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特別養護老人ホームへの入所契約書の検討
論 文 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 ―アメリカの類似の契約と比較して 樋 口 範 雄 東京大学公共政策大学院教授・法学政治学研究科教授 杏林大学杏林 CCRC 研究所客員研究員 1 はじめに 2014 年冬学期,東大法学部において高齢 者法という講義を開始した。といっても, ①入居者を原則「要介護3」以上とする ②低所得入所者への食費・居住費の補助を 縮小する 毎回ゲスト・スピーカーを招き,高齢者が ③相部屋の部屋代を徴収する(“相部屋を事 遭遇するさまざまな問題について,それぞ 実上容認”する) れの現場を知る人たちにレクチャーをして そのうえで,なぜ,これら3つの改正が もらい,まず現実の問題を認識すること, 提案されるに至ったのかという問題提起が その中で,法律家や法がどのような役割を なされた。それに対し一定の回答を行うた 果たせるかを探求することから始めたので めには,特養を含む介護サービスの創設以 ある。一連の講義において,厚生労働省の 来の歴史を踏まえた現状を理解する必要が 1 小野太一氏 をゲストとする回では,高齢 ある。そして,特養の介護保険制度上の位 者の住まいの 1 つとして,特別養護老人ホー 置づけや,実際にそれを利用している人た ムがとりあげられた。 ちの状況を簡潔に説明していただいた。 小野氏のプレゼンテーションは,2014 年 それによれば 2,わが国では「医療」と に成立した「地域医療・介護推進法」によっ 「福祉」が別々の制度として成立してきたこ て, 特別養護老人ホーム(以下,特養と呼ぶ) ともあって医療と福祉の連携が難しかった。 について,以下の①と②が提案され,また 前者は国民皆保険制度の下で診療契約に基 ③の事項についても介護報酬改正の議論の づくものとされ,利用者から見て応益負担 中で問題提起されるに至ったという指摘か の原則を基本とする。これに対し,後者は, ら始まった。 ついこの前まで,弱者のための福祉制度で 1 2015 年現在においては,国立社会保障・人口問題研究所に在籍しておられる。 2 本稿の責任は筆者にあり,小野氏にはない。あくまでも私が理解したものであり,その中には 誤解や十分理解の足りない部分があろう。 44 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 あり,行政上の措置としてサービスが提供 日本において社会保障費の増加という問題 され,利用者から見ると応能負担の原則に から難しくなっている。だからこそ,2014 基づいていた。両者は,まったくその根拠 年法改正でなされたように,特養に入る資 を異にしてきたのである。それがようやく 格を限定するなどの変更がなされた。さら 2000 年からの介護保険制度の開始以降,医 に,現在の政府としては,特養を利用者の 療と介護の連携が図られるようになり,介 需要に応じて増やすという方針はとってい 護分野は「措置から契約へ」という大きな ない。 転換が図られた。言い換えれば,医療も介 本稿では,今後の介護保険制度のあり方 護も,保険制度の下で「契約」に基づくこ 等,大きな論点をとりあげるものではない 4。 とになったわけである。 それは筆者の能力を越える。そうではなく, ただ,この制度改革ですべての問題が解 上記の講義を契機に着目した,特養に入所 決したわけではないのは,先に述べた 2014 するための契約を検討する。せっかく,「措 年の法改正で,特養の入所要件や負担のあ 置から契約へ」移行したのであれば,その「契 り方に変更が加えられたことからも明らか 約」自体を検討することに意義があるはず である。医療や介護を必要とする人たち(多 だと考えられること,さらに「契約」の中に, くは高齢者)にとって,さまざまな制度が 特養のあり方について考察を深める鍵があ 存在し,理解が難しい点も解消していない。 ると思われるからである。 たとえば,介護保険の適用のある施設(い その際,方法として,アメリカのナーシ わゆる介護保険施設)にも 3 種類(特養, ング・ホーム入所契約との比較検討を行う。 老人保健施設, 介護療養型医療施設)があり, そもそも特養とナーシング・ホームが同じ 本来はそれぞれが別個の役割を果たすよう 性質のものかは,それ自体 1 つの論点とな 構想されていたものの,現実は必ずしもそ る。特養が「介護」施設であるのに対し, うでなくなっている。何より大きな問題は, ナーシング・ホームは,その名称通り「看 特養でいえば,現在利用している人は約 50 護」施設である。看護は医療の一部であって, 万人であるのに対し,入所を希望して待機 ナーシング・ホームは最初から医療サービ 3 している人はほぼ同数にのぼる 。その理 スの提供を柱にしている。これに対し,本 由の 1 つは,他のさまざまな「施設」へ入 来,特養はそうではなかった。医療と福祉 るより特養が利用者にとって安価であり, を切断して考慮する立場に立てば,それは その意味で有利だという点にある。ただし, リンゴとミカンを比較するようなものとな それはさまざまな施設を根拠づける制度間 る。しかし,実際には,特養の利用者の相 の不平等をも意味する。しかも介護施設を 当数が医療ケアを受けているのがわが国の 含む社会保障制度の維持は,超高齢社会の 現実であり,しかも,わが国においても医 3 たとえば参照,日本弁護士連合会(高齢者・障害者の権利に関する委員会編)『Q & A 高齢者・ 障害者の法律問題』154 頁(第 2 版,民事法研究会,2007 年) 。 4 介護保険制度の現状を分析するものとして, 小野太一『社会保障,その政策と理念』 251 頁以下(社 会保健研究所,2014 年) 。 45 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 療と福祉を分断することはできないと考え て,それを検討対象とする。実際に選んだ るようになったのは,先に述べたとおりで のは,マサチューセッツ州のナーシング・ ある。 ホーム・モデル利用契約である 6。州政府 したがって,アメリカのナーシング・ホー その他の同州内の地域の公的機関が関与し, ム入所契約とわが国の特養入所契約との比 ナーシング・ホームに入る際の契約の範例 較は,一定の有用な視点を提示してくれる。 を作成した。本稿ではまずこの内容を参照 以下,まず,アメリカのナーシング・ホー する。 ム入所契約の一例を検討し,その後,わが 国の特養入所契約を見て,わが国で,特養 2)ナーシング・ホーム・モデル利用契約 への入所を「契約」としたことの意味を考 まず,実際の契約内容を紹介する。その際, 察する。 後の日本法との比較のうえで重要と考えら れる部分には下線を付した。なお,このモ 2 アメリカのナーシング・ホーム入所契約 デル契約では,契約書の体裁として,通常 1)アメリカのナーシング・ホーム の第 1 条,第 2 条・・・という番号付けが 連邦制度をとるアメリカでは,ナーシン 5 していない。実際のナーシング・ホームの グ・ホームのあり方も州毎に異なる 。しか 契約では,第 1 条から番号が付けられるの し,大多数のナーシング・ホームは,メディ が通常である。 ケア(高齢者対象),メディケイド(貧窮者 対象)という連邦の医療保障を受ける高齢 1 はじめに 者を受け入れる機関となっている。そのた 本契約書の基本的説明がまず述べられて め,それに伴う連邦法上の規制がナーシン いる。 グ・ホームに及ぶ。同時に,連邦政府の規 ①本契約書に署名すると,一定の法的義務 制は,それぞれの州政府に多くを委ねてお が生ずるので,署名する前に熟読し,可能 り,先にも述べたように州政府は独自の規 であれば弁護士その他に助言を求めた方が 制を行い,その結果,州によってナーシン よいこと。 グ・ホームの実態も相当に異なる。しかし, ② 基 本 的 に は, 契 約 当 事 者 は ナ ー シ ン 本稿の目的はその実態を検討することでは グ・ホームと利用者であること。本契約書 なく,ナーシング・ホーム入所契約を見て, で,”we”,“our”, the“Facility”, and to“our その後,日本の特養の契約書を考察するこ Facility” (順に,私たち,私たちの,施設, とにあるので,ともかく1つの事例をあげ 私たちの施設)とあれば,ナーシング・ホー 5 ナーシング・ホームについては,たとえば,Lawrence A. Frolik & Richard L. Kaplan, Elder Law in a Nutshell 161 (5th ed. West 2010). この本が書かれた時点で,アメリカのナーシング・ホームは 18,000 以上あり,170 万人以上の利用者が暮らしているという。また大多数のナーシング・ホー ムが営利法人によって運営されている。 6 これは下記のウェブサイトで見ることができる。 http://www.umb.edu/editor_uploads/images/centers_institutes/institute_gerontology/Model_nursing.pdf 46 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 ム側を, “you”and“your”(あなた,および, 7 れている(保証人ではないという意味であ あなたの)は利用者 として署名した人を る)。具体的には,利用者の親族や友人のこ 表すこと(しかしながら,以下,本稿では, とである。これらの人は,本契約書に署名 「ナーシング・ホーム」および「利用者」と する必要がない。ただし,これらの人であっ 表記する) 。 ても,ナーシング・ホームの利用に対する ③本契約書の中で,Legal Representative( 法 支払いに充てられる利用者の収益や財産に 的代理人 ) と Responsible Party(責任負担者) ついて権限を有する場合は別である(署名 なる言葉が出てくるので,その定義。 が求められる場合があるが,その場合でも 前者は,裁判所の決定などにより,利用 保証責任は負わない)。 者の代わりに行為を行う権限(代理権)を なお,ナーシング・ホームは,利用者が 有する人を指す。しかも利用者本人が契約 ホーム居住に対する支払いの財源を有しな 能力などを失った後で,代理権を行使する い場合,利用者のホーム入所を拒否するこ 権限のある人たちである。具体的には,身 とができる。 8 上管理後見人(guardian) ,財産管理後見 ④ Legal Representative( 法的代理人 ) および 人(conservator) ,持続的代理権保有者(holder Responsible Party(責任負担者)の権利義務 of a Durable Power of Attorney)などを指す。 が何かについて予め確認しておくべき事項。 このうち前二者は裁判手続によって選任さ • これらの人が本契約書に署名した場合 れる。これらの人が利用者のために存在す でも,それによって個人的に金銭的責 る場合(つまり利用者自身に契約能力が失 任を負うことはない。この契約上,ナー われている場合) ,本契約書が有効とされる シング・ホームは,これらの人を保証 ためには,これらの人の署名が必要だとさ 人とすることを,利用の条件にするこ 9 れる 。 後者の責任負担者とは,本契約に基づい とはない。 • ただし,これらの人が本契約書に署名 て利用者が負う一定の義務について引き受 した場合,利用者へのサービス提供の ける者を指す。ただし,金銭的な責任を責 対価を利用者の収益や財産から支払う 任負担者が負うものではないことが強調さ 義務があることに同意したことになる 7 原語は,resident であり居住者,入所者を示す。わが国では「入所」というと,刑務所を連想 させるというので,この言葉を避けるところがあるという。本稿でも,それに倣って,以下,原 則として利用者とした。 8 guardian(後見人)は,アメリカの場合,身上ばかりでなく財産管理の権限も有する存在を指 す場合も多い。だが,マサチューセッツ州では,身上関係と財産管理を別にして,前者を guardian,後者を conservator とする。同一人が両者を兼ねれば,他の州で,両方の権限をもつ guardian と同じ存在になる。 9 これらの法的代理人は,通常の代理人 (agent) と異なり,本人の判断能力が失われている際に付 けられるものであり,したがって,本人に契約能力がない以上,本人に効果が及ぶ契約を結ぶには, 法的代理人の署名が必要となる。しかし,その場合にも彼らは法的「代理人」であるから,法律上, 契約当事者は 、 あくまでも本人である利用者とナーシング・ホームとなる。 47 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 • 樋 口 範 雄 (個人の財産ではなく,利用者の財産か 6)訪問者(面会人)について ら支払いを行う手続等をするという意 7)個人情報の取扱いについて 味である) 。 8)ナーシング・ホームの定めるルールにつ 同時に,利用者が得る資格のある給付 いて について申請することにも同意したこ 9)終末期医療に関する事前指示書について とになる。典型例は,メディケイド(貧 10)個人用の看護師や医師の利用について 窮者向け医療給付制度)の申請であり, 11)メディケアなどの給付申請手続につ 署名者は,申請に関連して取得した情 報を,メディケイド当局に提供するこ いて 12)その他(付則) とに同意する。 • 他方で,これらの人が本契約書に署名 以下,この順に従い,契約内容について した場合,それらの人は,利用者のた 説明する。 めのケア・プランニング策定に関与す る権利を有する。そして,ナーシング・ 2 契約内容 ホームは,以下の事項があれば彼らに 1)契約当事者等について 通知することに同意する。 契 約 当 事 者 の 欄 に は, 利 用 者( 居 住 者 イ)利用者が何らかの事故に遭遇し,医師 Resident),ナーシング・ホーム,利用者の の治療を受ける可能性があるような傷害を 法的代理人,利用者のための責任負担者と 負った場合。 いう 4 つの署名欄がある。このうち後の二 ロ)利用者に,重要な (significant) 身体的, 者は,if applicable(そういう人がいる場合) 精神的,社会心理的 (psychosocial) な変化が という条件付であり,必須ではない。本来 生じた場合。 の契約当事者は,利用者とナーシング・ホー ハ)利用者へのケアの内容について重要な ムの二者である。 変更を必要とする場合。また,法律や本契 しかし,実際には,ナーシング・ホーム 約書によって,利用者に提供されるべき通 に入ろうとする人の中には,すでに後見人 知については,これらの人にも通知を受け が付けられている場合が少なくない。先に る権利がある。 述べたように,本契約でいうところの法的 以上の前置きの後,いよいよ契約書の本 代理人がいる場合,その署名は契約が有効 文となる。以下のように 12 項目に分かれる。 に成立するために必須となる(本人には契 1)契約当事者等について 約能力がないとされるから)。 2)利用者の支払いとサービス提供の始期 また,先の「はじめに」の部分では,法 について 的代理人および責任負担者が署名しても, 3)利用者の居住権について それぞれの固有財産(個人財産)を引き当 4)利用者の財産をナーシング・ホームに てとする責任を負担する趣旨はないと明記 預ける場合について 5)医療の提供について 48 してあるが,実際のナーシング・ホーム入 所契約では,それを明記せず,「保証人」と 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 して保証責任を負わせる趣旨の場合がある ざまな活動 (activities,宗教的活動や健 ので注意が必要である(それを望まないな 康維持のための活動など ),通常の個人 らはっきりとその趣旨を確認し明記する必 用衛生用品,など利用者の需要に応じ 要がある) 。 た基本的サービスの利用料が含まれる。 • ただし,これらの基本的サービスには 2)利用者の支払いとサービス提供の始期 含まれないものがある。それらは日額 について の利用料の対象とならない。それにつ 毎日の支払額をここに書き入れることに いては追加の利用料が必要となるが, なっており,その支払い義務はサービス提 それらが何かは契約書に付随する文書 供とともに始まるとされる。なお,利用者 A で列挙される。 ではなく,メディケア等の第三者が支払い ②メディケアなど第三者が支払いを行う場合 義務を負う場合があり,当該ナーシング・ • 当該ナーシング・ホームが,メディケア・ ホームが,イ)メディケア・プログラム参 メディケイド両方のプログラム参加機 加機関,ロ)メディケイド・プログラム参 関であることが通常明記される。その 加機関,ハ)メディケア・メディケイド両 場合,利用者がこれらのプログラムか 方のプログラム参加機関,ニ)いずれのプ らの受給者であるときは,日額の利用 ログラムにも参加していない,のいずれで 料は利用者からでなく,これらのプロ あるかを明記する必要がある。実際には,ハ) グラムから支払われる場合があり,そ のナーシング・ホームが多い。 れをナーシング・ホームは受領するこ そのうえで利用者の支払いについて,以 とに同意する。 下のように細かな規定がある。 • ただし,その場合でも,利用者の自己 ①利用者からの支払い 負担部分があるときや,プログラム対 • 1 日あたりの利用料が書き入れられて 象外のサービスについては,利用者に 明記される。日額 (daily rate) で明記さ 支払い義務が残る。 れるのは,月によって日数が異なるか • • その他の第三者として,利用者の加入 ら合理的である。ただし,実際の支払 する民間保険会社がある。この場合に いは月ごとに計算され,先払い(10 月 も,当該ナーシング・ホームが保険に 分なら 10 月 1 日までに支払うこと)に よるサービス提供機関であるときは, なっている。当該月の一部しか利用し 日額の利用料は保険会社から支払われ, ない場合には,利用した日数分となる。 それをナーシング・ホームは受領する そこで定められている日額の利用料に ことに同意する。ただし,この場合で は,ナーシング・ケア,ベッドおよび も保険対象外のサービスや自己負担部 室料,シーツ・タオル,おむつなど失 分について利用者に支払い義務が残る。 禁用製品,通常の洗濯サービス,通常 • なお,メディケア・メディケイドによっ の食事およびスナック,一定の設備, て何がカバーされるかは,この契約書 社会的サービス(social service),さま に付随する文書 C で明記されている。 49 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 ③請求書と請求額の変更の通知 利用料金を支払う義務を負う。メディ • ナーシング・ホームは利用者に対し, ケイドでは,ベッドをキープする要件 毎月の請求明細を記した請求書を通知 を定めており,その要件とナーシング・ する。同時に日額の利用料に変更があ ホームの定める要件については,契約 る場合,60 日前に文書による通知を行 書に付随する文書 B で列挙される。 う。 ④保証金 • • • 利用料については,ツケ払いはできず, 利用者が,メディケアまたはメディケ 割賦払いもできない。利用者は,日額 イドの対象者である場合,保証金は不 で定めた利用料を,毎月それぞれの月 要。 の最初の日までに支払わねばならない。 そうでない場合,日額手数料の 1 ヶ月 その他の費用については,請求書を受 分を超えない金額の保証金(具体的な け取った後,( )日以内に支払う義 金額記入欄あり)を提供する必要があ 務を負う(ただし,この点については, る。この保証金は分別管理され, ( ) それに遅れた場合,月□パーセントの 銀行の利息付き口座(番号 )に預 遅延利息を伴う支払い義務を負う,と けられる。利用者が死亡または他施設 いう条項を加える場合がある)。(空欄 への移転その他の理由でナーシング・ は,ナーシング・ホームそれぞれの契 ホームから退去した後,30 日以内に利 約で定める) 用者またはその法定代理人もしくは責 • いったん支払われた利用料については 任負担者に返金される。利用者が,メ 返還できないが,例外として,利用者 ディケイド対象者になったという通知 死亡,移転,退去の場合には,前払い を受けた後,30 日以内にも同様に返金 分の内,利用しなかった部分について される。 返金を行う。 ⑤利用料の取立ておよび弁護士費用 • ⑦ツケ払いはきかないこと • 支払われた利用料が,ナーシング・ホー 利用者(または法定代理人もしくは責 ムの請求額の一部分である場合,当該 任負担者)に対し,利用者の入所を認 利用料の支払いを全額の支払いとみな めること,入所手続を迅速化させた入 すという文言があったとしても,なお 所を認めること,または居住継続につ 一部の支払いとみなす。 いて,利用料取立てに要する弁護士費 ⑧利用者への返金 用その他の費用支払いを条件とするこ • とはない。 利用者が退去または移転した場合,ナー シング・ホームに何らかの残額がある ⑥ベッドのキープに対する支払い ときは,それら残額をすでに提供した • 利用者の要望に従い,ベッドを空けた サービス料に充当した後,30 日を超え ままでキープする場合でベッド代が保 ない合理的期間内に,最終的残額を利 険その他の第三者によって支払われな 用者に対し返金する。 いときは,利用者は,ベッド代の日額 ⑨利用者が退去する場合の通知 50 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 • 利用者はいつでも自由にナーシング・ ホームを退去することができる。ただ (5) ナーシング・ホームがその事業を中 止した場合。 し,利用料支払いの関係では,2 日前 の通知を求め,その通知がない場合に 利用者の同意のない移転・退去について は,2 日分の利用料を請求する。 は,さらに以下の 2 点が定められている。 第 1 に,利用者がメディケイドの対象者 3)利用者の居住権について になったこと(それまでは,自己資金から ①利用者の退去権 の支払者であった場合や,メディケアの対 利用者はいつでも退去できる。ただし,2 象者だった場合から 、 地位が変化したケー 日前に通知をする必要があり,通知がない ス)によって,移転や退去を求めることは 場合にはその 2 日間の利用料を支払う義務 できない。ただし,当該ナーシング・ホー を負う。ナーシング・ホームは,退去に必 ムが,メディケイドへの参加機関でない場 要な協力をすることに同意する。 合は除く。 ②利用者の移転(部屋を移ることまたは他 第 2 に,利用者の同意のない移転・退去 施設へ移ることを意味する) を求める場合の手続として,利用者および a 利用者は,その同意がない限り,ナー 法的代理人もしくは責任負担者に対し,少 シング・ホーム内で移転を強制されること なくとも 30 日前に,書面による通知を行わ はない。ただし,そうしなければ,利用者 なければならない。ただし,利用者自身や の主治医による臨床記録により,医療上ま その他の人々の安全や健康を守るために, たは安全上,それが求められる場合を除く。 または利用者がそもそも 30 日未満の日数し b ナーシング・ホームは利用者に対し, か居住していない場合に,移転や退去が求 下記の場合には,利用者の同意がなくとも, められる場合には,30 日以内の合理的期間 退去または他の施設への移転を求めること 内に通知すればよい。この書面による通知 ができる。 には,移転や退去を求める理由が明記され, (1) 当該ナーシング・ホームでは,利用 移転や退去の期日および移転先を記述する 者のニーズを満たすことができないため, 必要がある。同時に,書面による通知の中 退去または移転が必要な場合。 に,利用者に異議のある場合の不服申立先 (2) 利用者の健康が十分に回復し,ナー と,利用者に法的その他の助言をしてくれ シング・ホームでのサービスが不要となっ る機関の名称と電話番号を記すことも義務 たため,退去または移転が適切な場合。 づけられている。 (3) 利用者の存在が他の居住者の安全や 健康に危険を生じさせる場合。 ③一定の移転についてそれを断る権利 (4) 合理的かつ適切な通知後,利用者が ナーシング・ホーム内の移転が求められ 利用料の支払いを怠った場合。メディケア た場合,それがメディケア認証の居住部分 またはメディケイドにより支払いをさせる からメディケア認証でない部分への移転で のを怠った場合を含む。 あるときは,利用者には移転を断る権利が 51 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 ある。逆に,メディケア認証でない居住部 らについても同意する権利および拒否する 分からメディケア認証部分への移転につい 権利がある。 ても同様である。 利用者に,医療上の決定を行う判断能力 がない場合,または将来そうなった場合, 4)利用者の財産をナーシング・ホームに ナーシング・ホームは,利用者に代わって 預ける場合について 法的に代行権限を有する人,たとえば医療 ①利用者は自らの金銭等を管理する権利が 代理人(health care agent),持続的代理権を ある。書面による求めがあった場合,ナー 有する代理人,後見人などの指示に従う(後 シング・ホームは,利用者のために金銭を の9事前指示書の項目参照)。看護・介護, 預かり,後に書面による求めがあった場合 医療の内容について,利用者には十分な情 に返金する。さらに,その金額が 50 ドルを 報を与えられる権利があり,いつでも質問 超える場合,ナーシング・ホームは利息付 すればナーシング・ホームはそれに答える の口座に金銭を預けることとする。これら 義務がある。 の金銭について,ナーシング・ホームは, ②医療提供者を選択する権利 利用者の請求により,少なくとも 3 ヶ月に a 医師を選択すること 1 度,計算書を提示しなければならない。 利用者には主治医を誰にするかの選択権 ②利用者の有する動産について,ナーシン があり,その名前と電話番号をナーシング・ グ・ホームの被用者その他ホーム側の人間 ホームに知らせることに同意する。主治医 の過失によって損害が生じた場合,その賠 のいない場合や主治医の情報提供のできな 償責任を免責,または制限することに同意 い場合には,ナーシング・ホームは,利用 するよう,利用者,その法定代理人,責任 者と協議し,利用者の選択による主治医を 負担者に求めることはない。ただし,ナー 手配する。協議してもなお利用者が主治医 シング・ホームが賠償責任を負うのは,こ の選択ができない場合には,ナーシング・ れらスタッフ等に過失のあった場合に限る。 ホームが主治医を選択する。その場合,ナー 利用者の貴重品については,金庫を提供し, シング・ホームは,当該主治医の提供する それらを金庫に保管するよう推奨する。 医療サービスについて,利用者が医療保険 を有するのであればその保険対象となるよ 5)医療の提供について うあらゆる合理的な努力を尽くし,当該主 ①医療について,同意をする権利と拒否す 治医の名前,電話番号,専門領域を利用者 る権利があること に知らせる。生命に危険が及ぶような緊急 本契約書に署名することにより,利用者 事態においては,ナーシング・ホームは, は,ナーシング・ホームが提供する医療を 主治医に連絡する合理的努力を尽くすもの 受けることに同意したことになる。その内 の,万一連絡ができない場合には,利用者 容は,利用者の主治医が推奨する,日常的 のために代わりの医師を手配することがで なナーシング・ケア(看護・介護)および きる。医師の提供したサービスについては, 医療を意味する。ただし,利用者にはこれ 利用者に支払い責任がある。 52 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 b 薬局を選択すること 利用者には薬局を選択する権利がある。 医療やサービスを求める機関や医療従事者 に対し提供することにも同意する。 ただし,利用者の医療保険によって選択に 制限のある場合がある。利用者は,ナーシ 8)ナーシング・ホームの定めるルールに ング・ホームに薬を持ち込むことができる ついて が,その場合,それが正確なラベルを付さ 利用者は,利用者のニーズや好みに功利 れていることを確認し,そのうえで,ナー 的に対応するために,ナーシング・ホーム シング・ホームにおける,利用者のケアの の定める合理的な規則その他のルールを遵 責任を持つ部門の看護長 (Director of Nurs- 守することに同意する。ナーシング・ホー ing) または看護監督者に薬を引き渡さなけ ムは,規則その他のルールのコピーを利用 ればならない。 者に手渡す。これらのルールに変更があっ ③医療提供に関する免責が許されないこと た場合,利用者には 30 日前に通知する。た ナーシング・ホームの被用者その他ナー だし,変更がより短い期間,または即時に シング・ホーム側の人が過失によって利用 発効しなければならない場合がありうる。 者に損害を与えた場合,その賠償責任を免 責しまたは制限することを,利用者,利用 9)終末期医療に関する事前指示書について 者の代理人,責任負担者に求めることはで 利用者は,一定の状況において受けたい きない。ただし,ナーシング・ホームが賠 と望む医療やサービスについて明記した事 償責任を負うのは,ナーシング・ホームの 前指示書をナーシング・ホームに提示する スタッフ,またはその代理人によって損害 ことができる。この事前指示書は,持続的 が引き起こされた場合に限る。 代理権委任状または医療代理人委任状とは 別にすることもできるし,それらに含める 6)訪問者(面会人)について こともできる。これは入所の条件ではない 利用者の家族,医師,およびオンブズマン・ が,利用者は 、 医療代理人委任状をナーシ プログラムの代表については,いつでも利 ング・ホームに提供し,利用者が医療上の 用者と面会できる。その他の人については, 決定をできなくなった場合,または決定内 合理的な面会時間において,面会できるこ 容を伝えることができなくなった場合に備 ととする。 えることができる。もしも利用者が事前指 示書を作成するうえで支援を必要とする場 7)個人情報の取扱いについて 合には,ナーシング・ホームは,法に従っ 利用者の医療情報および経済的情報につ た支援を行う。利用者がすでに事前指示書 いては,ナーシング・ホーム利用料の支払 を作成している場合,そのコピーをナーシ い責任を負うと合理的に考えられる人や団 ング・ホームに渡しておくことは,いざと 体に対し 、 その責任を負うに必要な限度で, いう場合に利用者の希望が実現するために 情報提供を行うことに利用者は同意する。 もきわめて重要である。 同時に,利用者に関する情報を,利用者が 53 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 10)個人用の看護師や医師の利用について ドの決定に異議申立をする権利を失わない。 利用者は,自己の負担において,個人用 ナーシング・ホームは,利用者がいかなる の看護師や医師を雇うことができる。これ 第三者の支払いを受ける資格を得ようとも, らの看護師や医師は,ナーシング・ホーム それによって差別することはない。 の被用者とみなされない。またこれらの人 利用者がメディケイドの資格を認定され たちは,ナーシング・ホームの規則その他 た場合,ナーシング・ホームの提供するサー のルールを遵守することを要し,それに反 ビスの費用について,利用者が社会保障給 する場合にはナーシング・ホームから排除 付や年金から得る収入から一定の負担分を することができる。 支払うよう求められる場合がある。そのよ うな場合,利用者は,当該負担部分をそれ 11)メディケアなどの給付申請手続につ らの給付分からナーシング・ホームに支払 いて うことに同意する。 利用者がメディケア,メディケイド,ま 利用者が行ったメディケイドの申請が拒 たは他の保険など第三者による支払いを受 否された場合,利用者は,ナーシング・ホー ける資格のある場合,利用者は,適時に給 ムがそうしようと判断した場合,利用者を 付申請を行い,第三者の定める要件を遵守 代表して,この拒否決定に異議申し立てす するために協力することに同意する。これ ることに同意する。 には,申請をするうえで必要な情報をすべ 利用者がケアに対する支払いを怠った場 て提供することを含む。ナーシング・ホー 合,ナーシング・ホームはそれを利用者お ムは,社会的サービス部門を通して利用者 よび利用者の指定する人に通知する。通知 による給付申請に協力する。この協力をや を受領後,利用者が適時に支払いを行わず, りやすくするために,利用者は,第三者に メディケイドへの申請も行わなかった場合, よる支払いの対象者資格を得る 2 ヶ月前に ナーシング・ホームが利用者を代表してメ ナーシング・ホームに通知することが求め ディケイドの申請を行うことに利用者は同 られる。利用者が給付申請を行う前に,ナー 意する。 シング・ホームが利用者から受領した金銭 ナーシング・ホームは,いかなる第三者 は,利用者のための費用に充当する。 による支払いプログラムについても,それ 利用者がメディケイドの給付申請を行う らへの参加を終了させる権利を留保する。 場合,利用者はメディケイドの定める要件 これには,メディケイド,メディケアが含 を遵守することに同意する。それには,従 まれ,それ以外のものも含む。そのような 来行われた財産移転やその他一定の財産を 終了がなされた場合,利用者の適切な施設 清算するに必要な一切の正確な情報を提供 への移転計画を提供する。 することを含む。メディケイドの資格が認 定された場合,利用者は,メディケイドの 12)その他(付則) 定める患者負担分の金額を支払うことに同 ①本契約書は,マサチューセッツ州法に則る 意する。ただし,その場合でもメディケイ よう解釈され,実現されなければならない。 54 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 ②契約書の一部の効力が無効とされ,または ①電話利用料 裁判上実現できないものとされた場合にも, ②個人用のテレビ利用料 他の部分の効力に影響を与えることはないも ③個人用のラジオ利用料 のとする。ただし,両当事者は,そのような ④たばこ 意味で瑕疵ある条項について,裁判所が,当 ⑤キャンディ 該条項の趣旨にできるだけ近いかたちで有効 ⑥化粧品 な条項を加えることに同意する。 ⑦個人用の衣料 ③本契約書および付属文書は,契約当事者 ⑧個人用の読書のための書籍など 間の契約の完全な合意と了解を示すものと ⑨花や植物 する。本契約書以前になされた合意や了解 ⑩居室以外の個室 は一切効力をもたない。本契約書および契 ⑪個人用の看護師や助手の費用 約に明示的に組み込まれた付属文書に定め ⑫ナーシング・ホームで提供している社 た事項以外に,いっさいの合意や了解,保 交的イベントや活動の費用 証や事実に関する表示は存在しない。この ⑬美容師 契約の変更は,両当事者の署名のある文書 ⑭床屋 によってのみなし得ることであり,ナーシ ⑮理学療法,作業療法,言語療法 ング・ホームの被用者や代理人の作為・不 ⑯その他,検査費用,歯科医療,足の治 作為によって本契約書の変更をすることは 療医,薬代などの詳細な情報は,ナー できない。 シング・ホームの会計係に問い合わせ ④本契約書に関する違反や不履行について, ると,情報提供が行われる。 一方の当事者が免責をしたことをもって, 将来の違反や不履行についても免責するこ とにはならない。 【付属文書 B】 付属文書 B では,利用者が入院など医療 上の理由,またはそれ以外の理由で,ナー 当事者の署名欄 シング・ホームをしばらく離れた場合に, ナーシング・ホーム代表 自らのベッドおよび居室をキープしておけ 利用者 るか否かについてのルールを規定する。ルー (それが適切な場合に)利用者の法的代理人 ルには 3 種あり,連邦法上の規制,州法上 (それが適切な場合に)利用者の責任負担者 の規制,当該ナーシング・ホームの規則に 分かれる。 【付属文書 A】 ①連邦法上の規制 付属文書 A は,基本的な日額の利用料に まず連邦法による規制では,メディケイ は含まれておらず,メディケアやメディケ ドのプランの中で,ナーシング・ホームの イドの対象ともならないサービスや品目を 義務として,利用者がホームを離れても, 列挙し,それらの代価を定める。次のよう 何日以内に帰ってくれば,ベッドを空けて なものである。 待っているかを明示した文書を,利用者お 55 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 よび家族もしくは法的代理人に渡すことが る 1 年である。 求められている。この文書は,このような ③ナーシング・ホームのルール 事態の起こるずっと以前に渡すだけでなく, さらに加えて,ナーシング・ホームとし 実際に利用者がホームを離れる時点でも渡 ては,利用者が医療上の理由でホームを離 さなければならない。実際には,入所の際 れ,それがメディケイドの定める 10 日を超 にこの文書が渡される。 えた場合であっても,個人資産からベッド さらに,ナーシング・ホームは,入院そ のキープ料金を支払う場合には,ベッドを の他の療養のために利用者がホームを離れ, キープする。ただし,それを選択しない場合, それがベッドをキープする期間を上回った 再入所については,上記の連邦法上の規制 場合であっても,以下の条件の下で,利用 に従う。 者に対し,完全な個室でなくともベッドの 空きができた時点で,再入所を認めるため 【付属文書 C】 の方針を書面で策定し,それを遵守するよ 付属文書 C では,第三者による支払いに う義務づけられている。その条件とは,(i) ついて規定する。要約すれば,まずメディ 利用者がナーシング・ホームのサービス提 ケアによる支払いについて,その資格要件, 供を求めていること,および (ii) ナーシン 利用者の 1 日あたりの負担部分,メディケ グ・ホームがメディケイド認定のホームで アの対象となるサービスと品目等が明記さ あることである。 れる。次にメディケイドによる支払いにつ なお,ホームを離れている期間について, いて,同様にその資格要件,利用者の月毎 メディケアからの支払いはない点に注意を の負担部分,メディケイドの対象となるサー 要する。 ビスや品目が明記されている。さらに,当初, ②州法上の規制 自己の財産から支払いをしていた利用者が, マサチューセッツ州の定めるところによ メディケイド対象者となる場合のルールも れば,利用者が医療上の理由でホームを離 定める。 れた場合,継続して 10 日までの期間につい て, ベッドをキープするための料金をメディ 3 契約の注目点 ケイドにより支払うことになっている。ま 1)連邦法による利用者の保護 た,メディケイドによるこのような支払い 上記契約の背景には,1987 年に制定され は,非医療的な理由によってホームから離 1990 年に発効したナーシング・ホーム改革 れる場合については,年間で 15 日まで可能 法 (Nursing Home Reform Act) という連邦法 である。なおこの場合の 1 年とは,最初に がある 10。同法は,ナーシング・ホーム利 その理由でホームを離れた時点を始期とす 用者には一定の権利があると宣言した。 10 Nursing Home Reform Act included in Omnibus Budget Reconciliation Act of 1987 (42 U.S.C. § 1396r). その概要は,たとえば,アメリカ退職者連盟(AARP, American Association of Retired Persons)のホームページの下記サイトで見ることができる。 http://www.aarp.org/home-garden/livable-communities/info-2001/the_1987_nursing_home_reform_act.html 56 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 ①医療について自由に選択する権利(治 2)モデル契約において特に注目すべき点 療拒否権,ケアのあり方について情報 前記モデル契約は,このような連邦法の を提供され,選択する権利を含む) 規制を反映したものとなっている。それを ②身体拘束を受けない権利 含めて,以下に,特に注目すべき点を列挙 ③虐待を受けない権利 する。 ④プライバシーの権利 ①契約書に署名することは,すなわち一定 ⑤秘密を守ってもらえる権利 の法的義務を負うことであるとして,予め ⑥適切な医療や介護のサービスを受ける 慎重な検討をするよう利用者に求めている。 できれば弁護士の助言も得た方がよいとも 権利 ⑦不服申立をする権利 付言されている。 ⑧居室の移転や退去の際の権利 ②あくまでも契約当事者は,実際にナーシ ⑨面会者と会う権利 ング・ホームに入居する利用者とナーシン ⑩差別を受けない権利 グ・ホームである。ただし,契約当時にお ⑪個人の財産の保護 いて,利用者が署名できない状況に陥って 同時に,この法律では,ナーシング・ホー いる場合もありうる。その場合に,代わっ ムの監督を強化し,州が少なくとも 15 ヶ月 て署名できるのは,利用者の後見人など法 に一度 (ナーシング・ホームへの通告なしに) 的代理人である。だが,これらの代理人は 立ち入り調査をし,利用者に聴取するなど 保証人ではなく,自らの財産で何らかの責 の監督活動を行いナーシング・ホームの質 任を負うことはない。法的代理人が定まっ を確保すること,違反が発見された場合に ていない場合,あるいはそれに加えて責任 は指導や制裁を課すことが定められた。 負担者なる存在に署名が求められる場合が その結果,ナーシング・ホームを選択す ある。これは利用者の親族や友人であり, る際には,各州に置かれたナーシング・ホー 署名をすれば一定の権限が認められるもの ム・オンブズマンの事務所に相談すること の,やはり保証人ではなく,利用者が支払 11 が推奨される他 ,これらの調査結果を見 うべき責任を肩代わりするものではないこ て,当該ナーシング・ホームの質がどのよ とが明記されている。 うなものかを検討することができるように ③利用者の権利として,医師や薬局を選ぶ 12 なっている 。 権利,居住権,入院その他でナーシング・ ホームを離れた際のベッドをキープしてお く権利,いつでも一定の面会者と会う権利, 11 ナーシング・ホームなどの適正な運営を監視する機関として,各州にオンブズマンが置かれ ている。わが国にも「福祉オンブズマン」なるものがあるが,その比較検討も必要である。前掲 注3) 『Q & A 高齢者・障害者の法律問題』192 頁参照。 12 連邦政府によるナーシング・ホーム選択について助言を与えるパンフレットがある。 http://www.medicare.gov/Pubs/pdf/02174.pdf 57 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 個人の財産について保護を受ける権利,個 樋 口 範 雄 clause =(無効条項の)分離条項と呼ばれる), 人情報の保護と活用などが明示されている。 さらに,この契約に書かれてあることだけ ただし, 連邦法上,当然に 、 ナーシング・ホー が当事者間の合意であること(merger clause ム利用者に認められる権利がすべて明記さ =完結条項と呼ばれる)が付則に置かれて れているわけではない。しかし,それらは いる。なお,念のため,後者の条項がある 利用者の権利として,契約以前から存在す からといって,連邦法上保障されている利 る。たとえば次のような権利である。 用者の基本的権利が本契約に明記されてい • 身体拘束を受けない権利 ないので,その適用はないという意味では • 虐待を受けない権利 ない。利用者に一定の権利があることは強 • プライバシーの権利 行法であるから,契約に明示されていなく • 不服申立をする権利 とも当然適用になる。 • 差別を受けない権利 ⑦アメリカの通常の契約書では,専属管轄 ④日額で定められる費用の額と,それによっ 条項や準拠法条項が置かれることが多い。 てカバーされるサービスの種類,逆に,そ このモデル契約書にはそれがない。実際の れによってカバーされず自己負担を求めら ナーシング・ホームの契約書では,ナーシ れる場合のそれぞれの金額が明記されてい ング・ホームが裁判に行くことを好まず, る。 保証金も一定限度に制限される。同時に, 仲裁条項 (arbitration clause) を置くことが多 メディケアなど第三者によって支払いがな い。それは,利用者にとっては裁判を受け される場合について,その手続を含め詳細 る権利を放棄することになり,予めナーシ な規定が置かれている。 ング・ホームに有利な仲裁に託されること ⑤終末期医療の指示書についても言及がな にもなるので,裁判例では,近年は仲裁条 されている。それは,多くの場合,ナーシ 項を無効とするケースが少なくない 13。 ング・ホームが利用者にとって「終の棲家」 以上を前提に,いよいよわが国の特養入 であることも示す。この契約の解約条項が 所契約を次項で検討する。 明記されていない点にも留意する必要があ る。利用者自身が同意しないのに退去を求 4 わが国の特養入所契約 められる場合として定められており,それ 1)わが国の標準契約書 らはいずれもやむを得ない場合である。 次に,わが国の特養入所契約を見てみよ ⑥アメリカの契約書では通常のことである う。ここではまず,熊本市が熊本県弁護士 が,契約の一部条項が仮に無効だとして 会と協力して作成した標準契約書をとりあ も他の条項は有効であること(severability げる 14。以下,下線を付した部分は筆者が 13 その一例として,Figueroa v. THI of NM at Casa Arena Blanca, LLC, (N.M. Ct. App. 2012)(July 18, 2012) http://www.nmcompcomm.us/nmcases/nmca/slips/CA30,477.pdf 14 http://www.city.kumamoto.jp/html/kaigo/kaigosaervishiyouzyunkeiyasyomenu.htm において閲覧することができる。 58 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 特に重要と考える部分である。 及びその有する能力,置かれている環境等 の評価に基づき,甲が人間的で自立した日 標準契約書(介護老人福祉施設)熊本市 常生活を営むことができるよう,本施設の 熊本県弁護士会 他の従業者と協議の上,施設サービス計画 介護老人福祉施設標準契約書 案を作成し,それを甲及びその後見人,家 利用者(以下「甲」という。)と事業者(以 族又は身元引受人に対し説明し,その同意 下「乙」という。)とは,乙が運営する介護 を得るものとします。 老人福祉施設(以下「本施設」という。 )の 3 施設サービス計画には,本施設で提供す 施設サービス利用に関して次のとおり契約 るサービスの目標,その達成時期,施設サー を結びます。 ビスの内容,施設サービスを提供するうえ (目的) で留意すべき事項等を記載します。 第1条 乙は,介護保険法等の関係法令及び 4 乙は,次のいずれかに該当する場合には, この契約書に従い,本施設において,甲が 第1条に規定する施設サービスの目的に従 その有する能力に応じて可能な限り自立し い,施設サービス計画の変更を行います。 た日常生活を営むことができるよう,施設 一 甲の心身の状況等の変化により,当該施 サービスを提供します。 設サービス計画を変更する必要がある場合 2 乙は,施設サービス提供にあたっては, 二 甲が施設サービス計画の変更を希望する 甲の要介護状態区分及び甲の被保険者証に 場合 記載された認定審査会意見に従います。 5 乙は,前項に定める施設サービス計画の (契約期間) 変更を行う際には,甲及びその後見人,家 第2条 甲は,平成 年 月 日から第13条か 族又は身元引受人に対し説明し,その同意 ら第15条に基づく契約の終了があるまで, を得るものとします。 本契約に定めるところに従い乙が提供する 施設サービスを利用できるものとします。 (運営規程の概要) (施設サービスの内容及びその提供) 第5条 乙は,前条により作成された施設 サービス計画に基づき,甲に対し施設サー 第3条 乙の運営規程の概要(事業の目的, ビスを提供します。各種サービスの内容は, 職員の体制,サービスの内容等),従業者の 別紙重要事項説明書に記載したとおりです。 勤務の体制等は,別紙重要事項説明書に記 2 乙は,甲に対し,前条により甲のための 載したとおりです。 施設サービス計画が作成されるまでの間は, (施設サービス計画の作成・変更) 甲がその有する能力に応じて可能な限り自 第4条 乙は,本施設の介護支援専門員に, 立した日常生活を営むことができるよう配 甲のための施設サービス計画を作成する業 慮し,適切な介護サービスを提供します。 務を担当させ,本条項に定める職務を誠意 3 乙は,甲の施設サービスの提供に関する を持って遂行するよう責任を持って指導し 記録を整備し,その完結の日から 2 年間保 ます。 存しなければなりません。 2 担当介護支援専門員は,甲の心身の状況 4 甲及びその後見人(後見人がいない場合 59 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 は,甲の家族又は身元引受人)は,必要が 第7条 甲は,乙が甲のため施設サービスを ある場合は,乙に対し前項の記録の閲覧及 提供するにあたり,可能な限り乙に協力し び自費による謄写を求めることができます。 なければなりません。 ただし,この閲覧及び謄写は,乙の業務に 支障のない時間に行うこととします。 (身体的拘束その他の行動制限) (苦情対応) 第8条 乙は,苦情対応の責任者及びその連 絡先を明らかにし,乙が提供した施設サー 第6条 乙は,甲又は他の利用者等の生命又 ビスについて甲及びその後見人,甲の家族 は身体を保護するため緊急やむを得ない場 又は甲の身元引受人から苦情の申立てがあ 合を除き,甲に対し隔離,身体的拘束,薬 る場合は,迅速かつ誠実に必要な対応を行 剤投与その他の方法により甲の行動を制限 います。 しません。 2 乙は,甲及びその後見人,甲の家族又は 2 乙が甲に対し隔離,身体的拘束,薬剤投 甲の身元引受人が苦情申し立て等を行った 与その他の方法により甲の行動を制限する ことを理由として甲に対し不利益な取扱い 場合は,甲に対し事前に,行動制限の根拠, をすることはできません。 内容,見込まれる期間について十分説明し (金銭の管理) ます。 第9条 甲は乙に対し,乙が別に定める預り また,この場合乙は,事前又は事後速や 金規程に従い,日常的な生活費用に関する かに,甲の後見人又は甲の家族(甲に後見 金銭出納管理を委託することができます。 人がなく,かつ身寄りがない場合には身元 2 甲が前項の委託を行う場合には,乙は甲 引受人) に対し, 甲に対する行動制限の根拠, 及びその後見人,甲の家族又は甲の身元引 内容,見込まれる期間について十分説明し 受人に対して,預り金規程の内容及び手続 ます。 き等について説明し,預り金規程を添付し 3 乙が甲に対し隔離,身体的拘束,薬剤投 た委託契約書を取り交わします。 与その他の方法により甲の行動を制限した (医療体制) 場合には,前条第3項の施設サービスの提 第10条 乙は,配置の医師及び看護職員に 供に関する書類に次の事項を記載します。 常に甲の健康状態に注意させ,必要に応じ 一 甲に対する行動制限を決定した者の氏 て健康保持のための適切な措置をとるよう 名,行動制限の根拠,内容,見込まれる期 誠意を持って指導します。 間及び実施された期間 2 乙は,甲に病状の急変が生じた場合その 二 前項に基づく甲に対する説明の時期及び 他必要な場合は,速やかに別紙重要事項説 内容,その際のやりとりの概要 明書に記載する協力医療機関に連絡を取る 三 前項に基づく甲の後見人又は甲の家族 など必要な対応を講じます。 (甲に後見人がなく,かつ身寄りがない場合 (費用) には身元引受人)に対する説明の時期及び 第11条 乙が提供する施設サービスの要介 内容,その際のやりとりの概要 護状態区分毎の利用料及びその他の費用は, (協力義務) 60 別紙重要事項説明書に記載したとおりです。 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 2 甲は,サービスの対価として,前項の費 第14条 乙は,甲が次の各号に該当する場 用の額をもとに月ごとに算定された利用者 合は,30日間以上の予告期間をもって, 負担額を乙に支払います。 この契約を解除することができます。 3 乙は,提供する施設サービスのうち,介 一 甲が正当な理由なく利用料その他自己の 護保険の適用を受けないものがある場合に 支払うべき費用を6カ月以上滞納したとき。 は,特にそのサービスの内容及び利用料金 二 甲の行動が,他の利用者の生命又は健康 を説明し,甲の同意を得ます。 に重大な影響を及ぼすおそれがあり,乙に 4 乙は,施設サービスの要介護状態区分毎 おいて十分な介護を尽くしてもこれを防止 の利用料及びその他の費用の額を変更しよ できないとき。 うとする場合は,1カ月前までに甲に対し 三 甲が重大な自傷行為を繰り返すなど,自 文書により通知し,変更の申し出を行いま 殺をする危険性が極めて高く,乙において す。 十分な介護を尽くしてもこれを防止できな 5 乙は,前項に定める料金の変更を行う場 いとき。 合には,新たな料金に基づく重要事項説明 四 甲が故意に法令違反その他重大な秩序破 書を添付した利用サービス変更合意書を交 壊行為をなし,改善の見込みがないとき。 わします。 (契約の終了) (秘密保持) 第15条 次に掲げる事由が発生した場合 第12条 乙及びその従業員は,正当な理由 は,この契約は終了するものとします。 がない限り,その業務上知り得た甲及びそ 一 甲が,医療施設へ入院した場合で,明ら の後見人,家族又は身元引受人の秘密を漏 かに入院後3カ月以内に退院できる見込み らしません。 がないとき,又は入院後3カ月を経過して 2 乙は,居宅介護支援事業者等必要な機関 も退院できないことが明らかなとき。 に対し,甲及びその後見人,家族又は身元 二 甲が,要介護認定において非該当又は要 引受人に関する情報を提供する必要がある 支援となったとき。ただし,本号は,平成 場合には,甲及びその後見人,家族又は身 12年3月までに入所された方については, 元引受人に使用目的等を説明し,文書によ 平成17年3月末までは適用されません。 15 り同意を得ます 。 (甲の解除権) 三 第13条に基づき,甲が契約を解除した とき。 第13条 甲は,3日間以上の予告期間を 四 第14条に基づき,乙が契約を解除した もって,いつでもこの契約を解除すること とき。 ができます。 五 甲が,死亡したとき。 (乙の解除権) (契約終了後の退所と清算) 15 アメリカのモデル契約では,すでにこの契約書で,医療介護の連携が必要なところに情報提供 することに同意すると明記されている。熊本市の標準契約書では,新たに文書による同意を得る必 要があることになり,合理的ではない。 61 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 第16条 甲は,この契約終了後,ただちに 生した場合は,乙は速やかに甲の損害を賠 本施設を退所します。 償します。ただし,乙に故意,過失がない 2 契約期間中に契約が終了した場合,サー 場合はこの限りではありません。 ビスの未給付分について乙がすでに受領し 3 前項の場合において,当該事故発生につ ている利用料があるときは,乙は甲に対し き甲に重過失がある場合は,損害賠償の額 相当額を返還します。 を減額することができます。 3 この契約の終了により甲が本施設を退所 (利用者代理人) することになったときは,乙はあらかじめ 第19条 甲は,代理人を選任してこの契約 甲の受入先が決まっている場合を除き,居 を締結させることができ,また,契約に定 宅介護支援事業者,保健機関,医療機関, める権利の行使と義務の履行を代理して行 福祉サービス機関等と連携し,甲の円滑な わせることができます。 退所のために必要な援助を行います。 2 甲の代理人選任に際して必要がある場合 (入院期間中の取扱い) 第17条 乙は,甲が医療施設へ入院する必 要が生じた場合であって,入院後3カ月以 は,乙は成年後見制度や地域福祉権利擁護 事業の内容を説明するものとします。 (身元引受人) 内に退院することが見込まれる場合は,や 第20条 乙は甲に対し,身元引受人を求め むを得ない事情がある場合を除き,甲が退 ることがあります。ただし甲に身元引受人 院後に本施設に円滑に入所することができ を立てることができない相当の理由が認め るようにしなければなりません。 られる場合は,この限りではありません。 2 前項の場合において,甲の入院中の本施 2 身元引受人は次の責任を負います。 設の費用については,別紙重要事項説明書 一 甲が医療機関に入院する場合,入院手続 に記載した額とし,甲は,その費用の額を きが円滑に進行するように協力すること。 もとに月ごとに算定された利用者負担金を 二 契約終了の場合,乙と連携して甲の状態 乙に支払います。 に見合った適切な受入先の確保に努めるこ 3 甲が入院している間,甲が本施設で使用 と。 しているベッドを,乙が他の利用者のため 三 甲が死亡した場合,遺体及び遺留金品の 短期入所生活介護に活用することに,甲が 引受けその他必要な措置をとること。 文書にて同意する場合は,甲は前項の利用 者負担金を支払う必要はありません。 (事故発生時の対応及び損害賠償) 第18条 乙は,施設サービスの提供にあ たって,事故が発生した場合には,速やか (合意管轄) 第21条 この契約に起因する紛争に関して 訴訟の必要が生じたときは,熊本地方裁判 所を管轄裁判所とすることに合意します。 (協議事項) に熊本市及び関係各機関並びに甲の後見人 第22条 この契約に定めのない事項につい 及び家族又は身元引受人に連絡を行うとと ては,介護保険法等の関係法令に従い,甲 もに,必要な措置を講じます。 乙の協議により定めます。 2 前項において,事故により甲に損害が発 この契約の成立を証するため本証2通を作 62 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 成し,甲乙各署名押印して1通ずつを保有 いくつかの疑問を提起することができる。 します。 第 1 に,あくまでも印象としてではある 平成 年 月 日 が,熊本市の標準契約書では,「乙(特養の 利用者甲 住所 事業者)は・・・」で始まる記述が多い。 氏名 印 要するに,特養の契約書は,特養側でどの 代理人(選任した場合)住所 ようなサービスが提供できるかが中心であ 氏名 印 り,そのため乙が何をしなければならない 身元引受人 住所 かが明記されている。これに対し,甲(利 氏名 印 用者)の負う義務は,サービスに対する利 事業者乙 住所 用者負担額を支払う義務(第 11 条 2 項)や 事業者(法人)名 第 7 条の協力義務(その具体的内容は明確 施設名 ではない)などに限られている。 (事業所番号) 代表者名 印 第 2 に,同じことを裏からいえば,乙の 義務として記述されるものが多く,甲(利 用者)の権利として記述されていない。ア 【この標準契約書についてのコメント】 メリカの場合,繰り返しになるが,医師や ①全文で 22 箇条,いかにも簡潔で明快なモ 薬局を選ぶ権利,居住権,入院その他でナー デル契約書であるが,それには,この契約 シング・ホームを離れた際のベッドをキー 書以外に2つの重要な文書が存在すること プしておく権利,いつでも一定の面会者と を前提としている。1 つが重要事項説明書 会う権利,個人の財産について保護を受け であり,本契約書と一体となって,利用者 る権利などが列挙されている他,連邦法上, と特養との間の契約を構成する。利用料金 当然に認められる権利として,身体拘束を やサービスの具体的内容,施設の概要や配 受けない権利,虐待を受けない権利,プラ 置される職員の種類や数など,まさに重要 イバシーの権利,差別を受けない権利など な事項はこちらの文書の説明を受けてはじ が認められる。 めてわかるようになっている。もう1つは, 同様に利用者中心で考えるからこそ(さ 具体的な利用者のための施設サービス計画 らに医療の提供をするホームであるから), である。個々の利用者の要介護度に応じた 終末期医療の事前指示書や,医療を拒否す サービス提供プランが作成されて,それに る権利も記述される。だが,日本の特養の 基づくサービスがこの計画により明らかに 場合,いまだに医療と福祉の分離を反映し なる。 て,そのようなことは医療機関に引き継ぐ ②弁護士会の協力も得て作成された標準契 だけで十分とされているのであろう(ただ 約書であるから,一見しただけでは,そこ し,実際には,利用者が特養で亡くなる例 に問題はないように見える。しかし,わが は少なくない)。同様に,利用者中心で考え 国の特養の現状を踏まえ,さらにアメリカ れば,利用者が契約書に署名できない状況 のモデル契約書を読んだうえで検討すると, にある場合について,もっと代理人や家族 63 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 の役割に配慮した規定があってしかるべき ずしも明確でない。 であるが,それが十分でないように見える。 ただ,いくつかの特養の契約書を参照す 思うに,特養であれ,ナーシング・ホー ると,その契約の基本条項は同じであって ムであれ,事業者と利用者の関係は,利用 も,特養によって契約の定め方には違いが 者が一定のサービス提供を強く必要とする ある。次項ではそのうち最も基本的な問題 状況で関係が成立するのであるから,当事 点をとりあげる。 者が対等ではあり得ない。だからこそ,利 用者にさまざまな権利があるというかたち 5 わが国の特養入所契約の署名者 で規定を定めるところに,これが契約であ 前記,熊本市の標準契約書では,あくま るとする意味がある。 でも利用者と事業者の間の契約という形を しかし,わが国の場合,実際には特養に とっている。利用者が署名できないような 入所希望する人たちが大量に存在し待機し 場合は,第 19 条で利用者代理人による契約 ている現状や,さらにそのようなケースで 等方式も備えて 17。その場合にも,契約自 入所が平等かつ公正な原則で決められるよ 体は,利用者と事業者の契約となる。身元 う,関係自治体ではいわゆる「入所者判定 引受人に言及する条項はあるが,そこでは マニュアル」を策定している状況も考慮す 身元引受人が保証人となるとは明記されて 16 る必要がある 。利用者が,対等な立場で「契 約」する土壌と必要性がどれだけあるかが いない。 しかし,すべての特養がそのような原則 問題である。 を貫いているわけではない。たとえば,あ したがって,第 3 に,この「標準契約書」 る特養の契約書には,利用者の署名欄の下 は,入所を措置として定め,措置された特 に,身元引受人 / 署名代行者なる署名欄が 養で何をしなければならないかを定める「行 あり,身元引受人の義務として,「利用料等 政的な規定,指針」とどれだけ違うのかが, の支払いが遅滞した場合連帯して支払うこ 最大の疑問となる。「措置から契約へ」とい と」と明記されている 18。 うことの意味は,どこにあったのか,が必 さらにいえば,熊本市の契約書について 16 たとえば千葉県の例として下記参照。 http://www.pref.chiba.lg.jp/koufuku/fukushishisetsu/tokubetsuyougo/nyuusho-shishin.html 17 もっとも利用者に署名できない事情が判断能力の喪失によるのであれば,代理人に委任する 能力があるかも疑問となる。第 19 条第 2 項は,そのための配慮であろう。ただ,それでも不分明 な部分が残る。 18 岐阜県の特養の利用契約書である。第 21 条第 1 項第 4 号参照。これは 2014 年 4 月 1 日改訂 とあるので,現在利用されている契約書である。 http://www.jikeikai-sawayaka.jp/docs/051/tokuyo-keiyakusho.pdf 他の例として,これもたまたま岐阜県の例であるが,下記の契約書,第 22 条第 1 項にも「身元 引受人は,本契約に基づく契約者の事業者に対する利用料などの経済的な債務につき,契約者と 連帯してその履行の責任を負います。 」という規定がある。 http://www.sazankanosato.com/tokuyou.pdf 64 特別養護老人ホームへの入所契約書の検討 も, 「身元引受人は保証人となるわけではな 署名をするように求められている例が多い く,個人財産からの責任を一切負うもので のではないか。 はない」と明記されているわけではないか さらに,熊本市の標準契約書でいえば「第 ら,実務では,そこに署名した人の責任が 7条 甲は,乙が甲のため施設サービスを提 問題となるのではないか。アメリカのナー 供するにあたり,可能な限り乙に協力しな シング・ホーム入所契約について,利用者 ければなりません。」とか,多くの契約書の 以外の人が署名を求められた場合,明確に 最後に見られる,いわゆる誠実協議事項「本 「この署名によって,保証人としての責任を 契約に定められていない事項について問題 負うものではない」旨の注記をすべきだと が生じた場合には,事業者は契約者もしく 注意されているような現実は,わが国にとっ は身元引受人と誠意をもって協議するもの ても無縁ではない。しかも,アメリカの場合, とします。」などを見ると,一方で,契約書 弁護士の助言では,日本のような保証人条 自体は予め交渉の余地なく利用者に提示さ 項がある場合,それを削除するよう交渉す れる定型文書であり,他方で,その内容に べきだという。 ついても明確さを欠く部分を残してあるも つまり,アメリカでは当然のことだが, のだという感を深くする 19。これが「措置 それが契約である限り,契約交渉の段階で から契約へ」という意味なのだろうか。 削除も変更も可能なのである。そして,こ の契約で定められていることが(そしてそ 6 結びに代えて れだけが)契約当事者にとってのルール(す 以上,契約書の文言だけを見て,わが国の なわち一種の法)となる。だからこそ,後 特養利用契約の問題点を指摘した。きわめて になって後悔することのないよう事前に十 皮相な観察にとどまるものではあるが,それ 分吟味しておくべきだとされている。 でもこの検討から出てくるものは,「措置か ところが,熊本市の契約書では「第22 ら契約へ」という移行はまだ十分ではないと 条 この契約に定めのない事項については, いうことである。形だけは変わったが,その 介護保険法等の関係法令に従い,甲乙の協 実質において,特養の利用という実態に照ら 議により定めます。」とあるように,この契 した再検討がなされるべきである。 約に書かれたこと以外にもさまざまな問題 アメリカと同様に,特養と利用者の関係 があることが当然とされている。 は対等ではない。そこに「契約」という仕 また,わが国の特養利用契約書について, 組みを作るのであれば,利用者側により多 どこかの条項を変更することが実際に可能 く配慮した規定があってしかるべきである。 だろうか。単に,利用者や家族は,形式的 具体的には,契約上も利用者の権利が列挙 にこれら契約書と重要事項説明書が延々と され,その侵害に対する措置が明記される 読み上げられるのを聞き,それが終わると 必要がある。もちろん,介護保険法上の施 19 これは特養入所契約だけの問題ではなく,わが国における契約とアメリカでの契約の違いに 基づく面が大きい。これについては, 樋口範雄『アメリカ契約法』 (第2版,弘文堂,2008 年)参照。 65 平成 26 年度 杏林 CCRC 研究所紀要 樋 口 範 雄 設であるわが国の特養については,アメリ れることが医事法の目的であるとされる) カ以上に,事前に権利侵害を防止するよう という観点から類推すると,わが国の特養 な仕組みも工夫することが重要だと考えら については,アクセスという点で大きな問 れる。それぞれの特養の実態についての情 題があった。何しろ需要と供給が極端にア 報が,外部からもわかるような仕組みもあっ ンバランスなのである。利用者サイドから てよい。それが真に利用者の人格や尊厳を すれば,「入れていただけるだけでも有り難 守るための道である。 い」ことになる。したがって,特養の質に 最後に,アメリカの医事法の三大目的で ついても,競争という要素によってそれを ある access, quality and cost(医療への適切 支える基盤とすることもできない。そのよ なアクセスを図ること,適切な質を確保す うな場において,真の「契約」は本当に可 ること,さらにそれが適切なコストで賄わ 能なのかが問われる必要がある。 66