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有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする 分析法の - J
BUNSEKI KAGAKU Vol. 56, No. 11, pp. 905_920(2007) © 2007 The Japan Society for Analytical Chemistry 905 分析化学総説 有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする 分析法の開発と環境動態解析 早川 和一 ○ 1,鳥 羽 R 陽 1,亀田 貴之 1,唐 寧 1 化石燃料の消費量の増加は,大気中に大量の汚染物質を排出し,深刻な健康影響を招いている.有害大気 汚染物質の一つに多環芳香族炭化水素(PAH)とニトロ多環芳香族炭化水素(NPAH)がある.このうち, NPAH は極めて強い変異原性を有するものがあるにもかかわらず,環境中の濃度は PAH よりはるかに低く, しかも NPAH を追跡できる高感度な分析法もなかったため,PAH に比較すると NPAH の環境動態や健康影 響に関する研究は大きく立ち遅れていた.本総説では,1980 年代の後半から始まった高感度な NPAH 分析 法の開発研究を解説し,更にそれを用いて急速に展開している NPAH の発生と大気内動態の解析,並びに ヒト暴露測定について最近の動向までを解説する. られ,対策が進められている. 1 はじめに さて,中央環境審議会が上述の 234 物質をリストアッ 我が国における死因のトップは 1981 年以来悪性新生物 プした根拠の一つに,発がん性がある.化学物質の発がん (いわゆるがん)である.がんを部位別に見ると,男性で 性については,国際がん研究機関(IARC)をはじめ,日 は 10 年余り前から気管・気管支及び肺のがん(肺がんに 本産業衛生学会,米国産業専門家会議(ACGIH),米国環 一括)が,それまでのトップにあった胃がんを抜いて 1 境保護庁(USEPA)などからリストが公表されている. 1) 位となり,女性でも第 3 位を占めている(Fig. 1) .肺が 大気中に存在する発がん性がある,あるいは疑われる物質 んの原因としてまず喫煙があることは言うまでもないが, のうち,有機物が燃焼する際にわずかながら副生成される 田園地域より都市域で肺がん死亡率が増加し,しかも非喫 物質(いわゆる非意図的生成化学物質)が占める割合は少 煙者の肺がん死亡が見られていることから,都市大気質の なくない.例えば,IARC のリストでは,煤やタバコ煙が 悪化と肺がんとの関連が指摘されている. Group 1(carcinogenic to humans)にランクされており, すす 我が国の大気汚染は,かつて高度成長期に石油コンビナ これらに含まれる 3 種類の多環芳香族炭化水素(poly- ートから大量に放出された二酸化硫黄(SO2)によるぜん cyclic aromatic hydrocarbon,PAH)(ベンズ[a ]アントラ 息などの呼吸器系疾患が大きな社会問題になった.その セン,ベンゾ[a ]ピレン(BaP),ジベンズ[a ,h ]アントラ 後,排煙脱硫装置の開発,普及によって我が国の都市大気 セン)がディーセルエンジン排出物とともに Group 2A 中 SO2 濃度は低下し,今では大気環境基準を下回るレベ (probably carcinogenic to humans)に入っている.更に ルに改善されている.一方,産業構造の変化や自動車交通 10 種類の PAH 及びその酸化体(ベンゾ[b ]フルオランテ の急速な普及に伴って,有害大気汚染物質の中身は大きく ン,ベンゾ[ j ]フルオランテン,ベンゾ[k]フルオランテン, 変化し,従来の環境基準項目のみでは汚染の進行を抑える ジベンゾ[a ,e ]ピレン,ジベンゾ[a ,h ]ピレン,ジベンゾ ことができなくなってきた.そこで 1996 年,我が国の中 [a ,i ]ピレン,ジベンゾ[a ,l ]ピレン,1-インデノ[1,2,3-cd ] 央環境審議会は,工場や事業所からの排煙,自動車排ガス ピレン,5-メチルクリセン,1-ヒドロキシアントラキノン) 粉じんなどの増加に起因する大気質の悪化を防止すること と 8 種類のニトロ多環芳香族炭化水素(nitropolycyclic を目的として,有害大気汚染に該当する可能性がある 234 aromatic hydrocarbon, NPAH){ 1,6-ジ ニ ト ロ ピ レ ン , 物質をリストアップし,更にそのうちの 22 物質を優先取 1,8-ジニトロピレン(1,8-DNP),2-メチル-1-ニトロアント 2) 組物質に定めた(Table 1) .優先取組物質のうち,ダイ ラキノン,5-ニトロアセナフテン,6-ニトロクリセン(6- オキシン類やテトラクロロエチレン,トリクロロエチレ NC),2-ニトロフルオレン,1-ニトロピレン(1-NP),4-ニ ン,ベンゼンなどは,現在までに順次環境基準項目に定め ト ロ ピ レ ン } が Group 2B( possibly carcinogenic to 3) 1 金沢大学大学院自然科学研究科 : 920 − 1192 間町 石川県金沢市角 humans)に収載されている(Table 2) . 化学物質の発がん性試験は 2 種以上の動物を用いて, 906 BUNSEKI Fig. 1 Vol. 56 (2007) KAGAKU Changes in Cancer Death Rates Organ to Organ in Japan Table 1 Carcinogenic PAHs, NPAHs and relating chemicals 1. acrylonitrile 2. acetaldehyde 3. vinyl chloride monomer 4. chloroform 5. chloromethyl methyl ether 6. ethylene oxide 7. 1,2-dichloroethane 8. dichloromethane 9. mercury and its compounds 10. talc (containing asbestos) 11. dioxins 12. tetrachloroethylene 13. trichloroethylene 14. nickel and its compounds 15. arsenic and its compounds 16. 1,3-butadiene 17. beryllium and its compounds 18. benzen 19. benzo[a ]pyrene 20. formaldehyde 21. manganese and its compounds 22. chromium(IV) and its compounds Ministy of the environment data Table 2 Priority atmospheric hazardous pollutants Group1 (carcinogenic to humans) benzene coal-tars, soots, wood dust tobacco products, tobacco smoking etc. Group2A (probably carcinogenic to humans) benz[a ]anthracene, benzo[a ]pyrene, dibenz[a ,h ]anthracene diesel engine exhaust petroleum refining (occupational exposures in) etc. Group2B (possibly carcinogenic to humans) benzo[b ]fluoranthene, benzo[ j ]fluoranthene, benzo[k ]fluoranthene, carbon black, dibenzo[a ,e]pyrene, dibenzo[a ,h ]pyrene, dibenzo[a,i]pyrene, dibenzo[a ,l ]pyrene, 1,6-dinitropyrene, 1,8dinitropyrene, 1-hydroxyanthraquinone, 1-indeno[1,2,3-cd ]pyrene, 5methylchrysene, 2-methyl-1-nitroanthraquinone, 5-nitroacenaphthene, 6-nitrochrysene, 2-nitrofluorene, 1-nitropyrene, 4-nitropyrene diesel fuel (marine), engine exhaust (gasoline), heavy oils, gasoline IARC data etc. 分析化学総説 早川,鳥羽,亀田,唐 : 有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする分析法の開発と環境動態解析 Table 3 Mutagenicities of several compounds by ames test using S. typhimurium TA98 and TA100 strains Compound 1,8-dinitropyrene a) MelQ b) lQ b) MelQx b) Trp-P-2 b) Glu-P-1 c) Trp-P-1 b) AF-2 a) 4-NQO a) Benzo[a]pyrene b) Diethylnitrosamine d) Dimethylnitrosamine d) TA98 TA100 940000 661000 433000 145000 104000 49000 39000 6500 970 320 0.02 0.00 274000 30000 7000 14000 1800 3200 1700 42000 9900 660 0.15 0.23 K. Wakabayashi : Taisha (in Japanese), 19, 941 (1982), partly modified. Mutagenicity is described as revertants/µg/plate in both strains. S9mix/plate(µL): a, 0 ; b, 10 ; c, 30 ; d, 150. MeIQ, 2-amino-3,4-dimethylimidazo[4,5-f ]quinoline ; IQ, 2amino-3-methylimidazo[4,5-f ]quinoline ; MeIQx, 2-amino-3,8dimethylimidazo[4,5-f ]quinoxaline ; Trip-P-2, 3-amino-1-methyl5H -pyrido[4,3-b ]indole ; Glu-P-1, 2-amino-6-methyldipyrido [1,2-a :3',2'-b ]imidazole ; Trip-P-1, 3-amino-1,4-dimethyl-5H pyrido[4,3-b ]indole ; AF-2, 2-(2-furyl)-3-(5-nitro-2-furyl)acrylamide ; 4-NQO, 4-nitroquinoline 1-oxide 907 立ち遅れていた.しかも,NPAH についてはいまだ十分 な発がん性試験が行われておらず,その強さが明らかなっ ていないものも少なくない.PAH だけでなく,微量でも 強い変異原性を有する NPAH についても,発生源や大気 内挙動の解明,ヒト暴露量の把握は,ヒトの健康に及ぼす リスク評価に不可欠である.そこで本総説では,初めに 1980 年代の後半から始まった NPAH 分析法開発の展開を 述べた後,PAH の発生と大気内動態の解析,並びにヒト 暴露把握法の開発について最近の動向までを解説する. 2 2・1 NPAH 分析法の開発 従来の NPAH 分析法 NPAH は,一般にその母核である PAH より変異原性が 強いが,環境中の濃度は低い.しかも,蛍光性を持たない ため,高感度分析の大きな障害になっていた.環境中 NPAH の分析法として,これまでに主としてガスクロマ トグラフィー(GC)あるいは高速液体クロマトグラフィ 8)9) . ー(HPLC)を用いる方法が開発されてきた GC はクロマトグラフィーの中で最も分離能が高く,し かも高感度かつ高選択的な検出器が利用できるので,幾つ かの NPAH 分析法が報告されている.検出器別に分ける 異なる投与量で長期間にわたって連続投与を行う必要があ と,ニトロ基を持つ有機化合物に対する電子捕獲検出器 り,膨大な労力と資金を要する.このため,極めて種類が 10) (ECD) ,窒素,リンを含有する化合物に対する窒素・リ 11)∼13) ,ニトロ基のような電気陰性置換基 多い PAH や NPAH のすべてについて発がん性を明らかに ン検出器(NPD) することは事実上困難である.しかし,発がん性試験のス 14) をもつ分子に対する熱電子イオン検出器(TID) ,NPAH クリーニング法として以前から変異原性試験が広く行われ の熱分解により放出される NO ラジカルとオゾンとの反 てきており,多くの報告がなされている 4)5) .例えば,ヒ スチジン要求性 Salmonella typhimurium の復帰変異原性を 利用する Ames Test では,多くの PAH は動物の代謝酵素 (肝ホモジネート 9000 × g 上澄み)を添加することによっ 応で生成した励起状態の NO2 が基底状態に戻る際に放出 15)16) する発光を検出する化学発光検出器(CLD) 17)∼22) 分析計(MS) 及び質量 などがある.GC-MS のうち,ニトロ基 が電子吸引基であり,負イオンを生成しやすいため,負イ 22)23) の て変異原性を発現する(間接変異原物質)のに対して,多 オン化学イオン化法と組み合わせた MS(NCI-MS) くの NPAH は動物の代謝酵素を添加しなくても変異原性 感度が比較的高い.更に近年,タンデム MS(MS/MS) を発現する(直接変異原物質).しかも,NPAH の中には システムを用いることよりノイズレベルを大きく下げ大気 1,8-DNP のように,代表的な発がん性 PAH として知られ 中 2-,3-ニトロフルオランテン(2-, 3-NFR),1-,2-ニトロ ている BaP だけでなく,胃がんとの関連が注目されてい ト リ フ ェ ニ レ ン ( 1-, 2-NTP), 1-NP 及 び 6-NC が サ ブ るヘテロサイクリックアミンである 2-アミノ-3,4-ジメチル 3 21) pg/m レベルまで定量されている .しかし,GC-MS に イミダゾ[4,5-f ]キノリン(MeIQ)や 3-アミノ-1-メチル- よる NPAH 分析の際に,サンプル注入口,分離カラムあ 5H -ピリド[4,3-b ]インドール(Trip-P-2)などより変異原 るいはインターフェースで NPAH の分解が起こることが 性が強く,これまで知られている化学物質の中で最も強い あり 5)6) 直接変異原性を示すものがある(Table 3) .また最近 因の一つである. 24)25) ,環境中濃度の低い NPAH 分析を困難にする要 では,大気浮遊粉じんやディーゼル排出粉じんから 1,8- HPLC は,分離能が GC よりやや劣るが,GC では扱い DNP に匹敵する強さの直接変異原性を有する 3-ニトロベ にくい熱分解しやすい物質や難揮発性物質も分離検出でき 7) ンズアントロン(3-NBA)も見いだされている . る利点がある.NPAH の検出器としては,電気化学検出 26)∼29) ,蛍光検出器(FLD)30)∼35),化学発光検出 このように,NPAH の中には極めて強い変異原性を有 器(ECD) するものがあるにもかかわらず,環境中の濃度は PAH よ 器(CLD) りはるかに低い.これまで,それを追跡できる高感度の分 どが挙げられる.このうち HPLC-ECD はニトロ基の還元 析法がなかったために,NPAH の環境動態研究は大きく 効率がわずか 10% 以下と悪く,十分な感度が得られなか 36)∼38) ,質量分析計(MS39)40),MS/MS41)∼43))な 908 BUNSEKI Fig. 2 KAGAKU Vol. 56 (2007) Reduction and chemiluminescence reaction mechanisms of NPAHs った44).近年,LC-MS 及び LC-MS/MS による NPAH の分 起状態に達し,それが基底状態に戻るときに余分なエネル 析例は多く報告されているが,NPAH は比較的極性が低 46) ギーを光として放つ現象である .2・1 で述べたように, く,しかもプロトンや電子との親和力が高いため,大気圧 APAH が有する蛍光特性は,NPAH の HPLC-FLD 分析に 化学イオン化検出器(APCI)で負イオンを検出するほう 利用されてきた.一方,蛍光物質の超高感度分析法の一つ が感度が良い.LC-APCI/MS では,土壌試料中 1,3-,1,6-, として,過シュウ酸エステル化学発光反応を検出に応用し 1,8-DNP 及び 1-NP の定量下限がそれぞれ 25,5.0,5.0, 47) た HPLC が開発され ,カテコールアミンや種々の医薬 40) 25 pg ,LC-APCI/MS/MS では,大気粉じん中の定量下 品などの超高感度分析に適応された.更に幾つかの APAH 限が 1,3-,1,6-,1,8-DNP では 2 pg,1-NP では 1 pg と報 も HPLC-CLD により高感度検出可能であることも分かっ 41) 告されている .前出の GC 同様,LC でもタンデム MS 36) た .この原理はビス(2,4,6-トリクロロフェニル)オキ により感度を増すことはできたが,環境試料中の 1,3-, ザレート(TCPO)に代表されるアリルオキザレートと過 1,6-,1,8-DNP の分析ができるレベルに至っていない.一 酸化水素が反応することによって生成する反応中間体が有 方,NPAH は,そのニトロ基が容易に化学的,電気化学 するエネルギーが基底状態の蛍光性物質(FL)を励起し, 的,金属触媒的にアミノ基に還元され,生成したアミノ多 励起状態の蛍光性物質(FL*)が再び基底状態に戻ると 環芳香族炭化水素(APAH)は蛍光特性を有する.このた きに発光するためと考えられている(Fig. 2).そこで, め,HPLC-FLD が NPAH 分析に利用され,高感度かつ高 APAH の分離が良好な ODS を充填した分離カラムの直後 選択性分析法として環境試料への応用例も報告されてい に,化学発光試薬として比較的安定で安価な TCPO と過 30) る .更に 1990 年代に入って,過シュウ酸エステル化学 酸化水素を導入して化学発光検出する HPLC システムが 発光系を用いた HPLC-CLD による NPAH 分析法が開発さ 37) 試作された . れ,DNP の還元体であるジアミノピレン(DAP)類の検 NPAH は,化学試薬による方法,電気化学反応,ある 出下限がサブ fmol レベルに達し,LC-MS/MS の約 20 いは亜鉛,白金/ロジウム(Pt/Rh)などの金属を充填し 倍 41)45) ,HPLC-FLD の約 70 倍の高感度化を実現した 37) . 次にその詳細を述べる. たミニカラムなど幾つかの方法で定量的な還元が可能であ る.このうち,NPAH のエタノール溶液に水硫化ナトリ ウム溶液を加えて沸騰水浴中で還流する方法は,HPLC- 2・2 HPLC-CLD による超高感度 NPAH 分析法 48) FLD 法 や HPLC-CLD 法を用いた NPAH の分析法(オフ 化学発光とは分子が化学反応のエネルギーを吸収して励 36) ライン法)の前処理法として利用されていた .この方法 分析化学総説 早川,鳥羽,亀田,唐 : 有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする分析法の開発と環境動態解析 909 Fig. 3 Schematic diagram of the proposed NPAH system の還元効率はおよそ 60 ∼ 80% と高いが48),操作が煩雑で 30) フライン法 と同レベルであった. あった.次に,HPLC システムにオンラインで NPAH の 44) 38) 自動還元が可能な電気化学還元装置 や亜鉛充填カラム 2・3 が導入されたが,前者は NPAH の還元効率が 10% 以下と ハイボリウムエアサンプラーを用い,石英繊維フィルタ 悪く,後者は活性寿命がわずか 1 日と短かった 49)50) .一方, 大気粉じん試料への応用 ー上に捕集した大気粉じんは,おおむね次の前処理によっ Pt/Rh は熱アルコール溶液中で NPAH の還元を触媒する て HPLC-CLD による NPAH 分析に供される.捕集フィル ので,これを HPLC システムに導入すれば半永久的な還 ターの一部(必要面積)を細切りしてフラスコに入れ,ベ 元効果が期待できる 51)52) .種々の検討の結果,Pt/Rh コー トアルミナを充填した還元カラム(4.0 mm i.d.×10 mm), きょう 試料から夾雑物をオンラインで除くクリーンアップカラム ンゼン/エタノール(3/1,v/v)を加えて超音波を施して 可溶性画分を抽出し,これを水酸化ナトリウム水溶液,硫 37) 酸水溶液,水で順次洗浄して精製した .減圧留去した後, (ODS,4.6 mm i.d.× 150 mm)と還元カラムから溶出さ 残査を 1 mL のエタノール/酢酸緩衝液に溶解し,その一 れた APAH 画分のみを濃縮して分析カラムに導入する濃 部を開発した NPAH 分析システムに注入した.その結果, 縮カラム(ODS,4.6 mm i.d.× 30 mm)を,カラムスイ 大気粉じんのベンゼン/エタノール抽出物のクロマトグラ ッチングバルブで接続した HPLC システムが完成した ムには,10-NBA を除く 20 種類の NPAH のピークが内標 53)54) (Fig. 3) 57) 準化合物の FNF とともに分離検出されている(Fig. 5B) . . 大気粉じんのベンゼン/エタノール抽出物の中には多く Fig. 5B には,幾つかの未知ピーク(a - f)が観察され の種類の NPAH が含まれていると推定される.そのすべ ている.これら未知ピークは,還元カラムを外すと現れな てが定量分析できるようになったわけではないが,これま いため,NPAH に由来する可能性が高い.これらを同定 でに 2-フルオロ-7-ニトロフルオレン(FNF,内部標準)を することにより,大気粉じん中直接変異原性 NPAH のよ 含めて計 22 種類の NPAH(Fig. 4)を一斉分析できるよ り詳細な解明が期待できる. 55)∼57) うになった(Fig. 5A) .このシステムによる NPAH 定量の再現性(n = 3)は,すべての化合物で RSD 5% 未 満であり,1,3-,1,6-,1,8-DNPs 及び 1-NP の定量下限はオ 910 BUNSEKI KAGAKU Vol. 56 (2007) Fig. 4 Structures of analyzed NPAHs Fig. 5 Chromatograms of extracts from airborne particulates (A) and NPAHs standard (B) 3 NPAH の発生と大気内挙動 NPAH のほとんどは粒子状として大気中を浮遊している. したがって,その大気中濃度は,前述のように浮遊粒子状 3・1 NPAH の大気中濃度 物質をエアサンプラーでフィルター上に捕集して,その有 大気中 NPAH の存在様態は,粒子状とガス状とに大別 機溶媒抽出物中の NPAH を分析することによって求める されるが,変異原性などの有害性が強い 3 環以上の ことができる.大気中 NPAH の種類や濃度は,都市によ 分析化学総説 早川,鳥羽,亀田,唐 : 有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする分析法の開発と環境動態解析 911 Table 4 Concentrations of particle-associated NPAH (fmol m−3) at seven cities in Japan 1-NP 2-NP 4-NP 1,3-DNP 1,6-DNP 1,8-DNP 2-NFR 3-NFR 6-NC 1-NTP 2-NTP Kanazawa ref. 59 Summer Winter 102 228 0.7 2.9 1.2 1.9 1.3 1.3 Summer Winter 510 1100 1.2 4.2 1.2 3.9 2.8 5.5 Summer Winter 180 680 1.2 2.3 0.8 3.2 1.5 4.7 Summer Winter Osaka, roadside Summer Winter Osaka, residential Summer Winter Osaka, residential Osaka, residential Tokyo, urban Tokyo, urban Kanazawa, urban Kanazawa, suburban Kanazawa, suburban Nagasaki, roadside Saitama, suburban Saitama, suburban 23 55 0.6 0.3 0.5 1.4 0.6 1.1 Sapporo 59 Tokyo 59 Kitakyusyu 59 58 106 235 50 20 289 44 4.1 5.8 31 38 23 35 75.3 40 170 130 130 15 22 2.8 23 5.4 153 41 1.1 1.7 13 16 18.5 58 <10.2 180 12 3.4 1.9 0.57 0.078 0.2 5.4 0.085 0.3 1210 310 1520 90 53 24 7.6 370 81 0.4 1220 390 0.085 0.2 0.4 0.8 84 62 87 88 61 61 90 89 91 92 Compound abbreviations are NP (nitropyrene), DNP (dinitropyrene), NFR (nitrofluoranthene), NC (nitrochrysene), NTP (nitrotriphenylene) ってあるいは都心と郊外など,観測場所によって様々であ 58) に高濃度となる傾向があった . るが,一般にジニトロ体(例えば DNP)の濃度は,対応 一次生成 NPAH 濃度の日内変動パターンは,発生源強 するモノニトロ体(例えば NP)の濃度に比べて 2 けた程 度の変化に強く依存する.我が国の都市では,これら 1- 度低い(Table 4).1-NP は,NPAH の中でも環境中濃度 NP や 1,3-,1,6-,1,8-DNP の濃度が試料捕集地点付近の交 が比較的高く,大気中動態が最も詳しく研究されている 通量と強く相関していることから,主要な発生源はディー NPAH の一つである.我が国における大気中濃度は多く 45) ゼル自動車からの燃焼排気であると同定されている .ま の場合,車道・交差点付近など発生源近傍で>100 た 1-NP 濃度の日内変動パターンは,自動車を起源とする 3 fmol/m ,住宅地など汚染度が比較的低い一般環境で 20 CO や NO の濃度変動パターンと極めてよく一致し,朝夕 3 3 ∼ 80 fmol/m ,郊外の清浄地域では 5 ∼ 20 fmol/m と報 告されている.これらは親 PAH であるピレンの濃度に比 59) のラッシュアワーに上昇している(Fig. 6) . 一方で,二次生成 NPAH 濃度の日内変動パターンは, べて 2 ∼ 3 けた低い.1-NP は後述のとおり,燃焼起源か 一次生成 NPAH のそれと異なる場合がある.例えば,大 ら直接排出される一次生成 NPAH であるため,発生源近 気浮遊粒子中の 2-NFR,2-NP 濃度を 2 時間ごとに追跡し 傍における濃度は著しく高く,発生源から離れるほどその た日内変動パターンが,1-NP や 6-NC の濃度変動パター 濃度は低下していく.また,CO や窒素酸化物(NOx)と 61) ンと異なり,二次生成 NPAH であることが報告された . 同様に,夏季に比べて秋・冬季の濃度が高くなる傾向があ また,大気浮遊粒子中の 2-NFR 濃度を 3 時間ごとに追跡 45)58)59) .地上付近の発生源から放出された大気汚染物質 した日内変動パターンが 1-NP のそれとは異なり,前駆物 は,風が弱く地上付近に冷えた空気がたまりやすい状況で 質である OH ラジカル濃度の日内変動パターンとよく一 は高濃度になる.このような気象条件は,放射冷却による 致することから,二次生成 NPAH であることが報告され 接地逆転層が出現しやすく,まだ強い季節風が吹くことも 62) た .こうした時間分解能の高い観測結果は,超高感度な 60) 少ない初冬季に起きやすい .1-NP に限らず燃焼機関か HPLC-化学発光検出法によって初めて達成された成果であ ら直接排出される NPAH の多くは,同様の季節変動を示 り,実大気中 NPAH の挙動解明に有用な情報を与えるほ すと推定される.これに対して,2-NFR や 2-ニトロピレン 63) か,新規 NPAH の発生源推定などにも利用されている . る (2-NP)は,光化学生成物であるオゾン等と同様に,夏季 912 BUNSEKI Vol. 56 (2007) KAGAKU Fig. 6 Diurnal variation of direct-acting mutagenicity (solid circle), concentrations of 1-NP (solid triangle), NO (solid square), NO2 (open square), O3 (open circle) and CO (solid diamond) at southern Osaka between 28 and 29 October, 1998 (ref. 62) Reprinted from Atmos. Environ., 38, 1903 (2004), T. Kameda, K. Inazu, H. Bandow, S. Sanukida, Y. Maeda, “Association of the mutagenicity of airborne particles with the direct emission from combustion processes investigated in Osaka, Japan”, Copyright (2004), with permission from Elsevier Table 5 Concentrations of 1,3-, 1,6- and 1,8-DNPs and 1-NP in diesel and gasoline engine emission particulates (ref. 69) Concentration (pmol mg−1) Engine type Diesel Gasolone 1,3-DNP 1,6-DNP 1,8-DNP 1-NP 0.28 0.30 0.39 0.43 0.44 0.45 170 0.73 DNPs/1-NP Concentration ratio 0.007 1.62 Reprinted from Anal. Chim. Acta, 266, 251 (1992), K. Hayakawa, M. Butoh, M. Miyazaki, “Determination of dinitro- and nitropyrenes in emission particulates from diesel and gasoline engine vehicles by liquid chromatography with chemiluminescence detection after precolumn reduction”, Copyright (1992), with permission from Elsevier 3・2 NPAH/PAH の発生源特性 NA),3-NFR,3-NBA などが比較的高濃度で検出されてい PAH は有機物の不完全燃焼による産物であり,ディー る.また,ガソリン車の排気からも 1-NP 及び DNP 類が ゼルエンジンなどの燃焼機関において,燃料中の直鎖炭化 検出されているが,DEP 中と比べると 1-NP の濃度は極め 水素が短鎖のアルキルラジカルへと熱分解され,それらが 69) て低い(Table 5) . 環化・縮合を繰り返すことにより生成すると考えられてい る 64)65) .また,生成した PAH は,更に燃焼機関内におい 固定発生源からの NPAH としては,1-NP,3-ニトロフ ェナンスレン(3-NPh),9-NA がコークスの燃焼排気中か て 求 電 子 ニ ト ロ 化 を 受 け , NPAH を 生 成 す る . PAH, ら検出されているほか,家庭用暖房として用いられる灯油 NPAH の一次発生源には,自動車等の移動発生源のほか ヒーター排気から 1-ニトロナフタレン(1-NNp),1-NP, に,工場,焼却炉,家庭用暖房といった固定発生源があ 3-NFR が,また石炭燃焼粉じんや木材燃焼粉じんからも る. 種々の NPAH が検出されている 59)70)71) . ディーゼル車は,地上付近における NPAH の主要な発 PAH,NPAH の発生量や組成は,燃焼条件などにより 生源である.ディーゼル排気粒子(DEP)中からは,数十 様々に変化する.例えば,燃焼温度の低い石炭ストーブか 種以上に及ぶ NPAH が検出されている 66)∼ 68) .1-NP は ら排出される粒子中の PAH 濃度は,DEP 中のそれに比べ DEP 中に最も高濃度に存在する NPAH であり,例えば て著しく高いが,NPAH の生成量は,燃焼温度のほか共 NIST が提供している標準ディーゼル排気粒子 SRM2975 存する窒素酸化物濃度にも依存し,1-NP の場合ガソリン 中の濃度は 30 ∼ 40 µg/g DEP と報告されている.DEP から エンジン排出粉じんより DEP 中のほうが高濃度であっ はそのほかに 1,3-,1,6-,1,8-DNP,6-NC,7-ニトロベンズ 59) た .このような幾つかの発生源に特徴的な成分の組成比 [a]アントラセン(7-NBaA),9-ニトロアントラセン(9- を利用した多変量統計解析により,大気中 PAH,NPAH 分析化学総説 早川,鳥羽,亀田,唐 : 有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする分析法の開発と環境動態解析 3・3 913 NPAH の二次生成 一次発生源から放出された PAH,NPAH は,その蒸気 圧によりガス相と粒子相に分配され,大気中に拡散する. 常温付近では,ナフタレンやアントラセンなど 2,3 環の PAH は主としてガス相に存在し,一方ベンゾ[a ]ピレンな ど 5 環以上を有する PAH は主に粒子相に存在する.4 環 の PAH は両相に存在し,その分配は温度によって変化す る.大気中 PAH の消滅経路として,光や O3,ラジカル種 などによる酸化分解が挙げられる.特にガス相における PAH と OH ラジカルとの反応は速く進行し,大気中 PAH の主要分解経路の一つである.OH ラジカルが光化学生成 物質であり昼間の重要な反応活性種であるのに対して,夜 間には NO2 と O3 との反応によって生成する NO3 ラジカ ルが PAH の分解に寄与すると考えられている. OH ラジカル及び NO 3 ラジカルと PAH との反応は, NO2 存在下において NPAH の二次生成をもたらす.一般 Fig. 7 Reaction scheme for atmospheric formation of 2-NFR (ref. 78) Reprinted from Environ. Health Perspect., 102 Suppl. 4, 117 (1994), R. Atkinson, J. Arey, “Atmospheric chemistry of gas-phase polycyclic aromatic hydrocarbons : Formation of atmospheric mutagens”, Copyright (1994), with permission from National Institute of Environmental Health Sciences, USA にラジカル開始反応により生成する NPAH の異性体分布 は,燃焼過程で生成する異性体分布とは異なることが知ら れている.例えば,代表的な二次生成 NPAH である 2NFR は,燃焼排気粒子からは検出されない.にもかかわ らず大気中の濃度は,DEP に最も多く含まれる NPAH で ある 1-NP の大気中濃度を超えるほど高くなる場合があ る. 気相ラジカル開始反応による 2-NFR の生成スキームを Fig. 7 に示す.親 PAH であるフルオランテンの最も電子 の主要発生源を特定する試みがなされている.例えば,環 密度の高い炭素に,OH(あるいは NO3)ラジカルが付加 日本海域の都市における PAH,NPAH 組成のクラスター した中間体を生成する.続いてこの中間体のオルト位に 分析や因子分析により,大気中 PAH,NPAH の主要発生 NO 2 が付加し,水(あるいは硝酸)が脱離することで, 源は東京,札幌,金沢,ソウル等の商業都市ではディーゼ 最終生成物である 2-NFR が生成する.この機構による 2- ル車であり,瀋陽,ウラジオストク等の工業都市では石炭 NFR の生成収率は,OH 開始反応で 3%,NO 3 反応で 59) 燃焼施設であることが明らかにされた .また,メチルフ ェナンスレンとフェナンスレンの濃度比が,燃焼起源と石 72) 78) 24% と見積もられている . 他の NPAH も同様の機構により二次生成することが知 油起源の識別マーカーに有用であるように ,従来からの られている.例えば,2-NP も燃焼由来の排気粒子中から PAH 類のみに加えて 1-NP とピレンなどの NPAH 類も加 は検出されていない NPAH のひとつであるが,チャンバ えることにより,より有用な発生源推定法ができると期待 ー実験によりピレンと OH ラジカルとの反応から 2-NP が される. 生成することが確認されている.このチャンバー実験で バイオディーゼル燃料やバイオエタノール燃料といった は,ピレンと OH ラジカルの反応により 2-NP と 4-NP が バイオマス燃料は,地球温暖化ガス削減対策のひとつとし それぞれ 0.5% 及び 0.06% の収率で生成することが認め て一部で導入が試みられているが,同時に排気中の有害物 質を減少させる効果も期待されている 73)∼76) .燃焼効率の 良いバイオディーゼル燃料は,燃焼排気粒子中の PAH, られている.一方,NO3 開始反応からは 2-NP の生成収率 は非常に低く,実大気中においては,2-NP 生成に対する NO3 反応の寄与は無視できると結論されている. NPAH を削減できる.一方で,酸素を含むエステルを主 気相における PAH と OH ラジカルとの反応は,一般に 成分とするため,芳香族ケトン化合物や,同じく含酸素化 非常に速く進行する.PAH−OH ラジカル反応の多くは 合物であるラクトン,キノン類などの削減効果があるか否 10 77) かについて,調査を要すると思われる . 78) 数を持つことが知られている .しかしながら,4 環を有 −12 ∼ 10−10 cm3 molecule−1 s−1 というオーダーの速度定 する PAH は蒸気圧が低く,それらの気相反応における速 度定数決定には困難を伴う.そこで,高温下における反応 914 BUNSEKI Vol. 56 (2007) KAGAKU Table 6 Nitroarene products formed from the gas-phase reactions of polycyclic aromatic hydrocarbons known to be present in ambient air with hydroxyl radicals and nitrate radicals (both in the presence of NOx) and their yields (ref. 78) Reaction with PAH OH NO3 Naphthalene 1-Nitronaphthalene (0.3%) 2-Nitronaphthalene (0.3%) 1-Nitronaphthalene (17%) 2-Nitronaphthalene (7%) 1-Methylnapthalene All 1-methylnitronaphthalene isomers except 1-methyl-2-nitronaphthalene (≈ 0.4%) All 1-methylnitronaphthalene isomers (≈ 30%) 2- Methylnapthalene All 2-methylnitronaphthalene isomers except 2-methyl-1-and 2-methyl3-nitronaphthalene (≈ 0.2%) All 2-methylnitronaphthalene isomers (≈ 30%) Acenaphthene 5-Nitroacenaphthene 3-Nitroacenaphthene 4-Nitroacenaphthene 4-Nitroacenaphthene (40%)a) 3-Nitroacenaphthene (≈ 2%)a) 5-Nitroacenaphthene (≈ 1.5%)a) (Σ ≈ 0.2%) Acenaphthylene 4-Nitroacenaphthylene (2%) No nitroisomers formed Fluorene 3-Nitrofluorene (≈ 1.4%) 1-Nitrofluorene (≈ 0.6%) 4-Nitrofluorene (≈ 0.3%) 2-Nitrofluorene (≈ 0.1%) Phenathrene Two nitroisomers (not 9-nitrophenanthrene) in trace yields Four nitroisomers (including 9-nitrophenanthrene) in trace yields Anthracene b) 1-Nitroanthracene, low yield 2-Nitroanthracene, low yield 1-Nitroanthracene, low yield 2-Nitroanthracene, low yield Pyrene 2-Nitropyrene (≈ 0.5%) 4-Nitropyrene (≈ 0.06%) 4-Nitropyrene (≈ 0.06%) Fluoranthene 2-Nitrofluoranthene (≈ 3%) 7-Nitrofluoranthene (≈ 1%) 8-Nitrofluoranthene (≈ 0.3%) 2-Nitrofluoranthene (≈ 24%) Acephenanthrylene Two nitroarene isomers (≈ 0.1%) None observed Biphenyl 3-Nitrobiphenyl (5%) No reaction observed PAH, polycyclic aromatic hydrocarbon. a) Yields for the NO3 radical addition pathway to the fused aromatic rings (12). Reaction expected to proceed by H-atom abstraction from the C-H bonds of the cyclopenta-fused ring under atmospheric conditions. b) 9Nitroanthracene was observed in both the OH and NO3 radical reactions, but may not be a product of these reactions because it is also formed from exposure to NO2/HNO3. Reprinted from Environ. Health Perspect., 102, Suppl. 4, 117 (1994), R. Atkinson, J. Arey, “Atmospheric chemistry of gas-phase polycyclic aromatic hydrocarbons : Formation of atmospheric mutagens”, Copyright (1994), with permission from National Institute of Environmental Health Sciences, USA 速度を常温付近の値へ外挿することで,フルオランテンと 79) 一方,PAH と NO 3 ラジカルとの反応速度は共存する OH ラジカルとの反応速度定数が導かれている .また, NO2 濃度にも依存し,一般に OH ラジカルとの反応に比 無極性溶媒中における PAH−NO3 ラジカル反応の速度が, べて遅いが,前述の 2-NFR のように高い収率で NPAH が 気相中における PAH−OH ラジカル反応の速度と強く相関 生成する場合がある.例えば,ナフタレンと OH ラジカ することを利用して,フルオランテン及びピレンと OH ルとの反応による 1-及び 2-NNp の生成収率は共に 0.3% ラジカルとの気相中反応速度定数を実験的に求めることに であるが,それに対して NO3 ラジカル開始反応による収 80) 成功している .この方法により導かれたフルオランテン 率はそれぞれ 17% 及び 7% と高い.また同様に,メチル 及びピレンと OH ラジカルとの反応速度定数は,それぞ ナフタレンと NO3 ラジカルとの反応によって生じるメチ れ 2.8 × 10 −11 もられた. 及び 4.8 × 10 −11 3 cm molecule −1 s −1 と見積 ルニトロナフタレンの収率も 30% と高い(Table 6). また,このような NPAH 間の生成収率の差異を利用し 分析化学総説 早川,鳥羽,亀田,唐 : 有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする分析法の開発と環境動態解析 915 だけでは,必ずしも大気環境の改善が十分ではないことを 示している.前駆物質の排出状況を的確に把握するととも に,それらの大気内での挙動までをも含めた,包括的な環 境中動態の理解が必要である. 3・4 世界の NPAH 大気汚染の現状 世界各国における大気中 PAH,NPAH の測定例が多数 報告されるようになった.中国などの東アジア地域におけ る PAH,NPAH 濃度は,日本や欧米諸国における濃度に 比べて著しく高い.これは,適切な排出抑制がなされてい ないことに加えて,主たるエネルギー源が欧米とは異なる ことに由来する.例えば,中国は主要エネルギーを石炭に よっているため,石油を主要エネルギーとする日本や欧米 Fig. 8 Proposed mechanism of the atmospheric 2NTP formation via the OH and NO3 radical-initiated reactions (ref. 84) Reprinted from Atmos. Environ., 40, 7742 (2006), T. Kameda, K. Inazu, Y. Hisamatsu, N. Takenaka, H. Bandow, “Isomer distribution of nitrotriphenylenes in airborne particles, diesel exhaust particles, and the products of gas-phase radical-initiated nitration of triphenylene”, Copyright (2006), with permission from Elsevier 諸国に比べて,不完全燃焼に伴い排出される PAH, 85) NPAH(特に前者)濃度が非常に高くなる(Fig. 9) .こ のように,各国におけるエネルギー事情や交通事情,産業 構造や生活様式の相違は,大気汚染の質に影響を与える大 きな要因であるといえよう. 現在までのところ,PAH,NPAH の大気内動態にかか わる研究においては,個々の成分濃度についての定点観測 結果を基にした知見しか得られていないのが実状である. しかしながら,例えば中国において石炭燃焼に由来する大 て,大気中二次生成 NPAH の生成プロセスを推定してい 量の PAH や NPAH が放出されていること,同じく中国を る.例えば,2-NFR は前述のとおり OH,NO3 両ラジカ 起源とする SO2 や黄砂粒子は海を越えて日本に到達して ルとの反応により生成するが,実際に大気中でどちらのプ いる事実を考慮すると,PAH や NPAH も同様に長距離輸 ロセスを経て生成しているかを,濃度変化のパターンなど 86) 送され隣国へ影響を与えている可能性がある .このよう から判別するのは困難である.そこで,2-NFR,2-NP が な現象を追跡するためには,広範囲かつ長期にわたる観測 それぞれ OH ラジカル開始反応のみにより生成している が必要なのは言うまでもない.加えて,各国における と仮定すると,それらに関する速度定数や収率から,[2- PAH,NPAH 排出の現状を把握し,精度の良い排出イン NF]/[2-NP]= 5 ∼ 10 となるのに対し,NO3 ラジカル開始 ベントリーを作成するとともに,前述したような大気内で 反応の寄与が高い場合は [2-NF]/[2-NP] >>10 となり, の分解や二次生成等の反応の詳細を明らかにし,それらを 観測時にどちらの反応が優先的に進行していたかを推定で 加味した PAH,NPAH の大気輸送シミュレーションモデ 81)∼83) きる . 大気中で二次生成する NPAH の中にも未知のものが多 いと推定される.最近,非常に強い変異原活性を示す 2NTP が,2-NFR と同様の OH 及び NO3 ラジカル開始反応 により大気中で二次生成していることが見いだされた 84) ルを構築する必要がある. 4 1-NP の代謝物分析への適用 PAH,NPAH の人体へ健康影響を推定するためには, それらの大気環境からの個人暴露量を評価する必要があ (Fig. 8) .前駆物質であるトリフェニレン(Tp)の生物 る.これを目的としてパーソナルエアサンプラーで捕集し 活性は低く,US EPA が環境汚染物質として測定すべき項 た個人の吸気成分と見なされる粉じん中 1-NP 濃度などが 目の中に挙げた 16 種の PAH には含まれていない.しか モニタリングされるようになった し,Tp の大気中濃度は高く,それが大気中でニトロ化し パーソナルサンプラーを用いる手法は被験者個人が装置を て生成する 2-NTP も比較的高濃度に存在することが分か 長時間身につける必要があり,コストの面でも大規模な疫 った.このように,一次発生源からは検出されずに見過ご 学的研究には適さない.PAH,NPAH の個人暴露レベル されてきた化合物が,大気中には高濃度で存在しているこ を評価する新たな手法としてヒトの組織や血液・尿などの とや,低有害性と見なされ重要視されていない化合物が, 生体試料中に存在する PAH,NPAH 代謝物を指標として 大気中の反応によって有害な物質を生成する事実は,単に 暴露量を推定するバイオマーカーが注目された.既に 特定の化合物に関する発生源からの排出を管理・抑制する PAH については,尿中の主としてピレンの水酸化体をバ 92)∼94) .しかしながら, 916 BUNSEKI Fig. 9 Vol. 56 (2007) KAGAKU Atmospheric concentrations of PAHs and NPAHs in the Pan-Japan Sea Region (ref. 85) Reprinted from Yakugaku Zasshi, 127, 429 (2007), K. Hayakawa, “Respiratory exposure to chemicals and human health”, Copyright (2007), with permission from The Pharmaceutical Society of Japan イオマーカーとして HPLC-FLD を用いた方法が数多く報 32 デオキシグアノシル化アミノピレンを P - ポストラベル 告されている.しかし,NPAH については,前述のよう 化して検出する.一方,Hb 付加体の定量法は,ヘモグロ に大気中濃度が PAH よりはるかに低いため,ヒトが暴露 ビン付加体の加水分解処理で生じるアリルアミン類の誘導 する量もごく微量で,対象にできるバイオマーカーの種類 体化物を GC-MS や GC-MS/MS により検出している は大きく制限される.その中で最近,1-NP 代謝物を指標 ∼109) とするバイオマーカーの研究が行われている. 濃度暴露群)とコントロール群(低濃度暴露群)との間に これまでの in vitro あるいは in vivo の代謝研究から,生 体内に吸収された 1-NP は,各種酵素群 95)∼97) ,腸内細菌98) によるニトロ還元反応と,P450 分子種触媒による C-酸 化 99)∼102) を受けることが知られている(Fig. 10).また, 102)107) .しかし,いずれの付加体についても職業暴露群(高 有意差は確認されていない 93)109) .赤血球の寿命は約 120 日であり,一度形成した付加体は長時間消失しないため, 短期間の暴露量と付加体量との関係を評価しにくい欠点が ある. ニトロ還元反応の代謝中間体であるニトロソ誘導体は,ヘ 1-NP 代謝物の尿中への排泄は比較的速いことから,短 モグロビン(Hb)あるいは DNA と付加体を形成するこ 期間の暴露を評価するバイオマーカーとして尿中代謝物が とが知られている 95)97)103) .また,実験動物への 1-NP, 期待されている.尿中 1-NP 代謝物の分析法として,尿を DEP 暴露実験の報告より,C-酸化の後,ヒドロキシ-1-ニ 逆相系カートリッジで精製し,ELISA(enzyme-linked トロピレン(OHNP)類やヒドロキシ-N -アセチル-1-アミ immunosorbent assay)法により 1-アミノピレン(1-AP) ノピレン(OHNAAP)類は主にグルクロン酸又は硫酸抱 を測定する方法が報告されている 92)110) .しかし,この方 せつ 合体へと抱合化を受け,尿や胆汁中への排泄が確認されて 104)∼106) いる . 法で使用された抗体の特異性が低く,類似化合物に対する 交差性の問題が残っている. これらの代謝研究の結果を踏まえ,血液・尿を試料とし 最近,これまでの in vivo 研究から尿中の主代謝物とし たバイオマーカーの検討が行われている.血液を試料とし て知られる OHNP 類を HPLC-CLD を用いて測定する方法 て暴露評価を行う手法として,これまでに 1-NP の DNA が報告された 付加体,Hb 付加体の定量法が検討されている.DNA 付 たないため,過シュウ酸エステル化学発光への適用ができ 加体は,血液リンパ球中から DNA を抽出し,DNA 中の ない.そこで OHNPs を還元しアミノ誘導体とした後,蛍 111) .OHNP 類は,1-NP と同様に蛍光性を持 分析化学総説 早川,鳥羽,亀田,唐 : 有害性ニトロ多環芳香族炭化水素類を対象とする分析法の開発と環境動態解析 Fig. 10 917 Metabolism of 1-NP P450 : Cytochrome P450 ; NAT : N-Acetyltransferase ; OAT : O-acetyltransferase 光を測定した結果,1-AP の蛍光波長と近似した励起波長 367 nm,蛍光波長 437 nm の蛍光が観察された.また, このアミノ体の蛍光量子収率は 1-AP に匹敵する高い数値 であることから化学発光検出への適用が可能であった.白 金・ロジウム還元カラムにより OHNP 類をオンラインで 蛍光性のアミノ体に変換した後分離し,TCPO/H2O2 をポ ストカラム試薬として導入して化学発光検出したところ, 5 fmol(6-,8-OHNP),12 fmol(3-OHNP)の検出下限 (S /N = 3)が得られた.このシステムを用いて 1-NP をラ ット S9 mix で in vitro 代謝させたときの代謝物を分析した ところ,3 種類の OHNP の異性体を検出することに成功 した(Fig. 11).ヒト尿中の OHNP 濃度は ppt レベルで あると予測されることから,検出感度を考慮すると 100 mL 程度の尿量が必要と考えられ,優れた前処理法の確立 が待たれる. 5 おわりに Fig. 11 Chromatograms of (a) standard mixture of OHNPs and (b) Incubation mixture of 1-nitropyrene (3.3× 10−5 M) and rat S9 mix − 10 M); (2) 6-OHNP Peaks : (1) 8-OHNP (7.8 × 10 −10 (3.7×10 M); (3) 3-OHNP (2.1 × 10−10 M) PAH,NPAH は非意図的生成化学物質であり,しかも その組成が発生源により異なるという特性は,これら物質 が人為的活動に伴う大気環境汚染の指標物質として有用な ことを示している.高感度分析法の開発により,これまで に都市大気汚染の実態はしだいに明らかになってきた.今 後は地域汚染だけでなく,上述した日中韓露間の国際共同 918 BUNSEKI 研究などにより,長距離輸送を含めた地球規模の挙動と将 来予測についても研究が展開されよう. PAH,NPAH は粉じんや硫黄酸化物などと挙動を共に していることが多く,これらの存在様態は大気内反応やそ れに伴う気候への影響,生態系やヒトの健康への影響とも 密接に関連している.これら課題の解明にもより有効な分 析法の開発が望まれる.一方,PAH,NPAH のヒト健康 影響については,これまで主として発がん性が注目されて きたが,最近,その酸化体がストレス物質となるこ と 112)113) やエストロゲン様作用,抗エストロゲン作用ある かく いは抗アンドロゲン作用などの内分泌撹 乱作用を示すこ と 114)∼119) なども明らかになった.これらの事実は,PAH, NPAH のヒト健康影響について長期的かつ多面的な研究 が必要であり,個人毎に暴露した化合物やその代謝物の種 類と濃度を正確に把握できる方法の開発も重要なことを示 している. 文 献 1) 厚生労働省資料より作図. 2) 環境省資料より作表. 3) IARC Monographs on the Evaluation of Carcinogenic Risks to Humans : < http://monographs.iarc.fr/ ENG/Classification/index.php >. 4) H. Rozenkranz, R. Mermelstein : Mutation Res., 114, 217 (1983). 5) 常盤 寛 : 大気汚染学会誌, 27, 73 (1992). 6) 若林 敬二 : 代謝, 19, 939 (1982). 7) T. Enya, H. Suzuki, T. Watanabe, T. Hirayama, Y. Hisamatsu : Environ, Sci. Technol., 31, 2772 (1997). 8) K. Hayakawa : Biomed. Chromatogr., 14, 397 (2000). 9) J. Cvacka, J. Barek, A. G. Fogg, J. C. Moreira, J. Zima : Analyst, 123, 9R (1998). 10) R. L. Tanner, R. Fajer : Int. J. Environ. Anal. 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However, the progress of studies on the environmental behaviors and health effects of NPAHs has been much slower than that of PAHs, because of the lack of a sensitive analytical method available for trace NPAHs. This review deals with the development of sensitive determination methods for NPAHs starting the in late 1980s and recent studies on the contributors and atmospheric behaviors of NPAHs and human exposure to them. Keywords : Nitropolycyclic aromatic hydrocarbons ; HPLC-chemiluminescence detection ; atmosphere ; behavior ; biomarker.