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愛犬物語「命のバトンタッチ」
はじめに はじめに こんなことが、この世で起こり得ることなのでしょうか。 しかし、「奇跡」としか⾔いようのないこんなことが、現実に起きたのです。 万物の創造主でもここまで⾒事な演出はできなかっただろうと思うほど、とても信じられない出来事 でした。 「第⼀章」運命の出会い (⼀)プロローグ 「ハスキー⽝をウチに連れて来ていいかしら」 私が仕事から帰宅すると、⽞関に出迎えた家内が、どうしたことか⽬に⼀杯泪を溜めて、搾り出す ような声でそう⾔いました。4⽉の終わりのことでした。 私にはそれが何を意味するのか、咄嗟には理解出来ませんでした。 ⾔葉の意味よりもむしろ、いつも冷静で気丈な家内が、柄にも無く取り乱したその様⼦に驚かされた のです。 (何かあったな) そう思った私は、リビングに⼊ると椅⼦に座り、家内からゆっくり話を聞き始めました。 私たち夫婦は、我が⼦のように溺愛していた雄のハスキー⽝ ゴルビーを、前年の8⽉30⽇、残暑厳 しい⽇に亡くしていました。 ハスキー⽝としては⻑寿と⾔われる13年6ヶ⽉と2⽇の⽣涯でしたが、急な病だったこともあり、 私たちにとっては余りにも早世だったとの思いをどうしても捨て切れませんでした。 ですからお葬式は済ませたものの納⾻はせず、居間に仏壇をしつらえて遺⾻と位牌を安置し、その 後ろに遺影を飾って、在りし⽇のゴルビーを偲んでいました。そして、家内は暇さえあれば仏壇の前 に座り込み、ゴルビーと仲の良かった⽝のことや私たち家族の様⼦などを話して聞かせるのが、⽇課 となっていたのです。 古来“⽇薬”という⾔葉がありますが、私たちにはそんな薬が効くはずもなく、亡くしてからもう 1年が経とうというのに、家内ときたら、ゴルビーをよく知る友⼈とその話題に及ぶと、場所や⼈⽬ もお構いなくうるうると泪をあふれさせる始末でした。 「もう⼼の傷は癒えましたか?」 「次のワンちゃんはいつ来るの?」 愛⽝家仲間からは、そんな気遣いの⾔葉をかけて貰うことが多かったようですが、その都度家内は、 「いいえ、まだまだ泪の毎⽇です。それにあの⼦よりいい⼦に巡り合えるとは思えなくて・・・。だ から新しいワンちゃんのことなんて、考えたこともないのです」 と答えていました。 私たちにとって、ゴルビーはかけがえのない家族のような存在でした。困難なことが降りかかった 時も、また喜ばしいことがあった時も、いつも私たちのそばにいて、優しい眼差しと愛らしいしぐさ で元気と勇気を与えてくれたゴルビーは、家族みんなの⼼の⽀えであり、何物にも代え難い宝物だっ たのです。そんなゴルビーと最も多くの時間を共有した家内の悲嘆は⼤きく、その喪失感を他の⽝で 埋め合わせるなどということは、とても考えられないことでした。 (ゴルビーしか愛せない。もう⼆度と愛する⼦を失う悲しみを味わいたくない。) そんなかたくなな殻の中から⼀歩も出たことがなかった家内が、突然泪ながらに新しい⽝を連れてく ると⾔い出したのですから、私が驚いたのも当たり前です。 (⼆)ハプニング ところが家内の話を聞くうちに、次第に私にもただごとではないことが分かって来たのです。 家内の話は、こうでした。 この⽇の⼣⽅、家内は買い物帰りの道で、愛⽝家仲間であるダックスフンド ベンちゃんのお⺟さん と半年振りにばったり出合ったのでした。ベンちゃんのお⺟さんは、ゴルビーを亡くして悲しみに打 ちひしがれている家内の⼼情をよく知っていて、この時もお互い涙ぐみながら⽣前のゴルビーの思い 出や、なお⽴ち直れない近況に話が及びました。そして、そんな話にひと区切りが付いた時、ベン ちゃんのお⺟さんが少しためらいながら、こう切り出したのだそうです。 「実は、ほんの先程のことなんですけどね・・・」 この話が、この先我が家に起こる“奇跡との遭遇”のプロローグになるのですが、この時の家内は そんなことは知るべくもなく、ただベンちゃんのお⺟さんの顔に⾒⼊ったのでした。 ベンちゃんのお⺟さんの話です。 彼⼥はその⽇の午後、通りかかった公園で思わず⾜を⽌めたそうです。なぜなら、最近はめっきり ⾒かけなくなったハスキーの⽴派な成⽝が、公園の⽚隅の⼤きな⽊に繋がれ、⼈待ち顔で⽴ち竦んで いたからです。⽴ち去れず⾒⼊っているところに、知り合いの近所の婦⼈が話し掛けてきて、このハ スキー⽝にまつわる事情を教えてくれたのでした。 どうやら飼い主さんが家業の倒産で家を失い、この⽝の⾯倒を⾒られなくなったものの、⼿放すこ ともできず、昼間は公園の⽊に繋いだまま出かけ、夜だけこの⽝と⼀緒に過ごしているらしいので す。 それを知った周辺の愛⽝家が、カンパし合って⾷べ物や寝具を運んだり、交替で様⼦を⾒に⾏った り、⼦供たちが公園内を散歩させたり、なにくれと世話をしているのだとか。しかし、いつまでもそ んな環境で⽣活させるのはかわいそうでならず、誰もが新しい飼い主が⾒つかることを⼼待ちにして いるというのです。 「そのハスキー⽝を⾒た時に、ついゴルビーちゃんのことを思い出しましてね。その直後にこうして あなたにお会いしたのですから、本当に驚きました。こんな話はお聞かせしないほうがいいと思いま したが、その⽝を⾒た時の興奮が尾を引いていたものですから、胸にしまって置けず、ついお話しし てしまいました。ごめんなさい」 ベンちゃんのお⺟さんは、まだゴルビーを亡くした悲しみから抜け出せないでいる家内に、新たな ⼼痛を与えるような話をして申し訳ないと謝ったのでした。それを聞いた家内は、そのハスキー⽝の 不遇な⾝の上を気の毒に思ったものの、それ以上のことは考えられず、ベンちゃんのお⺟さんの気遣 いに恐縮しつつ、その場を後にしたのでした。 (三)胸騒ぎ しかし、ベンちゃんのお⺟さんと別れて⾃宅へ帰る途中、我知らず⼼が掻きむしられるような胸騒 ぎに襲われていったのです。家内にはそれが何故なのか分りませんでした。ただ、今聞いた話を反芻 していくうち、次第にゴルビーとそのハスキー⽝とが重なり合いだしたのは確かでした。 いつまでも私たちと⼀緒にいたいと願いながら、急な病には克てず天国へと旅⽴っていった愛息ゴ ルビーと、⼤きな樹⽊に繋がれながら「⽣きていたい」と叫び声を上げているその⽝とが、全く同じ ⼼情に思えてきたからです。「⽣きたい」と願っても、⾃らの⾏く末を⾃分の意思で決められないこ のハスキー⽝の切迫した境遇に、胸が潰れるような息苦しさを感じていったのです。 (この先どれだけ永らえるか分からないハスキー⽝が、今公園につながれていて助けを求めている。 この不遇な⼦のことを、ただ聞き流すだけでいいのか。何も⼿を差しのべないでいいのだろうか) 終末に苦しむゴルビーの悲痛な表情と、「助けて!お⺟さん」と訴えているようなうめき声が急に 思い出されて、家内の頭の中はグシャグシャになりました。 (このまま放って置くの? 助けに⾏くべきなの?) もちろん、助けに⾏くということがどういう意味なのか、家内にはよく分かっていました。 家内は、帰宅するとすぐさま愛息ゴルビーの遺影の前に正座して、つとめて⼼静かに語り掛けまし た。⼤きな額に収まって⾸を傾げた姿のゴルビーは、いつもよりさらに優しく微笑みを投げかけてい る様でした。 「どうしたらいいと思う? お⺟さんはすごくショックだよ。助けるの? お前とは似ても似つかない⼦ だったらどうする? お⺟さんも年だから、お⾏儀の悪い⼦や、病気がちの⼦だったら⼿に負えない よ」 するとどこからか、ゴルビーがおねだりする時に決まって出していた、⽢えたような独特な声が響 いて来たというのです。それは疑いもなくゴルビーの⽣の声だったと、家内は今もそう⾔って憚りま せん。 (お⺟さん! その⼦は今助けを待っているんだ。お願いだから、僕だと思って助けに⾏ってあげ て!) ゴルビーが遺影の中から今にも⾶び出さんばかりの迫⼒で、その⼦の救出を訴えたと、家内は⾔う のでした。 (四)確かなメッセージ そこまで話を聞いた私は家内を制して椅⼦から⽴ち上がり、愛息の遺影の前に独りで正座しまし た。 (お前は、その⼦の様⼦を天国からジッと⾒ていたのか。だから、「助けてやって」というメッセー ジを必死にお⺟さんに伝えたんだろう?) 私は遺影のゴルビーに向かって⼼の中で語りかけました。 ゴルビーは⽣前と同じように、はっきり⾃分の意思を訴える表情で、まっすぐに私を⾒つめていま した。 実は私には、ゴルビーの命の灯⽕が急速に消えかかっている時に、いち早く気付いてやれなかった という悔悟の念がありました。それがゴルビーの願いなら、その⽝に⼿を差し伸べることでゴルビー への償いができるような気がしました。そして、決⼼したのです。 「分かった。ゴルビー! お⺟さんと⼀緒に、今すぐその⼦を連れに⾏くよ」 夜も9時半を過ぎていました。 私たちはハスキー⽝が繋がれている公園を⽬指して⾞を⾛らせました。「お⽗さん、お⺟さん、あ りがとう」というゴルビーの声が、⽣前お定まりだった⾞の後部座席から聞こえてくるようでした。 今向かっているその公園には、ゴルビーも待っているような気さえしていました。 30分ほど疾駆して、閑静な住宅街の⼀⾓にあるその公園に着きました。夜の公園は漆⿊の暗闇に包 まれていました。⼊り⼝に⽴ってじっと⽬を凝らすと、たしかに奥まった隅の⼤きな樹⽊の下に チェーンで繋がれているハスキー⽝を⾒付けることが出来ました。⼦供⽤のような⼩さな布団の上で 体を丸くして眠っているようでした。 私たちは急ぎ⾜で、しかし驚かせないように⾜⾳を忍ばせて近付いていきました。するとそのハス キー⽝は、私たちの気配に気付いてムックと体を起こし、こちらの⽅に視線を向けたのです。 (五)夢か幻か その時、私たちは息を呑みました。⽬をこすって⾒るというのはまさにこのことです。⽬の前に、 私たちの愛息ハスキー⽝、ゴルビーがいるではありませんか。 いや、⾒間違えるはずはありません。夢でもない、幻でもありません。 ⽩⿊の体⽑、体⾼、キリッと巻き上がった尻尾、涼しげな切れ⽬、凛々しく屹⽴した両⽿、⾼貴な ⿐⽴ちなど、全てがゴルビーそのものでした。そしてなんと、トレードマークだったブルーとブラウ ンのバイアイ(左右の⽬の⾊が違う)までもが⼀緒だったのです。 これまで数え切れないほどのハスキー⽝を⾒たり、接したりしてきましたが、ゴルビーに似た⽝に は⼀度も出会ったことがありませんでした。そもそもハスキー⽝は、⽑⾊ひとつとっても⽩⿊、茶⾊ と実に様々で、たとえ親⼦であっても全く外⾒も同じということはないと、ブリーダーの⽅から聞い たことがあるくらいです。特にゴルビーは歌舞伎役者のくまどりもどきの特徴的な眼元でしたから、 そっくりということはまずありえないはずなのです。 それがどうでしょう。その眼元までもが⽠⼆つだったのですから、私たちの驚きはとても⾔葉では ⾔い表すことができません。あまりのことに頭が真っ⽩になったほどで、もはや「奇跡」としか⾔い ようがありませんでした。 「元気にしてる?」 思わずその⼦の前に座って、優しく声をかけました。よく⾒ると、ゴルビーとは違って「雌」でし た。でもそんなことはどうでもいいことでした。ゴルビーがこの⼦に乗り移り、私たちの⽬の前に現 れているだけで⼗分だったのです。 (連れに来てくれたの?) そう⾔いたげな必死な眼差しを向けるその⼦を、私は両⼿で抱いて、優しく愛撫してあげました。 ゴルビーが⼀番喜ぶ愛情の意の交換と同じでした。すると案の定、その⼦もゴルビーと同じ様に体を クネクネさせながら、全⾝で喜びを訴えたのです。 「ご飯は、ちゃんと⾷べている?」 私はゴルビーに接するようにそっと顔を近づけました。するとどうでしょう。この⼦は私にグイと ⾝を寄せ、いきなり私の顔をペロペロと舐め出したのです。⽝が⼈の顔を舐めるしぐさは、最⼤の親 愛のアピールなのです。実はこのしぐさには忘れようにも忘れられない、強烈なゴルビーとの出会い の時の「思い出」があったのです。ですから、そうしてくれたことが⼀層この⼦との出会いを強烈な ものにしてくれたのでした。 ペロペロされた私は、泪が溢れてくるのを必死で堪えました。その様⼦を⾒ている家内の顔もすで に泪でぐしゃぐしゃでした。私は思い切り抱きしめたい衝動に駆られました。この⼦の体の温もりを しっかりと感じたかったのです。 (やはり、ゴルビーがこの⼦に乗り移っているんだ!) 私たちは、⼼の底からそう思いました。この世にこんな⽠⼆つの⽣き物が現れるはずが無かったか らです。 (六)愛⽝家グループ 「このまま連れて帰ろうか」 家内が私の⼼の内を代弁するかのように、そう呟きました。 「そうしたいね。でもそれは出来ないよ」 いくらこの⼦が亡きゴルビーと⽣き写しであったとしても、飼い主さんや世話をしているご近所の ⽅々の了解無しに連れ帰るなど、許されることではありません。 とは⾔うものの、ペロペロと私の頬を舐めながら、「連れてって!」と訴えているこの⼦を⾒てい ると、このまま黙って⽴ち去ることも無慈悲に思えて息が詰まりました。 こんなことになるのはある程度予測されたことでしたから、ここへやって来る前にもっとしっかり と⼼の下準備をしておくべきだったと、深く後悔しました。私たちは⾝動きが取れずに、しばらくそ の場に座り込んだままでした。 その時、背中の⽅から声がしました。 「ベンちゃんのお知り合いの⽅ですね」 振り返ると、可愛いシーズ⽝を抱いた婦⼈が、⾜早に近づいて来たのです。 「公園の側に⾞が停まって、お⼆⼈が公園内に歩いて⾏かれたので、きっとそうだと思いました」 その⽅は、公園の向かいにあるタバコ屋の奥さんで、⾃宅から公園を⾒ていて私たちの姿を⽬撃し たのだそうです。 「夜分申し訳ありません。ベンちゃんのお⺟さんからお話を伺い、駆けつけて参りました」 「やはりそうでしたか。ひょっとしたら、ハスキー⽝を10数年飼っておられた⽅が公園に来られるか も知れないと、ベンちゃんのお⺟さんから連絡がありましてね」 彼⼥はそう⾔って⼈懐こい笑顔を浮かべました。そして、エプロンのポケットから携帯電話を取り 出すと、ダイヤルをプッシュしはじめました。 「とにかく近所の皆さんに声を掛けますから」 と、⽮継ぎ早やに何⼈もの⼈を呼び出したのでした。 腕時計を覗くと、既に10時半を回っていました。 (こんな夜更けなのに⼤丈夫かな、悪いなぁ) 私はそう思いながらも、彼⼥の素早い⾏動に救われるような思いでした。 ハスキー⽝も、⾃分のことが話題になっていることを察知したのか、「私はどうなるの?」と⾔い たげに、⾸を左右に振りながら上⽬遣いに私たちの様⼦を真剣にうかがっています。 そうこうしている間に、3⼈の婦⼈が駆けつけて来ました。 この⽝を交替で世話している愛⽝家グループの⽅たちでした。早速ハスキー⽝と私たちを囲んで、 この⼦にまつわる⾝の上話が始まりました。 その話を要約すると、 <飼い主さんが⼿形保証のあおりを被って倒産し、家族もバラバラとなったが、ハスキー⽝は⼿放せ ず、この公園で1ヵ⽉ほど⼀緒に寝泊りしている。⽇中は愛⽝家グループが⾯倒を⾒ているが、いつま でも⽬を掛けてやる訳にはいかない。この状態が⻑びけば、この⼦はきっと病気になってしまうに違 いない。 そんなところに⼤変な問題が起きた。それは飼い主さんが新しい仕事を⾒つけるために、ほどなく 単⾝で中国に向かい、渡航の期間は3ヵ⽉あまりに及ぶというのだ。その間このハスキー⽝をどこかに 預けたいが、飼い主さんはその費⽤の⼯⾯が出来ない。愛⽝家グループもカンパした資⾦で動物愛護 団体の施設に預けられないかと掛け合ってみたが、1⽇2,500円も費⽤がかかると分かり、断念。今は 飼い主さんのいなくなる⽇が切迫するにつれ、どうしたものかと皆、胸を痛めている。> ということでした。 「そうでしたか」 私は、⼤きなため息を漏らしました。 その時、リーダー格と思える婦⼈が、少し険しい表情で私たちをしっかり⾒据えながら、突然こう ⾔い出したのです。 「この⼦を引き取って貰えませんか?」 それはとても嬉しい話でした。愛⽝家の婦⼈たちが、初めて会ったばかりの私たちに、わが⼦のよ うに愛しんできたこの⽝を託そうというのですから。しかし問題は、飼い主さんの気持ちです。 「夜だけでも⼀緒に過ごしているという飼い主さんがそれに同意しない限り、勝⼿に連れて帰るわけ にはいかないのではないでしょうか」 私は懸念を率直に伝えました。 「じゃ、飼い主さんをここに呼びましょう」 リーダー格の婦⼈はすぐに携帯電話を取り出し、険しい表情のまま、飼い主さんに連絡を取り始め ました。相⼿が電源を切っているのか、なかなか電話が繋がらず、婦⼈たちの間に苛⽴ちが広がり始 めましたが、リーダー格の婦⼈はあきらめず何度も何度も電話をかけ続け、ついに相⼿を掴まえたの です。 「まもなく、ここへ飼い主さんがやってきますよ」 飼い主さんと会う段取りが取れてホッとしたのか、その婦⼈はそう⾔って初めて顔をほころばせま した。 (七)仰天 「こんな夜更けにご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい」 私たちは、あらためて婦⼈たちに頭を下げました。 「とんでもない。この⼦が仕合せになってくれれば、それが⼀番ですからね。私共が飼えればいいの ですが、皆それぞれに飼い⽝がいてこの⼦の⾯倒をみてやれないのです。そんな折にハスキー⽝を 飼った経験の有る⽅がこうやって来られ、飼い主さんに会っていただけるのですから、こんなに嬉し いことはありません」 リーダー格の婦⼈は、⾃信有り気に「飼い主さんもきっと喜ばれると思いますよ」と、そう付け加 えたのでした。 私たちは、この⼦が⽣前のゴルビーに⽣き写しである上、同じハスキー⽝でありながら極めて不遇 な環境下にあることを知った瞬間から、もはや傍観者ではいられませんでした。その思いをこの場で 打ち明けてはいませんでしたが、こんな夜更けに馳せ参じた私たちの思いを、愛⽝家の婦⼈たちは察 してくれていたようでした。 「あっ、来はった!」 Tシャツにジーパン姿の50歳代の男性が、急ぎ⾜でこちらに向かってくるのを⽬聡く⾒つけた婦⼈ の1⼈が、⼤きな声を上げました。 「すんません、ホンマに。ヤボ⽤に追われまして、遅くなりました」 飼い主さんが恐縮した顔付きで、集まっている皆に向かって頭を下げました。タバコ屋の婦⼈が、 私たちがここにやってきたいきさつを⼿短に説明しました。 それを聞いた飼い主さんは、あらためて私たちの⽅に向き直りました。 「それはありがとうございました。この⼦はモモと⾔います。雌の7歳で、来⽉8歳になります。 のっぴきならぬことが私に起きて家を失い、夜はこの⼦とここで寝泊りしているんです」 私たちは、飼い主さんに黙ってうなずきを返しました。 (この⼦はモモと⾔うのか。⼥の⼦らしい可愛い名前・・・) 思わずモモの⽅に⽬線を注ぎました。モモは、ヒョイと⾸を傾げる様⼦をしています。今夜の来訪 者はいつもの⼈間たちとはいささか違うなと、敏感に感じ取っていたのかもしれません。 「モモちゃん、ちょっと待ってて。⼤切なお話があるからね」 声に出して「モモちゃん」と呼んでみると、いかにもこの⼦にふさわしい、いい響きの名前でし た。しかし、感動している場合ではありません。慌てて視線を飼い主さんに戻しました。 すると飼い主さんが、信じられないことを⾔い出したのです。 「実は、今⽉末から3ヶ⽉ほど、中国に⾏くことになっています」 そう⾔って⼤きく息を吸い込んだ後、 「わがままかも知れませんが、その3ヶ⽉の間だけモモの⾯倒を⾒ていただけないでしょうか?」 飼い主さんの真顔が街灯の光の中に浮かび上がりました。 「えっ! この⼦を預かって欲しいとおっしゃるんですか?」 思いもよらぬ申し出に動転して、それだけ⾔うのがやっとのことでした。 「はい。帰国したら必ず迎えに⾏きます。」 飼い主さんは、さらりとそう⾔うのです。 私の頭の中には、モモを預かるという選択肢は最初から全くなかったので、その予想もしない申し 出に唖然としました。 脳みそが急激にこわばっていくのが分かりました。思わず横にいる家内を⾒ると、⾸をヨコに振り ながら、受け⼊れられないという拒否の意思を私に伝えています。 私たちが⼀瞬にして引いてしまった雰囲気を⾒て、リーダー格の婦⼈が飼い主さんに向かって語気 を荒げて迫ったのです。 「ちょっと待ちなさいよ。中国から戻る⽇取りもはっきりしないのに、この⼦を預かって下さいと、 どうしてそんな勝⼿なお願いが出来るの? いい加減なことを⾔わないでよ。今はモモちゃんが助かる かどうか、皆で真剣に考えている時なのよ」 「それに、帰ってきてモモちゃんを仕合せにする⾃信があるんですか? それもおぼつかないのでしょ う?」 もう⼀⼈の婦⼈も詰め寄りました。 後で聞いた話ですが、モモのことを案じている愛⽝家の婦⼈たちは、他⼈様の好意に縋ってその場 を⼀時凌ごうとする、飼い主さんの安易な態度に無性に腹が⽴ち、思わずそんなキツイ⾔葉を発して しまったのだそうです。 飼い主さんは、この厳しい追及にもただ下を向き、黙ったままでした。 私は、ここで私たちの⽴場をはっきりさせておいたほうがいいと考え、静かに飼い主さんに向き合 いました。 「⼀時的に私たちに預けることがモモちゃんにとって仕合せか、そうでないか。答えははっきりして いるはずです。あなたがおっしゃったその⽅法は、モモちゃんの⼼を弄び、傷つけてしまうことにな るのではないでしょうか」 それまで黙って聞き役に徹していた家内が、初めて⼝を開きました。 「モモちゃんをお預かりする役⽬を冷静に果たすなんて、私たちにはとても出来ません。わが⼦のつ もりで3ヶ⽉寝⾷を共にした後、何もなかったように離ればなれになるなんて。それに耐えられるほ どの強い⼼を私たちは持ち合わせていないのです。この⼦が神様から授かった命を全うさせるため に、引き取って欲しいとおっしゃるのなら、及ばずながら⼀所懸命⾯倒をみさせていただくことは出 来ます。その辺りをよく分って下さいね」 家内がモモの⾯倒をみるという意思を、初めて打ち明けた瞬間でした。その⾔葉はまるで、⼼配そ うに⾒上げているモモに対して、⾃分の本当の⼼情を伝えているようにも思えました。 私は、亡きゴルビーの顔を想い浮かべて、⼼の中でこう⾔いました。 (ゴルビー、ごめんな。お⽗さんとお⺟さんは、出来ることならモモちゃんを引き取ってあげたかっ たんだ。でも、わずかな期間だけ⾥親みたいなことをしろと⾔われても、それは出来る相談じゃな い。この話はまとまらないかも知れないね。分かってくれるな) モモの澄んだ⽬をみながら、⼼の底で謝りました。 飼い主さんが、モモを私たちに預けることしか念頭に無いのだったら、これ以上話し合う余地は無 く、モモともここで別れなければならなかったからです。 モモは事態の急変を⼼配しているかのように、⾝じろぎもせず、丸い⽬でジッと私たちを交互に⾒ つめています。 しばらくの間、その場を静寂が⽀配しました。誰も黙ったままです。それならそれで仕⽅ないとい う諦めの雰囲気でした。 それから数分経ったでしょうか。飼い主さんから搾り出すような声が⾶び出しました。 「2、3⽇、時間をいただけませんか。いや、⼀晩だけで結構です。⼀晩だけ!」 その⾔葉の意味が、私たちには分かりませんでした。皆の視線が⼀⻫に飼い主さんに集中しまし た。 (今の発⾔を翻して、モモちゃんを引き取ってくれというのか?) ⼀瞬誰もがそう思いました。しかし飼い主さんは、それについては何も⾔及しなかったのです。 「どうか、ゆっくり考えてください。モモちゃんのためですから」 私は、この際飼い主さんにじっくり考えて欲しいと、⼼の動揺を抑えながらそう⾔いました。 ⽝を飼った⼈なら、誰しも愛⽝と離ればなれになりたくないと思う気持ちがあるはずです。この飼 い主さんもそうでしょう。モモと離れたくないという切ない気持ちと、事業家として⽴ち直るため に、⼀⼈でがむしゃらに⽣きていかねばならないという、相対⽴する⼼情を持っておられることも容 易に想像できました。 事業家が倒産後に再び起業を⽬指すのは並⼤抵ではありません。死ぬか⽣きるかの瀬⼾際で、しか も孤独な決断と実⾏⼒を求められるものです。この飼い主さんは今まさにその荒波に漕ぎ出していこ うとされているところです。当然モモの処遇についても、何らかの結論を出す必要があると思いなが らも、即座に決断することができなかったのでしょう。きっと、これからの⽣き⽅を考えるうえで、 少し時間が欲しかったのではないでしょうか。 もっと突っ込んで話し合いたいという思いが喉元まで込みあげてきましたが、私たちは我慢して、 その場を辞去することにしました。 深夜にも関わらず⼼を⼀つにして集まってくださった4⼈の愛⽝家の⽅々にお礼を述べ、その場から ⽴ち去ろうとしたその時に、背後から飼い主さんの低い澱んだ声が聞こえてきました。 「明⽇の午前9時までに、タバコ屋さんに返事をしておきます。どうかそれまで、それまでよろし くお願いします」 思わず振り返えると、その声の主は⽬線を地べたに向けたままでした。 (それまでよろしくお願いします、とはどういう意味だろう?) 私には彼の⾔葉の真意は掴めませんでした、でも、 「分かりました。遅くまでご迷惑かけました。では明⽇お返事を聞かせてください」 と声を掛けて、再び停めている⾞の⽅に向かって歩き出しました。彼にとっても、愛⽝家の⼈たちに とっても、もちろん私たちにとっても、その夜は⾟くて⻑い夜になりそうでした。 そこにタバコ屋の婦⼈が⼩⾛りに追いかけてきて、私たちにメモを⼿渡しました。この婦⼈は、飼 い主さんが明⽇寄越す返事のために、⾃宅の電話番号を教えてくれたのです。モモのために最後まで ⼀⽣懸命に尽くす愛⽝家の婦⼈たちには、本当に⼼を打たれました。 私はそっと振り返り、もう⼀度モモの⽅を⾒ました。驚いたことに、そこには⽴ち去る私たちの⽅ をじっと⽬で追い続けているモモの⽴ち姿が、遠⽬にもはっきりと浮かび上がったのでした。 ゴルビーが逝って間もないこの時期に、ゴルビーの⽣まれ変わりとしか思えないモモと奇跡的に出 会いながら、これきりになることもあるかと思うと、あまりにもむごい顛末を想像して胸がちぎれそ うになりました。 (今晩連れて帰れたらいいなぁ)と考えていた家内の気持ちを実現させてやれず、そのことも⼤きな しこりとして⼼に残ってしまいました。 「モモちゃんの姿をもう⼀度⾒ておいたらどう?」 歩きながらそう⾔ってみたのですが、家内はモモとはこれでお別れだと思っていたのか、流⽯に振り 向くことはしませんでした。 (⼋)吉報 帰宅した私たちは、ゴルビーの仏壇の前に座り込みました。遺影の中のゴルビーがいつになく悲し そうに⾒えて、私たちは胸が潰れる思いでした。 「ご覧の通りだよ。モモちゃんの運命は、明⽇までお預けだ。でも、飼い主さんが離せないと⾔った ら、お前との約束は果たせない。その時は許しておくれ。分かるね」 そう報告しました。就寝しても、なかなか寝付けるものではありません。 「預かってなんて⾔わずに、引き取って欲しいと⾔って下さればよかったのにねえ」 暗闇の中から家内の声が聞こえました。私が声を出せば明⽇の⾒通しなどに話が及びかねないので、 黙って寝たふりを決め込みました。 ゴルビーを13年半も我が⼦のように可愛がってきた家内が、⽂字通りゴルビーの⽣まれ変わりと思 えるモモに出会った瞬間に、⼀旦は重⼤な決⼼をしていたものの、あやふやになってしまった事態へ の⼼痛が、⼿に取るように分かっていたからでした。 翌⽇の⼟曜⽇は、早朝から気持ちよく晴れていました。 夜具を⽚付けながら、家内が独り⾔のようにこう呟きました。 「ゴルちゃんとモモちゃんが夢に出てきたの。ゴルちゃんは悲しそうな顔をしていた。モモちゃんは 訴えるような⽬で⾒つめていた。両⽅とも、お願いしますって⾔っていたようだったわ」 「飼い主さんがいい答えを出してくれるさ。どうなろうとそれが最善の結果につながると思うよ」 と、家内を諭しました。 「それもそうね」 家内は、さびしそうな表情を作ってうつむきました。 午前8時過ぎに、⼩学4年⽣になったばかりの孫のカズが私たちの家にやって来ました。「おじい ちゃん塾」で勉強するためです。 ⼩学⽣の学⼒は、「個性の尊重」や「ゆとりの勉強」といった⽂部省の指導要綱がつまずき、ここ にきて極端な学⼒低下傾向を⽰しつつありました。それでいいはずはなく、塾での補習を余儀なくさ れる情けない時代に突⼊していたのです。 孫のカズは学習塾に⾏くかわりに、「おじいちゃん塾」と称して、⼟⽇と祝⽇の朝8時から3時間 ほど、我が家で学習をしていました。私は、特に学⼒低下が⽬⽴つといわれる「算数と国語」に科⽬ を絞り、サブとして「⽇本の歴史」を教えることにしていました。爺⾺⿅ではありませんが、カズは なかなか利発で理解⼒に富み、それはそれはこれからが楽しみな⼦でした。また、勉強に対してそこ そこの熱⼼さと好奇⼼を抱くようになって、「おじいちゃん塾」にも進んでやってくるようになりま した。 そんな⼤切な勉強だったのですが、この⽇ばかりはモモの飼い主さんが告げた、約束の時間のこと ばかりが気になって、カズから怪訝な顔を向けられっぱなしでした。 そして、遂に午前9時が過ぎました。 私はカズに断って勉強を中断し、居間に⾏きました。そして深く息を吸って受話器を取り上げまし た。 家内に⽬で合図をし、タバコ屋さんのメモにしっかり⽬を落とし、ゆっくりとダイヤルしました。 ⼼臓がバクバクするようでした。 ワンコールで婦⼈がすぐ電話に出てきました。 「お待ちしていたんです! すぐいらして下さいませんか。飼い主さんから今朝早く、モモちゃんのこ とをよろしくお願いしますって、お返事をいただいたんですよ」 婦⼈の声は急き込んでいました。 その⼀瞬、頭が真っ⽩になったことを、今でもはっきりと覚えています。 ⼀旦は諦めざるを得ないと思いつつも、頭の⽚隅では、「それまでよろしくおねがいします」とい う、昨夜の飼い主さんの意味深な⾔葉に⼀縷の望みをつないでいただけに、⾎が⼀気に逆流するよう な興奮に襲われたのです。 (ゴルちゃん! やったぞ!) 私は⼼の中で快哉を叫びました。 「は、はい。すぐ伺います!」 震え声に気づきながらそう返事をしたあと、電話を置いた私は、⼼配そうに側に⽴っていた家内に 向き直りました。 「おい! モモちゃんが家の⼦になるぞっ!」 「えっ、本当に! ここに来るの!」 家内の⽬から⾒る⾒るうちに⼤粒の泪が溢れ出しました。 私たちは昨夜公園を後にした時からずっと、たとえ諦めることになっても、決して⼼を乱さず冷静 でいようと懸命に努めていました。ゴルビーを失った時とは事柄が異なるとはいえ、あのような悲し みと失意は、もう⼆度と味わいたくなかったからです。 ですからこの「吉報」は、天にも昇るような歓喜でした。歓喜は全⾝に気⼒と活⼒を与えてくれる ものです。家内の睡眠不⾜の顔が、⼀気に喜びの⾊に変わっていくのがありありと分かりました。 書斎で勉強していたカズが、私たちの⼤声に驚いて駆け寄ってきました。 「おじいちゃん、おばあちゃん、何が起きたの?」 「ゴルビーの⽣まれ変わりが、この家に来るんだよ」 「⽣まれ変わりって、何?」 「同じハスキー⽝で、ゴルビーとそっくりさんに昨夜出逢ったんだ。その⼦はモモちゃんと⾔うんだ けど、今⽇からこの家に来るんだよ」 「とにかくこれから迎えに⾏くから、カズも⼿伝ってね」と家内はカズに声をかけました。 ゴルビーの死に号泣し、それからも遺影を⾒る度にさびしそうにしていたカズにも、ゴルビーと⽣ き写しのモモが、わが家の家族となる瞬間に⽴ち会って欲しかったのです。 死の悲しみのあとには、必ず新しい家族の誕⽣や新しい命の芽⽣えがあるものだということを、 「命の尊さ」となぞらえて学ばせておくことも、多感な少年期での貴重な⼈⽣経験だと思ったからで す。 さあそれからは、モモを迎え⼊れる準備で、てんやわんやの騒ぎとなりました。 取り急ぎ休息や就寝のための寝具、⾷事をさせるステンレスの⾷器、フードとおやつなどを揃えま した。寝具や⾷器はゴルビーの使っていたものを処分しないで⼤事に保存していたので、取りあえず それを使うことにして、応急の準備はなんとか完了しました。 「カズのお⺟さんはお仕事だから、お⽗さんに連絡をして、⼀緒に⾏ってくれるよう頼んでよ」 カズは私たちの⻑男の息⼦で、⻑男⼀家は我が家からスープの冷めない距離に住んでいました。カ ズからの電話を受けて、⻑男が駆けつけるのを待ち、4⼈はモモが待っている現場へと急ぎました。 24⽇の午前10時を少し回った時刻でした。⻑⾬続きのこの頃にしては珍しい快晴の⽇です。 昨夜の暗澹とした気持ちとは打って変わって、今朝の私たちは⿐歌のひとつも⾶び出るようなウキ ウキした気分でした。 助⼿席に座った⻑男が私の⽅をむいて訝しげに⾔いました。 「話を聞かせてよ。何があったんだ」 皆⽬事情が分からない⻑男にしては、当然の催促でした。 「悪かった。説明するよ。実はね・・・」 私は昨夜からの出来事を、真剣に聞き⽿を⽴てているカズにも分かるように、やさしい⾔葉で説明 したのでした。 しかし、概略を話し終わっても、2⼈は納得が⾏かない様⼦でした。 「ゴルちゃんに⽣き写しと⾔うけど、闇夜で⾒間違えたんじゃないのか」 ⻑男はそこが⼀番気がかりなようでした。 ハスキー⽝が主流を占めた頃ならいざ知らず、最近はハスキー⽝を⾒かけることが少なくなったの に、姿・形から⾊合い、顔⽴ち・⽬の⾊・尻尾に⾄るまで、ゴルビーにそっくりの⽝がいるなんて、 とても信じられないというのです。 「ゴルちゃん恋しさの余り、幻影でも⾒たんじゃないの?」 「⾒てから驚くな。まあ、楽しみにしていろよ」 私が会話を楽しんでいるように⾒えたのか、今度はカズが⼼配そうな声で家内に問い掛けました。 「おばあちゃん、モモちゃんが来ることを、ゴルちゃんは喜ぶの?」 と核⼼を突く質問をぶつけてきたのです。感受性豊かな⼦どもならではの質問に、私は恐れ⼊りまし た。 「それが、⼀番⼤事なことね」 家内が、カズの両肩をそっと抱きながら話し出しました。 「最初にモモちゃんのことを聞いた時、可哀想なその⼦をぜひとも助けたいと思ったの。でもね、カ ズが⾔うように、それをゴルちゃんがどう思うだろうかと、真っ先に考えたのよ。そして、⼀⽬散に 家に帰って、遺影のゴルちゃんとお話ししたの。かわいそうなハスキー⽝がいるそうだけど、どうし たらいい?って。ゴルちゃんがイヤがることはしたくないからね、と付け加えるのも忘れなかったの よ。」 「ふうん」 「そうすると、急にゴルちゃんの声が聞こえてきたのよ。ゴルちゃんが(お⺟さん、その⼦を助けて あげて!)って⾔ったのよ。」 「えっ! 本当にそう⾔ったの?」 カズは驚きの声をあげました。 家内はゴルビーとのやりとりを続けました。 「だって、あの⼦はあのまま放って置くと、間違いなく死んじゃうよ! 今はよく頑張っているけど、 もう限界なんだ」 「ここに連れてきても、お前はイヤじゃないんだね」 「そんなこと⾔っている場合じゃないよ。お願いだ。あの⼦はいい⼦だよ。僕と思って助けてあげ て。そして⻑⽣きさせてやって!」 「分かった、ゴルちゃん。じゃ、その⼦を迎えに⾏くよ!」 天国にいるゴルビーが、モモの状態を知り尽くしていて、⾃分にすぐに助けに⾏くよう緊急メッ セージを伝えてきたとしか思えないのだと、家内はカズに話して聞かせたのでした。 ⽝と会話をすること⾃体、妄想と思われるかもしれませんが、⽣前のゴルビーは、声の調⼦を巧み に上げ下げして発声出来る⽝でした。そして、声の調⼦によって「おねだり」や「喜び」、「怒り」 や「悲しみ」など、さまざまな感情を表現することができました。家内がゴルビーに語りかけると、 ゴルビーは多様な声を出して応じ、⼆⼈の間には本当に⼼を通わせた会話が成り⽴っているようだっ たのです。 この時もそんな⾵に遺影のゴルビーと語り合ったのだなと、誰もが想像しました。 「おばあちゃん、ゴルちゃんは家に帰って来たいけどそれが出来ないから、⾃分の⾝代わりにその⼦ を呼んで、⼤事にしてねと⾔っているんだね」 賢い孫はそう呟いたのです。 「カズ、おばあちゃんもそう思うのよ」 するとカズは、私たちも思いつかないことを⼝にしました。 「天国からのこのメッセージは、8ヵ⽉もかかったんだね。天国って遠いんだね」 カズは、ゴルビーが余りにも遠くへ逝ってしまったことをあらためて実感しているみたいでした。 「なるほどなあ」 ⻑男も家内と孫の会話を聞いて、やっと納得出来たようでした。 (九) バトンタッチ ⾞はほどなく公園の横に到着しました。 申し訳ないことに、そこには昨夜遅くまであれこれ⼼配してくれた愛⽝家の婦⼈達が既に集まって、 私たちを待ってくれていました。 「昨晩からお世話をお掛けして申し訳ありません」 私たちは頭を下げて、皆さんに感謝の気持ちを伝えました。 「今、飼い主さんがモモちゃんを連れて公園内で最後の散歩をされています。じきにここへ来られま すよ」 婦⼈の⼀⼈が、公園の隅にある藤棚の⽅を指差しました。 「でもよかったです。⼀時はどうなることかとハラハラしましたが、収まる所に収まって安堵しまし た。さきほど聞いた話ですが、飼い主さんも⼀晩悩んだ末、経験豊富な飼い主さんにモモを預けられ るなら、それが⼀番だと決⼼がついたと⾔われていましたよ」 別の婦⼈が、飼い主さんとの会話の⼀部をソッと教えてくれました。 「そうですか。それを伺って安⼼しました。こうして孫も喜んでいます。⼤事にさせていただきま す」 カズのにこやかな表情が、私たち家族の気持ちの全てを伝えていました。 その時、今⽇から新しく私たちの家族になるモモが、飼い主さんに連れられて、明るい⽇差しを いっぱい浴びながら私たちの前に現れたのです。まるで舞台の花道を堂々と歩いてくるお芝居の主役 そのものでした。 よく⾒るとモモの⽬からは、昨夜の澱んだ猜疑の光がすっかり消えて、安⼼と希望を湛えた優しい 光が宿っているようでした。 初めてモモを⾒た⻑男とカズは顔を⾒合わせ、しばらく⾔葉を失っていました。 「嘘じゃなかったんだ。本当に奇跡としか⾔いようがないよ。この⼦は間違いなくゴルビーだよ」 ⻑男がやっとの思いで発したその⾔葉に、カズも⼤きくうなずきました。 「よろしくお願いします」 飼い主さんが、軽く頭を下げながらモモの⾸輪に結んだリードをソッと私に⼿渡しました。モモが 私たちの家族になった瞬間でした。⼿に受け取ったリードから、モモのたしかな温もりが伝わって来 るようでした。 「モモちゃん! よろしくねっ」 孫のカズが、屈み込んでモモに話しかけました。するとどうでしょう。モモはカズの顔をいきなり ペロペロとなめだしたのです。⽝は親愛の気持ちがない相⼿をなめたりしないことを知っているカズ は、もうすっかりご機嫌です。 これから家族としてモモと暮らしていく上で、飼い主さんに確認しておきたいことが⼭ほどありま した。私は飼い主さんに、期待に沿うよう努める意思をはっきり伝えた後、ゆっくりと訊いてみまし た。 「この⼦には持病や健康上の問題点などはありませんか?」 「いいえ。何ひとつありません。これまで⼀度も病気をしたことがないのが⾃慢ですから」 実はこのことが⼀番気掛かりだったので、⼼配事が⼀つ消えて、気持ちがスッと軽くなるような気が しました。ところが、実際にはモモはこのあと⽣死に関わる幾つもの病気をして、私たちを⼼配させ たり悩ませるのですが、これは後でゆっくり触れる事にします。 「では、⾷事は⽝⽤のフードですか?」 「フードはあまり⾷べたことはありませんが、⽣のニンジンやサツマイモの輪切りは⼤好きです」 きっと⼈間と同じ⾷べ物を⾷べていたに違いない、と咄嗟に察しました。 「予防注射は済ませていますか? 届けている保健所は?」 「近くの保健所です。予防注射はまだなんです」 飼い主さんは済まなそうにそう答えました。 「とにかく精⼀杯モモちゃんの世話をさせていただきます」 これ以上あれこれたずねることは、別れが迫っている飼い主さんを苦しませてしまうことになるだ ろうと思った私は、その他の質問は胸の内に秘め、それを機に飼い主さんのもとを離れました。 私と飼い主さんとの会話が終わるのを⾒計らって、愛⽝家のリーダー格の婦⼈が声を掛けて来まし た。 「そこの動物病院で予防注射をしましょう」 婦⼈の⽬線を追うと、道路を挟んだ向かい側に動物病院の建物が⾒えました。しかしこの⾜で掛か りつけの動物病院に⾏って予防注射をしょうと思っていたので、⼀旦はその申し出を丁重にお断りし ました。 「新しい飼い主さんが現れたら、カンパした残りのお⾦で予防注射をして送り出そうと申し合わせて いました。そうさせてください」 今時こんな素晴らしい愛⽝家たちがいるだろうか、そう思うと胸が熱くなりました。モモはこうし た⼈達の想いに⽀えられて⽣きてこられたのだと、つくづく胸を打たれたのです。私たちは、皆さん のご好意に⽢えることにしました。 いよいよモモを私たちの⾞に乗せる時がやって来ました。後部座席にカズが先に乗り、その横にモ モを座らせることにしました。そこはゴルビーの指定席でもありました。 モモに乗⾞するよう勧めると、なんと⾃ら進んで⾶び込むように乗り込み、チョコンと後部座席に陣 取ったのです。 ひょっとしたら、飼い主さんを後追いして乗り込むのを尻込みするかも知れないと思っていたので すが、それは杞憂でした。私たち家族は、まずはホッとしました。 「モモちゃん、よかったね」 「モモちゃん、元気でね」 愛⽝家の婦⼈たちが、涙声の混じった惜別の⾔葉をかけてくれました。家内は、皆さんのこれまで の苦労と⼼労に、⼼を込めてお礼の⾔葉を添えながら会釈をしました。 「⼤事にさせていただきます。ありがとうございました。これで失礼します」 それが婦⼈たちに返せる精⼀杯のお礼の挨拶でした。また泪の渦が広がりました。 その時、婦⼈たちの後ろから飼い主さんが進み出て⾔いました。 「どうか、よろしくお願いします」 震えるようなか細い声でした。 「⼼配なさらないでください。⼤事にしますから」 私はそう⾔って、モモの⽅を振り返りました。永遠の別れとなる飼い主さんを凝視出来ないのか、 それとも未来に⽬を向けているのか、モモはジッと前⽅を向いたまま、⾝じろぎひとつしませんでし た。 「モモ、⾏くよっ」 ⾞の中から家族全員で皆さんに⼀礼したあと、静かに⾞を発進させました。⻘葉が⽣い茂る公園を 後にした私たちは、新しい家族になったモモを真ん中にして、⼀路我が家へと⾞のエンジンを加速さ せました。運転しながらバックミラーでそっと後部座席をうかがうと、そこにはゴルビーが座ってい ました。モモが⾞外の移り⾏く景⾊を眼で追いかける姿は、⽣前の愛息ゴルビーそのものだったので す。家内も同じ思いだったのでしょうか、モモの体にそっと⼿を回し、細かい動作のひとつひとつを 感慨深げに⾒⼊って、あふれる泪をぬぐおうともしませんでした。 モモとの出会いは、奇跡というほかはありません。どう考えても天国にいるゴルビーが細かい⽷を ⼿繰り寄せながら引き合わせてくれたとしか思えませんでした。そうでなければ、こんな奇跡の出会 いは⽣まれなかったでしょう。その意味では、出会いは必然だったのです。 ゴルビーが、いつまでも悲しみに打ちひしがれている家内と家族全員を癒すために、きっとこんな お洒落な「命のバトンタッチ」をやってくれたのです。その結果、私たちだけでなく、モモも救われ たのに違いありません。 「ようこそ、モモちゃん! ゴルビー、ありがとうね」 そう⾔った孫のカズの⾔葉が、すべてを物語っていました。 「第⼆章」新しい家族 (⼀)感動と興奮 モモは、何ヶ⽉も⾔語に絶する過酷な⽣活を強いられて来たことを全く感じさせない軽快な⾜取り で、我が家の⽞関から記念の第⼀歩を踏み⼊れたのでした。 おそらくモモは、私たちが本当に迎えに来てくれるだろうかと、昨夜⼀晩中不安で寝付かれなかっ たに違いありません。にも関わらず、疲れた様⼦も動揺の形跡も⾒せず、初めて⽴ち⼊る家なのに、 以前から知り尽くしているところへ帰ってきたように、するりと溶け込んで⼊ってきたのです。 (遠い空の彼⽅にいるゴルビーが、ハスキー同⼠だけ通じ合う特殊なメッセージを、夜通しモモに送 りつけ、モモの不安を静めていたのかもしれない) 私はそんな想像もしました。 そうでもなければ、少しの緊張もたじろぎも無いモモの⾏動に、説明が伴わないのです。 家に⼊ったモモは、ゴルビーの遺⾻と遺影のある居間に案内されました。 「ゴル、モモちゃんを連れて来たよ。これがモモちゃんです」 遺影の前に座った家内が、家族を代表してゴルビーに優しく語り掛けました。初めてゴルビーと対 ⾯しようとしたモモは、尻尾を凛と⽴てながら静かに⾸をもたげました。その時、モモの瞳が遺影に 向かって⼀瞬キラリと閃いたように⾒えました。 (やはり、ゴルとモモは初対⾯ではなさそうだ) 私は、モモとゴルビーが対⾯する姿を、横から隙間⾒ながら、つくづくそう思いました。 家内が、⼣刻になると早速、ゴルビーと馴染んだ散歩道にモモを連れて⾏くと⾔い出しました。ゴ ルビーの死後ずっと部屋の納⼾に仕舞い込んでいた、散歩⽤の七つ道具⼊り(ビニール袋や懐中電灯 など)のショルダーバックと運動靴を取り出し、⽩いブラウスにジーパン姿、その上サンバイザーを 被った完全装備の⾝⽀度で、勇んで出かけていきました。 モモは、新しい飼い主となった家内にぴったり寄り添い、軽い⾜取りで歩いていきました。笑顔で ⾒返す家内に安⼼しながら付き添い、ゴルビーの散歩道を⼀周して帰ってきたモモは、元気よく⽞関 から⾶び込んできました。 「⾷事はゴルビーと同じシニアフーズにしようね」 そう⾔いながら、家内は、ゴルビーとの時と同じように、⾵呂場でモモの⼿⾜を⽯鹸で丁寧に洗っ た後、綺麗なタオルで体を拭き上げました。そしてモモをリビングに⼊れると、すぐにモモの夜⾷の 準備に取りかかりました。モモは家内のそばでお利⼝にお座りして、初の⾷事を待っています。 ゴルビーを失って以来、⻑い間悲しみに打ちひしがれていた我が家は、モモの登場によって、打っ て変わって賑やかな家族の笑い声と歓声の渦に包まれました。 凛々しい両⽿をピンと⽴て、尖った顔の真ん中に魅⼒的な両眼をクリクリさせながら、全⾝⽩⿊の 体躯をゆったりと伏せたモモの姿は、⽣前のゴルビーそのものでした。 「抱き上げてみようかな」 「腰を痛めるから⽌めた⽅がいいよ」 ⻑男が笑いながら、私をたしなめました。 「バトンタッチの重さを実感したいんだよ」 そう⾔いながら、体を左右に揺すってムズがるモモを抱き上げようとしたのですが、ゴルビーより やや太⽬のモモを抱え上げるのは、簡単なことではありません。腰を落とし、両腕に満⾝の⼒を蓄え てやり直し、やっと抱え上げることができました。しかしそれもつかの間、腰がよろめいて、すぐに 床に戻す⽻⽬になりました。最初の意気込みはどこへやら、とんだ恥さらしでした。 「抱き上げてみないと、命の重さは分からないもんだ」 私は強がってそう⾔ってみたのですが、腰がよろける姿を披露してしまったのでは、皆の苦笑を買 うばかりでした。 しかし、初めて抱き上げたモモの体が意外に重くても、ゴルビーと同じハスキー特有の体臭と体の 温もりを直に感じたことには⼤感激でした。もう⼆度と味わえないと思っていただけに、うれしくて 涙が出そうになったことを覚えています。モモの重みは、ゴルビーが与えてくれた、新しい命の重み そのものだったのです。 「やっぱりゴルビーがモモちゃんに命を託したんだね」 家内が両⼿で、ゴルビーが好んだようにモモの両⽿をやさしく撫でながら、独り呟きました。家内 が久⽅ぶりに⾒せるにこやかな表情に、家族全員の気持ちが慰められたのです。 ゴルビーの死の悲しみに⼼⾝ともに打ちのめされていた私たちは、この素晴らしい「命のバトン タッチ」に⼿を合わせて感謝したい思いでした。 (ゴルビーありがとう。お前の優しい⼼遣いで、家族に安らぎが帰ってきたよ) こちらを⾒つめるゴルビーの遺影が、いつもとは少し違った、⾃信に溢れた表情に⾒えたのは、幻 影でしょうか。 そんな周囲の雰囲気を察したのか、モモは新しい家族への感謝の意を伝えようとするかのように、 家族の輪の真ん中にドンと座り、まん丸な瞳をクリクリさせながら、代わり番こに皆の顔を⾒渡して います。 (⽝が⼈間に与える「⽣甲斐」とは、こんなに強烈なパワーで、⼈間の⼼を揺り動かすものなのだろ うか) つくづく考えさせられることでした。 「モモはもう家族になれたね。すごいね」 孫のカズがいうように、何の不安もとまどいもなく、⾃分から進んで新しい家族に⾶び込もうとす るモモの姿には、ただただ驚くばかりでした。 公園での劣悪な環境から脱却できた安堵のせいなのか、新しい家族が気に⼊ったからなのか、ゴル ビーからのメッセージを受け取っていたからなのか、それは分かりません。安住と愛情を得られる空 間を確信した、動物特有の察知本能の結果だったのかも知れません。 カズの⾔葉の深い意味を察したのか、モモがカズのホッペをぺろりと舐めるとっさのふるまいに、皆 がドッと歓声をあげました。 「ゴルがここにいるみたい。⽬元もしぐさも、ゴルちゃんと⽠⼆つですね」 この夜モモを初めてみた⻑男の嫁がそういうと、家内がその⾔葉に⼼を揺さぶられたのか、ゴルビー の遺影を⾒遣りながら、瞳を潤ませているのに私は気づきました。 (ゴルちゃん、ありがとう) こうして、モモが私たち家族の⼀員になった夜は、感動と興奮の内に過ぎて⾏きました。 (⼆)余談 世の中は広いようで、やはり狭いものです。 そんなことを改めて思わせる出来事が、その数⽇後に起きました。 ⻑男の嫁のみどりが、勤めている会社で机を並べている同僚の佐伯さんに、モモが新しい家族に なった⼀昨⽇の出来事を話したのです。佐伯さんも愛⽝家で、ゴルビーが亡くなってから沈みきった ままでいる私たち家族の話を、時折聞いてもらっていたからです。 「飼い主の倒産というアクシデントで公園に⻑い間繋がれていたハスキー⽝を、⼀昨⽇夫の⽗⺟の家 で引き取ったの。それが⽣前の愛⽝とそっくりだったのね。家族はもう嬉しさいっぱいで、深夜まで 盛りあがったのよ」 「ちょっとみどりさん! その公園って、まさか、例の公園のことではないでしょうね?」 「例の公園って?」 「私の家の近くの、税務署の横の公園ですよ。以前お話したでしょう?」 「そういえば、そんな話、聞いたような気がするわ」 みどりは、佐伯さんが公園につながれたハスキーの話をしていたことを思い出しました。 佐伯さんは、愛⽝の⿊いラブラドルー⽝、バディーを連れて散歩の途中に、いつも通る公園の⼀⾓ に繋がれたハスキー⽝を⽬撃していたそうです。最初は、飼い主さんが⽝を繋いで、離れたところで 他の愛⽝家仲間とお喋りでもしているのだろうと思い、「⼤きくて、かっこいいねぇ」などとバ ディーに話しかけながら通り過ぎていたのだそうです。しかし、次の⽇もまたその次の⽇もそのハス キー⽝が同じ場所にいるので、次第に⼼配になってきたのでした。何かの事情で繋がれていると思っ たものの、バディーが⼤きい⽝を怖がるので、近づいて様⼦を探ることも出来ず、ずっと気になって いたと話しながら、泪を流していたのでした。 みどりはその話をすっかり忘れてしまっていたうかつさに、思わず⾃分の頭をゴツンと叩きまし た。 「そのハスキー⽝のことではないのですか? 昨⽇の⽇曜の散歩の時、公園から姿が⾒えなくなってい たんです。どうしたのかなと、ずっと気になっていたんですよ」 佐伯さんは⾷い⼊るように、みどりを⾒つめました。 税務署横の公園とは、まさにモモが繋がれていた公園のことでした。 「ごめんなさい! 確かにそのハスキー⽝だわ。」 「でも、どうして? みどりさんのご両親が住んでおられるのは、その公園から⾞で30分も離れた遠⽅ でしょう。地下鉄なら3回も乗り換えなきゃならない距離よ。そんな遠くの⽅と私の家の近くの公園 とがどうして結びつくんですか? 信じられないけど、間違いありませんか?」 姿が⾒えなくなったハスキー⽝の⾝を案じていたのでしょう。みどりに念を押す佐伯さんの⽬から は、⼤粒の涙がこぼれ出しました。 「ごめんね。私がその救出作戦に参加していなかったから、あなたの話を思い出せなかったのよ」 何度も謝りながら、みどりはモモの救出に到るまでの経緯を⼿短に説明しました。 それを聞いた佐伯さんは、興奮した⼝調でこう⾔いました。 「そんなことってあるんですね。まさに奇跡ですね。⻑い間その⼦は孤独だったし、不安だったと思 います。散歩の途中、公園の近所の⽅がその⼦の⾯倒をみておられたことは、私が何度も⽬撃してい ます。誰かが助け出さなければ、その⼦の運命はどうなっていたか。きっとギリギリの限界だったん でしょうね。そこにみどりさんのご両親が現れるなんて。しかも縁もゆかりもない筈の遠い所から助 けに来られたなんて、奇跡以外の何ものでもないですね」 「偶然とは⾔え、佐伯さんがその現場近くの住⼈で、モモを⼼配していたというのも不思議な巡り合 わせよね。ゴルビーとモモの奇跡に、さらに彩りを加えるエピソードだわ」 「何百キロも離れた飼い主の家を⽬指して帰還した奇跡の愛⽝の物語は聞いたことがあるけど、全く 無縁なご夫婦が何⼗キロも離れた所から現れたこの救出劇が、私の⾝近な所で起きるなんて感激で す。⼆度と起こることではありません。そのモモちゃんって、本当に強運の持ち主だったんですね」 佐伯さんはそう⾔って、涙腺が壊れてしまったかのように、とめどもなく泪を流しました。 「第三章」運命の⼦ジェフリー (⼀)密かなシナリオ さて、こうした歓喜のドラマが急展開する前に、実は別の裏舞台で、もうひとつの「命のバトン タッチ」計画が、密かに進⾏していたことを、急いでお話しなければなりません。 のちにモモと⼀緒に私たちの家族になる、ノーフォークテリア⽝、ジェフリーのことですから。 このドラマのシナリオを描いたのは、他でもない私でした。私はこれを、家内にも、もちろん家族 の誰にも明かしていませんでした。これが実現したあかつきに知らせた⽅が、家内の悲痛な気持ちを ⼀変させることができると、⼼密かに信じていたからです。 家内は6年前に⼤腸ガンの⼿術をしていました。その後すっかり健康を取り戻してはいましたが、 ゴルビーを失ってからの精神的不安定が、家内の健康維持に良い影響を与える筈はありません。その ことが始終私の胸につかえていたのです。なんとか家内に元気を取り戻してほしいという思いが、こ のシナリオの端緒になったことは間違いありません。 ある朝、ゴルビーの遺影に向かい、私は思い切って密かな相談を持ち掛けてみたのです。 (お⺟さんに元気になってもらうには、お前の「分⾝」がどうしても必要だと思うんだ。お前には済 まないが、許してもらえるだろうか) 亡くなってから間もないのに、早くも「分⾝」の相談をする⾃分を、ゴルビーはどう思うだろう。 そう考えると強いとまどいが交錯したのです。その朝は、独り⾔みたいに話しかけただけで、遺影か らそっと離れ、仕事に出かけました。 それから数⽇経ったある朝でした。ゴルビーの霊前に座り、いつもの通り出かけのあいさつをした 時のことです。遺影から⼒強いゴルビーの声が、私の胸の内に⾶び込んで来たのです。 (気丈なお⺟さんが、あんなに⼒を落としている姿には、ボクだって耐えられないよ。お⽗さんやお ⺟さんの愛情を疑ったことなど⼀度もありません。お⺟さんを元気に出来るのなら、ボクの「分⾝」 を早く⾒つけてやって! 僕は⼤賛成だから!) 私は、ハッとして、遺影を凝視しました。 (ほんと? ほんとにいいのかい?)と、息を呑みながら尋ねました。 ゴルビーは、静かに微笑みを返しながら、私が「分⾝」を探すことを許してくれたのです。それは ゴルビーと私との“密約”でした。 私は感謝の余り、遺影に向って深々と頭を下げました。そして同時に、私とゴルビーが交わしたこ の密約を知ったら、家内もゴルビーの「分⾝」を素直に受け⼊れてくれる筈だと確信したのでした。 (よしこれから、ゴルビーの「分⾝」探しを始められる!) この出来事は、モモと衝撃的な出会いが実現する、4ヶ⽉ほど前のことでした。 (⼆)分⾝探し ゴルビーの許しを得て「分⾝」探しに頭を巡らせた時、ふと「ある⼈」のことが閃きました。余⼈ をもって代え難い「ある⼈」が、ほんの⾝近にいることに気付いた時、我ながら⾃分の勘が冴えている ことにニンマリしたものです。「分⾝」紹介を果たした⼤切な⼈のことですから、少し⻑くなります が綴ってみます。 「その⼈」とは、⼤阪府堺市新⾦岡町に住む安⾕襄さんという⼈でした。この⼈がいなかったら、 星の数ほどの⽝種の中から、賢くてしかも、極め付きの可愛い愛⽝「ジェフリー」に巡り合うこと は、決して無かったことでしょう。 安⾕さんとは、⼤⼿電⼒会社の幹部だったころ、仕事上お付き合いのあった⽅で、電⼒会社を退職 されてからは、年賀状や暑中⾒舞で互いの息災を知らせ合う程度の間柄でした。 ところがふとしたキッカケから、安⾕さんとの交流が⼀変したのです。 なんと安⾕さんが、愛⽝のワイアー・フォックス・テリアを、⽇本チャンピオン⽝に育て上げられ たというのです。しかも国際⽝舎RICHMOND JPの代表にも就任され、国際的な愛⽝活動に精を出して おられるとのことでした。これを新年の年賀状で知った時に、⼼の中に衝撃が⾛りました。 (愛⽝家だったのか、安⾕さんが!) お互いの家庭に愛⽝がいるなどとは、⼀筆もしたためたことが無かった同⼠だけに、それが例え偶 然だったとしても、私にとっては歓喜に優るニュースでした。 (⾃分の愛⽝を、⽇本チャンピオン⽝に育てたなんて) それを知って以来、安⾕さんは今まで以上に⾝近に感じられる⼈となったのです。 (いやはや、⼀番⼤事なことが後回しになっていたなんて!) 愛⽝家同⼠であることが早くから分かっていたら、今までのお付き合いの中味も⼤きく変わってい たにちがいないと悔やまれました。 2⼈の仲はこれをきっかけに、ワンちゃんをこよなく愛する気持ちを共有する者同⼠の、今までより なお濃密なお付き合いに変わりました。 それからというものは、愛⽝の様⼦を知らせ合う書簡が、頻繁に往き来しました。 その頃は、愛息ゴルビーがまだまだ健在でした。ゴルビーの写真を同封して差し出し、愛⽝に⽀え られ満ち⾜りた⽣活ぶりを書き留めた書⾯を読んでもらうことは、私にとって無上の喜びでした。⽼ ⽝になってきたゴルビーの世話の仕⽅についても、⽼⽝飼育の経験がある安⾕さんから、こと細かく 教えてもったこともあります。 そして時節が経ち、ゴルビーが他界した時には、さびしさに堪え切れず、泣きの涙の⽇々を家内と 共に送っていることを書き添えた⼿紙を差し出しました。 すると安⾕さんから、⾃分も同様の⾟い経験を2度もしたが、悩んだ末、同⽝種のワイアー・ フォックス・テリアを新しく飼うことで、悲しみを乗り越えたとの、慰めの⼿紙をいただいていたの です。 しかしこの頃は、ゴルビーを亡くした悲しさから抜け出せずにいた時期でしたから、私⾃⾝に新し い⽝を飼うことを考える⼼の余裕は、無論ありませんでした。 そんなある⽇曜⽇、思い余って安⾕さんに電話を掛けてみました。⼿紙の交換はしたものの、直接 電話したことはなく、話をするのは10年ぶりのことでした。 聞き覚えのある⾁声を聞きながらご無沙汰のお詫びをし、その後は亡きゴルビーの話に終始したの でした。 「⼀度、拙宅に遊びにいらっしゃいませんか。ゴルビーちゃんの思い出話を、もっと聞かせてくださ い。うちのチャンピオン⽝の話も聞いていただきたいな」 安⾕さんのこの誘いが、ゴルビーの「分⾝」を探すシナリオのプロローグになるとは、まだ夢にも 考えていませんでした。 安⾕さんの訪問には、家内も同伴しました。 「気分転換に訪ねてみないか」 家内は、年賀状の写真で⾒るチャンピオンのワイアー・フォックス・テリアが、余りにも可愛い かったのを覚えていたせいか、あるいは愛⽝家と触れ合いたかったのか、気持ちよく付いてきまし た。 地下鉄御堂筋線の⾦岡駅から15分ほど歩いた、1⼾建てが沢⼭⽴ち並ぶ閑静な団地の中に、お瀟洒 な2階建ての安⾕邸がありました。 広い居間に案内され、本当に久⽅ぶりに安⾕さんと再会しました。10年振りなのに、以前とほとん ど変わらない安⾕さんの若々しい様⼦が最初の話題になったのでした。 そんなところに、病気で伏せられているという奥様が、わざわざお茶を運んでこられ、しばらくは その病気の話に終始しました。奥様も愛⽝ワイアー・フォックス・テリアに癒され、⽇々の病を乗り 越えるパワーをもらっていると、爽やかな表情で話されたのです。 「奥様、おさびしいでしょう? わかりますよ」 安⾕さんが、家内の⽅を向いて静かに話しかけました。 「はい、愛⽝ゴルビーの死がこれほどまでに私たちの⼼を打ちのめすとは考えてもいませんでした。 ⾁親との死別とは違い、なかなか気⼒が元にもどらないものです」 家内は、悲しみが込上げて来る胸の内をなんとか抑えながら、そう答えました。 「そうですね、愛されていたゴルビーちゃんは、⾵になって今も奥さんの⾝の回りに吹き注いでいま すよ」 「しょっちゅう夢に出てくるんです。何か訴えている時が多いんです。なにか⾔いたいのでしょう か」 「おかあさん、元気出してよ、と⾔ってるんでしょう。元気になってあげれば、きっと笑顔のゴル ビーちゃんが夢に現れますよ」 「そうでしょうか。私の元気の無さを嘆いているのでしょうか」 「⽣前のゴルビーちゃんを思い出してご覧なさい。奥様と仲良く散歩していた時は、ゴルビーちゃん の⾜取りも軽く、機嫌もよかった筈です。愛する⼈の様⼦に極めて敏感なのが、愛⽝なのですから」 安⾕さんは、⽴ち上がると⼾棚から数冊のアルバムを取り出してきて、今度は⾃分の愛⽝の元祖と なったワイアー・フォックス・テリアのケリー、チャンピオンとなったアリス、そして3代⽬の チャッピーの写真を⾒せながら、愛⽝の⾃慢話に花を咲かせました。 「チャッピーは、いま娘の家に⾏っておりましてね。会っていただけないのが残念です」 ⾜が⻑くて、⽿が折れ曲がり、⽬のクリッとした可愛い⽩⾊のワイアー・フォックス・テリアです。 ⾒るからに⼈なつこい性格が伝わってくる写真です。 「初めて拝⾒しましたが、可愛いワンちゃんですね。チャンピオン⽝の⼦でしょう?」 「そうです。チャンピオン⽝に育てるには、正直のところ並⼤抵の苦労ではありませんでした」 それにまつわる訓練や躾話は、想像を絶することばかりでした。実はゴルビーも、⼤阪北千⾥の警 察⽝養成学校に4ヶ⽉寄宿して教育を受けたので、躾は⾒事なものでした。これはあとで詳しく述べ ることにします。 この安⾕さんへの訪問の時、私は「分⾝」探しの依頼についてはまだ⼝を噤んでいました。安⾕さ んとの会話でも分かるように、家内⾃⾝がまだ悲しみから抜け出しておらず、この場で唐突に「分⾝ 探し」を切り出せば、家内をとまどわせるに違いなく、そうなれば、あの朝私の胸に聞こえてきた、 家内を思うゴルビーの気持ちを台無しにしてしまうことになるからです。しかし⼼の内では、安⾕さ んに「分⾝探し」をお願いしようと、はっきりと決断したのでした。 団地の⼀⾓を曲がるまで、静かに⾒送ってくれた安⾕さんに深々とお辞儀をして、私たちは家路に 向かいました。この訪問で、私の⼼の中では、安⾕さんに「分⾝探し」をぜひお願いしようと、はっ きり決断したのでした。 翌⽇、私はさっそく安⾕さんに電話をかけ、お訪ねしたお礼を述べたあと、⼀挙にゴルビーの「分 ⾝探し」をお願いしました。 「奥様はだいじょうぶですか?」 「⼤丈夫です。というより、そうしてあげないと、家内の⾝が持たないような気がするからです」 「そうですね。私の家族の経験からもその⽅法がベストだと思います。⼼当たりを探してみましょ う」 「ありがとうございます。しかしすぐには⾒つからないものでしょうね?」 「ゴルビーちゃんと同じハスキー⽝をお望みですか? それとも、⾎統のいい⼩型⽝でもいいのです か?」 「難しい選択ですね」 私は思わずうなってしまいました。 中型⽝のゴルビーと13年余過ごしてきた家内にとって、接したこともない⼩型⽝を飼うことは想像 以上の抵抗感があるのではないかと思われました。中型⽝飼育経験者が、次に⼩型⽝を飼うというこ とになれば、最初から飼育⽅法を学び直さねばなりません。いわば初⼼者に⽴ち返るのと同じだった からです。 ⾷事の内容、散歩の量、健康管理の⽅法が違うのは当然なのですが、⽝種によって性格も違うし、 それに⾒合った躾の仕⽅なども⾝につけなければなりません。ましてや、どうすれば⼩型⽝の気持ち を汲み取ることが出来るのかなど、私たちには皆⽬⾒当もつきません。 (ま、まてよ!) その瞬間、それまでとは全く逆の発想が湧いてきたのです。 家内のこれからの加齢と、それに伴う体⼒の衰えや健康状態を考えると、散歩するにしても、シャ ンプーなどの⼿⼊れをするにしても、これからは⼩型⽝の⽅が家内には負担が少なくて良いのではな いかと考えたのです。 (ゴルビーの分⾝といっても、何も中型⽝でなければならないわけではない。家内には私よりも⻑⽣ きしてもらうのだから、いくつになっても⾯倒が⾒られる⼩型⽝が最適ではないか。) 私は、受話器に向かって声を張り上げました。 「⼩型⽝をお願いします。ぜひそうして下さい」 「分かりました。それでは⼩型⽝を探してみましょう」 「⼼当たりはおありですか?」 失礼を重々承知しながら、安⾕さんにそんなせわしいことまで訊ねてみたのです。 「まあ、任せてください。頼れる⼈と相談してみますから」 安⾕さんから返ってきた⾃信在り気な⾔葉に、早くも縋る思いがこみ上げてきたのには、⾃分なが ら苦笑してしまいました。 「では、どうかよろしくお願いします」 再度お願いの⾔葉を添えて、電話を切りました。直後に⼤きな息を吐き出して、安⾕さんに賭ける 決意を固めたのです。 (⾒つかるまで家内には内緒だ。絶対喜ぶだろうな) こうして、もう後に退けないドラマの幕が上がりだしたのでした。 この頃、私は情報社会と向かい合う幾つもの仕事に忙殺されていました。しかしそんな忙しい最中 でも、「分⾝探し」の吉報が⾶び込んでくることを、⼨時も忘れずひたすら待ち続けていたのです。 (三)ノーフォークテリア それから3週間ほど経ったある⽇の午後、安⾕さんから私の携帯電話に連絡がきました。緊張の余 り、汗がどっと吹き出るのが分かりました。 「今よろしいですか」と安⾕さん。 「どうぞ、どうぞ、お待ちしておりました」 携帯電話を⽿に押し当て、安⾕さんの次の⾔葉を待ちました。催促がましい電話を掛けることは、 我慢して控えていましたから、待ちに待ったこの電話に息を詰め、⽿をそば⽴てたのです。 「⾒つかりましたよ。まだ⺟親のお腹の中ですが、5⽉には⽣まれます」 「えっ、本当ですか。やった! ⼩型⽝ですよね? ⽝種は、何なんでしょうか?」 安⾕さんの話を遮って、⽮継ぎ早に勝⼿な質問を浴びせかけてしまいました。 「千葉県の有名なブリーダーさんが、イギリスから輸⼊したばかりの両親の2世で、⽝種はノーフォー ク・テリアです」 「えっ!? ノーフォーク・テリアですって?」 テリア⽝には何度も会ったことがありますが、ノーフォークというテリアの名前は、⽿にしたこと もありません。 「英国産の賢い⼩型⽝で、⽇本には未だ数少ない⽝種だそうです。ですから、この話がまとまるまで には、いろいろな苦労があったようですよ。」 安⾕さんが教えてくれた苦労話とは、このようなことでした。 安⾕さんは、友⼈であるトリマー専⾨学校「ユニバース・グルーミング・スクール」の松⽥時彦校 ⻑に私の依頼を託し、その松⽥校⻑が早速、千葉県の杉浦市郎というブリーダーさんに直接掛け合っ てくれたのだそうです。 千葉のブリーダー杉浦さんは、この業界では有名な⽅で、松⽥校⻑とは⻑年親密なお付き合いをさ れている間柄でした。ところがその話を切り出した途端、杉浦さんにその申し出を断わられたそうで す。というのも、ノーフォーク・テリアは⽇本ではまだ稀少な⽝種で、杉浦さんがノーフォーク・テ リアを飼育していることを知った全国各地の知⼈や取引先からオーダーが殺到していて、いくら松⽥ 校⻑からの頼みであっても、それを優先させることは出来ないというのが、断りの理由だったので す。 「しかし、そこを曲げて聞き⼊れてくれないかと、松⽥さんが熱⼼に⼝説いたらしいんです。その粘 り強い説得は3⽇間も続いたそうです。その熱意に遂に杉浦さんもほだされて、他の注⽂を後回しに する異例な措置を取ることで、この希望がやっと実を結んだという訳です。普通ならとてもあり得な いことですが、松⽥校⻑さんだったから、実現したんですね。本当によかった! 私も安⼼しました。 お⼆⼈に感謝、感謝です」 安⾕さんは、松⽥校⻑と千葉のブリーダー杉浦さんの尽⼒で念願が叶ったいきさつを、こう明かし てくれました。 「ありがとうございます。これで家内も元気になれます。皆さんになんとお礼を申しあげたらいいの か・・・。感謝します」 ⼼の底から湧き上がる感謝の気持ちで、⽬頭が熱くなりました。 「契約は急いだ⽅がいいと思います。よろしければ、今からでも先⽅と連絡を取りましょうか」 「よろしくお願いします。準備が整えばすぐ対処しますから・・・」 私の願いがこんなに早く実現するなんて、まさに夢のようでした。 「安⾕さん、ありがとう。松⽥校⻑先⽣と千葉のブリーダーさんにもよろしくお伝えくださいね」 そう⾔って、ひとまず安⾕さんとの“記念すべき会話”を終えました。 天にも昇るような気持ちになったのは、何時のこと以来でしょうか? ゴルビーとの“密約”が実っ たと思うと、⾔葉にならない感動の波が襲ってきました。その数時間後に安⾕さんからの再度の連絡 があり、それを受けて私は、その⽇のうちに千葉県のブリーダーさんと“全ての契約”⼿続きを済ま せたのでした。 あとは、今晩帰宅して家内を喜ばせるだけだと思うと、いても⽴ってもいられませんでした。 (ゴルビーありがとう。お前のお陰だ! きっとお⺟さんも喜んでくれるぞ) 家内の驚きと⼾惑いと、そしてこみ上げてくる喜びの表情を想像しながら、今⽇は早く仕事を切り 上げて帰宅しようと決めました。 (その前に、ノーフォーク・テリアのことを勉強しておかなくては・・・) 書店に⾏き、「世界の⽝種図鑑」(誠⽂堂新光社刊)を買い求め、会社に戻って⼤急ぎでページを めくりました。 (いたぁ!可愛い!) 中折れの⽿と断尾が印象的で、頑丈で利⼝そうな姿の写真が⾶び込んできました。⽬を⽫にして解 説書に⾒⼊りました。 <ノーフォーク・テリアは、英国南部、ノーフォーク州の産。ケアーン・テリアやスコッティッ シュ・テリアと親戚筋と⾒做されている。イギリスでは昔からこれら短肢テリアが、狐や⽳熊狩に従 事している。コンパクトで頑丈、明朗活発、物覚えよく、⾃負⼼に富み、かと⾔って喧嘩好きではな く、愛嬌豊かで⼦供に寛容。と来れば、家庭⽝としてこの上望むことはあまりない。剛⽑は刈り込ん で形を整えてやる程度。断尾。体⾼;25.5cm。カラーは、レッド、ウィートン(⼩⻨⾊)、グレイ、 ブラック・アンド・タン> と記してありました。 (家庭⽤⽝として、最⾼じゃないか! 明朗活発、物覚えよく、⾃負⼼に富み、喧嘩好きではなく、愛 嬌豊かだって! 何も⾔うことはないな) あの素敵だったゴルビーにもなんら遜⾊はない。「分⾝」としてもこの上ない。そう思うとひとり でに微笑がこぼれました。 (やったぁ!ゴルビーとの密約が、遂に成就した! これで我が家にやっと安らぎが戻ってくるぞ) 来⽉の5⽉に⽣まれるこのノーフォーク・テリア⽝なら、家内は快く受け⼊れてくれるに違いない。 ゴルビーとの密かな約束だったことにも納得してくれるに違いない。そう何度も⾃分に⾔い聞かせま した。家内にその事を打ち明けた瞬間を想像すると、それだけで⼤波のような感動が押し寄せてくる 気持ちに襲われたのでした。そしてこの朗報を、早く家内に伝えようと気持ちを⾼ぶらせながら、帰 宅を急いだのでした。 しかし、まさか、この⽇の同じ頃、家内の⾝の回りで、モモの話が急遽持ち上がり、家内の⼼が激 しく揺らいでいようとは知る由もありません。 帰宅した私を待ち受けていたのは、モモの救出ドラマの幕開けとなる、あの家内の涙顔との対⾯ だったのです。 (四)運命の⼦ このノーフォーク・テリア⽝にまつわる苦労話が、予想もしない事態の展開で、すっかり後回しに なってしまったことは、既にお話しした通りです。でも私にとっては、このゴルビーの「分⾝」探し の成果をどう処理するかが緊急問題でした。 確かにモモとの出会いとその救出劇は、筋書きのない奇跡のドラマでした。ゴルビーと⽣き写しの モモを家族として受け⼊れたことには、私⾃⾝も狂喜し、諸⼿をあげて歓迎したことに嘘偽りはあり ません。モモはすでに私たちの何物にも代え難い「宝物」であり、ゴルビーの⼤切な「命のバトン タッチ」であることを疑うものではありませんでした。 しかし、モモと出会う4ヶ⽉前から余⼈をもって代え難い⼈たちを通して着々と準備をすすめ、ゴル ビーの「分⾝」として既に契約を済ませたノーフォーク・テリア⽝のことも、家内に伝える必要があ りました。⼀刻も早く打ち明けなければという焦りが、時間の経過とともに胸の中で弾けそうに膨ら んできました。 (モモが来たことをあれほど喜んでいる家内が、もうひとつの「分⾝」を受け⼊れてくれるだろう か) モモが家族となったその夜の歓喜の中で、私の胸には願いと不安が交錯した複雑な思いが⾏き来し ていました。 そしてその翌⽇、モモとの散歩を終えた家内と朝⾷をとっている時に、思い切って切り出したので す。 4ヶ⽉ほど前から、あの安⾕さんを通してゴルビーの「分⾝探し」をしていたこと。そして奇しく も昨⽇、千葉県のブリーダーさんとの間で、イギリス産2世のノーフォーク・テリア⽝を分けていただ く「契約」を結んだこと。その⽝は来⽉⽣まれるので、2ヶ⽉後には我が家の家族になれることなどの いきさつを、⼿短に、つとめて静かな⼝調で話したのです。 家内は、テーブルの側で座ったまま⾒上げるモモに⼀旦向けた眼差しを、私の⽅に移して、やや硬 い表情を覗かせました。 「モモは、助けるために家族になったんでしょ。引く⼿あまたのそのワンちゃんなら、うちの⼦にな らなくてもても仕合せになれるんじゃない?」 確かに筋の通った、厳しい指摘でした。 「モモには、ゴルビーが必死に訴えたから出会えたのよ。第⼀⼩型⽝の飼育は難しいと聞くし、いき なり2頭になってしまうのもどうかしら」 (そうか、モモとの出会いで、⼼の余裕はないのか・・・) 私は、⼀瞬⾔葉を失いました。家内の実直な性格を熟知しているからです。家内は頭の回転が早く 判断⼒にも優れ、筋の通らない話には⼀歩も譲らない頑固さを秘めていました。ただし情にはもろ く、優しさをにかけては⼈⼀倍でした。 「モモには悪いけど、ゴルビーの経験からモモと⼀緒にいられる期間はあと5年余。まもなく誕⽣する ワンちゃんなら15年余⽣き続ける。お⺟さんに元気で⻑⽣きしてもらうには、ずっと⾝辺に寄り添っ て、⽣き甲斐のパワーを与え続けてくれる、この⼦が必要なんだよ」 私は根気よく、家内の情に訴えて説得を続けました。もちろん、ゴルビーと4ヶ⽉前に交わした「密 約」のことも伝えました。 「・・・・・」 家内はモモの⽅を⾒たまま、私を振り返ろうとしません。 「気持ちはわかるよ、昨⽇の今⽇のことだもんな。でも4ヶ⽉前から安⾕さんや松⽥校⻑さん、そし てブリーダーさんにご迷惑をかけて、その⽅たちのお陰でやっと、夢が実現したんだ。お⺟さんに早 く元気になって貰いたい皆の願いが、やっと実を結んだんだ。このワンちゃんは、その運命を背負っ て、今この世に⽣を受けようとしているんだよ。他所に⾏って仕合せになる⼦じゃない。お⺟さんの 元で⽣きることを楽しみにしてる⼦なんだ。」 次第に⽬尻に涙が溢れだした家内は、それでも黙ったままです。 (そうか、駄⽬か。諦めなければならないのか) 私はそっと天井を⾒上げました。 その時、家内の震える声が聞こえました。 「わかりました。その⼦を家族に迎えることにしましょう」 私は絶句したまま家内の顔を⾒つめました。 「本当だね!?」 「その⼦がモモの弟になるのか妹になるのか分からないけど、両⽅ともゴルビーが寄こした分⾝と 思って⼤事にしましょう! ありがとう」 家内の涙顔につられて、私の⽬からも涙が滲み出しました。 「いや、ありがとう。いい朝になった。⼆⽇続きの歓喜⽇和だ!」 私は⾷卓から⽴ち上がると、隣室のゴルビーの遺⾻と遺影の前に正座し、 「ゴルビー、またお前に助けてもらった! 例の⼦⽝がやってくるぞ。ありがとう」 と告げました。そして振り返り様に、後ろで⼼配そうにたちすくんだままのモモにも声をかけまし た。 「モモちゃん、新しい⼦がくるよ。優しく迎えてね」 私はモモのキリッとした⽬が、⼀瞬和らいだのを⾒逃しませんでした。 こうしてのちに「ジェフリー・フィッツジェラルド」と名付けられる愛⽝が、我が家の家族になる ことが決まったのです。 その「ジェフリー」は、何とモモが家族になった⽇から数えて6⽇後の4⽉29⽇にこの世に誕⽣し ました。⼀⽇でも早く我が家の⼦になりたいため、予定より早く⽣まれてきたのかもしれません。昭 和天皇の誕⽣⽇と同じ⽇でした。⽣まれたノーフォーク・テリアは3姉弟。我が家にやってくる幼⽝ は男の⼦、カラーはレッドだと、ブリーダーさんからのメールで知らされました。 後先になりましたが、⽣まれたばかりのその⼦に、「ジェフリー・フィッツジェラルド」と名付け たのは次男でした。ことのほかゴルビーへの思いの強い次男でしたが、ゴルビーの「分⾝」が家族に 加わることを知ると、名付け親になると⾔い出して、その名前をつけたのです。 待ち遠しいジェフリーが、成⽥国際空港から関⻄国際空港に空輸されて来たのは、それから2ヶ⽉後 のことでした。 私と家内、⻑男と嫁、孫のカズの5⼈で空港貨物受付に出迎えにいきました。⾶⾏機酔いをしてい るかもしれないとタオルを幾枚も⽤意して⾏ったのですが、そんな⼼配は無⽤、ジェフリーは聞きし に勝る元気な姿で私たちの前に現れたのです。家内が最初にガレージからジェフリーをそっと出して 抱き上げ、 「ようこそジェフリー!待っていたよ!」 そういい放つと、ジェフリーは⼩さい顔を思い切り左右に揺すりながら、家内の顔中をペロペロし 出したのです。 「可愛い! やっぱりお⺟さんに会いたかったんだ!」 皆から歓声が上がりました。 モモが「奇跡の⼦」なら、ジェフリーは「運命の⼦」でした。 ゴルビーが、家内のために仕組んだ2つの「命のバトンタッチ」のドラマは、こうして第⼀の幕を 下ろしたのです。 「第四章」ゴルビーの登場 (⼀)独りぼっち さあこれから、「奇跡の⼦」と「運命の⼦」に⾒事「命のバトンタッチ」を果たした、愛しいゴル ビーの⽣涯をお話しします。時は遡ります。 「親爺が忙し過ぎるから、お袋はいつも独りぼっち。可哀想だよ」 ⼤学受験をめざしていた次男が、仕事に出かけようとしている私の背中に、乾いた声を投げかけま した。 この頃は、寝⾷を忘れるほどの忙しさに追われ、家族団欒に割く時間もなく、家族とゆっくり⼣⾷ をともにすることもままならないほどでした。夢を追う男の⾝勝⼿な⾏動で、⾔葉では⾔い尽くせな い苦労をかけ続けてきたかけがえのない家内。その家内を「孤独」という過酷な境遇にまで追い込ん でしまっていることに、⼼を引き裂かれるような気持ちで⼀杯でした。そして、どうすれば家内をそ こから救い出すことが出来るだろうかと、⽇夜、悩み続けていたのでした。 ですから、家内が独りぼっちだという次男の⾮難めいた⾔葉は、私の胸の奥底に鋭く突き刺さった のです。 「少しでもいいから、お前がお⺟さんの⾯倒を⾒てやれないか」 ⽗親としての責任を棚に上げた⾔い草だと重々承知しながら、背後にいる次男にそう聞き返しまし た。 「おれもそうしてあげたいよ。でも⼊試も迫っているしさ。お袋が⽇中どうしているかさえ、分から ない始末だよ」 「わかった。出来るだけお⺟さんと⼀緒の時間をつくる努⼒をするよ」 「そうだね。そうしないとお袋は病気になるよ、きっと」 極め付けのその⾔葉に、私の胸の隅から⿊い塊が⼀度に吹き出し、暗澹とした気持ちになったので した。 その頃、私たち家族は⼤阪の都⼼部から少し離れた新興住宅街の⾼層マンションに住んでいまし た。既に就職している⻑男、それに次男、そして私たち夫婦の4⼈暮らしでした。 私と⻑男、次男の3⼈が朝早く家を出てから深夜に帰宅するまで、家内は家事に追われ、その後は、 せいぜい買い物か読書だけに時間を費やす、⽂字通り独りぼっちの⼀⽇だったのです。 関東⽣まれの家内は、関⻄の⼟地柄に馴染みが薄く、外出も控えがちでした。そのうえ隣⼈同⼠不 ⼲渉の⽣活を満喫できることが謳い⽂句のマンション暮らしが裏⽬に出て、親しくお付き合いをする 友達がなかなか出来なかったのも事実です。 (なんとかしなくちゃなぁ) そのことは、始終念頭から離れたことはありませんでした。しかし、いい知恵は、そんなにうまい 具合に湧いてくるものではありません。 (⼆)ひらめき そんなある⽇、出先から帰社する⾞の中で、秘書が何気なくゴールデンリトリバーという愛⽝を 飼っている話題を切り出したのです。 「よく飼い主の気持ちが分かる⽝でしてね。毎朝僕が会社に出かける時、⽞関先でキチンとお座りし て、⼤きな瞳を⾒開いて⾒送ってくれるんですが、その瞳が切なさに溢れているんです。その瞬間、 胸が締め付けられるような気持ちに襲われるんですよ」 「へえっ、すごいね。で、君が帰宅した時はどうなんだ?」 「⾜⾳で私の帰宅をいちはやく察知して、ドアを開けるなり、巨体ごとドーンと⾶びついてくるんで す。そしてキスの応酬ですよ。いやぁ、その歓迎ぶりは凄まじくて、私を待ち続けていた気持ちをま ともにブッつけて来るんです。家内の出迎えの⽐ではありません。不思議ですね。そうされると⼀⽇ の疲れがいっぺんに⾶んでしまいます。こいつがいることで、すっかり癒されているんです。」 「ふう〜ん」 ⽝を飼った経験のない私は、その時はただほほえましいエピソード程度にしか受け⽌めず、迂闊に も聞き流していました。ところが何故かそのエピソードが、その夜帰宅途中の私の頭の中に甦り、映 画のワンシーンのようにくるくると回り出したのです。 (⽝って、飼い主にそんな癒しと⽣甲斐を与えてくれるものなのか。彼の奥さんもその⽝に癒されて いるのだろうか) 深夜の帰宅なのに、家内は起きて待ってくれていました。結婚したての頃に⾔った「あなたの元気 な様⼦を⾒てからでないと寝られないの」という⾔葉を、そのままずっと励⾏していたのです。 「君まで疲れることはないから、先に休みなさい」 と何度⾔っても聞きいれるものではありません。 家内が淹れてくれたお茶を飲みながら、彼⼥がぽつぽつと話す平凡な⼀⽇の様⼦に⽿を傾けるう ち、帰り道に思い巡らせた例の⽝の話を思い出しましたが、敢えて話題にはしませんでした。それに は何か期するものが私の⼼の中に芽⽣えつつあったからです。 (三)対⾯⼯作 その翌⽇の昼休みのことです。秘書に⽬配せして、会社近くのお洒落な喫茶店に誘いました。 「変なこと聞くようだけど、君の家庭に⼦供さんはいなかったよな」 「はい。⼦供にはまだ恵まれていませんが、それがどうかしましたか?」 「実は昨⽇の君のワンちゃんの話の続きだけど、君がいない昼間は、奥さんはそのワンちゃんと⼀緒 だよね」 「そうです。家内も私と同じように⼤のワンちゃん好きでしてね。⽝の世話は⼤変ですが、でも⼀⽇ 中その⼦とラブラブですよ。どうかしましたか?」 彼は、私が何を聞き出そうとしているかを探るように、真剣な眼差しを投げかけてきました。 「質問ばかりで悪いけど、君の家にそのワンちゃんがやって来たのは、奥さんの希望だったのか い?」 「いいえ。僕がブリーダーと掛け合って連れて来たんです」 彼はそう⾔って、飲み掛けのコーヒーカップをそっと置くと、話を続けました。 「⽝は僕にとってかけがえのない⽣き物なんです。⽥舎にある実家では、僕が物⼼付く前からずーっ と⽇本⽝を飼っていて、僕の⽣活は常に⽝とともにあったんです」 「というと、たまたま奥さんもワンちゃん好きだったから、家庭はラブラブという訳なんだね」 「そうです。⽝がいてくれるだけで家庭は平和、夫婦仲も円満ですよ。だって夫婦の会話も⽝で始ま り、⽝で終わる。⽝のおかげで話題にも事⽋かないんです。家族の主役ですよ」 ⽬を細め、張りのある声でそう⾔い切るのです。 「君の家は、⽝無しには考えられないんだね」 私がそうつぶやくと、彼は私の揺れる気持ちを察したのか、 「⽝に興味が湧いて来たのですか」と問いかけたのです。 私は、胸の内を吐き出すように、昨夜から考えていたことを話しました。次男の発⾔のことから、 独りぼっちでいる家内を何とかしてあげたい気持ちで悩んだことまで、すべてを打ち明けたのです。 「そうだったんですか。それなら、癒してくれる幼⽝を奥さんの⼿に渡してあげれば、⼀発で解決で すよ」 ⾃信あり気な⼤声が、店内に響きました。 「でもね、僕も家内も⽝とは全く無縁だったからね。うまくいくかな?」 彼とは対照的に乾いた声が私の⼝から⾶び出しました。 「絶対勧めます。⾔葉ではうまく説明出来ないけど、⽝って絶⼤な⼒を持っているんです。⽝と奥さ んが向かい合ったら、いっぺんに⽝好きになります。間違いありません」 と⾝を乗り出して⾔うのです。 「そうかぁ・・・。じゃあ、仮にそうしたいと思ったら、どうしたらいいかな」 と、やや控え⽬に訊いてみました。 「⼤丈夫です。⾎統書付の⽝だけを育てている、しっかりした⽝舎にルートがあります。当ってみま しょうか」 秘書はそう⾔うと、⽝種は何がお望みですかと畳み込むように尋ねてきました。 「中型の洋⽝がいいな。⾊にこだわるけど、⽩と⿊がミックスした、顔にめりはりの効いた⼈懐こい ⽝。そんなの、いるかなぁ?」 ⾃分でも驚いたことに、いつの間にか⾃分が想像していた愛⽝のイメージをすらすらと⼝⾛ってい たのです。 「それだったら、シベリアン・ハスキー⽝ですね。早速当ってみます!」 「そうか、頼むよ!」 この世界に全く不案内の私は、まるで⾃分の⼈⽣を賭けるような気持ちで、愛⽝探しを彼に託した のです。16年前のことでした。 (四)朗報 秘書が、⼼待ちにしていた朗報を伝えてきたのは、それから3⽇後でした。 私の部屋に⼊って来るなり、こぼれるばかりの笑顔を顔じゅうに湛えています。 「有名な⽝舎から、シベリアン・ハスキー⽝の⼦⽝を連れて来る⼿筈が整いました!」 「えっ! 本当かね。で、何⽇頃にこちらに寄こしてくれるんだい?」 私は、思わず椅⼦から⽴ち上がり、急き込むように訊きました。 「契約が済めばすぐ搬送させますよ。新潟の⽝舎からです。⽣後4ヶ⽉だそうです。4姉弟で、⼀番 元気な男の⼦⽝をこちらに寄こしてくるそうですよ」 彼が、知⼈のルートを通じて⼿配をしてもらった話がまとまったことを、⾃分の事のように嬉しそ うに説明しました。 「ご苦労かけたね。ありがとう。契約は今⽇中に済ませるよ。でも家内を説得するのに⼀両⽇掛かり そうだから、こちらへ搬送する⽇は追って通知するということでいいかな」 彼は深い頷きを返しながら「では先⽅にそのように連絡をとりましよう」と答えて退出していきま した。 その夜が⼤変でした。 ⼣⾷の後始末が終えるのを待って、私は家内にこの話を切り出したのです。これまでの経過を⼿短 に説明し、可愛いワンちゃんを我が家に迎えたいのだがどうだろうと、家内の表情をうかがいまし た。 家内の答ははっきりしていました。 「⽝を飼うということ? ペットとは無縁の我が家で、どうやって⼦⽝を飼うつもり? その⼦⽝も可哀 想だわ。絶対無理な話よ」 「お⺟さんの独りぼっちを皆が⼼配しているんだ。賢くて可愛いワンちゃんだそうだから、相⼿をす れば、少しは気が紛れるだろうし、これからの⼈⽣の良きパートナーになると思うがね」 私は、何とか納得して貰おうと、懸命に説得してみました。 「お⽗さんの仕事の安泰を祈るだけで⼗分充実した⽇々を送っていますよ。その上ワンちゃんの世話 に関わるようになったら、どうなると思う?」 家内は眉間にシワを寄せながら、12時を過ぎた柱時計を⾒やりました。 (いやいや、参った) 確かにいくら独りぼっちだと⾔っても、家内は決して隙をもてあましているわけではありません。 男ばかりの我が家の家事を⼀⼈できちんとこなし、深夜に帰宅する私たち⽗⼦を待って世話をし、⽇ 付が変わってからしか就寝できないという、かなりハードな毎⽇を送っていたのです。そんな家内に 済まないと思っている、私の⼀番弱い部分を突かれて、返す⾔葉を失いました。 「友達にペットを飼っている⼈はいないのかい?」 「いるけど、エレベーターの中で会うだけだから、ペットの話題にはならないわ」 (そうか。ペットを飼ったこともない家内に、ペットを勧めることは、⼟台無茶なのか。すでに契約 を済ませてしまったことは、軽はずみだったのか) ⾃分が先⾛りしたことが、かえって家内を苦しませる結果になってしまうような気がして、悔いに 似た気持ちが頭の中を駆け巡りました。 私は⻑男の部屋に⾏き、次男も呼んで、どうしたものかと相談してみました。 「たしかにお⺟さんの⾔うことは理屈に合っている。だけどね、引き籠りのままでは、ストレスで体 を壊してしまうだろうなぁ。ワンちゃんを飼うという案には驚いたけど、意外にいいアイディアかも 知れないよ」 ⻑男が、机の脇に置いていた⾃前のぺットボトルから私と弟にお茶を注ぎながら、そう⾔いまし た。 すると次男が、思いもしない⼤胆な計画を持ち出したのです。 「だったら、いきなりお袋にその⼦⽝を引き合わせてみたらどう?」 「訳も話さずにお⺟さんを連れ出して、⼦⽝に対⾯させるということかい?」 私は次男の真意を確かめるつもりで、そう訊き返しました。 「いくら理屈を⾔っても、無意味さ。現実と向かい合わなければ、⼈の⼼は変わるもんじゃない。お 袋にそのワンちゃんを抱かせてみようよ」 (なるほど、強引なやり⽅だけど、そのやり⽅がいいかも知れないな) 「分かった。では明後⽇の⽇曜⽇に対⾯させるから、お前たちも同伴してくれよ」 私は「その瞬間まで、お⺟さんにはくれぐれも内緒だぞ」と⼆⼈に念を押しました。⼆⼈は満⾯の笑 顔を返してくれました。 (五)必死の訴え ⽇曜⽇がやってきました。お昼は家族で⾷事しようと家内を誘って、市内のレストランに出かけま した。四⼈揃っての外⾷は滅多に無いことでしたから、家内はいそいそとついてきました。そして⾷ 事の後、ちょっと寄る所があるからと家内に声を掛け、“⽬的地”に向かって⾞を⾛らせました。 ⾼速道路のインターチェンジを降りて10分ほど⾛った先の、⼤型ペットショップの広い駐⾞場に⾞ を⽌めました。午後2時でした。新潟県の⽝舎の代理⼈という男性が待ちうけていて、私たち家族を店 の奥の応接室に案内しました。 家内は、ここへ連れてこられた理由をうすうす感じ取っている様⼦でしたが、澄まし顔で応接室に ⼊り、勧められるままに椅⼦に座りました。 私はこれからの対⾯に家内が動揺を⾒せず、冷静に応じてくれることをひたすら願いながら、家内 の表情をじっと伺っていました。 ⽝舎の代理⼈が縦横50センチほどの⾦網のケージを抱えて⼊室してきたのは、その直後でした。 中には、⽩と⿊のフワフワした⽑につつまれた⼦⽝が1匹⼊っていました。家内は、努めて表情を 変えないようにしながら、ケージの中から抱えられて外に出されるその⼦⽝をじっと⾒つめていま す。 「わぁ、可愛いなぁ。これがシベリアン・ハスキー⽝か!」 次男が⼤声を上げました。 ⼦⽝は、体⾼が30センチ、体重は10キロ位、両⽿をピンと直⽴させたうえ、尾をくるりと巻き上げ て、突然の来訪者に緊張した眼差しを向けています。顔は、⽬の回りは⿊⾊でマーキングされ、左が グレー、右がブルーのバイアイです。 皆が家内の反応を注視しましたが、家内は⾝じろぎもせず、ただひたすら⼦⽝を⾒守っています。 「この⼦を家に連れて帰りたいと思うけど、どうかな?」 家内はとうに察知していたかも知れませんが、私は、思い切ってここへ連れてきた訳を家内に打ち 明けたのです。 あとで家内から聞いた話ですが、この時は、⼦⽝の可愛さに⼼を動かされながら、果たしてこの⼦ を連れて帰ったとしても、この年まで無縁だったド素⼈の⾃分にこの⼦は懐いてくれるだろうか、⼤ きくなったら恐い⽝になりはしないだろうか、などと⾃問⾃答していたのだそうです。 「奥様、抱いて⾒ませんか?」 代理⼈は、たじろいでいると映った家内の様⼦を気づかって、⼦⽝をダッコするよう勧めました。 家内が⼀瞬後ずさりをしたので、⻑男が代わってその⼦を受け取ったあと、「⼤丈夫だよ」と⾔い ながら、そっと家内にダッコさせました。 その瞬間、信じられないハプニングが起きました。このハプニングが、その後のゴルビーの⽣涯 と、私たちの⽣甲斐を決定的なものにしたといっても、過⾔ではありません。 その⼦は家内の胸に抱かれると、いきなり家内の左の脇の下に顔ごと埋めてしまったのです。 (お願い、僕を家族にして! 連れてって!) 必死にそう訴えているかのようでした。想像もしない、誰もが⼼揺さぶられる⼦⽝の動作でした。 もしもこの時、家内と⼦⽝が⽬を⾒合わせただけの素っ気ない対⾯だったら、家内の胸を締め付け るような感激を与えていなかったでしょう。 この⼦⽝は、⾃分の運命を決定付ける瞬間がこの時だと判断できる超能⼒を持っていたのです。家 内や私たちとここで決別すれば、⾃分は再び遥か遠い新潟の⽝舎に連れ戻される運命を知っていたの かもしれません。 ハスキー⽝の⼦⽝は、家内の脇の下に⾸ごと埋めたまま、⾝じろぎひとつせず、家内にしがみ付い ていました。 (離さないで! このまま連れてって!) 家族にするか否かの決定権を家内が持っていることを、この⼦は察知していたのです。 「どう? お⺟さん。家族にしようよ」 次男が諭すようにつぶやきました。家内の⽬からひとしずくの涙がこぼれました。きっと、この⼦ の必死の願いが家内の⼼に届いたのでしょう。 「分かった。連れて帰ろう!」 そう⾔って、家内は⼦⽝を抱きかかえたまま、私たちにうるんだ⽬を向けました。 この家内の決断が伝わったのでしょうか。ハスキー⽝の⼦⽝は、それまで家内の脇の下に埋めていた ⾸をスッと抜いて顔を出すと、家内の顔全体にキスを連発しだしたのです。 ワンちゃんからのキスなんて、家内にはきっと初めてのことだったのです。 「よし。私が抱いて⾏くわ」 家内の⼒強い⾔葉に、私と息⼦たちは安堵の⽬線を交わしました。 ⼦⽝は、親代わりになってくれる筈の家内にしがみついたままです。 (この⼦なら、家内の良きパートナーになれる) 改めてそう実感しました。 超能⼒としか思えないような⼦⽝の⼒に驚かされた私たちでしたが、これがゴルビーとの運命の出 会いであり、ゴルビーが家族になった時の話です。 まさか、この⼦がこのあと私たちのかけがえのない家族になり、私たちと共に13年半⽣活を共に し、今でも⼼の⽚隅から離れず硬い絆で結ばれたままになるなんて、この時はまだ気づいていません でした。 (六)新しい家族 私たちは早速、⾞に乗り込み帰路に就きました。⾞の後⽅座席には、来た時とは違って、⼦⽝を抱 いた家内の姿がありました。 (良かった! これで家内が独りぼっちから解放される。それだけでなく、家内の⼼も癒される) 私は、思い悩んだこの企画がおだやかに実を結んだことに、正直胸をなで下ろし、⼼が晴れやかに なっていました。 ところが、マンションまで帰ってきた時、またビックリすることが起きました。 エレベーターで⾼層階のフロアに着いた時でした。 家内が「さぁ、着いたよ」と⾔って、抱いていた⼦⽝をフロアに下ろしました。その階はエレベー ターを降りると、左右に廊下が分かれ、両側に16室があり、我が家は左折した⼀番奥にありました。 ⾃宅の場所を予め教えていても、初めて来られる⼈は迷うことが度々だったのです。 しかし⼦⽝は、私たちの前を⼩⾛りにサッと左折し、まっすぐに我が家に向かうではありません か。そしてうちの⽞関の前にペコンと座わり、こちらを向いたのです。 「お前は、家を知っているのか?」 次男が素っ頓狂な声を張り上げました。⼀度も来たことがないのに、まるで⾃分の家の在りかを 知っていたような様⼦なのです。 「賢い⽝だぞ。今まで⾒た⽝とは全然違う」 ⻑男もベタほめです。 これに家内がまたまた感動し、そっと抱きかかえて、やわらかい体⽑の上から優しく繰り返し愛撫 しました。この⼦が我が家の⼦になる運命だったと思わせる、決して偶然では⽚付けられないような 出来事でした。 家に⼊ると、早速ペットショップから買い求めてきた⽝舎を組み⽴て、⽔とドッグフードを揃える 準備に追われました。まるで盆と正⽉が⼀緒に来たような騒ぎでした。⼦⽝ですから部屋のそこら中 を⾛り回るのは当然ですが、そんな時に「待て! 来い!」と怒鳴ると、素直に応じる賢い⼦⽝でし た。 「よかった。これからは飼育が⼤変だけど、お⺟さん頼むね」 と私が⾔うと、「待ってよ。私⼀⼈じゃ頼りないから、全員で⾯倒みようよ!」 家内は⼤仰にむくれる素振りを⾒せながら、そう⾔い返してきました。 「分かった、そうしよう。今⽇から家族だ。みんなで助け合おう。それにしても名前をつけなくては ね」 私がそう⾔うと、即座に次男が「考えていたんだけど、ゴルビーという名前はどう? シベリアから ⽝だから、ソビエト連邦の初代⼤統領の名前をつけよう」 当時ソビエト連邦の初代⼤統領は、ミハイル・セルゲーエビッチ・ゴルバチョフと⾔って、東⻄ド イツを統⼀したり、世界平和に多⼤な貢献をし、ノーベル平和賞を受賞した著名な政治家でした。⽇ 本にも何度か来⽇したことがあり、ゴルビーという愛称で世界から親しまれた⼈物だったのです。 「よし、ゴルビーで決まりだ。お前は今⽇からゴルビーだ」 こうしてゴルビーと私たちの新しい家族⽣活が始まったのです。 「第五章」強い絆 (⼀)初の試練 その愛⽝ゴルビーが、⼤阪北部の千⾥にある警察⽝訓練学校に⼊所することになりました。私たち の家族になってから、まだ2ヶ⽉経っていない時のことです。 「⽣活を共にするには、しっかりしたマナーを⾝につけさせることが⼀番⼤切よ」 家内が愛⽝家の先輩たちから、飼育についての助⾔を受けてきたのです。先輩いわく、「待て」 「座れ」「よし」はもちろんのこと、飼い主の意思には絶対服従させなければならないのだとか。そ うすれば、わがまま勝⼿な飼い⽝にはならず、賢いワンちゃんとして、家族といつまでも⼀緒に暮ら せると⾔うのです。それを信じた家内が、ゴルビーを訓練学校に⼊所させて訓練しようと⾔い出した のです。 ⼈を介して「警察⽝訓練学校」に問い合わせたところ、訓練期間は4ヶ⽉で、⼊所してから2ヶ⽉後 に最初の⾯会が許され、その後は⽉に1回⾯会ができるとのことでした。 「じゃ、4ヶ⽉の訓練の期間中、会えるのはたった3回? それではたまらないな。そんなに会えないで いられる訳がない。無茶だ!」 私は、うめくように家内に漏らしました。 その頃ゴルビーはすでに、あまりの可愛さと⼈懐っこさで、⼀躍我が家の主⼈公になっていまし た。ゴルビーを囲んで、笑い声の耐えないウキウキ家族が誕⽣していたのです。 私が帰宅するとゴルビーは⽑並みをフアフアさせて⾶びついてきます。頬をペロペロされると、聞 いていた通り、その⽇の疲れもストレスも⼀瞬にして吹き⾶んでしまうのです。 家内との会話も、ゴルビーの⽣活ぶりの話題で盛り上がりました。勝⼿なもので、夜⾏う打ち合わ せをキャンセルして、帰宅を急ぐ⽇が多くなったのも事実です。仕事⼈間と⾃称していた⾃分の変わ り様に、⾃分でも驚くほどでした。 もうゴルビー抜きでは1⽇をどう過ごせばいいかわからないほどになっていたこの時に、4ヶ⽉も の間留守してしまうなんて耐えられないという私の泣き⾔を、さらりとたしなめたのが家内の⼀⾔で した。 「これはゴルビー⾃⾝の仕合せのためよ。私たちのさびしさなんて微々たるもの。我慢しましょう よ」 これから10数年間⼀緒に暮らす私たちのためだと、家内が⾔う意味も理解出来ました。 「分かった、我慢しよう。でも4ヶ⽉は⻑いなぁ」 私のため息まじりの⾔葉をよそに、 「お⽗さんも頑張るから君も頑張りなさい!」と、ゴルビーの頭をなでながら⾔い聞かせる気丈な家 内に、う〜んと感⼼させられたのでした。 (⼆)⼊所 いよいよ訓練学校に⼊所する⽇がやってきました。 ⾞の後部座席にゴルビーと家内を乗せ、私はただ黙々と⾞を⾛らせました。朝から⼩⾬が降り出 し、私たちの悲しさとさびしさを代弁しているようでした。 警察⽝訓練学校の事務所兼校⻑宅に着き、校⻑と挨拶を交わして、ゴルビーを引き合わせました。 この学校の訓練⽝は、セパードが主で、シベリアン・ハスキーは初めてだと聞かされました。⼀瞬不 安がよぎりましたが、ここまで来た限りはお願いするしかないと考え、「ゴルちゃん、頑張れよ。2ヵ ⽉後に会いに来るからね」とゴルビーに⾔い聞かせました。 ゴルビーはその意味が分かっているかのように、さびしそうな⽬を私と家内に投げかけました。家 内は黙ってゴルビーの⾸を抱き締め、⽬から涙を溢れさせていました。 「先⽣、お腹の弱い⼦ですから、よろしくお願いします」 家内はそう⾔って、ゴルビーの⾸輪に付いたリードを、校⻑先⽣にそっと⼿渡しました。 「確かにお預かりしました」 校⻑はそう⾔うと⽝舎に通じる庭の扉を開けて、ゴルビーを中に連れて⾏きました。 1メートル四⽅の⾦網でできた⽝舎の前で⼀旦⽴ち⽌まって⼀呼吸置くと、⽝舎の⼾⼝を開いて、 その中にゴルビーを⼊れました。 (ここはどこ? 僕はどうなるの?) ゴルビーは少し動転している様⼦です。⾸を左右に振りながら、⼀変した環境に⽬を⽩⿊させて、 ⼼配そうな表情をもろに浮かべているのがはっきり⾒えました。 その様⼦を⾒つめていた私たちは、それ以上ゴルビーの姿を⾒続けることが出来ませんでした。切 ない気持ちを断ち切るために、私は思い切って扉を閉めました。そうでもしないと、ゴルビーの所へ 駆け出すこともしかねないと思ったからです。 (これがゴルビーと家族のための試練なのか) つくづくむごい我慢を強いられるものだと思いました。 こうして、4ヶ⽉間のゴルビーと離れ離れの⽣活が始まったのです。 待ち遠しい2ヵ⽉後の再会の⽇がやってきました。家族4⼈は朝10時にはもう警察⽝訓練所の前に 佇み、校⻑に⾯会を乞うていました。 ゴルビーはこの時、⽣後8ヶ⽉になっていました。リードを断ち切るような勢いで、ゴルビーが連 れて来られると、真っ先に家内に⾶びつきました。なんと、幼⽝だったゴルビーが、⻘年⽝に育って いたのです。10キロだった体重は20キロくらいになり、体⾼も70センチほどの⽴派な体格になって いました。 (すっかり⼤⼈になったなぁ) 4⼈が代わるがわるにクンクン⿐を鳴らすゴルビーを体ごと抱きかかえ、2ヶ⽉間のさびしさを癒 しあい、愛情を確かめ合いました。 校⻑が近くの訓練⽤の広場に私たちを案内し、30メートルほど離れたところで、訓練の成果を⾒せ てくれました。 (もう⼤丈夫だよ。連れて帰ろう) そう⾔いたくなるほど、訓練は⾏き届いているように映りました。しかし家内は⽚隅のベンチに座 り、黙ってゴルビーの様⼦を⾒つめています。 「この訓練は、あと2ヶ⽉続きます。1回の訓練中の⽝の集中⼒は、せいぜい10分間。朝⼣2回訓練 をしますが、その間に体と頭脳にどれだけのことを覚えさせるかが、訓練⼠の勝負なんです」 訓練のデモンストレーションを終えたあと、校⻑が私たちの前にゴルビーを連れて来てそう⾔いま した。 「このハスキー⽝は、賢くて、しかも勘がいいから訓練は順調にすすんでいますよ」 と、訓練の仕上がり具合を褒めてくれました。 「そうか、訓練はまだ半ばなのか。ゴルビー頑張れよ」 私はゴルビーの両⽿の辺りを優しく撫でながら、そう⾔って励ましました。 「⾯会に余り時間を割くと、⽝に⾥⼼がつくので、これくらいにしましょう」 校⻑は無情にもそこで⾯会を切り上げ、うしろを何度も振り返るゴルビーを、再び⽝舎に連れ戻し に⾏きました。視界から消えてしまったゴルビーが、独りで⽝舎の中にいる姿を想像するだけで、私 の胸の中にキュッと痛みが⾛りました。 (三)異変 2度⽬の⾯会も無事に終わり、4ヶ⽉が過ぎ、いよいよ卒業の⽇がやってきました。ゴルビーが帰っ てくることが、こんなに歓喜に満ちたものかと思うほど、私たちは朝から⼤はしゃぎでした。 ところが、学校に出向いてから驚くべき異変に直⾯したのです。私たちは、⽝舎から連れてこられ たゴルビーを⾒て、絶句しました。 「お前! ゴルビー?」 なんと、フカフカだったゴルビーの体⽑がすっかり脱けて、まるで別⼈、いや“別⽝”に変わり果 てていたのです。私たちの顔を⾒たとたん、必死に⾶びついてきたゴルビーは、今までの⾯会の時と は様⼦が違っていました。おそらく、その⽇我が家に帰れることを悟っていたのではないでしょう か。 (早く連れて帰ってよ! もう限界だ。僕は!) と訴えているようでした。 校⻑が訓練⽤の広場に私たちを案内し、4ヶ⽉に及んだ訓練の総仕上げとして、その成果を披露し てくれました。愛⽝ゴルビーは校⻑の指⽰通り、すべての訓練内容を私たちに⾒せてくれました。最 後に私たちの前で、「おしまい」といわれるまでキチンと正座して⾒せてくれた時、家族皆で盛⼤な 拍⼿を送ったものでした。家内は拍⼿しながら、⽬頭を何度も抑えていました。 そして、校⻑から「訓練修了証書」をいただいたあと、ようやくゴルビーの⾸輪の付いたリードを 返して貰えたのです。 「ゴルビー、お家に帰るぞ!」 そう⾔うと、ゴルビーは迎えの⾞の後⽅座席⽬掛けて、⾶び込むように乗⾞しました。今までの⾯ 会の時は、校⻑に連れられて仕⽅なさそうに⽝舎の⽅に歩いて⾏ったゴルビーでしたが、この⽇ばか りはまるで違っていました。家族と共に家に帰れることが分かっていたのです。そんなふうに、ゴル ビーは私たちの⾔葉を理解したり、⾃分の⼼を私たちに伝える、テレパシーのような不思議な⼒を備 えた⽝だったのです。 訓練の成果は⽴派なものでしたが、私はゴルビーの変わり果てた姿には、気懸かりでなりませんで した。 早速⾏きつけの動物病院で診てもらうと、ゴルビーは「極度のストレスによる脱⽑症」と診断され ました。「過酷な環境と極度の緊張による発症ですね」と診察した医師は⾔いました。「完治まで時 間を要しますよ」とも付け加えたのです。そのために、この動物病院への通院が始まりました。 さて、ゴルビーが帰ってきた我が家では、前にも増して、和やかで笑い声の絶えないウキウキとし た⽣活が始まりました。 (愛⽝の⼒ってすごい。これほどまでに⼈間に⽣甲斐を与えてくれるものなのか) この4ヶ⽉は、家内にとっても⻑くて⾟い試練の⽇々でした。家内はそこからやっと解放された喜 びを、ゴルビーに体ごと触れ合うことで、⼼の底から安堵の気持ちを味わっているようでした。 家に帰って、ゴルビーの訓練の成果が素晴らしいものであることを改めて実感しました。家内が私 を説得した通り、愛⽝としての躾をしっかり⾝につけたゴルビーは、私たち家族の“素晴らしい⼀ 員”となったのです。 「第六章」悪夢 (⼀)⾏⽅不明 その翌年、⻑男が結婚して、近くに新居を構えました。3⼈になった私たちは、ゴルビーがいるこ とで、⻑男がいなくなったさびしさを何とか紛らわせることができました。ゴルビーのお陰でそれな りに穏やかな、しかも充実した⽇々を過ごせたのです。 次男は念願の⼤学法学部に合格。以前より多少時間に余裕が出来たため、ゴルビーの⼣⽅の散歩を 引き受けてくれるようになりました。 ⼣⽅の散歩を次男に任せると、家内は愛⽝家仲間たちと⼀緒に、買い物に⾏ったり、お茶に⾏くよ うになりました。愛⽝家仲間という新しいグループができたのです。これもゴルビーのお陰でした。 ゴルビーが4歳になった秋のある⽇の⼣⽅、信じられない「⼀⼤事件」が起こりました。 近くの河川敷にゴルビーを連れて散歩に⾏った次男が、⼟⼿に寝転んで携帯カセットの⾳楽をイヤ ホンで聴いているうち、近くにいる筈のゴルビーの姿を⾒失ってしまったのです。 河川敷はあまり⼈気がなく広々としているので、ゴルビーの⾸からリードをはずして、独りで草む らや⼟⼿の上を⾛ることを許していました。 しかし、この⽇はどんなに叫んでも、ゴルビーは姿を現しませんでした。 「ゴル! どこにいる! 帰って来い!」 きっと、⼟⼿に寝転んで草むらの陰に隠れてしまっていた次男の姿を、ゴルビーが⾒失ったに違い ありません。声が嗄れるほど呼んでも叫んでも、ゴルビーは戻らないのです。 (しまった! 鑑札を付けた⾸輪を付けていればよかった!) 次男は最悪の事態を予想しました。 河川敷の⼟⼿の下にある公衆電話から家内に電話を掛け、異常事態が起きたことを伝えました。 「そこにいなさい。ゴルビーはきっとそこに戻って来る筈だから」 家内は次男にそう指⽰した後、仕事先の私に電話をしてきました。私は、予想もしない事態に仰天 し、胸が締め付けられる思いでした。 「すぐ帰るよ」 家内の電話に返事をし、仕事を中断して⾞を⾶ばして家に向かいました。 秋の⽇暮れは早く、私と家内が現場の河川敷の⼟⼿に⽴った時、あたりはもう真っ暗でした。河川 敷には外灯もありません。次男は体が冷えるのに耐えながら、ただひたすら河川敷周辺を歩き回って いたため、かなり疲れている様⼦でした。 ⻑男と嫁も駆けつけてきました。8時過ぎからは⾃転⾞を⾛らせて、河川敷の舗道を探し続けまし た。でも、夜10時が過ぎても⼿がかりらしきものは何も掴めず、いたずらに時間が過ぎて⾏くばかり でした。 (もしや、誰かに連れて⾏かれたのでは?) シベリアン・ハスキーが超⼈気のこの時期に、誰かの家に連れて⾏かれたとしたら、ゴルビーが 還ってくることはまずあり得ません。そう考えると激しい不安が襲ってきました。 家内は警察署に出向いて⾏⽅不明届を出し、⼼を痛めながら家でじっと待機していました。 「ひょっとしたら、あの動物病院に⾏ってるんじゃないか?」 混乱で疲れきっている次男がふと漏らしたのです。 あの動物病院とは、例の「脱⽑症」の時、世話になった病院のことでした。 「河川敷経路であの病院へ⾏ったことはないぞ」 ⻑男がすぐさま⾸を横に振りながら、その案を否定しました。 「でも、⼀度聞いてみよう。聞いて駄⽬ならその時はその時だ」 そう⾔うと、次男は家内に電話して病院の番号を聞き、電話を掛けたのです。 「そちらにうちのハスキー⽝がお邪魔していませんか?」 すると、急き込むような次男の問いに、新⼈の当直医師と思われる男性が答えたのです。 「はい。今までハスキー⽝がいましたが、外へ放しましたよ」 「今までいたんですか?」 「ほんの先ほどまでです」 医師が⾔うには、夜勤中の午後8時頃、ハスキー⽝が独りでドアから⼊ってきたそうです。鑑札を つけてはいないが、⼿⼊れの⾏き届いた⽝だったので、患者⽝かも知れないと思って、とりあえず⽝ 舎に保護したそうです。しかし、きっと飼い主さんが捜しておられるだろうから放した⽅が良いと考 え、10時過ぎに病院の⽝舎から外へ出したというのです。残念ながら、新⼈医師らしいお粗末な発想 でした。 (なんで病院に⼊ってきた意味が分からないのか!) 吐き出したい⾔葉を飲み込み、次男は混乱する頭の中をつとめて静めながら聞き返しました。 「どちらの⽅向に出て⾏ったのでしょうか?」 「左側の国道の⽅には向かわず、右の⽅向の住宅街の⽅に⾏きました。お宅のハスキー⽝だったんで しょうか?」 (そうだよ。⼀晩保護しておいてくれたらいいのに!) 次男はそう⾔いたいのを必死にこらえて、お礼を⾔って電話を切りました。 私はその話を聞いて、この時点でゴルビーがまだ誰の⼿にも渡っていないことを確信し、少し胸を 撫で下ろしました。きっとゴルビーは今、家族の待つ我が家を⽬指して懸命に帰ってきているに違い ないと信じたからです。 病院から離れたのなら、河川敷にいるより⾃宅に帰って対策を⽴てようということになりました。 家に戻るとすぐさま捜索の⼿⽴てを皆で協議しました。 次男が⾃分で書いたメモを皆の前に広げました。 ーーーーーーー 1. ゴルビーは、河川敷から⼤きな橋と国道を渡って動物病院に⾏っている。 2. 不明なった時何故家に引き返さなかったのか。動物病院へ向かったのは、河川敷から近い動物病院 に⾏けば、次男か家族に会えると思ったのではないか。 3. 病院から出てしまったら、ゴルビーは⾃宅への路を⽬指すだろう。 4. そのルートは2つ。ひとつは、歩いてきた元の道を引き返し、河川敷から⾃宅へ帰るコース。もう ひとつは、通院する時のいつもの道を逆戻りするコース。(だが、これは⾞を利⽤して通院するルー トだから、道筋は分かるだろうか) 5. 捜索は2班に分ける。河川敷コースは、次男と⻑男。通院するコースは、⽗と⺟。 ーーーーーーー こうして翌朝の午前4時から、捜索を開始することになりました。 「申し訳ない。俺の注意が⾜りなかった。草の根を分けても捜すから許して下さい」 次男が皆に深々と頭を下げました。 「いまさらそんな事を⾔っても仕⽅がない。ゴルビーだって今必死に帰る⽅法を考えているだろうか ら。僕らも必死で捜そう」 ⻑男が強い決意を込めた声を上げました。家内も⻑男の嫁も、そうすることがゴルビー帰還の可能 性につながると、⼼を決めたようでした。 とりあえず、そのまま部屋で仮眠を取ることにしました。しかし、ゴルビーが独り、極度の不安の 中で⼼⾝ともに疲労を重ねているだろうと考えると、眠るところではありません。結局その夜は、皆 まんじりとも出来ませんでした。 (⼆)絶望感 翌⽇、予定通り早朝4時から捜索活動を開始しました。⻑男と次男は、懐中電灯を照らしながら、 ⾏⽅知れずとなった河川敷の現場から病院へと通じる道筋を⾃転⾞で⾛ります。私と家内は、⾞で通 院したルートをゆっくり⾛りながら、ゴルビーが空腹でうずくまっていそうな空き地や公園などを、 注意深く丁寧に⾒て回りました。早朝が幸いして、⾞も⼈通りも少なく、徐⾏運転が可能でした。 家内は、愛⽝家仲間で河川敷を散歩道としているラブラドールのマユちゃん宅に電話を掛けて事情 を話し、河川敷でゴルビーを⾒かけたら保護してくれるようお願いしました。 (ゴルビー、お⽗さんもお⺟さんも、必死でお前を捜しているぞ!) ⼼の中ははち切れそうでした。 私と家内の捜索筋は、河川敷コースより道のりは⻑く、約10キロ以上ありました。 (この住宅街の中からゴルビーを⾒つけ出すのは⾄難の業だ) 早朝からずっと捜索を続けたにも関わらず、⼣⽅になってもまだゴルビーを発⾒できません。悪い ようには考えたくないと思っても、⼼の中では不吉な予感がどんどんと拡⼤していきました。 河川敷ルートの2⼈組にも収穫はなく、ひょっとしたら昨⽇と同じ時刻に、同じ場所で待ち受けた ら、ひょっこり戻ってくるのではないかと、祈るような気持ちで待っていたのですが、徒労に終わり ました。 「ゴルビーは知らない⼈の所には絶対⾏かない。訓練で警戒⼼はしっかり⾝につけているから⼤丈 夫。今も、私たちと出会うことだけを考えて、帰る道を捜し回って歩いている筈だ。だから、記憶に ある道に出くわしたら、⾶んで帰ってくるよ」 勇気を湧き⽴たせるため、私は気合を込めてそういいました。 しかし、皆の絶望感は次第に広がっていき、時は空しく経過し、2⽇⽬の夜を迎えました。その夜も 家族総出で両コースを懸命に捜し回りましたが、結局⼿がかりは得られませんでした。 ⼼の底に絶望感に似た気持ちが段々と広がり、体中から⼒が抜けていくのがわかりました。特に次 男の悲嘆は、⾒るも可哀想なほどでした。 (明⽇の昼までが勝負だな。それが限度だ。ごはんも⾷べていないし、⽔も飲んでいないだろう。ゴ ルビーの体⼒も気⼒も持つ筈がない) そう思うと、これまでのゴルビーとの楽しい思い出が、くるくると暗闇の中に消えていくような気 がしました。この夜も皆、着の⾝着のままで横になり、明ける朝を待ちました。 (三)狂喜 3⽇⽬の朝5時のことです。 「ピンポーン!」とインターホンが鳴りました。 迂闊にもまどろんでいたため、それに最初は気づきませんでした。 「ピンポーン!」 階下からの呼び出しを知らせるインターホンが、再び鳴ったのです。皆が顔を⾒合わせました。す ると、また「ピンポーン!」と鳴りました。私はインターホンに⾶びつきました。 「はい。お待たせしました!」 私は相⼿が返してくれる⾔葉に神経を集中しました。 「ワンちゃん仲間の有本ですが、マンションの⼊⼝にゴルビーちゃんがいますよ」 「えっ、本当ですか! すぐに降ります。申し訳ないですが、ゴルビーがどこにも⾏かないよう⾒張っ ていてくれませんか!」 「はあぃ! ちゃんとお座りしてますから、⼤丈夫です。すぐ降りてきてください」 驚きが広がり、ドクドクと頭に⾎が上るようでした。 「ゴルビーが下まで還ってきたんだって!」 「えっ、本当に!」 独りで帰ってくるなんて想像もしなかっただけに、家の中はパニックでした。着の⾝着のまま横に なったのが幸いして、皆でそのままエレベーターに駆け込み、階下に向かいました。エレベーターか ら降りると、⽞関に向かって、私たちはひと塊となって⾛りました。 紛れもなくゴルビーです! マンシヨンの⽞関⼊⼝ロビーに、ゴルビーがいるではありませんか! 「ゴルビー、ゴルビー! おかえり!」 家内がゴルビーを思い切り抱き締めました。泪を思いきり出しながら、本当に帰ってきたゴルビー を体で確かめていました。ゴルビーも瞳を輝かせ感激しているのが誰の⽬にも分かりました。 知らせてくれた有本さんにお礼を⾔うと、ゴルビーを連れてエレベーターの上昇ももどかしく、⾃ 宅のドアを開けて、ゴルビーを部屋に⼊れました。 ⿐がもげそうなほどの、⿂が腐ったような異臭を体中から発散させていましたが、そんな事にも気 を捉われず、家族全員が交代でゴルビーを抱き締めました。 「よく帰ってきたなぁ! ありがとう、ゴルビー!」 皆の⽬からこぼれ出す⼤粒の泪を⽌めることなど出来ませんでした。家内は「ゴルビーありがと う」と⾔いながら、いつまでも泣きじじゃくっていました。 ゴルビーが、どこをどう歩いて帰ってきたのかは、今もって謎です。 しかし、持ち前のテレパシーの不思議な⼒を放って⾃宅の⽅⾓を探し、安全を確認しながら着実に ⽣還したことは、紛れもない事実でした。ゴルビーの持つ不思議な⼒を皆が信じたのは、この時から でした。 ゴルビーは、家族の安⼼した様⼦を⾒て、⽔をたっぷり飲んだあと、横になって丸⼀⽇眠りつづけ ました。 もしあのまま⾏⽅知れずになっていたら、我が家はどうなっていたでしょうか。そう思うと、⽣き て帰って来てくれたゴルビーへの愛しさが、⼀段と強くなりました。 「もうどこへも⾏っちゃダメだよ」 そう⾔い聞かせながら、眠っているゴルビーの体を、家内と2⼈でいつまでも撫で続けたのでし た。そして、この2泊3⽇の悪夢から覚めた我が家には、再び平穏で楽しい⽣活が甦ってきたので す。 この間、仕事を休んだことは⾔うまでもありません。 「第七章」楽しい⽇々のあと (⼀)UFO ゴルビーが成⽝になると、⾼層マンションに住むことが、どうも不都合に感じられるようになりま した。 エレベーターの中で⽝嫌いの⼈と乗り合わせると、露⾻に不愉快な顔をされるし、家内には「別の エレベーターに乗り換えて下さい」と怒鳴る住⼈もしばしば出てくるようになりました。 ゴルビーには訓練で⾝に付けた「お座り」の不動の姿勢をとらせ、エレベーターの隅でお⾏儀よく させていましたが、それでもそんな不快なことは収まりそうにありません。これが度重なるように なってきたため、⾼層マンションでの⽣活を諦め、建って間もない近くの中層マンションの1階に 引っ越しました。 ⼤阪城が眼下に展望出来る以前の⾼層マンションとは違い、新しい住居には20平⽅メートルほどの 庭があり、周りに桜や紅葉、楠などの多種多様な樹⽊が植えられていました。庭の樹⽊には、珍しい 野⿃や蝉などの昆⾍もやって来ます。四季の移ろいが⽬の当たりに広がり、都会では疎遠な⾃然環境 に囲まれるようになったのです。それに⽇当たりも良く、ゴルビーが庭に出て、樹⽊の⾹りを嗅いだ り、地⾯を伝って吹き寄せる新鮮な空気を吸うのには、最⾼の佇まいでした。ここに移れたのもゴル ビーのお蔭でした。 転居した翌年の3⽉6⽇に、⻑男に初孫の男の⼦が誕⽣しました。この⼦が冒頭のモモの救出劇に登 場したカズでした。 さて、ゴルビーの楽しみは、朝⼣の散歩でした。 私が受け持つ朝の散歩は、⾃宅から⾃転⾞で淀川の河川敷に出て、周辺10キロをかなりのスピード で⾛り回ることでした。ゴルビーに体⼒と脚⼒を付けさせるためです。 ⼣⽅の散歩は家内が受け持ち、河川敷に集まるワンちゃん仲間と、懐中電灯が必要になるまで⼀緒 に遊ばせるのが⽇課となっていました。 暗くなり、ゴルビーの姿が⾒えなくなっても、ひと声「ゴルビー帰るよ!!」と⼤声を出すと、ゴ ルビーは家内の元に爆⾛して戻って来ます。迷⼦になったあの「悪夢」が、ゴルビーにも⼤きな教訓 になっていたのでしょう。ゴルビーは家内にぴったり付き添って歩き、また、離してもらい独りに なっても、家内の居る位置との距離を常に確認しながら歩き回る賢い習性が⾝に付いていました。 ⾃然環境に恵まれた素敵な河川敷での散歩は、ゴルビーにも、私たちにとってもかけがえのな い“恵まれた⽇々”そのものでした。 そんなある⽇の朝のことでした。信じられないことに遭遇したのです。 河川敷での散歩の途中で、近所に住むビーグル⽝のタローちゃんを連れたお⽗さんに偶然出会いま した。久しぶりの出会いの挨拶を交わしているうち、突然激しいにわか⾬が降り出したのです。⾬を さけて橋の下に避難し、空の様⼦を⾒ようと⾒上げたその瞬間、わが⽬を疑いました。何と空中に静 ⽌したままの「異様な⾶⾏物体」を⾒つけたのです。 「あれはなんでしょうか ?!」 タローちゃんのお⽗さんに、空の物体を指さしながら問いかけました。 「なんですかね?」 ⾬の中で凧をあげる⼈などいる訳がない。⾵船なら⾵に煽られてフワフワ⾶び去っていくに違いな い。ヘリコプターだって、爆⾳も⽴てずに宙に静⽌しているはずはないのです。 よく⾒ると、その物体は⽂字通り円い形の「円盤」でした。しかも10分も20分もビクともしませ ん。 「UFOだよ! 間違いない!」 タローちゃんのお⽗さんが、興奮した声をあげました。 「ゴルちゃん、タローちゃん。あれが分かるか?」 と⾔うと、2匹とも正座したまま、上空の「円盤」を⾒上げています。 「やっぱりUFOですね。それ以外考えられない」 私たちは深くうなずき合って、それからもしばらく⾒上げていたのですが、何か予測もしないこと が起きるのではと考え出すと怖くなり、その場から急いで⽴ち去ることにしました。このUFO出現 騒ぎは、⼀切メディアに登場はしませんでしたが、私は今でも「UFO」だと信じて疑いません。 これもゴルビーとの散歩で経験させてもらった、楽しく不思議な思い出です。 (⼆)急激な腹痛 時は流れて⾏きます。ゴルビーが7才になった時、すでに社会⼈となっていた次男が結婚しまし た。家族が増えても、ゴルビーがやはり主役の座を占めていました。 その翌年の夏、夏休み休暇を利⽤して、家内の実家がある九州に、⾞で家族旅⾏をしました。もち ろんゴルビーも⼀緒です。⾞に乗り慣れているゴルビーでしたが、10時間も要する福岡までの⻑旅に は、流⽯に閉⼝した様⼦でした。 ゴルビーを伴った家族は、福岡の実家を拠点に周辺の観光に出かけました。 今でも思い出に残っているのは、太閤秀吉が朝鮮出兵の時、派兵の拠点にした佐賀県東松浦半島の 突端にある、名護屋城の城跡を⾒て回ったことです。秀吉ゆかりの名護屋城跡は深い⽊⽴に覆われ、 海岸を⾒下ろす道路沿いをゴルビーと散策するのは、仕事のストレスを吹き⾶ばしてくれた最⾼のひ と時でした。 また福岡⻄区にある鎌倉時代の元寇防塁跡の海岸にも⾏きました。鎌倉幕府が元寇襲来に備えて博 多海岸沿に築いた防塁の跡です。その近くの⽩浜の海岸で、⽇除けの帽⼦に半袖・半ズボン姿の家内 が、打ち寄せる波際を楽しそうにゴルビーと散策する光景は、今でも鮮やかに蘇ります。ゴルビーは 海⽔に⾜を濡らすのが苦⼿のようで、家内が遠浅の海岸へ誘おうとしても、海辺から後ずさりしてそ の場から遠ざかるのです。 家族がゆったりとした幸せを味わった夏のひとときでした。もちろん、この旅⾏の楽しさをこれほ ど盛り上げてくれたのが、初めて家内の実家に付き添ってきたゴルビーだったことは⾔うまでもあり ません。 そんな楽しい夏休みを終えて福岡から帰る道中、家内が⾞中で急に下腹部に強い痛みを感じると⾔ い出しました。もともと腹部の強い体ではありませんでしたが、刺し込むようなこんなひどい痛みは 初めてだと、家内は顔をゆがめながら訴えたのです。⼤阪に近づくにつれ、⾼速道路の中国⾃動⾞道 が極端に渋滞し、ノロノロ運転の最悪の事態となりました。やっと⼤阪に着くなり、ただちに救急病 院に直⾏しました。 病院には私だけが残り、⻑旅のゴルビーや⻑男らは⾃宅に帰しました。当直の医師は、「旅疲れに よる腸炎ですよ」と⾔って、痛み⽌めと栄養剤を混合した点滴をしただけでした。 (旅疲れ? そんなことで下腹部にあれほどの痛みが出るのか?) と疑念が湧きましたが、その時は治療に応じました。 (三)緊急⼊院 ところが、家内はその後も間⽋時に下腹部の痛みを訴えるようになり、しばらく経つと、下⾎を伴 うようになったのです。同病院で再診したところ、驚いたことに「O157」とか「痔」だとか、診察す る医者が代わる度に異なる診断を出すではありませんか。そんないいかげんな診断に頼ることに不安 を覚え、「腸」の専⾨病院を探すことにしました。 そんな折、福岡の家内の実家から、近くに九州⼤学医学部内科の教授経験者の評判のいい内科医院 があるので、そこで診て貰ったらどうかと⾔ってきました。 「そんな⽴派な先⽣がおられるなら、願ってもない。実家の者が⾏きつけの医院なら信頼関係もある だろう。ぜひ診察をお願いしよう」 私は、⼀刻も争うこの事態に、そんな経験豊かな医師が実家近くにいてくれた幸運に感謝しなが ら、その翌⽇、家内を新幹線で博多に向かわせました。 「すぐに帰ってくるから、お利⼝にしていてね」 家内はゴルビーの頭を撫でながら、近くへ出かける時と同じ⾔葉を残して出かけました。恐らくゴ ルビーも、お⺟さんはすぐ戻ってくると信じていたに違いなく、尻尾を振って送り出しました。 その⽇の午後3時頃、家内を診察した医師から、私の勤め先に電話が掛かってきました。不吉な予感 がして、⾎の気が引くのを覚えました。 「ご主⼈ですか? 奥さんを診たのですが、⼊院を急ぐようお勧めします。よろしいですか?」 優しい声でしたが、いささか厳しい診断結果があるように思えました。 「といいますと・・・、もしや、ガンなのでは?」 私は、締め付けられる胃の圧迫感を覚えながら、そう聞き返しました。 「検査しないと断定は出来ませんが、その可能性が⾼いですね」 そう告げられ、家内の即時⼊院に同意を求められたのです。 「分かりました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」 医師はすぐさま「九州⼤学医学部付属病院に連絡を取ります。明⽇にでも⼊院出来るよう⼿続きを しましょう」と⾔って、電話を切りました。 医師は、問診のあと家内の腹部を触診しただけで診断を下し、別室から私に電話をしたのだそうで す。⻑年九⼤病院で内科医療や⼿術に携わってきた専⾨医の診断でしたから、私は家内が重篤な症状 であると確信したのです。そして、なかなか出来ない⼤学病院への⼊院⼿続きを速やかに進めてくれ るこの医師に、⼼から感謝しました。 診察を終えて実家に戻った家内が、電話を掛けて来ました。受話器を取った私は不安が⾼じて胸が 張り裂けそうでした。 ところが、当の家内は意外にも冷静でした。⽇頃から逆境に遭遇した時ほど落ち着きを⾒せる家内 でしたが、こと⾃分のことに関して、これほどまでに冷静になれるものかとつくづく胸を打たれるほ どでした。 「緊急⼊院と⾔われたけれど、明⽇、⼀旦⼤阪に帰るわ。ゴルビーともしばらく会えないから、あの ⼦の顔をよく⾒てお話をした上で⼊院したいの」 「その間に症状が悪化したらどうするんだ? ゴルビーなら何時でもそちらに⾞で連れて⾏くし、退院 したらゆっくり会えるじゃないか」 私は、家内のゴルビーへの思いを察しながらも、今は実家で安静にしていた⽅がいいのではないの かと諭したのですが、家内は頑として聞き⼊れません。 「分かった。あす、到着時間が分かればゴルビーを⾞に乗せて、新幹線の新⼤阪駅まで迎えに⾏く よ。ゆっくり帰っておいで」 「ありがとう。ゴルビーに会いたい!」 そう訴える家内の声には、涙声が混じっていました。 翌⽇、私はゴルビーを連れて、新⼤阪駅へ家内を迎えに⾏きました。 家内は、⾞に乗るなりゴルビーを両⼿でしっかり抱き締めました。ゴルビーもただならぬ雰囲気をい ち早く察したのか、家内の胸に巨体を静かに託しています。 (ゴルビー。お⺟さんが元気になるよう、いっぱい⽢えてやってくれ!) 私は、ゴルビーと家内の愛撫の状況を背中に感じながら、そう祈らずにはいられませんでした。 (四)ゴルビーとの約束 「ゴルビー、 お⺟さんはね、3ヶ⽉程留守にするよ。お⽗さんの⾔うことを聞いて⼤⼈しくしてい てね。お願い。」 家内は、⼊院の仕度をしながらゴルビーに話かけています。家内がゴルビーに会いたい⼀⼼で帰っ てきたことは、私には分かっていました。瞬時でもいいからゴルビーに会い、しっかり抱擁して、し ばらくの別れを惜しみたかったのでしょう。 「⼤腸に本当に腫瘍が出来ているの?」 私は、ひきつるような気持ちを精⼀杯抑えながら尋ねました。 「その可能性は⼤きいみたいね」 家内は、気丈な声でさりげなく答えます。そして⾔葉をつなぎ、 「私のことより、ゴルビーのことが⼼配なのよ」 家内はピタリと横に座ったゴルビーの両⽿を撫でながら、そうつぶやきました。 「ゴルビーのことより、⾃分のことを⼼配しなさい。ゴルビーは家族全員で⾯倒みるから安⼼してい いよ」 いつもと違う家内の様⼦を感じ取ったのか、ゴルビーは両⽿をピンと⽴て、⾝じろぎひとつしない で、アイラインの濃い両眼をまっすぐに家内に向けて、話に⽿をそばだてています。 「ゴルビー。お⺟さんは必ず帰ってくるから、祈っていてね!」 家内はゴルビーの顔に⾃分の頬全体をくっつけながら、そう⾔いました。ゴルビーと約束すること で、⼿術に耐えるエネルギーを貰いたかったのでしょう。 「ゴルビー! ⼤丈夫だよね。⼿術はうまくいくよね!」 私がそう⾔った時、ゴルビーはその意味が分かったのか、あまり聞いたことのない「ワン!」の⼤ 声を上げたのです。きっと、(任せて。僕が護るよ)と、⼤声を上げて約束したのでしょう。 その夜私たちは、ゴルビーを真ん中にして、並んで眠りにつきました。 翌朝、家内は慌ただしく福岡に戻っていきました。そしてその翌⽇⼊院しました。検査を済ませ、 ⼿術⽇は4⽇後と決まりました。 ⼿術の当⽇、九⼤病院の診断室で、執⼑医が⼤腸部位のMRIの写真を⾒せながら、⼤阪から駆け つけた私に、家内の病状を説明してくれました。 ⼤腸の末期ガンで、肛⾨から10cmほど上に約7cmほどのガン腫瘍があるとのことでした。転移の 有無は、開腹してみないと何ともいえないと、念を押されました。 ⼿術室の前で待機していると、搬送⽤ベッドに寝かされた家内が運ばれて来ました。 (家内を勇気づける最⾼のメッセージは何だろう?)と考えた挙句、私は、躊躇なく家内の⽿元に、 「ゴルビーが、がんばってと⾔ってるぞ!」と声をかけました。⿇酔が効きかけていた家内は、はっ きりとうなずいて、微笑みを返して寄こしたのです。家内のゴルビーに対する「愛」が如何に深いか を改めて知らされる思いでした。 家内を乗せた搬送⽤ベッドが⼿術室に⼊っていき、ドアがバタンと閉まりました。 5時間におよぶ⼿術が終わりました。⼿術に⽴ち会った九⼤医学部内科部⻑が、⼿術室から出てく るなり、待機していた私にこう告げました。 「⼿術は成功です。4節のリンパ管のうち、3節まで切り取るだけで済みました。しかも転移は認め られませんでした。⼤丈夫です」と⾔ってくれました。 (家内は、助かったんだ!) 私は嬉しさの余り叫び声を上げたい気持ちを必死に抑えました。 (ゴルビーのパワーで助かったのだ) そう思うとゴルビーへの感謝の気持ちが急激に湧いてくるのに気付きました。早速、⼤阪の⾃宅に 電話して、ゴルビーと⼀緒にいる⻑男の嫁に、⼿術の結果が良好だったことを伝えました。嫁が、横 にいるゴルビーにそのことを知らせると、ゴルビーは喜びを表すかのように、急に体全体をグルグル と2度も回転させたそうです。ゴルビーにも分かったのですね。 後で聞いた話ですが、家内はこのガンで命を落とすかも知れないと覚悟した時がやはりあったそう です。しかし、⼊院直前に⼤阪に戻ってゴルビーに会って抱擁した時、 (絶対、⽣きて戻ろう。またゴルビーと⼀緒に楽しい⽣活を共にしよう) と勇気を奮い⽴たせる決意をしたのだそうです。⼨暇を惜しんで帰宅し、ゴルビーから「⽣きるエネ ルギー」を貰えたお蔭で命拾いしたのだと、今でもそう信じています。愛⽝の⼒とは計り知れないも のだと、しみじみ思います 「第⼋章」⽼いの訪れ (⼀)命のエネルギー 3ヶ⽉して退院すると、家内はすぐに福岡から戻ってきました。家族全員が⾃宅に集まって、死の 淵から⽣還してきた家内の「快気祝い」をしました。なごやかなお祝いの宴に、ゴルビーも上機嫌で 参加しました。 「私は、ゴルビーがこれからの寿命をくれたような気がするの。ゴルビーに本当に会いたかったわ」 ゴルビーの両⽿、体を両⼿で優しく撫でながら、家内はゴルビーに静かに語りかけていました。ゴ ルビーが居てくれたことで⽣命の危機から脱出できたという家内の気持ちが、私たちにヒシヒシと伝 わってきました。 末期の⼤腸ガンがいかに重篤な病であるかを知る家族は、それを克服した家内の頑張りと、それを 乗り越えさせるエネルギーを与えたゴルビーに向かって、何度も喜びの歓声を上げました。 「ゴルちゃん、ありがとうね!」 ゴルビーは、嬉しさを体全体で表し、優雅な微笑を湛えて家族全員を⾒返しています。 ゴルビーのお陰で、家族の絆が再びきつく結ばれた夜でした。 ⽉⽇が経つのは早いものです。 家内がようやく⼿術前の元の健康を取り戻した頃、ゴルビーは11歳になろうとしていました。10歳 を越えると⽼齢化が進むので、散歩はゴルビーの好きな近場へ連れて⾏き、気ままに臭いを嗅がせる のがいいですよと、⾏きつけの⼤⼭動物病院の院⻑が助⾔してくれました。 我が家の近場には、春になると桜の花が咲き乱れ、秋になると紅葉が⾊を付ける⼤きな淀川公園な どの絶好の広場がありました。後の話ですが、この近くに出来たのが、⼤阪⽣誕の江⼾時代俳⼈・与 謝蕪村を顕彰する「蕪村公園」です。 ゴルビーの遊び仲間にも、世代交代が進んでいました。⼤型・中型⽝に⼊れ代わって、⼩型⽝が主 流の時代になってきていたのです。 そのせいか、ゴルビーは新参の⾒知らぬ⽝たちとの交流を避けるようになり、家内と⼆⼈だけで河 畔の道をゆったり散歩するのを楽しみとしていました。 「ゴルビーちゃん、頭の髪が少し⽩くなったんじゃない?」 と声をかける⼈が増えてきました。たしかに、顔と頭の周辺に⽩髪が⽬⽴つようになっていたので す。⽼化の進⾏は早いものです。 (⼆)恐れた発病 11歳の誕⽣⽇を迎えた直後、ゴルビーがお腹をこわし下痢症状となったため、いつもの⼤⼭動物医 院で診てもらいました。お腹の⽅は⼼配無いとの診断でしたが、⻭ぐきに腫瘍のようなものが出来て いるようなので、⼤学病院で検査を受けるように勧められました。 「何? 腫瘍!? 」 私は、3年前に家内を襲ったガンの悪夢が再び蘇って来て、暗闇の中に落ち込むような気持ちにな りました。腫瘍だと早期発⾒早期治療、というのが家内のガン治療で得た教訓です。ですから、この 教訓を⽣かすならやはり⼤学病院がいいと考え、知⼈の紹介で、⼤阪府⽴⼤学農学部獣医学科の家畜 病院に⾏くをことを決めました。 この家畜病院の主治医が、秋吉秀保医師でした。 MRIで⻭ぐきを検査してもらったところ、やはり悪性の腫瘍が出来ていました。ひょっとしたら 内臓へ転移している可能性もあるという、最悪の診断も出されたのです。 「転移しないうちに早期に除去しましょう」 秋吉医師の診断で、すぐに⼿術が⾏われることになりました。⼿術は⾒事成功し、転移していない ことも明らかになりました。 「よかった! ガンを免れたぞ!」 ガンに恐怖感のある私たち家族は、⼤事なゴルビーがガンから開放されたことを⼼の底から喜び合 いました。 「よかったね、ゴルビー! また公園で遊ぼう!」 退院したのちは、患部を外部と接触させないようにするため、ゴルビーには頭部に円筒形の保護器 具エリザベスをつけました。エリザベスを付けるのは苦⼿のようで、しきりにムズがりましたが、家 内がなだめすかして何とか我慢させました。 2週間経つとエリザベスを取りはずすことができて、再び颯爽とした前のゴルビーの姿に戻りまし た。⾷事は塩分の少ないシニアフードに変え、間⾷は絶対にさせないようにと、家内は気配っていま した。 そうして1年余は何事もなく過ぎました。多分家内の健康管理と定期的な家畜病院での治療が功を 奏したのだと思います。これでゴルビーは、まだまだ⻑⽣きできると、そう思うようになっていまし た。 ⽼⽝になると、いろいろな病が現れるものです。12歳(⼈間の年齢では70歳位)になった頃、ゴル ビーの後ろ⾜の関節に痛みが出たため、また秋吉医師を訪ね、レントゲン検査をしてもらいました。 軽い関節炎でしたが、愛⽝も⼈間同様、加齢が進むと弱いところに痛みが発症するのだということが 分かりました。 以来、冬の寒い時期を迎えると、氷原を爆⾛するハスキー⽝種のゴルビーであっても、寒い所の散 策を避け、部屋の中で電熱器の温⾵で患部を暖める温熱治療をこまめに⾏いました。その甲斐あっ て、ゴルビーはすっかり元の状態に戻り、元気に歩けるようになったのです。 歩けるようになると、公園に散歩に⾏ったり、⾞で河川敷に連れて⾏ったりして、付き合いのあっ た仲間のワンちゃんと仲良く遊べるようになりました。ゴルビーは、⾛らないまでも、家内と⼀緒に 歩きながら、ほかのワンちゃんとたわむれるのを楽しんでいます。この時ばかりは元気なゴルビーに 戻っていました。 「ずっとこのままでいてね」 これがゴルビーへの私たちの⼼からの願いだったのです。 (三)またも腫瘍 13歳になり、新年を越えてから、ゴルビーは体調を時折崩すようになりました。 私はゴルビーの健康状態がいい時を⾒計らって公園につれ出し、秘蔵のニコンカメラの200ミリの 望遠レンズで、ゴルビーの写真を撮り続けました。このニコンカメラは40年前、仕事⽤に買ったもの ですが、ゴルビーが来てからはゴルビーの撮影専⽤カメラとなりました。公園での撮影は、⽣きてい ることの嬉しさや楽しさ、それに喜びの気持ちを表す瞬間のゴルビーの表情を、しっかりと収めてお くためでした。 ⽝は笑わない、感情を表に出さない、と思っている⼈が多いかも知れません。しかし、決してそん なことはないのです。⾃慢したい時、怒った時、嬉しい時、愛されていることを感じた時、愛⽝は飼 い主に向かって溢れんばかりの豊かな表情と瞳を投げかけながら、それらを強烈にアピールするので す。今も部屋に飾ったゴルビーの写真には、私たちに当時投げかけてくれた微笑が残っています。 最初はゴルビーが広い公園を駆け回る勇ましい遠景の写真ばかりを撮っていましたが、この頃にな ると、ゴルビーが瞬時にのぞかせる感情の表れを逃がさず撮ることに専念しだしたのでした。 それを繰り返しているうちに、ついに、ゴルビーの感情の動きを表す表情がどれかをしっかりと確 認できるようになり、その瞬間毎に写真に収められるようになったのです。 ゴルビーの感情を表す表情を画像に収められるのは、私しかいないという思いが、撮影の楽しみに 拍⾞を掛けてくれました。写真撮影に適した天気に恵まれると、家内を誘って近所の公園や淀川河畔 に出かけ、季節の移ろいをバックに、ゴルビーに向けてシャッターを切り続けました。 そんなある⽇、ゴルビーが朝の散歩に出かけることを渋りました。初めてのことです。⾷も細くな り出していたので、健康管理には神経質なほど気を配っていましたが、散歩に出ようとしないという 突然の意思表⽰にはショックを受けました。 家内が「⾎尿をしているようよ」と⼼配そうに⾔いました。 「府⽴⼤学病院に⾏こう。秋吉先⽣に診て貰おう」 秋吉医師に連絡を取り病状を伝えると、翌⽇の午前10時にMRIの予約が出来ました。府⽴⼤学病 院の待合室は、沢⼭の患者⽝と連れ添う飼い主とで混み合っていました。 別棟の診察室で、問診と触診を⾏ったあと、ゴルビーは秋吉先⽣と助⼿の2⼈の先⽣に連れられてレ ントゲン室に⾏きました。 30分程してゴルビーは私たちが待っている待合室に戻ってきました。私が診察室に呼ばれました。 「MRIの結果が判るのは、来週になります。レントゲン室で診た限りでは、脾臓付近に腫瘍がある ようですね」 「あの⻭ぐきのガンが、転移したのでしょうか?」 「それは何とも⾔えません」 「⼿術をすれば、腫瘍は完全に取り除けるのでしょうか」 秋吉医師は、今までに⾒せたことのない厳しい表情をのぞかせたあと、少し間をおいてこう⾔いま した。 「MRIの結果を⾒て判断しましょう。それまでは薬を出しておきます」 私はお礼をのべて診察室を出ましたが、医師の微妙な⾔い⽅に不安が噴き出してきました。 私たちは薬を貰って病院をあとにしました。ゴルビーはいつもと違い、病院からすぐに帰れたこと を喜んでいる様⼦です。何か⾃分の体調に異変が起きているのに気づいていたのかもしれません。 それからの⼀週間は、闇に覆われた毎⽇でした。 「第九章」ありがとう、ゴルビー! (⼀)⼿術のあと ⼀週間後、私と家内はゴルビーを伴って病院へ向かいました。 秋吉医師がカルテを⾒ながら、診断の結果を伝えました。脾臓付近にある腫瘍は、悪性のガンだとい うのです。秋吉医師は、ガン部位の除去⼿術を勧めました。 私たちは、ふたたびガンの恐怖に⾒舞われたゴルビーを、なんとか助けたい⼀⼼でその⼿術に応じ ることにしました。ただちに⼊院の⼿続きが取られ、その翌⽇、秋吉医師の執⼑で⼿術が⾏われまし た。⼿術は無事に完了し、悪性ガンは取り除けたとの報告を電話で受けました。 「また、命拾いできたなぁ」 それから1週間後に退院ができ、帰宅してきたゴルビーを抱きしめながら、喜びを分かち合いまし た。しかし⽼⽝の13歳になってからのガンの再発は、私たちの⼼のひだに重苦しい不安をを植えつけ たのです。 「元気なうちは、出来るだけゴルビーの⾔うことを聞いてあげて、いっぱい楽しい時間を過ごそう よ」 何かを感じ取っている家内は、ゴルビーに笑顔を⾒せて、ゴルビーから元気を引き出す気遣いをみ せていました。ゴルビーも家内の笑顔に応える様に、両⽿をピンと⽴て、尾をキリリと雄雄しく巻い てじゃれて⾒せ、元気さをアピールするのです。そんな、愛⽝と家内の愛情の交換に、私はたまらず 涙をこぼしてしまいました。 それから2ヶ⽉間は、いつもと変わらぬ幸せな⽇々でした。朝⼣の散歩は、いつもの公園をゆっく り⼀周してくるだけの短い距離に変更しました。 「ゴルちゃん元気?」とワンちゃん仲間が声を掛けてくれると、さも嬉しそうにその⼈に近づき、尻 尾を振ってご挨拶を返すゴルビーでした。 薬が効いたのでしょうか。とりたてて体調変化もなく、⾷欲もごく普通になったようでした。夜に なると、ゴルビーを囲んで、家族が談笑し合う以前と変わらぬ幸せなひとときを過ごす⽇々が続いて いました。 (このまま元気でいつまでもいて欲しいなぁ) それが私たちの、ひたすらな願いだったのです。 それから2ヶ⽉が過ぎたある⽇。まだ夜も明けない4時頃に「ひーっ」と痛みを訴えるゴルビーの 悲鳴に起こされました。ゴルビーがそんな悲痛な声を上げたのは初めてのことでしたから、私たちは 即座に事態の深刻さを悟りました。鎮痛薬を飲ませましたが、痛みは治まりそうにありません。下腹 部をゆっくりさすっているうち、なんとかその時は寝付きました。 朝になるのを待って、救急患者扱いの届出をして⼤学病院に駆け込みました。検査の結果、前回⼿ 術したさらに奥の2箇所の部位に、新たなガンが⾒つかったのです。 秋吉医師が苦渋に満ちた表情をのぞかせながら、診察室で待っていた私たちの前に現れました。 すると側にいた家内が、秋吉医師に、こう⾔い出したのです。 「先⽣、ゴルビーはもう13歳です。出来ればもう痛い⽬に遭わせないで、このまま⽣きていけるだ け、⽣かしてあげて下さい」 もう痛みを伴う⼿術だけは、避けてやってくださいという訴えをしたのです。 秋吉医師は、じっと家内の⽬を⾒据えていました。 「分かりました。薬を出します。痛みを訴えたらまた緊急で病院にいらして下さい」 「分かりました。薬を出します。痛みを訴えたらまた緊急で病院にいらして下さい」 家内は⽬頭にうっすらと涙を溜めながら、深々と頭を下げました。 秋吉医師が、家内の申し出を受け⼊れて⼿術を⾒送る決断をしてくれたことに、家内も私も感謝し ました。 (もう覚悟を決めなければいけないのか) ゴルビーが⾒返す優しい⽬差しに、私も家内も息を詰ませるばかりでした。 (あそこが痛い、ここが痛いと⾔えないからなあ) ⼈間と違い、痛みを訴える術(すべ)のない愛⽝ゴルビーが不憫で仕⽅ありません。⾃分の経験か ら、痛いときは冷や汗が吹き出すほどの状態になることを知っている家内は、 「痛かったら、⼤きな声で鳴きなさい」 とゴルビーに⾔い聞かせていました。 (⼆)天国へ 8⽉29⽇、ゴルビーがまた悲痛な泣き声を上げました。 朝の4時です。慌てて灯りを点けてゴルビーの様⼦を⾒ると、痛みに耐えられないように体を悶えさ せています。 「痛いか? ゴルビー。朝になったらすぐ病院に連れて⾏くから、それまで頑張れ!」 そう⾔って、お腹を優しく繰り返し撫でてあげましたが、今度ばかりは痛みが治まらないようで す。 この⽇、ゴルビーをただちに⼊院させました。救急治療室に収容され、痛み⽌めと栄養剤を⼊れた 点滴を受けました。 「明⽇、またおいで下さい。その時、退院か⼊院継続かを決めましょう」 秋吉医師はさらに、病状が落ち着いたらすぐにCTを撮ってみることを私たちに告げました。 翌⽇、私と家内は、⻑男家族と次男夫婦を連れて病院に⾏きました。 その前夜に開いた家族会議のことです。家内が、⼀⼈ひとりの顔を⾒つめながらこう⾔ったので す。 「もしゴルビーの痛みが取れず回復の⾒込みがないのなら、“最後の⼿段”をとりたいの」 “最後の⼿段”という意味を、誰もがすぐに理解しました。ゴルビーを⼀番愛している家内が、⾃ 分の意思に反して、あえて“死”を選択する極限の決断をしたということでした。家族の中でただ⼀ ⼈、ガンの痛みを知っている家内だからこそ、ゴルビーにもうこれ以上の苦しみを与えたくないのだ と私たちは察しました。 それでも、⽣きた愛⽝を「死」に向かわせるという、私の⼈⽣でも初の経験に直⾯させられたこと に、⼼が裂けるような思いをしたのは事実でした。 しかし⼤腸ガンで苦しみ、ゴルビーを誰よりも愛している家内が意を決して選択したゴルビーへの “最後の⼿段”という決断の⾔葉に、異論を⾔い出す者は誰⼀⼈いませんでした。孫も状況が分かっ ていたようで、下を向いたまま黙って聞いていました。結局、家族全員がその過酷な選択に苦しみを 抑えて同意したのです。 その夜私は、ゴルビーと元気に河川敷を⾛り回る夢をずっと⾒続けました。叶わないことを強く願 い続けると、それが夢となって眠りの中の脳裏に現れてくるのですね。 ついに、耐え難い極限の瞬間がやってきました。秋吉主治医が2⼈の助⼿を伴い、私と家内を診察 室に招き⼊れました。そして私と家内をじっと⾒つめてこう⾔いました。 「ゴルビーちゃんは、今集中治療室にいます。昨⽇からよく診察結果を検討したのですが、残念なが ら回復は⾒込めないという結論に達したのです」 秋吉医師の⾔葉が⼀旦とぎれると、診察室に静寂が広がりました。集中治療でただ延命治療を図る しか、残された道はないとの宣告でした。それは私たちにとっては過酷すぎる通告でした。 ところがそれを聞いた家内が、⾝を毅然と整え、はっきりとこう⾔ったのです。 「ゴルビーを安らかに天国に送ってください。痛みのない、楽しい時をすごせる天国へ! お願いしま す」 家内は悲痛な声で、愛⽝ゴルビーの“安楽死”を申し出たのです。前の夜、家族の間で“最後の⼿ 段”の合意はできていたものの、いざ医療現場で “安楽死”が持ち出されると、⽣き続けたい意思の 強い愛⽝を「死」に追い込むことが、果たして適切なことなのかどうか、私の頭の中は真っ⽩になり ました。 愛⽝の安楽死は、飼い主の同意に委ねられています。 (すぐ隣の集中治療室にいるゴルビーは、家に帰ることを当然のごとく思い込んで待っているだろう な) そう考えると、私の胸の奥がギューッと締め付けられ、“安楽死”以外に⽅法はないものか、それ をもう⼀度たずねてもいいものかどうかと、⼼が揺れました。 しかし、家内の苦しみを超えた強い思いに添うのが私たち家族の⽴場だと考え、家内の申し出に賛 同する意向を医師団に私からも伝えました。 医師団は、私たちの耐えがたさを超えた決断を理解してくれました。 「分かりました。ご家族の意思ですので、そうさせていただきます」 秋吉医師は静かにそう⾔うと、助⼿の2⼈の医師にそのための準備を進めるように指⽰しました。 (ゴルビー、ごめん! この道しかないんだ。許してくれ!) 私は慟哭しました。こんな決断を強いられたのが⼈⽣上で初めてだったので、感情を制御すること が出来なかったのです。すると家内が私の両肩を抱くようにして、冷静さを求めました。家内は悲し みを抑えられるすごい⼈だったのです。 家内と共に集中治療室に案内されました。ゴルビーは点滴の管を幾つも付けたまま、両⼿両⾜を投 げ出すような姿勢で、横に臥したままでいました。 「ゴルビー、元気?」 私は、激しく打ちだす⼼臓の⿎動を抑えながら、そっと声をかけました。 そうすると、何とゴルビーはパッと⾸を上げ両眼を開いて、ものすごく嬉しそうな瞳を返してきた のです。 「ゴルビー、⾏こう!」 (“安楽死”させるためなのに、あたかも連れて帰るような嘘の声を掛けるのか) ゴルビーも、きっと私が家に連れて帰ると思ったのでしょう。⽴ち上がれるはずのないゴルビー が、点滴の管をつけたまま、スクッと⽴ち上がったのです。信じられないことでした。 助⼿の医師から点滴の管を全部はずして貰ったゴルビーを、私は静かに抱きかかえました。ふくよ かな体⽑の下から、確かな⼼臓の⿎動とぬくもりが両腕に伝わってきます。26キロの体重を「命の重 さ」として感じながら、“安楽死”をさせる隣の⼿術室のベッドの上に運びました。ゴルビーは、私 を信じて、ベッドに体を横たえました。治療を受けたら帰れると思っているのです。 家族全員が⼊室してきました。予期していたとは⾔え、“安楽死”という厳しくて初めての現実に 直⾯し、みな動揺を隠せませんでした。⻑男夫婦、孫、それに次男夫婦も⼤粒の涙を流し始めまし た。 ゴルビーは待ち受けている運命を知るはずもなく、安らかに横たわっています。 「では、始めます」 そう告げた秋吉医師の両眼から、なんと⼤粒の涙がしたたり落ちているではありませんか。 200ミリの注射器から、モルヒネがゆっくりと、しかも静かにゴルビーの体内に注⼊され出しまし た。ゴルビーの体全体の⼒が次第に抜けていくのがはっきりとわかりました。念のために2本⽬の注射 も打たれました。 「ご臨終です」 聴診器を当てた秋吉医師が私たちに向かって告知しました。ゴルビーは、眠っているような姿でし た。静かな最期でした。永遠の別れとなったのです。 家族のひとりひとりが、まだ温かいゴルビーに近づき、体の隅々をさすりだしました。 「ゴルビー、よく頑張ったね。本当にありがとう。天国へ⾏くのよ」 家内が声を上げて泣きながら、ゴルビーへの最後の⾔葉を伝えました。⻑男、次男と嫁たち、それ に孫も「ゴルちゃん、ありがとう」とゴルビーの体を撫でながら、別れを惜しんでいました。かけが えのない命が逝ってしまったことに堪えられなかったのです。 (ゴルビー、済まない! 許してくれ! また会おうね) 私は、「尊い命」を「安楽死」させた悔悟の念から抜けきれず、ゴルビーに何度も謝罪の⾔葉を投 げかけました。いつかかならず再会することも約束しました。 「尊い命」を天国に送りだしたあと、秋吉先⽣に深々と頭を下げ、⻑年にわたるお⼒添えにお礼を 述べました。 「秋吉先⽣、ありがとうございました。ゴルビーは、天国に⾏きました。ご⼼労かけました」 すると「⼒が及ばず、ごめんなさい」と、秋吉医師と助⼿の医師皆が涙を流しながら、頭を下げら れたのです。私と家内は医師団の涙に改めて感謝の意を伝えると、場所もわきまえず慟哭してしまい ました。 8⽉30⽇の夜、⾃宅でゴルビーの「通夜」を営み、翌⽇「葬儀」を⾏いました。 ハスキー⽝としては⻑寿のゴルビーは、13年と半年の⽣涯を終えたのでした。 独りぼっちの家内の相⼿をする愛⽝のはずだったゴルビーは、この13年半の間、私たち家族全員に 「⽣き甲斐と⽣きるパワー」を存分に与えてくれた、かけがえのない「命の使者」だったのです。 私が苦しい時にはいつも側にいて⼼を⽀えてくれたり、家内が病の時には「命のエネルギー」を与 えてくれたり、いつも私たち家族を命がけで護ってくれたのです。 その⼤事なゴルビーが逝ってからは、私と家内は「⽣甲斐のパワー」を失いました。失意のどん底 に陥ってしまい、前に進む気⼒を全く失いました。 「終章」ふたたび (⼀) 散歩の再開 ゴルビーが天国に旅⽴った同じ年の11⽉26⽇に、次男に男の孫が誕⽣しました。我が家には2⼈⽬ の孫です。 さて本編は、ゴルビーから「命のバトンタッチ」を受けた新しい主役の「モモとジェフリー」の冒 頭の舞台に戻ります。 新しい家族となった「奇跡の⼦・モモ」と「運命の⼦・ジェフリー」が、ゴルビーに代わって、私 たち夫婦の新たな「⽣きる⽀え」となってくれたのです。 私たちはゴルビーの意思に応えるために、モモとジェフリーの健康と成⻑を⾒守るという重い重い 責任を、引き受けることになったのでした。でもそれは「命のバトンタッチ」に応える私たちの嬉し い使命だったのです。 家内の顔が次第に喜⾊で満たされるようになり、モモとジェフリーと楽しく過ごす毎⽇が訪れてき ました。 ⽣後2ヶ⽉で家族になったジェフリーが散歩できるようになったのは、その1ヶ⽉後、2回⽬のワ クチンを打った後からでした。 それからと⾔うものは、私たちの散歩は、⼤⼩の2匹を連れ出さなければならないことになったの ですが、2頭連れの散歩なんて全くの未経験でした。モモはゆっくり歩くのに、猟⽝種のジェフリーは グイグイ引っ張る、まさにバランスを⽋く苦労の散歩でした。 ですから慣れるまでは 朝だけは私がモモを、ジェフリーは家内がリードを引き受けるという2⼈ 連れの散歩になったのです。しかし⼣⽅の散歩だけは2⼈が連れ⽴って出かける訳にはいきませんで した。私が仕事で帰宅時間が遅すぎるため、家内が、2匹別々に2度散歩に出かけるということに なったのです。家内は⼤変な苦労でした。でもそのことをいささかも厭わなかったのには、さすがに 頭が下がりました。ゴルビーから「命のバトンタッチ」された2頭だという気持ちが、その苦労を乗 り越えさせたのだと思います。 (⼆)⼼痛 家内と散歩をするモモの姿を⾒て、通りがかったワンちゃん仲間が、 「ゴルビーちゃん、久しぶりね」 「病気だと聞いていたけど、ゴルビーちゃんは元気になったのね」 など、モモをゴルビーと⾒間違えて声をかけてくれることが頻繁にありました。 家内はその都度、モモを引き取ったいきさつを説明したそうです。お互い愛⽝への⼼遣いが分かり 合える仲間同⼠だったので、そのいきさつを聞かされるとみんな⼀様に驚いたあと⽬を潤ませ、モモ の体を撫でながら、 「モモちゃん! いいお⺟さんに会えてよかったね」 と⾔ってくれたそうです。 そう⾔って貰うと家内は喜びで胸⼀杯になり、モモを⼤事にしなくてはならないという思いをひと きわ強くしたと⾔います。 「ゴルちゃんの⾝代わりのモモちゃんですね」 この極めつけの⾔葉を⾔ってくれる仲間には、家内は涙を抑えることが出来ませんでした。 ⼀⽅ジェフリーは元気そのもの。成⻑するにつれ、引っぱる⼒が強い⽝になりました。体重も増え て8.5キロになりました。元々⽳熊を⾒つけるイギリスの猟⽝ですから、野良猫と⿊い⽝には特に敏 感で、出合った途端ビックリするような⼤声を張り上げて「ワンワン」と吠え、ぐいぐい突進しま す。 (獲物を⾒つけたぞ! お⺟さん!) ノーフォークテリアの本能でしょうか。でも取っ組み合いでもしたらトラブルのもとですから、家 内は躾の訓練も兼ねて、その場で「待て!」と⾔って屈ませ、突進と叫び声をしないようにする訓練 を懸命に教えていました。 ジェフリーは両⽿が真ん中で折れ曲がり、眼もまん丸の可愛い顔をしています。⼈懐っこくて、声 をかけて貰った⼈には、⾃分からその⼈の⾜にしがみついて、親愛の情を精⼀杯現す、賢く、優しい 愛⽝でした。 こうしてジェフリーは、ゴルビーの思い通り、健康で、元気⼀杯の愛⽝に育っていきました。⾒事 に「命のバトンタッチ」を受け継いでくれたジェフリーでした。 そんな中、私と家内が特に気を遣っていたのは、モモの⽅の健康の具合でした。たしかに、お腹の 弱かったゴルビーと⽐べ、排便の回数は規則正しく、下痢をすることもないほど、消化器系統の病気 の⼼配はありませんでした。 しかし、頻尿で、おしっこを我慢できないのか、失禁が⽬⽴ち出したことに異常を感じていまし た。わが家では、このために初めて「おしっこシート」を買ってきて、縁側に広げて対処しようとし たのですが、それでも間に合わず、フローリングの床に不始末をしてしまうこともしばしばあったの です。 府⽴⼤学病院の秋吉医師に再び診察を求めました。秋吉医師は初めて⾒るモモに、開⼝⼀番「ゴル ビーちゃんと⽣き写しですね」と⾔いながらしみじみと⾒⼊っていました。ゴルビー逝去の時の秋吉 医師の落涙が思い出され、私たちは胸が熱くなりました。 我が家の家族になったいきさつと、今の失禁状態をくわしく説明しました。 「ひょっとしたら、その公園での劣悪な環境が⼼因となり、この症状につながっているかもしれませ んね」 秋吉医師は、モモの腹部のレントゲン撮影をして診察してくれたのです。その結果、偶然にも「⼦ 宮蓄膿症」を患っていることが分かり、ただちに⼿術をしないと腹膜炎を起こし、⼿遅れになる可能 性があるとの診断が出されました。 その⽇にモモは⼊院し、⼿術を受けました。気が急くあまり秋吉先⽣へ電話を掛けたところ、⼿術 は成功したことが確認できました。 「よかった。これでモモの命を救えた」と安らぎを覚えました。 ところが、その翌⽇とんでもないことが起こりました。午前9時すぎ、秋吉医師から電話が⼊った のです。 「モモちゃんは、集中治療室に独りでいることに耐えられない状態が起きているので、迎えに来てく ださいませんか」 急き込むような声でした。 私は⼤急ぎでモモを迎えに⾏きました。すると⼤⼈しいはずのモモが、集中治療室の⽝舎の中から 私の姿を⾒るなり、狂ったように⼤声で「ワンワン」と吠え出したのです。そんな姿は今までに⾒た こともありません。 (ここから出して! 早く帰りたいよ!)と必死に訴えているのです。その様⼦は尋常ではありません でした。 秋吉医師は「独りでいることに耐えられないようです。これは独りになると極度の不安に襲われ る、分離不安症候群の症状です」 昨夜、⼀晩中吠え続けるモモを、たまたま当直だった秋吉医師が深夜外へ連れ出して気分転換をさ せたそうですが、集中治療室の⽝舎に戻ると再び狂ったように⼤声を張り上げ出したのだそうです。 「ご迷惑をかけました」 苦労をかけてしまった秋吉医師に謝りました。 「それより気掛かりなのは・・・・」 秋吉医師が意外なことを切り出しました。⾎液検査の結果、肝臓の機能を⽰す値が、正常値よ り100倍以上も⾼いというのです。我が⽿を疑いました。 「何か体の変調に気づきませんか」と訊かれました。 「いたって元気で、その兆しを感じることはありませんね」 そう答えたのですが、⾒落としもあるかも知れないと⼼配になりました。 「それなら当分、肝臓の薬を出しておきます。変調に気づいたらすぐ診察を受けてください」と⾔わ れました。 病院から帰ったモモは下腹部の⼿術あとを保護する⼤きなガードルを巻いていました。不⾃由そう でしたが、私たちに囲まれ家族の顔が⾒られるようになると落ち着きを取り戻し、リビングの真ん中 で横になり、スヤスヤと眠りについたのです。 (分離症候群?) 以前、公園で独り放置されていた頃に蓄積したストレスが、今になり発症につながったものではな いかと思われました。 恐らく、病院の集中治療室で孤独状態になったとき、これからまた独りぼっちに逆戻りするのでは ないかという極度の不安に陥ったのに違いありません。 家内は、モモには不遇な時代にそのような精神的ショックを受けている可能性があるのではないか と当初から気遣い、モモの動作には特に注意を払っていたそうです。 確かに今回の症状が現れる前にも、モモは、私たちの前では何につけても控え⽬で、私や家内の⽬ を真剣に伺う様⼦が⾒受けられました。それは新しい飼い主の反応を⾒極め、早く家族に溶け込もう という動物特有の本能だったのでしょう。それに新家族としての遠慮・気遣いが異常に強かったのも 事実です。 「家族の⼀員になった意識をもっと強くもたせれば、治りも早いかも知れない」 家内の⾔葉の裏には、モモに不安を抱かせないようにしようという思い遣りが強く込められていま した。ジェフリーが弟としていつも横にいてくれたことが、モモの⼤きな⽀えになっていたのも事実 のようでした。時がたつにつれ、モモの分離不安症候群の症状は無くなってきました。 何よりも良かったのは、「⼦宮蓄膿症」の⼿術を受けたモモが、命拾いをしたことでした。 「あのまま放っておけば余命は1ヶ⽉とは持たなかったでしょう」 あとで秋吉医師から聞かされた時は、背筋が寒くなったことを憶えています。モモは、やはり幸運 な⼦だったのです。 でも、“分離症候群”の傾向を保持していることが分かったことや、肝臓機能値が標準値よ り100倍以上も⾼いという指摘には、特に⼼がける必要がありました。何事にも異常の有無を注意深 く⾒守っていくことにしました。 今度は、ジェフリーのことです。家内は我が家に愛⽝として登場して来た時の、あの⼈形のような 愛くるしいゴルビーの姿と、同じ⼩型の体格で、⽢えん坊、しかも賢いジェフリーの姿が⾒事に重な り合い、余計に可愛いと思ったのでしょう。 ゴルビーと⽣き写しのモモに加え、性格や⽢えん坊なしぐさがゴルビーと極似しているジェフリー にまで「命のバトンタッチ」をしてくれたゴルビーに感謝感激し、⽣き甲斐を呼び戻した家内のよう でした。 こうして2頭の愛⽝は、私たちにとって⽂字通り「⼤切な家族の⼀員」として、とても⼤きな存在に なっていったのです。 (三)⽣きる⽀え モモが来て2年⽬、ジェフが2歳になった11⽉8⽇、私は「腰椎変種すべり症」という腰の病気が 悪化し、⼤阪厚⽣年⾦病院に⼊院しました。腰椎と腰椎の重なり合う部分が滑る現象が起こり、神経 を過度に刺激して、両⾜が⿇痺してしまうという厄介な病気でした。 事実、50メートルほど歩けば、下肢全体がしびれて歩⾏不能になるという最悪の事態になりまし た。 「このままだと、モモとジェフリーの散歩が出来なくなる」 その思いから、病院嫌いの私も意を決して⼿術を受け、3週間の⼊院⽣活をしました。 その間、家族と親しい友⼈たちが⾒舞いに駆けつけてくれましたが、モモとジェフリーに会えない のが、最⾼にさびしいことでした。 モモのフサフサした体⽑に触りたい衝動と、ジェフリーのまん丸した可愛い丸い瞳を⾒たい気持ち が頭の中で交錯し、3週間の⼊院期間がこれほど⻑いと思ったことはありませんでした。 退院して⾃宅に帰った時、ドアを開けた瞬間にモモとジェフリーが⼤きな鳴き声があげながら、2 頭とも私に⾶びついてきました。 ジェフリーが先に喜びをはじけさせて私に⾶びつき、顔中をペロペロとしている間、お姉ちゃんの モモは、後ろでジッと控えています。ジェフリーの歓迎が終わると、今度はモモが懐かしさを込めた 瞳を輝かせながら近づき、体を寄せて来ます。 すると、ジェフリーがやきもちを焼いて、(交代!)と⾔わんばかりにモモに吠えています。する とモモも負けじと、ジェフリーを撃退するのです。 「モモ、ジェフ、会いたかったよ!」 私は、モモとジェフリーの頭を両⼿で撫でて、再会を喜び合いました。 「ありがとう。お前たちが待っていてくれたから、退院出来たんだ」 私は、愛⽝たちの⾸を抱きかかえて、⼼からお礼を⾔いました。 モモとジェフリーは、私にとってもかけがえのない「⽣きる⽀え」になっていました。 11歳になったモモは、あと何年元気でいられるのでしょうか。ジェフリーはまだまだ、⼤丈夫で す。 私は、愛しいゴルビーから「命のバトンタッチ」をされた後継者たちに「⽣き甲斐」を与えて貰い ながら、これからの⼈⽣を⼀刻も無駄にせず、充実した⽣活を⼀緒に過ごししたいと願っていまし た。天国からはゴルビーが⾒つめ、そばではモモとジェフリーが離れず⾒守っていてくれているから です。「命のバトンタッチ」を受けた2頭の愛⽝たちは、そんな役割を果たしてくれていたのです。 あとがき あとがき 私たちの運命の⼦「モモ」は、わが家族になって5年5ヶ⽉経った9⽉21⽇に逝きました。享 年13歳と5ヶ⽉。⼈間の年齢では90余歳に相当する⻑寿の⽣涯でした。不思議なことに、愛息「ゴル ビー」の享年と同じだったことも、何か特別な縁の下で結ばれているような気がして、胸が締め付け られました。 モモは「命のバトンタッチ」という運命を背負わされて5年余、毎⽇その重責を背負って⽣きてき ました。そう考えると、モモには余計につらい思いをさせ続けたのではないかという気持ちで、今で も⼼が痛みます。 モモは、13歳を過ぎた頃から、朝⼣の散歩の距離を短くするよう私に求めました。家の周辺をぐる りと回っただけで、すぐに家路に付くようになりました。近くの広い公園を何周も活発に⾛り回って いた頃を考えると、モモも⽼齢化が進み、考えたくもない終焉期がそんなに遠くはないような気がし てならなかったのです。散歩に同伴する元気なジェフリーに我慢させ、家に帰りました。 家に戻るとモモは、居間に備えた専⽤の布団にドーンと倒れ込むようにして寝込むようになりまし た。こうしてだんだんと不浄を求め庭への外出するこを除けば、布団の上で1⽇中過ごすようになっ たのです。そのうち⾃⼒で⽴ち上がることも出来なくなり、私たちがモモの体を両⼿で抱え上げてや らなければ起き上がれないほど、病の重篤と⾜腰の弱さが増してきたのです。 恐ろしく、悲しい、最悪の事態が、遂に起きてしまいました。 その年の9⽉11⽇午前、よく晴れた⽇のことでした。家内と⼀緒に外出先から帰宅して居間に戻る と、寝込んでいるはずのモモが、どうしたことか、布団から離れた所にしっかりと⽴って、私たち の⽅を⾒据えているではありませんか。 想像を絶することだったので、家内が慌ててモモに駆け寄りました。 「どうしたの。何かあったの? ⼤丈夫?」 ⼤声を掛ける家内に、モモは庭の⽅に⽬線を差し向けて、外に出たい意思を⽰しました。いままで 無かったことでした。 「外に出たいの? 新鮮な空気を吸いたいの?」 家内が縁側の⼾を開けてやると、何としっかりした⾜取りで、⾃⼒で庭に下りて⾏くではありませ んか。寝たきりのモモが、私たちの⼿助け無しに独り歩きで3段の⽯段をゆっくり踏みしめながら庭 に下り⽴ちました。まさに信じられないことでした。私たち⼆⼈はこわばったお互いの顔を⾒合わせ るだけで、⾔葉⼀つ発することができませんでした。 モモは、私が⾒守る中、庭の内をゆっくり回りながらクンクンと臭いを嗅ぎ回ったあと、⽚隅で たっぷりと不浄を済ませ、再び⾃分の⾜で⽯段を⼀歩づつゆっくり上がり、家の中に戻ってきたので す。そのまま布団で寝込むのかと思っていたところ、布団へは近寄らず台所に居た家内の⽅に向かっ て居間を横切ってゆっくり歩いて⾏ったのです。私は⽬を⾒張りました。 台所にいた家内の近くに⾏ったモモは、何か訴えたそうな眼差しをじっと家内に投げかけていまし た。5分ほど家内に顔を向けたまま、じっと静かに⾒詰め続けていたのです。今までなかった様⼦ に、ふと異常さを私は感じました。 家内がモモの視線に気付いて「元気になってよかったね」と腰をかがめてモモの頭と顔を優しく愛 撫すると、モモは⽬を細めて歓喜を露⾻に表す様⼦をみせました。 モモは、その⾏動を終えると、側に座ってモモを⾒つめていた私の⽅に⿊い眼差しを寄越したあ と、まさに倒れ込むように私の両腕の中に体ごと委ねたのです。 「どうした! モモ!」 モモの体が次第に冷たくなりだし、硬直していくのがはっきりと分かりました。絶叫する私の声に 驚いた家内が、 「モモ、死んじゃ駄⽬!」 と声を張り上げて体を抱き起こそうとしましたが、モモはそのまま息絶え、静かに逝ってしまったの です。 私たちは慟哭しながら、⼼臓マッサージを繰り返したり、何度も⼝づたえで深呼吸も試みました が、無駄でした。 話は戻ります。モモはその半年前の3⽉、かかりつけの獣医師から「乳腺にガンの疑い」があり、 死期が迫っていることを宣告されていました。以来乳腺部位の患部が、⽇を追う毎に肥⼤していきま した。消炎抗⽣剤等を飲ませる⼀⽅、患部からの出⾎と粘液を抑えるためのナプキンと晒しを腹部に 巻き、昼夜を問わず4時間置きに取り替えながら、症状が進まないことを祈っていました。 6⽉ごろからは⾷欲が急減し体重も減り出しました。8⽉中旬になると、22キロの⾝を起こし、私 が抱き抱えて⾃宅の庭に連れ出して排尿・排便をさせなければならなくなったのです。 獣医師によると、この症状でも痛みの⾃覚はない。でも死期の判断はまだ難しいとのことでした。 それなら1⽇でも⻑⽣きさせようと、家内は⾷欲のないモモに、⽣⾁や焼きたてのステーキ⾁、味付 けのハム、栄養豊富なレバー、消化にいいパン粥などを⽤意し、少しでも体⼒を付けさせることを⽇ 課としました。 これを気持ちよく⾷べるので、病は吹き⾶ぶに違いないと思った家内は、この時「まだまだ⼤丈 夫」と⾃分に⾔い聞かせていたのです。 だから寝たきりのモモが、独りでスクッと屹⽴したあの時は、快⽅が現れたと狂喜したと、家内は のちになって涙ながらに述懐していました。 なぜ、モモは残された最後の⼒を精⼀杯振り絞って⽴ち上がり、庭で不浄を済ませたあと、台所に いる家内のとこへまで独り歩きして⾏ったのでしょうか。それは暫くナゾでした。 あとで考えてみたのですが、きっと最後の⼒を振り絞って、野放置から救い出し、⼤切な家族の⼀ 員として始終⾯倒を⾒続けてくれた家内に、「お別れと感謝」を伝えた上で、この世から逝きたかっ たのではないかでしょうか。 しかも「命のバトンタッチの役⽬を果たしましたよ」と、直に伝えたかったのではないでしょう か。そうとしか思えないのです。 私は、愛⽝物語「命のバトンタッチ」のドキュメント⼩説を書き上げました。愛⽝に囲まれた家族 の「⽣き甲斐と団欒」のドラマ、思いも寄らぬ奇跡の展開など、ゴルビーからのバトンタッチされた 奇跡の経緯を綴りました。 モモは、「愛息ゴルビーからの命のバトンタッチ」の役⽬を背負った「運命の⼦」でした。ゴル ビーと体型も顔つきも、全く⽠⼆つのモモでした。遠慮深く、こんなに優しい⼦に、会えることはま たとないでしょう。 ⼦宮蓄膿症に罹るなど2回の死線を乗り越え、5年5ヶ⽉にわたり、私たち家族を癒し「命のバト ンタッチ・運命の⼦」としての役⽬を果たしながら⽣き続け、⻑寿を全うしてくれたモモには感謝の ⾔葉しかありません。 愛⽝モモは、3つの貴重な教訓を残して逝きました。ひとつは苦しまず、誰にも迷惑を掛けず逝っ たこと。2つめは、死後に「清潔に逝くこと」を⼼がけ、死の直前に「不浄を完璧に済ませた」こ と。もうひとつは、お世話になった家内に最後の⼒を振り絞り、「感謝と別れと役⽬の完了」をしっ かり告げて旅⽴ったこと。 私たちが⽣を終える時、モモのような素晴らしい終焉を済ませることが出来るでしょうか。合掌。 モモにも会いたい。ゴルビーと⼀緒に! モモの亡きあと、「命のバトンタッチ」の役割は、7歳に成⻑した⼩型愛⽝ノーフォークテリアの 「ジェフリー」が継いでいます。シベリアンハスキーの「愛息ゴルビー」と「愛娘モモ」と違い、猟 ⽝種だけに未知の⽝種には⼤声を出すし、野良猫には闘志満々で⽴ち向かいますが、顔⾒知りの愛⽝ 仲間の⼈には思い切り⽢え、家族には、ゴルビー、モモのすべてを受け継いで、「⽣甲斐と優しさ」 を私たちに与えてくれています。いまやジェフリーが私たちのかけがえのない家族なのです。 ジェフリーに驚くことは、⼈間の会話をよく理解できる愛⽝なのです。電話でのやりとりで、⼈の 来訪を⽿にすると、⽞関でじっと待機しています。来訪してきた息⼦や孫、知⼈の姿を⾒ると、⼤声 を上げて歓迎します。居間で交わす会話の内容意味をよく理解し、⾃分の話題を聞くと、すごい⽢え の⾏動に出ます。 「お仕事だからまっていてね」と声を掛けると悲しそうな眼差しを返します。帰宅すると、⼤声を上 げて「おかえり!」といって⾶びかかってくるのです。 ゴルビーやモモにはなかった特異な才能で、家族を癒してくれる秀逸の愛⽝であり、「運命の⼦」 ゴルビーの⾒事な後継者です。最近は⾃分の意思を、態度だけでなく、可愛い⽬でも伝える特技を覚 えました。もうすっかり⼤⼈の愛⽝です。 「命のバトンタッチ」を果たしてくれるジェフリーがいなければ、私たちが1⽇も過ごせないのは 確かなことです。仕事や買い物に出かけても、独り留守番しているジェフリーのことが頭から離れる ことがありません。「命のバトンタッチ」を続けてくれているジェフリー様々です。ジェフリー、⻑ ⽣きしてね。 愛⽝家族は、今⽇も幸せいっぱいです。