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当日配布資料 - 東北学院大学情報処理センター

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当日配布資料 - 東北学院大学情報処理センター
2010 年 4 月 10 日
修士論文構想発表会レジュメ
イギリスの博覧会史における日英博覧会
東北学院大学大学院 文学研究科
ヨーロッパ文化史専攻 博士前期課程 2 年
0991201 秋野 萌
Ⅰ. 論文の概要
Ⅱ. 研究史
Ⅲ. 課題の限定
Ⅳ. 考察方法の明示
Ⅰ.論文の概要
19 世紀末から 20 世紀初頭のイギリスの博覧会史の中での、
日英博覧会の位置付けを考察する。
【日英博覧会の概要】
・期間:1910 年 5 月 14 日~10 月 29 日
・場所:ロンドン(シェファーズブッシュ)
・展示スペース:22,550 ㎡/その他:20,706.0 ㎡の日本庭園
(日本の)出品人数:1126 人/出品点数:約 54700 点
※イギリスの展示物はこれに対し僅かであった
⇒「日本博覧会」
・日本歴史館:日本の歴史をジオラマで紹介
→「最も感服を受けるスペクタクルの一つ」(デイリーグラフィック,1910 年 3 月 24 日)
・東洋館:台湾・韓国・満州に関する展示
→「植民地館」とはしていないが、統括する立場である日本は「東洋」に含まれていない
・政府、省庁出品館:陸海軍・内務省・研究所などの展示
→反日感情の軽減の目的から日露戦争の展示は控えられたと考えられる
・興行―「アットラクション」
:
魔術女水芸・軽業・女剣士・太神楽・角兵衛獅子・独楽廻し・魔術飴細工・美術陶芸器製造家・画工・蒔絵師・
七宝職人・縫箔女工・金銀細工職工・造花女工・桶製造職人・傘製造職工・大同行商飴屋・花売・シンコ細工・
陶器画工・岐阜の鵜飼い・農民・台湾生藩・北海道アイヌ・煎餅焼職工・木彫職工・山雀芸・相撲
→イギリス側(キラルフィー)からの要請・「ランカイ屋」櫛引弓人らの起用
(1)日本大博覧会
日英博覧会以前に、日本国内では日露戦争での勝利記念として万国博覧会が計画されていた
→予算の都合などによって延期・中止
(2)日英博覧会の計画
日本政府(外務省:小村寿太郎)がイギリスの興行師イムレ・キラルフィーの計画に乗る形で博覧会の計画が進む
→1902 年の日英同盟の締結記念としての博覧会へ
a.日本側の目的
欧米列強諸国にとって日本が後進国と認識されていること
黄禍論など、日本に対する蔑視などイメージの悪化
⇒日本に対する「正当な」理解
⇒国内で製造された製品の展示が英国との貿易につながる期待
b.イギリス側の反応
グレイ外相―基本的に政府が金銭的援助をすることはない→補助金の要請を断る
エドワード 7 世―「この国際的博覧会は個人の援助によるものである」
イムレ・キラルフィー―国際博覧会がビジネス上に利益をもたらす可能性
興行師イレム・キラルフィーについて
イムレ・キラルフィー(1845~1919)
キラルフィーはハンガリー出身のユダヤ人である。作曲家であり、ダンサー、振付師、デザイナー、博覧会のプロデ
ューサーや興行師であり、1908 年の英仏博覧会の会長を務めた人物である。アーガイル公爵は彼を「フェスティバル
王」と呼んだという。その名の通り、彼は様々な博覧会を企画、開催している。
「19 世紀末のイギリスで、様々な見世
物興行に関わり、1895 年にはロンドン博覧会会社を設立し、博覧会を商業的な見世物興行として事業化」した人物で
ある。歴史家でキラルフィーの伝記の作者であるバーバラ・バーカーは、彼を「大英帝国の広報エージェント」と呼ん
でいる。後に日英博覧会の開催地となるロンドンの西、シェパーズ・ブッシュに新しい博覧会会場を建設したのはキラ
ルフィーである。この場所が「ホワイト・シティ」と呼ばれるのも、彼が博覧会用に白いヒンズー様式の建物を数多く
建てたためである。キラルフィーは「ヴィクトリア朝、エドワード朝の華々しい「インペリアル」(大英帝国)をテー
マにした博覧会を得意とし」、
「「オリエンタリズム」
(主にインド)のスタイルを好んで」いた。ホッタ・リスター氏は
「彼の博覧会の一つのテーマは「帝国」にあり、そこからイギリスと同盟関係をもつ、東洋の新興帝国日本の博覧会と
いう発想が出たと考えられる」と述べている。
「帝国」をテーマとした展示を売りにしたキラルフィーの博覧会の企画は、日英博覧会に大きく関わっている。アイヌ
人や高山族の展示も「人間の陳列」として、過去にキラルフィーはインド人やセイロン人など様々な人々を展示してき
た。「キラルフィーの『人間の陳列』は、観客の好奇心をひきつけるという営業的動機にもとづいていることは明らか
だが、未開を分類し観察することによって支配を示すという意味があったことも間違いない」
。
(有山)
Ⅱ.研究史
【博覧会に関する研究】
◆ベンヤミン Walter Bendix Schönflies Benjamin
『パサージュ論』
→商品の物神化
◆フーコー Michel Foucault
→「まなざす主体」と「まなざされる他者」という関係・視覚効果に注目
◆ロバート・ライデル Robert Rydell
アメリカの博覧会研究
→万国博覧会における帝国主義や人種差別・社会進化論のイデオロギーへの利用
◆ポール・グリーンハル Paul Greenhalgh
各地の万国博覧会/博覧会の研究
→帝国主義・ナショナリズムの発揚の場としての博覧会
◆J.M.マッケンジー J.M.MacKenzie
大英帝国の文化史研究
→帝国主義の中での博覧会の変容や東洋趣味の展示について研究
⇒19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけての博覧会を帝国の祭典として捉える
植民地の表象・大衆娯楽文化
→アメリカ・フランス・イギリスなど大国中心の研究
→近年では、大衆文化・メディア・ツーリズムなどの側面からの研究も進められている
【日本の博覧会研究】
◆吉田光邦
明治政府の殖産興業政策→産業技術の発展の側面から考察
◆吉見俊哉
海外と日本双方に注目→帝国主義の祭典としての博覧会
◆川本真浩
イギリスの地域博覧会についての研究→ページェント・地域復興・帝国の文化としての博覧
会
【日英博覧会についての研究】
◆アヤコ・ホッタ=リスター Ayako Hotta=Lister
開催までの経緯や日英での反応を詳細に検討
◆アンガス・ロッキャー Angus Rockyer
展示に抱く日英の認識のずれを指摘
◆国雄行
日英の博覧会の評判を紹介。日本での不評に対して、充実したものであったことを指摘
◆有山輝雄
日本人が日英博覧会をどのように見たのかを検討
◆宮武公夫
日英博覧会に展示されたアイヌの研究
◆伊藤真実子
明治政府の博覧会政策の枠組みの中で日英博覧会を検討。日本の展示内容と日英での反応に
注目
◆山路勝彦
日英博覧会の「人間の展示」を中心に、日英博覧会の興行の内容やイギリス側の反応を詳細
に検討
Ⅲ.課題の限定
最近の研究では、近年の博覧会をレジャーや大衆文化の側面から考察する研究も盛んではある
が、日英博覧会は 19 世紀から 20 世紀に開催された博覧会であるため、帝国主義との関連から考
察したいと考えている。しかし、イギリスにおける博覧会の位置付けが 19 世紀から 20 世紀を通
して同じであったとはいいがたい。1851 年の万国博覧会と 19 世紀後半の大小の博覧会は、規模
や内容、開催目的も変化してきているといえる。そのため、19 世紀後半に開催された博覧会の形
態や開催の意図を具体的に知る必要があると考える。
日英博覧会の研究に関しては、まず、イギリスのジャポニズムや日本文化受容の観点から美術
史などの研究が多いことがみてとれる。近年では、政治史や文化史の研究も見られるが、日本側
の史料が多いこともあり全体的に日本側の視点中心の研究が多く、イギリス側からの視点での研
究は不十分であるように思われる。
日英博覧会は民間企業と日本政府の間で行われた万国博覧会などとは異なる特殊な博覧会であ
るといわれている。しかし、その見方はあくまで日本の博覧会史の側面、あるいは万国博覧会と
いう大規模な国際博覧会の中での特殊性であり、イギリスの博覧会史の中で日英博覧会を見たと
き、果たして特殊であったといえるのであろうか。
また、
「イギリス政府の関与はない」ということが、当時の日本政府や知識人の間では不平等で
あるという意識を生み出し、結果的に博覧会が日本政府の思惑とは異なる結果に終わったために
「失敗であった」という評価へと繋がった。2009 年放送された NHK の「Japan デビュー」でも問
題になっている「人間の展示」
(人間動物園)も、博覧会の開催が民営化したために見世物興行色
の強いものになったという批判がある。最近の日本側から見た日英博覧会の研究も、民間企業あ
るいはキラルフィーの存在が日英博覧会をこうした見世物興行へと変化させてしまったという見
方が中心である。しかし、これらはあくまで日本史の視点である。キラルフィーと博覧会の娯楽
化・
「人間の展示」などの傾向について考えるのであれば、開催地であるイギリスの博覧会の傾向
を見る必要があるのではないか。
更に、民間企業による開催という形態自体が、どこまでのものであったのかということも疑問
である。そして、キラルフィーが単なる一見世物興行師であったとは考えにくい。日本史側ある
いは従来の研究において、キラルフィーは政治的な関心はなく、利益のためにオリエンタリズム
様式の展示や帝国主義的展示を利用したというのが一般的であった。しかし、キラルフィーは政
治的な関わりを否定しながらも、実際には British Empire League など、保守派・帝国主義者の
有力な人物と関わりがあった。
博覧会に訪れる人々の階層が広まったことが原因で、入場者を確保するために徐々に会場は郊
外に移動し、遊園地のような娯楽施設の形になったといわれている 1 。また、内容も、テーマ別・
国別の内容になった。また、露骨な帝国主義的な展示が行われるようになった。1887 年からイギ
リスの博覧会は民間会社に委託される 。
こうした帝国主義的な展示が求められる一方、民間へ委託される博覧会というものを詳細を考
える必要があると考える。
以上のことから、今後、博覧会の変化の流れと、背後にある帝国主義化の流れから博覧会の民
間委託及びキラルフィーを捉えなおすことで、イギリスの博覧会史の中の日英博覧会を考えてい
きたいと思う。
Ⅳ.考察方法の明示
【使用する史料・文献】
1
当時のイギリスにおける博覧会の傾向。
1851 年に第一回万国博覧会が開催されて以来、イギリスでは数多くの博覧会が開催されてきた。その数は、1871 年から
1914 年の間で約 30 回といわれている。初期の博覧会は、イギリス(大英帝国)の産業・工業・文化などを自国と他国に見
せるという教育的側面が強かった。
しかし、世紀末から徐々に博覧会の傾向は変化してくる。
a.会場の郊外への移動
b.特定のジャンルをテーマとした博覧会・国別のテーマ
c.87 年以降、民間の企業化による主催
→教育性よりも娯楽に比重
⇒娯楽の傾向(奇抜な見世物・遊具施設・レジャー)
⇒帝国主義的な意識を露骨な仕方で表明
「産業展示の場から大英帝国のイメージを見世物的な祝祭気分の中で幻想化していく装置」としての博覧会
例:人間の展示
反抗的であった植民地の原住民が、従順な存在に変わったことが強調
→帝国の支配が自然で正当であるかのように見せる効果
キラルフィーによる展示への操作
⇒こうした傾向が強い時期に日英博覧会が行われたことも、イギリスの人々の見方に影響しているのではないか。
日英博覧会を日本側の視点から捉える従来の研究から見るだけでは不十分なのではないかと考え
る。19 世紀後半から 20 世紀のイギリス博覧会史の実態を探らなければ、日英博覧会の歴史的位
置付けは難しい。そのため、日英博覧会の詳しい内容や日本側の視点においては従来の研究を参
考にしながら、イギリスの博覧会史及び 19 世紀末から 20 世紀初頭の博覧会と British Empire
League や帝国主義との関わりを中心に見ていきたい。特に、川本真浩、ポール・グリーンハル、
J.M.マッケンジーの研究は、帝国の文化と博覧会についての関係を知る上で重要である。
一次史料:
● 英国議会史料
● オフィシャル・レポート
従来の研究論文に加え、日英博覧会がイギリスでどのように扱われたのか、英国議会史料を中心
に検討。また、開催に関するイギリス側の動きにも注目。
参考文献(今後使用する文献も含む)
日英博覧会を直接扱った文献
Lockyer, Angus “The Note of Orientalism”, London 1910,“Japan at the exhibition,
1867-1970”
Hotta-Lister,Ayako “The Japan-British Exhibition of 1910: gateway to the Island Empire
of the East” Richmond:Japan Library,1999.
Mutsu, Hirokichi (EDT) "The British Press and the Japan-British Exhibition of 1910" Curzon
Pr .2003.
"Japan-British Exhibition, 1910 Shepherd's Bush, London: Fine Arts Catalogue. Part
I.-British Section. Part II.-Japanese Section" Elibron Classics; Elibron Classics edition.
2009.
有山輝雄『海外観光旅行の誕生』吉川弘文館、2002 年。
伊藤真実子『明治日本と万国博覧会』吉川弘文館、2008 年。
河村一夫「明治四三年開催の日英博覧会について」(上)
『政治経済史学』181 号、1981 年 6 月、
28-38 頁。
河村一夫「明治四三年開催の日英博覧会について」(中)
『政治経済史学』186 号、1981 年 11 月
32-43 頁。
河村一夫「明治四三年開催の日英博覧会について」
(下)
『政治経済史学』190 号、1982 年 3 月 18-26
頁。
国雄行「1910 年日英博覧会について」
『神奈川県立博物館研究報告人文科学』 (22) 1996 年、65-80
頁。
ニッシュ,イアン(編)
『英国と日本-日英交流人物伝』博文館新社、2002 年。
宮武公夫「黄色い仮面のオイディプス―アイヌと日英博覧会―」北海道大学研究科紀要、115、2005
年 2 月。
吉見俊哉『博覧会の政治学』中央公論社、1992 年。
一次史料
British Parliamentary Papers
Official Report of the Japan British Exhibitio1910, Commission of the Japan British
Exhibition 1911, London: Unwin Brothers Ltd.
”The Economist” London: Economist Newspaper Prelim. Aug. 1843“THE TIMES” THE TIMES Digital Archive .1785-1985.
塚本靖「日英博覽會々場雜觀」『建築雑誌』25(289)、1911 年 1 月 25 日、5a-18a 頁。
夏目漱石「日英博覧会の美術品」『東京朝日新聞』明治 42 年 12 月 16 日。
明治ニュース事典編纂委員会『明治ニュース事典』第 8 巻[明治 41 年―明治 45 年]毎日コミュニ
ケーションズ、1986 年。
「太陽」(博文館)日本近代文学館<復刻版>CD-ROM、1999 年。
「東京日日新聞」(日報社復刻縮刷)日本図書センター、1993 年。
その他参考文献
Checkland, Olive "Japan and Britain After 1859: Creating Cultural Bridges" Curzon Pr;
illustrated edition. 2002.
Edwards, Anthony David "The Role of International Exhibitions in Britain, 1850-1910:
Perceptions of Economic Decline and the Technical Education Issue" Cambria Press. 2008.
Greenhalgh, Paul "Ephemeral Vistas: The Expositions Universelles, Great Exhibitions and
World's Fairs, 1851-1939 (Studies in Imperialism)" Manchester Univ Pr. 1988.
Kemish, S. B. "The Japanese Empire: Its Physical, Political, and Social Condition and
History With Details of the Late American and British Expeditions" (Japan in English: key
nineteenth century sources on Japan) Ganesha Pub Ltd; Facsimile edition. 2004.
MacKenzie, J.M. ”Propaganda and Empire: The Manipulation of British Public Opinion
1880-1960 (Studies in imperialism)” Manchester University, Pr.1984.
Masakuni Shiraishi “History of Japanese Education Prepared for the Japan-British
Exhibition, 1910” Kessinger Pub Co. 2008.
Young, Paul. Bristow, Joseph "Globalization and the Great Exhibition: The Victorian New
World Order" (Palgrave Studies in Nineteenth-Century Writing and Culture)Palgrave
Macmillan. 2009.
Matthew H.C.G. and Brian Harrison, Oxford dictionary of national biography. Oxford
University, Pr. 2004.
伊藤大祐「日英博覧会の評価についての一考察」
『國學院大學博物館學紀要』33、97-108 頁、2008
年。
伊藤真実子「一九〇四年セントルイス万国博覧会と日露戦時外交」『史學雜誌』財団法人史学会、
112、1542-1562 頁、2003 年。
伊藤真実子「博覧会研究の動向について : 博覧会研究の現在とその意義」『史學雜誌』財団法人
史学会、117、1981-1989 頁、2008 年。
ベンヤミン,ヴァルター(著)、今村仁司他(訳)
『パサージュ論』第 1 巻 - 第 5 巻 (岩波現代文
庫 ; 学術 ; 101-105) 岩波書店、2003 年。
大出英子「1910 年の日英博覧会日本庭園の歴史と現状について」
『目白大学短期大学部研究紀要』
45、27-41 頁、2008 年。
オールティック R.D.(著),小池滋(監訳)『ロンドンの見世物Ⅱ』国書刊行会、1990 年。
川本真浩「地域イヴェントとしての「パジェント」の流行-二〇世紀初頭イングランドの事例から」
『人文科学研究』高知大学人文学部人間文化学科、No.14 、2007 年、1-22 頁。
川本真浩「19 世紀後半イギリスにおける博覧会と「もてなし」-博覧会にみるホスピタリティと
しての娯楽的要素 (特集 第 9 プロジェクト報告 ホスピタリティと女性文化)」『女性歴史文化研
究所紀要』京都橘大学女性歴史文化研究所、No.16 、2007 年、 51-61 頁。
東田雅博『図像の中の中国と日本―ヴィクトリア朝のオリエント幻想』山川出版社、1998 年。
東田雅博「ヴィクトリア朝英国における世界観―万博と「文化帝国主義」―」
『史学研究』第 170
号、1986 年、40-56 頁。
ニッシュ,イアン、細谷千博(監修)
『日英交流史
1600‐2000』1-5 巻、東京大学出版会、2001
年。
橋爪紳也『人生は博覧会
日本ランカイ屋列伝』晶文社、2001 年。
長谷川如是閑『長谷川如是閑評論集』岩波文庫、1989 年。
長谷川如是閑『倫敦!倫敦?』岩波文庫、1996 年。
マッケンジー,ジョン・M.
(著)、平田
雅博(訳)
『大英帝国のオリエンタリズム―歴史・理論・
諸芸術』MINERVA西洋史ライブラリー、ミネルヴァ書房、2001 年。
古川隆久『皇紀・万博・オリンピック』中央公論社、1998 年。
湯原公浩(編)『日本の博覧会―寺下勍コレクション』(別冊太陽
日本のこころ 133)平凡社、
2005 年。
吉田光那(編)『万国博覧会の研究』思文閣出版、1986 年。
■国立国会図書館(マイクロフィッシュ)
「日英博覧会諸規則」日英博覧会事務局、1909 年。
「日英博覽會受賞人名録」農商務省日英博覽會事務局、1909 年。
「日英博覧会出品人参考資料」日英博覧会事務局、1909 年。
「日英博覧会出品人要覧」日英博覧会事務局、1909 年。
「日英博覧会ノ特許人出品人其他ニ関スル一般規則・同出品部類目録」日英博覧会事務局、1909
年。
「日英博覽會新美術出品圖録」日英博覽會事務局、1910 年。
「日英博覧会愛知出品同盟会報告書」日英博覧会愛知出品同盟会、1911 年。
「日英博覽會出品協會事務報告」日英博覧會出品協會残務係、1911 年。
「日英博覽會事務局事務報告」上 , 下、農商務省、1912 年。
■Web サイト
Alexander C.T. Geppert, Jean Coffey, Tammy Lau: International Exhibitions, Expositions
Universelles and World's Fairs, 1851-1951. A Bibliography.
http://labs.lib.csufresno.edu/SpecialCollections/
株式会社
乃村工藝社(ホームページ内「博覧会資料」)
http://www.nomurakougei.co.jp/
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