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女から男へ - The Nippon Club

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女から男へ - The Nippon Club
女から男へ
中島 孝明
Nakajima, Takaaki
Partner, PricewaterhouseCoopers LLP (PwC)
Essay from Board Member
少々誤解を招きかね
かつ人形が観客から良く見えるように30
初代吉田玉男氏が生前よくコンビを組まれ
ないタイトルなの
センチくらいの舞台下駄を履き、太夫の浄
たのが、昨年惜しまれて引退された、太夫
で、あらかじめ申し
瑠璃に合わせて、首の微妙な角度の違いで、
の竹本住太夫氏で、彼も人間国宝ですが、
上げておきますが、
左遣いと足遣いに、次の動作を指示します。
90歳で引退されるまで68年間活躍され
これからお話するの
もちろん、すべて無言の動作です。
ました。彼はかつてテレビのインタビュー
は文楽の話です。
で、
「太夫として自分で納得できる演技が
さて、その主遣いで有名だったのが吉田
できるようになったのは65歳を過ぎてか
ご存知の通り、文楽は能や狂言、歌舞伎と
玉男氏で、数々の名演技で人間国宝にな
らだった」と仰っておられました。終戦後
並ぶ日本の伝統芸能で、その歴史は古く
り、2006年に87歳で亡くなりました。
22歳で入門してから、自分で納得できる
16世紀半ばに遡りますが、17世紀後半
14歳で文楽の世界に身を投じ、以来73
まで40年以上掛かったことになります。
に大阪の竹本義太夫が、当時たいへん脚光
年にわたり活躍され、最後の最後まで現役
を浴び浄瑠璃を一躍有名にしました。また、
を貫かれました。私は吉田玉男氏の演技を
私たち日本人は、こうした先輩たちが、想
もともとは浄瑠璃と呼ばれていましたが、
観る機会が何度かありましたが、舞台が進
像を絶する苦労と努力の上に築き上げられ
明治に入り文楽座が出来て一般に文楽と呼
むうちに、次第に人形遣いの姿が消えて、
た伝統芸能を身近に楽しむことができま
ばれるようになりました。
無機質であるはずの人形が活き活きと表情
す。時代物の代表作の一つ「仮名手本忠臣
を変え、あるときは笑い、あるときは泣き、
蔵」ですとか、世話物の代表作の一つ「曽
文楽は、太夫、人形遣い、三味線で構成さ
ぐいぐいと物語に引き込まれていくうちに、
根崎心中」などを観ると、現代の日本人に
れます。このうち人形遣いは、ひとつの人
知らず知らずのうちに私自身が人形と一緒
も受け継がれている、義理人情、親子の愛
形を3人で扱います。人形の首(かしら)
に笑い、泣いたことを思い出します。
情、男女の切ない思いなどが人形を通じて、
と胴体、右腕を扱う「主遣い」
、人形の左
ひしひしと伝って来ます。そこには、生身
腕だけを扱う「左遣い」
、それと足をのみ
吉田玉男氏が亡くなって10年近くになり
の人間ではない人形だからこそ、限られた
を扱う「足遣い」で、
この3人のチームワー
ますが、吉田玉男氏の一番弟子である吉田
動作に凝縮された独特の美しい世界があり
クによって人形に命が吹き込まれます。人
玉女(たまめ)氏が、昨年暮れに、初代「吉
ます。そしてその蔭には、太夫と人形遣い
形遣いの世界では、
「足10年、左10年」
田玉男」の名跡を次ぐことになりました。
と三味線の、10年単位のたゆまない努力
という言葉がありますが、まずは「足遣い」
吉田玉女氏は昭和43年、15歳で吉田玉
があるのだと思うと、あらためて文楽が
を10年、続いて「左遣い」を10年経験
男氏に入門、今年で46年目を迎えられま
五百年近くも多くの日本人に愛され、伝承
して、初めて「主遣い」を任されることに
すが、周囲の声に押される形で二代目吉田
されてきたことに頷けるような気がします。
なります。文楽をご覧になったことがある
玉男を襲名されました。そのときのコメン
方はお気づきだと思いますが、3人の人形
トが「女から男になりました」というユー
私は普段オペラやミュージカルを観る機会
遣いのうち、主遣いだけが、観客に顔を見
モラスなものでした。ちなみに彼の後援会
が多いですが、日本出張の際は、文楽を観
せ、あとのふたりは黒子に徹します。
「主
は「成男会(じょうなんかい)
」という名
に行くことを楽しみにしています。
遣い」は、役柄に拠っては数キログラムに
称です。
もなる人形の首と胴体を左手1本で支え、
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