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ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
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Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察-ヨーロッパ歴代の名テノール.33人の演奏分析を通して
長谷川. 敏
茨城大学教育学部紀要. 人文・社会科学・芸術(41): 15-33
1992
http://hdl.handle.net/10109/11088
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茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)15−33 15
Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察
ヨーロッパ歴代の名テノール,33人の演奏分析を通して一 一
長谷川 敏*
(1991年9月13日受理)
Functions of High Mechanism in Bel Canto:
An Analysis of the Performance of
33Famous European Tenor Singers
Satoshi HAsEGAwA
(Received September l3,1991)
1 研究の目的と動機
ヨーロッパにおいて声楽家の活動する舞台は,その殆どがオペラであり,また声楽家といえば,
オペラ歌手を指すことが多い。オペラは17世紀初めにイタリアで起ったが,その後現在まで,4世
紀にわたって隆盛を保ち続け,オペラ歌手達は年代が次々と替わっても,劇場で仕事をし続けてき
ている。その中で,19世紀末から20世紀初頭におけるヨーロッパの先進国は,特に植民地主義の繁
栄を得て,その莫大な富により,このオペラという芸術を盛り立てていった。この時代には,例え
ばパリにオペラ劇場が30も林立していて,それぞれが有能な歌手達を揃えていたということであ
る。因に,現在は2つを数えるだけであるが。歌手達にはPatti(1843−1916), Battistini(1856一
1928),Tetrazzini(1871−1940), Melba(1861−1931), Galli−Curci(1882−1963), Bonci(1870
一1940),Caruso(1873−1921), De Lucia(1860−1925)といった鐸々たる人物がたくさん輩出さ
れていた。その故にこの時代は,歌手達のゴールデンエイジと呼ばれている。イタリアをはじめ,
フランス,ドイツ,オーストリア,ロシア,アメリカ,オーストラリアなどからも数多の名歌手が
次々と現われ,オペラ界は大変な活況を呈していた。またこの頃は蓄音機も発明されて,画期的な
時代であったが,初期のレコードはひどい音であったとしても,他のジャンルの演奏と同様に,歌
手達のレコードは世界中の音楽愛好者達に受入れられていった。当時,ヨーロッパから船で40日も
かかって漸く到着できるほど遠国であった日本においても,その例外ではなく,Carusoをはじめ,
Gigli(1890−1957), Schlpa(1889−1965), Dal Monte(1893−1975), Shalyapin(1873−1938)
等のレコードは,オペラ劇場を持たない我国においても,その演唱は知られるところとなった。
近年,ヨーロッパの音楽批評家や音楽通の人々の間では,これ等SPレコード時代の歌手達と現
*茨城大学教育学部音楽科声楽研究室(〒310 茨城県水戸市文京2丁目1−1).
16 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
代の歌手達とでは,その実力の差が顕著であるという認識が一般的である。あらゆる声種の中で,
最もデリケートで技術が難しく,またオペラで主役を務めて聴衆からの関心が集中することの多い
テノール(Tenor)に的を絞って考える時,現在,世界的な名声を得ているのはCarreras(1946一
一),Domingo(1941− ), Pavarotti(1935− )であろう。それではこういう歌手達を先達とで
はどんな演唱の違いがあるのだろうか? 尤も 歌手は生身の人間であるから,同一人物であって
も年月と共にその技術や喉の状態,そして音楽そのものも変わってくるし,極端に言えば,毎日毎
日違うコンディションのもとで歌うわけである。従って簡単に比較はできないが,昔のオペラを知
っている高齢な音楽通の人達の間に「現在はオペラ劇場内の雰囲気さえも変わってしまった」と嘆
く人の多いこと,それが単なる懐古趣味でなく言われるのは,やはり理由あってのことであろうと
考えられる。
一時代前,即ちLPレコードの初期の時代に活躍したTagliavini(1931−),Di Stefano(1921
一 ),Bergonzi(1924− ), Gedda(1921− )といったテノールのことを考えてみても,
〔Del Monaco(1915−1982)は日本で非常に有名であったがCorelli(1921− )ほどヨーロッパ
では評価されていない〕高音における確実性,自由さ,典雅さ,柔軟性,そして透明感といった点
においても,確かに現代の歌手達は劣っていると言わざるを得ない。しかし勿論,劣っていると思
われる歌手でも,素晴らしい感動を与えてくれるのは確かであるが……。例えば,Domingo, Car一
reras共に高音がいつも不安定である。筆者はかつて留学(1972∼75)の間にウィーン,ミラノの
劇場でよく彼等を聴いたが,「Rigoletto」のMantova公爵の役(これは高音がたくさん出てくる)
で両者とも,大失敗をしたのを目のあたりにした。それ以降彼等は,この有名な役を長いこと敬遠
して,歌っていない筈である。その他の役では,高音部にかなりの問題点があったとしても,他の
要素に非凡な才能を持っているのでカヴァーしてしまうのではあるが。Pavarottiは1970年の初来日
の時,東京でこの役を全く素晴らしい声で歌い上げ,場内は感動と興奮のるつぼと化したのだった
が,その後ミラノ,パルマ,東京で彼の演奏を聴いているが,若い時ほど声に輝きが見られないの
は残念である。
それでは前述の四者とGigli, Schipa,及びMartinelli(1885−1969)とを比べてみよう。これは
間違いなく後者に軍配が挙げられるであろう。SP時代の彼等の録音を聴くと,その盤のノイズや
バランスの悪さを超越して,その声の素晴らしさと共に,聴き手の心に落ち着きをもたらし,いわ
ば現代のものと全くといっていいほど質の違った音楽を耳にすることができるのである。
以上のように時代とともに声楽家の質の低下が指摘される昨今ではあるが,その原因は次のよう
に考えられる。つまり,真のBel Cantoを教える発声指導者の不在,真に実力を持ちつつ,声の良
否を聴き分けることのできる指揮者の不足,音楽がわからない演出家の拍頭などのあること。そし
て歌手の移動手段が航空機になった為,充分に休養をとって調整したり,トレーニングに時間をか
けたりすることなく,次の仕事に移ること,さらに聴衆の質の低下によって疑問の多い拍手とか,
「Bravo!」が飛び交うこと等々……。
ところでSP時代のテノール歌手と現代のテノール歌手とでは,具体的にどの点に相違がみられ
るのだろうか? それは,高音での4伽.の技術,M8zzαyocεの技術,柔軟で伸縮自在な技術,
徴妙な表情が伝わる声の透明感,’θgθ’oで歌われる中での明瞭な発音,難曲の完成度,その上デ長
時間聴いても耳や身体全体が疲れず,聴き手の精神を透明にする働きを持つこと,などがあげられ
長谷川:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 17
よう。
これらSP時代の歌手達の仕事は,LPレコードになおされて今なおそれを聴くことができるが
ごく最近ではCDによるリファインされた復刻盤も出て来ている。といってもドナルド・キーン氏
も指摘している通り,世界一のレコード,CDの消費国である日本でも昔の声楽の分野は全く手薄
の分野である1)。筆者はウィーン留学時代に出会った師,Lajos Samosi(1893−1979)によって,
その時代の歌手達の芸術に目を開かせられ,そのメトードを求道しているが,20年ほど前から特に
興味をもって,ヨーロッパへ修業に行く毎に,資料としてそれ等のレコードを集めていた。筆者の
声種であるテノールや,声楽専攻の学生の最も多い声種であるソプラノのものが,やはり多くなる
のであるが,ある時にフランスの作曲家マスネ(Massenet Jules Emile Frederic 1842−1912)の
オペラ「Manon」におけるテノールのDes Grieuxデ・グリューのアリアが,数あるアリアの中でも,
昔のテノールがかなり好んで歌い,色々な人の録音があることに興味を持った。このアリアについ
ては15人の歌手のレコードを既に所持していた昨年,偶然にもイタリアのレコード会社から,歌手
28人によるこのアリアを収めたレコードが出版されていたものを見つけ出した。それ等の演唱は,
筆者が既に持ち合わせていたものと重複しているものが多かった。そのイタリアのレコード盤は音
質が余り良くないものもあり,その場合はすべて以前から持っていたレコードによることとしたが,
とにかく総計33名の「夢の歌」をそれぞれに聴き比べをして,テノールの先達の仕事をつぶさに研
究してみようと考えた。
2 発声の機能とHigh Mechanismについて
声が出ている時の理想的な身体の状態とは次の通りであると考えられる。即ち,息が楽に吐かれ
ていて,横隔膜が充実し,喉頭部が軽くしなやかに働いていて,息が通っただけでそれが声となり,
身体から離れていく,ということである。声を出すということは息を出すことである。であるから
トレーニング法としては,息が吐かれていくのを邪魔するものを排除し,声帯の機能を効率的に,
軽くしていくことが要求される。さらに声には本来,喉への圧力を極力少なくする歌い方であれば,
音が飛び出していく,という性質もある。日本における一股的なとらえ方として,よい声を出すに
は,喉を分厚くしっかりと歌っていかねばならない,というような考え方があるが,真実はそれと
全く逆で,軽く歌えば歌うほど横隔膜が自然によく働いて,明るく充実した共鳴や1θgα∫oの流れが
得られるのである。しかし軽く歌うということはその分,身体全体をリラックスしてゆるめてやら
ないと,地味な声に留まるので,そのリラックスが身につくまでの忍耐が必要である。その軽く歌
うということと同時に,high mechanism(以後hi−mechaと表示する)をトレーニングする必要が
ある。このhi−mechaとは,いわゆるfalsettoの機能のことである。これ等のトレーニングは,先
ず明るい母音で,一つ一つ落ち着いた吐息と共に行わなければならない。
さて,発声の論議には,そこで使用される言葉の定義を正しくしなければならないわけであるが,
falsettoとは元来「偽りの声」という意味をもつので,筆者はこの言葉は適当でないと考える。こ
れは日本語でいうと裏声のことだが,表声も裏声も本来,人間の自然な声である。むしろ,地声
(表声)より裏声を出す時の方が息が楽に出て,素直な心情が伝わるものである。アメリカの声楽
18 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
指導者であるリード(Reid, Cornelius L.1911∼ )氏は「Bel Canto唄法が衰退していったのは,
このfalsett。を人々が殊更,異質なものとして見捨てていったからである」と述べている2)。氏は
更に,「歌手には等しく,一点E音のあたりにbreakがあり3), breakより上の音即ち, falsettoで
ある音と,それより下の音即ち,胸声とをそれぞれ発達させて,その後に声区を融合させることが
重要である。」と主張するが,その他の点は肯定するとしても筆者の経験では,breakは人によって
その音の場所はまちまちであり,同一人物でも,日によっても,訓練によってもその位置は可動的
なものである。それに,breakより下の音だからといって, falsettoの要素が全くなくなるわけでは
ない。従ってfalsettoと呼ばずにhi−mechaと呼んだ方が適切であると考えるわけである。胸声は即
ちlowmechanismと呼ぶことにしている。そのbreakとは,発声器官と,それを包む身体全体に硬直
した部位がなくなれば,自然に解消していくものであり4),現にbreakが全く目立たない人達もい
るのである。
このhi−mechaをトレーニングすることにより,身体の諸器官が却ってゆるみ,発声時に身体が硬
直することを防ぐことが出来る。このhi−mechaに上達すると,高音に対して不安が全くなくなり,
明るく柔軟な声になっていく。更にlow−mechaとも自然に結びつき,中,低域の声をも質の高いも
のにしていくことができるのである。またドイツ語のように子音が多い言語でも,hi−mechaの働き
によって息が流れ易くなり,きれいな発音で流せるようになる。ところで,身体をリラックスした
良い運動状態にする為には,落ち着いた呼吸が大変重要なポイントとなる。従って焦りの奪い良い
精神状態が,すべての発声の基本となるべきである。あとは自然がやってくれるものを妨げないよ
うにしていくだけである。20世紀前半に活躍した歌手達は皆,これ等を理解していたように思われ
る。彼等の歌唱を注意深く聴くと,各フレーズの声の出だしが,Pであってもfであっても,非常
に透明な瞬間があることに気づく。即ち,声がなかったところから,在るところまでの差が誰にも
気づかれないようなmechanism,それが軽く歌うということであり,それはhi−mechaと一致する。
筆者がウィーンでこの発声法に切り替えたのは1974年のことであった。最初のうちは以前の発声
と新しいものとが全く調和せず,大変苦労したのを覚えている。教えられたことを頭で理解するだ
けでなく,身体が徐々にそれをやってくれるようになると,今まで難題となっていたものが氷解し
て,それより上の段階の課題へ進む,というようになる。これが即ち体得であって,一生がその求
道の歩みということになろう。 .
さて,音声はもともと文字では表せるものではなく,表現が非常に難しいものであるはあるが,
上述した軽く歌うこと,hi−mechaを通した声であることを手がかりに,それぞれの歌手の演唱を,
デ・グリューのアリアにポイントを設けて分析することを試みた。(この点については後述する。)
先にもふれたように,音声が出てきたその時は,即ちそれが肉体の諸器官の運動の結果であるこ
とをここで確認しておきたい。問題は,声が出てくる以前のmechanismにある。それ等を出来得る
限りの予断を排除して聴きとることに焦点化したわけである。どのように軽く歌われているか,ど
のようにhi−mechaの働きがあるかについて吟味し,数量的即ち,1∼5の段階で判定することにし
た。この二つのことがうまく機能していると,結果的に,音の純粋性,柔軟性,透明度,共鳴,自
由性などが,よい方向へ向かうものと私は仮定する。
長谷川:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 19
3 評価の視点と分析の考察
マスネによるこのオペラ「マノン」は1884年パリで初演された。全五幕のアリアであり,彼の最
大の成功作となったものである。このアリア〈夢の歌〉「目を閉じればEn fermant les yeux」は
第二幕に,デ・グリュー(テノール)によって歌われる。マノンとデ・グリューはふとしたことが
きっかけで巡り合い,恋仲となってパリに駆落ちし,愛の生活を始めるが,貧乏暮らしに飽きたマ
ノンは,兄の誘いにのって金持ちの愛人になることに決めた。デ・グリューと別れる決心をして部
屋を出て行こうとした時,彼が戻って来た。彼はマノンの目に浮かんだ涙を見ていぶかるが,気を
とり直して,昨夜自分が夢に見た美しい家の話をする。ここで歌われるのが拝情的なアリアく夢の
歌〉である。この佳曲を今世紀前半に活躍したテノール達は好んでレコードに録音している。
堀内敬三氏による訳詞5}は次のようである。
まどろみの 夢に見た うるわしさ………
こいえ
森の彼方の 清らかな 白壁の 小家 ああ けれど 淋しかった
緑の木蔭に きらきら 川の水は 踊り 家の どこにも 君が居なかったから
樹々を伝い 高らに小鳥は歌う
しらせ
だが そうなる前兆が
おお マノン
こoオペラの主人公であるデ・グリューのテノールパートは,先ず第一幕において,出会いの場
と愛の二重唱を情熱的に唄う場面,また第三幕におけるアリア「消えされ,優しいおもかげよAh!
fuyez, dolce image」とマノンとの再会の場面,そして第五幕における終幕の二重唱がある。
このようにドラマティックな歌唱を要求される役柄である。その中にあってこのアリアく夢の
歌〉は上記の歌詞にあるように,憧憬にみちた想いで静かに歌い始められ,高音部での∫0’∫oyOCε,
4伽伽8η40,ρo吻膨ηω などのテクニックを駆使しなければならない場面である。オーケストラ
による伴奏のパートは総じてρ伽’∬伽oで書かれており,この歌ではどのような弱声でも明瞭に
聞こえてくるので,歌手にとっては神経質になるシーンである。しかし聴衆にはそのことを気付か
れないようにしなければならないのである。この歌を私は二度ステージで歌ったことがあるが,そ 一
の体験から,この歌の巧拙が如実に現われるであろうと思われる楽譜上の八箇所に,それぞれ囚∼
囹のチェックポイントを設けて,歌い手がそこをどのようにクリアしていくのかを研究の視点とし
てみた。なお,資料にRecit.が入っているものも多く見られたが,できるだけ評価を客観的にす
る為に,Recit.は対象に入れていない。
囚∼回をポイントとして取り上げた理由は次の通りである。
囚 Pで静かに歌い始められ,une humble retraiteのフレーズの中央に軽いふくらみを生ずる
が,これは夢の中での話のように,決してむき出しのfになったり,押したりしてはならな
い部分である。
回du fond des boisの部分には,40’cεの指定がある。この3拍半の長いtoneは軽く軽く,息
豹 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
と共に消して行かねばならないところ。前の小節の3つの∫例班oは,この音をきれいにPで
延ばす為の布石であろう。このフレーズの終りで,胸に鯵積がきては曲が台無しになる。
囮 Bの部分と同じタイプの音形であるが,高音Gがあるので,E音から始まるこのフレーズは
大変に難しい。なぜなら401c8でfeuillages(「葉」の意)を50’ωvoc8で歌わねばならな
いからである。
回 C’est le paradis!Oh!non!感嘆符のついたげで∫ε脚o,しっかりした張りのある声を出
すべき音型,ここでは前三つのpointと異なる技術により,芯のある声が要求される。
圖 Car il ymanque une ch⑰seから8∫pr8∬’yoで歌われ, il y fautの二点D音からA音にかけ
てがこの曲の生命といっても良いだろう。歌手達はこのAの音を成功させるように祈りなが
ら,このアリアを展開してくるのである。fautにおける作曲者の要求は, D音からA音へ
c7ε5c.してA音でしばらく延ばし,その音のまま音色など変えずに4’〃2.してencorのG音
に入る。
國encorのG音は微妙な50∫ωvocθから入りたいが,この音の前のA音のところで無理が生じ
ていると,このG音はコントロールできず,声楽家は安全圏をとることになる。即ち,分厚
い方法で歌わざるを得ないわけである。そして下降するA音のPもまた,圖の事後処理とし
て透明に歌えるかどうかが問題である。
回 Si tu le veuxのげのFisの音はまた,しっかりした声が欲しい。勿論柔軟性を兼ね備え
てのことだが。
回最後にManon!の長いDの音は下降形であるから,それほど難iしくはないが,歌手がどのよ
うにこの曲を締めくくるかが表れる。
※「マノン」のく夢の歌〉の楽譜にポイント囚∼回を設定したものを参照されたい。
軽く歌われているかどうか,hi−mechaがどの程度そこに関与しているかを,数量的にとらえるこ
とは大変難しいことではある。そこで私は次のような見解を基本にすえて,課題へのアプローチを
試みることにした。すぐれた歌唱においては,その曲の一つ一つのフレーズが,それぞれ技術的に
独立すべきものであって,次のフレーズまでその簿積などをひきずらないことが肝要である。その
ためには,身体から声が離れて自由な呼気のもとで,フレーズを終える必要がある。つまり,私の
考えるhi−mechaがその声に含まれれば含まれるほど,楽にフレーズを終えることができるのである。
従って,フレーズ毎に,とりわけフレーズの終りをよく聴いて吟味すれば,数量的にある程度,
絶対評価ができるであろうという考え方である。
次は,分析の結果を「各ポイントにおけるhi−mechaの関係度数表」としてまとめたものである。
長谷lil:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 21
Manon Le r観e夢の歌6) J. Massenet
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24 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
Hi・mechaの関係度数表
point囚回回回國國回回total
orcb.
time
text
P
2’15
伊語
2 1 2 2 2 2 2 1 14
0
0
0
0
2’50
仏
2 1 2 2 1 1 2 1 12
2’49
仏
1 1 1 3 1 1 1 1 10
2’50
伊
2 2 1 2 ’2 1 3 3 16
2’43
仏
2 2 1 2 2 3 4 2 17
2’32
伊
1 2 1 3 1 2 2 2 14
Edmondo Clement(1876−1928)
P
P
2’36
仏
1 1 1 2 2 1 1 1 10
Giulio Crimi(1885−1939)
0
2’17
伊
2 2 2 3 3 2 2 2 18
Carlo Dani(1875一
P
2’20
伊
1 2 2 3 1 ’・1 1 1 12
Andre D’Arkor(1901−1971)
仏
Enzo De Muro Lomanto(1902−1952)
0
0
2’30
2’55
伊
1 2 1 2 1 1 1 1 10
1 1 1 2 2 1 r 3 12
Fernando De Lucia(1860−1925)
P
2’24
伊
2 1. 1 3 1 1 2 2 13
David Devries(1881−1936)
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
2’29
仏
1 2 1 3 1 1 4 1 14
3’12
伊
2 2 1 2 1 1 2 3 14
2’19
仏
2’44
伊,
1 1 1 1 1 1 1 1 8
1 1 1 1 1 1 1 1 8
2’20
伊
3 2 2 4 4 3 4 3 25
2’41
伊
1 1 1 1 1 1 1 2 9
2’40
露
2 1 2 4 1 1 2 2 15
2’48
伊
3 2 ’1 3 1 1 3 2 16
2’35
仏
1 1 1 3 3 1 1 1 12
2’50
伊
1 1 1 1 1 1 2 1 9
3’13
独
2 2 1 2 1 1 1 1 11
2’52
独
1 1 1 3 2 2 2 1 13
2’40
独
3 3 2 3 2 1 2 2 18
2’56
伊
1 1 1 2 1 1 1 1 9
2’19
独
3 2 3 4 4 3 4 3 26
2’46
伊
1 1 1 1 1 1 1 2 9
2’31
露
2 1 3 3 2 3 3 2 19
2’57
仏
2 2 2 2 3 2 3 2 18
2’26
伊
4 3 3 3 3 2 4 3 25
2’46
仏
1 1 1 1 1 1 2 1 9
2’11
仏
1 2 2 2 1 2 3 2 15
Singer
Giuseppe Anselmi(1876−1929)
Fernand Ansseau(1890−1972) ‘
Jussi Bjδrling(1911−1960)
Alessandro Bonci(1870−1940)
Leon Campagnola(1875−1955)
Enrico Caruso(1873−1921)
Miguel Fleta(1893−1938)
Nicolai Gedda(1927一
Beniamino Gigli(1890−1957)
Aristodemo Giorgini(1879−1937)
Marcello Govoni(1885−1944)
Ivan Kozlovsky(1900一
Hipolito Lazaro(1887−1974)
Giuseppe Lugo(1890−1980)
John McCormack(1884−1945)
Julius Patzak(1898−1974)
Alfred Piccaver(1883−1958)
Helge Roswaenge(1897−1972)
Tito Schipa(1889−1965)
Leo Slezak(1873−1946)
Dimitri Smirnoff(1882−1944)
Leonid Sobinoff(1872−1934)
Georges Thil監(1897−1984)
Alessandro Vesseloski(1885−1964)
Cesar Vezzani(1886−1951)
Miguel Vilabene(1892−1954)
Pはピアノ伴奏,0はオーケストラの伴奏のことである。
演奏時間については,アリアに入る前に,Recit.を入れる歌手が多く,その場合には30∼40秒加わるので3分
以上の演奏となっている。今回はすべてアリアから計測しなおした。
長谷川:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 25
次に個々のテノールについて,このアリアをどのように歌っているかを考察し,その主な特徴を ,
示してみる。
Anselmi伊語
奔放な歌唱である。明るい響きで,音楽性のことより声一辺倒に精力が注がれている。
弱声と強声を伸縮自在にできる。回へのアプローチは他に類を見ないほどDorα〃1砺coなもので,
最高音Aは完全に張っている。燦然と輝くAだ。4’〃2.はなし。12小節の∫επ.のあとは早い装飾
音doremiredo,と歌う。典型的なイタリア流である。面白いことに回の後,そのFisの音から高
音AにPでport. を使って入り,きれいに延ばしている。現代ではオペラにおいて,指揮者が許
すはずもないことである。作曲者の意図と無関係に回で∬回でρPと対比させ,声の技術を披露
している。
Ansseau仏語 1919年録音
ベルギー人だがロンドンで活躍。清潔でエレガントな歌唱だがフレーズを切れ切れにし
ていく。回では最初からPできれいな軽い声で入っている。回はかなりのc7ε5c.をみせて,しっ
かりした声を出している。きめ細かに自然な共鳴だが全体神経質な印象のある声である。また,繊
細なものから劇的なものまでレパートリーにしていた様子が伺える。
Blorling仏語 1938年live録音
. 非常に透明な〃2θz詔yocεではじまる。その声は曲全体をnoUeな雰囲気で包み込む。
先への見通しをもった理知的な歌唱でもある。圖ではfでA音に入って行き,すぐ減衰して,きれ
いなdim.で大変軽いメカニズムになってゆく。このライヴ録音は前半で少々オケとピッチが合わ
ない所があり残念。前半はBongiovanni盤がきれいだが,回,囹メリハリを効かせたこの盤の演奏
の方がよい。聴衆の拍手が場内の感動を伝えている。
Bonci伊語
Anselmiと同様に古い録音で自由奔放に歌うのでtenore dramaticoに聞こえがちだが,
CDで彼の他の曲を聴くと非常に繊細で柔軟な声である。明るくnobleな音質をもつ。國國は少し
Campagnola仏語 ’
きれいなフランス語で丁寧に歌っている。地味な声の歌唱で歌いまわしがうまい,だが
どちらかと言えば大きな舞台でオペラを歌う声ではない。特徴的なのは圖にρでもって暗いfalsetto
を使って入るがそれをfまでもって行き,またPに絞り込むといった手の込んだ歌い方をしてい
る。これはこれで味のある歌唱だが,最後にオペラ向きでないという破綻を見せた。
Caruso・伊語 1902年録音
これはEMIのReferencesのCDを採用した。ビロードのような柔らかい声,しかも
大きい声で堂々と歌ってゆく。回はやはり柔かく,大きく,美しい。回の後の装飾音doremiredo
はmiredoがfalsettoで歌われている。注目すべきは國で, D音が胸声中心,次に柔かなfalsetto
でA音を,新鮮な素晴しい声でcresc.する。その切り替えが明確に判る。この録音に対し,1904
年のものはしなやかさに欠け,大味な歌唱となっている。高音部はすべて大きな厚い声で堂々と歌
っている。こちらの盤は3枚違うレコードで聴いたが,日本のRVCのものが一番音質が良かった。
26 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
Carusoは,晩年(といっても47才の若さで他界した)声をだんだんと重くしていき,声の酷使が
原因で早逝したといわれるが,この1902年と1904年の盤の比較でもその傾向が判る気がする。だが,
Carusoの歌には,単なる恣意的なものと違い,現代にも通用する格調の高さがあるといえよう。
Clement仏語
明るく柔かく,澄んだ発声で機嫌よく歌ってくる。團で多少揺れたが,回は自由で大変
見事である。回は細いけれど力を持った音。圖のD音からAへの跳躍は,細く狭い位置からの声で,
充足感や自由感がいま一つ足りないのが残念。4伽.の長い音符が後半揺れてきて,全部が消え去る
まで安定性がないのは不調であったためか,身体が固かったためか,いずれにしても喉の機能がも
う一つうまくゆるまない。好調な前半と,後半の歌唱とではかなりの落差があって惜しい。
Crimi伊語
速いテンポで流れてゆく,明るく,大きく,柔軟な歌唱。やはり他のこの年代の同僚の
ように,声が何よりも重要,といった感じ,回はまともに張っているが,すぐ柔かく切り替えられ
る。國でやはりかなり張るのだが,すぐに4伽.できる。いわゆる胸声が入っても成功している。
Dani伊語
柔かく明るく大きな声。falsettoがよく効いたv・ix mixteで歌っている。18∼19小節に
かけてSoprano(Manon)の歌声が入っている。すべての難所を容易にクリアしている。國でもいき
なりかなりのfでAの音を出すが,fでも柔かく, nobleなtimbreで4」〃1.も素晴しい。国ではやや粗
野に出している。彼はロンドンでCarusoやAnselmiらと同じ役を分担するが, Melbaにその声を気
に入られて一緒に豪州へ演奏旅行に出かけた。その地が彼には大変気に入ってしまい,若くしてオ
ペラ界から姿を消してしまったのが1昔しまれる。
D’Aktor仏語
フランス語の語り口が流麗で音楽性豊かな歌唱。柔かい声で,すべて作曲者の要求通り,
楽譜に忠実に歌っている。7小節と9小節のFisの音を彼ほどきれいに,明らかに歌っている歌手
はそう多くはない。回の音も同様である。圖のAへの跳躍はPでfalsetto に替えて歌っているが,
これは震える程の感動を呼ぶ。最後の歌詞0のフェルマータでは気の遠くなるような長さで歌った
が,彼の声では誰もが納得できるだろう。
De Lucia伊語 1907録音
Bongivanni盤はここでも音質が悪く, E M I盤を使用。彼は他の曲でもそうだが,始め
は柔らかく,たっぷりと,弱声で歌っている。回でfalsettoへ明確に変わり,回では胸声をかなり
用いて効果を出し,圖では猛烈ながから微細なPPまで素晴しいテクニックを披露している。ラスト
の“OManon”は最大級の強さで明るく,この部分だけでも聴衆を感嘆させる勢いがある。
De Muro Lomanto伊語 1928録音
大きく柔かなビロードのような声。回でρρを極限までもってゆく。國でガのしっかりし
たところからすぐPになり,回ではげの部分をPにして歌った。少々意図的にすぎるのが1昔しいし
全体音楽性に不安があるようだ。だが,最後“0。Monon”この人の持味の一つである激情がほと
ばしる。
Devries仏語
どちらかといえば歌曲向けの声で,説明的な歌唱。高音はすべてオブラートで包んだよ
一
長谷川:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 27
うに歌われている。回の二点EからGへの跳躍で,明確に声の替り目が出る。國も同様で,完全に
ひっくり返ったような感じが出てしまっている。回では声が暗くつまっていて,発声上の難点がや
や露呈される。だが大変きれいな声であるから,好んで聴く人もいるであろう。
Fleta伊語
33名の中で最もゆっくりした演唱である。Recit,から大変遅い。全体にオー一ケストラが
よくついてゆけると思われるほどである。Wagnerにおける語り口のように,音を区切り区切り歌
ってくるので全体の18gαωが欠けてしまう。回はよく出ていないが,國國では華やかなfからよく
ρρにまでもって行けている。大きなvivratoがやや気になる。同時代の歌手達と同様に囹の部分は
FisからAの音に〃で上がっている。彼は45才という若さで亡くなっているが,録音ではかなりの
老境にあるような渋い面が出ている。
Gedda仏語
30代半ばの録音である。G・Pretre指揮のフランス国立放送局orch.の伴奏にのせて,
これは何と素晴しい演奏であろうか!かなり速いテンポで歌い始められるが,その声の透明さ,純
粋さ,柔軟さ,その表現力の豊かなこと!ポイントは囚∼囹まですべてにわたって評価1で,國圖
ではこれ以上はないといえる完全な∫o”oレocθのρρPρである。清潔でnobleな歌唱,誠に素晴しい
「デ・グリューの夢」がここにある。
Gigli伊語
ビロードのような,均質で透明な声,〃3αzαyoc8で巧みに各フレーズを自然に歌って
いる。聴き手にいい知れぬ安心感を与える歌唱。およそ作為的な構えたものはすべて排除されて,
ただnaturaleに歌われ,却ってデ・ダリューの愛情が深く伝わってくる。そしてこの歌手の偉大さ
が実感されるのだ。Eで高音に上がる前の二点Dでは,かなり長く留まって落ち着いてからAに移
っている。何とも柔らかいすぐれた演唱である。
Gi・rgini伊語
豪放嘉落な歌い方で,上行形は殆どfで歌ってくるのでこの曲の本来の味からは遠くな
ってしまうが,これはこれで声が鑑賞できる。高音をρで出すとか5〃研zαπ40することに意味を感
じていないようだ。そのため伸縮性がなくなって回のようにつまってしまうが,団ではアプローチ
をゆっくりとって満を持してのtryのため,次の音が大変よく出ている。國もPには全くしない。
単調になってしまうのが残念である。
Govoni伊語 1922年録音
明るく柔軟な出だしで,バリトンからテノールに転向したとは思えないほどリリカルな
歌唱である。知的な歌い方が随所に聴かれる。例えば{⊆]で装飾音doremiredoをやはりイタリア流な
ので入れてくるのであるが,それが素速くやられるので小気味がよい。練達したテクニックの持主
だが,戦争のために舞台のキャリアが少ししかできなかった。その他の録音で「ウェルテル」や
「ジャンニ・スキッキ」のアリアをかなり調性を下げているのは,興をそがれて惜しい。
Kozlovsky露語
演奏家としての寿命がかなり長かったロシアのテノールである。明るく暖かい歌唱であ
る。きめ細かな声であるが,表情が手を変え品を変え,といった感じで説明的になってしまうのが
残念。息を抜いた歌い方と,張っていくところが頻繁に入れ替わるので落ち着かないが,大変よい
28 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
声の歌手である。
Lazaro伊語
かなり幅広く響く声である。高音でも何なく胸声で出してゆく。ところが回でも,圖で
もその分厚いfからきれいに伽Lできる。殊に圖の4’〃Lは特筆に値する。重いところから軽いとこ
ろへの移行が不思議な位にスムーズである。録音が悪いために胸声が強く入っているようにみえる
が,実際にはかなりのfalsettoのmechanismが機能していることの証明である。回もしっかりして
nobleな声が出てきている。回は最後に4伽.でしめくくった。
Lugo仏語
フランス系にありがちな,かなり鼻にかかった声である。柔かい声質,フランス語のna
saleが特にうまい。肉薄の響きであるので,劇的な場面にはそぐわぬ発声ではないかと危惧される
。國は母音0を口で固めてしまってから出しているようなので,暗いし自由でない声になっている
・回とそれ以降は丁寧に歌ってはいるが,身体のゆるみがない為,少々不安定な歌唱になった。
McCormack伊語
明るく澄んで屈託のない歌唱である。声のtimbr6はnobleでclear。回も自由で表現が
自在。回もしっかりと確実で明るく,楽譜上のe5prε∬’レoは憧れに満ちた拝情のそれである。 圖は
驚くべきことに,何の構えもなく極く自然に歌えている。しかもそのqualityには凄いものがある。
軽い小さなメカニズムを通して歌われるので,彼の技術には何の問題も存在しないようだ。明る
い典雅な歌は人々に活力を与え,精神を透明にしてくれる。この人の歌はその典型であろう6
Patzak独語
オーストリア出身のテノール。ドイツ語圏のテノールは一般にイタリア・スペイン系に
比べると音色が暗い。しかし味のある歌唱ではある。オーケストラはドイツ系で大変丁寧に好演し
ている。この歌唱はテンポが著しく遅い。非常に丹念にPPも使って歌っているが,全体にテンポが
緩慢なため鈍な演奏に聞こえる。圖國はAとGの音がドイッ語の歌詞が原因で途切れてしまってい
る。こういう訳詞は音楽を台無しにしてしまうので残念である。
Piccarer独語 1928年録音
これはまた何と暖かい声であろう,明るく自由で柔軟に歌っている。軽い小さいメカニ
ズムを通して歌っているのが聴きとれる。曲のすみずみまで神経がゆきとどいて,オーケストラも
また,歌にぴったりと寄り添っている。作意的なものは何もないし,國國のポイントも何なく,表
情豊かにこなしている。全く素晴しい演奏である。録音はドイッグラモフォンのものを使用した。
彼は英国人であり,幼少時代をアメリカで過ごし,チェコのプラハでオペラデビュー。その後はウ
イーンを中心に活躍した名テノールである。Bongivanni盤は更に良い演奏だが,制作する際の不注
意か,調子が半音も高い。
Roswaenge独語
ドイツ語圏で活躍したデンマークのドラマティックテノール。前二者と彼とはドイッ語
の歌詞がそれぞれ違ったものを使用している。ドイツ物だけでなくイタリア物も得意にしていただ
けあって,大きな声でも非常によいテクニックを持っていて,表現力に幅がある。この曲において
も,全体的に大きな迫力を感じるが,回では401c8にもっていけるし, 國ではすごいfから,音を
長く保ち続けて4伽.を成功させている。國は本当に素晴らしい明るいfである。
長谷川:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 29
Schipa伊語 1926年録音
ささやくようなオーケストラの前奏にのって,風のように歌いはじめる。明るく,軽く,
透明な声である。回の気の遠くなるようなdim.……。回のげでは大きな声を出して来ないが,説得
力のある歌い回しで,甘美なフレーズにしている。即ち“C’est le paradies!”からのうまい接
げ方により,回のげは要らない方が正しい,と聴く者に思わせてしまうほどである。この表現にみ
られるようにこのテノールは,完全に曲を自分のものにして,全く自由な,個性豊かな演奏をする
ことに特徴がある。そしてこの自由さは,比類のない技術力の高さからきているのである。國飼は
本当に自由で柔軟,完壁である。そして彼の歌の言葉は大変明瞭で,しかも流れている。
Slezak独語
チェコ出身のテノール・ドラマティコ。明るい出だし,歌のうまさをすぐに感じさせる。
ドイッ語がとても優しく,柔らかい。囮に入る前のCisの音を,その隣iりと同じようにHの音で
歌っている。上行形になると胸の重みが気になって自由性が失われてくるようだ。それは胸声を入
れた時の美しさと,自由や軽さというものとが引き換えになっているのである。どちらを選択する
かは歌手が決めることであるが,前者に傾くと永い問現役を保つことが難しい。この演唱にあって
も,回から回の歌い終りにかけては,何とも苦しくつまった感じがするのが1昔しい。
Smirnoff伊語 1921年録音
ロシアのテノール。モスクワでデビュー,その後パリでも成功,メトロポリタンにも出
演するようになる。彼の演唱は,落ち着いて悠掲迫らぬものがある。明るく柔軟性のある声で歌い
はじめられる。囚回回を楽々とmezza voceでこなしている。特に回は素晴しい。國では殆ど一気に
Aへもって行くか,彼にとって難しい箇所は一つもない。非常な4伽.がここに見られる。回では,
FisのあとA音へ上げる(これはイタリア派の伝統)が,このρPも大変立派に溶けている。最後は
fでしめくくったが,これはあまり圧しつけた感じがない。ただ全体に長く延ばす音があると,圧
力をかけてくる傾向にあるのだけが1昔しまれる。
Sobinof露語
珍しい露語でのマノンである。帝政ロシアにはKozlovsky, Lemeshev, Smirnoffなどの
ように優れたテノールがいたが,この人もその一人である。明るくよく響いた声で,時折,情熱の
たぎりを示すような声を出している。全体,けれん味なく歌っていて,その分少々落ち着きに欠け
る。そして聴き手をはらはらさせる要素をもっている。歌詞“Non”の場所の回∼回への移行の場
面では,歌の入り方をとまどっている様子がわかる。曲の半ばから息がだんだん浅くなり,通常,
名歌手には決して見られないような息を入れる音が聞こえる。
Thil1仏語
7年ほど前に高齢で世を去った近代フランス最高のテノール。イタリアで修業。この人
の歌唱は風格のある堂々としたもので,ここでも宇宙全体を聴き手としたような,格が上の歌であ
る。前半は総じて吻で通している。この録音(EMI)は他のものより体調が悪かった為が,各フ
レーズの終りに少しずつ重みが残りすぎる。それでも圖へのアプローチからA音の後半へは明るく
もって行けている。囹はfから微細なPPに溶かして終っているのは,母国の音楽的感性であろう。
Vesseloski伊語
速いテンポでの歌唱。大きな声で,vivratoが目立つ。回は立派に歌ったが各ポイント
30 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
を無頓着に,荒く通り過ぎる。圖でも立派な声でそのままA音に昇り,未練なくすぐに降りてくる。
少々落着きが足りない気がする。曲の指定はAndante tres calmaである。
Vazzani仏語
フランス語で歌っている歌手の中では,この曲に一番ふさわしい声であろう,柔軟で安
定した歌唱である。前述した有名なClementよりもずっとinternationalな発声である。圖では,声
の切り替えがはっきり判るが明るく集中でき,sensibleで素晴しくきれいである。回はげも息が自
在に溶けて,次の最後のフレーズにおける上から混ぜた明るい声と共に,独特な味がある。余韻が
また素晴しく,これを聴けば誰でも,しばらくぽ身動きできないだろうと思わせる。
Vilabelle仏語
前半は丸い声で堂々と歌っている。回は40’c6の感じなし,回は硬質だが立派に出してい
る。國に入る前ではブレーキをかけて構え,Pにもって行く準備をしている。そこからは前半とま
るで違った歌い方となる。圖國をはっきり変わったPで歌い次の“encor” の下線部分からまた,
前のメカニズムに戻る。回のあと母音0でまた変えたがこれは明るく混じって素晴しい。
以上,各歌手の演唱を分析したが次の点に留意したことも付加しておく。
1)イタリア,フランス以外の国の出身者には,それを一言だけ付け加えた。
2)視聴にあたってはそれぞれの歌手を最低5回,しかも様々なオーディオ装置を使用した。
Hi−mechaの関与状態については後述することとして,ここではこれ等の声楽家達の歌唱スタイ
ルについてまとめてみることにする。33名の名歌手が歌ったものを聴くと,同じ曲であってもそれ
それアプローチが,かなり異なっていることに気付かせられる。その歌唱スタイルは大きくグルー
プ分けをすると,次のようになる。
① イタリア流の歌い方で,多く1920年代までに活躍した名技主義的な傾向が出ているもの。
フランスオペラであっても,歌詞や作曲家による様々なその曲に対する要求には,殆ど無関
心であり,リズムやテンポも重要視しない。曲中の聴かせ場や声の出し所に向かって集中し,
その難所を類い稀な技でもってやり遂げて,大方の喝采を浴びるもの。
Anselmi, Bonci, DeLucia, Freta, Giordini, Vesseloski
②前者より現代的な演奏をして,曲の構成力や表現力は,このオペラに沿ったものがあるが,
まだ声を第一としているもの。
Caruso, Dani, Lazaro, De Muro Lomanto, Govoni, Kozlovsky, Sobinoff, Vilabella,
③ イタリア流のテクニックを背景に,internationalな様式感と声で,オペラの内容の解釈を示
すもの。
Gigli, McCormack, Schipa, Smirnoff, Piccaver .
④ フランスオペラの雰囲気の表現力に富み,internationalな声楽技術をもつもの。
Anseau, Blorling, Clement, D’Arkor, Thill.
⑤主としてドイッ語圏で活躍し,フランスのアリアをドイツ語で歌っているもの。
Patzak, Roswaenge, Slezak.
長谷川:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 31
⑥ フランスオペラの詩の雰囲気を際立てて,声はそれほヴ出ないが,細かい表現をしているも
の。
Canpagnola, Devries, Lugo
以上6つのグループに分けたが,そのうち①,②,③の歌手達は,楽譜の回の次の小節伽脚E
音の後で譜例1の⑤のように装飾音を入れている。また,楽譜の回の小節Fisの後は,高音Aを〃
で入れている(譜例2の⑤),最後の“Man・n”のところで譜例2の◎のように,前打音を入れて
演奏をしていることが多い。
譜例1 譜例2
、、1楓④ ザノ鞍 ◎
●
,
・
猿r・駐r伽31蝕一9・‘ 》u。i−o 撫一n。η1
⑥のフランス流では声自体にそれほど魅力を持たない人が多いので,他の外国オペラに出演が難
しいが,曲の把握力や心理描写する力に優れている。〃やfalsettoを効果的に使って流麗典雅な歌
にしている。そして③,④の歌手達の大部分は素晴しい耀zzαレoc8の技術をもち,国際的な評価を
得て華々しいギャリアを残している。
4 ま と め
念の為に再度確認し記述しておくが,これまで取り上げてきた歌手達は,いずれも当時一流の名
テノールであって,筆者は同じテノールとして,皆尊敬に値する人達ばかりである。従って,資料
としての録音をとり出して云々するのは,かなり不遜なことと言わねばならないが,ここでいう評
価とは,観点をhi−mechaに絞ってのものであることをお断りしておく。
さてhi−mechaがどのようにその歌手の歌に影響を及ぼしているかについて,歌手別,ポイント別
に示してきたが,軽く歌われていて,hi−mechaが非常に効いているものが評価の基準1で,重く厚
く歌われてhi−mechaが埋没されているものが基準5,普通の基準3というように数量化した。従っ
て基準点の合計が少なければ少ないほど,より良い歌唱になるのではないかと考えた。全体に5,
4が少ないが,対象は世界の名歌手である。結果的にそのようになった。
これ等の歌手達の中でも,1920年代までに活躍した人達の演奏は,技術的に素晴しいものである
ことに間違いないが,録音技術の拙劣さによって,の全容を聴きとることが困難なことがあって,
評価が今一つ鮮明に出にくかったのは残念である。しかしこれから先,CDによるリファインが進
めば,今よりももっと彼等の仕事を理解することができる筈である。
32 茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学,芸術)41号(1992)
最終的によい結果を得た歌手で,しかもその他の角度からみて特に気になる部分がなかった歌手
を挙げてみると,Bjorling, D’Arkor, Gigli, Gedda, McCormack, Schipa, Smirnoffである。驚
くべきことに,この人達の中の前三者はtenore spintoを歌える歌手達であり,この微細な表現を要
求されるアリアで,この結果はまさに凄いものを感じさせる。力強く劇的な表現からρPの柔らかな
表現までカヴァーできることは,現代では信じられないほどである。hi−mechaの技術は,声の大小
に関係なく,表現力を拡大し得るといえるだろう。今回は相応な基準点には届かなかったが,Pic一
caverもこのhi−mechaをよく使用し, Wagnerを歌って人気の高かったtenore spintoである。彼の歌
うドイツ語はとても柔らかく,その声はsensibleで暖かい。 Geddaは唯一人の現役の歌手である。
60代半ばである彼のリサイタルを,昨春ウィーンで聴く機会を得た。若い時より多少固い声ではあ
ったが,好調そのものであった。彼に限らず,ここに挙げられた歌手達は,皆いずれも歌手生命が
長かった。hi−mechaの一つの大きな長所でもある。筆者自身,この論文をまとめるにあたって,フ
ランスオペラを得意としていたGeddaのレコードを久しぶりに取り出した。改めてそれを聴いてそ
の演奏のレベルの高さに驚いた次第である。McCormack, Schipa, SmirnoffはGeddaと同じtenore
di graziaであり, Bjorling, D’Arkor, Gigliのように,一世を風靡した歌手達である。彼等の歌は,
その声の純粋性,典雅なこと,伸縮自在なことで多くの聴衆に感動を与え続けた。その背景となっ
ているのはやはりhi−mechaであり,彼等の技術はそれを使って歌う,ということでなく,そのもの,
つまりhi−mecha自身が歌っているように聞こえるのである。
McCormack, Schipa, Smirnoffの演奏を聴くと,イタリアの昔の巨匠達が言った“senza muscoli”
という言葉が思い浮かぶ。これは「筋肉なしの」という意味だが,声を出す時には必要なものだけ
が動き,あと不必要なものは発声に参画しないこと,を表す。彼等は自分の身体をそのようにして
音楽を通らせている。そしてそれはまさに精神性を運んでくるのである。そのことが,声楽芸術の
極致とでもいうべきものであると筆者は考える。
お わ り に
これまで私はSP時代の歌手達と現代の歌手達との比較,発声とhi−mechaとの関係,自分自身の
体験及びマノンのく夢の歌〉をテーマに歴代のテノールの演奏分析,などについて述べてきた。
そしてhi−mechaについては自分なりのポイントを設定して分析し,未熟ながらも自分が納得するよ
うな形でまとめることができたように思う。これ等を自分の実践に生かし,更にこの研究を深めて
確かなものにしたい。
資料としたレコード及びCD
Anselmi ・FON 62165 XPH2568
Govoni COL D5063 B102
Ansseau H M V 2−032060
Kozlovsky 。 G EMM CD 9320
Bl6rling oLCD−103−1
’
kazaro ・COL 48787 1980
長谷川:Bel CantoにおけるHigh Mechanismの機能に関する一考察 33
Bonci . COL D4485 38562
Lugo ・POLY 561−0992108HPP
Campagnola ・GRAM V48 432244
Caruso oEMI 1785B 52345
Mc Cormack・GRAM 52047 A12764 ,
Clement ・GRAM O3225g A11191
Piccaver Scala 828 10920
Crimi ・VOC 60035 B 30176
Roswaenge ・HMV DB46552RA3755
Dani FON 39967 XPH2311
Schipa oVICT 828−B
D’Arkor 。COL RF73 WLB323
Slezak ・GeT 3−42775 10047 V
DeMuroLomanto C O L D12570 W B 1750
Smirnoff HMV 2−052192 NrCc99−1
Patzak GRAM 90151 LV2003
De Lucia EMI O4903005
Sobinoff ・HMV O22139 1981 C
Devries ●OD 188−505 KI1079
Thill EMI 2C161−11,660MA
Fleta ・HMV DBg86 2−052319
Vesseloski ・BRUN M37001B
Gedda ANG SCA1008
Vezzani ・OD 111901 XP6407
Gigli EMI 153−54010−17
Vilabelle ・OD 188−806 K 1447
Giorgini ・GRAM2−5269211227 B
r
E印はBongiovanniのレコード『28“Sogni”della Manon di Massenet』を使用した。
・印はそれぞれの歌手のCD盤によるものである。
無印は他の様々なレコードによるものである。
注
1)D.キーン(中矢一義訳)『ついさきの歌声は』 (中央公論社,1981),p.179.
2)C.L. Reid, B肌cAlv70:、Pz∫ηcψ’θ∫απ41Prαc∫’c85(Music House,1978), p.69.
3)同書,p.67.
4)Husler/Rodd−Marhng,∫∬1vGEN D’8ρhy廊cんθ1Vα伽r 48ε5∫〃π醜07gαπω(B. Schott’SSohne:Mainz,
1965),pp.88−89.この書によればfalsettoには虚脱したものと,支えられたものとの二つの傾向があると
いうことである。しかし筆者は,虚脱したものも,支えられたものもその根源的なメカニズムは同じもので
あり,ただ身体のくせや緊張によってその声が妨げられている状態か,開放された状態かの違いであると考
える。ここでいうbreakも, falsettoのことと同様に,諸器官が自由になっていけば解決していく問題である。
5)『世界大音楽全集声楽篇第13巻 オペラアリア集(テノール)W』(音楽之友社,1958),p.242.
6)Massenet, M伽oη(G.Schirmer), pp.162−164.
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