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Title 新流通革命 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)

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Title 新流通革命 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)
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新流通革命 : 現状と未来への提言
吉川, 康明(Yoshikawa, Yasuaki)
磯辺, 剛彦(Isobe, Takehiko)
慶應義塾大学大学院経営管理研究科
修士論文 (2015. 3)
Thesis or Dissertation
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=KO40003001-00002014
-3010
慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程
学位論文(
2014
年度)
論文題名
新流通革命―現状と未来への提言―
学籍番号
主
査
磯辺
剛彦
教授
副
査
大林
厚臣
教授
副
査
副
査
81331317
坂下
玄哲
氏
名
准教授
吉川
康明
論 文 要 旨
所属ゼミ
磯辺剛彦研究室
学籍番号
81331317
氏名
吉川
康明
(論文題名)
新流通革命―現状と未来への提言―
本研究は、研究者の実務経験を踏まえて、キャリアの集大成を目的に、約 50 年前に
出版されたベストセラー「流通革命(林 周二著~中公新書)
」を読んだことがきっかけ
で着手。
その内容は、日本経済が高度成長期の頃に出現したビッグストアが、大量生産大量消
費の主役となり、日本の消費動向が一変したことに始まり、その後社会が変化し、その
ビッグストアが衰退の一途を辿る一方で、遅れて出現したコンビニエンスストアや、ネ
ット通販が主役となる時代を迎えたことに触れる。そしてその栄枯盛衰について、数あ
る日本の流通小売業の中で、高度成長期、既存の流通システムを壊した「ダイエー」と、
衰退せず、今も尚成長し続けている「セブン‐イレブン」の変革を、其々第一次流通革
命、第二次流通革命として、取組事例を基に考察。更に、IT 社会を迎え「アマゾン」の
出現によって、変化する流通業界と、既存の流通小売業の対応について、この先の流通
小売業の未来と合わせて提言している。
ダイエーについては、価格破壊による、価格決定権奪取と、大量生産に対抗した、大
量販売体制構築とその方法について、またその後迎える低成長期への構造改革の遅れに
よる衰退と、更に同時期に、低成長期モデルとして構造改革を成し遂げた「イトーヨー
カ堂」の業務改革を題材に、比較研究している。
セブン‐イレブンについては、低成長期に差し掛かる頃に創業し、大量生産大量販売
モデルとのギャップによる苦悩と、それを打破する変化対応体制の構築について、その
源泉に触れる。更に、その後成長し、構造改革を果たした親会社イトーヨーカ堂を抜い
た理由と、その後失速するイトーヨーカ堂の低迷理由について考察している。
そして 21 世紀、IT社会を迎える中で出現したアマゾンについて、その脅威と、流
通業界の変化に触れ、そして既存流通小売業の対応策について考察し、更にその先の未
来について提言している。
その中で、特に重要な対応策として「現場力」を挙げ、その現場力を高めること、つ
まり「現場力革命」こそが、流通業界の未来のカギを握るものとして取り上げている。
そして、更に、現状の体制にメスを入れ、そのための組織変革や、取引体制、価格構
造にまで踏み込み、提言している。
また、業態別に「現場力革命」を成し遂げるための施策について、現状分析し、課題
を挙げ、対応策を提言し、まとめとしている。
以 上
【目次】
1.論文要旨
2.本文
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
ダイエーが起こした第一次流通革命・・・・・・・・・・・・・・2
セブン‐イレブンが起こした第二次流通革命・・・・・・・・・・11
疑問点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
ここまでのまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36
IT社会と物流小売業アマゾンの出現・・・・・・・・・・・・・39
アマゾンの脅威に対する既存流通小売業の課題・・・・・・・・・42
まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47
3.参考論文・文献・雑誌・新聞一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・62
【はじめに】
林 周二氏は予言者なのだろうか。
「流通革命」という本が出版されて早 50 年が過ぎ、今、再び注目される中で、同
書を拝読、同氏が予言するとおり、この業界に革命が起きた。
同書が出版された 1960 年代は、高度成長期の最中で、次々とビッグストアがオー
プン、消費スタイルが一変した。しかし、1970 年以降、円高や第一次石油ショック
とともに、景気が低迷し始め翳りが見られ、やがて高度成長期が終焉を迎えると、衰
退した。
一方、この 1970 年代に、今や業界の主役ともなりうるコンビニエンスストアが誕
生し、時代の変化に対応しながら成長し続け、今日に至っている。
更に、情報化が進み、インターネット時代の幕開けとともに、通信販売(ネット通
販)が生まれ、時代の波にも乗って、急成長を遂げた。今や、これまでの既存流通小
売業を凌ぐほどの規模に発展、隆盛を極めている。
まるで、16 世紀の戦国乱世の時代のような状態が、今日において続いている。し
かしながら、未だ天下統一に至らず、企業間の戦が続いている。
この戦の中で、其々の企業が、何が原因で衰退しているのか、課題は何か、またど
うすれば生き残ることができるのかを、本論文に纏めた。
その中で研究者は、この戦国乱世の口火を切ったビッグストアの「ダイエー」と、
そのダイエーの業績に翳りが出始めた頃に誕生した、コンビニエンスストアの「セブ
ン‐イレブン」について、流通革命の代表的企業として捉え、その足跡を辿った。
なぜ、この両社が流通革命の代表的企業なのか。
ダイエーについては、高度成長期に既存の流通システムを壊し、変革したという点
で、またセブン‐イレブンについては、そのダイエーが変革した流通システムに対し、
更に変革を起こし、構造改革をもたらしたという点で、それぞれ選んだ。
そしてダイエーの取組みを、研究者は第一次流通革命として、セブン‐イレブンの
取組みを第二次流通革命として捉えている。
1
【ダイエーが起こした第一次流通革命】
ダイエーの取組みを要約すると次のとおりである。
ダイエーは、
「価格」というものを革命の旗印に、
「良い品をどんどん安く」という
キャッチフレーズに、モノを大量販売することで、既存の流通システムを壊し、これ
までメーカーや問屋が決めていた店頭販売価格の決定権を奪った。これは「価格は消
費者が決める」という消費者主権の考えの基、これまでの流通の考え方を根本から覆
すものであった。
そして、このダイエーに対し、一部の有力メーカーは反発し、製品の出荷停止をす
るも、ダイエーは一歩も引かず、全面戦争になった。
このようなダイエーに、主婦をはじめとする消費者が共感、ダイエーは世論を味方
につけ、発展し、拡大、やがて、日本一の売上げを誇る小売業となった。
次のグラフは、上場から 10 年間のダイエーの売上高・出店推移である。
200
1,400,000
売上高
1,200,000
180
店舗数
160
1,000,000
140
120
800,000
100
600,000
80
60
400,000
40
200,000
20
0
0
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
株式会社ダイエー 有価証券報告書より研究者作成
(左側 売上高:単位 百万円、右側 店舗数:単位 店)
ダイエーがオープンしたのは 1957 年で、大阪千林に「主婦の店」としてスタート
している。歴史的にはそうなっているが、実はそれ以前に、神戸三宮の闇市での展開
が、実質のスタートといわれている。当時は薬を売ることが主体であったが、その後
食料品の販売を手掛け、めきめきと成長。頭角を現わした。
ダイエーは何より「価格破壊」で、自らの利潤を削ってまでも安売りに徹し、主婦
をはじめとする消費者を味方に、店舗網を広げ、全国制覇に至った。
そして、1972 年には、これまで流通業界売上げナンバーワンだった百貨店の三越
を抜き、初めて日本一となり、更に 1980 年には売上高 1 兆円を突破した。
ここまでは順風満帆であったが、ダイエーはその後失速し、1983 年にはグループ
全体が創業以来初の経常赤字に陥る。その後バブル景気で一時的に持ち直したものの、
バブル崩壊後、業績は悪化の一途を辿る。そして 1995 年に阪神淡路大震災が起こり、
2
その被害が追い打ちをかけ、行き詰まった挙句、2004 年には産業再生機構の支援を
受け、そして 2007 年に、同じビッグストアのイオンの傘下となった。
このようにダイエーは、勃興期の 1960 年代よりひたすら走り続けたものの、わず
か 40 年ほどで人手に渡るという、短絡的な運命であった。
何故ダイエーはこのような運命を辿ったのだろうか?
前述したとおり、ダイエーの流通革命は「価格破壊」であり、それが通用したのは
1960 年代から 1970 年代初頭までであった。当時の日本は、第二次世界大戦に敗戦後
の復興の最中、日本全体が立ち直ろうと躍起になり、懸命になっていた時期であった。
そして東京オリンピックを機に、高度成長期の波に乗った。しかし一方で物価も上昇
し、消費意欲は盛んなものの、国民全体に決してモノが行き渡っているわけではなか
った。
そんな時代に誕生したのが、ダイエーをはじめとするビッグストアであった。当時
日本の暮らしを豊かにするという夢や志をもって、やがてそのビッグストアの党首と
なる、中内 㓛氏、伊藤 雅俊氏、堤 清二氏、岡田 卓也氏(以下敬称略)らが次々と
ビッグストアを創業し、国民の暮らしを変えていった。
その国民の暮らしを変えた一番の要因が「価格破壊」であった。当時の日本の商業
流通の世界は、生産者(メーカー)が主体となり、問屋や小売業は彼らが提供するモ
ノを消費者に引き渡す「配給業者」的存在であった。その仕組みに異を唱えたのがダ
イエーであり、リーダーの中内 㓛であった。
中内の考え方は、今でこそ当たり前であるが、当時は斬新なものであった。それは、
流通小売業は、生産者と消費者をつなぐ機能を持った「購買代理人」であり、消費者
の認める「バリュー」つまり「ニーズ」を的確につかみ、それを「生産者に伝えて商
品を作らせ、消費者に提供する役割を担うのが小売業である」というのであった。
そうすると、これまで生産者が主体的になって形成された流通の仕組みを、変えて
いかなければならない。その仕組みの根幹にあるのが「価格」であった。
当時、その価格を決めていたのは、実は生産者であった。彼らは自分たちが作る製
品の「コスト」に準じて価格を決め、それを配給業者である問屋や、流通小売業に引
き渡していた。そしてそのコストが加算され、消費者に行き渡っていたのであった。
消費者にとってその価格が適正であること、つまり自分たちの求める価値(ニーズ)
に見合っていればいいのだが、当時は、いわゆる作り手が自分たちの都合だけでコス
トを転嫁し、価格が決められていたのであった。
そこで中内は、消費者に行き渡る価格を、消費者の都合に変えたのであった。それ
が「安売り」である。
その当時、高度成長期であるが、一方で物価が上昇、決して国民の暮らしが豊かで
あったわけではなかった。国民の暮らしを豊かにするには、モノが行き渡る必要があ
る。そのためにはもっとモノの価格を安くし、みんなが欲しいモノを買うことができ
る世の中にしなければならない。中内は、そういった論理で、これまで生産者が決め
3
てきた価格を変えて、安売りをしたのであった。
そして 1957 年大阪千林にダイエーの一号店がオープンした。その店頭価格は、目
を見張るものであった。これまで高くてなかなか買えなかったものが、手頃な価格で
買うことができるため、その評判は瞬く間に広がり、消費者はダイエーの店頭に殺到
したのであった。
開店当初に取り扱ったのは、薬品・化粧品と日用雑貨で、それはダイエーの前身の
サカエ薬局からの取扱商品であった。後に、当時薬を取り扱うドラッグストアに許さ
れた日曜営業の特権を活かし、ソーダファウンテンと一緒にお菓子などを取り扱うよ
うになった。1958 年神戸三宮に 2 号店を開店。ここでは薬品・化粧品・日用雑貨の
ほかに当初から生鮮食品や衣料品、家電製品も販売した。中でも当時高嶺の花であっ
た牛肉を安く売ることが評判となり、連日店は大盛況であった。
中内は、この牛肉の販売には相当の力を注いでいた。それは彼の戦時中の飢餓体験
によるもので、フィリピンの山奥に戦士として駆り出され、食べるものもロクにない
中で、戦地を彷徨った。勝つ見込みのない戦争で、敵の攻撃で被弾した。その時、死
ぬ前にもう一度「すき焼き」を食べたいという思いが彼を支え、幸いにも仲間に助け
られ、九死に一生を得て帰還したのであった。
その強い思いが牛肉にある。当時、日本は高度成長期に突入していた。池田内閣の
所得倍増計画で豊かな暮らしの時代に変わる。その象徴が牛肉なのである。しかし当
時の牛肉はまだ高値であり、一般庶民にはなかなか手に入らなかった。そこで中内は、
当時 100g60 円だった牛肉を 39 円で販売したのであった。当然、周辺の精肉商は面
白くない。ダイエーの仕入れ先の枝肉商に圧力をかけた。それでも中内は屈せず、方々
の仕入れ先より牛肉を入手しては販売を続けた。
中内は、牛肉に限らず、店内のありとあらゆるモノを安売りした。当時の商業流通
の世界はメーカーが中心であった。また問屋や他の小売店もその体制に従い、それが
当たり前の時代であった。だから当然メーカーは、この安売りに対し抗議した。
そこで中内は、事務所の壁に一枚の紙を張り、姿勢を示したという。その張り紙の
内容は、生活必需品を最低の値段で消費者に提供するために、精魂を傾けて努力し、
その努力の合理性で、商品の売価を安くできたということが、何で悪いのであろうか、
という内容であった。
そして、神戸三宮の 2 号店開店を機にチェーン化を進め、ダイエーは 1961 年には
店舗数 6 店、売上高は 77 億円に達した。
しかし中内はこれで満足することはなかった。むしろ先々の不安を感じていた。そ
こで、流通先進国の最新事例をこの目で見ようと、1962 年に全米スーパーマーケッ
ト協会 25 周年記念式典に参加した。そこで、当時の大統領 J.F.ケネディのメッセー
ジに感銘し、自分の進むべき道を決めたという。
それは、アメリカとソ連の違いはスーパーマーケットが有無であり、一時間の労働
4
で買える買い物カゴの中身の違いである。スーパーマーケットのローコスト・マーチ
ャンダイジングの技術が、アメリカの豊かな社会を支えている。というものであった。
また会期中に米国の経営者たちと話し、店舗数の必要性を問われた。そして、アメ
リカ国内のスーパーマーケットを視察し、セルフサービスの販売や商品陳列、照明の
使い方など、その創意工夫が全て買い手の立場で作られていることに驚かされ、更に
それは自分が追い求めている「日々の豊かさ」であることを実感した。
帰国後中内が掲げた目標は、ナショナルチェーン化(全国チェーン化)で、これが
本格的なチェーンストアを目指すきっかけとなった。
翌年、兵庫県西宮にチェーン本部を開設し、流通センターを稼働。商品部も設置し、
仕入れと販売の分業制を確立した。更に店舗のひな形(タイプ)も作り、ワンストッ
プショッピングの日本型スーパーマーケット(ビッグストア)の原型となった。
中内はその後、創業者堤清二の命を受けた西友の副会長の上野光平と、1967 年に
日本チェーンストア協会を設立。それまで百貨店の日陰の存在であったスーパーマー
ケットを、ひとつの産業として認知させた。
チェーン本部を作り、多店舗化の体制を整え、更にチェーンストア協会を設立、中
内ダイエーの快進撃は続く。
1968 年に首都圏に進出。1970 年には、総店舗数 50 店、1973 年には 100 店舗を超
える。また 1971 年に大阪証券取引所二部に上場、翌 1972 年東京証券取引所一部に
上場した。
一方で、商品の安売りをめぐり、抗争は続いた。代表的なのが、当時の松下電器(現
パナソニック)との争いであった。近畿地区でのダイエーの安売りは、松下電器のお
膝元であり、系列店への示しがつかなくなる。そのため、ダイエーに対し、製品の出
荷停止をした。それでも中内は、代理店や地方からの現金仕入れで対抗した。
松下側も、製造ロット番号を肉眼では見えない大きさで印字し、追跡調査をして、
仕入れ先をつぶした。そうすると、今度はダイエーが、それを国会議員に実態を知ら
しめる、といった泥沼の戦いを続けたのであった。
出店についても、尼崎や熊本での出店反対運動にぶつかり、当初予定の売り場面積
を確保できないこともあった。それでもナショナルチェーン化、即ち全国制覇の夢を
実現するため、中内は東奔西走した。
多角化や PB 化も早くから取り組んだ。多角化においては、紳士服のロベルト、靴
のコルドバ、ハンバーガーショップのドムドムやウェンディーズ、ステーキハウスの
フォルクス、スポーツ用品のパシフィックスポーツ、時計のゼノン、生活便利雑誌オ
レンジページ、百貨店のプランタン、ホテルのオリエンタルホテル、クレジット会社
のオレンジメンバーズカード、コンビニエンスストアのローソン、プロ野球球団のダ
5
イエーホークス、レジャー施設の横浜ドリームランドといった物販にとどまらず、サ
ービス、金融、不動産も手掛けた。他にも、当時企業スポーツの世界にも踏み出し、
バレーボールや陸上部といったものも設立、ダイエーの名を全国区に知らしめた。
PB に至っては、西友が手掛けた「無印良品」よりも早くに立ち上げた。
「ブルーマウンテン」ブランドのインスタントコーヒーを皮切りに、「キャプテンク
ック」
「サリブ」といったダイエー独自のブランドを次々と発売、更に「セービング」
「ノーブランド」といった余分な機能やデザインを排除した価格第一のもので、当時
のナショナルブランドの安売り価格より、更に安い商品を送り出した。
多角化や PB 以外に、中規模のスーパーマーケットやボランタリーチェーンとの提
携し、更に新しい事業への進出・拡大のための M&A も積極的に行っていた。
マルエツ、ユニードの吸収合併やシジシージャパンを参入させての業務提携による
オレンジ合衆国を発足。また秀和不動産を介しての高島屋・リクルートとの業務提携、
更に忠実屋の買収など、当時は物議を醸したものも随分あった。
こういったダイエーの一連の拡大志向は、1990 年代後半まで続くが、実質的な流
通革命は 1980 年、売上高一兆円達成で終わっていると、研究者は見ている。
それは、後述するイトーヨーカ堂が進めた業務改革の発端となる、パラダイム転換、
即ち、時代が売り手市場から買い手市場へ転換されたからである。
ダイエーに限らず、時を同じくして創業した、伊藤雅俊のイトーヨーカ堂、岡田卓
也のジャスコ、堤清二の西友、といった、この時代を駆け巡り、日本の暮らしを変え
てきたビッグストアが、この時期、挙って業績を悪化させていた。
それは、これまで商品を店頭に並べてさえおけば、また安くすれば売れていたが、
モノが充足し始めたことから、売れ行きが悪くなってきたのであった。
特に、しょうゆや砂糖、たまご、サラダ油、洗剤、ティシューペーパーといった、
新聞の折り込みチラシの目玉商品だったものが、店頭に積んでも売り切れることがな
く、生鮮食品などは売れ残りさえも目立つようになってきた。
また、消費者の購買行動も、「この商品でなければ買わない」と、一種の指名買い
になってきた。つまり、買い手の選択眼が厳しくなってきたのであった。
この消費者の購買行動の変化は、ダイエーにとって計算外のことであった。ダイエ
ーの場合、これまでモノを安く売ることで、支持され、そして成長してきたため、モ
ノが思うように売れないというのは、大きなダメージであった。
更に、これまでの拡大志向で、全国制覇を目指してきたツケがたまり、借入金が膨
大になり、1983 年に初めてグループで経常赤字となった。
この 1983 年までの足跡を振り返る。中内ダイエーは、これまで国民の豊かさを目
指すために、安売りを旗印に、高度成長期を全速力で走り続けてきた。またその旗印
6
に、異を唱えるもの、泥を投げるものを、片端から蹴散らし、前に進んできたのであ
った。そして、これまで暗黒大陸と呼ばれ、産業界で低い地位にあった流通小売業を、
特にスーパーマーケットの地位を確立すべく、日本チェーンストア協会を設立し、モ
ノをどんどん売ることで大きくなり、今の地位を得たのであった。
その原動力となったのが、安売りを支えてきた「量」であった。その量を確保でき
たのは、実は日本の高度成長期であり、モノづくりであり、またその安売りにより自
ら豊かになろうとした国民の「消費」であった。
つまり、大量生産大量消費の時代の基で成長してきたビジネスモデルであり、その
典型がダイエーなのである。
そのビジネスモデルが通用しなくなってきた証が、1980 年代の業績低迷であった。
そして、この 1980 年代初頭前後に、ビッグストア各社は各々の道を歩んでいく。
堤清二の西友は、専門店の無印良品を立ち上げ、新しい切り口のマーケットを創っ
た。岡田卓也率いるジャスコは、緩やかな連携で、地方のスーパーマーケットと合併・
提携を繰り返しながら、自身を補強していった。それでもまだどこかで「量」を追い
かけているのが覗える。そのことがこの先も引きずり、ダイエー・西友にはそれが命
取りとなり、ジャスコもその後、時代と共にもがくことになる。
その 1983 年に、ダイエーは「V革」なる社内改革に取り組んだ。当時ヤマハの社
長だった河島博氏(以下敬称略)をスカウトしてのことだった。その内容というのは、
多角化事業の見直しと、当時「3・4・5作戦」と言われた、3 割の在庫、4 割のロ
ス、5 割の値下げをなくすという、体質改善であった。
これを全社的に行うことで、経常赤字から脱却しようというのが狙いであった。
ダイエーは河島をリーダーに、このV革に取り組んだ。そして、これまで積極的に
行ってきた出店を控え、多角化による赤字事業を清算し、とにかく忍の字で、取り組
んだ。
多角化事業の赤字企業の清算というのは、グループ内のPCBの清算のことであっ
た。PCBというのは、当時あった汚染物質のことで、その頭文字からつけられた名
前であった。Pは百貨店のプランタン、Cは音響機器のクラウン、Bはボックススト
アのビッグエーのことであった。
中内は、当時土地資本経営による拡大と、様々な業態への進出を盛んに行っていた。
消費者が喜ぶことは、何でもするということから、百貨店や、音響機器メーカー、
そして、ディスカウントストアに手を出したが、悉く失敗した。
この多角化が、グループの経常赤字の元凶であることから、V革時に清算、プラン
タンは銀座の店舗だけを残し、婦人服のレリアンより石井千恵子氏を社長に招聘し、
単独で再建、他の店舗は、ダイエー内に吸収となった。クラウンは債権放棄し、他の
電機メーカーに譲渡した。ビッグエーは一旦清算し、新会社として再スタートを図っ
た。
7
そしてダイエーは、3 年後の 1986 年に黒字転換し、苦境から脱することができた。
時代はこの頃から、バブル景気に入る。景気も手伝って、業績は急速に回復、ダイエ
ーは再び土地資本経営による、拡大志向に走った。
実は、V革が成功したかどうか、この時点では検証することができなかった。何し
ろバブル景気の影響で、株価も、そして土地の価格も上がり、ダイエーにとって、規
模拡大しやすい環境で、フォローの風が吹いてしまったからである。
しかし、その後のバブル崩壊で、再び景気が悪化。すると、今度はダイエーの得意
とする低額品が売れるようになってしまった。
バブル崩壊後、世の中は挙って値下げ・安売り志向に変わった。真っ先に影響を受
けたのは百貨店であった。しかし、ビッグストアも同様であった。何しろバブル景気
で、高額品中心に品揃えをしていたため、景気が悪化すると、途端にチラシ訴求によ
る低額品の品揃えに、急ハンドルを切らざるを得ない状況になったからであった。
そういった中で、ダイエーは、「セービング」というプライベートブランドを中心
に、価格を前面に打ち出し、大攻勢をかけた。
しかし、この戦略が後々裏目となった。一見、ダイエーは絶好調で、そのセービン
グが、売れに売れているように見えた。しかし、実は利益が出ていなかった。売上げ
だけが伸びるという、まさに膨張であった。そして、ここでバブル景気のときの土地
資本経営が仇となった。
ダイエーが拡大志向に走る、その土地資本経営とは、売上で得た現金で、土地を購
入。その後その購入した土地が値上がると、更に借入れを増やし、それを資金に出店
し、新たな事業を展開する。それを繰り返すことで規模を拡大する。これが土地資本
経営である。バブル景気の頃は、その土地の価格がまさに泡のように膨れたため、借
入れが容易であった。
しかし、バブル崩壊後、その土地の担保価値が激減、銀行が貸し出しを渋り、たち
まち資金難に陥ってしまった。更に現場は薄利多売で、現金が増えない。資金繰りは
日ごとに悪化する。それでもダイエーは、安売りを止めなかった。
そんなとき、1995 年 1 月、阪神淡路大震災が起こった。ダイエーは本拠地神戸で大
打撃を受けた。被害総額は約 400 億円。その年の 2 月期の決算の最終損益は、256 億
の赤字となった。しかし、実は資金繰りが悪化し、既に経営難に陥っていた。それを
震災で覆いかぶせ、あたかも震災で経営が悪化したように、特別損失を計上し、難を
逃れたといわれている。
あまりいい言い方ではないが、どさくさに紛れて、赤字経営を見えなくしたような
動きであった。実際その後、ダイエーの戦略は悉く失敗、95 年以降の展開は、まさに
悲惨な一途を辿る。
8
震災以降中内は、陣頭指揮を長男潤氏(以下敬称略)に譲り、中内自身はダイエー
グループ全体を見るようになった。
ダイエー本体の実権を握った潤だが、父親から帝王学を学んではいたものの、キャ
リア不足は避けられない。96 年以降ダイエーは、ハイパーマートという、半ばディス
カウントストアのような業態を展開、極端にコスト削減した店舗を出店した。これが
裏目に出た。価格は確かにどこのスーパーよりも安い。しかし、店舗設備はローコス
トというより陳腐化したものばかりで、照明は暗く、包装資材も安っぽく、陳列など
も、単に商品を並べて、さあ安いから買ってくれといわんばかりであった。
商品をとにかく大量に並べて、価格を最安値で打ち出すことができれば、顧客は買
ってくれるだろうと、アメリカのディスカウントストアを手本にしたのだろう。しか
し、日本国内は既にモノ余りの時代で、いくら安いからと言っても、チープな店で顧
客はモノを買わない。むしろそういった過去の大量生産大量消費の、高度成長期の工
業化社会の時代のような展開は、もはや時代遅れであった。
まさに父親の成功体験だけを見てきたのだろう。良かれと思って展開したハイパー
マートは大失敗に終わり、その後消滅、潤も会社を去ることになる。
更に 1990 年代後半から 2000 年代にかけて、ビッグストア各社の明暗が鮮明にな
ってくる。ダイエーは、ハイパーマートの失敗を機に、業績は悪化の一途を辿る。
1998 年には、実業団として参画していた陸上部やバレーボール部が、休部を余儀
なくされ、更に社員共済会の若葉会が解散するなど、もはや社内に余裕はなかった。
そして 1998 年度、業績は経常赤字となった。この責任を取って、中内は会長職と
なり、味の素からスカウトした副社長の鳥羽董氏(以下敬称略)が社長に就任した。
鳥羽は、就任と同時に再生三か年計画を発表する。しかし、その内容は債務整理の
ための保有資産売却が中心で、グループの稼ぎ頭のローソンやオレンジページ、福岡
ダイエーホークスもその対象となった。7 月には希望退職者を募ったところ、希望者
は 800 名を超えた。
大鉈を振るった鳥羽だが、翌年、自身の保有株式の売買に絡むインサイダー取引疑
惑で、引責辞任した。そして後任には、当時リクルートに移籍していた高木邦夫氏(以
下敬称略)が呼び戻され、社長含みの顧問に就任した。
そして 2001 年、高木の新社長就任と同時に、ついに中内はダイエーグループの全
ての職から辞任した。その後 1000 名の希望退職者を募り、ローソン、オレンジペー
ジを実質売却することになった。
翌 2002 年には、産業活力再生特別措置法に認定され、プランタン銀座の売却やハ
イパーマート事業の撤退、希望退職 1100 名の実施、60 店舗の閉鎖を決め、リストラ
は加速した。
2003 年には家電事業から撤退。2004 年には福岡ドームや周辺のホテル・商業施設
を譲渡、更に 11 月には球団もソフトバンクに譲渡した。
そして、一度は自力再建を発表したものの、主力取引銀行が自力再建を拒絶、追加
9
支援を行わない方針から、苦渋の選択で産業再生機構による再建に切り替え、同年
12 月 28 日、産業再生機構は支援を決定した。
2005 年、支援スポンサーが丸紅とアドバンテッジパートナーズに決定。高木邦夫
社長は辞任し、新たに元 BMW 東京社長の林文子と、日本ヒューレットパッカード社
長の樋口泰行の体制となった。その年の 9 月 19 日、創業者中内㓛は死去した。
翌年筆頭株主が産業再生機構から丸紅に移り、更に、イオンが業務提携に名乗りを
あげ、2013 年にはイオンが丸紅との提携解消を機に株式を取得、実質イオン傘下と
なった。そして 2014 年 12 月に上場廃止、翌 2015 年に完全子会社化となり、ダイエ
ーは 58 年の歴史に幕を閉じることになった。そして、このダイエーの歴史とともに、
第一次流通革命は終わった。
ダイエーの足跡を半ば羅列する形となったが、ここで、ダイエーの取組み、功績、
そして成功要因を整理する。
<ダイエーの取組み>
・「より品をどんどん安く、より豊かな暮らしを」をスローガンに、価格破壊を起こ
した。
・これまでメーカーが決めていた価格を、自らで決め、安売りを実行し、古い流通シ
ステムを壊し、メーカーから価格決定権を奪った。
・有力メーカーに対し反旗を翻し、全面戦争し、しかし一歩も引かず戦った。
・そして世論を味方につけ、規模を拡大し、やがて小売業日本一となった。
<ダイエーの功績>
・大量販売することで、パワーをつけ、これまでメーカー(作り手)の思惑だけで作
られた商品を、買う側・使う側(顧客)発想で作らせ、価格も流通小売業が決める足
掛りをつくった。
・価格を武器に、安くすることで消費者にモノが行き渡る社会をつくった。
・同業の先陣を切って、規制に立ち向かい、出店を強化。
・圧倒的な販売力でこれまで低かったスーパーマーケットの地位や存在価値を高めた。
・店舗を当時の家族の娯楽の場として集客、販売につなげた。
<ダイエーの成功要因>
・高度成長期でモノ不足の時代の波に乗った。
・メーカーの大量生産に対し、生活必需品を単品且つ大量に販売できる体制を構築し、
安い価格で販売した。
・圧倒的な廉価と販売力で、世論を味方につけた。
・土地資本経営で資金繰りを繰り返し、出店を拡大。全国規模の販売体制を確立した。
10
【セブン‐イレブンが起こした第二次流通革命】
さて、このダイエーをはじめビッグストア各社に翳りが見え始めた頃、誕生したの
がセブン‐イレブンであった。
次のグラフは、セブン‐イレブンの上場後の売上高・出店推移である。
700,000
3,500
600,000
チェーン全体売上高
3,000
店舗数
500,000
2,500
400,000
2,000
300,000
1,500
200,000
1,000
100,000
500
0
0
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
株式会社セブン‐イレブン・ジャパン 有価証券報告書より研究者作成
(左側 売上高:単位 百万円、右側 店舗数:単位 店)
セブン‐イレブンは、1973 年に当時のイトーヨーカ堂の常務の鈴木敏文氏(以下敬
称略)が設立に携わった、コンビニエンスストアの業態である。
当時の日本国内は大型スーパー全盛の時代で、駅前の一等地にはイトーヨーカ堂に
限らず、ダイエーや西友、ジャスコといった、ビッグストア凌ぎを削って出店してい
た。
当然そういった大型店舗が出店すると、近隣の、これまで日本の商業を支えていた
中小小売店は、立ちどころに売上げを奪われ、閉店を余儀なくされる。そのため、当
時は、そういった話があると、商店会はこぞって反対運動が起きる状態であった。そ
こで制定されたのが、大規模小売店舗法による出店規制で、1980 年ごろから大型商業
施設の出店は許可制となり、イトーヨーカ堂も出店には苦労した。そういった環境の
変化から、各社とも業態の多角化に走り、スーパーマーケット事業だけでなく、ディ
スカウントストアや、専門店、レストランといった業態に手を出すようになったので
あった。
イトーヨーカ堂も例外ではなく、その多角化のためにアメリカ本土にわたり、次な
る業態を模索していた。
セブン‐イレブンはそういった中で生まれた。当時鈴木が、社内の海外研修の責任
者として渡米した 1972 年、カリフォルニアで車での移動中に偶然立ち寄った、ガソ
リンスタンドに併設された小さなストア、それがセブン‐イレブンであった。鈴木は
これに興味を持ち、イトーヨーカ堂が出店規制で苦労している中での、社内での打開
11
策として帰国後、このセブン‐イレブンの話を伊藤雅俊氏に報告したのが最初であっ
た。その打開策とは「中小小売店の活性化」「共存共栄」という考えであった。それ
は、当時「敵」とまで言われたイトーヨーカ堂が、「セブン‐イレブン」というのれ
んを貸して、中小小売店を支援し、自分たちだけでなく、共に栄えようというフラン
チャイズシステムの考えであった。これがうまくいけば、たとえその地域に、イトー
ヨーカ堂として出店できなくても、セブン‐イレブンとして出店することで、グルー
プとして成長できるというものであった。
しかし、そう思ったのは鈴木ただひとりで、社内の役員会では、そんなことできる
わけがないと、こぞって反対を受けた。それでも引き下がらなかった鈴木に対し、
「最
後は言い出しっぺがやれ」ということで、社長の伊藤が裁定を下した。
何とか社内を説得できたものの、肝心のセブン‐イレブン本体を運営しているサウ
スランド社との交渉が実は難航した。それは出店するエリアや、イトーヨーカ堂がサ
ウスランド社に支払うロイヤリティの賦率であった。それでも鈴木が粘り強く交渉し、
最後は自分たちの納得のいく条件で折り合いをつけてきたのであった。こうして、
1973 年 11 月、江東区豊洲にセブン‐イレブン第一号店が誕生したのであった。
第一号店がオープンしたものの、当初は苦難の連続であった。
まずは在庫の問題であった。3000 品目を品揃えするが、当時の商習慣は、どの商品
も問屋から大きなロットで仕入れていた。たとえば、缶詰ひとつとっても、24 個~48
個が最小単位であった。こんなロットの商品が 3000 品目もあったら、店舗はひとた
まりもない。わずか 30 坪ほどの店舗の 2 階の居間兼倉庫は、在庫であふれかえって
しまった。金額にして約 1300 万円、一号店の平均日販が約 36 万円ほどであるから、
いかに在庫が多かったか、である。
この問題を解決するには、仕入れの単位を小さくするための小口配送であるが、当
時の業界常識では考えられないことであった。それでもこの問題を解決しないとチェ
ーン展開は不可能であると思い、問屋を一社一社説得し、理解してもらうようにした。
出店についても大きな課題だった。中小小売店の活性化を旗印に、アメリカのサウ
スランド社とフランチャイズ契約を締結、特に出店については、8 年間で 1200 店舗と
いう内容であった。出店目標については、日本側の案が採用され、一号店をオープン
させたものの、2 号店以降の出店開拓が難を極めた。何しろ、セブン‐イレブンとい
う看板、またコンビニエンスストアという業態そのものが、周囲から見れば、海のも
のとも、山のものともわからないため、ひとつひとつ説明しなければならなかった。
またその説明の中で、イトーヨーカ堂の名前を出すものなら、小型店まで乗っ取りに
来たのかと、警戒される始末であった。そして更に、近所の小売店舗と競合するので
はないか、はたまた大手の軍門に下るのかと、世間体を考える店主も多く、出店契約
は難航した。
12
もうひとつ、出店エリアの問題があった。セブン‐イレブンの成功の中で、外すこ
とができないものが、ドミナント戦略であった。それは、ある地域に一店舗出店した
ら、その周辺を網の目のように埋め尽くすように出店する戦略であった。その戦略は、
高密度で出店することで、知名度を向上させるとともに、物流効率や、そのエリアを
回る指導員の巡回の効率性、そして、競合店の出店を抑制させる効果があった。この
戦略を推進することこそ、日本での成功になると睨んだ鈴木は、ドミナント戦略を徹
底させ、一号店を江東区豊洲にオープンさせたことから、二号店以降江東区以外の出
店開拓をさせなかった。
出店契約が難航している中、さらに、ドミナント戦略によるエリア抑制で、開拓す
るメンバーは当時悲鳴を上げた。しかし、鈴木がとった行動は、この先大きな影響を
与える。
営業日についても難を極めた。セブン‐イレブンは、365 日年中無休がうたい文句
であったため、たとえ盆暮れ正月であろうと、商品を欠かすことはできない。特にデ
イリー品、その中でもパンの製造・配送の折衝は難航した。1 年目はロングライフ仕
様のパンを製造してもらったが、正月も営業する以上、やはり新鮮なパンを求めるの
は、コンビニエンスストアを運営する立場として、当然の成り行きである。そこで正
月の製造を求めたところ、猛反発された。
当時、山崎製パンとこの交渉をしたが、山崎製パンの飯島社長は「正月まで社員を
働かせることはできない」というのが回答であった。それでも、セブン‐イレブンは、
自分たちの考えを曲げず、時間をかけて説得することで、2 年目には正月に製造・配
送してもらえるようになった。この山崎製パンとの折衝は、後の米飯・惣菜メーカー
の正月製造の布石が打たれたという意味合いで、画期的なことであった。
前述した小口配送と別に、セブン‐イレブンが取り組んだことに、共同配送がある。
当時豊洲の一号店には商品を納入する配送車が一日に 70 台余り納品していた。よく
見ると、例えば牛乳などは、全農・明治・森永・雪印といったメーカーごとに配送し
ていて、非常に不経済であった。そこで、エリアごとに担当する会社を決めて、どこ
か一社が他社の牛乳も混載して、配送できないか提案した。しかし、これも各メーカ
ーから猛反発を食らった。メーカー側に言わせれば、どうして競合メーカーの商品を
一緒に運ばなければならないのか、というのが言い分であった。また牛乳以外でも、
共同配送の提案は、なかなか受け入れられなかった。今でもそうだが、日本には帳合
い・特約店制度が横行、メーカーが自分たちの商品だけを優先的に納品してもらうた
めに、問屋と特約店契約を結び、その問屋が他の競合メーカーの商品を取り扱わない
ようにさせていた。実は、この制度が物流の非効率性に大きく影響し、店舗に配送す
るトラックを増やす原因になっていた。
例えばビールは、キリンビールは明治屋しか取り扱うことができず、単独で配送し
ていた。またサッポロやアサヒ、サントリーのビールは、別の問屋が取り扱い、また
13
別のトラックで配送するといった具合で、メーカー都合の制度であった。しかし、販
売する店舗や、店頭で買い求める顧客にとっては、関係ないことである。
こういったことについても、セブン‐イレブンは顧客や店舗の側に立って粘り強く
交渉し、実現にこぎつけた。事実この共同配送で、店舗へのトラックの台数は激減、
更にメーカー側の配送コストは 1/3 になった。
そしてセブン‐イレブンを語るうえで欠かせないのが、情報システムの導入であっ
た。セブン‐イレブンの情報システムの取組みは、実は創業当初からの懸案事項であ
った。それはこの先出店がハイペースで進むと、これまでのような電話や手作業によ
る受注対応はできなくなるからであった。
そして店舗数もさることながら、一店舗 3000 アイテムの発注をどう受けられるの
か、少なくともは FAX・紙ベースに置き換えるレベルではなく、もっと新しい伝送シ
ステムによるものでないとできないのであった。
そこで導入されたのが、ターミナルセブンというシステムであった。これは、店舗
が商品名を記したボードに、印字されたバーコードをペン型スキャナーでなぞること
で発注でき、それを本部のコンピュータが集約し、取引先に一斉送信するものであっ
た。
この仕組みで、当時約 300 店舗に対応できる受発注システムが完成した。しかし、
ターミナルセブンは、あくまで受発注レベルであって、売れ行きがわかるわけではな
かった。
売れ行きを把握するのに必要だったのが、POS システムであった。当時 POS システ
ムはいち早くアメリカで開発・導入されていたものの、あくまでレジスターの仕組み
の延長で、それは打鍵ミスと不正防止が目的であった。それを鈴木は売れ行きの把握
に使ったのである。
当時、最初に目をつけたのが、パンの売り場であった。パンの売り場では、品切れ
が多発していたが、何が多く売れているのか、実は感覚ベースでしか把握されていな
かった。しかし、実際パンの売り場では、売れるものもあれば、売れないものもあっ
た。そして売れるものは、早くから売れて品切れになり、一方で売れ行きが遅く、売
れ残った商品は、やがて廃棄されていたのであった。しかし、そのことを売り場担当
者は、何が「何個」売れているのか(売れていないのか)を、把握しているわけでは
なかった。これでは、いつまでたっても品切れや廃棄ロスは解消されない。品切れや
廃棄ロスが解消されないということは、売り上げも改善されない。むしろ売り損ない
が出ているのかもしれない、ということであった。
しかし、こんなことが、なぜこれまでできなかったのだろうか。それは、これまで
は「パン」という大まかな捉え方しか、していなかったからである。更に、「パン」
という大まかな捉え方で「売れた」
「売れない」というレベルでよかったからである。
しかも実際、店舗も取引先も、そんな感覚しかなかったから、問題にならなかったの
である。
14
しかし、実際に売れるものもあれば、売れないものもある。それは、これまでのよ
うに、売り手側の考えだけで売れていたものが、商品によっては、売れなくなってき
たのであった。つまり、市場が買い手側の考え、即ち顧客が、欲しいモノを選んで買
う市場に変化したのであった。
このことに気付いた鈴木は、考え方をこれまでの大まかな捉え方から、「単品」と
いう最小単位で考えるようにしたのであった。そして鈴木は、POS システムを、「単
品」ごとの売れ行きの情報ツールとして使えないか考えたのであった。POS は単品ご
とに、売れたものが、何時にいくつ売れたかを記録することができる。そうすると、
例えば、菓子パンであれば、メロンパンは何時に、いくつ売れたのかがわかるように
なる。しかし、これだけでは、売れたという実績だけを見がちになり、次も同じよう
に売れるだろうと考えてしまうことがある。
そこで鈴木は、更に同じ売れたという記録を、次回の販売のための予測数字として
捉えるのではなく、あくまでいくつ売れるだろうと発注した結果、これだけ売れたと
いう「検証」の道具として使用するようにしたのであった。そうすることで、同じ売
れたということについても、その発注が正しかったのか、それとも売れたけど足りな
かったのかという思考につながり、翌日以降の発注にも活かせることになる。
こうして、先に述べた発注と連動させることで POS システムは導入された。これが
世にいう「単品管理」の考え方なのである。
さて、これらのセブン‐イレブンの取組みによって、実際店舗の作業(オペレーシ
ョン)はどのように変わったのだろうか。
例えば、商品の発注において、これまでは、同じ商品群でも、商品ごとに納品日が
違っていることが当たり前であった。それは、その商品を取り扱う問屋が、商品ごと
に違うことに、発注する側が合わせていたからであった。そのため、発注する側は、
問屋ごとに組まれた納品スケジュールに合わせて発注しなければならなかった。
だから、同じソフトドリンクでも、アサヒの三ツ矢サイダーは○○問屋なので、今
日が発注日、キリンの午後の紅茶は××問屋なので、翌日が発注日ということが当た
り前であった。しかもすべてが「翌日定刻」に来るわけではなく、翌日午後の配送の
問屋もあれば、翌々日に配送する問屋もあった。
これでは、店舗の発注担当者は、職人芸のように、商品と問屋と納品日を熟知して
いないと、発注できない。更に、発注から納品日までのリードタイムが長ければ長い
ほど欠品(品切れ)が起こりやすくなるのであった。
しかし、共同配送のシステムをつくったことで、他社と歩調を合わせなければ納品
できなくなったため、今度は、メーカーや問屋が、店舗への配送スケジュールに合わ
せなければならなくなった。
これによって、店舗は、これまで商品によって、発注日そのものをコントロールし
なければならなかったことが、発注が共同配送単位になったため、売れ行きをしっか
り捉えてさえいれば、品切れせず、発注できるようになった。
15
しかし、このセブン‐イレブンの取組みは、メーカーや問屋にとっても、実は多く
のメリットが享受されていた。
ひとつは、セブン‐イレブンがドミナント出店をしているため、これまで店舗ごと
あるいは数か所に、無造作に点在している配送拠点に個別に納品しなければならなか
ったことが、セブン-イレブン店舗が集約された拠点に、まとめて配送することにな
った。また、納品曜日も表裏でスケジュールが組まれているため、作業が均等分散さ
れる効果もあった。更にその拠点も、出店が定数を超えた時点で、また新しい拠点を
新設するため、キャパシティオーバーがない。
また、POS システムと連動した発注システム(=売れ行きベースに合わせた数量決
定)であるため、ムダがなく、定期的に発注が入る。ということは取引先にとっても、
その発注の傾向に合わせた生産・納品体制、そして生産性に合わせた人員体制が組ま
れる。当然ロットも少量化しているため、微調整しやすい。
こうして、これまで生産者(メーカー)の考えだけで商品が生産され、そして問屋
を経由し、店頭に並べておけば売れていたというその仕組みは、根本から変わること
になったのである。このことで、商品が売れるためにはどのような商品を店頭に並べ、
そのためにはどのように運べばいいのか、またそのためにはどのように作ればいいの
かと、生産者主体の考え方から、顧客主体に変わったのである。この構造改革が、第
二次流通革命なのであった。
ここまでセブン‐イレブンの足跡について記述したが、そのセブン‐イレブンの取
組み、その功績、そして成功要因を整理する。
<セブン‐イレブンの取組み>
・中小小売店の活性化と共存共栄をスローガンに、米国サウスランド社のコンビニエ
ンスストア事業に着手した。
・その理由は、大規模小売店舗法による出店抑制で、親会社イトーヨーカ堂の成長に
限界を感じ、中小売店との共存共栄できる仕組みを模索していた。
・そして米国視察で発見したコンビニエンスストアの仕組みを輸入。中小小売店をそ
の仕組みで、生産性の高い業態に転換させた。
・これまでの工業化社会の流通構造・商習慣を変えた(小分け配送、共同配送、24
時間 365 日営業体制、POS データによるマーケティング、チーム MD)etc.
<セブン‐イレブンの功績>
・非効率な中小小売店を、生産性の高いコンビニエンスストアに転換させ、社会革命
をもたらした。
・売り手市場から買い手市場に変化したマーケットに対応する仕組みを作った(変化
への対応)。
・ドミナント戦略で店舗を網の目のように張り巡らせ、ネットワークを構築、独自の
インフラビジネスを実現した。
16
<セブン‐イレブンの成功要因>
・米国のシステムを輸入したものの、そのままでは合わないことを悟り、日本流にア
レンジした。
・主観・先入観・固定概念にとらわれず、素人なりに考え、現状の流通システムの課
題に取り組み、独自の提案をし続けた。
・ドミナント出店による効率且つ効果的戦略を実践した。
・ダイレクトコミュニケーションにより、常に方針を徹底した。
・その時代に対応できる変化対応力をつけた。
17
【疑問点】
さて、ダイエーが起こした第一次流通革命、そしてセブン‐イレブンが起こした第
二次流通革命について記述したが、その中でいくつかの疑問点を見出すことができた。
それは、次のとおりである。
① ダイエーは 1970 年代までは成功していたのに、 1980 年代以降なぜ凋落したのだ
ろうか。特に同時期、同じビッグストアで、業績不振に陥ったイトーヨーカ堂が
業績回復を果たせたのはなぜなのだろうか。
② 更に、そのイトーヨーカ堂が、その後苦戦を強いられているのはなぜか。一方で
セブン‐イレブンが成長し続けられるのはなぜか。
まず①について、考えてみたい。
次のグラフは 1980 年代以降のダイエーの業績を表したものである。
40,000
3,000,000
売上高
30,000
2,500,000
経常利益
20,000
2,000,000
10,000
1,500,000
0
1,000,000
(10,000)
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
(30,000)
1982
0
1981
(20,000)
1980
500,000
株式会社ダイエー 有価証券報告書より研究者作成
(左側 売上高、右側 経常利益:単位 百万円)
「ダイエーが起こした第一次流通革命」の項目で既に説明したが、黒丸印の 1983
年に、ダイエーはグループで初の経常赤字に陥り、社内改革の「V革」に取り組んだ。
その後ゆるやかに回復しているが、バブル崩壊後、経常利益は急落、売上げも 1995
年をピークに落ち続ける一方であった。
実は同じ頃、同じビッグストアのイトーヨーカ堂が、同じように業績を落としてい
た。
18
次のグラフは、イトーヨーカ堂の、業績の推移である。
800,000
50,000
700,000
売上高
600,000
40,000
経常利益
500,000
30,000
400,000
20,000
300,000
200,000
10,000
100,000
0
0
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
株式会社イトーヨーカ堂 有価証券報告書より研究者作成
(左側 売上高:単位 百万円、右側 経常利益:単位 百万円)
このグラフは株式上場当初 10 年間の推移である。ダイエーと同じように、右肩上
がりで成長し続けている。また経常利益も小売業の中では群を抜いており、1981 年に
は、流通業界では、三越を抜いて、経常利益で日本一になっている。
しかし、その後次のグラフのとおり、1983 年に経常減益となっている。
2,000,000
100,000
1,800,000
1,600,000
売上高
1,400,000
経常利益
80,000
1,200,000
60,000
1,000,000
800,000
40,000
600,000
400,000
20,000
200,000
0
0
株式会社イトーヨーカ堂 有価証券報告書より研究者作成
(左側 売上高:単位 百万円、右側 経常利益:単位 百万円)
19
その後のダイエーとイトーヨーカ堂の動きを一緒にグラフに表すと次のようになる。
160,000
2,500,000
ダイエー売上高
2,000,000
1,500,000
イトーヨーカ堂売上高
140,000
ダイエー経常利益
120,000
イトーヨーカ堂経常利益
100,000
80,000
1,000,000
60,000
40,000
500,000
20,000
0
0
株式会社ダイエー、株式会社イトーヨーカ堂 有価証券報告書より研究者作成
(左側 売上高:単位 百万円、右側 経常利益:単位 百万円)
このグラフで分かるように、両社とも 1983 年に業績を落としているが、その後、
両社の運命が分かれている。
何度も繰り返すことになるが、この当時、価格を安くしても、モノが思うように売
れなくなった時期であった。
このとき両社は、社内改革に着手した。そしてダイエーは回復したものの、その後
低迷し、一方イトーヨーカ堂は復調を果たし、飛躍的に伸びている。
そのイトーヨーカ堂が取り組んだ社内改革が「業務改革」である。
この業務改革を主導したのが、セブン‐イレブンを創業した、イトーヨーカ堂の当
時の常務取締役の鈴木であった。
経常減益を余儀なくされた 1983 年、当時イトーヨーカ堂の社長だった伊藤が、そ
の対策会議の中で「荒天に準備せよ」と社内に非常事態宣言をした。しかし、社内か
ら出てくる提案が、精神論か経費削減といった後ろ向きの政策ばかりで、なかなか進
展しなかった。
そこで鈴木が、社内の対策会議の中で、売れ残りの商品の値下げや廃棄で出たロス
が利益の 3 倍もあることを指摘、これをなくせば利益がでる、また売り場に売れない
商品がたくさんあるからロスがでるのならば、売り場から売れない商品を取り除いて、
在庫を半分にすればいい、といったことを主張した。
しかし、この考え方は、当時の流通小売業では、常識を覆すようなことで、これを
聞いた営業サイドの幹部たちは、鈴木の主張に一斉に反発した。在庫を減らせば売れ
なくなる。商売を知らない人間の考えることだ、といった。しかしこの席で鈴木は、
20
自分の主張を曲げなかった。当然会議は紛糾し、論争が止まなかった。この論争に終
止符を打ったのが社長の伊藤の一言であった。
伊藤は、鈴木のいうことを「やってみようじゃないか」と、反発する営業サイドの
幹部を説得した。これが「業務改革」の始まりであった。
そしてまず取り組んだのが、紳士服のワイシャツ売り場であった。実験店を決めて、
鈴木の主張のとおり、売れていないワイシャツを売り場から外し、売れている商品の
色、柄、サイズに絞り込んでいった。すると、売上げは下がるどころか、これまでよ
り 2 割、3 割と急速に増え始めたのであった。
これがきっかけとなり、「業務改革」はエンドレスで進められた。
業務改革の概要は次のとおりである。
Ⅰ思想
①全て単品から入れ
②ストアは死に筋さがし、バイヤーは売れ筋さがし
③仕入れ、即売上げの状態づくり
Ⅱ完成された姿~売上げが上がらずとも利益が上がる体質づくり
[ストア段階]
①在庫は全て売れ筋のシステム、売れ筋がわかる、売れ筋が必ず
プレゼンテーションされている、品切れを起こさない。
発注~納品時間が守られる。
②100%パートで可能なシステム
③3か月いたら発注できるシステム
④店頭情報、マーケットリサーチ情報のバイヤーへの
フィードバック
⑤サラリーと仕事の質、評価の連動
[バイイング段階]
①仕様書発注・契約概念の導入
②未納・鮮度・在庫回転まで含めたペナルティ契約
③目標設定
1.欠品率目標
2.クラス・ライン毎の商品回転率目標
3.返品率目標
④デリバリー、EDPシステムの整備
⑤計画的販促、利益の取れる販売
⑥取引先の棚卸と絞り込み
⑦マーケティング感覚をもった人の組織化
[組織風土]
①約束事が履行される体質づくり
②ストアの自主性
21
全体的思想とステップ
フェーズ1. 死に筋をとる 受発注、デリバリー、未納、遅納、品切れ、
↓ 欠品等にシステム的アプローチ
在庫を減らし、ロスを少なくする。
↓
フェーズ2. 売れ筋・見せ筋商品の投入とフェイス管理
↓
売上げ増進
↓
フェーズ3. 資本・労働生産性改善 スペースアロケーションの弾力化、
↓ 作業割当連動、POSの作動含む
単品情報システム確立
フェーズ4. 川上の利益吸収・契約システムの確立及び販促革命
↓ フェーズ5. ストアの自主性の確立及びバイヤー、
ディストリビューター、スーパーバイザーの
理想的チームプレイ
↓ フェーズ6. スタッフ部門の業務改革
↓ フェーズ7. 基礎工事の成果を見極め、本格的攻勢 ノンストアビジネス、百貨店事業等
A
A 在庫が減った段階
↓
+
↓
B
B 粗利益率の上昇を伴う在庫減の段階
↓
+
↓
+
↓
+
↓
C 売上増を伴う在庫減と粗利益率上昇の段階
↓
+
↓
+
C
+
D
↓
+
D 爆発的に売上増をもたらすCの段階
↓
+
+
E
E 資本と労働性向上
森田 克徳(2004 年 9 月)
『争覇の流通イノベーション~ダイエー・イトーヨーカ堂・
セブン‐イレブン・ジャパンの比較経営行動分析』慶應義塾大学出版会掲載資料より
22
この 3 つの図は、当時の業務改革委員会が示した具体的施策内容である。
フェーズ1では、売り場から売れない商品(死に筋)を排除し、在庫を減らす。そ
して商品回転率を上げ、ロスを減らす。同時に、なぜその商品が死に筋になったのか。
それは発注数量が多すぎて余ってしまったのか。それとも、入荷のタイミングが悪か
ったのか、後から入ってきたため、売り逃してしまったのか、そのために売上げに影
響したのか、といったところまで踏み込んで、改革する。
フェーズ2では、先に排除した死に筋の余剰スペースに、売れ筋や将来的に売れ筋
になっていく見せ筋商品を投入。また投入した際のフェイスコントロールにおいて、
売れるものは、よりフェイスを多くするなど、積極的に陳列を拡大し、売上げ増進を
図る。
フェーズ3では、フェーズ1・2を資本生産性・労働生産性の改善に結び付けるも
ので、本部からの情報に基づいた戦略的な商品の送り込みと、受け入れる売り場との
作業連動を実現させる。更に、POS データに基づく単品販売情報を確立することで、
より正確な情報を得られ、効率的な、ひいてはパート・アルバイトレベルに落とし込
むことで、より生産性の高い営業を実現するシステムを実現するものである。
フェーズ4では、単なるセレクトバイイングによる仕入れ体制から、情報に基づき
仮説を立て、販売計画を立てるもので、リスクを負う代わりに、相応の利益を得て単
品ごとに契約。欠品をなくし、莫大な売上増に結び付けるだけでなく、取引先とも利
益分配を図ることを狙い、効果的な販促を実現することである。
フェーズ5では、店舗からの主体的な動き・改善要望に対し、本部のバイヤー・デ
ィストリビューター、スーパーバイザーが応えるもので、店舗でないとわからないこ
と、不便なこと・不利益なことといった“負”の解消を組織的に取り組むことである。
フェーズ6は、店舗を支えるスタッフのあり方を変えるものである。
フェーズ7では段階的に実施してきた成果を見極めたうえで、再び攻勢に転じ、こ
の先起こりうる未来を想定し、通信販売や、これまで実現できなかった高額品を取り
扱える百貨店ビジネスへの挑戦を指しているのである。
つまりフェーズ1で在庫生産性の向上を、フェーズ2でスペースの生産性向上を、
フェーズ3で労働生産性の向上を、フェーズ4で販促改善、フェーズ5では、店舗の
主体性を高め、組織全体の生産性の向上、フェーズ6ではその体制を支えるスタッフ
部門改革をそれぞれ目指し、そしてフェーズ7で強い組織体制を確立したうえでの攻
23
めの体制へ転換するのが目的である。
この「業務改革」により、イトーヨーカ堂は、高度成長期に、たとえ出店が慎重な
同社であっても、確実に成長してきた成功体験から脱却し、新しいマネジメントスタ
イルに変貌したのであった。
なぜこのような面倒な改革に取り組んだのだろうか。それは、この 1983 年の減益
が、一過性のものではなく、慢性的な構造疾患と捉え、基本から、土台からすべてを
作り直さないと対応できないと悟ったからであった。
それは、これまでの商売の仕方、つまり、商品を並べてさえおけば、また安くすれ
ば売れた、という高度成長期の商売のやり方では、もはや通用しない。違うやり方を
しなければ、この苦境から脱することはできないという考えであった。
高度成長期の商売というのは、モノ不足で、メーカーの大量生産に対し、大量販売
体制で顧客に対応することである。しかし、これが終焉したというのである。そして、
モノが売れなくなったのは、モノが行き渡り、消費者が、顧客が、更なる満足を求め
ているからで、それだけモノに対する選択眼が厳しくなってきたからである。
モノが売れる、いやモノを買ってもらうにはどうするか。その体制をつくるために、
イトーヨーカ堂は業務改革を進めて、モノが売れない原因を掴み、売れにはどうすれ
ばいいか、ひとつひとつ虱潰しのように取り組んだのであった。
これを文字で表すのは簡単だが、実際に行うことは非常に難しいことである。何し
ろ、ひとつのことを深堀するだけで、いろんな要因が見えてきて、更に、それが社外
にまで及ぶことがままならなかったからであった。
たとえば、売れなかったということで、死に筋と判定された商品があるとする。そ
れが単に商品の魅力がなかったからというのであれば、商品選定段階での原因で済む
かもしれない。
しかし、もしかすると、実は商品が予定通り納品されず、欠品が発生。その後納品
されたが、売るタイミングを逸脱してしまっていたから、死に筋になったかもしれな
い。それはどうしてなのか、更に追及すると、商品が問屋の時点で欠品していて、更
にそれを問い詰めていくと、実はその商品が、市場では非常に売れていて、メーカー
の生産段階で切れていた。または、その商品の原材料の一部が間に合っていなかった、
ということがわかった。
では、どうしたらその商品を間違いなく仕入れることができるのか。それには、予
め、いつの時点で数量を確保すればいいのか、といった調達の時点まで遡り、その根
本的な原因を解決することにつながるのであった。
また、商品の積み荷の時点で積み忘れが原因だとしたら、なぜ積み忘れたのか。そ
の問屋のまたはメーカーの出荷体制はどうなっているのか。どんな作業方法なのか。
伝票はチェックしているのか。検品は読み上げて、誰かが立ち会いのもとで行われて
いるのか。更に、そもそもバイヤーは商談時点で、どのようなことを話しているのか、
24
などといったことが、一つの問題の原因を追究していくことで、根本的な原因までわ
かってくるのであった。
実際、
「業務改革」開始時点のイトーヨーカ堂の商品の未納率は、衣料品が 30.2%、
加工食品が 29.3%で、注文した商品が実は 3 割も入荷していなかったことがわかった。
今の時代では考えられないような数値だが、当時が売り手市場の時代であったからな
のか、こんな高い未納率であっても、よく売れて、そして成長し続けることができた
のだろう。未納率を気にすることなど、なかったのであった。
しかし、業績を回復するうえで、この高い未納率は避けては通れない問題であった。
つまり、もしその商品があったら、もっと売上げが上がり利益になる。その未納を放
置することは、見す見す利益を垂れ流していることと同じだからであった。
イトーヨーカ堂は「業務改革」に取り組む中で、この未納率を改善、1989 年には
2.3%まで下げることができた。
こうしてイトーヨーカ堂は、ほんの小さな問題でも、真正面から向き合い、それは
なぜなのか、どうすれば改善できるのかを考え、取り組んだ。そして、そのことが、
やがて大きな改革につながっていくのである。
小さなことをコツコツまじめに取り組むことは、イトーヨーカ堂の社風なのだろう。
元々イトーヨーカ堂には、基本を徹底するという文化があり、同社が毎年掲げるスロ
ーガンに、必ずといって含まれているフレーズが「基本の徹底」である。それを長年
にわたって培ってきたからこそ、業務改革に取り組むことができたのではないかと研
究者は見ている。
そして、業務改革は、業績回復のための一過性の、カンフル剤的な要素ではなく、
むしろエンドレスに、継続的な改善運動なのである。
また、業務改革を進めていくうえで、切っても切れないものがある。それが「単品
管理」の思想である。
「単品管理」は世間一般では、販売データを見て、ABC 分析をして、売れ筋や死に
筋を見つけることと言われているが、ここで言う「単品管理」はそういう意味ではな
い。単品管理の思想というのは、まず、一つ一つの物事(商品)に対し、どうやった
ら売れるのかと「仮説」を立て、そしてその商品の売れ行きを見て、それがなぜ売れ
たのか、または売れなかったのか。そしてその理由を深堀して考え、その因果関係を
突き詰めて、さらに売れるにはそうしたらいいのかを考えて、「実行」するという、
同社の仕事の仕方をいう。つまり、この思想があって、技術的な「単品管理」がある
のである。むしろ近年さかんに言われている「PDCA」サイクルを回すマネジメントス
タイルと同じことである。
それをイトーヨーカ堂は、ルーチンワークの中で実践している。これが「業務改革」
の根本的な考えである。
しかし、それにしても、なぜ、ダイエーとイトーヨーカ堂はこれほどまでに違った
のだろうか。
25
両社について、次の表で比較してみた。
ダイエー
イト-ヨーカ堂
売上拡大至上主義
利益第一主義
土地資本経営
商品経営・リース出店
V革:3・4・.5作戦(3割の在庫、
4割のロス 5割値下げ 削減)
業務改革:基本から、土台から
すべてを作り直す構造改革
表面上の数値改善
変化に対応できる体質作り
1986年黒字転換で終了
エンドレス
実は、ダイエーとイトーヨーカ堂は、体質そのものがかなり違っていて、その違い
が、改革の取組みにも出ている。
まず、ダイエーは、売上げ至上拡大主義であるのに対し、イトーヨーカ堂は、利益
第一主義で、どちらかというとコツコツ積み上げるタイプである。経営スタイルも、
ダイエーは、土地を担保にどんどん拡大していくが、イトーヨーカ堂は、店舗はリー
ス契約で、商品の売買利益のみで拡大するやり方である。
これは、イトーヨーカ堂が、関東地方をはじめ、東日本を中心に展開していること
にも起因している。東日本の地主は、西日本のように、土地を売ることはせず、その
場所を貸すタイプである。イトーヨーカ堂は、東日本を中心に展開していたが、創業
当初より、ダイエーのように土地を買うことができず、拡大するにも担保になるもの
を所有していなかった。そのため、商品を売って利益を得ることしかできなかった。
その違いが、結局業績の違いに表れている。
次のグラフは両社の営業利益率・粗利益率を比較したものである。
6.0%
5.0%
4.0%
3.0%
2.0%
1.0%
ダイエー営業利益率
イト-ヨーカ堂営業利益率
0.0%
197319741975197619771978197919801981198219831984198519861987198819891990
26
30.0%
25.0%
20.0%
15.0%
10.0%
ダイエー粗利益率
イトーヨーカ堂粗利益率
5.0%
0.0%
197319741975197619771978197919801981198219831984198519861987198819891990
いずれも株式会社ダイエー、株式会社イトーヨーカ堂 有価証券報告書より
研究者作成(単位:%)
ダイエーは、安売りに固執しているため、粗利益が低い。土地資本経営で借り入れ
も多いため、利益も出にくい。更に、モノが売れないから在庫が増える。翌月には支
払いが来るため、またお金を借りなければならない。ダイエーは、モノが売れている
ときはいいが、売れないと途端に苦しくなる。だから、V革では、在庫やロス、値下
げを減らし、営業利益を増やす方法しかなかったのである。
しかし 1986 年以降、ダイエーは黒字転換している。ダイエーは、これまで土地資
本経営と多角化事業による拡大で、痛い目に合っているのだから、ここでビジネスモ
デルを転換し、財務体制を強化すればよかった。しかし、バブル景気を迎え、土地の
価格が急速に膨れ上がることに目をつけ、再び拡大政策に走ってしまった。
多角化についても、名目は消費者が喜ぶことなら何でもやるということで、展開し
ているが、本当は、業態こそ違うが、事業名目の資金調達が目的で、様々な事業に手
を出している。そのことがすべて拡大につながっているのではないかと思うのである。
なぜ、またここまで拡大に走ったのだろうか。研究者が考えるに、それはこれまで
の成功体験、つまり規模を大きくすることで成功したということを、モノが思うよう
に売れなくなったこの時代になっても、引きずっていたからに他ならない。
ダイエーの場合、すべての考えが、中内の戦争による飢餓体験が源泉にある。それ
は、モノ不足の時代に求めていた「豊かさ」である。
中内の求めていた「豊かさ」とは、実はダイエーグループの誓いに記してある。
そのダイエーグループの誓いとは、
一つ
一つ
一つ
この仕事を通じて、お客さま全てのより豊かな暮らしに奉仕致します。
真心を込めて、よい品をどんどん安く売る事を働き甲斐と致します。
人を愛し、店を愛して、日々美しい努力を続けます。
27
ここにある「豊な暮らし」とは、イコール「モノ」が豊富であるということである。
その「モノ」が顧客に行き渡ることができれば、豊かな暮らしが実現できるというこ
とで、そのためには、まず価格が安くなければ行き渡らない。そしてその価格を安く
するには、大きくなるしかない、というロジックなのである。
しかし、時代は変わり、その「モノ」は既に行き渡り、ほとんどの日本国民が中流
階級化した。そして「モノ」を所有するだけでは満足せず、自分にとって、より価値
あるものを求めるようになったのである。中内は、ある部分ではそのことに気づいて
いたはずである。
日本リテイリングセンターの渥美俊一氏によれば、中内はモノが豊富にあることだ
けでなく、選ぶことができる時代を目指していたという。しかし、それがわかってい
ながら、中内はできなかった。それは、ダイエーが大きくなったからここまでできた
という、成功体験が邪魔をしていたからではなかろうか。
また中内は、売上げに対し、異常なまでに執着した。売上げが上がることが、イコ
ール、モノが行き渡るということ、つまり中内にとっては、豊かさのバロメーターだ
ったからである。そして売上げが上がることが、消費者の期待に応えていると思って
いたのだろう。
その成功体験が仇となった。中内は、ダイエーを再び上昇気流に乗せるためには、
創業以来続けてきた安売りを継続し、大きくなることである、と思ったのだろう。実
際、ダイエーには安売りしか手立てがなかった。それはダイエーのイメージが、安売
りであり、顧客の期待は、ダイエーでは「良い品」が安いことだからである。その顧
客の期待に応えるためには、安売り・拡大をやめてまで、利益志向に転換することが
できなかったのではないだろうか。
また仮に安売りをやめて、他のビッグストアのように、生活提案型にするには、取
引先の協力が必要になる。しかしこれまで、半ば強引に安売りを推し進めたために、
取引先もなかなか首を縦に振ってくれない。また、たとえ協力してくれたとしても、
安い価格を付けざるを得ない。結局生活提型への転換は、できなかったのである。
一方イトーヨーカ堂は、利益第一主義であるため、非常にシンプルな考え方である。
その考え方とは、モノが売れないから、利益がでない。売れるには、業務改革をして、
体質を変え、売れるようにする。売れるようになったら、利益がでる。
また世の中が、売り手市場から買い手市場に変化したという、時代の流れを読んで
改革に着手したこと、つまり、根本原因を掴んで、構造改革に着手したのである。
またダイエーとは違い、財務も良好なため、こういった構造改革に思い切って舵を
切り、取り組めたことも大きい。
ダイエーのように、借入金が多いと、まずそこから着手せざるを得ないが、イトー
ヨーカ堂の場合、借入金が少ないため、すぐに構造改革に着手できる状況であった。
そして、業務改革を取り組む際にも、全員が理解できるよう、ロジカルに取り組ん
でいる。このあたりも、イトーヨーカ堂の社風であろう。実際書面での通達に留まら
28
ず、幹部社員を一同に集めて、勉強会を開き、意思統一を図っている。
取引先の協力も大きい。それはイトーヨーカ堂が、創業以来取引先を大事にしてき
たからである。業務改革を通じて発見された納品率や欠品問題にも、取引先の協力
で改善できた。その後の共同配送などの取組みも、取引先の協力があってからこそ
とみていい。
更に、セブン‐イレブンという構造改革の先行モデルが社内にあったことも大きい。
これまでの商習慣や経験があると、どうしても構造改革は着手しづらい。しかしセブ
ン‐イレブンが、これまでの商習慣を壊して成長してきたため、それを手本に取り組
むことができたのではないだろうか。
イトーヨーカ堂は、業務改革を推進後、再び利益が出るようになるが、その後も業
務改革を続けた。それは、年々顧客の要求が厳しくなっているからである。それに対
応するには、体制を絶えず顧客に合わせていくしかない。だから、業務改革はエンド
レスの改革なのである。
こうした商売に対する考え方や戦略の違いが、改革後の両社の業績に大きな開きが
生まれたと、研究者は分析している。
またこの転換期の、リーダーの資質、リーダーシップの違いも、両社の業績の違い
にあらわれたと考えている。
ダイエーは、中内㓛のいうことが全てである。そのダイエーの社内は、まるで旧日
本軍の軍隊のようである。ひたすら中内のいうことを聞き、それに従い、動く。それ
が、たとえ間違っていても、である。
その中内が、半ば強引に推し進めたのが安売り、安さの追求である。安さこそ、顧
客に豊かさを与える全てであるという考えである。その安さを得るには、メーカーに
対抗するための量・規模の拡大が必要である。それは、経済学者ガルブレイスの「カ
ウンターベイリング・パワー論」からくるもので、それが中内の考えの源泉なのであ
る。中内はそのカウンターベイリング・パワー論を独学で学び、ダイエーの戦略に透
写している。しかし、このカウンターベイリング・パワー論は古い論理で、量に対し、
量で対抗するものであり、量にしか通用しない。しかし、時代が量から質への転換期
であり、量が通用しなくなったのだから、戦略の転換が必要なはずである。そのこと
を社内で中内に対し、咎められればよかったのだろうが、誰もしなかった、というよ
りできなかった。それは、中内がカリスマのような存在だったからである。だから、
戦略を転換することができなかったのである。
一方イトーヨーカ堂の場合、伊藤雅俊は、同じ創業者ではありながら、中内㓛ほど
のカリスマ性はない。しかし、常に物事を冷静に見て、損をしない方法を考え、どち
らかというと慎重派である。そこに物事を客観視し、鋭く問題点をつき、戦略を立て
る鈴木敏文が加わる。
29
イトーヨーカ堂は、決断こそ慎重だが、一度決断した時は大胆に動く。そのための
裏付けは鈴木敏文が、論理立てて、更に全員に熟知・徹底させているため、動いたと
きの勝算は高い。まさに計算しつくされた、近代的な戦い方なのである。
実は研究者は、ダイエーに入社後、セゾングループの西武百貨店に転職、更にセブ
ン‐イレブンに入社という経歴だが、今思えば、セブン‐イレブンでは、物事を一つ
ひとつ、一から順番に教え、また理解するまで、懇切丁寧に教えていた。それは研修
での一コマに限らず、実践においても継承されている。
こうした社風の違いが、その後の両社の明暗を分けたのではないかと感じるところ
でもある。そして、ダイエーは行き詰まり、2014 年に滅びる。
そのことについて、中内とともに、この流通革命を率いる軍団こそ違うが、一緒に
なって戦った、現ライフコーポレーションの清水信次会長は、ダイエーが 2014 年 12
月、ダイエーの上場廃止について朝日新聞のインタビューで次のように語っている。
「己を知り、足るを知らないと、企業も国も亡びる」そして
「ダイエーは荒れ地を切り開いたブルドーザー。その功績は永遠に輝く」と。
では、次に②について考えてみたい。
そのイトーヨーカ堂が、その後苦戦を強いられているのはなぜか。一方でセブン‐
イレブンが成長し続けられるのはなぜか。
イトーヨーカ堂は、ダイエーや西友、ジャスコといった他のビッグストアが、多角
化や出店など、相変わらず規模・量の拡大の道を進む中、業務改革という唯一違った
道を歩んでいた。特に、バブル時期において、順調に業績を回復しているにも関わら
ず、業務改革を継続して推し進めていた。それは、業績回復が、業務改革の効果では
なく、今がバブル景気だから回復しているからであり、ここで終わらせれば、いずれ
景気が変わった時、再び減益に陥ってしまう。だから継続して取り組まなければなら
ないという考えだからである。その業務改革の手綱を緩めなかったのが、リーダーの
鈴木である。鈴木は、店長会議などで常に店長や幹部社員に叱咤し続けていた。
業務改革は、世の中が変化すればするほど、それに対応していくという、変化対応
型であり、単なる一過性の改善策ではない。そのことを、社内で徹底させるために、
鈴木はあえてこのようなスタンスをとったのである。
また業務改革は、生産性を非常に重視した取り組みでもある。つまり、常に無駄を
排除し、効率的に経営するかという考えからきている。
これまでの経営は、モノが不足しているから、それに対応すべく、量で対応してい
た。しかし、モノが徐々に売れなくなり、モノが余り始めるということは、生産性が
下がっていることと捉え、生産性を高める経営をするために、売れないものを排除し、
常に売れ筋を揃えることである。しかし、その売れ筋も未来永劫売れるわけでないた
30
め、売れ行きが落ちてきたことを捉えたら、直ちに次の準備をするという、生産性を
落とさない経営を続けることを目指していたのである。
そして、売れなくなってから対応するのでは既に遅く、売れないから値下げをして
も、すでにそれは死に筋と化しているため、たとえ安くなったとしても、売れない。
欲しくない商品を顧客は望まない。だから値下げをしても売れないので、廃棄処分せ
ざるを得なくなる。極端に言うと、その値下げ・廃棄の行為そのものが無駄であり、
生産性を伴っていない。むしろマイナスであると捉えている。そういったことを常に
考え、先手を打って取り組むことが、変化への対応なのである。
もうひとつは「質」を重視していることである。当時業務改革に携わった、元イト
ーヨーカ堂の邊見 敏江氏の研究論文によれば、その質とは、商品の質であり、考え
方の質であり、そしてビジネスの質であるという。
商品の「質」は、モノ余り、顧客の選択眼の厳しさから、質が伴わない商品は評価
されず、売れないという考えである。
考え方の「質」は、きちんと物事の筋道を立てて、論理的に考えることで精度を高
めることである。
そうすることで、高い次元のビジネスができる。それがビジネスの「質」である。
恐らく、この考え方を鈴木が重視し、生産性に注目し、更に、常に論理立てて物事
を考えるようにしたのだろう。
そして、鈴木を知っているものならば、イコール彼の人間性なのではないかと考え
るだろう。
こうしてイトーヨーカ堂は、バブル期はもとより、バブル崩壊後も業績を伸ばし、
1992 年には約 900 億円の経常利益を計上するなど、これまでの小売業のレベルをはる
かに超える業績を記録している。
しかし、このイトーヨーカ堂が、その後苦戦する。そのきっかけが 1992 年のイト
ーヨーカ堂の総会屋利益供与事件ではないかと、研究者は考えている。
それは 1992 年 10 月のことで、別件で逮捕された総会屋が、実はイトーヨーカ堂か
ら金銭を供与されていたことを自白、事件が発覚した。
金銭を渡したのは、当時のイトーヨーカ堂の総務担当役員によるものであったが、
社内の責任体制が問われた。この時の管理部門管掌の副社長が鈴木で、当然責任を問
われ、鈴木は辞意を決意する。しかし実際に責任をとったのは、社長の伊藤であった。
伊藤としては、自身が高齢であること、また業革を推進し、ここまで業績を回復さ
せた鈴木の功績を重んじ、彼の辞意を撤回、伊藤自身が辞任した。
これは推測になるが、この一件がイトーヨーカ堂内の組織バランスを、微妙に狂わ
せたように思えてならない。
業務改革を発案し、ここまで業績を回復させた鈴木の功績は、確かに絶大である。
しかしイトーヨーカ堂では、特に古くから在籍している社員は、伊藤雅俊の親派であ
31
る。その伊藤雅俊が、この事件について、自ら幕引きし、事態を収拾したことに対し
反発し、なぜ鈴木が責任を取らないのかといった空気が、社内に少なからず蔓延した
のではないだろうか。そしてこのことが、これまで金太郎飴といわれ、一糸乱れぬ社
内の、その指示命令系統の歯車を微妙に狂わせ、その後のイトーヨーカ堂の業績に影
響したと研究者は考える。実際イトーヨーカ堂の業績は 1993 年をピークに徐々に下
降線を辿るのである。
次のグラフは、1982 年以降のイトーヨーカ堂とセブン‐イレブンの業績推移である。
160,000
2,500,000
イトーヨーカ堂売上高
2,000,000
140,000
セブン‐イレブン売上高
120,000
イトーヨーカ堂経常利益
1,500,000
100,000
セブン‐イレブン経常利益
80,000
1,000,000
60,000
40,000
500,000
20,000
0
0
株式会社イトーヨーカ堂、株式会社セブン‐イレブン・ジャパン有価証券報告書より
研究者作成
(左側 売上高:単位 百万円、右側 経常利益:単位 百万円)
セブン‐イレブンは、相変わらず成長し続けているが、イトーヨーカ堂は、1993
年をピークに、下降線を辿っていることがわかる。その原因は、何より衣料品の不振
によるものである。これまでイトーヨーカ堂の高収益の源は衣料品であり、品揃えや
品質はビッグストア内では群を抜いていた。
またこの頃に、ユニクロブランドを展開するファーストリテイリングが勃興、これ
までの日本のアパレル業界に、一大旋風を巻き起こす。しかし、そのファーストリテ
イリングに顧客を奪われたとしても、それだけが原因とは思えない。
確かに、イトーヨーカ堂で衣料品を買う顧客は年々減っていた。新聞等での鈴木の
コメントでは、イトーヨーカ堂の衣料品に対し、顧客の選択眼が厳しくなり、世の中
の変化に対応していないというが、決して商品そのものが悪くなったわけではない。
研究者が考えるに、それは顧客がバブル期に、挙って百貨店のブランド品に手を出
し、そこで品質の差を体験、それが基になって、顧客の求めるレベルが、より厳しく
なったのではないだろうか。そしてそのことが原因で、イトーヨーカ堂に限らず、ビ
32
ッグストアの衣料品を苦境に陥れたのである。それだけではない。この頃から、百貨
店の衣料品のセール販売が変わってきた。
これまでセール品は、あくまでセール品であり、季節定番品が大幅に値下げ対象に
なることはなかった。しかし、バブル崩壊後真っ先に影響を受けた百貨店とその取引
先が、失地回復を狙い、セール開始時期を早めたり、値下げ幅を拡大したり、更には
対象商品を拡充したことで、顧客が同じ衣料品を買うなら、セール時期に百貨店で購
入した方がいいと考えたため、安売りする百貨店に顧客を奪われたのではないかと思
うのである。
更にいえば、ビッグストアの衣料品売り場が、旧態依然とした展開で、服を購入し
たいイメージからは程遠く、下着や普段着のような実用衣料はともかく、おしゃれを
したいと思わせるだけの売り場づくりができていないことが原因であると見ている。
そこにベーシック商品を中心に、自社工場による生産体制、色・サイズ・デザイン・
売り場づくり、そして驚くほど安い価格で展開するユニクロをはじめとするファスト
ファッションが台頭し、窮地に追い込まれたのではないだろうか。
それでもイトーヨーカ堂であれば、本来ならば、業務改革で培った取引の構造改革
をここで実践できれば、業績を回復させることは可能で、ユニクロの脅威も、真正面
から受け止めるだけのことができただろう。しかし衣料品は、イトーヨーカ堂にとっ
て、これまでの高収益の源で、実質の屋台骨であったことが仇となった。それは、過
去の成功体験から抜け出せず、構造改革に至るまで、踏み込めなかったからであると、
研究者は見ている。
その踏み込まなければならない構造改革は、アパレル業界の取引構造である。いく
ら紡績会社と共同で取り組み、糸や生地といった素材レベルまで入り込んだとしても、
中間流通は、それがイトーヨーカ堂だろうが、百貨店だろうが、同じ構造であり、か
かるコストを削減するには限界がある。そのコストに、デザインやブランド代が乗っ
かる構造であるため、そのコストを削減すると、商品力そのものに影響が出てしまう
ため、削減することができない。もし仮に削減できたとしても、それは全く無名の商
品となってしまう。
それでも販売するのであれば、店舗イメージや、全く新しいブランドとして打ち出
さなければならない。そうすると、商品そのものだけに注力するのではなく、イトー
ヨーカ堂で買うことのステータスを顧客に与え、且つ強烈な販促プロモーションで、
センセーショナルに打ち出すことがない限り、顧客からは求められないのである。
しかし、最大のネックは、やはりイトーヨーカ堂に纏わる過去のイメージではない
だろうか。それは、悪いイメージがあるわけではないが、所詮スーパーマーケットの
衣料品という、安っぽいイメージが顧客に定着しているため、それを払拭しない限り、
変えることはできないのである。
つまり、イトーヨーカ堂としては、売り場づくりに注力して、大胆なレイアウトや
装飾を施し、顧客を驚かせるだけのものを作り上げるしか方法がなかったのである。
実はこういったことを鈴木は、社内で何度も指摘しているが、それができなかった
33
のである。更に、前述した、指示命令系統の歯車の微妙なズレが、鈴木と社員との間
に、わずかな溝をつくってしまったと見ている。事実、業務改革を始めてから約 20
年以上経過した現在においても、この苦境から脱していない。
また、イトーヨーカ堂は、1992 年の利益供与事件以降、暫く高収益を維持するも、
利益構造が徐々に変わってきている。これまで、高収益を維持してきた源泉は衣料品
であったが、その後衣料品の不振をカバーする形で、食品が伸長する。
青果部門の蘇生庫の撤去や、これまで青果⇒精肉⇒鮮魚⇒惣菜という客導線のレイ
アウトを、有職主婦向けに惣菜から始まるように大胆に変更したり、また産地の考え
をいち早く打ち出し、安心安全イメージを定着させるなど、食品の業務改革は深耕し
ていた。
衣料品をよそに、食品が業務改革を深耕できたのは、ひとつに販売サイクルが短く、
またフレキシブルに対応できたからであろう。それはセブン‐イレブンのようなコン
ビニエンスストアの商品の考え方と類似するところである。死に筋も発見しやすく、
即応できたからであろう。また食品業界全体の体質、つまり新商品の発売や、リニュ
ーアルといったことが、随時繰り返される業界であったことも、業務改革の取組みに
マッチしたのではないだろうか。
もうひとつ、イトーヨーカ堂の収益の源泉に、子会社セブン‐イレブンの株式によ
るものが大きい。イトーヨーカ堂の収益構造は、これまで衣料品で得た営業利益に、
その他の営業収入の勘定科目に、子会社のセブン‐イレブンの利益が加算され、更に
営業外収益の子会社の株式によるところが加味され、高収益の経常利益があった。し
かし、これは本体そのものの実力ではなく、あくまで子会社の実力である。セブン&
アイホールディングスになった現在の連結決算の業績も、セブン‐イレブンの貢献が
大きく、その影響で右肩上がりとなっている。
セブン‐イレブンそのものは、イトーヨーカ堂の業績が下がっているにも関わらず
絶好調で、1998 年には親会社のイトーヨーカ堂の収益を抜くことになる。
セブン‐イレブンが成長し続けるのは、ハイペースの出店によるものだけではない。
元々過去の経験や商習慣に捉われていないため、常に革新を続けているからである。
革新どころか、むしろ生まれつき変化対応の体質であるため、商品、店舗オペレーシ
ョン、物流、情報システムを次々と更新し、その時代にあった体制に対応できたから、
成長し続けられるのである。
こういったことを踏まえて考えると、イトーヨーカ堂の業績不振は、1994 年から
徐々に落ちているにものの、その原因が、業績が落ちる以前からわかっていながら、
核心に踏み込めなかったことが一番の問題なのである。
更に、利益供与事件以降、独裁ともいえる鈴木政権を生み出し、今では、その政権
を誰にも変えられないことが、呪縛となっていると思えてならないのである。
研究者は、鈴木のトップダウンの強さが、本来の流通業のあるべき姿、つまり顧客
34
と対峙し、あるべき姿に現場が対応する力を失っているのではなかろうかとも考えて
いる。トップダウンが強いと確かに組織は動く。しかし、それが強すぎると、指示を
受ける現場は自主性を失い、いつの間にか指示待ちとなってしまう。イトーヨーカ堂
の場合、組織図の形は、お客様を一番上に、いかにもお客様に向いて業務を遂行して
いるようにみえるが、実は、すべてトップからの指示で動いている。このことが、業
績不振の原因のひとつと研究者は捉えている。
35
【ここまでのまとめ】
・ダイエーは高度成長期のモノ不足の時代に規模や量で成長。一時代を築き上げた。
・しかし高度成長期が終わり、モノが行き渡ることで成長が鈍化する中、セブン-イ
ブンはこれまでの商習慣を打ち破り、質を高め、変化する顧客ニーズに対応できる体
制を築き、成長し続けている。
・一方、相変わらず規模や量に固執すると、この低成長期は成長どころか、生き残る
ことができない。
・トップダウンによる組織は、統制されやすくトップの言うとおりに動く。しかし、
それが強すぎると、間違った道に進んでも、咎めることはできない。また流通小売業
では、本部が強くなりすぎると、現場が受け身になり、自主性をなくし、活力を失う。
ここまでのまとめに少し加える。
ダイエーを子会社化したイオンは 1990 年代後半より、その頭角を現す。イオンの
前身は岡田屋・フタギ・シロで合併・提携したジャスコである。ジャスコはダイエー
のような強奪的な M&A とは違い、緩やかな連携を信条としたもので、経営が追い込
まれた企業を次々と支援、再生しながら自分たちの傘下に収めるスタイルである。
扇屋、ヤオハン、マイカルなどがその代表的な事例で、今ではその企業すべてが「イ
オン」の看板を掲げている。
また 1990 年代後半より子会社ダイヤモンドシティ(現イオンモール)と共同で、
一大ショッピングモールを次々と立ち上げる。その規模たるものは目を見張るもので、
ダイエーのハイパーマートも、このイオンのショッピングモールの影響で窮地に追い
込まれていた。
更に、マックスバリュなる新しい業態も立ち上げている。このマックスバリュはス
ーパーマーケットより大きい SSM 業態で、ワンフロア形式であるが、スーパーのよ
うな細かな品揃えというより、単品大量陳列をメインとした、半ばディスカウントス
トア的な販売である。出店地域も郊外が多く、各地の地場スーパーはその脅威にさら
された。
こういったイオンの政策は、緩やかな連携とはいうものの、その中身は、規模・量
の拡大路線であることに間違いない。
そのイオンは、2000 年代初頭は絶好調で、売上げがイトーヨーカ堂・セブン‐イ
レブンを率いるセブン&アイホールディングスを上回る。
しかし、中身はというと、ダイエー程ではないが、借入も多く、収益性は低い。イ
オンの場合、ショッピングセンターに入居するテナントの保証金をもとに資金繰りし、
圧倒的な敷地面積で、他を凌駕する。イオンの場合、これまで伝家の宝刀であった「価
格」という武器が、「規模」に変わっただけで、あまり評価できる内容とは研究者は
見ていない。
それでも、ダイエーという企業を引き受けたことについては、このまま潰すわけに
もいかないことを理解し、またイトーヨーカ堂のように、一部店舗だけを摘み食いし
36
て引き受けるのではなく、企業全体を引き受けたところは、たとえ、後にいくつかの
店舗をスクラップしたにせよ、評価されるものである。
ダイエーと同時期、高度成長期に脚光浴びた西友・西武百貨店を率いるセゾングル
ープも、2000 年初頭に崩壊した。
西友も、西武百貨店も、有利子負債が膨らみ、優良子会社のファミリーマートと無
印良品の良品計画を手放すことになる。そして西友は、アメリカウォールマートが買
収。西武百貨店は、ミレニアムリテイリングとして先に破たんして西武百貨店傘下に
なったそごうと共に、セブン&アイホールディングスが、将来のオムニチャネル政策
のために救済・買収する。
セゾングループの崩壊は、ダイエーのパターンと殆ど同じである。やはり高度成長
期に規模・量の拡大に走ったが、高度成長期の終焉とともに、モノが売れなくなった。
しかし、イトーヨーカ堂のように低成長モデルに切り替えられなかったことから、
やがて衰退してしまうのである。
考えてみれば、ダイエーにしろ、セゾンにしろ、時流に乗って成長し、社会現象を
起こすまでの存在になり、国民生活に多大なる貢献をしたが、悲しいかな、いつまで
もいい時代が続くわけではない。そのことに気づき、軌道修正し、再びフォローの風
が吹くまで、ひたすら耐え忍ぶだけの気力や体力があればよかったのだが、両社は収
益性を二の次に、拡大を選んだために、その力がなかった。そして、成長が止まると、
とたんにずるずると後退してしまうのであった。結局、両社とも勢いに任せて膨張し
ていただけだったのである。おそらくこれは、両社のトップの生き様が、そのまま経
営に反映したからであろう。
中内㓛は、戦争とその中での飢餓体験がエネルギーとなり、ひたすらモノを所有す
ることが豊かさであることを訴え続け、ダイエーを大きくした。堤清二は父堤康次郎
への遺恨がエネルギーとなって、己の力を、父親に見せつけるようにして、セゾンを
大きくした。しかし、両者とも自己実現だけのエゴイズムであって、経営者として見
た場合、果たしてそれが正しい選択だったのだろうか。
それは、たとえ自分自身が大株主であり、オーナーであったとしても、である。な
ぜなら、会社は公器だからである。そして、会社には従業員がいて、その従業員の向
こうに家族がいる。経営者というのは、そこまでの責任を認識し、会社の舵取りをし
なければならないという、一種の宿命を背負っているのではないだろうか。
少なくとも両者に、その感覚が欠けていたのではないかと、この研究を通じて感じ
た次第である。
一方、経営の観点で見た場合、伊藤雅俊と鈴木敏文の経営感覚は鋭い。
少々臆病者といわれていても、高度成長期に拡大路線に走らなかった伊藤雅俊の慎
重な判断は、結果としてそれが正しかったと歴史が証明している。
また、鈴木敏文のセブン‐イレブンをモデルにした、変化対応への体制は、低成長
37
期の時代の変化を読んでの戦略だったのだろう。この読みには本当に敬服する。
しかし、これは仮の話ではあるが、もし、セブン‐イレブンが、もっと以前に創業
したとしたら、またイトーヨーカ堂の力を借りて、商売経験の豊富なメンバーで創業
したとしたら、どうなっていただろうか。
おそらく、今のセブン‐イレブンはなかったのではないかと思う。これは神様のい
たずらなのか、偶然なのか、運命なのかわからないが、低成長期に差し掛かる頃に創
業できたこと、また素人集団だから、既存の商習慣が自分たちのビジネスに不都合で
あることに気づいたのだろう。だから、自分たちに合うよう説得して、変えることが
できたのではないかと思うのである。
商売経験が豊富な、業界を知っている人間では、変革することができなかった「技」
ではないだろうか。時代や人材を見る限り、一見不利と思えること、また非常識と思
える行動であるが、それが功を奏したのだと思う。
研究者がセブン‐イレブンに在籍していたときに、「主観・固定観・先入観=悪の
三観に捉われず、物事を素直に、決めつけず、客観視して判断せよ」ということを教
わったが、まさにその通りだと思うのである。
こうして、高度成長期に価格を武器に成長し、一時代を築いた「ダイエーが起こし
た第一次流通革命」と、そして低成長期に、変化対応型モデルで、未だ成長し続けて
いる「セブン‐イレブンが起こした第二次流通革命」の分析は、以上である。
38
【IT 社会と物流小売業アマゾンの出現】
時代は IT 社会を迎える。
研究者はこの IT 社会の代表格として「アマゾン」を挙げる。IT 社会では「Yahoo」
や、「Google」のような情報検索サイトのショッピング、そして「楽天」のようなシ
ョッピングモールサイトもあるが、これらはあくまで、他力本願的なもので、既存小
売業のような、直接的に販売を施す業態と向き合うものではないと考えている。
一方アマゾンは、自ら仕入れ、自らの情報クラウドで情報発信し、そして時には圧
倒的な安さで販売し、そして顧客の手元までモノを届けるという、IT を駆使し、直
接商いをしている。研究者は、このアマゾンを「物流小売業」と勝手に命名している
が、流通小売業の未来像ともいえるもので、今、既存流通小売業にとって、脅威的な
存在として取り上げられていることから、この研究に盛り込んだ。
アマゾンの業績推移は下図のとおりである。
800
700
7.0%
売上高
営業利益率
600
6.0%
5.0%
500
4.0%
400
3.0%
300
2.0%
200
1.0%
100
0.0%
0
2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013
Garbage News.com 掲載記事より研究者作成
(左側 売上高:単位 億ドル、右側 営業利益率:単位 %)
アマゾンは、1994 年インターネット書店としてアメリカで創業。2000 年より日本
に上陸、電子書籍 kindle を手掛け、今では、あらゆるものを販売、売上げは1兆円
を超えるとまでいわれている。
アマゾンの最大の武器は、何より自社クラウドにおける情報処理で、IT 社会の波
に乗り、気軽にアクセスできるだけでなく、レコメンデーション機能を付加し、顧客
との対話を実現、その便利さで集客力を高める。
更に、その集客力と顧客情報を武器に、品揃えに活かし、顧客の購買実績で、価格
を下げることを可能にした。そしてまた、自社で仕入れるため、巨大な倉庫兼物流セ
ンターを保有し、品切れ防止と、迅速な配送機能で、顧客の手元に届けるというもの
39
である。
既存の流通小売業でいえば、配送機能付きの大型店舗を構え、そこに行くと、自分
好みの売り場があり、店員は自分のことを覚えていて、前回来店したときは何を見て、
何を選んで買ったのか、更に、今度はこんな商品はいかがですかと、勧めてくれる。
そして、購入したものを自宅まで運んでくれる。そんな店舗をインターネット上で実
現したのが、アマゾンなのである。
ある意味で、「至れり尽くせり」で、これまでの既存の流通小売業では、なかなか
できなかったことを実現、これは脅威という以外にない。むしろ、とんでもないもの
がこの社会に現れたといっても過言でない。
このアマゾンの出現で、真っ先にダメージを受けたのが書店である。書店は限られ
た敷地内に、売れるであろうというものを在庫し、販売するが、書籍は、食品や日用
品、衣料品よりも、売れるもの、売れないものがはっきりしていて、在庫負担も大き
い。流通システム上、取次店(問屋)への返本(返品)による救済の仕組みはあるも
のの、限られた期間での販売が余儀なくされる業界であるだけに、書籍(商品)の入
れ替え頻度は高く、実際の生産性は低い。
顧客にとっても、書店のシステムは極めて不便である。どんな書籍が発売されたか
は、新聞や電車の中吊り広告などでわかるが、いざ買いに行ったとしても、そこにあ
るかどうかは別である。探すのに時間がかかってしまうこともあるだろう。また、販
売スペースが限られているため、品切れになり、買い逃しはしょっちゅうである。取
り寄せは可能だが、旧態依然の流通システムのため、時間もかかる。唯一在庫があれ
ば、購入を迷っているときなど、その場で判断できるのがメリットである。
そういった長年にわたる顧客の悩みや不便を IT が一気に解決、ことさらアマゾン
については、それを進化させ、顧客の都合に合わせたシステムで、多くのファンを獲
得した。
そして、アマゾンは書籍だけでなく、今や日用品や家電、ファッションなど、次々
と扱い品目を拡大、その扱い品目は 5000 万種類を超えるといわれている。またメー
カーにとってみれば、アマゾンは、もしかしたら、駆け込み寺的存在なのかもしれな
い。それは、何より、リアルの小売店に比べて確実に販売してくれるからである。し
かも買取りであれば、尚更である。価格は多少叩かれるが、問屋を通さないため、対
応できる。リベートなどの費用も削減が可能である。またアマゾン用に特別に宣伝す
るわけでもないので、広告宣伝費も削減できる。店頭応援の人件費や、各営業所での
商談もなくなるため、これらの経費も削減が可能になる。だからメーカーにとってみ
れば、何かと経費負担を強いられる既存の流通小売業に行くより、アマゾンの方が都
合いいのである。
そのアマゾンだが、これだけのことをみれば順風満帆だが、しっかり課題はある。
前述したグラフを見ればわかるが、あまりにも営業利益率が低いことである。何度
か債務超過にもなっているという。実は、アマゾンは、収益を常に先行投資に回して
40
いるのである。
アマゾンは小売業であり、物流業であるが、ある意味でメーカーと同じ装置産業で
ある。アマゾンは顧客のために倉庫を、そして配送施設を設ける。顧客が増えれば、
その拠点はどんどん増える。更に、買い取って在庫にする商品の品目数が、増えれば
増えるほど、新たな保管スペースを設ける必要がある。また品切れをなくすには、ど
うしても在庫を抱える必要があるため、保管スペースは絶対である。配送施設も、す
ぐ出荷できるだけの機能が必要になる。当然、これらを取り込むシステム費用は、顧
客とのアクセスだけでなく、それを支えるバック機能にも投資していかなければなら
ない。
つまりアマゾンの場合、顧客サービスを充実すればするほど、設備投資が膨らむ構
造になっているのである。
それでもアマゾンの場合、顧客からの回収はカード決済のため、回収期間も一定で、
即現金化できるため、貸し倒れ・回収不能もなく、当面資金は回ると思われる。しか
し、モノが売れなくなれば、途端に厳しくなるのは事実である。何となくこの辺りは、
ダイエーに似ている。
モノが売れなくなるのは、何も商品の品質レベルだけのことではない。アマゾンの
場合、顧客に届ける手段が、外部の運送業に頼るため、そのサービスレベル次第で顧
客の反応が変わる。
つまり、配送される商品が、顧客の思い通りのレベル(時間どおりに、気持ちよく、
破損もなく確実である)より低い場合、即クレームになるのである。
そのクレームが繰り返し起こると、たとえそのクレームが、アマゾン側に直接起因
していなかったとしても、ダメージとなる。
現場レベルにおいては、机上では考えられないことが起きる。だからアマゾンの場
合、ラストワンマイルの理論ではないが、顧客の手元に届くときのサービスレベルを、
常に高い次元のサービスにしていかなければならないのである。
これ以外に、他のネット通販の新たなサービスなども、競合となると思われるが、
ここではこれ以上のことは述べない。
41
【アマゾンに対する既存流通小売業の課題】
さて、IT 社会を迎えアマゾンが出現し、顧客の消費の仕方が変わる中で、既存の
流通小売業、リアル店舗を構えている各社はどのように取り組めばいいのだろうか。
当然指を咥えてみているわけにもいかず、対応策を検討し、実行しなければ自分た
ちが潰れてしまう。そこで各社の対応ぶりをみると、大きく次の4つが挙げられる。
規模拡大(M&A、統合、合併)。商品による差別化。値下げ・安売り。ネット通販・
オムニチャネル化。
しかし、本当にこの対応でいいのだろうか。研究者はここで一石を投じたい。
まず、規模拡大(M&A、統合、合併)について述べたい。規模を拡大することが、
本当に優位性を保てるのだろうか。確かに今の世の中、ファンドによる買収などがあ
るため、防衛の意味で、経営統合することがあるかもしれないが、それ以外の規模拡
大は、果たして何の意味があるのだろうか。よくスケールメリット、規模の経済が働
くというが、本当だろうか。確かに、商品を大量に買い付けることができる規模のマ
ーケットシェアを握ることができれば、仕入れコストは下がり、利益を生みだしやす
くなるだろう。しかし、これだけ変化の激しい時代の中で、過去の大量生産大量消費
の時代の論理でモノを買い付けるやり方が、果たして通用するのだろうか。むしろ買
い付けた商品が、売れなかったとしたら、どうするのだろうか。またそういったリス
クは、以前とは比べ物にならないほど大きいはずである。
実際、そのリスクをもろに背負い、業績を悪化させているのが、ビッグストアでは
ないだろうか。そう思うと、むしろフレキシブルに、すぐに次の手を打てる、また方
向転換できる体制を、強化すべきではないかと感じるのである。
次に商品による差別化について述べる。この商品の差別化は、各社が一番取り組む
対策である。よくライセンス物を、一社で独占販売権を獲得したという調子で、新聞
をはじめ、マスコミを賑わすが、本当にその優位性が続くのだろうか。
海外のマーケットであれば、このような独占販売が、有効に作用するかもしれない。
しかし、日本国内においては、海外のようにうまくいかないことは、既に経験済みで
はないだろうか。特に百貨店において、過去にうまくいかなかった事例が多い中で、
なぜまた同じことを繰り返すのか、甚だ疑問である。
それにこの IT 社会において、並行輸入など当たり前である。むしろ、モノが簡単
に手に入ってしまう現代において、一社の独占販売権など、もはや無いことに等しい。
それよりも、この取り組みで重要なのは、メーカーや卸と協調関係を結び、戦略的
にオリジナル商品を期間限定で製造し、互いに販売実績情報を共有し、生産・配送・
販売をコントロールすることではないだろうか。そしてこの戦略的な協調関係こそ、
今の IT 社会だからできることであり、これができれば、単に顧客の要望に応えるだ
けでなく、情報を駆使することで、新しい需要創造により、新しいマーケット創造が
可能ではないかと思うのである。
42
値下げ・安売りによる対応についても、述べたい。値下げや安売りこそ、一番手っ
取り早く、どの企業でもできることだが、これほど安易で貧相な対応はないと思う。
確かに、同じ商品が安ければ、顧客は安い店舗・企業を選んで購入していくだろう。
しかし、それが果たして、永続的にできる対応策なのだろうか。
恐らく、長続きすることができず、やがて自滅の一途を辿ることは間違いないと思
うのである。
安売りすることは、一見顧客の味方と捉える向きはあるが、周囲がその安売りに賛
同し、ついて行くとは限らない。
まず、その企業の取引先が、先にリタイヤするかもしれない。それが、たとえ海外
新興国で、安い人件費で製造していたとしても、同じである。やがてその人件費を上
げざるを得なくなり、結局はコストが嵩むことになる。そんな中で、同じ利益、同じ
経費でモノを作るのは難しく、限界がある。
次に、切り詰めた経費で圧迫される恐れがある。そして安売りするというのは、薄
利多売で初めて成立する。思い通りにモノが大量に売れればいいが、何度もいうが、
この変化の激しい時代に、そう簡単に大量にモノが売れるとは思えない。たとえ売れ
たとしても、それは一時的なもので、かえって長続きしない。この安売り対応という
のは、高度成長期の、大量生産大量消費の、工業化社会の中で生まれた手法であって、
今の低成長期の時代には、通用しないのである。
そして最後に、ネット通販・オムニチャネル化について述べる。これは、リアル店
舗とネット店舗のハイブリッド型によるものとして、各社がこれからの時代において、
一番有効であると捉え、一番積極的に取り組もうとしている対応策である。ましてや、
アマゾンのような企業の出現で、真っ向から対抗できるサービスとして考えているの
だろう。
ネット通販の一番の弱点は、実は配送機能である。現時点で、アマゾンを筆頭に、
宅配便を利用しての販売で、各社凌ぎを削っているが、実はネット通販を利用する顧
客の、半数近くは帰宅・在宅時間が遅く、現状の配送時間では受取できないことがあ
るという。受け取りに支障を来すと、事業の根幹だけに、影響が出てくることは必至
である。
そこでコストをかけて、現状の配送時間の選択範囲を拡大し、この悩みを解消させ
ることはできるが、その物流経費を、自分たちで負担するならば、収益低下を招きか
ねない。昨年 10 月に事業撤退したスーパーマーケットのサミットのネット通販は、
まさにその典型である。
そこで、次にそのコストを購入者に転嫁することを考えるが、そうすると、今度は
顧客が逃げてしまう可能性がある。
経費の安い物流会社を活用することも考えるだろう。しかし、請負った物流会社に
業務が偏り、間違いなく物流機能は崩壊する。現在でも、既にヤマト運輸は、年末年
始の配達が賄い切れず、他社、特に日本郵便あたりに業務委託をしている。請け負っ
43
た日本郵便は、当然自社物流だけでは賄い切れないために、コストの安い中小物流業
者に委託する。しかし、今度は孫請けした物流業者に荷物が集中してしまうため、パ
ンク寸前になっていたのが現状である。
実際このような状態であるため、物流の「質」は低下、荷物の破損や誤配が急増し
ていると聴く。
この現象は、かつて高度成長期にビッグストア各社が出店を争った際にも起きてい
たが、ネット通販の急成長とともに、同じようなことが、繰り返し起こっているので
ある。
そこで各社は、単にネット通販の宅配サービスを拡大するのではなく、自社あるい
はグループ内のリアル店舗を、受取拠点として活用することを考える。ここに各社の
体制の差が出てくる。それがオムニチャネル化の発想の所以である。
その中で、セブン&アイホールディングスは、セブン‐イレブンをネットワークの
拠点として活用するため、一歩リードするのではないかといわれている。
彼らは、そごう・西武という百貨店業態をはじめ、赤ちゃん本舗、バーニーズニュ
ーヨーク、オシュマンズ、タワーレコードといった専門業態もグループに取り込んで
いるため、それらを一堂にネットショッピングで購入でき、しかも近隣のセブン‐イ
レブン店舗で受取できるということで、顧客にとってみれば、非常に魅力のあるネッ
トワークである。
特にセブン‐イレブンは、ドミナント戦略による集中出店方式であるため、日本全
国に出店した際は、その効果を間違いなく発揮するであろう。
それに続く企業として、三越伊勢丹ホールディングスが挙げられる。同社は物流に
おいて、日本郵便との提携により、物流会社を押さえることで、優位性を発揮しよう
としている。また、郵便局を受取拠点として使用することも考えられる。更にいえば、
セブン&アイホールディングスに比べて、商品面での差別化、企業としての差別化、
つまりブランドロイヤリティで優位に立てるというのが、彼らの強みではないだろう
か。
他に、同じようにコンビニエンスストアのネットワークを利用できることでいえば、
ローソンやファミリーマート、サークル K サンクスなども活路を見出せる。
例えばローソンは、成城石井を傘下に収め、更に三菱グループの全面的なバックア
ップがあるので、主要問屋の三菱食品と協働で、高級品を取り扱うことで可能になる。
ファミリーマートも、長年ギフト配送で提携している三越伊勢丹との協働は、十分考
えられる。サークル K サンクスも、本拠地名古屋での大丸松坂屋を率いる J フロン
トリテイリングとの提携強化で、活路を見いだせるだろう。
つまり、コンビニエンスストアをネットワークとし、商品の受け取り拠点として活
用できれば、どの企業も同じ状況なのである。だから、単にオムニチャネル化を進め
44
るだけでは、競争優位に立てるような戦略にはならず、むしろどの企業が先行したと
しても、やがて同質化競争になることは、目に見えているのである。
そこで、差別化できる戦略として、「ラストワンマイル」をどうするかである。特
にオムニチャネル化のラストワンマイルは、顧客との接点、つまり商品の受け取りの
際、どこまで顧客にメリットを与えられるかである。
例えば、受取拠点がコンビニエンスストアであれば、その店舗のサービスレベルを
どこまで引き上げることができるかである。それは接客であり、また商品そのものの
受け取り状態であり、そして、「ついで買い」を促進できるだけの品揃えを、どこま
で実現できるかではないだろうか。
巷では、店舗数や受取拠点の質のレベルで、セブン‐イレブンを率いるセブン&ア
イホールディングスが一歩抜き出ているといわれているが、それが果たして本当かど
うかわからない。確かにセブン‐イレブンはコンビニエンスストア業界の中では、商
品や接客レベルが突出していて、既存店をはじめ、企業全体の質が高く、毎年成長し
続けている。しかし果たしてそのレベルが、本当に高く、持続できるだけのものとは、
とても思えないからである。
まず、店舗のアルバイト化が進む中で、そのアルバイトの確保が、この景気回復と
ともに、厳しくなっている。
セブン‐イレブンの経営では、アルバイト採用の際の人件費(時給)の基準が、他
社または他業態より厳しいため、人がなかなか集まらない。その中で、どこまで時給
を上げて、人を集めることができるかが課題である。
次に、以前ほど施策に対する徹底度が上がっていないことである。それは彼らの意
思決定の場である FC 会議の頻度が、これまで週 1 回だったところが、2 週間に 1 回
に減ったことが大きい。更に、店舗を指導する OFC のレベルが下がってきたことで
ある。その原因はすべて出店政策にある。
まず出店ペースが早いため、OFC が数多く必要になってくる。そして一堂に集め
るのに、会議スペースが必要になる。しかし、その会議スペースを物理的に確保する
のに限界があり、結局 FC 会議の頻度を減らすことになる。
更に、出店ペースに合わせて OFC を養成しなければならないが、その教育が追い
ついていない。これがレベル低下の要因となっている。しかしその出店政策こそ、彼
らのビジネスモデルのひとつであるため、それを安易に崩すことができず、課題とな
っているはずである。
では FC 会議を開催する際、わざわざ OFC を東京の本部に一堂に集めるというこ
とをやめて、IT 社会にふさわしく、テレビ会議を開けばいいのではないかと思うが、
そういうわけにもいかない。テレビ会議を実施することは、彼らの成功要因の、ダイ
レクトコミュニケーションの「徹底」ができなくなるからである。また、出店ペース
を弱めれば、当然収益に影響する。マスコミなどでは、セブンの優位性が当面続くと
45
いっているが、実はその優位性が、諸刃の剣となっているのではないかと、研究者は
思うのである。
更にいえば、そもそも根本的な部分で、コンビニエンスストアがその受取拠点とし
て、本当にふさわしいかどうか、現段階において、検討する必要があると思っている。
コンビニエンスストアの面積はわずか 30 坪である。店内で購入した商品を保管で
きるスペースは非常に限られている。元々バックルームは最低限のスペースしかない。
それを物流でカバーしてきたのが、コンビニエンスストアのシステムである。そのた
め、新たにスペースを設ける必要がある。また保管の仕方によっては、クレームの原
因にもなりかねないので、そのことにも注意する必要がある。
また仮に整備しなければ、商品の汚破損が発生する確率も高くなる。そうなると。
そのクレーム費用の方が、高くついてしまうのではないだろうか。
受け取り拠点の店舗に、移送するだけの物流コストも、新たに発生する。チャネル
を跨ぐことになれば、仕分けする配送センターも新たに設置し、そのセンターの人件
費やオペレーション費用が、新たに発生する。更に、受け取り状況を確認できるだけ
の情報システムの投資も加算される。その経費の原資はどこから来るのだろうか。
競争に打ち勝つために、特に新たな競合であるアマゾンに対抗するために、それだ
けの投資が必要なのだろうか。かえってコストが嵩み、利益を減らしてしまう可能性
があると、現時点では考えてしまうのである。
46
【まとめ】
このような課題を考えると、単に規模を追い、新商品を導入し、価格を安くし、ネ
ット通販・オムニチャネル体制を強化するといった差別化をしても、果たして本当に
うまくいくのかどうか、むしろ、もっとやるべきことがあるのではないだろうかと思
うのである。むしろ、そのやるべきことを優先することが、結果として差別化となり、
優位に立てるのではないだろうかと、研究者は考える。
また、過去の歴史の教訓、つまり第一次流通革命、第二次流通革命での学びを生か
すべきであると考える。
まず何より「己を知る」ことである。自分たちは何屋で、どんな顧客に、どのよう
に受け入れられているのか。その受け入れられている理由は何であるのかを、きちん
と分析したうえで、戦略を考えるべきである。
次に「足るを知る」ことである。自分たちの持つ力でできることは何か。反対に、
できないことは何か。現状を含めて無理はないか。それを知ったうえで実行すること
が望ましい。つまり身の丈を知るということである。
そして、自分たちの持つ「ポテンシャル」を最大限引き出すことである。そのうえ
で、自分たちの立ち位置(ポジショニング)を定め、戦略を立てる。その戦略は、他
社がすることを真似するのではなく、独自のもの、「設計図」をきちんと描くことで
ある。
また、その戦略を立てる際、必ず、そして外してはならないのが、
「顧客」である。
その顧客ときちんと向き合い、顧客と対話し、顧客を理解する。そして、その顧客
を相手に、自分たちの戦略を実践し、きちんと収益を出す。更にその収益を継続の原
資とすることである。
間違っても収益を度外視すると、必ずどこかで息切れする。継続がなければ、結局
は、顧客の期待に応えたことにならないのである。
更に、その顧客は絶えず変化する。そしてまたその顧客はわがままである。そのわ
がままに応えていかないと、顧客は離れ、やがて自分たちが衰退する。
敵は「顧客の変化」である。少なくとも他社が何をしたとか、他社に勝たなければ
というのは、実は、目的が違うのである。その顧客の変化に、どう対応するかが問題
なのであって、他社がどんなことをしたかが問題ではない。他社を意識することは、
他社の戦略が正しいということを認めるに他ならない。しかし、他社は他社であって、
自社のことではない。むしろ顧客の変化さえ押さえることができれば、対応策はおの
ずと見えてくるはずなのである。
47
そして、その顧客の変化をどのように捉えるか。その顧客の考えていることを、望
んでいることを読み込み、考え、今ある以上のもの、つまり新しい需要を創造するこ
とである。
その新しい需要を創造するためには、自分たちで考えているだけでは、もはや限界
がある。特に流通小売業は、自分たちで直接モノをつくることはできないからである。
モノをつくるには、協力してもらえるメーカーが必要である。またモノを運ぶ、モ
ノを配分するには、中間卸つまり問屋の機能が必要になってくる。
もう 20 年近く前になるかもしれないが、ECR という、メーカー・問屋・小売りの
協働体制の理論が話題になったが、その時以上にこの協働体制が重要になってくる。
当時の考え方は、その企業同士が協働し、それぞれの業種において、自分たちの役
割を担って、ひとつのモノを販売していく「運命共同体」の考え方である。この考え
方が間違っているわけではないが、この中で、当たり前になっているのが、小売業と
の「主従関係的取引関係」である。
モノが簡単に売れなくなり、そのために、情報システムを駆使して、分析し、次な
る戦略を立てるのはいいが、現実問題として、メーカーや問屋が小売りに対し、問題
提起することはあまりなく、小売りの意見に対し、従っているのが現状である。
また、この協働体制で仮にモノが売れたとしても、一番利益を得るのが小売りで、
メーカーや問屋は一定の利益は得られるものの、それ以上の利益を得られることはな
い。
更に、当初計画以上に売れたとしても、更なる設備増強による投資負担はメーカー、
問屋にあるが、小売りにはそれがない。いいところ、売り場を広げ、販売員を増やす
ぐらいである。これでは、運命共同体とは言えないのではないだろうか。
チームマーチャンダイジングということを、セブン‐イレブンが盛んに提唱してい
るが、これも主従関係的協働体制である。この問題を解決するには、三社の関係をフ
ラットにして、更に利益配分の見直しが必要になってくる。つまり、主従関係的協働
体制を改め、お互いが対等の関係になるべきではないかと考える。
理想の協働関係
現状の取引関係
本部
協働関係?
メーカー
メーカー
本部
協働関係
問屋
メーカー
問屋
メーカー
運命共同体(フラットな関係)
主従関係的取引関係
セブン‐イレブン・ジャパンHP資料を基に研究者作成
48
B to B の関係でも、顧客というのは存在するが、どうしても顧客を上と見てしまう。
しかし、それでは本当のビジネスは生まれない。双方が同じ立ち位置で、お互いのこ
とを言い合える関係であること(もちろん尊敬の念を持ってだが)で、初めていいビ
ジネスができるのではないだろうか。それにはどうするか。コストの開示と、それに
見合った利益の配分をする必要があると思う。
研究者は当初、取引先の系列化ということを考えた。小売りが主体となって、チー
ムを作り、原価をガラス張りにして、更なるコストを削減するために、お互いが目標
をつくり、それを実現するために努力するというものである。
これはトヨタ自動車が、部品購買の際、原価を下げるためにやっていることである
が、よくよく考えると、これはトヨタ自動車と部品メーカーが、主従関係にあるから
成り立つことである。部品メーカーは言われるがままに、コストを下げなければなら
ないため、結局コストを見直すたびに、自分たちの首を絞めることになる。これでは
長続きすることはなく、見直しにならないのである。
売れたときには、WINWIN であり、売れなかったときは、痛み分けする。そうで
なければ、本当に顧客の求める商品を創り、販売することなど、できないのではない
だろうか。
利益配分の⾒直し(三者利益30%の場合)
現状の利益構造
⼩売り
⼩売り
利益
利益
問屋
(20%)
問屋
メーカー
原 価
利益
販促費
メーカー
(10%)
情報システム費
利益
配送費
センター維持費
(10%)
保管費
⼈件費
原材料費
⼈件費
利益(5%)
利益(5%)
原 価
原 価
(10%)
コスト開⽰
⼈件費
売れたときはWINWIN・売れなかったときは痛み分け
また、これまでのように、単に商品を陳列し、販促プロモーションを展開するだけ
では、もはや顧客は反応しない。その商品を、いかに余すことなく「売り切る」か、
そうしないと利益はでない。その売り切る「力」が求められる。
これまでは、ナショナルブランド、つまり全国共通の、どこでもその商品を購入で
きることを考え、モノが作られてきた。しかし、それはモノが不足し、モノを所有す
るレベルで考えられた商売、つまり、十人一色の時代であればよかった。しかし、モ
ノが充足され、十人十色、そして一人十色と欲求の形が変化し、個人レベルにまで、
モノの欲求レベルが上がると、これまでのような全国共通商品は、売れなくなったの
である。
更に、流行りのモノには、すぐに飛びつくが、すぐに飽きてしまう。そんな売れ方
の時代において、これまでのように、モノを長々と、同じように売っていても、売れ
49
残るだけである。
今は早々と売り切れるか、売れ残るかである。売り切れるのであればいいが、売れ
残ったものを、売り切るのは非常に難しい。だから売り切る力が必要になってくる。
売り切る力は、販売予測を立てて、仕掛けて、そして顧客が飽きないうちに売り切
り、機会ロス、売れ残りのロスを限りなくゼロに近づける究極の販売技術である。
しかし、今の小売業にはこの販売技術がない。また、メーカーも問屋も、小売りに
売り任せである。だから三者が一体となって、この力を付ける必要があり、そのため
に、利益の配分を見直す必要があるというのである。
更にいえば、この低成長期の原因、つまり顧客の要望がどんどん厳しくなるとこと
を考えていく必要がある。マズローの欲求五段階説ではないが、「顧客の満足」の度
合いが高くなることを、どう捉えるかである。
研究者が思うに、それは恐らく「心の満足」なのではないかと思う。人間は誰もが
これまでのレベルでは満足せず、更なるものを求める。それは人間の性(さが)かも
しれないが、今はその顧客との戦いなのではないだろうか。
その心の満足はどこで生まれるのか。少なくとも、この流通小売業であれば、モノ
を消費した瞬間であると考える。その瞬間はどこで生まれるのか。それが「現場」で
ある。だから、顧客を満足させること、更なる要求に応えることについては、現場で
の力を強く、優れたものにするしかない。それは単なる接客という販売行為だけでは
なく、顧客の話(要望や悩み)を聴く力、そして実現する力である。つまりそういっ
た「現場力」をどこまで高め、顧客に応えることができるか、スピード、正確性、そ
して顧客の気持ちを理解し、どこまで高い次元のサービスを提供できるか、その対応
する力こそが「現場力」なのである。
これからの関係
これまでの関係
本
店舗
店舗
部
店舗
店舗
本
店舗
店舗
部
店舗主導・本部サポート
本部主導・店舗服従
この図は、本部と店舗の関係を研究者がオリジナルで作成したものである。
研究者が提言する「現場力」は、本部主導型であるうちは、また本部で物事を考え
50
ているうちは、この現場力を発揮することはできないと考えている。顧客が求めてい
ることは即応できるものでなければならない。だから現場で考え、現場で問題解決し、
現場で対応しないと、顧客は満足しないのである。
なぜ本部主導型ではできないのか。本部で考えることは、確かにロジカルであるが、
それはあくまで、自分たちの持ちうる思考回路で考えられることを、あるべき論とし
て成り立たせるもので、実際の顧客の思考や要望とは違う。つまり現場とかけ離れて
いるのである。大事なのは、現場で起きている事実に対し、どれだけ向き合い、顧客
を満足させるかである。顧客はそれぞれ個性を持っていて、感じる物差しも違う。ど
うかすると何百・何千もの違いがある。それを本部で考え、マニュアル化しても、対
応することには限界がある。むしろ顧客と対峙する現場が、その場で考え、対応する
方が、手っ取り早く、何より正確なのである。
この考え方は、これまでのチェーンストア理論とは違う、新しい考え方である。こ
れまでのチェーンストア理論は、まさに本部主導型で、本部で考えたものを、そのま
ま店舗に流し、店舗はそれを実行すれば、それで売れていた。しかし、それは古き良
きアメリカのスーパーマーケットの経営手法であって、この方法でモノが売れたから、
良かれと思われていたものである。しかし、現代は顧客の要求するレベルが違う。ま
してやアメリカと違い、日本はそれが顕著に違うのである。
だから、この現場主導型というのは、新しい考え方であり、現場力革命であり、そ
して新しい流通革命なのである。
そうなると、この現場力が発揮できるのは、むしろ百貨店などの対面販売や、中小
規模のスーパーマーケットではないだろうか。
まとめといいながら、随分長くなってしまったが、業態別の対応について、ここで
述べることにする。
まず百貨店の場合、建物そのものは大きいが、その中身は中小規模のメーカー・小
売店の集合体である。それを組み込み、自分たちの建物の中で組織化しているのが百
貨店である。
この百貨店だが、実はここまで全く紹介していなかった。それは、歴史的には古い
にもかかわらず、革命的に何かを起こしたことがないからである。あるとすれば、三
越が越後屋として誕生し、正札販売をしたときと、また阪急が鉄道を敷き、その終着
駅に百貨店を建てて集客し、そして日本で初めて上層階に食堂を設け、百貨店を娯楽
の場とさせたときだけである。しかしそれは、かなり昔のことで、以降何かを変える
ことをしていないのである。
むしろ、ダイエーをはじめとするビッグストアが出現してからは、景気が良く、高
額品が売れた時期を除けば、衰退の一途を辿るだけである。
次の図は百貨店の根本課題を表したものである。
51
百貨店の根本課題
商品・販売の取引先依存
品揃えの同質化
⾃社販売員の削減
マーケティング⼒低下
場所の提供
収益性の悪化
新規事業参⼊の遅れ
競争⼒の低下
顧客の変化に対応できない
構造的な不況業態
抜本的な改⾰なくして復活はない
改⾰することで顧客の新しい価値創出
日経MJ(2014 年 6 月 20 日)3 頁『日経MJセミナー 三越伊勢丹 HD
大西 洋社長 基調講演』日本経済新聞社掲載資料より研究者作成
なぜ、百貨店が成長できないのか。それは何より、売れたものだけ仕入れ計上し、
自分たちの売上げとする「消化取引」を主体として、自分たちで物事を考えず、リス
クを背負うことなく、委託販売に頼っていたからである。つまり、他人任せのビジネ
スモデルなのである。これでは、革命どころか、何かを変えることはできない。しか
し、この体制がずっと長く続いていたので、近年息切れしてきたのである。
その中で、唯一百貨店業界レベルではあるが、改革しようとしているのが、三越伊
勢丹である。
三越伊勢丹は、以前は三越と伊勢丹といった、ライバル企業同士であったが、三越
の経営不振と、先に再編で動き出した高島屋、阪急、阪神、そごう、西武、大丸、松
坂屋などの影響もあって、両社が統合された。
その三越伊勢丹を主導しているのが伊勢丹である。伊勢丹は、百貨店業界の中でも、
主力のファッションが他の百貨店に比べて際立っている。そして経営状況もよく、営
業利益率も業界内では高い。業界を変えることができるポテンシャルを唯一持ってい
る企業であるとみていい。
その伊勢丹が、三越という、かつて隆盛を極めた百貨店の雄と経営統合し、改革に
乗り出しているのである。
52
まずは、仕入れ構造改革である。百貨店はこれまで消化取引などの委託販売で事業
を賄ってきた。そのため、百貨店で販売されている商品の価格の大半は、流通過程の
中で上乗せされたメーカーの諸経費で占められているため、顧客が購入する際の価格
は、必然的に高くなってしまう。
今、ファッション・アパレル業界の中で一番優れているのが、ファーストリテイリ
ングのユニクロである。ユニクロは単に安いから売れているのではない。ユニクロは、
商品を自分たちで企画し、生産し、そして自分たちで販売する製造小売業で、前述し
た流通過程の諸経費がかからない。そのため、販売価格を抑えることができるのであ
る。また、それ以上にすべてを自分たちで賄っているから、商品に対する販売姿勢が
違うのである。
まず、商品の開発ストーリーから、価値観を顧客に正確に伝えることができる。更
にいえば、たとえ商品が売れなかったとしても、消化取引と違い、その責をメーカー
に委ねることができないため、自分たちで売り切るしかない。だからひとつひとつの
業務が真剣勝負になってくる。
三越伊勢丹は、こういった他社のビジネスモデルを学び、自己分析し、たとえ自分
たちでは工場は持たないものの、協力メーカーと真剣勝負で商品をつくり、それをす
べて買い取る自主企画商品を増やし、価値ある商品の販売を増やしている。当然諸経
費も抑えられるため、値頃感のある価格を設定できるのである。
それでも消化取引の比率は高く、今後の課題であるという。
その消化取引は、百貨店都合による売り上げ計上である反面、どうしてもメーカー
側に商品の配分を委ねてしまう側面がある。それは、売上げ実績によるもので、売り
上げの低い郊外・地方の店舗には、どうしても商品が行き渡らないことが多い。
これでは、いくら消化取引といっても、品揃えに影響がでてしまう。このことで困
るのは百貨店もそうだが、何より顧客である。この悪しき習慣を、三越伊勢丹は、本
社で一括して商品をコントロールする仕組みをつくり、対応している。
更に、三越伊勢丹はセール改革に乗り出した。これは、特に夏と冬のファッション
品を、大幅に値引きするバーゲンセールに一石を投じたのである。
デフレ不況から、百貨店業界は 2000 年代前半より、年々そのバーゲンセール開始
時期が早まってきていた。特に冬のバーゲンセールは、今や年明け早々、1 月 2 日の
初売りから始まる。それは、不況の影響で、売上げが思うように上がらないことから、
早くから目玉となるバーゲンセールを開催して、売上げを確保しようというのである。
しかし、これではバーゲンセールにならない。元々バーゲンセール、特にファッシ
ョン品の場合、繁忙期も終わり、売れ残ったものを、価格を下げて販売し、売り切っ
てしまう目的で開催されていたのに、年明けの初売り早々のセールで、バーゲンセー
ルの本質が変わってしまったのである。
バーゲンセールの前倒しで、顧客にとっては、安くなる時期がわかるため、その時
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まで待てばいい。どうしても欲しく、数量も少ない商品以外は、安くなってから買っ
ても遅くない。それに顧客は、着るものに困っているわけではないので、安くなるま
で待てばいいのである。そうなると、顧客は通常時に買い控えをしてしまう。これで
は、本末転倒で、それどころか、自分たちで自分たちの首を絞めてしまうことになる。
百貨店各社がこのような体制で取り組むため、百貨店は全く売り上げが伸びず、収
益も悪化、衰退の一途を辿るだけなのである。
そこに一石を投じたのが、三越伊勢丹の大西洋社長(以下敬称略)である。大西は、
どうして一番売れる時期に割引しなければならないのかということで、このバーゲン
セール時期を三越伊勢丹だけ、繁忙期が終わった頃、冬のセールは 1 月下旬に、夏の
セールは 7 月下旬に開催することにし、メーカー各社に協力を要請した。
この三越伊勢丹の行動に、業界は混乱した。当然顧客からもクレームがあがる。そ
れでも大西はこれを断行し、今も継続している。
このことが効果を発揮し始めたのが、2014 年の初売りあたりからである。三越伊
勢丹各店は、他の百貨店各社が、相変わらず初売りからセールを仕掛ける中、福袋や
セール以外の企画で臨む。しかし、セールをしない三越伊勢丹が、特に日本一の売上
げを誇る新宿店が、他の百貨店を圧倒し、最高の売上げを更新、更に遅れてセールを
開催しても、どこよりも販売することで、メーカー各社のセール体制に変化をもたら
した。
そしてメーカー側も、先行してセールをする他の百貨店に対しては、割引率を変え、
三越伊勢丹がセールを開催するときに、更に割引率を変更することにしたのでる。
そうなると、顧客の動きに変化が現れる。顧客も割引率が変わることがわかってき
て、三越伊勢丹が割引するまで待とうとするのである。
2015 年の初売り時もまだ同じ動きであるが、この状態が続くと、恐らく大西の思
惑通りに、セール開催時期は以前の、本来の状態に戻るであろう。
しかし、研究者に言わせれば、セール開催時期の見直しの改革より、実はもっと百
貨店がするべきことがあるのではないかと思うのである。
ひとつは、商品展開そのものの見直し、もうひとつは、サービスへの集中である。
まず、百貨店はもっと革新的な業態であるべきであると考える。そして、取引する
メーカーの最先端の技術・機能・デザインを引出し、顧客がわざわざ高額な対価を払
って購入するステージにすべきではないだろうかと、研究者は提言する。
それは、百貨店には「格」というものがあって、いくら IT 社会で、どこでも商品
が簡単に手に入る時代だとしても、ブランド品を販売できるだけの「格」を持ち合わ
せている業態は百貨店である。その強みを活かすべきであると考える。
そして、三越伊勢丹のように、自主企画商品について、結果オーライではなく、販
売動向をきちんと分析し、次に繋げる販売に取り組むべきである。
具体的には、その企画した商品が、どのようにして売れたのか、また売れなかった
のかを検証し、次の企画に生かす PDCA マネジメントを実践、そして売れるものを、
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より効率的に販売できるようにするシステム構築や、価格戦略やロジスティクス・情
報システムの構築などに取り組み、新しいビジネスモデルを形成すべきである。
もうひとつは、サービスへの集中である。世の中が変化し、郊外のビッグストアが
展開するショッピングセンターも、以前より煌びやかになり、百貨店に近い存在にな
っている。逆の見方をすれば、それだけ、これまでの百貨店が陳腐化してきたことに
なる。しかし、百貨店としてのプライドがあるならば、差別化できるはずである。そ
れは即ち、百貨店ならではのサービスを追求することである。
そのためには、従業員がサービスに集中できる環境整備が必要である。百貨店に限
らず、流通小売業の現場は、いろんな業務がある。一番重要な業務はお客と接するこ
と、つまり「接客」である。特に百貨店にとって、この接客にどれだけ注力し、そし
て時間をかけられるかが勝負の分かれ目である。しかし、その接客に対し、意外に時
間をかけられていない。品出し業務や、売り場の整理整頓、伝票起票などの事務作業
が多く、付帯作業に時間をとられているのが現状である。どうかすると、メーカーか
ら納品された商品が、荷受け所に到着してから、それを売り場に出すまでに、エレベ
ーターを待つことで、時間を費やすことも少なくない。
百貨店の現場に一度でも入ってみればわかるが、非常に旧態依然とした設備で、合
理性に欠けていることに気づくはずである。荷受け所のレイアウト、エレベーターの
位置、商品ストック場の狭さ、台車を通りづらくしている通路幅や段差など、作業し
易い環境になっていないのである。
それは百貨店が、その場所から動くことなく、古い店舗設備のまま、歴史を刻んで
いたからである。また改装などをしたとしても、売り場の変更などが殆どで、作業場
は人間業(わざ)で何とか乗り切ることができると考え、全く改装することなく、今
日に至っているのである。こういったところを改善する必要があると考える。そして
作業し易い環境を作ることで、接客以外の作業が軽減され、接客に集中できると思う
のである。
好事例に、金沢の高級旅館の加賀屋のバックシステムがある。加賀屋は「おもてな
し」が自分たちの商品として捉え、接客サービスに重点を置き、客室係に質の高い接
客サービスを提供できるように、負担になっているものを排除し、環境を整備してい
る。特に懐石料理を、厨房から運ぶ際の自動搬送システムの導入などは、目を見張る
ものがある。高級旅館の一番のウリは、懐石料理である。その懐石料理を顧客に提供
する際、実はこれまで客室係は、その料理を運ぶのに神経を使っていた。それは冷め
ずに、また形を崩さずに、食べごろの状態で運ぶことに神経を費やしていたのである。
そこで加賀屋は、巨額な投資をして、旅館内の顧客から見えないところに、バックヤ
ード導線を作り込み、この自動搬送システムを導入した。そのおかげで、客室係の負
担が軽減され、顧客の食事時のおもてなしに注力できるようになったという。
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他に、企業内保育所を導入し、家庭を持つ客室係のプライベートの育児の心配を軽
減させ、各客室係のサービスレベルの均一化を図るために、顧客データベースへの接
客情報入力(サービスの標準化)を推進しているという。
旅館業ではなくても、他の好事例もある。食品スーパーの関西スーパーマーケット
のバックルームの考え方である。
スーパーマーケットにとって一番大事なのは、「毎日の食卓」をいかに支えるかと
いうことである。それを実現するために、顧客が毎日のように購入する生鮮食品の売
り場を、いかに充実できるかがポイントである。そのためには、作業をどのようにし
て効率的にするか。そこに重点をおき、関西スーパーマーケットは、店舗の設計段階
から踏込み、商品の搬入口に始まり、作業のし易さを考慮したレイアウトを、設計段
階から取り組んでいるのである。
スーパーマーケットはセルフサービスであるため、いかに商品を顧客の求めるレベ
ルに陳列できるか、それが彼らの生命線であり、彼らの「接客」である。関西スーパ
ーマーケットは、このことを徹底的に考え、店舗のレイアウトにまで踏み込んだので
ある。
百貨店はこういったところを見習い、もっと改善すべきである。特に百貨店の場合、
消化取引が主体であり、自分たちが直接手を施すことがない。だから、その取引先に、
いかにいい仕事をしてもらえるか、そのための環境づくりが仕事ではないだろうか。
しかし、現状の百貨店において、例えば食品売り場のバックルームにおいて、その
ような設備・環境になっていないのである。また、惣菜売り場の厨房は、売り場から
離れていないだろうか。そして台車やワゴンで商品を運ぶ際、段差が妨げになってい
ないだろうか。菓子売り場で、顧客にラッピングする際、十分なスペースはとれてい
るのだろうか。ファッション部門において、例えば靴売り場のストックは、見やすく、
探し易く、すぐに取り出せる状態になっているのだろうか。恐らく、どの百貨店も同
じようなレベルと察するが、これをきちんと取り組んだところが、高い次元のサービ
スを顧客に提供できると思う。
百貨店においては、接客こそ、現場力を一番発揮できるものとして考えられるが、
一方セルフサービスを提供する業態はどうだろうか。
第一次流通革命の主役でもあったビッグストアは、どのようにすればいいのだろう
か。
ダイエーやイトーヨーカ堂、西友、イオンのところで触れたが、彼らはいずれも工
業化社会の考え方から脱皮しきれず、量を追いかけるあまり、衰退の一途を辿ってい
る。それは、商品を大量に陳列さえすれば、よく売れると未だ信じているから、脱皮
できないのである。
また、今の衣料品売り場で、十分に利益を稼ぐことができると思っているから、変
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わらないのである。そうでないことに気付くには、一体どうすればいいのだろうか。
それには、まず品揃えを顧客の要望に合わせることである。具体的にいえば、ビッ
グストアは、これまで、駅前に立地し、多層階の総合品揃えの「何でも屋」として展
開してきた。しかし今は、広大な敷地面積のショッピングセンターを率いて、遠隔地
から顧客を呼び込む戦略に転換している。
そうなると顧客は、その店舗に、百貨店なみの、専門性のある、高質な商品の品揃
えを期待し、イメージする。実際展開するビッグストアもそう考え、そのビッグスト
アのトップも、口を揃えるように、そういったコメントを残している。それならば、
まずはそういった品揃えに変えていく必要がある。
しかし実際は、相変わらず売れ筋を大量に陳列し、量を主体とした品揃えばかりで、
質を重視した商品を取り扱おうとしない。その結果、業績は下降線を辿る一方である。
要は顧客に応えていないのである。顧客がイメージする店舗、期待する商品は何な
のか、まずそれを考えて、品揃えに着手する必要がある。
例えば業態こそ違うものの、成城石井や東急ハンズは、顧客のイメージ通りになっ
ている。両社とも社名・ショップ名が想起させるイメージと、期待する品揃えがイコ
ールになっているから、業績が上がり、成長しているのである。成城石井は食品の専
門性、東急ハンズはマニアックな品揃えがイメージとしてあって、更にそこで働く従
業員は、その専門性に見合うだけの商品知識を持ち合わせているのである。そして、
顧客に聞かれたとき、丁寧に説明し、ファンを獲得しているのである。
ビッグストアが「何でも屋」から脱皮するには、こういったところを見習い、実践
する必要があるのではないだろうか。
次に衣料品であるが、イトーヨーカ堂の業革でも述べたが、本来であれば、衣料品
の流通過程から見直し、売り場改革をすればよかったのだが、それを怠ったあまり衰
退した。それはイトーヨーカ堂に限らず、ビッグストアやスーパーマーケットの大型
店舗の衣料品が同じような傾向に陥っているため、売れないのである。しかも、売上
げが下がるだけで、何ひとつ変わらない売り場であることから、商品は残り、そして
毎年のように、百貨店以上に早くセールを開催して、処分している。こんなことをし
ている限り、利益が出るわけがない。
衣料品については、抜本的な改革が必要である。ユニクロを習い、構造改革に着手
した三越伊勢丹のように、まずは流通過程の見直しが必要である。
ビッグストアやスーパーマーケットの大型店は、消化取引ではないにしろ、大手メ
ーカーの流通過程に頼って販売している。まずはその流通過程をどこまで圧縮できる
か。そして、ユニクロのように、いかにデザインや紡ぐ糸や生地の領域まで踏み込み、
顧客が着てみたいと思えるものを開発するか、それが求められているのである。
取引先との関係についても、メスを入れる必要がある。全く違う業種ではあるが、
トヨタ自動車の、取引先を組織化し、コントロールする体制を見本に改革することを
57
挙げたい。主従関係はあるものの、単に取引先を系列化して、自分たちの言うとおり
にさせるのではなく、自らも動き改革する。たとえば仕入価格を下げるにせよ、自分
たちがここまでコストを削減するから、ここまで価格を下げてほしいと、組織化した
取引先にそれを求め、それをコントロールする。ビッグストアについては、このレベ
ルまで踏み込むことで、改革できるのではないだろうか。
更に、売り場改革として、現状のような、迷路のような、古いレイアウトを組むの
ではなく、すっきりとした、そしてカラーコーディネートされた、そして、店員を探
さなくても買い物ができるような、集中カウンター型のレイアウトにすべきである。
これはあくまで、先行するユニクロのレイアウトをイメージして記述しているが、ま
ずは成功している企業をきちんと研究し、取り組むことである。少なくともここには
顧客に支持された実績がある。現状のままでは、何も改善されない。実際成長がない
のだから、まずは習うことである。ビッグストアは、時間がかかる。スピードも必要
だが、案外根比べのようなものと研究者は見ている。
さて、スーパーマーケットはどうだろうか。ビッグストアに比べて、スーパーマー
ケットは、規模が小さいため、フレキシブルに対応できる。改革するにもさほど時間
がかからないのではないだろうか。
彼らはこれまでの流通革命の中で、即ち、ダイエーが起こした第一次流通革命から、
セブン‐イレブンが起こした第二次流通革命の中でも、ずっと生き延びてきている。
しかし、先駆者的に、またセンセーショナルに何かをしたわけではなく、ひたすら「毎
日の食卓」のために地道に切磋琢磨していたので、目立たなかった。そして、スーパ
ーマーケットが誕生してから、早半世紀が経つが、著しい成長を感じ取ることができ
なかったのである。
更に 2000 年以降のデフレ不況の中においては、価格を下げ、安売りを前面に押し
出したことで、何とかしのいできた観がある。しかし、研究者が思うに、価格による
戦略は、顧客にとってありがたいことだが、このままでは、自分たちの利益を削るか、
取引先に泣いてもらうかしかなく、長続きしないと見ている。
また価格を下げることは、全ての戦略が適応しなかったときに使う、最終手段でな
ければならない。それを早々と「戦略」として取り組むのは、むしろ自殺行為に近い
のではないかと思うのである。
何よりいい例がダイエーである。むしろダイエーができなかったこと、即ち「生活
提案」という価値観に注力し、取り組むべきだと思う。
このことに唯一取り組んでいる企業が、埼玉県のスーパーのヤオコーである。
彼らは、自分たちが「毎日のおかず」を品揃えする企業であること、自分たちが何
屋であるということを定義し、そのために何をすべきかを考え、品揃えを戦略的に考
えた。そして何より、顧客である主婦に、買い物するときに迷う「献立」を手助けす
るために、惣菜や生鮮食品、それに付随する調味料の品揃えを、味はもちろん、サイ
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ズ、量目、温度などにも気を配り、とことん極め、売り場で展開しているのである。
更に、自分たちの商圏は、あくまで近隣ということで、近所に居住している主婦を
戦略的パートナーとして雇用し、その主婦に権限を持たせ、品揃えに役立てている。
本部で一律に考えるやり方と違い、現場に即応した品揃えが可能になる。ヤオコーの
場合、品揃えを戦略的に考えているのは、本部ではなく現場なのである。
つまりヤオコーの「現場力」はまさに、現場の主婦のパートさんを主体に、形成さ
れたものである。
価格も価値の一部だというが、価値の本質が違う。価格が価値ならば、安いことが
全ていいことになるが、今の顧客が、本当にその安さだけを求めているわけではない。
ダイエーが隆盛を極め、大手の、力のあるメーカーと価格のことで争いになって、
出荷停止を余儀なくされた頃、ダイエーは、中小メーカーにダイエーブランドの商品
を作らせて対抗した。これが日本の流通業における PB の走りであるが、この当時の
PB は、安かろう悪かろうの商品で、品質面を維持してまでコストを下げられなかった
ため、品質を落として安くした。発売当初はモノ不足もあって売れたが、その後モノ
が行き渡り、顧客の選択眼が厳しくなると、こういった商品は売れなくなった。
現代は当時に比べて、技術も発達し、品質も改善されているが、デフレ不況でメー
カー各社は、やむなくコストを削り、ぎりぎりの線で商品を開発し、市場に出荷して
いた。しかし、景気が回復してくると、メーカー各社は、自社の回復を優先し、原材
料の値上げとともに、取引価格を値上げするようになった。そんな現代において、値
下げを強要しても、決していい状況にはならない。むしろ、原価の低いなりの商品で
対応することになり、結局はマーケットを縮小させることになるだけである。
また、スーパーマーケットは、地味な存在であるが、まさに転換期を迎えている。
これまでのスーパーマーケットは、生鮮食品を中心に、新鮮さと安さを武器に展開し、
それを忠実に守ってきた。しかし、世の中が変わり、スーパーマーケットの利用の仕
方も変わってきた。メニュー提案はもちろん、「毎日の食卓」のための、よろず相談
所的な役割が求められている。
そして、これまでの品揃えだけでは、もはや顧客は満足しない。高齢化社会となり、
また、有職主婦が当たり前の時代の中で、スーパーマーケットに対する価値観は、20
年前、30 年前とは比べ物にならなくなっている。価格や、量目、メニュー提案といっ
たものだけでなく、買って帰った後、作る手間が省ける、また出来立ての惣菜が、す
ぐに食べられるレベルの品揃えが求められる。だから自分たちの顧客にとって、本当
に価値ある店づくり、価値ある品揃えとは何なのかを考え、その顧客に対峙するべき
である。
今、唯一好調な業態がコンビニエンスストアであるが、このコンビニエンスストア
も、明暗がはっきりしてきた。それは本部のバックアップ力と、何より現場の対応力
の違いではないだろうか。
59
今や主力 4 社(セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート、サークル K サン
クス)による覇権争いになっているが、どの企業も殆ど取り組んでいることは同じで
ある。商品開発、販売情報システム、物流体制のレベルは拮抗している。唯一違うの
が、現場とのコミュニケーションレベルではないだろうか。
一歩抜き出ているといわれているセブン‐イレブンを見ればわかるが、現場のオー
ナーとのコミュニケーションの頻度・深さが、他社と違うのである。そのレベルの源
泉は、本部の、方針を徹底する会議体の質の違いである。それはいくら FC 会議の開
催頻度が 2 週間に一度に減ったとはいえ、まだまだ他社との質の違いは歴然としてい
て、その違いが店舗にそのまま表れている。
また、本部の提案を受けるフランチャイジーのオーナーの質・スタンスの違いもあ
る。セブン‐イレブンは他社チェーンよりもロイヤリティが高い。ロイヤリティは粗
利益から割り出すだけに、販売が落ち込むと、オーナーの収入に直接影響する。その
ため、オーナーも真剣そのものである。そういった、瀬戸際の環境だからこそ、違い
も出てくる。
近年、出店の増加数が高まる反面、セブン-イレブンでも売り上げ不振の店舗も増
えているという。現在は他社を凌ぐ商品開発力で、優位性を保っているが、商品開発
力も今や拮抗している中で、現場力が勝負の分かれ目であることは間違いない。現場
に施策をいかに落とし込み、オーナーに危機感を与えて取り組ませるか、いやオーナ
ー自身が、自分の意思で取り組もうとするかにかかっているのである。だから、他社
チェーンにも十分チャンスはあると研究者は考えている。
最後にネット通販・オムニチャネル化における現場力はどうすべきかである。
既に、ネット通販・オムニチャネル化の課題の項目で述べたが、まさにラストワン
マイルをどうするかである。これはまさに総合力なのである。
商品の品質はもちろん、品切れがなく、丁度いい量目・サイズ、見合った価格、顧
客の都合に合わせた配送・お届け体制、そして渡す時の接客。どれだけ丁寧に、気が
利いて、また使いたくなると顧客に思わせるか。
それを自社で内政化して一貫してやろうが、他社に委託しようが、それは同じであ
り、そういったラストワンマイルに対する総合力が、顧客の心を動かすのである。
新流通革命は、現場力をどうやって高めていくか。そのためにはどんな体制に変革
しなければならないかということである。そして、このことをどこまで徹底できるか。
また、顧客の要求がどんどん進化し、厳しくなったとしても、その変化に気づき、ど
こまで対応できるか。これを制した企業が勝ち組であると思っている。
そのためには、顧客の生活の一部といった中途半端なものではなく、その根幹に、
そして社会に入り込んで、対応することが重要になってくるのではないだろうか。
また、店頭における販売というのは、普遍であると思っている。流通小売業は人間
業とも言われているように、人がモノをつくり、人を介し、人に販売するからこそ成
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り立つのである。それは、ネット販売が盛んになったとしても、本質は同じである。
ましてや、人は、人と触れあってこそ、喜びを感じるのである。
確かに情報システムや物流が発達し、世の中が便利になり、パソコンやスマートフ
ォンのボタンひとつで、モノを買える時代になった。それに伴い、新しい事業も生ま
れている。しかし、それだけで、人は本当に喜びを感じられるのだろうか。
例えば、食べ物であれば、作り手の苦労や、汗を、何かしら脳みそで捉え、更に、
その食べ物の持つ、見た目や匂い、音、味を五感で感じとり、胃袋が満たされ、そし
て心が満たされて、初めて、「美味しい」と感じ取る。それが人の喜びではないかと
思う。
これまで流通各社は、そこまで入り込んでいなかった。自分たちの地位を確立する
ことに必死だったのか、あるいは、自分たちのことを考えるだけで、精一杯であった
のか、少なくとも、今の世の中が、このような状況になるとは、思ってもいなかった
はずである。
しかし、実際に社会は変化し、変化し続けている。その変化にどう対応するかが、
生き残る道ではないかと思っている。
流通小売業こそ身近に、社会に関わり合い、そして社会に影響を与える産業はない。
「流通小売業はドメスティック産業である」と、よく流通各社のトップが口を揃え
ていう。もしそれが本当であるならば、自分たちの仕事に、自信と誇りを持って、社
会との関わり合いを考え、この先の未来のために、取り組んでほしいと切に思う。
この研究を纏める際に、多くの方にご協力をいただいた。
まず、この研究を進めるに当たり、何より、参考文献となる本を何冊もこの世に創
出し、また今も師と仰いでいる、ジャーナリストの緒方知行先生に、この場を借りて
御礼を申し上げたい。
また、この研究を取り組む際、様々な助言をしていただいた、副査の大林厚臣先生、
坂下玄哲先生に、御礼を申し上げたい。
そして、主査の磯辺剛彦先生には、この研究を進めるうちに、何度も迷走しかけた
にもかかわらず、途中経過を報告するたびに、軌道修正していただいた。自分の拙い
考えを、わずかな情報から言葉を導き、この研究を形あるものにしていただいた。
本当にお世話になりました。ありがとうございます。
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