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想像力から創造力へ
Title Author(s) Citation Issue Date 想像力から創造力へ 仲, 真紀子 学校教育, 900: 12-17 1992 DOI Doc URL http://hdl.handle.net/2115/44806 Right Type article Additional Information File Information GK900_12-17.pdf Instructions for use Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP 1 2一、利引 想像力から創造力 力 γ “ 4 っ﹂﹂ 0 ま立ていた G 品川吉これまでに見たことがなく、滋いてその子を立った支 次 の 臼 、 ジ ャ ク リ i ヌ自身ベビ i サ ー ク ル の サークルからでようとして大声を上げ、 ω 犯で踏みつけサー クルを間押しやろうとした。ジャクリ l ヌ ば 、 そ の よ う な え ジャクリ!ヌのところへ小さい労の・すが やってきた:::午 後になバて、そのf が ひ ど く か ん し ゃ く を 起 と し たfへどi A る能力こそ、知能の一郎まりであるとした。後が銀山内小した柏駅の ジヤクリi ヌ の 例 を ひ こ う 。 台 時 ジ ャ ク ワi ヌは一歳半であ 恕像とは、引の前にないものを思い浮かべることである。 発注心掛化字自のピアジェは、いいいの誌にないものを思い沼かべ 鍛 出 ? r a - 真紀子 U J ヌがかんし心、くの様子を問中心 の光去をお獲で表わす の制刺激に応じて反応するだけの然体になってしまう。均等な 動 物 は 、 イ メ ー ジ す る 能 力 の お か げ で 刺 激iv反 応 の 束 縛 か ら 大 げ さ だ と 患 う 万 も い る か も し れ な い 。 だ がU の 訴 に な い も のを磁の中で戸内攻する力。これがなければ枚々は、環境から ことはできれ弛い。だが、身体をつかって表現したのだ。 ピアジーが考えたように、模倣を知能の始まりと兇るのは , ぃ 考えた。了時明記十のジャクリi ヌ に は そ dか べ る こ と が で き た か ら こ そ 、 可 能 な の だ と ど γジェは このような模倣は、ジャクジ る事実は、非常に達也をひくに仮するものであった・ :jo (クレイン(-九八凶)の鉛八万による) やで大声をトしいけ、何出も服絞り返し続く踏みつけ、サークル を動かそう、とした。この全体の光祭の模倣が行なわれてい /¥ n i “ ‘ w 1 1 1 { 努力から f l Jゐ 7 7へ いではないだろう。 ない。設かな想像力はファンタジー、夢想的なもの、現実に 経験したことをありありと思い浮かべるだけが想像かでは はありえないようなものさえもいきいきと患い一ぷかべること JU さ で 、 ジ ヤ ク リi ヌの例にけんられるように、想像のもっと 続敬されたといっても も以初的な形は、一以絡に経験したものをもういちど思い起こ を語り、その後を続けさせるという方法で、チどもがどのよ 内山川(一九八六)は幼時悦協のチどもた+りに絵本の途中まで を内総にするむこのカは、どこからくるのだろうか。 うに想像力を発持するかを潟ベた。﹁おるすばん﹂という物 は、それをどのお変緩験したことがあるかと凶係があるよう すことである。中小究明弘、あることをどの程度イメージできるか だ。後殺の研究中、心で中悶(ト本発茨)が大学生を対象に行なワ 語では、おかあさんが出かけてしまい、主人公の女の子がひ Jメ iジしやすく、記殺に た淵制定では、絞殺のある場合ほど ツやすかった。例えばここにAKB、二つの域間がある。 も残 n とりでおるすばんをすることになる。す八一関のチャイムがどン ポi ン と な っ て 、 さ て こ の 続 き は ど う な る か 、 と い う の が 間 どちらの治討の万がイメiジしやすいだろうか。 にお話を絞げることができた。だが判明完投の低い次のような を絞けることができたのでみる。 物語では、閉山伎はιにくらべ、五歳山花の方がずっとうまく物認 おである。この物語の場合、四歳山んでも五歳児でも閥じよう 木の薬会仲間う 木のトンネルを⋮巡るところ 木の来を叶絞る笈 B 切符をさしだす 八 ト 改札 μを 通 る と こ ろ 切符をきる茨 きつねのだあと すから、トトはしほ口、学をながめていました。ふ叩れの外を、 A 引公的ハさんの手 山の山明日腕までの送 木の葉を混とす がもってきてくれたのです・::・ ο 山一之むかつて事♂だし、たのです。赤い成総は、線開りな小鳥 ふわあり、トトのからだがちゅうにうきました。窓から、 た認だ!﹂':・どうしたら、あそこへいけるんだろう守﹂ いろいろな認がとうりすぎました。﹁あっ、糸魚の形をし h mのトトは金魚鉢の小でいつもひとりぼっちでした。で 初日付をうけとる の多い A の方げかイメージしやす ホームまでの階段 多くの人にとって、 いのではないだろ'?か。 二、豊かな想像力とファンタジー a 仏守 ︿滋巻が,+引きんぎょのトトとそふ,のくも﹂こくま社より) ある五歳児がつくったぷでは、ふうせんはさまよヮて、あ わ や 月 の は う ま で 飛 ん で 行 っ て し ま う uだ が 幸 い 地 殺 に 向 か うロケットにひっかかれノ、地球に係ることができる。そして トトは泌にも山川にも行けるようになって、友達ができた、め でたし、めでたしとなるのヤめる。同教問ん勺はこうはいかな はた 白山 占 'k ν 戸 ( i E) j炉 、i " i、筑波ミ 白 ② 捻i { 丹 、 8、 ! ) , をつくることができるのである今関川氏児と双⋮双山川んの必知総力 の途いから、内田は、単に経験のあるなしだけでなく、ある 事象からどの主うなことが生じるのかという函館木関係の潔 m m、また物語の構成に関する知議などが、ファンタジーをふ くらまぜるのに関与していると考察している。 一一、クソエイティブな想像 ODム ¥_Tζ 丁 8X ¥ j J ンケと パタンを郊き表わす。ブィン ケら(一九八人)はこれらの をあたえられた被験者は、二 分間考えたのら、山思いついた くりなさい、という'ものであ ったっ実験者から-一一つの問山形 せて、意味のある、できるだ けクリエイティブなものをつ 討にみるような単純な悩彩や 文ヂの中から一一一つを呪み'一日わ スレイトンは、﹂人ベデ牛一に炊の ような深刻一をだした。それは、 h るた のではない。フ フ 7 ンタジーにはかなりの泌芯伎が妥ぶされる。だが災に クリエイティブしなファンタジーや忽後となると、そうらやゐくあ 。 C い。つまり、問歳児子、は経験のあるなしが認をつくれ忍つく れないに大きく絞殺門するが、五歳出んでは経験がなくても、議事 同町 . : 1 : 7 . , ぉ4、 f';可f ' ~~ご ""γ → :-"lf..J 汀 EI 必 z γ A決 μ 丸j ♂ ' . " 什 巴 U クリヱイティフな/てタン .ifJl.なパタン 1:~{:ゑカから政j;;5: 1 ] へ - 15- 怒いつく畑山りの論理的方法をつくしたにもかかわらずうまく くマッチした知議や思考が活性化されたときに可能となる。 吟一のパタンのうら、五ハにクリヱイティ いかないとき、いままで思いつかなかった知識や思考が活性 hH ばクリエイアイヅな想像力 役割も大きい。電流が流れている従線のそばに磁石、が俄然緩 織するように、発見や創造の然出夕、の中で偶然が来たしてきた ι している。またヘツブが指 突然ひらめいたという体験を線 お 実際、多くの科学者が、あてのない様々な試みの中で答が することが、試行錯誤なのである c 化されるよう、外界からの偶然の終激を取り入れようと行動 c この研究は、筆者の演 パタンをクワエイヲィアなものと平凡なもの、その他に分類 した。得られた一二百 γ ' ブなものとされたのは.九であった 習でもね門前はか必ぶしたが、似たような給栄が得られている。 添えは(がっかりしないでほしい いであったため、ォ l スチッドはぷ流の磁力効采を発見した。 経験や匁滋しと怨品陥没が鵠迭するのは、内約一によって不唆さ のだが)﹁試行務総﹂である。フインケらの実験では、⋮一一九 写真フィルムをたまたま係符すべきでないところに保存して 2 人の後恥税務のほぼ円分の⋮ニがこの方略を使っており、災にケ が発療できるのだろうか 八が﹁試行鈴誤﹂ いたため、ベケレルはウラン塩からの自然放射能を発覚した。 つ十 れたことろである。だがい Y7 によってつくられたものだったむ実際、課題が始まる前にど リエイ⋮アイヅとされた一九のパタンや7ち フレミングは洛凝血を夜滋にしておかなかったためにペニシ d いつかないのが続過である。いわゆるとんち間務(綿察課鐙 のようなものができあがるか被験者に子殺させても、何も思 リンを発見した:::。 だ、か、そういった偶然はきっと他でも生じていたはずであ と同時ヘは、れる)の解決過程を諮べているメトカルフェら二九 けかぶこ の問題では、答は子制仰なしに後一然 4 114 る。道援なことは、処るべき人に日比られてはじめて、発日付んが 八七﹀も、この なされるということであ予フ c発見に気づくのは、準鍛され とがなず と報告している。ぃ純度な創造住が婆求される潟祭問 L r 題では、試行錯誤を繰り返したのち、答は突然ひらめくこと た心なのである。ひょうたんからでたコマは、川訓練された" の恵み。これがクドノエイティブな想像への糸口なのだろうか。 にしかわからない。事JUし、一総りきった心に与えられる偶然 が多い。 試行錯誤というといかにも非科学的なようだか、学別倍、心環 問 、 想 像 力 か ら 創 造 力 へii懇 像 性 の 伝 遂l j 八千訟のヘッブ(一九七五)によれば、これも意義のある方絡 である。ヘッブは邸心得を、 h m滋と外界からの刺激との共同作 条で成立するものと考えた。問題の解決は、その問題とうま -1 6 だが、怨像力が創造力になるには、もうひとつの必件があ る。いくらクリエイティフな恕像であっても、想像である絞 刻はすべての吸で成り立っていることが証明された。. がお治である。創造することによって、ひとれソの販の中にし しかない。川中心い以かべるだけではなく、それを実現すること か な い で ほ し い ) の 子 ネ ル ギ i郊 の 発 見 を し た と き の 記 述 で 取となる非調和桜動子(これがどのようなものであるか、間 原子物理学者であるハイ.ゼンベルクが、分下内の振動の模 (ハイゼンベルクご九七問)より引用) c り、それは引の郊にないものを顕の中で思い浮かべることで かなかったものが、多数の人に仕ハ恥利されることになるのだ れん過しが正しいかどうか、興会しながら証明を進めた。そし ある。 ジヤクリi ヌはまだことばが話せなかったので、想像した 分の考えを,d明し、議論を戦わすことになる。沖同然的な説明 て数学的な証明をした後もさらに、多くの物理争中引たちに口 HU も肝臨むような段通しを得たハイゼンベルクは、その ないのである。 想像の殺物は、泌切に伝法されなければ初治されたとはいわ Mの 研 究 に 協 力 し て く れ た 問 決 児 もの会身体でよ火災んした。内 m 一 のい八度かぬり T 、ネルリキ!の炎を今日 μ はきわめて論理的な、コミュニケーションの手段である。必 も回見える試行鈴拙訟の巣たす役割も大きい。一方、説明や検訟 ように、行あたりばったりなぷ分が多く、偶然や非比側部極的と を証明、検説し、体系化する過絞である。発見は先に述べた あるいは新しいアイディアの達成であり、もうひとつはそれ ヘッブは、思考をふたつの附悼式にわけた。ひとつは発見、 くることに法芯してほしい。 の後にひらめきがあうたのではなく、ひらめきの後に蕊引が OH 日 聞 きd業 五絞川んは、話し一⋮必然で物 吐山の絞きを語勺てくれた。フィンケ らの被絞おは、できあがったバタンを絵に渇いた もまた品取委なメディアである。そして科学的な必像は、論滞情 的なことばで誕明、象辺されなければならない。 すればはなはだ阿見通しの態い計算によって定めること、かで 像を創造にするには、定義されたを築を問問い、体細樫的な訪山約一 ::このよう々ある娩、 本市iに絞認されたときに、私はある輿絞状態におちいって きるという所までぷ注した。れ取初の一項でエネルギー財が で、想像を記述するコミュニケーションのカが必婆である。 五、学校教育における想像力と創造力 しまい、それから先の汁鎮では何度も何度も計算のミスを 繰り返してしまったほどだった。それで計算の毅終的な結 采がでたのは、ほとんど夜中の三時間別であった。エネルギー - 17- 怨{象カから若J I ; ; J : カ へ のに適さないかもしれない。もちろん閉じ体験でも、先索、 つことであろう。その芯味では、学校教一斉一は想像性を符てる につけるひとつの方法は、進んで多くのユニークな体験をも 想像性は、体験の関数でもある。ユニークな想像力性を身 ここで述べたことを、学校教育との関連で整開校してみよう。 だに影町山内力は弱いように見える。文化をこえて、影努力のあ ながら、日本のオリジナルには影響力がなかった。そして今 リジナルでは、と思わされることも多いのである。だが銭危 なことをすでに言っている人もいて、むしろこちらの方がオ べているくと、欧米の諺名な理論家が立っているのと同じ綴 生徒によって受けとめ方は呉なるだろう。だがひとりひとり dg命H W U仏渦 ョ 。 ﹁ ︺ ﹃ 伶 の 9町三門戸32 ・ 戸 市 町 ( 山 ) 、 開 vn百 一032。口叫 O﹃円﹃再出向日︿時三山口由一 ∞p ⋮HZhum門∞ r 会e J可 小体・中ぬ(ぷ)発達の市 テーションの力を強化する必要がふ﹂也、と強く感じている。 ¥HMJ る ア イ デ ィ ア を 提 心 す る に はii想像力を創造力と'ずるには il ユニークな経験もさることながら、一品川千力とプレゼン 附ご志向の学級ではなかなか 、 旬 -y V42 へ引用文双﹀ -w-C タレイン 見帆 N { iノJノ ビ のためにユニークな環境を盤え、'個性や山間心にそった活動を 泊中織するといったことは、﹁ 難しいのではないだろうか(反発があることを強く望む三 一方想像性を伝達する能カを伸ばすには、学校は格好の訓 } り 55 z r p H N - ﹀'hrω}352v-F He 叫可コ門﹃冊出 F日 なくてもわかる﹂家庭の中では、説明する力、説得するカは 練の携となり得る。ジャルゴン、が飛び交う仲間関係ゃっ一応わ N印MlM印吋・ P ことばでヅレゼンテ l ションする訓練は、山開心像作 を つ ち か う E U a 一 円 弱 九七四山出帆叫(訳)部分、どん土品悼みすず H J 申告 ZZ5355gF Z522H 同一︺門 間Z H 令?没学業論文(ヤホ発表) (千葉大学的叫数授 間的mfe 九八六ごっこからファンタジーへ叫制緩社 内m 九九 中限延弥イメージの鮮明さと 1 比 憾 の 関 係 千 業 大 学 数 立 川 j部 会 円 KGZ2zg一︿一口ね認ゆ吋吋M ∞tNKF町、 ω )匂旧ω G﹁可hpnc間口Mgp] 印( FA225w}か巧目白ずF 0・ ハイピンベルケ -W ヘッブ -D-O-九じ十紅白弁他へ沢}行動学人門紀伊例仰い AH山 H ぢたない。怨像し、須のやではぐくんだことを他人にわかる の叫吋代でも、まだ議叫がは美徳なのだろうか。大学の数資 AAy のと間円相?に重姿である。 現場からもの生山沿えば、たまに出会うアメリカの大学生、大 学院生の人をひきつけ、自分は有能だと見せつけるカには終 c はっきりいって く。考えたことをはっきり、わかり'やすく、魅力的に話す努 力は重要である。 研究おとしての点場からもひとことある 臼本の心夜学は欧米追従型である。だが日本の先行研究を務 5 耳 H i