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教育リーダーシップにおける 「同僚性」の理論とその実践的意義

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教育リーダーシップにおける 「同僚性」の理論とその実践的意義
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 1 号(2011 年)
教育リーダーシップにおける
「同僚性」
の理論とその実践的意義
石 田 真理子
「同僚性」概念は今日、教育理論において最も注目されており、広範囲にわたる教育改革や学校改
善に対して貢献している概念である。しかし、その定義や機能に関して明確な統一見解はない。本
稿においては、実践的な課題意識から、主として教育リーダーシップについて包括的に論じている
トニー・ブッシュの分析に基づき、
「同僚性」の理論を検討する。この検討を踏まえ、中高一貫校等
の教員を対象として質的調査を行った。聴き取り調査データを意思決定、効果、説明責任の観点か
ら検討した結果、教員個々人が学校改革や改善のための目標を共有して、納得した上で授業や指導
にあたることで効果が上がると認識していることがわかった。ブッシュの教育リーダーシップとマ
ネジメントに関するモデルの枠組み照合すると、実践においては同僚性モデルは形式的モデルより
も有効であり、またブッシュの議論では扱われていない教授的同僚性が重要である。
キーワード:教育リーダーシップ、同僚性、中高一貫校、英語教員、教授的同僚性
1.課題と方法
本稿の目的は、学校教育改善の鍵となる教師間の「同僚性」を保持し、発展させるという実践的な
課題意識から、近年の教育理論においてクローズアップされている教育リーダーシップ理論に注目
し、トニー・ブッシュ著 “Theories of Educational Leadership and Management”1 に示された理論の
諸類型を検討した上で、教育リーダーシップにおいて「同僚性」理論の有する実践的な含意を明ら
かにすることにある。
筆者は中高一貫校における教員連携に関する研究において、英語科主任が 6 年間の英語教育を有
効に進める上で「同僚性」が必要であるとの認識を持っていることを明らかにした 2。各学校が中高
一貫校としてさまざまな工夫をして中高一貫教育としての英語教育を成功させようとしているが、
中学と高校の授業における連携をスムーズに行う工夫の中でもっとも多かったのが、シラバスの活
用と並んで、「教員間の連絡を密にしていくこと」である。教員間の協力がなければ、学校レベルで
のカリキュラム改革は有り得ない。この「協力」には人間的なつながりの意も含まれている。しか
しながら、教員が各教科指導でより大きな成果を上げ、学校全体における教育の質的改善につなげ
教育学研究科 博士課程後期
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教育リーダーシップにおける「同僚性」の理論とその実践的意義
るためには、それだけでは不十分である。システムとして機能する「同僚性」、また「同僚性」を育む
「メンタリング」
が重要なキーポイントである。
同僚性は、真の学びのある授業の創造の目指した学校改革に不可欠な条件として、注目されるよ
うになってきた。油布(2007)3 によれば、同僚は新任教員の職業的社会化にとって重要なモデルと
なる。臨教審の提言に基づき 1988 年の教育公務員特例法等の改正により初任者研修が制度化され、
ベテラン教師による指導が行われるようになった。これは、職場の同僚集団が新任教員に果たす役
割の重要性が認識されたからに他ならない。また、職場を同じくする同僚性集団への帰属意識が高
まれば、教師個々人の不満・葛藤などの軽減・解消に貢献するし、また何よりも、教師相互の啓発に
とって意味ある場となる。
とりわけ近年増加しつつある中高一貫校は、他の中学校や高等学校と同様、学校ごとにさまざま
な課題は抱えているものの、前期課程(中学)と後期課程(高校)の教育理念にほとんど差異はない。
それにも関わらず、中高一貫の教育課程開発においては種々の問題を抱えているケースは少なくな
い。たとえば、
中高一貫校の英語科主任が「うまくいっている」という感想を持つ学校のほとんどが、
一人の教員が 1 年から 6 年まで持ち上がるシステムを持つ点は興味深い。前期(中学部)課程のみを
担当する、あるいは後期(高等部)課程のみを担当して固定化されている場合、担当していない課程
に関する知識が乏しく、お互いの教員同士がお互いの困難さや苦悩を理解することは困難である。
6 年間の英語教育を成功させるためには、教員同士の、形式的連携を越えた、「同僚的」連携が必要
不可欠である。実際、調査対象の教員は、英語科主任として教員同士が気軽に意見交換できる場を
設けたり、他の教員の授業見学を実施したりとさまざまな工夫をしていた。
主任は個々の教師が抱えている葛藤をどの役割で解決すべき問題なのかを位置づけて整理する必
要があり、そうすることにより、個人の仕事とされていたことが、学校組織としての仕事に移行さ
れていく。個々の教師の精神的負担が軽減され、学校全体も組織として新しく機能することが可能
になる。日本の教師の多忙感を考える場合、単純に時間的、物理的な多忙がそのまま多忙感につな
がると考えるわけにはいかない。今何をするべきかが明確であり、目標に向かって自らが打ち込ん
でいるとき、
時間的、
物理的に厳しい状況にあっても充実感を得られるかもしれない。それに対して、
次々にやるべきことが頭に浮かぶものの、どれも手につかないような忙しさであれば、精神的な負
担から多忙感につながりやすい。つまり、
主任が目標を明確に見える形にして示してあげることで、
教師の仕事に対する満足感が高まり、また同僚性も高まる。
本稿においてはこうした実践的な課題意識から、教育リーダーシップの理論を包括的に論じてい
るトニー・ブッシュの研究を取り上げ、教育リーダーシップ論とそこにおける「同僚性」の位置とそ
の機能について確認をする。これが第一の課題である。第二の課題は実践的な課題である。ブッシュ
は「同僚性」における理論と実践との関係について述べており、理論の適切性を評価することによ
り、理論と実践の格差を避けることができるとしている。実践のための理論は、教育分野における
実践的なリーダーや管理者たちにとっていっそう重要であり 4、こうした理論モデルを実践に適用
することにより、理論の適切性が検証されなければならない。また実践的な課題意識から理論を検
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討することにより、理論 - 実践のネクサスを構築する手がかりになる。そこで、本稿では、ブッシュ
の理論をもとに、教師間の「同僚性」
をどのように保つことが有効であるかを検討する。
2.基礎的概念の検討:教育リーダーシップと同僚性
本稿において検討する主要概念である「教育リーダーシップ」と「同僚性」は、明確な輪郭を伴っ
た概念ではない。これらの概念は、研究においても、実践においても、明確な定義を欠いたまま使
用される傾向がある。ユクル(1994)によれば、
「リーダーシップの適切な定義をめぐる論争を解決
することは・・・現時点では実現不可能であり、また望ましいことでもない。リーダーシップの定
義は、他の社会科学における構造とまったく同様に、恣意的であり、多分に主観的である。他の定
義よりもいっそう有効な定義はあるが、
「正しい」定義はない」5。こうした定義の曖昧さを指摘す
る記述は、クラークとクラーク(1990)
、ロスト(1991)にも認められる 6。
しかしそれにも関わらず、教育政策や学校教育改善を導くスローガンとして流布しているのが現
状である。実践的な意味において、これらの概念が教育政策や学校教育改善に貢献するためには、
これらの定義や含意が、たとえ暫定的ではあれ、明らかにしておく必要がある。したがって、まず
これらの概念と含意、また背景となる社会的文脈について検討し整理しておこう。
教育リーダーシップは、一人の人間(あるいは一つの集団)が、その集団あるいは組織において諸
活動と関係性を構築するために、他の人間(あるいは他の集団)に対して行使する意図的な影響と暫
定的に定義することができる 7。しかし、組織の中においてリーダーシップの形態は、それ自体とし
て単独に存在するわけではなく、
その組織の有する構造との関わりの中で初めて機能する。したがっ
て、リーダーシップの形態と組織構造の形態という 2 つの要因を考慮する必要がある。
紅林(2002)8 によれば、同僚性には相反する 2 つの機能がある。1 つは、同僚性のもつ教師の専門
的自律性を阻害する機能である。これは、教育社会学の立場から教師研究をおこなっている永井聖
二が《共同歩調志向》として指摘する、日本の教員のなかにある「同僚との調和」を第一に優先する
傾向である。もう一つは、欧米でのとらえ方である。欧米では同僚性を教師の専門的力量の形成に
かかわるものとしてとらえようという試みが進んでおり、佐藤学(1997)9 や山﨑準二(1994,1999)
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らによってその視点はわが国の教師研究に積極的に取り入れられている。彼らの研究のなかでは
同僚性のポジティブな側面に焦点を当てる彼らの研究のなかでは、多くの現場教師が自身の力量形
成の契機として同僚教師とのインフォーマルな交流をあげていることが報告されている。つまり、
同僚性は、教師の専門性開発に対して、ある面は積極的に、またある面は否定的に作用する二面性
をもつ。
教師の同僚性研究の第一人者である A・ハーグリーブズ(1999)は、個人主義的傾向が強く、不干
渉という規範に支配されてきた欧米の教師たちが、近年政策的に「仕組まれた同僚性」を強制される
事態が生じていることを報告した 11。仕組まれた同僚性は、以下の矛盾する特徴と持っている。①
自然発生的というよりも、行政によって規制されている。②任意ではなく、義務的である。③政府
や主席教員から委任された事柄を実行するのに適合する。④時間と場所を固定されている。⑤予期
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される結果を得るためにデザインされている。実際、ハーグリーブズ(1994)12 は、同僚性が新自由
主義的な国家政策の実行を保証するために、公式的・官僚的な集団によって支持され、
「仕組まれ」
ていると論じており、それに対する根本的な批判を行っている。
これに対してハーグリーブズは、真の同僚性は自然発生的、自発的であり、予測はできず、イン
フォーマルなものであり、教員の専門性開発に適合するものであると主張する。彼は、日本の教師
はそのような欧米のケースとは対極にあり、伝統的に「指導の文化」としてしばしば語られる包括的
な教師役割を持つ。
日常的に集合的、
相互作用的な教育活動に従事しており、強制されるまでもなく、
また仕組まれるまでもなく、協働的なティーチングの文化を実現してきたという理解を示した。さ
らに彼は、日本の教育改革と社会に生じつつある変化は、現実の日本のティーチング文化を不安定
なものにし始めているとして日本の教師の将来について、以下の警告を発した。「ティーチングと
学習を改善しようという必然的な努力がなされる中で、グローバル化されてはいるものの本質的に
は西洋的な自由主義的な改革言説によって、教師と保護者間および同僚間の情緒的きずなとつなが
りを破壊するような、学校の新しい情緒的地形が生み出されることがあってはならない」13。
紅林(2007)はハーグリーブズの警告は日本の教師文化が協働の同僚性を持っているという前提
に立っているが、日本においては同僚性がマイナスに作用している例もあることと、100 年以上の
長い時間の中で、教師の文化にプライバタイゼーションを浸透させてきたことという 2 つの誤謬が
あるとは述べている 14。紅林は、日本の教師の同僚性は、教育活動の支えとなり、力量形成の助け
となり、癒しの機能を果たしているという前提に立っている。しかし彼は、日本の同僚性は限定的
な関係であり、プライベートな領域での交流は少ないと指摘している。こうした状況は、日本の教
師が必要に応じて選択的に同僚との関係を取り結ぶ力を持っていることに由来するものであり、一
概に同僚性の衰退とは言えないが、
日本の教師の限定的な同僚関係は、個人主義とプライバタイゼー
ションは今後さらに進展していくことが予想される。一方、教師にとって、ともに教育活動を行う
同僚の拡大が進展している。学校外の様々な人たちを、広義の同僚として認めて関係を結び、新し
いものを得たり、情報を交換したりするのである。そこで紅林は、同僚性の新しい規範を医療にお
けるチームに学ぶことを提唱している。チームの実践を行うにあたっては、同僚性が成り立った上
で、個々の自律性が必要である。医療の現場においては、すでに一定の自律性が保証されており、
その前提としての同僚性を構築することは可能であるというのである。紅林は、以下のようにまと
める。学校教育も、医療と同様、研究者、スクールカウンセラー、地域ボランティア、保護者、学生
ボランティア等々、
教師の補助者
(サポーター)
のサポートのもとで行われるものに変わりつつある。
そうした多種な人たちが関与する教育をとらえる新しい同僚の理解こそが必要になっているのであ
る。それを可能とする≪チーム≫というスタイルは、集団化主義を身体化した日本の教師にこそ現
実性の高い同僚性の形態であると、紅林は指摘する。
以上のように、同僚性をめぐりさまざまな議論が存在している。これらの議論には、時には混乱
も見られるが、概念が研究レベルにおいても、実践的レベルにおいても注目されている理由は、研
究者、行政担当者、学校教員などの教育関係者において、教育政策や学校教育の改善がそれだけ焦
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眉の課題と認識されているからに他ならない。またこれらに伴う教員の専門性開発が喫緊の課題と
なっている。その背景には、教育を支える社会的文脈の変化があり、われわれはこれらの概念に注
目せざるを得なくなったのである。たとえば、ハーグリーブズも言及しているように、新自由主義
的な国家の教育政策、また特色ある学校づくりを奨励する地方の教育委員会の施策、さらに学校に
とって直接的なステークホルダーである保護者の要求の高まりなどを上げることができる。
しかし概念上の曖昧さは、
同僚性の意義を棄却するものではない。以下においては、教育リーダー
シップの諸類型を確認し、その実践的な意義について検討する。
3.教育のリーダーシップとマネジメントの諸類型
教育リーダーシップの概念は、事実や実態に基づく分析的概念であり、また同時に実践を導くた
めの観念的から論争的概念でもある。したがって論者の観点によってモデルは異なり、またその類
型も異なっている。にもかかわらず、一定のコンセンサスが形成されつつある。
レイズウッドら(2003)は、教育行政に関わる代表的な英語ジャーナルを精査した結果、20 種類の
リーダーシップがあり、これらの中で頻繁に言及される概念が、教授的リーダーシップ(instructive
leadership)
、リ ー ダ ー シ ッ プ の 様 式(leadership styles)、転 換 を 促 す リ ー ダ ー シ ッ プ
(transformational leadership)
であることを指摘した 15。その上で、レイズウッドらは 20 種類のリー
ダーシップを以下の 6 つの類型に集約している。これらは、①教授的リーダーシップ、②転換を促
すリーダーシップ、③道徳的リーダーシップ、④参加的リーダーシップ、⑤マネジメントのリーダー
シップ(managerial leadership)
、そして⑥状況型リーダーシップ(contingent leadership)である。
レイズウッドらも認めているように、これら 6 つの類型は、前提、影響を行使する期間などにおいて
異なっており、その暫定的性格は免れていない
レイズウッドら(2003)の類型化を批判的に発展させているのが、ブッシュ(2010)である。ここ
ではブッシュのリーダーシップ類型論を整理しておくことにしよう。
ブッシュは、教育のためのリーダーシップにおいて、マネジメントを以下のような 6 つのモデル
に分けている。
レイズウッドらの類型化と比較した場合、ブッシュの類型化の特徴は教授的リーダー
シップを考察の対象から外していることである。組織のマネジメントに焦点を絞ったためである。
①形式的モデルは、管理者が同意された目標を合理的に追求する手段として階層的な組織を前提と
している。管理者である校長は、組織内における公式的な立場によって正当化される権限を備え
ており、また組織運営に対して説明責任がある。学校の目標は校長やその周囲の部下たちによっ
て決められる。組織の全てのメンバーは管理者らによって決定された目的の実現のために働くべ
きものと見なされる。このモデルにおいては役割が垂直的に位置づけられているため、仕事の命
令は、上位のものから下位のものへと働き、仕事の出来についての説明責任は下位から上位へと
いう逆の方向で働く。なお形式的モデルの下位モデルには、構造的モデル、システムモデル、官
僚的モデル、合理的モデル、階層的モデルがある。
②同僚性モデルは、組織が合意に至るまで議論し、教育方針を決め、決定を下すことであり、組織の
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教育リーダーシップにおける「同僚性」の理論とその実践的意義
表1 レイズウッドによる教育リーダーシップの 6 類型
スクール ・ リー
ダーシップへの
アプローチ
影響の行使者
影響の源泉
影響の目的
影響の成果
教授的
・典 型 的 に は 形 式 的
・専門的知識
リーダーシップの
・典 型 的 に は 地 位 の
役 割 に あ る 人 々。
権力
とくに校長。
・教 師 た ち の 教 室 に
おける実践の効率
性を高める
・生徒の成長の増進
転換的
・典 型 的 に は 形 式 的
リーダーシップの
・組 織 構 成 員 に 高 い
役 割 に あ る 人 々。
レベルの責任と能
しかしそのような
力を与える
人のみに限られて
いない。
・い っ そ う の 努 力 と
生産性
・い っ そ う 熟 練 し た
実践を展開する
・連続的な改善をおこ
なうため、組織の能
力を増進
道徳的
・形 式 的 な 行 政 的 役
割にある人々
・体 系 的 な 道 徳 的 価
値を利用し、組織の
意思決定を導く
・決 定 の 正 し さ に 対
する感覚を高める
・決 定 に お け る 参 加
を増進する
・道徳的に正当化され
る一連の行為
・民主的な学校
参加的
・集団(行政的組織に
含まれない構成を
含む)
・人 間 間 の コ ミ ュ ニ
ケーション
・決 定 に お け る 参 加
を増進する
・組 織 の 能 力 を 増 進
し、変化に対する内
部的 ・ 外部的要求に
生産的に応える
・いっそう民主的な組織
マネジメント
・形 式 的 ・ 行 政 的 な
役割にある人々
・地位に由来する権力
・政策と手続き
・組 織 の 構 成 員 に
よって、特別な仕事
の効果的な遂行を
確実にする
・組織の形式的目標を
達成する
状況型
・典型的には、形式的
リーダーシップの
役割にある人々
・リ ー ダ ー の 行 動 を
組織の文脈に合わ
せる
・専 門 的 な 問 題 解 決
過程
・組 織 の 構 成 員 の
ニーズによりよく
応じる
・組織の課題に対して
より効果的に応じる
・組織の形式的目標を
達成する
・組 織 の 能 力 を 増 進
し、変化に対する内
部的 ・ 外部的要求に
生産的に応える
Leithwood et al., Changing Leadership for Changing Times,(2003)pp.18-19. より作成
中のすべてのメンバーが、組織の目的について共有された理解を持っており、権力も有すること
を想定している。特徴は5つあり、
次のとおりである。1.規則的にオリエンテーションを持つ。2.
首尾一貫した取組を保証するために協働しなくてはならない。3.メンバーの共通の価値観の存
在を想定している。4.グループのサイズは小規模でなくてはならない。5.決定は分裂や葛藤で
はなく、
同意によって達成される。
同僚性モデルの下位モデルとして、転換を促すリーダーシップ、
参加的リーダーシップ、分配的リーダーシップの 3 つが挙げられている。
以上の 2 つのモデルが基本類型である。以下のモデルは上記類型の混合的な類型と見なすことが
できる。
③政治的モデルの特徴は、組織における方針と決定は、交渉と交渉のプロセスにおいて現れる。利
益団体は、特定の政策目標の追求において形成する。対立は日常的に見られ、圧力が生じるのは、
形式的リーダーであることよりもむしろ支配的な連立においてである。
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④主観的モデルは、人々の創造であると想定している。参加者は異なる方法の状況を解釈し、これ
らの個々の認識は彼らの背景と価値に由来する。組織は各メンバーのために異なる意味を持って
いるので、メンバーの経験の中にだけ存在する。
⑤両義的モデルは、予測が不能なことが支配的であることが組織の主な特徴である。政策立案への
参加に関しても、メンバーがその機会を決定するというように流動的である。
⑥文化的モデルは、信条、価値とイデオロギーが組織の中心にある。個人は、自分たちがどのよう
にふるまうか、そしてどのように他のメンバーの行動を見るかということに影響を与える特定の
考えと価値基準を持つ。これらは、グループ内で伝えられ、シンボルや儀式によって強化される
共有の伝統になっている。
表 2 ブッシュによるマネジメントの方法モデルの 6 類型
マネジメント
の要素
モデルの型
形式的
どの目標に決
定するかとい 制度上の
うレベル
同僚性
制度上の
どの目標に決
定するかとい リーダーによっ
共感
うことによる て定められる
過程
政治的
主観的
サブユニット
個人的な
の
論争
両義的
明確でない
疑わしいリー
ダーに押しつ
予測できない
けられる可能
性あり
文化的
制度上または
サブユニット
集団の価値に
基づく
組織やそのサ
同意された目 支配された連 個々の目標に
目標と決定の 目標に基づい
目標と無関係 ブユニットの
標に基づいた 合の目標に基 基づいた個人
関係
た決定
な決定
目標に基づい
決定
づいた決定
的なふるまい
た決定
決定過程の性
合理的な
質
構成の性質
客 観 的 現 実 階層性の
「閉ざされて
いる」か「開か
環境とのつな
れ て い る 」 がり
校長に責任あ
り
同僚的な
政治的な
人間的な
生ごみ入れ
客 観 的 現 実 横の
サブユニット 人事交流を通
疑わしい
の準備
じて構成
価値の枠組み
の範囲内で合
理的
文化の物理的
明示
意志決定が分
利益団体と表
けられている
個人的意義の 不確かさの根 価値と信念の
現された不安
根源
源
根源
ため説明責任
定な外部団体
が鈍っている
校長がコンセ
疑 わ し い 校長が目標を
戦略的または
リーダーシッ
ンサスを促進 校長が参加者 リーダーに押
決め政策を教
遠慮がちであ 象徴的
プの型
することを追 であり仲介者 しつけられる
授する
りうる
求
可能性あり
関係のリー
ダーシップモ 管理的
デル
・転換を促す
・参加的
・配分的
交流型
・ポ ス ト モ ダ
ンの
偶然の
・感情的
道徳的
Bush, T.(2011).Theories of Educational Leadership and Management, Fourth Edition. London: SAGE Figure9.1
(p.199)
6 つのモデルのうち、ここでは同僚性モデルに注目してみよう。
ブッシュは、同僚的モデルは、組織が合意に至るまでの議論を経て、政策を決め、決定を下すこと
― ―
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を想定している。権力は組織の中の複数ないしすべてのメンバー―彼らは機関の目的について共
有された理解を持っていると考えられる―の間で共有される。
ブッシュの同僚的モデルの主要な特徴は以下の 5 つとなる。
1 同僚的モデルはマネジメントが組織メンバー全員の同意に基づくべきであるという前提があ
る。これらの原理が実践に生かされているとは、必ずしも言えない。これは実践に根ざしたモデ
ルというよりも、理想主義的なモデルであるといえる。ブッシュとヘイステック(2003)16 は、学
校レベルの統治組織に権限を与えるものは、ほとんど信仰だけであるとしており、この信仰的変
化のみが学校における専門的な同僚性によって調和をもたらせられるという証拠である。
2 同僚性モデルは、多くの専門職スタッフを持つ組織にとって、とくに有効なものと見られてい
る。教員たちには、自らの知識やスキルから直接的に生じる権威がある。教員たちは、形式的モ
デル(Formal Models)と結びついた立場による権威とは対照をなす専門職の権威を持っている。
教育現場は、生徒たちや学生たちが人格的な注意を必要としている場であるので、必然的に専門
職的なアプローチが必要とされる。教員は教室の中で自律というメジャーを必要としながらも、
教授や学習の首尾一貫したアプローチを保証するために協働する必要がある。ブランドレット
(1998)は「専門職主義は、教員たちが共に集い、相互に専門職としての能力に敬意を払うことが
許される効果を持っている」17 と述べている。同僚性モデルは、個々の専門職が意志決定の過程
においてそれぞれ共有する権利をも持っていることを想定している。共有された決定であるなら、
うまく情報が行きかうことも可能であろうし、また効果的に実行されうる。同僚性は、ブラウン
らによれば、「教員たちが同僚のサポートと専門知識から利益を得る方法として歓迎されて」18 も
いる。しかしながらホーリーとワラス(2005)19 は、多くの教員たちが参加する権利については両
義的であるとしている。教員たちは教室に直接影響を与える問題に関しては参加したいと考える
が、
〔学校全体の〕計画づくりやスタッフの任用などの行政的な領域における「集中的な決定」を
経験したいとは考えないからである。
3 同僚的モデルは、前提として組織のメンバーによって保持される共通の価値観が必要である。
これらは、養成期間中に生じる〔教員としての〕社会化から生じる場合もあれば、専門職として実
践する初期段階において生じる場合もある。これらの共通の価値は組織の管理的活動を導くもの
であり、とりわけ共通の教育目的に通じると考えられている。ブランドレット 20 はさらに進んで、
同僚的な意志決定の土台として「共有されたビジョン」の重要性について言及している。
4 意志決定を行うグループの規模は、同僚的モデルにおける重要な要素である。すべての人の声
が聞くことができるためには、集団は十分に小さくなくてはならない。このことは、同僚性が、
中等学校や大学における教育機関レベルにおいてよりも、小学校など小グループにおいてより良
く機能しうることを意味する。
全スタッフのミーティングは小規模な学校では同僚的に行えるが、
大規模な教育機関においては個別な情報交換のみにしかふさわしくない。同僚的モデルは、スタッ
フが、さまざまな意志決定組織の内部で形式的代表権を持っているとの前提のもとで問題を処理
― ―
426
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できる。政策の重要な領域は、個々のリーダーたちの権限というよりむしろ公式な委員会システ
ムの内部で決定されている。形式的代表権という民主的な要素は、選挙への参加者の忠実さに基
づくものである。ある委員会の場で英語科を代表する教員は、彼らが代表とされた方法に満足が
いかなかったとしても、他の人を指名するか選ぶ権利を持つ同僚に一任する。
なお、スタッフとの非公式の相談は同僚性を構成しない。同僚性の本質が決定への参加である
一方で、主席教員が、決定を下す前に同僚の助言を求める場面においては、その過程は相談の一
形態に過ぎない。民主主義においては、権力はリーダーの領分にとどまるのではなく、スタッフ
と共有される。形式的な代表は、政策という限られた領域への参加権を与え、一方非公式の相談
はリーダーの単なる自由裁量にあるため、与えられた助言に基づいて行動する義務はない。
5 同僚的モデルは、決定が、分裂や葛藤ではなく同意によって達成される。共通の価値があり、
共有された目的があれば、同意によって問題を解決しやすく、またそれが可能である。多少意見
の相違があったとしても、
議論によって解決できる。決定までの過程は、妥協を求めることによっ
て引き延ばされるかも知れないが、これは共有された価値と信念を保持するためには必要不可欠
なものである。
合意で成り立つ決定を擁護する論理は、同僚性の倫理的側面である。専門職としての生活を決
定するのに影響を与える人々を必要とすることは、適切なことである。スタッフに対して決定の
責任を果たすことは、道徳的に相容れないし、合意の考え方と一致しないのである。
同僚性に関する以上の 5 つの中心的特徴は、多かれ少なかれ、教育のさまざまな主要部分に見ら
れるものである。
4.同僚性の実践的意義
⑴教師の抱えるストレスと多忙感
同僚性は教師の抱えるストレスや日々感じている多忙感を軽減するのに役立つものと認識されて
いる。油布(2007)21 は、教師としての悩みや葛藤があったときに、それを支える人や集団があるな
らば、そうした問題は軽減されることが知られていることを述べている。教師の疲弊につながる多
忙感を増している極めて大きな変化は、わが国の教師を支えてきた「職員室文化」が消えようとして
いるということにあり、同僚性=支え合う同僚との関係が作りにくい状況になっていることもあげ
られるだろう。
教師それぞれが忙しくて、
職員室で同僚と会話・議論をする時間がないだけではない。
教員評価が導入されたことから、悩みを相談したり、同僚教師に指導を仰いだりするようなことが、
「できない」教師という評価につながるのではないかという不安が、弱音をはかない、はけない雰囲
気を作り出している。
油布は、教師の忙しさに対して、次のように疑問を呈している。教師の仕事が、本来的に内包す
る複雑さに加え、豊かな社会における子どもの変容や矢継ぎ早の教育改革がそれを加速するような
状況で存在していること、そして、それに戸惑ったり、うまくいかなかったりするときのフォロー
― ―
427
教育リーダーシップにおける「同僚性」の理論とその実践的意義
がほとんどない状態、こうした実態が、教師の「多忙感=疲弊感」を高め、「病める教師」の裾野を広
げている 1 つの要因になっているのではないだろうか。
さらに油布 22 は、このような教員集団の意義を明確に認識したのは、むしろ欧米であったとして
いる。欧米では教師の仕事と役割が明確に決められており、いわゆる「個人主義の文化」が支配的で
あった。しかし、こうした個人主義の文化は、様々な点で弊害を生じている。個人主義の文化の下
では、優れた実践が他の教師に伝達されにくく、また教師が直面し抱える問題が共有されないため
に、負担が教師個人に重くのしかかってくるという問題がある。さらに、個人に力点が置かれ集団
全体としての一貫性を欠くことから、教育効果も期待はできない。したがって、教師が職場で互い
に自分たちの実践を交流しあい、協働して様々な課題に取り組むというわが国の「協働の文化」は、
個人主義化した文化が浸透している欧米の教師社会のモデルとなり、同僚性 collegiality の重要性が
改めて認識され、教師が協働で課題に取り組む文化の創生が課題となっている。
ヨーロッパにおいて、同僚性という考え方は、1980 年代と 1990 年代、学校と大学を経営するため
の最も適切な方法であるというマネジメントの「良い実践の公式的モデル」と見なされたとワラス
(1989)
は述べている 23。
ハーグリーブズ(1994)24 は教員のあり方と同僚とのかかわりのタイプについて次のように型を
分けている。教師個々人が孤立している個人主義型や、教科や世代等の下位集団に包摂されながら
も、
下位集団間では溝がある諸グループ独立分割型、協働でうちとけあってはいるがぬるま湯に浸っ
ているような協働的文化型は、教師の成長や教育効果といった点で期待ができない。これに対して
ハーグリーブズは、教師集団の意義を踏まえたあり方を 2 つの類型を示している。まず 1 つには、強
力なリーダーシップに牽引されて、策定された目標を達するために一丸となる設計された同僚性型
で、目に見える結果を生みやすく、そのため一定の評価が見込まれるが、教師個々人の成長や教育
現場に根ざした継続的な発見や追求という点からみると十分ではない。一方、自在に動くモザイク
型は、その時々の目的や必要に応じて、力動的に集団のあり方が変化し、時に集団同士が重なりあっ
たり、様々な形で教師同士が互いにつながりあったりするという特徴がある。こういった欧米にモ
デルとされているわが国の教員集団とその文化が肯定的な側面のみを有するわけではないという点
を、油布は強調する。
「出る杭は打たれる」
「長いものには巻かれろ」というような雰囲気が支配して
いる教師集団において、
「同僚との調和を図る」という集団規範が、時に教師個々人に対して「見え
ない抑圧」
として機能する場合も指摘されている。さらに、教員団体への加入や教育理念・価値の違
いによる対立をめぐって、教員集団内部に深刻な対立や葛藤が存在していることも少なくないので
ある。
⑵私立中高一貫校教員への聴き取り調査
前述の「中高一貫校における英語科カリキュラムと教員連携―英語科主任に対する調査を通して
―」
において、筆者は、首都圏を中心とした全国の私立・国立中高一貫校 89 校の英語科主任に対する
アンケートを行った。アンケート実施は、2009(平成 21)年 9 月から 11 月であるが、その事前準備と
― ―
428
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 1 号(2011 年)
して予備調査のため、またアンケート実施後に追跡調査のため、6 名の教員に対して、インタビュー
を行った。アンケート調査の記入ができないので、電話で質問に答えるとの申し出があった教員も
ここに含まれる。この聴き取り調査の時期は、
2009(平成 21)年 7 月から 2010(平成 22)年 2 月である。
6 名のインフォーマントは以下の通りである。
A 教師(私立中高一貫校・国際交流部長・学年主任・男性・40 代)
B 教師(私立中高一貫校・国際コース教頭・男性・50 代)
C 教師(公立中高一貫校・中等部英語科主任・男性・40 代)
D 教師(私立中高一貫校・英語科主任・女性・30 代)
E 教師(私立中高一貫校・英語科教員・女性・30 代)
F 教師(私立中高一貫校・英語科主任・男性・30 代)
前述のブッシュの 6 つのモデル分析は、4 つの主要な要素の考察 25 が含まれる。
1 教育機関の目標や目的についての合意のレベル
2 教育機関内での組織構造の意味と有効性
3 教育機関とその外部環境との関係
4 教育機関にとって最も適切なリーダーシップの戦略
これら 4 つの基準は、
「6 つのモデルの間のアプローチの大きな相違を強調するのに役立ち、理論
が規範的であり選択的であるという見解を補強する」とブッシュは述べている。
この基準に沿って、インフォーマントたちの聴き取りを個別に掲げてみよう。
(2‒1)目標設定・意志決定・コミュニケーションのはかり方
理論は、組織の目的を強調するものもあれば、その一方で個人の目的を強調するものもある点に
おいて異なっている。あるモデルは目的に関する同意を特徴とするが、他のモデルは目的に関する
葛藤を強調し、あるいは教育組織内での目的を定義するさいの困難さを指摘する。
教員間の連携は、非常に難しく本校でも決してうまくいっているとは思えません。結局、教育は教員次第だと
思います。最新の英語教授法について敏感になり、どんどん新しい方法を取り入れるべきですが、ベテランにな
ればなるほど、自分のスタイルを変えたがらない人が多いのが現状です。
コミュニケーション重視か大学受験対策重視かという分け方が、私自身はよいと思いません。これからの英語
教育を作り上げていくためには、この分け方を英語科教員がしないようにしないといけないと思っています。大
学受験対策のためにも、コミュニケーション能力は必要です。私がこう言うからといって、本校では理想的な教
育が出来ているわけではありません。本校でも、2 つに分ける考え方が主流で困っています。でも、そうやって
異なる考え方同士がぶつかって議論するのは、英語科会としては非常に有意義だと思うんですね。かなり時間が
― ―
429
教育リーダーシップにおける「同僚性」の理論とその実践的意義
かかったとしても納得した上で実行に移すわけですから、上からの押しつけではない。授業でどう工夫していく
かも個々の教員が考えてやっていく。これが必要なんです。
(A 教師)
中等部と高等部は独立していて主任もそれぞれ存在します。職員会議は週 1 回で、時間割上教科会は週 1 回あ
ります。その他いろいろな名称の会議があるので、あわせて週 3 回は行っています。純粋な教科会としては随時
行うような形です。しかし、多忙な中でこれらの会議を持つのには、非常に困難が伴います。組織が大きいので、
会議が多くなりすぎるのです。職員室内で近くの席の先生と話が自由にできる状況ではないですね。まぁ、立場
上、自分が煙たがられているのかもしれません(笑)
中学校や高等学校と比べると中高一貫校の方が確実に忙しいと思います。通常の中学や高校と比較して、生徒
募集の業務が入るので、必然的に忙しくなるのです。
中高一貫校として教員同士の連携がスムーズであるための工夫としては、直接足を運んでのコミュニケーショ
ンを大切にしています。やはり顔を見ての話の中で、真の連携が生まれてくると思っています。必要事項をメモ
で机上に置いておくだけではダメですね。
(C 教師)
(2‒2)組織構造の意味と有効性・成果
構造を強調すると、
その役割によって定義される個人の概念に結びつく。個人に焦点を当てれば、
その個人の行動を決定する際のパーソナリティの重要性に結びつくことになる。構造は客観的な事
実であると論じる理論家もいれば、教育機関内の個人の主観的な創造であるとする理論家もいる。
あるグループは、構造は交渉ないし論争に関わる事柄であるとし、別のグループは、構造は学校や
大学の多くの両義的な特徴の一つであると論じている。
私学であるからアットホームである、中高一貫校であるからゆとりがあるというのは、あまりあてはまらない
と思います。本校で言うと、中学の教員か高校の教員かというよりも、個々の英語科教員の問題です。相変わら
ず文法訳読式授業から抜け出せない、新しい英語教育理論に関心がない、教員がいるのが問題です。教材に関し
ては、あるレベルが必要ではありますが、そこをクリアーしていれば「どれを使っても同じで、使う教師次第」だ
と思っています。それぞれの教員の考えが異なるのです。
授業に関してはオープンにして、教員同士の議論を活発に行う。これが基本だと思います。ひとりひとり個性
を持った教員達がお互いのいい点、悪い点を見せて指摘してもらって、みんながブラッシュ・アップすることが
ものすごく大事ですから。
(A 教師)
中高一貫校では、どこも 6 年間の学習戦略が出来ていない恐れがある。本校も始まったばかりで途上です。評
― ―
430
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 1 号(2011 年)
価はまだできません。うちの場合、全て英語での授業になりますから、特に手探りです。教員たちはネイティブ
スピーカーが多いですが、よく話をします。日本人の先生と外国人の先生も自由に話せる雰囲気の職員室で、次
の授業をどうするかとか日常的に相談しているのです。特に構えた会議をしょっちゅうやったりしません。毎日
の会話が授業準備につながっているんですよ。
(B 教師)
英語科としての課題は、学年ごとの引き継ぎです。今年せっかくいい試みをしても、次の年はそれが生かされ
ていない現状がありました。現在は、学年から学年の引き継ぎをしっかりやるようにしていこうと試みています。
今までの反省からきています。1 回やったことをそれぞれがまたやり直すようになっていたので、これは PC デー
タに入れて次にその学年担当者が見られるようにする。教授の仕方や資料などすべて入れておいて、参考にでき
るようにするのです。きちんとデータを保管して、誰でもみることができるようにするようにすれば、再度労力
をかけなくて済む。今年からそこをしっかりやるようにしました。
(D 教師)
私はこの学校で働いて5年目、教員になって約10年目ですが、途中で同僚の先生と意見が合わず、精神的にダメー
ジを受けてしまった時期もあります。私のやり方に反対されることも多々あったのです。何度もくじけそうにな
りましたが、応援してくださる先生方や生徒もたくさんいたのでなんとかがんばってこれた。そういった同僚の
支えみたいなものがないと、続けられないのが教員でしょう。
当然、学校としての結果(大学進学実績)が問われますが、それは大前提として、先生方みんなで話し合って目
標達成のため頑張るわけです。ベテランの先生が、速読指導の提案をして、みんなでシステムを作りました。そ
ういう取り組みはシステマティックにやらないと続かない。立ち消えてしまう。英語科が想定される効果をきち
んと踏まえた上で予算をあげ、薄い英語の読み物をそろえました。レベルも簡単なマンガから難易度の高いもの
まで結構な数を用意して、自分で選ばせます。その時間内に 1 冊読み終えるようにするのです。
毎日 8 時くらいまで仕事なので、帰宅して寝るのは 10 時過ぎになります。最近は女性の先生同士で女子帰宅会
を作り、定時で帰るようにお互い声掛けしています。若い先生には積極的に仕事以外 でも楽しみを見つけるよ
うに言うんです。 「人を動かす」ことはとても難しいですよね。英語科は様々な信念を持っている先生が多いのでまとめるのは大
変な仕事だと思います。私もこの先、英語教員としてどこまでのことができるかわかりませんが、仲間を大切に
いけるところまでいきたいです。
(E 教師)
(2‒3)外部環境との関係・アカウンタビリティ
自己マネジメントする学校に移行するということは、スタッフと管理者が外部の幅広い集団や個
人との関係もますます重要になってくるということである。ブッシュは、
「これらの外部との関係
― ―
431
教育リーダーシップにおける「同僚性」の理論とその実践的意義
の性質は、モデル間の相違において鍵となる要素である」としている。主席教員ないし校長を外部
世界との唯一の、あるいは主要な接点と見なすものもあれば、幅広い接点を示唆するものもある。
リンクは性質上、本質的に協働的なものと見なされるか、あるいは教育機関と外部機関との間の葛
藤を伴う政治的なものと考えられる。
バーベキューなど家でのパーティーもよく行う先生がいて、みんなそこに集まってワイワイやるのも楽しいで
す。先生同士が自由に発言できるので、意見交換も活発となる。その感じが伝わるのか、職員室に質問に来る生
徒もフレンドリーな感じです。先生たちが楽しくなければ、生徒たちも楽しくないのです。そういう雰囲気を作
ることに成功してこそグローバルな学校と言えるのではないでしょうか。保護者に向けてグローバリストの育成
と銘打っている限り、その実現に向けて教育をしていかなければならないんですよね。私たち自身がそれを実現
しなくてはならないという意識は強いです。
私立中高は英語コミュニケーション力も大学合格も良いとこ二つをとっていく。それを巧みに組み合わせてい
くのは、教員力によると思います。
(B 教師)
(2‒4)
リーダーシップの戦略として適切か
教育的リーダーシップの性質に関しては、さまざまな見解がある。主席教員は目標設定、決定に
おいて主導することを想定する見解もあれば、主席教員を参加的なシステムの内部における一人の
人と見なす見方もある。あるアプローチでは機関内での葛藤の重要性を強調し、主席教員が交渉人
として重要であると強調する。一方別のアプローチでは、本質的に両義的である教育機関の内部に
おいて、行動的なリーダーシップの役割の限界を指摘する。
主任職またはそれに準じる役職に就いている教員らにインタビューを行い、またその後メールで
やりとりをしたが、その結果、以下のようなことが読み取れる。
学校の上からの指示を受けて会議を行う場合、より良い結果を出すには、形骸化した会議では意
味をなさない。インフォーマルなコミュニケーションが非常に大切で、教員はそれによって達成感
も生まれ、その結果どんなに時間的には忙しくても、多忙感が減る。
これらを先に述べたブッシュの 6 つの教育的リーダーシップのモデルの型で考えてみよう。中心
的モデルは、この形式的モデルと同僚性モデルである。もちろん、ひとつの学校の在り方がひとつ
のモデルの型に決定するわけではない。方針と決定は、交渉と交渉のプロセスによって現れる支配
的な連立に生じる政治的モデルや、個々の認識が彼らの背景と価値に由来する主観的モデル、さら
には常に予測不可能であることが特徴である両義的モデルや、信条、価格とイデオロギーが組織の
中心にある文化的モデルの要素も、インフォーマントの所属する学校には含まれている。
形式的モデルは、組織をマネージャーが同意されたゴールを追求する合理的な手段を使用する階
― ―
432
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 1 号(2011 年)
層的なシステムだと想定し、組織内で校長や主席教員が正式な立場としての権限を備えているに対
して、同僚性モデルは、組織が合意に至るまでの議論の過程を経て、政策を決め、決定を下すことを
想定している。同僚性モデルは、組織の中の複数ないしすべてのメンバーが、目的について共有さ
れた理解を持っていて、その権力も共有される。
5.結論
本稿では、トニー・ブッシュ著 “Theory of Educational Leadership and Management” の理論を
踏まえて、教育現場のリーダーシップにおける教員の「同僚性」の位置づけを考察した。本研究で明
らかになった点は、教育マネジメントの方法は、①形式的モデル、②同僚性モデル、③政治的モデル、
④主観的モデル、⑤両義的モデル、そして⑥文化的モデルの 6 つに分類される。実際の学校のマネ
ジメントはこのそれぞれのモデルの要素が少しずつ複雑に絡み合って成り立っている。特に注目す
べきモデルは、対立関係に見える形式的モデルと同僚性モデルである。
実際、筆者が聴き取り調査を通して確認できたことは、学校や英語科の目標を教員一人ひとりが
共有して、
納得した上で授業や指導にあたることで効果が上がると認識しているということである。
特に中高一貫校のような新しい教育組織においては、同僚性が新しい挑戦の基礎となる。インフォー
マントである教員たちは、リーダーシップとマネジメントに関して同僚性モデルは形式モデルより
優れていると感じている。これは教授的同僚性であり、ブッシュの議論では考察の対象として扱わ
れていない。しかし、教授的同僚性を抜きにして、マネジメント、あるいはリーダーシップの議論
は成り立たない。教育現場の教員にとっての実践的なリーダーシップを行使し、学校をマネジメン
トしていくには、ブッシュの議論の枠組みは不十分である。ブッシュは、教授的リーダーシップな
いし教授的同僚性を排除することにより、組織論ないしマネジメント論に焦点を合わせているが、
日本の学校文化においては、教授的リーダーシップないし教授的同僚性を排除した教育マネジメン
ト論は適切ではない。教授と切り離された別次元のマネジメント論は、基本的に教員が教育マネジ
メントを行う日本の学校文化にはなじまない。
これまで教育のリーダーシップとマネジメントはしばしば本質的に実践的活動と見なされてき
た。教員たちは、理論や概念が「現実の」学校の状況からかけ離れているとの理由から理論や概念
について否定的になりがちである。しかし、教育的マネジメントのような応用的な学問領域におい
ては、理論と実践との相互作用は重要である。理論が実践を説明し、それがリーダーたちに行動の
指針を提供するならば、理論は価値のあるものとなる。
ブッシュによれば、学校改善の研究は「教育行政」から「マネジメント」へ、そして「リーダーシッ
プ」
へと焦点の絞り方が変化してきた。この変化は、改革の焦点がより下のレベル、より小さなレベ
ルになってきていることを反映している。そしてその背景には、新自由主義的教育改革がある。こ
れは、教育行政当局ではなく、学校が直接ステークホルダーの批判に晒されることを意味する。そ
の一方で、各学校において教員が「自発性」を持って、また「責任」を持って、学校改善に参画できる
可能性も聞かれたと見てよい。
― ―
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教育リーダーシップにおける「同僚性」の理論とその実践的意義
とくに教育の多様化論を背景として成立した中高一貫教育においては、新しい課題に直面したと
き、管理職によるトップダウンの意志決定よりも、教科などの各部におけるリーダーシップが重要
となる。教育現場における問題解決には、
ボトムアップが不可欠なのである。そのためには形式的・
官僚的モデルではなく、同僚型・参加型・分散型リーダーシップが有効であり、これは、形式的な組
織構造とインフォーマルな構造(コミュニケーションの取り方、人間関係など)の両方によって支え
られるべきである。新しい教育課題に対処し、新たな教育を創造するためには、教授的同僚性を中
心とした同僚的なリーダーシップ(組織的に認められたものからインフォーマルなコミュニケー
ションまで)
が決定的に重要である。
今後の研究課題は、学校教育改善に有効なモデルと実践を検証するために、さらに、学校現場を
調査することである。リーダーシップが、実践の場においてどのように働くのか、具体的なケース
に即して確認する。そのとき、リーダーシップの方法がステークホルダーのニーズを満たすトップ
ダウン方式の形式的モデルが有効なのか、それとも同僚性モデルの有効性を検証し、教員の職能成
長といった観点からの同僚性モデルの有効性も検証していきたい。
【註】
1 Bush, T.(2011).Theories of Educational Leadership and Management, Fourth Edition. London: SAGE.
2 石田真理子「中高一貫校における英語科カリキュラムと教員連携―英語科主任に対する調査を通して―」東北大
学教育学研究科・修士論文(2010 年 1 月受理、未刊行)。
3 油布佐和子「教師集団の変容と組織化」
『転換期の教師』放送大学教育振興会、2007 年、182-183 頁。
4 Bush, T.(2011),op. cit, p. 29.
5 Yukl, G, Leadership in Organizations, Englewood Cliff. 1994, pp.4-5.
6 Clark, K. E and Clark, M.B., Measures of Leadership, West Orange, 1990. また Rost, J.C., Leadership for the 21st
Century, New York, 1991. を参照。
7 Yukl, G, op. cit, p.3.
8 紅林伸幸「教員社会と教員文化―同僚性規範の変質のなかで―」
『講座 教師教育学Ⅲ日本教師教育学会編 教師
として生きる―教師の力量形成とその支援を考える』学文社、99 頁。
9 佐藤学、『教師というアポリア』世織書房、1997 年。
10 山﨑準二・紅林伸幸「教師の力量形成に関する調査研究(Ⅱ)―第 3 回(1994)継続調査報告:前 2 回の調査結果と
の比較分析を中心に―」静岡大学教育学部研究報告(人文・社会科学篇)第 46 号、山﨑準二・紅林伸幸「教師の力量形
成に関する調査研究(Ⅳ)―第 4 回目(1999)調査結果の分析報告―」静岡大学教育学部研究報告(人文・社会科学篇)
第 50 号。
11 ハーグリーブズ . A.「21 世紀に向けてのティーチングの社会学」
(藤田英典・志水宏吉(編)
『変動社会のなかの教
育・知識・権力―問題としての教育改革・教師・学校文化』新曜社、2000 年。久冨善之「教師の生活・文化・意識―献
身的教師像の組み替えに寄せて―」
『岩波講座 現代の教育第 6 巻 教師像の再構築』岩波書店、1998 年、73-92 頁。
12 Hargreaves, A.(1994)Changing Teachers, Changing Times: Teachers’ Work and Culture in the Postmodern
Age, London: Cassell. pp.195-6.
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434
東北大学大学院教育学研究科研究年報 第 60 集・第 1 号(2011 年)
13 ハーグリーブズ・A、292 頁。
14 紅林伸幸「協働の同僚性としての《チーム》―学校臨床社会から」
『教育学研究』第 74 巻第 2 号、日本教育学会、
2007 年。
15 Leithwood, K. et al., Changing Leadership for Changing Times, 3rd edition, Open University Press, 2003.
16 Bush, T. and Heystek, J.(2003)School governance in the new South Africa, Compare, 33 ⑵ : 127-38.
17 Brundrett, M(1998)What lies behind collegiality, legitimation or control?, Educational Management, 19 ⑶ :
305-16, p.307.
18 Brown et al, op. cit, p.320.
19 Hoyle, E. and Wallace, M.(2005)Education Leadership: Ambiguity, Professionals and Managerialism, London
: SAGE, p.126.
20 Brundrett, , op. cit, p. 308.
21 油布佐和子「教師のストレス・教師の多忙」
『転換期の教師』放送大学教育振興会、2007 年、25 頁。
22 油布佐和子「教師集団の変容と組織化」
『転換期の教師』放送大学教育振興会、2007 年、183-188 頁。
23 Wallace, M.(1989)Towards a collegiate approach to curriculum management in primary and middle schools,
in M. Preedy(ed.), Approaches to Curriculum management, Buckingham: Open University Press. p.182.
24 Hargreaves, A., op. cit.
25 Bush, T.(2011), op. cit, pp. 35-36.
― ―
435
教育リーダーシップにおける「同僚性」の理論とその実践的意義
The Theory of the Collegiality in Educational Leadership
and its Practical Implication
Mariko ISHIDA
(Graduate Student, Graduate School of Education, Tohoku University)
Collegiality is one of the most crucial concepts of educational theory and practice today.
Especially it has been discussed as a leading concept, which helps to plan a wide range of
educational reforms and school based initiatives. However, there is not a clear consensus of its
definition and function. In this article, we will examine the theoretical discussion of the collegiality
in the context of the educational management and leadership, mainly based upon Tony Bush’s
‘The theory of educational leadership and management’.
According to him, there are 6 types of leadership, and we consider the basic types of his
category are ‘formal model’ and ‘collegial model’. The former is a classical type of leadership and
management, which is presupposed on a hierarchical structure of an organization, a top-down
decision making system, and exclusive relationships of a principal with external environment, or
stakeholders outside of school. The latter is a counter concept of the former, and is supposed
ideally a flat structure of an organization, a bottom-up decision making and so on. It may well be
said that the ‘collegial model’ is a participative or distributive leadership. When we think of a
school based curriculum or other initiatives, we need to adopt a ‘collegiality model’, because these
new challenges work well under the condition of participative and distributed circumstances.
In order to confirm this presumption, we conducted a qualitative research to 7 teachers, who
were heads of department in English in 6-year-integrated secondary schools and the junior high
school. We discussed their narrative data from the viewpoint of decision making, effectiveness,
accountability to external environment and leadership. And we get a conclusion that they thought
collegiality is a cornerstone of new challenges and initiatives of school and superior to the ‘formal
model’ of leadership and management, especially in the completely new type of educational
organization like 6-year-integrated secondary school.
Keywords:educational leadership, collegiality, 6-year-integrated secondary school, English teacher
― ―
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