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高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準

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高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
論 説
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
──遺言能力、任意後見契約締結能力をめぐる裁判例を素材として──
三輪まどか
はじめに
わが国では高齢者人口が 3,163 万人に達するとともに、総人口の 4 人に 1 人
が高齢者という、超高齢社会へ突入した 1)。さらに、現在の高齢者が現役世代
であった社会情勢と現在とでは大きく様変わりし、高齢者をめぐる事件が多発
している 2)。特にここ数年、
高齢者の財産を狙った行為が散見されるようになっ
た 3)。高齢者の財産侵害を防ぐため、種々の法整備がなされてきたが、最近特
に目立つのが、家族・親族等による財産侵害や財産争いである 4)。こうした争
いを防ぐ 1 つの手段として、後見制度が導入されたのは 13 年前のことである。
しかし、制度を悪用し、高齢者の財産を根こそぎ奪取した事例も見られるな
ど 5)、そろそろ制度の見直しが必要な時期に入っている。
とりわけ家族・親族等による財産侵害や財産争いについては、介護や扶養義
務負担との関係から、さらに激化しているように見受けられる。こうした争い
は、遺言書の書き換えや任意後見契約の締結、後見審判の申立てなどの手段を
用いて繰り広げられているが、主たる争点は、高齢者自身が家族・親族との関
係をどう考え、どのような老後を送り、どのような最期を迎えたいか、という
高齢者自身の意思の問題であるように思われる。そして、この意思を語る上で、
263
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
最も重要であるのは、高齢者の意思を掌る能力が、漸次的に低下していってい
る点である。実際、これら高齢者の財産をめぐる家族・親族の争いのほとんど
は、遺言能力や契約締結能力、すなわち意思能力の有無に帰結している。
そこで本稿は、意思能力が低下しつつある高齢者に想定される法律行為のう
ち、任意後見契約、遺言(公正証書、自筆)という法律行為につき、裁判例が、
高齢者の意思能力の程度をどのように判断しているのかを明らかにすることを
目的とする。その際、任意後見契約の締結と公正証書遺言が同時になされるこ
とが多いという事実と、任意後見契約に求められる意思能力は、通常取引行為
などの契約で求められる能力の判断基準よりも、遺言などの身分行為に求めら
れる能力の判断基準により近いという拙稿の分析により 6)、任意後見契約締結
能力と遺言能力を取り上げることとする。
まずは、本稿で取り上げる遺言能力および任意後見契約締結能力の定義と、
それらの有無・程度の判断基準について論じた学説について整理し、その後、
近年出された裁判例の分析を行い、本稿の目的を果たしていくこととする。
一.学説にみる遺言能力の定義と判断基準
1.遺言能力の定義
(1)法的見地
遺言能力に関して、まず法的な見地から見てみると、民法 961 条では、15
歳に達した者は、遺言をすることができると定め、民法 973 条により、成年被
後見人についても「事理を弁識する能力を一時回復した時において」一定の要
件のもと、遺言を認めている。ただし、法文上、必要な遺言能力について定め
ているわけではない。教科書等では、遺言に必要な能力は、意思能力で足りる
とされている 7)。その理由は、
「①人の最終意思をできるだけ尊重すべきであ
り、遺言による財産処分の場合は、死者の遺志を実現させてやった方が、遺族
や近親にとって満足に思えることが多いこと、②最終意思には、欺罔、策謀・
264
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
貪欲などの忌まわしいものが少ないこと、③行為能力なき者の最終意思を尊重
しても弊害は少ないこと、④遺言はもともと財産処分ではなく相続人指定のた
めのものであって、財産行為ではなく身分行為と観念されてきたこと、などに
求められ」るからだとされている 8)。
しかしながら、
「比較的早い時期には、
『自己の行為の結果を弁識しうる精神
的能力』
、
『事理弁識能力』という、意思能力一般で用いられてきた抽象的な定
義を持ち出して容易に遺言能力を肯定するものが見られたが、最近の裁判例の
中には、
『通常の思考作用』
『通常人としての正常な判断力・理解力・表現力』
という表現も見られる 9)」ことを指摘し、従来の学説に疑問を呈する学説もあ
る。さらに、遺言をめぐる裁判例の分析を通じて遺言能力を定義した学説によ
れば、
「遺言の内容と効果(結果)を理解して真に意欲したことを(真意ない
し最終意思)を表示するのに必要な最小限の精神能力を遺言時に有しなければ
ならず、そうして、この精神能力の程度は、利害得失を合理的に判断(計算)
しうる精神能力にまで達する必要がないとしても、真に意欲したこと(真意・
最終意思)を遺言の方式に従って明示(
『自署』ないし『口授』
)するのに必要
な精神能力にまで達する必要がある」とするものもある 10)。
(2)医学的見地
次に、医学的な見地から見てみると、遺言能力について精神鑑定の自験から、
次のような定義が得られるとしているものがある 11)。すなわち、①自己の意
思を第三者に伝えるだけの言語能力、判断能力、事理弁識能力、②自らの遺言
書を作成する能力、③自らの行為の結果を判別、判断するに足るだけの精神能
力、④正常な判断能力のもとに、自筆証書証言に記載されている事項の内容の
意味、および結果を弁別・判断するに足るだけの精神能力、⑤自筆証書証言の
書面を、自らの意思で、作成しうる能力、⑥自らの重要な財産を処分すること
を理解できる程度の能力、⑦自筆にて、遺言を作成できるだけの読み書きの能
力、である。
265
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
2.遺言能力の有無・程度の判断基準
(1)法的見地
裁判例を分析した村田によれば、まず自筆証書遺言について、
「字形、誤字・
脱字・理解不能な字の有無、文字の配列などは、識字能力の有無を判断するう
えで参考となり、しかも、高齢者の場合、かつて獲得した識字能力は加齢や病
気に伴って減退する、というのが通常であろうから、識字能力の減退は同時に
遺言能力の減退をも示すことがある・・・これに対して、方式を具備し、内容
が一義的かつ明確な自筆証書遺言は、公正証書遺言に比べて遺言能力を有する
ことの高い蓋然性を推測させる 12)」としている。また、公正証書遺言につい
ては、民法 969 条に基づいた方式から、
「その真に意欲した遺言の内容・効果
を公証人に『口授』する(言語機能障害者の場合には、通訳人の通訳(手話通
訳など)による申述または『自筆』
(筆談)により遺言の趣旨を伝える)のに
必要な精神能力を遺言時に有していなければならない 13)」とする。そして、
「遺
言に厳格な方式を要求するのは遺言者の真意(最終意思)を確保して後に紛争
が生じるのを予防するためであるが、遺言が表示どおりに効力を生じるには、
方式に合致するだけでは不十分であり、さらに、遺言者の真意(最終意思)を
伴った遺言でなければならない 14)」と結論づける。
なお、公正証書遺言に関して、幾度となく遺言能力にかかわる精神鑑定を
行っている松下によれば、
「公正証書遺言を覆すことはよほどのエビデンス
がないかぎり不可能であると思われる。公正証書遺言にかかわる裁判は非常
に増えていると言われているが、それが裁判で否定されるのはごくまれ 15)」
との指摘をしている。
(2)医学的見地
遺言にまつわる精神鑑定を行っている松下の報告によれば、遺言能力鑑定に
おいて検討・考察の対象となるのは、認知症であることが指摘されている 16)。
そこで、認知症と遺言能力との関連を見るに、Alzheimer 型認知症の特性、す
266
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
なわち、
「ごく初期の段階から記憶障害、意欲障害が目立ってくる」こと、
「病
気の経過とともに、記憶障害は徐々に強まり、さらには、時間や場所、人物が
わからなくなる見当識障害、言語障害、判断障害、認識障害などが加速度的に
出現進行」することを踏まえた上で、
「Alzheimer 型認知症としては軽度であっ
ても、記憶障害が中等度〜高度の場合があり、その場合は、遺言能力は著しい
障害を受けているとみなし、記憶障害が軽ければ、遺言能力の障害は軽度とし
て判断すべきであ」り、
「Alzheimer 型認知症が中等度〜高度であれば、記憶
障害もまた中等度〜高度であることが一般なので、遺言能力には著しい障害が
ある、あるいは遺言能力は欠如しているとみなすべきである」としている 17)。
また、書字・識字能力に関しては、必ずしも認知症の程度と並行せず、
「書
字機能は、認知症が中程度になっても、保持されることが少なくな」く、
「認
知症が高度になれば、言語機能の障害と並行して、書字機能も侵されることは
いうまでもない」とされている。
「一方、
読字機能は、
認知症が比較的高度になっ
ても、その文章の意味を理解しているかどうかは別にして、保たれることが多
い」とされる 18)。
二.学説にみる任意後見契約締結能力の定義と判断基準
任意後見契約に関して、どのような意思能力が必要かを論じた学説は皆無に
等しい。任意後見をめぐる裁判(東京地判平成 18 年 7 月 6 日)を素材に論じ
た拙稿においては、
「任意後見契約に必要な意思能力の程度は、取引行為に求
められるほど高度であるとは言えないが、意思能力が衰えたときに備えて締結
するという任意後見契約の特徴を鑑みれば、身分行為や遺言よりもやや高い
意思能力が制度上求められている」一方で、
「任意後見契約と一口に言っても、
身分行為や遺言に見られるような実質上相続に関わる内容なのか、本来の目的
の一つである、単に身上監護や預貯金も含めた日常に必要な財産管理に関わる
内容なのかという事案の内容・程度によっても、任意後見契約における契約意
267
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
思の判断にあたって考慮される要素に幅が出て」くる点を指摘した 19)。
三.裁判例にみる意思能力の有無・程度の判断基準
1.取り扱う裁判例の整理
本稿における分析にあたっては、拙稿にて取り上げていない平成 21 年 1 月
から平成 25 年 12 月までに出された裁判例・審判例のうち、意思能力に関する
判断を行っている 20 例を検討の対象とする(表 1)20)。ただし、すべて遺言
に関するものであるが、1 例のみ、任意後見契約に必要な意思能力について触
れているものがあるため、その判断について取り上げる 21)。なお、本稿では、
意思能力の判断をどのように行っているかに焦点を当て、事例の紹介は紙幅の
関係上、必要なもののみ取り上げることとする。
2.遺言能力
(1)意思能力の相対性
遺言能力については、先に見たように、法文上、完全・完璧なる意思能力が
求められているわけではない。この点、京都地判平成 25 年 4 月 11 日(⑲)で
は、意思能力の相対性として次のように述べる。
「意思表示が、どの程度の精神
能力がある者によってされなければならないかは、当然のことながら、画一的
に決めることはできず、意思表示の内容によって異ならざるを得ない(意思能
力の相対性)
。単純な権利変動しかもたらさない意思表示の場合(日常の買い物
など)
、小学校高学年程度の精神能力がある者が行えば有効であろうが、複雑あ
るいは重大な権利変動をもたらす意思表示の場合、当該意思表示がもたらす利
害得失を理解するのにもう少し高度な精神能力が要求されるから、小学校高学
年程度の精神能力しかない者が行った場合、意思能力の欠如を理由に意思表示
が無効とされることが多いものと思われる」
。さらに続けて、
「初期認知症の状
況の者については、一律に意思能力・遺言能力が否定されるわけではないもの
268
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
と考えられる。遺言がもたらす結果が単純なものである場合(遺言の文言が単
純かどうかではない。
)
、それほどの精神能力までは必要とされないであろうか
ら、そのような遺言との関係では、初期認知症の状態にある者の遺言能力は直
ちに否定されないものと思われる」と述べている。同様に、東京地判平成 23 年
12 月 12 日(⑥)でも、
「遺言能力は財産管理能力と異なり、自己の死後に財産
を誰に取得させるかという比較的単純な事項を理解できる程度の能力で足りる
上、
・・知的能力には意識消失の有無等によって変動があ」るとも述べている。
(2)有無・程度の判断基準
それでは、その遺言能力の有無・程度は、どのような基準で判断されている
のだろうか。従来、裁判例は、遺言の内容、遺言者の病状・認知症の程度、遺
言をするに至った経緯・時間的関係、動機などを「相関関係において 22)」
、あ
るいは「総合的にみて 23)」判断してきた。これらの基準は、事実の経緯・経過
と医学的見地(医師による鑑定書、受診の経過)からの検討を行うことがほと
んどである。総合的に検討する理由としては、
「痴呆性高齢者であっても、そ
の自己決定はできる限り尊重されるべきであるという近時の社会的要請、及び、
人の最終意思は尊重されるべきであるという遺言制度の趣旨にかんがみ 24)」と
される。
従来のこのような基準と、今回分析対象とした裁判例の中で共通する判断
基準は、大きくは異ならないが、従来のように羅列的ではなく、より基準が
明確になったように思われる。すなわち、大きく分けると、次の 3 つに分け
ら れ る。第一 に、従来 の 裁判例 で も 上 げ ら れ る 医学的見地(診断書/鑑定、
医療/看護記録)で あ る。第二 に、遺言 の 内容、形式(運筆、財産額、自
筆/公証、公証人)で あ る。第三 に、本人 の 状況 と 周 り の 者 と の 関係(本
人 の 性質、生前 の 意思、周 り の 状況/介護 の 利用)で あ る。と は い う も の
の、とりわけ重視されている基準は、医学的見地で挙げた「医療/看護記録
と診断書」と本人の生前の意思であるが、公正証書遺言(以下「公証」とす
269
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
表 1 遺言能力の有無・程度に関する裁判例一覧
表 1 遺言能力の有無・程度に関する裁判例一覧
裁判例
1
2
東京地判
東京地判
平成 20 年 8 月 26 日
平成 20 年 10 月 9 日
遺言の形
本人の
式
性質
判タ 1301
秘密証書
○失語
号 273 頁
遺言
症
判タ 1289
公証
○失語
号 227 頁
3
東京地判
平成 20 年 11 月 13 日
判時 2032
生前の
周りの
遺言
意思
状況
内
○
状態
公証
○病床
号 87 頁
4
東京高判
平成 21 年 8 月 6 日
判タ 1320
△録音
自筆
号 228 頁
/棒読
み
5
東京高判
平成 22 年 7 月 15 日
判タ 1336
公証
号 241 頁
6
25490747
東京地判
平成 23 年 12 月 12 日
7
東京地判
平成 23 年 12 月 21 日
25490285
公証
8
東京地判
平成 24 年 3 月 26 日
25493346
自筆
9
東京地判
平成 24 年 3 月 28 日
25493390
自筆
10
高知地判
平成 24 年 3 月 29 日
判タ 1385
公証
11
東京地判
平成 24 年 8 月 8 日
25496065
自筆
12
東京地判
平成 24 年 9 月 7 日
25496567
自筆
公証
○
○学歴
○
○
○
号 225 頁
(複数)
270
○
○
○
○
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
本人の
性質
生前の
周りの
遺言の
意思
状況
内容
運筆
診断書
公証
医療/看
介護
/鑑定
人
護記録
保険
その他
申請
○失語
○
○
症
○失語
○
○
○
×
○
状態
○病床
○
△録音
○
/棒読
み
○
○
○
○
○司法
書士立
ち会い
○
○学歴
○
○
○
○
○
×
○
○
×
○
○
○
○
○
×
○
○
○文
○
○
字記
載
271
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
表 1 遺言能力の有無・程度に関する裁判例一覧
表 1 遺言能力の有無・程度に関する裁判例一覧
裁判例
13
東京地判
平成 24 年 10 月 29 日
25498255
遺言の形
本人の
式
性質
自筆
生前の
周りの
遺言
意思
状況
内
○
△見
本・強要
14
東京地判
平成 24 年 12 月 26 日
25498967
自筆
○指図
○
嫌う性
格
15
東京地判
平成 24 年 12 月 27 日
25498698
○
自筆
(複数)
16
東京地判
平成 25 年 1 月 15 日
25510531
自筆/公
○
証
17
東京地判
平成 25 年 1 月 30 日
25510163
公証
18
東京高判
平成 25 年 3 月 6 日
判時 2193
自筆/公
号 12 頁
証
判時 2192
自筆
号 92 頁
(秘密証
19
京都地判
平成 25 年 4 月 11 日
○
書遺言)
20
東京地判
平成 25 年 6 月 20 日
25513678
自筆/公
証
272
○
○
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
本人の
性質
生前の
周りの
遺言の
意思
状況
内容
運筆
診断書
公証
医療/看
介護
/鑑定
人
護記録
保険
その他
申請
○
△見
○
本・強要
○指図
○
○
○
○
○
○
×
嫌う性
格
○
○旧
字体
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○財産
額
○
○文
○
○
字記
載
273
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
る)の場合には公証人の証言も重視されている点も留意する必要がある。そして、
それらを総合的に判断するということについては、従来と何ら異なっていない。
ⅰ)医学的見地
医学的見地に関しては、遺言能力の有無・程度を判断するにあたり、最も重
視されている。特に、医療/看護記録については、20 例中 16 例(①〜⑤、⑨
〜⑯、⑱〜⑳)が採用し、診断書もしくは専門家による鑑定は 13 例が判断に
用いている(①、④、⑤、⑦、⑧、⑩、⑭〜⑳)
。とはいえ、近年では、医療
/看護記録と診断書が競合するようなケースや、家族内で争いが激化し、何通
も診断書が出るといったようなケースも散見され、その場合の優劣について述
べているものがある。まず、医療/看護記録と診断書が競合した場合、東京地
判平成 25 年 1 月 15 日(⑯)では、医学的、専門的な見地に基づく診断書、鑑
定書、家庭裁判所調査官の報告等に比し、介護日誌は遺言能力の判断資料とし
て劣ると判示した。また、医師の診断についても、単なるカルテの診断より
も、実際に検査を行ってから書かれる診断書について重視する裁判例を現れて
いる。東京地判平成 23 年 12 月 21 日(⑦)では、医師のカルテの記述につい
て「カルテに dementia(痴呆のことである。
)が進んでいると見られる旨の記
載をしているが、認知症についての検査等を行ったことを認めるに足りる証拠
はない。
・・・D[高齢者本人:筆者注]の状態を踏まえ、その認知症の症状
について進行しつつあるとの認識を持っていたことはうかがわれるが、日常生
活自立度につき〈2〉a と判断していることからすれば、これが重度に進行し
ているとまでは考えず、一定の認知能力、判断能力をいまだ有しているものと
判断したといえる」とした。また、原告が主張する「一般に医師は、患者の自
立度等についての意見書は控えめに書くことが通例であることから、D の認知
症の自立度は、前記各意見書の判定より重かったなどと主張するが、そのよう
な経験則を認めることはできない」と退けている。
さらに、診断書が競合した場合について、高知地判平成 24 年 3 月 29 日(⑩)
では、
「I医師は、平成 17 年 9 月 9 日、亡 A1 には財産を管理する能力がない
274
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
との鑑定意見を作成しているが、この鑑定が、それまで半年以上の長期にわた
り亡 A1 の診察に当たってきた医師によるものであることや、その内容が合理
的かつ説得的であること、そして、その鑑定結果に基づいて実際に成年後見開
始の審判がなされたことなどを考慮すると、その鑑定結果には高度の信頼性が
認められる」として、最も重視されるのは、主治医による診断書であることが
述べられている。
ⅱ)遺言の内容、形式
遺言の内容、形式については、先の学説で指摘されたとおり、遺言の方式、
すなわち自筆であるか、公証であるかによって、考慮される基準が若干異なる
ように思われる。例えば、自筆の場合には、ⅲで検討するように、本人の生
前の意思がより多く検討されている(自筆の場合 12 例のうち⑨、⑪、⑬、⑭、
⑲、⑳の 6 例、公証の場合 8 例のうち⑦の 1 例のみ)
。さらに、自筆の遺言書
が多数出てきた場合や自筆と公証が競合した場合などに、運筆能力(⑥)や文
字の記載方法(⑫、⑮、⑳)が検討されている。また、公証の場合には、公証
人が関わらなければならないことから、公証人の証言が基準として採用されて
いるものがある(②、③、⑤、⑥、⑩、⑱、⑲)
。さらに、唯一の事例であるが、
遺言を残す高齢者の財産が 3 億円(株式等も合わせると 5 億円超)となるよう
な場合、財産額と相続することによって相続人等に与える影響について考慮し
た事例も見られる(⑲)
。
より細かく見てみると、まず運筆や文字の記載について、自筆の場合、意思
能力の有無を示すとともに、遺言の「要式」の問題と捉えている事例が見られ
る一方(⑫)
、公証の場合、運筆能力が問われた東京地判平成 23 年 12 月 12 日
(⑥)では、公証人に対して、遺言の内容を伝達し、その筆記内容を聞かせられ、
自ら署名したものであり、これは単に「身体的な面で筆記が困難な状態であっ
たことを意味するにすぎない」と述べている。この点で、
先の学説の示唆があっ
たように、運筆や文字の記載そのものが、意思能力の有無・程度を必ずしも示
すものではないと言えよう。
275
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
次に、公証人の関わりについて、遺言が公証である場合には、遺言作成の段
階における、遺言者の意思能力に関する証言が求められている(②、⑤、⑩、
⑱、⑲)
。ただし、高知地判平成 24 年 3 月 29 日(⑩)においては、公証人の「公
証人が遺言の作成に関与したということだけでは、遺言者に遺言能力があった
はずであるとはいえない」としており、公証が遺言能力を実証するものではな
いことが示されている。
最後に、高齢者の財産が多額である場合、必要とされる遺言能力の程度を重
くするという裁判例がある(⑲)
。すなわち、
「本件遺言は文面こそ単純ではあ
るが、数億円の財産を無償で他人に移転させるというものであり、本件遺言が
もたらす結果が重大であることからすれば、本件遺言のような遺言を有効に行
うためには、ある程度の(重大な結果に見合う程度)の精神能力を要するもの
と解される。また、本件遺言は文面こそ単純であるが、本件遺言が訴外会社の
経営にもたらす影響はかなり複雑である」としている。そして、これらの事情
を考慮し、
「小学校高学年レベルの精神能力がありさえすれば、本件遺言に関
する遺言能力が肯定されるとすべきではない。そうでなければ、私的自治の理
念に適った行動ができない者の思慮不足な行動を、私的自治の名の下に放置し
てしまう危険が大きいと思われる。本件遺言に関する遺言能力は、もう少し高
い精神能力—ここでは仮に『ごく常識的な判断力』と表現する - が必要という
べきである」としている。
ⅲ)本人の状況と周りの者との関係
本人の状況や周りの者との関係は、実際にはⅱで述べた、遺言の内容とも大
きく関わっている。本人の生前の意思がより多く検討されているのは、既に指
摘したとおりであるが、例えば、東京地判平成 20 年 10 月 9 日(②)では、遺
言内容の合理性を検討するに、
「複数の土地建物、預金、株式を 4 人の相続人
(養子である被告春男を含む。
)に分配するというものであり、比較的複雑な部
類に属するということができるものの、高度の知識や判断能力がなければ考え
たり理解したりすることができないというほどのものではない」こと、遺言を
276
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
書いた本人が不動産会社の役員をしていたこと、他の者と相談しながら遺言の
内容を考えていたことから、
「遺言内容が、当時の亡花子には判断し、理解で
きないほど複雑なものであったということはできない」とした。さらに、その
配分の合理性についても検討し、介護の担い手等を考慮した場合、不合理とは
言えないと判断している。東京地判平成 20 年 10 月 9 日(②)では、不動産会
社の役員をしていたという本人の性質(性格や学歴・経歴、障害)も考慮され
ており、実際のところ、こうした本人の性質を判断基準としている事例はいく
つか見られる(①、②、③、⑦、⑭)
。
ま た、高知地判平成 24 年 3 月 29 日(⑩)で は、
「本件公正証書遺言 の 内容
自体は、全財産を被告 Y1 に遺贈するという、単純なものであるが、そのよう
な内容の遺言をする意思を形成する過程では、遺産を構成する個々の財産やそ
の財産的価値を認識し、受遺者である被告 Y1 だけでなく、その他の身近な人
たちとの従前の関係を理解し、財産を遺贈するということの意味を理解する必
要があるのであっって、その思考過程は決して単純なものとはいえない」とし
ている。
加えて、東京地判平成 25 年 6 月 20 日(⑳)では、本人の生前の意思の場合、
先に公正証書遺言があり、その後破られたノートに自筆証書遺言が、その後便
せんに第 2 の自筆証書遺言があったケースにおいて、
「遺言の解釈にあたって
は、遺言書の文言を形式的に判断するだけでは不十分であり、単に遺言書の一
部分を他の部分から切り離して同部分を形式的に解釈するのではなく、遺言書
の全記載との関連、遺言書作成当時の事情及び遺言書の置かれた状況などを考
慮して遺言書の真意を探求し当該遺言の趣旨を確定すべきものと解するのが相
当である」と述べている。
2.
「契約」締結能力
(1)任意後見契約
任意後見契約締結能力の有無・程度の判断基準を示す裁判例は、今のところ
277
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
皆無であり、拙稿で取り上げた東京地判平成 18 年 7 月 6 日を参考にするほか
ない。当該判決においては、意思能力と契約意思とを明確に分け、意思能力に
ついては本人の臨床上の経過、医師による診断・鑑定のみで判断し、契約意思
は、本人の意思を推定する材料、すなわち、周囲への相談、本人の行動を検討
している。意思能力と契約意思の有無は明確に分離されている 25)。
なお、今回分析に用いた裁判例の中で、東京高判平成 25 年 3 月 6 日(⑱)
が 26)、任意後見契約締結能力の有無に関して、若干の言及をしている。すな
(ママ)
わち、
「任意 的 後見契約は、それ自体が一般的なものではない上、実際に作成
された任意的後見契約公正証書は、委任契約と後見契約に分かれ、委任契約
の本文の内容が第一条から第一〇条に及ぶほか、任意代理権目録として一から
一八項の事項が、また後見契約の本文が第一条から第一〇条に及ぶほか、任意
代理権目録として一から一八項の事項が詳細に列記されていることからする
と、ほぼ全盲状態の太郎が、この契約書や目録の内容を読み上げられたとして、
その内容を真に理解していたとは考え難い」というものである。当該裁判にお
いて対象とされた任意後見契約の内容は、裁判例中示されていないが、昨今実
務の現場で用いられている書式を用いたとするならば 27)、少なくとも自ら欲
して書き、一般的となってきている遺言(自筆)に比して、一般的でなく、条
文形式になっている任意後見契約の方が、より難しいと言えるだろう。また、
遺言のように、一度読み聞かせて理解するということはかなり難しく、この点
で、遺言能力の程度よりは、任意後見契約締結能力の程度の方がより高く設定
されるべきだと言えるだろう。
(2)介護契約締結能力
最後に、管見した裁判例の中に、介護契約締結能力に関わる判断基準を示し
た裁判例が 1 例あったため、予備的に検討しておきたい。ここで、介護契約締
結能力について触れておきたいのは、介護契約自体が、任意後見契約締結の主
たる目的である身上監護の一態様と言え、任意後見契約締結能力を考える際に
278
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
有用であると考えるからである。
東京地判平成 24 年 5 月 29 日判例集未搭載(LEXDB25494391)で は 28)、介
護契約締結に関して、
「本件入居契約は、入居者が終身にわたり本件施設で生
活することを内容とし、多額の入居一時金等の支払いを要する契約であると
ころ、本件入居契約に関する重要事項の説明は、被告Bに対して行われてお
り・・・、これらの事情に加え、原告としても、多額の経費の支払を要する本
件入居契約を理解するには、相当の判断能力を有すると考えられるところ、原
告の判断能力が低下していたことにかんがみれば、本件入居契約締結の時点で、
原告が、本件入居契約の内容の十分な説明を受け、本件施設内でのサービスの
内容や、本件入居契約締結の時点で、その契約内容を理解していたかについて
は疑問がないではない・・。しかしながら、原告は、本件施設に入居した後、
約 8 か月にわたって本件施設で生活している上、その間、要介護 1 の認定を受
けるなど、原告の状態が改善しているのであるから、本件施設で提供された介
護サービスは、原告の症状に照らして適切なものであったということができる」
として、
原告(高齢者本人)の損失や介護施設の不当利得はないと判断している。
(3)
「契約」締結能力
以上 2 つの裁判例から、任意後見契約や介護契約といった、契約者が高齢者
であることを前提とした契約の場合、どの程度の意思能力が必要と言えるであ
ろうか。まず、任意後見契約と介護契約を比較した場合、先にも述べたように、
任意後見契約自体が財産管理と身上監護を含有するものであること(任意後見
法 1 条 2 号)
、介護契約にあたっては、重要事項の説明を行うこととなってお
り(社福法 75 条 1 項、77 条)29)、任意後見契約よりはより利用者に配慮され
ていることから、任意後見契約の方が介護契約よりも求められる意思能力の程
度は高くなければならないだろう。この点、裁判例では介護契約の内容を理解
するのに「相当の判断能力」が必要だと言及されており、任意後見契約におい
ては、より複雑で、通常聞き慣れない法律用語であふれた難解な言葉を理解す
279
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
る必要があり、相当な程度の意思能力が必要であるということが推測される。
なお、介護契約について裁判例が、高齢者がそれを理解していなくても、
「状
態が改善している」こと、
介護サービスが
「症状に照らして適切なものであった」
と判断している点に留意が必要であろう。なぜなら、介護契約において、その
契約内容を真に理解していなくても、結果として本人の状態、症状が改善する
ものであれば良い、としてしまったのと同じだからである。
四.意思能力の有無・程度の判断基準
以上の検討から、遺言、任意後見契約、介護契約に求められる意思能力の程
度は、遺言≦介護契約<任意後見契約ということになろう。意思能力の有無・
程度の判断基準について、まず遺言能力については、大まかな分類として 3 つ
の基準が挙げられた。第一に、診断書や鑑定、医療・看護記録といった「医学
的見地」である。第二に、運筆能力や財産額、自筆・公証の違いといった「遺
言の内容、形式」である。第三に、本人の性格や学歴、生前の意思、周りの状
況といったような「本人の状況と周りの者との関係」である。これらのうち、
最も重視されるのは、医学的見地であるが、従来の裁判例と同様、この 3 点が
総合的に考慮され、判断されている。さらに、医学的見地においても、家族内
で診断書を出し合うなど、それぞれが競合する場合が考えられ、その場合には、
高齢者の主治医の意見書が最も重視されるとともに、介護・看護記録よりは、
検査や専門的な知見に基づく診断書の方が重視される。また、遺言の形式・内
容については、遺言の内容について単純なものであれば、それほどの能力が要
求されないが、例えば、財産額が多いなど、周りに多大な影響を与える場合な
どについては、通常よりも高度な意思能力が求められるといった裁判例もあっ
た。とりわけ、遺言の内容、形式については、本人の状況と周りの者との関係
に大きく影響し、遺言の内容の把握について、より本人の意思に沿い、周りの
者との関係から合理的か否かを判断するという基準を設けていた。
280
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
次に、任意後見契約については、新たに取り上げる裁判例はなく、その理由
として任意後見契約自体が一般的ではないことが挙げられる。ただし、公証で
行わなければならない任意後見契約について、唯一挙げた裁判例においては、
当該任意後見契約が委任契約と後見契約から成り、それぞれ 10 条におよび、
18 項目の事項が目録に記載されていることから、一度聞いただけでは理解し
難しいのではないかと判断されている。とはいうものの、東京地判平成 18 年
7 月 6 日を参考に、契約締結能力に関しては、医学的見地のみで判断し、契約
の意思については、契約の内容を検討するために、本人の状況と周りの者との
関係を考慮している点は、遺言とそれほど変わらないということができるだろ
う。
最後に、任意後見契約の構成要素の一つである、介護契約に求められる意思
能力について、入居契約には相当の判断能力が求められるとしながらも、契約
者(利用者)本人が契約内容を十分理解できていなくても、契約者(利用者)
の状態や症状を改善するようなものであれば、その契約自体を否定することは
しない、という点には留意が必要だろう。なぜならば、任意後見契約は、遺言
、 、 、 、
で問題となっているような財産の帰属のみならず、生存中の[傍点筆者]身上
監護についてもまた、契約で定めるものだからである。とはいえ、これは契約
締結過程と契約履行過程の違いの問題とも考えられ、任意後見契約と介護契約
に求められる契約締結能力や、契約当事者の問題は、その性質とも相まって、
なお一考の余地があるように思われる 30)。
おわりに
本稿では、意思能力が低下しつつある高齢者が、任意後見契約や遺言(公正
証書、自筆)といった法律行為を行う場合、どの程度の意思能力を必要とする
のかという点について、裁判例を中心に検討してきた。この過程で、現在、い
かに任意後見契約が利用されていないかが明らかとなった。一方で、超高齢社
281
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
会を見据え、
「終活」が活発になっていることもあり 31)、今後は任意後見のみ
ならず、法定後見も含めた成年後見制度の普及も見込まれる。こうした場合に、
意思能力の問題は、今回取り上げた単に契約締結能力の問題にとどまらず、高
齢者本人の残存能力の活用を念頭に 3 類型に分類された法定後見における能力
把握と、その判定基準の問題にも発展してくるだろう 32)。こうした今後の展
開も視野に入れ、引き続き研究課題としていきたい。
なお、今回論じた「高齢者と意思能力」というテーマは、奥山恭子教授のあ
たたかく、きめ細やかなご指導のもと、切り拓かれた「新たな道」であった。
研究者の末席を汚す私ではあるが、この新しい道により、裁判で意見書を書か
せていただくなど、社会に多少なりとも還元することができている。今後も、
個人と社会の関わり方、家族と法のあり方など、奥山恭子教授に教えていただ
いたことを心に留め、研究を深めていきたい。
1)‌総務省統計局ホームページ「統計トピックス No. 72 統計からみた我が国の高齢者(65
歳以上)-「敬老 の 日」に ち な ん で -(平成 25 年 9 月 15 日)
」
(http://www.stat.go.jp/
data/topics/pdf/topics72.pdf)
(2014 年 1 月 6 日閲覧)2-3 頁。
2)‌国民生活センター「2013 年 10 月 11 日公表『ねらわれてます高齢者 悪質商法 110 番』
実施結果」
(http://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20131011_1.html)
(2014 年 1 月 20 日
閲覧)などを見てみても、高齢者が被害者となる事例が後を絶たないことがわかる。
3)‌読売新聞「老いに備え任意後見」
(2012 年 10 月 12 日付朝刊)によれば、任意後見契約と
併せて遺言書を作成するケースが多いこと、また、悪質な業者が独り暮らしの高齢者に
任意後見契約を迫った事例もあると報じている。また、朝日新聞「成年後見 財産守れ」
(2012 年 9 月 18 日付朝刊)によれば、2010 年〜 2012 年 3 月までで、少なくとも 550 件、
54 億 6,000 万円の後見人(法定後見・任意後見にかかわらず)による着服があったとする
最高裁の調査について報じている。着服した後見人のほとんどが親族であるが、12 件が
弁護士などの専門職であったとのことである。加えて、医師と元患者が任意後見契約を
締結し、元患者の死亡後数億円の遺贈を受けたケースも報じられている(読売新聞「任
意後見人の医師に元患者から全財産遺贈 数億円相当 倫理面で異論も」
(2008 年 1 月
29 日付東京夕刊)
)
。
4)‌拙稿「よそ者にされる家族−任意後見における『本人の意思の尊重』の再考試論」古橋
282
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
エツ子=新田秀樹=床谷文雄編『家族と社会保障をめぐる法的課題―本澤巳代子先生還
暦記念論文集―』
(2014 年、信山社)
(掲載予定)
。
5)‌拙稿「任意後見における「専門家のかかわり」の意義:任意後見監督人のあり方を問う
裁判を素材として」アカデミア社会科学編第 4 号(2013 年)55-70 頁を参照。
6)‌拙稿「高齢者の財産管理と意思能力ー任意後見をめぐる裁判〔東京地判 H18.7.6 判時 1965
号 75 頁〕を契機として」横浜国際経済法学 18 巻 2 号(2009 年)161 頁。
7)中川善之助=泉久雄『相続法〈第三版〉
』
(有斐閣、1988 年)451 頁ほか。
8)鹿野菜穂子「高齢者の遺言能力」立命館法學 249 号(1996 年)1049 頁。
9)鹿野・前掲論文(脚注 8)1054 頁
10)‌村田彰「高齢者の遺言—遺言に必要な意思能力を中心として—」新井誠ほか『高齢者の
権利擁護システム』
(勁草書房、1998 年)96 頁。
11)‌松下正明「精神鑑定からみた遺言能力」司法精神法学 7 巻 1 号(2012 年)105 頁。その他、
精神鑑定の立場から論じた論文として、辻丸秀策「遺言者死亡後に行われた意思能力を
めぐる精神鑑定——遺言無効確認請求控訴事件——」比較文化年俸 20 号(2011 年)1-39
頁。なお、松下は遺言能力鑑定の特異性として、
「①多くの場合対象者は高齢者である
こと、②遺言が作成された時点は多くの場合高齢期であることから、高齢者における遺
言能力が問われること、③精神鑑定の対象者である被鑑定人はすでに死亡しており『死
亡後の精神鑑定』
、つまり、
『対象者の診察が不可能な精神鑑定』であること」を指摘し
ている(松下・前掲論文 103 頁)
。
12)村田彰「法律家からみた遺言能力」司法精神医学 7 巻 1 号(2012 年)121 頁。
13)村田・前掲論文(脚注 12)121 頁。
14)村田・前掲論文(脚注 12)121 頁。
15)松下・前掲論文(脚注 11)106 頁。
16)松下・前掲論文(脚注 11)108 頁。
17)‌松下・前掲論文(脚注 11)108 頁。Alzheimer 型認知症の中等度(中期)における、遺
言能力ないし包括的判断能力の障害に関する見解として、
五十嵐も同じ立場をとる(五十
嵐禎人「遺言能力と精神医学からみた判定のあり方」司法精神医学 7 巻 1 号(2012 年)
110 頁)
。
18)松下・前掲論文(脚注 11)108 頁。
19)拙稿(脚注 6)161 頁。
20)‌裁判例のデータベースである、D-1Law、LEXDB、裁判所ウェブサイトを利用し、期間
を平成 21 年 1 月から平成 25 年 12 月とし、検索語に「遺言」and「意思能力」と「任意
283
横浜法学第 22 巻第 3 号(2014 年 3 月)
後見」and「意思能力」と入力したものの中から、裁判例を読み、意思能力の検討をし
ているものについて取り上げた。ただし、
遺言であっても
「死亡危急者遺言」が対象となっ
た裁判例については、遺言の形態として特殊であると思われ除外した。
21)‌この間、任意後見契約に関する事案が全くなかったわけではない。例えば、東京地判平
成 24 年 4 月 12 日判例集未搭載(LEXDB25493928)は、法定後見の申立権者となりうる
原告が、法定後見が申し立てられる前に締結された、高齢者本人にとって不利益と思わ
れる任意後見契約の無効確認を求めるものであったが、訴えの利益がないとして却下さ
れている。
22)京都地判平成 13 年 10 月 10 日判例集未搭載。
23)熊本地判平成 17 年 8 月 29 日判時 1932 号 131 頁。
24)京都地判平成 13 年 10 月 10 日判例集未搭載。
25)拙稿(脚注 6)159-160 頁。
26)‌本件は、高齢者本人が、妻に全財産を相続させる旨の自筆遺言証書を作成した後、介護
施設に入所したものの、妻が先に死亡してしまったため、新たに介護施設において、公
証人立ち会いのもと、高齢者本人の兄弟姉妹 4 人(法定相続人)のうち 1 名に相続させ、
その者を遺言執行者とする公正証書遺言、ならびに、高齢者本院の生活、療養看護及び
財産の管理に関する事務を委任することなどを定めた委任契約及び任意後見契約公正証
書を作成した。高齢者本人が死亡後、後発の公正証書遺言につき、遺言執行者ではない
法定相続人の 1 名が、その効力について疑義を呈したため、遺言執行者である相続人が
遺言有効確認訴訟を提起した事例の控訴審判決である。なお、原審については、遺言能
力に関する判断基準を提示していないため、表 1 では取り上げていない(横浜地方裁判
所横須賀支判平成 24 年 9 月 3 日判時 2193 号 23 頁)
。
27)‌筆者が聞き及んだところによると、任意後見契約に関しては、
「ひな形」が用いられる
ことがあり、必要事項にチェックを入れれば、契約書が完成するといったようなものも
あるとのことである。実際に、インターネット上にも任意後見契約に関する「ひな形」
が多数出回っており、
「任意後見契約 書式」と検索すれば、公証人、行政書士、弁護
士などが作成したものが出てくる。そのほか、中山二基子「
『老いじたく』成年後見制
度と遺言」
(文春新書、2005 年)212-216 頁にも「任意後見契約公正証書(文例)
」として、
ひな形が掲載されている。
28)‌本件は、被告 B と被告会社が原告(うつ病、アルツハイマー型老年認知症と医師が診断)
の承諾を得ることなく、要介護認定申請を行った上、介護施設への入所契約書を署名代
行し、原告の意思に反して介護施設への入居契約を締結して原告を入居させ、さらに施
設内にて拘束を継続したことが、被告らの共同不法行為に該当するとして、損害賠償を
284
高齢者の意思能力の有無・程度の判定基準
請求し、さらに、介護施設への入居にあたって、原告の預貯金から支払われた入居費用
等(入居費用は 609 万 7,745 円)の返還を求めた事例である。
29)‌介護契約の契約書と重要事項の説明に関しては、拙稿「介護サービス利用契約の実態と
その問題点—消費者契約の視点から—」宮崎産業経営大学法学論集 19 巻 1 号(2009 年)
159-189 頁を参照。
30)‌介護契約の当事者の問題については、拙稿「介護契約と契約当事者―利用契約書から見
る契約当事者-」新井誠=秋元美世=本沢巳代子編『福祉契約と利用者の権利擁護』
(日
本加除出版、2006 年)97-118 頁を参照。
31)‌日本経済新聞「家族のかたち 5 高齢社会『墓友』集まる 孤独と遠慮切実に」
(2014 年
1 月 4 日付)
。
32)‌2010 年に、
横浜で開催された成年後見法世界会議では、
この「能力」の測定方法について、
心理学的な側面から大きな示唆を得た。こうした測定結果をどう法的に評価するかとい
うことが、今後の課題になりうるだろう(新井誠監修『成年後見法における自立と保護』
(日本評論社、2012 年)287-295 頁)
。
‌ 本研究 は、2013 年度南山大学 パッヘ 研究奨励金 I-A-2(Nanzan University pache
Research Subsidy I-A-2 for the 2013 academic year)のご支援をいただきました。厚く
御礼申し上げます。
285
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