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実施報告 - 明治大学

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実施報告 - 明治大学
明治大学国際交流第 356 回スタッフセミナー
イルゼ・アイヒンガー
「私の住む場所」
-70 年の軌跡-
講演者:クリスティーネ・ナーゲル氏
日 時:2015 年 7 月 4 日(土)15:30~17:30
会 場:駿河台キャンパス
リバティタワー リバティホール
須永 そろそろ雨が降ってきたみたいで、足元が悪くなりかけのところをどうもありが
とうございました。今日は映画の上映会ということで、制作者の監督の方もお見えですの
で、大きいホールをとってしまいました。
この部屋は同じサイズのスクリーンが右と左に二つあるのですが、最初は両方使おうか
と思ったのですけれども、二つあるのもかえって散漫になるということで、右手だけを使
います。皆様は右手のほうにちょうどいいところにお座りですので、それでよろしいかと
思いますが、よろしくお願いいたします。申し遅れましたけれども、私は今回の世話役を
しました、明治大学法学部の須永と申します。
クリスティーネ・ナーゲルさんは制作者、監督の方ですけれども、簡単な導入をしてい
ただいてから映画を上映しまして、そのあと見ていただいた印象などを三々五々、お互い
にご意見をいただいたり、意見交換するのがよろしいかと考えています。
今回のナーゲルさんの来日のいろいろな催しを全部、元締めみたいにしてやっていらっ
しゃって、しかも今回のこの映画の字幕も制作してくださいました真道杉さんにナーゲル
さんのご紹介をいただいて、それからナーゲルさんご自身に少しお話をいただきます。そ
の通訳は、ナーゲルさんの映画とナーゲルさんのことをよくご存じの真道さんがやってく
ださいますので、よろしくお願いいたします。
私はこれで失礼しますので、では真道さん、よろしくお願いします。
真道 須永先生、ありがとうございました。今日は明治大学でこういうかたちで上映会
をさせていただけて、本当に感謝申し上げております。それから皆さん、今日はいらして
いただきまして、本当にありがとうございます。
まず、こちらが映画監督のクリスティーネ・ナーゲルさんです。今週の月曜日に初来日
されていらっしゃいます。今日上映する映画ですが、オーストリアの女流作家、イルゼ・
アイヒンガーという作家さんの作品と、それから彼女のいまの人生をテーマにして描いた
作品です。
イルゼ・アイヒンガーさんと非常に懇意になさっていらっしゃいまして、この 10 年以上
ずっと彼女と話をしたり、一緒にウィーンの街を散策したりとかいったことを、この映画
の中に盛り込んでくださっています。監督に、簡単にどんな映画なのかの解説をしていた
だきたいと思います。
ナーゲル このたびはこちらで上映会をさせていただくことになりまして、大変ありが
とうございます。今日上映する映画は彼女の作品をモチーフにしてつくったものですが、
作品をそのまま映像化したものではありません。彼女の作品のテキストとか、いろいろ言
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ったことのエッセンスのところを取り上げて映像化したものです。
作品の中にイルゼ・アイヒンガーさん本人はほとんど出てきません。主に彼女の声を使
用しています。この映像の中で特に注意したのは、彼女の視点で見る世界を映像化したい
というふうに考えて制作したことです。
映画は大きく分けて四つの要素でつくられています。一つ目は白黒の映像で、彼女の短
編小説を俳優さんを使って映像化したものです。
2 番目の構成要素は、カラーで撮影しましたウィーンの町です。アイヒンガーゆかりの、
あるいは住んでいたところとか、親族が住んでいたところなどを映像化したものです。中
にはユダヤ人のおばあさんが強制収容所に連れていかれたようなところの現場、現在の場
所なども入っています。
三つ目の構成要素は、実はイルゼ・アイヒンガーには双子の妹がいて、いまロンドンに
住んでいますので、その双子の妹のインタビューです。これは、アイヒンガーは双子の妹
からリフレクションというかたちで見ていくといった意図を持って、双子の妹の声、それ
からインタビューを使っています。
それから四つ目の構成要素は、アイヒンガー自身が撮影をした 8 ミリビデオです。素人
が撮ったものだというのはすぐわかるのですが、彼女がどんなふうにしてレンズを通じて
世界を見ていたのかということに焦点を当てて編集しています。
この四つの構成要素を織り交ぜるかたちで、彼女の中の思考の小宇宙というものを表現
したいと思ってつくりました。
真道 ではこれから上映いたしますので、どうぞお楽しみください。
(映画上映)
須永 せっかく監督ご自身がここにいらっしゃいますので、もし何か感想なりご質問が
ありましたら、お願いしたいと思います。ここからは、法学部でウィーン出身のスザンネ・
シェアマンさんにお願いします。通訳が必要かと思いますので、引き続き真道さんにお願
いしまして、質疑応答ができればと思いますが、よろしくお願いします。マイクを持って
まいりますので、手をあげていただければと思います。
シェアマン それではいろいろなご質問があると思います。せっかく監督がいらしてい
ますので。質問がありましたら、ぜひとも。特に日本人から見て、ウィーンのイメージと
か、いろいろあるのではないかと思います。
質問者1 素晴らしい映画を見せてくださって、ありがとうございます。アイヒンガー
の物語、短編小説、いろいろなものがあるのですけれども、
「私が住む場所」という物語を
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なぜ選んだのか。この物語のどういうところがクリスティーネ・ナーゲルさんの興味を特
に引いたのか、魅了したのでしょうか。
ナーゲル 「私が住む所」という短編は、彼女の人生を象徴している作品かというふう
に私は思いました。非常に寓話的な作品ですけれども、もともと 5 階に住んでいた人が、
住居がどんどん降りていって最後は地下になる。この先どうなるのだろうという、非常に
大きな不安を抱えながら生きている。それは実際にアイヒンガー自身が第二次世界大戦の
ときに、混血のユダヤ人として迫害を受けた、その大きな不安と非常にリンクしてくる部
分があって、それを象徴的に描いているというのが、この作品を取り上げようと思ったと
ころです。
いま第二次世界大戦の本人の経験という話をしましたけれども、それ以外にも誰もが抱
えている問題もここには象徴されているかと思います。たとえば非常に困難な状況になっ
たとき、そこから先、生きていくのにどうやっていったらいいのかという問題とか、その
不安をどういうふうに扱っていくのかということです。
あるときアイヒンガーさんは学校へ行って小学生に対して、人間存在そのものの問題を
この作品は抱えているということを言っています。だから彼女の個人的な体験をもとにし
ているけれども、非常に普遍的な問題を含んでいる作品だというふうに思っています。
シェアマン いかがでしたか。はい。
質問者2 映画の中でイルゼ・アイヒンガーさんの妹さんが、私は理解しようと思うけ
れども、それはできなかった。いつもいろいろなイメージが、関連のないままに出てくる
だけで、それをどうしていいかわからない。そういうことを聞くと、この映画というのは、
理解できないということを映画にしようとしたというか、理解できないということを表現
しようとしたのではないか。
でもそうだとしても映画は何かを物語るわけで、物語ることと理解できないこと、それ
から物語ることと物事を関連の中にまとめられないこと、その二つの矛盾することという
のは、どういう関係にあるというふうにお考えになりますか。
ナーゲル イルゼ・アイヒンガーは 1948 年、戦後すぐに唯一の長編小説を書いていて、
『より大きな希望』という作品です。その後、長編小説は一編も書いていません。その長
編小説の中に一応、筋というものがあって、一つひとつのシーンが関連づけられて物語ら
れているわけですが、その作品を書いたあと、彼女はそういったホロコースト、ショアの
あとに、こういったかたちの物語はもう書けないという一種の悟りというか、書けないと
いうふうに思うんです。
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そのあとに成立したのが「私の住む場所」であったり、1950 年くらいから出てくる短編
集なわけです。
『より大きな希望』の作品を書いたという体験が、この時代ではうまく成立
しないということが、こういった作風になってきたというふうに思っています。
この映画の中にも、姉妹の手紙の交換の中に、アイヒンガーが「あるがままをそのまま
書きたい。妹のために書いて、それを妹に追体験してもらいたい」という言葉が出てきま
す。いま言った『より大きな希望』という小説は、その場にいなかった妹のために書きま
した。
自分が体験したことを妹が追体験できるように書いていくわけですが、先ほど申し上げ
たとおり、要するにこの時代ではこういった作品はもう書けないということで、50 年代く
らいになってから、今回の映画にいくつも出てきた「私の住む場所」
、そのほかにも短編が
この映画の中には使われているのですけれども、ああいったかたちの寓話的な作品になっ
ていく。その後、一つの言葉に集中して、その言葉から出てくるイメージを文章にして、
もっと身近な作品に集中したかたちで、彼女の作風はどんどん短くなっていきます。
アイヒンガーは今年 94 歳になるのですが、80 歳を超えたころから、やはり短いテキス
トを書いて、自分の人生にフラッシュのように一瞬の光を当てるといったコンセプトで、
いろいろな日常生活のものから連想されてくるものをテキストにしてくるわけです。そこ
の中には彼女が過去に体験したものを現在につなぐといった手法をとっています。
一瞬のフラッシュライトが集まったものが人生であるというとらえ方を彼女はしていま
す。それが、関連性がないというところに結びついてくるのかもしれません。
大事なのは内面的な関連性であって、たとえば若いころ何があったとか、中年のときに
何があったというような時系列なものよりも、むしろ内的なものの関連性のほうが大事だ
というふうに彼女は言っています。
シェアマン 先生、よろしいでしょうか。
質問者2 この映画の中で用いられている手法は、彼女の文学の手法と同じような手法
であるということですね。
質問者3 この映画の中で特に「私の住んでいる所」という小説のところが、映画の冒
頭部分は地下で始まって、そしてまた地下で終わるというかたちで、一つの構造をつくっ
ているわけです。作品そのものはもっと不安を掻き立てるものではないかと思っていたの
ですが、出てきた女優さんが思った以上に非常に平静で、物語の中に出てくるような不安
というものがびっくりするくらい感じられない。女優さんの意思としてそういうふうに演
じたのか、それとも監督さんのほうの演出でそういうふうにしたのか。状況はどんどん沈
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んで悪くなっていくのに対して、平静さというものが非常に気になりました。
ナーゲル この女優さんの表情はすべて演出で、監督の指示によるものです。どういう
ふうにして視線を動かすか、どの角度から表情を撮るかといったことまで、かなり細かく
計算して女優さんには指示を出しました。女優さんはそれに対してかなり苦労して演じて
いました。
もう一つは映画の筋が進むごとに、階が上の場面というのは、比較的短い距離で撮って
います。要するにパースペクティブが非常に狭い状態で撮っていて、それが階が低くなる
ほどカメラを引いて、
パースペクティブが広いかたちで撮るようにというのは考えました。
それは一つの演出として考えたところです。
これは一つには平静さというところとも結びつくのですが、地上階に行けば行くほど、
地面に近くなってくる。そうするとそこに、ある一種の落ち着きというか、そこがおそら
くなぜだろうというふうに見る人にとっては思ったところかもしれませんけれども、ある
種の落ち着きというものが出てきます。そこはかなり意識して演出しました。
カフカの『変身』という話もありましたが、カフカの『変身』の中でも主人公はびっく
りするほど落ち着いて平静な状態です。ああいった作品とも共通性がありますねというお
話ですが、そのとおりです。
質問者4 映画の作品をつくる手法の中に、似たモチーフが繰り返して出てくるという
ことがあって、これはアイヒンガーの作品の中にも出てくるのですが、それを繰り返し使
うことによって、一種のちりばめられたイメージに関連性が出てきているのではないです
か。
たとえばドアのモチーフとか、繰り返しいろいろなところで階段が出てくるとか、あと
鏡がいろいろな場面で出てきます。この鏡や階段というのは、アイヒンガーの作品の中に
も繰り返し出てくるモチーフで、やはりそれを繋いで読んでいくと、一つの関連性が読み
解けるようなモチーフになっています。
アイヒンガーが言葉の世界で文学に書いたものを、この映画の中では視覚的に取り上げ
ているのではないか。それをどこまで意識的に取り上げて関連性を持たせようとしている
のかということです。
もう一つの例として、海のところの断崖絶壁が出てきて、気がつかなかった人も多いか
もしれませんが、よく見ると、断崖絶壁の端っこのところに男の人が立っているシーンが
ある。ウィーンの高層ビルの工事現場の上のところに、やはり男の人が立っている。非常
によく似た場面で、それを見ると自殺のシーンを思い浮かべます。
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あの海の断崖は、実は有名な自殺の名所と呼ばれているところで、ついそれを考えてし
まって一瞬ぞっとしました。どこまでそういったことを意識的に画像の中で取り上げてい
るのですか。
ナーゲル カラーで撮影したウィーンとかロンドンの風景は、特に意識したわけではな
くて、その場に行って、その場にあるものを撮影しているので、意識していないものが多
い。ただ常にアイヒンガーに導かれているという気持ちがあって、ウィーンでも実際にア
イヒンガーに連れていってもらって、一緒に見ていた場面、景気が多いわけです。
ただ、そこに偶然何かがあって、それをその日に撮影するので、偶然の産物が多いです。
ロンドンの一つの通りのシーンのところで、たまたま鏡があって、向かい側の建物が映っ
ているシーンがあります。もともとなかったのに、撮影の日にたまたまそこにあって、た
またま向かいの建物が映っていた。でもそれは編集しているときに、ロンドンは双子の妹
が住んでいるところで、双子の妹ですからアイヒンガーの鏡のようなもので、たまたまそ
こにあったけれども、そこは非常に象徴的なかたちで撮影できました。
アイヒンガーは「鏡物語」という作品を書いていますけれども、鏡というのは、彼女の
作品の中で一つの非常に重要なモチーフになっていて、偶然ですけれども、そういったも
のが撮影できました。あとは撮っていて、現場ではまったく気がつかなかったけれども、
編集をしてつなげてみて、はじめて気がついたこともたくさんあります。
質問者1 先ほどループレヒターさんが、アイヒンガーの「私が住む場所」というオリ
ジナルの物語のほうが、映画に比べてより不安をかきたてるようなものであるとおっしゃ
ったので、それに関連しての質問ですが、私も同じような印象を受けました。
物語が映像化されたナーゲルさんの映画のほうが、ある種の落ち着きというか、そのよ
うなものがあって、その一つの理由は、女性に家族が与えられています。オリジナルの物
語の中ではこの女性は非常に孤独な女性として出てくるので、オリジナルの物語と大きな
違いです。ナーゲルさんはどうして映画の中でこの女性に家族を与えたのか、その理由を
お聞きしたいと思います。
ナーゲル 家族をつくったというのは、まず一つに、彼女は階が下に行くほど孤独にな
っていくわけですが、そこに一種の彼女の中の自立性というものを描きたかったというこ
とです。パートナーがいて、最後は出ていくわけですが、出ていって自分一人になったと
きの、一種の女性としての自立性というものが片方にあります。
あそこで子供を描いたのは、子供はいま現在というものの一つの象徴であって、いま遊
ぼうよとか、朗読していたりとかいうことで、もう一つは希望です。子供がいることで、
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エネルギーをもらえるという要素を物語の中に取り入れたかったので、子供という役、も
ともとないものをあえてつくりました。
アイヒンガーが自分で撮った 8 ミリビデオには彼女の家族が出てきます。夫だったギュ
ンター・アイヒが息子と一緒にバドミントンをしているシーンも出てきますが、この家族
の 8 ミリビデオは、白黒で撮った女性主人公の作品と特に関連づけて作品にしたつもりは
ありません。
シェアマン 時間が結構押してしまいました。聞いて、おもしろくて時間を忘れてしま
いました。最後に一つ質問です。
質問者5
この作品は第二次世界大戦のホロコーストが一つの中心的なテーマになっ
ていて、文明の崩壊とも呼ばれました。その大きな黒い穴のような部分というのは、直接、
映画にはまったく出てこないわけですが、作品のあらゆるところに、それがそれとわかる
ようなかたちでちりばめられているところが素晴らしいと思いました。
たとえばゼーガッセという通りが、カラーフィルムで撮られたものに出てくるのですが、
映像には出てきませんけれども、そこの通りにはユダヤ人墓地があります。あとは作品の
中に、ユダヤ人が強制収容所に送られる前に集められた建物とか通りも出てきて、強制連
行される場面が出てくるわけではないけれども、その記憶をとどめた場所がここで描かれ
ていて、そういったイメージの中に思い描くことができます。だからあまり大きな劇的な
場面を見るわけではなくて、そのショックはないけれども、しっかり考えさせてもらえる
というところが素晴らしいと思いました。
あとはアイヒンガーが自分で撮った映像も含め、自然の中の描写、海とか緑の中がたく
さん出てきていて、大変な時代を乗り越えて生き続けていかなければいけないというもの
が象徴的に描かれていたと思います。
シェアマン 様々な質問があって、本当にありがとうございます。クリスティーネ・ナ
ーゲル監督、通訳の真道杉さん、ありがとうございました。
(拍手)
ご来場ありがとうございました。
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