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好調が続くオーストラリア経済

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好調が続くオーストラリア経済
2007 年 10 月 15 日発行
好調が続くオーストラリア経済
~成長は資源ブームの恩恵か、構造改革の果実か
本誌に関するお問合せ先
みずほ総合研究所㈱ 調査本部
アジア調査部 主任研究員 苅込俊二
℡ 03-3201-0295
E-mail [email protected]
はじめに
好調に推移するオーストラリア経済に注目が集まっている。鉄鉱石や石炭など世界有数
の資源国であるオーストラリアは、現在の資源ブームのなかでその恩恵を享受、これが好
調な経済を支えていることは間違いないだろう。ただし、オーストラリアを資源国という
側面だけで捉えることは全体像を見誤るおそれがある。というのは、産業構造でみれば、
資源セクターはGDPの約 5%、雇用者数全体の 1.3%程度にすぎず、その割合は決して大
きくない1。また、オーストラリアは現在の資源ブームが到来する以前から 16 年にもわた
る経済拡大を続けているからだ。ではなぜ、かくも長き経済拡大が続いているのだろうか。
好調が続くオーストラリア経済の先行きについては、資源ブームが過ぎ去れば一気にし
ぼんでしまうとの悲観論がある一方で、長期にわたる経済拡大は巧みな経済運営に裏打ち
されたものであり、好調は今後も続くとの見方もなされている。本稿では、まず、16 年に
も及ぶ良好な経済パフォーマンスがいかなる要因で成し遂げられたのか、検討する。それ
を踏まえて、経済は今後も拡大を続けるのか、展望を行いたい。
1.「ゴールデン・エイジ」の再来
オーストラリアは現在、空前の経済的繁栄を謳歌している。1992年以後、アジア通貨危
機(97年)、ITバブル崩壊(2001年)などの困難に直面するも、そのショックを最小限に
抑えながら、16年にもわたり年平均3.5%のペースで拡大を続けている2。これはOECD諸国
平均を約1%ポイントも上回る(図表1)。
長期にわたる経済拡大は、2006年の1人当たりGDPを92年の1.9倍に増加させた。その水準
はOECD諸国との比較で見ても、90年代に相対的に高まり、同期間に水準を落とした日本と
図表1
実質GDP成長率
1982~92年
1992~06年
オーストラリア
日 本
米 国
E U
OECD平均
-
1
2
3
4
(%)
(資料)OECD,OECD Factbook
1
2
2006 年度のGDPで見た場合、サービス業のシェアは 73.0%を占め、製造業は 10.3%である。
IMFなど国際機関は、オーストラリア経済が長期にわたって拡大しているとみる。しかし、シドニー・
オリンピック終了や消費税導入などによる内需不振から、2000 年 10~12 月期にマイナス成長を記録、景
気拡大がストップしたとする見方もある。
1
図表 2
1 人当たり GDP
図表 3
(OECD平均=100)
(%)
12
140
135
11
米国
130
10
125
9
120
8
オーストラリア
115
7
110
6
日本
105
5
100
90
19
失業率
4
93
96
99
02
20
05
20 (年)
198
(注)各年のOECD諸国平均を100としたときの各国の水準
(資料)OECD Factbook
0 82 84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 (年)
20 20 20 20
(資料)豪州統計局
は対照的な動きとなっている(図表2)。そして、新たな雇用が次々と生み出された結果、
失業率は30年来の低い水準(4.3%)にある(図表3)。
また、歳出削減などを中心に財政改革を実施、景気拡大による歳入増にも助けられて、
財政収支は98年以後、01年を除き黒字で推移している。これにより、政府債務残高(2005
年)はGDP比13.1%と、OECD諸国の中ではルクセンブルクに次ぐ低さである。さらに、IMD
(国際経営開発研究所)が毎年発表している国際競争力ランキングは、95年の16位から2006
年には6位までランクアップした(図表4)。ここ10年で、世界におけるオーストラリアのプ
レゼンスは格段に高まった。ハワード政権のナンバー2であるコステロ財務相は、現在の経
済を「(ショックなどに対して)世界で最も強い経済のひとつ」と胸を張る。
オーストラリア経済は60年代に、年平均5.4%の高成長を遂げ、インフレは低位安定、失
業率も1~2%と低く、極めて好ましい状況にあった。この時期は「ゴールデン・エイジ
(Golden Age)」と称されるが、現在の状況はまさにその再来といえるだろう。
図表 4
(順位)
0
5
1
4
1
1
1
1
1
1
1
1
4
15
16
20
4
1
1
12
オーストラリア
9
12
10
11
12
18
21
1 米国
1
6
7
9
10
15
IMD 国際競争力ランキング
16
20
21
25
21
23
24
19
24
24
27
日本
30
1995
97
99
01
03
05
07 (年)
(資料) IMD, World Competitiveness Yearbook
2
2.資源ブームの恩恵を最大限に享受
(1)中国で膨大な資源需要が発生
オーストラリアは鉄鉱石、石炭のみならず銅、ウランなど世界有数の資源国である。50
年代に鉄鉱石、ボーキサイト、石油が相次いで発見され、58 年には鉄鉱石の輸出が解禁さ
れた。60 年代に入ると、日本や旧西ドイツなどが工業化による経済発展を遂げるなか、オ
ーストラリアの資源輸出が急拡大し、資源国として脚光を浴びるようになった。現在、60
種類以上の鉱物を産出しているが生産量ではボーキサイト、工業用ダイヤモンドが世界最
大、鉛、亜鉛、ニッケルなどは第 2 位、鉄鉱石が第 3 位、石炭は第 6 位である(図表 5)。
また、埋蔵量をみるとニッケル、ウランが世界第 1 位、鉛、亜鉛が第 2 位、鉄鉱石は第 5
位と、上位に名を連ねる。
2000 年代に入り、中国など新興国が急激に資源需要を拡大させたことに伴って世界的な
資源ブームが生じているが、オーストラリアはその恩恵を最も享受している国のひとつだ。
図表 5
オーストラリアの主要鉱物生産量・埋蔵量
生産量 シェア(%) 順位
埋蔵量
シェア
亜鉛
(1000t)
1,400
13.9
2
33,000
15.0
鉛
(1000t)
760
23.2
2
15,000
22.4
ニッケル
(100万t)
210
14.0
2
22,000
35.5
銅
(1000t)
950
6.2
9
24,000
5.0
金
(キログラム)
262
10.6
2
5,000
11.9
ボーキサイト (100万t)
58
35.2
1
5,800
23.2
鉄鉱石
(100万t)
270
16.0
3
15,000
9.4
ウラン
(1000t)
10
22.7
2
716
36.5
ダイヤモンド (100万カラット)
23
30.7
1
90
15.5
石炭
(億t)
40
5.4
6
404
5.2
順位
2
2
1
9
2
2
5
1
3
6
(資料)U.S.Geological Survey, Mineral Commodity Summaries.
図表 6
図表 7
資源関連輸出のシェア(2006 年)
商品価格指数の推移
(1989=100)
石炭
14.2%
輸出総額
1229.7億ドル
鉄鉱石
8.8%
その他
54.7%
非貨幣用金
5.6%
原油
4.1%
アルミナ
3.7%
銅鉱
2.5%
(資料)豪州統計局
天然ガス
3.1%
アルミニウム
3.3%
400
鉱物
350
農産物
300
全体
250
200
150
100
50
1990 92
94
96
98 2000 02
04
06 (年)
(資料)豪州連邦準備銀行
3
オーストラリアの資源輸出は輸出全体の 45%を占める(図表 6)が、2003 年以後、主要
輸出品である石炭、鉄鉱石などの資源価格が軒並み急騰した(図表 7)。例えば、鉄鉱石の
価格(契約ベース)は 2006 年に前年比 71.5%、2007 年も同 9.5%値上げされた3。また、
2002 年に 1 トン当たり 40 ドルを下回っていた石炭(原料炭)は、2005 年は 125 ドルにま
で上昇、その後落ち着いたものの、現在も倍以上(2007 年は 98 ドル)の価格で取引されて
いる。こうした資源ブームの恩恵を受けて、オーストラリアの交易条件(輸出価格/輸入
価格)は 2003 年に比べて 3 割改善(図表 8)、同国の購買力を大幅に向上させている。
急速な経済発展を遂げる中国の膨大な資源需要4に応えるべく、オーストラリアの対中資
源輸出が急拡大している(図表 9)。中国向け輸出全体でも年平均 20%を超えるペースで
図表 8
交易条件
130
120
110
100
90
80
70
2006
2004
2002
2000
1998
1996
1994
1992
1990
60
(注)交易条件=輸出価格/輸入価格
(資料)豪州統計局
図表 9
オーストラリアの中国向け資源輸出
93~95 年度平均 03~05 年度平均
(A)
(B)
(B)/(A)
石炭(100 万トン)
43.0
13.7
32.8
0.5
236.0
0.8
852.7
64.5
340.0
97.8
1,606.7
5.2
19.8
4.7
10.4
195.6
6.8
6.5
一次産品合計(100 万豪ドル)
2,615
7,762
3.0
鉄鉱石(千トン)
アルミニウム(千トン)
銅(千トン)
鉛(千トン)
原油(100 万リットル)
(注)銅、鉛には精製分も含む。合計は 2006 年度価格で計算。
(資料)ABARE, Australian Commodities, March 2006
3
4
鉄鉱石は、その用途が鉄鋼に限られるため、資源メーカーと世界の代表的な鉄鋼会社が毎年、交渉を行
い、価格などを決めている。鉄鉱石市場は 90 年代の需要低迷期に世界の鉱山開発会社の寡占化が進んだ
結果、現在、リオ・ドセ(ブラジル系)、リオ・ティント(英豪系)、BHP ビリトン(豪英系)の 3 社
で世界シェアの約8割を占める。2000 年代に入り鉄鉱石需要が急増するなか、資源メーカーの価格支配
力が強まったことも、価格高騰の一因となっている。
95 年から 2005 年にかけて世界の素材・資源需要の伸びに占める中国の割合は非常に大きい。例えば、粗
鋼 61.5%、銅地金 52.7%、アルミ地金 47.2%などである。
4
拡大、この結果、日本が長年位置してきたオーストラリア最大の貿易相手国としての地位
は今年、中国にとって代わられる公算が大きい。このように、オーストラリアの資源輸出
は価格・量両面で大きく拡大している。
(2)急ピッチで進められる資源関連インフラ整備
世界的な資源ブームを受けて、オーストラリアの資源関連企業はこぞって好業績をあげ
ている。なかでも、三大資源メジャーの一角BHPビリトンは 4 年連続で史上最高益を更
新するなど、図抜けた存在だ。BHPビリトンは中国やインドで電力需要が急増するのを
見据え、世界最大のウラン鉱山であるオリンピック・ダム鉱山を買収、総合的なエネルギ
ー企業への発展を図っている。
オーストラリア株価市場は、資源関連銘柄を中心に好調に推移している(図表 10)。代
表的な S&P/AX200 は米国のサブプライムローン問題が発生した 8 月にいったん値を下げた
ものの、その後持ち直し史上最高値をつけるなど高値で推移している。
図表 10
株価指数(S&P/AX200)
500
AX200総合
400
資源関連
300
200
100
0
00
01
02
03
04
05
06
07 (年)
(注)2000 年 1 月 1 日を 100 とする指数
(資料)Datastream
資源ブームの恩恵は資源企業だけにとどまらない。現状、急激に拡大する資源需要に対
して、既存の港湾設備や鉄道では対応できず、供給のボトルネックが生じている。例えば、
石炭の代表的な積出港であるダーリンプルベイ港とニューカッスル港では荷積みを待機す
る船舶数が 100 隻を超えているという。また、資源開発に必要な油田掘削用リグ、鉱山用
トラック、ベルトコンベアなどが不足し、これらを製造するため鋼板などの素材が必要と
なり、それがさらに素材・原料価格を押し上げるという構図となっている。
オーストラリアは、現在、中国需要の高い伸びを見込んで、生産能力拡大、港湾や鉄道
など輸送力アップに向けたインフラ整備が急ピッチで進められており、これが民間投資の
高い伸びとなって経済を押し上げている。
5
3.資源国オーストラリアの別の顔
(1)80 年代始めに構造改革に着手
オーストラリア経済の好調の背景に現在の資源ブームがあることは間違いない。ただし、
留意すべきは、現在の資源ブームが到来する以前から 16 年の長きにわたって、停滞に陥る
ことなく拡大を続けていることだ。
その原動力となったのが、80 年代から進められた構造改革である。オーストラリアは、
50 年代に国内産業の保護を目的に高関税政策や輸入代替工業化を推し進めた。また、雇用
面では、労働者側の意向が反映されやすい賃金決定方式の下で高い賃金が維持された。こ
うした非効率で高コストな経済体質は、60 年代までは覆い隠されていた。しかし、70 年代
になると石油ショックや、英国の EC 加盟(73 年)に伴う関係希薄化のなかで、国際競争力
の低下として表面化、高インフレ、高失業率に見舞われ、経済は停滞した。82 年には、成
長率は▲2.4%、インフレは 11.1%、失業率は 7.2%に達し、経済的な危機感が強まった。
こうしたなか、83 年に発足したホーク労働党政権(83~91 年)は、市場メカニズムを活
用し、経済効率の改善、国際競争力の向上を図る構造改革に着手した。それらは、関税引
き下げによる貿易自由化、変動相場制の導入、外国為替管理の撤廃、金融市場の自由化、
労働移民の受け入れ拡大、労働市場改革、競争政策の推進、財政・金融政策における中期
的視野の導入、税制改革など、非常に多岐にわたる。
その後 90 年代後半に自由党・国民党連立政権へ政権交代がなされるが、改革路線は引き
継がれ、息の長い改革が進められた(図表 11)。以下では、代表的な改革の内容と成果を
見ていくことにしよう。
図表 11
年
政 権
産業政策
関税
非関税障壁
競争政策
75
80
フレーザー(自由党)
構造改革の進捗表
85
ホーク(労働党)
○
90
○
○○
◎
●○
95
キーティング(労働党)
● ◎
○
00
05
ハワード(自由党・国民党連立)
○
○
○
○
○
○ ◎
○
○
○
○
公共セクター
民営化
その他
●○
○
金融市場
市場自由化
金融国際化
金融政策
○
○
○○
◎○○
◎○
○
◎
○
◎
○
労働市場
賃金・雇用契約
○
その他
○
○
◎
◎
● ○
○ ◎
○
○
◎
財政・税制
財政再建
税制改革
○
○
○○
◎
(注)●は改革の表明、○は改革の実施(あるいは開始)を示す(重要な改革は◎で示した)。
( 資 料 )Industry commission(Australia), Microeconomic Reforms in Australia: A compendium from the
1970s to 1997 などにより作成。
6
(2)関税を大幅に引き下げ、保護主義と決別
オーストラリアでは、安全保障上の観点5もあり、保護主義が 20 世紀半ばまで産業政策
の根幹をなした。1920 年に創設された関税局は高関税を維持、同局主導で保護政策が展開
された。第二次大戦後、先進国の多くが GATT 体制の下で関税率を引き下げるなかで、オー
ストラリアは高い関税率を維持した6。こうしたなか、自前の工業化が図られたが、結果的
には非効率な企業を多数抱えることになった。
83 年に発足したホーク政権は、国内指向に偏り国際競争力を持たない製造業の状況を憂
慮、自動車、繊維・アパレル、鉄鋼、造船などを対象に特別産業再構築計画を立案した。
これら産業に対して、近代化のための一時金を交付する一方、保護的政策の大幅な見直し
を行った。その後、ホーク政権は政策の主軸を関税引下げに置くようになり、91 年にはド
ラスチックな関税引き下げに踏み切った。関税引き下げの流れはキーティング政権(91~
96 年)に引き継がれ、96 年には繊維・衣料・履物、自動車を除いて関税率が一律 5%に引
き下げられた。オーストラリアでは、平均関税率が 80 年代は 10%を超えていたが 2005 年
には 2%台にまで低下した。
関税の大幅な削減による自由貿易主義は国内経済改革の機動力のひとつとなった。各州
政府レベルでは、独占的な公的部門への競争導入などが実施され、競争政策の強化につな
がった。また、企業の輸出努力によって輸出品目の多様化が進んだ。現在のオーストラリ
アにおける産業支援策の主流は、生産高補助金や自動車、繊維・アパレル、医薬品など特
定の産業分野への輸出奨励、研究開発や技術革新、中小企業に対して行われる各種奨励策
となっている。
(3)80 年代に金融自由化をほぼ完了
オーストラリアの金融改革は、改革のごく初期に立て続けに措置が講じられた。それは
為替管理・資本取引の自由化(対外面)と国内金融市場における規制緩和である。
対外面からみると、83 年 12 月、変動相場制に移行した。同時に、外国為替管理を撤廃、
ポートフォリオ投資など対外資本取引を基本的に自由化した。また、85 年、銀行をはじめ
とする外国金融機関の国内市場参入が認められ、新たに 16 行が参入した(84 年以前、外国
銀行はパリ国立銀行、NZ 銀行、中国銀行の 3 行のみ)。その後、92 年には、外国銀行の支
店開設が容認されるなど、金融の国際化が進められた7。
5
6
7
宗主国だった英国と距離的に遠く離れており、他からの侵略を防衛する意図からも、オーストラリアは
英連邦との関係を強めるブロック経済を志向した。
83 年以前にも保護主義の見直し機運はあった。65 年、ヴァーノン委員会は当時の経済状況を調査し、そ
の報告の中で産業保護の総合的な見直しを勧告している。また、ウィトラム政権(72~75 年)は 73 年、
関税率を一律 25%削減した。しかし、続くフレーザー政権(75~83 年)では、競争力の弱い産業には輸
入割り当ての削減を含め一段の援助策を採用するなど産業保護主義が維持された。
外国銀行における支店業務は、個人の預金については初回預け入れ金額が 25 万ドル以上必要であること、
地場大手 4 大銀行で銀行セクター総資産の約 7 割が保有されていることなどから、主としてホールセー
ル業務である。
7
国内においては金融諸規制の緩和・撤廃が進んだ。具体的には、銀行に対する政府債強
制購入措置を廃止(82 年)、銀行の預け入れ期間制限の撤廃(84 年)、商業銀行、貯蓄銀
行の業際規制撤廃(87 年)などである。また、貸付、預金、その他金融商品にかかる金利
を漸次自由化、87 年の住宅ローン金利上限撤廃をもって、金利自由化が完了した。オース
トラリアでは、金融自由化は 80 年代におおむね終了したといえる。そして、これら一連の
措置は、金融セクターの効率性を高め、経済における金融サービスの役割を広げた。
ただし、金融改革の方向性は自由化というベクトルでのみ進められたわけではなかった。
80 年代初頭は、規制と管理の撤廃が改革の鍵を握っているとみられた。しかし、80 年代後
半になると個人や企業の借入が急増、不動産や株式など資産バブルの崩壊を招いた。この
ため、90 年代になると適切な監督制度の必要性が認識されるようになった。金融システム
の監督および諮問体制は 90 年代に整理・再編され、現在では、オーストラリア証券投資委
員会、オーストラリア競争力委員会、オーストラリア諮問監督庁で構成されている。また、
全金融商品取扱機関に対する免許と情報開示制度は 2002 年に一本化された。
金融政策では、89 年に中央銀行の独立性を保証する準備銀行法が施行され、連邦準備銀
行(RBA)が金融安定化の役割を担うこととなった。93 年以後、中期的(景気が一巡す
る期間)に物価上昇率が年率 2~3%内で推移するように政策運営する、いわゆるインフレ
ターゲッティングによる金融政策が続けられている(図表 12)。
図表 12
消費者物価上昇率(CPI)
(%)
14
CPI
12
コアCPI
10
8
6
4
2
0
▲2
1980
82
84
86
88
90
92
94
96
98
00
02
04
06
(年)
(注)網掛け部分は RBA 目標レンジ。コア CPI は加重平均中央値。
(資料)豪州連邦準備銀行
(4)電気・通信および航空・鉄道の公共部門を民営化
オーストラリアにおける民営化は、財政再建と行政の効率化を目的として実施された。
80~90 年代にかけて、電気・通信および航空・鉄道の公共部門が民営化された。このうち、
大規模な案件となったのが、航空部門と電気・通信分野である。
航空分野では 90 年に 2 社独占制(カンタス航空、アンセット航空)を廃止、新規参入を
8
認め8、94 年には、カンタス航空が民営化された。カンタス航空の場合、株式の 25%が英
国航空に売却され、残りは公募売却されている。
また、電気・通信事業の自由化はホーク政権によって始められた。90 年に、それまでの
3 社体制を 2 社合併(テレコム・オーストラリア、オーストラリア国際通信サービス)と衛
星通信を手がけるオーサットを民営化することで、合併会社のテルストラと民営化された
オプタス・コミュニケーションズの 2 社体制となった9。その後、ハワード政権(96 年~現
在)は関連法 10 本を含む新しい電気通信法(97 年)によって、電気・通信自由化をさらに
進めた。
なお、通信最大手のテルストラは政府保有株の売却が順次、進められている。97 年に
16.6%(140 億豪ドル)、99 年に 33.3%(104 億豪ドル)を売却された。さらに 2005 年、
同社の完全民営化法が成立、2006 年には政府保有 51.8%のうち 3 分の 1(17.3%)が放出
され、政府は 155 億豪ドルの収入を得た。
(5)労働市場の硬直化を招いた労使慣行制度にメス
国内における労働市場改革は、当初、改革を労働党政権が担ったこととも関係し、他の
改革に比べると遅れをとった。
オーストラリアでは、20 世紀初頭から労使以外の公的な第三機関(労使関係委員会)が
中央集権的に賃金をはじめとする基本的労働条件を決定してきた。すなわち、オーストラ
リアでは企業ごとに賃金が決定されるのではなく、職種をベースに中央交渉によって賃金
が決定された。アウォード(Award)と呼ばれる、この画一的な労働条件の決定方式は、労
働者間の平等を確保するのには有効だった。しかし、個々の企業の業績や労働生産性の実
態に即したものとなりづらく、労働市場を硬直化させる原因のひとつとして、弊害が指摘
されてきた。
90 年代に入ると、事業主・使用者と企業別労働組合の交渉によって労働条件を決定でき
る企業内独自協約が導入されるなど、徐々に見直しがはかられた。そして、96 年に発足し
たハワード政権は、労働市場の硬直化をもたらす労使慣行制度を抜本的に見直した。
まず、96 年の「職場関係法」において、これまでの企業別交渉に加え、事業主・使用者
と労働者が直接交渉によって労働条件を決定できる「オーストラリア職場協約」を導入し
た。また、これまで 100 項目もあったアウォードを最低賃金、労働時間、年次有給休暇な
ど 20 項目に整理・削減、交渉における労使双方の自由度を増やした。さらに、クローズド・
ショップ協定10など強制的に労働者を労組に加入させることの禁止、労組への参加、不参加
8
90 年の市場開放により、参入が相次いだが競争の激化から淘汰が進み、現在はカンタス航空とヴァージ
ン航空の 2 グループ体制である。
9
オーサットは国際入札により、英国のC&W・米国のベルサウス(BLS)・オーストラリア企業連合か
らなるコンソーシアムが落札し、オプタス・コミュニケーションズが誕生した。
10
クローズド・ショップ協定とは、労働組合員の資格と従業員の資格を完全に連動させ、組合員以外の労
働者の雇用を認めない協定である。採用時に、組合員以外は採用できず、組合を脱退した組合員は解雇
9
は基本的に労働者の裁量に任された。これら一連の改革によって賃金決定プロセスは柔軟
化、多様化した11。また、労働組合の組織率は 94 年に 35%だったが、98 年に 26%に低下、
現在は 20.3%となっている。争議件数をみると 91 年は 1,036 件だったが 98 年には 518 件
と低下、ストライキなどによる労働損失日数も 91 年から低下傾向で推移している。
また、労働需給のミスマッチ、いわゆる構造的失業12の解消にも力が入れられた。オース
トラリアでは 90 年代初頭、失業率が 10%を超えていたが、この背景には技能・経験不足に
起因する長期失業者が 3 割(93 年)にも達していたことがあった13。これに対して、ハワー
ド政権は「小さな政府」を標榜するなかで、公共職業安定所を廃止、業務を民営化するこ
とで職業紹介、求職者への各種サービスの質的向上を図る、また就労インセンティブを高
めるための職業訓練制度の充実などの策を講じた。
労働需給ミスマッチの状況を失業率と欠員率の関係でみると、92~94 年にかけては景気
拡大に併せて欠員率の上昇、失業率の低下が観察されるが、94~96 年は景気拡大期にも関
わらず欠員率が低下、失業率も高止まりをみせており、労働需給ミスマッチの存在を示唆
するものとなっている。しかし、98 年後半以後、特に 2002 年以後はおおむね、失業率が低
下、欠員率は上昇傾向で推移している。また、90 年代前半、90 年代後半、2000 年代前半で
図表 13
失業率と欠員率の関係
欠員率(%)
90年代前半
1.8
90年代後半
00年代
07.4~6
1.6
98.10~12
00.1~3
1.4
97.7~9
94.10~12
1.2
04.1~3
1
02.1~3
0.8
95.10~12
0.6
0.4
92.1~3
0.2
3
6
9
失業率
12 (%)
(注)欠員率は雇用者数と有効求人数の合計に占める未充足求人数の割合
(資料)豪州統計局
しなければならない。
こうした見直しは労働市場の柔軟化、雇用増加に寄与したと評価されている。しかし、経営者側に有利、
また所得格差の拡大や雇用の不安定化を生じさせたとの批判もある。
12
労働需給のミスマッチは、労働需要の構造的変化に労働供給がうまく適応できない要因があるために発
生する。すなわち、労働需要が存在するにもかかわらず、労働者の技術や資格の欠如などにより職に就
けないなど、失業者の労働へのインセンティブがそがれている状態である。
13
オーストラリアでは失業給付は保険制度ではなく、社会保障給付(全額国庫負担)として支給され、か
つ新規学卒者等の就職未経験者も支給対象となる。また、失業期間が長期化しても給付期間が下がらな
い、支給期間に上限がないため、長期失業者の就業インセンティブを弱めていた。
11
10
見ると、均衡失業率の低下を示す原点方向へシフトしており、労働需給のミスマッチ(構
造的失業)が改善に向かっている姿が見てとれる14(図表 13)。
(6)試行錯誤を重ねながら財政ルールを確立
80 年代、構造改革を推進するに当たり、政府が注視したのは経常収支の悪化や対外債務
の増大といった対外バランスの悪化であった。政府は対外バランスを改善するためには、
公的部門の貯蓄を増やす、すなわち財政赤字の削減が必要との認識15を持った。84 年に、
トリロジー(Trilogy)と呼ばれる財政ルール・目標を掲げ、それに沿って財政再建に取り
組んだ。特に工夫がなされたのは、予算マネジメントの強化である。具体的には、予算策
定をより合理的、システマテッィクに行うプログラム導入や、支出のみならず支出削減に
関するものも含めて各省庁の新規施策を検討する歳出検討委員会の設置などである。これ
らにより、オーストラリアの予算編成メカニズムは大きく見直された16。
ハワード政権は、労働党政権が導入した予算マネジメント方式を法的基盤の整備などを
通じてより強固なものとした。98 年に導入した予算公正憲章法は、これまでの改革によっ
て確立した「中長期的にみた景気循環を通じて、平均的に予算収支を均衡させる」という
現在の財政運営のフレームワークを法的に規定するものである17。このように、現在の財政
ルールはいちどきに導入されたものではなく、試行錯誤を重ねながら確立されていったも
図表 14
財政収支、実質 GDP 成長率
(GDP比、%)
8
実質GDP成長率
6
4
2
0
▲2
▲4
▲6
財政収支(対GDP比)
▲8
1980 82
84
86
88
90
92
94
96
98
00
02
04
06 (年)
(資料)OECD,OECD Fact Book
14
オーストラリアでは 73 年、欧州からの白人に限っていた移民受け入れ政策、いわゆる「白豪主義」を
放棄、人種にこだわらない移民政策を導入した。80 年代以降、アジアからの移民が大幅に増加している。
こうした海外からの移民受け入れ拡大は労働供給増加に寄与している。
15
こうした認識については、例えば、豪州連邦政府予算教書(1996 年)など
16
予算マネジメント・ルールの変遷、取り組み状況については、田中(2004)が詳しい。
17
予算公正憲章は、経済財政見通しを毎年の予算案に盛り込み、年度半ばには最新の見通しを発表するよ
う政府に義務づける。総選挙の前には、政府は経済財政見通し報告および主要政党の選挙公約の費用一
覧を発表しなければならない。
11
のである。こうした取り組みの結果、財政収支は 98 年以降、2001 年を除き黒字で推移して
いる(図表 14)。
また、財政再建のための歳入面からの措置は、税制改革と政府保有財産の売却(国営事
業の民営化)であった。このうち、税制改革は課税ベースの拡大を主眼に行われた。具体
的には、所得税の課税最低限の引き下げ、税率構造の簡素化、租税特別措置の見直し、キ
ャピタルゲイン課税の導入などである。その総仕上げが 2000 年に導入された付加価値税(G
ST)である。付加価値税は食品を除く全商品・サービスを課税対象とする(税率 10%)。
(7)改革が経済に及ぼした影響
オーストラリアは、ニュージーランドやスウェーデンが 80 年代半ばに経験したような厳
しい危機に直面したわけではない。このため、構造改革のスピードは漸進的であった。ま
ず財・金融市場の自由化を先行させ、外的圧力の助けも借りて労働市場などの改革を実現
させるといった道筋となった。
一連の改革の成果は、90 年代になると、生産性の上昇、1人当たり所得の増加といった
形で現れるようになった(図表 15)。そして、財政収支の好転など良好なファンダメンタ
ルズのもとで、通貨危機などの対外ショックにも柔軟に対応できる経済構造は、世界的に
注目された。例えば、OECD は 2003 年度レポートの中で「広範囲にわたる構造改革を根気強
く実行、また中長期的視野に立った堅実なマクロ政策運営によって、オーストラリアは OECD
諸国の中でトップクラスの経済パフォーマンスを遂げている。しかも、国内外のショック
に左右されない耐性を備えている」と評価した。
オーストラリアは、鉱産物などの資源輸出国としての側面と、改革をいち早く実践し、
その果実を享受した構造改革先進国という、もう一つの顔をもっている。
図表 15
労働生産性、全要素生産性上昇率
(%)
全要素生産性
3.0
労働生産性
2.5
2.0
1.5
1.0
0.5
0.0
▲ 0.5
1986-90
91-95
96-2000
2001-05 (年)
(注)全要素生産性は、経済成長率における資本及び労働以
外の貢献分。長期的には技術進歩や生産組織の進歩を示す。
(資料)OECD, OECD Factbook
12
4.アジアとの連携を深め、持続的成長を模索
オーストラリア経済の先行きについては、現在の資源ブームが過ぎ去れば早晩落ち込む
との見方がある。たしかに、2002年以後好況を続けている世界経済が今後も現在のペース
で拡大を続けるとは考えづらい。また、現在の資源価格高騰の背景には、膨大な資源需要
に供給が追いつかないという側面があり、資源メジャーは供給力増強投資を相次いで行っ
ている。こうしてみると、いずれ需給環境は落ち着くとみられ、資源ブームに依拠した発
展パターンは永続しないであろう。
足元をみると、好調な資源輸出や海外からの資金流入増大を背景に豪ドル高が生じてお
り(図表16)、これが製造業の輸出競争力をそいでいる。また、生産設備の供給不足や労働
需給が逼迫するなかインフレが加速するリスクがある。その一方で、逆に資源ブームが一
段落した後には過剰設備を抱え込む可能性があるなど、同国が抱える課題やリスクは少な
くない18。
とはいえ、長期にわたる経済拡大は、これまでの構造改革の成果が顕現化、その果実と
してもたらされたものといえる。これまでの改革姿勢・成果は評価されるべきであり、資
源ブームの一段落によって、経済がすぐさま不振に陥ってしまうことはなさそうである。
図表 16
対ドル為替レート
1.0
1.2
1.4
1.6
1.8
2.0
2000
01
02
03
04
05
06
07
(年)
(注)月中平均値
(資料)IMF, International Financial Statistics
オーストラリアはよく「ラッキーカントリー」だと言われる。欧州を追い出された人た
ちが気づいてみれば宝の山(資源)を手に入れていたからである。他方で、欧米諸国から
距離的に離れた自らを「down under(果ての果て)」と自嘲気味に表現する。しかし、隣接
18
オーストラリアでは近年の少雨傾向によって 02 年、06 年、07 年とたびたび旱ばつが生じ、農業生産が
落ち込んだ。たとえば、06/07 年度(06 年 7 月~07 年 6 月)は穀物(小麦、大麦、菜種)生産量が前年
の 6 割減であった。このため、政府はかんがい施設整備など旱ばつ対策に力を入れている。
13
するアジアが「世界の成長センター」として発展を続ける現在、巨大な資源需要・成長市
場という「幸運」を再び手にし、発展を遂げようとしている19。オーストラリアは89年にAPEC
(アジア太平洋経済協力)を提唱、創設に大きく貢献、また、タイ、シンガポールとの間
で二国間FTAを締結、2005年には東アジアサミット(ASEAN+3、オーストラリア、ニュ
ージーランド、インド)に参加するなど、アジアとのコミットメントを強めている。なお、
日本とも2007年4月、日豪経済連携協定締結に向けた交渉が開始された。
オーストラリアは当面、アジア地域との連携強化を通じて「成長センター」からの活力
を享受しながら、持続的な成長を模索することになろう。ただし、60年代の「ゴールデン・
エイジ」後に生じた経済停滞を再来させないためにも、高コスト体質改善に向けた改革を
同時に模索し続ける必要があるだろう。
19
貿易総額の約半分をアジアが占める(2006 年の輸出に占めるアジアの割合は 52.9%、輸入は 47.9%)
14
【参考文献】
ABARE, Australian Commodities, various issues
Commonwealth of Australia, Budget statements, various issues
Gary banks, Structural reform Australian-style: Lessons for others? Productivity Commission discussion
paper,2005
Gordon de Brouwer, Economic Reform and Growth in Australia, Australian National University,2003
IMF, Australia: Article IV Consultation —Staff Report; Staff Statement; and Public Information Notice on
the Executive Board Discussion, various issues
経済企画庁「世界経済白書(2000 年度版)」2000 年
OECD, OECD Economic Surveys: Australia, various issues
Productivity Commission (Australia), Structural Adjustment – Key Policy Issues, Commission Research
Paper, October 2001
Productivity Commission, Microeconomic Reforms in Australia: A Compendium from the 1970s to 1997,
Research Paper, January 1998.
Reserve Bank of Australia, Statement on Monetary Policy, Various issues
田中秀明「財政ルール・目標と予算マネジメントの改革:オーストラリア」RIETI Discussion Paper series、
経済産業研究所、2004 年
Tony Pearson, Australian Outlook, ANZ Economic Outlook (19 July. 2007), July 2007
本資料は情報提供のみを目的として作成されたものであり、取引の勧誘を目的としたもの
ではありません。
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