 新時代のスキルとなるか
・ (火)記者会見/司会:露木茂委
員/出席: 人/動画
しも むら
文部科学相
東京オリンピック・パラリンピック担当相
はく ぶん
下村 博文
山積する難題
「言葉のコントロール」でこなせるか
・ (水)記者会見/司会:川村晃司委員/出席: 人/動画
15
下村氏の強みは、言葉のコントロール感にある。
この日、2020年東京五輪・パラリンピックに、
世 界 文 化 遺 産 の 富 士 山 な ど を 加 え、 ス ポ ー ツ・ 文
化融合型の構想を披露した。
「東京一極集中を加速
させるのではない」とくぎを刺し、東北の復興にも
配 慮 し な が ら、 選 手 の 練 習 拠 点 の 分 散 化 や 観 光 イ
ベントを展開し、経済波及効果については「150
兆 円 を 超 え た い 」と 打 ち 上 げ た。 与 え ら れ た 分
間 き っ ち り で 話 を 終 え 質 疑 応 答 に 移 る あ た り は、
余裕の表れだ。
年前、文科省は手強いボスを迎えた。幼くし
て父を失い、遺児奨学金などで進学した下村青年
は、大学在学中に塾を開き、政
治に目覚めた。文科相は宿願の
ポ ス ト。 政 策 の 質 や 部 下 の 動 き
に厳しくなるのは当然で、いま
や文科省職員にとって大臣レク
チャーは緊張の連続だ。
最近、難題もみえてきた。首長の権限を強める
教 育 委 員 会 改 革、 全 国 学 力 テ ス ト の 学 校 別 結 果 開
示解禁、そして、わずか 回の審議で決まった教
科書検定基準見直し。激しい反論や異論にも、下
村氏は言葉の精度を維持できるのか。真価が問わ
れるのはこれからだろう。
隆
30
14
9
超高齢社会といわれて久し
いが、高齢化の現状や課題解
決策を個人が学ぶ機会は限られていた。
こうした中、東大高齢社会総合研究機構の協力
で設立された高齢社会検定協会が、高齢社会の総
合的な知識を問う「高齢社会検定」を昨年 月に初
めて実施した。第 回検定には、全国から512
人が挑戦。高齢化の現状や年金・医療、住居から
死生観まで幅広い問題に取り組んだ。「将来は英語、
情報通信技術と並ぶスキルとなるよう裾野を広げ
たい」と秋山弘子代表理事。名刺に「高齢社会エキ
スパート」の 称 号 を 刷 り 込 み、 長 寿 社 会 に 生 き る
知恵の伝道者を任じる合格者も多いという。
第 回 は 今 年 月 日、 東 大 駒 場 で 行 わ れ る。
気になる出題は次のようなものだ(一部改題)。
問題「2030年までに予測される人口および世
帯の変化の特徴として、正しいものを選びなさい」
①特に 歳~ 歳までの高齢者が増える。
②今後増える高齢者は女性より男性が多い。
③独居高齢者は2030年まで増え続ける。
正解③。新時代のスキルに、会員諸兄も挑戦を!
13
・ (木)研究会「特定秘密保護法」/司会:軽部謙介委員/出
席: 人/動画
3
72
毎日新聞社会部 福田
5 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
1
9
74
読売新聞調査研究本部主任研究員 渡辺 覚
2
31
65
1
特定秘密保護法をめぐるシリーズの 人目は、長
年、公的機関の情報公開問題に取り組んできたN
PO法人の代表だ。政府の説明責任という視点か
ら、保護法の危うさを語った。
昨年の保護法案の国会審議と
その報道は、法案自体がはらむ
問題点に集中しがちだった感が
ある。三木さんは、議論の出発
点 と し て「 政 府 が い か に 説 明 責 任 を 果 た し て こ な
かったか」を強調し、
「保護法で『秘密』の範囲が広
がり、情報公開制度など説明責任に関する仕組み
に悪影響を及ぼす」ことを指摘した。
政府が説明責任を果たすには、①政府の活動の
記録②記録の適切な管理③記録の公開、の 点が
欠かせない。①と②は公文書管理法、③は情報公
開法が絡むが、ともに歴史は浅く、脆弱だ。
保護法は廃止を求めていくべきだが、与党多数
の国会では見通しは暗い。
「ならば、情報公開の強
化という、もう つの対抗軸を」という訴えには、
説得力がある。
「私たちは、そういう思いで活動を続ける。ジャー
ナリズムも、政府を開いていく取り組みがもっと
必要では」という問いかけを、重く受け止めた。
4
朝日新聞論説委員 田中 雄一郎
1
1
1
1
2
57 9
2020年東京五輪招致プレゼンテーション・トレーナー
マーティン・ニューマン
もり
まさ
こ
森 雅子
特定秘密保護法担当相
カナダ・ケベック州政府国際関係相
ジャン・フランソワ・リゼ
大きな自治権 「独立は運命」と明言
28
疑問解消ほど遠く メディアは権力監視を
17
「お・も・て・な・し」 合掌の秘密
・ ( 火 )記 者 会 見/司 会: 中 井 良 則 専 務 理 事/通 訳: 角 田
実/出席: 人/動画
40
文隆
時事通信解説委員 市川
2
・ ( 金 )記 者 会 見/司 会: 小 栗 泉 委 員/出 席:111 人/
動画
1
カナダ・ケベック州政府在日事務所の創設 周
年(昨年)の機会に、企業や大学などの代表者とと
も に 来 日。 記 者 会 見 で は、 カ ナ ダ の 州 で あ り な
がら、フランス語を公用語とし、大きな自治権を
背景に経済、政治、文化で独特の存在感を示すケ
ベック州をアピールした。
「大臣の在任期間よりジャーナ
リ ス ト で あ っ た 時 期の方がずっ
と 長 い 」と 言 う メ デ ィ ア 出 身 の
リゼ氏。記者の質問にも、要領
を得た受け答えだった。
移民の増加が続くケベック州では、公務員が宗
教的な服装で勤務することを禁止する州法案が論
議されているが、「宗教を抑圧する」との反対運動
が起きている。このことを聞かれたリゼ氏は、
「ケ
ベック政府の中立性を守る中での話。フランスで
は既に導入されて、問題は生じていない。これか
らもこういう規則を適用していく」と語った。
独 立 志 向 の 強 い ケ ベ ッ ク 州 は 過 去 回、 独 立 の
是非を住民投票にかけ、 回目の1995年には
賛成が %にも達した。リゼ氏自身も独立を志向
する州議会与党ケベック党に属しており、会見で
は「(ケベックの独立は)運命だ」と明言した。
21
49
1
「特定秘密保護法」が公布され、 年以内の施行
に向けて準備が進んでいる。安全保障環境が厳し
さを増す中、米英などから高度な秘密情報をもら
うには情報漏えい防止の仕組みが極めて重要であ
ることは大臣の説明を待つまでもない。
この一方で、この法律に対する国民の疑念や不
安は払しょくされてはいないのも事実。森大臣は
記者会見を国民に丁寧に説明し理解してもらうた
めの一環だとし、カラー刷りの資料を示しながら
「曖昧だった秘密指定が初めてルール化された」と
その意義を強調した。そして、政治家や官僚によ
る恣意的な秘密指定への懸念など、国民から寄せ
られたとする疑問をいくつか紹
介し、いずれについても「懸念や
批判はあたらない」と主張した。
そもそもこの法律、テロの定
義など条文上の問題も多く指摘
されているが、大臣は、法の改正でなく運用基準と
政令を定めていく中で対処していく考えを示した。
会見は大臣から直接説明を聞く貴重な機会では
あったが、疑問解消にはほど遠かったというのが印
象だ。法律はその政権だけのものではない。この先
も国 会での議 論は続く。権 力を監視するジャーナ
リズムの役割は重い。
尚
NHK解説委員 津屋
1
・ (木)記者会見/司会:宮田一雄委員/通訳:森岡幹予/
出席: 人/動画
2
1
昨年の流行語大賞にもなった「お・も・て・な・し」
に実は、違和感を持っていた。東京五輪招致を実
現した昨年 月の最終プレゼンテーションで、滝
川 ク リ ス テルさ んは 同 じ 言 葉 を
繰り返し、 度目には合掌して顔
を伏せた。これは「おもてなし」
にふさわしいポーズなのかな、と。
プレゼンを指導したニューマ
ンさんは会見で「あれはナマステだったのです」と
その秘密を明かした。インド生まれのニューマン
さ ん は「 東 京 五 輪 の 招 致 は、 ア ジ ア の 招 致 で も あ
ることを示したかったのだ」と言う。インドのあい
さ つ の 言 葉 で あ り、 感 謝 の 気 持 ち も 表 す「 ナ マ ス
テ 」だ っ た と 聞 け ば、 滝 川 さ ん の 表 情 に も オ リ エ
ンタルな印象があったな、と思えるから不思議だ。
安 倍 晋 三 首 相 が 原 発 の 汚 染 水 問 題 に つ い て「 安
全」を約束した「アンダーコントロール」演説につ
い て は、
「 あ れ が な け れ ば、 こ の 結 果 は な か っ た
でしょう」とも分析した。
会 見 後、 ニ ュ ー マ ン さ ん は「 皆 さ ん の 顔 が と て
も怖かった」と話した。会場には十分な笑いもあっ
たように感じたが、プロの目に映ったその光景は、
日本の記者の反省点かもしれない。
9
16
75
企画委員 産経新聞論説副委員長 別府 育郎
1
2
クラブゲス ト
日本記者クラブチャンネルに会見動画
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 6
なか にし
とも
こ
中西 友子 東京大学大学院農学生命科学研究科教授
風評被害に負けない 「土壌汚染」正しい管理で農業は可能
い
ざわ
し
福島県双葉町長
ろう
伊澤 史朗
中間貯蔵施設 受け入れは白紙状態
・ (木)福島県双葉郡首長会見⑦/司会:星浩委員/出席:
人/動画
30
町の %が帰還困難区域に指
定 さ れ て い る 双 葉 町。 昨 年 月
に公表された町の調査では、
割 の 町 民 が「 現 時 点 で は 戻 ら な
い 」「 判 断 が つ か な い 」と 回 答 し
た。 そ れ で も 伊 澤 町 長 は「 復 興 の ゴ ー ル は、 双 葉
町への帰還と町の復興。 人でも戻ろうという人
が い る の で あ れ ば、 戻 る た め の 努 力 は 続 け る べ き
だ」と力を込めた。
約 千 人 の 町 民 は、 全 国 都 道 府 県 に 分 散(
月 日現在)
。コミュニティーの維持や賠償問題な
ど難題が山積する中、昨年 月に町長に就任した。
こ の 年 間 で、 埼 玉 県 加 須 市 に あ っ た 役 場 機 能 を
いわき市に移し、町の復興計画を策定。復興に向
け て モ デ ル 除 染 や 学 校 の 再 開 を 進 め て い る が、 町
長 の 頭 を 最 も 悩 ま せ る の が、 中 間 貯 蔵 施 設 の 受 け
入 れ だ。 帰 還 を 目 指 す 上 で 判 断 は 難 し く、「 現 在
は白紙の状態」と強調した。
「町長を突き動かすものは」と聞かれると、それ
までの厳しい表情を崩し、涙を拭った。
「私は単純
な人物。
『町民たちの苦しみや現状を一番わかって
いるのは自分だ』と勝手に思っている」。自分に言
い聞かせるような口調に、大きな使命感と復興へ
の強い覚悟を感じた。
紗苗
東京新聞さいたま支局 増田
12
8
1
96
1
39
3
・ (水)著者と語る﹃土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆ
くえ﹄/司会:島田敏男委員/出席: 人/動画
3
52
11
「汚染」という概念を正確に理解する必要がある。
これが中西教授がまとめ役を務める東大農学部チー
ムの発信の柱だ。
カドミウムなどの重金属の場合は水に溶けて拡
散 し、 食 物 か ら 人 間 の 体 内 に 入 っ て 害 を 及 ぼ す。
しかし放射性物質の場合は土がしっかりと受け止
めるため、そこに作物を植えても放射性物質をほ
とんど吸わない。従って、 ・
事 故 の 影 響 を 受 け た 地 域 で も、
植物を育む土壌を捨て去ること
なく、適切な管理で農業を継続
することは可能だと指摘した。
事故からまもなく 年。農業県である福島は、い
まも風評被害と闘っている。出荷米の全袋検査を
行い安全性を確認して市場に出しているが、大消
費地の理解はどこまで深まっているのか? 特産
の り ん ご や 桃 も 同 様 だ。 中 西 教 授 は「 時 と 共 に 次
第に減っていく放射性物質を土の中で管理しなが
ら、土がもたらす恵みを以前のように享受するこ
とはできる。このことを消費者に知ってもらうこと
が大切だ」と説く。福島の農業再建の道標だろう。
第一原発周辺の立ち入り制限区域まで含めると全
ての農地の再生は困難だろう。しかし科学の裏付け
によって少しでも再生農地が増えていくことに期待
企画委員 NHK解説主幹 島田 敏男
したい。
3
29
さとし
フジテレビ報道番組部長 清水 正樹
7 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
6
2
58 1
7
21
1
3
1
1
えん どう
11
35
24
遠藤 智 福島県広野町長
震災からまもなく丸3年 帰町への道のり遠く住民にストレス
3
・ ( 金 )福 島 県 双 葉 郡 首 長 会 見 ⑥/司 会: 瀬 口 晴 義 委 員/
出席: 人/動画
0
1
「避難生活から帰町へ」
。遠藤町長は終始、丁寧
な語り口で自らの使命を語った。
、
「職」(雇
昨年 月に町長に当選して「医」(医療)
用)
、
「住」(住居)
の充実こそが住民帰還に必要だと
訴える。町が行った住民への意
識調査では「町に帰りたい」が
割、
「わからない」 割、
「帰らな
い」 割。広野町は、すでに緊急
時避難準備区域の指定が解除さ
れており、いまもエリア内への立ち入りが制限さ
れている近隣町村に比べて「帰りたい」と考える人
の割合が多いようだ。しかし今年 月の段階で町
に戻った人は約1300人。震災前の住民の 割
強にとどまっている。しかもその多くは高齢者で
ある。家族が元通りの生活をするための道のりは
遠く険しい。
なるほど、と思わされたのは除染や廃炉作業員の
受け入れ問題だ。住民の帰町が進まない中、除染や廃
炉作業のため町内に居住する関係者は実に約240
人。多くの見知らぬ人が町内に居住していること
で、住民にさまざまなストレスが生じているようだ。
まもなく大震災から丸 年だが、被災地はいま
も課題山積。
「震災から 年」を決して記念日報道
にしてはなるまいとあらためて思った会見だった。
1
3
フェイスブック、ツイッターでホームページの更新情報をお知らせしています
ク ラブゲスト
3号機
4号機
2号機
65
1
4
対策の現状と課題をテーマに見
【事前 勉強 会】
第一原発の汚染水
学ルート・施設の説明を受けた。
資源エネルギー庁原子力発電所
4号機海側
非常
乾式キャスク保管
庫 5・6号機海側設備
用ディーゼル発電機6B
鉄塔倒壊現場
夜ノ
号
森線(5、6号機への電源供給線)
●福島第二原子力発電所
▼研修棟シミュレータ室▼
浸水口などを確認▼ 号機海水
上ルート、ディーゼル発電機への
機原子炉建屋南側道路:津波遡
1
熱交換器建屋(北側)
▼ 号機原
階オペレーティン
階原子炉格納容器内
グフロア(使用済み燃料プール)
/
子炉建屋▽
3
1号機
2
▽ 月 日(金)
講師:新川達也・
事故収束対応室長、松本純・東
外観 4号機原子炉建屋 1 ~
8
1
16
3
京電力原子力・立地本部福島第
一対策担当部長(クラブ宴会場)
【見学内容・場所】
●福島第一原子力発電所
見学ルート
(図中・赤表示)
免震重要棟(以
下バス車内から視察) 原子炉注
乾式キャスク仮保管
地下水バイパス揚水井
滞留
設備 多核種除去設備
(ALPS)
事務本館
水ポンプ・処理水貯蔵タンク
3
2
水処理設備制御室 1~4号機
7
10
14 13
11
東京電力福島原発取材団
15
10
5
1
12
1
1
6
団の 受 け 入 れ
例 は な く、 道
のり は 平 たん
ではなかった。
事前準備では、
事務局と東電が入念な打ち合わせを何
度も何度も重ねたうえで、ようやく実
現にこぎつけた。
第一原発では、むちゃくちゃに壊れ
た ~ 号機の原子炉建屋にはカバー
などがかけられ、無残な姿はもう見る
ことができなくなっていた。津波で押
しつぶされたタンクや車も、後片付け
が進み、一部が残っている程度だった。
写真上 福島第一原発の構内に並ぶ汚染水を入れた貯蔵タンク
( 1月15日/大熊町)
写真下 福島第一原発の免震重要棟内の緊急時対策本部で作業
する東電社員ら( 1月15日/大熊町)
第一と第二の「いま」を見る
月 、 日の 日に分けて、事務
局スタッフも合わせ総勢 人の取材団
が、東京電力福島第一原発と、そこか
ら キロ離れた第二原発に入ることに
なった。
事故から 年が経過する第一原発と
大事故を免れた第二原発。その「いま」
を率直に見て回ろうというのが主眼だっ
たが、同原発でこれだけ大規模な取材
5
9
ただ、建屋近くで毎時600㍃シー
ベルトを示すなど、依然として現場は
被曝との闘いであることも感じさせた。
建屋内では死に至る高レベルの場所も
あり、建屋内での収束作業はあまり進
んでいなかった。
汚染水タンクが所狭しと並べられて
いた。
「政府が描く ~ 年の工程で廃
炉作業を終わらせるのは至難の業だ」
というのが実感だった。
第二原発は、津波による浸水はひど
かったが非常用電源の機能が維持され
るなど幸運も重なり、炉心溶融や原子
炉建屋の破壊は起こらなかった。廃炉
にしないのかとの質問に、東電担当者
は「未定としかお答えできない」と答え
るにとどめた。
海
4
6
服部 尚
バス乗降場所
30
7
6
3
1
15
入退構ルート
40
4
14
8
朝日新聞編集委員
団長(企画委員)
11
13
12
2
10
12
9
2
6号機
5号機
福島原発取材 団
事故から 3 年
東京電力提供図を元に作成
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 8
福 島原発取材団
写真右 燃料取り出しが始まった福島第一原発の
●事態の異常さ肌で感じる 東電福島第一原発に入るのは
初めての経験だった。主にバ
ス内からの見学だったが、事
故発生から 年近くたった現
場を間近で観察し、その空気
を肌で感じることができた。
~ 号機が並ぶ海岸沿い
の道路脇には横転したクレー
ン車が放置され、がれきの撤
去作業がなかなか進まないこ
とを示している。バスが水素
爆発を起こした 号機に近づ
いた際には、同乗する東電社
員が読み上げる放射線量が毎
時600㍃シーベルトまで上
昇した。被曝の危険にさらさ
れる中、これから何十年も続
くであろう廃炉作業を思う
と、気が遠くなる。
印象的だったのは、免震重
要棟内の壁に貼られた、日本
全国から集まった激励の寄せ
書き。過酷な現場の士気を維
持するためだろう。夜が迫る
中、帰りのバスの窓から見え
る原発周辺の景色は明かりひ
とつない。眼前に広がる闇が、
事態の異常さを物語っていた。
1
4
3
3
アレキサンダー・マーティン
ウォールストリートジャーナル東京支社
9 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
【写真=代表撮影 小林健日本経済新聞写真部】
号機( 月 日/大熊町)
1
15
写真左上 福島第一原発の建屋の海側に設置された遮水壁( 月 日/大熊町)
1
15
号機の原子炉内オペレーションフロアから臨む
使用済み燃料プール。右下は制御棒( 月 日/富岡町)
写真左下 福島第二原発
15
●原子力政策の〝縮図〟
目の当
たりに 千基に上る汚染水
のタンク群に圧 倒された。取
材団の一員として初めて東電
福島第一原発に入り、原発事
故の後始末の難しさをあらた
めて痛感した。
これまで汚染水問題は、タ
ンクからあふれた量や検出さ
れた放射能濃度など「漏れ」に
目がいくことが多かった。し
かし、あのタンク群を見れば、
そもそもたまり続ける汚染水
をどうするかが最大の課題だ
と気づく。今もタンクを ・
日に 基造り続けなければ
いけない。トリチウムをどう
するかもまだ答えがない。
私は、北海道に処分の研究
施設がある「核のごみ」高レベ
ル放射性廃棄物の問題を取材
の中心に据えている。核のご
みの行き場のない原子力政策
は「トイレなきマンション」と
揶揄されるが、汚染水をため
込んだ福島第一原発こそ行き
詰まった原子力政策の縮図だ
ろう。汚染水タンクは巨大な
「おまる」に見えた。
2
関口 裕士
4
1
5
1
1
北海道新聞報道センター
3
●現場知らずの判断はない 当 た り 前だが、現場には緊張
があった。 空 間 線 量 の 最 大 値
は福島第一3号機横の毎時6
00㍃シーベルト。それがど
のくらい怖いことか、東 京 に
いてはわからない。
当たり前だが、帰宅困難地
域には人影がなかった。遺棄
された家屋、店舗。放射能汚
染土を詰めて野積みされたコ
ンテナバッグ。いわき市から
原発へバスで北上中、手元の
線量計の数字がグングン上が
る。この気味悪さが、遠くに
いてはわからない。
防護服、軍手とゴム手袋二
重装着の圧迫感、素足に履く
作業用靴下の感触。厳格な身
元チェック、撮影制限、 種
類の入構証、施設進入時の携
行品検査、退出時の被曝検査
──。頭ではなく、身をもって
知る機会を得た。
原発をどうするか。机上の
議 論 で 決 め る こ と で は な い。
現場を知らず、現実を忘れて
判 断 す る わ け に は い か な い。
あらためてそう思った。
山田 孝男
毎日新聞専門編 集 委 員
2
中国編 記者ゼ ミ
つながった実例を挙げた。
環境協力にも
氏の資料によれば、日
本の環境省にあたる国家
安定した
日中関係が必要 環境保護部の職員数は3
57人(2012年 )
。環
境省が1500人である
ことをみれば人員不足は否めないが、
地方政府レベルを含めると全土で5
万人規模の〝環境保護体制〟
が存在す
るという。またメディアも体制批判
を避けやすい環境ネタには積極的で、
NGOの動きも活発化している。こう
した背景から、北京や上海など大都市
圏では大気汚染が改善しているデータ
がある一方で、地方都市との「環境格
差」が拡大していると警鐘を鳴らす。
地方では測定の専門家が不足する
など〝サイエンス領域〟
で日本が協力
できる余地はあると提起するが、ウィ
ンウィンといわれる環境分野でさえ
「安定的な日中関係」が必要であると
楽観論には釘を刺す。中国は欧米か
ら最新技術を吸収しビジネスの輪を
広げている。環境における「中国包
囲網」はないに等しく、日本の次の
一手が問われていると感じた。
18
5
7
4
山川 友基
読売テレビ報道局解説デスク
・ (火)
「中国の環境問題から見える
中 国 社 会 の 縮 図 」/司 会: 吉 田 克 二 特 別
企画委員/出席: 人/会見詳録
14
けん じ
そめ の
次は韓国・北朝鮮
ゼミはニュースにいちいち反応する
のではなく、その奥にある中国の現
実や考えを主に取り上げてきた。
新たに始まる朝鮮半島編も狙いは
変 わ ら な い。 気 鋭 の 講 師 を 招 い て、
韓国、北朝鮮をアジアの中でとらえ
ていきたい。
会 見 詳 録の活用 を これまでの「記 者ゼミ」
の詳録 本をウェブ上に公開しています。「中
国のいま」を読むことができます。クラブウェ
ブサイトのトップページの「会見 詳 録」ボタ
ンからアクセスしてください。
記者ゼミ
アジアを深掘りしてきた「記者ゼ
ミ」は 月から、朝鮮半島編に入る。
中堅記者を対象にした勉強会が続く。
記者ゼミは昨年 月、アジアシリー
ズを中国編でスタートした。今年
月の環境テーマまで 回を数え、延
べ 社の305人が参加した。
8
これまでのゼミ生はもちろん、新
たな参加者をお待ちしています。
1
この間、日中関係は波風がおさま
らず、冷たいニュースが多い。記者
※いずれも14:00から、プレスセンター 9 階日本記者クラブで
※参加希望者は[email protected]へ
2
6
11
① 2 月24日(月)
「なぜ韓国はIT大国になったのか」小倉紀
蔵・京都大学大学院教授 朝鮮半島に根付いた儒教思
想は、IT大国となった今日も変わらないのか。それと
も、その韓国人の儒教的世界観こそがITにフィットした
のか。いまに息づく韓国の心性を知りたい。
「金正恩政権の現状」礒﨑敦仁・慶応大学
② 3 月11日(火)
専任講師 金正日総書記の死去からはや 2 年余り。当
初「集団指導」と評されることもあった後継体制は、対
外強硬姿勢をみせた後に、突如として経済重視・対話
モードへとシフトした。軍総参謀長や張成沢氏の粛清
をはじめ、幹部人事はめまぐるしい。金正恩政権は安
定しているのか、不安定なのか。実像に迫る。
「朴槿恵政権を解剖する」陳昌洙・韓国世
③ 3 月26日(水)
宗研究所日本研究センター長 朴槿恵大統領との日韓
首脳会談ができない。領土問題、歴史問題だけが原因
だろうか。それとも、日本の優先順位が下がっている
のだろうか。朴大統領の考えを解剖する。
「激動する東アジアと韓国新戦略の行方」道
④ 4 月24日(木)
下徳成・政策研究大学院大学准教授 中国の強国化と海
洋進出が目立つアジア。日米韓の視線は中国へ移りつつあ
るのだろうか。朝鮮半島の緊張は二の次となったのだろ
うか。朝鮮半島、東アジアの安全保障環境の変化を探る。
25
■記者ゼミ 「アジアの国々はいま」朝鮮半島編
ゼミ
30
「中国の環境問題は勉
強すればするほどわから
ない。中国社会のわかり
にくさと相似形にある」
。
冒頭、染野氏が発した言
葉である。私は環境スペ
シャリストの意外な本音
を探ろうと、氏の話に引
き込まれていった。
中国の環境問題は急速な経済発展
と切り離せない。都市化の進展、家
電製品や自動車の増加などライフス
タイルの変化が環境への負荷を強め
ている。環境省職員として北京駐在
を経験した氏の分析はリアリティー
に溢れている。
PM2・ に象徴される大気汚染
では「石炭」に偏ったエネルギー構成
に着目する。
エネルギー総消費量は、この 年
で 倍以上に膨張したが、石炭の割
合は全体の 割程度でほとんど変化
がない。またリーマンショック後に打
ち出された 兆元の経済対策では、過
剰投資が地方で起こり、環境破壊に
1
⑪
記者
染野 憲治 東京財団研究員
5
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 10
惜 別
10
3
11
3
⃝第209回施設運営委員会
( ・ 小会議室)
消費税アップ後の料金表示につ
いて協議した。昨年 月、 月の
アラスカ売り上げと貸室利用状況
について事務局が報告した。
出 席 粕 谷 委 員 長、 貞 森、 歌 川、
清水、吉澤、西野、五十畑の各委員。
2
12
23
11
1
1
16
ジェイ・スポーツの法人入会を
承認した。
1
60
7
1
「新聞」を愛し「書く」ことを
愛した岩見隆夫さん
11 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
18
⃝第437回会員資格委員会
( ・ 小会議室)
ジェイ・スポーツの法人会員入
会を含む 月 日付入会を審議
し、理事会に答申した。
出席 小田委員長、中島、原田、辻、正
籬、播摩、玉置、山本、國府の各委員。
⃝第544回理事会(書面)
⃝第437回企画委員会
( ・ 宴会場)
都知事選についての対応を協議
し た ほ か、 総 会 記 念 講 演 の 講 師、
今後のゲスト候補などを検討した。
出席 会田委員長、星、安井、服部、
坂 東、倉 重、脇、杉田、川上、長
谷 川、 瀬 口、 宮 内、 島 田、 竹 田、
杉 尾、 和 田、 露 木、 村 田、 山 岡、
吉田の各委員。
きに、岩見さんが新宿の行きつけ
の小料理屋に誘ってくれてコラム
執筆の苦労やコツを教えてくれた。
岩見さんと同じ火曜日朝刊にぶつ
けるのだから武者ぶるいがしたも
のである。
岩 見 さ ん を 中 心 に 毎 日、 読 売、
朝日の 人で「コラムニストの会」
なるものをつくって、折々、総理
大臣を呼び出して話を聞いた。杯
を重ねて、ただの放談会になった
りもした。毎春の四谷の土手の花
見の宴「岩見桜」には、私もたいが
い参加した。今年はどうなるのだ
ろう。
「 新 聞 」を 愛 し「 書 く 」こ と を 愛
し、よく「飲んだ」岩見さん。よく
ある言い方だが、ひとつの時代が
去った感がある。(はやの・とおる)
6
会議報告
⃝第349回会報委員会
( ・ 大会議室)
月号について意見交換した後、
月号の編集について協議したほ
か、 月 号 掲 載 の「 ・ か ら
年」企画について検討した。
出 席 石 川 委 員 長、 高 橋、 神 田、
五十嵐、風間、佐塚、大寺、荒田、
北村、長澤の各委員。
になる。ワープロもケータイも使わ
いう岩見コラムであればこそ、政治
ず( 使 え ず )、
「 添 削の入 り ま じる汚
家の心理のヒダや論理のウラを解剖
れた原 稿」をファクスで 送 稿 し た と
して、読む者を感服させた。
文は簡潔明瞭、リズ
ムと品位がある。岩見
今年の桜は…
さんは日本記者クラブ
賞受賞の際のクラブ会
報への寄稿で、宮沢喜
一 さ ん か ら「 い つ も 好
元朝日新聞コラムニスト 早野 透
き勝手が書けて幸せな
ご身分ですなあ」と言わ
れたと書いているが、政
治家はよき政治ジャー
ナリストのペンによっ
て生かされるのである。
私は岩見さんより
年後輩、朝日新聞で政
治 コ ラ ム「 ポ リ テ ィ カ
に っ ぽ ん 」を 始 め る と
10
1
末期の肝臓がんを宣告さ
れても「せとぎわ問答」など
としゃれこんでコラムを書
いていた岩見隆夫さんが
月 日亡くなった。戦後政
治にうごめく政治家たちの心奥を
描き続けたみごとなペンだった。
岩見さんは満州で生まれ育った。
戦後 年半たって、一家 人、リュッ
クサックひとつで引き揚げた。岩
見さんにとって、
「政治の怖さ」を
考える原体験だったかもしれない。
岩見さんから最後に送っていただ
い た 著 書『 敗 戦 満州 追想 』から、
それがうかがえる。
学生時代から「新聞」づくりを始
め、毎日新聞の紙価を高からしめ
た コ ラ ム「 近 聞 遠 見 」ま で、 年
以 上 も「 記 事 」を 書 き 続 け た こ と
1
14
いわみ・たかお氏 1958年毎
日新聞入社。政治部副部長、
サンデー毎日編集長、編集委
員室長、客員編集委員、2012
年から特別顧問。朝刊コラム
「近聞遠見」と、昭和天皇の政
治との関わりを浮き彫りにし
た連載「新編・戦後政治」で
政治報道に新生面を開いたと
して、1992年度日本クラブ賞
受賞。享年78。
(写真は贈賞式
前の控室で)
3
1
2
追 悼
1
名護市長選
19
1
儀間 多美子(沖縄タイムス)
け て 総 勢 人。 連 日、 本 社 か ら「 単
なる地方選挙ではなく、知事選並み
の扱いを」との指令が飛んだ。年明
け以降 面から 、 面と続く総合
面、社会面と第 社会面と、できる
限り紙面を割いた。開票当日は午後
時すぎに稲嶺氏の「当選確実」を電
子号外で打った。開票率 %で当確
を出す「ゼロ打ち」で、本紙にとって
初のケースとなった。
政府、自民党は「振興」を掲げ、数
百億単位の大金を示して基地受け入
れを迫り続けた。わずか カ月弱の
間に石破茂氏をはじめ中谷元、小泉
進次郎、額賀福志郎、小渕優子、山
本一太の各氏ら著名な政治家が続々
と名護入り。移設に伴う騒音や事件
事故のリスクは一切口にせず、ひたす
ら経済振興に焦点を絞って推進派候
補への支持を訴えたが、市民は「基
地と引き換えのカネはいらない」と
突き返した。名護市民としての、意
地と誇りをかけた主張といえよう。
8
0
1
10
1
2 2
3
1
10
国策に翻弄、疲れ果てた市民
名護市大中/沖縄タイムス社提供)
当選確実を決め、カチャーシーを踊って喜ぶ
稲嶺進氏と支援者ら( 月 日午後 時 分/
19
17
取材の現場では、政府や政党といっ
た政治的な切り口だけでなく、名護
の人々の思いに寄り添うことを心が
けた。 年もの間、移設をめぐり「基
地と振興策」というアメとムチに振
り回される市民の本音を伝えようと
腐心した。
だが、選挙のたびに翻弄される名
護の人々は疲れ果てている。基地移
設の是非が仕事や生活と直結する市
民はなおさら、私たちの取材を避け
た。 人 口 万 人 の 小 さ な 市 の 中 で、
うわさを恐れ、親戚や友人知人との
関係悪化を憂い、近しい間でも本音
を言えない複雑な心情があった。
それは数字にも現れた。選挙戦序
盤から「稲嶺氏優勢」の情報が流れ、
報 道 各 社 の 出 口 調 査 は 最 大 ㌽ 差。
ただ、稲嶺氏圧勝の数字が出そろっ
ても、市内では「名護だから(どうな
るかわからない)
ね」と不確定な部分
がついて回る。結果は予想を下回る
㌽差。匿名の調査でも本音を避け
ざるを得ない名護の状況は、マスコ
ミの間で「名護バイアス」とも呼ばれ
た。市民の心理まで織り込んだ票読
みが必要なことを痛感させられた。
投票日が近づくと「だれと一緒だっ
た」とのうわさを嫌い、近隣市町村
まで出て飲みに行く人がいた。市内
の飲食店では閑古鳥が鳴いた。学校
では、無邪気に「先生はどっち?」と
尋ねる子が多く、職員会議で対応を
協議したという。教師の 人は「両
親の職業によって生徒の気持ちにも
影響を与える」と心配していた。
市民の微妙な心情、切実な現実を、
十分伝えられたとは思っていない。国
策に揺さぶられる地方の小さな自治
体、人々の苦悩はまだ続く。今後も
さまざまな視点から丁寧な取材を続
けていきたい。
30
12
ぎま・たみこ▼ 1995 年入社 社会部
厚 生 担 当 運 動 部 教 育 担 当 な どを経
て 2013 年から北部支社編集部長
1
知事選並みの紙面展開
複雑な心情、本音拾う苦労も
米軍普天間飛行場の移設問題を争
点に、沖縄県名護市の市長選挙が
月 日、投開票された。国が進める
名護市辺野古への移設をめぐり「子
や孫に負の遺産を残さない。新しい
基地は造らせない」と訴えた現職の
稲嶺進市長が、基地受け入れによる
交付金などを起爆剤に「地域活性」を
掲げた新人の末松文信氏を4155
票差で破り、再選した。
移設先に「辺野古」が浮上した19
97年以来5度目の市長選。しかし、
基地受け入れに伴う「使用期限」など
条件を一切つけない「推進」派は初め
てで、
「反対」派と真っ向勝負となっ
た。昨年末、政府は移設に向けて強
い圧力をかけ、仲井真弘多知事が埋
め立てを承認、移設先となる名護市
の「民意」はどう出るのかが最大の関
心事となった。
期間中、沖縄タイムスの選挙取材
班は、名護市にある北部支社の編集
部を中心に本社や他支社の応援を受
17
6
ワーキングプレ ス
一線記者の取材リポート
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 12
韓国・朴大統領就任
年
加藤 達也(産経新聞)
1
〝不通政権〟目の当たりに
悪い質問を事前に排除する目的だっ
たとすれば、日本側でよく出る「価
値観を共有した隣国」論が疑わしく
なる。いや、朴大統領はそれほど、即
席の答弁に自信がないのか。
大統領の入室直前、妙なアナウン
スが入った。大統領を両脇から挟ん
で座る閣僚や青瓦台秘書室長(閣僚
級 )、 そ れ に 各 担 当 の 首 席 秘 書 ら 高
級側近に「大統領の冒頭発言の後、拍
手をするな」と言っていたのだ。日
本と全く異質の〝政(まつりごと)文
化〟には驚いた。
13
1
11
2
2
25
3
6
1
10
2
6
10
2
( 1月 6 日/韓国大統領府提供)
すると韓国の東亜日報は「大統領
を問い詰めた」と、ウソを基に「無礼
だ」と書いた。〝茶番〟につき合った
うえに日本批判である。報道人とし
ての自覚や矜持はないのか。
朴政権が深刻なのは、対韓世論形
成に直接影響する日本の記者を初め
から除外した姿勢だ。首脳会談のみ
ならず日本世論と韓国政権との橋渡
しである日系メディアとの疎通も望
まないのならば、朴大統領の「不通」は
国際関係においても末期的といえる。
春秋館会見場で行われた朴大統領の記者会見
かとう・たつや▼ 1991 年入社 浦和
総局 夕刊フジ編集部 社会部などを経
て 2011 年 月からソウル支局長
13 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
1
2
日本人記者は〝蚊帳の外〟
だが、もっと驚くべき事実が、会
見後に発覚する。大統領記者会見が
全面的に青瓦台のシナリオによって
企画、進行されていたのだ。
韓国のネットメディアによると、青
瓦台は事前に韓国人記者に質問を提
出させ、大統領の応答要領を準備し
た。国内外メディア全体で 人の質
問者の指名順も決められ、最後の
人も「番外」としてあらかじめ決まっ
ていた。
当日、日本人記者 人が挙手を続
けた。会見後、朴大統領が記者席を
訪れた際には、特派員の 人が、大
統領への質問権が初めから与えられ
なかったとの趣旨の発言をした。
2
国内初の会見はシナリオ通り?
聞の澤田克己支局長が、青瓦台の報
道担当者に強い調子で何かを申し入
れているのがわかった。
それによると、青瓦台はすでに質
問者となる外国メディアの記者 人
を指名済みだという。日系メディアは
初めから、質疑に参加できない〝エ
キストラ役〟だったのだ。
大統領の会見にあたり青瓦台は事
前に、外国メディアに 人の枠を設
けていた。場所に物理的な制限があ
る場合、よくあることである。
だが希望者が 人だったため、青
瓦台は結局、日系のペン枠として新
聞 社、テレビ 社、通信 社と欧
州メディア 社の全社の入場を認め
た。ただ質問者の選定や質問内容の
取りまとめなどに関する要請は、何
もなかった。
質問者は英・ロイターと中国・中
央テレビの 社で、質問内容もすり
合わせ済みだった。
大統領あるいは政権にとって都合の
2
1
月 日で就任から 年を迎える
韓国の朴槿恵大統領について、地元メ
ディアが批判的に「不通(プルトン)
大
統領」という言葉を使うことがある。
手元の韓国語辞典には「不通」の意
味が つ記されている。①交通・通
信などが通じないこと②話が通じな
いこと③世間のことに通じないこと、
世情に疎いこと─。実際、われわれ
ソウル駐在の日系メディアの多くは
新年早々〝不通政権〟を目の当たりに
することになった。
朴大統領の就任後、国内で初とな
る記者会見は 月 日午前 時、大
統領執務室がある青瓦台の本館とは
別棟の「春秋館」会見場で開かれた。
記者席は つに分かれ、韓国メディ
アには大統領の演壇側、外国記者に
は演壇から遠い一部が割り当てられ
た。両者の間はテープを渡した 本
のポールで区切られている。
着席後すぐ、ソウル外信記者クラ
ブ(SFCC)
の会長を務める毎日新
11
1
2
一線記者の取材リポート
ワ ーキングプレス
北海道 発
地元メディアの視点から
「蘇れJR北海道」
危機に直面する
北の鉄路
データ改ざんについて、社内調査結果を
発表するJR北海道の野島誠社長。入退
院を繰り返していて、3 月に更迭される
見通し( 1月21日/北海道文化放送提供)
30
会見でJ R北海道の幹部が答えに
窮して口にするのは、
「調査中」「まだ
把 握 で き て い な い 」。 説 明 も、 現 場
の社員から独自に得た内部情報とあ
まりにも食い違うことが多い。他社
の記者も、そのはぐらかしに引き下
がるわけがない。
「ウソをつくな」。わたしが出た会
見では、二、三十代の若手が自分の
父親の世代に当たるJ R北海道の幹
部を怒鳴ることも珍しくはなかった。
ただ、J R北海道の態度が変わるこ
とはない。結局、質疑はかみ合わず、
時間だけが過ぎていくのが常だった。
■社員の本音「うちは国鉄」
見通し。幕引きムードも漂うが、根
本的な問題は解決されていない。
J R北海道は、グループの年間総
売り上げのうち、鉄道収入は 割台。
採算路線は札幌近郊だけで、収益構
造自体が鉄道事業者として事実上破
綻 し た ま ま だ。 労 働 組 合 が 違 え ば、
同僚の結婚式に出ることさえ許され
ないという つに分かれた労組間の
対立も解消の兆しはない。ここまで
問題を放置した国の責任も、まだ追
及されていない。
弊社は、キャンペーン報道を展開、
特別番組も放送した。タイトルは「蘇
れJ R北 海 道 」。 い ま 一 度、 声 高 に
叫び、真の意味で再生するまで、地
元メディアとして、追い続けたい。
3
きた・しんや▼2010 年入社 現在 JR北海道問題取材班キャップ
一口メモ
月 日。J R北海道がデータ改
ざん問題について、自社の調査結果
を発表した。取材班キャップという
立 場 上、 現 場 に 出 る こ と も あ れ ば、
会社で取りまとめ役を担うこともあ
る。この日わたしは、会見場からリ
アルタイムで送られてくる映像をモ
ニターで見ながら、夕方のニュース
の進行表づくりや各パートの原稿の
手直しに当たっていた。
報告の電話を切ると、時計は午後
時を回っていた。会見が始まった
のは午後 時すぎ。あと 分足らず
で夕方のニュースが始まる。
「きょう
は 時間コースか。毎度、ダラダラ
とよく続くものだね」
。あるデスクが
失笑した。J R北海道の会見といえ
ば、 時間超えが当たり前。それが
地元メディアの常識となっていた。
1
4
JR北海道のデータ改ざん問題 昨
年 9 月、JR大沼駅で起きた脱線事故
をきっかけに発覚した問題。基準を
上回り広がったレールの異常を放置
したうえ、基準内に収まっているか
のように計測データを改ざん。7 割
を超す保線現場で改ざんが行われて
いて、75人が処分された。うち 5 人
が解雇され、国交省が刑事告発も検
討している。
■謝罪会見 回 響く怒鳴り声
月 日、鉄道事業法に基づく事
業改善命令がJ R北海道に下された。
しかし、
「事業停止命令」という最も
重 い 行 政 処 分 で は な い。「 停 止 命 令
を や っ て し ま う と、 困 る の は 道 民。
人質に取られているようなものだよ」
。
国土交通省の職員がため息交じりに
漏 ら す。 社 員 た ち の 本 音 も こ う だ。
「うちは結局、国鉄なんだよ。だから、
何があってもつぶれない」。
月に入り、長く経営に関与して
いた坂本真一元社長が遺体でみつかっ
た。自殺したとみられる。混乱が続
く中、改ざんに関与した 人が解雇
され、 月には経営陣が刷新される
5
10
咋年は、J R北海道の事故やトラ
ブルの取材に明け暮れた 年だった。
車両炎上、脱線、運転士の覚醒剤使
用や操作ミス隠ぺいのためのATS
( 自 動 列 車 停 止 装 置 )破 壊、 そ し て
レール計測データの改ざん…。航 空
会社なら、確実に破綻しているであ
ろう不祥事が続いた。謝罪会見も
回以上に上る。今年になっても状況
は変わらない。
24
3
21
2
30
1
1
1
6
4
3
(北海道文化放送報道部)
喜多 真哉
「これまでの最長じゃないですか、
きょうは。いつもながら、うんざり
です」
。 札 幌 のJ R北 海 道 本 社 で 開
かれた記者会見後、会場にいた記者
から電話で、こう報告があった。
相次ぐ不祥事
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 14
地元メディアの視点から
発 佐賀
(佐賀新聞報道部)
2
(2013年12月21日/諫早市/佐賀新聞社提供)
スタンスを崩さなかった。
長崎県の干拓営農者が開門調査に
反対する理由は、塩害など営農に支
障が出るといった直接的な問題だけ
で は な い。
「 農 水 省 も 開 門 調 査には
意味がないと言 っ て い る 」と い う 認
識が、営農者の根強い反対行動の根
底にある。
■対立しているのは
漁業者・営農者と国
「佐賀 長崎」という対立の構図で
報道されることも、地元で取材して
いて非常に違和感を覚える点だ。開
門を求める漁業者の中には長崎県の
漁業者も多い。では、漁業者と営農
者の対立かといえば、そうとも言い
切れない。漁業者が一貫して訴えて
いるのは、漁業と農業の両立で、農
業用水の確保など「開門に伴う対策
工事なしでの開門は求めない」とまで
言っている。
長崎県の営農者も「開門はしない」
という農水省の言葉を信じて干拓地
に入植した経緯があり、
「農水省にだ
ま さ れ た 」との 思いが 強い。
「開門」
をめぐり対立しているようにみえる
が、 実 際 は 漁 業 者、 営 農 者 と もに、
こ の 事 業 の「 被 害 者 」で あ り、 対 立
しているのは「漁業者と国」「営農者
と国」というのが実態だ。
国は問題解決に向け、佐賀、長崎
両県を交えた協議を呼びかけている
が、実際には訴訟合戦の様相を呈し、
事態は泥沼化している。佐賀県の古
川康知事が言うように、司法の場で
一定の結論が出たとしても、関係者
の感情を含め、それが本質的な解決
につながるとはとても思えない。や
はり、関係者が同じテーブルで協議
する場が必要だ。
そのためには、干拓事業と漁業被
害の関係を認めず、営農者に対して
も、いいかげんな約束をしてきた農
水省が、その不誠実な態度を改める
ことが第一歩だ。国への拭いがたい
不信感がある限り、解決の糸口さえ
みえない現状を打開することはでき
ないというのが、取材を通した実感だ。
おおが・ひろのぶ▼1991 年入社 本
社 報 道 部 東 京 支 社 報 道 部 などを 経て
2013 年から県政担当
15 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
開門期限を守らなかった国への抗議の声を上げる漁
業者ら原告弁護団と、沈痛な表情の農水省幹部(左)
かし、
「開ける・開けない」ではなく、
「何のための開門か」という本質的な
議論を置き去りにしたまま、開門の
是非は議論できない。
佐賀県や長崎県の漁業者は「ギロ
チン」と呼ばれた諫早湾の閉め切り
で、有明海の海況異変が起こり、二
枚貝のタイラギやアサリが不漁にな
り、ノリ養殖も赤潮の多発などで不
安定になったと主張する。実際、福
岡高裁判決は干拓事業と漁業被害の
因果関係を認めて開門調査の実施を
命じた。しかし、農水省は高裁判決
確定後も漁業被害との因果関係は認
めなかった。開門調査についても「有
明海再生のためではなく、確定判決
があるから行わざるを得ない」との
一口メモ
混迷の根底に国への不信
対立の構図に違和感も
大鋸 宏信
の開
国営諫早湾干拓事業(長崎県)
門調査をめぐる問題は、開門を命じ
た福岡高裁の確定判決を国が履行で
きないという異例の事態に陥ってい
る。問題の背景には「開門調査の目
的」を明確にせず、いたずらに「地域
対立」を煽るような対応を続けてき
た農水省の不誠実さがある。
一連の諫早湾問題の報道でクローズ
アップされたのは「開門の是非」だっ
た。
「開門」を命じた福岡高裁判決と
「差し止め」を命じた長崎地裁の仮処
分決定という相反する つの司法判
断が示されたため、開門の是非が焦
点となったのは仕方ない面もある。し
国営諫早湾干拓事業 九州の有
明海西部にある諫早湾の奥を潮受
け堤防で閉め切り、農地約670ヘ
クタールと農業用水を供給する淡
水の調整池などを造った。1986年
に 計 画 を 決 め、2533億 円 を 投 じ
2008年 3 月に完成。約40の個人や
法人が営農している。10年12月に
福岡高裁の開門命令判決が確定。
13年11月には長崎地裁が開門差し
止めの仮処分を決定した。
諫早湾干拓事業 開門調査問題
vs
書いた話 書かなかった 話
も、手に抱えていたカメラの点検を
始めていました。運転手や同行して
いた通訳も車外に出て、それぞれの
けがの状況を確認。運転手が一番の
重傷のようで両腕から大量の出血が
みてとれました。
訪朝団は 台ほどのベンツに分乗
して行動していて、私たちの車は最
後尾を走っていました。事故のために、
しばらくは現場で待機することにな
りましたが、随分時間がたったなと
いう感じでした。車の通行が全くな
いピョンヤン郊外。しばらくして先
に行った車が戻ってきて、やっとわ
れわれを発見、私と萩原カメラマン
は、この車で市内の病院に運ばれる
ことになりました。
一番重傷のようだった運転手がど
うなったかはわかりませんが、すべ
ては運転手のミス。前の車に追いつ
鈴木 勝利
◆外国人専門病院で手術
くためにスピードを出し過ぎたのが
原因で、後で重い処分を受けたので
はと想像しています。
当時、ピョンヤンに車が何台あっ
たかわかりませんが、われわれ一行
が街中を移動するときに他の乗用車
を見た記憶がないので、貴重なもの
だったはずです。ベンツ 台を壊し
た の は 大 変 な こ と だ っ た で し ょ う。
ベンツだったから助かったので、そ
うでなければ死んでいたかもしれな
いと、後々みんなにいわれました。
1
運ばれたのは紅十字病院。外国人
専門で、清潔な病院でした。看護婦
もみんな美人でした。医師の診察の
後、足と腕に刺さった車のガラスを
取り除く手術を受けることになりま
した。手術はとても手際よく行われ
すずき・かつとし
たことを記憶しています。いまでも
腕と膝にかすかな傷痕はありますが、
病室でゆっくり休むことができて落
ち着いたことを覚えています。
幸い萩原カメラマンは、カメラを
抱えていたために私よりは軽傷で済
みました。帰国前日のこの日の夜は
北朝鮮側との共同声明が発表される
予定で、訪朝団にとってはとても大
事 な 夜 で し た。 結 局 私 た ち 人 は、
他 の 団 員 と は 連 絡 が と れ な い ま ま、
一晩を過ごすことになりました。
この年は、朝鮮半島の緊張状況が
和らいだ年でした。米中の国交回復
を受け、日本も中国との国交回復に
動いていた年で、朝鮮半島でも南と
北の交渉が進められていて、ひと月
後には南北の会談も予定されている
時期だったのです。
1944年生まれ 68年毎日放送入
社 69年から東京勤務 官邸 平河 野党 司法クラブなどを経
て 東京駐在の報道部長 報道
局次長 解説委員などを務めた
現在 放送人政治懇話会事務局長
私が同行した竹入訪朝団は、この
2
竹入訪朝団同行
◆ベンツに分乗、最後尾で…
私の横に座っていた同僚の萩原敏
カメラマンは、完全に眠りこけてい
たようで、何が起きたのか事態が把
握できなかったようでした。それで
10
北朝鮮で交通事故に遭った話
5
1972年 月 日の夕方、ピョ
ンヤン郊外の共同農場の取材を終え
て、ピョンヤンのホテルへ帰る途中
のことでした。単調な田舎道で、半
分うとうとしていた時に目の前の光
景が一変し、気がついた時には私の
体は逆さまになっていました。車が
ス ピ ー ド を 出 し 過 ぎ て い た た め に、
カーブを曲がり切れずに道路下に転
落、畑の中に突っ込んだのです。
腕と足に若干の痛みは感じました
が、それでも何とか自力で車のドア
を開けて外に出て、状況を確認する
ことができました。
6
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 16
書 いた話 書かなかった話
4 5
26
30
1
るためにはモスクワを経由しなけれ
ばならなかったからです。帰りも同
じようにモスクワ経由で羽田着の予
定で、翌日の午後にピョンヤンを出
発する予定でした。
帰国となりました。
ソ連との国境を越えるために真夜
中のフライト。飛行場とはとても思
えない何もない、だだっ広い空き地
で、トラックに乗せられたライトを
浴びながらの離陸でした。
機内では竹入委員長のはからいで、
負傷者ということで金日成首相のた
めにしつらえられたベッドに私が寝
ることに。金日成首相は飛行機が嫌
いで、この特別機に乗ったことはな
いという話だったので、私は貴重な
体験をしたことになりました。
予定外のハバロフスクで休憩を取っ
て、その日の午後の日本航空の定期
便で東京に。足を引きずりながら空
港を出ると、待っていたのは、すぐ
大阪へ行ってテレビに出ろ、番組を
つくれとの命令でした。
ピョンヤンでのホテルは大同江国
際ホテル。当時、北朝鮮から日本へ
の国際電話は 回線だけ。原稿送り
はホテル近くの郵便局でのテレック
スが中心でした。もちろん単独行動
はだめで、必ず通訳が見張り役とし
て同行。系列局のNET(現在のテ
レビ朝日)
の夜ニュースに電話でのリ
ポートを送りましたが、雑音がひど
すぎて使えなかったとのことでした。
北朝鮮滞在中の食事は日本食が中
心。万寿台での金日成首相の夕食会
で食べた日本食は刺身、すし、うな
ぎのかば焼きでデザートはスイカと
イチゴという内容。ごちそうでした。
大阪発の午後のワイドショーに出
演 し て 取 材 し た フ ィ ル ム を 使 っ て、
電話事情や映画のセットのような市
民生活、食事の話など軟らかいネタ
を中心にリポートをしましたが、い
まと違って一般の北朝鮮への関心は
全くない時代。
一番〝うけた〟
のは、私の髪の毛の
話。当時、肩までの長髪だったため
に、北朝鮮で宇宙人を見るような眼
でみられましたが、主婦向けのワイ
ドショーの格好のネタとなりました。
もちろん日本でも政治記者で長髪は
珍しかったのですが。この番組は東
京 チャンネル(現在のテレビ東京)
へのネット番組でした。
帰国して数年後、いずれも自殺と
いうことになっていますが、同行記
者の 人が亡くなりました。
17 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
◆金首相の特別機で帰国
帰国予定の朝、竹入委員長と同行
記者の団長だった共同通信の田中国
夫記者が見舞いに来てくれましたが、
この時点ではスケジュールの都合で
残 ら な け れ ば な ら な い 状 況 で し た。
萩原カメラマンとの話し合いの中で、
私は残るのも面白い経験かなと話を
しましたが、彼は、北朝鮮のいまの
姿をいち早く伝えることがわれわれ
の義務だとして帰ることを主張。
これを踏まえて帰国したい旨を医
者に伝えたところ、病院側は「北朝
鮮国家の責任だから、けがが全治す
るまでは帰せない」と主張しました。
最終的には、医者の前で普通に歩く
ことができれば了解との話になりま
した。まだ足は痛かったのですが、無
理して普通に歩き、なんとか退院の
許可をもらい、予定通り、この日に
帰国することに決まりました。
この後どういう話し合いが行われ
たのかはわかりませんが、定期便の
モスクワ経由でなく、金日成首相(当
時)
の特別機でハバロフスク経由での
帰国直後、ワイドショーで北朝
鮮の街ダネを報告する筆者(左)
モスクワ経由でピョンヤン入りした 9 人の同行記者らと
(筆者提供)
金日成首相(中央右)
時期を捉えて、野党外交でこの動き
を加速したいという狙いがありまし
た。訪朝団のメンバーは、公明党は
竹入義勝委員長、
正木良明政審会長、
黒柳明国際局長などで、公明新聞記
者として市川雄一さんも同行、記者
団は朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、
共同通信、TBS、NHK、中国新
聞、それに毎日放送の私と萩原カメ
ラマンの 人でした。
竹入訪朝団は、 月 日に羽田を
出発、モスクワに 日間滞在、北朝
鮮には 月 日に到着、 週間の北
朝鮮滞在でした。いまでも近くて遠
い国といわれる北朝鮮ですが、当時
は文字通り遠い国でした。空路で入
12
2
9
5
2
リレーエッセ ー
19
5
(読売新聞社)
(1992 年 月/読売新聞社提供)
亡 く な る カ 月 前、 病 院 近 く の 喫 茶 店 で
中上健次さんは 時間近く語り続けた
4
聞いた時のことだ。
「 い ま 文 芸 誌 な ど で 本 ほ ど 連 載
していますが、そんなにたくさん書
いて大丈夫ですか」
。小さな中上の目
がいきなり三角になった。
「オレは作家だよ」
それがきっかけでこの益荒男と会
うようになり、作家や編集者との文
学 論 に 勇 ん で 参 入 し て、「 バ カ 記 者
は黙ってろ」と怒られたり、かと思
え ば、 一 人 飲 ん で い る と、「 お 前 も
こっちへ来いや」と招かれたりする
ようになった。その中上が、がんと
聞いたのは数カ月後だった。中上の
いない文壇バーは、重力を失ったよ
うに頼りなく、寂しかった。
しばらくして 年4月下旬に中上
4
鵜飼 哲夫
己紹介していると、正面にいたまゆ
毛の濃い人からだみ声が飛んだ。
「 きょ う は 共 同 の コ ヤ マ で す ら 来
て は い け な い と い っ た 内 輪 の 会 だ。
なんで君がいるんだ!」
?? 当時はまだコヤマさんがい
か な る 記 者 な の か は 全 く 知 ら な い。
困 っ て い る と 阿 部 夫 人 が、「 鵜 飼 さ
んは阿部の全集の取材をしていたの
で、 き ょ う は 私 が お 呼 び し ま し た 」
と声をかけてくれたので事なきを得、
話を聞くうちに、だみ声の主は、島
田雅彦やよしもとばなな、角田光代
らを世に出した文芸誌「海燕」の名物
編集長の寺田博さんとわかった。
寺田さんとは後に毎週、酒を飲ん
では文学談を聞くようになり、酔っ
た中上からビール瓶で殴られたとい
う武勇伝も伺ったが、その時はまだ
何も知らないウブな新人文芸記者
は、ただただ緊張していた。隣の中
上と話すうちに、つい軽い気持ちで、
5
92
「百面体」の自分演じて逝った
中上健次さん
このリレーエッセーのバトンを
渡してくれた共同通信の小山鉄郎
さんは、小生にとって師匠にあたる
文芸記者で、若い頃は金魚のフン
のようについてまわり、取材姿勢
を背中から学んだ。芥川賞発表直
後の選考委員の懇談会にも顔パス
で出入りしていたので小生はちゃっ
かり後に続くが、やれるならやっ
てみろ、といった悠然たる風情で、
文壇バーに連れて行ってくれたの
も小山さん。文学のあれこれを教
えてもらいながら、
「抜いて」お礼
するのが目標となった。
その名を初めて知ったのは、支
局を経て文化部に配属になったば
かりの1991年 月 日、作家・
阿部昭の三回忌の席であった。初
めて動いているのをみる古井由吉、
黒井千次ら名だたる作家や編集者
が参加した会で、右隣には中上健
次がいた。
「読売の新人です」と自
5
から電話があった。
「話したいこと
が あ る 」。 入 院 中 の 病 院 近 く の 喫
茶店で5時間近く取材した。10
0㌔以上あった巨体は ㌔台にな
り、 ズ ボ ン は だ ぼ だ ぼ だ っ た が、
「オレは詩歌文芸の世界に不意の
一 撃( ク ー・ デ・ タ )を す る 」と 意
気軒高だった。そして、1年ほど
前の出会いの頃のことに話が及ぶ
と、何本もの連載に挑戦したのは、
「おれは被差別部落出身という神
話性の中に生きているから風の又
三郎みたいに珍しがられても本当
の友達がいないという焦りだとか、
怒りがあり、中上健次が百面体の
中上健次を演じようとしていたの
かもしれない」と回想した。
「でも、この暴走を食い止めてく
れ た の が が ん だ。 が ん が 上 手 に 私
を破壊してくれて、やるべきこと
が見えてきた」と語り続けた。
そ れ か ら カ 月 後、 中 上 は 歳
で亡くなった。
「撰ばれてあること
の恍惚と不安とふたつ我にあり」
(ヴェルレーヌ)
。一人で想像し、一
人で書く作家の孤独と自負を、あ
の時ほど感じたことはない。
40
46
(うかい・てつお 編集委員)
4
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 18
会 員の著書
マイ BOOK
(黒田勝弘・武貞秀士共著)
■金正
恩の北朝鮮 独裁の深層
黒田勝弘
(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
マイ PR
は発展途上国や極地でも深刻化し、妊
娠中の母親を通じた胎児への影響の懸
念も高まっています。日本では「空騒ぎ
だった」などと言われている環境ホルモ
するよう心がけた。豊かな社会を支え
な 生 き 物 の 助 け を 借 り、 わ か り や す く
で、ミツバチという環境の変化に敏感
ズ体制」(通貨の固定相場制)
が崩れ、中
交換 停 止があった年だ。
「ブレトンウッ
の訪中発表(実行は翌年)
と②ドルと金の
のニクソンショック①ニクソン米大統領
化、新興国の台頭と「グローバル化」の主
プロセッサも生まれた。市場化、ネット
では、ネットワーク化に必須のマイクロ
国が国連に迎えられたこの年、情報技術
る近代科学技術文明への批判でもある。
■リー・クアンユー 未来への提言
小池洋次
(日本経済新聞出身)
要な要素が出
焦点をあてた。
そ ろった 年 に、
年ほどの
ピ ニ オ ン リ ー ダ ー」と 言 わ れ た 政 治 家
各 界 の 指 導 者 に 読 ん で も ら い た い シ
ンガポールの建国の父で、
「アジアのオ
ンの問題も、海外ではこの
間に研究が進み、近年、さまざまな進
方から日本への教訓を読み取っていた
の危機意識の強さと行動的知性の在り
のインタビュー集を監訳しました。そ
展がみられます。ここでも重要なのは
「予防原則」と
うが、筆者は「韓国こそドイツに学びな
さ い 」と 反 論 し て い る。 早 く 南 北 統 一
平 性 」の 視 点
「世代間の公
だきたいと思います。監訳書とはいえ、
日本人向けに構成を変え、さらに、各
(個人D会員、東京工業大学名誉教授)
世界の中の日本人再発見 「眼からウロ
コ」と評されて心強い。中韓両国はそも
千年も
と い う べ き 解 説 を つ け ま し た。 自 著 を
章ごとの説明と、リー・クアンユー論
■日本人らしさの発見 しなやかな
〈凹型文化〉を世界に発信する
芳賀 綏
北朝鮮は面白い! 韓国では日本批判
として「日本はドイツに学べ」とよく言
して、東ドイツ出身のメルケル首相の
■ミツ
バチ大量死は警告する
岡田幹治
です。
ように北朝鮮出身の大統領を生みなさ
い、それが民族的力量じゃないの、と。
1970年代のソウル語学留学時代以
来の友人である元防衛研究所の武貞秀
士氏と、そんなことも含め語り合って
した。
懇切に説きま
縦横に、平明・
再 発 見 を、 と
め、 世 界 の 中 の 日 本 人 の 位 置 と 役 割 の
な い。 そ の こ と や 戦 時 日 本 の 総 括 も 含
ない近隣幻想では真の友好へ前進でき
めた。その風土的・歴史的背景を知ら
諸国その他の〈凹型文化圏〉に分かれ始
ぶ〈凸型文化圏〉と、日本や東南アジア
前から、ヨーロッパから中韓にまで及
~
そも日本と〝近くない〟国だったと得心
代に最も刺激
刊行したような気分です。この仕事を
を受けた人物
(朝日新聞出身)
知らないことほど怖いものはない! 母体や母乳から取り込んだ微量の化学
だったからで
し て も ら え た。 世 界 は、
物質(農薬など)が、子どもの脳・神経
もあります。
引き受けたのは、リー氏は私が記者時
系の発達を阻害し、発達障害の原因と
土谷英夫
(日本経済新聞出身)
■1971年 市場化とネット化の紀元
なる──そんな研究がいくつも発表さ
れていることをご存じだろうか。この
ような、知られることの少ない環境化
ら か に し た。
7
15
学物質の危険性を、最新の情報をもと
とっつきにく
グ ロ ー バ ル 化 の 源 流 を 求 め て 筆 者 が
新聞記者になった1971年は、 つ
6
みた。お互いかなり異見はあったが「北
は完全一致し
は面白い!」で
ました。
■有害化学物質の話 農薬からプラ
スチックまで
井田徹治
有 害 化 学 物 質 汚 染 の 入 門 書 ダ イ オ キ
シンやPCBなどに関する長年の取材
いテーマなの
(共同通信編集委員)
結果をまとめた地球環境問題としての
に具体的に明
有害化学物質汚染の入門書です。汚染
19 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
NTT出版
1995円
大修館書店
2100円
日本経済新聞出版社
3150円
2
PHP研究所
987円
集英社新書
798円
KADOKAWA
840円
試写会 寄贈 書
と夫の部下の板倉正治(のち有名漫
画 家 イ タ ク ラ・ シ ョ ー ジ )と の 秘 め
られた恋だが、画面で展開される戦
前の情景も心に残る。昭和 年の東
京オリンピックへの期待、女性の和
服姿、タキの割烹着、着物をほどい
しん し
て伸子を使っての洗い張り、SP盤
レコードの蓄音機、大人も子供も大
興奮する日米開戦の報。やがて空襲
が始まり、家々の門前には防火水槽
や竹の先に縄を縛りつけた火たたき
が備えられる……。
映画のクライマックスの つは、召
集令状が来た板倉の帰郷前日、逢い
に行こうとしてタキに制止され、
「明
日お逢いしたい」とタキに託した手
紙が実際には届けられず、来ない板
倉を待って時子夫人が焦心の 日を
過ごすシーンだ。ただし、映画に惹
かれて読んでみた原作の小説では、手
紙は届けられてはいないのに、板倉
は帰郷の日、夫人宅を訪れて時間を
過ごしている。山田洋次監督はなぜ
時 子 を 板 倉 に 逢 わ せ な か っ た の か。
興味をそそられる。
私事だが、実は山田監督は小生の
旧制山口高校の同級生だ。八十路の
彼の活躍にエールを送りたい。
読売新聞出身 森脇
1
逸男
▼
*メール本文にお名前を明記のうえ、お送りくだ
さい。
寄贈書
道制作局長)
の安全との間の葛藤についても寄稿
を求め、あるいは聞き取った。
ロジスティックスやローカル特
番編成、民放ならではのCM対応
など、さまざまな混乱とその対応
ぶりについても記録した。プライ
バシーに関わる部分もあり非売品
としたが、長く続く福島の闘いの
つの側面が今後の防災減災のた
めにも記憶されればと願う。
佐藤 崇(福島中央テレビ取締役報
1
*ラウ ン ジ の 図 書 コ ー ナ ー で ご 覧 い た
だけます。
[email protected]
3
年が過
ぎようとす
る中で、あ
の時の記憶
が薄れかけている。映像や番組の
形で記録し続けてきたつもりだが、
時にこぼれ落ちていく。
本書は、応援を継続いただいてい
るNNN各局に防災対応の参考にし
てもらうことを目的に、地元メディ
アとしてどう対応したかを主題にま
とめたが、これほどの大災害ではス
タッフの個人的な事情も無視できな
かった。取材と被ばくの不安、家族
メール会員ご登録はこちらのアドレスまで
(非売品)
原発災害、その時テレビは…
∼終わりの見えない取材の中で∼
1 月22日に行われた東京都知事選立候補
者の連続記者会見は、開催要領の確定が20
日夜になったため、はがきでのお知らせが
できませんでした。
このようなご不便をおかけしないために
も、すぐにお知らせできるメール会員への
登録をお願いしています。急に決まった会
見の案内や日時の変更・中止もメール会員
にはお知らせできます。
お名前を明記したメールを下記にお送
りください。次回からメールで会見案内を
お送りします。会見のお申し込みも、その
都度メールで返信していただければ完了
です。
OB会員の皆さまにもご登録いただくよう
協力をお願いいたします。
15
1
Ⓒ2014「小さいおうち」製作委員会
全国公開中
メール会員にご登録を
136分 の 上 映 が 終 わ っ た と き、
拍手が湧いた。東京郊外の「小さい
おうち」
、玩具会社部長の家庭の戦
前から戦中にかけての家族のドラマ
が、山形生まれの女中さん、タキの
目で回想される。
「女学生のころ、
タキ役の黒木華、
あんなきれいなお嬢さんはいなかっ
た」と友人が言う美人、時子夫人役
の松たか子、老眼鏡をかけ自叙伝を
書き進める晩年のタキ役の倍賞千恵
子、その他の皆さんも、それぞれ大
変な熱演だった。
中でも最大の出来事は、時子夫人
小さいおうち(1.9)
心に残る戦前の情景と人間模様
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 20
新 年会員懇親会
2013年(第41回)
予想アンケート結果(2013年1月18日実施 応募総数 214)
平均5.4点
②夏の参院選で自民、公明両党の合計議席が非改選と合わせて過半数を (占める)
72.0%
③外国為替市場で円安が進み、一時的にでも 1 ドル=100円台に突入することが
(ある)
55.1%
④年内に日本はTPP交渉に参加して
(いる)
67.8%
(黒田東彦)
8.4%
(しない)
28.5%
⑤12月31日現在の日本銀行総裁は誰か
⑥シリアのアサド政権が崩壊
(0)
基
10.3%
⑨2020年夏季五輪の開催地が東京に
(決まる)
41.6%
⑩競馬の凱旋門賞で日本馬が優勝
(しない)
83.2%
⑧12月31日現在、国内で稼働している原子力発電所の数は
点の皆さん(五十音順 敬称略)
予想アンケート最高得点者を表彰 安倍首相も出席してあいさつ
会 員
懇親会
新年恒例の会員懇親会が、 月 層活性化したい」とあいさつした。
日午後 時から、 階ホールで
昨年 月に会見した安倍首相に
開催された。昨年の会見ゲストや も招待状を送っていたところ、現職
大使館・国際機関関係者なども招 総理として初めて出席。少し遅れ
待。計214人が参加した。まず て到着した安倍首相はあいさつで
吉田理事長が「久々に経済に明る 同日情報保全諮問会議の初会合が
い兆しを感じる年明けだが、われ 行われたことに触れ「特定秘密保護
われは山積する難題に〝腕まくり〟 法が報道を制約し言論の自由を制
の年になりそうだ。今秋、創立
限することは一切ない」と力説した。
周年を迎える当クラブの活動を一
昨年の予想アンケートは 年連
続で全問的中者ゼロだった。別掲
の 会員が最高得点の 点を獲得
清水 光雄( スポーツニッポン新聞常勤監査役) した。当日出席した 人(写真上)
が
関谷 高彦(日本経済新聞OB)
紹介され、
「黒田日銀総裁誕生」を
永江 正文(時事通信OB)
見事に予測した大塚清一郎会員が
額賀 章友(特別賛助会員)
代表となり、会田弘継企画委員長
吉原 勇(毎日新聞・下野新聞OB)
か ら 表 彰 状 と 副 賞( クラ ブのマグ
カップ、メモ帳など)
を受け取った。
21 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
8
左から・カハノフ・イスラエル大使、
アミーン・エジプト大使館広報担当
参事官、石川荘太郎会員
8
8
最高得点
8
石野 栄一(埼玉新聞OB)
大塚清一郎( 新潟日報東京支社報道部長兼論説編集委員)
粕谷 賢之(日本テレビ報道局長・クラブ理事)
川内 十郎(静岡新聞東京支社編集部長)
佐々木玲子(北國新聞前東京支社報道部長)
「①の正解率89.3%」。吉田理事長(中央)が会
場内に映し出された予想アンケートの結果を
説明すると、安倍首相は「ウオッ」
と喜びの声
(なくなっていない)
84.1%
⑦10月から年末まで尖閣諸島における領海・領空侵犯は
正解率
(安倍晋三)
89.3%
①12月31日現在のわが国の首相は誰か
正解
17
6
10
1
消費税アップ後のアベノミクスの行方は?
甘利経済再生担当相を囲む会員たち
45
10
4
会員掲示 板
情報発信
クラブ施設では会員による各種の会合が行われています。
企業や大使館などの賛助会員も記者発表の場としてクラブ
を利用しています。
新しいOB会員
しろ うず
ただ たか
白水 忠隆
■■■ ■ 福祉フォーラム・ジャパンシンポジウム
「どうなる どうする 介護保険法改正」 と題し、榎
本健太郎氏(厚労省老人保健局介護保険計画課長)
、
時田純氏(小田原福祉会理事長)
、小島美里氏(暮ら
しネット・えん代表)
、笹井肇氏(武蔵野市役所健康
保健部長)らを招いてシンポジウムを行った。NPO
法人福祉フォーラム・ジャパン(会長:宮武剛会員)
主催。
(1.11 10階ホール)
■ マスコミ九条の会記者会見
ジャーナリストのむのたけじ氏、原寿雄氏らが「特定
秘密保護法の廃止、安倍晋三首相の退陣と総選挙を
求める国民的な運動を呼び掛けていく」と表明した。
(1.14 10階ホール)
■ 日本ジャーナリスト懇話会 1 月例会
毎日新聞専門編集委員の倉重篤郎氏が「安倍政局
の行方」と題して講演した。日本ジャーナリスト懇話
会(会長:深川誠会員)
主催。
(1.21 大会議室)
■ 公開シンポジウム「自然の恵み『生態系サービス』をどう報道するか」
日本環境ジャーナリストの会が2011年から続けて
きた取材・研究の総まとめとして、新聞、テレビ、
雑誌、ウェブなど各メディアで実践してきた取材報
道の報告と成果を共有する公開シンポジウムを開催
した。金哲洙氏(日本農業新聞)
、堅達京子氏(NHK
プロデューサー)
、水口哲氏(ジャーナリスト)
らが取
材活動報告を行ったあと「生態系サービスの報道手
法~利根川流域を例に~」と題したパネルディス
カッションを行った。
(1.22 小会議室)
■ 放送人政治懇話会
テレビ・ラジオ局の現役・OBらが政治家を招き、
定期的に勉強会を行っている。 1 月は佐藤勉自民党
国対委員長をゲストに招いた。
(1.22 大会議室)
■ 第 6 回森林環境と健康に関するフォーラム2014
森林環境がもたらす健康増進効果として注目され
ている「森林セラピー」の普及に向け、情報交換や
交流を深めた。寺谷誠一郎氏(鳥取県智頭町町長)、
李卿氏(日本医科大学衛生学公衆衛生学准教授)ら
の講演などが行われた。森林セラピーソサエティ(理
事:村田泰夫会員)主催。参加者は約100人。(1.23
10階ホール)
■ 上村幸治さんを偲ぶ会
元毎日新聞ニューヨーク支局長・中国総局長で昨年
1 月に亡くなった上村幸治さんを偲ぶ会が行われた。
観堂義憲下野新聞社長、伊藤芳明毎日新聞主筆のほ
か特派員時代の仲間が集まり、上村さんとの思い出を
語り合った。約80人が参加。
(1.25 10階ホール)
■ 景気循環学会2013年度第 6 回定例研究会
三菱UFJモルガン・スタンレー証券参与で景気循
環研究所長・景気循環学会常務理事の嶋中雄二氏が
「これからの日本は 4 つの景気循環がすべて重なる
1978年読売新聞入社。生活情報部
(現生活部)部長、活字文化推進会
議事務局長などを経て、現在、公
益財団法人生協総合研究所特別研
究員。
生協総合研究所の研究員になりまし
た。研究員としての活動の他に、生協総
研の知名度アップにも努めますので、皆
さまのご助力をお願いします。
よね やま
もり まさ
米山 司理
■■■ 1973年共同通信入社。大阪経済部、
ロンドン支局、常務理事など。現在、
共同通信システム代表取締役社長。
時間的に余裕ができましたので入会さ
せていただきました。現政権の動きを
しっかりとウオッチしていきたいと思っ
ています。
ゴールデンサイクルⅡへ」と題して講演した。景気循
環学会(副会長:池田吉紀会員)
主催。
(1.27 宴会場)
■ 第192回MMフォーラム 21
「Global Cloud Visionに基づく事業展開」と題し、
有馬彰氏(NTTコミュニケーションズ社長)
が講演し
主催。
た。MMフォーラム21(世話役: 原博行会員)
参加者は約60人。
(1.28 10階ホール)
■ 言論NPO新春会員交流会
「2014年、言論NPOが目指すもの」をテーマに、国
内とアジアや世界の課題に対する取り組みを工藤泰
志代表が説明し、会員との交流を深めた。言論NPO
主催。
(1.29 10階ホール)
日本新聞博物館 企画展
東京写真記者協会加盟社(新聞、通信、放送34社)
の
写真記者が撮影した報道写真で咋年を振り返る「2013
年報道写真展」が開催されています。3 月30日まで。
☎045-661-2040 http://newspark.jp/newspark/
未来をひらく日本委員会 17年間の活動を終える
毎月、時局のテーマでセミナーを開き、各界
への提言や次代を担う企業の若手リーダーらの
指導と情報交換の場を提供してきた「未来をひ
らく日本委員会」
( 尾畑雅美代表・元NHK専務
理事)が、17年間の活動を終えました。講師の
多くを当クラブの会員各社のベテラン記者が務
め、10階ホールを定例会の会場としていました。
通算185回となった最終回は 1 月21日、杉田
亮毅日本経済研究センター会長(元日本記者ク
ラブ理事長)が「正念場のアベノミクス」と題し
て講演、安倍政権 2 年目の日本経済の行方を語
りました。講演会後にレストランアラスカで“卒
業”パーティーも行われ、同会の会員である企
業各社のトップやTBS「ニュース23」の岸井成
格氏、日本経済新聞の喜多恒雄社長など150人
が出席、尾畑氏の労をねぎらい、同会の“発展
的解散”を祝いました。
No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 22
事 務局から
バー/レストラン
予約電話 和食
3503 2723 洋食 3503 2766
和食 如月懐石(2/28まで)
先付:帆立白和えほか お椀:清汁 お造り:三
点盛り 焼物:蟹甲羅焼き 煮物:海老芋旨煮
揚物:子持昆布と筍の挟み揚げ 食事:蟹雑炊 水菓子:季節の果物 グラス冷酒付き(5,250円)
(板長:大井由光)
春の異動 会員登録変更のお届けを
──役職変更もご連絡ください──
会員の入会、退会には所定の「変更届」があります。
変更は会員資格委員会に諮られます。変更がある場合
は事務局の村上(☎03-3503-2727 e-mail murakami
@jnpc.or.jp)へご連絡ください。役職変更のみの場
合もお知らせ願います。
和食レストラン・夜の部 国産牛のすき焼き鍋コース
コピー機精算 プリペイドカードが便利です
小鉢 3 品、蟹甲羅焼、すき焼き、うどん、アイ
スクリームのコースです。割り下を使った関東風
のすき焼き鍋をどうぞ。お一人3,675円で、お二人
からお受けします。ご予約をお願いします。
ラウンジのコピーはプリペイドカードで精算でき
ます。カードは110枚分が1000円、55枚分が500円の
2 種類で、どちらも現金精算より 1 割お得です。頻
繁に利用される方におすすめです。カードは受付で
販売しています。
(2/28まで)
洋食 ブイヤベースコース(3/1まで)
鴨肉パテのパイ包み焼きサラダ仕立て、海老、
帆立、白身魚、牡蠣のブイヤベース ガーリック
トースト添え、デザート(プチガトーとフルーツ)
、
コーヒー付き(3,675円)
。ランチ、ディナー(土曜
日はランチのみ 9 階レストラン)ともにご利用い
(シェフ:黒須修一)
ただけます。
会員社ホール │イ│ベ│ン│ト│情│報│
▲
浜離宮朝日ホール 藤原道山×SINSKE「オペラ」
尺八演奏家の藤原道山とマリンバ奏者のSINSKEによ
るコンサート。オペラで歌われる有名なアリアを自ら
編曲して演奏する。
5/26(月)
19時開演/5/27(火)
14時開演(各5,000円)
●問い合わせ:☎03︲3267︲9990●http://www.asahi-hall.jp
日経ホール イリヤ・イーティン(ピアノ)
&セルゲ
イ・スヴォロフ(チェロ)
デュオ・コンサート ロ
シアンピアニズムを継承する巨匠とオイストラフト
リオの末裔が一夜限りの初共演です。魅惑の正統派
ロシアンデュオのコンサートをお聴き逃しなく。
3/7(金)18時半開演(3,500円)
●問い合わせ:☎03︲
3943︲7066●http://www.nikkei-hall.com
サントリーホール オープンハウス ~サントリー
ホールで遊ぼう! アークヒルズの「桜まつり」に合
わせ、サントリーホールを 1 日無料開放します。出
演は鈴木優人、横浜シンフォニエッタなどを予定。
演奏やさまざまなイベントをお楽しみください。
4/5(土)11時から17時まで(入場無料)
●問い合わせ:
☎0570︲55︲0017●http://suntory.jp/HALL/
王子ホール G-Lounge #18 ルー・クワール・デ・
ラ・プラーノ フランスのマルセイユを中心に活動
する男声コーラス。声だけでなく手拍子や足踏み、
そして打楽器を駆使して生み出される「音楽のブイ
ヤベース」をお楽しみください。
2/27(木)19時開演(5,000円)●問い合わせ:☎03︲
3567︲9990●http://www.ojihall.jp/
ジェイ・スポーツが入会
BSやケーブルテレビでスポーツ専門チャンネル
を放送しているジェイ・スポーツが法人会員として
入会しました。登録会員は下記の方々です。クラブ
の法人会員社は133社となりました。
上田修・代表取締役社長/今野義範・制作部長
<訃報> 丹羽弘吉会員(特別賛助会員、79歳)が12
月27日に、奥田義会員(読売新聞出身、78歳)が 1
月18日に死去されました。謹んでご冥福をお祈りい
たします。
HP ➡ http://www.jnpc.or.jp/
NEW!
▲
■会見詳録 1 月のアップロード
●記者ゼミ⑩ 李玉川 北京日報東京支局長/加藤千
洋 同志社大学教授「中国メディアの最新事情」
(12.9)
●ジョン・キーン シドニー大学教授「民主主義の
将来を見通す」
(12.4)
●佐藤真海 パラリンピック女子陸上選手「夢は続
く 2020年東京パラリンピックへ」
(10.29)
▲
2月の行事予定(2/3現在)
14㊎
17㊊
▲
21㊎
26㊌
27㊍
12:00 ~ 13:30
昼食会 渡辺博史・国際協力銀行総裁
14:00 ~ 15:30 10階ホール
著者と語る『誕生日を知らない女の子』
黒川祥子・第11回開高健ノンフィクション賞受賞者
16:00 ~ 17:30 10階ホール
研究会「集団的自衛権」① 北岡伸一・国際大学長
15:30 ~ 16:30 10階ホール
記者会見 小林香・福島市長
11:45 ~ 13:15 宴会場
昼食会 熊崎勝彦・プロ野球コミッショナー
ホームページの「会見カレンダー」で、日時の変更なども含め、最新のク
ラブ行事をお知らせしています。参加申し込みもカレンダーからできます。
クラブの電話 ダイヤルイン
和食レストラン(9階)
洋食レストラン(10階)
貸室予約、宴会打ち合わせ
受 付
会員現況
☎3503
☎3503
☎3503
☎3503
2723
2766
2724
2721
☎3503 2727
会員事務
経 理
☎3503 2728
☎3503 2722
クラブ行事への申し込み
会見申し込みアドレス
[email protected]
法人会員:133社 基本会員:745人 個人会員:1,397 人 法人・個人賛助会員:66社・153人 特別賛助会員:96人 名誉・功労会員:12人 学生会員:29人
計:199社・2,432人
23 ⃝日本記者クラブ会報 2014.2.10 No.528
会報委員会
委員長=石川 一郎
委 員=荒田 茂夫 五十嵐 裕 大寺 廣幸
風間 晋 神田 由紀 北村 節子
佐塚 正樹 高橋 茂 長澤 孝昭
吉野 理佳
(事務局:長谷川和子 村田 茜)
☎03 3503 2752 FAX 03 3503 7271
写
真
回
廊
日午後
15
時
0
みのる
稔 (毎日新聞大阪本社写真部)
かな ざわ
撮影:金澤
分 広島県大竹市阿多田島沖 毎日新聞社ヘリから
海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」
(奥)
と衝突し転覆した釣り船「とびうお」
月
1
56
鯨と「とびうお」
6
転 覆 し て 赤 い 腹 を 見 せ る 釣 り 船「 と び う
お」の向こうに、海上自衛隊の輸送艦「おお
すみ」(排水量8900トン)
の鯨のような巨
艦が、いやでも目に入る。
あ た
事故は 月 日午前 時頃、広島県阿多
た
田島沖の瀬戸内海で起きた。私が興味を持っ
たのは、発生が「おおすみ」から直ちに第
管区海上保安本部に無線通報され、今後の
業務上過失往来危険容疑の捜査も海保が行
うという至極当たり前のプロセスだ。
中 学 生 か 高 校 生 の と き、 職 業 軍 人 だ っ た
父からゴーストップ事件のことを聞いた。事
件は1933(昭和 )
年、大阪の天六(天神
橋筋六丁目)
交差点で起きた。交通巡査が赤
信号を無視して渡ろうとした兵隊を注意
し、交番に連行したため殴り合いとなり、果
ては軍部と警察の対立に発展した。
ときは満州事変に突入しており、軍人は
交通信号(一般法)に従わなくてもよいとい
う風潮さえ生んだ。父は「軍人もああいうこ
とをしちゃいかんもんな」と嘆いていた。
その意味では、1988年の潜水艦「なだ
しお」の事故、2008年のイージス艦「あ
たご」の事故と同様に、今回の衝突事故が
海難事故として処理されることは当たり前
の こ と な が ら 意 義 深 い。 そ れ は 安 倍 政 治 が
軍事優先の考えをちらつかせ出したときだ
けに、なおさらそう感じるのだ。
(井芹 浩文)
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No.528 2014.2.10 日本記者クラブ会報 ⃝ 24
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