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映画二題 - 徒然中国

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映画二題 - 徒然中国
つ れ づ れ ちゅうごく
徒然 中国
其之弐拾四
映 画 二 題
はらだ おさむ
マイケル・ムーア監督の「キャピタリズム~マネーは踊る~」と山田洋次監
督の「おとうと」を観た。そして万博景気で湧く中国にも思いを馳せた。
わたしはまだムーア監督の作品は、前作の「シッコ」
(この題名は誤解を招く、
わたしも友達に薦められたときはエェと聞き返した)とこの映画の二本しか観
ていない。この「シッコ(sicko)」とは、「狂人」「変人」を意味するスラング
だそうだが、2年前、わたしが最終日の最終回に駆け込んだとき、ミニシネマ
は超満員であった。この映画は、アメリカの医療制度をテーマにドキュメンタ
リータッチで描いたコメディ調のものであった。わたしはこの映画を観るまで、
アメリカが先進国で唯一国民健康保険制度がない国であるとは知らなかった。
映画「キャピタリズム」はこの前作に続くものだが、もっと正確にアメリカ
という国の実態を教えてくれる。
ロックンロールが流れるなか、映画は住宅ローンが払えずに家を強制退去さ
れる人びとを映し出す。それは30年前ムーアの故郷でGMの工場が閉鎖され、
労働者が大量解雇されて、町が廃墟になっていった情景とラップする。しかし、
あのころはまだ、なんだかゆとりがあったように思える。自動車の組立工でも
家が買えて、子供二人を大学にやることが出来た。病気になっても組合の医療
保険でカバーできたが、いまはどうか。
銀行の金利がタダ同然なので老後の蓄えを401Kの投資信託に入れたが、
株価の暴落でパー、サブプライムローンの破綻で家を失い、いまや中産階級で
も子供を大学にやる余裕はなくなっている。
「シッコ」でムーアは、欧米や日本などの医療保険制度をユーモアたっぷり
に調査・紹介しているが、国民健康保険制度がないアメリカでは6人に1人が
民間の医療保険にも入れない低所得の無保険者。また保険に加入していても、
支払いの審査は厳しい。救急隊も政府とは別組織、救急車の派遣(数万円/回)
に保険の適用が事前確認条件とあっては、アメリカでは病気にもなれない、怪
我も出来ない、ということになる。
「9・11」で多くのボランティアが災害救助と復旧に参加したが、その結
果による二次災害の障害・疾病の因果関係審査が厳しくて、自費治療の人が多
1
かった。ムーア監督は全国からアンケート選抜して、十数名をキューバに連れ
て行く。
「シッコ」で紹介されたキューバの医療制度はつぎのようなものである。
「プライマリ・ケアを重視した医療制度を採用し、独特の社会福祉政策と同
様【キューバ・モデル】として有名。医師の数が国民165人当たり一人と世
界一多い。ファミリードクター制を採用し、各地区に配置された医師が地域住
民の健康状態の把握を行っている。家庭医は往診が基本である。被災地への医
師の海外派遣も積極的に行っている」(ウイキペディア)
「シッコ」では厳しい医療現場の指摘をしていても、ムーアはまだユーモラ
スに語る余裕があったが、
「キャピタリズム」ではアメリカの政治そのものに矛
先を向ける。歴代政治家の演説シーンが並ぶ、そうであった、そうだと思うが、
観ているほうは疲れて、ダレル。オバマの大統領選挙で「社会主義者」と非難
する反対派の政治家。国民皆保険の制度実現を目指すオバマに保険会社の代理
人が立ち向かう。
「イエス、ウイ キャン チェンジ」のたたかいは、いまも続
いている。
ムーアは、アメリカの歴史を語り始める。
60年代まで続いたニューディール政策のアメリカは、国民の平等を第一と
する福祉国家であった。世界中があこがれたアメリカン・ドリーム、誰もが豊
かになれるアメリカとは、ある意味、社会主義的な理想でもあった、と。その
ころは累進所得税制が適用されていて、いまのような1%の富裕者が政治を握
り、「XXの戦争」をおこすことはなかった?と。
ムーアはアメリカの独立宣言にふれ、ルーズベルトの「権利章典」を紹介す
る。レーガンの「新自由主義」政策によるいまの「格差社会」との対比として
この「章典」をみると、それはまさに「社会主義」そのものだが、映画として
はもう、疲れる。
エンディングにロック調の「インターナショナル」が流れる。
歌詞はわたしたちが若いころ口にしたものと異なるが、場内が目覚め、ひと
りが手拍子を取りかけて、やめる。ついで、ウッデイ・ガスリーの「イエス・
クリスト」が流れる。♪イエスは金持ちに命じた「あなたの持てる富をすべて
貧しいものに分け与えよ」と だから彼らはイエスを殺したのだ・・・イエス
が町に来ると、彼の言葉を信じる労働者たちは大歓迎した だから銀行家や宗
教家どもはイエスを十字架にかけたのだ・・・・・♪(ジ・エンド)。
観客は疲れたが、目覚めた。映画作りに疲れたムーアは、さて、何をするか。
「家族という厄介な、でも切っても切れない絆の物語」というキャッチフレ
ーズでロングラン公開中の山田洋次監督の映画「おとうと」は、2月20日、
第60回ベルリン国際映画祭のクロージング・フィルムとして上映され、山田
監督に特別功労賞が贈られた。すでに130万の人びとが吉永小百合と鶴瓶の
演じる「おとうと」を観ておられる話題作なので、ストーリーの説明は省略す
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る。
いつもながら山田監督の、時間的シチュエーションを設定した日本の家族の
描き方は鋭く、あたたかい。
イントロで、敗戦後から安保闘争を経て高度成長に向かう日本がニュースな
どで紹介され、バブル景気直前に生まれた娘・小春(叔父鉄郎が名付親)の目
を通して母・吟子と叔父の葛藤を描く。
山田監督はこの映画で、日本のいまを描き、問題点を抉り出す。
わたし(小春)が結婚に失敗したのは、泥酔した叔父が結婚式の披露宴をぶ
ち壊した事だけではない。大病院の優秀な勤務医である夫と日常の会話がない
暮らし。車の免許取得や歯の治療くらいは結婚前にすべきもの、と語る夫。
「箇
条書きに質問を書いてくれたら、いつでも話をしますよ」と平然と母に話す夫。
それにくらべると、母と叔父の関係はなんだろうか。
大阪で、役者稼業を夢見ても、ままならずのその日ぐらし。女からの借金も、
母の薬局の改装資金で償いし、ついに勘当、行方不明。
ハラはたつが、気になる母。
そこへ警察から電話があり、行き倒れて末期のガンで保護されていると。
とるものもとりあえず、母は大阪へ。鉄郎はNPOのホスピスに収容され、
親切な看護を受けていた。病室から見える通天閣(このカットがいい)、世話を
するホスピスの夫婦、そして、医師、入居者。
心温まる光景だ。
延命治療はしない、自分の人生を精一杯生きて、そして、さよなら、する。
鉄郎も次の誕生日に死ぬつもりと語るが、その前日、ホスピスからの電話で母
は再び大阪へ。わたしも幼馴染で大工の亨(とおる)と大阪へ駆けつける(こ
のときの言葉のやりとりがいい)。そして、わかれ・・・。
鶴瓶の演技は、披露宴は地のままでも通るが、臨終場面は七キロ減量とはい
え、まだ元気が良すぎる。吉永はソツなくこなした、といえるか。娘役の蒼井
優と幼馴染役の加藤 亮はぴったりとイキがあっていて好演技。祖母役の加藤
治子など脇役がしっかりと固めて、見ごたえのある映画となった。
NPOホスピス<みどりのいえ>は、山谷の<きぼうのいえ>がモデルにな
っているとのこと、生活保護や公的資金の援助で運営されているとセリフにあ
ったが、どうだろうか。それにしては同例の施設が全国各地にあるとは思えな
いが、これは山田監督のメッセージであろうか。
「格差社会」は、アメリカや日本だけではない。
国民皆保険の定着が遅れている中国では、
「医は算術」のはなしをよく耳にす
る。アメリカでなぜ国民皆保険に反対する市民運動があるのか理解に苦しむが、
欧州などの社会保障の進んでいる国の実態とその税制など、日本の政治家やメ
ディアも、もっと国民に説明する必要があるのではなかろうか。
「おとうと」が描いた“おもいやり”を、じっくりと考えてみたい。
(2010年2月24日 記)
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