...

全冊 ・WHOLE ISSUE(PDF 3670KB)表示

by user

on
Category: Documents
14

views

Report

Comments

Transcript

全冊 ・WHOLE ISSUE(PDF 3670KB)表示
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の
変化率への応用とモデル選択
―ベイジアン・アプローチ―
砂 田 洋 志
(人文学部 法経政策学科)
1.はじめに
非線形モデルから生成されたと思われるデータに、モデルを当て嵌める場合、2つの方法が
考えられるであろう。第1は非線形性を無視して、線形モデルを無理に当てはめてしまうこと
である。1 第2は非線形モデルを当て嵌めることである。真のモデルがどのような非線形モデル
か既知の場合には、適当な非線形モデルを探し出して当てはめればよい。たとえば、リミッ
ト・サイクルとなっているデータにexpARモデルを当て嵌めることである。2 しかし未知の場合
には、線形モデルを繋ぎ合わせて構築した非線形モデルを当てはめることが考えられる。とい
うのも、非線形モデルを区切れば、部分的に線形モデルで近似することが可能だからである。
閾値自己回帰モデル(Threshold Auto Regressiveモデル、以後はTARモデルと略記する)や、
Smooth Transition Auto Regressiveモデル(以後はSTARモデルと略記する)はこのような立場に
立ったモデルと言えよう。3
本論文では、生産者製品在庫率指数(鉱工業者生産財)の変化率に非線形モデルの一つであ
るTARモデルを当て嵌めることを試みる。生産者製品在庫率指数は経済産業省が公表している
8種類の鉱工業生産指数の1つである。この指数は財別に分かれており、本論文ではその中の
鉱工業用生産財の在庫率指数を分析する。この指数は景気動向指数と逆サイクルの循環を持つ
データとして、景気動向指数(先行系列)の計算に利用されている。
TARモデルは、状態(レジーム)の数、遅れ変数の値、閾値の設定の仕方や誤差項の確率
分布の仮定の仕方などによって、多様なモデルが考えられる。本論文では、この多様なTAR
モデルの中からこの変化率データに相応しい1つを選び出すと同時に、このデータにとって、
TARモデルによる定式化の方が線形モデルによる定式化よりも優れていることも示す。その
際には、DIC(Deviance Information Criterion)というベイズ統計学に基づいたモデル選択基準
1
2
3
Enders(2004)のp390には、不適切な非線形モデルを当てはめることの方が、線形モデルを当てはめる
より多くの問題を抱えていると書かれている。
尾崎(1998)はexpARモデルを用いてリミット・サイクルを記述できることを示している。
Tong=Lim(1980)ではTARモデルによっていろいろな非線形現象を記述できることが示されている。
− 1 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
を用いる。TARモデルのパラメータのベイズ推定、そしてベイズ統計学の立場からのモデル選
択について、日本の経済データを用いた研究はこれまでそれほど多くなされていないと考えら
れる。
TARモデルを用いた実証研究について紹介しよう。まず、TARモデルを用いた分析を行う際
には、データがTAR(STAR)モデルに従うのか、線形自己回帰モデルに従うのかを確認する
必要があろう。この場合、伝統的な統計学の立場からは、TAR(STAR)モデルを対立仮説と
した検定を行えば良い。詳細については、Petruccelli = Davies(1986)、Tsay(1989)、Granger
=Terasvirta(1994)等に示されている。これまでの実証分析でも、TARモデルとSTARモデルを
経済データに当てはめる前に、これらの検定を行って、TARモデルやSTARモデルを用いる合
理性が確認された後で、パラメータの推定が行われていることが多い。
次に、現実の経済データにTARモデル、あるいはSTARモデルを適用した研究を紹介しよう。
Clements=Krolzig(1998)、Potter(1995)は標本理論の立場から、Koop=Potter(1999)、同
(2000)はベイジアンの立場から米国のGDPや英国の生産指数にTARモデルを適用している。
Koop=Potter(1999)、同(2000)ではさらに、他の時系列モデルとの間でベイズ統計学の立場
からモデル選択を行っている。Koop=Potter(2000)には、フラットに近い事前分布を仮定した
場合、線形モデルが選択されやすいと記述されている。刈屋=照井(1997)は伝統的な統計学
の立場から株価変化率にTARモデルを適用して、推定結果を議論している。さらにOECDに加
盟する6ヶ国のGDPとアメリカのGNPについては、ベイズ統計学に基づいて予測を行っている。
またKräger=Kugler(1993)は為替データにTARモデルを適用している。
TARモデルと似たモデルであるSTARモデルを用いた株価の実証研究として、Sarantis(2001)
がある。同論文では日経平均株価指数の対前年度変化率の月次データを、伝統的な統計学に基
づいて分析している。Sarantis(1999)は欧米日各国の実質実効為替レートにSTARモデルを適
用している。Michael=Nobay=Peel(1997)は為替レートにExponential STARモデルを適用し、購
買力平価説の妥当性を検証している。
本論文の構成であるが、第2節では分析するモデルの説明及び、モデル選択基準であるDIC
の概説を行う。第3節ではパラメータ推定の方法を説明する。第4節では分析対象である生産
者製品在庫率指数について説明した後、データの非線形性をTsay(1989)のF検定によって確
認するとともに、定常性をADF検定により確認する。第5節では、各モデルのDICを計算した
結果を示してモデル選択を行う。最後の第6節において推定結果を紹介して最終的なモデル選
択を行うとともに、選択されたモデルに経済的な解釈を与える。
− 2 −
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
2.TARモデルの紹介
2.1 モデルの紹介
TARモデルには自励的なモデルとそうでないモデルがある。本論文では、自励的なTARモデ
ルしか扱わないので、TARモデルといえば自励的なTARモデルを指す。
本論文では、以下の3つのモデルを比較する。
モデル1:自己回帰モデル(以後、ARモデルと略記する。)、誤差項は正規分布に従うと仮
定する。
モデル2:閾値が1つで状態が2種類のTARモデル
ただし、誤差項の確率分布として状態毎に異なる分散を有する正規分布を仮定
するとともに、その平均は0であると仮定する。
モデル3:閾値が2つで状態が2種類のTARモデル
ただし、誤差項の確率分布として状態毎に異なる分散を有する正規分布を仮定
するとともに、その平均は0であると仮定する。
3つのモデルを数式で記述してみよう。まず、モデル1はラグ数が p のARモデルである。モ
デル1は線形モデルの代表として取り上げている。
Y=X +
∼N(0,σ2 I )
…(1)
自己回帰モデルを行列表記する際に用いる Y 、 X 、
と
は以下の通りである。
次にモデル2として非線形モデルのTARモデルを取り上げる。TARモデルでは状態の変化を
考えるので、いくつの状態を考えるかによってモデルは異なる。最も単純なのは2つの状態し
か考えない場合である。それを数式で記述すれば以下の通りである。
…(2)
つまり、d 期前の y の値が属する範囲によって t 期のモデルが変わるのである。y に関する自己
回帰モデルにおいて、y 自身の過去の値が状態間の境となっていることから、このモデルは自
励的なTARモデルと呼ばれる。(2)がTARモデルの基本形である。閾値によって状態を分けて、
− 3 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
その状態内では線形モデルとなるが、全体としては非線形となる。TARモデルには異なる線形
モデルを複数用いて非線形モデルを近似するという考えが反映されている。
モデル2の応用モデルとして、閾値を用いた状態の区分の仕方を変えた、以下のモデル3が
ある。このモデル3は閾値が2つあるので、以下では両側TARモデルと呼ぶ。モデル2は閾値
が1つなので片側TARモデルと呼ぶことにする。
…(3)
このモデルでは yt−d が r2 からr1 の領域にある場合とそれ以外の領域にある場合で状態が変化す
る。変数に平均回帰的な動きがあるならば、変数が一定以上の変化をした後と、一定範囲内の
変化の後では、その挙動は異なるであろう。このモデルは、こうした挙動をモデル化するには
適切であると考えられる。モデル2とモデル3では、状態ごとにラグ数を変えることが可能で
あるが、本論文では同一( p= p1 = p2 )と限定して分析を進める。さらに2種類の状態のそれ
ぞれにおいてARモデルが定常であると仮定する。
2.2 モデル選択
TARモデルは自己回帰のラグ数 p や以下で説明する遅れ変数 d によっていくつかに分かれる。
たとえば、自己回帰のラグ数として4までの自然数を考えると共に、遅れ変数 d は自己回帰の
ラグ数以下であると仮定するならば、p と d の組み合わせ方によって10種類のモデルが考えら
れる。
では、10種類のモデルの中の何れのモデルを選択すればよいのであろうか。p と d を固定し
た10種類のモデルを推定して、それぞれの推定結果を利用して後からモデルを選択することと
なろう。モデルを選択する際の基準であるが、伝統的な統計学では、最尤法や最小二乗法とい
った推定方法を利用してモデルのパラメータを推定し、尤度、AIC、SBICや決定係数の大小で
モデル選択を行っていた。一方、ベイズ統計学におけるモデル選択の指標としては、周辺尤度
を用いて計算されるベイズ・ファクターやSpiegelhalter et al.(2002)で提案されたDICが挙げら
れる。ベイズ・ファクターはベイジアンの立場からモデル選択する際の基準としてよく知られ
ているが、その計算に大きな負担を強いられる。その点、DICの計算は追加的なサンプリング
を伴わず、計算上の負担が少ない。
Geweke=Terui(1993)では、2種類の状態を有するTARモデルについて、閾値 r と遅れ変数
d の結合事後密度を計算して、この密度を用いて閾値 r と遅れ変数 d を選択する。しかし、もっ
と複雑な形をしたTARモデルや、誤差項にもっと複雑な仮定(誤差項に t 分布やGARCH過程を
仮定すること)を課したモデルの場合についてまでは議論されていない。DICであれば、基本
− 4 −
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
的なTARモデルだけでなく、より広い範囲のモデルにも適用可能であり、その結果を用いてモ
デルを選択することができる。
本論文では、自己回帰モデルと2種類のTARモデルの合計3つのモデルの中から、ベイズ統
計学に基づいた指標であるDICによって最適なモデルを選び出す。
2.3 DICについて 4
DICはSpiegelhalter et al.(2002)で提案されたモデル選択のための指標である。モデルをデー
タ
に当てはめた際の確率密度関数を p(
ある。−2log p(
|
)を D(
|
)と表す。ただし、
)と記述し、D(
はモデルのパラメータで
)はモデルの当てはまりが良いほど小さい値
となる。一方、モデルの複雑さを表す部分 pD は次式の通りである。
pD は
の事後平均 を用いた場合の当てはまりの良さ と比べて、当てはま
りの良さの事後平均 がどの程度悪くなるかを示している。DICはモデル
の複雑さを表す pD と当てはまりの良さの事後平均 の和であり、
その値が小さいほど、当てはまりの良いモデルと考えられている。
3.パラメータ推定の推定方法
本論文では、上述した2つのモデルのそれぞれについてベイズ統計学の立場からパラメータ
を推定する。誤差項が正規分布に従う自己回帰モデルはギブズ・サンプリング法、誤差項が正
規分布に従うTARモデルはギブズ・サンプリング法とM=H法で推定する。以下で各モデルの
パラメータを推定するに当たって必要なフルコンディショナルな事後分布や採択確率などを紹
介しよう。
4
DICの解説は小西=越智=大森(2008)に大きく負っている。
− 5 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
3.1 誤差項が正規分布に従う自己回帰モデルのサンプリング
(1)で記述されるモデル1のパラメータは
とσ2 であり、事前分布としては無情報事前分
布(flat prior)を仮定する。本論文では2種類の状態のそれぞれにおいてARモデルが定常である
と仮定したので、
の事前密度は定常性を満たす範囲内では一定値、それ以外では0となる。
σの事前密度は、σが正の定数という制約を課すために p(σ)
となる。
とσ2 のフルコ
ンディショナルな事後分布はそれぞれ、以下の通りである。
ただし、 は定常性を満たす範囲内の値と仮定する。 はデータの全体{ y1,y2,…,yn }を表す。
ただし 、
である。
3.2 誤差項が正規分布に従うTARモデルのサンプリング
状態が2種類のTARモデルの推定では2つの自己回帰モデルのパラメータを推定することに
なる。状態1に対応する同モデルのパラメータを
と記述し、状態2に対応するパラメータを
(1)=(β (1),β (1),…,β (1))
’、σ 2
0
1
p
(1)
(2)=(β (2),β (2),…,β (2))
’、σ 2 と記述
0
1
p
(2)
する。
(1)
、
(2)
、
σ(1)2 、 σ(2)2 のサンプリングは前小節のARモデルの場合を参考にされたい。
本小節ではTARモデル固有のパラメータである閾値 r のサンプリングと遅れ変数 d の選択につ
いて説明することとする。
閾値 r にも無情報事前分布を仮定する。r のサンプリング方法にあたり、その候補を以下のよ
うに生成する。つまりランダムウォーク・サンプリングによって生成する。
r t=r t−1+εt
r t−1 を直前のサンプリングで選んだ値、r t を今サンプリングした値とする場合、r t とr t−1 の何
れを採用するかは以下の基準に従う。
u≦α( r t−1 , r t )ならば r t を採用する。
u>α( r t−1 , r t )ならば r t を棄却する。
ただし、u は[0,1]を取りうる値とする一様分布に従う確率変数、α( r t−1 ,r t )は採択確率
を表す。閾値 r にも無情報事前分布を仮定しているので、事前密度 p( r t )は常に一定値となる。
したがって、事後密度の比は約分されて、α( r t−1 ,r t )は以下のように簡略化される。
− 6 −
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
結局、r t を用いて計算した尤度と、r t−1 を用いて計算した尤度の比が採択確率α( r t−1 ,r t )に
なる。
遅れ変数 d は d =1,2,…と置いた上でパラメータを推定し、DICを計算する。DICの大きさ
によって d を選択する。ラグ数も同様の方法で選択する。
モデル3では閾値が2つあるので、閾値のサンプリングの際に大小が逆にならないように、
データの中位数によって閾値の取りうる範囲を2つに分けて、2つの閾値がそれぞれの範囲の
中でサンプリングされるように設定してある。
4.データの説明
4.1 生産者製品在庫率指数 5
在庫は、企業が需要にすぐに対応するために意図的に発生させる際に生じるだけでなく、企
業が製品を出荷する量を減らしても売れずに溜まってしまう場合(意図せざる在庫)にも生じ
る。したがって需要と供給の関係は在庫量の多寡だけで判断しきれない。そこで在庫量と出荷
量の2つを用いて計算される在庫率によって需要と供給の関係を判断する。在庫率指数が低下
する場合は、出荷量と比較して在庫量が相対的に減少するので、生産を拡大しても適正な在庫
量を確保できない、つまり需要が拡大している可能性があることを示している。一方、上昇す
る場合は、在庫量が相対的に増加するので、生産を減らしても過剰な在庫を抱えてしまう、つ
まり需要が減少している可能性があることを示している。したがって在庫率指数の低下は将来
の景気が良くなることを示唆し、その上昇は将来の景気が悪くなることを示唆する。このよう
に在庫率指数は景気に先立って変化するという性質を有するので、景気動向指数の先行指数を
構成している。
2005年基準の在庫率指数は342品目を用いて計算されている。生産指数が496品目を採用して
いることと比べると342品目は少ない。この理由は1.在庫量のデータを収集できない品目、2.
仕掛品在庫はあっても製品在庫のない品目、3.季節性が極めて強い品目、が存在することな
どである。342種類の在庫率をラスパイレス式で指数化したものが在庫率指数である。
5
生産者製品在庫率指数の解説は木村(2004)に大きく負っている。
− 7 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
在庫率指数の水準は景気に先行して変化する可能性があることが示されたので、次に在庫率
指数の‘変化率’の意味を考えてみよう。在庫率の変化率が正値ということは、在庫率の水準
が上昇していることであり、負値ということは、その水準が減少していることである。また在
庫率の変化率が上昇しているとは、在庫率の水準が加速的に増加していることであり、減少し
ているとは、その水準が加速的に減少していることである。そして、在庫率の変化率に閾値が
あるとは、在庫率が変化する際に、ある値を境に在庫率の変化の挙動が変わることを意味する。
本論文では、2005年を100とする月次データの生産者製品在庫率指数(鉱工業用生産財)の3
ヶ月ごとの平均を計算して、同指数を四半期データに直し、このデータの変化率を分析する。
標本期間は1975年第1四半期∼2008年第2四半期である。ただし、最大で5次のラグを考える
ので、最初の5個のデータを利用しないことによって、全体の尤度を計算する際に足し合わせ
る個別の尤度の個数が一定(128個)となるように調整してある。
図1:生産者製品在庫率指数(鉱工業者生産財)の推移
図2:生産者製品在庫率指数(鉱工業用生産財)の変化率(%)の推移
− 8 −
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
図1に示すように、在庫率指数は循環的な動きをしていることが分かる。図2に示された、
同指数の変化率も循環的な動きをしているように思われる。図2から変化率が増加あるいは減
少し続けることが読み取れる。これは在庫水準が加速的に変化するが、大きな変化を境に反転
することを示している。
4.2 Tsay(1989)の F 検定
状態が2つのTARモデルを対立仮説、同じラグ次数のARモデルを帰無仮説とするTsay(1989)
のF検定を用いて、在庫率指数の変化率にとってTARモデルとARモデルの何れが適当であるの
かを検定する。四半期データを利用しているので、ラグ次数は4まで考慮した。したがって検
定したモデルは10種類である。表1に示す通り、変化率データの中で、有意水準5%で帰無仮
説が棄却され、TARモデルが適切と考えられたモデルは2種類であった。有意水準1%の場合
は1種類であった。またADF検定を行った結果、この変化率には単位根が存在しないことが明
らかとなった。
表1:非線形性の検定結果(1975. Q1∼2008. Q2)
モデル
TAR(1,1)
TAR(2,1)
TAR(2,2)
TAR(3,1)
TAR(3,2)
F 値
1.046
1.287
1.018
0.998
3.636**
モデル
TAR(3,3)
TAR(4,4)
TAR(4,2)
TAR(4,3)
TAR(4,4)
F 値
1.324
1.194
2.493*
1.098
2.219
注:*印は有意水準5%で、**印は有意水準1%で帰無仮説(ARモデル)が棄却されることを示す。
5.パラメータとDICの推定
5.1 自己回帰モデルにおけるパラメータとDICの推定
自己回帰モデルのパラメータをベイズ推定するに当たっては事前分布として無情報事前分布
を仮定してある。ゆえに第3節で紹介したような、フルコンデョショナルな事後分布を用いて
推定する。対数尤度とDICを推定した結果を以下の表2にまとめておこう。四半期データを扱
っているので、ラグ次数が5までのモデルを分析対象とした。計算に当っては、3万回のサン
プリングを行い、最後の1万回のサンプリングの結果から、事後平均などの統計量を計算して
ある。定常なARモデルを推定するので、
のサンプリングにあたり、定常性を満たさない値
がサンプリングされた場合は捨て、定常性を満たす値のみをサンプリングされた値として採用
し、事後平均などの推定量の計算に利用する。したがって3万回以上のサンプリングを行う必
要がある。この後で推定結果を示すTARモデルでも、この点は共通にしている。
− 9 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
表2:自己回帰モデルの対数尤度とDIC(1975. Q1∼2008. Q2)
モデル
AR(1)
AR(2)
AR(3)
AR(4)
AR(5)
対数尤度
−298.55
−295.96
−295.85
−285.48
−285.51
603.01
599.86
601.59
582.91
584.96
DIC
表2のDICの最小値は、ラグ次数が2のAR(4)の582.91である。DICに基づいてARモデルの
中からモデルを1つ選ぶとすれば、このモデルが選ばれる。AR(4)モデルのパラメータの推定
結果を以下の表3に示す。
表3:AR(4)の推定結果
パラメータ
事後平均
事後標準偏差
事後自己相関
β0
−0.02767
0.20350
−0.01088
β1
0.64281
0.08571
−0.04169
β2
−0.22495
0.10033
−0.05006
β3
0.21592
0.09954
−0.02831
β4
−0.38142
0.08174
0.02132
σ2
5.38453
0.70778
0.00856
DIC
582.91
対数尤度
−285.48
5.2 片側TARモデルにおけるパラメータとDICの推定
本論文では状態が2種類のTARモデルを扱っているが、遅れ変数 d と自己回帰係数 p のラグ
の取り方によって多種多様なモデルを含んでいる。そこで、d ≦ p という制約をつけると、自
己回帰係数 p として1から4の整数を考えたので考えられるモデルは全部で10種類ある。その
中でTsay(1989)によってTARモデルが有意と判断された2種類の片側TARモデルについて対
数尤度とDICを計算した。
無情報事前分布に基づいてパラメータをベイズ推定したので、第3節で紹介したようなフル
コンディショナルな事後分布を用いて推定する。モデル2では、2種類の状態のそれぞれにお
いてARモデルが定常であると仮定したので、サンプリングされた
(1)と
(2)が定常性の条件
を満たさない場合、事後平均などを計算するサンプルに含めない。表4に2種類の片側TARモ
デルの対数尤度とDICの推定値を示しておく。推定に当たっては3万回のサンプリングを行い、
最後の1万回のサンプリングの結果から、事後平均などの統計量を計算してある。閾値のサン
プリングは、その上限と下限を全データの85%点と15%点に設定した上で行っている。6
6
Enders(2004)に従っている。
− 10 −
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
表4:片側TARモデルの対数尤度とDIC(1975. Q1∼2008. Q2)
モデル
TAR(3,2)
TAR(4,2)
対数尤度
−289.08
−277.90
DIC
590.44
573.60
n 1 ,n 2
62,66
46,82
表2と表4のDICを同じラグ次数同士で比較するとTARモデルの方が小さくなっている。こ
れはTsay(1989)の検定結果と整合的である。表4のDICの最小値は、p =4,d =2の片側
TARモデルの573.60である。 DICに基づいて片側TARモデルの中からモデルを1つ選ぶとすれ
ば、このモデルが選ばれる。片側TARモデル( p =4,d =2)のパラメータの推定結果を以下
の表5に示す。
表5:片側TARモデル( p = 4,d = 2)の推定結果
パラメータ
事後平均
事後標準偏差
事後自己相関
β0(1)
0.02477
0.99673
0.42492
β1(1)
0.98572
0.15473
0.10795
β2(1)
−0.74300
0.25174
0.15314
β3(1)
0.53583
0.25539
0.36598
β4(1)
−0.25152
0.16366
0.02193
σ(1)2
4.95469
1.35123
0.08271
β0(2)
0.12399
0.51540
0.47408
β1(2)
0.47831
0.12518
0.27458
β2(2)
−0.07667
0.14517
0.08723
β3(2)
0.09988
0.13364
0.08410
β4(2)
−0.42701
0.10425
0.13528
σ(2)2
4.96510
0.91941
0.10165
r
−1.13968
1.13620
0.84361
DIC
573.60
対数尤度
−277.90
注:閾値の採択確率=0.2107, n 1=46, n 2=82.
5.3 両側TARモデルにおけるパラメータとDICの推定
閾値が1つの片側TARモデルを推定した結果、閾値のサンプリングの分布が単峰とならない
場合もあり、閾値が2つの場合が示唆されたので、閾値が2つの両側TARモデルを推定した。
Tsay(1989)ではARモデルを帰無仮説、閾値が1つの片側TARモデルを対立仮説としている。
したがって、閾値が2つの両側TARモデルとARモデルの関係は検証されていない。そこでラグ
− 11 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
次数 p が1から4の範囲において考えられうる、10種類の両側TARモデルの全てについて、対
数尤度とDICを計算した。無情報事前分布に基づいてパラメータをベイズ推定したので、第3
節で紹介したようなフルコンディショナルな事後分布を用いて推定する。モデル3でも、2種
類の状態のそれぞれにおいてARモデルが定常であると仮定したので、サンプリングされた
と
(1)
(2)が定常性の条件を満たさない場合、事後平均などを計算するサンプルに含めない。表6
に10種類の両側TARモデルの対数尤度とDICの推定値を示しておく。
表6:両側TARモデルの対数尤度とDIC(1975Q1∼2008Q2)
モデル
TAR(1,1)
TAR(2,1)
TAR(2,2)
TAR(3,1)
TAR(3,2)
対数尤度
−278.10
−283.47
−300.93
−287.11
−287.55
DIC
506.86
581.89
563.92
593.89
620.14
n 1 ,n 2
33,95
71,57
72,56
63,65
43,85
モデル
TAR(3,3)
TAR(4,1)
TAR(4,2)
TAR(4,3)
TAR(4,4)
対数尤度
−287.47
−281.60
−277.69
−271.07
−278.42
DIC
632.06
596.96
605.20
604.80
631.06
n 1 ,n 2
52,76
56,72
50,78
54,74
48,80
表6のDICの最小値は、p = 1,d = 1の両側TARモデルの506.86である。DICに基づいて両側
TARモデルの中からモデルを1つ選ぶと、このモデルが選ばれる。p = 1,d = 1の両側TARモデ
ルのパラメータの推定結果を以下の表7に示す。
表7:両側TARモデル( p = 1,d = 1)の推定結果
パラメータ
事後平均
事後標準偏差
事後自己相関
β0(1)
0.08261
0.31653
0.04498
β1(1)
0.17023
0.06904
0.01391
σ(1)2
2.86667
0.78773
0.00174
β0(2)
0.00702
0.25413
0.04037
β1(2)
0.90537
0.06704
0.00800
σ(2)2
5.73020
0.86972
−0.01936
r1
2.96915
0.08856
0.48684
r2
−3.35802
0.21743
0.62485
DIC
506.86
対数尤度
−278.10
注:閾値の採択確率=0.1019, n 1=33, n 2=95.
− 12 −
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
6.結論
本論文では、ARモデルと2種類のTARモデルを用いて、生産者製品在庫率指数(鉱工業用生
産財)の四半期データの変化率をベイズ統計学の立場から分析した。2種類のTARモデルに対
しては、両方とも状態が2種類であるとともに、それぞれの状態におけるARモデルは定常であ
ると仮定した。
DICに基づいて5種類の定常なARモデルからモデルを選択したところ、ラグ次数が4の
ARモデルのDICが582.91で最小となった。次に、Tsay(1989)のF検定によってARモデルよ
りも適切であると有意に判断された2種類の片側TARモデルのそれぞれをベイズ推定した。
その結果、片側TARモデルのDICは同じラグ次数のARモデルよりも小さくなっていた。これ
はF検定の結果と整合的である。推定した2種類の片側TARモデルの中では、片側TARモデ
ル( p = 4,d = 2)のDICが573.60で最小となった。最後に両側TARモデルをベイズ推定したと
ころ、DICの最小値は両側TARモデル( p = 1,d = 1)の506.86であった。したがって両側TAR
モデル( p = 1,d = 1)はDICが最小なので、推定した全てのモデルの中で最適であることが
示唆された。
線形モデルであるARモデルのDICの最小値は582.91であるから、片側TARモデル( p = 4,
d = 2)の最小DIC及び両側TARモデル( p = 1,d = 1)の最小DICよりも大きい。したがって、
このデータについては、ARモデルよりも、非線形モデルの一種であるTARモデルで記述する方
が適当であると考えられる。
DICが最小となった両側TARモデル( p = 1,d = 1)の閾値の推定結果は−3.36と2.97であっ
た。したがって、生産者製品在庫率指数(鉱工業用生産財)の変化率は、1期前の変化率が−
3.36と2.97の間にある場合とそれ以外の場合とでその挙動が変わることが示された。1期前の変
化率が−3.36以下、あるいは2.97以上の場合を状態1、そして−3.36と2.97の間にある場合を状
態2と名付ける。このとき、状態1は33個、状態2は95個となり、状態1は全体の26%弱とな
った。状態2では、回帰係数 β1(2)が約0.9で分散 σ(2)2も比較的大きいので、かなりランダム
な動きをする半面、外側の状態である状態1では回帰係数 β1(1)が約0.17で分散 σ(1)2 も比較的
小さいので、定常的な動きをすることが示された。つまり大きな変化が起きた場合には、その
後の変化が弱まるが、小さな変化が起きた場合にはランダムに変化することが示唆された。
参考文献
[1] Clements, M. P. and H-M. Krolzig, 1998, “A Comparison of the Forecast Performance of Markov-Switching and
Threshold Autoregressive Models of US GNP” Econometrics Journal, Vol.1, pp.47-75.
nd
[2] Enders, W.,2004, Applied Econometric Time Series(2 Ed.), Wiley.
− 13 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
[3] Gelman, A., J. B. Carlin, H. S. Stern, D. B. Rubin, 2004, Bayesian Data Analysis, 2nd ed. Chapman & Hall.
[4] Geweke, J. and N. Terui, 1993, “Bayesian Threshold Autoregressive Models for Nonlinear Time Series” Journal of
Time Series Analysis, Vol.14, pp.441-454.
[5] Granger, C.W. J. and T. Terasvirta ,1994, Modelling Nonlinear Economic Relationships, Oxford Univ. Press.
[6] 刈屋武昭=照井伸彦,1997,『非線形経済時系列分析法とその応用』,岩波書店.
[7] 刈屋武昭=矢島美寛=田中勝人=竹内啓,2003,『経済時系列の統計』,岩波書店.
[8] 木村俊文,2004,「鉱工業指数(その4)」,金融市場,2004年8月号,pp.16-17,農林中金総合研究
所.
[ 9] 小西貞則=越智義道=大森裕浩,2008,『計算機統計学の方法 −ブートストラップ・EMアルゴリズ
ム・MCMC−』,朝倉書店.
[10] Koop, G., 2003, Bayesian Econometrics, John Wiley & Sons.
[11] Koop, G. and S.M.Potter, 1999, “Bayes Factors and Nonlinearity : Evidence from Econometric Time Series”
Journal of Econometrics, Vol88, pp.251-281.
[12] Koop, G. and S.M.Potter, 2000, “Nonlinearity, Structural Breaks, or Outliers in Economic Time Series”
Nonlinear Econometric Modeling in Time Series Analysis, Cambridge Univ. Press.
[13] Kräger, H. and P. Kugler, 1993, “Non-linearities in Foreign Exchange Markets : A Different Perspective” Journal
of International Money and Finance, Vol.12, pp.195-208.
[14] Michael, P., A.R. Nobay and D.A. Peel, 1997, “Transactions Costs and Nonlinear Adjustment in Real Exchange
Rates : An Empirical Investigation” Journal of Political Economy, Vol.105, pp.862-879.
[15] 中妻照雄,2003,『ファイナンスのためのMCMC法によるベイズ分析』,三菱経済研究所.
[16] 尾崎統,1998,「非線形モデル」,『時系列解析の方法』所収,朝倉書店.
[ 17 ] 大森裕浩,2001,『マルコフ連鎖モンテカルロ法の最近の展開』,日本統計学会誌,第31巻3号,
pp.305-344.
[18] Petruccelli, J. and N. Davies,1986, “A Portmanteau Test for Self-Exciting Threshold Autoregressive-type
Nonlinearity in Time Series” Biometrika, Vol.73, pp.687-694.
[19] Potter, S.M., 1995, “A Nonlinear Approach to US GDP” Journal of Applied Econometrics, Vol.10, pp.109-125.
[20] Sarantis, N., 1999, “Modelling Non-linearities in Real Effective Exchange Rates” Journal of International Money
and Finance, Vol.18, pp.27-45.
[21] Sarantis, N., 2001, “Nonlinearities, Cyclical Behavier and Predictability in Stock Markets : International Evidence”
International Journal of Forecasting, Vol.17, pp.459-482.
[22] Spiegelhaiter, D.J. et al. 2002, “Bayesian Measure of Model Complexity and Fit” Journal of Royal Statistical
Society B, Vol.64, pp.583-639, 2002
[23] Tong, H. and K.S.Lim, 1980, “Threshold Autoregression, Limit Cycles and Cyclical Data” Journal of Royal
− 14 −
閾値自己回帰モデルの生産者製品在庫率指数の変化率への応用とモデル選択―ベイジアン・アプローチ―−砂田
Statistical Society ; Series B, Vol.42, pp.245-292.
[24] Tsay, R. S., 1989, “Testing and Modelling Threshold Autoregressive Processes”, Journal of the American
Statistical Association, Vol.84, pp.231-40.
[25] 山本拓,1988,『経済の時系列分析』,創文社.
[26] 和合肇,2005,『ベイズ計量経済分析』,東洋経済新報社.
− 15 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
Bayesian Analysis on Index of Producer's Inventory Ratio of
Finished Goods by Threshold Autoregressive Model
Hiroshi SUNADA
(Department of Law, Economics and Public Policy,
Faculty of Literature and Social Sciences)
In this paper we analyzed change rate of Japanese Index of Producer's Inventory Ratio of Finished
Goods(Producer Goods For Mining and Manufacturing)by threshold autoregressive model.
Firstly we consider the threshold autoregressive model in which there is one threshold(hereafter
TAR1 model). We use the test which is presented by Tsay(1989)for this data and compare varidity of
the TAR1 model with auto regressive model(hereafter AR model)of same lag. In two cases, the validity
of TAR1 model is shown. But we can’t compare validity of TAR1 model with that of AR model whose
lag is different. Then we calculate DIC(Deviance Information Criterion)for both AR model and two
TAR1 model. DIC suggest validity of TAR1 model and that most valid model is TAR1 model(p=4,
d=2).
Secondly we consider the threshold autoregressive model in which there are two thresholds(hereafter
TAR2 model). We calculate DIC for TAR2 model and compare with those of TAR1 model and AR
model. DIC suggest validity of TAR2 model and that most valid model is TAR2 model(p=1, d=1).
− 16 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
道路整備における費用・便益分析
―ガソリン税を考慮した場合―
貝 山 道 博
(人文学部 法経政策学科)
1.はじめに
道路整備における便益の計測に際しては、①道路整備により道路交通サービス利用者全員が得
る便益(発生ベースの便益)、②道路整備の一般均衡論的波及を考慮した上で各経済主体に最終
的に及ぶ便益の総計(帰着ベースの便益)
、これら方法のどちらかで計測するのが一般的である。
発生ベースの便益は直接効果とも呼ばれているが、これは道路交通サービスの1単位当たり
の一般化費用(金銭的な費用のほかに時間費用を金額換算したものを含めて定義される)の低
下に伴う道路交通サービス利用者の消費者余剰の変化分で計測される。
道路交通サービスはそれ自体が需要の目的ではなく、生産物の生産地から消費地への輸送と
か、街に買い物に行くための移動などのように、本来の目的を達成するための派生的な需要で
あることが多い。この場合には、便益の最終的な帰着先を見極め、それらが享受する便益を確
定しなければならない。例えば、道路投資によって発着地間の輸送時間が短縮され、その結果
トラック輸送の一般化費用が低下した場合を考えてみると、このことから直接に便益を受ける
のは、道路交通サービスを需要するトラック輸送業者である。しかしながら、道路投資の一般
均衡論的波及を経て、輸送される生産物の消費者価格(購入者価格)が低下すれば、消費者は
そのことにより利益を受ける。こうした消費者価格の低下が需要を増やし、その結果生産物の
生産者価格が上昇すれば、生産者も利益を得る。このようなときには、消費者、生産者それぞ
れが得る消費者余剰、生産者余剰の合計で道路投資の便益を計測するのが自然であろう。
本稿の末に掲げている「付録」1)で証明されているように、あらゆる市場に歪み(distortion)
がなければ、道路整備の便益を発生ベースと帰着ベースのどちらで計っても同じである。両者
は言わばコインの表と裏の関係にある。しかしながら、どこかの市場に歪みがある場合には、
この同値関係は成立しなくなる 2)。
発生ベースでの便益計測の場合、道路交通サービス需要曲線を推計することで事足りるので、
実証分析のためには非常に便利であるが、それが理論的に正当化されるのはすべての市場に歪
みがない場合に限られる。現実には、市場に歪みをもたらす様々な要因が存在している。企業
や政府が限界費用価格形成原理に従って価格付けをしていない場合、政府により一括固定額税
− 17 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
以外の課税がなされている場合などがそれに相当する。このようなときには、帰着ベースの便
益計測に頼らなければならない。
本稿の目的は、ガソリン税を考慮した場合の高速道路整備の費用・便益の計測方法を明らか
にすることである。これまで、貝山(1993)の第6・8章、貝山(1996)および貝山(2003)
において、企業や政府が限界費用価格形成原理に従って価格付けをしていない場合を含む、い
くつかの市場に歪みをもたらす要因を持つ経済における道路整備の便益の計測方法が提示され
てきた 3)。ここでは、ガソリン税という新たな歪みをもたらす要因を追加導入した場合の計測
方法について論じることにする。
2.理論モデル
我々が想定する経済には、個人、合成財を生産・供給する企業、無料と有料の2種類の道路
交通サービスを供給する政府の3つの経済主体が存在している。個人は合成財、2種類の道路
交通サービスおよび余暇を需要し、消費する。合成財生産企業(以下単に企業と言う)は労働
サービスおよび2種類の道路交通サービスを投入し、合成財を産出する。また、企業が得た利
潤はすべて株主である個人に分配される。政府は高速道路交通サービス市場では料金を課し、
一般道路交通サービス市場では料金を課さないが、それぞれの道路交通サービスを利用する際
に必要な合成財(ガソリン)の費消に対し税金(ガソリン税)を課す。政府は得たあらゆる収
入を個人に分配する。
以下、各経済主体の行動について詳述する。
[1]個人
個人の効用関数は次の通りである。
(1)U= U(C,T 1c,T 2c,R)
ここで、
U:個人の効用水準
C:個人の合成財消費量
T 1c:個人の高速道路交通サービス1の消費量
T 2c:個人の一般道路交通サービス2の消費量
R:個人の余暇時間
また、個人の予算制約式と時間制約式は次のように示される。
− 18 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
予算制約式:
(2)C+{ r 1 +(1+g)q 1 }T 1c +(1+ g )q 2 T 2c ≦ wLS +П+ G
ここでは合成財をニュメレールにとり、その価格を1としている。記号の意味は次の通り。
r 1 :高速道路交通サービス1単位当たりの料金(一定)
q 1:高速道路交通サービスを1単位利用するのに必要な合成財の費消量
g :ガソリン税率(一定)
q 2:一般道路交通サービスを1単位利用するのに必要な合成財の費消量
w:賃金率(1時間当たり賃金/人)
L S :個人の労働供給時間
П:個人が企業から配当される利潤(利潤は全て配当されるものとする)
G:政府から個人に配分される一括補助金(政府が得た高速道路料金収入及びガソリン税
収入は全て個人に配分されるものとする)
時間制約式:
(3)t 1 T 1 c + t 2 T 2 c +R+L S ≦ H
ここで、
t 1 :高速道路交通サービス利用量1単位当たりの所要時間
t 2 :一般道路交通サービス利用量1単位当たりの所要時間
H:個人の総利用可能時間(一定)
個人は、予算制約式(2)
、時間制約式(3)および r 1 、g、q 1 、t 1 、q 2 、t 2 、w、П、Gおよ
び H が所与という制約の下で、効用関数(1)を最大にするような C 、T 1 c 、T 2 c 、L S および R
を決定するように行動する。この問題を解くために以下のようにラグランジュ関数を定義する。
X= U( C,T 1c,T 2c,R )+λ[wL S +П+G−C−{ r 1 +(1+g)q 1 }T 1c−(1+g)q 2 T 2c]
+μ(H−t 1 T 1c − t 2 T 2c − R − L S )
これをC 、T 1 c 、T 2 c 、L S および R について偏微分してゼロと置くことにより、次の式を得る。
∂X/∂C=∂U/∂C−λ= 0
∂X/∂T 1c =∂U/∂T 1c −λ{ r 1 +(1+g)q 1 }−μt 1 = 0
∂X/∂T 2c =∂U/∂T 2c −λ(1+g)q 2 −μt 2 = 0
∂X/∂R=∂U/∂R−μ= 0
∂X/∂L S =λw−μ= 0
これらを整理することにより、効用最大化条件として次の式を得ることができる 4)。
(4)(∂U/∂T 1 c )
(∂U/∂C
/
)= r 1 +( 1+g )q 1 + w t 1
(5)(∂U/∂T 2 c )
(∂U/∂C
/
)=( 1+g )q 2 + w t 2
− 19 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
[2]企業
企業の生産関数は次のように表されるものとする 5)。
(6)Q = F( L * d,T1F,T2F )、ただし L * d = L d − t 1 T1F−t 2 T2 F
ここで、
Q:企業の合成財生産量
L * d:企業の直接労働投入時間
T1F:企業の高速道路交通サービス利用量
T2F:企業の一般道路交通サービス利用量
L d :企業の雇用労働時間
この企業の利潤は次のように定義される。
(7)П = Q−wLd−{ r 1 +( 1+g )q1 }T1F−( 1+g )q 2 T2 F
ここで、
П:企業の利潤
この企業が利潤最大化行動をとるとすれば、生産関数(6)および t 1、r 1、q 1、t 2 、r 2 、q 2
および w は所与という制約の下で、利潤(7)を最大にするような Q、L d 、L * d、T1F および
T2F を決定することになる。このとき、利潤最大化条件は以下のように表される。
(8)∂F/∂L * d = w
(9)∂F/∂T1F = r 1 +( 1+g )q1 + w t 1
(10)∂F/∂T2F =( 1+g )q 2 + w t 2
[3]政府
政府は高速道路利用者から利用料金を徴収し、それを個人に分配する。また、ガソリン税収
入も個人に分配する。それゆえ、次の関係式が成り立つ。なお、簡単化のため、道路の維持・
管理費用はゼロとする 6)。
(11)r 1( T1C + T1F )+g( q1 T1C + q2 T2C + q1 T1F+q2 T2F )= G
3.交通施設整備の便益
いま高速道路交通サービスを供給する高速道路が整備され、その結果この高速道路交通サー
ビス利用量1単位当たりの所要時間 t 1 が短縮されたとする。これが直接的には高速道路交通サ
ービスの一般化価格 p1(= r 1 +( 1+g )q 1 + w t 1 )を低下させ、高速道路交通サービスに対す
る需要を増加させる。その一部は相対的に高くなった一般道路交通サービスに対する需要から
− 20 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
のシフトであろう。これは一般道路交通サービスに対する需要を減少させ、一般道路での混雑
を緩和させるように作用するであろう。一般道路での混雑の緩和は一般道路交通サービス利用
量1単位当たりの所要時間 t 2 を短縮させ、ひいては一般道路交通サービスを1単位利用する際
に費消する合成財の量 q 2 を減少させよう。このことが一般道路交通サービスの一般化価格
p 2(=( 1+g )q 2 + w t 2 )を低下させ、高速道路交通サービス市場にシフトした交通サービス需
要量を一部取り戻すことになる。高速道路交通サービス市場と一般道路交通サービス市場との
間でこうしたやり取りが繰り返され、最終的には、どの市場でも道路交通サービス需要量も、
またその価格も変化しない一般均衡状態が再び確立されるであろう。
言うまでもなく、高速道路交通サービス市場で生じたこうした変化は、一般道路交通サービ
ス市場だけではなく、それ以外の市場、合成財市場や労働市場にも波及していく。それゆえ、
新しい均衡状態では、あらゆる市場価格が新しい均衡水準に変化し、したがって均衡取引量も
変化するものと思わなければならない。
このような一般均衡的波及を考慮した場合、高速道路整備の便益をどのように計測すればよ
いのであろうか。それがここでの問題である。
高速道路整備により個人の最大効用水準も変化するが、ここではその変化分を金額換算した
もの、モデルに即して言えば、合成財で測ったものを高速道路整備の便益 B と定義する 7)。す
なわち、
(12)B = dU/(∂U/∂C)= dU/λ
ここで、λは先に定義したラグランジュ関数の未定乗数で、所得の限界効用と解釈される。
まず、(1)を全微分して(12)に代入すると、次式を得る。
(13)B =(1/λ)
・
{(∂U/∂C)dC+(∂U/∂T 1c)dT 1c+(∂U/∂T 2c)dT 2c+(∂U/∂R)dR }
次に、(13)に効用最大化条件として得られる次式を代入する。
/ r1+( 1 + g )q1+wt 1 }=(∂U/∂T 2c){
/ ( 1+g )q2+wt 2 }
λ=∂U/∂C=(∂U/∂T 1c){
=(∂U/∂R)/ w
その結果は以下のようになる。
(14)B=dC+{ r1 +( 1 + g )q1+wt 1 }dT 1c +{( 1+g )q2+ wt 2 }dT 2c+wdR
さらに、(14)に時間制約式(3)の不等号をとって全微分した次の式、
dR = −T 1c dt 1− t1dT 1c − T 2c dt2− t 2dT 2c −dLs
を代入すると、以下のようになる。
(15)B=dC+{ r1 +( 1+g )q1+wt 1 }dT 1c+{( 1+g )q2+ wt 2 }dT 2c
−wT 1c dt1 − wt1dT 1c − wT 2c dt2 − wt2dT 2c − w dLs
加えて、合成財需給均衡式、
(16)C +q1( T 1c + T 1F )+ q2( T 2c + T 2F )= Q
− 21 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
労働サービス需給均衡式、
(17)Ld = Ls
および、高速道路、一般道路の各交通サービスの総利用量 T1 、T2 の定義式、
(18)T 1c + T 1F = T1
(19)T 2c + T 2F = T2
をそれぞれ全微分した式、
dC=dQ−(T 1c + T 1F)dq1 − q1(dT 1c + dT 1F)−(T 2c + T 2F)dq2 − q2(dT 2c + dT 2F)
dLs=dLd
dT 1c = dT 1−dT 1F
dT 2c = dT 2−dT 2F
を(15)に代入すると以下の式を得ることができる。
(20)B =[dQ− w dLd −{ r1+( 1+g )q1 }dT1F − T1F( 1+g )dq1
−( 1+g )q2 dT 2F − T 2F( 1+g )dq2 ]
+[ r1dT1+g{ d(q1T1 )+d(q2 T2 )}]
−[{( 1+g )dq1 + w dt1 }T 1c +{( 1+g )dq2 + w dt2 }T 2c ]
= dП|w=const.+ dG−( T 1c ・dp1|w=const.+ T 2c ・dp2|w=const.)
ここで、仮定により、r 1 は高速道路整備に関わらず一定であるから、dr1 = 0 となることに注意
せよ。
(20)の右辺の解釈は容易である。第1項は高速道路整備以前の賃金率 w で評価したときの
企業の利潤の変化分である 8)。第2項は政府の道路料金収入及びガソリン税収入の変化分であ
る。ただし、これについては w が直接絡んでこないから、高速道路整備以前の賃金率 w で評価
するという但し書きを付ける必要がない。第3項は次のように解釈できる。すなわち、時間評
価値として高速道路整備以前の賃金率 w を使った場合、高速道路整備以前と同じ量だけ各道路
交通サービスを利用したとしたら、個人は全体でどれだけ一般化費用を節約できるかを表して
いる。
(20)を得るにあたって、利潤最大化条件を一切使ってはいない。それゆえ、価格体系を歪
ませるような行動を合成財生産企業がとった場合でも、
(20)は成立することに注意しなければ
ならない。また、高速道路が整備されたという想定の下で便益を計測したが、その結果高速道
路交通サービスの一般化価格のみならず、一般道路交通サービスの一般化価格も変化するから、
因果関係が逆でもこの議論は成り立つことにも注意しなければならない 9)。一般道路が混雑し
ておらず、従って、一般道路交通サービスの一般化価格が高速道路整備により変化しなければ、
T 2c ・dp2|w=const.=0となるから、個人が高速道路整備から得る便益は道路整備が行われた当
該交通市場、すなわち、高速道路交通サービス市場でのみ発生することになる。
− 22 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
かくして、次の命題を得る。
命題1:どの道路についても非効率的な固定的料金が課せられている場合
道路交通サービス市場だけでなく、合成財市場にも価格体系に歪みがある経
済では、道路整備の便益は次の公式により計測できる。
道路整備の便益
= 整備前の賃金率で評価した企業の利潤の変化分
+
政府の高速道路料金収入及びガソリン税収入の変化分の合計
+
整備前と同じ道路交通サービスを需要したとしたときの、
整備前の賃金率で評価した個人の各道路交通サービスに
ついての一般化費用の節約分の合計
企業がプライス・テイカーとして利潤最大化行動をとっている場合、言い換えれば、限界費
用価格形成原理に従って価格付けがなされている場合、先の命題はどのように変更されるだろ
うか。このとき、なお3種類の価格の歪みが存在することになる。言うまでもなく、それらの
うち2つは道路交通サービス市場に存在する。というのは、政府は高速道路交通サービスにつ
いてはその限界費用に関係なく一定の道路料金を課しており、一般道路交通サービスについて
は料金を徴収していない(あるいは、ゼロの料金を課している)からである。最後の一つはガ
ソリン税である。
(7)に(6)を代入して全微分し、利潤最大化条件(8)∼(10)を利用すると次式を得
る。
(21)dQ−w dLd −{ r 1+( 1+ g )q 1 }dT1F −( 1+g )T1F dq1−( 1+ g )q2 dT2F −
( 1+ g )T2F dq2
=−[{( 1+g )dq 1 + w dt1 }T1F +{( 1+g )dq2+w dt2 }T2F ]
それゆえ、この場合(20)は次のように書き換えられる。
(22)B=−[{( 1+g )dq 1 + w dt1 }T1F +{( 1+g )dq2+w dt2 }T2F ]
+[ r 1d T 1+g{ d( q1 T1 )+d(q2 T2)}]
−[{( 1+g )dq 1 + w dt1 }T1C +{( 1+g )dq2+w dt2 }T2C ]
=dG−( T1・dp1|w=const.+T2・dp2|w=const. )
かくして、次の命題を得る。
− 23 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
命題2:どの道路についても非効率的な固定的料金が課せられている場合
企業が限界費用価格形成原理に基づいて行動しているが、どの道路料金もそ
れに基づいて設定されていない経済では、道路整備の便益は次の公式により
計測できる。
道路整備の便益
= 政府の高速道路料金収入及びガソリン税収入の変化分の合計
+
整備前と同じ道路交通トリップを行ったとしたときの
整備前の賃金率で評価した個人と企業の各道路交通サービスに
ついての一般化費用の節約分の総計
4.便益・費用の計測
ここでは、命題2に従った場合における高速道路整備における費用・便益分析のための費用
と便益の計測方法を説明する。高速道路整備プロジェクト全体の費用は、建設期間中の各年の
用地取得費用を除く建設費用(投資費用)の現在価値の総和である。その全体の便益は、当該
自動車道が供用される期間中の各年の
政府余剰
(=高速道路料金収入−高速道路及び一般道路の維持・管理費用+ガソリン税収入)、
個人及び企業が高速道路を利用する際に要する一般化費用
(=高速道路料金+時間費用+税込みガソリン費消額)、
個人及び企業が一般道路を利用する際に要する一般化費用
(=時間費用+税込みガソリン費消額)、
それぞれについての変化分の現在価値の総和ということになる。
実際の便益の計測にあたっては、高速道路が整備されても一般道路の維持・管理費用が変わ
らないと想定して、まずは高速道路が整備されたことによる旧高速道路公団の余剰(=整備さ
れた高速道路の高速道路料金収入−当該道路の維持・管理費用)を計算する。次に、ガソリン
税収入の高速道路整備前後の差額を計算する。一般化費用に関しては、各 OD ペアーの交通量
が整備前後で変わらないという想定のもとに、各 OD ペアーについて、一般道路から高速道路
に転換しない交通については、整備前の一般道路の一般化費用から整備後のそれを差し引き、
− 24 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
それを便益とする(高速道路の整備により周辺の一般道路の混雑が緩和されない場合にはゼロ)。
一般道路から高速道路に転換する交通については、整備前の一般道路の一般化費用から整備後
の高速道路の一般化費用を差し引き、それを便益とする。
ここで、一つの適用事例を紹介する。対象路線は、磐越自動車道いわきJCT・会津坂下区間
である。この区間は昭和53年に建設を開始し、平成7年で終了している。供用期間は完成後30
年間と想定する。価格はすべて平成12年価格で、費用・便益等の現在価値の計算の際には、
4%の割引率を適用する 10)。
結果は以下の通りである。
<採算性>
建設費用A=8,518億円
維持管理費用B=1,193億円
建設・維持管理費用合計C=9,711億円
高速道路料金収入D=3,377億円
高速道路公団収支E(=D−C)=−6,334億円
<経済性>
建設・維持管理費用合計C=9,711億円
高速道路料金収入D=3,377億円
対象区間外高速道路料金収入増F=451億円
ガソリン税収増G=−25億円
高速道路利用者一般化費用節約額H=13,017億円
便益 I(=D+F+G+H )=16,820億円
純便益 J(=I−C )=7,109億円
費用・便益比率 K(=I/C )=1.73
5.むすび
これまで見てきたように、道路整備の便益はそれが帰着する先の便益の総計で図るのが正当
であるが、どの市場にも歪みがない場合には、道路交通サービス市場で発生する便益で計測す
ることもできる。その場合には、帰着ベースの便益と発生ベースの便益が等しくなるからであ
る。
しかしながら、どこかの市場に歪みが存在する場合には、道路整備の便益は、発生ベース便
益の一部と帰着ベース便益の一部を加味したものになる。その際、帰着ベース便益に加味され
− 25 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
るべきものは、市場に歪みをもたらす要因に直接関係する経済主体が得る帰着ベースの便益で
ある。例えば、企業が限界費用価格形成原理に従った行動をとっていなければ、その企業の利
潤の変化分を付け加えなければならない。ただし、そのときには、企業が享受する発生ベース
の便益をカウントしてはならない。二重計算になるからである。また、政府は往々にしてそう
した行動をとらないので、そのときには、政府の帰着ベース便益である政府余剰の変化分や税
収の変化分を加えなければならない。
道路整備便益の実際の計測にあたって注意しなければならないのは、便益計測用モデルにど
れだけの歪みあるいは歪みをもたらす要因がビルトインされているかを見極めることである。
現実の経済は多くの歪みあるいは歪みをもたらす要因を含んでいる。現実の経済を正確に描写
するモデルが理想ではあるが、そうしたモデルの構築自体が事実上不可能である。それゆえ、
実際便益を計測するためには、どうしても外せない歪みのみを考慮してモデルを構築せざるを
得ない。その結果、計測された便益は、真に正しい便益よりも過大あるいは過小となってしま
うかもしれないが、これは真に正確なシミュレーションはありえないことと同レベルの問題で
ある。しかしながら、このバイアスがどちらの方向にあるのか、その大きさはどの程度ものに
なるのかは今後に残された検討課題である。今の段階で確実に言えるのは、きちんと理論に裏
付けられた方法で道路整備の便益を計測しなければならないということである。
付録:交通施設整備がもたらす発生ベース便益と帰着ベース便益との関係
モデル
労働サービスを投入して消費財を産出する企業を考える。この企業は生産された消費財を市
場(消費者が居住している地域)に輸送する。その輸送コストは輸送の途中で輸送される消費
財の一定割合が昇華するという形で発生する。企業は利潤をすべて株主に配当する。
消費者は消費財と余暇を消費する。そのための所得は企業に労働サービスを提供して得る賃
金所得と企業からの配当所得からなる(消費者は労働者でもあり、株主でもある)。このとき、
余暇時間は一定の利用可能時間から労働時間を差し引いたものになる。簡単化のため、消費者
の市場へのアクセスは何のコストも要しないものとする。
道路や鉄道といった交通施設の整備効果は、企業が消費財を市場に輸送するときに失われる
割合の低下として現れる。このとき、発生ベースで交通施設整備便益をとらえれば、企業の総
輸送コストの減少となる。また、帰着ベースでそれをとらえれば、消費財1単位当りの輸送コ
ストの低下がもたらす消費者価格の下落による消費者余剰の増加と生産者価格の上昇による生
産者余剰の増加(=利潤の増加)の合計となる。どの市場にも歪みあるいは歪みをもたらす要
− 26 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
因がなければ、両者は一致する。
[1]消費者
消費者の効用関数を
u(C,R)
とする。ここで、C は消費財の消費量、R は余暇時間を表す。この消費者の予算制約式、時間
制約式はそれぞれ次のように表される。
pC
wL S +Π
LS + R
T
ここで、p は消費財の(購入)価格、w は賃金率(1人当たり時間給)、L S は労働時間、T は利
用可能時間(一定)を表す。これら2つの制約式を1つにまとめると次のようになる。
pC+wR
wT + Π ≡ Y
消費者はプライス・テイカーとして、上の制約式の下で効用関数を最大にするように行動す
る。
この結果、次のような消費財、余暇の需要関数を得る。
C* = C( p,w,Y )
R* = R( p,w,Y )
これらを効用関数に代入すると、次のような間接効用関数を得ることができる。
V* = u{ C( p,w,Y ),R( p,w,Y )}≡ V( p,w,Y )
このとき、Roy の定理より、
∂V
∂V
∂V
=−λ* C* ,
=−λ* R* ,
=λ*
∂p
∂w
∂Y
交通施設整備が行われれば、その波及が各財・サービス市場に及び、あらゆる財・サービス
の価格が変化する。その結果、消費者の最大効用水準 V*が dV*だけ変化したとすると、それを
金額表示したもの B が交通施設整備の便益となる。すなわち、
B=
dV*
λ*
Royの定理より、
∂V
∂V
∂V
1
B = (
dp + dw + dY )
∂p
∂w
∂Y
λ*
=−C* dp − R* dw + dY
=−C* dp − R* dw + Tdw + dΠ
=−C* dp + L*s dw + dΠ
− 27 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
を得る。これは次のように解釈される。交通施設整備の便益は次の3つから構成される。
①消費財市場における消費者余剰(需要者側の便益)の変化分 −C*dp 、
②消費財市場における生産者余剰(供給者側の便益)の変化分 dΠ、
③労働市場における生産者余剰(供給者(=労働者)側の便益)の変化分 L*s dw。
これが交通施設整備便益のとらえ方の基本であるが、ここでは企業の行動について何も定めて
いないので、企業がどのような行動をとっても成り立つことに注意しなければならない。もち
ろん、企業が利潤最大化行動をとらず、その意味で市場に歪みが存在する場合でも成立する。
[2]企業
企業の生産関数を
Q = f( LD )
とする。企業は生産物を Q だけ市場に輸送し、販売する。その輸送コストについては、輸送の
途中で100t %(0< t <1)だけ生産物が昇華すると想定する(簡単化のため、ここでは交通
施設として無料で利用できる一般道路を想定している)
。このとき、企業の利潤Πは次のように
定義される。
Π= pQ − wL − ptQ = p( 1 − t )f( LD )−wL
企業はプライス・テイカーとして、上記の利潤を最大にするように労働雇用量 L(と消費財
生産・供給量 Q )を決定する。このとき、利潤最大化条件は、
p( 1 − t )f(
' LD )= w
となる。これより、次のような労働需要関数、消費財供給関数を得る。
L*D = LD( P,w;t )
Q* = Q( P,w;t )
企業の供給関数を限界費用関数として表すこともできる。生産関数の逆関数をとると、
LD = f −1( Q )
となるが、これを利用すると、費用関数は次のように表される。
X ≡ wLD + ptQ = wf −1( Q )+ ptQ
=X(Q;P,w,t )
このとき、限界費用 MCは、
∂X
MC = = wf −1'( Q )+ pt
∂Q
と表されるから、消費財供給関数は、利潤最大化条件(価格=限界費用)を用いて、
P = MC = wf −1'( Q )+ pt
と表される。この式と先の利潤最大化条件が同値であることは明らか。
− 28 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
[3]市場均衡
消費財及び労働サービスについての需給均衡式はそれぞれ次のように表される。
C * + tQ* = Q*
L*D = L*S
[4]交通施設整備の効果
<帰着ベース>
交通施設整備によって輸送コストが削減された場合の消費財市場における消費者余剰、生産
者余剰の変化分および労働市場における生産者余剰(供給者(=労働者)側の便益)の変化分
は、
B =−C *dp + L*s dw + dΠ*
より計算できる。このとき、dΠ* は、
dΠ*= d{( 1 − t )pQ* }−d(wL*D)=d{( 1 − t )pQ* }− L*D dw − wdL*D
となること、さらに労働サービスの需給均衡式を踏まえれば、上の式は
B =−C *dp + d{( 1 − t )pQ* }− wL*D
と書き換えられる。これより、各余剰の変化分はそれぞれ次のように表される。
消費者余剰の変化分:ΔCS = −C *dp
生産者余剰の変化分:ΔPS= d{( 1 − t )pQ* }− wdL*D
このとき、生産者余剰の変化分は、賃金率 w が変化しないという想定の下での利潤の変化分と
解釈できる。すなわち、労働サービス市場への波及を考慮しないという「部分均衡分析」のも
とでの利潤の変化分である。
従って、交通施設整備の効果は輸送される財の市場での消費者余剰、生産者余剰それぞれの
変化分の合計で正確に計測できる。
<発生ベース>
B =−C *dp + d{( 1 − t )pQ* }− wL*D
より、
B =−C *dp − pQ*dt +( 1 − t )Q*dp+( 1 − t )pdQ*− wL*D
このとき、利潤最大化条件から、
( 1 − t )pdQ*− wdL*D =0
となること、消費財の需給均衡式から、
−C *dp +( 1 − t )Q*dp =0
となること、これらを考慮すれば、総便益 B は最終的には次のように表される。
B =−pQ*dt
− 29 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
これはまさしく輸送コストの変化分そのものである。従って、交通施設整備の効果は交通施設
を使う主体が直接受ける便益(輸送コストの削減分)で正確に計測することができる。
注
1)付録は拙著「経済学への誘い:費用便益分析を例として」(埼玉大学総合研究機構技術部『第17回技
術部研修発表会報告集』2006年9月)の一部を書き直したものである。
2)先に述べたように、発生ベースの便益は直接効果とも呼ばれるが、どの市場にも歪みがないときには、
これのみで便益を計測できる。しかしながら、どこかの市場に歪みがある場合には、道路整備により引
き起こされる当該道路交通サービス市場の変化が他市場に及ぼす影響である一般均衡論的波及効果、す
なわち間接効果あるいは波及効果と呼ばれるものはキャンセルアウトされずに残ってしまう。それゆえ、
発生ベースの便益と帰着ベースの便益の同値・非同値関係は、このような間接効果あるいは波及効果の
有無に置き換えることもできる。
3)貝山(1993)の第6章では、歪みをもたらす要因として、無料の道路のほかに、企業の独占行動およ
び所得税を導入しており、貝山(1996)では、無料と有料の道路および非完全競争的企業行動を導入し
ている。貝山(2003)では、無料の道路を前提として、企業が限界費用価格形成原理に従って行動する
場合と平均費用価格形成原理に従って行動する場合の道路整備便益計測の比較を行っている。
4)(4)と(5)の右辺はそれぞれ高速道路、一般道路交通サービスの一般化価格あるいは一般化費用と
呼ばれるものである。両式は各財・サービス間の限界代替率が相対価格に等しいとい通常の効用最大化
条件を表している。
5)このような生産関数の定式化は、森杉壽芳(編著)(1997)と同じものである。他にもいろいろな定
式化が考えられるが、道路整備の便益の計測のためにはこれで十分である。
6)道路の維持・管理費用を考慮するのであれば、それを交通サービス利用量に関係づけて導入すること
もできる。そのときには、政府余剰をあらゆる政府収入から道路の維持・管理費用を控除して定義すれ
ば事足りる。もちろん、合成財市場の需要サイドにそのための合成財費消量を加えなければならないが、
結論は変わらない。
7)これはMarshall=Dupuit 流の消費者余剰と呼ばれる一般均衡論的尺度である。以下、これにより道路
整備の便益の計測を行うが、このことは暗黙のうちに微小な変化を前提にしていることを意味している。
そうでない場合には、これの積分値で評価を行わなければならないが、そのためには積分経路を定めな
ければならず、また、そのために効用関数型や生産関数型を特定化する必要がある。しかしながら、そ
うした場合であっても、結論の本質的な部分は何ら変わらない。
8)すなわち、一般道路が整備された場合でも、それが一般道路交通サービスの一般化価格はもとより、
− 30 −
道路整備における費用・便益分析 ―ガソリン税を考慮した場合―−貝山
高速道路交通サービスの一般化価格も変化するので、因果関係がどちらであっても構わない。
9)高速道路整備前の賃金率で評価してもよいことは、労働市場への波及を考慮しなくてもよいことを意
味している。このことは一般均衡論的波及があっても部分均衡論的な便益評価でよいことを示唆してい
る。
10)実際の計測にあたっての詳細については、国久・貝山・杉田(2006)を参照のこと。
参考文献
貝山道博(1993)『社会資本整備評価の理論:交通施設整備を中心として』、社会評論社
貝山道博(1996)「限界費用価格形成原理と平均費用価格形成原理−道路整備評価の比較」『社会科学論集』
(埼玉大学経済学会)87、1−5
貝山道博(2003)「交通施設整備の便益のとらえ方−歪みを持つ経済の場合を含む計測方法」『社会科学論
集』(埼玉大学経済学会)109、105−111
金本良嗣(1996)「交通投資の便益評価・消費者余剰アプローチ」『日交研シリーズA−201』、日本交通政
策研究会
金本良嗣(1997)『都市経済学』第10章、東洋経済新報社
金本良嗣・長尾重信(1997)「便益計測の基礎的考え方」『道路投資の社会的評価』(中村英夫編・道路投資
評価研究会)第5章、東洋経済新報社
Kono, T., Morisugi, H. and Yamada, M.(2002), “ Evaluation of a public project under a distorted spacial economy,”
(応用地域学会第16回研究発表大会発表論文)
国久荘太郎・貝山道博・杉田浩(2006)「国民経済的見地からみた地方部における高規格道路整備の費用負
担」((財)高速道路調査会『高速道路と自動車』第49巻第11号、20−30
Lesourne, J.(1975), Cost-Benefit Analysis and Economic Theory, North-Holland
Mohring, H.(1976), Transportation Economics, Ballinger Publishing Co.(藤岡明房・萩原清子監訳『交通経済
学』、勁草書房、1987年)
森杉壽芳(1995)「社会資本と便益評価」『都市と土地の経済学』(山田浩之・綿貫伸一郎・田淵隆俊編)第
10章、日本評論社
森杉壽芳(編著)(1997)『社会資本整備の便益評価−一般均衡論によるアプローチ』、日本交通政策研究会
研究双書12、勁草書房
常木淳(1989)「交通投資」『交通政策の経済学』(奥野正寛・篠原総一・金本良嗣編)第2章、日本経済新
聞社
− 31 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
Summary of the paper, “Cost-Benefit Analysis of Road
Construction in the Case of Introduction of Gasoline Tax”
Michihiro KAIYAMA
(Department of Law, Economics and Public Policy,
Faculty of Literature and Social Sciences)
In this paper, we analyze a method for measuring the benefit of road construction in the case of
introduction of gasoline tax.
We know well that the benefit of road construction can be equal to its direct effect if there is not any
distortion in the economy. Here the direct effect of road construction is defined by the sum of all user
benefits that are their travel cost savings realized by road construction.
However, if there is any distortion in a market, the benefit of road construction cannot be equal to its
direct effect. What is a proper measure in this case? The answers for this question are as follows:
In this case, we have to use the other measure for its benefit. If a firm does not behave in accordance
with marginal cost pricing rule(MCPR), in exchange for its direct benefit, we have to use the change of
producer’s surplus which the firm as a user of road enjoys from a road construction.
And also, there are many cases in the real world that a government will not make a price under
MCPR. In these cases, we have to use the change of government’s surplus as the benefit received by a
government from a road construction. We might list up some examples that a government will not accord
with MCPR as showed by zero or constant pricing on road and some non-optimal marginal taxes such as
gasoline tax except for lump sum tax. In these cases, we have to add the government’s surplus on the sum
of benefits enjoyed by all users such as consumers and producers from road construction.
− 32 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み
―予備的考察―
丸 山 政 己
(人文学部 法経政策学科)
Ⅰ はじめに
Ⅱ ロッカビー事件再考
1 事件の経緯
2 国連憲章と一般国際法の交錯
3 安保理とICJの権限関係
4 国連憲章第7章に基づく強制措置の法的性格
Ⅲ 国家主権と国際組織の権限
1 国際組織が国際法秩序に及ぼす影響―水平的構造と垂直的構造―
2 国家主権と国際組織の権限の対抗関係
Ⅳ 国際組織をめぐる機能主義と立憲主義
1 国際組織における立憲主義の潮流
2 クラッバース「立憲主義・控えめ(Constitutionalism Lite)」論文の検討
3 立憲的アプローチの記述的意義と処方的意義:分析枠組の模索
Ⅴ 結びにかえて
Ⅰ
はじめに
冷戦解消後、国際連合安全保障理事会(以下、国連安保理)は、冷戦期に比べて飛躍的に活
動するようになり、憲章第7章に基づく強制措置を大胆に行使するようになった。その大胆な
行使によって、安保理の機能が格段に変化してきているとも評価される 1。とりわけ国際法の観
点からは、第39条に基づく「平和に対する脅威」概念が拡大してきていること、立法、司法、
法執行機能に踏み込んでいることなどが、ここ20年余り、論争であり続けている 2。このような
1
2
最近の実行については、村瀬信也編『国連安保理の機能変化』東信堂、2009年の諸論稿を参照。
Herdegen, Matthias J., “The ‘Constitutionalization’ of the UN Security System”, 27 Vanderbilt Journal of
Transnational Law(1994), p. 141 ; Kirgis Jr., Frederic L., “The Security Council’s First Fifty Years”, 89 AJIL
(1995), p. 506 et seq. ちなみに、コスケニエミは、安保理の対象事項が拡大していることが問題なのでは
− 33 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
新しいダイナミズムと第7章権限との関係をどのように捉えることができるか、さらに言えば、
国際社会全体において安保理をどのように位置づけることができるのか(位置づけるべきか)
といった点が重要な論点である。
他方で、国際組織の一機関としての安保理に付与された創造的展開 3の可能性を制約するもの
はあるのか、あるとすればそれは何か、という問題も提起されている。換言すれば、安保理は
憲章に当初予定されていたことからどれほど逸脱することが許されるのか、どこまでが合法で
どこからが権限踰越(ultra vires)と見なされるのか、また安保理が逸脱することを防ぐために
はどのようなメカニズムが存在しているのか、といった問題である 4。
これは、国際組織の政治的機関に対する法的コントロールがどのような形で存在し、また発
展させていくべきなのか、という理論的・学問的には古くから議論されてきた問題 5が、実際的
必要性を伴って顕在化したものと見ることもできよう 6。若干大雑把ではあるが、次のような理
解が可能である。国際組織の活動・機能は、従来、国際組織の実効性ないし権限拡大と国家主
権の対立軸で捉えられてきた。また国際組織は、今日にいたるまでいわば両者の挟間で揺れ戻
りを経験しながら、発展してきた。しかし、いまや国際社会の組織化が進み、国際組織による
国際法の実現過程 7が一層精緻なものになってくるなかで、そのような過程を規律する法的およ
び認識の枠組を明らかにする必要が生じている。こういった問題を国際組織の実効性ないし権
3
4
5
6
7
なく、「国際的正義(justice)という『ソフト』な目的のために例外的に『ハード』な強制権限、拘束的
決議、経済制裁および軍事力を用いようとすること」が問題なのであり、これは憲章上の危機(constitutional
crisis)であると指摘する。Koskenniemi, Marti, “The Police in the Temple Order, Justice and the UN : A
Dialectical View”, 6 EJIL(1995), p. 341.
安保理のさまざまな機能変化を「創造的展開」の観点から評価するものとして、佐藤哲夫「国連安全保
障理事会機能の創造的展開―湾岸戦争から9・11テロまでを中心として―」『国際法外交雑誌』第101巻
3号、2002年。
Higgins, Rosalyn, “Forword”, Sarooshi, Danesh, The United Nations and the Development of Collective Security,
Oxford Univ. Press(1999), p. xi. また、こうした問題に取り組む場合にまず参照すべき文献として、森川
幸一「国際連合の強制措置と法の支配―安全保障理事会の裁量権の限界をめぐって―(1)・(2・完)」
『国際法外交雑誌』第93巻2号、1994年、第94巻4号、1995年。
日本における先駆的研究として、古川照美「国際組織に対する国際司法裁判所のコントロール―その審
査手続について―」『法政研究』第45巻3-4号、1979年、同「国際組織に対する国際司法裁判所のコント
ロール―国際組織の権限踰越(ultra vires)」『国際法外交雑誌』第78巻3号、1979年。
なお、この点は安保理に限らず、国際組織法研究全体から見ても重要であろう。例えばクラッバースは、
現在に至るまでの国際組織法研究を概観するために、時期的に3区分する。第1段階は主に戦間期、第
2段階は第2次大戦後、特に50・60年代をピークとする時期、そして第3段階は90年代以降から現在で
ある。彼によれば、第3段階の現在は、国際組織の存在理由として、民主化・透明性が求められる傾向
にある。そこでは、第2段階で見られた、「国際組織はよいもの」というイメージがもはや通用しなく
なっていると言うのである。これは、法的コントロールの必要性が叫ばれるようになってきていること
と軌を一にするであろう。Klabbers, Jan, “The Life and Times of the Law of International Organizations”, 70
Nordic Journal of Int’l Law(2001), pp. 287-317.
大沼保昭『国際法―はじめて学ぶ人のための』東信堂、2005年、47-48頁。国際社会における規範意識の
生成から、国際法の定立や解釈、さらには国内における実施等の側面を総体的に把握する包括的概念と
して「国際法の実現過程」を提示している。本稿の対象とする安保理の強制行動に関する問題も、そう
した総体的な把握が必要であるし、また有益であると思われる。
− 34 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
限拡大と国家主権の二項対立のみで捉えることが適切であるのか。換言すれば、現在我々は、
国際組織が大きな権限を行使することに対する抑制は、再び国家主権を強調するのみで対応す
べきなのか、といった問題に迫られているように思われる。
国際組織の設立文書を対象とする多くの先行研究は、“constitution”の語を用いて、国内憲法
の類推から、国際組織の設立文書のさまざまな特徴を説明している。仮にこの説明の仕方が妥
当なものであるとすれば、国際法の実現過程においても、そのような“constitution”の概念は
何らかの意義を有していると考えられる。すなわち、国際組織の活動を国際法秩序のなかに適
切に位置づけたうえで、国際組織の権限の拡大とそれに対する法的制約ないしコントロールと
いう軸で捉え直すことが必要であるという意味においてである。
本稿では、上のような問題意識をさらに具体化させるために、まずロッカビー事件の再検討
を行い、その背景にあった本質的な論点を明らかにする 8。そのうえで、国際組織一般の観点か
ら、近年の“constitution”概念と立憲主義に関する学説を概観し、それらが安保理の活動をめ
ぐる問題にとってどのような意義があると言えるか、また何が明らかになると想定されうるか、
といった点について予備的な考察を加える。
ロッカビー事件再考
Ⅱ
1 事件の経緯
1988年12月21日に起こった、いわゆる「ロッカビー事件」9に対応して、1991年11月英米両国
8
9
その意味で、本稿はロッカビー事件そのものを詳しく分析し再評価しようとするものではない。あくま
で安保理の第7章に基づく活動全体について法的に取り組むべき問題の、重要な部分のほぼすべてが、
ロッカビー事件に集約され、あるいは顕在化していることを示そうとするものである。つまり、ロッカ
ビー事件は、安保理の第7章に基づく活動、権限、機能等に関わるあらゆる問題を考察するさいに参照
すべき出発点である。
ここで「ロッカビー事件」という場合、ICJに提起された事件のみを指すのではなく、爆破事件の発生か
ら安保理による対応を含めた広い意味で用いている。また、安保理の対象とする事態という意味では、
UTA772便の爆破事件とそれに伴うリビアとフランスのやり取りも密接に関連するが、ここでは複雑さ
を避けるために扱わない。なお、ロッカビー事件に関する先行研究は、その問題の重要性や影響の大き
さを反映して膨大な数にのぼる。ここでは邦語文献に限定するが、ICJの判例評釈として、杉原高嶺「ロ
ッカービー航空機事故をめぐるモントリオール条約の解釈・適用事件―仮保全措置の申請―」『国際法
外交雑誌』第92巻6号、1993年、34-42頁、尾崎重義「ロッカビー航空機事故により生じた一九七一年モ
ントリオール条約の解釈及び適用の問題に関する事件(仮保全措置)」波多野・尾崎編『国際司法裁判
所―判決と意見―第2巻』国際書院、1996年、389-405頁、杉原高嶺「ロッカービー航空機事故をめぐる
モントリオール条約の解釈・適用事件―先決的抗弁―」『国際法外交雑誌』第99巻6号、2000年、88-98
頁、森川幸一「紛争処理における安保理とICJの役割―ロッカビー事件―」山本・古川・松井編『国際法
判例百選』有斐閣、2001年、168-169頁、山形英郎「ロッカビー事件」松井編集代表『判例国際法[第2
版]』東信堂、2006年、556-557頁、尾崎重義「ロッカビー航空機事故により生じた一九七一年モントリ
オール条約の解釈及び適用の問題に関する事件(先決的抗弁判決・訴訟取り下げ命令)」波多野・廣部
編『国際司法裁判所―判決と意見―第3巻』国際書院、2007年、270-284頁等参照。また、事件の詳細な
経緯について、松田竹男「リビアに対する強制措置の発動」『法経研究』第42巻1号、1993年、33-64頁、
− 35 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
は共同で、リビアに二人の容疑者を引渡すよう求める宣言を行った。しかし、リビアはこれを
拒否し、1992年1月18日に、モントリオール条約第14条に基づいて、仲裁裁判の実施を提案し
た。また、リビアは自国内で二人の訴追手続きを開始すると主張し、証拠提供等について英米
の協力を求めていた。そのような状況の下、安保理は決議731を全会一致で採択した。その主な
内容は、(1)爆破の結果生じた数百名の人命喪失に対する非難、(2)リビアが当該テロ行為に
ついて責任を解明するために十分に協力していないことの非難、(3)リビアに対する上記英米
共同宣言に対する十分かつ実効的な対応の要請などである 10。
その後、3月3日にリビアは、英米を相手に国際司法裁判所(以下、ICJ)に請求訴状を提出
し、同時に本案判決が出るまでの間、英米両国がリビアに対して何らかの(とりわけ武力行使
の)行動に出ないように仮保全措置を要請した。裁判所が仮保全措置に関して審議しているさ
なか、3月26日、安保理は、第7章に基づいて決議748を採択した。この決議では、前文におい
てリビア政府によって何ら具体的な行動がとられていないことが、国際の平和と安全に対する
脅威を構成すると決定し、
(1)リビアに対して、決議731でも述べていたように、二人の容疑者
引渡しに遅滞なく応じなければならないことを決定し、(2)それに従わない場合、4月15日を
期限として、全ての国に対して、対リビアの航空機の飛行および運搬や武器および軍需品の取
引を禁止するなどといった制裁措置をとるよう決定した 11。
1992年4月14日、ICJは仮保全措置命令を下し、リビアの要請を却下した。多数意見は、仮保
全措置段階で「本案の論点に関する事実や法について実体的な判断を下すことはできない」こ
とを確認しつつ 12、当事国(リビア、英国および米国)は、ともに国連加盟国として、憲章第
25条に基づき安保理決定を受諾し履行する義務を負い、本件の決議748もこの決定に含まれ、こ
こでの義務は憲章第103条に基づいてモントリオール条約上の義務に優先するとした 13。
その後、英米により管轄権および受理可能性に関する先決的抗弁が提起され、1998年2月27
日にICJは、先決的抗弁判決を下し、英米による抗弁を否定した。まず、管轄権に関して英米は、
法的紛争は存在しないこと、また本件は、モントリオール条約の解釈または適用に関する紛争
ではないと主張した。さらに、仮にモントリオール条約に基づく権利をリビアが有していたと
しても、当該権利は安保理決議748および決議883により停止されていると主張した。前者につ
10
11
12
13
熊谷卓「国家テロリズムと国際法―ロッカビー事件を手がかりとして―」『新潟国際情報大学情報文化学
部紀要』第5号、2002年、115-153頁等参照。
SC Res.731
(1992), 21 January 1992, paras. 1-3.
SC Res.748
(1992), 31 March 1992, paras. 1-6. 賛成10、棄権5。
Case Concerning Questions of Interpretation and Application of the 1971 Montreal Convention Arising from the
Aerial Incident at Lockerbie(Libyan Arab Jamahiriya v. United States of America)Request for the Indication of
Provisional Measures, Order, 14 April 1992, para.41, available at ICJ Home Page <http://www. icj-cij.org/> 以
下、原則としてリビア対米国に関する命令・判決に依拠する。
Ibid., para.42.
− 36 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
いて多数意見は、ロッカビーにおける爆破事故がモントリオール条約によって規律されるかど
うかの争いは、それ自体法的紛争の存在を証拠づけ、裁判所により決定されるべき争いである
とした 14。また、後者については、根拠とされる決議はいずれも本件提訴後に採択されたもの
であり、採択前に確立した管轄権は影響されないとした 15。さらに、二つの安保理決議に基づ
く受理可能性に関する抗弁と請求目的の消滅に関する抗弁についても裁判所は、前者について、
受理可能性の決定について唯一関連するのはリビアの請求訴状提出日であり、二つの決議はそ
の後採択されたものであるから考慮に入れることはできないとした 16。後者についても、その
主張自体が「専ら先決的性質を有する」ものではないとして、却下した 17。
一方、ICJの外では、決議748および決議883による経済制裁に対する国々の不信が高まってお
り、とりわけアラブ連盟やアフリカ統一機構(OAU)による制裁の履行停止が予告されるなど、
制裁の実効性が損なわれる恐れが生じていた。そのような背景のなかで、事務総長の主導の下、
両当事国は、オランダにスコットランド法廷を設置し、そこで二人の容疑者の裁判を行うこと
に合意した。それを受けて、安保理は決議1192を採択し、容疑者の移送等によって制裁が停止
されることを決定した 18。1999年4月5日には、実際に二人の容疑者がオランダに到着し、制
裁は解除された。このスコットランド法廷は、2001年1月31日に、1名を終身刑、1名を証拠
不十分による無罪とする判決を下している 19。
本件を通じて最も重要な論点は、ICJによって回答が示されることは遂になかったが、安保理
の第7章権限に限界があるのかどうか、あるとすればどのような範囲であり、またそのような
範囲に関する判断をどのような機関が行うことができるかという点である。以下では、便宜的
に、権限範囲の問題を実体法規の問題、判断機関の問題を制度的問題として分類し、もう少し
論点を深めてみる。なお、ここでは事件の背景にあった本質的な問題をもう一度炙り出してみ
ることが目的である。従って、それぞれの問題について、本稿で示す立憲的アプローチの観点
から詳論することは、将来の課題として残されている。
14
15
16
17
18
19
Case Concerning Questions of Interpretation and Application of the 1971 Montreal Convention Arising from the
Aerial Incident at Lockerbie(Libyan Arab Jamahiriya v. United States of America)Preliminary Objections,
Judgment, 27 February 1998, para. 24.
Ibid., para. 37.
Ibid., para. 43.
Ibid., para. 49.
SC Res. 1192
(1998), 27 August 1998, para. 8 in particular.
二人の裁判が開始され、リビアに対する制裁も停止されていたにも関わらず、ICJの総件名簿には依然と
してリビア対英国、リビア対米国の事件が記載されていたが、2003年9月10日に、共同による要請で削
除された。その2日後の9月12日、安保理は決議1506を採択して制裁の解除を決定し、ここで本件は一
応の終結を見ることになる。SC Res. 1506
(2003), 12 September 2003, para. 1.
− 37 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
2 国連憲章と一般国際法の交錯
実体法規の問題として提起された重要な点は、国連憲章と一般国際法の関係をどのように把
握するかである。仮保全措置段階において、多数意見は、安保理決議に基づく義務の優先性を
認め、決議748の法的効果を確定的に決定する必要はないとした。これに対して反対意見のほと
んどは、決議748の有効性について議論している 20。また、先決的抗弁の段階においても、決議
748および決議883の有効性が問題となっていることは明らかである。この段階における最大の
争点は、本件において裁判所が(管轄権の基礎として)モントリオール条約を適用できるかど
うかにあったが、裁判所は提訴期日を「決定的期日」とし、決議748の存在にも関わらず管轄権を
有するとした 21。
これに対して、モントリオール条約の適用自体を否定する反対意見もある。ここでは、仮保
全措置段階における小田判事の宣言が示唆的である。小田判事は、リビアが申請によって「保
全しようとする権利は、むしろ一般国際法に基づく主権的な権利である」と述べて、本件にお
ける管轄権そのものに対して否定的であった 22。ICJが管轄権を有するためには、モントリオー
ル条約の適用が認められなくてはならない。しかし、ICJ管轄権の基礎という問題からいったん
離れ、安保理の権限範囲の観点から考えると、リビアの「主権的権利」が問題となっていると
いう点は重要な意味をもつ。すなわち、安保理は憲章第7章に基づいてそうした主権的権利を
害するような措置をとることができるのかという意味においてである。
確かに、ウィーラマントリー判事が指摘するように、
「引渡しか、訴追か」の原則は「既存の
一般的強行規範の原則(the existing general jus cogens principle)」であり、安保理はいかなる場
合であれ、モントリオール条約の適用を排除できないという主張がある 23。この原則が強行規
範であると言えるかどうかは別途検討を要するが、少なくとも慣習国際法となっているとまで
は言えない、つまりは条約上の規定に過ぎないという見解もあることに注意が必要である 24。
また、決議731および決議748の採択を主導した米英は、当該事件にリビアが関与しているこ
と(国家支援テロリズム)を強調している。実際に、決議731の採択において英国代表は、「政
府の関与というこの例外的な状況こそ、安保理がリビアに対してこれらの要請に従うよう促す
See for example, Dissenting Opinion of Judge Bedjaoui, paras. 18-29 ; Dissenting Opinion of Judge Weeramantry
(ICJReport 1992), p. 170 et seq ; Dissenting Opinion of Judge El-Kosheri, paras. 10-47.
21 例えば英米の「適用されない」とする主張に対して、ICJはその判断権がICJにあることは確認しつつも、
本案の問題であるとして判断を回避した。
22 Declaration of Acting President Oda
(ICJ Reports 1992), pp. 130-131 ; See also Dissenting Opinion Oda(ICJ
Report 1998), paras. 17-19.
23 Dissenting Opinion of Judge Weeramantry, supra note 20, p. 179, citing Bssiouni, M, Cherif, International
Extradition : United States Law and Practice(1978), p. 22 ; see also Manusama, Kenneth, The United Nations
Security Council in the Post-Cold War Era, Martinus Nijhoff(2006), p. 176.
24 例えば、坂本まゆみ『テロリズム対処システムの再構成』国際書院、2004年、86-87頁。
20
− 38 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
決議を採択することを適切なものとする」25と述べた。また米国代表も、「将来的には、政府に
よる便宜や支援によって活動したテロリスト達は、彼らの罪が犯された国の法廷へ迅速にかつ
実効的に引き出されうることを知るであろう」26と述べた。モントリオール条約上の「引渡か、
訴追か」原則不適用の理由を国家支援テロリズムという性格に求めていたのである 27。
こうして、国連憲章体制と一般国際法に基づく枠組みの間には、競合または齟齬が生まれて
いるように思われる。いずれにせよ、憲章第103条に基づく安保理決議の優先性には、何らかの
限界があるのではないかという問題が提起されていると言えよう 28。
3 安保理とICJの権限関係
ロッカビー事件の提起したもうひとつの問題は、司法審査権の問題である。紛争解決の側面
からは、ロッカビー事件以前においても、安保理とICJが同一事例に対して並行的に対処する例
は多く見られた 29。それらの事件においてICJはたびたび、「安保理が政治的性格の機能を有す
る一方で、裁判所は純粋に司法的機能を遂行」し、
「同一の事件に関してそれぞれ別個の、しか
し補完的な機能を遂行しうる」ことを確認してきた 30。従って、安保理とICJの間には「機能パ
ラレリズム」が存在するという指摘もある 31。
しかし、ロッカビー事件では、同一の当事者が安保理とICJを補完的に利用したそれまでの事
25
26
27
28
29
30
31
S/PV. 3033, 21 January 1992, p. 103.
Ibid., p. 105.
これについてトムシャットは、問題のテロ行為が国家支援テロリズムであるときには、支援する国家が
容疑者に対して公平に処罰を行うことは想定しがたく、平和に対する脅威を構成するとして安保理が行
動することは恣意的ではないと述べる。Tomuschat, Christian, “The Lockerbie Case Before the International
Court of Justice”, 48 Int’ l Commission of Jurists, the Review(1992), p. 47. また、中谷和弘「国際法治主義の
地平―現代国際関係における国家責任法理の「適用」―」『国際社会と法(岩波講座現代の法2)』岩波書
店、1997年、138-139頁も参照のこと。
その意味で、強行規範との関連で、しばしば議論の出発点とされるエリュー・ラウターパクトad hoc判
事の「ジェノサイド条約適用事件」第2仮保全措置命令における個別意見もここで想起しておくべきで
あろう。Case Concerning Application of the Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of
Genocide(Bosnia and Herzegovina v. Yugoslavia(Serbia and Montenegro)), Further Requests for the Indication
of Provisional Measures, Order, 13 September 1993, Separate opinion of Judge Lauterpacht, paras.89-107.
コルフ海峡事件、エーゲ海大陸棚事件、在テヘラン米国大使館人質事件、ニカラグア事件等。
「憲章には…総会と安全保障理事会の間の機能の明確な画定のための条文(第12条:筆者注)が存在す
るが、…安全保障理事会と裁判所に関しては同様の条文はどこにも見られない。理事会は政治的性格の
機能を有し、裁判所は純粋に司法的な機能を遂行する。従って、両機関は、同様の事例についてそれぞ
れの別個ではあるが補完的な機能を行使することができるのである。」Case Concerning Military and
Paramilitary Activities in and against Nicaragua(Nicaragua v. United States of America)Jurisdiction of the Court
and Admissibility of Application, Judgment, 26 November 1984, para. 95.
杉原高嶺「同一の紛争主題に対する安全保障理事会と国際司法裁判所の権限」杉原高嶺編『紛争解決の
国際法(小田滋先生古稀祝賀)』三省堂、1997年、505-508頁、永田高英「紛争解決における国際司法裁
判所と安全保障理事会の関係―ロッカビー事件を中心として」『早稲田法学』第74巻3号、1999年、163187 頁。
− 39 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
例とは異なり、一方当事者が安保理を利用し、他方当事者がICJを利用し、それぞれの機関が対
立的な結論を下す可能性があった。このような場合にICJは安保理決議の有効性を否定できるか
という点が、本件の最大の論点であったと言える。実際に、仮保全措置段階と先決的抗弁段階
の双方において少数意見がこの点に踏み込んで論じている 32。言うまでもなく、憲章およびICJ
規程の双方において司法審査権を明示的に認める規定が存在しないことが、問題を複雑にする
要因のひとつになっている。
ここで確認しておくべきことは、ICJが第7章に基づく決議の有効性を審査できるかどうかと
いう問題と、第7章権限の範囲の問題は相互依存の関係にあるという点である。その意味で、
ドゥ・ヴェットが正しく述べているように、ICJによる司法審査は、安保理の第7章権限に法的
制約があってこそ可能となるし、他方でその法的制約は、司法審査が実効的に実施(enforcement)
されてこそ制約たりうるであろう 33。筆者の考えでは、ICJによる司法審査に限定して法的制約
の実施を考察することは、現在の国際社会の構造に鑑みて必ずしも適切ではない。しかし、法
的制約とその実施(コントロール)が上の意味で相互依存的であるという点は、常に留意すべ
き点である。
4 国連憲章第7章に基づく強制措置の法的性格
上のように、2つの観点(実体法規の問題および制度的問題)からロッカビー事件の提起し
た問題点を整理したが、両者に共通の基本問題として、つまるところ憲章第7章に基づく強制
措置をどのような法的性格を有するものとして捉えるかという問題がある。伝統的に、安保理
の強制措置を国際法上の制裁と位置づけること自体が、国際法学における争点であった 34。メ
リルスは、国際法の執行の問題点を明らかにする文脈で、第7章に基づく制度の特徴を適切に
指摘した。
「憲章に規定された取極は、平和の維持及び回復を目的とする制度であって、国際法の執行のための
制度ではない。もちろんこれらの目的達成は、しばしば法の執行をふくむであろう。しかし、これは必
然的にそうなるのではなく、或る状況においては、法的主張はわずかに考慮されるにすぎない。国連憲
章制度は、理論上、紛争を回避し、あるいは極小化することはできるが、その過程において自動的に法
32
33
34
例えば、先決的抗弁段階で司法審査に反対するものとして、Dissenting Opinion of Judge Sir Robert
Jennings(ICJ Report 1998), pp. 109-112 ; Dissenting Opinion of President Schwebel(ICJ Report 1998), pp. 164172.
de Wet, Erica, The Chapter VII Powers of the United Nations Security Council, Hart Publishing(2004), pp. 15-17.
憲章第7章第39-42条の規定内容を見ると、そこではenforcementやsanctionの語は用いられず、ただaction、
measuresとのみ示されている。但し、第1条7項、45条、50条にはenforcementの語が見受けられるが、
これも法的制裁または法執行という意味でのlaw enforcementを意図するものではないように思われる。
− 40 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
的権利を保障するものではないことを忘れてはならない。」35
またシャクターも、憲章は、違反に対する強制ではなく、交渉やその他の手段といった紛争
の原因除去に力点をおいていると指摘していた 36。要するに、伝統的には、安保理の強制措置
が「法的制裁」か、それとも純粋に「政治的措置」か、といった説明的・記述的な観点からの
議論があったと評価できる。
他面において、主権国家に対して行動する中央集権的な機関に強力な強制権限が付与される
ことに対しては疑念が存在する。それは、安保理における五大国一致原則、つまりは拒否権制
度に象徴される二重基準の存在であり、安保理に対する基本的な信頼性の欠如に基づくもので
ある。実際に、政治的利益のぶつかり合う構成員からなる安保理が、戦争を防止しまたは即座
に鎮圧するための強制措置を発動できない場合がしばしばあることは、冷戦期の実行を見ても
明らかである。そうした信頼性を欠く機関の措置を「法的制裁」と見なすことに抵抗を覚える
のは理解できる。
法的制裁であれ政治的措置であれ、安保理は、警察的行動に留まるべきとする主張が依然と
して有力であると考えられるが 37、ロッカビー事件における安保理の行動は、まさにその警察
的行動を超えていることが問題なのである。その「超えている」には2つの意味がある。第1
は、対象事項の拡大である。テロリズムが「平和に対する脅威」として強制措置の対象になる
とは想定されてこなかった。第2は、
「制裁」として取られる措置の多様化である。リビアに対
する(事実上の)国家責任の追及やテロ容疑者という個人の訴追(厳密には引渡しの要請)は、
国連発足時には想定されていなかった「制裁」の実施である。そうした措置を安保理がとるこ
との可否はおいておくとしても、それらを純粋に政治的措置と呼ぶにはもはや無理があろう。
第1の側面については、「平和に対する脅威」に含まれるかどうかとは別に、国家テロリズム
への対処を国際共同体の利益・価値の観点から評価することができるかもしれない。また第2
の側面については、「制裁」のもつ抑圧・懲罰といった刑事的イメージだけでなく、「制裁」の
上部概念としての「法執行」38といった観点から評価し直すことが有益かもしれない。さらには
そうした評価によって、安保理の国際社会における位置づけを明らかにし、あるべき法的制約
を導き出すことができるかもしれない 39。
35
36
37
38
39
J・G・メリルス、長谷川正国訳『国際法の解剖』敬文堂、1984年、88-89頁。
Schachter, Oscar, International Law in Theory and Practice, Martinus Nijhoff(1991), pp. 227-229.
山本草二『国際法(新版)』有斐閣、2000年、725頁。See also Arangio-Ruiz, Gateano, “On the Security
Council’s ‘Law-Making’ ”, 83 Rivista di Diritto Internazionale(2000), p. 609 et seq.
Combacau, Jean, “Sanctions”, Encyclopedia of Public International law, p. 312.
こうした発想は、安保理の強制措置について国家責任からのアプローチを試みるゴウランド・デバスに
大いに示唆を受けたものである。Gowlland-Debbas, Vera, “Security Council Enforcement and Issues of State
− 41 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
1980年代において、深津栄一は、国際法の執行における問題点を次のように指摘していた。
すなわち、国際法の体系における実体法と手続法の未分化、国際不法行為法、国際刑事法の未
成立とともに、国際法はきわめて不完全な執行手続しかもっていないため、アプローチが困難
な問題もある。そして、きわめて限定された素材のなかから一定のパターンを見出し、そこに
法の要請する普遍性、規則性、確実性の要件をみたした法原則を検討しようとすることはきわ
めて困難であると 40。
この点について、冷戦解消後における安保理の実行の集積と国家責任法や国際刑事法の進展
は、こうした困難をある程度緩和するようになってきたとは考えられないであろうか。ロッカ
ビー事件の提起した法的問題は、解釈論上の問題にとどまらず、このようないわば法社会学的
な観点からの考察も要請する類のものであったと言えよう。そのように考えると、ここでの問
題は、国際法秩序における国際組織の存在といった、もう少し広い射程からの検討が必要であ
ることが明らかになってくる。
Ⅲ
国家主権と国際組織の権限
1 国際組織が国際法秩序に及ぼす影響―水平的構造と垂直的構造―
現代国際法の変容の要因として、多くの論者が「国際社会の組織化」現象を指摘する。
「国際
社会の組織化」については、論者によって意味するものが微妙に異なるが、一般的には、19世
紀以降における多くの国際組織の設立とその活動の展開を指していると思われる 41。個別国家
では処理しきれない諸問題を、国際組織に権限を付与することによって処理しようとする現象
である。国際組織の発展が、主権国家により構成される伝統的国際法の構造に、大きな変容を
もたらしているのではないかという問いが前提にあると言える。そうであるとすれば、
「国際社
会の組織化」現象の実体的把握は、すなわち国際組織の活動の実体的把握であり、引いては国
際法の構造・法秩序への影響を把握しようとする試みである。
従来、国家間関係の枠組を基本構造とする国際法秩序において、国連を代表例とする国際組
織は、国々によって設立される機能的団体であり、いわゆる世界連邦、世界政府といった思想
的概念とは異なるものであり、国々との関係も垂直的ではなく水平的な関係に立つものとして
40
41
Responsibility”, 43 ICLQ(1994), pp. 55-58. 但し、非国家主体への対応を含む現在の実行の展開に鑑みて、
もはや国家責任の枠組にも収まりきれない様相を呈している。そのことも踏まえて「国際法の執行・強
制機能」という視点について論じるものとして、拙稿「国際連合安全保障理事会の憲章第七章に基づく
国際法の執行・強制機能に関する序論的考察」『一橋論叢』第131号、2004年、67-88頁。
深津栄一『国際法秩序と経済制裁』北樹出版、1982年、11-37頁。
高野雄一『国際組織法』有斐閣、1961年、24-26、373-385頁。また佐藤哲夫『国際組織法』有斐閣、
2005 年、14-18頁。
− 42 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
位置づけられてきた。他方で、そうした国際組織は単に国々の集合的な集まりではなく、独自
の意思をもつものとして、未だに学説上の争いはあるが、当該国際組織の設立文書を基礎とし
たうえで、時代毎の国際社会の状況変化に対応した一定の創造的展開を遂げるものとしてみな
されてきた 42。
国際組織の位置づけとしては、主権国家体制の延長線上に世界政府を据え、その中間的存在
として捉えるのではなく、自ら固有の意思をもち、主権国家と並存して一定の役割を果たす存
在として捉えることが最も現実に即した説明であるとされる 43。このような捉え方は、基本的
に広く受け入れられていると言えよう。ところが、冷戦解消後の安保理による第7章権限の行
使は、一見して加盟国との間に垂直的な関係を築くような結果をもたらしている。このことを
どのように評価すべきかについて理論的問題が提起されていると言えよう。
2 国家主権と国際組織の権限の対抗関係
国際組織の発展を考えるうえで、加盟国の国家主権の問題を避けて通ることはできない。こ
の問題は、国際組織の実効性の促進と加盟国の利害の対立という問題、あるいは、加盟諸国の
一定の共通利益に基づく多数決原理と少数派となる加盟国の利益保護の均衡に関する問題に還
元できる。この対立構図は、とりわけ設立文書の解釈プロセスにおいて明らかになる 44。つま
り、動態的な解釈に基づく国際組織の機関の実行と、静態的解釈に基づく一部の加盟国による
抵抗という構図である。ある種の経費事件はこの点を明らかにした代表例である 45。
ロッカビー事件に照らしてみても、国際組織の権限拡大と国家主権による抵抗という図式が
垣間見える。確かに、安保理によるモントリオール条約適用の回避という行動は、条約に基づ
く制度を掘り崩すものであり、さらにはリビアの主権的権利を侵害するものであるとの見方も
できよう。むしろ、リビアにしてみれば国家主権の侵害を主張することによってこそ、安保理
の決定に対抗できたかもしれない。
国際組織が国家間の合意を基礎として形成されるものである以上は、国家主権を無視した形
で発展することはできない。この点について、位田隆一は、
「現代国際社会には、一方で、国際
機構の驚異的発展に抵抗して、その原理的基盤である国家主権の強調とそのためのさまざまな
コントロールがあり、他方で、国家統合や共同体観念など、国家間の組織体の枠をさらに超え
42
43
44
45
佐藤『前掲書』、89-90頁。
横田洋三「国際機構が国際法に及ぼした影響」大沼保昭編『国際法、国際連合と日本』弘文堂、1987年、
148-158頁。
これは、憲章の統一的解釈に向けたプロセスと、加盟国の「自己解釈権」または「最終手段に訴える権
利(the right of last resort)」の問題とも言える。佐藤哲夫『国際組織の創造的展開』勁草書房、1993年、
264-291頁。
Certain Expenses of the United Nations(Article 17, paragraph 2, of the Charter), Advisory Opinion, 20 July 1962.
− 43 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
る可能性まで見受けられる」と述べる 46。この二極による把握が依然として有効な分析枠組で
あることは否めない。
他方で、本稿の観点からは、この対抗関係を止揚するための新たな視点を模索する試みが必
要であるとも言える。すなわち、権限の拡大(あるいは濫用)に対抗するためには、再び国家
主権を強調するのみでよいのかという問題である。この二項対立の図式に基づけば、権限の拡
大への国家主権に基づく抵抗とは、すなわち国際社会の組織化から伝統的国家間関係への逆戻
りを意味する。国際共同体観念などの主張が依拠するところの共通の利益・価値を保護するた
めには、二項対立のダイナミズムを克服するような方策が考えられなくてはならない。筆者の
理解では、以下で示す国際組織における立憲主義あるいは立憲的アプローチと呼ばれる視点は、
このような関心のなかで生まれてきたものである 47。別言すれば、立憲主義あるいは立憲的ア
プローチが本当の意味で、権限の拡大と国家主権による抵抗を止揚しうるものであるかどうか
を一度検証してみることが必要ということでもある 48。
Ⅳ
国際組織をめぐる機能主義と立憲主義
1 国際組織における立憲主義の潮流
冷戦解消後の第7章に基づく安保理の活動、とりわけICJとの関係を扱う論稿において、多く
の論者が、肯定的にせよ否定的にせよ「立憲主義」の考え方に触れている。それは、第7章に
基づく安保理の活動の活性化とそれに伴う法的コントロールの必要性に対する認識の高まりを
契機とすることは明らかである。
例えばフランクは、ロッカビー事件のICJ仮保全措置命令を検討する文脈において、米国合衆
国憲法の発展の歴史を比較対象とする。すなわち、ロッカビー事件が提起した問題を、米国の
連邦最高裁によって司法審査が確立されたマーベリー対マディソン事件との対比で議論しよう
と言うのである。彼は、
「国連機関による行動の合法性は、権限を委任している憲法(constitution)
としての憲章を参照することによって判断されなくてはならない」ことを確認したうえで、
「も
し国際連合が加盟国に支持され続けようとするのであれば、極端な場合には、裁判所がシステ
位田隆一「国際連合と国家主権」『国際法外交雑誌』第90巻4号、1991年、46頁。
Fassbender, Bardo, “The Meaning of International Constitutional Law”, Macdonald, R. St. John & Johnston,
Douglas M.,(eds.), Towards World Constitutionalism(2005), pp. 837-838. See also Klabbers, Jan, An
Introduction to the International Institutional Law, Cambridge Univ. Press(2002), pp. 3-7.
48 例えば篠田英明は、一層広い射程から「各主権国家」と「国際社会」との関係において、国際社会の組
織化ではなく価値規範の直接的拘束性として「新しい国際立憲主義」の流れがあると指摘する。止揚の
先にはこのような立憲主義のあり方が見えてくるのかもしれないという意味で示唆的である。篠田英明
「国境を超える立憲主義の可能性」阪口正二郎編『グローバル化と憲法(岩波講座憲法5)』岩波書店、
2007年、112-115頁。
46
47
− 44 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
ムの正当性に関する最終的な擁護者とならなくてはならない」と主張する 49。
またワトソンは、より積極的に米国連邦憲法からの類推を行なう。彼は、連邦憲法における
司法審査の肯定論と否定論を紹介し、その否定論の根拠 50は、ICJの場合にも当てはまるが、そ
れでもなお、ICJは自身の正当性を脅かすことなく、他の国連機関による行為の妥当性を審査で
きるし、「憲法(constitutional)問題」における適切な審査の範囲を探求できる、と言う 51。
このように、彼らは、ICJに対して国連システム全体の正当性の最終的な擁護者としての役割
をもたせ、ICJによるロッカビー判決(仮保全措置命令)を「現代憲法へのよりよい近接(a
better approximation of a modern constitution)」あるいは「憲法的抑制(constitutional restraints)」
の探求という文脈のなかに位置づけている 52。その基本的認識は、次のようである。安保理は
政治的機関であるとしても、国連憲章という憲法から生じる法的に確定された権限によって制
限される。そのような安保理の政治的選択を限界づける法的規則の遵守よりも、安保理決議の
拘束的効果の方が厳格であるといったことはありえない。つまり、安保理は、魔法の公式のよ
うに第7章を援用することによって、憲章における明示・黙示の制約を尊重せずに済ますこと
ができる、と言うわけでは決してない 53。こうして、彼らの念頭にあるものが、現代憲法学の
鍵概念のひとつである「立憲主義」であることは明らかである。
憲法学における「立憲主義」とは、
「憲法」に則って政治権力が行使されるべきであるとする
考え方、あるいはそうした考え方に従った政治制度のことを指す。今日ほとんどすべての国が、
公式には立憲主義の体制を有しており、その内容も基本的には、かなり高度の統一性があると
される 54。その本質的要素としては、(1)民主主義による人民の政治参加、(2)人権保障、そ
して(3)統治機構を規定し、(4)通常の国内立法に優越する効力の認められた憲法典の存在が
挙げられる 55。しかし、この立憲主義は言うまでもなく、欧米で発達してきた考え方であって、
欧米における歴史的背景を無視することはできない。立憲主義は、政治権力の濫用という否定
的経験から、その対応として規則や制度を通して制限するための手段として発展してきた。つ
Franck, Thomas M., “The ‘Power of Appreciation’ : Who is the Ultimate Guardian of UN Legality?”, 86 AJIL
(1992), p. 523.
50 例えば、連邦最高裁判事の非民主性や憲法問題は司法決定によってそう容易く解決するものではないこ
となど。
51 Watson, Geoffrey S., “Constitutionalism, Judicial Review, and the World Court”, 34 Harvard Int’l Law Journal
(1993), pp. 28-39.
52 Reisman, W. Michael, “The Constitutional Crisis in the United Nations”, 87 AJIL
(1993), p. 95.
53 ヘルデゲンは、これを立憲的アプローチと呼ぶが、こうしたアプローチが試行錯誤的価値をもつことに
対して疑念を提起する。Herdegen, supra note 2, p. 150. 但し、本稿で考える立憲的アプローチは一層広い
射程をもつ。
54 いわゆる「立憲主義のグローバル化ないしは普遍化」と呼びうる現象である。阪口正二郎「はじめに」
阪口編『前掲書(脚注48)』、v 頁。
55 樋口陽一編『ホーンブック憲法』北樹出版、1993年、32頁。
49
− 45 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
まり、権力分立の考え方とは密接な関係にある。その権力分立のあり方は、欧米諸国において
さえ異なる文脈で発展してきたものであり、その成果のひとつである司法審査の制度も各国に
おいて多様である。類推するにあたってはこの事実に留意しておくべきである 56。
確かに、立憲主義の正確な定義は不可能である。しかし、立憲主義とはその中核において国
際組織の活動に制約を課し、組織を適切な行動基準に服せしめる考え方であるということにつ
いては、多くの者が賛成するところであろう。立憲的な制度とは、制度における主体間の相互
作用およびそれら主体と権限との間の相互作用に対して安定的で正当な枠組を提供することに
焦点をあてる制度とされる 57。さらに立憲主義は、表現の自由、適正手続き・参加の平等に高
い価値をおく民主主義や透明性、法の支配に従った権限の行使を含意する 58。そこでは、司法
審査に重要な役割が期待され、裁判官は法の支配と憲法の擁護者と見なされる。法の訓練を受
けた個人こそが、人間の権力追求に歯止めをかけるという課題に最も適していると見なされる
からである。このような意味における立憲主義は、安保理の問題に限らず、近年の実践的側
面 59とも、理論的側面 60とも深いかかわりがあると言える 61。
但し、上のような立憲主義の傾向の背景には、さらに確認しておかなくてはならない重要な
問題が存在する。すなわち、そもそも国連憲章はconstitutionであるのか、またそこで言う
constitutionという用語の指す意味は何であるか、そしてそのように言うことによって何を導き
出すことができるか、といった問題である。安保理の権限や活動の法的根拠は、当然ながらま
ずは、国連憲章に求められなくてはならない。実際に、国連憲章あるいは国際社会における国
連機関としての安保理の位置づけに対する認識の相違が、学説の多様性に反映されていると思
われる。
佐藤哲夫によれば、「国際組織法の領域においては、設立文書を国家間条約としての側面に重
点をおいて理解・解釈すべきなのか、当該国際組織の“constitution”としての側面に重点をお
いて理解・解釈すべきなのかという争点が、従来、根本的な問題として提起され、議論されて」
国内社会と国際社会の構造的差異については、ほとんどの者が十分に注意を払うであろうが、類推する
「国内社会」がどの社会かについては無意識な場合が多いであろう。そうした無意識な類推の問題性に
ついて、大沼保昭「国際法学の国内モデル思考―その起源、根拠そして問題性―」広部・田中編集代表
『国際法と国内法』勁草書房、1991年、57-82頁。
57 Klabbers, Jan, “Constitutionalism Lite”, 1 Int’l Organizations Law Review
(2004)pp. 32-33.
58 なお、最上敏樹は、
「自然状態の克服あるいは平和の構築、法の支配の確立、公権力の創設とその制御、
権利(国家のそれか、人間のそれか)の擁護あるいは制限―連鎖するこれらの諸問題を包み込むもの」
として国際立憲主義という枠組を提起する。最上敏樹「国連の《二〇〇年》国際立憲主義についての覚
え書き」『法律時報』第67巻6号、1995年、44-50頁。
59 欧州連合(EU)
、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行グループ等において。
60 国際法協会(ILA)
、国際法学会(Institut)、国連国際法委員会(ILC)における国際組織のアカウンタビ
リティー・責任に関する議論等。
61 EUやWTO、世界銀行といった実行面に関する問題は、次節脚注(87)を参照のこと。
56
− 46 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
きた。つまり、国連憲章の法的性質をめぐっては、従来、国連憲章を多数国間条約として理解
するか、それとも国連の活動・任務の基本的基礎となる憲法的なものとして理解するかという
枠組で議論されてきたのであり、どちらの側面に重点をおくかによって、国連憲章の解釈の仕
方も変わってくるというものであった 62。
ところが、近年次第に高まってきた議論においては、以下のような見方も付加されてきてい
る。すなわち、「国際社会の組織化と構成及び武力行使に関する法において第一次大戦後に生じ
た発展は、国際社会の憲法的基礎にかなりの影響を与えた。国際組織は、国際法の上部構造
(super-structure)のみならず、国際社会の憲法的枠組み(constitutional framework)としても理
解されるべきであり、今日の普遍的国際組織とそれを取り巻く法は世界憲法の若干の要素をも
ち始めている」63。
このような状況を踏まえて、国際組織の“constitution”の概念と国際社会における憲法とし
ての“constitution”の概念は、明確に区別すべきであるとされる。確かに、実際にかなりの程
度普遍性を実現している国連においては、国際社会の憲法としての“constitution”の要素が
種々見出され、両者の区別は相対的なものであるが、理論的理念的には明確に区別すべきであ
ると言うのである 64。確かに、国際法における“constitution”概念については、国際組織の設立
文書としての意味と、国際社会の憲法としての意味を一旦区別しておく必要があろう。ここで
は、佐藤哲夫の用法に倣って、前者の意味におけるconstitutionを組織法と呼んでおく。
従来、国連がその目的・任務を果たすために権限を拡大していくにあたって、国連の組織法
としての側面に重点をおく考え方は非常に有益であった。若干の論理的飛躍を恐れずに言えば、
前節で述べたような国際組織の権限拡大と国家主権による抵抗という図式は、ここで言う組織
法的な理解と多数国間条約的な理解の対立という図式と軌を一にする。しかし、冷戦解消後の
安保理の実行は、一見して、そのような従来の枠組では説明できない要素をもち始めている。
佐藤哲夫「国際社会における“Constitution”の概念」『一橋大学法学部創立五十周年記念論文集 変動期
における法と国際関係』有斐閣、2001年、505頁。
63 佐藤「前掲論文」
、502頁。
64 「
『国連憲章は国際社会の憲法か?』という問題設定におけるconstitutionの概念は記述的(descriptive)な
意義を有するものであり、法的効果の点では規範的(prescriptive)な意義を有するものではない。政治
的政策的な次元でのみ、規範的な意義を有するに過ぎない……。
また国際社会の憲法としての“constitution”の概念規定が実定国際法上確定していない結果として、
どのような要素を備えていれば、ある規範または法的文書が国際社会の憲法としての“constitution”で
あると認定できるのかという要件が定まっていない。さらに、この要件の問題と、ある規範または法的
文書が国際社会の憲法としての“constitution”であると認定された場合にその認定の帰結としてどのよ
うな法的結果が付着することになるのかという効果の問題とが、必ずしも明確に区別することができな
い……。
」佐藤「前掲論文」
、508頁。そこでは、クロフォードによる官僚制的な(bureaucratic)constitution
(弱い意味におけるconstitution、組織を構成する)と、基礎的な(basal)constitution(強い意味における
constitution、社会を構成する)との区別が引用されている。Crawford, James, “The Charter of the United
Nations as a Constitution”, Fox, Hazel,(ed.), The Changing Constitution of the United Nations, The British
Institute of International and Comparative Law(1997), p. 8.
62
− 47 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
そこで国連憲章は、国連の組織法としてのみならず、「国際共同体」概念の生まれた国際社会の
憲法として位置づけられる。そうして現象を説明しようとする傾向は確かにある。
ファスベンダーのまとめによれば、国際社会の憲法の意味における言説には大きく3つの潮
流があると言える 65。第1は、フェアドロスによる純粋法学的な国際社会の基礎づけであり、
第2の潮流に影響を及ぼした。第2は、ICJ判事であったモスラーに始まりジンマやトムシャッ
トに受け継がれる「国際共同体理論」と呼ばれる潮流である。第3は、マクドゥーガルからリ
ースマンに連なる「ニュー・ヘイヴン学派」である。ファスベンダーはこのうち第2の潮流を
主流と位置づけて、自らも国連憲章を「国際共同体」の憲法として理論化することを試みてい
る 66。すべての潮流において、そこで念頭におかれているのが国際社会の秩序構築・構想であ
ることは間違いない。
以上の議論状況を踏まえると、多くの論者は必ずしも2つの意味におけるconstitutionを明確
に区別しているわけではなく、
(積極的な)混同も見受けられる。ここでは、そうした混同がな
ぜ起こるのかに着目したい。それは、無意識にせよ意識的にせよ、何らかの要因が背景にあり、
かつ意義があると考えるからである。この点を踏まえて、次に2つの意味におけるconstitution
の観点から包括的に(おそらく意識的に混同して)議論しているクラッバースの論文 67を検討
し、分析枠組設定の手がかりとする。
2 クラッバース「立憲主義・控えめ(Constitutionalism Lite)」論文の検討
現在の国際組織における立憲主義へ向けた議論に対して、クラッバースは、心地の悪いパラ
ドックスが存在すると指摘する。彼は、(a)既存のコントロール・メカニズムの不十分さ、(b)
立憲主義の魅力、(c)立憲主義に固有のパラドックスを検討したうえで、(d)代替案の提示を
している。以下、それぞれについて若干の評価を加えつつ紹介する。
(a)立憲主義の先駆け(Constitutionalism’s Precursors)
彼は、さまざまな既存の理論をコントロール・メカニズムの観点から検討し、それらの不十
分さを指摘する。明示的権限(expressly granted powers)の理論は組織を窒息させるし、黙示的
権限(implied powers)の理論はそれ自体のなかに制限の要素が組み込まれているとはいっても
現実にはむしろ無制限である。機能主義(the doctrine of functionalism)68または機能的必要性
65
66
67
68
Fassbender, supra note 47, pp. 838-842. そこでは、ピータースマンが立憲主義の観点から人権を国連法
へ統合する必要性を主張していることについて、それを第4のアプローチと位置づけている。
この第2の潮流について批判的に検討を加えるものとして、von Bogdandy, Armin, “Constitutionalism in
International Law : Comment on a Proposal from Germany”, 47 Harvard Int’l Law Journal(2006), pp. 223-242.
Klabbers, supra note 57, pp. 31-58.
この考え方を定式化したのはヴィラリーであるとする。Ibid., p. 39. 確かに、ヴィラリーは国際組織の法
− 48 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
(functional necessity)の理論 69も、制約の要素は組み込まれているがさまざまな理由で維持でき
ない、とする。その理由の第1は、この理論が組織の利益に焦点を当てすぎるあまり、組織の
外部者の立場を忘れさせることである 70。理由の第2は、それらの理論が、具体的紛争におい
て用いるにはあまりにも不明確であることである。第三者による一貫した適用がない場合にお
いて、組織の活動に多くの制約を課すとは考えられない、と言うわけである 71。
次に、コントロール・メカニズムとして考えられるのはいわゆる権限踰越(ultra vires)理論
である。しかし、有効性の推定(presumption of validity)が原則であることは、ICJが、ある種
の経費事件で強調しているところである。このような状況において推定を覆すことは、とりわ
け加盟国全体がその活動をよいものと見なしているような場合には、実際上困難である。さら
に、これも機能的必要性の理論と同様、一貫した適用を行う第三者機関(行政的であれ司法的
であれ)がない限り現実的でない。このような状況では、モレリ判事がある種の経費事件で述
べたように 72、権限踰越理論は存在しないに等しい、とする 73。
この点、しばしば指摘されるように、権限踰越理論と黙示的権限理論とは表裏一体関係にあ
るように思われる 74。クラッバースも、立憲主義においては「司法審査に重要な役割が期待さ
れ、裁判官は法の支配と憲法の擁護者と見なされる」と述べていることから 75、立憲主義は権
限踰越理論を重視するものと考えられる。
最後に、クラッバースはいわゆる政治的コントロールに関する措置を取り上げる。具体的に
は、分担金支出の停止と組織からの脱退である。しかし、これらについても、実行する国にと
っては正当性の観点から望ましくないし、あくまで最終手段であって日常的に行使できるもの
ではない 76。これについては、加盟国の最終手段に訴える権利(the right of last resort)の可能性
という形でもう少し詳しく検討する必要があるであろう。
69
70
71
72
73
74
75
76
的分析における機能(fonction)概念の重要性を指摘する。Virally, Michel, “La notion de fonction dans la
théorie de l’organisation internationale”, Bastid, Suzanne, et al.(eds.), Mélanges offerts à Chales Rousseau : La
communauté internationale, Paris, Pédone(1974), pp. 277-300. また、佐藤『前掲書(脚注44)』、1-2頁。「国
際組織の法的分析にとっては、国際組織の目的・任務と、組織構造・権限・権能・活動形態等との関係
をいかに構成するかが重要な問題となる」と述べる。
この理論は、ヴィラリーの定式化を、シュヘルメルスとブロッカーらが一般に普及させた(popularized)
ものと説明している。Ibid., citing Schermers, Henry G., and Blokker, Niels M., International Institutional Law,
4th ed., Martitunus Nijhoff(2003), pp. 10-15.
例えば、国際組織が裁判権免除を共有することが機能的に必要であることを強調するあまり、そのこと
で個人が裁判にアクセスすることを拒否されるといった政治的に受け入れがたい状況を生み出す。
Ibid., pp. 38-40.
Certain Expenses of the United Nations, Separate Opinion of Judge Morelli, pp. 222-224.
Klabbers, supra note 57, pp. 40-41.
例えば、Blokker, Neil, “Beyond ‘Dili’ : On the Powers and Practices of International Organizations”, Kreijen,
Gerard,(ed.), State, Sovereignty, and International Governance, Oxford Univ. Press(2002), pp. 305-307.
Klabbers, supra note 57, p. 33.
Ibid., pp. 41-42.
− 49 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
要するに、既存のメカニズムはそもそも制約可能性を内在しているので、
(準)立憲的技術と
呼ぶことができるかもしれないが、実行可能なものとは見なされていないのである。
ここで、クラッバースは大変重要な点を指摘している。すなわち、結局のところ組織を動か
すのは加盟国の意思であり、コントロールの下におかれるべきは組織だけでなく加盟国でもあ
るということである。その意味で、近年の立憲主義言説は、加盟国とは別個の独立した存在と
しての国際組織を強調するあまり、加盟国に対するコントロールを見落としており、部分的に
誤り、と言うのである 77。立憲的アプローチが表面的なものにならないためには、この点に留
意しておくことが必要であろう。
また、クラッバースは黙示的権限理論も機能主義理論(機能的必要性理論を含む)も、基本
的に同一の範疇に含まれるものとして論じている。彼自身、その他の論文では、機能的アプロ
ーチに対する立憲的アプローチの提示という形で議論しており 78、現在の学説における議論も
大体このような図式で行われていると考えられる。しかし、
「機能的アプローチ」が何を指すか
については、論者により、また議論の次元により異なりうるので、注意が必要である 79。それ
を踏まえてクラッバースの議論から機能的アプローチの内容を抽出すると、大きく次の2つの
要素があると考えられる。第1は、広い意味での解釈論レベルにおける国際組織の目的・機能
(に対応した必要性)の重視である。第2は、国際組織の一般理論レベルにおける機能主義に対
応する。ここでの「機能」とは問題領域のことを指し、この理論の延長線上に「機能毎」の国
際組織・レジームの並存状況が存在する 80。
Ibid., p. 44. 強調は筆者。
以前、クラッバースはOPCWの事務局長の解任が問題となったいわゆる「ブスターニ」事件ですでに従
来の機能的アプローチに対する立憲的アプローチという考え方(解釈の仕方)を提起していた。しかし
そこでは、「何らか制約を課すこと」程度のかなり柔軟な概念として用いられており、概念としての精
緻さに欠けていた。Klabbers, Jan, “The Bustani Case before the ILOAT : Constitutionalism in Disguise?”, ICLQ
(2004), pp. 455-464.
79 機能的アプローチに対する立憲的アプローチという視点は、国際関係論におけるグローバル・ガヴァナ
ンス論において議論されている。Reinisch, August, “Governance Without Accountability?”, 44 German
Yearbook of Int’l Law(2001), pp. 294-295. そこでの機能的アプローチは、いわゆるデイヴィッド・ミトラ
ニーを基礎とする機能主義につらなるものである。この意味における機能主義については、横田洋三
『国際機構の法構造』国際書院、2001年、51-55頁が、「機能主義」の多義性に鑑みて「機能的統合説」と
訳している。また最上敏樹『国際機構論[第2版]』東京大学出版会、2006年、325-331頁は、本稿の射
程よりも一層広い視野から国連体制のあるべき姿について、機能主義と立憲主義の双方から分析を加え
ている。さらに、最上敏樹「国際機構と平和」『平和研究』33号、2008年、1-22頁も参照のこと。そこで
いう「機能」とはクラッバースのいう黙示的権限や機能的必要性理論における「機能」とどのような論
理的連関があるのか、それともそもそも議論の次元が異なるのだから論理的連関を考えることに無理が
あるのか、筆者はまだ整理できていない。しかし、「機能」という同じ概念を用いていること、さらに
は国連のあり方を考えるという共通の問題意識をもっていて、それに対して「立憲主義」という考え方
を付き合わせていることは確かである。また、この問題については、ハーバーマスをはじめとする広く
政治哲学の分野からの議論も活発である。Habermas, Jurgen, Divided West, Polity Press(2006). これらを踏
まえた考察が必要であることは明らかであるが、現時点では筆者の能力を超える。
80 クラッバースが第2のレベルにおける機能主義を想定しているかどうかは必ずしも明らかではない。し
77
78
− 50 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
(b)立憲主義の魅力(Constitutionalism’s Attractions)
クラッバースは、
「国際組織における立憲主義」のもつ魅力的な点を大きく5つ挙げている 81。
第1は、日常的な政策を越えた不変の、あるいは変えることの困難な価値に基づく政策の側面
の存在を示唆することである。そうした価値を枠づけるものとして立憲主義が想定される。第
2は、憲法や、立憲主義または立憲化(constitutionalization)といった派生語がそれ自体、正当
性の要素を併せもっているということである。例えば立憲的な政府は正当な政府と見なされる。
同様に国際組織に対しても、正当性を付与するメカニズムとしての立憲主義が容易に想定され
うる。第3に、立憲主義はこれまで「真の法ではない」ということで劣等感をもってきた国際
法学者に対して、「ほぼ真の法」を約束するものとして魅了する。第4に、国際法が、通常の国
内立法のみならず、政治共同体と市民の関係に属するような問題(国内行政法・憲法上の問題)
に対しても影響を及ぼすようになっていることがますます認識されている。
そして、彼が最も魅力的な点として指摘するのは、国際法の分裂化(fragmentation)問題と
の関係である。彼によれば、立憲主義言説は大部分において分裂化への懸念に対する条件反射
的対応である。貿易と環境、貿易と人権、貿易と労働基準の競合は、それ自体では解決できな
いが、少なくとも立憲主義の基盤においては処理できるようにも見える。なぜなら、立憲主義
の基盤は容易に影響されることのない何らかの価値の存在を示唆するからである。あらゆる分
裂の根底には、ある一体性があり、それを示すのが立憲主義だと考えられるわけである 82。
こうした立憲主義の魅力は、(a)で指摘した2つの意味の「機能主義」にほぼ対応する。第
1の点(不変の価値の枠づけないし固定化としての立憲主義)は、国際組織の目的・機能によ
る際限ない拡大(少なくとも、立憲主義の立場に立つ論者によってそうだとみなされている)
に対応しようとするものである。第2の点(正当性の要素)も同様である。他方で、第3の点
(「真の法」を約束)、第4の点(対象事項の拡大)、第5の点(国際法の分裂化への対応)は、
国際組織の一般理論の次元における機能主義に基づく国際組織の並存状況に対するアンチテー
ゼであると考えられる。
(c)立憲主義のパラドックス(Constitutionalism’s Paradoxes)
クラッバースは、国際組織をめぐる立憲主義の議論はあくまで国家間主義に基づいており、多
くの立憲主義者が渇望するところのコスモポリタン主義的な立憲主義とは、かなりかけ離れて
いると指摘する。このことから、はたして国際法が概念的に立憲主義を取り込むことができる
81
82
かし、「国際法の分裂化」問題を議論の射程に含めていることに鑑みれば、議論の次元としては国際組織
の一般理論レベルにおける機能主義に踏み込んでいると思われる。
Klabbers, supra note 57, pp. 47-49.
Ibid., p. 49.
− 51 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
のか、あるいはmeta-constitutionalismというような別の用語で表現すべきではないかといった疑
問を抱く者が現れている 83。要するに、国内の立憲主義と、国際組織における立憲主義には、
齟齬が見られるということになる。すなわち、立憲的な権威(constitutional authority)とは唯一
の淵源(例えば人民の意思)からのみ得られると考えられ、さまざまなものに基礎をおく立憲
的権威(国際組織における立憲主義)を語るのは一貫性に欠けることとなる 84。
さらに、より一層深刻なパラドックス(の組み合わせ)がある。すなわち、一定の規則や価
値を固定化することは、ただ単に将来世代に対して価値あるものを保存するのみならず、将来
世代にとって変化に応じた変更を困難にすることにもなる 85。こうして、本来立憲主義は固定
化を目的としているにも関わらず変更を余儀なくされるというパラドックスに陥ることになる。
逆に言えば、昨日の立憲化は今日の(脱)立憲化により取り消されうるのであり、立憲化を主
張して得られることは、かなり限られているということを意味するし、少なくとも多くを期待
すべきではない、と言うのである 86。彼は、そのようなパラドックスを示す例として、世界銀
行、EU、WTOにおける議論を挙げて分析する 87。
そのうえで、彼は結局のところ立憲主義のパラドックスとは「コントロールに向けて取り組
むとはコントロールを諦めることを意味する(seizing control means giving up control)」と端的に
83
84
85
86
87
Ibid., p. 50. この点は、EUを念頭においた場合、一層複雑な問題になる。さしあたり、Pernice, Ingolf,
“The Global Dimension of Multilevel Constitutionalism : A Legal Response to the Challenges of Globalisation”,
Dupuy, Pierre-Marie, et al(eds.), Common Values in International Law Essays in Honour of Christian Tomuschat,
N. P. Engel Verlag,(2006), pp. 973-1005.
クラッバースによれば、EUにおいてドイツのような加盟国の憲法裁判所が、依然として超国家という魅
力に動揺することなく、自らの優越性を擁護しようとしている傾向もこのような見解に合致する。Ibid.,
p. 50-51.
例として、安保理の常任理事国の議席をめぐる問題を挙げている。Ibid., p. 51.
Ibid., pp. 51-52.
Ibid., pp. 52-53. そうした分析の内容は大要次の通りである。世銀においては、十分な正当性をもって人
権を考慮に入れることが主張されるが、これは世銀の任務(mandate)を広げることにもなる。これは世
銀の権限を拡大することを意味すると同時に、加盟国にとってはコントロールすることができなくなる
ということを意味する。
EUにおける人権保護の範囲に関する議論も同じ問題を提起している。すなわち、いかなる対象範囲の
拡大の試みもEU権限の拡大を伴う。従って、EC裁判所の判例法のいくつかは、結果としてEU権限の拡
大を招き、適切なレベルを超えて加盟国による国内政策の余地を制約するものだといった批判に直面し
ている。そしてこのことは、EU基本権憲章第51条において、憲章が共同体に対して新しい権限を確立ま
たは修正するものではないということを明記する必要があったことが決して偶然ではなかったことを意
味する。
WTOについても同様の議論がある。WTOに環境や労働問題に対する責任を負わせるということは、同
時にWTOに対するコントロールを困難にすることにもなる。他方で、環境や労働問題に対して責任を負
わないとしても、必然的に他のレジームから他の規則が侵入してくることを防ぐことはできず、結果と
して不安定な状態におくことになり再びコントロールは失われる。ある者が主張するように、WTOはあ
くまで平等待遇を管理するものとしてその任務を限定することも可能であろうが、この考え方は別個に
考えられた場合に機能するのであって、他のレジームからの競合に直面する場合には無力であるといわ
ざるを得ない。
……以上の分析からは、往々にして人権が問題の中心となっていることがわかる。
− 52 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
指摘する 88。コントロールが概念的にどういったものを指しているかについては、本稿の文脈
においてもより詳細な検討が必要であるが、ここでは、彼がコントロールの問題と国際法の分
裂化の問題を結びつけて議論していることに着目したい。彼によれば、国際法の分裂化を防ぐ
ために提起される立憲主義は、それ自体分裂化を一層進めてしまう可能性がある。
この論理はいまひとつ分かりにくいものだが、大要次のようである。立憲主義はそれぞれの
レジームで議論されている。そして、仮にそれらレジームのいくつかが真に立憲的なものにな
ったとすると、当該レジームは他に対する優越性を正当に主張できる。しかしすべてのレジー
ムが立憲的になった場合、他に対する優越性は無意味になる 89。
さらに、優越的な価値や優越的な権威に依拠することは第2のパラドックスを提示する。立
憲主義の理念は、まさに立憲主義が人類を非政治的・非イデオロギー的世界、すなわち人々が
もはや互いに論争することのない世界に導くことを助けるということを前提としている。しか
し、現実的にそのような世界はありえないし、むしろおぞましいものである。一定の固定的な
価値に一致させることを主張して政治を克服するといった考えは必ず失敗する。なぜならそう
した価値に依拠することはそれ自体、きわめて政治的だからである。このことは国内憲法が最
も政治に近いことと偶然ではない、と言うわけである 90。この点は、立憲主義の観点から安保
理の活動をめぐる法と政治のかかわりを考察するうえで重要なポイントになるであろう。
(d)立憲主義を代替するもの(Constitutionalism’s Alternative)
クラッバース自身は、上で見たように真の(pur sang)立憲主義に対して懐疑的であり、そ
の代替案を提示している。端的に言えば、それは論文のタイトルが示しているように、立憲主
義を控えめあるいは薄めに捉えて立憲的アプローチと呼ぶものである。本稿では、彼と一定程
度問題意識(国内法で当てはまる立憲主義が国際組織においてそのまま適用できないという前
提)を共有するものであり、以下では立憲的アプローチの用語を用いる。但し、彼の提示する
立憲的アプローチと必ずしも一致するものとはならないであろう。本稿はあくまで予備的考察
にとどまり、立憲的アプローチの正確な内容・意義については、今後の検討・分析を踏まえて
確定されていくものと考えている。いずれにせよ、ここでは簡単に彼の考える立憲的アプロー
チについて検討を加えておくことが有益と思われる。
彼の言う立憲的アプローチは、基本的に法と政治の関係における次のような理解の仕方に基
づく。
88
89
90
Ibid., p. 53. 強調、筆者。
Ibid., pp. 53-54.
Ibid., p. 54. 強調、筆者。
− 53 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
「立憲的アプローチは、国際生活において政治は必然であるということを前提とする。それどころか、
政治はよいものということを前提とする。地球上の60億の人々がおよそ200の国々・領域に分断されてい
ることを考えれば、その他の選択肢は考えにくい。根本的な問題について意見を異にするような状況で
行為主体がなすべきことは、この意見の不一致に目を見開いて向かい合い、(相対的な)平和と調和が維
持された生活が可能になるような方法について、積極的に議論することである。少なくともそのことは、
少数派の意見(それは熱狂的な多数派によって蹂躙されてはならない)と多数派の意見(少数派は多数
派を負かすようなやり方で活動を妨害することはできない)の両方に対する手続的保障を含む議論のた
めの手続が存在することを意味する。…おそらくコンセンサスの観念…が変化と安定の両方の要請を満
91
たすであろう。」
このように、国際組織の活動における政治の重要性、さらには政治的決定におけるコンセン
サスの重要性を指摘しつつ、個人の国際法専門家等に重要な決定をゆだねるといった意味で極
端なリーガリズムに陥ることを戒める 92。そして、コントロールに関しては次のように述べる。
「何らかの独立したコントロールの形態、おそらくは国際組織の内部に組み込まれた何らかの司法審
査メカニズムの形態も関連性を有する。これは、権利主義の衣装をまとうことは避けるべきであるが、
主に手続的テストに限定してありうるべきである。これには主に聴聞権や組織の意思決定手続への参加
93
権が含まれるであろう。」
ここで指摘されている参加は、正式な組織の加盟国だけに限定される必要はなく、すべての
関連主体をカヴァーするとされる 94。しかし、立憲的アプローチは、できる限り権利に関する
語の使用を避けるべきと言うことの意図は必ずしも明瞭ではない 95。少なくとも、国内立憲主
義をそのまま適用することが困難であり、法と政治の関係に関する国際関係の現実を踏まえる
べきという趣旨であろう。
彼はそもそも立憲主義に懐疑的である。「立憲主義のパラドックス」の部分で述べているよう
91
92
93
94
95
Ibid., pp. 55-56. 強調、筆者。
「立憲的アプローチはまた、政治の政治的性質を承認し、高度に政治的な決定を国際組織の内部にせよ
その他にせよ管理的(managerial)または専門家の委員会に委ねるといった誘惑に対して屈しないよう、
思慮が求められる。政治責任は、他でもない政治的行為主体によって果たされるべきであり、また密室
ではなく完全に目に見える形で(in full view)果たされるべきである。」Ibid., p. 56.
Ibid., p. 56.
Ibid., pp. 56-57.
この点は、クラッバースの別稿を詳細に検討することが有益かもしれない。Klabbers, Jan, “Straddling Law
and Politics : Judicial Review in International Law”, Macdonald & Johnston(eds.), supra note 47, pp. 834-835. 裁
判所による司法審査という一層限定的な観点から、どのような内容について審査することができるか、
について論じている。
− 54 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
に、立憲主義に「多くを期待すべきではない」と考えている。ここで、立憲主義のパラドック
スは再び、上で示した2要素に対応する。すなわち、解釈論レベルにおいて「コントロール」
をもち込む立憲主義は「コントロール」を諦めることになるという指摘と、一般理論レベルに
おいて「国際法の分裂化」を防ごうとする立憲主義は「国際法の分裂化」を一層進めることに
なるという指摘である。
これらの点を国際共同体の一体性に関する視点からどのように評価できるであろうか。クラ
ッバースのいう国際法の分裂化に対する立憲主義による対応という図式は、確かに主張されて
いる。例えば、ドゥ・ヴェットは、国連システムをさまざまな機能的レジームを結合するため
の主要な要素とする萌芽的な国際憲法的秩序があると言う。さらに、結合的役割をになう国連
憲章は構造的性質のみならず、実体的性質も有するとして、
「国際的な価値システム」との関連
性を論じる 96。クラッバースはこの点について「一定の固定的な価値に一致させることを主張
して政治を克服するといった考えは必ず失敗する」と言う。ここに明らかに、対立点が存在す
る。
これは、政治と法の関係に対する認識の違いに行き着くのであろう。彼は、自らの考える立
憲的アプローチがいかなるものかについて、結論部分で次のように述べている。
「立憲的アプローチは、目的が手段を正当化しまた憲法文書に固定されるべきというテーゼに基づい
ては機能しない。立憲的アプローチは、政治行動はそれ自体が政治の最終目標であるというテーゼに基
づく。政治のためには政治しかありえない。…変化と安定の両方に対して柔軟であることしかし柔軟す
ぎないこと。さもなければ立憲主義という名の下に全体主義的又は帝国主義的な計画を推し進めるとい
97
う結果になるであろう。」
このような言及は、すでに指摘した、彼の政治の重要性に対する配慮とリーガリズムに対す
る懸念を反映していると言えよう。それ自体は十分考慮に値すると思われる。しかし、結局の
ところ立憲主義でもなく機能主義でもない、立憲的アプローチとは何なのであろうか。彼の立
憲主義に対して指摘する問題点は個々に首肯できるが、他方で、立憲的アプローチにおける法
の位置づけ・役割とは何かについて疑問が残る。また個別の具体的問題に照らすことなく評価
するのは困難である。そうした点も踏まえて、以下では、立憲的アプローチにはどのような意
96
97
de Wet, Erica, “The International Constitutional Order”, 55 ICLQ(2006), pp. 56-57. 彼女は、そのような国際
共同体の一体性を支える価値が人権にあると考えているようである。例えば、idem, “The Emergence of
International and Regional Value Systems as a Manifestation of the Emerging International Constitutional Order”,
19 Leiden JIL(2006), pp. 611-632.
Klabbers, supra note 57, pp. 57-58.
− 55 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
味が込められうるかについて、筆者なりに整理してみる。
3 立憲的アプローチの記述的意義と処方的意義:分析枠組の模索
国際法学における立憲主義言説は、確かに国際法秩序全体の大きな変化によって誘引された
ものである 98。安保理の活動は、そうした国際法秩序全体に対して大きな影響を及ぼすもので
あり、本稿が対象とする安保理の憲章第7章に基づく活動が、直接的に立憲主義言説と関連し
ていることは明らかである。国際法学における立憲主義言説は、国際法秩序や統治構造に関わ
る議論であると考えられるが、国際組織の活動が増大し国際社会の統治(governance)99の側面
に大きな影響を及ぼすようになっているという点では安保理の場合も同じである。その意味で、
「国際法における立憲主義」において「国際組織における立憲主義」が占める割合は決して小さ
くはない。
(a)機能主義対立憲主義という対立軸
これまで国際組織の発展を基礎づける考え方が、前節で示した2つの意味における機能主義
であったとすれば、そのような考え方に対して立憲主義が提示する新しい視点は、一見したと
ころ、検討する価値があるように思われる。しかし、ここではそれぞれの多義性に留意してお
く必要がある 100。また、立憲主義とはすなわち国内類推に基づくものであるが、このことの危
険性にも留意しておく必要がある。
繰り返しになるが本稿では、国内の立憲主義とは異なる緩やかな意味で立憲的アプローチを
用いることが適切であるという立場をとる。また、機能主義対立憲主義という対立軸はあくま
で分析枠組としてのものであり、実際は重なり合う部分もある。また、ある論点においては機
能主義の立場だと思われる論者も、別の論点では立憲主義の立場に属すると思われる場合もあ
りうる。そのことを踏まえたうえで、機能主義と立憲主義それぞれの(ある種極論的な)理念
型を想定し、それらに照らしてさまざまな法的問題を検討することで新しい示唆を引き出すこ
とができるのではないかと考えるものである。結論を想定して言えば、この対立軸はそのどち
らかをとるべき類のものではなく、むしろ補完的または弁証的な関係にあると言えるであろう。
98
Helfer, Laurence R., “Constitutional Analogies in the International Legal System”, 37 Loyola of Los Angeles Law
Review(2003), p. 194. 立憲主義的類推が国際法秩序の抱える問題に対して有益な視点をもたらすとして、
立憲主義言説について簡潔にまとめている。
99 この概念自体、不明確であることは否めない。
100 これまでに挙げた参考文献だけでも、立憲主義にはどのようなものが含まれるかについて学者の間で統
一的な見解が見られないことは明らかである。
− 56 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
(b)立憲的アプローチの記述的意義と処方的意義
立憲的アプローチについて考える場合には、記述的(descriptive)意義(説明概念としての立
憲主義)と処方的(prescriptive)意義(目標概念としての立憲主義)との区別が重要である 101。
概して、記述的意義においては機能主義の占める役割が、処方的意義においては立憲主義の占
める役割が、それぞれ大きいと推測できる。しかしこの差異も相対的であり、現状を考察した
場合に、立憲主義の記述的意義を認めることも可能かもしれない。要するに、分析の仕方とし
て、記述的意義と処方的意義のどちらの観点から評価を加えようとしているかについて意識し
ながら行っていくことが重要である。
それでは、立憲的アプローチの処方的意義としてどのようなものを想定しうるであろうか。
例えば、ペーターズは、多様で重層的な立憲主義(constitutional network)のイメージを整理し
たうえで、それらの政策的影響として次の3点を挙げている 102。第1は、広い解釈の余地を残
す規範を解釈するさいの指針となることである。具体的にどのような形で指針を示すことにな
るかは必ずしも明らかではない。しかし、組織法としての解釈に留まらず、国際共同体の憲法
としてどのような解釈指針を示すことができるかという点が問題となるであろう 103。第2は、
政治的行為主体による法形成過程へ影響を及ぼしうることである。これは、安保理における適
切な代表性の欠如や安保理の権限の法的確定、ICJの司法審査に関係する。これは要するに、国
際共同体における制度構築について有益な示唆をもたらすということであろう。そして第3は、
国際組織によるグッド・ガヴァナンスの実現の顕著な失敗を晒す役割を果たすことである。これ
については、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける領域管理が例として挙げられている。これは、
安保理が領域の統治をはじめとする国際共同体の統治に関わる場合には、立憲的アプローチが
問題性を暴露する機能を果たすということであろう。
「説明概念」と「目標概念」については、最上敏樹『国際立憲主義の時代』岩波書店、2007年、1-22頁。
なお、米国単独主義に対する「国際法の立憲化」(の必要性)という場合には、立憲主義は「抗議概念」
であると説明されている。
102 Peter, Anne, “Global Constitutionalism Revisited”, 11 Int’l Legal Theory
(2005), pp. 64-68 ; idem, “Compensatory
Constitutionalism : The Function and Potential of Fundamental International Norms and Structures”, 10 Leiden JIL
(2006)
, pp. 579-610. 後者の論文では、これらの3点に加えて、国内法との関係についても示唆している。
憲法や立憲主義という語を用いる以上、必然的に国内法や国内法における立憲主義との関連も問題とな
ってくるが、ここではひとまず対象外としておく。
103 同様にフランクは、“constitution” としての要素が憲章の解釈にも影響を及ぼすと指摘する。しかし、国
連の組織法という意味か、国際共同体の憲法という意味か、必ずしも定かではない。彼は、憲章が
constitutive instrumentであることを示す性格として、圧倒的永続性(pervasive perpetuity)、消去不可能性
(indelibleness)、首位性(primacy)、制度的土着性(institutional autochtothony)を挙げる。これらの4つ
の要素が、通常の契約的な規範的取極よりも、憲法に近接していることを示しているという。「憲章が
憲法(a constitution)か否かは、系統だった相互行動に関する規範が司法機関、政治的機関または事務総
長 に よ っ て な さ れ る 解 釈 の あ り 方 に 影 響 を 及 ぼ す 。」 Franck, Thomas M., “Is the UN Charter a
Constitution?,” Frowein, Jochen A., et al(eds.), Negotiating for Peace(2003), p. 102.
101
− 57 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
ここで重要な点は、以上の3点を踏まえてみると、ここで言う立憲的アプローチの処方的意
義とは、それ自体として実定法解釈における法的効果をもつというよりも、むしろある解釈に
対して一定のアンチ・テーゼを示すものであるか、あるいは、ある解釈を補完し、基礎づける
ことではないかと思われる 104。
(c)機能主義の要素
以上の点を踏まえて、まず機能主義の要素をまとめておこう。ポイントは大きく5点に分け
られる。第1は、安保理の第7章権限について、黙示的権限ないし機能的必要性を強調するこ
とである。ここでは、国際の平和と安全の維持・回復という目的が大変重要な地位を与えられ
る。一般的な表現を用いれば、「平和」と「法(justice)」が競合する場合には、安保理は「平
和」を優先すべきである、といった考え方である 105。また、安保理の活動を評価・基礎づける
ための基準は、「それらの活動が本当に国際の平和と安全の維持または回復に寄与しているかど
うか」ということになる 106。
第2に、国連憲章と一般国際法の関係について、原則として一般国際法の拘束性を否定する
傾向がある。この点は、一般国際法としての慣習国際法は、憲章の枠組または制度的実行を通
じて取り込まれる限りにおいて、法的制約となるといった主張において顕著である 107。この考
え方は、機関の実行に対して大きな意義をもたせる考え方 108にも連なると言えよう。「一般国
際法」にどのような意味を込めるかにより、議論に齟齬が生じる可能性はあるが 109、概して、
機能主義に立つ場合には、安保理の任務・機能の達成が重視されるために、政策的考慮や実効
性の概念が重視される、と言うことはできるであろう。
ペーターズによれば、立憲主義の政策的影響とは要するに正当性の問題である。力の現実の前では、国
際法は、せいぜい「象徴的立憲化(symbolic constitutionalization)」で自らを満足させなくてはならない。
Peters, supra note 102,(Int’l Legal Theory), pp. 66-67.
105 少なくとも憲章起草時には、こうした考え方が圧倒的であった。Kelsen, Hans, The Law of the United
Nations : A Critical Analysis of its Fundamental Problems, Stevens and Sons, London(1950), p. 735.
106 例えば、旧ユーゴ国際刑事裁判所を設置するさいに、その正当化根拠としてこの点が頻繁に主張されて
いた。
107 このことの正確な意味は、今後の検討で明らかにしていくこととなるが、ここではそうした考えをとる
者として、Alvarez, José E., “The Security Council’s War on Terrorism : Problems and Policy Options”, de Wet
& Nolkaemper(eds.), Review of the Security Council by Member States, Intersentia(2003), p. 127.
108 例えば、次のような言明は、基本的にこの立場に連なると考えられる。
「…司法的コントロールに対する
消極的態度の結果、国際連合の場における憲章の解釈・適用を全体として評価すれば、個別の加盟国の
立場に対して、多数派が実権を握る政治的機関の支配的地位は顕著である。…個別国家の抗議にもかか
わらず日々の活動・運営における解釈・決定は蓄積され、慣行化していくのである。」佐藤『前掲書
(脚注41)』、111頁。
109 例えば、第103条の解釈として、慣習国際法を含むのかどうかという論点と、一般国際法としての強行規
範を含むのかどうかという論点、さらには一般国際法の存在形式としての慣習国際法という場合の誤謬
性など、議論が錯綜する要素は多くある。
104
− 58 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
第3に、既存のさまざまな制度との関係において、安保理をそれら制度の上位に位置づける
傾向がある。この点は、ICJによる司法審査の議論において顕著である。ICJが安保理の決定を
覆すことは、安保理に集権的で「排他的な(exclusive)」権限を付与する集団安全保障体制を脆
弱化することにつながるという考え方である。別言すれば、コントロールの観点からは、国際
組織における権力分立を否定し、自己監査(self-censorship)に留まるという考え方 110である。
記述的意味においてこの点を基礎づけるのが、ICJにおいて発展してきた「有効性の推定」論で
あると考えられる。
第4は、第3の点の別の側面であるが、国々との関係において加盟国の最終手段に訴える権
利を否認すること 111である。同様に、安保理の集団安全保障体制の根幹は、その集権性にある
ため、加盟国が安保理決定の違法性を独自に判断してその履行を拒否することは、機能の遂行
という観点からは絶対に認められない、ということになるであろう。
最後に、国際組織の一般理論レベルにおける機能主義の観点からは、機能別(問題領域毎)
のレジームの並存が大前提とされる。それぞれのレジームには、それぞれの機能に則した任務
の遂行が期待され、他のレジームの機能は原則として考慮されない 112。他方で、各レジームの
機能は「黙示的権限」や「機能的必要性」を梃子に拡大傾向にあり、その結果として他のレジ
ームの機能と重なり合う可能性が大きくなる。そのような状況においても「国際法の分裂化」
の観点からは、各レジームが異なる決定を下すことで他のレジームの機能を害することには必
ずしもならないという意味で、司法機関の増大には肯定的である 113。これらの点は、上の第3,
4の要素を制度的・理論的に支える視点であると言えよう。
(d)立憲主義の要素
機能主義の要素で挙げた5つの点に対応する立憲主義の要素は、次の通りである。第1は、
権限の基礎づけとしての国際共同体の利益・価値とそれに基づく法的コントロールの必要性を
重視することである。その背景には、共同体の利益・価値の保護・実現のために安保理の第7章
権限を有効に活用しようという考えがある 114。国際の平和と安全の維持または回復という目的
上で検討したロッカビー事件の先決的抗弁判決におけるジェニングス判事とシュヴェーベル判事の反対
意見を代表例として挙げることができよう。Supra note 32.
111 Delbruck, Jost, “Article 25”, Simma, Bruno et al
(eds.), The Charter of the United Nations : A Commentary 2nd
ed., Oxford Univ. Press(2002), p. 459.
112 例えば、
「国連は人権諸条約の当事者ではないから直接拘束されることはない」とか、「EUと国連はそれ
ぞれ別個の法人格をもつ国際組織であり、他の国際組織に属する裁判所の下した決定に拘束されること
はない」、といった言明はこの要素に連なると言えるであろう。
113 しかし、司法機関の増大に肯定的である理由は、むしろ、司法化によって紛争解決が促進されるから
(そのことの是非はおいておくとして)であるとか、規範論理として「抵触」の可能性は少ないといっ
た点にあることに注意が必要である。
114 代表的論者はトムシャットであろう。Tomuschat, Christian, “International Law : Ensuring the Survival of
110
− 59 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
の観点からではなく、保護・実現しようとする国際共同体の利益・価値の観点から、活動内容を
「平和」と「法」が競合
評価しようとする 115。その論理的帰結として、機能主義とは対照的に、
する場合には、
「法」つまりは保護すべき利益・価値が優先される、ということになるであろう。
第2に、憲章と一般国際法の関係については、一般国際法とりわけ強行規範による制約を強
調する。さらに、憲章に基づく制度的実行に取り込まれる形ではなく、一般国際法がそれ自体
で自律的効果 116をもつ制約として把握される。ここでは、国際法の階層性をどのように捉える
かがポイントとなる。また、安保理が国際共同体の統治に関与するようになっていることにつ
いて、国内統治において適用される基準が厳格に適用されるべきということになる 117。
第3に、既存のさまざまな制度との関係では、ICJによる司法審査に重点がおかれる。極端な
場合、国内法類推に基づいてICJの安保理決議を無効とする権限が想定される。その前提として、
無効や法的責任の制度、権限踰越論の確立が目標とされる。ICJ以外の諸制度・機関との関係に
おいても、権力分立の観点からの評価に重点がおかれる。
第4に、国々との関係においては、加盟国の最終手段に訴える権利を肯定する傾向が強い。
齟齬を恐れずに言えば、機能主義が安保理の集団安全保障体制の実効性を重視するのに対して、
立憲主義は安保理による人権侵害等の不正義を回避することを重視する 118。安保理による不正
義が存在する場合には、加盟国が独自に判断して決議の履行を拒否することが認められるとい
う考え 119がある。
最後に、国際組織の一般理論レベルにおける立憲主義の観点からは、
「国際法の分裂化」に対
する強い危惧があり、そのことへの対応として立憲主義が想定される 120。具体的には、諸制度
Mankind on the Eve of a New Century”, 281 Recueil des cours(1999), pp. 78-80, 89. See also Johnstone, Ian,
“Legislation and Adjudication in the UN Security Council : Bringing Down the Deliberative Deficit”, 102 AJIL
(2008), p. 275 et seq.
115 例えば、Gowlland-Debbas, Vera, “The Functions of the United Nations Security Council in the International
System”, Byers, Michael,(ed.), The Role of Law in International Politics ; Essays in International Relations and
International Law, Oxford Univ. Press, New York(2000), pp. 286-288.
116 オラクラシヴィリによれば、自律的効果とは、憲章や条約の解釈を通じての適用とは区別され、強行規
範が直接的にそして即座に安保理の行為に対して適用されるという意味である。Orakhelashvili,
Alexander, “The Impact of Peremptory Norms on Interpretation and Application of the UN Security Council
Resolutions”, 16 EJIL(2005), pp. 69-70
117 例えば、Brownlie, Ian, “The Decisions of Political Organs of the United Nations and the Rule of Law”,
Macdonald(ed.), Essays in Honour of Wang Tieya, Kluwer Academic Publishers(1993), pp. 95-97.
118 近年の、狙い撃ち制裁においてリスト化された個人の人権侵害に関わる問題が典型例である。拙稿「国
連安全保障理事会による国際テロリズムへの対応―狙い撃ち制裁をめぐる法的問題に関する一考察―」
『国連研究』第9号、2008年、133-156頁。
119 de Wet, supra note 33, p. 378 et seq.
120 Fragmentation of International Law : Difficulties arising from the Diversification and Expansion of International
Law, Finalized by Martti Koskenniemi, A/CN. 4/L. 682, 13 April 2006, pp. 166-206. 国際法規範の階層性の観
点から第103条、強行規範、対世的義務の関係を考察したうえで、結論として次のように述べている。
「・・・法は体系的技術であり、上位および下位規範に関する議論は、『立憲化』や分裂化について熟慮す
るための豊穣な基盤たり続けている。国際連合憲章第103条が、確かに他の国際法の部分に対する憲章
− 60 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
の拡散に対しては、国連を中心とする国際共同体の一体性が、そして規範の分裂に対しては、
客観的国際法による統合が想定されることとなるであろう。
こうして、国際組織、とりわけ安保理における立憲主義の目的は、大要次の2点に収斂され
ることとなる。すなわち、権力の抑制と規範的一体性(unity)である 121。前者については、安
保理の統治に関わる機能をいかに法に基礎づけるかという問題であり、そこで言う法とは第一
義的に憲章に規定された諸規範である。他方で、機能主義の立場に立てば憲章とは国連の組織
法であり、他の国際組織の組織法ではない。その意味で、同じ活動に携わる場合に国連の組織
法と他の国際組織の組織法が異なる可能性が生じる。後者は、そうした問題への対応として想
定される。「国際共同体の利益・価値」といった概念には、この規範的一体性を基礎づける役割
が期待されているのである 122。
Ⅴ
結びにかえて
本稿では、ロッカビー事件が提起した問題点を再確認したうえで、国際社会における国際組
織の位置づけという一層広い視野から安保理の第7章に基づく活動を捉え直すための視点を探
った。上で検討したように立憲的アプローチの可能性を示すいくつかの重要な要素は確かに存
在する。しかし、国内法に起源をもつ立憲主義という考え方の多義性と、そうした考え方を国
際社会にもち込むことの困難性を反映して、あらかじめ一定の理念型を想定し、それに適合し
ているかどうかといった点から評価を行うことには困難を伴う。上で提示した機能主義と立憲
主義のそれぞれの要素を意識しつつ、さまざまな法的論点を検討したうえで、安保理の第7章
の階層的に高い地位を示唆している一方で、ユス・コーゲンスの真の観念は、国際連合における政治さえ
もが『立憲的な』限界に遭遇しうることを示唆しているのである。もちろん、もはやユス・コーゲンス
の概念に対する一貫した意味のあるチャレンジは存在しない。実際の論争は、その内容の確定に関する
もの、とりわけいくつかの行動あるいは事件の性格づけに関するものである。この場合、すべては政治
的選好の展開に依存する。それにもかかわらず、この概念の重要性は、実際に『適用されている』とい
った形においてではなく、むしろ(当該の行動や事件について)論争可能性があるというシグナルや制
度的な意思決定の限界づけとしてありうる。その限りにおいて、この概念は国際法の分裂化問題の程度
を緩和するのである。」(強調および( )内は、筆者)p. 206.
121 同様の整理の仕方をするものとして、Werner, Wouter, “The never-ending closure: constitutionalism and
international law”, Tsagourias, Nicholas,(ed.), Transnational Constitutionalism, Cambridge Univ. Press(2007),
pp. 348-353.
122 「国際共同体全体の利益・価値」の概念は、必ずしも実定法上確立している概念ではないが、純粋に学
問上の、またここで言う処方的意義に留まるものではない。この点は、別稿で論述していくこととなる
が、立憲主義の基礎となる概念として大変重要である。さしあたり、ICJの判決や意見においてもさまざ
まな形で表明または示唆されている概念であることを確認しておけばよいであろう。Gowlland-Debbas,
Vera, “Judicial Insights into Fundamental Values and Interests of the International Community”, Muller, A. Sam, et
al(eds.), The International Court of Justice : its Future Role after Fifty Years, Martinus Nijhoff(1997), pp. 327366.
− 61 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
に基づく活動に立憲的アプローチという視点が必要か、その内実はどのようなものか、さらに
は立憲的アプローチの問題性ないし課題は何かについて最終的に明らかになればよい、と考え
られる。その意味で、本稿で提示を試みた立憲的アプローチという視点は、今後の検討によっ
て得られる結果をフィードバックすることによって具体化されるであろう。本稿は、そうした
課題に取り組むためのささやかな出発点を設定するものである。
− 62 −
国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み ―予備的考察―−丸山
Some Preliminary Observations on the Constitutional Approach to
the UN Security Council
Masami MARUYAMA
(Department of Law, Economics and Public Policy,
Faculty of Literature and Social Sciences)
The practices of the UN Security Council under Chapter VII of the UN Charter have indicated its
changing character since 1990s and provoked a controversy on how and where the Security Council is in
the international legal order. In addition, it has constantly been questioned what, if any, are the limits to
the possible evolving mechanism embedded in the Security Council as one of the organs of an international
organization. Traditionally, activities and functions of international organizations have been evaluated
from the point of a dichotomy between the effectiveness and expansion of powers of international organizations,
on the one hand, and state sovereignty of member states, on the other. This dichotomy, however, seems to
show its limitation as an analytical framework in current international society.
This article, at first, revisits the Lockerbie incident and reconfirms the issues posed there in order to
seek a perspective so that we could re-evaluate the Security Council’s Chapter VII activities. Then, this
article moves forward into the general issue on the law of international organizations; the concept of
“constitution” and the “constitutionalism” discourse. Particularly, the thesis suggested by Jan Klabbers ―
“Constitutionalism Lite”― is focused on as a basic plan for our attempt to seek this perspective. In
conclusion, this article tries to take a “constitutional approach” as its perspective based on the dichotomy
between “functionalism” and “constitutionalism”.
Although this article will take a central position between both dichotomies, constitutionalism will
receive more emphasis overall. One of the reasons for this approach is that constitutionalism as a domestic
analogy cannot be fully applicable to the current international society. In spite of this presupposition,
constitutionalism in international organizations will be largely suggestive when we reconsider the Chapter
VII powers and its legal control mechanism, and furthermore, the position of the UN Security Council in
the international legal order. In addition, it is important to analyze the various legal issues related to the
Security Council systematically and comprehensively from the constitutional approach based on the
distinction between a descriptive sense and a prescriptive one. This is the task hereafter.
− 63 −
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct Investment:Evidences from the Western Balkan Countries−Blendi Barolli
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct
Investment:
Evidences from the Western Balkan Countries
1. Blendi Barolli, 1. Koji Takahashi, 2. Toshikatsu Tomizawa
1. Yamagata University Venture Business Laboratory
2. Kobe Gakuin University, Law School
Abstract
In this paper we estimate the effect of political volatility in Balkan transition economies on their FDI
inflows. For transition economies unaffected by domestic and international instability, FDI inflows in the
early 1990s were about 20 to 30% of those achieved by European market economies with similar
economic characteristics. Progress with reforms and transition increased post-communist economies’
ability to achieve their potential FDI inflows. The Balkan transition countries suffered additional shortage
in FDI due to many barriers. However, we estimate than an important barrier is domestic and international
volatility.
Key Words: foreign direct investment, Balkan transition economies, political volatility, political risk.
I.
Introduction
II. FDI inflow in Balkan Countries
III. Political Volatility as a Barrier to FDI in Balkan Countries
IV. Conclusion and some Policy Implications
− 65 −
Bulletin of Yamagata University(Social Science), Vol.40 No.1
Introduction
Foreign direct investment(hereinafter named FDI)is a crucial component in the transition processes.
FDI does not only provide scarce financial capital for the highly indebted transformation economies
(Black/Moersch 1997; Manea/Pearce 2001b), but also leads to a cross border intra-organizational transfer
of knowledge, managerial as well as marketing skills, technology, entrepreneurship, international market
access(Manea/Pearce 2001b). In addition, FDI “promotes the diffusion of new technologies through
direct linkages or spillovers to domestic firms”(Altomonte/Guagliano 2001:4). FDI has strong influence
on domestic employment through types of jobs created, regional distribution of new employment; wage
levels, income distribution, and skill transfer. Hence, FDI can be seen as an essential support for transforming
the political and economic systems of these countries into democracy and market economy(Resmini
2000; Lankes/Venables 1996, Bevan et al. 2001). In the meantime, these processes of transition have
reached an advanced stage in many CEECs(Central and East European Countries). Prices have been
liberalized, the privatization of formerly state-owned enterprises has rapidly progressed, and the once
closed economies have opened themselves to foreign trade and investment in many of these countries.
The relationship between FDI and economic growth is twofold: FDI stimulates economic growth, but
also reacts to economic growth and progress of transformation. Growth is generated by FDI through
imported means of investment, new technologies and capabilities transferred by foreign multinational and
international networking. On the other hand, foreign investors react positively to the consolidation of
market-economy rules and the resumption of economic growth(Gabor Hunya, 2000, p3).
As the European Union(EU)expands to the East and the South, promising new opportunities for FDI
are arising and gaining broader recognition. The Western Balkan, a region comprising Albania, Bosnia
and Herzegovina(BiH), Bulgaria, Croatia, Macedonia, Rumania, Serbia, Montenegro and Kosovo, is
considered by many current and prospective investors to offer opportunities as Europe’s next high-growth
business location. The characteristics driving investment in this region include the access it offers to a
growing market of over 150 million consumers, right at the doorstep of the EU; an expanding network of
bilateral free trade agreements(FTA)under consideration for conversion to a multilateral agreement for
the region; a cost-competitive overall operating environment, with labor costs 30-55% lower than of
Czech and Hungary; the availability of skilled labor and a strong work ethic; availability of raw materials;
and a rapidly improving investment climate.
The transition economies of Eastern Europe have seen a large increase in FDI during the past decade.
These inflows have been dramatic because of the two factors:
a)their dynamism, as these countries began the 1990s with practically no stock of FDI, and;
− 66 −
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct Investment:Evidences from the Western Balkan Countries−Blendi Barolli
b)because FDI had very important impact to the transition process and to these countries economic
performance
However, the distribution of FDI in East European countries has been highly unequal. This because the
timing of inflows has been influenced from the political events as well as the privatization, efforts for the
macroeconomic stabilization and the building of market institutions process differs between countries.
Referring to these factors we can find that there are two factors influencing FDI inflows to these countries.
One is the process of transition itself. The progress in transition to a market economy should lead to FDI
inflows that would be appropriate for a market economy(Josef C. Brada, p. 2). The second is political
instability, armed conflicts, inter-state or inter-ethnic, political and civil conflicts including riots etc. Also,
the embargos and trade restrictions and other forms of political conflict that characterized the region,
have discouraged FDI inflows. In this paper we estimate the effect political instability on FDI inflows to
Balkan transition economies. We find that political instability is a significant barrier to FDI inflow in
these countries.
II. FDI inflow in Balkans
Rapidly changing economic environment of new markets in Central and Eastern European transition
countries have got attention of many economists and several studies have attempted to study FDI determinants
in these countries. Some of them have noted that previous studies have shown the predominance of
market-seeking investors and factor-cost considerations have appeared to be less important for the majority
of investments(Lankes and Venables 1996, Lankes and Stern 1998). The EBRD carried out a survey that
concluded the same, predominance of market-seeing investments in these countries(Lankes et al. 1996).
The authors of this survey pointed out that the type and the inflow of FDI depend significantly on the host
country’s progress in the economic transition.
Four groups of foreign investors have been distinguished in the literature considering their strategic
objectives( Brewer 1993, p.4; Chudnovsky et al. 1997, p.2; Dunning 1994, p.36; Foreign Direct
Investment 1998, p. 21; Oxelheim 1993, p. 180):
1)market-seeking foreign investors concentrate on servicing the host country’s(and its neighboring
country’s)market;
2)efficiency-seeking investors are interested in low-cost host countries and the production is exported
to the home country of foreign direct investment and/or other markets;
− 67 −
Bulletin of Yamagata University(Social Science), Vol.40 No.1
3)natural-resource-seeking investments are motivated by desire to reduce costs and provide access to
raw materials;
4)strategic-asset-seeking investors are oriented toward acquiring resources and capabilities that the
investing firms believes will sustain or advance its core competencies in regional or global markets 1.
Although some FDI projects include elements of more than one of these objectives, it is thought that
most projects are focused on only one.
The main aim of market-seeking investment is to provide access to the host country’s market, and some
times also to its neighboring countries, market.
Efficiency-seeking foreign investors are interested in taking advantage of low production costs “for
increasing the efficiency of regional or global MNC activities”(Dunning 1994, p.36). They can produce
products to be exported to the home country or other countries. Unlike market-seeking investment,
efficiency-seeking investment occurs only in the case of relatively free trade between the host country and
export markets(Elteto 1999, p. 2).
The purpose of natural-resource-seeking investments is to use the raw materials available in the host
country and lacking in the home country(Brouthers et al. 1996, p. 2).
Strategic-assets-seeking investment has the purpose to acquire resources and capabilities that an investing
firm believes will sustain ore advance its core competencies in regional or global markets(Dunning 1994,
p. 36).
Market-seeking and natural-resource-seeking motives are typical in the case of initial entry to the foreign
market. Efficiency-seeking and strategic-assets-seeking investments are believed to represent the main
modes of expansion by established foreign investors(Dunning 1994, p.35).
Table 1 presents a short overview of the most important host country determinants of FDI, taking into
account differences in the foreign investor’s strategic objectives.
1
“Attractiveness of Central and Eastern European Countries for Foreign Direct Investment in the Context of
European Integration: The Case of Estonia”, Janno Reiljan, Ele Reiljan and Kairi Andersson p. 3.
− 68 −
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct Investment:Evidences from the Western Balkan Countries−Blendi Barolli
Table1. Main Host country FDI determinants considering the foreign investor's strategic objective
Source : Referred to “Attractiveness of Central and Eastern European Countries for Foreign Direct Investment in the
Context of European Integration: The Case of Estonia”, Janno Reiljan, Ele Reiljan and Kairi Andersson p. 4.
− 69 −
Bulletin of Yamagata University(Social Science), Vol.40 No.1
FDI to developed countries have mostly market-seeking nature. On the other hand, efficiency- or naturalresource-seeking FDI flows are usually oriented towards developing countries(Brouthers et al. 1996, p.4;
Narula 1994, p.3). Strategic-assets-seeking investments, as a rule, are secondary in explaining foreign
capital movements(Hunya 1998, p.2). This kind of FDI seems to be large in transition countries due to
the privatization process.
FDI inflows into the Balkan region are lower than those to the Central European Countries, and also
are greater inter-country differences in the volume of FDI inflows. Romania, Bulgaria and Croatia are
ranked on the top. Economic stabilization and political reform no doubt played a role in these trends.
Also, there are big differences of FDI inflows even between the Balkan countries. At least, Bulgaria and
Rumania FDI inflows are bigger than the other Balkan countries. With the exception of Bulgaria,
Romania and Croatia, the levels of FDI in the Balkan region is very low compared to the Central Europe
post-communist countries, such are Poland or Hungary.
Central European countries have experienced a rapid increase of FDI. Hungary was an early leader in
FDI inflows, because of its consolidated relations with the West before the transition. This lead many
foreign investors to see Hungary as a country with a good infrastructure and economic stability to
welcome foreign investment. Poland’s FDI inflows began to grow later than Hungary, due to the delays in
privatization process. However, for the second half, Poland received the biggest FDI inflow within this
group of countries.
Nevertheless, given Croatia’s level of economic development, the strong influence of foreign trade
with Western Europe and even of foreign investors in these countries in the 1980s, the relative sophistication
of their institutions, and the experience of managers in these countries with market mechanism had very
strong impact to the foreign investors. The performance of the other former Yugoslav Republics and
Albania is much worse.
The reason of this Balkan shortage are manifold. Some of them can be attributed to the lower level of
development of some of the former Yugoslav Republic, though even Slovenia and Croatia, which have
high levels of per capita income, exhibit this shortage in FDI. Some of the Balkan countries are small by
any standard, which may limit FDI inflow relative to countries that can offer a large domestic market, but
even large economies such as Bulgaria and Romania suffer shortage in FDI(Josef C. Brada, p. 5). Many
Balkan countries, by no means all, have been unable to implement or sustain coherent reform strategies.
Some of the shortage may be caused by failures in stabilization, such as those experienced by Bulgaria
and Romania, but Macedonia, Slovenia and Croatia have had low level of inflation and stable exchange
rates. Yet, they have fared no better in attracting foreign investors.
− 70 −
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct Investment:Evidences from the Western Balkan Countries−Blendi Barolli
Table2. FDI inflow in Balkan post-communist countries 1993-2006(million USD)
Source : EBRD 2007
The rapid growth of FDI after 1995s should be interpreted with some caution because foreign investors
are expected some trend in the future. Since the limited proves for this, it may be that estimates of
expected investment based only on the level of contemporary values may understate investors sentiments
based on their exceptions of future progress.
One common element affecting the Balkan region has been political instability, both among countries
of the region and within many of the countries themselves. The breakup of the Republic of Yugoslavia
and the continued separation of what remained as Yugoslavia, is the visible example of political instability
in the Balkans. Also, Macedonia has suffered from the ethnic war and an embargo by Greece, as well as
the enforcement of the embargo against Serbia. Albania experienced tensions with both, Greece and
Macedonia, while Croatia continued conflicts with Serbia to its complicity in Bosnia. There have been
many domestic instabilities also, some based on inter-ethnic tensions and assassinations of politicians,
some others on the failures in regime change and yet others on weak or ineffective governments that were
unable to deal with domestic unrest and violence(Albanian civil unrest 1997, caused from the collapse of
pyramid schemes).
III. Political Volatility as a Barrier to FDI in Balkan Countries
FDI is a forward-looking activity based on investors expectations regarding future returns and the
confidence that they can place on these returns(Josef C. Brada, p. 6). Thus, the FDI decision requires
some assessment of the political future of the host country. There are two main risks deriving from the
political volatility in the host countries that the investors face.
− 71 −
Bulletin of Yamagata University(Social Science), Vol.40 No.1
1)domestic instability, civil war and international conflicts will reduce the profitability of investing in
the host country because domestic sales and exports-imports are inefficient, production splits and the
facility is damage or destroyed. An easy example is the embargo of EU and USA toward Serbia and
at the same time bombing from NATO in 1999, Serbia and Kosovo War.
2)the political volatility affects the value of the host countryユs currency, thus reducing the value of
the assets invested in the host country as well as of the future profits generated by the investment. As
most significant example is the case of Albanian pyramid schemes in 1997.
Note: The pyramid schemes in Albania and the embargo of EU and USA toward the Serbia events are
not analyzed in details here. For more information, see World Bank, IMF, OECD, etc. homepages.
Figure1. Factors that influence FDI generation.
Composed by author, based on Investment Compact and OECD data
Source: www.investmentcompact.org.
Numerous studies and analyses have tried to answer the question why foreign investors invest in
developing countries and transitional economies.
However, all the answers can be grouped into three simple strategies:
− 72 −
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct Investment:Evidences from the Western Balkan Countries−Blendi Barolli
・Better serving of existing and new customers
・Increase of competition, market share and profitability
・Better access to resources
Major factors that influence the generation of FDI in a country are general policy frameworks, specific
policies and policy encouraging business and finally many different economic factors. Policy framework
is the first important factor. FDI requires a good macroeconomic and legal stability, convertibility of
currency, fair privatization strategies and its visible progress, readiness of domestic companies to cooperate,
appropriate opportunities for reconstruction of infrastructure and huge companies, as well as bilateral
agreements for protection of investments from political risk and for avoiding double taxation.
The second set of factors refers to the factors that influence business performances, such as subjective
vicinity, valid and timely obtaining of the true information about a country, general political environment,
country image, administrative procedures in doing business, as well as financial and market privileges.
And finally, there is a range set of factors, mostly of economic nature, such as labor cost, labor skills,
integration prospects, market size and market growth, access to neighboring and regional markets, natural
resources, management skills, quality and cost of infrastructure, etc. Those factors can have a decisive
impact on the investment decision, such as unpredicted expenditures referring corruption, efficiency of
administration, good reputation and influence of foreign investors, as well as positive climate towards the
foreign investors.
Many barriers on the state and regional level, or on the level of companies make the FDI even more
difficult. The most critical are:
・Bureaucracy
・Corruption
・Legal and tax environment
・Inexperienced and incompetent government
・Political volatility and political risk
・Regional instability
・Democratic vacuum
・Macroeconomic and currency instability
・Lack of skilled management
・Poor infrastructure
There is a strong correlation between barriers and FDI inflows. Elimination of these barriers is an
important factor for FDI growth. However, experience indicates that the barriers can be much easer created
− 73 −
Bulletin of Yamagata University(Social Science), Vol.40 No.1
than removed.
The link between political volatility and investment has been studied from different point of view. One
important part of the literature insists on the importance of political risk in transition economies. The
political risk is a more determinant of assets returns in transition economies than in developed economies
(Robin, Liew and Stevens 1996). Using a sample of 23 countries Bussiere and Mulder(1999), conclude
that countries are more affected from the financial crises when election results are more unreal. Let us
say, the general elections of 1996 in Albania that caused a massive riot of the opposition and 1 year latter,
the collapse of the pyramid schemes. The result of the elections was one of the most shameless vote-stealing
and manipulated elections ever(OECD homepage).
Another part of the literature points out the relevance between political volatility and the behavior of
stock markets on the not unreasonable assumption that the later are a good mirror of investor reaction to
political volatility(Ketkar and Ketkar 1989).
There is a growing literature on the effects of political stability on economic performance, both from a
theoretical perspective and in terms of empirical work(Josef C. Brada, p. 7). A literature survey on the
link between political volatility and economic performance is provided by Carmingnam(2003). This
survey covers both theoretical model and empirical studies. He examines the significance of political risk
for investment decisions. There are also other studies that examine the linkage of the impact of political
volatility on economic growth and investment. The increase of political volatility decreases decrease
investment and at the same time bring the slow down of the economic growth.
There are also some works on the effect of political volatility on foreign exchange markets. These
works provide that political volatility causes the decline of country’s currency and at the same time makes
the exchange rate more instable(Kutan and Zhou 1993, 1995). Kutan and Zhou show that the political
unrest in Poland during late 1980s and early 1990s affected foreign exchange returns.
But how the political volatility of Balkan countries affected their FDI inflows? We will try to explain
by some of the following features.
All post-communist countries of Central and Eastern Europe suffered a shortage in FDI inflows due to
the effect of the transition, but this shortage in the FDI of the Balkan countries is related to a very specific
factor, the impact of political volatility in the region on the decision of foreign investors.
Recently, there is a well-developed literature that examines the relationship between host country political
volatility and FDI inflows. Bennett and Green(1972), Singh and Jun(1995), Globerman and Shapiro
(2002)and Cho(2003)all add measures that reflect domestic political volatility or risk as an important
factor to economic characteristics of host countries. Also, they all find that such risk help to explain FDI
− 74 −
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct Investment:Evidences from the Western Balkan Countries−Blendi Barolli
inflows because the increase of political risk really reduces FDI. Some other indicators are the rule of law
and investment climate, both of which to some extent reflect political stability and are significant factors
in the determinants of FDI inflows into Balkans transition economies.
But, we can find that in these studies is a basic deficiency. It is that the political risk term used in these
studies refers mainly to the domestic political volatility such as strikes, riots, civil unrest, etc. However,
these studies do not treat the risk measures that reflect external political risk, such as war between
countries, foreign trade embargos, economic sanctions, ethnic armed conflicts and neighboring wars that
are so important for the Balkan region.
A problem is how to qualify the concept of external political stability. Many political scientists have
developed both aggregate and bilateral measures of the goodness of relations between countries, but using
these measures is difficult for situations where states are breaking up into constituent parts that have no
record of external relations. So they may have relationships with their neighbors that are considerable
different for those of the nation state from which they separated. We can bring as a sample the case of
Macedonia, whose relation with Greece, even now, are much more influenced because of its name and
status that they had been when it was a part of Yugoslavia.
As we can see the data of Table 2, the FDI inflows in Balkan countries increase over time, but, for most
countries, the increase is sporadic, reflecting the fragility of economic stabilization. Many of the large
changes in expected FDI can be attributed to the implementation of stabilization programs or to their
collapse, both of which can have a quick impact on the political stability.
In the Balkan countries there are additional sources of instability, of which political volatility is most
important one(Josef C. Brada, p. 8). For example, the sharp drop in Albanian FDI inflows in 1997-1999
as a reaction to the crisis caused by the collapse of the financial pyramid schemes in 1997 and 1998 and
the Kosovo war of 1999. The same reduction in 1999 FDI can be seen for Macedonia and Romania.
Another important factor is the major changes in privatization policy. In Balkans the privatization began
in the mid-1990s, while in the Central Europe it began in the end of 1980s. Thus, the decision to push
ahead with large privatization transactions in Albania in 2000 and the change of policy in favor of foreign
investors in Croatia and in 1997 in Romania are much evident.
The difference between the FDI for each country of the region is due to the effect of political volatility
in the region. The shortage due to political uncertainty is quite large, as the FDI inflows expected if these
countries were merely in transition would be a multiple of the FDI inflows actually observed. Croatia
displays a something different pattern. It observed FDI inflows fall short of what is expected, perhaps
reflecting the effects of the breakup of Yugoslavia on FDI inflows. However, from the mid-1990s FDI
inflows exceed expected FDI(Josef C. Brada, p. 21). This reflects both, policy changes in supporting
− 75 −
Bulletin of Yamagata University(Social Science), Vol.40 No.1
FDI as well as investors’perceptions that this country is not likely to be negative influenced by regional or
domestic political uncertainty. At the same time, Albania appears to be an outlier as its actual FDI inflows
exceeded the predicted levels, suggesting that Albania benefited from the regional instability in the early
1990s political volatility of the region. However, based on the different data, a more detailed explanation
is related to the fact that, a part of this investment is done from the Albanian emigrants living abroad. In
2000 and 2001, the FDI inflows are driven by the privatization of state owned banks, telecommunications
firms and the sale of mining concessions.
IV. Conclusion and some Policy Implications
Our research has demonstrated that the political volatility, whether domestic or international conflicts
serves to reduce FDI inflows into the transition economy and especially in the Western Balkan.
Moreover, we find that a large part of the shortage of FDI into the Balkan transition economies is
attributed to the effects of regional political volatilities on the willingness of foreign investors to invest in
these countries.
The economic cost of foregone FDI inflows in Balkan transition economies is beyond the scope of this
paper. However, the literature on the effects of FDI in transition economies suggests that this cost must be
quite high because of the important benefits that FDI brings. The most evident one is that FDI can serve
as a plus to domestic saving and investment, and all transition economies much need additional investment
to raise the productivity and living standards. It is true that much of the FDI inflow in transition
economies has been used to purchase existing firms rather than to finance new green-field investments.
Whatever, this kind of FDI has a positive impact on domestic capital formation because investors
contribute the new capitalization to their acquisitions(Sohinger and Harrison). Moreover, as Hunya
(1996)shows in the case of Hungary, foreign firms have higher profits and reinvest a much higher share
of it than domestic firms, thus increasing capital formation in the future.
In the Balkan region, foreign companies are likely to be more productive and to use more advanced
technologies. They serve as very important spillovers of these technologies and managerial skills from
foreign companies to domestic economy.
As a result, we can conclude that the cost of lost FDI to the Balkan transition economies are of a
magnitude that is much greater than the shortage that we have examine in this study. Consequently, the
restoration of peace to the region and the elimination of tensions, both domestic and among the countries
− 76 −
The Impact of Political Volatility on Foreign Direct Investment:Evidences from the Western Balkan Countries−Blendi Barolli
of the region, should bring important economic benefits.
Reference
1)Ardian Harri, “Theoretical and Empirical Aspects of the Economic Integration and Trade Liberalization”,
Consulting Services for Macroeconomic and Fiscal Analyses project.
2)Barell, R., Pain, N. 1997, “The Growth of Foreign Direct Investments in Europe”, National Institute Review,
11997, No. 160, pp. 63-75.
3)Besim Culahovic, Vienna, Austria, 8-9 November 2000. “Foreign Direct Investment in South East Europe:
Implementing Best Policy Practices”.
4)Bevan, A.A. et al. 2001, “The impact of EU accession prospects on FDI inflows to Central and Eastern Europe”
Policy paper 06/01, University of Sussex.
5)Bevan, A.A./Estrin, S. 2001, “The determinants of foreign direct investment in transition economics”, Centre for
Economic Policy Research, discussion paper 2638, William Davidson Institute, working paper 342, University of
Michigan, and Centre for New and Emerging Markets, discussion paper 9, London Business School.
6)Bond, Eric, Steve Chiu and Antonio Estache, 1995, “Trade Reform Design as a signal to Foreign Investors:
Lessons for Economic in Transition”, World Bank Policy Research Working Paper No. 1490.
7)Brenton, P., Di Mauro, F., Lucke, M 1998, “Economic Integration and FDI: An Empirical Analysis of Foreign
Investment in the EU and Central and Eastern Europe”, Kiel Working Paper, No. 890, November 1998.
8)CIA World Fact book 2004, U.S. Dept. of State Country Background Notes(Source Date: 07/04)
David A Dyker, “Catching Up and Falling behind: Post-Communist Transformation in Historical Perspective”,
Imperial College Press.
9)Dimitri G. Demekas, Balazs Horvath, Elina Ribakova and Yi Wu, June 2005, “Foreign Direct Investment in
Southeastern Europe: How(and How Much)can Policies Help?”
10)Dyker, D. 2000, “The dynamic impact on the Central-East European economics of accession to the European
Union”, Working Paper 06/00, University of Sussex.
11)EBRD(European Bank for Reconstruction and Development)2003, “Transition Report 2003, Integration and
Regional Cooperation”, London.
12)Fabienne Boudier-Bensebaa, “FDI-assisted development in the light of the investment development path
paradigm: Evidence from Central and Eastern European Countries”, University of Paris.
13)Gabor Hunya 1998, “Integration of CEEC Manufacturing into European Corporate Structures by Direct
Investment”, materials of the Workshop “Impact of Foreign Direct Investment on Efficiency and Growth in CEE
Manufacturing”, Vienna 1998, p.17.
14)Gabor Hunya 2000, “Recent FDI trends, policies and challenges in SEE countries in comparison with other
− 77 −
Bulletin of Yamagata University(Social Science), Vol.40 No.1
regions in transition”, The Vienna Institute for International Economic Studies(WIIW), Paper to be presented at
the Conference on “Foreign Direct Investment in South East Europe: Implementing Best Policy Practices”,
Vienna, Austria, 8-9 November 2000.
15)Gabor Hunya 2002, “FDI in South-Eastern Europe in the early 2000s”, the Vienna Institute for International
Economic Studies(WIIW), A Study commissioned by the Austrian Ministry of Economy and Labor.
16)Josef C. Brada, Ali M. Kutan, Taner M. Yigit 2003, “The Effects of Transition and Political Instability on
Foreign Direct Investment: Central Europe and the Balkans”.
− 78 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
山口市中心市街地の実態と活性化政策
*
是 川 晴 彦
(人文学部 法経政策学科)
はじめに
本稿では,山口市の中心市街地の実態と活性化政策について,現地での調査やヒアリングの
内容にもとづきながら概説し,あわせて,山口市中心市街地の特徴や課題について検討を加え
る。
山口市は人口約19万人の都市である。県庁所在地であるが,人口は下関市に次いで山口県で
第2位となっており,県庁所在地への人口の集中という現象は生じていない。また,山口市の
中心市街地の最寄り駅であるJR山口駅は山陽新幹線沿線に存在しない。さらに,山口市は人口
100万人クラスの都市,例えば広島,北九州,福岡とも一定の距離を保っている。このように,
人口や地理的条件において特徴を有する山口市であるが,新しいまちづくり三法のもとでの中
心市街地活性化基本計画が早期(平成19年5月)に認定されている。今回の調査,検討は,山
口市のような比較的人口規模の小さい県庁所在地における中心市街地の実態および活性化政策
にどのような固有の特徴や課題があるのかという問題意識にもとづくものである。
本稿は,山口市における調査,山口市中心市街地活性化担当の方々からのヒアリング,その
際に配布された資料,および山口市ホームページ上で公開された資料などにもとづいて記述さ
れている。本稿の構成は以下の通りである。第1節では山口市の概要を述べる。第2節では山
口市中心市街地の特徴について,中心市街地の範囲,居住人口,構造の特色に注目しながら説
明する。第3節において,山口中心市街地の商業活動を示す諸数値について,山口市全体の数
値と比較しながら検討する。第4節では山口市中心市街地の通行量の変化を時系列的に検討し,
第5節では山口市の商圏や大型店の進出状況について概説する。そして,第6節において,新
しいまちづくり三法下における山口市中心市街地活性化基本計画の特徴や意義,課題について
考察を行う。第6節までの考察結果をふまえて,第7節では,山口市中心市街地が一定の活力
を維持している要因について検討を加える。
なお,本稿では中心市街地活性化基本計画について,しばしば基本計画と略して表記するが,
特に断りのない限り,基本計画は中心市街地活性化基本計画を意味している。
− 79 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
1.山口市の概要
(1)位置および人口
山口市は山口県の中央に位置している。平成17年10月に周囲の小郡町,秋穂町,阿知須町そ
して徳地町と合併し,新しい山口市が誕生している。山口市は南北に約44キロメートル,東西
に約43キロメートルであり,面積は730平方キロメートルである。北東の端は島根県と接し,ま
た,南東の端は周防灘に面している。平成17年における人口は19.1万人,世帯数は7.7万,人口
密度は1平方キロメートルあたり約260人となっている。
ここで,人口からみた山口市の特色をみてみよう 1)。山口市は県庁所在地であるが,人口で
は19.1万人で,山口県において下関市(約29万人)に次いで第2位になっている。県内におけ
る人口の順位が第2位以下である県庁所在地の例は,山口市のほかに福島市(いわき市,郡山
市に次いで第3位),静岡市(浜松市に次いで第2位),津市(四日市市に次いで第2位)があ
る。しかし,これら3市の人口は山口市よりも多く,19.1万人という山口市の人口は県庁所在
地の人口としては全国で最小である。ちなみに,人口が20万人前後およびそれ以下の県庁所在
地としては,甲府市,鳥取市,松江市,佐賀市があるが,いずれも各県において人口第1位の
市である。このように,山口市は県庁所在地である一方で人口は県内で第2位であり,また,
全国の県庁所在地のなかで最小の人口であるという特色を有している。われわれは,このよう
な都市の中心市街地がどのような特色を有するかという問題意識をもつに至ったのである。
なお,山口県において,人口規模では人口29万人の下関市が突出しているが,山口県内には
人口10万人以上の都市として下関市,山口市のほかに,宇部市,周南市,防府市,岩国市が存
在する。山口市の人口の山口県全体の人口に占める割合は12.8パーセントである。同様の割合
を東北6県の県庁所在地と比較すると,仙台市が43.4パーセント,秋田市が29パーセント,山
形,盛岡,青森の各市が約21パーセントであるから,山口市の場合,県庁所在地である都市へ
の人口の一極集中という現象は生じていないといえる 2)。
(2)交通
交通面から山口市の特色をみてみよう。山口市の中心市街地の最寄り駅であるJR山口駅は山
陽新幹線および山陽本線の新山口駅からJR山口線に乗り換えて13キロほど北に進んだ地点に存
在する。新山口駅は合併前の旧小郡町に位置していたので,合併前は県庁所在地の中心駅が新
幹線上に存在していなかった。県庁所在地が新幹線上にない例は大津,岐阜,前橋などにもみ
られる。ただし,大津と岐阜は東海道本線上の駅であり,京都,大阪,および名古屋とのアク
セスは非常によい。前橋は上越線から分岐する両毛線上の駅であり,この点において山口市と
類似しているが,鉄道の運行本数では,高崎・前橋間の方が新山口・山口間よりも多い。
− 80 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
高速道路についてみてみると,中国自動車道が山口市を東西に通過している。山口市中心部
から南東方向に直線距離で約5キロの地点に山口インターチェンジがある。中国自動車道を西
方面に進むと九州自動車道に直結し,北九州,福岡方面に通じている。また,広島方面には中
国自動車道のほか,湯田ジャンクションから分岐する山陽自動車道が通じている。
山口市に近い人口100万人規模の都市は広島,北九州,福岡である。これらの都市への移動は
新山口からの新幹線,もしくは高速道路の利用になる。山口駅と新山口駅を結ぶ鉄道の本数は
1 時間に1,2本程度と,あまり多くはないので,新山口までは自家用車を利用する人もいる
という。なお,山口と広島,福岡を結ぶ高速バスも運行されている。
山口市の最寄りの空港は山口宇部空港である。山口宇部空港からの空港連絡バスは新山口駅
までしか行かないため,山口市の中心部へ行くためには新山口でJRに乗り換える必要がある。
なお,山口駅と空港を直接結ぶ交通手段として乗り合いタクシーが運行されている。
2.山口市の中心市街地
(1)中心市街地の範囲
山口駅から北西方向に伸びる駅前通り(県道194号線)を500メートルほど進んだ地点で,東
西に伸びる歩行者用のアーケード街と直角に交差する 3)。このアーケード街は直線構造であり,
駅前通りを挟んで総延長は800メートル弱ほどである。このアーケード街にデパート,スーパー
を含めた多くの商業施設や銀行などが密集して存在している。後述するように,新しい中心市
街地活性化基本計画におけるほとんどの事業が,アーケード街またはアーケード街に結びつく
エリアに存在する諸施設を対象とするものになっている。アーケード街は山口市の中心市街地
活性化基本計画において中核をなすエリアとして位置づけられているのである。
中心市街地活性化に取り組む場合,中心市街地の範囲をどのように捉えるかが課題となる。
新しいまちづくり三法のもとでの中心市街地活性化基本計画が認定された諸都市をみても,中
心市街地の範囲の設定に地域的特性がみられる。合併前の旧山口市では,平成11年3月に旧法
にもとづく中心市街地活性化基本計画を策定した。この計画では,駅前通りやアーケード街を
中心とする区域のほかに,山口駅から西に3キロほど離れた地域に位置する湯田温泉を核とす
る区域,および,これら2つの区域の中間に位置する山口情報芸術センターを中心とした区域
を合わせた約163ヘクタールを中心市街地区域として定めていた。改正されたまちづくり三法で
は,選択と集中が求められている。山口市においても,平成19年に認定された新しい中心市街
地活性化基本計画では,前述の駅前通りやアーケード街を中心とする75ヘクタールの区域のみ
を中心市街地として定めている。観光地としての位置づけの強い湯田温泉は新しい中心市街地
− 81 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
活性化基本計画における中心市街地区域に含まれないことになった。市役所の方の話では,新
しい中心市街地活性化基本計画は商業をベースとする要素が強いので,湯田温泉地区に対して
は観光の視点から対応していくとのことである。
なお,新幹線の駅である新山口駅の周囲は,旧山口地区よりも開発の度合いが高くなってい
ると市役所の方は話していた。先に述べたように,新山口地区は鉄道交通や空港アクセスの結
節点としての機能をもち,大きなマンションも建設されている。新山口地区についてはターミ
ナルパーク推進事業というかたちで,中心市街地活性化と分けた事業で対応している。
(2)中心市街地の居住人口
住民基本台帳にもとづく調査によると,平成18年における山口市の中心市街地の居住人口は
3968人であり,世帯数は1848となっている。市全体の人口に占める中心市街地居住人口の割合
は2.1パーセントとなっている。平成7年の数値と比較すると平成18年の中心市街地における数
値は人口で約3.6パーセント減少し,世帯数では約4.5パーセント増加している。時系列的にみた
特徴として,人口,世帯数ともに市全体の数値が平成7年から18年にかけてゆるやかな増加傾
向にあるのに対して,中心市街地の数値は人口,世帯数ともに平成7年から12年にかけて減少
したものの,平成13年に増加に転じ,その後,人口は横ばい,世帯数はほぼ増加の傾向にある
ことが挙げられる。平成7年から12年にかけて中心市街地の居住人口と世帯数の減少率はそれ
ぞれ7.8パーセント,5.1パーセントであり,1世帯あたりの人数も減少傾向にあった。この間,
市全体の人口と世帯数はともに増加傾向にあったので,中心部から郊外への居住者の移動など
が要因にあったといえよう。平成13年における中心市街地居住人口の増加については,中心市
街地周囲のマンション立地が一要因であることが新基本計画において指摘されている。平成13
年から18年にかけて中心市街地において人口がほぼ不変であるのに対して,世帯数の増加率は
4パーセントであり,新たなマンション建設にともなう世帯数の増加による人口の増加が旧来
から中心市街地に居住する世帯の人口の減少を補っていると考えられる。新基本計画によると
平成13年から18年にかけて210戸のマンションが中心市街地内に供給されている。市役所の方
の話では,これらのマンションに居住する人たちの年齢層はあまり偏ってなく,まちなかのマ
ンションを選択する理由として,郊外に居住する高齢の人が戸建て住宅を維持するのが困難に
なってくることや,若い世代の人でも利便性を重視することなどが考えられるとのことである。
後述するように,山口市の場合,中心市街地の区域内および周囲に行政機関等が存在し,この
ような職場が近くにあることが,中心市街地におけるマンション建設の増加の要因といえよ
う。
なお,郊外の宅地開発については,一時期,大内御堀や宮野,平川地区において水田を埋め
て住宅地を造成したが,大規模なニュータウンの開発はなかったという。この点も,一定の人
− 82 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
口が中心市街地に居住し続けていることの要因であると考えられる。
(3)中心市街地の特色
ここで,山口市の中心市街地の構造上の特徴的な点について述べることにしよう。第1の特
徴として,中心市街地の核となる商店街の集積が一直線上に,かつ,連続して存在することが
挙げられる。核となるアーケード街は,駅前通を挟んで西側に位置する道場門前,西門前の2
つの商店街と,東側に位置する米屋町,中市の2つの商店街の合計4つの商店街から構成され
ている 4)。さらに,中心市街地の範囲には,アーケード街の西端から伸びる荒高,東端から伸
びる大市の2つの商店街も含まれるが,この2つの商店街にはアーケードが設置されていない。
アーケード街の商店街およびその両端に接続する商店街の合計6つの商店街は約1100メートル
の直線上に存在している。一方で,アーケード街から脇に入ると商店は少なくなる。アーケー
ド街と交差する道路には「・・小路」という名称が与えられたものもあるが,駅前通りを除く
とアーケード街と交差する道路に商店街が形成されている状況ではない。このように,山口市
の場合,核となる商業集積は面的ではなく,直線的にかつ連続的に構築されており,活性化政
策の核となる区域が明確にされていると考えることができよう。新基本計画では中心市街地区
域を北東方向に貫く駅前通りをシンボル軸として位置づけている。駅前通りには,駅前からア
ーケード街の交差点の間に駅通り商店街が,そして,アーケード街の交差点から中心市街地区
域の境界となる県道204号線にかけて新町商店街が存在する。駅通りについては,近年,若い人
の経営するセレクトショップ系の店が増えてきており,若い人の人通りが増えているという。
第2の特徴は,中心市街地の区域およびその周辺に,行政機関,高校,病院などの集客性の
高い施設が存在することである。われわれはこれまでの調査研究を通じて,中心市街地の活性
化において,中心市街地の区域内および周囲に県庁や市役所,高校,病院,そして大きな書店
が存在することの果たす役割の大きさに注目している。そのような施設の存在は中心市街地に
対して高い集客性を与える。山口市においても,中心市街地区域内に地方裁判所,地方検察庁,
中村女子高が存在し,中心市街地区域に隣接する位置に市役所,市民会館,地方合同庁舎など
が存在する。このほか,中心市街地区域の周辺といえる範囲には,山口高校,山口県庁,済生
会山口総合病院,山口赤十字病院などが存在する。山口市の場合,行政機関などが郊外に移転
することなく,中心市街地周辺に存在する状況にある。
第3の特徴は,駅前に大きな商業集積が存在しないことである。旧来から存在する中心市街
地と鉄道の駅が離れている都市の場合,駅前周辺を再開発して商業集積を高めることが,旧来
から存在する中心市街地における来街者数や商品販売額を減少させることにつながる可能性が
存在する。先に述べたように,新基本計画では駅前通りをシンボル軸として位置づけているが,
現在のところ,駅前に核となるような大型商業集積が存在しない。よって,駅前周辺とアーケ
− 83 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
ード街の2地点に来街者が分散してしまって互いの区域の商業売上額が減少するといった状況
は生じていない。新基本計画においても,やみくもに開発拠点を拡張するのではなく,既存の
商業集積の活用を基本にした堅実的な事業計画が策定されている。なお,山口駅とアーケード
街の距離は500メートルほどであり,駅から中心市街地の核となるエリアへの導線はわかりやす
くなっている。
第4の特徴として,山口市は戦災にあっていないため,昔ながらの通りや家並み,そして歴
史的資源が残されていることが挙げられる。特に中心市街地区域の北東に位置する地域には,
龍福寺や菜香亭が存在し,それらの周囲にも昔ながらの民家が存在する。新基本計画では基本
方針の一つとして「自然と文化の薫るまち」を掲げている。これらの資源は歴史,文化といっ
たまちづくりのテーマを創出するうえで役立っているのである。
3.山口市中心市街地の商業の実態・・店舗数,売り場面積,年間商品販売額
この節では,山口市の中心市街地における商店数,売り場面積,年間商品販売額の変化を市
全体の数値と比較しながらみてみることにする。これらの数値については表1に示されている。
2
商 店 数
H3
H 16
年間商品販売額(百万円)
H3
H9
H 16
H3
H9
H 16
中心市街地
550
466
414
56,889
58,275
53,492
51,607
46,736
29,300
山口市全体
2,497
2,227
2,100
171,572
243,098
292,118
197,383
232,572
223,972
22
20.9
19.7
33.2
24
18.3
26.1
20.1
13.1
比 率
H9
売り場面積( m )
表1:山口市の中心市街地および市全体の商店数,売り場面積,年間商品販売額の変化
(山口市中心市街地活性化基本計画に掲載されたデータをもとに作成。Hは平成を表す。
また,比率は,中心市街地の値/山口市全体の値,を表す。)
商店数については,中心市街地および市全体ともに平成3年以降,減少傾向にある。また,
中心市街地の数値の市全体の数値に占める比率も減少傾向にあり,平成16年には20パーセント
を下回っている。
小売業の売り場面積の変化については,中心市街地の数値と市全体の数値の変化が対称的で
ある。中心市街地の数値が平成3年から平成6年にかけて増加したのち,減少傾向にあるのに
対して,市全体の数値は平成3年以降,増加を続けている。よって,中心市街地の数値の市全
体の数値に占める比率も,平成3年の33.2パーセントから減少を続け,平成16年には18.3パーセ
ントまで減少している。
− 84 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
小売業の年間商品販売額では,中心市街地の数値は平成3年以降,減少傾向にある。特に,
平成9年から平成14年にかけて減少の割合が顕著であり,約30パーセントの減少となっている。
これに対して,市全体の数値では,平成3年から平成9年にかけて増加したのち平成14年にか
けて減少するが,平成16年にかけては再び増加に転じている。このように,年間商品販売額で
は中心市街地の数値と市全体の数値の時系列的変化に相違がある。なお,中心市街地の数値の
市全体の数値に占める比率は,平成13年以降,減少傾向にあり,販売額の数値と同様に,平成
9年から平成14年にかけて大きく減少している。
中心市街地においては,平成10年から平成12年にかけてダイエー,ニチイ,アルビが撤退し
ている。一方で,郊外の大規模商業施設については,平成9年にゆめタウン山口が,そして,
平成12年にフジグラン山口およびハイパーモールメルクス山口が開店している。このような環
境変化は,中心市街地の売り場面積が平成9年から平成14年にかけて約8.7パーセントと比較的
大きな比率で減少しているのに対して,山口市全体の売り場面積が増加傾向にあることの要因
であろう。また,年間商品販売額において中心市街地の数値が平成9年から平成14年にかけて
大きく減少し,その後も減少傾向が続いているのに対して,山口市全体の値は近年,増加傾向
にあることは,消費者の購入先が中心市街地から郊外型商業集積に推移していることをうかが
わせる。
4.中心市街地における通行量の変化
山口市の中心市街地における通行量は調査地点の合計値でみた場合,各調査年とも平日より
も休日の数値が大きく,中心市街地が買い回り品の購入など非日常性を求める来街者に対して
一定の役割を有していることがわかる(表2)
。ただし,平成6年以降,平日,休日ともに各調
査地点の通行量は減少傾向にある。平成2年以降の合計値をみると,平成18年の通行量は平日
の場合,ピークである平成2年の通行量の49パーセント,休日の場合,ピークである平成6年
の通行量の55パーセントとなっている。調査地点別にみてみると,休日の通行量では,中市
(JTB前)と米屋町の通行量がほかの調査地点よりも多い数値になっている。中市(JTB前)の
地点にはデパートがあり,このデパートと駅前通りを結ぶ地点が米屋町であるから,デパート
の集客力もこれらの2地点の数値が高くなっている要因であろう。休日の場合,前述の2地点
に続いて,道場門前のいさみや前とコーヒーボーイ前が多い数値となっている。この2地点も
駅前通りの交差点に近い位置となっている。他方,中市や道場門前の駅前通りから離れた地点
および西門前では通行量は少なくなっており,駅前通りの交差点を中心にして東西方向に人の
流れが生じていることがわかる。
− 85 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
平成 2 年
平成 6 年
平成 10 年
平成 12 年
平成 14 年
平成 16 年
平成 18 年
平日合計
82,994
77,582
63,248
53,124
52,470
37,765
40,818
休日合計
92,022
98,966
74,058
64,346
55,742
54,413
54,252
表2:山口市中心市街地の通行量
(10調査地点の合計値:山口市中心市街地活性化基本計画のデータをもとに作成)
5.商圏と大型店の進出状況
新基本計画では,合併前の平成14年山口県買物動向調査による旧山口市の商勢力圏が示され
ており,それによると,旧山口市の第一次商圏は小郡町,美東町,旭村,阿東町であり山口市
の東部から北部にかけて隣接する町村である。第二次商圏は隣接する徳地町や秋穂町をはじめ
秋吉町,川上村,むつみ村となっている。南東側に隣接する防府市や,新山口市となった南東
の端の阿知須町については商圏としての結びつきは強くなく,影響圏となっている。防府市は
人口が10万人を超えており,防府市に大型の商業施設が存在するなど,防府市の商業集積の充
実が影響圏となっていることの一因であると考えられる。
大型店の進出状況については,表3の通りである。中心市街地に存在する大型店は,ちまき
やであるが,現在,井筒屋に経営主体が移行している。②,③,④,⑤は旧山口市の郊外型大
型店として位置づけられる。⑥の阿知須ショッピングセンターは旧阿知須町の中心部に位置し
ている。山口市の郊外型大型店の特徴として,阿知須地区を除くと店舗面積が2万平方メート
ルを超える規模の店舗はないこと,そして,近年は進出がみられないことが特徴として挙げら
れる。
店 舗 名
開 店 日
建物の面積(平方メートル)
①ちまきや
昭和 8 年 6 月
19,439
②ザ・ビッグ大内店
平成 6年11月
10,682
③ゆめタウン山口
平成 9 年 3 月
19,210
④フジグラン山口
平成12年 9月
12,283
⑤ハイパーモールメルクス山口
平成12年 9月
11,263
⑥阿知須ショッピングセンター
平成 8 年 3 月
20,152
表3:山口市における大型店舗(出典:山口市中心市街地活性化基本計画:資料編)
− 86 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
6.山口市の中心市街地活性化基本計画
(1)概要と基本方針
山口市の新しい中心市街地活性化基本計画は平成19年5月に認定されている。計画を策定す
るにあたって,中心市街地活性化協議会を設立している。この協議会は22団体から構成されて
いて,中心となるのは商工会議所および株式会社街づくり山口である。山口市は旧法のもとで
も平成11年に中心市街地活性化基本計画を策定している。2節でも述べたように,旧計画では
中心市街地の区域が163ヘクタールと広範であった。そのため,事業の具体化が必ずしも十分で
はなかった。まちづくり三法が改正されたことにより,より具体的で現実的な事業計画を作成
していかなければならないので,旧計画が土台になっているものの,中心市街地区域を75ヘク
タールに集約して新計画を策定したという。現在,中心市街地はいわゆるシャッター街にはな
っていないが,商品販売額や通行量などの諸数値が少しずつ低下していることに対して街の人
たちも危機感をもつようになり,また,旧基本計画では実現できない事業もあったので,それ
らを盛り込んで新基本計画を作成したのであると市役所の方は話されていた。
新しい基本計画は以下に示す3つの基本方針にもとづいている。第1の基本方針は「にぎわ
いのあるまち」であり,第2,第3の基本方針はそれぞれ,
「暮らしやすいまち」,「自然と文化
の薫るまち」である。第1の基本方針は,まちに存在する商業,文化,歴史の資源を充実させ,
それらを活用することによって,
「多様な目的を持って訪れる人々に満足感を与え,交流の活発
なまちの創出」を実現しようとするものである。蓑原ほか(2000)は街の特徴として,あらゆ
る世代の人々を広域から呼び込み,高い密度で交流が実現される「開かれた重層的な空間構造」
であることを指摘しているが,山口市の第1の基本方針も,蓑原ほかが指摘した特徴に合致す
る。第2の基本方針は,新しい基本計画がコンパクトなまちづくりを重視していることにも対
応する。中心市街地の賑わいを取り戻すための手段の一つとして,中心市街地の居住人口を増
やして最寄り性を高めていくことが考えられる。居住人口を増加させるためには暮らしやすさ
の水準を上昇させることが求められるのである。第3の基本方針は,山口市の歴史的および文
化的資源を活用したまちの創出を目指すとともに,中心市街地を流れる一の坂川を再生して,
個性的なまちづくりを目指すものである。
われわれは,郊外型商業集積では代替が困難な中心市街地の差別化された機能や役割として,
特に,非日常性が存在すること,そして,地域の独自性を表していることの2点が重要である
ことを提示した(是川(2005))。非日常性の重要な要素として,街に回遊性が存在し,来街者
が街を楽しめることが挙げられる。新基本計画の第1の基本方針のなかで来街者が満足感を得
ることが目指されているが,このことは,来街者が街を楽しむことができる中心市街地を実現
することとして捉えることができる。一方,地域の独自性は,地域あるいは地域の中心市街地
− 87 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
が保有する資源の相違によって生じると考えられる。山口市に存在する大内氏に関する史跡,
そして中心市街地を流れる一の坂川などは地域の独自性を表現する資源であり,新基本計画の
第3の基本方針は,これらの資源を活用して,どのように街の個性を創出していくかという観
点から捉えることができよう。
新基本計画における3つの基本方針に共通することは,地域住民の暮らしやすさの向上や来
街者の効用の増加を追求することに主眼が置かれていることである。第3の基本方針において,
歴史的,文化的資源を活用することが目指されているが,これらの資源の活用は地域住民や来
街者に対して歴史的,文化的な雰囲気を与えることであり,中心市街地に観光客を呼び込むこ
とを直接的に目指すものではない。山口市の新基本計画の数値目標においても,観光客入り込
み数は選択されていない。山口市と同様に新法にもとづく中心市街地活性化基本計画が早期に
認定された岩手県久慈市や大分県豊後高田市では,中心市街地の活性化を観光客の増加によっ
て実現させることを目指している。これらの市の場合,中心市街地の核となる部分に観光資源
が存在することが特徴である。久慈市の場合は,撤退したダイエーの跡地に観光交流センター
と物産館(やませ土風館)を建設し,この施設を広域観光や街なか回遊の核とするものである。
豊後高田市の場合には,中心市街地のメインストリートそのものが昭和30年代の歴史を感じさ
せる商店街から構築されている。山口市には,歴史的な資源,および観光資源として国宝・瑠
璃光寺五重塔をはじめ,雲谷庵跡,菜香亭などが存在するが,中心市街地から徒歩で移動する
には遠い距離にあり,これらの資源を生かしながら観光客を中心市街地に誘導させるような回
遊性を高めることはやや困難といえる。山口市の場合,これらの観光資源を街の個性を創出す
る資源として活用し,住民の効用を高めていくことに重点をおいているのである。一般に歴史
的な資源は移設不可能であるから,山口市の手法は資源の保有状況に応じた適切かつ堅実な手
法といえよう。一方で,中心市街地のアーケード街のすぐそばを流れる一の坂川については親
水性を高めて中心市街地との回遊性を高めるために活用しようとするものである。これまでは
アーケード街を中心とした直線的な構造であった中心市街地に,あらたに面的な回遊性を持た
せようとする点において資源活用の意味があると考えられる。この川の両岸に親水空間を設け
てどのように回遊性を高めていけるかが今後の課題であろう。
新法にもとづく中心市街地活性化基本計画を策定するにあたっては,諸事業の達成の度合い
を示す明確な数値目標の設定が求められている。山口市の場合,休日における商店街通行量,
小売業年間商品販売額,そして,居住人口が数値目標として設定されている。市役所の方によ
ると,山口市の中心市街地で賑わいが出たということを何をもって捉えたらよいかについて活
性化協議会や商工会議所の方々と話し合い,最終的に前述の3つの指標が選択されたという。
− 88 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
(2)主たる事業
ここでは具体的な活性化事業のうち,アーケード街に沿った区域が対象となる8つの事業に
ついて,聞き取り調査の内容にもとづいて説明する。これらの事業を下に示すが,空き店舗の
活用や大型店撤退後の跡地利用が主たる内容になっている。
a.総合・循環型福祉サービス推進モデル事業
b.子育て支援者のための支援拠点施設運営事業「てとてと」
c.どうもんパーク事業
d.市民活動支援センター「さぽらんて」事業
e.米屋町商店街北地区整備事業
f.一の坂川総合流域防災事業(再生)・一の坂川周辺地区整備事業
g.「まちのえき」事業
h.アルビ跡地事業計画
上記の事業うち,a,b,cの3つの事業はアーケード街の西の核づくりとして位置づけら
れるものである。aは空き家となった民家を利用して高齢者向けのデイサービス等を行う事業
である。県や市から補助金が出されているが,実施主体の中心は,さんコープである。bは,
空き店舗を活用し,NPOが子育て支援に関する事業を行うものである。これら2つの事業は暮
らしやすさを目指すものである。cのどうもんパーク事業は,平成10年に撤退したダイエーの
跡地利用に関する事業である。ダイエーの撤退後に土地と旧ダイエービルを市が取得したが,
その後ビルは解体され,平成19年12月に2階建ての新ビル,どうもんパークが完成している。
この建物は道場門前の商店街振興組合が経済産業省の戦略的補助金を使って建設したものであ
り,テナントとして1階にはコープどうもん店が入居し,2階にはNHK文化センターと歯科医
院が入居しているほか,まちづくり会社の事務局がある。現在の建物は振興組合の所有であり,
土地を市が貸している状況である。旧ダイエービルにもダイエー撤退後にコープどうもん店が
入居したが,中心市街地における最寄り性の維持のために継続してコープに入居してもらえる
ように振興組合側が強く要望したという。
dとeはアーケード街の中央よりの部分に位置する施設や区域を対象とする事業である。d
は空き店舗を活用した事業であり,NPOが市民活動を支援する事業を行っている。建物は市が
借り上げて,運営を指定管理者のような形態で行っている。eの米屋町商店街北地区整備事業
は米屋町の商店街がfの一の坂川整備に関する事業と連動した形で取り組む事業である。すで
に述べたように,この事業は中心市街地のアーケード街のそばを流れる一の坂川を親水性を持
たせるように整備し,川から商店街への回遊性を高めていくことを目指す事業である。一の坂
− 89 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
川は中心市街地の核となる部分に沿って流れている点において,中心市街地の独自性を表現さ
せる重要な資源といえる。また,2節で述べたように,アーケード街から脇に入った部分の商
業集積はほとんどなく,中心市街地における回遊性は直線的なものといえる。一の坂川と商店
街を結びつける部分に店舗等を設置することで,新たに,安らぎの空間と同時に面的な回遊性
を創出することが期待できよう。
gも空き店舗を活用した事業であり,NPOが高齢者,障がい者向けの福祉交流拠点として活
動を行う事業である。hのアルビ跡地事業計画は,アーケード街の東の核づくりの中心として
位置づけられる事業である。アルビ跡地についてもダイエー跡地と同様に,中心市街地のなか
でこれから活用していく土地であるという認識のもとで,市が取得している。アルビ跡地事業
計画は,中心市街地区域の北東の境目に存在する公設・川端市場が老朽化したために,これら
の市場の移転を中心的な目標として大型の商業施設や市場を建設していこうという計画である。
アルビ跡地は現在,更地になっているが,ここに2階建て程度の建物を建設することを計画し
ており,1階に生鮮品を中心とした市場を,2階に飲食店を入居させることを考えているとい
う。また,隣接する井筒屋と取扱商品が重複しないように,補完性を持たせるようにして,両
施設の棲み分けを図るようにしたいとのことである。なお,アルビ跡地の横には歴史的価値を
もつ民家が存在し,庭や倉も残されている。この民家と一体となった歴史的な雰囲気で全体の
建物を構築できないかという視点でアルビ跡地計画が進められているという。
(3)今後の課題
中心市街地の経済学的特徴の1つとして,個別に意志決定を行う個店や施設の集合体として
中心市街地が構成されていることが挙げられる。個店や諸施設の行動にともなって生じる外部
性,とりわけ外部不経済の問題を解決するためには,個店や諸施設の意志決定をコーディネー
トしていく機能が求められる。市役所の方の話によると,アーケード街の中の道場門前,米屋
町,中市の各商店街については理事長が諸事業に主体的に関わっているが,全体のまとめ役に
ついては,新基本計画を作成する段階からタウンマネージャーのような全体を見通すことので
きる人材が必要であろうという話があったという。今のところ,そのようなポジションの人は
いないので,今後の課題になるであろうとのことである。
7.山口市中心市街地の現状および活性化政策に関する考察
山口市の中心市街地は商品販売額や通行量などの諸数値は減少傾向にあるものの,現在のと
ころ,空き店舗が目立つことはなく,核となるアーケード街に商業集積が密集し,一定の活力
− 90 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
を維持できているといえる。その要因としてどのようなものが考えられるかについて本節では
検討する。
(1)構造上の特徴からの要因
山口市の場合,中心市街地の核となる部分が道場門前,米屋町,中市の各商店街から構成さ
れるアーケード街に集約されており,地域住民はもとより来街者に対してもわかりやすく,か
つ,利用しやすい構造となっている。このため,新基本計画における主要な事業もアーケード
街およびアーケード街に隣接する諸施設を対象としており,予算等を集中的に投下することが
可能となっている。特に,山口市では駅前に大きな商業集積が存在せず,中心市街地の核が分
散してしまう問題点が存在しない。山口駅前は中心市街地区域に含まれているが,新基本計画
においても駅前の商業集積を重点的に高める方針ではないので,既存の集積を充実させていく
という点において適切な方針であるといえる。なお,駅と旧来から存在する中心市街地が離れ
ている都市の場合,駅を訪れた来街者をどのようにして中心市街地に誘導するかが課題となる。
2節で述べたように,山口市の場合,駅前通りをそのまま直進した位置に,そして徒歩で移動
できる位置にアーケード街が存在するため,中心市街地への導線に関する大きな問題点はない
といえる。
もう一点,構造上の要因として挙げられる点は,アーケード街に存在する大型の店舗として
西の端にコープどうもん店が,東の端に井筒屋が存在することである。コープどうもん店は最
寄り性の,井筒屋は買い回り性の核となる店舗として位置づけられる。中心市街地区域に大型
の店舗はほかになく,中心市街地において核となるべき大型の類似店同士が競合して共倒れに
なるという問題が生じていない。商圏人口に見合った店舗構成になっているといえる。アルビ
跡地事業計画は市場の移転をメインとした事業であり,最寄り性を高め,井筒屋との補完性を
高めようとしている。新しい施設は生鮮品等を扱う点でコープどうもん店と類似性を有するが,
それぞれがアーケード街の東と西の核として位置づけられるので,棲み分けが可能であろう。
最寄り性の高い2店舗がアーケード街の東と西の核になることは,中心市街地の居住者の利便
性を高めることに大きく貢献するといえる。
(2)各店舗の入れ替わりが実現したこと
ダイエーが撤退したあとにコープどうもん店が入居し,ちまきやが閉店したのち2ヶ月で井
筒屋が店舗を引き継ぐ形で開店するといったように,核となる集客力の高い店舗の入れ替わり
がスムーズに行われている点,そして,同様の業種での入れ替わりが実現している点に大きな
特徴がある。非日常性という機能を果たすデパート,そして,暮らしやすさを高めるために必
要な最寄り性の高い店舗の双方の存在が維持できたことは中心市街地の活力を保つうえで大き
− 91 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
な意味をもつ。地域住民にとっては経営主体が変わっても,従来通りの商品が購入できるので
あれば,生活のしやすさに大きな変化は生じない。また,同業種の店舗の入れ替わりであれば,
従業員についても従来通りの雇用が継続する可能性が高い。このような店舗の入れ替わりがス
ムーズに実現した要因として,現状の中心市街地が一定の賑わいをみせていること,核となる
商業集積が分散せずに集中しており,かつ,競合する大型店が存在しないことが考えられよう。
市役所の方の話によると,井筒屋が進出するに際して,多くの街の中心市街地が衰退している
中で山口市の中心市街地はある程度活気があること,そして,活性化基本計画についても市が
実施し,商店街もやる気をもっていることを評価し,この街はこれから面白くなると判断して
出店を決定したという。
(3)核となる店舗の再開発と活用方法
スーパーやデパートなどの大型店が撤退した跡の建物をどのように活用していくかは各都市
における課題の一つであろう。建物が数階建てである場合,撤退後のスペースに新たにスーパ
ーマーケットなどが入居したとしても,2階もしくは3階以上の部分にテナントがなかなか入
らず,建物全体を十分に活用できないままの状態が続いてしまうことが見受けられる。6節で
述べたように,久慈市の場合は,旧ダイエーの建物を解体して観光交流センターや物産館を建
設することによって,跡地を広域観光や街なか回遊の核とするという新たな目的で活用するこ
とを基本としている。山口市の場合は,旧ダイエーの建物を解体し,2階建ての建物,どうも
んパークを建設し,この建物の1階にコープどうもん店を入居させて最寄り性を維持し,2階
にはNHKなどの文化施設等を入居させている。一定の集客性を有する施設を入居させていると
同時に,無理なく効率的に建物の活用をはかっている点が注目される。同様の活用方法はアル
ビ跡地事業計画についてもあてはまる。1階に市場,2階に飲食店を入居させることによって
最寄り性を実現すると同時に,隣接するデパートとの補完性を高めようとしている。中心市街
地の暮らしやすさを高め,居住人口を増やし,中心市街地を活性化するためには,最寄り性を
高めなければならない。どうもんパーク事業やアルビ跡地事業計画は,現状の中心市街地に何
が求められているかを考慮した再開発になっている。巨額な資金を投入して大規模な高層の建
物を建設したものの,集客性の高いテナントが入らなければ,中心市街地の来街者を増加させ
ることにつながらず,一方で,建物の建設費や維持管理費の回収が困難になってしまう問題が
生じる。
ダイエーやアルビの撤退後の跡地については市が買い取りを行っている。空き店舗が起点と
なって街がさびれていくことを阻止しなければならないという強い要望が地元から生じ,市に
も街の衰退は何としても防ぎたいという強い意志があり,跡地を買い取ることに至ったという。
中心市街地に広い空き店舗または空き地が生じることは,集客性の低下,回遊性の低下,およ
− 92 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
び雰囲気の悪化などの外部不経済が生じる。一方で,テナントミックスの視点からは,空き店
舗や空き地には街に求められる業種の店舗や施設が入居することが求められる。商店街組織が
空き店舗や空き地を買い取って,より望ましい業種の店舗等が入居しやすくしていく方法も考
えられるが,規模の大きくない都市の場合は資金的に困難な場合が多い。よって,山口市のよ
うに行政機関が資金を出して跡地を買い取り,中心市街地の活性化に必要な業種を入居させて
いく手法は中心市街地の機能を維持する上で意味をもつといえよう。
(4)大都市との関係および郊外型大型店との関係
地方都市の中心市街地が衰退する要因の一つとして,人気ブランド品や高級ブランド品など
の買い回り品を購入する客を近隣の大都市に吸収され,一般的な買い回り品,最寄り品,およ
び日用雑貨品を購入する客を郊外型大型店に吸収されてしまうことが挙げられる。山口市の場
合,100万人規模の都市と距離が離れていること,そして,大規模な郊外型店が進出していない
ことが特徴として挙げられる。
大都市との距離については,高速道路を利用した場合,山口・広島間が約150キロ,山口・福
岡間が約140キロである。広島や福岡へは高速バスが運行されているし,高速道路を使って自家
用車で移動すればバスよりも短時間で移動できよう。市役所の方の話では,ブランド品などの
買い回り品を購入するために福岡や広島に行く人は増えているという。高速バスの利用の場合,
山口・広島間は片道約3時間で2750円,山口・福岡間は片道約3時間半で3000円である。新幹
線利用の場合,新山口・広島間が片道約30分で4620円,新山口・博多間が片道約40分で4930円
である。高速バス利用の場合は所要時間が,新幹線利用の場合は運賃がややネックになる。こ
のように,移動の時間や料金を考えると,山形・福島と仙台,あるいは岐阜と名古屋の関係と
は異なり,気軽に頻繁に広島や福岡に買い物に行くわけにはいかず,山口市の場合,一定量の
買い回り品を地元で購入する傾向は残されているといえよう。
郊外型大型店の進出状況については5節で述べたが,店舗面積が大きいものでも2万平方メ
ートル弱であり,進出店舗数も限定されている。3節や4節で述べたように,これらの大型店
の存在は,中心市街地の商業的な数値や通行量の減少の要因にはなっているが,中心市街地に
おける最寄り品を中心とした客を著しく吸収するには至っていないといえる。
(5)暮らしやすさを目標とした堅実な計画
山口市の中心市街地が一定の賑わいをみせていることの要因について,上記(1)∼(4)
で説明した。今後も中心市街地が活力を維持していくためには,中心市街地に何が求められる
かを把握し,求められるものを補うような適切な取り組みが求められる。中心市街地の機能の
一つとして非日常性が存在することを指摘した。ブランド品,高級品を取り扱う店舗を充実さ
− 93 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
せることも非日常性を実現する要素ではあるが,人口,あるいは商圏人口があまり大きくない
都市の場合は,ブランド品や高級品を扱う店舗自体を誘致することが困難な場合も少なくない。
また,そのような店舗を誘致できたとしても,商品の性質上,同一の顧客が日常的に店舗を訪
れる可能性は少なく,より品揃えの多い大都市の店舗での購入を顧客が好むこともありうるの
で,集客性に限界がある。よって,人口や商圏人口があまり大きくない都市では,むしろ最寄
り性を高めて街なかの暮らしやすさを重視し,居住人口の増加による賑わいの創出を目指す方
法が考えられる。山口市の中心市街地活性化基本計画は,既存の商業集積を生かしつつ,どう
もんパーク事業やアルビ跡地事業計画によって最寄り性を高めて,暮らしやすい,あるいは使
いやすい中心市街地を実現しようとするものである。よって,やみくもに大型店を拡張するよ
うなものではなく,空き店舗を活用し,堅実,かつ,適切な計画であるといえよう。一方で,
アルビ跡地の建物の2階に飲食店を入居させることや,一の坂川を生かした面としての空間を
創り出すことは中心市街地における回遊性を高めることにつながり,これらの事業は街を楽し
むという非日常性を実現するうえで重要な役割を果たすものとなっている。
今後,経済事情の変化や大型店の進出状況によって,山口市の中心市街地がどのように変化
するかを継続して調査,検討していくことは意義があるといえる。とりわけ,事業規模の大き
なアルビ跡地事業計画や面的な回遊性を創出する米屋町の事業の今後の展開は,中心市街地活
性化を実現する上で重要な役割を果たすといえるので,さらなる調査を実施したい。また,中
心市街地活性化の取り組みをコーディネートしていく人材の育成やしくみの構築は今後の重要
な課題である。この点については中心市街地活性化に携わる多くの関係者からヒアリングを重
ね,検討していくことが要請されるが,このような調査,検討については稿を改めて提示して
いきたい。
最後になりましたが,ヒアリングに協力して下さった山口市中心市街地活性化推進室の2名
の方に対して心より御礼申し上げます。
注
*
本研究は科研費(基盤研究(C),19530230)の助成を受けたものである。
1)以下で示す各都市の人口数は『2007 地域経済総覧』(東洋経済新報社)にもとづく平成17年の値を基
本としている。このデータでは,合併が行われた都市については,調査時点が合併期日以前であっても,
合算処理などによって遡及修正がなされている。
2)福島市の場合は13.9パーセントであり,山口市と類似した状況にあるといえる。
− 94 −
山口市中心市街地の実態と活性化政策−是川
3)正確にはアーケード街は北東から南西にかけて位置している。しかし,新基本計画などにおいてもア
ーケード街の両端を東,西と呼んでいるので,本稿でも,特に断りのない限り,アーケード街は東西に
延びていると捉え,それに対応した表記をする。
4)西門前の商店街については,アーケードには「西門前」と表記されているが,商店街組織の名称は本
町商店街である。
参考文献・資料
是川晴彦(2005),「中心市街地の機能と活性化」
,『山形大学大学院社会文化システム研究科紀要』,創刊号
東洋経済新報社(2006),『2007 地域経済総覧』
土肥健夫(2006),『改正・まちづくり三法下の中心市街地活性化マニュアル』,同友館
蓑原敬,河合良樹,今枝忠彦(2000),『街は,要る』,学芸出版社
山口市(2007),『山口市中心市街地活性化基本計画』
山口市(2007),『山口市中心市街地活性化基本計画
資料編』
− 95 −
松山市の中心市街地の現状と活性化のための取り組み−西平
松山市の中心市街地の現状と活性化のための取り組み
1
西 平 直 史
(人文学部 法経政策学科)
1.はじめに
近年、地方都市の中心市街地の活力が低下していると言われている。大型商業施設の郊外へ
の進出、モータリゼーションによる生活スタイルの変化、交通網の発展に伴う大都市への移動
などがその要因として考えられている。
このような状況に対処するため、平成10年にいわゆる“まちづくり三法”が施行され、平成
18年には改正された“新まちづくり三法”が施行された。本稿では、新まちづくり三法下で中
心市街地活性化基本計画が認定された松山市を対象として、基本計画および聞き取り調査 2から
明らかになった中心市街地の現状と活性化のための取り組みについて述べる。
2.松山市の概要
松山市は愛媛県の中央部の松山平野に位置し、東は四国山地、西は瀬戸内海に面している。
平成17年10月時点で人口は約51万5千人、面積は約429平方キロメートルであり、愛媛県の県庁
所在地である。日本最古の温泉といわれる道後温泉、慶長年間に加藤嘉明によって築かれた松
山城といった歴史的な観光資源に恵まれた都市でもある。明治22年に市制を施行した当時の松
山市の人口は、32,916人であったが、その後の市町村合併や自然増、社会増によって、平成17
年の国勢調査では514,937人である。なお、平成12年4月には中核市へ移行し、平成17年1月に
は北条市・中島町と合併した。
3.中心市街地の現状
3.1 中心市街地の概要
松山市の中心市街地は、松山城を中心に放射状に伸びる5本の国道(11号、56号、196号、
317号、437号)及び、伊予鉄道松山市駅を中心に3本の鉄道郊外線があり、人や物が集まる構
造になっている。中心市街地の西端にはJRの松山駅があり、ここから中心市街地の東端の伊予
鉄道道後温泉駅まで路面電車が走っている。また、松山空港、松山港、松山自動車道の松山イ
1
2
本研究は平成19年度科学技術研究費補助金(基盤研究(C)
(課題番号 19530230))の成果の一部である
平成19年12月18日に松山市地域経済課にて実施
− 97 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
ンターチェンジがいずれも中心市街地から約4∼5キロメートルの位置にあり、交通機関が充
実している。
松山市中心市街地活性化基本計画で指定された地域は図1に示した約450ヘクタールの地域で
ある。この中心市街地は商業や観光産業の集積地として発展している。いよてつ高島屋、三越
松山店を両端とするアーケード商店街(大街道・銀天街)3には多種多様な店舗が集積しており、
愛媛県全体を商圏としている。
また、官公庁、大学(愛媛大学、松山大学)
、病院(松山赤十字病院、県立中央病院、市民病
院)、県民文化会館、松山城、道後温泉といった施設・資源が集中しているのも特徴である。
図1 松山市中心市街地活性化基本計画による中心市街地
(松山市中心市街地活性化基本計画より転載)
3.2 中心市街地の商業
松山市内には、37の商店街組織があるが、そのうち21組織が中心市街地に集積している(図
2)。特に、中心部には、大街道、銀天街が連なり、四国唯一の地下街であるまつちかタウンと
3
松山市では2核1モールと呼んでいる
− 98 −
松山市の中心市街地の現状と活性化のための取り組み−西平
ともに中央商店街を構成している。全長約1キロメートルにおよぶ両端には、三越松山店とい
よてつ高島屋が立地し、回遊性を演出している(図3)
。しかし、平成20年1月には、大街道の
入口に位置していたラフォーレ原宿・松山が老朽化のため閉店した。
図2 中心市街地の商業集積(松山市中心市街地活性化基本計画より転載)
図3 中央商店街(松山市中心市街地活性化基本計画より転載)
− 99 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
つぎに商業統計調査に基づく、年間商品販売額と商店数の推移を図4と図5に示す。松山市
全体も中心市街地も販売額・商店数のいずれも減少傾向にあることがわかる。松山市は、郊外
や近隣他市町での大型店の出店により市民の消費行動が郊外へ分散していること、魅力的な店
舗の立地に向けての対策が講じられなかったこと、核店舗の撤退を原因としてあげている。
図4 小売商業の年間商品販売額(商業統計調査より作成)
図5 小売り商業の商店数(商業統計調査より作成)
郊外大型店の状況はつぎのとおりである。松山市郊外には、昭和54年開店のジョー・プラ
(店舗面積16,669平方キロメートル)と平成7年開店のジャスコシティ松山(床面積18,353平方
キロメートル)の2店舗のみであるが、隣接する東温市にフジグラン重信(平成5年開店、店
− 100 −
松山市の中心市街地の現状と活性化のための取り組み−西平
舗面積30,847平方キロメートル)・パルティフジ見奈良(平成12年開店、店舗面積16,178平方キ
ロメートル)が出店している。また平成20年4月には、伊予郡松前町に店舗面積47,000平方キ
ロメートルのエミフルMASAKIが開業しており、この影響が今後の統計にはあらわれてくるも
のと思われる。
つぎに、聞き取り調査で明らかになったことを記しておこう。松山市はこれまで商業活性化
へのてこ入れはほとんどしてこなかった。地方都市において、いわゆるストロー効果により、
近接している大都市に人や物が吸い上げられることが多い。しかし、松山市は地理的に孤立し
ており、一番近い大都市(百万都市)の広島市までも3時間以上かかる。このような地理的な
要因から競合市がないのが現状である。また、松山市は郊外型のショッピングセンターの進出
を規制してきたのも特徴的である。それにより、中心市街地に比較的活力がある。しかし、松
山市外の市町に大型のショッピングセンターが進出してきており、その影響を受けているのも
事実である。
3.3 中心市街地の観光
中心市街地には、松山城と道後温泉という愛媛県を代表する観光施設のほか、数多くの観光
施設が存在する。松山城は、1602年から加藤嘉明によって築城され、現在は天守閣のある本丸
へはロープウェイで登ることができる。松山城の南裾には、平成19年に坂の上の雲ミュージア
ムがオープンし、好調な集客を続けている。道後温泉は、年間100万人を超える入浴客のある道
後温泉(本館、椿の湯)を核とする。道後温泉本館は明治27年に建てられた木造三階楼の構造
で、国の重要文化財に指定されている。
図6 松山市観光施設の入り込み客数(松山市中心市街地活性化基本計画より作成)
− 101 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
図6は松山市の主要観光施設の入り込み客数の推移を示したものである。平成11年には、し
まなみ海道が全通した影響から入り込み客数が大きく増加している。また、松山城天守閣は平
成16年10月から平成18年10月まで改修工事が行われており、その間入り込み客数は激減したが、
その後回復傾向にあるのがわかる。また、平成19年にオープンした坂の上の雲ミュージアムも
14万人以上を集客しており、好調であることがわかる。
つぎに、観光資源について聞き取り調査から明らかになったことを記しておこう。山形大学
まちづくり研究所では、中心市街地を活性化するための“資源”を6つに分類している 4 が、松
山市においては観光資源を優先順位の第1位と位置付けている。これまで松山城天守閣の改修、
坂の上の雲ミュージアムを整備してきており、今後は道後温泉本館の改築を考えているようで
ある。第2位に位置付けている商業資源については積極的な施策を実施していないのに比べる
と非常に対照的である。
4.中心市街地活性化のための取組み
これまで、松山市の中心市街地の現状を概観してきたが、課題をまとめると、①広域商業核
としての機能と賑わいの維持、②観光施設の入り込み客数の増加の2点になる。この課題に取
り組むため、松山市中心市街地活性化基本計画では、①城下町ならではの賑わいのあるまち、
②「坂の上の雲」のまちづくりとまちなか回遊を活かした観光交流のまち、③便利で、楽しい
商業のまち、の3点を目標として定めている。
「賑わいのある商業のまち」を達成するための取組みとしては、中央商店街等における新た
な魅力ある商業施設の創出を行うとしている。具体的には、大街道・銀天街商店街の空き店舗
において、人を惹きつける新たな商業床を誘致すること、大規模小売店舗立地法の特例区域の
活用などによって中心市街地内への新たな商業施設等の立地促進を行う、また、道後温泉の
「湯上り朝市」や松山城下の「城下門前市」など、商業イベントの共同開催により賑わいを創出
する、愛媛県立中央病院を再整備し、中心市街地における人々の利便性を確保する、JR松山駅
付近連続立体交差事業に併せて路面電車とJRの結節強化を図り、中心市街地への回遊性の向上
を図る、といった事業を計画している。
「観光交流のまち」を達成するためには、観光資源の戦略的な活用、中心市街地内での回遊
性の向上といった事業を取り組んでいる。前者は、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の放
映の機会を捉え、関連イベント等の集中展開事業「まつやまエポック」を実施し、坂の上の雲
ミュージアムなどの地域資源への観光客誘致を図ること、道後温泉地区の旅館と大手旅行会社
4
観光資源、商業資源、暮らしやすさに結びつく資源、コミュニティー・ビジネス、文化的生活に貢献す
る資源、福祉に結びつく資源の6つである。
− 102 −
松山市の中心市街地の現状と活性化のための取り組み−西平
がタイアップした誘客キャンペーンを実施すること、城山公園オータムフェスティバルなどの
集客性の高いイベントの実施といった事業が含まれている。後者は、道後温泉や松山城などの
中心市街地内の複数の観光施設における「回遊割引パス」を創設し、来街者のまちなかでの回
遊を促進すること、中心市街地内のまちかど案内情報発信施設の機能強化や、携帯電話を活用
した商店街の情報発信事業「おいでナビ」の拡充による情報発信機能の強化といった事業があ
る。
聞き取り調査においても、観光資源と商業資源の連携が課題としてあげられていた。一例と
して、道後温泉のホテルや旅館には中心商店街に関するパンフレットが置かれていない、その
逆もしかりで、市内に来るビジネス客はホテルで道後温泉のパンフレットを手にすることはほ
とんどないようである。中心市街地活性化基本計画に盛り込まれた事業が進むことにより、こ
の課題が解決されることが期待される。
5.おわりに
本稿では、松山市における中心市街地の現状と活性化のための取り組みについて述べた。松
山市は商業資源と観光資源に恵まれたまちであり、それらを活用した活性化の取り組みがなさ
れていることを紹介した。
最後に、中心市街地活性化基本計画の内容、聞き取り調査、また実際に現地の視察から明ら
かになった重要と思われる点をまとめておきたい。まず、松山市の中心商店街の活力は地方都
市としては非常に優れている。近年、郊外型大型店の出店などにより商店数や商品販売額は減
少の傾向にあるが、中心商店街に空き店舗は少なく、また商店街の人通りも多かった。松山市
は郊外型大型店の出店を規制してきた経緯があることと、大都市から離れているという地理的
な要因が大きいと考えられる。また、松山市の人口は50万人超であり地方都市としては人口が
多いことも要因の一つであろう。今後、地方都市の中心市街地の分析を進めていく上で、郊外
型大型店、大都市との(物理的、金銭的)距離、都市の商圏人口を考慮に入れる必要があるで
あろう。
中心市街地に官公庁や教育機関、病院などの資源が残っていることも中心市街地に活力があ
ることと関係があると考えられる。中心市街地には、愛媛県庁、松山市役所、2つの大学、3
つの病院が立地しており、これらの資源がかなりの人を中心市街地に呼び込んでいる。多くの
都市においてこういった施設は郊外へ移転しているが、そうしなかったことが結果として中心
市街地の活力につながっている。その一方で、中心市街地には限られた土地しかないため、老
朽化した病院の建て替えが課題となっているようである。適当な代替地がなく建て替えが難航
している病院があるとのことである。中心市街地の活性化を考えると郊外への移転ではなく中
心市街地内で代替地を探さなければならないが、これは松山市のみならずどの都市においても
− 103 −
山形大学紀要(社会科学)第40巻第1号
今後の課題となるであろう。
観光資源に目を向けると、中心市街地の観光資源は豊富ではあるもののストーリー性に欠け
るのが難点である。2大観光地としてあげられる松山城と道後温泉だが、松山城は江戸時代の
建造物であり 5その時代(加藤藩から松平(久松)藩)の展示がメインである一方で、道後温泉
は明治期の建造物であり明治の文豪夏目漱石のイメージが強い。実際、路面電車には「坊ちゃ
ん列車」と名付けられた車体があるし、土産物にも「坊ちゃん」の名前が冠されているものが
ある。さらに、松山城南裾には「坂の上の雲」ミュージアムが建設されたが、司馬遼太郎の小
説「坂の上の雲」がモチーフとなっているようであり、松山出身の正岡子規、秋山兄弟をとり
あげている。これらの施設は、対象とする年代が違うことや趣味趣向の方向性が異なっている
こともあり一体となったストーリー性を作成するのは困難であろう。
また、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」放映にあわせたキャンペーンは一過性のものに
ならないように工夫する必要がある。
また、聞き取り調査において、観光資源と商業資源の連携が課題としてあげられていた。商
業イベントのようなイベントと観光資源の連携は比較的容易であるが、デパートを核とする商
業施設と観光資源の連携は課題が多いと思われる。聞き取り調査では、道後温泉の旅館やホテ
ルに中心商店街の飲食店マップを置くようなアイディアを披露していただいたが、道後温泉地
区にも飲食店があり他の地区へ客を奪われることの心配が生じると思われる。筆者らは調査に
あたって道後温泉のいわゆる温泉旅館に宿泊したが、この旅館では4∼5人程度が宿泊できる
部屋をビジネス客用に1人での宿泊に提供していた。このような形での“連携”から入ってい
くことが次の段階へとつながっていくと思われる。
松山市の大きな資源として、路面電車の存在があげられる。中心市街地を環状に運行してお
り回遊性に寄与していると考えられる。路面鉄道を運行している伊予鉄道株式会社では1Day
チケットを準備しており、これは1日300円で路面電車が乗り放題になるものである。路面電車
という資源をうまく活用することで、中心市街地の回遊性向上につなげることが期待される。
また、「回遊性」というキーワードを考察するにあたっては、その中心市街地のもつ交通資源も
含めなければならないという示唆を与えている。
最後になったが、聞き取り調査にご協力いただいた松山市地域経済課の職員に対して記して
謝意を表する。
5
松山城は江戸時代以前に建造された現存12天守の1つである。他は弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、
彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、宇和島城、高知城である。
− 104 −
松山市の中心市街地の現状と活性化のための取り組み−西平
参考文献
・土肥建夫 改正・まちづくり三法下の中心市街地活性化マニュアル 同友館(2006)
・山形大学まちづくり研究所 中心市街地における「活性化」とは何か−定量的・定性的分析による定
義− (2005)
・松山市中心市街地活性化基本計画(2007)
・松山市ホームページ http://www.city.matsuyama.ehime.jp/
・伊予鉄道株式会社ホームページ http://www.iyotetsu.co.jp/
− 105 −
Fly UP