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恋愛と - 小郡市
恋愛と 縁むすびの神様 織姫と牽牛の愛を見守り続ける「恋人の聖地」と なった七夕神社へ出逢いの旅に出かけてみよう 老松宮 (牽牛社) 「七夕神社」 から宝満川をはさむ対岸に七夕 の故事にちなんで 「牽牛社」 が建立されてい ました。 この牽牛社は、 水害と周辺の圃場整 備のため大正12年に稲吉地区にある老松宮 に移され、 合祀されました。 この老松宮には織女神と相思相愛の「犬飼 神」の木像が祀られています。普段は見るこ とができませんが、 「犬飼神」 は、 高さ41cm、 横幅24.5cmの彩色された人物像で、 牛とと もに立体的に彫られています。 七夕神社は、 地元では親しみを込めて 「たなばたさん」 と呼ばれて ひめこそ いますが、正式名称は「媛社神社」。その歴史は古く、八世紀頃の「肥 前国風土記 (730年頃) 」 にも登場しているほどの古社です。 その七夕神社には、 媛社神 (ひめこそのかみ) と織女神 (しょくじょ しん)が祀られており、織女神は機織りの技術を身に付けた方であ ると言い伝えられています。 古代では、 布を織る仕事が女性にとって 最も重要な仕事であり、 それ故に女性の信仰を集めた神であるとさ れています。 犬飼神 ところで、 織姫と言えば、 牽牛。 中国には 「天の川が地表に流れてき た川」 と伝えられる 「漢水」 があり、 これになぞらえて、 七夕神社の東 側を流れる宝満川の対岸には、 かつて牽牛を祀る神社がありました。 七夕神社の夏祭り 宝満川を天の川に見たて、 織女と牽牛を配する古代人の信仰のロ 七夕神社では毎年8月7日に夏祭りがあり、 当日は全国各地から願いが 込められた約30万枚の短冊が飾り付けられ、 多くの人でにぎわいます。 マンが感じられます。 織女神 風鈴まつり 天体ドーム 毎週土曜日の午後七時 から九時まで、生涯学 習 セ ン ター 内 の 天 体 ドームが一般開放され ています。ドーム内で は、小郡市天文スタッ フによる星や星座につ いての詳しい説明もあ り、星の知識がないと いう人も楽しく星座を 見ることができます。 火渡り 如意輪寺(にょいりんじ) 「かえる寺」 としても有名な如意輪寺は、 風鈴まつりや 火渡りが行われることでも知られています。 また季節 ごとに桜、 紅葉など美しい景色を楽しむことができま す。 紫陽花の咲く6月頃は、 しっとりとした艶やかな美 しさに包まれます。 桜:3月下旬 しゃくなげ:4月 紅葉:11月下旬 紅葉 牽牛の牛の角 をイメージしたモニュメント 夢HANABI 満天の湯 小郡市民まつり 「七夕伝説」 伝統 の 味 お土産にも喜ばれる 小郡のお酒 月の桂 本醸造 七夕さん 牽牛 (吟醸) 織姫 (純米) 織姫の羽衣をイメージした モニュメント アルカリ性単純温泉の完全かけ流 し方式の天然温泉です。和風露天 風呂 「天の川」 と洋風露天風呂 「ムー ンライト」 もお楽しみください。 小郡市には、大小約六十ヶ所のため池があり、か つて冬場には、たくさんの鴨が群れをなし渡ってき ていた。 江戸時代には有馬藩の御用猟場、明治以後も鴨 の狩猟場として保護されてきた歴史があり、皇室に 献上されたこともある、小郡名物の「鴨料理」。味の 贅を、心ゆくまでお楽しみください。 夏の風物詩としてすっかり 市民に親しまれている花 火大会。 毎年メインテーマ を決めて、約8,000発の 色とりどりの花火が打ち 上げられます。 小郡の 偉人 小郡市には、創始者として多くの業績を残した、偉人が ここから生まれました。地元のみならず全国から数多くこ の地に訪れています。地域の歴史と文化を肌で目で耳で、 感じてみませんか? 野田宇太郎 「文学散歩」 の創始者。 明治42年小郡市松崎に生まれた野田宇太郎は、 詩人・編集者・文芸評論家として幅広く活躍した。 ライフワークとなった「文学散歩」シリーズは、近 代文学史上高い評価を得ており、 その語は野田が 創案した。また、藤村記念堂や博物館明治村・北 原白秋生家復元など、 文化遺産の保存にも尽力し た。 高松凌雲 赤十字活動を日本で初めて実践。同愛社 を設立し、 医療に尽力。 七夕にちなんだ お菓子たち 小郡の本鴨料理 一八三八年、小郡市古飯に生まれた凌雲は、二十 三歳の時、医療を志して大阪の適塾に入門。将軍 の奥詰医師としてヨーロッパ、 各国を訪問し、 パリ にも留学したが、幕末の鳥羽、伏見の戦い勃発の ため、 急遽帰国。 幕府軍側にはいたものの、 激戦を 繰り返す箱館で敵味方なく負傷者を治療した。 戦 いが終わり、東京に帰った凌雲は、貧しく治療を 受けられない人々のため、仲間と「同愛社」を設 立。 社会福祉や医療面で功績をあげ、 藍綬褒章を 受章した。 一九一六年、 享年八十歳で没。