Comments
Description
Transcript
437号 4月発行 - 東京慈恵会医科大学同窓会
発 行 所 慈 恵 医 大 同 窓 会 東京 都港区西 新橋 3−25−8 電 話 (3431)6971 編 集 発 行 人 南 雲 今 朝 雄 続 いて 一一〇名 の氏名が読 平成 三年度の入学式は四月 し、 開会が宣せられた。 八日 ︵月︶午前十時より大学 て診療にあたりたいと 思 って は著しい変革を遂げると考え まで森田療法とは対照的な精 ています。わたくしは、これ 示 一、候補者推薦及び立候補締切 平成3年5月8日 ︵水︶午後3時 社団法人東京慈恵会医科大学同窓会の会 長 ・副会長及び評議員の選挙を左記によ り行います 一、日時 平成3年5月18日 ︵土︶ 午後3時 、 一場所 慈大同窓会館 告 第 37回 通 常 総 会 通 知 一、日時 平成3年5月18日 ︵ 土︶ 午後3時 一、場所 慈大同窓会館 一、議事 ①平成2年度 庶務報告 以 上 ②平成2年度 事業報告 ③平成2年度 収支決算報告 ④平成3年度 事業計画 ⑤平成3年度 収支予算 一、会長 ・副会長及び評議員選挙 平成3年4月18日 社団法人東京慈恵会医科大学同窓会の理 事及び監事の選挙を左記により行います 一、日時 平成3年5月25日 ︵土︶ 午後3時 一、場所 慈大同窓会館 一、候補者推薦及び立候補締切 平成3年5月2 2日 ︵水︶午後3時 尚、総会成立の定員数がありますので欠席の方は委任状をご提出下さい。 懇 親 会 総会終了後同窓会館で開きますからぜひご出席下さい。︵ 会費二千円︶ 社団法人 東 東慈 恵会 医 科大 学 同窓会 会 長 八 家 正 俊 てきています。薬理学、睡眠 を生かしながら、時代の流れ 教授を委嘱する ︵ 精神医学講座担当︶ 助教授 天木嘉清 講師 星 順隆 小林建 一 名誉教授の称号を贈る 亀田治男 客員教授を委嘱する 医 薬 品 を通 じみ な さ ま に ご奉 仕 す る ス ズ ケ ン グル ー プ 人間性 への深い理解が必要で こそ ﹁ 病 気を診ずし て病人を あ ると 思 っております。いま 診 よ﹂と いう 言葉が重要な意 味 を以 て私ども に迫 ってくる 生理学教室に留学いたしまし にあ るVanderb大 i学 lの t この言葉を私 のモ ット ーとし 二年間アメリカのテネシー州 時 代ではないかと思います。 教授が就任 戸田 ︵ 第1内科︶牛 島 ︵ 精神医学︶ 天木 ︵ 麻酔科︶三 教授 就任 に あ た って います。 に対して的確な医療を施す た しかし、 一方において患者 たが、そこの生化学教室に本 本年四月 一日より、亀田教 学の創設者の高木兼寛先生の 授の後任として第1内科学教 お写真が飾 ってあ ったのを思 が、このような中で医師はし られますが、若い人達にはこ していける能力の養成に力を 編み出された森田療法は今や 神分析を専攻してきました。 私は 一九七〇年を はさん で 学知識、医療技術 のみならず、 注ぎたいと考えています。 実際の診療にあた っては、医 失いがちになります。しかし、 れを受容し、日常診療に生か ばしば人間とし ての患者を見 い 進歩 を 遂げ つつあ りま す 伝子工学の進歩を背景に医療 ク ト ロニク スの発達などによ が必要であると思います。今 って、医学、医療が目覚まし 後、バイオテクノ ロジー、遺 戸田剛太郎教授略歴 室にまいりました。私の専 門 い出しております。バイオテ めには、優れた医療技術と疾 昭和三十八年東京大学医学 は亀田教授と同じく、消化 器 クノ ロジー、メデ ィカル エレ 患に対する科学的アプ ローチ を 大切 にする ことと、人間性 学医学部第 一内科助教授 国際的な注目を浴びるまでに 異文化との接触が内面的な本 を積極的に行なうことをすす な っていますが、本教室は森 専門課程進学生、在学生さら 阿部学長より入学が許可され 田療法の名とともに歴史の道 め ﹁ 思いやりの心を豊かに育 間国立肥前療養所勤務後再び 九州大学へ、四十九年福岡大 学医学部精神医学教室講師、 助教授、六十三年教授 ︵ 定員 に 二階には新入生の父兄、同 た。新入生を代表し て木村雅 ︵ 全文後掲︶ てよ﹂と学生告 辞を 行な った。 教 授就 任 に しくお 願い致します。 に遅れをとらないバラン スの 研究、てんかん等、生物学的 思います。浅学非才の身では 教授を委嘱する 精神医学はもちろんのこと、 とれた教室作りに励みたいと 質をより成熟させるかたち で 心身医学、リ エゾン精神医学 を歩んできたとい ってもよい 表面化させることは、広く認 ございますが、 一日も早く慈 外︶ 窓生、父兄会関係者等多数出 子君は ﹁ 湾岸戦争をき っかけ 席のもと、晴れやかにまた厳 とし て医療の国際性はますま す高ま っている時、伝統ある でありまし ょう。その間、歴 も盛んです。か っては、精神 恵医大の人間になりきり、本 に贈られる大学のペナントを 代の教授によ って培われた学 め られ ているところです。本 病が中心のわたくしたちの学 外は所謂菜種梅雨であ った 慈恵の学生として恥じない様 教室にとりましても、わたく 橋本朋子君が代表して学長よ しにとりましても、わたくし が講堂内には光が充ちあふれ 精進することを誓う﹂とさわ あ た って 本学の精神医学教室の初代 す 。本院 及び附属病院 の麻酔 ︵麻酔科学講座担当︶ 助教授 石本二見男 問的伝統は、全国的にみても り授与され、最後に恒例の学 特異なものがあります。 ていた。定刻、阿部正和学長 やかに宣誓文を読み上げた。 粛に行なわれた。 牛島定信教授略歴 昭和三十八年九州大学医学 生歌の大合唱があ って入学、 部卒業、虎ノ門病院での実地 定員外︶を委嘱する 学のために最善を 尽くし たい 教授 ︵ を 中心に名取禮二、 徳留 三俊、 なお同君は昨年度に宣誓をし 問領域も、正常者にみら れる と思 っていますので、どうか 酒井敏夫、石川栄世、堀口正 た木村高弘君の妹であり、兄 の在任がより創造的に働くこ ご指導、ご鞭撻 のほどをよ ろ 助教授を委嘱する 就任にあた って、この文化 心身の病までカバーす るよう たくしの使命としたいと思 っ 流れに沿 った研究領域を広げ が多い科であります。御指導 よりよい人 間関係 のある教室 よろしくお願い致します。 を 目 指し た いと 思 って いま 二十 二年になります。このた す。臨床の激務よりくる スト ことになり、その責 任の重さ 研究面 では、従来から行わ す。 を痛感 してお ります 。 近年手術麻酔管理症例は増 れ ている麻酔薬と中枢神経機 大し、又 一件 当りの手術時 間 も増大する傾向にあ ります。 天木嘉清教授略歴 十九年米国 へ留学、 五十 一年 っており、教室 員 一人当りの 管 理症 例は年 間九千例 にもな とりわけ外科 系各科 との接点 牛島定信 討の上承認。 忙しい臨床の合間に麻酔学の 助教授を委嘱する ︵ 埼玉県立循環器 ・呼吸器病 楽しさを若い医局員に教育し 講師 ︵ 但し無給︶ 野田 豊 センター総長 ︵予定︶在職中︶ たいと思 っています。麻酔科 助教授 ︵ 但し派遣中︶を委嘱 五味 誠 客員教授を委嘱する は薬理学 ・生理学に臨床の内 する では近い分野であり、関連科 講師 ︵ 但し無給︶ 山田治男 ︵東京労災病院顧問在職中︶ と の共 同研 究 も考 え てい ま 助教授 ︵ 但し派遣中︶を委嘱 す。又医学の世界での国際化 する 第 16 回 理事会報告 に対応出来るように留学施設 戸田剛太郎 3月28日開催 確保 ・共同研究等 も今後 の大 教授を委嘱する 平成 二年度決算報告及び、 ︵第1内科学講座担当︶ 平成三年度の予算について検 究 ・筋弛緩薬の研究を続け、 能 の 研究 ・吸 入麻 酔 薬の 研 客員教授を委嘱する 講師 、五十八 年米 国 へ留学、 麻 酔管 理症例数 は全 国で 一位 の確保が重要な課題と考 えま 究 を充実させ るにはスタ ッフ きな課題です。 関連科の中で、 な ニーズにこたえ、教育 ・研 派遣、これら各 科よりの膨大 の活動、富士 ・厚木 病院 への になると思われます 。その他 授 ︵ 定 員外 ︶ 、 二年助教授 ペインクリ ニック、ICUで てスタート、今年 で教室開 設 昭和 四十 四年十 一月、初代 あ た って 教授 就任 に 六〇 年助教授 、平成 元年助教 十 二年麻酔科学教室助手、 四 い管理を要求 されつつありま 昭和 四十 一年本学卒業、 四 重症管理例ではストレスの多 ︵東急病院院長在職中︶ 学内掲示4月1日付 森 温理 講師 ︵非常勤︶ 猪口清 一郎 客員教授を委嘱する 客員教授を委嘱する ︵財団法人復光会顧問在職 五十嵐真 中︶ 新井達太 講師 川口良人 客員教授を委嘱する び後任として教室を引き継ぐ レ スから若い教室員を守り、 以上 のよう に、本学の特徴 とを祈 っています。 局へ入局、四十四年から三年 考え方に問題があるとされてい る。この結果親が入学と就職を除 いては、全く子供の教育やしつけ に関与しないことが多い点も見逃 すことはできない。また部活動の 先輩が怠ける事を教え、これに害 れをより発展させることをわ 進学、始業の三式はとどこお 修練後、同大学精神神経科医 へ 晴 各 名 誉教 授 が壇 上 に着席 妹で連続ト ップ合格をはたし 生 教授、森田正馬先生によって 的遺産の重要性を認識し、こ 入 りなく終わ った。 新 新入学の皆様入学おめでとう。 これから生涯にわたり、病める人 のために厳しい勉学を続けて下さ い。 昨年度末に某大学の大量留年問 される学生も少なくないと指摘す る教員もいる。 学校 ・教員側にも改善すべき問 題が無いわけではないが、学校側 題に端を発した留年と大学の在り もう 一つの話題は、ある新設大 方については、新聞 ・テレビさて 学で大量の留年を回避するために は週刊紙までが話題を賑わせてい 取った、選択単位の必修単位への る。 変更である。これに対しては、マ が安易に進級 ・卒業をさせること は将来に悔いを残すことになると 一つはある大学で、卒業予定者 スコミおよび識者の論調は学校側 校生たちへ︶に象徴される、講義 主張したい。 一〇二四名中二五七名にも及ぶ大 に批判的である。 難関を突破された学生諸君の祝 を受ける学生の態度である。最近 量の卒業時留年者を出したことで 我が慈恵医科大学にとっても、 では私語はもとより、全く後ろを の宴はもう終わった。速やかに勉 ある。しかもこの内の 一四八名は この問題を他山の石とせねばなら 向いている学生を講義の際によく 学と心身の鍛錬に精を出し、先輩 一人の教授の単位不認定によると ない。進学課程 ・専門課程をとわ 見かけ、講堂に落ち着きの無いこ の轍を踏まない様に努力しなけれ されている。学生には三回の受験 ず、慈恵医科大学においても毎年 とが多くの教員によ って指摘され ばならない。 機会があり、しかも最終の機会で 一部の学生が、成績不良のために ている。これには学生の中学 ・高 東京慈恵会医科大学は入学する は資料の持込みまで許可したと報 留年の処置を受けている。募集人 校時代の学習態度と、戦後の混乱 のも、卒業するのも難しい大学な 道されている。この単位不認定に 員を減らした上での大量の留年 期に教育を受けた両親のしつけや のである。 ︵ F︶ は、大学の将来にも影をおとしか ねない事態である。この留年の原 因については色々な論議がなされ 対して、学生ならびに父兄から善 ているが、大半の責任は学生側に 処を求める要求書が提出されたと あると論ぜざるをえない。 も言われている。これについての まず問題となるのは ﹃大学へ行 マスコミの論調は学校側の処置に くと、多くは学ぶことをやめる。 賛意を表明している。 大学は人生を満喫し、遊ぶ場とな る。講義は最少限にとる。まこと に学問とは程遠い状況が大学に広 がる。日本の文化はこのように衰 えはじめている。 ﹄︵ 永畑道子:高 加えて、本教室は、時代の にな っている のです。 入学の記念として各新入生 教授および教職員、新入生、 五名、女子 一五名の新入生に を高めるため に部活動と読書 中央講堂において、 名 誉教授 、 み上げられ、起立した男子九 部医学科卒業、三十九年同大 病学、特に肝臓病学です。亀 学医学部第 一内科入局、四十 田教授の築かれました伝統を 三年東京厚生年金病院内科勤 大切にまもるとともに、第 1 務、四十四年東京大学医学部 内科の今後の 一層の発展のた 付属病院助手、四十五年米国 めに微力ながら全力を 尽くし たことになる。 留学、四十九年東京都民生局 たいと思 っております のでよ 阿部学長は人間を診る伝統 指導部主事、五十八年東京大 ろしく お願い いたします。 四月八日入学式挙行 新慈大生一一○名を迎えて 毎 月1回25日 発行 購 読 料 一 部100円 会 費 年 額 6,000円 ( 購 読 料 1,200円 含 ) 小林建 一教授 のもと講座とし 三和化 学研 究所 スズケ ン 論説 医薬品製造販売 株式 会社 医薬品総合商社 株式 会社 第437号 昭 和32年9月12日 ( 第 三種 郵 便物 認 可 ) 聞 新 大 慈 平 成3年4月25日 (1) 入 学 式 告 辞 が若いうちに専門でない領域 し ています。それだけに諸君 結構で、生涯教育について 少しでもお役に立てばと願 っている。どんなことでも る。これからもセンターを 大いに利用していただきた い事と、全国各地で活躍さ れている同窓の先生方に、 慈大新聞に生涯教育に関す る記事を毎号掲載してい 生 涯 教 育 セ ンタ ー だ よ り 小林建 一名誉教授の後任 何 分よろしくお願い申 し上 として本年四月より生涯教 げます。 育センター長を拝命したこ 現在センターはビデ オ八 とは私にとって光栄の至り 百本 、図書二千 二百冊、フ である。本学の同窓生はす ィルムライブラリー九 百を でに 一万名を越え、五千名 保有し、夏季セミナー、毎 以上の同窓が実地医家とし 月の月例セミナー、テレフ て全国各地 で活躍してい ォンサービスなどを行 って る。これら同窓の先生方の いる。登録者数は三百 二十 本日はまた進学式であり、 主管校の年でもあります。私 学生総合体育大会夏季大会の す。とくに本年は東日本医科 ち愛であり、寛容であり、思 げなさい﹂このことがすなわ 人々にもそのとおりにして上 ク ラブ 活 動 と読書 のすす め あるごとに諸君に申し上げて 域 は着 実 に拡 大 し ていき ま ます。 いく つもりでおります。とも かく高木先生の精神を基礎に どうぞ、自分自身のことを 最後に全学生諸君に申し上 わち恕、思いやりということ けないことだ﹂と、これすな の望まないことは人にもしむ す。 いし た い こと な のであ り ま 式に当 って全学生諸君にお願 ク ラブ活動と読書 のすすめに 最近 の膀 胱腫 瘍 の治療 特 に尿路変 向 に ついて 泌尿器科 赤 阪 雄 一郎 膀胱癌は尿路性 れていない。そこで近年こ 器癌中で最も頻度 れらの欠点を克服した腸管 の高い悪性腫瘍で 利用の代用膀胱形成術が試 ある。侵潤度が低 みられており、当教室では 導管の中程に腸重積を作 り、 尿の逆流防止弁とする。 残る肛側40㎝を腸管膜付着 部の対側で縦割し、折り返 く、単発又は数個 回腸を利用して行 ってい 以内であれば、T る。その手術方法は、回盲 UR ︵経尿道式切除術︶で 部より20㎝の所から60 ㎝の 良くコントロールする事が 遊離回腸を作り、その口側 可能である。 一方侵潤度、 の20㎝を導管とする。この 悪性度が高く又多発してい る場合は、化学療法、放射 線が手術と併用される。膀 胱癌は抗癌剤に中等度感受 術を行っているが、いずれ の症例も自分の尿道から自 然排尿しており、入浴等の 性を有しており、教室では して腸蠕動を相殺しかつ形 最近メソトレキセート、シ 状がなるべく球形になる様 スプラチン、ビンブラスチ に縫合する。これにより蠕 ン、アドリアマイシンより 動による尿失禁と、体積・ 成るMVAC療法を行い、 表面積比を大にする事によ り尿再吸収の問題がある程 度解決される。最後に球形 の代用膀胱と尿道断端を端 側吻合する。現在まで五症 例に対してこの代用膀胱手 有効率はほぼ四〇%であ る。ただし化学療法のみで は限界があり、根治的膀胱 全摘術が必要となる症例が ほとんどである。膀胱全摘 術を行えば何らかの形で尿 路変向術が必要で、従来尿 管皮膚瘻術 ︵尿管を皮膚に 集尿具が非常に進歩した が、入浴スポーツをはじめ 大いに患者の生活をスポイ ルするので、これがために ほぼ膀胱全摘症例の10%内 外にしか適応がない点であ る。更に本手術では、尿管 の断端と尿道断端の術中病 理組織検査が必要不可欠 向術であるが、問題点とし ては、内尿道口付近に発生 した腫瘍に対しては、尿道 を残す関係上施行できず、 出す︶や回腸導管術 ︵ 遊離 生活の質の面からも満足さ 回腸を径て尿を出す︶が行 れている。腎孟腎炎の発生 なわれていた。これらはす や酸血症もなく、又重篤な べて外瘻術で、尿が体外に 合併症も経験していない。 たれ流しとなる。近年では この様に理想的な尿路変 膀胱全摘を拒否する患者さ んも少くない。 一方内瘻術はかつて尿管 S字状腸吻合が行なわれた が、腸よりの尿再吸収によ る酸血症や糞尿混在による で、病理医との緊密な連携 腎孟腎炎から腎不全に至る がとれない施設では施行不 ため、体外集尿具の進歩と 可能なことがあげられる。 あいま って現在では顧みら ご商 談 に 、お打 合 せ に 、明 るい 雰 囲気 の レ ス トラ ン 日常 診 療 にスポー ツ医 療 を活 か す ) ■ ん。 これは ﹁ その人の意志の 慈恵の誇るべき伝統は今後 の書籍をなるべく広くお読み 内科︶ 師 酒井紀教授 ︵ 第2 始業式でもあります。進学さ は、この東医体の成功を祈 っ い やり の 心で ある と 思い ま すえて、 一万数百名の数多く 次に新入学生諸君に申し上 新入学生諸君は、勉学に励 の先輩が今日まで営々として げます。 に心をくばることが習慣にな げます。それは ﹁思いやりの 本 日の告辞 で、私 はまず東 いて述 べまし た。﹁ 病 気を診 手 に文化を、左手 にスポー ツ 、 、秋 号9月1日 強さが決定する﹂のでありま す。どうぞ両立させるように 頑張 っていただきたいと思い され て本学に入学を許可され す。また、そうしないと時代 め﹂に ついて申し上げます。 和 たことをいま実感されて、大 に取りのこされることにな っ 私自身は学生時代、専門の医 正 本日ここに関係各位 の御臨 きな喜びをおぼえていること てしまいます。大学には今後 学関係の書物以外の読書をあ 部 席 の下に、平成 三年度 の入学 でありまし ょう。また、今日 も絶対に変えてはならないも 学長 阿 式、進学式および始業式を挙 まで諸君の成長を楽しみに温 のがあると同時に、また時代 まりいたしませんでした。そ も守 っていかなければな りま に なる よ う にお すす めし ま も うひと つ、﹁ 読 書の すす 行 できますことは、まことに のことが人間の巾を広げ得な ます。 大きな喜び であります。 かく見守 ってこられた御父兄 に即応して変えていかなけれ か ったことを今にな って後悔 一一〇名の新入学生諸君ご ばならないものもあることを 入学おめ でとう。諸君の前途 の皆様 にも心よりお祝 い申し 充分に承知して下さい。 に心からの祝福を送ります。 上 げます 。 せんが、時代 の要請を敏感 に す。現在のような映像文化の おめ でとう ございます。 私はまず、諸君が入学され 病気、それも臓器のみに目が 感じとる感性をも った生き生 時代には、ことさら活字に親 むずかしい入学試験を突破 た東京慈恵会医科大学が、ど 奪われて、人間全体を診るこ きとした大学 であり つづける 本 学 の特 長 ういう医科大学であるかを申 とを忘れてしまう傾向が今な ことが 重要 であります。 講 テー マ ﹁ めま い﹂ なた方は、何ごとでも人にし じことが書いてあります。 ﹁あ であります。また聖書にも同 2時∼5 p時 .30 m分 . 司会者 本多芳男教授 開催日 8月24日︵土︶ 第12回慈恵大学夏季セミナー 参加費 無料 セミナールームA 生涯教育の中心となるのが 名で毎月四十名位の同窓が の御意見をお聞かせ下され 生涯教育センターであるこ 訪れ、自己研修を行 ってい ば幸いです。先生方の御来 とを思えば、その責任は非 る。テレフ ォンサービスは 駕を心よりお待ちしており ︵前川喜平︶ 常に重いと言わざるを得な 毎月十件位である。その他 ます。 い。医師は在学中より、卒 業後の方が勉強する期間が 生涯教育 センター月例 セミナー はるかに長い。研修の場と 日 時 5月11日︵土4 ︶時 p.m テ. ー マ ﹁“くすり”と腎 必要な情報を提供するのが 場 所 大学2号館10階 臓﹂ により、自分とは別の世界を ることが重要でし ょう。読書 しん で、﹁考える 力﹂を強 め 身の 医師は、﹁病気 を診ず し 年 に当り、創立当時の原点に 知ることができ、ほかの考え 私 たちは、 いま創立一一○ にしていただきたいと思いま て病人を診よ﹂という建学の 立ち戻 って、そして将来を見 当センターの役目である。 前任者の小林名誉教授ほど 責任を果たせるかどうか不 安であるが、これから全力 を尽くしてその任に当る積 し上げて、諸君の認識を新た お、なしとしません。慈恵出 す。 その上で自分自身を客観 的に りである。同窓の先生方、 方に出合うこともあります。 精神を体して日夜診療に従事 つめ、現在の慈恵を見直すこ みつめることができるように のドクターらしい﹂という評 本学は、申すま でもなく私 立 医科大学であ ります 。創立 し ているの であります。この とがあ ってもいいのではない 者 は高木兼寛先生 という方 で ことが、いかにも ﹁慈恵出身 でし ょうか。 なるのであります 。 価を世の中から受けているこ とを誇りにするような、そう お願いいたします。 進学課程の二年間は高校教 る ことを知 っていただくよう 諸君は慈恵の学生であるこ あります 。この方 の名前を決 ぜ ひとも 、クラブ活動をと し て忘れ てはなりません。い まから一一○年前の明治十 四 と にな ってい るの で あり ま いう東京慈恵会医科大学とし おし て積 極 的 によ き友 を求 め、そし て優 れた書籍を読む 育と本質的に異なるものであ ていただきたい。そのために 年五月 一日、本学は高木先生 す。 建学の精神は、今後も絶対 新入学生諸君をはじめ全学生 勿論、勉強することもきわ れた方々には既に三月十八日 ております。関係の皆さんの あまり考えすぎないようにし よう、 この 二年間の進学課程 の手 によ って つく られ まし め て重要です。それも受け身 の修了式のさいに私の希望を みならず全学生諸君が 一致結 た。先生がどのような思いで、 に変え てはなりませんが、時 の立場で学ぶのではなく、必 申し上げておきました。 束して協力をし、大会を 成功 てもらいたいと思うことは、 要な基本的知識をい つでも自 全学生諸君は、初心に立ち 進 学 式 ・始 業 式 に さ いし て 分から積極的に学びとるため 戻り、心を新たにして、これ 諸君に努力していただきたい に、自学自習の態度をし っか て下さい。そして他人のこと の期間中に努めて下さい。 生観を知るだけではなく、自 りと身につけることです。必 させて下さい。 のであります。これが私の熱 分自身の生き方を考えること 要に応じて自分で調べ、 考え、 からの 一年間を意義あるもの い祈りであり、願いでもあり もできます。ここでいう友人 理解し、判断して問題を自 ら 何を願 って本学を つくられた 代 の変化と要請 に応じ て、教 かに ついては、これから機会 育 ・研究および診療の対象領 とは単に同級生のことだけで す。 慈恵独特の学風を維持し、つ はありません。部活動を とお と し てす ごす よ うに 望み ま 化部のどれかひと つに必ず所 くり上げてきました。その内 むとともに運動部あるいは文 容を 一口で表 現す ること はむ れるもの、それは人間性を高 来、どれだけ役に立 つものか、 えられる﹂ことから ﹁ 自ら学 心﹂を豊かに育てていただき って下さい。このことが入学 るような、そういう人間にな びとる﹂態度 、習慣を身に つ 思 い や り の 心 け るよ う本 日この席 で心 に決 解決する姿勢を身につけてい い豊かなものになるのであり めることであり、体力 ・気力 その価値は測り知れないぐら たいということであります。 ずかしいのであります。し か 属して部活動に励んでいただ して、先輩 ・後輩との交流も された御病人 に対する診療態 を養うことであり、知育 ・徳 め て下さ い。 のことばかり考えずに、他の ただきたいのであります ﹁ 教 度 の中 に、それを見出すこと 育を練りきたえることであり ます。 人たちの立場に立 って行動が 京慈恵 会医科大学 の特長 につ ついて 申し上 げまし た。﹁ 右 し、高木先生が身をも って示 きます。部活動によ って得ら 生れます。このことが遠い将 が できま す。そ れは、﹁病気 ーガン、それ は ﹁ 右手に文化 いる基礎科学に つい て学びま できるように習慣化して下さ に ます。こうして均衡のとれた を、左手にスポー ツを﹂と い す。将来、専門の医学を学ぶ り そのも のを診るのではなく、 人間となることが将来医師に うものであります 。このス ロ ための基礎科学、人文 ・社会 わ 病いに悩む人間を診る﹂とい なるために必要なのでありま お う態度であります。私たちの す。 進学 課程 では医学を支え て 日常の学生生活の中で、自分 大学は、この ﹁ 人間を診る伝 辞と いたします。 での学生生活を諸君自らの努 を﹂というス ローガンをぜ ひ した。 力によ って実り豊かなものと い。それが結果的には自分の して送 って下さい。そのこと また部活動をとおして友人 おぼえて、実 行して下さい。 最後に全学生諸君に ﹁思い ずして病人を診よ﹂の建学の 進学式 ・始 業式に臨んだ諸 幸せとな って戻 ってくるに違 いありません。 どうか東京慈恵 会医科大学 願いした のでありました。 を期待し、か つ祈 って私の告 論語にも書いてあります。 ﹁己れの欲せざる所を人に施 望み、東医体の成功 を祈りま やりの心﹂をい つもも つこと ーガンの下に新入学生諸 君が 科学、さらに外国語の学習を 考力を身 につけ論理を正しく すこ と勿れ﹂、 つま り ﹁ 自分 新入学生諸君には、とくに 今も、また将来も、この精神 を つくることができます。よ 私 の進学課程に対する スロ 統﹂を大切にしてきた大学で あります。こうして ﹁ 病気を 診ずし て病人を診よ﹂という すすめる力を養な っていただ 君には、この 一年を 意義あ る を習慣 にし ていただくようお 精神にも触れました。諸君は クラブ活動と勉 強とは両立 きます。 を決して忘れることなく仕事 大いにクラブ活動 に励ま れる 通じ て、それぞれの学科の特 しないという人も います。私 ものとしてすごされるように ことをおすす めします。 であります。 申 すま でもなく 、 い淋しいものはありません。 は決し てそうだとは 思いませ 診療 メモ をすすめて下さい。 き友をもたない学生生活ぐら 友と語り合い、友と論じ合う ことが建学の精神とな ったの 医療の原点は ﹁ 人間﹂であり 有な考え方を学び、多様な思 ます。このことが見失われ て、 こと によ って、その友人の人 発 行 (予 定 ) 冬 号12月1日 、夏 号6月1日 ■ 春 号3月1日 ● お申 し込 み はお電 話 で 日経BP社 読 者 サ ー ビス セ ンタ ー 〒105 東 京 都 港 区 愛 宕1−6−6 発 行 (春 ・夏 ・秋 ・冬 号 )》 は 年4回 《1991年 ■ 定 価 ・各 号 とも4,300円 (本 体4,175円 A4変 型 判 各 号 とも約170頁 (03)5696−6000 卓 宿 泊 予 約 担 当 小 林 明 美 ・清 水 特典 03−3431−OlO9 ●特 色 :日常 診 療 で 遭 遇 しや す いス ポ ー ツ障 害 を数 多 く紹 介 世 界 的 に定 評 の ある 「フィジシャン& ス ポ ー ツ メデ ィシ ン」誌 と提 携 ●主な内容 春 号 :特集 ・ 血 圧管 理 とスポー ツ 夏 号 : 特 集 ・スポー ツ事故 の初 期 救急 秋 号 :特集 ・ 慢性 肝 炎 とスポー ツ 冬 号 : 特 集 ・骨 とスポー ツ 4冊 同 時 お 申 込 み の 方 に無 料 贈 呈 。ス ポー ツメデ ィシン 関 係 の 便 利 帳 、 「日経 スポ ー ツ メデ ィシン ガイ ド」A5判 、64P。 愛宕山 東 急イ ン 日 経 ス ポ ーツメデ ィシ ン1991 。 「シ ャ ング リ ・ラ」をぜ ひ ご利 用 下 さい (2) 平 成3年4月25日 聞 新 大 慈 ( 第 三種 郵 便物 認 可 ) 第437号 である。私立と 国公立 の比率 営業、歯 科医師、大学教授 ・ 大橋洋綱 ︵ ◎桐蔭学園︶大橋 正嗣 ︵柏陽︶大石芳久 ︵ 富士︶ 助教授、教員が各5名 、弁護 士が2 名その他 である 。 大村愉己 ︵◎東邦大付東邦︶ なお、大学教授 ・助教授5 大坪主税 ︵ ◎藤井︶大浦寛子 根県、徳島県、大分県、宮崎 名の う ち医 科 系は 4名 であ ︵ ◎女子学院︶小澤律子 ︵ ◎ 県が各 一名である。 る。同窓子弟の入学者は16名 恵泉女学園︶斉藤元章 ︵ ◎成 ◆父兄の職業別=父兄の職業 で、 女子入学者は15名である。 城 ︶ 斉 藤 良 太 ︵ 熊 谷 ︶ 坂 本 昌 別では、医師39名、会社員22 也 ︵ 西 ︶ 坂 本 晋 ︵ 東 葛 飾 ︶ 櫻 名、会社社長 ・役員8名、自 井馨 ︵ ◎成蹊︶佐野公司 ︵ 大 泉北︶猿田雅之︵◎慶応︶佐々 木謙 ︵ 岐阜︶佐々木信幸 ︵ ◎ 入 学者 氏名 父 兄歓迎会 行 わ る 四月八日入学式終了後、恒 教学委員長より、各教授陣の 例の父兄歓迎会が同窓会館 紹介が行われ、名取理事長の で、名取理事長、阿部学長を 乾杯の音頭で懇親会に入 っ 始め各教授及び多数の父兄の た。学生会からはカレッジタ 出席を得て行われた。塩塚副 イの宣伝と販売が行われた。 会長司会、岩沢父兄会長の子 最後に新しく就任された岡村 弟入学の祝辞、本学父兄会の 病院長の案内で父兄の学内施 役割と特徴などの話に続い 設見学が行われ散会した。 東京 都 医師 会 医学 研究 賞 を 青木 和博 君 ︵ 昭 49︶が受 賞 慈恵狂一代 三浦 南雲 ︵17 ︶ 長英 吉 和画 昭和五十 一年四月、次男が本学に入学して以来、私の 同窓会 ︵理事 ︶・父兄 会 ︵副会長のち 会長︶ への関係 は 入学式後の父兄会歓迎会で、婦人科出身の小田切千秋 深まる。 氏 ︵ 山梨︶と 一緒になり、 色々と話が弾んだ 中に、﹁ 慈 光寮﹂再建の話が出たが、その後小田原稔君 ︵昭和26 ︶ から、同級の奥脇 君が主治医をし ている富士山麓忍野︵ お しの︶村 ・医王山承天寺の保育園が閉鎖となり、身の振 り方を考えているということを聞き、 ピンと閃いたのが、 ﹁慈光寮再建 ﹂であ った。 早速、大学の富井専任理事に話したところ、大学創立 百周年の記念事業があるから新築は無理だと云われたの で、 一案として大学に保育園の土地を購入してもらい、 父兄会幹事会で承認をとり、小田原君と共に五月末の日 父兄会で建物改造をしたらどうかということにな った。 曜日承天寺を訪れた。東名高速御殿場から北上し、砂走 月 二十 二日、第二〇 一回代議 ︵昭49︶に決定した。去る三 員会で表彰が行われ、賞状な 果、耳鼻科講師の青木和博君 各地区医師会、ならびに五大 らびに賞金が授与 された 。 年行 っている実地医療に役立 学 医 師 会 ︵慶應 ・慈 恵 ・東 つ研究に対し て贈るもので、 大 ・日大 ・日医大︶からの推 業績は ﹁Ig にE よる蠕虫感染 防御に関する研究 ﹂ である。 その成果が各学会等で報告さ れています。本法によると細 菌感染症ばかりでなく免疫機 て忍野村に入 った。古いが仲々し っかりした承天寺で、 口を経て篭坂峠を越え、山中湖から川口湖の方 へ向か っ 能異常症においても特異な知 見が得られていますので、今 自家製の梅湯を振舞われてから相談にかか ったが、檀家 を 図 っています 。また 、教室 職未亡人や土地の人々の経済も考えた結果、工事人や従 是非必要であることを力説し、同意を得るに到 った。住 会に呼ばれたので、医師たる者の人間形成には寮 生活が ご宿 泊 、 ご会 食 、ご宴 会 、 ご婚 礼 、出張 宴 会 の 平 成 三 年 度 入 学 者 の各 種 統 計 富士、である。私立高校20校、 平成三年度の入学者の各種 鎌 倉、筑波大附、 柏 陽、東葛飾、 は63名︵◎36校︶ 対47名︵ 38校 ︶ 会 後さらに、様々な研究分野で 衆が承諾すれば異存はないというので借地権を貸してい 員は日本細菌学会 総会、 同関 業員は全員地元の人を採用することとし、愈々着工に漕 きをお 手 伝 い させ て い た だ きます。折 々 統計は次の通り。 ◆高校卒業 年別=出身高校 卒 都立高校9校、国立高校3校、 浪が49名、二浪が19 名、他が 業年は現役入学者 が39名 、 一 県府市立高校19校から各 一名 3名 である。 ◆出身校別︵ ◎印は私立高校︶ の割合である。 ◎= 成蹊が6 名、続 いて◎海 城、◎ 桐朋が 4名、◎巣鴨 、 ◎桐蔭 学園、 ◎東邦大付東邦、 熊谷 、日比谷 が3名 、2名 の と ころは、◎青山学院、◎麻 布、◎市川、◎慶応、◎秀明、 ◎聖光学院、◎女 子学院、◎ 城北埼 玉、◎濁協、◎早稲田、 平 成 3年 度特 待 生氏 名 九 用ということで始められた非 を解明するために当教室で考 用いられるものと期待されて 東支部総会、ブドウ球菌 研究 ぎ つけたが、まずトイレが全部幼児用であ ったので、こ 何度か通ううちに気心も知れるようになり、檀 家総代 会、日本 細胞生物 学会等 にそ ただくこととなり、 建物は無料 で寄贈して下さるという。 の研 究 成果 を発 表 して いま れを成人用に取りかえることから始まり、今まで無か っ ずつ論文抄読会とデータ検討 す 。さら に、昭和六十 四年か た浴室を新設。屋根を葺きかえ、保育室は 一部板敷きの を作 って保健所の許可を取るという 段取り であ った。 ら はプ ロテイ ンA研究会を主 啓子記︶ 和室に、大部屋を板張りの体育室に、更に食堂と炊事室 ︵ 関 催し ており ま す。 会を行い、常に教室 員の研鑽 います。教室内では毎週 一回 第 二細 菌 学 教 室 貧食細胞によるブドウ球菌の 案された食菌プラーク法は、 プ ロテインAのひとつの応 年 で三十八 回を数 える。受賞 渡辺直煕君小泉賞受賞 鶴崎哲士 ︵長田︶内山幹 ︵ ◎ 濁協︶植田純子 ︵ ◎田園調布 葉雙 ︶栁沼昌也 ︵ 仙台向山︶ 寄生虫学助教授渡辺直煕君 対 して、寄生虫学会の選考の 山田裕紀︵ ◎成蹊︶山岸享︵ 東 学芸大附︶吉田啓 ︵ ◎桐朋︶ は、四月八日開催された日本 も とに授与される もの で、今 波大附︶高橋重裕 ︵◎作新学 院︶高橋朋子 ︵お茶ノ水女子 大附︶武田拓之 ︵ ◎岡山白陵︶ 為貝秀明 ︵◎聖光学院︶豊田 宏︵ 高田︶坪井 一人 ︵ ◎帝京︶ ◆父兄の地区別=父兄の地区 成蹊︶里見嘉昭 ︵ ◎早稲田︶ て、阿部学長の挨拶、理事の 別をみると、東京都が 一番多 父兄会春期総会 佐藤文哉 ︵ ◎成蹊︶佐藤憲 一 紹介、学祖高木兼寛先生に関 く47名、神奈川県13名、埼玉 ◎印は私立高校 院︶木田吉城 ︵◎岩田︶菊地 ︵ 六月八日︵開 土催 ︶ 八王子東︶佐藤幹 ︵宇都宮︶ する吉村昭著 ﹁白い航跡﹂な 県12名、千葉 県9名 、栃木県、 父兄会の定例春期総会は、 隆宏 ︵ ◎聖光学院︶木村文彦 関口直宏 ︵ 鎌倉︶瀬田拓 ︵ 日 どの書籍、ビデオ等の紹介が 静岡県5名、大阪府 、兵庫県、 青木元 ︵ 土後 ︶二時三十分よ ◎海城︶浅香大也 ︵◎城北埼玉︶木村雅子 ︵ 大 比谷︶志田敦男 ︵ 新宿︶塩野 あ った。また進学課程の新津 六月八日︵午 広島県、愛媛県が各2名、宮 ︵ ◎市川︶近沢仁志 ︵ ◎海城︶ 館鳳鳴︶木下陽 ︵ ◎成蹊︶小 裕 ︵ 青山︶下村達也 ︵ 静岡︶ 教学委員長、専門課程の藍沢 り中央講堂において開催。 城県、秋田県、 山形県、新潟県、 江島浩 一郎 ︵ ◎早稲田︶遠藤 林政司︵ ◎海城︶込田英夫︵ 麻 菅原重忠 ︵ ◎東邦大付東邦︶ 岐阜県、愛知県、京都府、島 彰 ︵ ◎東邦大付東邦︶福地修 生︶小森敦史︵◎日大鶴ヶ丘︶ 杉山佳代︵富士︶推津昌司 ︵ 宇 ︵熊谷︶福田久乃 ︵◎青山学 河野優︵戸山︶郡治彦︵宮崎西︶ 都宮東︶須永宏 ︵栃木︶鈴木 院︶福田 一郎 ︵盛岡 一︶船津 児山遊 ︵ 日比谷︶窪田忠夫︵ 東 亮 ︵◎巣鴨︶高田全 ︵ ◎麻布︶ この賞は東京都医師会が毎 薦 候補 者 の中 から 選考 の 結 高城亮︵◎市川︶高橋紀子︵筑 同 窓 会 ・同 門 会 予 告 篤史︵ 浜田︶ 萩原正則︵ ◎桐朋︶ 葛飾︶国東志郎 ︵ ◎麻布︶黒 進学課程 一年 木村雅子 専門課程二年 肥田有紀子 原田仁 ︵広島大附属︶橋本昌 木知子 ︵ 船橋︶前田重孝 ︵ ◎ 山口雅子 村山明子 橋本朋子 野口権 一郎 也︵ ◎成蹊︶橋本朋子 ︵◎桐 武蔵︶前原光治郎 ︵ ◎濁協︶ 進学課程二年 川原結華 専門課程三年 伊東慶悟 朋女子︶林 博 ︵◎巣鴨︶平 丸島秀樹 ︵ 三鷹︶丸山之雄 ︵ 筑 酒井毅 小宮美好 望月雅子 土田大輔 出周 ︵ ◎駒場東邦︶檜山三葉 波 大 附 ︶ 増 田 洋 一 郎 ︵ 柏陽︶ 専門課程 一年 寺島正浩 専門課程四年 銅谷実 豊 子 ︵ ◎横浜共立学園︶細谷工 望 月 一 成 ︵ ◎ 秀 明 ︶ 永 田真 一 泉高峰 三尾寧 須賀万智 山岸弘子 ︵ ◎ 秀 明 ︶ 飯 村 慈 朗 ︵ ◎ 海 城 ︶ ︵ ◎ 桐 朋 ︶ 中川克秀 ︵ ◎滝︶ 入江是明 ︵ 鎌倉︶石井博尚 ︵ ◎ 中川清隆 ︵ 天王寺︶仲條龍太 桐蔭学園︶石井徹仁 ︵ 武蔵︶ 郎︵◎桐蔭学園︶中村陽介︵厚 石山健入 ︵ ◎攻玉社︶石塚康 木︶南波広行 ︵ ◎浦和ルーテ 夫︵ 大田原︶伊東秀記 ︵ ◎京 ル学院︶二宮幸三 ︵◎愛光︶ 昭 黄色ブドウ球菌は近藤教授 時代からの教室の主要な研究 対象であり、その研究領域は 多岐にわた っておりました が、現在はその中のいくつか 当教室では益田教授をはじ 教室の横顔 めとする教室員七名に研究生 等四名を加え、黄色ブドウ球 菌を主たる研究素材として熱 心に研究に取り組んでいま 種々の黄色ブドウ球菌突然変 取り込みに関する研究は、そ これまでに知られている白血 す。 異株の産生するプロテインA の後、プ ロテインAと抗体と 球貧食能測定法と異なり、そ を分離精製し、その免疫学的 を介さないブドウ球菌の取り の貧食の直接的結果を視覚的 機能の解析と共に遺伝子解析 込 み の研 究 へと 発展 しま し にとらえられるという点で特 を行 っています。プロテイン た。これまでにヒラ細胞や繊 色があります。この方法は耳 Aは免疫グロブリンと親和性 維芽細胞、腎臓由来の 一次培 鼻咽喉科、整形外科、小児科 が高いという点から他分野で 養細胞を用いて研究が行われ 学領域でもすでに応用され、 講座制となりました。第二細 子と宿主細胞との相互作用の 菌学教室初代教授には近藤勇 検討をおもに行 っています。 教授が就任され、昭和五十八 分子生物学的解析に関して 年には益田昭吾教授に引き継 は、現在、プロテインAにつ がれて現在に至 っておりま いて検討が進んでいます。 す。 三 一会 ︵ 昭 6︶ 卒 業 60 周 年 ◎桐朋︶野口権 一 吉原理恵 ︵ 都共栄学園︶伊藤順子 ︵ ◎女 丹羽洋二 ︵ ◎青山学院︶良元 寄生虫学会大会で小泉賞を受 賞した。小泉賞は小泉丹博士 子学院︶加畑好章 ︵ ◎巣鴨︶ 郎︵◎城北埼玉︶野呂拓史︵富 和久 ︵ 高津︶ 記 念 ・物 故 者 供 養 及 び 式 典 梶原幹生︵◎慶応︶加藤努︵◎ 士︶岡瑞穂 ︵ の功績を記念し、寄生虫学の 日比谷︶大平寛 物故者供養 式典祝宴 静岡学園︶河石真 ︵◎広島学 典︵熊谷︶ 大櫛哲史︵徳島市立︶ 発展に寄与した優れた業績に 日時 5月25日︵土2 ︶時p.m 日. 時 5月26日︵日11 ︶時 a.m. 細菌学教室は明治四十三年 の病原因子についての分子生 の応用面も広く、分子構造の ています。この現象の検討は 場所 浅草 ・観音堂 場所 ホテルパシフ ィック TEL0267−45−3952 に 開 設 さ れ 、 昭 和 四 十 年 に 二 物 学 的 解 析 、 な ら び に 病 原 因 読経供養 幹事 相澤義雄 ・松村英久 異なるプ ロテインAには今後 同菌のインビボでの病原性発 益々期待されるものがありま 現の機構の解明に役立つもの す。 と思われます。 また、白血球との相互作用 日時 5月15日︵水︶集p 合.m 会費 . 2一 :万 0五0 千円 会場 龍名館 ︵東京駅八重 ︵婦人 一万二千円︶ 洲口より左折鉄鋼会 幹事 鈴木俊雄 渡辺行正 館前︶03−3271−0971 ︵第三病院内科2︶ 神奈川県支部連合会総会 日時 5月25日︵土3 ︶時 p半 .m. ︵内視鏡科︶ 県連会長 今井波吉 横浜支部長 会沢五美 鈴木博昭教授 ﹁消化器内視鏡治療の進 会場 ホテルリ ッチ横浜 2− T1 2 E1 L1 045− 1 歩3︵ 最近の話題︶ ﹂ 会費 一五〇〇〇円 特別講演 ﹁急性肺炎の臨床﹂ 岡野弘教授 (03)3582−0111 無料駐車場完備 東 京 都 港 区 虎 ノ門2−10−4 TEL(03)3504−1111 ホ テル オ ーク ラ 〒100 東 京 都 千代 田 区内幸町1−1−1 お 役 立 てくだ さい。 帝 国 ホテル の 機 会 に 、帝 国 ホ テル の お もてな しを または アシスタントの笹 木 、水 野 谷、栗 原 まで どうぞ お気 軽 に お問 合 せ、ご相 談 ください。 サ ー ビ スで 、あ た た か く心 に 残 るひ とと 卓 辻 東京 慈恵会 医科大 学担 当 セール ス部 遠 山 四 志 一 や 同 窓 会 、ご会 食 な ど。きめ 細 や か な ダイヤ ル イン 3224−6600 (03) セール ス課 慈 恵 医 大担 当 晴 れ の ご 婚 礼 を は じめ、記 念 パ ー ティ ご用 命 を お待 ち申しあげております。 心豊かな ふれあいの舞台。 第437号 ( 第三 種 郵便 物 認 可) 聞 新 大 慈 平 成3年4月25日 (3) 最 近 の 学 内 カ ン フ ァ レ ン ス か ら ︵49 ︶ 月が妥当である。 ③HBIG ・HB ワ ク チ ン投与時期の見直し。 二重染色法を用いたT細胞サ は モノク ローナル抗体による 応←HB ワク チ ンの追 加接 低ないし無反応例に対する対 ①HB ワ クチ ン に対 する られ、この中には稀ではある に感染する例が約 10% に認め る ことは稀 であるが、 一過性 に対する処置←キ ャリアにな キ Vャリ アか ら生 まれ た児 ④HBe 抗 原陰性 のHB ブ セ ットを含めた免疫学的背 ②HB ワク チ ンの ブー ス が劇症肝炎を発症する例もあ 種。 ワクチンに対する応答 の悪さ 景 因子の検討を行 ってきた。 第二十七回学内感染症研究 て いる。この点に関し、我々 認めている。 会が去る十二月二十日︵午 木後 ︶ 五時三十分より同窓会館 一階 で行われた。今回は第 一内科 藤瀬清隆 ・小児科和田紀之両 講師より話題提供があり活発 予 科 の 思 い出 田 ︵昭 6 ︶ 中 強 先生にや っていただいたこ ともありました。私は本科 入学と同時に、海軍の依託 学生になり水泳の練習をや りすぎ虫垂炎になりまし 思います。先生への御礼に、 カステラを送 ってもら った 事を覚えています。その頃 たしか八才位違うすぐの姉 が、よく私の面倒をみてく の事を思い出します。 耳鼻科の神崎昂さんが時 々見舞いに来て下さいまし た。入院していたのはたし か二階の畳の部屋だったと 若くして亡くなられた事を が良いといって、皮膚の切 覚えております。 開は五糎位ありました。今 虫垂炎の手術を高木喜寛 でもこの傷を見る度に、そ た。東京病院の外科の助手 の先生はどなたであ ったか 覚えていませんが、部長の 高木先生が ﹁ 海軍依託生な ら僕がやってやろう﹂とい ってお世話にな ったのでし れたものでした。学生時代 た。手術野は十分に広い方 のなつかしい思い出です。 医 ,研 修 医 ,救 急 専 門 医 の 必 読 書 。 ●B5 頁338 図174 写 真1 1991 定 価7,210円 (税 込 ) 〒300 私どもが予科に入学した 弁当をも ってこないもの で合宿をしたことがありま 茗荷屋" のは昭和二年の四月で、今 は、早く行かないと品切れ した。今もこの " の東京病院のある位置で本 になる事が多いようでし はあるのでしょうか⋮⋮。 夜は時々浦本先生が明暗流 科から道を隔てたところで た。 した。門を入ると左側に売 昭和三、四年頃、各運動 の尺八を聞かせて下さった 部創設の事があって、私は こともあり思い出します。 水泳部に入りました。部長 杉本先生のお宅へも度々お になって下さったのは浦本 じゃました事もありまし 政三郎先生や杉本良 一先生 た。先生は肝臓と十二指腸 で、いろいろ指導して下さ のあたりの病気で手術をし りその夏、浜名湖の茗荷屋 て出血が止まらなくなり、 本 書 は, 米 国 で ほと ん どの 教育 病 院 の 全 科 の 研 修 医 , 指 導 医 ,ICU・ CCUお よび 救 急部 の看 護 婦 に必 須 と さ れ て い るAHAに よ るACLSプ ロ グ ラ ム の テ キ ス ト。 全 て の 臨 床 新井 達太教 授 の 嫁よこせ農家部落の桃の花 白雲のまぶし白木蓮高咲けり 物 故 者 御 氏 名 小野憲太郎 ︵ 昭23 ・千葉︶ 河 石 徹 ︵昭30 ・広島 ︶ 早川兼通 ︵ 昭5 ・埼玉︶ 量 ︵ 昭12 ・福岡︶ 本書 は ,ウ イル ス感 染 症の 臨 床 と 病理 に 関す る 本 邦唯 一 の教 科書 。 ウ イル ス感 染 症検 索 の ため の材 料 採取 の 方法 と検 索の 仕方 ,基 本技 術,疾 患 の概 要 ,ウイ ル スの 特徴 ・ 病理 が詳 細 かつ 平 易 に記 述さ れ て い る。 ●B5 頁262 図62 写真255 原色図36 1991 定価13,390円 ( 税込) 〒300 編 集 American Heart Association 監 訳 福 原 俊 一 ・福 井 次 矢 学長、小柳仁東京女 子医科大 和四十七年より本学に赴任さ を語られた。また、御出席の 慈恵俳壇 学教授の各先生方のご挨拶が れ 、 昭 和 五 十 年 よ り 心 臓 外 科 方 々 に 今 後 の 心 臓 外 科 教 室 へ あ った。岡村哲夫病院長の乾 教 室 の 主 任 教 授 と し て 診 療 、 の ご 指 導 、 ご 協 力 を 望 ま れ た 。 長岡 青柳薫也 海晴れて佐渡よく見ゆる桃の 花 井教授が挨拶され、これまで の教室を エンジンのないト ロ ッコにたとえて、教室員とと もにそれを走らせてきた思い 紹介、および、本年本学が主 信 管校とな って行われる東医体 通 生はバラン スのとれた人間形 に ついて各々の委員が詳細に 生 循環器病センター ︵平成五年 岩国 村井 一露 開院予定︶総長に就任される 予定で、本年四月より県庁準 西風涅 日槃 の満ちてくる島の 備室へ赴任された。 岬 ︵宮沢総介記︶ 竜飛岬はろかや雨の燕飛ぶ 島の両 一と日花菜に降りそそ ぐ に関連した多数の御来賓をお 杯 の 発 声 に よ り 歓 談 に う つ っ 教 育、研究に尽力された。 最後に新井教授御夫妻は御出 迎えして総勢 一七〇名に達し た。 パーテ ィー後半は四名の御 席の皆様それぞれと握手をか た。 新井教授は昭和 二十八年本 来賓の先生方よりご挨拶をい わして見送られた。 堀越助教授の開会の辞に続 学卒業後、東京女子医科大学 ただいた後、教室員より記念 なお、新井教授は埼玉県立 いて、阿部学長は十九年間に の榊原仟教 授に師事され、国 品贈呈を行 った。この後、新 学 わたって多数の心臓手術を手 産人工弁SAM弁の開発、ジ 掛け、今日の心臓外科教室に ャンプグラ フトの研究、A型 まで発展させた新井教授の功 単 心室 の 根治 手 術成 功な ど 績を讃えられた。次いで、浅 数々の業績を挙げられた。昭 野献 一JR東京総合病院院 長、井上正慶応義塾大学名誉 教授、調丞治大分医科大学副 げた。今考えれば随 分ムチ ャ 入学 式 に思 う 成こそが、これから医師をめ 勇 ︵ 昭13 ・静岡︶ 心 臓 病 の 二 次 救 命 処 置 法 東 京 ・文 京 ・本郷 振 替 東 京7−96693 医学書院 ●新刊 編 集 青 山 友 三 ・南 谷 幹 夫 倉田 毅 横 地 千仭 店があ って、奥の方は食堂 る。これらの児 への予防方法 な討論がなされた。要旨は次 を 細胞性 免疫能 の低下による ター接種時期 で料理場と つづいていまし 群 ︵P はH 当i 科g でh はHR Be Is Gを p出 o生 n直 se も のとする報告 も従来 みられ の如くである。 た。ライスカレー ・ハヤシ 法 H2 A6 以 上、ELISA 後 に投 与し、 二 ヶ月のHB 成人のHBワクチンの問 ていたが、我々の検討 では、 以0 上︶で36 ヶ月。 ライス ・まぜ御飯と三種類 ワクチン接種前後の免疫 学的 法C ・I4 はI 省G 略 し て ワ ク チ ンは 題点 群 ︵PHALow 抗R があ って、前 二つは十銭あ 原 He 陽 Bs 性 ep のo 場n 合s とe 同様 第 一内科 藤瀬清隆 諸因子に量的差異はなく 、ワ C との 一つは十五銭でした。 小児のHBワクチンの問 クチン接種後の特異的 な反応 法25以 下、ELISA法 で に二 ・三 ・五 ヶ月に接種し て ・I2∼40 ︶ は18 ∼24 ヶ いる。 性により規定されている可能 題点 御夫妻をはじめ、阿部正和学 小児科 和田紀之 性が示唆された。この規定因 長、岡村哲夫病院長ほか主と 子 と し ては、 特 定 のHLA ︵ 成人の場合︶ して関東地方の胸部外科学会 針事故等によるB型肝炎 タ イプがHB ワク チン の応 を試み、次のような問題点を 児に対 して垂直感染 予防措置 抗 原陽性 の母親から生まれた は現在まで百例以 上のHBe ︵HB︶ウイルスの感染予防 答性に相関するとの最近の報 退 任 記 念 パ ー テ ィー を目的として、医療従事者に 告が注目される。 新井達太教授の退任記念パ テルオークラ桃山の間にて開 対しHBワクチンの接種が ︵小児の場合︶ ーテ ィーが三月 二十九日、ホ 催され た。出席者は新井教授 の母 H子 B間 V感染 はH 広く行われている。このワク キB ャV リ ア成 立 の主 要な チン接種における問題点に関 し、昭和六十二年度より柏病 感染経路 であり、母子感染を 院において行われている集団 防 ぐこ とはHB 肝炎撲 滅に 接種クール時に行い得た検討 最 も重要なこと である。我々 結果に、文献的考察を加え述 べた。HB ワクチンに対し て応答の悪い、無および低反 応者の存在が特に問題とな っ 話 ︵ 141︶ ざすも のたちに、も っとも求 藤村 神奈川︶ 安沢 三武郎 ︵ 昭8 ・ 杉山 小松政男︵昭2 4専 ・山 形︶ ウイルス感染 症 の臨床と病理 ACLSテ 著 Keith D.Dawkins 訳 岩 崎 勤 本 書 は, 心 臓病 診 療 に必 要 な病 態 生 理, 症 状 ・徴 候 ,診 断 , 治療 の 実 際 につ い ての 基 本 を的確 にま と め たマ ニ ュ アル 。 単 に知 識 をま と め て解 説 した とい うの で は な く, 著 者の 見 解 を積 極 的 に表 す よ うに して いる 。 ま た最 新の 知 見 につ い て も吟 味 して取 り入れ て あ る。 ●A5変 型 頁386 図13 1991 定価4,635円 ( 税 込 ) 〒300 本 書 は ,実 際 の解 剖 体 か らの マ ク ロ写 真 ,生 体 観察 , カ ラー シ ェー マの 多 用 を特 色 と し,解 剖 実 習を しの ぐ迫真 力 をも つ 学 生向 け の参 考書 と して好 評 を博 してき た が, 今回 解 剖学 , 診 断学 の 進歩 を 踏 ま え て全 面 改訂 した。 ●A4 頁156 図4 写 真16 原 色 図262 色 図71 1991 定 価4,944円 ( 税込 ) 〒300 れ 四月八日、中央講 堂にお い 説明した。またクラブ単位の 四月十 一日、虎ノ門パスト 歓迎会も行 った。 のこと であるが 、ク ラブ活動 ラルにおいて新入生歓迎会が 寺内尚志 ︵昭43 ・群馬︶ 介 ・クラブ単位の新入生歓迎 るものがあり、在学生ともに 心臓 病診療 マニュアル キスト 解 剖 と 機 能 第3版 カラーアト ラス人 なことをしたと思うが、そ の て平 成 三 年度 入 学式 ・進 学 められる こと であろうと語ら 時は女の子が感謝感激し てく れて得意にな っていた。いい 式 ・始業式が行われた。 例年、入学式に出席させて にはげ むことが 、バランスの れ た。そし て勉強はもちろん 気なものであ った。 診療所生活は忙しい時 もあ とれた人間の形成に役立 つで ひらかれ、本年度新入生のた 会が行われた。本年度入学生 加する見込みであり、大変よ 会は、満開の桜のもと多 嬉んでばかりもいられな いようである。 ★とはいっても、大部分 アメリ力心 臓学会 体 ローン 生化 学 こ ぼ 之 いただくたびに、自分の入学 あろうと。 ろこ ばし いこと である。﹁右 数が出席して和気あいあ ● ウイル ス感染症 の臨床 と病 理 に関 する本邦唯一の 教科書 ●解剖 実習 を しの ぐ迫 真力― 機能 解剖 学的 見地か ら編集 宕 啓 るが、ひまな時に窓から眺め 式において味わ った感激をよ 学長のお話は、い つも医師と 手 に文 化 を左 手 に スポー ツ いの中にも厳しい意見の の学生諸君は、心からの 嬉びをかみしめているも のと思う。この嬉びを後 悔に変えないように、心 して勉学に励んでくれる ●心臓病 診療 の基本 をま とめ たマニ ュア ル ●細 胞か ら分子 までの 広大 な 世界 を一 冊 に 愛 内 槍 ケ岳 診 療 所 の 四 十 年 ︵ その四︶ 木 ︵昭 32 ︶ 愛 宕 こ ぼ れ 話 る山の姿や、雲の移り変 るさ めの 一連の行事はすべて終了 ま は 一日見 て いて もあ きな びおこされ、すがすがしい気 いう職業の重責を私の心にき を﹂という先生のお言葉を反 交換を行いながら編集作 れる様は、 いまだに目に灼き 知 るのである。 今 年、先生 は ﹁ 病 気を診ず 映し てか、 テニス部 ・ラグビ 業はすすめられてい っ 弘︵ 昭7 ・北海道 ︶ 私の診療所の想 い出とし て して病人を診よ﹂という建 学 で新宿を出れば上高地には昼 ざみ つけ、初心に帰れと語り しいことイヤなことは何 一つ 便利になり、朝のJRあずさ はツイテいたというべきか苦 過ぎに着く。車でも診療所勤 の精神 とともに、時代の流 れ ー部など、 スポー ツのクラブ た。 に参加を希望するものが多か ★本号は新入生を迎え ことを念じつつ、ここに本号 小池知典︵昭19 ・神奈川 ︶ なか った。学三の時 だ ったと 務であれば特別に通行証を貰 つづけることのできる感性を をとらえ、時代の流れに乗り った。翌四月九日、学生会役 て、何となく華かな紛囲 を送るものである。 堀内 思うが、夕立後の槍沢で集 団 えるので直接上高地まで入る 訴えられた。脳死 ・臓器移植 員は、進学課程のある国領校 気に包まれたものとなったが 杉 本先 生 の こと など ついている。今を去る 三十数 登山の女子高生が何人も寒さ ことができ、東京から五時間 など、医学の直面する重大な 舎にでかけ、学生会の内容の 論説の内容には考えさせられ ︵学生委員長 杉山 ︶ 年前 、まだ中高年登山者はほ と疲労で動けなくなり助けを ど平らな道を四時間程で槍沢 キ サ ス大 萩野 教 授と 走り 下 位であろう。それからほとん 求めて来たので、同級の現テ ヒ ュッテ へ、翌日は標高差は 諸問題を考慮され てお話にな 入学 式 の あ と、 ク ラ ブ紹 した。 ンバンド下のお花畑 のあたり とんど 見かけなか った時代で り、最後尾は坊主の岩小屋あ あるが 四∼六時間で槍 ヶ岳山 ら れたものと 思う 。そし て先 い。間近に光る夜の星は神秘 持に満たされる。とくに阿部 昭和三十 一年八月十九日、 で、加治 甚吾 先生 ︵昭9︶ 、 たりだ ったが、学生の分際で 荘 に着く。帰りも槍沢を下れ 的でさえある。最近は交通も れあがり絶好の登山日和とな 武 藤晃先生 ︵昭12︶を お供 に ある 。翌日診療所を閉鎖し、 った。杉本良 一先生 ︵当時慈 ゆ っくりと登 って来られる杉 全員 で横尾まで下 った。相変 生まれ て始め ての静注などし ば 一日 で帰京可能である。 回目の編集委員 のほとんどがクラブ活動に参 ★本年度第 一 恵医大生理学教授、 山岳部長、 本先生を見つけ、かくてほぼ らず超 スロー ペー スながら先 前夜までの風雨もカラリと霽 十年おきの四世代が 一つのパ 生は大変楽しげであ った。そ て薄暗くな った登山路をムリ かける 。 の倍位かけてや っと診療所 に 登 山とな った。東京オリ ンピ ックの直前 、先生は慈恵大学 て訪 問 され た 日 のこ とで あ ーテ ィーとな って標準タイム れが多分先生の最後の 三千米 山の会会長︶が診療所を始め 半ばでいらしたと思うが、あ 病院 で十 二指腸潰瘍手術後急 到着した。当 時先生 は五十代 ことを誰 にも増し て気にかけ ヤリ肩 の小屋まで引 っぱりあ る。朝の診療が 一段落したあ と、ドクターの宮本貴文先生 ておられた のだと改めて思い は、お迎えのため槍沢を下 っ の肥満されたお身体をずり上 逝 されたが、槍 ヶ岳診療所の ︵昭22︶と現役山岳部員の私 がら 一歩又 一歩と登 ってゆか ●全て の臨床 医, 研修 医,救 急専 門医, 看護婦 の必 読書 著 J.David Rawn 監 訳 長 野 敬 ・吉 田 賢 右 本 書 は, 従 来 の 類書 にみ な い本格 的な 生 化学 教 科 書。 美 麗 でエ レガ ン トな カ ラー 写 真や 図 をふ ん だ ん に盛 り込み , タ ンパ ク質 やDNAの 二 重 らせ んが コン ピュ ー タグ ラ フ ィ ツク スの 立 体 図 で浮 き あが る, 生き た 生化 学 教 科書 の 決 定版 。 A4変 型 頁1200 図125 色 図805 ● 立 体 写真74 カ ラー 写 真22 モ ノ ク ロ写 真63 1991 定 価16,480円 ( 税 込 ) 〒400 挨 拶 を する 新 井教 授 た。現リ ハ科の米本教授も 一 げるようにして掛声をかけな 緒だ ったように思う。グリー 編集 だよ り (4) 平 成3年4月25日 聞 新 大 慈 ( 第 三種 郵 便 物認 可 ) 第437号