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Untitled - Japan Handmade
闇 澄 謹 「私 たち伝統工芸といわれる分野に携わる者は、 つねに自分たちが受け継いだ歴史や伝統が これからも生き残るためには何をすべきかを 考えねばなりません」 。明治8(1875)年の創業から138年間、 その暖簾を守ってきた茶筒の老舗ブランド「開化壁」の6代 目・八木隆裕氏はそう語る。何をすべきか 。八木氏はこう 続けた。 「時代とともに変えていくべきもの、未来永劫変えて はいけないもの、この二つのサジ加減でしょう」 。 たとえば1200年以上も前から存在する西陣織のファブ リックがファッションブランドとコラボしてパリのランウェイ に登場する、同じく1000年にわたる桶づくりの技が現代家具 に蘇るなど、古くから伝わる素棚や技を現代人の生活に寄り 添うように取り入れていく発想のなかに、その「サジ加減」は みごとに活かされている。先の八木氏もまたグローバル化し た時代に合わせたモノづくりに向き合う。 思い起こせば世界に名だたるブランド(たとえばシャネルや ルイ・ヴィトン)は、まさにこの「サジ加減」ゆえに時を超えて 燦然と輝く。むろんその地位を盤石なものにするまでにはさ まざまな葛藤もあったろう。伝統と現代の狭間でバランスを 失いかけたこともあったろう。だが、彼らには常に「革新の連 続こそが伝統なのだ」という確信があったはずだ。 このレポートで紹介する前述の八木氏を含む"京都6人衆. (開化堂・八木隆裕氏、朝日焼・松林佑典氏、中川木工芸比 良工房・中Iii用土氏、細尾・細尾真幸氏、公長蔚小菅・小菅 達之氏、金網つじ・辻徹氏)にも、同じ想いがある。彼らは いわば伝統工芸という旧来、日本に存在する世界の"新世代" であり、まだそのチャレンジは始まったばかり。革命児として その業界に嵐を巻き起こすことができるのか、そして日本が 誇る名ブランドとしての地位を築くことができるのか。すべて は未知数だとはいうものの、着実に彼らの道は前へ前へと 開けつつあるようだ。ちなみに日本の伝統工芸品の数は約 1,200にのぼり、会社数約25,000、従事者細4万人、生産額 約8,000億円といわれる。京都には約3,600社がちり全国で も一番のシェアを誇る。この6人衆もそのなかに入り、全国各 地で開催される伝統工芸展ではそのうちの何人かが、よく顔 を合わせることがあったという。そこで会話が交わされ、やが て「世界に誇れる活動がしたい」という志のあることを確認し ていった。気がつけば、仲間は5人になり居酒屋に集まり夜を 徹して「工芸と芸術の違いとは」 「伝統と現代の融合とは」を テーマに話し込むように。そして昨年新たに朝日焼の松林氏 が加わり総勢6人が同封こなった。 さていよいよ走り出した彼ら6人の最新成果は、 1月18日∼ 22日にフランス・パリのノール見本市会場で開催されたイ 400年の歴史を誇る朝日焼の窯 ンテリア・デザイン・家具汝どの世界的イベント「メゾン・ 元。内観と門構え。 「麿」の中で I.オブジェ」に出品したことだ。彼らの取り組みは日本 は陶工たちが創作に打ち込む。 の経済産業省が実施する「(平成23年度)クール・ジャパン戦 略推進事業」の一つとして認定され、 「GOON」というユ ニット名が付いている。今回は「JAPAN HANDMADE」の 名で1人1作品を展示した。多忙な日常業務をこなしながら展 示作品の創作に日夜打ち込んだというその作品、残念なが〉 左上から時計回りに,開化堂の八木経絡氏。制作 に打ち込む姿(PHOTOGRAPHS BY MASUMi MiZUNO)。朝日焼の茶器「河演酒器セット」。シン プルで高貴なたたずまいが印象的だ。朝日焼の16 代目、松林佑輿氏。土を操る手を休めるひととき。 開化堂の茶筒を馴乍するのに欠かせない部品。 らこのレポートではご紹介できないのだが、取材時に撮影さ せていただいた象徴的な作品をご覧いただければパリで展 志されたものにどのような賛辞が送られたのかおわかりいた だけるだろう。あるいはそこから歴史と伝統を誇る家に生ま れた待命を背負い、自らの進む道を模索しながら今日にたど りついたその精神の軌跡も読みとれるのではないか 。試 行錯誤の日々をあえて語らない彼らだが、 6人がそれぞれ、 一度は家業から離れ外の世界を体験してきたことからも、迷 いrJ:がら進むべき道を探していたことがわかる。 たとえば八木隆裕氏である0 138年前、文明開化の時代。 英国から輸入されたブリキを使って缶づくりを始めた開化 堂の6代目だ。大学卒業後は、あえて家業から離れ、クラフ トセンター免税店で働いた経験をもつ。 「ここで外国人が 日本にどのような印象を抱いているのか。どのようなモノ にニーズがあるのかを学んだ」という。社長を務める父の 聖二氏も現役だ。子は幼い頃から、ブリキを叩く金槌の音 を子守唄代わりに成長した。家を継ぐことは自然のことだ と思っていなかったわけではないが、ならば若いうちに外 での経験を積んでおこうと、あえて家業と異なる業務に飛 び込んだ。 「おかげで英語も話せるようになったし社交も 学んだ。海外に向けて日本をどうアピールすればよいのか も理解できた」と言う。代々伝わる技を駆使して彼が生み 出す茶筒。それは001ミリにこだわる繊細な作業である。 蓋をきっちり閉めなくても筒の口に合わせればごく自然 にすっと本体にはまる。幼い頃から聞きつけてきた父がブ リキと向き合う音から、本体と蓋の寸法を緻密に合わせる 「塩梅」を自然に覚えたのだろう。機械ではなく手による ものだからこそできる技である。思わず称賛の声が出た「お見事」 I ko,kod。JP 八木氏と同じ茶に絡む伝統工芸の世界に身を置く松林佑 典氏は、約400年の歴史をもつ朝日焼の16代目だ。大学卒 業後に1年間貿易関係の会社に勤務。その後、京都府立陶工 高等技術専門学校でロクロを学び修了後は朝日焼15世・松 林豊斎氏のもとで修業を積むことに0 2010年には京都高島 屋で個展を開催。最近は各地で父と子による親子展も実現 左上から時計回りに、細尾 の生地をつかったミ八ラヤ 一 ..千:∴- 劔 ・態情*-,-/--/-\一望 劔+,,+i:,: スヒロのコレクション。西 ∴∵†:- 異駆/--潤 劔・態開 偬( ネ+Xン 幹 陣織を現代に蘇らせた。西 陣織の織機。細尾真季氏 ユ 蔓/葺 ∼:_I-, i 「、 68 CENTURION b 爾 酢溺 剳ヌ._:之耀i-- 末末末冲・ 2 2 槌 が図柄について職人さん と打ち合わせする姿。 している。 朝日焼は茶ところ京都・宇治で生まれ、茶人・小堀遠州に 指導を受けたことから、器は公家や大名にも珍重されたとい われる名門だ。それゆえに家業を継ぐ重圧が松林氏にもあっ た。 「いずれ海外に出てみたい」 -そんな想いもあって一 度は出てみたものの、海外への道は予想以上に遠い。このま ま仕事を続けるべきか 迷いながら家業に戻る道を選ん だ。 「いつの時代にも、たとえば100年後でも作品がつくら れた時代の空気が伝わるようなものを創出したい」 。松林氏 は静かに言葉を選びをからそう語る。その想いを素材の土に 込める。土は窯のなかで燃料となる松副木が放つ炎と出会い 器へと姿を変える。その神秘。そこにあるのは火を操る陶 工・松林氏の手技だ。茶器の造形美から日本の美しきを世界 にアピールする新たな取り組みに戸惑いながらも海外に出た 上から、木と向き合い造形に想いを巡ら す中川周士氏。木の美しきを量大隈に生 いという夢を叶えた。 050h・yok・C。m かした中Iii氏のK【一〇KE STOOL。 造形美といえば、木工芸も見逃せない。日本人は古来、木 を愛し生活のなかに取り入れてきた。なかでも高野旗と槍は 銘木の誉れ高く珍重されてきた。それらを素材にして木桶の シャンパンクーラーを創出しワイン愛好家を驚かせたのか、 曲目木工芸の3代目・申Ii旧士民だ。先代である父・中Ii隔 司氏は重要無形文化財(人間国宝) 「木工芸」に認定された 伝統工芸の世界では重鎮である。父は目指す人でもあり越え ねばならない人でもある。そんな風土氏は大学時代には現代 ∴∴∴ 発く i\ アートの世界に足を踏み入れ、伝統工芸の外の世界を体験し -∴ 坪 ∴∴∴∴∴∴∴-∴ た。 「プロタイプ(原型)をつくれる職人でありたい。日本 ∴∴ のプロダクトは世界に出ていくべきだが、その背後にある文 化をパッケージとして発信していくことが大事」だと言う。 たとえば木工品である。 「木はまさに日本文化の象徴。人間 が手を入れないと朽ちてしまうこの素材はモノと人を結ぶ鍵 を握る存在といってもいい。私が創出した木桶のシャンパ ンクーラーの背後にもそのような日本の精神・哲学が隠れ ∴ ている。そこを海外の人にも伝えていきたい」と中川氏。 "kogowo - mokk°ugeI Com 木と同じく日本の美を感じさせるのか和の布であろう。な かでも繊細で華麗な文様が人々を魅了してきた西陣織には 1200年もの歴史がある。貴族や武士階級など時の富裕層か ら支持を受けて育まれてきたこの織物に新しい世界観をもち ∴- 込んだのが、細尾のクリエイティブディレクター・細尾真 孝氏。元禄年間(1688年) 、京都・西陣において大寺院御 用達の繊屋として創業した一族の末裔である。やはり彼も一 度は業界の外に身を置いた。大学卒業と同時にファッション 関係の会社に就職。当時の経験は、現在国内外の著名なデザ イナーとのコラボレーションを実現するビジネスに生きてい ∴∴∴ ∴∴∴∵∵ ∴∴ I-)__,i ∴∴ ∴∴ ∴∴ る。 「今のままでは帯としての西陣織は滅びてしまうかもし れません。それを黙って見ているわけにはいかないのです。 数百年にわたり受け継がれてきた伝統、工房で働く人びとの ことを守っていかねはなりません。そのためには新たなマー ケットの開拓も不可欠です。新しいチャレンジは伝統を守る ための一つの方法論でもあります。西陣織を素材にさまざま なプロダクトの創出と空間創造を目指し、世界に適用するト cENTURiON 69 ものを生み出したい」と語る。 h。300-kyotocom 細尾と同じく時代に風穴を開けようとしだブランドがあ る。それも100年以上も前に。それが竹工芸の公長蔚小菅 だ。京都の竹は、 1879年にトーマス・エジソンがこれを使 用しフィラメント炭素線を発明したことから世界的に認めら れるようになった。その竹を生かして人々の暮らしを豊かに しだいという信念からこのブランドは創業した。この一族を 受け継ぐ小菅達之氏は、工芸品から箸のような実用的な道具 まで緻密で丁寧なモノづくりにこ浸わる。 「伝統と現代を テーマに上質で洗練された、そして世界が注目するような竹 製品をつくりたい」と夢を語る。それは着々と実現し、京都 の有名宿や料理店などにも製品が置かれ美しい空間を演出す る。それは工芸品の粋を超える現代アートとしての価値すら もつ。 kochoso′C。JP 世界に注目される作品を一一その想いは金網つじの2代目・ 辻徹氏も同じだ。レゲエ好きが高じて20代の頃はジャマイカで ひと時過ごしたこともある。 「家を継ごうかやめようか。いや、やっ ぱり継がなきゃいけないんだろうな 」と思い悩みながら、ひ とまず日本を飛び出してはみたものの、親から強制されたわけで もないのに家業に引き寄せられるように京都に戻ることに。京金 網は平安時代にはお香をたく香炉の上にかぶせる「火取締」など に使われていたというから、長い歴史をもつ。その伝統を継承す べく初代が金網つじを立ち上げたのは40年前。手作りで金網を 1本1本編みあげていくその細かい作業。その技は初代である父・ 賢一氏から徹氏へと受け継がれている。 1本の糸を操り美しい模 様を形成していく魔術師のような手技。そうしてできあがる豆腐 すくいはパリでも好評だ。フランス人はいったいこの道具を何に 使うのか。インテリア用品として壁を飾る風景も思い浮かぶ。 「金 網細工道具の使い方は一つでなくてもいい。その国にあったアレ ンジをすればいい」と言う辻氏がパリで見つけたお気に入りは、 I 柄 WESTONの靴だったらしい。一昨年パリに行った際、 「生ま れて初めて購入した革靴がこれ」なのだと履いている靴を自慢 げに見せてくれた。あるいはそれは金網つじか世界に向けて発 信を始めた象徴なのかもしれない。konoom′tsuJ・ COM 6人すべてが偶然にも一度は家業から距離を置き、外の世界 に足を踏み入れている。それが伝統工芸を客観視させる絶好 の機会になったようだ。 「伝統工芸はこのままでは滅びてしまう かもしれない」-それも彼らの共通認識だ。だから心を一つ にして海の向こうにも目を向けることができた。いつの時代にも このように革新を目指す者には逆風がつきものだ。伝統工芸 の旧世代からは、 「怖いもの知らずの若い者が何をやっている のか」という声が聞かれることもないではない。それはお叱り なのか.親心なのか。おそらくそのいずれも。 「出すぎた杭 は打たれない」ところまでいけばその声もやがて「あっぱ れI」に変わるたろう。変えてはいけないもの(長い歴史に 裳付けられた伝統の技術)と変えるべきもの(時代の空気を 受けとめ濠がら創出するスタイル)。その両者のバランスをと りながら、伝統を受け継ぐ才覚が彼らにはある。だからきっ と新世代のフロントランナーになれるはずだ。 1 70 cENTURiON 上から時計回りに、竹の繊細な性質を生かした輸弧壁飾大。 (京都の)有名宿に置かれた花鮪 (非売品)。伝統の鼓術を現代的空間に生かしたという小菅達之氏。 惑響 cENTURiON71