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15 再臨とは 15-1 聖書と黙示録 15-2 再臨とは 15-3 最後の審判

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15 再臨とは 15-1 聖書と黙示録 15-2 再臨とは 15-3 最後の審判
15
再臨とは
15-1 聖書と黙示録
15-2 再臨とは
15-3 最後の審判と新天新地
1
15-1
15-1 聖書と黙示録
1、
聖書の最後の66巻目は、普通はヨハネの黙示録といわれています。記者のヨ
ハネが(ヨハネは福音書の一つを書き、3つの手紙も聖書を構成しています。しかし、
聖書研究家の間では、断定的に正しいとはみとめられていません。しかし、聖書の真
の著者は神とすれば、記者が誰であるかは、さほど問題はありません。
)流刑地パトモス
島で書いたとされていますが、正直、聖書で最も難解な箇所の一つでしょう。
それは、ヨハネ自ら囚人として、刑に服しながら書かねばならなかったという制約から
、通常の文体でなく、黙示文学という特殊な手法をもって書かねばならなかったらと言わ
れています。また、当時ローマ帝国の迫害と弾圧下にあったクリスチャンに対して、勝利
と未来の希望を与えるためのメッセージの内容もふくんでいたので、番人等の警備関係者
に分からないような形式でなければならなかったからだともいわれています。
2、 黙示文学の特徴は、比喩的、抽象的であるのが特徴です。だからわかりにくいのは
当然です。したがって、はじめて聖書を手にされる方が難解と感じられるは当然です。
現に教会でも、この箇所からのメッセージは極めて少ないのです。また、この箇所ほど
キリスト教の教理で論争の多い箇所はないぐらいに、いろいろな見解に分かれています。
たとえば、千年王国について有名な論争がありますが、この箇所の本格的な学習となる
と、やはり、神学校にいかねばならないということになるのでしょうか。しかし、おおよ
そ何がかかれてあるのか、挑戦してみることも、聖書の理解の前進につながるでしょう。
結論的に、この黙示録の内容は、イエスの再臨と御国の到来・新天新地が、確実に実現す
るものということが中心になっています。
この書はヨハネが啓示により与えられた、幻が多く書かれていることも特徴的ですが、
それも抽象的なので、とにかくわかりずらいのです。したがって、これらの幻は、これか
ら歴史的に具体的に起こることを預言したものとみる見方、またはそうでなくでなく、ヨ
ハネが見聞きした霊的真理を、あくまで比喩的、象徴的に現したものと見る見方等いろい
ろありますが、黙示録はイエスの再臨と御国の到来ということが主要テーマであることに
2
はちがいありません。
ヨハネの黙示録の構成
章
内容
1
2・3
表題と挨拶
七つの教会
4・5
天の光景
6
封印が開かれた(封印き)
7
14万4千
8~10
ラッパが吹れる(ラッパ裁き
11
ふたりの証人
12
太陽を着た女
13
海と地からの獣
14
人の子と6人の御使い
15・16
七つの鉢 (鉢の裁き)
17・18
バビロンの末路
19~21
千年期と白い御座・最後の審判
21・22
聖なる都・新天新地
聖 書 ( ヨ ハ ネ の 黙 示 録 を 中 心 と し た ) 預 言
ただし、多くの説に分かれている
1、携挙(けいきょ)
千年王国については論争多し。
2、艱難時代(前期)3年半
3 艱 難 時 代 ( 後 期 ) 3 年 半 4 、 イ エ ス の 再 臨
5、千年王国(千年期)
7、最後の審判
6、サタンの最後の反抗と滅亡
8、救いの計画の完成(新天新地)
3
15-2 再臨とは
1、再臨とはなんでしょうか。イエスは十字架上で死なれ、よみがえり、昇天しました
。そして、やがて、ふたたびこの世に来ることを約束しています。これを、再臨といいま
す。イエスはこう言いました。
「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わた
しは、あなたがたのところに戻って来るのです。」
(ヨハネ14:18)
昇天する前も、イエスはこう言いました。
「あなたがたはこころを騒がしてはなりませ
ん。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんありま
す。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたし
は場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたの場所をそなえたら、また来て
、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるた
めです。」(ヨハネ14:1~3)。
また天使もイエスが昇天した際、
「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、
天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有り様で、またおいでになります。
」(使徒の働き1:11)と告げているからです。イエスがこの地に来ること(再臨と比
較して初臨とか来臨という場合があります。
)は、旧約聖書に約350ほど預言がなされ
ていましたが、その全てが約2000年前に実現しました。これを旧約聖書が成就したと
言うとは既に説明しました。
しかし、旧約聖書だけでなく、新約聖書も含め、この再臨は約1900箇所にも預言さ
れているといわれます。もちろん、この預言は成就していません。しかし、聖書を信じる
すべての人はこの再臨はかならずあると、それが祝福された希望としてまち臨んでいるの
です。
2、では、再臨、すなわち、イエスは何時再度この地にくるかですが、これについては
、聖書に厳しい戒めがあります。それはその時期はいつかはだれにも告げられていないこ
とです。「イエスは言われた。『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知
らなくともよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。』
」
4
(使徒の働き1:7)
その時がいつかだれにも知らないわけですから、間違った情報や間違った個人の思いつ
きや思い込みに惑わされないことです。近年でも、お隣韓国の教会のある牧師が、何年何
月何日にイエスは再臨すると予告し、大騒ぎしましたが、空騒ぎに終わりました。それど
ころか、その教会は潰れてしまい、教会員はすべて離散しました。
日本はキリスト教会・信者の数が絶対的に少ないので、このような騒ぎはありませんが
、人間には絶対わかりえない神のみの計画であることをハッキリさせておきましょう。「
目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないのです。」
(マタイ24:42)しかし、いつであってもいいにように、備えだけが必要だというの
です。なぜなら「主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きを
たてて消えうせ、天の万象はくずれ去り、地と地のいろいろいなわざは焼き尽くされます
。」(第2ペテロ3:10)という、預言もありますから。
3、イエスに対して弟子たちが、お話しください。あなたがこられる時や世の終わりに
は、どんな前兆があるのでしょうとたずねたときに、イエスは弟子たちの質問に対してこ
のようなことが起こるであろうと告げました。
(1)
「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大勢あらわれ
『私こそキリストだ。』といって大勢の人を惑わすでしょう。
」
(2)
「また、戦争のことや戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけてあわてないよう
にしなさい。これらのことは必ず起こることです。しかし、終わりがきたのではありませ
ん。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。し
かし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」
(3)
「そのとき、人々はあなた方を苦しいめに合わせ、殺します。また、わたしの名の
ために、あなた方はすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつ
まずき、互いに裏切り、憎み会います。
」
5
(4)
「また、にせ預言者が多く起こって多くの人々を惑わします。不法がはびこるので
、多くの人たちの愛は冷たくなります。
」
(5)
「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝え
られて、すべての国民にあかしされ、それからおわりの日が来ます。
(マタイ24:4
~14)。
すなわち、
1、大勢のにせキリスト(救世主)がくる。
2、戦争があり戦争のうわさがたえない。
3、世界で飢饉や地震が起こる。
4、クリスチャンへの迫害が起こる。
5、聖書の福音が全世界に宣べ伝えられる。
とのことが、告げられています。このような事くらいなら現にいまでも、世界の各地でお
こっていそうな出来事ですが、それが地球規模で一挙におこると言うのです。イエスは「
まことにあなた方に告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過
ぎ去りません。この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決してほろびること
がありません。」
(マタイ24:34・35)とも告げています。黙示録も6章から18
章まで、地球最後の苦難について預言しています。
4、なにやら空恐ろしげです。しかし、恐ろしいことはないのです。再臨の前の様子が
これ又預言されています。
「主は号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのう
ちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まずはじめによ
みがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲のなかに一挙に
引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、しつまでも主ととも
にいることになります。」
(第1テサロニケ4:16・17)
このような出来事は、聖書を信じる人間の世界のみ希望のもてることかもしれません。
しかし、聖書はハッキリと宣言しています。ここで、「わたしたち」とはもちろんクリス
6
チャンをさすことはいうまでもありませんが、「一挙に雲に引き上げ」られることを、キ
リスト教では携挙(けいきょ)と呼んでいます。
携挙とは、聖書には直接でてこない、キリスト教の独特の用語ですが、イエスの再臨の
前、聖書を信じるクリスチャンが、地上から天へ上げられることをいうのです。古来人間
は空に浮かぶことや空を自由に舞い上がることを夢見てき、飛行機やロケットなど造って
きましたが、そのようなものを利用することなく、空にあげられると言うのです。こうな
ると、聖書を信じない方からすれば、何と荒唐無稽なこと、空想をこえて妄想の世界ので
きごとと失笑、一笑されるかもしれません。が、信じている人がいると言う事実はあきら
かです。それも中途半端な数(億を超えています)でないことも確かです。その中途半端
な数でない人が信じているのです。
かつてパウロはその代表者としてつぎのように述べました。「わたしたちはイエスが死
んで復活されることを信じています。それならば、神もまたそのように、イエスにあって
眠った人々をイエスといっしょに連れてこられるはずです。」
(テサロニケ人への手紙第
1、4:14)そして現に生きているクリスチャンだけでなく、すでに死んでしまってい
るクリスチャンもよみがえり、ともに天に上げられると言うのです。
5、イエスの再臨は突然です。また、地球上のすべての人が見えるかたちで現れるとイ
エス自身が述べています。
「だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、地球は暗くなり、
月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。すると、地上のあらゆ
る種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを
見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御
使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます」
(マタイ24:
29~31)
ヨハネの黙示録にも、描かれています。しかし、最初に指摘したように、比喩的、象徴
的に書かれています。
「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それにのった方(イエスです)は
7
、「忠実または真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その
方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。天にある軍勢は真
っ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民
を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方は
また、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも
、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」(ヨハネ黙示録19:11~16)
6、イエスの再臨にともなって、イエスに反対していたサタンをはじめ反キリストの勢
力も滅亡することが預言されています。これもヨハネの黙示録のなかで、象徴的に述べら
れています。
「また、私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦い
を交えるのを見た。すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによ
って獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっ
しょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたまま投
げ込まれた。」(黙示録19:19~20)
獣と地上の王たちとその軍勢とは、反キリストおよびそれに従う者です。馬に乗った方
とその軍勢とは、イエスおよびそれに従う者です。硫黄の燃えている火池とは文字通り、
地獄です。
サタンの最後もおなじく述べられています。「彼ら(サタン)の数は海辺の砂のようで
ある。彼らは、地上の広い地平に上って来て、聖徒たち(クリスチャン)の陣営と愛され
た都(エルサレム)とを取り囲んだ。すると、天から火が降りて来て、彼らを焼き尽くし
た。そして、彼らを惑わした悪魔(サタン)は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは、
獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」(黙示録20:
7~10)
8
ヨハネの黙示録にある地球の最後の苦難(6章~18章)
(1)封印の裁き
(2)ラッパの裁き
①悪魔的な世界政
①地球の3分の1が
・ 府が成立
火で焼かれる
②戦争が各地でお
・ こる
③地球規模での飢
・ 饉
④4地球人口の4分
・ の1が死ぬ
⑤宗教的大迫害
(3)鉢の裁き
①世界的規模でも悪
性はれもの発生
②海の3分の1が血
のように赤くなる
③川・水源の3分の
1が苦くなる
②海の中の生き物が
全部死ぬ
③川と水の源が血で
赤くなる
④太陽の光が3分の
1になる
④太陽の炎熱でおお
くの人が死ぬ
⑤いなごの大発生
⑤世界的指導者のも
・
と多くの人が死ぬ
⑥大地震の発生太
⑥アジヤ2億の軍隊
・ 陽が暗くなる
で地球3分の1の死
⑥イスラエル・メギ・
ド高原に軍隊集結
・
⑦人類最後の戦争・
・
地球の大変動
9
15-3 最後の審判と新天新地
1、聖書も最後のペ-ジに近づいてきました。最後の審判といわれる舞台です。これも
聖書にでてくる言葉でなく、聖書では「さばき」として表現されているところです。聖書
の神は、正しく聖なる神です。白黒をハッキリさせる神です。創世記で書かれていた、人
間が神から命ぜられた、
「善悪の知識の木から取って食べてはならない」(創世記2:1
7)ことを覚えておられるでしょうか。神のみが、善悪の判断の最終決定者であることを
。そして、神が人間のすべて、過去の行いについて、チェックすると書いています。
2、ヨハネの黙示録は次のように記しています。
「また私は、大きな白い御座と、そこ
に着座しておられる方を見、地も天もその御前から逃げ去って、あたかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そし
て、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書で
あった。
死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行いに応じて
さばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。
そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから死とハデスとは、火の
池に投げ込まれた。これが第2の死である。いのちの書に名をしるされていない者はみな
、この火の池に投げ込まれた。」
(黙示録20:11~15)
大きな白い御座に着座するのはもちろん神です。審判の座です。死んだすべての人は復
活し、神のさばきをうけるのです。その時、いのちの書とは聖書66巻を信じた人の名前
が書かれる記録書です。それに書かれていない人は、第2の死として火の池に投げ込まれ
ると記されています。
これが、最後の審判と言われる状況です。第2の死とは、人は死ねば、これは一度目の
一時的な死で、次に二度目の死は、永遠の死で文字どおり永遠です。肉体は死にますが、
霊は永遠です。永遠に火の池=地獄で過ごすことが描かれています。イエスもこのように
10
言われました。
「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔(サタン)とその使いたち
のために用意された永遠の火にはいれ。
・・・こうしてこの人たちは永遠の刑罰に入り、
正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
3、聖書を信じた人、クリスチャンはこの審判をうけるのでしょうか。答えは「NO」
です。イエスは「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じるならば、永遠の
いのちを持ち、裁きに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
」(ヨハネ5
:24)と言われているからです。聖書66巻のすべてを信じなかった人のみが、この審
判の対象者とするのです。
ここまでくると聖書の一人よがり、独断と仰る方もおられるでしょうし、これまたそれ
ぞれどう判断するか当然自由です。いのちの書に書かれているかどうかが、さばきの座に
つくかどうかの分かれ目と聖書はしているのです。聖書66巻を信じる機会がありながら
、その判断できる自由な立場にありながら、自分勝手な道を選んだ人は、いのちの書には
載っていないのです。それが聖書の預言なのです。曖昧なことはないのです。二者択一、
あれかこれかです。白黒をつける、これが最後の審判です。
4、聖書の最後に描かれているのは新天新地の創造です。聖書は最初、神の天地創造か
ら幕が開かれましたが、最後は神の新しい天地の創造で幕が降ります。新天新地を神の国
といっても、天国といんても同じことです。これは言い換えると、人間の堕落=罪の始ま
りから、罪の解放=救いに至る神の計画の完成です。まことに一大スペクタル、一大パノ
ラマで、神から啓示を受けたヨハネ以外だれも描くことはできないでしょう。
「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私は
また、聖なるエルサレムが、夫のために整えられて、神のみもとに出て、天から下ってき
た。」(黙示録21:1・2)
新天新地の創造は宇宙的規模です。なぜなら、以前の地は過ぎ去り、すなわち現在ある
宇宙のすべてのものがなくなるからです。古来人間はさまざまユ-トピヤの世界を夢見て
きましたが、これほど大きなスケ-ルはありません。現在の宇宙が崩壊消滅したのち、新
11
天新地が創造されるのです。現実の世界として。
5、
「そのとき私は、御座から出るおおきな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕
屋がともにある。神はかれらとともに住み、彼らはその民となる。また、神はご自身が彼
らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかり取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ
、叫び、苦しみもない。なぜなら以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
(黙示
録21:3・4)
人間はいままで、なにを悲しみ、悩み、苦しみ、叫んできたのでしょうか。それが新天
新地ではなくなります。永遠に。だとすると反対に、悩み、苦しみ、叫びがある世界のな
かでこれからも過ごすことを想像するだけでたえられません。それも永遠に。それが地獄
だと聖書は言います。
6、
「そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エル
サレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。都には神の栄光があった。そ
の輝きは高価な宝石に似ており、透き通った壁玉のようであった。」(黙示録21:10
・11)
新しい天地は、新しいエルサレムに出現することが描かれています。神の都、神の栄光
に輝く都エルサレムです。もちろん現在のエルサレムの延長に描くことはできません。し
かし、神の国はなんと素晴らしいものでしょうか。都の輝きは壁玉すなわちダイヤモンド
でかがやいていると言うのです。信じられない光景ですが、神の国=天国はこう言うもの
なのだと、ヨハネを通して神は告げるのです。
7、
「もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊との御座が都にあって、そのしも
べたちは神に仕え、神の顔を仰ぎ見る。またまた、彼らの顔には神の名がついている。も
はや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らはともしびの光も太陽の光もい
らない。彼らは永遠に王である。」(黙示録22:1~5)
夜は絶望と暗黒の象徴でした。それがなくなります。ともしびや太陽の光でなく、神の
栄光の輝きのなかで生活するのです。三位一体の神、父なる神の愛、イエスの恵み、聖霊
12
の交わりのなかで、生活するのです。彼らはとあるのは、聖書に信じて救われた人をさし
ますが、永遠の王とまでされ、これまた永遠の可能性、喜び、のなかで生活するのです。
現在の世界の延長ではけっして想像できないまったく新しい世界=新天新地です。
8、最後に聖書は戒めを書いています。「『これらのことばは、信ずべきものであり、
真実なのです。』
『見よ。私はすぐに来る。この書を堅く守る者は幸いである。』」
「私
は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これに付け加える者が
あれば、この書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを
少しでも取り除く者があれば、神はこの書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その
人の受ける分を取り除かれる。」
(黙示録22:18・19)
これらは、もはや言うまでもないでしょう。聖書は一点一画も人間の手を加えてはいけ
ない、取り去ってはいけないのです。聖書は神が著者なのですから。
9、聖書の最後のことばは、やはり希望に満ちたものです。「これらのことをあかしす
る方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る』ア-メン。主イエスよ。来てくだ
さい。主イエスの恵みがすべての者とともにありますように。ア-メン」(黙示録22:
20・21)
聖書による天国(新天新地)はイエスの再臨と最後の審判後来る
生
(現世)
死
イエスの再臨審判
(中間状態)
(永遠)
天国
天国
神、聖書を信じる人
(パラダイス)
陰府,黄泉(よみ)
神、聖書を信じない人
(新天新地)
地獄
(ゲヘナ)
(ハデス)
無断転載、引用、複写を禁じます。
本書の著作権は、e
本書の著作権は、e-聖書研究会 奥田 昭に属します。
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