Comments
Description
Transcript
第5節 東京電力の初期の対応(PDF形式 303 キロバイト)
第4節 国、柏崎市及び刈羽村の対応 中山 里志(刈羽村企画広報課長) 7月 16 日(月)海の日の午前 10 時 13 分頃それは起こりました。マグニチュード 6.8 の地震が発生したので す。私はそのとき、震源地と言われる所から程近くに位置する柏崎市の宮川にいました。突然の揺れに、た だただ驚き、立っていられない程の揺れで地震と認識するまで相当な時間を要しました。何か地球規模での 大きな異変、正に天変地異が生じたのか、と思う位に目の前の山々が大きく揺れ動いている様を目の当たり にしたのです。この地震が後に命名された「平成 19 年新潟県中越沖地震」であります。こんな経験は初めて だと思いながら、携帯電話で役場に電話を掛けてもなかなか繋がらず、原子力発電所や自宅に掛けても同じ こと・・・取り急ぎ「役場に出向いて災害対応にあたらないと」と思いながら車を走らせても、なかなか進 まない。道路はいたる所で亀裂や陥没が見受けられ、地震の破壊力をまざまざと見せつけられた形となった。 漸くのおもいで役場に辿りつくと、駐車場はまるで戦場か野戦病院にも見て取れる程の悲惨な状況に直面 しました。怪我人が多く集まり、応急手当を受けたり、救急車を手配しようにも救急車が来られない程、配 車の手配が出来ず、仮に出来たとしても道路状況が悪くおもうに任せない厳しい状況にありました。 少しずつ時間が経つにつれ、被害の大きさを知らされ、その深刻さが浮き彫りになってくる。人命の救助 が最優先されることは言うまでもありませんが、当地にとっては原子力発電所が立地しており、その発電所 において「放射能漏れ」すなわち原子力災害が発生しているかどうかの把握も急務です。 しかしながら、役場と発電所を結ぶホットラインは繋がらないことから、県にモニタリングの観測値を聞 き取りするなどして異常値でないことを確認。 地震発生から暫くの時間を要したが、防災行政無線で村民に周知したことで原子力災害に対する不安は、 一応の払拭が出来たところ。また、この頃、3 号機の所内変圧器から黒煙を上げる様子がテレビで放映され ていた。 この報道振りは、あたかも原子力災害がそこに発生したかのごとく受け止められ、多くの地域住民や県民 広くは国民に被災による放射能漏れを印象付け、このことが風評被害となって大きな不安を掻き立て、柏崎 の海は大丈夫か?柏崎刈羽の米は?といった誤った理解となって返ってくる。 このこととは別に、他の号機でごく微量の放射能漏れはありましたが、人体には全く影響のないものであ り、「当地に足を運ぶことは出来ない」などという間違った理解は、発電所の立地地域にとって由々しき問 題となったことも事実である。 ともあれ、このような状況にあったにも拘わらず、地域住民の応急措置や一時避難、仮設トイレの設置、 被災者への炊き出し等々が地震発生当日に早い段階で迅速に手当出来たのは、3年前に発生した中越大震災 の経験と教訓からかも知れない。 このようにして二度に亘る大きな震災を受け、誰にも言い難い程の苦難を強いられた柏崎刈羽地域の住民 にとっては、一日も早い全ての復興が成し遂げられ、震災前にも増して更なる躍進を遂げることを思い描い て止まないところである。 最後に この大きな震災に際しまして、多くの皆様からお寄せ頂きましたご支援に衷心より感謝申し上げます。 以 上 原子力発電所の安全機能である、「止める」「冷やす」「閉じ込める」を確保するため、緊急時には、スクラム により制御棒を全挿入し、原子炉を停止させるとともに、原子炉内の除熱、減圧等の操作を行い、「冷温停止」 の状態とする必要がある。 地震発生直後、運転中及び起動中の各号機の当直長は、制御盤で原子炉自動スクラム及び全制御棒全挿入を確 認し、その後、運転員は、当直長の指示の下、各号機の状況に応じて冷温停止に向けた操作を行った。 震災直後の自動停止の状況や停止後の操作手順の適切性など、東京電力が行った運転管理上の措置について、 保安院は、調査・対策委員会の下に設けられた「運営管理・設備健全性評価ワーキンググループ」の意見を踏ま 287 第7章 中越沖地震に係る原子力発電所への影響 え、課題を抽出するとともに評価を行った。 この評価結果では、各安全機能等は、以下のとおり運転員の操作などにより確保されていたと報告されている。 「中越沖地震発生時の運営管理に係る評価結果(保安院)」(抜粋) ① 運転中の原子炉施設は、すべての制御棒が全挿入されたことなどから「止める」機能は確保されて いたと評価される。 ② 各原子炉施設の除熱のための各系統が正常に動作し、また、運転中の原子炉施設は、原子炉スクラ ムから冷温停止に至るまでの原子炉の減圧等の運転操作が適切に実施されていたことから、「冷や す」機能は、確保されていたと評価される。 ③ 原子炉冷却材中のヨウ素濃度及び各種パラメータにより、有意な変動がないことから、 「閉じこめ る」機能は、確保されていたと評価される。 ④ 外部電源は、地震発生後4系列のうち2系列が健全であった。非常用ディーゼル発電機は、外部電 源がすべて喪失した際に自動で起動するが、地震後も2系列確保されていたため、自動起動はしな かった。 なお、非常用ディーゼル発電機は、地震後の作動確認試験で健全であることが確認されたことか ら、仮に外部電源がすべて喪失していたとしても、同発電機により電源が確保されていたものと評 価される。 また、各安全機能等は、十分に確保されていたが、今後とも、確実に確保するための教訓と課題 は、次のとおり。 ① 運転員の訓練内容の策定 ② 緊急対策要員を含めた当直体制の整備・強化 ③ 設計用限界地震動を上回る地震が発生した場合の非常用ディーゼル発電機等の作動確認試験の速 やかな実施のための措置 地震直後の10時15分、屋外のパトロールを行っていた2号機の運転員は、3号機脇の所内変圧器からの発煙を 発見し、2号機当直長に連絡した。2号機の運転員から連絡を受けた2号機当直長は3号機当直長に連絡し、3 号機当直長は、直ちに消防署への通報を開始したが、1 19番通報がつながりにくい状態が継続し、しばらくは連 絡ができなかった。 同時に、3号機当直長の指示の下、運転員2人と協力会社社員2人の4人が、屋外消火栓を利用して初期消火 活動を開始したが、地震で屋外敷設の消火設備の配管が破断したことから、消火栓からの放水量が少なく、消火 が進まない状況が続いた。 10時27分になり、ようやく消防署と電話がつながったが、消防署からは「地震による出動要請が多く、到着が 遅れるので、それまで自衛消防隊で対応してほしい。 」旨が伝えられた。 東京電力の自衛消防隊は、防火管理者又は休祭日当番により招集されることになっていたものの、休祭日当番 は地震後の対応に追われるとともに、電話がつながりにくい状況が続いたことなどから、迅速な招集はされなかった。 東京電力は、10時45分ころに、発電所の事務本館屋外に、仮非常災害対策本部を設置した。初期消火活動を 行っていた運転員らは、消火活動が進まない中、油火災による変圧器の爆発の危険を感じ、安全な場所に退避し た後、3号機当直長を通じて状況を仮非常災害対策本部に報告し、消防署の到着を待った。 仮非常災害対策本部では、変圧器に防火壁が設置されていることなどから、他の変圧器への延焼の可能性は低 いと判断し、状況監視と消防車受入れのために、社員に周辺防護区域ゲートへの移動を指示し、これにより、初 期消火活動を行っていた社員1人がゲートへ移動し、その他の者は火災の状況を監視していた。 11時23分に、3号機当直長から消防署へ、再度消防車の出動を要請したところ、消防車が発電所に向かった旨 の回答があり、1 1時30分には、消防署からの水槽付化学消防車1隊5人が到着し消火活動が開始され、1 2時10 分には鎮火が確認された。 運転中及び起動中の各原子炉においては、19時40分に2号機、23時7分に3号機、翌7月17日になって1時 15分に7号機、6時5 4分に4号機が冷温停止した。 288 第5節 東京電力の初期の対応 原子炉を冷却するための通常の手段は、蒸気タービン停止後に、原子炉で発生した蒸気を復水器に誘導し、復 水器で水に凝縮させて冷却を行う。その際には、復水器の真空度を高く保つ必要があり、そのための機器を動作 させるためには、所内ボイラーから蒸気を供給する必要がある。 1号機から4号機までには共用の所内ボイラーとして4台が設置されており、地震発生時にはそのうち2台が 運転中であった。しかし、地震の発生により、そのうちの1台が使えなくなったため、運転中であった3号機及 び4号機を同時に冷却するために必要な蒸気の量が確保できなくなった。 このため、発電所の仮非常災害対策本部は、原子炉建屋のブローアウトパネルが脱落していた3号機の冷却を 優先することが必要と判断し、4号機は原子炉圧力、原子炉冷却材温度及び原子炉水位を調整しながら、高温待 機状態に保ち、3号機の冷温停止後に原子炉冷却操作を行うこととした。 なお、4号機は必要な場合には、主蒸気逃がし安全弁とサプレッションプールを用いた冷却を行うことができ る状態にあり、安全上の問題はなかったものと判断されている。 東京電力が発電所敷地内で常時監視している環境放射線MPの観測データについて、東京電力は自社のホーム ページに掲出するとともに、県にデータを伝送している。県では、県が設置しているMPの観測データと併せて、 東京電力MPの観測データについても県のホームページに掲出している。 しかし、今回の地震によって、東京電力のMPでの監視・測定は中断しなかったものの、発電所の中央処理装 置等に傷害が発生したことにより、監視データの自社のホームページへの掲出及び県への伝送が中断した。 このため東京電力は、地震発生の当日の13時から毎正時のMPの観測データを表の形式で自社のホームページ に掲出するとともに、県に対して電話等によって報告を行った。 その後東京電力は、7月17日1 6時から県へのデータの伝送を再開し、7月18日16時から自社のホームページ への常時監視データの掲出を再開した。 柏崎刈羽原子力発電所では、社内規定に基づき、プラント内に設置してある地震計が10ガル以上の地震加速度 を観測した場合に所内パトロールを実施し、異常の有無を確認することとなっている。 中越沖地震時には、発生後の10時30分からパトロールを開始し、その後の余震への対応を含め、翌7月17日 の19時15分までの間、延べ533人によるパトロールを実施した。これにより、使用済燃料プールの溢水や排気筒 ダクトのずれなど、多くの事象を確認した。 地震発生後、東京電力としての記者会見は東京の本店で行われ、地震当日は4回行われた。 最初の発表は10時45分に、 「10時40分現在の地震の影響について」と題して、運転中の3号機、4号機及び7 号機並びに起動中の2号機が停止しているという内容だった。 2回目の発表は14時に、13時現在の各号機の状況として、運転中の号機が自動停止したことと、これによる外 部への放射能の影響はないこと、また、3号機の所内変圧器火災が鎮火したことについて知らせたものであった。 3回目の発表は19時40分に、「地震観測記録の速報」と「18時30分現在の各プラントの状況」が発表された。 1号機の原子炉建屋最下階で680ガルの加速度が観測されたことと、運転上制限の逸脱に関する事項についての 取りまとめであった。 4回目の発表は21時45分に、6号機からの放射性物質の漏えいについてであった。この事象は、14時15分こ ろに最初に原子炉建屋の非管理区域の水たまりで放射能を検出したにもかかわらず、その後、さらに2回の試料 採取と検査を繰り返すなど漏えいの確定に時間を費やし、その間に、非管理区域の排水施設から海域への放射性 物質を含む水が放出されたものであり、国や自治体への通報を含め、情報連絡の遅れについて指摘された。 また、パトロールや点検で判明したプラント状況については、翌7月1 7日の夕方から、毎日公表された。 なお、東京電力は、地震発生当初、基本的に記者会見は東京の本店で対応しており、現地の柏崎刈羽原子力発 電所では積極的な対応は行われなかった。その間、県に対しても報道機関を始め県民等から発電所の状況や放射 289 第7章 中越沖地震に係る原子力発電所への影響 性物質の漏えい事象について多くの問い合わせがあったが、県からの指摘もあり、東京電力が地元で公式の記者 会見を行うようになったのは、7月20日以降であった。 高橋 明男(東京電力株式会社 執行役員柏崎刈羽原子力発電所長) 『そのとき、私は』 平成 19 年 7 月 16 日午前 10 時 13 分、私が柏崎市内にある社宅の台所に立っていた時、震度 6 強の激しい揺 れが襲った。両手でテーブルをつかんで耐えるのが精一杯で、食器棚からは食器がすべて飛び出し、ガラス の破片が床いっぱいに散乱した。発電所のプラントは全て自動停止したなと思いつつ状況が気になり、ガラ スで足に傷を負った妻の面倒を十分にみる間もなく、すぐに車で発電所に向かった。 その頃発電所では、運転中の 4 基の原子炉は全て自動停止。当直員は家族への連絡を後回しにし、プラン トの点検作業を実施していた。 渋滞と道路が寸断されていたため途中から徒歩で発電所に向かい、私がようやく発電所にたどり着いた時 には、入口ドアが地震で歪んでしまい緊急時対策室が使えないため、駐車場に急遽作った緊急時対策本部に 所員が集まって対応に追われていた。到着してまず、プラントデータの異常の有無、地元自治体をはじめ関 係機関への通報連絡状況、けが人の発生状況を確認した。このままではその後の対応に支障をきたすと思い 緊急時対策室の復旧を指示し、13 時 05 分に復旧した。この頃には自らが被災者であるにも関わらず 200 名を 超える所員が発電所に集まって来た。集まった所員で手分けしてパトロールを実施したが、深夜におよび多 くの所員が徹夜した。 今回の地震で、所内変圧器の火災、微量の放射性物質放出等のトラブルを発生させた事や、その際に地域 の方々等への迅速で的確な情報提供ができなかった事等により、皆さまに大変なご心配をおかけしたことを 改めてお詫びしたい。 また、地震直後から発電所に駆けつけ、点検・調査・復旧作業に全力で取り組んでくれた所員、協力企業の 方々に感謝するとともに、多くの皆さまから激励、 ご支援をいただき、 この場をお借りして御礼申し上げたい。 今回の地震による教訓と反省を踏まえ、発電所の安全を一層確かなものとするよう、化学消防車の配備、 24 時間体制の消防要員の配置、情報発信手段の多様化等、必要な改善を図ってきた。今後も一つひとつ丁寧 に設備の点検・調査を行い、安全性の確認を行うとともに、これまで実施した敷地周辺の地質調査の結果や 今回の地震による新たな知見を踏まえ、より一層耐震安全性を高め、災害に強い発電所づくりを進めてまい りたい。そして、品質に優れ、世界に誇れる原子力発電所を目指して、所員と協力企業が一丸となり、立地 地域の皆さまをはじめ社会の皆さまから信頼され安心していただけるよう全力で取り組んでまいる所存です。 目崎 俊弘(東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所 6・7 号機 当直長) 7月 16 日(月)海の日の祭日、午前 10 時 13 分 強い縦揺れと大きな横揺れが発電所を襲った。 『地震だ!』 と直感した。中央操作室内の警報が多数発生し警報音がけたたましく鳴り響いた。 当日、夜勤勤務のチームから業務を引継ぎ、チームでミーティングを行った直後の出来事であり、これが 長い 1 日の始まりとなった。 揺れは 3 年前の中越地震より大きく、中央操作室天井の飾り照明が落下してきた。けが人が出なかったこ とは幸いであった。 この地震の揺れにより原子炉は自動停止し、直ぐにメンバーから「スクラム成功」という報告がありホッ とした。原子炉は安全に停止した、次は原子炉を冷やす必要がある、そのための監視と操作を全員が一丸と なって対応した。今までに経験したことのない大きな揺れである。設備にどの程度の損傷が起きているのか 分からない。状況を把握するため、一つ一つ丁寧に計器類の指示を確認した。現場の巡視点検も直ぐに実施 したかったが、余震の発生を考慮し様子をみながら実施した。巡視点検の結果、原子炉の冷却に必要な設備 に損傷は見当たらないとの報告を受けた。今は問題なくとも、これから異常が発生するかも知れないと油断 することなく、危機意識を持ちながら手順書に基づき慎重に原子炉の減圧冷却操作を行った。 原子炉が冷温停止したのが翌日の午前1時過ぎである。非常時の原則『止める、冷やす、閉じ込める』が 290 第5節 東京電力の初期の対応 完了し、安堵した瞬間である。 原子炉が停止した以降、今現在も原子炉の冷却状態を継続して維持管理しながら設備の健全性確認を実施 している。 地震発生後、原子炉の停止対応に追われたが、地震直後は家族の安否が脳裏をよぎった。 『無事だろうか?』。当然メンバー全員が家族のことを心配したと思う。でも全員が家族のことを気にしな がらも原子炉の安全確保に全力で対応した。普段の訓練通りに冷静にメンバー相互の連携を図りながら、遺 憾なく能力を発揮してくれた。私は運転責任者として、運転員としての使命・責任を全うした彼らを誇りに 思うとともに感謝している。 私達運転員は、今回の経験を今後に生かす必要がある。非常時対応で得た知見を取り纏め他発電所と情報 を共有して不測の事態に備えることが重要である。 私は今回の教訓を生かし、災害に強く地域に安全・安心していただける発電所作りに努力していく所存で ある。 佐々木 昭悟(株式会社関電工 電力本部原子力部柏崎刈羽事業所長) 震災当日、私は埼玉の自宅に帰省していたが震度 4 の揺れを感じると同時にテレビに注目した。震源が柏 崎沖と確認したときは本当に驚いた。当日は休日であったが、定検工事で数十名が出社していた。直ちに電 話で安否確認と情報収集を指示した。テレビで運転中の 4 基が安全に停止していること、現場からの報告で 大きな怪我はないようだと聞き、一先ず安堵したことを思い出す。 当事業所は柏崎刈羽原子力発電所における原子炉周りの主要機器を除く発電所本体の電気・計装品の保守 点検と東京電力事務本館など周辺建物の電気・空調衛生設備工事を主な業務としている。これらの業務に常 時、二百数十名が従事しているがその 8 割以上は柏崎刈羽地区の住民である。ヘリコプターから市内の状況 が中継され、被害状況がわかるにつれて不安が増した。市内松波にある当社の寮は大きな被害もなく、電気 が使用できる状態であったのでここを当座の連絡本部にできたことは幸いであった。 テレビからは 3 号機所内変圧器火災の映像が流れていた。関係者、知人らとの電話でも話題になり、電気 は別の変圧器で受電していて、火災は発電所の安全機能には問題ないし類焼しなければ心配ないと話した。 事務所で煙を見た人間は、ラジオや外部からの情報で変圧器が燃えていることを知った者もいたようだ。緊 急時に広い発電所構内で正しい情報を伝達する難しさを感じた。東京電力は原子炉の「停める、冷やす、閉 じ込める」という安全機能の維持と状況把握に頑張っておられた。その対策本部になる事務本館も被害を受 けていた。地震後、多くの職員が駆けつけたがパソコンも照明も満足にない状態で、思うような活躍はでき なかったと思う。修理に残っても良いという作業員を集めて、必要最小限の電源盤の応急処置を済ませた。 翌日以降は電源の修理、仮設発電機の設置、照明とエアコンの復旧・仮設をフル回転で行って、不十分なが ら仮の執務エリアを確保した。これらの復旧作業にあたったのは建設以来、当社と協力して電気工事にあたっ ている地元企業の従業員である。自宅の心配もあったと思うが、本当に頑張ってくれたと思う。 事務本館は耐震性を強化した改修工事が順調に進んでいる。さらに緊急時対策本部など重要設備は地震に 強い「免震棟」を建設してここに移設する予定と聞いている。発電所本体設備の点検は東京電力の計画に従っ て、目視点検から始まり現在も続いている。当社の役割は技術的な解析・評価のための正しいデータ収集す ることと心得、慎重に点検作業を進めている状況である。 発電再開についてはそれぞれの立場で、必要なことを一つ一つ実行するしかないと思っている。同時に、 この地震で得られた知見は人まかせにせず自分なりに理解する努力も必要ではないかと思っている。 柏崎刈羽原子力発電所は、耐震設計審査指針に定められた工学的に考えられる最大規模の地震動(基準地震動 S2)として、解放基盤表面で4 50ガルを想定して設計されていた。しかし、中越沖地震による建屋の揺れはこ 291