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「私の更年期」 と題して、 多くの会員
於 ・三井 海 上本 社 ビ ル 十士士士士士士士士士士士士士彙士士彙■士士士士士士士士士士士士士士士士士十士士 一九 九 七 年 二月 二十 八 日 ﹁ 更年 期﹂日 ・米 大 井 戸 端 会 議 ″女 の午 後 の生 き方革命 ″ ど の体験談が次 々とあ が った。加えて ﹁ 閉 や動 悸 、 不眠、 生 理不順、 精 神的 不調な れた他 、 更年期特有 の症状 であ る 肩凝 り を みた 子宮筋腫 、貧 血な ど の経 験 が語ら ﹁一升 瓶を 逆さ にし たような 大 量 出血﹂ 振り返 る方 が多く、特 に樋 口代表 からは、 と特 に自党 せず に更年期を 迎え た当時を が語られた。﹁ 今にな って思えばあ の頃が?﹂ プ に分 かれ、 赤裸 々に様 々な 更 年 期体験 前 半 は五 〇代 、 六〇代 の二 つのグ ルー 十士士来 士 来紫来帝 士 士 士士士士 士士士 士 帝 士士士 士* 士士士 士士士 士士 士十 士彙士士 瑯=■一 ♯一 一一 繊鷲瑠一 一哺■一 悧 一 私●翼一年一 潮響 婦帥艶鋭斜聾澪 疇 一一 一静 帥 中 榔 一 ︲ ︲ ︲︲ ︲ ︲ ︲︲ ︲ ︲ ︲ ︰︲ ︰/ ︲ 一 一一計 脂一′在一 計子 ︲/凝絆浄美卜︲ , 霙 ︵ 一 L誓 襲 ﹁ 私 の更 年 期 ﹂ と 題 し て、 多 く の会 員 か ら率 直 な 体 験 が 語 ら れ た 。 年 期 対策 が よ り良 く な って いく の では な 一人 称 体 験 を 積 み重 ね る事 によ って、 更 質問 に挙 手を求 めた が、逆 に ﹁せ いせ い 否定 的 悲 観的な意 識を 持 って いるかと の に語 ら れ、会 場 では実際 に開経 に対し て 経したら女 ではなくなる﹂ ﹁ 寂 し い﹂など と男性 に言わ れた エピ ソード が笑 いと共 いか﹄ と いう 切実 な 思 いで語 る事 か ら 出 した﹂ と いう挙 手 がほとんど。 ま ず 樋 口代 表 よ り 、 ﹃ 更 年 期 に つ いて、 発 し よ う と の挨 拶 。 -1- =… 次 一■ 目 ― 女 の 午後 の生 き方革命 ……… …… …… ……・ 1 男 。老 い を語 る⑮ 桑原敬 ― …… … …・ ……・ 5 :・ グル ー プ 活動報 告・ 佐 賀 ……… … …………・ 6 リレー・エッセイ⑩高見澤たか子 ・…………7 本 の紹 介 。事務 局 だ よ り …… …… … … ……・ 8 ま た、 更 年期症状 の重さ は個 人差 があ とな り、 ﹁ 夫教育を 始 めるのが更 年期﹂と を迎え た妻 に対す る夫 の在 り方 ﹂ が中 心 ト レス︶ があ り、 更 年 期は女 だ け の問題 にも更 年 期 ︵ 性的 能 力 の衰え や 社会 的 ス いう提 言 があ り会 場 内 は拍手喝 采 。 男性 仕事を持ち、忙 しく 日 々を送 るにせよ、 ﹁ れば気 にな らな いと いう程度 のも のでは 更年期を 迎え た者 への周囲 のサ な い﹂、 ﹁ 化さ せる事も重要 だ、 と の意見 があ った。 繋 がり か らより深 い精 神的な繋 が リ ヘ変 一九 フリーライ ターと し て活 躍、 経 て、 年生ま れ。大学を 卒業 後 コレ ット ・ダ ウ リ ングさ んは 一九二 八 、雑 誌 編集者を 本邦初演 の更年 時 間 の惜しまれ る中、﹁ 八 一年 に出版され た ﹃シ ンデ レラ ・コン プ レ ック ス﹄ が ベ スト セラーとな った。 昨年書 か れた ﹃レ ッド ・ホ ット ・ママ﹄ ではな いことを夫 婦 が理解 し合 い、 性 の こと は聞 かな いが、 上司 の言 う ことは聞 期ま つり﹂ は場内 が笑 いと拍手 に包ま れ ポ ート ネ ット が是 非 必要 であ る﹂ と の意 夫 の労 りや優 し さ が感 じ 見も。 さ ら に ﹁ く彼 ら のた め に、中 間管 理職 セ ミナー で な がら第 一部を 終 f し た。 られな い﹂ こと に対 しては、 ﹁ 女房 の言う ﹃ 更年 期を 迎えた妻 への労 り﹄ と いう レ ︵ 高野逸子記︶ では中 高 年 の女性 の危機 を どう乗 り越 え 、 たかと いう 六五人 の体 験談をま とめ 注 目を集 め て いる。 、 こ のた び、総務 庁 の招き で来 日したが 当会 で の特別講演を快諾、黒 のパ ンツスー ツに スラ リとした身 を包 み、壇 上を軽 や か に歩 き 回り、時 には スィ ングしな がら 。 の話 に聴 衆 はす っか り魅 了さ れた 名通 訳 は岡 田悦 子さ ん。 、 ﹁ 私 は 一九八九 年 に五 〇歳 にな り 大き な転機を 迎えました。 ﹁シ ンデ レラ ・コン プ レ ツク ス﹄ に出 てく る男性 と の 一五年 -2- クチ ャーを是 非や ってほし い﹂ と の意 見 が出、会 場 は 一斉 に笑 いの渦。 更年期 後半、 四 〇代 から の質問 では ﹁ ″ ` 写真上・ これか ら の40代 写真中・ 橋渡 しの コーデイネー 夕 ` ・ 体験者 の50∼ 60代 の皆 さん。 ター 写真下 も通 って いた精神 分析 医 にも会 わな く て でき、本当 に気 分が 良くな って、 一五年 さ ん の女性 の友達 が でき、 や りた い事 が な んだ﹂ と感 じま し た が、 そ の間、 たく ま した。 最 初 の 一年 間 は毎 朝 ﹁ 私 は 一人 が育 った そ の大きな家 で私 は 一人 にな り た家 の半分 の権 利を 買 い取 り、 子供 た ち 彼も同意 し てく れま し た。 彼 が持 って い え た いの、 一人 で住 みた い﹂と言 ったら、 にわたる関係 をやめた のです。 ﹁ 人生を変 番 目 には子供 たち の心配 ごと があ りま し 目 は両 親 の病気 と死 に直 面 した こと。 三 私自 身 の更年 期 と いう 身 体 の変化、 二番 問題 を抱え込 んで いた のです。 一つには、 つま り、 私 は こ の五 〇代前 半 に三 つの 間私 は両親 の介護 に明け暮 れ て いました。 気 を 回復 しま した。 そ れ から三、 四年 の て みま し た。 そ の結 果 や っと次 の年 に元 ン療 法 の エスト ログ ンや、抗鬱剤も試 し 私 は、鉄 分 の入 った薬 を 飲 み、 ホ ルモ ことを、表 現 したか った のです。﹂ 女 性 はま だ人 生 が終わ って いな いと いう 元気 発 刺と し て、熟く燃 え て いる大人 の と ができ ると考えたから です。 この題 は、 迎え た女性 の経験を共有 し、助け合 う こ にま と めま し た。 それ によ って更年期を し、 彼女 た ち の経験を 話 し ても ら い、本 各 地 で四〇、五〇代 の女性をイ ンタビ ュー ホ ット ・マ マ﹄を書き ま した。 アメリカ み つあ てみた いと いう動 機 で ﹃レ ッド ・ 私 自身も 更年 期 によ る 心 理的な側 面を あ 、更年期 です ね﹂ と言 って何も し てく 身 体 症状 や社会 的経験 な どを話し合 う 場 ち ょう ど そ の頃、 女性 の間 で更年期 の お 話を 聞き 終 え て、当会 では初登場 の落 第 二部 の コレ ット ・ダ ウ リ ングさ ん の ︵ 木村民子記︶ た。 子供 の 一人 がア ル コー ルで健康 を 損 ねて しま った のです 。 す むよう にな ってきま した。 私 が こう い った変 化を起 こそう と した イ ッチ世代 であ り、両方 の面倒を み つつ、 この よう に、私 たち中 高 年 の女 性 は、 変化 によ るも のな のかは は っき りしま せ ん。私 はそ の後、 夜 眠れなくな り、 のぼ 自 分 の人生を 生き た いと いう共通点 が み 理由 が、更年 期 にさ し かか って いた体 の せ が起 こり、 ひど い貧 血 にな りま し た。 ら れます。 れま せん でし た。 医療 の現場 では更年 期 が増え てきま した。 更年 期 以降 の性的 魅 合 恵 子さん の感想 から、 第 二部 ﹁ 鼎談﹂ 上 と 下 の二 つの世代 にはさ まれた サ ンド し かし、 かか り つけ の産 婦入科 医 は ﹁ あ が個人 に与 え る影響 に対し てま だ中 世 の 力 や経済的な影響も考 えさ せられまし た。 には、 非常 に共通す る問 題 があ る。 た と ﹁日米 の女 性 たち のお かれ て いる状況 が始 ま った。 以 下はそ の要 旨。 時代 のよう に遅 れ て います。 コん 女さ のト ¨¨ く表 熱代 r を -3- 身 体 の変化 の問題 に 代 の女 性は、自 分 の え ば 、 四〇代 、 五 〇 友情を 深 められ るよう にな った。 公こ 性的 関係を 介 さな い男性 と の関係 で 公 こ女友達 と の関係 がより親密 にな った。 2 ︶子供 と の関係 がょくな った。 結果、 次 の三 つの変化 を みた のです。 まれ てはじめ て の 一人暮 らし から学 んだ こと で、 介護を全部 引 き受け てしまう こ います 。 やさし い妻 、 やさし い母 であ る うネ ット ヮーク運動 を、 いま私 は や って の肩を お互 いに貸 しあ いまし ょう よ と い 樋 口恵 子︶ ではな いかとも 思 いま した﹂ ︵ も直 面しな けれ ばな らな いし、 老親 介護 てきた。 でも 、 これ以降 の人生を自 分 が たちは、 これまでたくさん の代償を支払 っ 要 求を第 一に生き てき た私 たち世代 の女 直 面し て いる テー マです 。 周囲 の人 々の 問題もあ る。 これは今 、 ま さ に私 たち が いる か ら 介 護 の問 題 と 子 の自 立 が 進 ん で 一 難暑==一 諄 = h 勝 ﹁ア メ リ カ で は 親 一 す﹂ ︵コレ ット ・ダ ウリ ング︶ 歌す るた め には、 経済 的自 立 は 不 可欠 で ま た、 更年 期 にな って女性 が自 由を 謳 。樋 口 ろう かを確 認した午後 の部 でした﹂ う し て異性 間 のよ い関係 が つく れ る であ ﹁ 女 の午後も、花 の命 はけ っこう 長 い。 、 同 じ性同 士 でよ い関係 を も てなく て ど しまう ことだと私 たち 自身 に問 いかけ て と は、 日本 の介護 の状 況をよ り悪 く し て ﹁ 老 いの問題を 女 た ち の結縁 で、片 側 の問題 、 子供 たち の 輝 いて生 き て いかな け ればならな いこと はな い のか と 思 って -4- 落合 恵 子︶ いかな ければ いけま せ ん﹂ ︵ がわ か った。 私たち が輝く こと が次 の世 中 し て いると コレ ット さん の本 にあ りま した。 女性 の晩 婚化 が進 ん で いて、 子育 ︵ 望月幸代記︶ 生 の再出発 を決 心し て、孫 育 て、 老人介 護 が重な りあ い、 サ 代 表 は、こ の日 の終 わ りを、こう結 ん だ。 た のは、人 から安 心 ンドイ ッチ世代 の娘 たち が介護 を 担 って いた ら 、 と く に娘 に 感 を 与 えられ る ので 介 護 の問 題 が 一極 集 はなく 、自 分 の人生 いる、 と。 介護 に男性を 引き 入れ る こと は、 これ から の必須 条件 です 。 男 性 が真 代 へのプ レゼ ントな のだ と いう ことを、 。 落合 恵子︶ こ の講演 の中 で感しま し た﹂ ︵ ﹁ 私 が五 〇代 で入 を 自 分自身 で生 き て ら女 が母 の老 いを看 と る こと は、 命 の循 人 間 にな るため にも 。 でも、も し かした ことを 証明し た か っ 環 であ り、 人 間性 に つな がる真 の女性性 いかれ る能力 があ る た から。 そし て、生 会員以外の聴衆 も多数 つめかけ、 ぎっしりと満員の会場 三 ﹄原 い敬 「福 岡型福 祉 社 会 」の 実現 に向 けて ⇔桑 いと、 日 々自 分を 戒 めな がら仕事 を し て から敬 わ れるよう にな らな ければな らな う か。 年を とると とも に、 徳を積 み、 人 の完成 に向か って の到達点 ではな いでし ょ ﹁ 老 いる﹂と いう ことは、人 間と し て に不 安 はあ りま せん。 シ ステ ムづく りを 進 め てお り、基盤整備 れた ﹁ 福岡型福 祉社会﹂ の実 現に向け て、 す で に自助、互 助、 公助 の パラ ンスのと とを言 恐 れたから です。ま た、福 岡市 では 性 に介 護責任を 押 し付け る こと にな る こ 000000 0 おりま す 。人生 の経 験を積 み重 ね、酸 い も甘 いも噛 み分け て、 ど んな事 にも 心 が いず れも 地方 の実情を よく 知らな いま ま、 中 央 の役人 が中央 の理論を押 し付 け 乱されず、総 てを包 み込 む大きさを持 つ、 な んと素 晴 らし いこと でし ょう。 る こと への疑間 から です 。 す でに地方 も し かし、 現実 はま だまだ。怒 れ る こと 自 分 で自 分 の事 はやれる程 、 成長し て い ます 。 ﹁ のみ多 い毎 日であ ります。 高齢社会 をよくす る女性 の会﹂ の 私 がな ぜ、 地方 分権 推進委員 とし て、 皆さ ん が、女性 の自立を通 し て、自 ら の こ の九州 からはる ば る東京 ま で年 間六 〇 活動 を 始 められ た のと同 じ です。 回も 出 かけ て、厳 し い意 見を 述 べてき た 0 か。 お かげ で本 省 の役 人 から はだ いぶん 考 え ると、 運動 と いう のは世 の中を 今 よ り よ くす るた め のも のです から、怒 り 呪ま れ ま したよ。 な ぜ、 公的介護保 険構 想 に当 初異論を が原 動 力 にな ります。 そし て、 政治 と は 呈し た か。 こ のとき は、推進派 の人 たち そ の最 た るも のでし ょう。 政治家 が怒 る から、 女 性 の介護 の大 変さを知 らな いと ヽ ﹂と を 忘れ て いては、 そ の務 め はでき な か、 福 岡市 の基 盤 整備 が間 に合 わなく て いのかも知れま せん。 不安 があ るから だ ろう と、 いろ いろ言 わ と いうわけ で、残念な がら、 ﹁ 老 い﹂ へ れ て いた みた いです ね。 の発 展 途上人 と いう のでし ょう か、私 は 私 が現金給付 に反 対 し通 した のは、女 ま だ 若 い。道邊 か の心境 です 。 ◎◎◎ ◎◎ 0 ◎0● ◎ ◎ ◎000 0 000 ◎ ◎ ◎◎◎0 0 0 -5- 男・ 老 い を悟 る① 0◎ ○◎○◎◎◎◎0◎ ◎◎◎◎ 福 岡市長 昭和60年 福 岡市助役 を経 て 昭和61年 福 岡市 長。現 在 3期 目。 地 方分 権 推進委 員会 委 員。 1922年 生 まれ 。東京帝 国大学 法学部 卒 業。 労働 省 入省後 、 官房 長、 労働 事務 次官歴任 、 グ ループ 活 動 報 告 会・ 高齢社会をよくする女性の ﹁ 住 み た い県 日本 を めざ す 佐賀 県 で おし ん﹂ の嫁 いび り で名をあ 古く は ﹁ 吉 野 ケ里﹂ で古 げ、忽 然とあ らわ れた ﹁ 炎 の博 代 の ロマンを かき た て、 昨 年 は ﹁ 覧会 ﹂ で燃え た佐賀 県 に、 高齢 社会を よ くす る女性 の会 が生ま れま し た。佐賀 は ﹂れ からは佐賀 っ 福 岡 の西隣り の県 です。ヽ てど こにあ る の等 と言わ な いで、 お仲 間 に入れ てく ださ い。 平成 七年 十 一月 に開催 さ れ た佐賀 女性 高齢 社会 と女 会議 で のワー ク シ ョップ ﹁ 性﹂ を担当 した人達 が、 企 画 立案 の段 階 で ﹁ 高齢 社会 を よくす る女 性 の会﹂を機 高齢 社会 と女 関紙 で知り、 九 月頃 から ﹁ 性 ﹂ のネ ット ワー クを こ の会 へつなぐ こ とを 考 え、 ア ンケートを と るな どし て準 備を す す め てきま した。 十 二月 に有 志 が集 ま って の準備委員 会 を 結 成。 平成 八年 一月、賛 同 の集 い。 三 七 月 に催した樋 口代 表を 迎え て の講 演 介護 の社会 化 と男女 の共同責 任 ﹂ は 会 ﹁ 発 足 し て間もな い私 ども高齢 社会 を よ く す る女性 の会 ・佐 賀 にと っては初 め て行 う本 年度最大 の行事 で、 手探 り足探 り、 月、″さ が女性ま つり 6 9″への参加 と話題 と 開 催効果 の大 き さ に思 いを 致し てお り 裡 に終え た いま 、更 め て樋 口代 表 の魅 力 準備 段 階から緊 張 し続 け でした が、盛 会 を集 めな がら半 年 を経 て、 四月 二十七 日 ます 。 報生 口 者 。片淵千枝 子 発会 しま した。 お陰様 で当 日加 入を加 え て会員も 百 人 会 員 は地域 で福 祉活動 を し て いる人 、 近く に増加し、 参 加者 名簿 によ り今後 の 子供 たち にこ の 介 さ れ た介護経 験 者 の ﹁ 胸 を突き刺 苦労 は⋮﹂ の声 が、 読者 の ﹁ す﹂ つら い言葉 だ と いう感 想 を 呼 びお こ し、 これを巡 る投 書 が約 一ヵ月 のあ いだ 県内 市 町 の議員 や民生委員 、自 ら の将 来 こ の間、賛 同 の集 いを報 じ る新聞 で紹 読 者欄 を 賑わ し 、 介護 への関 心を深 めま に備 え て の主 婦な ど様 々です が、 上 下 関 係 のな い会 の良 さ と し て、誰も が分 担す し た。 会 員 増 強 にも繋 げ て いけ る こと にな りま し た。 ま た、さ が女 性 ま つり の企画 は講演 と る姿勢 を持 って参 加 し、 手を挙 げ て能 力 こ の会 が日本 一住 みた い県を 目指す 佐 を 発 揮 し、差 し支 え るとき は こだわ りな 賀県 に ﹁ 老 いやす い住 みやす い地域 ﹂を 8歳 のときめき﹄ 寸劇 でしたが、 特 に ﹃8 た行動 力、立 ち 読 みした い本 を 列挙さ れ 拡 げ るため の提 案 、情 報発信す る母体 ヘ の題 で話された 千綿 寿賀 子 元佐 賀女 子短 新 聞 は闘 争 心を か る知 的 好奇 心 の旺盛 、﹁ 成 長 し て いく ことを 願 ってお ります 。 く 他 へゆず って仕事 を進 め て います 。 き た て て読 む﹂ 負 けん気 の愛 らしさ は若 期大 学教授 の、 ことし南極 大 陸 へ行 かれ 者 ? 一同を驚 倒 さ せるも のでした。 -6- _佐 L 賀 リレー ・エツセイ ① 安出 し て ぼ け るた め に ⋮ ⋮ た か子 な扱 いが多 いと聞く。 私 は数 年前 からオ ラ ング の先進的な福 祉 に関 心を も って取材 を続 け てきた が、 オ ラ ンダ では ﹁ 地域外 来精 神保 健施 設﹂ と いう機 関 が、精 神科 医、 臨床 心理士、 精神科専門看護婦、 ソー シ ャル ・ワーカー と いう よう な スタ ッフを 抱え て、高齢者 の精神障 害 の診断 と相 談 に応 し て いる。 これ は、 在 宅型 の精 神保 健 サー ビ スの拠 点となるも ので、患者 の家族を含めたチー け地域 で暮 らすため の支援を行 って いる。 ムで、 ケア ・プ ラ ンを 立 てて、 でき るだ 立春 の日、 友人 のお母さ ん が亡くな っ す かさず 、 ﹁お見 かけ ど う り﹂ と言 って、 た。夕食 後 、急 に具合 が悪くな り、救急 みんなを大笑 いさ せた。夜 にな ると、 ﹁ あ と言うと、﹁ の痴果 症 だ った。 おやまた、 それは天下泰平︱ビ。 ﹁ 最後 の二年間く ら いは大変 だ ったけ ヽ ﹂ う し た ハッピ ーな ぼけ方を 見 ると、 プ ロフィー ル ﹁ 高齢社会をよくす る女性 の会﹂理事、 運営委 員 。評論家 、 ノ ンフィク シ ョン 福祉 の現 場 に出る 日が心待 たれ る。 ば いいと いうわけ ではな いのだ。 日本 で も、 精神 科 医 や心 理学 者 がも っと医療 。 れど、 母 のおかげ で、 私 はた っぷ り楽し ﹁ 癌 で死 ぬよ りは痴 呆 ﹂ と思う が、 し か ませても ら ったから ・oど 、お悔 や みを し、痴 呆 症を 合め、 精 神障害者 の置 かれ 言う私 に、 友人 は笑 って答 え た。 お母さ て いる現状を 見ると 、 や はり安 心 し ては ︵ 次 は野中文江さん にお願 いします。︶ でし た。 いまやわが身 が老 親。 子は去 り、老 猫たちを頼り に生き る日 々です。 当会 に参 加した のは老 親介護 の只中 作家 。 た。娘時 代 に戻 って、 家 族も 忘 れ、 思 い の試 みも 始 ま って いる と は いえ 、 病 院 や は いつも 故 郷 にあ った。 施 設 で の痴 呆症 のケ アは、壁 と ベ ッド だ ん のはけ方 は、まさ に明る いはけ であ っ け る こと は できな い。 グ ループ 。ホー ム たと いう 。 八十六歳 、 ア ル ツ ハイ マー性 な いの﹂ と娘 を気 遣 う 。 ﹁ 私 は独身 です ﹂ グ ループ ・ホー ムも た だ 少人数 で暮 らせ ♂ヽ♂札♂ヽ♂ヽ♂ヽ♂ヽ♂ヽ♂ 車を待 つ間 に、娘 の腕 の中で息を引き取 っ な た、 だ んな さん が帰 って来 る時 間じ ゃ ハ ♂ ヽ ♂ヽ♂ヽ♂ヽまヽ♂ヽ♂ヽ♂ヽ♂ヽ ♂ヽ♂ヽ♂ヽダヽ♂ヽ♂ヽ♂ヽ♂ヽ まヽ♂ヽ 見み 澤鳥 入院 した とき、 回診 にまわ って来 た医 け の独一 房 のような個 室 に隔離 し た り、 や 師が ﹁いか がです か?﹂と声を か けると、 たら に鎮 痛 剤 を使 った りと いう 非人 間的 -7- ■ rた F可 か 坂本龍彦 。生井久美子著 ﹃ 新 聞 記 者 の仕 事 ﹄ ハ五 〇円︶ ︵ 岩波 ジ ュニア新書 エ かた や戦後史 に残 る大事 件 を 次 々に担 当した大 ベテラ ン社会部 記者 、 かたや医 療 ・介護問題 に斬 り込む気鋭 の女性記者。 今年度 最後 の会 報 を お届けします。 二 月例会 は会 場温 れ ん ば かり の参 加者を 迎 え有 意 義 な 一日とな りま した。 金︶ ☆新年度早 々の例会 は四月二十 二 日 ︵ 同 封 チ ラ シ の映 画 と ト ーク の会 です。 他 二人 が、 支局時代 の苦労 から ライ フヮー クま で、 記者 と いう仕事 の意 義 と 面白さ 団体 と共 催 です が、 当会専属 の皆さま が 。 長井照子︶ 六時 ま で です。 ︵ 二月 二十 一日 ︵ 月 ︶ 時 間は十 一時 から十 ☆お でかけく ださ い。 オープ ン ハウ スは に厚く お礼を 申 し上 げます。 収 し て います。 ご協 力く ださ って いる方 ☆ ﹁ 家 族介護者表 彰 調査﹂ の調 査票 を 回 てく ださ い。 り いたします ので、 ご予定 に入れ てお い 催 します 。 共 に詳 し いご案内 は後 日お送 から渋 谷 の東京 ウ ィメ ンズプ ラ ザ にて開 土︶ 午後 一時 ☆定 期 総会 は六 月 十 四 日 ︵ て いま す。 金 ︶夜 に予定 し ☆二 月例 会 は 二十 三 日 ︵ 登壇 します から、 ぜ ひお申 し込 みを。 を体 験 豊富 に語 る スリリ ングな 対談。 著者 の 一人 であ る生井氏 は、 朝 日新聞 政治部 初 の女性 記者 とし て、 当 時 の中曽 根総 理番 を つと め、 現在 は学 芸部 記者。 、小 躍りし、 取材 しな がら、号泣 じ、 ・怒 り テー マや 切り 口 ・文 体など に 日 々悩 み つ つ記事 を 書 いて いく そ の姿 は、 読 む者 に カ ツを 入 れ るほど の迫力 があ る。 現場 に行く。 声をあ げよ う と し ても声 にな らな い人 や、 声 の届かな い人 の思 い を つたえ る。 そし て、 そ こか ら見え てく 福祉小 る医療 やお年寄り の介護 の現状、 ﹁ 国 日本 ﹂ の いま ⋮ ⋮。 女性 記者 が増 え て新聞 の在 り方 が変わ 私 の特 り つつあ る過渡 期 に、生井氏 は ﹁ 2つ 女 性﹄ であ る ことと いう 徴 のひと つが ﹃ 風 に自 然 に思 って のび のびと﹂ 仕事 がし た いと いう。 人 間 とし て の記者 の魅力 に 温れ た、 さわや かな読後感 が残 る本 であ … 8- ﹃ 死と生を見すえ て﹄ ︱娘あず さ への手紙 ︱ 吉武輝子著 ︵ 岩波書 店 一七五 一円︶ 膠原 病 と の間病生活 も 八年。 自 分 では 死を受 け容 れ て生き てき た つも り であ っ た のに、肺 炎 と狭 心症 の発作 で帯広 で倒 れ、な にはともあ れ、 娘 がナ ー スとし て 勤務す る東京 の総合 病 院 の集中 治療室 に 運 び込ま れ てからと いう も の、 死 の恐怖 にお ののき っばなし。 次 な る世代 へ生き た歴史を 伝 え る こと によ って、確 か に生 き たと いう 実感を得 た いと いう 思 いに つ き動 かさ れ て書 いた のが、書簡 形式 のこ の本。 実 は肉体 の病状 が おさま ったら、な ん と、な ん と、極楽 と ん ぼをも って任 じ て いた私 が鬱病 にかか ってしま った のです。 消 え てしま いた いと いう 命 放棄 の誘惑 か ら免れ、 な んとか自 分 で生き られ るよう にな った のは、書く ことが心の癒 しにな っ た からと いう のが医 者 の弁 。 軍神 の母 の働哭や自 ら の レイプ事 件、 国 際婦 人 年 のウー マンリブ運動 の関わ り な ど自 分史 と昭和史 を 重 ね合 わ せた こ の 本 は、 私 の世界平和 への夢 が託さ れ て い る のです。 平和なく し て福 祉な し。高齢 社会 の基 盤 はなんと い っても 平和 でな け れ ば。 ︵ 吉 武 輝 子記︶ 本 の 紹 介 ●